ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

FS「真」物語「真っピンク」

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フォレストシンガーズ

真っピンク

 花びらのひとひら、ひとひらは、淡い桜いろを含んだ白に近い。五枚の花弁が集まって桜の花を作り、大群の花が桜樹を作る。

 無数の花をつけた桜樹は一本でも美しいが、何本も何本も植えられているのは得も言われぬほどに美しく、言葉をなくし息を呑み、人はただ見とれることしできなくなる。花に酔いしれる以外にはなにもできなくなる。

「乾さん、お酒がほしいんじゃありません?」
「ちょっと黙ってろ」
「……はい、ごめんなさい」

 この花に酔うだけで十分すぎるほどなのに、酒がどうのこうのと言っている無粋な奴にひとことだけ言って、俺は桜の道を歩く。兵庫県は西宮市夙川。日本のさくら名所100選にも入っている場所だ。このあたりは阪神間の高級住宅地だから、春でなくても上品ないいところだが、桜が咲くとことのほか美しい。

 ウィークディの夕暮れどき、小雨が降っていて人通りは少ない。土、日じゃなくてよかったな。晴天の休日だったら人と車でぎっしりだろうから。

 やや肌寒い風が吹き、桜の花群れを揺らす。花びらが舞っている。
 見上げると薄暮の月。俺もこの場で桜樹になってしまいたい。ずっとずっとずーっと、ここに立っていたい。

「乾さん……」
「黙れって言っただろ」
「すみません」

 ひとりで来ればよかった。気を遣いすぎる傾向のある後輩なんかと同行するんじゃなかった。後悔の念が起きる。

 叱られた子どものようにしゅんとしつつも、うしろからついてくる後輩は酒巻國友。彼は神戸のFM局でDJをやっているので、春になると関西の桜も見るようになったという。俺も話にだけは聞いていた、夙川の桜も見たと言っていた。

 桜の見ごろは短いから、生活範囲以外の花を見る機会はそうそうはない。今年はちょうどいい時期に大阪に来られたので、酒巻に案内してもらったのだった。

「今日なら車でも大丈夫ですよ。みなさんも行かれます?」

 本日の仕事は大阪ライヴのためのリハーサルのみだ。仕事が終わると酒巻が迎えにきてくれて、他の四人にも尋ねた。

「俺は飲みにいくほうがいいな」
「雨だろ。これじゃ花見をしながら飲み食いできないもんな」
「俺は先約があるから」
「俺も今日はやめとくよ」

 花より団子の発言をしたのはシゲで、あとの三人も乗り気にはならなかった。
 あんな奴ら、来なくてよかったんだ。ここまで美しい桜にはひとりで浸りたかった。ああ、だけど、酒巻が誘ってくれて迎えにまできてくれたんだよな。自分勝手なことを考えていると気づいたので、俺は立ち止まった。

「ごめん、酒巻は腹が減ったか?」
「そうでもないですけど、ちょっと寒いです」
「そうだな。俺はもっともっと花を見ていたいから、おまえは帰ってもいいよ。あとはタクシーでもなんでもどうにでもするから」
「僕、邪魔ですか」
「そういう意味じゃなくて……」

 正直に言えば邪魔なのだが、そこまで言えば酒巻が泣き出す恐れもある。男は人前では泣くな!! の主義の俺は、酒巻を叱り飛ばしたくなる。そうなると思い切り雰囲気がこわれるので我慢した。

「すみません、僕、迷惑でしたよね」
「迷惑なんかじゃないよ」
「だって……」

 平素は饒舌な俺だって、桜には無言で見とれたい。なのに喋らなくてはいけなくなって、若干いらついてきた。俺はめそめそしている酒巻を置き去りにして、早足で歩き出した。

 夙川さくらの道。

 谷崎純一郎の「細雪」にも出てくる。谷崎はここに住んでいた時期があったらしい。昭和初期、戦争が起きる前の夙川はどんなだったのだろう。年若い桜はこんなにも華やかではなかったかもしれない。

 黄昏が濃くなってきて、桜が幽玄味をまとってくる。こんな花にはきっと桜の精が宿って、俺を誘惑するんだ。乾さん、こっちにいらっしゃいよ、と、ほら、あの花陰から……。
 こほっと咳をして、谷崎の世界に想いを戻らせる。

 うしろではぐしゅぐしゅ言っている奴がいるが、三十すぎた男が鼻を鳴らしているのなんて無視ムシ。酒巻、おまえな、俺じゃなくてここにいるのが金子さんだったら殴られてるぞ、と心で言って、無視を続けた。

 可愛い女の子がべそをかいているんだったら、俺だって無視なんかしないよ。ミエちゃんにも言われる通り、俺は男女差別主義なんだな。けど、そんなの当たり前だろ。

 降りておいで、そこにいる桜の精……きみは女の子だろ。きみが泣いたら抱きしめて、頬の涙をぬぐってあげるよ。
 立ち止まって腕を広げる。そのとき、激しい風が吹いた。

「わっ……」

 一瞬、目の前がピンクに染まる。真っピンクなんて言い方はないだろうが、まっまっピンクだ。淡い桜いろに染まった視界の中で、たしかに桜の精が妖艶に微笑んでいた。

END







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~ Comment ~

NoTitle

桜の季節も終わりを迎えましたね。
葉桜~~と言っても、毛虫が多いですし、今では雨ですからね。
あ、雨の中で葉桜を楽しむのも一興ですかね。

LandMさんへ2

こちらにもありがとうございます。

これはまったく季節はずれなのですが、「真」物語のひとつってことで、大目に見てやって下さいませ。

雨に似合う花は、なんたって紫陽花ですよね。
近いうちに京都に紫陽花を見にいく予定です。
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