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小説381(ローカル列車で1)

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フォレストシンガーズストーリィ381

「ローカル列車で1」


1・千鶴

 いいなぁ、私もこのドラマに出たいなぁ、と切望してはいるけれど、言い出しにくい。
 うちの事務所はドラマには一切無縁のようだし、乾さん本人ではないけれど、乾隆也が主役のひとりとして出ているドラマなのだから、言い出しにくさもひとしおだ。
「千鶴、いい仕事が入ったわよ」
 ところが、事務所の社長に言われて驚いた。
「……女ふたり、ローカル列車での旅、旅番組ですね。私とこの女優さんがふたりで旅をするんですよね。時松寿々さんって……」
「知ってる?」
「もしかしたら「歌の森」でチャコを演じているひと?」
「そうそう、そうよ」
 姓も名前も印象的なのもあって、端役でも記憶に残っている。彼女はルックスも印象的だし、いいなぁ、私もこの役でもいいからドラマに出たかった、と羨ましがっていたのもあったから。
 「歌の森」に出られるのではなく、そのドラマに出演している女優さんとの共演か。
 

 フォレストシンガーズの五人の学生時代、プラス、現マネージャーの山田美江子さん、この六人がメインとなって実名で登場するドラマだ。もちろん、若い俳優さんたちが演じている。
 本橋真次郎役は三村真次郎。お笑い出身らしくて、本橋さん本人のように迫力のある顔というよりはコミカルなタイプだ。背が高くてがっしりしていて、声の低いところは似ている。
 山田美江子役は阿久津ユカ。劇団所属の美人女優、できることなら私がこの役を……タイプがちがいすぎて無理だね。
 本庄繁之役は琢磨史郎、このひとがいちばん、実物のシゲさんに似ている。映画のエキストラのアルバイトをやっていて、この世界に入ってきたのだそうだ。
 木村章役はヴィジュアルロッカーのVIVI。木村さんにはぴーったり。
 三沢幸生役は現実では高校生の川端としのり。可愛らしい少年だ。
 そして、乾隆也役は石川諭。相当な美青年で、乾さんが恥ずかしがっていた。山田さんの役が無理だったら、乾さんの彼女の役をやりたかった。そんな女性は出てくるのかどうか知らないが、出てきたら嫉妬してしまいそう。


 この六人は実名だが、ヒデさんや徳永渉さん、金子将一さん、話には聞いたことのある高倉誠さんや喜多晴海さん、八幡早苗さんや酒巻國友さんなどなど、有名になっているひとも今ではどこでどうしているのか知られていないひとも、フォレストシンガーズの学生時代に関わりのあった人々が、すこしだけ名前を変えたりキャラを変えたりして登場する。
 脚本はみずき霧笛さん。私もお願いして彼に小説を書いてもらったことがあった。
 時松寿々さん演じるチャコは、愛称だけしかない役柄だ。大柄なチャコと小柄なモコがコンビで時々登場する。合唱部のださい女の子たちってところか。私もモコのほうだったらやれただろうに。
 オーディションに合格した彼らについては、私も近い仕事をしているだけに調べることはできた。
 ドラマは現在放映中で、深夜枠なだけに視聴率もふるわないらしいが、ゆっくりじっくりした人気はなくもないようだ。フォレストシンガーズファンや関係者は熱心に見ている。私は関係者ではないが、録画もして何度も何度も見ていた。
 最近、石川さんや阿久津さんはCMに出演している。VIVIがヴォーカリストであるバンド「ブラッディプリンセス」は徐々に人気が出てきている。ぱっと派手にではなくても、役者さんたちはすこしずつ上昇していっているようで、私としては、いいなぁ、でしかなかった。


「はじめまして、時松です」
「はじめまして、佐田です」
 コメディ系の劇団員が本職だという寿々さんと、一応は女優です、としか言いようのない私とが初対面を果たし、仕事の話が一段落してから、ふたりでテレビ局の喫茶室で向き合った。
 CS放送の旅番組なのだから、視聴率は深夜ドラマ以下かもしれない。はなから視聴率は期待していないから、きみたちを起用したんだよ、と制作側のスタッフたちは言いたげだった。こういう番組は過去のひとや、売れない芸能人が出演すると相場が決まっている。
 それでも、女優としての仕事なんてほとんどなくて、最近はもと叔母の伝手で企業研修用DVDのナレーターなどがもっぱらの私には、ありがたい話だった。
「千鶴さんはおいくつ?」
「十九です」
「若いんだね。私は二十五」
「そうなんですか」
 三十すぎてるのかと思ってた、とは言わなくてよかった。
 百六十センチ足らずの私よりは十センチ以上高いので、百七十を超えていそうだ。太っているというのではなく筋肉質でいかつくて、知らなかったら女子格闘技の選手かと思ってしまいそう。
「寿々さんが「歌の森」に出てるのは知ってるんですよ。私はフォレストシンガーズのファンだから、録画して何度も何度も見てるの。「歌の森」DVDを作ったのは特別扱い」
「ありがとうって言うのも変だけど、嬉しいな」
「フォレストシンガーズの方には会いました?」
「ご挨拶だったらしましたよ。ね、千鶴さん、これから長いおつきあいになるんだろうから、いやじゃなかったらため口でどう?」
「寿々さんさえいいんだったらね」
「私はそのほうが嬉しいな」
 このひと、なにかに似ている……そう、牛、牛。口に出しては言えないが、ミルクセーキを飲んでいる寿々さんを見ていると、ホルスタインみたいだな、と思ってしまった。


2・寿々

 やや小柄でややぽっちゃりしていて、とても可愛いひとだ。このひとだったら女優として人気が出そうなのに、売れなくてくすぶっているらしいのは、そんな世界だからとしか言えない。
「出演者一同がそろったときに、フォレストシンガーズのみなさんも来て下さったの。今回のドラマはモデルがいるわけでしょ。私のチャコは架空っていうか、合唱部の女の子たちの代表みたいな感じなんだけど、たとえば三村さんには本橋さん、石川さんには乾さんってふうに。その役柄の相手とはわりと親しくしてもらってるみたいよ」
「そうなんだ」
「特に川端としくんは、三沢さんに可愛がってもらってるみたい」
「ああ、三沢さんはすぐに誰とでも仲良くなるもんね」
「千鶴さんも親しくしてもらってるの?」
「三沢さんにはちょっとだけ」
 ほんのちょい役とはいえ、チャコとモコのコンビは毎回ドラマには登場する。そうして撮影も長きにわたってくると、人間模様も見えてくるようになっていた。
 別の仕事がなかったら、撮影を見学に行きたいな、また今度、ぜひ来てね、と千鶴さんと言い合って別れ、私は「歌の森」の撮影現場に出向く。今日の私たちは合唱部室での一幕を撮ることになっていた。
「チャコ、お弁当を持ってきたの?」
「うん、一緒に食べようか」
 立花モモ子、モコとチャコはコンビなのだから、私はモコと行動を共にすることがもっとも多い。彼女は小さめでころっとしていて、マシュマロ女子だとかいわれるタイプだ。髪型と服装とメイクで不細工に作ってはいるけれど、本物の不細工な私とはちがって素は可愛らしい。
「寿々ちゃん、新しい仕事が入ったんだって?」
「そうなの。旅番組に出るんだ」
「旅番組って大変でしょ?」
「まだ本格的にははじまってないけど、大変かもしれないね」
 劇団仲間には旅番組経験者もいる。おいしくもないものを食べて、うまいっ!! と感激しなくてはならなかったり、延々延々歩かされたり、延々延々待たされたり、撮影許可を得てない場所に行って断られたり、温泉で裸にならされたり。
 売れない劇団員は粗略な扱いを受ける。
 無名の役者だけが出演するのなら彼我の扱いは同じだが、特番で有名俳優と組まされて、有名なほうばっかり優遇されて、私は付き人扱いだったよ、と嘆いていた劇団の先輩もいた。
「俺も出たことあるんだよ」
 そんな話をモコとしていると、横から話に入ってきたひとがいた。本日のドラマのゲスト、桜田忠弘さんだ。このクラスのスターには私たちはAD扱いされる場合もあるので、話しかけてくれるとは思いも寄らなかった。
「モコちゃんとチャコちゃんだろ。紹介はしてもらったから覚えてるよ。このドラマのキャストは若いから、若い女の子も大勢いて楽しいな」
 戸惑って私は会釈だけし、モコは快活に応じた。
「チャコはそんなに若くもないんですけどね」
「チャコは大学生なんだから若いだろ」
「チャコは若いけど寿々は若くないです」
「失礼だけどいくつ?」
 二十五、とモコが私のかわりに答え、若いじゃないか、と桜田さんは笑った。
「モコちゃんはいくつ?」
「二十一です」
「二十一だったら俺は故郷にいたな」
「富山でしょ、知ってます」
 受け答えしているのはモコだけで、私は黙って聞いていた。
「俺は二十代にはまーったく売れなくて、旅番組にも出たよ。さっききみたちが話してた、有名人と組まされて俺はみそっかす扱いって経験もあるな」
「今ではスターのほうでしょ」
「いや、もうこの年だから、旅番組なんて出たくないな」
 デビューしてから二十年はたつという桜田さんはベテランシンガーだが、四十代にはとうてい見えない。私が彼のそばにいたら、同い年くらいに見られたりして?
 フォレストシンガーズとは親しいらしい桜田さんは、このドラマが放映されると決まって、俺も出たい、と言ったのだそうだ。本橋の役をやりたいな、いやぁ、桜田さんが俺を演じるなんて……と桜田さんと本橋さんが言い交したとは、私も誰かから聞いた。
 若くは見えても四十代の桜田さんには、大学生の役は無理がある。本橋さんはかっこいいけれど、桜田さんのような美形ではない。そんなこんなで、特別に役が作られた。
 木村章が出入りするライヴハウスの、不良中年オーナー。木村章だけは大学を中退していて、現在進行中のドラマではロックバンドのメンバーなので、桜田さんが経営するライヴハウスが時々映る。このライヴハウスには何人もの有名人がゲストとして顔を出し、木村さんや三沢さんもちらっと出てきていた。
 桜田さん見たさにドラマを見てくれるファンもいるようで、スターってちがうものだなぁ、と私も思う。口をきくのははじめての桜田さんは、さすがにスターのオーラをまとっていて私は気おくれしてしまうのだが、物おじしないモコは楽しそうに会話していた。
「モコちゃんって彼氏、いるの?」
「いるんですけど、彼も売れない役者で……」
「モコちゃんも劇団員?」
「私は劇団には入ってなくて、フリーの役者です。あんまり仕事ないから、居酒屋でバイトしたりもしてます。だからふたりとも不安定なんだよね。この間、プロポーズされたんだけど……」
「結婚するの? おめでとう」
 そんな話、私は聞いていなかったのだが、桜田さんにおめでとうと言ってもらったモコは、複雑そうな表情になった。
「子どもさえ作らなかったらやっていけなくもないんだろうけど、私には他に好きなひともいるんですよね」
「そうなんだ。そいつは?」
「木村さん」
「って、木村章? VIVI?」
「本人のほうです」
「VIVIとだったら俺は親しいんだけど、木村章本人はなぁ……それにきみって彼氏いるんでしょ」
「彼氏もいるし、なんだか言い寄ってくる男もいるし、モコ、困っちゃう」
「ほぉ、それはそれは……そうと聞くと俺もその気になりそうだな」
「やだっ、モコ、本気にしますよ」
「一瞬だけだったら本気にしていいよ」
 やーん、とか言って、モコはなれなれしく桜田さんの背中を叩く。桜田さんもいやでもなさそうに笑っている。数少ない女性キャストたちはモコをあまり好まないようだが、彼女は男性たちにはわりあい受けがいい。女にはわからない、もて要素があるのかもしれない。
「で、チャコちゃんは?」
「あ、すみません。私はちょっと……」
 チャコちゃんの彼氏は? と桜田さんは訊きたいのだろうか。そんなの、いるわけないでしょ、とも言えなくて、私は席を立った。うしろでモコが、チャコはねぇ……と言いかけて笑う。なになに? と桜田さんが訊き返す。内緒!! と言っているモコの甘い声が不快だった。

 
 同い年だから仲良くしてね、と言ってくれた阿久津ユカに誘われて、VIVIのバンドのライヴに出かけていったことがある。もともとは三村くんがユカを誘ったらしくて、彼から見れば私は邪魔者だった。そんなことは慣れているからいいのだが。
 打ち上げの席でブラッディ・プリンセスのメンバーに誘惑された。二十五にもなってそんな経験は皆無……と誰に言っても、そんな仕事をしていてそれはないだろ、と言われたりする。反面、私のルックスを見て納得されることもある。
 納得されようと疑われようと、私にはそんな経験はない。高校生までの間に片想いだったらしたことはあるが、高校を卒業してフリーターになり、おまえにはいい味がある、なんて言葉で劇団に誘われ、二十五歳になるまで恋愛経験はゼロだ。
「歌の森キャストの中で一番の美男は石川諭。一番の美女は阿久津ユカ。
 では、男女全部で一番の「ブ」は? 決まってるじゃん」
「そうそう、チャコだな」
 ネットの掲示板にそう書かれて、みんなそう思ってるんだな、と私が納得してしまった。
 覚えやすいから、チャコとしか呼ばれないのはかまわない。ユカやモコは私を寿々ちゃんとも呼ぶが、私を嫌っている三村くんは時松と姓で呼ぶ。他はたいていチャコ。視聴者の噂でも「チャコ」だ。
 一番の「ブ」だと言われても話題になるのは嬉しい。私だってこれでも役者のはしくれなんだから、目立たなくちゃ。そのおかげで千鶴さんとの旅番組にも起用されたのだから。
 背が高くてがっしりしていて、体格は三村に似てるね、と言われることもある。男だったらそれなりによかったかもね、とも言われる。モコのようなぽっちゃりは可愛いけれど、女としてはその体格は致命的だな、不細工で売るしかないな、とも言われた。
 仕事のほうでは、ごつい女でも不細工な女でも売りがあるのはありがたい。
 けれど、私生活では哀しいことだってあるのだ。
 生まれてはじめてお酒の席で男性に誘惑されて、これで私も処女を捨てられると思った。そんなもの、後生大事に抱えている必要はない。若さだけでもあるうちに捨ててしまおうかと。
 なのにVIVIが邪魔をした。あとから考えてみれば、VIVIに妨害されてよかったのかもしれない。ホテルに行ってから酔いが醒めてきた相手に、うっ、おまえとは……うわ、無理だよ、とでも言われて萎えられたら、私は激しく落ち込んだだろう。
 だから、タクシー乗り場まで送ってくれたVIVIにはお礼を言った。あのとき、私を誘惑したロッカーの名前は忘れた。
 モコと桜田さんが話しているところから遠ざかりつつ振り向くと、いつの間にやらみんなが寄ってきている。桜田さんがモコの肩を抱き、モコは頬を真っ赤にしてきゃあきゃあ笑っている。ユカといるよりモコといるほうが気楽だと思っていたけれど、モコもやっぱり私とは人種がちがうみたいだ。


3・千鶴


 新しい仕事の報告がしたいと言ったら、乾さんが会ってくれた。
「チャコ、時松寿々さんって知ってる?」
「ドラマのキャスト? 合唱部の女の子たちが数人いたのは覚えてるけど……」
「山田さん役の阿久津ユカさんは知ってるんでしょ」
「彼女は主役のひとりだから覚えてるけど、全キャストは記憶してないよ」
 「フライドバタフライ」という名の店は、酒場といったらいいのだろうか。私は未成年だから、三十五歳の乾さんが保護者になってくれる。ノンアルコールカクテルを飲んで、スコッチウィスキーって乾さんに似合うなぁとうっとり眺めていた。
「牛みたいな女のひとよ」
「牛?」
「ホルスタインみたい。大きくてもさっとしてるの」
「千鶴、その言い方はないだろ」
 そう言うと思った。乾さんに叱られたくて言ったんだもん、と舌を出すと、乾さんは笑いを含んだ目で私をちろりと睨んだ。
「だったらもっと叱ってやろうか」
「……叱られるようなこと、他にはしてないよ」
「ほんとか?」
「ほんとだもん」
 きびしい言葉を投げられているわけでもないのに、私は乾さんに叱られると嬉しいのに、涙がにじんでくる。乾さんにくっつきたくなってくる。抱かれたくてたまらなくて、だけど、乾さんは私をベッドには連れていってくれないから、はしたない想いを押し殺しているしかない。
 ふたりともにちょい役で出演した映画で知り合って、なぜか監督さんに抜擢されて、乾さんと私がエロっぽいポスターに抜擢された。
 愚かな私は乾さんに服を脱がされたり、素肌をさらしたり、抱き上げられたり抱きしめられたり、胸やお尻や太ももに触れられたり、といった仕事のための行為にぽわーんとしてしまって、彼に恋をした。私は父にないがしろにされていた子どもだったから、ファザコン傾向もあったせいだろう。
 十六歳も年上の男性に恋をして、子ども扱いされて。
 馬鹿なたくらみなんかもして嫌われようとしたり。乾さんは抱いてくれないから、バイセクシャルの男の子と初体験をしたり、その後にも恋をしている錯覚に陥って、じきに破局したり。
 最低に愚かだった時期を通り過ぎて、それでも私は乾さんに恋をしている。乾さんもとことん私を嫌っているわけでもなくて、たまにはかまってくれる。それだけで満足できたらいいのに、もっともっとと求めてしまう私はストーカー気質なんだろうか。
「その時松寿々さん? 千鶴のほうが年下なんだな。仕事でお世話になるんだろ」
「なると思うよ。乾さん、寿々さんに挨拶してくれる?」
「俺が千鶴をよろしくって言うのも変だろうけど、機会があれば声をかけておくよ」
「寿々さんだったら安心だから、よろしくね」
「……どういう意味だ? 千鶴……」
 わかってるくせに。私のこの意地悪な顔を見ていたら、どういう意味で言ってるのか、知ってるくせに。
 やっぱり私はエムなんだ。こうして乾さんに叱られると、妄想が羽ばたいていってしまう。このまま抱き上げられて部屋に運ばれて、もっと叱られてお仕置きもされて、泣いてごめんなさいをしてベッドで抱かれて……あり得ない妄想をしては、私ってほんと、馬鹿、とため息をつくしかなかった。


 北陸鉄道石川線。金沢は乾さんの故郷。ローカル列車だったらこれに乗りたいと願ったのはかなわない。この線は廃止されてしまったのだそうだ。
金沢市から白山市を結ぶ石川県の鉄道。乾さん生まれて十八歳まで育ったというお屋敷は、この線もかつては通っていた犀川のほとりに建っていた。私は金沢には仕事やらプライベートやら、フォレストシンガーズのライヴを聴きにいったりやらで何度か訪れているが、乾さんの生家には行ったことはない。
「俺は大学のときにはじめて行ったんだよ。圧倒されたね」
「乾さんのお母さんがみんなに浴衣を縫ってプレゼントしてくれてさ。あのときの写真、どこへやったかな」
「結婚したときに乾くんのお母さまが、着物を下さったの。すごくいいものらしいんだけど、私には値打がわからなくて宝の持ち腐れってやつになってるのよね」
「乾さんのお父さんは和菓子屋をやっておられて、蜜魅さんが取材に行ったんだそうだよ。和菓子屋のイケメン店主を主人公にした漫画を描くんだって。モデルは乾さんかもね」
「俺は甘いのは苦手だけど、乾さんのお父さんの店の和菓子だったら食えるってか、品のいい甘さだったよ。乾さんちはお父さんもお母さんも上品で、うちの親父やおふくろとはえらいちがいで……」
「俺は乾のおばあちゃんに会ってみたかったな」
 山田さんを含め、フォレストシンガーズのみなさんから聞いた、乾さんが生まれたおうちの話。お父さんやお母さんやおばあちゃんの話。おばあちゃんは十五年以上前に亡くなったそうだから会えないが、おうちは見られる。お父さんやお母さんには会える。
「俺はばあちゃんっ子だったから、父や母とは親しみが少なかったんだな。千鶴もお父さんとはそんなふうだったんだろ。近いところはなくもないおいたちなんだね」
 仕事が忙しくて両親にはかまってもらえず、そのかわりにおばあちゃんに大切に育てられた乾さん。
 子ども嫌いなのにまちがえて産んでしまった、産まれた千鶴は可愛くない、と言って母は私と父を捨てて家出し、父はものすごく面倒がりながらも、最小限の育児はしてくれた。だんだん大きくなってくると、私が育父をしていた部分もある。
 父の弟である叔父と、叔父の妻、後には離婚しても私とは仲良くしている麦ちゃんは可愛がってくれたから、私にとっての叔父と麦ちゃんは、乾さんのおばあちゃんのような存在だったのだろう。
 親はなくても子は育つっていうけど、乾さんと私の境遇は似てるようで似てないな。
 と、私は思うが、似ているところもあるのは嬉しい。私がこんなにも乾さんに恋している一因は、それもあるのかもしれない。
 寿々さんとの仕事が開始するまでは暇もふんだんにあるので、金沢に行くことにした。いきなり乾家を訪ねていくほど私も非常識ではないが、近くまで行ってお屋敷を見てこよう。北陸鉄道の廃線跡もあるようだし、鉄道がなくなったからバスも通っているようだし、私の知らない昔を偲んで、金沢近辺をひとり旅してこよう。
「……ここ……」
 乾さんと知り合ってから金沢に来るたびに、頭をかすめていた。乾さんのお母さんとお父さんの暮らす家、乾隆也さんが育った家を見たい、と。行きたくて行けなくて、乾さんやその他の誰かから聞くお屋敷の話で想像ばかりがふくらんでいた。
 想像以上に大きなお屋敷だ。小さいアパートで生まれて育ち、小さいマンションでひとり暮らししている私には、気が遠くなるほどのお屋敷だった。
 周囲を歩き回り、こっそり庭を覗いてみたりする。季節柄、乾さんが言っていた吾亦紅は見当たらなかったが、おばあちゃんが丹精したと聞いていた花園はあそこだろうか。あれだけたくさんの花に囲まれて育ったのだから、乾さんが植物に詳しいのも当然かもしれない。
 十六年早く私も金沢のこの近所に生まれたかった。高校生の隆也くんと友達になって、一緒に東京に出たかった。あの花園でキスしたかった。
 とめどもなく妄想が湧いて、切なくてたまらなくなる。
「馬鹿だよね。千鶴って馬鹿。本当に乾さんと同い年の金沢の女の子として生まれたとしても、乾さんに好いてもらえたかどうかもわからないのに。今は私が子どもだから、可愛がってくれてるだけなのに」
 知っているのに、いいほうに考えたくなる。
 しつこく歩き回っていて近所のひとにでも咎められたら。お母さんかお父さんに見られて怪しまれたら。警察にでも通報されて逮捕されたら、仕事ができなくなっちゃうよ。わざと大げさに考えて、思考を悪いほうに切り替えて、それでもしつこく歩いてから、大きな通りへと足を向けた。
 写真は撮らないで、心の中にあのお屋敷を焼き付けておく。私がここで暮らすことなんか絶対にないだろうけど、夢の中であの花園を再訪したかった。
 さて、これから能登のほうへ行って、のと鉄道ってのに乗ってみようかな。馬鹿な妄想とたわむれているだけでは時間の無駄だもの。仕事でのと鉄道のロケをする機会もあるかもしれないのだから、リハーサルをしよう。


END




 
 
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~ Comment ~

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芸能というのは難しい世界だ。。。
ちなみに世界ふしぎ発見!!は子どものころからいつも見ています。
あれこそ旅番組の最高峰だと思います。
個人的にですが。

LandMさんへ2

いつもありがとうございます。

よく知りもしないくせに芸能界っぽい世界を書きたがるのは、むずかしくも面白そうな業界で、あちこちでドラマが繰り広げられていそうな感じだからです。

旅番組といえば、私はおいしいものが出てくるのやつがいいですね。
温泉にはあまり興味がありませんので、ローカル列車に乗って美味を捜しにいく旅、そんなのに憧れます。
管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

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