別小説

ガラスの靴44

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「ガラスの靴」

     44・類友


 一度は息子に、働く母を見せてやりたかった。
 事前に了解を得るべきだったのだろうが、断られそうな予感ひしひし。突然行ったほうが息子可愛さに受け入れてもらえるかと思ったのだが、甘かった。

「主夫の分際であたしの仕事場にのこのこ来るな。帰れ」
「ママ、こわい」
「胡弓もうるせえんだよ。帰れ。弁当? そんなもん、いるか」

 口実にするつもりで作ってきた弁当の大きな包みも、ばしっと払いのけられた。アンヌったらご機嫌ナナメかな。三日ほどはアンヌは帰宅していなかったから、主夫としてはみんなで食べられるようにたくさんのお弁当を届け、なんだったら洗濯ものを持って帰ろうか、と言おうとしていたのに。

「しようがないね。パパが悪かったんだよ。胡弓、パパとふたりでお弁当を食べようか」
「うん」

 アンヌのバンド、「桃源郷」がレコーディングしているスタジオは、有名な公園の近くにある。気候もいいしお天気もいいし、拒絶されたとしてもこうできるからこそ、その可能性も鑑みていたわけだ。

「よくあんな女で我慢してるよな」
「あ……吉丸さん」

 ママに邪険にされたので寂しそうな胡弓をなだめながら、公園のベンチで豪華なお弁当を食べていた。胡弓が食べものになんかたいした興味はないのは、僕の子どものころと同じだ。そのほうが太らなくていいとアンヌも言うので、胡弓には野菜をメインに与えていた。

 なのだから、このお弁当だって胡弓のご機嫌取りにはなりにくい。アンヌの仲間の大人の男性たちの好みを考えて、肉っケやらから揚げやらをたくさん詰めてきたので、胡弓と僕ではとうてい食べ切れそうになかった。

「吉丸さんも食べない?」
「そだな。たくさんあるもんな。食ってやるよ」

 大きな手で胡弓の髪をくしゃっとやってから、別の片手でおにぎりをつかんで吉丸さんがほおばる。食ってやるよとはなんなんだ、とは思ったが、食べものを無駄にしたくないのでそれはそれでいい。うん、うまいよ、と吉丸さんが言ってくれるのも嬉しかった。

「あんな暴君に我慢してるのも、おまえに稼ぎがないからだろ」
「僕は主夫だもん。家事をやってるもん」
「おまえは男だろうが」
「男と結婚してるあんたに言われたくないね」
「ミチは男じゃねえんだよ」
「だったら僕も男じゃなくてもいいよ」
「おまえは口は減らないな」

 憎たらしい口ばかりきく吉丸さんだが、彼にも息子がいるので、胡弓には優しくしてくれる。心配そうに僕らを交互に見ている胡弓には、吉丸さんはこう言った。

「パパを苛めてるわけじゃないぜ。話し合いをしてるんだ」
「はなしあい? おばあちゃんとおじいちゃんもしてるよ」
「そうだろ。大人の世界は話し合いでなりたってるんだよ」
「ふーん」

 そこにもうひとり、大人の男性が近づいてきた。
 吉丸さんもロックバンドのメンバーではあるが、「桃源郷」はそれほど有名ではない。ヴォーカルのアンヌでもひとりで歩いていれば目立ちはしないのだが、ドラマーの吉丸さんはさらに目立たない。なのだから、都会のど真ん中の公園で白昼堂々おにぎりを食べていても、誰も注目はしていない。

 近づいてきた男性もミュージシャンっぽい風体で、吉丸さんと較べればだいぶ小柄で細くて僕に近い体型だ。ただし、若くはなかった。

「よぉ、吉丸、また浮気?」
「てめえに言われたくねえんだよ。こいつはアンヌのヨメだ」
「ああ、笙って奴ね」

 たいていのひとは、アンヌのご主人と呼んでくれるのだが、吉丸さんは僕をアンヌのヨメだと言う。吉丸さんの事実上の妻、ミチのこともヨメだという。男だから夫、主人なのか、主夫なのだからヨメなのか、ま、どっちでもいいか。

 おまえも食う? お、食う食う、と吉丸さんと彼は言い合い、僕には断りもしないで彼はおにぎりを持ち上げた。誰だ、こいつは? と視線で尋ねたとき、今度は女性が近づいてきた。

「藤見ったらなにやってんの? 食事に行くんじゃなかったの?」
「ああ、このくらい食っても平気だよ。比呂乃も食う?」
「誰が作ったの? 買ってきたの?」
「いいや、こいつが作ったんだ」

 と、フジミがヒロノに言って僕を顎で示す。フジミ、ヒロノ、姓だか名だかわかりにくいが、男性がフジミ、こっちは姓。女性がヒロノ、これは名前なのではないだろうか。

「どこの誰だかわからないような、知らないひとの握ったおにぎりなんか気持ち悪いよ。そんなもの、よく食べられるね」
「また出た」
「そんなものを食べてないで、食事に行こうよ」
「うん、でも、これ、うまいんだよな。笙って料理うまいじゃん」

 名前はわかったが、どういうひとなのかが不明だ。吉丸さんも紹介すらしてくれないので、僕はフジミさんに、どうも、と軽く頭を下げるだけにした。

「買ってきた弁当だったら食べられるけど、素人の作った料理なんか不衛生だし……気持ち悪いってば。フジミ、そんなの食べるのやめなってば」
「もうちょっと……」
「意地汚いな」

 なんだかものすごーく失礼なことを言われてる? アンヌが連れてくるお客さんの中にも、僕が出した料理を食べてくれないひとがいる。気持ち悪いんだって、とアンヌが言っていたこともあって、僕は気にしていなかったが、こういう意味だったのか。

 そこにまたまた、歩み寄ってきた女性がいた。彼女はきっとした表情をしていて、そちらを見たヒロノさんの表情は険しくなった。お、まずい、と呟いた吉丸さんの顔はなぜだか嬉しそうで、フジミさんはきょろきょろしていた。

「どうしてこんなところで、フジミはお弁当を食べてるの? ヒロノさんが作ってくれたの?」
「どうして史子がここに……」

 二番目にあらわれた女性はフミコというらしい。フミコさんのほうが若くて美人で、ヒロノさんのほうはおばさんっぽかった。
 この三人、どんな関係だ? 胡弓も僕もぽかんと三人に見とれていて、吉丸さんはにやついていた。

「密告があったのよ」
「密告って誰が?」
「誰だっていいでしょ。まったくもう、フジミには愛想がつきたってのよ。勝手にすれば」
「待てよ、フミコ」
「……勝手にして」

 フミコさんが歩み去っていく。フジミさんは片手におにぎりを持ったままで彼女を追っていく。ふんっ、と鼻を鳴らしたヒロノさんは、ふたりの男女のうしろ姿を見送ってから、彼女もまた去っていった。

「こんな話、胡弓は聞かないほうがいいんだけど、こいつもミュージシャンの息子だしな。まともな親じゃないんだから、そういうことにも慣れておいたほうがいいか」
「そんなにいやな話?」
「いやな話ってか、よくある話だよ」

 三人の男女がいなくなってしまってから、吉丸さんが話してくれた。
 フジミさんは吉丸さんの昔からの友人で、僕の予想通りにミュージシャンなのだそうだ。彼は小柄だが、小さくて可愛いとかいわれて若いころからもてた。若くはなくなった今もなぜかもてるのだそうだ。

 二十代のころにフジミさんは結婚した。その相手がヒロノさんなのだそうで、フジミさんが浮気ぱっかりするので離婚した。たしかに、ミュージシャンならずともよくある話だ。

「そういう男は結婚しなかったらいいのに、フジミは次から次へと女を作っては、結婚したがるんだ。飽きっぽいからまた浮気しては離婚する。結婚離婚を何度繰り返したかな。七回ほどになるんじゃないかな。八回かもな」
「彼、いくつ?」
「俺と同じくらいだよ」

 三十代半ばで七、八回の結婚とは、六十代で五回とかいうおじいさんもいるが、フジミさんは若い分、
ほんとにすごい。

「ヒロノとは五回目だったか六回目だったかに、もう一度再婚したんだよ。今度こそ落ち着くとか言ってたけど、あれのせいで離婚したんだそうだ」
「あれって?」
「プロ以外の見知らぬ人間の作った料理は食えないってやつ」
「そういうひと、時々いるんだね」
「そうらしいな。俺はそんなこと言ってたら、なんにも食えないけどな。それはいいとして……」

 そしてまた、フジミさんは幾度か結婚して離婚し、現在はフミコさんが彼の奥さんなのだそうだ。ところが。

「まーた浮気してるんだよな、フジミは。その相手がヒロノなんだよ」
「いちばん最初の奥さんだよね」
「二回結婚して二回別れた相手だよ」

 現在の妻、フミコさんとは不倫の果てに前の奥さんと離婚した。そしてまたフジミさんは不倫している。その相手がもと妻、ヒロノ。なんてややこしい人生なんだ。

「そんなにヒロノがいいんだったら、結局は戻るんだったら、離婚しないでそのまんまで、別の女と不倫すりゃいいんだよな。あいつが言うには、俺は誠実なんだから、別の女に気持ちが移れば結婚は続けていられないって……」
「せ、い、じ、つ……」
「どの口が言ってんだよ」

 どの口って、その口でしょ? 僕は吉丸さんの口を見つめた。三歳の胡弓にはいましがたの一幕も、吉丸さんの言葉もわかってはいない。ごはんを食べるのもいやになったらしく、ベンチに立って近くの花をいじっている。僕は胡弓の腰を支えて吉丸さんを見ていた。

「俺は結婚歴は一回だけだぜ」
「相手が相手だからだよね」

 女性と結婚して男と不倫して、離婚して事実婚を選んだ吉丸さんだが、不倫相手が女性だったとしたら結婚歴は二回になったかもしれない。さらにそのあと、他の女性と浮気して彼女が吉丸さんの子どもを産んだ。そこで三回になっていてもおかしくはない。

「……これからもやるでしょ」
「絶対にやらないとは俺は言わないな。そういう男のほうが誠実なんだよ。正直なんだもんな」
「……せ、い、じ、つ」

 こんな男たちに較べれば、僕は最高に誠実だと確信できる。そんな夫を邪険にし、息子にまでつめたくした妻に報復するために浮気してやる、とも僕は考えない。
 眠くなったらしく、僕にもたれかかってきた胡弓を抱き留め、僕は息子の将来を想像する。きみはどんな男に成長するの、胡弓? フジミさんや吉丸さんみたいになるよりは、主夫のほうがはるかにいいんじゃないだろうか。

つづく








 
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