ショートストーリィ(FSいろは物語)

いろはの「ゆ」

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フォレストシンガーズ

「夢見たものは」

1・隆也

 本年度の担任教師は若い男性だ。
 三十歳くらいの彼は文学が好きだそうで、国語が専門だ。昔のテレビドラマに出てくるような熱血教師で、うぜっ、だせっ、などと評する同級生もいたが、俺は決して彼が嫌いではなかった。

「乾も文学が好きか」
「はい。子どものころから祖母に薫陶を受けましたから」
「……乾は一年、二年と百人一首の大会に出てるんだよな」
「はい。優勝はできませんでしたが」
「今年はがんばれよ」

 決定事項みたいに言われて、もとより俺もいやではないので、出るつもりになっていた。
 放課後に教師と雑談をしてから、学校から出ていく。高校三年生になったばかりの春、金沢の春は遅いから、まだ桜の花が残っている。おりからの風に吹かれて花びらが舞う。風情がいいなぁ、なんて、十七歳の男子高校生らしくないのは承知だが、俺はこんな景色が好きだ。

 帰宅すると祖母の部屋に顔を出す。今日も長い廊下を通ってただいまの挨拶をしにいこうとしてたら、むこうから父がやってきた。

「お帰り、隆也くん。おばあさまは少々具合がよくないようで、眠っておられるよ。ご挨拶はもうすこしあとのほうがいいね」
「そうですか」
「今帰ったの? 学校で勉強していた?」
「はい、先生に詩を教わっていました」
「ほぉ」

 父は祖母に言わせると、詩人で変人だそうである。生まれたばかりの俺を抱いてこの庭を歩きながら俳句をひねっていたり、父の営む和菓子屋の菓子に詩的な名前をつけたり、もしかしたら母へのラヴレターにも詩が綴ってあったのだろうか。

 ガキのころには父と母は最初から父と母で、祖母は大昔からばあさんだったような気がしていた。しかし、祖母にも父にも母にも、昔々に死んだとしか聞いていない祖父にも、若いころはあったのだろう。
 そんなことにも興味はあるが、今さら聞けない。祖父と祖母は見合い結婚だとは聞いたが、父と母もそうなのか。うちのお父さまとお母さまは仲がいいのだろうか、というのも長年の疑問なのだが、それについても聴けなかった。

「なんの詩を学んだの?」
「立原道造の……」
「これかな」

 こうして父と立ち話をするのも珍しい。父は立原道造の名前から、この詩に結びつけた。

「しづかな歌よ ゆるやかに
おまへは どこから 来て
どこへ 私を過ぎて
 消えて 行く?

夕映が一日を終らせよう
と するときに――
 星が 力なく 空にみち
かすかに囁きはじめるときに

そして 高まつて むせび泣く
 絃のやうに おまへ 優しい歌よ
 私のうちの どこに 住む?

 それをどうして おまへのうちに
 私は かへさう 夜ふかく
 明るい闇の みちるときに?」

 そうそう、それだ。「優しき歌Ⅱ」。作曲もされて歌にもなっているその詩を、父は諳んじているらしい。

「この詩の終章は有名だね」
「ええ。僕もラストは知ってましたけど、長い詩を全部教わりました」
「うん……隆也くん、なんだか最近かっこよくなったかな? 大人になりつつあるのもあるんだろうけど、彼女でも……いや、その話はまたにしよう」

 仕事人間で、いつだって忙しがっている父は、話の途中で足早に去っていった。
 彼女でもできたのか? と質問したかったのだろうから、途中で終わってよかった。本当に彼女はできたから、はっきり訊かれていたら顔に出ただろう。

 めったと会話をすることもない父と息子が、父の好きな詩の話をした。あのひとは息子の俺よりも、詩のほうが好きなのかもしれない。それとも、同じくらいに好きなのだろうか。


2・章

 ロックが好きだ、自分で歌を書いて歌う。俺も作詞も作曲もするのだと話したら、高校の同級生だった真理子はこんな詩を口ずさんだ。  
 
「月の光のこぼれるやうに おまへの頬に
 溢れた 涙の大きな粒が すぢを曳いたとて
 私は どうして それをささへよう!
 おまへは 私を だまらせた……

 《星よ おまへはかがやかしい
 《花よ おまへは美しかつた
 《小鳥よ おまへは優しかつた
 ……私は語つた おまへの耳に 幾たびも

 だが たつた一度も 言ひはしなかつた
 《私は おまへを 愛してゐる と
 《おまへは 私を 愛してゐるか と

 はじめての薔薇が ひらくやうに
 泣きやめた おまへの頬に 笑ひがうかんだとて
 私の心を どこにおかう?」

 わけわかんねーよ、そんな詩は嫌いだよ、俺はロックの詩が好きだ、と言い返した真理子とは、一時はつきあっていた。

 はじめて彼女ができたのは中学生のときだが、章くん、好きと幼い告白をされたり、バレンタインディにチョコレートをもらったりしたことは、幼稚園時代からあった。高校生ともなればとっかえひっかえ、女の子とつきあったり別れたり。

 一生、俺は女には不自由しないだろうと、図々しくも信じていたころ。
 失恋なんてものも俺には縁がないはずだ。俺が好きになったら女のほうもなびいてくるのが当然だと、根拠もなく決めつけていたころ、あのころの俺は幸せだった。

 二十二歳にして初の失恋? ってのか、俺にとってのスーは初恋だったから。それまでにつきあった女の子とは「恋」なんかじゃなかったから。
  
 まるっきりロックではないこの詩は、忘れたつもりだったのに覚えている。俺はスーに「愛してるよ」と言ったけれど、スーは言ってくれなかった。スー、愛してるよ、なに言ってんだよ、章のバーカ。そんなやりとりを何度したことか。

 それでいいから、それでいいから、もう一度言いたい、スー、愛してるよって。

 
3・繁之

《おまへの 心は
わからなくなつた
《私の こころは
わからなくなつた

かけた月が 空のなかばに
かかつてゐる 梢のあひだに――
 いつか 風が やんでゐる
 蚊の鳴く声が かすかにきこえる

それは そのまま 過ぎるだらう!
私らのまはりの この しづかな夜

 きつといつかは (あれはむかしのことだつた)と
 私らの こころが おもひかえすだけならば! ……

《おまへの心は わからなくなつた
《私のこころは わからなくなつた

 高校の先生が教えてくれた詩だと、乾さんが俺に教えてくれた。

 あのひとの心なんて、最初から俺にはわからなかった。どうして俺なんかに? あんな美人が俺みたいな冴えない奴に積極的に近づいてくるのは、なぜ? どうして? としか思えなかった。

「本庄くんはいいひとだよね」

 だから? だからあなたは俺を好きになってくれた? どうして? 
 いや、女性が男を好きになるのに、どうして? は不要だ。あなたが俺を好きだと言ってくれるなら、俺もあなたが好きだ。

 恋愛経験ほぼゼロに等しい俺は、そう考えて納得していた。
 けれど、あのひとが俺に近づいてきたわけは、俺を好きだからではなくて、本橋さんに復讐するため。あのひとは本橋さんが好きで、自ら告白したにも関わらず断られ、美人のプライドがいたく傷ついたから、なのであったらしい。

 そうと知った俺はうちのめされていたけれど、考えてみれば俺だって、彼女に本当の恋をしていたのかどうか。そもそも本当の恋ってなんだ? 乾さんが教えてくれた詩を噛みしめてみても、いっそうわからなくなるだけだった。


4・幸生

「僕はもう はるかな青空やながれさる浮雲のことを
うたはないだらう……
 昼の 白い光のなかで
おまへは 僕のかたはらに立つてゐる

 花でなく 小鳥でなく
かぎりない おまへの愛を
 信じたなら それでよい
 僕は おまへを 見つめるばかりだ

いつまでも さうして ほほゑんでゐるがいい
 老いた旅人や 夜 はるかな昔を どうして
うたふことがあらう おまへのために

さへぎるものもない 光のなかで
おまへは 僕は 生きてゐる
ここがすべてだ! ……僕らのせまい身のまはりに」

 なんだったかな、誰だったかな、この詩を書いたのは。俺がずいぶん若かったころに、誰かが教えてくれたんじゃなかったか。

「そうだ、乾さんだよ」
「乾さん? 幸生さんの仲間の?」
「うん。あなたの姿を見ていたら、思い出したんだ」
 
 夫のある身である詩織さんに恋をして、不倫状態に陥っているなんて、それって三沢幸生のやることか? と自分で自分に驚いてはいるのだが、堕ちてしまったものはどうしようもない。

 彼女には夫がいる、なんてことは忘れよう。めったに会えない詩織さんに会えて、彼女が俺のかたわらに立っている今は、遮るものもない光の中で、あなたは、俺は生きている。花ではなく小鳥ではない、あなたの愛を信じたい。

 誰が書いたのかは思い出せなくても、そのシチュエイションは今の詩織さんと俺にぴったりだ。明日、乾さんに会ったら質問してみようか。この詩を口ずさんだだけで、俺の心もようまで言い当てそうな先輩には、言わないほうがいいのかもしれないが。


5・真次郎


「夢見たものは ひとつの幸福
 ねがつたものは ひとつの愛
 山なみのあちらにも しづかな村がある
 明るい日曜日の 青い空がある

日傘をさした 田舎の娘らが
 着かざつて 唄をうたつてゐる
 大きなまるい輪をかいて
 田舎の娘らが 踊りををどつてゐる

 告げて うたつてゐるのは
 青い翼の一羽の 小鳥
 低い枝で うたつてゐる

 夢見たものは ひとつの愛
 ねがつたものは ひとつの幸福
 それらはすべてここに ある と」

 立原道造の詩に曲をつけたこの歌を、五人で歌う。道半ばではあるけれど、俺たち、五人でここまで歩いてきたんだよな。

 五人だけではなくて、何人も何人もの人たちと関わってきた。深く濃くも、浅く薄くも、俺たちを取り巻く人々に助けられ癒され叱咤激励され、あるいは中傷も揶揄も罵詈讒謗も受けて、俺たちはここまでたどりついた。ひとりひとり思い出せば果てもなく、誰かが誰かとつながっていく。

 そうして俺たち、フォレストシンガーズとしてデビューして十周年。
 夢見たものはひとつの幸福、フォレストシンガーズが成功すること。まだまだまるで夢はかなっていないが、近づきつつあるはずだ。

 ねがったものはひとつの愛。俺は結婚もして、家庭を作りつつある。
 この詩の解釈はそれでいいのかな? 幸福も愛も人それぞれなのだから、おまえはおまえの解釈でいいんだよ、と笑いそうな奴が、俺の隣で歌っている。後輩たち三人も歌っている。

 乾、シゲ、幸生、章、それから美江子。
 ヒデも社長も親父もおふくろも兄貴たちも。他のみんなの家族も……ほら、こうやって数え上げるとキリがない。そのすべての人たちに、特に特にフォレストシンガーズの四人に。

 夢見たものの一部は、かないつつあるよな? そうだろ、おまえたちも同感だろ。そうだよな、乾、シゲ、幸生、章、そして……美江子。

ずーっとつづく







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