ショートストーリィ(しりとり小説)

114「ディア」

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しりとり小説114

「ディア」


 帰宅するなりベビーベッドに直行し、眠っている娘の顔を見るのが夫の日課だ。起きないかなぁ、抱っこしたいなぁ、起こしちゃ駄目? などと言うのを毎晩止めているのに、今夜も夫は言った。

「いつだって美海ちゃんはねんねしてるんでちゅよねぇ。パパの顔を忘れてまちぇんか。ちょっとだけ起きてパパと遊びまちぇんか?」
「やめてってば。やっと寝かせたところなのよ。夕方にはよくぐずるんだって言ったでしょ。離乳食を食べさせてお風呂に入れておむつを替えて、あやしたり絵本を見せたりしてやっと寝かしつけたんだから、起こさないでっ!!」
「俺の休みの日にはぐずってるのなんか見ないけどな」
「パパがいると機嫌がいいのよ。今度の休みにはいっぱい遊ばせてあげるから、今はやめて。ごはんにして」
「……はーい」

 不満ったらしい顔はしたものの、素直に言いつけを聞いてくれて、夫は服を着替えて食卓についた。
 結婚してから三年、高齢出産と言われる年齢になってから、晃子は妊娠した。両方の両親も夫の努も用心深い上にも用心深くなって、続けるつもりだった仕事は退職して専業主婦になった。

 妊娠中は専業だと退屈だったのだが、出産してしまってからは退屈どころの騒ぎではない。こんなちっちゃいのひとりに振り回されて、赤ちゃんってなんて大変なの、とは思うが、一歳の誕生日がすぎたばかりの美海は可愛くて愛しくて、寝顔を見ていると昼間の大騒動も忘れていられた。

「このごろやっと夜中に起きなくなったから、母乳も飲ませなくてよくなって私も安眠できるようになったのよ。今ごろ起こしたら生活のリズムが変わるんだからね」
「わかったよ。で、ママ、今日は出かけたの?」
「今日は寒かったから出てない。美海もちょっと風邪気味だったから、買い物にも行かずに家にいたわ」

 それがなにか? と見つめると、努は、いやいや、と呟きながら、カレーライスのスプーンを手にした。

「昨日まで、大島が休んでたんだよ。有休を取って三日間、なんで休んだんだかは聞いてなかったんだけど、家族とディズニーランドに行ってたんだって」
「わぁ、いいな。お土産もらった?」
「あ、いや、そんなもんはもらってないよ」
「なんだ。ケチね」

 大島というのは夫の同僚で同期である。夫の会社はけっこうな大手なのでほうぼうに支社があり、入社以来十年、大島と努はずっと別々の支社に勤務していた。

 それでも時々は連絡を取り合っていた大島が、去年の春に努のいる支社に転勤になった。大島は関西の支社にいたころに結婚していて、子どもも生まれていたのだそうで、今度、うちに呼んでもいいか? 奥さんはカエさんっていって、晃子と同い年らしいよ、と努が言ったのだった。

 美海が産まれて半年ほどたって、大島夫婦が我が家に遊びにきた。大島圭一、加絵、そして、美海よりは二年年上の女の子、先輩ママさんに育児のアドバイスもしてもらえるかと楽しみにしていた晃子は、加絵の顔を見てびっくりした。加絵のほうもびっくりしていた。

「加絵ちゃんって、あの加絵ちゃんだったんだ」
「晃子ちゃんもあの晃子ちゃん」
「きゃああ、何年振り?」
「高校卒業してから会ってなかったよね」

 高校生までは関西の田舎にいて、晃子は東京の大学に進学した。加絵とは高校時代のクラスメイト。特別に親しくしていたわけでもなかったが、偶然にも夫同士が友人だったことから急接近して、ママ友と呼ぶには親密すぎるほどに仲良くなった。

 その大島が加絵と娘の春奈を連れてディズニーランドに行ったと言う。いいないいな、春奈ちゃんは三歳だから、ディズニーランドにだったら行けるよね、美海も早くそのくらいにならないかなぁ、とうらやみつつも、晃子は努の話を聞いていた。

「そんでさ、ディズニーランドってのはミッキーやミニーがいるだろ」
「そりゃ、いるよね」
「加絵さんと春奈ちゃんがなんだったか、ちっちゃい子ども向きの乗り物に乗ってて、大島は下で写真を撮ってたらしいんだ。そしたらミニーが近づいてきて、写真、撮ってあげましょうか、って言ったんだって」
「ミニーって喋るの?」

 着ぐるみの中身は人間なのだから、喋るつもりになったら可能だろう。しかし、ミッキーマウスやミニーマウスの着ぐるみが口をきくのは見たことがなかった。

「そこには大島だけしかいなかったからかな。それでさ……」
「なんなのよ?」
「ミニーマウスの声は男だったそうだよ」
「……へぇ」

 中に入っていたのが男性だったというだけの話だろう。晃子が特に驚きもしなかったので夫はつまらなそうな顔になって、テレビをつけた。

 翌日は天気もよくなったので、晃子はベビーカーを押して買い物に出かけた。桜の花もかなり咲いていて、気持ちがいい。大島一家はここから徒歩で三十分もかからないマンションに住んでいる。散歩がてら訪ねるつもりで、携帯電話で約束してからシュークリームを買った。

「いらっしゃい。春奈も起きてるよ。美海ちゃん、春奈お姉ちゃんと遊んでね」
「こんにちはー。ここのシュークリーム、好きでしょ」
「わ、嬉しい。ありがと。紅茶を淹れるね」

 高校時代からおとなしいほうだった加絵は、今どきの女性としては大人になってからもおとなしいほうだろう。無口というわけでもないが、夫の前でも控えめにふるまっている。
 十五年ぶりに再会したのだから、なつかしい気分はあった。晃子は加絵を決して嫌いではない。加絵も妊娠して仕事をやめ、ふたり目がほしいのもあって専業主婦をやっているのだそうで、立場も似ている。

「美海ちゃあん、それ、貸して」

 時おり、公園やどちらかの家でこんなことがある。美海はまだほとんど喋れないが、三歳の春奈は口も達者になってきて、言葉で意思疎通ができるようになっている。他人のおもちゃだのなんだのを貸してほしがるのは幼児としては当然だが、美海のほうはまだそんなコミュニケーションはできにくくて、いやっ!! と叫んでおもちゃを抱え込む。すると、加絵が言うのだった。

「美海ちゃんはこんなにちっちゃいんだから、大きいお友達みたいにはできないの」
「貸してほしいもん」
「春奈ちゃんだったら貸してあげるよね。だけど、美海ちゃんは赤ちゃんだもの。おもちゃを貸してあげるっていうのは、ちょっと大きなお姉ちゃんにだけできるんだよ。赤ちゃんには無理無理。わかるよね」
「遊びたいよぉ」
「我慢できるよね。春奈ちゃんは赤ちゃんじゃないんだもん。美海ちゃんみたいに聞き分けのない赤ちゃんじゃないでしょ」

 泣きべそをかいている春奈を抱きしめて、加絵は優しく言い聞かせていた。

「赤ちゃんってそんなものよ。まだなんにもわかってないの。美海ちゃんってお話もできないんだもんね。ほら、田中さんちのゴンちゃん、あのわんこと頭の中は同じようなものなのよ。ゴンはおもちゃを貸してって言ったら怒るじゃない? 美海ちゃんも同じだよ」
「ゴンと?」
「そうよ。春奈ちゃんはお姉ちゃんだもんねぇ。美海ちゃんよりずっとずっといい子で、お利口さんだもんね」
「……うん」
「うわぁ、春奈ちゃんっていい子、いい子いい子。ママ、春奈ちゃん大好き」

 ゴンとは、大島家が暮らすマンション近くの一軒家の飼い犬である。
 駄々をこねている幼児に辛抱強く言い聞かせるのは見習うべきだと思うが、だからってよその子どもを貶めるの? 晃子としては気分がよくなかった。美海が赤ちゃんなのは事実で、春奈のようには言い聞かせても理解できないのも事実だが、犬と同列にするな、である。

 赤ちゃんは可愛いけど、美海も早く春奈ちゃんくらいにならないかな、そう思っていると、加絵が紅茶を運んできてくれた。美海にはシュークリームは早いので、赤ちゃん用ビスケット。春奈もシュークリームを食べさせてもらって、おやつの時間になった。

「ディズニーランドに行ってたんだってね。旦那さん、休暇を取ってたそうじゃない。うちの旦那から聞いたよ。子どもがちょっと大きくなるといいよね。私も独身のときだとか、美海が産まれる前だとかには行ったけど、もう三年くらいはご無沙汰。また行きたいな。……あれ? 加絵ちゃん、どうしたの?」
「う、ううん……あの、主人がそう言ったの?」
「そうよ。ちがうの?」
「う、うん、えっと、あ、そうよ。そう」

 これは怪しい。この一家はディズニーランドになど行っていない。夫は同僚に嘘をついて休暇を取ったのだろう。俄然面白くなってきたので、晃子は言った。もうひと押し。

「この前、会社主催のパーティがあったじゃない? 私は美海が小さすぎて行けなかったんだけど、加絵ちゃんは行った? 春奈ちゃんはたまにはお義母さんが預かって下さるんでしょ」
「……パーティ?」
「知らなかったの? うちの支社では年に二回ほど、原則、奥さん同伴で出席ってパーティがあるのよ」
「うちはまだ転勤してきたばかりだから、知らなかったのかな、主人も」

 パーティがあるのは本当だが、男性社員が妻同伴だったら、女性社員は夫同伴なのか? 夫は避けたがるのではないか、独身だったらどうするんだ? 同棲中カップルは? との議論があって、単独出席が基本となったと晃子は夫から聞いている。加絵がパーティのことも知らないのは、転勤間もないからというのはおかしくはなかったが、なんとなく不安な気分にさせたのはまちがいないようだった。

「ああ、そうそう。加絵ちゃんと会うのは久しぶりだし、私もばたばたしてて遅くなったけど、この間はありがとう」
「……なんのこと?」
「ご主人の田舎で法事があったんじゃなかった? 帰省のお土産ってのを旦那がもらってきたんだけど……あれれ? 私の勘違い? あのときも大島さんは休暇を取って、加絵ちゃんと春奈ちゃんも連れて帰省してたって……んんと……別のひとだったかな? そうよね、ごめん、まちがえた」
「……きっとそうね」

 口が止まらなくなってきた。これ以上言うと加絵が泣き出すのではないかと思って、晃子は膝に抱いている美海の顔を覗きこんだ。

「美海、眠くなってきたみたい。ベビーカーに戻して押してやったら寝ると思うのよね。食い逃げみたいで悪いけど、ゆっくり歩いて帰るわ」
「そう……気をつけて」

 買い物だったら一緒に行こうか、と言うのかと思っていたが、加絵は暗い顔でうなずいた。
 言い過ぎたかな、パーティは半分は本当だし、法事の件は勘違いだと訂正したけど。いや、ディズニーランドはまちがいなく本当なのだから、私は嘘は言っていない。

 春奈には、帰っちゃうの? つまんなーい、と言われ、元気のなくなってしまった加絵の見送りを受け、晃子は大島家を辞去した。

「今日、加絵ちゃんちに遊びにいってきたの」
「え? ディズニーランドの話、してないだろうな」
「したよ。なによ、したらいけないの? 努くんもぐる?」
「ぐるって、晃子、昨日はなんの日が知らなかったのか?」
「昨日? え? は?」

 いつものように美海が寝てしまってから帰宅し、遊びまちょうよぉ、などと赤ちゃん言葉で娘にかまっていた夫が食卓についてから切り出すと、努は青くなった。

「四月一日」
「そうだよ。嘘だよ。晃子が気のない受け答えをするから、ばれてるんだと思ってた」
「……なんでそんな意味のない嘘をつくの?」
「嘘って意味のないものだろ。ってのか、大島の休暇は前振りだよ。お土産は? って突っ込まれた時点でばれてるのかと思ってたんだけど、俺としてはミニーマウスが男の声で喋ったってってネタをやりたかっただけで……わわわ、加絵さんに言ったのか、本当のこととして……」
「もちろん」

 迂闊だったとは思うが、わずかに、面白くなってきた、との気分もあった。
 しかし、言いすぎ感は否めない。ディズニーランドの一件だけならば努のせいにすることもできるが、ついでに言ったふたつのエピソードは、どうしてそこまで? と詰問されても仕方ないかもしれない。

 きみたちは親友なんじゃないの? と夫たちは不思議がるかもしれないが、ママ友以上親友未満程度なのだ。嫌いではないけれど、時として気に障る、そんな加絵だから、ちょっとだけ仕返ししてみたかったのかもしれない。晃子の自己分析としてはそうとしか言えなかった。

次は「あ」です。

蛇足ながら、小さなストーリィの各主人公について補記しておきます。
旧姓、田中晃子、フォレストシンガーズストーリィにちらっとだけ出てくる脇役です。キャラがいない。名前がない。短編をたくさん書くと小さな悩みが増えますね。






 
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~ Comment ~

こわいなあ~><

うわあ。なんだかこの二人のママ友の関係って、リアルですね。
ママ友って、いつもどこへでも一緒に行ったり、暇さえあればお茶したり、ランチしたり、傍から見たらとっても仲よさそうに見えるけど・・・。
実はそんなに仲がいいわけじゃないんですよね。
居ない場所では陰口が行き交ったり。
私はどうしてもそう言う関係が苦手で、仕事にかこつけて、距離を置くようになったんですが。
(そんなこともあって、やっぱり男に生まれたかったなあ~と、良く思うんです。女のそう言う面が嫌いで)

それにしても、エイプリルフールだからって、そんなどうしようもない微妙なウソをつくなんて、センスが無さすぎですね、この旦那んさん。
こういう人には、エイプリルフールトーク禁止令を出したいです。
笑える嘘じゃないと、ついちゃいけませんよね。
まあ、この二人、どっちもどっちで、似たもの夫婦なのかもしれませんが・・・^^; 
お友達にはなりたくないなあ。

limeさんへ

こわいなぁ、と言っていただけて嬉しいです。
いつもありがとうございます。

これはだいぶ前に書き、たまたまアップした日がエイプリルフール。狙ったわけでもありませんし、エイプリルフールネタとして書いたのを本人が忘れていましたので、偶然でびっくりでした。

公園デビューとかママ友とか、うっとうしいですよね。
ママ友なんてのは「友達」ではないんですから、テキトーにつきあっていればいいのにな、と思います。

このストーリィのキャラたちの場合、ママ友以上のつながりがあるからややこしいことになっているんですよね。

ここに出てくる女ふたり、男ひとり、三人ともに思慮の足りないアホ、かな。
ですよね?
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