ショートストーリィ(FSいろは物語)

いろはの「さ」

 ←113「北国ゆきで」 →チャンドラ&恭子/たおるさんのイラストによせて
フォレストシンガーズ

「塞翁の馬」

 静まり返っているようでいて、緊張感を孕んだ空気が漂う。そんな弟たちの部屋に聞き耳を立てると、わずかに物音が聞こえる。無言で取っ組み合いをしていたらしい。

 娘がふたり、息子がふたりの山田一家長女である私には、弟がふたりと妹がひとりいる。妹の佳代子とは五つの年齢差があり、佳代子の世話をしてやりなさい、お姉ちゃんでしょっ、と母に命じられるのがいやでたまらなかったものの、仲良し姉妹でもあった。

 年齢差がありすぎるから妹とは取っ組み合いなどはしなかったが、口喧嘩だったらした。上から美江子、敏弘、佳代子、和正と続く弟たちにも年齢差はあるのだが、喧嘩となると口ではなく実力行使になる。うちの弟たちはいつだって黙って取っ組み合い、たいていは負かされる下の弟が静かに悔し泣きをしていた。

 それにひきかえ、このふたりの組討ちのうるさいことったら。

「てめえ、この野郎ーっ!!」
「おーっ、やんのかやんのか?! かかってこーい!!」

 ヘヴィメタシャウトと黄色い悲鳴みたいな声をゴングがわりに、章くんと幸生くんの子どものような喧嘩がはじまる。これだったら小学生だった弟たちの取っ組み合いのほうが大人っぽかったのではないだろうか。

「本橋くん、止めないの?」
「やらしとけ」
「乾くん、なんとかしてよ」
「あれがあいつらのストレス解消なんだから、ほっといたらいいんだよ」
「美江子さん、とばっちりを食うといけないからむこうに行きましょうね」
「シゲくんも止めてくれないんだね」

 しようがないから私が、やめなさーい!! と叫ぶと、本橋くんが顔をしかめた。

「おまえもうるせえんだよ、山田」
「……だけど……怪我でもしたらどうするのよ。クリスマスコンサートだって近いんだよ」
「ああ、もう、うるせえうるせえ!! おまえの声のほうがよっぽど耳障りだ。出ていけ」
「あっそ」
「本橋、失礼だろ」

 叱声を浴びせた乾くん、非難のまなざしを向けるシゲくんにはかまわず、本橋くんは手で、しっしっと私を追い払う仕草をする。その間にも幸生くんの女の子みたいな高い声と、FS名物木村章のヘヴィメタシャウトが響き渡り、頭が痛くなってきた。

「はいはい、出ていきますよ。出ていきゃいいんでしょ。勝手に怪我でもなんでもしたらいいんだよぉだ」
「怪我なんかしたってどうってこともねえんだよ。出ていく出ていくって言ってないで、とっとと早く行け」
「あっかんべーっだ」

 あなたたちもいやはや……と乾くんが肩をすくめ、私はスタジオのドアを荒々しく閉めて外に出た。
 オフィス・ヤマザキの事務所と、フォレストシンガーズの練習スタジオは徒歩で行き来できる距離にある。私は事務所にいたり、仕事で外に出かけていることも多いが、スタジオにも顔を出す。

 三十歳も近いというのに、幸生くんも章くんも子どもなんだから。
 リーダーが一喝すれば止まるはずなのに、本橋くんは自分が喧嘩好きだから、後輩たちの取っ組み合いは止めない。乾くんやシゲくんまでああなんだから。

 ぼやきながら歩いて事務所に行くと、誰もいなかった。社長も外出してしまったらしい。
 太った中年男性の山崎社長は、乾くんと本橋くんを足して二で割ったような性格だ。年齢的には私たちの親世代だから、男なんだから喧嘩のひとつやふたつ……と言いたがる。女は黙って見守って、怪我でもしたら手当してやればいいのだ、であるらしい。

 告げ口してみたところで、元気でいいな、と笑っているだろうから言っても無駄だ。私も怒るだけ徒労なので忘れたふりをして、事務仕事に取り掛かった。

 思いのほか面倒な仕事になり、熱中しているうちに時間を忘れてしまった。途中で社長から電話があり、鍵をかけて帰るように言われたので、あらかた片付いたあたりで事務所から出ていった。
 ぐっとしのぎやすくなった秋の夜は、涼しさを通り越して寒いほどだ。足早に駅のほうへと歩く。スタジオは電気が消えていて、みんなも帰ったらしい。

「彼女、お茶しない?」

 声をかけてきた男を無視して歩く。男はついてきて、私の顔を覗き込んだ。

「彼女、ひとりなんでしょ? お茶しようよ。急いでるの? 気取ってるの? お茶代は心配しなくていいよ。僕がおごってあげるから。きみとお茶を飲んでお喋りしたいんだよ。きみが僕の中の合格点に達したら、おいしい夜ごはんだっておごってあげる。ホテルにも行ってもいいよ。ねえねえ、返事しなよ。口がきけないの? 礼儀知らずだな」

 ひとりで勝手なことを言っている男を、あくまで無視して早足で歩く。男はずーっとついてきた。

「なーんだ、よく見たらブスじゃん。脚も太いんだ。そんな女だと誘われることもないだろ。きみって処女じゃない? いくつくらいかな? 三十すぎてるよな。四十くらいかな。そんなだと一生彼氏もできないよ。僕がボランティア精神で寝てあげる。ホテル代も払ってあげるからさ」

 それでも無視していると、男は私の前に出て立ちふさがった。

「こうして正面から見るとますますブスだね。僕はブスな女も嫌いじゃないからさ……ん?」
「お待たせ。行こうか」
「……?」

 わりに背の高い男が、私の背後の彼と同じくらいの高さに目線をやった。お待たせ、と私の腕を取った男の声は乾くんだった。

「待てよ、僕が……」
「それ以上言うと名誉棄損で訴えますよ。俺はあなたの台詞を全部録音していたんだ。今後一切、彼女のそばをうろつかないで下さい。今度見かけたらこのレコーダーを持って警察に行きますから」

 ぐっと言葉に詰まった男を置き去りに、乾くんは私の腕をつかんで歩いていった。

「痛いのよ。離して」
「あ、ごめん」
「どこから聞いてたの?」
「俺はスタジオの裏で月を見上げながら一服していたんだ。月の詩を書きたくてね……だけど、浮かばないから帰ろうとして駅のほうへと歩き出した。そしたらミエちゃんの背中が見えた。ミエちゃんはだいぶ先を歩いていたから、追いついたときにはあいつがあなたの前に立って、女性に向かって言ってはならない言葉を口にしていたんだよ」
「ブス……」

 章くんや本橋くんだとブスとも言うが、あとの三人は言わないんじゃなかったっけ? ふとそんなことを思い出した。

「録音したの?」
「できるわけないでしょ」
「乾くんのいつもの手だね」
「ああ言うと怯む手合いはけっこういるからさ。ミエちゃん、食事でも……」
「ありがとう、おやすみ」
「あ、ああ、おやすみなさい」

 まったく、今日は厄日だわ。こんな日は寄り道なんかしないで、早く帰って早く寝る。乾くんと食事をする気分にもなれなかった。

「昨日の喧嘩、原因はなんだったの?」
「美江子さんには関係ありません」
「別になんでもないんですよ。毎度のことだからね」

 翌日、質問してみると、章くんはそっけなく、幸生くんまでが冷淡な返事だった。章くんはいつだって私にはそっけないのだが、幸生くんにまでクールな対応をされると気分がよくない。今日も厄日なんだろうか。そしたら私はもうスタジオには近寄らないでおこう。

 スタジオに顔を出してから事務所に行くと、今日は社長がいた。私はブルーな気持ちなのに、社長は喜色満面でいた。

「山田、喜べ」
「なんですか」

 よほどのことじゃないと喜べないよ、みたいな感覚でぶすっと答えると、社長がホワイトボードに大書した。

「フォレストシンガーズクリスマスコンサート、前売りチケット完売!!」

 初の快挙だっ!! と社長が万歳する。それだったら私も喜べる。今の私は世界でいちばんかっこいい、世界でいちばん好きな男にプロポーズされるよりも、こっちのほうが嬉しい。

 悪い日の次の日にはよい日が訪れる。そうするとまた明日はよくない日かもしれないが、フォレストシンガーズを世界的大スターにするという私の野望の第一歩になるのかもしれないこの日があったのだから、変な男に変なことを言われるくらいだったら、いくらでも我慢してみせようじゃないの。

MIE29/END








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