ショートストーリィ(しりとり小説)

110「軛(くびき)」

 ←ガラスの靴35 →いろはの「え」
しりとり小説110

「軛」

 
 誠実にすべてを告白したのに、睦に婚約破棄されてしまったのは、治也にはさっぱり意味不明だった。本音を言えば、おまえみたいなつまらない女と結婚してやろうってのに、なにが不満なんだよ、であったのだが、面と向かってはそうは言わず、婚約破棄を受け入れた。

「吉田さんって独身なんですか」
「そうだよ。恋はしたんだけどね」
「吉田さんの恋のお話、聞きたいな」

 定年退職の近いおじさんというか、この若い女性たちから見ればおじいさんのようなものだから、彼女たちは治也に無遠慮に話しかけてくる。
 高齢化まっただ中の社会では、六十代なんて壮年だ。治也の会社は六十五歳定年で、七十歳までなら希望すれば嘱託として勤務していられるが、役職は解かれる。そのせいもあって、二十代の女性たちには話しやすいのだろう。

「二十一世紀のはじめのころ……だったな。僕の人生、最初で最後の恋。女性とは他にもつきあったけど、恋は彼女にしただけだ。恋ってのは一生に一度でいいんだね」
「そのひととは結婚しなかったんですか?」
「恋と結婚は完全に別だと思うよ」
「そうかしら」

 二十一世紀になると日本人男性は次第に結婚したがらなくなった。治也はライラとは結婚するとは想像も及ばなかったが、睦とは……なぜその気になったのか、今となっては不思議だ。結婚していたらいやになっていたに決まっているんだから、婚約破棄されてよかったと、後には考えるようになっていた。

 結婚したがらない若者が増え、少子高齢化に加速度がつき、そんな親世代を見ているせいなのか、二十一世紀半ばとなった現在では、二十代で結婚を見据えている若者が多くなってきている。昼休みの社員食堂で治也を囲んでいる女性たちも、早く結婚したいらしい。

「僕はその主義だった。結婚は考えられないほどに……なんて言うんだろ。僕には上手な形容はできないけど、妖精のような女性に恋をしたんだよ。ライラって名前でね、名前も見た目も日本人じゃないみたいだった。西洋の血がいくらか入っていたんだろうな。背が高くて妖精みたいにほっそりしていて、妖精みたいな透明感があって、純粋で清純でガードの固いお嬢さまだったよ」

「どこで知り合ったんですか?」
「僕が二十代の終わり。彼女が大学生だったころに、ジムで出会った。僕の遅咲きの初恋さ」
「きゃあ、ロマンティック!!」

 揶揄されているようだが、小娘がなんと言おうとかまわなかった。
 
「ライラはそのジムがつまらないと言うんだ。やめたいだなんて言うから、僕がお金を払うからもうちょっと続けてってお願いして、彼女もうなずいてくれたんだよ。綺麗すぎて若すぎて、僕には絶対に手の届かない花だと思っていたけど、思い切って告白したんだ」

 そんなドラマあったな、これってドラマのワンシーンだったか? 僕の実体験だったか? 三十年以上も過去なのだから、フィクションと現実がごた混ぜになり、もはやどっちでもいい気分にもなっていた。

「僕はライラさんが好きだ。片想いでもいいつもりなんだけど、告白はしておきたいんだよ」
「そう? 嬉しい、ありがとう」
「え……それって……」

 細い腕で抱きついてきたライラは、治也よりも背が高い。ジムでトレーニングをしているのだから束ねた長い髪の先が、治也の耳をくすぐっていた。

「片想いされるって大好き。ライラを好きだって思ってくれてる男のひとが、あっちにもこっちにもいるって幸せだよ。ハルくん、いつまでもライラに片想いしていてね」
「……つきあってはくれないんだ」
「デートくらいはしてあげるからさ」

 デートだけでも嬉しくて、そんなときには治也はライラになんでも買ってやりたくなった。すんなりほっそり長身のライラは、モデルというのではない。そんな俗なものではなくて妖精だ。妖精なのに着こなしも上手で、どんなファッションも彼女のために誂えたもののようだった。

「買ってあげようか」
「いいよ。ハルくんはお給料は高くないんでしょ。他にもデートだったらするひともいるし、金持ちもいるから、そっちに買ってもらう」
「ライラさんは僕に負担をかけまいとしてくれてるんだね。けなげだね。いい子だね」

 感動して抱きしめようといると、ライラはするりと治也の腕から抜け出した。

「ライラは抱かれるより抱くほうがいいの。その気になったら抱きしめてあげる」
「ライラ……僕だってライラを抱きたいよ」
「呼び捨てにしないで」
「あ、ごめん」

 ほんの時たまのデートが嬉しくて、ライラとふたりでいれば天井の雲を踏みしめている心地になったものだ。けれど、治也は生身の男。欲望を口に出してしまって、ライラにふられた。

「ライラはそんな安い女じゃないんだよ。馬鹿にしないで」
「ごめん。ごめんなさい。お願いだから……」
「抱かれるなんて嫌いだって言ったじゃん。そんなことを言うハルは嫌い。さよなら」
「そんな……」

 ジムをやめてしまったライラとは会う機会がなくなり、一旦はそこで終わった。
 抜け殻のようになってしまった治也は、このままでは僕は生ける屍だ、やり直そう、結婚して子どもでも持って、平凡な家庭人でもあり、平凡なサラリーマンでもある男として生きようと決意した。

 その相手にはほどよいと思われたのが、ひとつ年下の同僚だった阿部睦。恋人としてだったら面白くもなんともないだろうが、ともに働いて子どもを育てていく夫婦としては適した女だと思われた。

 睦と交際し、結婚話も出てきたころ、治也はライラに再会した。あの一夜がなかったとしたら、治也は睦と結婚し、子どももできて孫もできていただろうか。そんな人生は考えにくいので、ライラと再会したことはよかったのだと思っていた。

 あの夜、ライラには連れがいた。稼ぎのよさそうな崩れた感じもする四十代の男で、ライラがわがままを言うのに嬉しそうに対処していた。ライラとその男が公園でいちゃついているのを見ていて、治也は決意を深めたはずだった。ライラを忘れよう。僕は睦と結婚しよう。僕には睦が分相応なのだから。

 なのに、睦のほうから婚約破棄を言い出して去っていった。睦は三十代で退職し、起業したらしいとの噂を聞いた。やり手の女性社長になっているらしいよ、と職場の誰かが言っていたのを聞いて、彼女らしいなと思ったものだ。

「あ? ハルくん?」
「ハル? 誰?」
「ライラを好きなひと」

 別にどうしても睦と結婚したかったわけでもなく、いいっちゃいいんだけどね。そう思いつつ、治也はそれからはライラを探すようになった。久しぶりにライラを見た一ヶ月後くらいだったか。繁華街で出会ったライラはまたしても別の男と連れ立っていた。

「ライラ……さん」
「はーい、元気? ハルくんは今もライラを好きなんでしょ?」
「もちろんだよ」
「嬉しいな。ライラはハルくんに好かれてるのが好きだよ。ね? ライラってそういう女なんだよね」
「そうだね」

 そうだね、と異口同音に言い、うなずきあった見知らぬ男と治也。共犯者めいた笑みをかわしたあの男と治也は、見えない軛でライラとつながれていたのだろうか。その軛は得も言われぬ甘美さで治也を締めつけた。

「なんかすごいね」
「バッカじゃないの?」
「そんな女、いるんだよね。あたしの友達にもさ……」
「そんなのいるのぉ?」
「どっちにしたって、そのライラってのももうばあさんだよね」
「ああ、そっか。なんだか悲惨かも」
「いやいや、案外……」

 若い女たちがこそこそと、勝手なことをほざき合っている。
 バカって誰が? 案外、なに? 誰がばあさん? きみたちも通俗的だね。そんな考え方しかできないほうが、僕には悲惨に思えるよ。

 それからはたまに、ライラに会った。ライラが誰かに治也を紹介するときには、ライラを好きなハルくん、と言った。治也もどこかの男に、ライラを好きな誰々くん、と言われて引き合わされたこともあった。
 しかし、ライラは誰のものにもならなかったはずだ。彼女は妖精なのだから、目に見えない軛で男をひとり、またひとりと虜にしていき、それだけが嬉しかった無邪気な小悪魔なのだから。

「あ、もうこんな時間」
「吉田さん、失礼します」
「楽しい話をありがとう」
「ライラさんによろしくね」
「……ああ」

 社員食堂に人影がなくなってからも、治也はそこにすわって口を動かしていた。

「そんなわけで、僕は結婚はしなかったんだ。後悔はしていないんだよ。ああいう女性に生涯を捧げるような恋をした僕は、普通の男の枠にはおさまり切れなかったってわけだもんね。そんな星のもとに生まれてきてしまったんだよ。こんな男がいたっていいじゃないか。ああ、そういえばこんなこともあったよ」
 
 とうに昼休みは終わったらしい。治也は別段急いで職場に戻る必要もないのだが、社歴の浅い女性たちはいつまでも休憩していられない。ひとり、ふたり、と席を立っていってしまった。

 誰も聞いてはいなくてもかまわない。ああ、ライラ、きみはどうしているのだろう。きみはきっと年も取らず、美しいままで幸せに暮らしているはずだ。きみは神に恩寵を与えられた選ばれた女性なのだから。うっとりと昔を思い出しながら、治也はひとり語りに語り続けていた。

次は「き」です。 
 

主人公について

蛇足ながら、小さなストーリィの各主人公について補記しておきます。
101「セカンドラブ」の未来ストーリィですので、セカンドラブの主人公の婚約者になりかけていた、吉田治也が年を取った姿です。








スポンサーサイト


  • 【ガラスの靴35】へ
  • 【いろはの「え」】へ
  • Tag List 
  •  * |

~ Comment ~

ありがとうございます

拍手もとっても励みになります。
管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【ガラスの靴35】へ
  • 【いろはの「え」】へ