別小説

ガラスの靴35

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「ガラスの靴」

     35・褒賞

 いやだって言ってるのにぃ、という、甘えたような女性の声が聞こえて反応してしまったのは、僕もいやいや通っているからだ。会員制のジム。ここはわりと入会金も会費も高いので、裕福なメンバーが集まっている。トレーニングルームに入ってきた親子連れらしき女性たちも、金持ちに見えた。

「いやだいやだばかり言ってないで、がんばってみなさいね」
「ママやパパは言ってたじゃない。女の子はふっくらしてるほうか可愛いって。ココは可愛いっていつも言ってたのに、どうしてよ?」
「ココは可愛いわよ。だけどね、ほんのちょっと痩せたらもっと可愛くなるの。あなたも納得して来たんでしょ。駄々をこねないでがんばって」
「やだなぁ。運動って嫌いだもん」

 親から見れば娘は可愛いのかもしれないが、ほんのちょっと痩せたら可愛くなるというレベルではない。彼女の顔は僕の二倍ほどあり、腕が僕の太ももほどあり、妊娠何か月? と訊きたくなるようなおなかをしているわりには、バストは平坦な身体つきだ。

「食事を減らすのはもっといやなんでしょ?」
「ちょっと痩せるだけだったら、エステでどうにかならないの?」
「エステにも行ったじゃないの。運動はしなくちゃいけないって言われたでしょ」
「ああん、やだよぉ。痩せなくってもいいじゃないよぉ」
「だけどね、健康にも問題があるらしいから……ココちゃん、がんばってみましょ、ね?」
「やだっ。帰る」

 太りすぎていて年齢がわかりづらいが、若いのだろう。張りつめた肌からすれば若そうだ。ココちゃんを見たらアンヌだって、僕にダイエットしろとは言わないのでは? ココちゃんがダイエットをしなくてはならないのは当然だろうが、僕なんか全然太っていないのに。

 すこしばかり腹がたるんできたからって、おまえはスリムでなくちゃ存在意義がない、などとアンヌに厳命されて、僕はこのジムに通わされている。運動が大嫌いなのはココちゃんと同じだから、彼女には同情したくなった。

 あっちの親子に気を取られつつ、僕はちんたらとトレーニングをこなす。平日の昼間だから、トレーニングルームでマシンと取り組んでいるひとは少ない。僕の他には、時々ここで会う、平日が休みだと聞いているきりっとした美人と、かなりの年輩の女性がペアになって柔軟体操をしているだけだった。

「……みたいに、なりたくない?」
「どれ? あの女? あんなのおばさんじゃん。ココのほうが若いもん」
「これ、大きな声を出さないの。そりゃそうよ。ココちゃんのほうが……」
「ママ、言ったじゃん。パパだって言ったよ。ココほど可愛い女の子は世界中のどこにもいない。ココには白雪姫だって負ける。魔女の鏡も、世界でいちばん美しいのはココだって言うって」
「ええええ、そうよ。だから、ちょっとだけ痩せたらね……」
「痩せなくても綺麗だって言ったじゃん」
「だから……」

 親子は延々もめている。若いのはまちがいないにしても子どもではないだろうに、なんたる駄々っ子娘だ。自分がいやなトレーニングをしているのもあって苛々して、僕はココちゃんをじろっと睨んだ。僕と目が合ったココちゃんは、ママに耳打ちした。

「え? あ、そうみたいよ。ええ、ええ、ああ、そうなの? いいわ、ママがなんとかしてあげる」
「よーし、じゃあ、ちょっとだけダイエットしようかな。こんなのちょろいもんね」
「そうね。インストラクターさん、お願いします」

 そばに控えていたインストラクターが、はいと返事をしてココちゃんに寄っていく。ココちゃんは5Lサイズくらいかと思えるTシャツに黒いスパッツ。ママはデザイナーズブランドのTシャツと高そうなパンツ姿だ。ママは運動する気はなさそうだが、ココちゃんのトレーニングを見学するつもりらしい。

 みたいになりたくない? とママさんが言ったのは、むこうでトレーニングしている美人のことか。ココちゃんはあの女よりも私のほうが若くて可愛いと言っていた。親に溺愛されて可愛い可愛いと育てられ、まちがった自己評価にとらえられてしまったかわいそうな金持ち娘なのかもしれない。

「……さわらないでよ、えっち」
「いえ、さわってるわけでは……」
「可愛い女の子をさわりたい気持ちはわかるけど、ココはあんたなんかに興味ないからね」
「はい、そんな興味ではありませんから。ただ、こうして手を添えてですね」
「さわらないでってば。ママ、なんとかしてよ」
「さわらないで教えてやって」
「はあ……」

 気の毒といえばインストラクターさんはさらにで、ちらちらと見ていた僕に情けなそうな顔をしてみせた。誰がこんな脂肪の塊、さわりたいもんかよ、と言いたいのだろうと読めた。

 それから時々、ココちゃんとジムで会うようになった。ママはついてきたり来なかったり、ココちゃんは今どき珍しい家事手伝いらしいが、家には家政婦さんもいるようで、金持ち家庭の家事手伝いとは、親に小遣いをもらって花嫁修業の名目で遊んでいるニートという意味なのだろう。

 子どもは褒めて育てろと言う。僕だって胡弓には、かっこいいねぇ、そんな胡弓をパパは大好きだよ、胡弓はお利口さんだね、とほめまくっている。が、限度があるわけで。
 すべてを肯定され、叱られたり非難されたりすることは一切なく、あなたは美人、あなたは可愛い、あなたは最高、と育てられた金持ち娘の末路がココちゃんだ。僕も胡弓の育児は気をつけなくちゃ。

 太っていても健康だったらいいのだろうが、身体のためによくないと言われたようで、ココちゃんのママとパパは娘にダイエットをさせる気になったらしい。ママがついてきていればココちゃんもいやいやでもトレーニングしているのだが、ひとりで来ているとさぼりたがる。

 ジムに来るひとたちの時間は似通ってきていて、ココちゃんと僕、ココちゃんの初日にもいた美人と、初老の女性とがよく顔を合わせる。ココちゃんは僕をちろちろ見ながら、美人のそばに寄っていった。

「困るのよね」
「はい?」
「おばさんなんかは年だからそんなこともないんだろうけど、ここのインストラクター、セクハラするの」
「そうなの?」
「そうなのよ。彼、ココが好きなんだろか。おばさんとおばあさんだったら安心よね。いいね。ココも早くあなたみたいな年になりたいな」
「……そうね。そうなるのが一番ね」

 女性の年齢を言い当てては憤慨させている僕には権利がないのかもしれないが、言いたい。なんたる失礼な台詞。
 じっと見てしまっていると、ココちゃんは僕にいーっだ、とやった。

「見ないでよ。あんたなんか嫌い」
「……」

 こっちこそ、おまえなんか嫌いだよぉだ、と心で言って、僕は自分のトレーニングに戻った。ココちゃんはひたすら、美人さんの邪魔をしていた。

「新垣さん」
「はーい」

 そしてまた何日かすぎたある日、美人さんが僕に言った。

「本名はコウコさんらしいんだけど、自称も愛称もココなのよね。今日は来られないって言ってたわ」
「さぼり? そろそろリタイアかな」
「パーティがあって、親子三人で出席するんだって。すこし痩せたからご褒美にドレスを作ってもらったって言ってたよ」
「痩せたのか。そうは見えなかったけど……」

 彼女は僕の姓だけは知っているようだが、僕は彼女の名前を知らない。いつも美人さんと心で呼んでいた。

「痩せなくてもココはこんなに綺麗なのに、これ以上美人になってどうすんのよね、って言うから、返事に困ったわ。ま、それはいいんだけど、新垣さんは知らないよね」
「なにが?」
「ココちゃんはダイエットなんかしたくないけど、お母さんがどうしてもしろって言う。だったら……十キロやせたら本物のご褒美をもらうって」
「ココちゃんは僕を嫌いだって言って、あっち行けとか言うから、話をしたことはないよ」

 ご褒美か、僕も体脂肪率が一ケタになったら、アンヌにおねだりしようかな。気をよそにそらしていた僕に、美人さんが言った。

「そのご褒美ってあなただそうよ」
「あなたって?」
「新垣さん」
「……は?」

 くつくつ笑って、美人さんはとんでもないことを話してくれた。

「ココちゃんって二十歳はすぎてるらしいけど、恋愛経験はないのかしらね。人づきあいのスキルってものもないみたいだから、好きなひとにはつんけんしたがるところがあるみたい。ココちゃんが十キロ痩せたら、新垣さんがほしいんだって」
「ほしいって……」
「どうしたいんでしょうね。恋人にしたいのか結婚したいのか。お母さんは承知してくれたらしいよ」
「……う」

 そんなの、僕が承知しなかったらいいだけじゃないか。
 いや、しかし、財力にものを言わせて僕をアンヌから買い取るなんてことは……ないない、まさか、そんなことはあり得ない。

 ないとは思うけど、アンヌってなんでも面白がるからな。やばくない? ないない、ないよ。
 自問自答している僕を、他人事なのだから、美人さんはにやつきそうな顔で見ている。アンヌ、助けて……あ、そうだ。

 ジムをやめればいいんだ。

 これを口実にしたら、アンヌはジムをやめさせてくれるだろうか。それともそれとも、面白がって続けさせようとするか。アンヌだとどっちを選ぶんだろうか。

つづく









 
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