ショートストーリィ(FSいろは物語)

いろはの「け」

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フォレストシンガーズ

「けふこえて」

 さて、明日は「日本語」の試験だ。
 大学では理学部だが、教養課程ならば高校時代の現国のような授業もある。俺が取っている講義には、「日本の文字と語彙」という科目があった。

「私たちが何気なく書いている、日本語の文字って何なのでしょうか? 「×」や「○」は、日本語の文字と言っていいのでしょうか? では、「木」偏に「色」という旁を加えたものは? 「?」は文字?こう考えてくると、私たちが文字と認めているものは何であったかが意識化されてきます」

 日本人なんだから日本語は簡単だろ、生まれてはじめて喋った言葉は日本語なんだから、俺は「にいちゃ」と言ったそうだけど、日本人の赤ん坊の言葉は日本語になっていないようでも日本語ではあるのだから、日本人なんだから日本語なんて、年長者に日常生活で教えてもらっていれば身につく。

 と思っていたのだが、長じるにつれて俺は日本語が苦手になっていった。だから理系を選んだのもあるってのに、そうか、教養課程だと国語系の授業もあるんだ、参ったな、であった。
 そうだ、乾に頼ろう、試験勉強を中断して、乾に電話をかけた。東京出身の俺は親の家で暮らしていて、金沢出身の乾はひとり暮らしだ。彼も勉強していたのか、電話にはすぐに出た。

「ああ、本橋。なにか用?」
「おまえもバイトは休んでるんだろ。試験勉強しなくちゃな」
「テストが終わるまでは休むよ」
「今月は給料が少ないよな」

 合唱部で友達になった乾隆也は、文学部である。彼は俺とは真逆に、理系の科目で苦労しているのだろうか。彼が教えてほしいと言えば教えてやるつもりもあって、こっちから言ってみた。

「日本の文字と語彙って授業があって、明日はそのテストなんだよ。教授が言うには、論文を時間内に書けって課題が出るんだそうだ」
「ああ、朝倉先生だろ」
「おまえも朝倉先生の講義、取ってるのか?」
「いや、俺は朝倉先生にはお世話になってないけど、文学部の教授だからお話しをしたことはあるよ」
「そっか。なぁ、乾、俺はなにを書けばいいんだろ」
「……は?」

 そこからかよ、と乾は笑う。こいつは十八歳にすれば言葉のオーソリティ……まあ、朝倉先生から見れば未熟なのだろうが、俺からするとこいつの言語能力だけは刮目すべきだと思うほどで……刮目でよかったのだろうか、用法は合っているだろうか。

 そんな奴なのだから、国語関係のアドバイスは乾に頼るのが一番だ。大学に入学してはじめてのテスト。最後に俺の苦手なやつが控えているとは、俺は不幸だ。

 テストが終われば夏休みになって、はじめての合唱部夏合宿もある。はじめての大学生活なのだから、はじめてのことが目白押しで、楽しみだったり苦行だったりもする。苦行のほうは早く終わってほしい。乾が朝倉先生を知っているのならばなおいいので、なにを書いたらいいんだろ、と押した。

「文字と語彙、基本的なところだよな。朝倉先生って日本語学者だよな。学生がむずかしいことを書いても笑われるだけだろ」
「そうだな。まして俺は理学部だし」
「理学部は関係……なくもないかな。うん、理学部のほうが俺たちよりは情状酌量があるかもしれない。文学部の学生は基礎ができてるはずだと見なされるから、朝倉先生の講義は専門的なものしか取れないようになってるんだよ。三年生くらいになったらきびしいだろうな」
「そうなんだな。ああ、でも、三年生になってからのことはいいから、明日だよ、明日」

 目先のことのほうが大切だな、と乾は笑って、うーん、と唸った。腕組みをして唸っているのだろうか。彼は俺の日本語能力をおよそは知っているのだから、むずかしすぎず、かといって高校生レベルでもない論文を考えてくれているのだろう。

「今日のおまえは苦労してるよな」
「そりゃそうだろ」
「ういのおくやま、きょうこえて」
「はぁ?」
「いろは文字の一部だ。今日を乗り越えればってのは二日間続くわけだけど、明日になれば、今日を越えれば楽になるだろ。若者の夏は試験さえなければ楽しいんだ。いろは文字にからめてそれを文章にしたらいいんじゃないかな」

 いろは文字ってのは知っているが、それを文章にする? 意味不明だった。

「有為、さまざまの因縁によって生じ、常に生滅し永続しないすべての物事・現象。おくやまは奥山だ。今日、それを超えれば楽しい明日が待っている」
「それはなんだ? 乾、禅問答か」
「健闘を祈るよ」
「こらっ、乾、待て」

 電話が切れた。

「……あいつ、この暑さで頭がいかれたんじゃないのか? 乾の部屋ってエアコン、ないんだよな。俺んちに連れてきて涼しいところで勉強させてやろうかな」

 しかし、もう一度電話をかける気にはならない。
 国語辞典を開いて、「いろは文字」で探す。今日の奥山……「けふのおくやま」か。「けふ」と書いて「今日」と読むぐらいだったら高校の古典の時間に習ったから知っているが、ふーむ、いろは文字の連なりってのは文章になってるんだな。あいうえおよりも風流なんだな。

「それ、いいかもしれないな。けふをこえたら楽しい夏が待っている。それ、書いてみようかな」

 文章を書くのも苦手だが、テストでいきなり書けと言われるよりは、練習していったらまだしも文章らしく書けるかもしれない。テーマも決めておいたほうがいいのは当然だ。「いろは」ならば日本語学者も、本橋って奴はなかなかやるな、と言ってくれるだろうか。

 学者の思想なんて俺にはわけがわからないが、俺の頭では「いろは」なんてものは思いつかなかったのだから、乾に感謝しなくては。


SHIN/18歳/END








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~ Comment ~

NoTitle

日本語は世界でも難しい言語のひとつですからね。
本当に難しいと思います。
古典から含めて本当の意味で日本語を完全に理解している人は学者ぐらいだと思いますからね。

NoTitle

理系なのに日本語科の試験は、酷ですよね。
教養課程では一応そっち系も勉強しなきゃならないのかあ。
でも乾くんに相談したのは、良かったですね。
彼は言葉に関してはエキスパートだから。

おもえば、いろは言葉ってしゃれていますよね。
こういう日本人の感覚って誇りに思います。日本語も。
外国人に、ABCを並べ替えて歌を作るようなもんだよ想像つかないでしょう。
乾君が出してくれたヒント、うまくシンちゃんは使えるかな。
まずはいろはから覚えなきゃね^^

NoTitle

そうそう。明日のことがまず大事なんですよね。
困ったときの学生同士の助け合いは必須。

けど、乾さんのこの助け方、ヒントだけなんとなく出して後は自分でやれ系。
らしいですねえ。ぷぷ。

これを超えれば夏合宿!
シンちゃん、頑張れよ。
”け”、に反応しました^^

LandMさんへ

コメントありがとうございます。
日本人からしたらフランス語や中国語、韓国語もむずかしいですよね。
特に韓国語は文字からしてややこしい。ハングルを習ってみたことがあるのですが、じきに音をあげてしまいました。
アラビア文字とかも、そもそも文字からしてちがうとお手上げです。

英語は簡単なほうらしいですけど、外国語習得能力のない私からするとむずかしいですしね。
よその国の言葉はむずかしいんですよね。

limeさんへ

日本語のエキスパートなんて言っていただくと、我がことのように嬉しく恥ずかしく……ありがとうございます。
でも、日本語能力に乏しい私が書くと……隆也くん、ごめんね。

大学によってちがうのでしょうけど、FSの出身校では二年生ぐらいまでは教養課程で、高校と変わらない授業もあるという設定にしています。

いろはって面白いですよね。
うちの母が子どものころには「いろは」の授業もあったようで、母はあの「いろは」の文章にそのまんま出てくる旧姓だったので、その部分になるとクラスメイトに一斉に注目されたと言ってました。

そんな話を聞いていましたので、私も子どものころから「いろは」には興味ありました。
このシリーズが一通り終わったら、同じタイトルで別のストーリィを書こうかと計画しています。

けいさんへ

いろはの「け」は「けいさん」のけって意味でしょうか?
反応していただいてありがとうございます。

けいさんがお住まいの国では、サッカーやってましたね。
暑い暑いと言っているのを聴いて、けいさんを想い出していました。

隆也、らしいですか?
彼は後輩にも、勉強は自分でやらないと意味はなーい!! とえらそうに言う奴ですから。
「らしい」なんて言ってもらえるのも嬉しいです。

とにもかくにもテストを乗り切って、このあと、一年生の夏合宿。そのあたりはだいぶ前に書きましたので、もはやなつかしいです。

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