ショートストーリィ(musician)

「ずっとあなたが好きだった」

 ←いろはの「ま」 →花物語2015/一月「Where have all the flowers gone?」
「ずっとあなたが好きだった」


 そんなの勘違いでしょ、と言われそうで、友達にも話せずにいた。勘違いのつもりはないけれど、都合のいい女だっていい、遊ばれているのでもいい、私の身体がほしいのならばそれでもいい、それだって愛の形だ。そう信じていたのか、信じ込もうとしていたのか。が、礼司はついに言ってくれた。

「のどか、結婚しよう」
「……は、はい」

 ほら、見て。勘違いじゃなかったでしょ? のどかは世界中に叫びたくなった。
 実力もあるのだそうだが、ジャズメンというものはよほどでなければ有名人にはならない。礼司は知る人ぞ知るという存在で、おじさんファンの多いトロンボーンプレイヤーだ。

 おじさんファンに受けがいいとはいえ、ミュージシャンはもてる。礼司はルックスも悪くないので、彼の作り出す音が好きなのか、彼の顔や姿が好きなのか、の女性ファンにも騒がれていた。
 そんな中からのどかを選んでくれたのだから、遊びでもいいと思っていた。なのに、プロポーズ、嬉しすぎて泣きそうになった。

「のどか、頼みがあるんだよ」
「なあに?」

 幸せの絶頂とは今の時期なのだろうか。いや、結婚したらさらに幸せになれるはずだ。デートも以前よりも頻繁になって、結婚式や新婚旅行の話をする。のどかは純白のウェディングドレスが似合うだろうな、と礼司に言われて恥じらっていると、彼が言い出したのだった。

「結婚式も新婚旅行も、のどかの望み通りにすればいい。だからその前に、俺の頼みを聞いて」
「私にできることだったらなんでもするよ」
「のどかにしかできないことなんだよ。なんでもしてくれるんだな?」
「礼司のためならね」

 もてもてジャズメンは四十代になっていたって、若い美人と結婚できる。なのに、十年のつきあいになる四十路間近ののどかを選んでくれた。諦めかけていた結婚ができる。その相手が大好きな礼司。礼司のお願いならばなんだって聞いてあげたかった。

「サプライズってことにしてもいいんだけど、そのときになっていやだって言われても困るから、話すよ。ホテルに行こうか」
「礼司のマンションでも、私のマンションでもいいよ」
「いいや、先にお礼として、いいホテルに泊まろうよ。のどか憧れのアザレアホテルに泊まって、あそこのブレイクファストを食べよう」
「……高いのに」
「お礼だからね」

 お礼だなんて他人行儀な、とは思うが、礼司の気持ちが嬉しかった。
 広々としたダブルベッドで愛し合い、満ち足りたのどかを抱きしめて、礼司は言った。

「トリスタンのマスター、知ってるだろ」
「礼司たちがよくライヴをやるお店だよね」
「そうそう。トリスタンのマスターにはお父さんがいてね、七十代なんだけど、ガンらしいんだ」
「あらま、気の毒」
「七十代だとガンの進行も早いのかもしれないな。それでさ、マスターがお父さんに頼まれたんだそうで、冥途の土産ってのか、死ぬ前にぜひ、のどかちゃんを抱きたいって……」
「ふーん……え? のどかちゃんって……」
「そう、きみだよ」

 不思議と怒りは湧いてこず、のどかは礼司を凝視していた。

「トリスタンのマスターには世話になってるんだ。こんな仕事って裏稼業のやばい筋ともつながってることもあって、俺にもやばいことはあったんだよ。乗り切れたのはマスターのおかげだってこともあったから、無下に断れないんだな。たった一度で満足するんだろうし、俺はこれからもマスターには世話になるんだろうし、のどか、聞いてくれるだろ」
「……びっくりしすぎで声が出ない」

「ごめんごめん。だけど、のどかは自分にできることだったらなんでもやるって言ってくれたんだから、俺は安心していいんだろ。別にむずかしいことでもなくて、のどかは寝ころんでりゃいいんだよ。マスターのお父さんは変態でもないんだし、年寄りだから早いだろうし、すぐに終わるから」

 まるで、一晩だけトリスタンのウェイトレスをやってくれ、とでも言うような調子だ。のどかは呆然と礼司を見つめ、声を絞り出した。

「あなたは……礼司は平気なの?」
「ちょっとぐらいは妬けるってか、っても、相手はじいさんだしな。それに、のどかははじめてじゃないだろ。同じじゃないか」
「同じではないけど……そうか、礼司は平気なんだ。私がもしも断ったら、結婚はしないの?」
「断るわけがないよ。のどかは俺を愛してくれてるんだろ」

 抱きしめられている腕から抜け出して、のどかは礼司に背を向けた。礼司はのどかの肩に顎を乗せ、愛しているよ、と囁く。長い長い時間そうしてから、のどかはうなずいた。

 約束通り、たった一度のおじいさんとのベッドインは、短時間で終わった。ガンにしては元気なおじいさんだったが、初期なのだったらあんなものだろう。わりあいに淡泊だったので嫌悪感もたいして起きず、帰ろうとしていたら彼は言った。

「じゃ、これね」
「いえ、お金はいただけません」
「堅いことを言わないで取っておきなさいよ。俺だってそのほうがすっきりするんだ。あんたみたいな若い女をただで抱いたらバチが当たるよ。金はいくらあっても困らないんだから、取っておきなさい」
「……はい」

 釈然としないながらもお金をもらい、新婚旅行に着ていくワンピースを買った。
 この次に会ったときには礼司はそのことには触れず、そんなことはなかったかのようにのどかもふるまう。結婚式をし、タヒチへと新婚旅行に行き、入籍もして、のどかと礼司は正式に夫婦になった。

 あれから三年、四十前後のカップルに子どもができないのは不思議でもないだろう。礼司も気にしていない様子で、独身時代と変わらず音楽をやっている。結婚したという自覚は乏しいようで、演奏旅行に行った先では女性とも以前と同じにやっているようだ。

 のどかも洋品店の販売員の仕事を続け、留守がちな夫はいないほうが多い家庭の主婦もやっている。こんなことなら恋人同士のままのほうが楽しかったかな、と思うのもしばしばだった。

「ただいまぁ」
「お帰り。ごはん、できてるよ」
「飲んできたからいいよ」

 それでも、礼司が帰ってくるのはのどかの待つマンションだ。ジャズメンと結婚したのだから、多少の浮気は大目に見ようとのどかは思っている。しかし、今夜は礼司の旅行荷物を整理していてかちんとした。

「これ、なに? 私にくれるの?」
「あん? ああ、ちがう。ファンの女の子にサービスのプレゼントだよ。開けるなよ」
「開けませんよ。今日はほんとはもっと早く帰ってこられるんじゃなかったの? ファンの女の子とやらと飲んでたの?」
「いいや、今日はトリスタンのマスターのお父さんと飲んでたんだ」

 そのひとはガンなのではなかったか? 七十代だとガンの進行がまだ早いと言っていたのではなかったか。亡くなったとの話は聞いていないが、入院でもしているのかと思っていた。

「トリスタンのお父さんって、お元気なの?」
「元気だよ。ピンビンしてる。俺は彼に昔は世話になったんだ。おまえと結婚する前にはあのオヤジさんに借金しててさ……なにかをして帳消しにしてもらったんだけど、なんだっけ」

 忘れているのか。借金を帳消しにしてもらったとは、ひょっとしたらのどかを彼に差し出して? それだけでも許せないのに、忘れている? かーっとなって、のどかはファンの女の子とやらへのプレゼントを礼司に投げつけた。

「なにを怒ってんだよっ」
「この浮気者っ!! いつまでも女遊びをしていたいんだったら、結婚なんかしなかったらよかったのよ」
「おまえがしてほしがったからだろ。おまえだって男遊びをしたらいいんだよ」
「……していいの?」
「したかったらしたらいいけど、こんなおばさん、相手にする男はいないわな」

 そのひとことでいっそう腹が立って、のどかは礼司に組みついた。礼司は背は高いのだが、酒ばかり飲んでいてろくにものを食べない。よって痩せている。主婦業と販売員の両方をこなしているのどかのほうが、腕力は強いかもしれなかった。

 罵り合って取っ組み合っているうちには、礼司が言っているのが聞こえていた。のどかは礼司の長めの髪を引っ張っていた手を止めて、問い返した。

「おまえだって結婚前に、浮気してたくせに?」
「そうだろ。どっかの男に抱かれたんじゃなかったか。なんだったかな。思い出せそうで思い出せないんだよ。あっただろ。あのころはもてなくもなかったんだろ」
「あれはあんたが……」

 思い出してきたのか、礼司があのおじいさんに抱かれろと言ったくせに、どうやら嘘をついてまで、借金のカタのようにして抱かせたくせに、のどかの浮気だと言うのか。ひっぱたいてやろうかと思ったのだが、一息ついてのどかは言った。

「そうよ。そんなことはあったよね。今だって、私に言い寄ってくる男はいるんだから。浮気しようと思ったらできるんだから。してもいいんだよね」
「いや、駄目だ」
「勝手すぎだよ。浮気者の忘れんぼ」
「いやいやいや、仲直りしようよ、のどか」

 お似合いのふたりなのかもしれないな、と諦観半分でのどかは思う。のどかはあのときをくっきりはっきり覚えていた。
 トリスタンのマスターの父親、そうとしか知らない老人に抱かれて、小遣いをもらったのは礼司には言っていない。それは俺によこせ、と言われるのが惜しかったからもあった。
 
 ジャズメンなんかと結婚したんだから、夫の浮気ごときでキリキリカリカリしていないで、私も適当に遊ぼうか。それでこそ似た者夫婦、お似合いの夫婦なのかもしれない。礼司は危ぶんでいるのか、妙に優しくなって、やっぱメシ、もらおうかな、などと言っていた。

END





スポンサーサイト


  • 【いろはの「ま」】へ
  • 【花物語2015/一月「Where have all the flowers gone?」】へ
  • Tag List 
  •  * |

~ Comment ~

NoTitle

・・・。
・・・・・。
・・・・・・・。
ふうむ。難しいねえ。(´_ゝ`)
基本的に自由意思を尊重するのが私ですからね。
あまり男の気持ちは分からんかな。
今回は。

LandMさんへ

いつもコメントありがとうございます。

いえいえ、この男の気持ちわかるなぁ、とおっしゃられたりしたら、私、困りますですよ(^o^)

恋は異なもの、などと申しますよね。
こんな奴だと知っているけど、それでも私はあなたが好き、みたいな。
私にはそういう感覚は希薄ですので、ある意味感動したりして。そういうことを小説にしたかったのでした。

惚れた弱味か・・・

うわっ。いきなり、彼氏に『知り合いの父親と寝てくれ』と言われる展開に、ひっくり返りそうになりました(笑
しかも結婚後に『借金のため』だったことが判明するとはッ。
のどかさん、ふところ深いなぁ~。
いくらお小遣いもらったからって・・・そんなのは当然なのに・・。
相当、礼司に惚れてるんでしょうか。
逆に『そんないい男』なら、出逢ってみたい西幻であります(^^♪

西幻響子さんへ

コメントありがとうございます。

この短編、なにかを読んでいて、こういう展開は? と思いついて書いたものなのです。たしかに、ひどい設定ですねぇ。
主人公はあまりのことにびっくりして、うなずいてしまったと。

その後どうなったか、というところにポイントを置きたかったのですが、この男があまりにひどいので、それだけで……ですよね。
でも、びっくりしていただけて嬉しいです(^-^;

惚れた弱み、たしかにおっしゃる通りです。
恋は惚れたほうが負け。私は常々そう思っていますが、それほどの恋ってのもしてみたかったですね、一度は←過去形です。
管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【いろはの「ま」】へ
  • 【花物語2015/一月「Where have all the flowers gone?」】へ