ショートストーリィ(しりとり小説)

102「ブルーノート」

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しりとり小説102

「ブルーノート」

1

「なんだかさ、このごろ母さん、おかしくないか?」
「そう言われてみれば……挙動不審だよね。あなたも気づいてた?」
「きみもやっぱり気づいてたのか。なぁ、さりげなく探れないか?」
「さりげなくって言われても……」

 羽田納と美知が結婚してから半年後、納の母の艶子が夫、すなわち納の父親と離婚してしまった。不仲だとは納とつきあっていたころから聞いていたが、七十歳に近い夫婦は離婚などせず、文句ばかり言いながらでも添い遂げるものだと思っていたのに。

 そうはいっても夫婦が両方とも離婚したいと言っているのだから、美知に止めるすべはない。納は五人きょうだいの末っ子で、子どもたちが全員結婚したから安心して、私もお父さんと別れられるのよ、と姑は言っていた。

 反対もできずに静観していたら、離婚して半年ほどたってから、姑が納と美知のマンションにころがり込んできた。納の兄や姉の家庭には子どももいて同居はできないから、あんたのところだったら夫婦だけで気楽だから、という姑の理屈だった。

 そんな馬鹿な、と言いたいのはやまやまなれど、そう無下にするわけにもいかず、しばらくしたら出ていくだろうと言う夫の言葉を信じることにした。
 事実、姑は夫と相談してひとり暮らしの準備をはじめている。最近の姑が妙にうきうきしていたり、外出が増えたりしているのはひとり暮らしの準備に浮き立っているからかと思わなくもなかったのだが。

 それに、姑は留守がちなほうが嫁としてはありがたい。結婚して一年以上もたったのに妊娠の兆候がないので、検査や諸々のために仕事を退職して主婦になっている美知としては、マンションで姑と顔をつき合わせているのは気づまりでならないのだから。

 夫は収入がいいので、狭いマンションではない。だからこそ姑もころがり込んできたのだろうが、姑なんかいないほうがいいのは世の大多数の嫁の感覚だろう。

 しかし、夫の心配はもっともだとも思える。夫が出勤し、姑が外出した昼下がり、美知は姑が使っている部屋にそおっと入ってみた。

 書きものをするのが趣味の姑は、離婚する前から使っていた彼女専用のデスクを運び込んできている。まずはデスクを探してみたら、浅くて広い引き出しの奥から青いノートが出てきた。鮮やかなブルーの大判のノートには、小さな鍵がついている。が、鍵もたやすく見つかった。

 他人の秘密を盗み見るスリルと一抹の罪悪感、よくないことが書いてあったらどうしよう、との懸念などを覚えながら、美知は青いノートを開いた。

「某月某日

 こんなにぴったりのノートが見つかるなんて、神様の思し召しかしら。
 彼がいつも仕事をしている店の名前は「ブルーノート」。このノートもブルー。お店の看板と同じ濃いブルー。
 ブルーノートってどういう意味? と尋ねたら、彼は優しく教えてくれました。
 
 あなたが産まれたころくらいかな。アメリカで創設されたジャズのレコードレーベルの名前だよ。
 数々の名盤を生み出し、有名なジャズバンドを輩出したんだ。
 そんないわれがあって、ブルーノートってのはジャズのジャンルの一派をさす場合もあるんだね。

 私の別れた夫も音楽家だったのよ。
 あの人はロックのほうだったけど……なんて、言えなかった。
 離婚した女なんて、と思われたくなかったのかしら」

 読んでいるうちに、美知の心臓の鼓動が激しくなってきた。
 お姑さん、恋をしているの? ブルーノートって名前の店で演奏するジャズミュージシャン? ジャズだったら年配のバンドマンも多いだろうから、再婚話になったりして?

 アラサーからはじまる「アラ」なんとかは、アラカン止まりでアラセブとは言わないようだが、アラウンドセブンティ。姑はその年頃だ。ほっそりしていて背も高めで姿勢もよく、おしゃれなのでまるっきりの老人でもない。中年女性だと言って十分に通る外見の、若々しくて行動的なひとだ。

 ノートを見つけて買ってきた日から、日記はスタートしている。毎日ではないが、姑はそのノートには彼のことばかり書いている。恋をしているのはまちがいないようで、美知としては応援してあげたい。
 ひとり暮らしではなく、その彼と同棲なり再婚なりしてこの家を出ていってくれるのは大歓迎だが、息子は母の恋愛をどう思うのか。それについては気がかりではあった。


2


仕事の前にちょっと一服、須賀泰樹は「ブルーノート」の前に突っ立ったまま、煙草に火をつけた。
 酒を飲んで煙草を吸って、音楽を聴く。それらはワンセットのようなものだったはずなのに、最近はそこから煙草が排除される。ミュージシャンにも嫌煙家が増えてきていて、楽屋で吸うといやがられるので、須賀は外で喫煙することにしていた。

「あの、須賀さんって……」
「はい、俺ですが」

 おずおずと声がかかったほうを見ると、見知らぬ女が立っていた。年のころなら三十代半ばといったところか。地味ではあるが美人の範囲に入る、金のかかった服装をした女。稼ぎのいいサラリーマンの女房に見えた。

「須賀さん……えーっ……うわ、どうしよう。こんなに若い方だとは思わなくて……」
「俺は若くはありませんよ。あなたとだったら同じくらいか、ちょい年上ってとこかな」
「いえ、私はいいんですけどね」
「いいもなにも、あんた、誰?」

 なんなんだ? ファンが俺に告白でもしにきたのか? 見れば女の左の薬指にはプラチナのリングがはまっている。人妻なのはまちがいないようだが、この程度の女だったら寝るだけだったら受けてもいい。が、素性がわからないでは寝るだけだって危険ではないか。

 一方、美知は須賀に姑の恋心を告げるつもりで来たのが、頭がぐるぐるして思考がまとまらない気持ちでいた。
 姑の日記には、須賀泰樹というミュージシャンに対する思慕が満ちている。すらりと背の高い、ちょっと不良っぽい感じの男性、悪っぽい感じではあるけれど、根は優しい。私は少女趣味かしら、悪そうに見えて実は優しいひとに弱いのよ、などとの記述があった。

 年齢は書いていなかったが、七十前の姑が恋をするのだから、若くても六十歳くらいだろうと思っていた。須賀さんってあの歳で独身らしいの。チャンスはあるかしら、とも書かれていたのだから、まさかまさか、須賀が納や美知に近い年頃だとは想像もしてみなかった。

「で、あんたはなにがしたいの? 俺になんの用?」
「いえ、あの、羽田艶子ってごぞんじですか?」
「艶子? もしかしてあのばばあ?」
「え、ええ、まあ、年は取ってますけどね」
「知ってるよ。ばばあに興味はないけど、俺のファンだって言ってくれてるんだから、親切にはしてる。俺らみたいな売れないバンドマンにはファンは貴重だからね。あんた、あのばばあのなに?」
「なにでもないんですけど……」

 これはもう、須賀のほうにはこれっぽっちも恋心などないのだと美知は痛感した。当然といえば当然なのかもしれないが、ばばあ、ばばあと言われると腹も立ってきた。

「ばばあの話なんかどうでもいいじゃないか。あんたも俺のファン?」
「え、ええ、まあね」
「俺に抱かれたくて告白しにきたわけ? あんたも若くもないんだろうけど、まあ、許せる範囲だね。よかったら行こうか」
「……ど……」

 どこへ? と尋ねるのは野暮すぎるだろうが、決定的に頭に来た。

「ちょっと質問したかっただけです。変な誤解をしないで下さい」
「なに怒ってんだよ。今さらかっこつけなくてもいいだろ」
「……最低!!」

 できるものならばひっぱたいてやりたかったのだが、そこまでしては傷害罪になる恐れもある。どうにか感情を抑え、低い声で吐き捨てるだけにした。

「私は羽田艶子の……娘です。母が……母が……もうっ、最低!!」
「なんなんだよ。俺はあのばばあになんにもしてないだろ。おい、待てよ。最低って……」

 ああ、言ってしまった。これで姑はこの男には近づきにくくなるのではないだろうか。須賀が艶子に、あんたの娘が俺に会いにきた、と告げるかもしれない。罵られたけど、意味わかんねえよ、とも言うかもしれない。
 
 あんな奴には二度と会わないほうがいいのよ、お姑さん、諦めなさい、須賀なんて。
 美知は心で姑に話しかける。しかし、先走ってしまっただけではないのか。姑だって本気ではなく、ファンタジーのように須賀とのひとときを楽しんでいただけではないのか。

 こんなことをしてよかったのか悪かったのか、判然とせぬままに歩いていく美知を、なんなんだかさっぱり意味不明、と首をかしげつつ、須賀はただ見送っていた。

次は「と」です。

主人公について

蛇足ながら、小さなストーリィの各主人公について補記しておきます。
今回は初出キャラですが、艶子さんのもと夫は一応、54「瑠璃いろ坂」の一柳さんの仕事仲間という設定になっております。キャラが誰であろうともストーリィには関係ないのですけどね。





 
 
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