別小説

ガラスの靴28

 ←たおるさんのイラストに寄せて →102「ブルーノート」
「ガラスの靴」

     28・同棲


 ほんのちょっとは傷心もあるのかもしれないが、表面上は平静をよそおっている沖永さんにパーティで会った。今夜はゑ美子さんの姿が見えないのは、結婚準備に忙しいのだろうか。

 アンヌのロックバンド「桃源郷」が所属するCDレーベル会社の事務職員たち、沖永さんとゑ美子さんはそういう立場で、同僚というか関係者というかだ。ふたりの話が限りなく食い違うのでどっちが正しいのかは判然としないが、沖永さんとゑ美子さんは複雑な仲良しだったらしい。

 ゑ美子さんが語った理想の結婚相手とは、こんな男性だった。

「まず年下。これは譲れないわ。かといって笙くんみたいな頼りない年下の男の子はごめんよ。三十代のエリートがいいな。四十代だっていやよ。二十代は子どもすぎるから駄目。三十代がいいの。背が高くて爽やかな感じのエリートがいいな。私は面食いではないんだけど、細身でイケメンってのが理想なのよ」

 五十歳前後であろうゑ美子さんが理想を追い求めるのは自由だ。周囲の人間も笑って聞き流していたらしいが、それがなんと、その夢がおよそはかなってしまったのだった。

 長く芸能界にいて、若くて綺麗な女の裏側を知ってしまったという大城直也くんがゑ美子さんにプロポーズした。彼はゑ美子さんに言わせると芸能プロダクションの社長というヤクザな商売だからエリートではないが、妥協してあげる、なのだそうだ。その他はほぼゑ美子さんの理想通りだ。

 もしかしたら沖永さんは、悪口を言っていたのとは裏腹にゑ美子さんを好きだったのかもしれない。だから僕は彼には傷心もあるのかと推測したのだが、今夜のパーティでは彼は、男性と女性ひとりずつと元気に会話をしていた。

「……だけどね、メイクさん、リュートくんは……」
「ええ、まあ、そう言われるのも覚悟の上ですけど……」

 上半身は貧弱、貧乳、下半身のどっしりした体格の三十代女性と、すんなり背の高い二十代男性だ。リュート? リュートとは楽器の名前ではなかったか? フリュート? ちがうか。僕は笙、息子は胡弓、楽器の名前をつけられているから、そのたぐいには耳が引きつけられた。

「ああ、笙くん、きみはどう思う?」
「こんばんはー、ねぇ、リュートとフルートって別もの?」

 見つめている僕に気がついた沖永さんが呼んでくれたので、寄っていって質問すると、女性が応えてくれた。

「笙さんってアンヌさんの旦那さまですよね。はじめまして。先に質問に答えますと、リュートっていうのは楽器ですけど、フリュートではありません。リュートは弦楽器なんですよ。正しくは有棹撥弦楽器。ギターの仲間ですね」
「お姉さん、楽器の専門家?」
「楽器メーカーの営業をやっています。その関係でアンヌさんとも顔見知りではあるんですよ。こういう者です」

 彼女がくれた名刺には、「ルネサンス楽器・営業第二部第三課・次長・井岡芽愛紅」とある。こう書いてメイクと読むとは、なかなかすごい名前だ。

「彼は私の恋人で、流れる斗と書いてリュートです。笙さんや胡弓くんに通じる名前ですね」
「恋人なんだ」
「ええ。そうですよ」

 微笑みにも見える表情をして、リュートくんがかすかに首をかしげた。会釈したらしいので、僕も真似をして首をかしげた。

「リュートくんは役者の卵なんだってよ。中学校を卒業しただけで東京に出てきて、アルバイトをしていたときに劇団にスカウトされた。それから十年近くがすぎても、アルバイトしながら劇団員をやってるんだそうだ」
「俳優志望なんだね。リュートくんってルックスいいから、そのうち夢がかなうんじゃないの」
「顔だけで夢をかなえられる世界じゃないよ」
「……ゑ美子さんだって夢をかなえたじゃない」

 意地悪を言ってみると、沖永さんはむっとしたような苦笑のような表情になった。

「僕は門外漢だから役者の仕事についてはとやかく言う資格もないんだけど、笙くんはどう思う?」
「なんのこと?」
「メイクさんとリュートくんは同棲するって言うんだよ」
「いいんじゃない?」
「まあね、結婚なんかすると戸籍が汚れるから、同棲のほうがましなのかな。だけど、女性にとっては同棲ってのも穢れになると思うんだよな。僕は以前……」

 バツイチだかバツニだかで、元妻が子どもを引き取って育てていて養育料を払っている。音楽業界とその周辺にはそんな男はごまんといて、沖永さんもそのひとりだ。「桃源郷」にもバツイチ子持ち男がふたりいる。
 養育費を払っているのはまだいいほうで、それというのも身元が知られてしまって逃げられないから、だとも言われている。ばれないんだったら逃げ出して養育費なんかはしらばっくれていたいと言っている男もいーっぱいいるのだそうだ。

 ことほどさように、我が子に関心のない男も多い。専業主夫として育児を一手に引き受けている僕を馬鹿にするんじゃなくて、ママよりパパが好きだと息子に言われている僕を見習え、世のいい加減男どもは。

 それはいいのだった。沖永さんの話だ。
 彼は離婚してから、二、三度、女性からアプローチを受けてつきあったことがあるという。こんなおっさんにアプローチする女性ってどんなだ? とは思うのだが、信じておいてあげよう。

「そのうちのひとりが、つきあいが深くなってきたら打ち明けてくれたんだよ。昔、同棲していたって。もちろんその彼とは綺麗に別れたんだそうだけど、僕はそれを聞いて彼女との交際はやめた。遊びでつきあうんだったらかまわないけど、僕は女性とは真面目につきあって、彼女が望むなら結婚してもいいつもりだったからね。そんな女性が過去に男と同棲していたって聞くとやはり……笙くん、なにかおかしい?」
「別にぃ」

 とはいうものの、バツつき人間が言っても説得力がないのではないだろうか。

「僕は若くはないから古い考えだと思われるかもしれないけど、男は保守的なものでね。若い男だって、結婚を考える相手が同棲経験ありって聞いたら引くんじゃないかな」
「リュートくんとメイクさんって、結婚前提の同棲じゃないの?」
「今はそのつもりでも、同棲したがる男は結婚はしたがらないものじゃないのかな。まして……」

 この、顔だけいい男では、と沖永さんは言いたそうだ。メイクさんは困ったような顔をしていて、リュートくんは涼しい顔でカクテルを飲んでいる。リュートくんはまだひとことも口をきいていなかった。

「しかも、同棲にかかる費用はすべて、メイクさんが負担するって言うんだよ」
「僕らも生活の費用は全部、アンヌが負担してるよ」
「あ、ああ、そうだった。だから笙くんはヒモだと……いや、それでもまだきみたちの場合は、結婚してるじゃないか、子どもだっているんだし、笙くんはまがりなりにも家事をやってるんだし」
「まがってないよ」

 あたふたしはじめたらしいのを持ちこたえて、沖永さんは言った。

「中卒で役者志望の、志望だけして実際はフリーターみたいな男。ルックスがいいのがとりえの年下の男。僕はメイクさんを仕事人として買ってるから忠告するんだよ。本人を目の前にして言いにくいことを言うのも、メイクさんのためだ。メイクさんは有能な女性だから、僕は……言いにくいけど、こんな男に食い物にされるのは見てられないんだよ」
「沖永さん、メイクさんに恋してるの?」
「いや、僕もルックスにはこだわるほうだからそれはない。あ、メイクさん……失礼。笙くん、横槍を入れるのはやめなさい」

 さっきから次から次へと失礼なことばかり言っているのに、沖永さんは自覚していないのだろうか。リュートくんはただ微笑んでいて、メイクさんは彼氏の顔色を気にしていた。

「同棲なんかはしないほうがいいよ。老婆心だけど、心から忠告してるんだ」
「ありがとうございます」
「同棲するくらいだったら結婚しなさいとも、この彼では言えないんだけどね……せめてどうしても同棲するんだったら、費用は折半するとか、笙くんみたいに主夫業をやってもらうとか」
「そうですね。だけど、彼は役者修行が忙しいですし、私は彼を支えてあげたいんです」
「あなただって忙しいでしょうに。そういうことを言って甘やかすと、男は図に乗るんだよ」

 なんと言われても、リュートくんはしらっとしている。メイクさんの困惑顔は深まるばかり。僕としては、沖永さんはメイクさんを狙っていて別れさせたいのかとしか思えなかったが、そこへ正義の味方が登場した。

「沖永、おまえは嫉妬してんのか」
「アンヌさん……な、なんで僕が、誰に嫉妬するんですか」
「てめえはあくせく働いて女房子供を養って、あげくは捨てられたんだよな。おまえたちの世代の男は自分が働くのは当然だと思っていたから、そんなてめえに自己満もあり、男はつらいよみたいな悲哀も感じてたんだろ。なのにあとの世代の男たち、笙だの、この役者志望の美青年だのは女に頼って楽してる。それに嫉妬してるって言うんだよ」
「してませんよ。馬鹿らしい」

 最初は沖永さんは、アンヌさん、僕はあなたよりもずっと年上なんだから、丁寧語で喋ってもらえませんか? と慇懃にお願いしたのだそうだ。アホらし、立場はあたしのほうが上だよ、とアンヌは一蹴し、沖永さんも諦めたらしい。

 総理大臣だとか天皇陛下だとかにでも、アンヌはこんな喋り方をするのだろうか。レコード会社の社長だとかスポンサーだとかも当然、てめえ、おまえ、と呼ぶのだろう。かっこいい。北朝鮮のあいつにこんな喋り方で食ってかかるアンヌを見てみたい。朝鮮語を勉強して僕が通訳できたらいいんだけどな。

 気持ちをよそにそらしている僕をほったらかして、アンヌはぐんぐんと沖永さんに迫る。たじたじになった沖永さんは文字通り、あとずさりしていた。

「メイクがそれでいいって言ってんだから、てめえがお節介焼く筋じゃねえんだよ。金なんかあるほうが出せばいい。見返りなんかは求めずに支えるってのも愛の形だろ。くそ馬鹿野郎の小心者。失せろ、沖永」
「……なんだって僕がそこまで罵られなくちゃいけないんですか。アンヌさん、なんの八つ当たりですか」
「うるせえんだよ。笙、バケツに水をくんで持ってこい」
「バケツに水を汲むと重いじゃん。やだよ。リュートくん、持ってきて」
「重いのは僕もやだな」

 ようやく口を聞いたリュートくんの声は、細くて低くてやわらかくて優しい、それでいて体温を感じないようなクールなものだった。

「わかりましたよ、失せますよ。まったく、最近の若いもんは……世も末だ。メイクさん、あなたの人生はこれで終わったようなものかも……」
「うるせえっつってんだろ。失せろ、ハゲオヤジ」
「……アンヌさん、あなたももうちょっと品よく……わかりました、わかりましたよ」

 抵抗虚しくアンヌに論破されたというのか、品の悪さに音をあげたのか、沖永さんは逃げていき、僕は拍手した。メイクさんは言った。

「アンヌさん、あなただったらわかってくれるんですね」
「ってかさ、男女逆だったらそこまでは言われないだろ。笙のこともがたがたぬかす奴が多いから、あたしもうんざりしてたんだよ。リュートってのか? おまえの……ま、いいや。メイクがそうしたいんだったらそうすればいいもんな」
「どうも」

 あくまでも涼しく言ったリュートくんが立っていき、僕は彼のあとを追った。

「なんかすごく温度差がない?」
「ん?」
「きみってメイクさんを愛してる?」
「んん?」
「はっきり言ってルックスには差がありすぎるし、その他は逆に差がありすぎる。あんな年上の冴えないおばさん、仕事ができてお金を持ってて、ってところだけが利用価値があるのかなって、僕なんかは思うけど?」
「そう思いたいんだったら思っていればいいよ。誰かがなにかを言ったって、僕には関係ないから」

 こんなカップルもありっちゃありなのかもしれない。人はお金がなければ生きてはいけないが、愛はなくても食べて住んで着て寝て、が満たされれば充足できるのかもしれない。僕はアンヌと胡弓に愛をもらえて、こちらからも与えて幸せだけど、それだけがすべてだと言うつもりもなかった。

つづく








 
スポンサーサイト


  • 【たおるさんのイラストに寄せて】へ
  • 【102「ブルーノート」】へ
  • Tag List 
  •  * |

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【たおるさんのイラストに寄せて】へ
  • 【102「ブルーノート」】へ