別小説

ガラスの靴27

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「ガラスの靴」


     27・条件


 主人というのは一般的には夫のことだろうが、一家のあるじという意味では、うちでは妻のアンヌが主人だ。戸籍筆頭者もアンヌ、稼いでくるのもアンヌ。アンヌが主で僕が従なのだから、我が家は婦唱夫随でうまく回っている。

 深夜にご帰還あそばした我が家の主人、アンヌは今夜も客を伴っていた。
 若干弱々し気に見えなくもないが、背が高くて細くてなかなかのいい男だ。僕は初対面の彼は、丁寧に挨拶してくれた。

「夜分恐れ入ります。アンヌさんが所属するレコード会社の専属会計士をつとめております、屋頭昌夫と申します」
「マサオっていうの? こんばんは、僕、笙」
「マサオって知り合い、いたっけ?」
「吉丸さんの次男」
「ああ、そうだったな。そっちのマサオの話をすると長くなるから、すんなよ」
「はーい」

 アンヌがヴォーカルをやっているロックバンド「桃源郷」のドラマー、吉丸さんはビョーキだ。なんの病気かといえば浮気症候群。そのせいで母親のちがう息子がふたりいて、その次男が雅夫という。アンヌの言う通り、雅夫について語ると夜が明けそうなので、僕はおつまみを作ることにした。

 しきりに恐縮しているこっちのマサオくんは、アンヌと同じ三十歳くらいだろうか。僕は女性の年齢を当てるのは得意だが、男はわかりづらい。

「息子さん、いらっしゃるんでしょ?」
「いるけど、とっくに寝てるよ」
「立派なマンションですものね。ここで喋っていても大丈夫ですか」
「胡弓は笙に似て呑気な性格だから、赤ん坊のときから一度寝たらなかなか起きない、熟睡型なんだよ」
「それはいいですね」
「昌夫、子どもいたっけ?」
「いません」

 なんだか切なそうに答える昌夫くんは結婚しているらしい。餃子の皮でチーズやニラを包んでさっと揚げたものなどを出すと、昌夫くんは大喜びしてくれた。

「うまいな。こんなにうまい家庭のおつまみは食べたことがありませんよ。笙さんは料理が上手なんですね」
「こんなもん、料理ってほどでもないだろ。主夫がこれしき作れなくてどうする」
「昌夫くんの奥さんは作ってくれないの?」
「気が向いたら作ってはくれてたんですけど、最近、別居してまして……」
「なんで? おまえ、浮気したのか?」
「とんでもないっ!!」

 たいていの相手は呼び捨てにし、おまえと呼ぶアンヌだ。昌夫くんも慣れているのか、特に気にもしていない様子で言った。

「妻は結婚して以来ずっと、学校に通っているんです」
「学生なんだ。若いんだな」
「はい。僕よりは十五歳年下で、知り合ったときには高校を卒業してフリーターの十九歳だったんです」
「昌夫くん、今いくつ?」
「四十歳です」
「へーっ」

 これは意外。地味なわりにはずいぶん若く見えるタイプなようだ。

「二十歳と三十五で結婚して五年になります。僕はそのころには会計士として独り立ちしてましたから、妻が改めて学校に行きたいと言ったのも賛成したんですよ」
「五年も学校に行ってんのかよ。なんの学校?」
「薬剤師になりたいそうです。薬学部は六年ですから」

 うまいなぁ、としみじみ言って僕の作ったおつまみを食べ、昌夫くんは続けた。

「それでね、いよいよ卒業が近づいてきた。あと一年足らずで薬剤師試験を受けなくてはならない。そのためには集中しなくてはいけないから、ひとり暮らしがしたいって言うんです。妻の勉強のためなんですから、アパートを借りてあげましたよ。気が散るから来ないでねとも言われてますんで、会えなくて寂しいんです」
「その金、全部おまえが出してんの?」
「もちろんです」
「女房ってなにやってんの?」
「だから、薬剤師になるための勉強ですよ」
「ふーーーん」

 いい身分だね、とアンヌは呟いているが、そうだろうか。僕だったら勉強なんかしているより、主夫のほうがいい。我が家の場合は主人は留守がちだし、おいしいものを食べさせていれば、掃除なんかは手抜きしていても文句はいわない。幸い、僕は料理は好きだ。

 育児に関しても、胡弓は手がかからないほうだし、僕の母が大歓迎で預かってくれるので、ひとりで遊びにいったりもできる。アンヌの稼ぎは三十歳男性の平均収入よりもはるかに上だから、僕はお小遣いだってけっこうもらっている。太っ腹なアンヌは多少の散財は大目に見てくれる。

 たとえば僕や胡弓の服。デパ地下の高価なお総菜。僕の両親に、胡弓を預かってもらうお礼のプレゼント。外食や飲み会や、帰りのタクシー代。ケチな夫だったら無駄遣いだと言いそうなそんな出費も、怒られたりはしない。家計簿なんかつけなくても許してくれる。

 そんな楽な主夫業だからかもしれないが、僕は昌夫くんの奥さん、アズミさんという名の彼女とかわってあげようと言われてもお断りだ。勉強なんか大嫌い。

「杏美は努力家なんですよ。大学受験に失敗して、親が浪人を許してくれなかったからフリーターをしてたんですけど、僕と結婚して受験勉強をして、見事、志望校に合格したんです」
「おまえと結婚してから、受験勉強してたんだ。家事は?」
「子どももいないから、家事なんてそれほどないんですよ。気が向けば料理もしてくれましたし、全自動洗濯機や食器洗浄機や掃除機やって、文明の利器もありますからね。月に一度ほどはハウスクリーニングも頼んで、スーパーのお総菜も活用して」
「おまえは稼ぎはいいもんな」
「いえ、アンヌさんほどでは……」

 なんとなく気に食わないらしく、アンヌは不機嫌な顔をして昌夫くんの話を聞いていた。

「ああ、そうだ。笙さん、僕が行くと叱られますから、これ、杏美に届けてもらえませんかね」
「いいよ」

 預かったものは小さな包み。セキュリティに必要なものなのだそうだ。女性のひとり暮らしを心配しているからこその夫の思いやりだろう。僕が妻のひとり暮らしの部屋を訪ねるのを危険視していないようなのは、僕って人畜無害だと思われているから?

 おまえは暇だろ、なるべく早く行ってやれ、と言うアンヌも、僕がアズミさんとどうこうとは思っていない様子だ。信頼されているらしいのだから、よし、笙はがんばろう。

「昌夫くんからメールで聞いてます。どうぞ」
「はいはい、お邪魔します」

 ワンルームマンションに暮らす杏美さんは、長身の薄い顔立ちの女性だった。僕はタイの血が入っているアンヌみたいな濃い目の美人が好きだが、昌夫くんは杏美さんがタイプなのだろう。このタイプを美人だと思う人間もけっこういそうではあった。

 体温の低そうな、感情的ではなさそうな、そんな杏美さんに招き入れられて、僕は部屋に入った。四十歳の男性を昌夫くんと呼ぶのも変だが、最初からそう呼んでしまったのだし、アンヌは呼び捨てにしているし、奥さんも昌夫くんと呼んでいるのだから、僕もそれで通すことにした。

「ありがとう、わざわざすみません。コーヒーでも飲みます?」
「おかまいなく」
「あ、そ」

 おかまいなくと答えたらほんとにおかまいはしてくれないようで、僕らはワンルームの椅子にすわって向き合った。杏美さんは参考書のようなものを読みはじめたので、僕は言った。

「じゃあ、僕は帰ったほうがいいのかな」
「私の話も聞いてくれます?」
「いいけどね」

 参考書から顔を上げた杏美さんは、淡々とした調子で喋った。

「学校に行かせてもらって、薬剤師試験を受けて合格して卒業するまでは、奥さんらしいことはしないから、って条件で結婚してあげたんです。私なんかのどこがよかったのか、昌夫くんは私がべたべたに好きだったみたいで、条件は飲むよって」
「へぇ」

 勉強したいなんて、杏美さんはえらいなぁ。僕とは住む世界も頭の構造もちがうんだよね、との思いを込めて、僕は相槌を打っていた。

「あっという間に五年がすぎました。昌夫くんは私の言いなりになっていたから、結婚したことを後悔はしていないんですよ。うちの親は浪人してまで女の子が大学に行かなくていいって主義だけど、旦那が学費を出してくれるんだったらそれもいいだろ、とも言って、干渉はしてこないんです」
「へぇぇ」
「ついうっかり、一生懸命勉強して単位も取れたし、試験に合格する目途も立ったって、昌夫くんに言ってしまったのが悪かったんだわ」
「はい?」

 憂いいっぱいのため息をついて、杏美さんは言った。

「だったらもういいだろ、奥さんなんだから……とか言ってね、身の危険を感じたからひとり暮らしさせてもらうことにしたの。あと一年ほどはそれでしのげるけど、どうしたらいいんだろ」
「あのぉ、どういう意味?」
「だからね、私は奥さんとしての義務を果たしたくないんです」

 家事? 料理や掃除や洗濯? あ!! そうじゃなくて?! ひらめいたことがあったが、女性には言い出しにくくて、僕は杏美さんの顔を見つめた。

「笙さんが想像していることですよ」
「あのぉ、つまり、あなたは……」
「ええ、処女です」

 断言されて、ほんとに僕の想像が当たっていたのだと知った。

「私は絶対に男性とはそういうことはしたくないんです。結婚したらそういうことをするのは当たり前って前提でしょう? だから結婚はしたくなかったんだけど、昌夫くんは待ってくれるって言うから……」
「杏美さん、したことないんでしょ。してみたら楽しいかもよ」
「いやです。悪寒がします」
「昌夫くんがいやなの?」
「男性とそういうことをするのが嫌なんです。絶対にいや」

 幼少時の性的なトラウマでもあるのだろうか。質問もできなくて、僕はただ杏美さんの顔を見ていた。

「猶予はあと一年しかないんです。幸い、私は薬剤師になれそうだから、自立できるはずなんですよね」
「そしたらどうしたいの?」
「離婚したいに決まってるじゃないですか」

 唖然、とはこれだった。

「だけど、正直にそうと言うと私の有責になるでしょ。慰謝料を払うのはこっちになってしまいそう。昌夫くんはわりと法律にも詳しいんだけど、男が慰謝料をもらうなんてみっともない、と言う可能性もあるんですよね。笙さん、どちらだと思います?」
「……さあ、ねぇ」

 さすがの僕も、杏美さん、それはあまりにあなたに都合がよすぎるでしょ、と言いたくなった。

「僕は昌夫くんの性格なんか知らないから、彼がどう出るかはわかんないよね。でも、なんか気の毒だな」
「彼が今後も絶対に、私に手を出さないんだったら継続できますよ。できればここは借りたままで、別居結婚だったらいいかもしれない。そう提案してみたらどうかしら?」
「やってみたら?」

 それってそんなにいやなこと? たまぁに女性にはそんな感覚のひとがいて、もっと稀ながら、男性にもいなくもないらしい。僕だってそれほど好きなほうでもないけど、なんだったら僕が、そんなにいやじゃないんだって教えてあげようか……と言いたくなくもない。

 ここで僕に言えることは、世の中、いろんな考えの人がいるなぁ、でしかなかった。

つづく









 
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~ Comment ~

NoTitle

・・・。
・・・・・。
・・・・・・・。
ああ~~~、うん、なんだ。
女性がたくましいのは良いことではないでしょうか(棒読み)。

個人的にはなあ。。。

LandMさんへ

いつもありがとうございます。
この場合のたくましい女性とは、アンヌのことですよね。
アズミはたくましいというよりも、思い切り自分勝手。

でもね、すべてわかっていて杏美と結婚して、きみがいやなら一生手は出さないよ、なんて言ってくれる夫もいいなぁ。
ああ~~~女のロマンだわ(^o^)

ってのは、単なる妄想ですから、男性の嘆きはよくわかります。
はい。
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