別小説

ガラスの靴23

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「ガラスの靴」

     23・純潔


 胡弓はもう寝たかな。夢の中でパパやママと遊んでるかな。
 そんなに預けてばかりいたら、胡弓はおばあちゃんの子どもになっちゃうよ、と母に脅迫まじりみたいに言われたが、そう言ってるくせに母は嬉しそうだった。胡弓だって嬉しいんだし、僕も助かるんだから、胡弓がおばあちゃんちに泊まるのは八方ハッピィってことで。

 今夜は吉丸さんちでホームパーティだ。吉丸さんは僕の妻のアンヌのバンド仲間で、「桃源郷」のドラマーである。吉丸さんの事実上の妻、ただし男、であるミチもパーティは好きだから、ケータリングも頼んだりして張り切っていた。僕もお手伝いしたので、今日は胡弓は朝からおばあちゃんち。半日会わないと僕もちょっぴり寂しくて、胡弓を想い出していたのだった。

 だけど、息子を恋しがっていてもしようがない。楽しまなくちゃ。

 広いマンションの一部屋は、自然に男性のたまり場みたいになっている。さすがにこの部屋には女性は入ってこないようで、ミチと竜弥、それに、新進作曲家だと紹介された葉月、それから、知らない男の子が四人で話し込んでいた。

 この家のあるじ、吉丸さんは節操ないのきわめつけで、男とでも女とでも浮気をする。一度は女性と結婚して長男が生まれ、ミチと浮気をして離婚し、ミチと事実婚の夫婦みたいになったくせに、今度は女性と浮気して次男が産まれた。

 その後もなにをやっていることか。倫理的にはゆるい世界に生きているものの、アンヌも怒って吉丸さんをぶん殴ったと言っていたが、彼は全然こりない。

 竜弥くんは吉丸さんの次男の母、ほのかさんの同居人だ。ただのルームメイトだとほのかさんは言っていたが、真相はいかに? ミチはふたりの関係を突きとめたくてうずうずしているようだが、しらばっくれられてばかりいる。あるいは今も竜弥くんを攻めていたのだろうか。

「ところで、亜門くん、口説かれてただろ」
「……見てたんですか」
「誰に口説かれたの? 吉丸さん?」

 口説かれてただろ、と僕の知らない男の子に尋ねたのは竜弥くんで、吉丸さんに? と尋ねたのがミチだ。葉月くんは黙って煙草を吸っていて、僕も三人の会話に首を突っ込んだ。

「亜門くんっていうの? ゲイ?」
「名前は亜門ですけど、ゲイってのはちがいますよ。僕を口説いていたのは……」
「女のひとだよね」

 音楽業界人が大勢来ているパーティで、美男美女もいっぱいいた。そのうちのひとり、テレビ局勤務の二十代の美女に亜門くんが迫られているのを、ミチと竜弥くんが横で見ていたのだそうだ。

「あとでそぉっと抜け出しましょ、なんて言われてたよね」
「亜門くん、なんて返事したんだ?」
「なーんか真っ赤になってたよね。よけいに可愛いと思われたんじゃない?」
「ねえねえ、行くの?」

 ふたりがかりで訊かれて、亜門くんはぶるぶる頭を横に振った。

「いやです。行きません。だから僕は、男のひとしかいないって聞いたここに逃げてきたんですよ」
「亜門くん、彼女いるんだ」
「遊びに決まってるもんな。そういうのはいやだとか?」
「っていうか……」

 彼女はいない、遊びだからいやってわけでもない、と亜門くんは言った。

「僕は結婚するって決まった女性としか、そういうことはしたくないんです」
「へ?」
「は?」

 おー、楽しいジョークだね、と言ってやろうとしたのだが、亜門くんは真顔で続けた。

「結婚する前にそういうこと……不潔ですよ」
「それ、ママの教え?」
「実は女嫌い?」
「最近、セックスは面倒だとかいう男も増えてるんだそうだよね」
「あ、それ、聞いたことあるよ」
「そうではないんですけど……」

 ミチと竜弥くんがなんだかんだと質問しても、亜門くんはかたくなに言う。僕は婚約をかわしてからしか、女性と抱き合ったりしません、清らかな身体で結婚したいんです。

 前世期の思想、いや、前々世紀の思想だとしか僕には思えないが、現在にも女性にはたまさかいるらしい。そういう教育を受けるとそうなる場合も間々あるようで、純潔な女性としか結婚したくない、とほざく男も僕の身近にいる。そんなことを言う男のほうは、得てして経験豊富だったりして。

 アンヌの弟の貞光なんかは風俗経験豊富程度だろうと思うし、僕だってアンヌとしか経験ないし、ミチはひょっとしたら女性との経験はゼロかと思うのだが、結婚までは純潔でいたいという思想は持っていなかった。亜門くんはそんな教育をされたのだろうか。

「それってむしろ、女性には敬遠されそうだよ」
「亜門くん、その思想は褒められたものじゃないんじゃない?」
「……そう、ですか」

 すこしばかり主義が揺らぎそうになっていたらしい亜門くんに、今まで黙っていた葉月くんが言った。

「いや、正しいよ。男はそうでなくっちゃ」
「そう、ですよね」
「俺だって同じだよ。生涯ただひとりの相手だと決めた女としか寝ない。だから俺もきみと同じく、純潔な身なんだ」
「そうなんですか。同じ考えのひとがいて嬉しいです」

 ほんとかよ? 亜門くんはともかく、きみも? 僕は疑念をこめて葉月くんを見返す。
 二十代の半ばくらいだろうか。すらっとした植物的な美青年だ。もうじき彼の書いた曲がCDになるんだよ、とアンヌに紹介されたときから、僕はこいつが妙に気に入らなかった。

「そうよそうよ、素敵。感激だわぁ」
「こら、ここは男の部屋だよ。知可子は立ち入り禁止」
「アンヌだって覗き見してるじゃないのよ」

 中には入ってこないようだが、外で立ち聞きしているらしき女性の声がする。アンヌと、アンヌの友達のケータイ作家、知可子さんだった。

「感激だなぁ、あたし、亜門くんのはじめての女になりたい」
「亜門は玲子に口説かれて逃げてたんだ。てめえなんかに落とせるもんかよ」
「私だったらどう?」
「……ほのか。あんたまで? おーい、亜門、そこの窓から逃げろ。女たちがおまえを狙ってるよっ!!」

 青くなった亜門くんに、竜弥くんとミチが逃げろ逃げろと面白がって言う。彼の思想云々よりも、飢えた狼おばさんたちは亜門くんの美少年ぶりが気に入って襲おうとしているにちがいない。僕は窓を開けてやり、ミチと竜弥くんが手伝ってやって亜門くんが脱出していった。

「最近の肉食獣女は怖いね」
「……さっきのほんと?」
「さっきのって?」
「葉月くんも女性との経験がないって」
「俺、そんなこと言ったか?」

 ドアの外はしんとしているが、アンヌとほのかさんと知可子さんは盗み聞きを続けているはずだ。とぼけている葉月くんを追求するのも馬鹿らしくなっていると、女性たちの内緒話も聞こえてきた。

「え? そうなの?」
「あの歌、モデルは彼?」
「そうなんだ。あたしの……」
「うっそぉ!! アンヌらしくもない……似合わなさすぎる」
「あたしには笙と胡弓がいるからね」
「……信じられない」

 なんの話だろう? アンヌのあの歌のモデルは彼? 彼って誰? 葉月くん?

「アンヌって意外すぎるほどに純情なんだね」
「母になったせい?」
「よく言うよ。知可子だってほのかだって母だろうが。母になろうとどうしようと、性格は変わらねえんだよっ」

 それもそうね、と知可子さんとほのかさんは同意し、知可子さんが言った。

「あんな面倒そうな男がいいって、アンヌは趣味は変わったのかな」
「あたしには特に決まった男の趣味はないんだけど、めんどくさそうな奴は嫌いじゃないんだよ」
「ふーーん」
「ふーん」
「けど、一方通行だからね」

 知可子さんとほのかさんが歌を口ずさみ、僕ははっとした。

「出会ったのが遅すぎた
 月並みすぎる台詞がこぼれる

 生まれてはじめてさ
 こんな気持ち、俺にもあるとは知らなかった
 愛してる、なんて、誰かに言うことは
 一生ないと思ってた

 愛したつもりの女はいたさ
 けれど、まやかしだったんだ
 おまえに会ってはじめて俺は
 本当のラヴを知ったぜ」 

 月並みといえば月並みだけど、アンヌが作詞した「リアルラヴ」は素敵な歌で「桃源郷」の曲としてはけっこうヒットしている。アンヌは作詞もするんだ、すごいな、と尊敬を深めていた僕によけいなことを吹き込んだ女性がいて、この気持ちって実話? とひっかかっていたのだった。

 そっか、これはアンヌが葉月くんを想って書いた詞だ。気持ちは実話、だけど、どうやらアンヌの片想いらしい。
 心の浮気と身体の浮気、どっちが許しがたい? という議論がある。僕は心の浮気のほうがいやだ。気まぐれで寝たくらいだったらどうってこともないし、第一、僕はアンヌに寄りかかって生きている身だから、許すも許さないもありはしない。受け入れるしかない。

 片想い……心だけが寄り添い、相手の男はなんとも思っていない。アンヌはそんな恋をしているのか? 本人はそれをつらいとか苦しいとか思わずに、詞にして昇華したのか。さすが僕のアンヌ。

 なのだから、アンヌを尊敬し直し、惚れ直しはしても、怒ったり責めたりなんかできっこない。
 ただ、僕はこいつは嫌いだ。めったに人を嫌わない僕の一番嫌いな奴として認定する。葉月はアンヌの気持ちにも僕の気持ちにも気づいているのだろうに、薄笑いを浮かべて僕を見返す。この蛇みたいな目も大嫌いだ。

つづく






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