ショートストーリィ(しりとり小説)

96「今日からは」

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しりとり小説96

「今日からは」

 花嫁なんてものに憧れたことはないが、畠山直美はいつかは結婚するものだと思っていた。
 平凡な私は平凡な男性と結婚してお母さんになって、子どもがふたりくらいいて、私のお母さんのように平凡に暮らすのだと漠然と考えていた。

「時代のせいもあるかな。結婚はして当然、誰にだってできる、ってものではなくなってるからね。だからなんだよね、四十歳になるあなたも私も独身なのは」
「それもあるかもしれないね」

 高校時代の友人の千佐子とは、ともに社会人になってからは疎遠になっていた。ふたりともに大学を卒業して一般職で働き、転職もしたことは、三度目の転職で偶然にも同じ会社になって親しくなってから知った。
 これもなにかの縁かしらね、と、四十代の独身女性になった千佐子と直美は笑いあっている。同じ種類の愚痴をこぼせる、似た境遇の女性が身近にいることは、直美にとっては心休まるともいえた。

「私たちは結婚はできないだろうしね」
「あら、チサちゃん、彼氏ができたの?」
「彼氏ってほどではないけど……ま、いいじゃない。その話はまたの機会にね」
「聞きたいな。聞かせてよ」
「だから、またね」

 昼休みにそんな話を長々とできないのは当然だろうが、直美としては聞きたい。そしたら退勤後に会おうよと言ってみても、千佐子は言葉を濁した。

「うん、またゆっくり話すから」
「そう?」

 不満ではあったが、無理強いするわけにもいかない。
 彼氏ができたのならば友達には話したいのが人情だ。なのだから、千佐子は直美に打ち明けたいはず。またの機会を待とうと直美は思っていたのだが、その機会が訪れない。彼氏ができるとデートに忙しいというのもあるのか、千佐子は以前のように直美とはつきあわなくなった。

「チサちゃん、たまには一緒にごはんでも食べようよ」
「土曜か日曜でもいい?」
「いいよ」

 独身ではあっても土日には溜まった家事をしなくてはならない。四十にもなると日頃の疲れも溜まるので、これまでは千佐子と直美が食事に行ったりするのはウィークディに決めていた。けれど、千佐子が休日のほうがいいと言うのならばと、直美もうなずいた。

「できたんだよね?」
「主語を省かないでよ。子どもでもできたみたいじゃないの」
「その前のができたんでしょ?」
「前のって……」

 土曜日の夕方、居酒屋で直美と千佐子は向き合ってすわった。この店は半個室のような小さなスペースがたくさんあって、内緒話もしやすい。前のって……と困った顔をしてから、千佐子は言った。

「半年ぐらい前からつきあってるの。最初はためらってたんだけど、ほだされちゃったってのもあるかな。この三ヶ月ほどはウィークディにはよく会うから、直美ちゃんとは前みたいにはできなくなってごめんね」
「そんなのはいいんだけど、そっかぁ、よかったね」

 同じ会社とはいえ部署は別なので、直美は千佐子の職場での交流関係のすべては知らない。千佐子はりんごサワーなど飲みながら、ぼつぼつ話した。

「去年、人事異動で仙台支店から転勤してきたひと、彼のほうがちょっと年下だけど、私は一般職で出世する立場じゃないから、彼のほうがちょっとだけ上司ね。そう言ったら直美ちゃんにだったら誰だかわかるかな」
「彼かな」
「たぶん、直美ちゃんの考えてる彼よ」

 名前と顔は知っている。社内で顔を合わせたことはあるが、彼のプライベートは知らない。直美の会社はわりあいに大きいので、その程度の知り合いも大勢いた。

「同じ課だから、みんなで飲みにいったりもするのよ。残業しててふたりきりで食事にいったり、ランチもふたりで食べたり、そのうちにはなんでもなくても誘われて食事に行ったりして、彼の家庭での話も聞くようになったの」
「家庭?」
「奥さんとはうまく行ってないんだって。彼の奥さんは彼よりもだいぶ年下で、子どもはいないから働いてる。仕事はきっちりできるひとらしいけど、家事は得意じゃないだとか、子どもなんかいらないって言うだとか、わがままだから気が休まる間もないだとか」
「チサちゃん、それって……」
「わかってるのよ」

 諦観をにじませた表情で、千佐子は寂しげに微笑んだ。

「私だって若い女の子じゃないんだから、浮気男の定番台詞だって知ってる。だから本気になるつもりはなかったよ。彼とは話も合って気が合うから、友達だったらいいと思ってた。でも、男と女ってそんなのでは続かないこともあるんだよね」
「……よくないな」
「よくないのもわかってるよ。それでもそうこうしているうちに深くなっちゃって、彼も私も本気になってきたみたい。彼は離婚するから待っててくれって言ってるわ」
「そんなの……」

 定番台詞、常套句、あからさまなまでにわかりやすいではないか、と言おうとした直美を、千佐子が手で止めた。

「知ってるから言わないで。信じてみたいの」
「チサちゃん……」
「ごめんね。暗くなっちゃって」
「慰謝料、請求されるよ」
「そうだね。そのくらいの貯金はあるから、覚悟はしてるわ」

 そうまで言われてしまうと、直美としても二の句が継げなかった。
 自分の夫と不倫しているわけでもないのだから、倫理観をふりかざしてまっこうから反対するつもりはない。チサちゃんってバカだね、やめときなさいよ、っていうのか、いずれは終わるよね、と静観しているしかないだろうと思っていた。

 その日は極力その話題は口にせずに、和やかに食べて飲んだ。こんなに楽しいのは久しぶり、と言って、千佐子も笑い声を立てていた。

 別に直美が避けていたわけでもないのだが、千佐子とはランチを一緒にすることもなくなって時ばかりがすぎていく。チサちゃん、元気? とメールしてみても、元気よ、そのうちまたごはん、食べようね、との返信が届く程度で、直美としてもなすすべはなかった。

「畠山さんって千佐子さんと仲良しでしたよね」
「このごろはなんだかんだと忙しくて、会ってないんだけどね。千佐子さんがどうかした?」

 ある日、職場の後輩が直美の顔に顔を近づけてきた。

「噂、知らないんですか。千佐子さんとあそこの係長……」
「噂? なんだろ」
「知らないんだったらいいですけどね」

 どことなく卑しげな笑みを浮かべて、噂の内容は話さずに後輩は遠ざかっていった。
 噂といえばあれしかない。人の口に戸は立てられぬと言うではないか。やはり広まっているんだ。チサちゃん、道ならぬ恋は早くやめたほうがいいよ。
 そうは思っても忠告するにもやりにくく、直美は手をこまねいているしかない。千佐子の所属部署では噂になっていたようだが、直美のいる部署では特に話題になることもなく、千佐子の不倫話を聞いてから一年が経過していた。

「直美ちゃん、今夜は暇?」
「暇よ。私はいつでも暇」
「そしたらごはん、食べよ」

 就業時間中にケータイメールが来て、千佐子と待ち合わせた。
 不倫の打ち明け話を聞かされたのと同じ居酒屋で、直美と千佐子は向かい合って腰かけた。

「……退職することになったのよ」
「え……それって……噂に耐えかねて? ちらっとは聞いて心配してたのよ。会社のほうからなにか言われた?」
「会社のほうは社員のプライバシーに口出ししたりしないわ。噂話は私にもちらほら聞こえていたけど、悪いことをしているわけではないんだから気にしないようにしてたんだ」

 悪いことではないというのは見解の相違であろう。千佐子の不倫相手の妻から見れば悪いことだろうが、直美はコメントを控えておいた。

「だけど、居づらくはなったのよ。お騒がせしたんだから仕方ないと思ってる」
「会社、辞めてどうするの?」
「結婚するわ。この年になってもこういうことってあるのね。去年、ここで直美ちゃんが言ったでしょ? できたんだよね? って。そうなのよ。できたの。彼もそれで覚悟が決まったのがあるみたいで、離婚を決めてくれた。この年で妊娠してて働くのも大変だから、仕事は辞めてほしいとも言われたの」

「あの、例の彼よね?」
「当たり前じゃない。他に誰がいるの? 直美ちゃん、私、幸せになるからね」
「……はぁ」

 あっけらかんと笑っている千佐子に言ってやりたい気がする。人の不幸を踏みつけにした人間は幸せにはなれないと。
 いや、しかし、そうだろうか。まったくの部外者の直美に、千佐子の不倫相手の妻が幸せだったと言えるのか? むしろ彼女はそんな夫と離婚して、新しい道に踏み出せて幸せだとも考えられないか? 彼女には子どももなくてまだ若いそうだから、そんな夫にはさっさと見切りをつけて捨てたほうがいいのかもしれない。

「直美ちゃん、心配してくれてありがとう。私みたいな結婚をして幸せになれる女だっているんだから、直美ちゃんもがんばって」
「え、ええ、そうね」

 なんとなく釈然としないのは嫉妬だろうか。しかし、千佐子は本当に幸せになれるのか? 因果応報とかいう言葉もあるのだから、今日からは千佐子の行く末を見届けるとしよう。直美がこのままずっと独身だとしても、老後の楽しみもできたというものだ。


次は「は」です。

「主人公について」

蛇足ながら、小さなストーリィの各主人公について補記しておきます。
畠山直美、彼女もフォレストシンガーズの出身大学の先輩です。ただそれだけですが。





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~ Comment ~

NoTitle

何が幸せなのかは尺度が人それぞれ、その時節に因っても変わるだろうから自分にはそんな大それたことは言えませんし、千佐子が本当の意味で他人を踏み台にしたのか判りませんが・・・

このショートストーリーを読んで最近観たドラマの中で印象に残った台詞が蘇りました。『欲の深い人は信用しきれない』と・・・。

ケンシロウさんへ

別のところでいただいたコメントを転載させてもらいました。

「欲の深い人」……欲望のない人間はもはや人間ではないのかもしれませんが、あまりに深すぎるひとはたしかに、信用なんかできませんよね。
時には欲得なしで行動するのも清々しくていいですし。

ありがとうございました。
また遊びにいらして下さいね。

NoTitle

人生なんて釈然としないことだらけですよ。
そこで妥協して折り合いつけていくのが人生ってもんです。
決まりの良い笑いっぱなしの人生も私は勘弁ですね。

LandMさんへ2

こちらもありがとうございます。

人生は理不尽なのが常ですよね。
他人を踏みつけにした人間には必ず天罰が下る、みたいに言う人もいますが、そうとも限らないわけで。
調子よくノリよく、人生を渡っていく人もいるわけで。

生まれ変われるものならば、私は樹木になりたいです。
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