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小説56(あんなにこんなにそんなにどんなに)後編

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フォレストシンガーズストーリィ・56


 「あんなにこんなにそんなにどんなに」後編


3

 最初のうちは各々の区別がつきづらかった。身につけた色で判断するしかなかった燦劇の面々の個性が、すこしずつ見えつつある。私服でいればありふれた若者たちだ。音楽的な悩みもあるにしろ、ファイが言い出したのは、若い男としてはありふれすぎもありふれすぎの悩みだった。
「ミズキちゃんに告白したけど、つきあってくれるとも言わないし、いやだとも言わないんだよな。好きな奴がいるのか、って訊いても、燦劇のみんなもエターナルスノウのみんなも好きだよ、だとか言って、はっきりしないんだ。あれは俺をじらしてるのか。思わせぶりってやつ?」
 ライヴで聴いたエターナルスノウの演奏は、章の解釈ほぼそのままだった。クラシックとロックの融合。その昔、一世を風靡したプログレッシブロックに近いだろうか。昨今はプログレロックはあまり流行らないようで、それゆえにむしろ新鮮に響いた。
 どちらかといえばヨーロッパで隆盛を極めたブログレを、俺もそうよく知っているわけではないが、女性の声を楽器のひとつとして用いる、という手法を使っているバンドがあっただろうか。章も知らないと言う。ミズキの声がエータナルスノウの演奏と溶け合い、ハードでもメタルでもないソフトロックに近い音楽は、さしてロック好きではない者にもなじみやすく、徳永の歌よりも売れ筋ではないかと思えた。
 エターナルスノウの演奏は聴いたものの、メンバーについてはまったく知らない。ミズキが仲間たちと仕事以外でどう関わっているのかも、俺はむろん知らない。しかし、七人の男に囲まれているミズキのバンドのメンバーが気になるのは、彼女に恋しているファイにとっては自然な感情だろう。
「そうやってかわしてばっかりで、ミズキちゃんは言うんだ。今度、友達を連れてくるねって。可愛い子だよ、って言うんだけど、俺は他の女なんかどうでもいいんだよ。そうだ、エミー、おまえは彼女がいなくて寂しいんだから、ミズキちゃんの連れてくる友達とつきあえよ。それがいい、うん、そうしろ」
「勝手に決めるな。どんな女かもわからないのに」
「可愛い子だって言ってたぞ」
「おまえがそっちとつきあえばいいだろ。ミズキちゃんを俺にくれよ」
「いやだ。ミズキちゃんは俺のものだ」
「ふられたくせに」
「ふられてねえよ。つきあってくれるとも言われてないけど、ふられたわけじゃなーい!」
 これまた、いずこも同じ、ってやつだろう。乾と俺は女の取り合いなどはしたことがないが、好みのタイプが異なっているせいか、彼と俺とのタイプがかなり異なっているせいか、幸生と章のように、同じ女を好きになったことは一度もない。ま、どっちもしっかりやれよ、と考えて笑っていると、エミーが言った。
「女って気まぐれだよな。でしょ、本橋さん?」
「俺は女なんて知らないよ。女についていちばんよく知ってるのは、なんたって妻帯者たるシゲだろ」
「……俺? 俺ですか」
 みんなしてシゲに注目し、シゲは焦り声を出した。
「俺は女なんか知りませんよ。恭子しか知りません」
「あれぇ? そうなの? 恭子さんしか知らない?」
「当たり前だろ。幸生、おまえはなにを言いたいんだ」
「俺は結婚はしてないけど、たったひとりの女しか知らないってことは……うん、シゲさんだったらそうかもね。あれれ? そうでもないような気もするけど……俺の気のせいかな」
「なにが言いたいんだ、なにが。さっぱりわからないぞ」
「わからなくていいんですよ。そこがあなたのいいところ」
「……ますますわからない」
 シゲと幸生はふたりしてもめていて、乾が言った。
「俺も女なんてわからないけど、気まぐれなのは女性の魅力のひとつなんじゃないのか。女の気まぐれに翻弄されて、男は鍛えられていくんだよ」
「乾さんの言うこともよくわからないけど、ミズキちゃんは言ってたよ」
 ファイが言った。
「ただひとり、嫌いなひとがいる、ってさ」
「俺か」
「そう、乾さんなんだって。なぜだかは知らないけど、乾さんだけは大嫌いなんだってさ」
「ああ、そう、嬉しいよ」
「嬉しい?」
 ますますわからない、とファイも言いたげで、幸生がこちらに口を突っ込んできた。
「それって裏返しじゃないの? シゲさんがミズキちゃんに恋をされたら困るけど、乾さんだったら困りませんよね。困る? この際だから言っちゃえば? 困るってことは彼女がいるってこと? そうなんだ」
「幸生、先走るな」
「先回りと先走りのユキちゃんですから。知ってるくせに、乾さんったら……」
「知ってるけど……女性というものは気まぐれでもあり、心と裏腹の言葉を口にする生き物でもある。しかし、ミズキちゃんが俺を嫌いだというのは本心だよ」
「乾さんもミズキちゃんが嫌い?」
「好きも嫌いも……これ以上は言わない」
「乾さんは俺と同じで、この世の女という女はみーんな好きでしょ?」
「たいていは好きだな。ああ、ミズキちゃんも好きだよ。男はみんな美人が好きだ。そういう意味で好きだ」
 そういう意味でなら俺もミズキは好きだが、これ以上言わない、の乾の言葉の裏側には、あんなガキ、があるのだと俺には思える。ファイもエミーもガキなのだから、ガキはガキ同士でガキを取り合って闘えばいい。それで途切れる絆なのならば、それっぽっちのものだったのだ。
 我ながら余裕の発言だろうか。余裕をかますほどに俺も引く手あまたじゃなくて、あまたどころか……ではあるのだが、恋なんかないほうがさっぱりしていいじゃないか、とも思う。うちの仲間たちに燦劇の連中も加わって、わいわいがやがや男の声ばかりが聞こえる環境も悪くはない。
 そのはずだったのだが、数日の後、女の声がふたつ、そこに加わった。俺たちは暇さえあれば歌の練習をしていて、その暇はけっこうあるので、今日もスタジオで歌の練習だ。燦劇の面々も時おり、ひとりふたりが顔を出す。今日は五人がそろってやってきて、女の子をふたり伴ってきたのだった。
 ひとりはミズキ、もうひとりが、ファイの言っていた彼女の友達だろう。可愛い子だと言っていた。見ようによっては可愛いのだろう。こういうのが好きな男には可愛く見えるのだろう。色白で一見ほんわかした女の子だ。
「ココちゃんっていうの。よろしくね」
「あたし、ココ・シャネルの生まれ変わりなの」
 ココ・シャネル? 記憶にある名前だが、誰だった? と尋ねたら、乾が教えてくれた。
「フランスのデザイナーだよ。香水にシャネルバッグにシャネルスーツ。今、彼女が着てる服がシャネルスーツだ。俺も通り一遍の知識しかないけど、有名だろ」
「あの子に似てるのか?」
「似てないんじゃないかな。ほっそりした女性だったと思うけど……誰かの生まれ変わりだとか名乗るのは勝手だから、好きにしてくれたらいいんだよ」
 女の服の知識はデザイナーの知識以上に俺にはないが、厚手の生地がかゆそうに見える。やせた女に似合う服なのではないだろうか。生まれ変わりだと言うのも服の趣味も自由なんだから、好きにしたらいい、としか俺にも言えないのだが。
「ココちゃんって本名?」
 幸生が尋ね、ココは答えた。
「本名はコクリコって言うの。芥子の花」
「芥子の花? 大麻を取る花だよね。危険だなぁ」
 芥子は英語ではポピーだが、コクリコとはフランス語だな、と花には詳しい乾が、俺に説明してくれた。虞美人草ともいい、罌粟とも書く、ヒナゲシは大麻を取る芥子とは別種の植物だ、などなどと乾は話していて、幸生はココに言った。
「コクリコってのが本名?」
 嘘だよー、とミズキが言った。
「ココちゃんのこじつけだよ、そんなの。本名はこうこ、香りの子。古臭い名前だからいやなんだって」
「ミズキちゃんは本名?」
「そうだよ。あたしの本名は瑞樹。男の子みたいな名前だから、ステージネームはカタカナにしたの」
「瑞々しい樹か。いい名前だね。こうこちゃんも香りの子って綺麗な名前じゃないか。ココなんて名前よりもいいよ」
 言った乾に、香子はふくれっ面で言い返した。
「こうこなんて嫌いなの。ココって呼んで」
「あなたがそのほうがいいんでしたら」
 香子は「きょうこ」とも読むよなぁ、とシゲが呟いている。シゲの発想がそこに行くのも無理はないが、乾は苦笑いで、ココちゃんにも嫌われたかな、と呟いた。望むところだ、と言いたいのかもしれない。
 ファイとエミーは肘と肘でつつき合いをしていて、章がそのふたりになにやら話しかけている。ルビー、パール、トビーには恋人がいると言っていたから、我関せずの様子だ。恋人がいてもミズキには関心があるのだろうが、ココはどうでもいいらしい。若い男ってのはそういうもので、俺もまだまだ若い男の範囲ではあるので、彼らの気持ちには同感だった。
 そう呼べと本人が言うのだから、香子ではなくココと呼ぼう。ココの相手をしているのは幸生で、ココ・シャネルの生まれ変わりのあたしは……と熱弁をふるっているのに相槌を打っている。俺は乾と言いかわしていた。
「ミズキちゃんは俺が大嫌いなんだろ。なんだってここに友達を連れてくるんだ」
「ココがここに……シャレか?」
「おまえまで幸生みたいに言うな。彼女たちを連れてきたのはファイたちの意向か。うちのスタジオは遊び場じゃないぞ。リーダー、一度がつんと言ってくれ」
「勝手なときだけリーダーと持ち上げるな」
「ま、いいんだけどね。今日は練習なんだから、堅いことは言わなくても……」
 いいと言えばいいのだが、練習ができない。どうしたものかと考えていたら、パールが俺のそばに来た。
「女の子って意地が悪いね。可愛いか、あれ」
「ぽっちゃりして可愛いじゃないか」
「ぽっちゃりじゃねえよ、ぼてっ……」
「パール、女の子にそういうことを言うな」
「面と向かって言ってないんだからいいじゃん。俺、ああいうの駄目。女の子はミズキちゃんみたいにほっそりがいいな。三沢さんや木村さんもそうらしいけど、俺もちっちゃいから、女の子はちっちゃいのがいい。俺より背が低くてスリムで可愛いのがいい。あれは背は高くはないけど、ぼてぼてっのぼてっ……ココだなんてよく言うよ」
 ぶつくさ言っているパールの相手をしてやっているのは乾で、話題を変えようとしたのか、尋ねた。
「おまえには彼女はいるんだろ。ほっそり小柄な可愛い子か」
「うん、そのうち紹介するよ。俺の彼女はミキちゃんっていって、そりゃあもうすっごい可愛いんだ。ルビーとトビーの彼女も可愛いよ。ミズキちゃんよりは落ちるかもしれないけど、あれよりはずーっといい」
「あれはいいから。で、ファイとエミーには今んとこ、いないんだな」
「今んところはね。エミーはああ見えてわりかし真面目なんだけど、ファイは遊び人だから、ミズキちゃんがどっちか選ぶんだったら、エミーにしたほうがいいんだけどな。俺が言うことじゃないしね」
「まさしくそうだよ。ファイは遊び人か。いかにも、だな」
 熱弁をふるっているココと、彼女の話を聴いている幸生を見ていたミズキが、ふっと声を張り上げた。
「誰か、ココちゃんとつきあいたいってひと、いない? ココちゃんは誰がいい?」
「ええ? あたし? あたしは背が高くて顔がよくて、お金持ってて、いい大学出てて、長男じゃなくて、芸術的才能を持ってて、性格がよくて、それから……」
「まだあるの?」
「あるよぉ。あとはね……ええとええと……」
「そんなにそろってる男はいないよ。どれか譲れば?」
「駄目。どれも絶対に譲らない。ココは誇り高き女なんだからね」
「背が高くて顔がよくて……だったら……」
 十人いる男を見回して、ミズキは指でファイを示した。エミーもまあ合格、とうなずき、背が高いだけだったら、と、乾と俺を指差す。雨夜じゃないけど品定めか、と乾は苦笑いを浮かべた。
「芸術的才能はみんなそれなりにあるかな。だけど、いい大学とかお金持ってるとかって、みんな合格できないよ。性格がいいまで言ったら、あのひとは絶対に駄目だし……」
 あのひととは乾だ。どんな性格をいい性格と名づけるのか。乾の性格はゆがんでいるのはまちがいないが、悪い性格だとは俺には思えない。反論するのも面倒なので黙っていると、ミズキはなおも言った。
「あとは背が高くない。シゲさんは結婚してるから駄目だしね」
「シゲさんってあのひと? 結婚してなくてもあんなのやだ」
 おい、こらっ、と言いたくなったのをからくもこらえていると、ミズキが言ってくれた。
「ひどーい。性格はシゲさんがいちばんいいよ」
「性格も大事だろうけど、つきあうだけだったらルックスがいい男がいいな。そしたら……」
 順々にココが指さしたのは、燦劇の五人と章だった。
「だけど、ちっちゃいのはやだしね。困ったな。ミズキは誰がいいと思う?」
「そんならファイかエミーじゃないの。どう、ファイ、エミー?」
 どう? と問われても、ファイもエミーも人の道は知っていると見える。明後日の方向を見て知らん顔をした。
「言えばいいだろ」
 こらえかねたように言い出したのは、パールだった。
「おまえなんかおととい来やがれ、ってんじゃないの? なにをうぬぼれてんだよ。おまえなんかミズキちゃんの引き立て役だろ。そのために連れてこられたんだろ。わかってないのか、ココとか言ってるその女」
「……なに怒ってんの? パールだっけ。ちっちゃいのはやだってあたしが言ったから? ごめんね。だって、あたしは背の高いひとでないとやなんだもん」
「ファイ、エミー、この女に言ってやれよ。ミズキちゃんを好きになった俺たちが、おまえみたいなデブ女に……うぐぐ」
 うぐぐとなったのは、乾に口を手で覆われたせいだ。いくらなんでも女の子にそこまで言ってはいけない、と俺でさえ思うのだが、ココはあくまで面の皮が厚かった。
「ほんとはパールがあたしを好きになったの? 困っちゃうな。男の子って心にもないことを言うから。そりゃあミズキは美人だけど、あたしとだったらあたしのほうがほんのちょっぴり美人度が上っていうの? ほんのちょっぴりじゃないし……あたしは背の低い男は生理的にいやなんだよね。ごめんね、パール。失恋させちゃってごめん。友達にだったらなってあげてもいいよ」
 誰かを思い出す。大学のころにココに似た女がいて、徳永がそいつに……徳永も大変だったんだな、と俺はため息をつき、あちこちでもため息が聞こえる中、ミズキはくっくと笑っていた。
「そうだね、やっぱファイかエミーかな。悪いけど結婚はできないよ。パパやママが反対するに決まってる。ココちゃんはいい大学を出て年収も一千万くらいはある、上流階級の男性と結婚するのよ、って、ちっちゃいころから言われてるの。お見合いでもいいけど、恋はしたいわよね、ってママが言ったんだ。ココちゃんは芸術家が好きなのね。ロックが好き? ロックやってる男性なんて感心しないけど、うんとお金を稼げる本物の才能のあるひとを見つけたら、それでもいいかもしれない。本物を見つけなさい。本物を見る目はママが養ってあげるからって、ちっちゃいころから本物を見てきたの。そのココの目から見ると、ファイもエミーも本物じゃない気がする。若いからなのかな。大人になったら本物になるのかな。けど、恋をするだけだったらいいよね。恋は楽しくするのがいいから、ふたりともあたしと……」
 あのぉ、と幸生が言った。おずおずしているように見えるのはポーズだろう。
「ココちゃんの恋愛経験はいかほど?」
「いかほど?」
「何度の恋をなさったのですか」
「あたしはまだほんとの恋をしたことがないの。何度も何度も男の子からは告白されたけど、たいしたのがいないんだもの。そんなことを言ってたら、二十歳になっても恋ができないよね。妥協も必要かもしれない。ファイかエミーだったら許せるから、ふたりともとつきあってあげる」
「えらい!! そこまでの自信過剰……いえいえ、ゆえなき自信……根拠なき確信……ちがうか。どうもうまく言えないけど、ココちゃんはえらい。俺も見習おう。人間はそうでなくっちゃ。そうでなくっちゃ生きていけない。生きる価値もない。言うまでもないけど褒めてるんだよ」
「知ってる。でも、三沢さんってちっちゃいし、顔もたいしたことないし……ごめんね。三沢さんまで失恋させちゃったね」
「ああ、そう。がっかり」
 おまえもなにか言えよ、と乾に囁くと、乾はパールの口を押さえたままで、幸生にまかせるよ、と応じた。パールはもがもがもがいている。ほげっとした表情でいた章が笑い出し、発言した。
「俺はきみがうらやましいよ。そういうママに育てられたせいかな」
「よく言われる。ココちゃんがうらやましいって。あたしってみんなにうらやましがられる女なんだね」
「はあ、ココちゃんはなにをやってるの? 学生?」
「そうよ」
 胸を張って告げた大学名は、日本人なら誰しも知っているはずの、有名女子大だった。根拠なき確信はそこから来ているのだろうか。乾はパールの耳元でなにやら言い聞かせ、もごもご言って首を縦に振っているパールの口から手を離した。パールはむっつり黙り込み、あの様子では章もよけいなことは言わないだろうと思っていたら、ルビーが口を開いた。
「あんたって、男があんたになにか言うと……」
「ルビー? きみまで? どうしよう、ミズキ。ココ、困っちゃう」
「あのさ、俺はさぁ……」
「トビーも? やだぁ。ファイとエミーだけでいいってぱ」
 たいへんに危険らしいので、俺は口をきかずにいよう。口をきいて、本橋さんまで私に恋したの? と言われても、本橋さんなんかいや、と言われてもがっくりするしかない。乾も同様に考えているのか、一切口をきかなくなった。
「いいんじゃない? つきあいたいって言うんだったら、五人ともとつきあってあげたらいいんだよ。本橋さんも乾さんもココとつきあいたいんじゃないの?」
 よけいなことを言ったのはミズキで、乾と俺は無言で首を横に振った。


 もしもあの場に山田がいたとしたら、あいつはなにを言っただろうか。呆れ果てて口をきかなかったとも考えられる。乾が無言になってしまったのだから、怒りっぽい章がああだったのだから、シゲなんぞは終始だんまりを貫いていた。俺も怒る気にもなれずにいた。
 幸生だけは幸生らしい台詞を口にしていたが、あいつは常々ああで、懲りないところはココと似ていなくもない。案外、ココと幸生がつきあったらうまく行くかもしれない。
「うまく行かないか」
「なにがですか、リーダー?」
「ひとりごとだ。それにしても、誰かがああいうことを言い出すとしたら誰だろ、とは思ってたんだけど、パールだったとは意外だったな」
「俺もちょっと意外でしたよ。パールってああいう性格してるんだ」
 はじめて我々と対面した日には、パールがなにをしていたのかは覚えていない。エミーはしゃらくさい台詞をほざき、トビーは煙草を投げ捨て、ファイは数馬に乱暴をして、山田の表現によると「乾くんにお仕置きされた」となる回し蹴りを入れられた。乾がやらなかったとしたら、俺がやっただろう。
 ルビーとパールもスタジオの機材をいじったりはしていたが、おとなしいほうだった。おとなしかったからこそ、なにをしていたのか記憶にないのだ。
 その後はパールは、青臭くも生意気な仲間たちと、俺たちとの取り持ち役に回っていた。パールがいなかったら、幸生がいなかったら、燦劇と俺たちは今でも親しくはなっていないのではないか。幸生とパールには似通った部分があると感じていたのだが、そんな部分もあるにはあっても、まったくちがう部分もある。当然ではあるが、意外でもあった。
「どんなつもりであの子を連れてきたわけ?」
 ココが意気揚々と引き上げていったあとで、ミズキを問い詰めていたのもパールだった。
「あの子がとなりにいると、ミズキちゃんがますます美人に見えるから?」
「あたしはそんな意地悪じゃないよ」
「そうかなぁ。俺にはそうとしか思えないよ」
「パールがなんと思おうといいんだけど、ココもロックが好きだし、恋がしたいな、なんて言うから、男の子が大勢いるところへ連れてきただけだよ」
「ミズキちゃんのバンドの奴らに紹介はしないの?」
「してもいいけどね」
「やめたほうがいいかも」
「そうかも」
 くすっと笑って、ミズキはパールに内緒話をしかけていた。その内容は聞き取れなかったので不明だが、あたしもココがあそこまでだとは……と言っていたようだ。あそこまで、たしかにあそこまでのゆえなき自信過剰はむしろ素晴らしい。強がりなどではないのはココの全身にあらわれていた。
「ココみたいなのはあれで幸せなんだよ。あたしもさすがに呆れたけど、あそこまで行ったらかっこよくない?」
「かっこよくなんかないよ。みっともないよ」
「パールってけっこうきついんだね」
「俺はああいう女は……あいつはどうでもいい。ミズキちゃんはファイともエミーともつきあう気はないの? じらしてどうするつもり? いやならいやってはっきり言えよ」
「いやじゃないし……」
「そんならどっちか選べば?」
「選べないんだよね」
「どっちも好きだから?」
「さあ」
 のらくらしているところは、ミズキは乾に似ている。乾ののらくらとミズキののらくらは種類が異なっているが、乾の真意どころではなく、ミズキの真意はまるっきり俺には読めない。男をじらすのは手練手管か、実際に両方が好きで選べないのか、どちらも好きでもないけれど、ふたりの男に奪い合われて快感なのか。ガキとはいえミズキは女なのだから、俺に女心が読める道理もないのは当然かもしれない。
 まあ、ファイもエミーもどっちもがんばれよ、と何度目かに考えているうちに、燦劇もミズキも帰っていって、ようやく練習ができるようになった。
「こんなにあんなにどんなにそんなに、の歌詞は書けたか」
 何日か前に突然、シゲが言い出したのだ。言い出しておいてシゲは、俺には歌は書けません、なのだが、他の四人は詩を練っていた。誰にともなく訊いてみると、そこからまたまた大騒ぎになった。いつだったか幸生が、フォレストシンガーズイコールお騒がせシンガーズ、と言っていたが、言い得て妙である。
 お騒がせシンガーズに加えて騒ぎをふやす後輩たちまでがあらわれて、今後はいっそうの大騒ぎになりそうだ。後輩の面倒を見るのは俺の宿命であろうから、と言うと、面倒見てるつもりが見られてたりして? と乾が言いそうだ。いずれにせよ、はかばかしくは売れなくても、こんな毎日は楽しい。それだけは疑いようもない。楽しくもあり疲れもあり、なんだけどな、とちらっと弱音も吐いてみた。
 
4

 ロックバンドのジョイントライヴに来る。俺には珍しい経験だった。
 こんな仕事をしているからこそ、チケットが手に入ったのだろう。本日のライヴには、彼らの単独ライヴのチケットにはプレミアがつくというほどの超大物バンドが出演する。うちのメンバーたちも会場にいるはずだが、日本一の大ホールは若者たちで立錐の余地もないまでになっているし、座席がばらばらなので、誰がどこにいるのかもわからない。六人が別々に、適当に時間をみはからってやってきたのだった。
 出演者には我々の後輩の燦劇、燦劇とは親しいエターナルスノウ。新人バンドにはダイモスというのもいる。ダイモスはインディズだそうだから、大抜擢だ。デビュー当時からの知り合いだったブラックフレームスと、彼らが出演するからこそこんなにも大盛況になっている、グラブダブドリブもいる。
 他にもバンドが出演するのだが、俺の興味があるのは、この五つのバンドだ。ダイモスはインディズとしては破格な人気があるらしく、ライバル心がなくもない。燦劇もエターナルスノウもめきめき頭角をあらわしてきていて、それに引き換え俺たちは……との気分もなくはない。
 ブラックフレームスは一応知り合いだから、興味があるのは当然だ。グラブダブドリブは、音楽に関心のある者、音楽に関わる者で、彼らに興味がないなどと言う人間はいないのではあるまいか。日本ロックシーンに絢爛と咲き誇る五つの大輪の薔薇、と名づけても過言ではないのだから。
 グラブダブドリブのデビューは、ブラックフレームスと同時期だと聞いている。年頃は俺たちフォレストシンガーズとほぼ同年輩で、なのになのに、彼我の人気の差たるや、月とすっぽんと形容しても足りない。較べるだけ悲しい。ライバル心を燃やせるほどに近い存在ではない。できるものなら無関心をよそおいたいのだが、そうは行かなくなったのは、このライヴの情報を聞いたときに、幸生が言い出したせいもあった。
「グラブダブドリブが出るって、それだけでソールドアウトだね。章、控え室に挨拶に行く?」
「俺なんか忘れられてるんじゃないかな」
「弱気な発言しなくてもいいじゃないか。昔なじみは覚えてるよ、彼も」
 乾も言い、俺は尋ねた。
「彼って誰だ? 章、おまえ、グラブダブドリブに知り合いがいるのか」
「俺がジギーをやってたころに、おんなじアマチュアバンド、おんなじような女の子バンドがいて、そっちはプシィキャッツっていった。リーダーには話してませんでした?」
「聞いてないぞ。乾と幸生は知ってたのか。シゲは?」
「知りません」
 ジギーにはヴォーカリストの章がいた。プシィキャッツにはドラマーの男がいた。同じような女性ロックバンドに所属していた唯一の男というわけで、章と彼とは時おり話した。章の話を引き取って、幸生が言った。
「そのプシィキャッツのドラマーが、いまや輝けるロックスターのグラブダブドリブの一員、ドルフ・バスターなんですって。俺はもちろんご尊顔を拝謁したこともないし……」
「そう卑屈にならなくてもいいだろ。人気の差は天国と地獄だけど、同じミュージシャンだ。ご尊顔なんて言う必要はない。章はそいつとはつきあいが続いてるのか」
 尋ねると、章は浮かない顔で首を横に振った。
「グラブダブドリブですよ。あのグラブダブドリブ。そんな奴らに俺が会いにいけませんよ。ライヴには行きたいけど、控え室を訪ねるなんてとてもとても……」
「グラブダブドリブでしょ。私は会ってみたいなぁ。コネがあるんだから会えるじゃないの。そうなると会いたい。章くん、連れてって」
 ミーハー興味ありありの山田が言い、行くだけ行ってみてもいいけど、忘れられてる気がする、と章は弱気発言を繰り返し、それでも、山田は章と連れ立ってライヴに出かけてきているはずだ。章がグラブダブドリブの控え室を訪問したのかしなかったのかは知らないが、章の知り合いとなると、俺も俄然、彼らへの興味が増した。
 新人は先に出るのがこのたぐいの世界の常だ。まず、ステージにダイモスが登場した。そろいもそろってでかい男ばかりの四人組は、迫力に満ち満ちたハードロックを演奏する。ヴォーカルのユウヤはド金髪の筋骨隆々ボディの持ち主で、地の底から響く太く低い声でがなり立て、バックヴォーカルも低く太い声ぞろい。重低音の歌と重々しい演奏があいまって、耳鳴りがしてきそうだった。
 ロックヴォーカリストは金属質の高い声がふさわしい、と聞いた覚えがあるが、ユウヤの声はあくまで重く低い。なにもかもがへヴィなバンドだ。これをしてヘヴィメタルと呼ぶのではないかと思ったが、ハードロックとヘビメタは別ものだと章が言っていた。ロックには詳しくない俺は、ヘヴィではあってもメタルではないのか、と考えておくにとどまった。
 にしても、コーラス、ハーモニーってのはこうも同じタイプの声ばっかりじゃな、とも考えたのだが、彼らはロックバンドであってコーラスグループではないのだから、これはこれでいいのだろうか。
 続いてエターナルスノウ。ヘヴィな音から一転して、かろやかな演奏がはじまる。彼らの演奏をライヴで聴くのは二度目だが、彼らにしても重厚な音もかもし出す。ダイモスのあとだから、軽めの演奏をしているのかもしれない。七人のメンバーがいくつもの楽器を用い、ミズキのヴォーカルがフルートのような美しい声を響かせる。俺にはダイモスよりもよほど好もしい音だった。
「エターナルスノウはプログレっていうより、シンフォニックロックってやつじゃないかな」
 ロックの知識の少ない俺には、章の言葉を借りるしかないのだが、ふーむ、シンフォニックロックねぇ、と妙に関心して彼らの音を聴いていた。
 続くは燦劇だ。ダイモスはいかにもハードロッカーで、エターナルスノウはわりあいに普通のファッションをしていて、燦劇はビジュアル系なのだから、いかにもそれらしい。ファッション知識も乏しい俺には、そうとしか言い表しようがない。
 青と緑と白と赤と黄、ラメラメきらきらぎんぎらぎん。色とりどりの髪、衣装、目の色までとりどりで、ロックってのも実にいろいろとあるのだなぁと、俺は感慨を新たにしていた。音はひとことでいえば、幻想的世界だろうか。ビジュアル系ロックの定義とはあの格好につきる、と章は言っていた。彼らは独自の世界観を持っている、と乾は言っていた。
 麻薬の幻覚とはかくや、とも思われる燦劇の音。聴いているとくらくらしてくる。地声は普通の男なのだが、歌うとやけに甘く甘くなるファイのヴォーカルは、ダイモスやエターナルスノウと比較すれば稚拙だ。演奏も稚拙だ。だが、たしかに一種独特な世界を構築していた。
 俺の好みからするとエターナルスノウが一番なのだが、女の子の歓声は燦劇が一番だった。ダイモスへの歓声にも女声は多かったが、あちらは男声の歓声も盛んだった。
 それからいくつかのバンドをはさんで、ブラックフレームスが登場した。完成度は彼らがもっとも高い。俺たちの知り合いと呼べるのはギターのトミーなのだが、ヴォーカルはユズルという。ユズルの歌声は章に似た金属質のハイトーンで、音は……これもハードロックか。あとで章に尋ねよう。
 評論家気取りであれこれ考えてもいたのだが、いつしか俺も楽しんでいた。俺たちの音楽とは別種の音楽に浸るのもいいものだ。悲鳴に近い女の子たちの嬌声も、ロックに溶け込んでひとつの楽器めいて感じられる。
 そして大トリ、天下の大物、グラブダブドリブがステージにあらわれた。周囲の歓声がひときわ高まる。もはや尋常ではない騒ぎになっていく。うるせえんだよ、音楽が聴こえないだろうが、と俺は怒りたくなったのだが、演奏がはじまると客席が静まり返った。
 リズムを刻むベースとドラム、軽妙なタッチのシンセサイザー、凄まじいテクニックのギターの早弾き、ヴォーカルのジェイミーのドラマティックな歌声。まさに本物だ。本物のハードロックだ。これぞ正統派。
 不覚にも感動してしまいそうに素晴らしい演奏だった。彼らも思い思いに派手な衣装をつけて、髪の色もとりどりだ。アメリカ人やイギリス人もまざっているのだから、ニセ金髪ではないのかもしれない。似非ロッカーでは断じてない。日本人離れしたテクニックとはこれか。うーん、凄い、としか言いようがない。
 悔しいけど、とももう言えない。噂には聞いていたけれど、グラブダブドリブとはこれほどのバンドだったのか。完敗だなどと言ったら、おまえらなんかはじめから問題にしてねえよ、とせせら笑われそうで、むしろ俺は虚脱した。
 ライバル心なんか捨てよう。評論家意識も音の分析も諦めよう。なにロックだっていいじゃないか。ロックはロックだ。俺たちの歌とは異次元の音楽だ。俺も聴衆たちとともに、ただただグラブダブドリブの歌に身をまかせて、彼らの魔法に身をゆだねよう。章、ロックってこういうものだったんだな、グラブダブドリブを生で聴いて、俺にもようやく理解できたよ。おまえが呪縛されているかのような、ロックってこんなものだったんだな。
 ブラックフレームスの完成度? エターナルスノウのシンフォニックロック? 燦劇の世界観? ダイモスの迫力? そんなのちゃんちゃらおかしいよ。どのバンドもグラブダブドリブとは較べられない。諸外国の大物ロックバンドだってきっと……俺たちはロックなんかやってなくてよかった、とまで考えたくなっていた。


 酒に酔っているのとはちがった酩酊感を抱えてふらふら歩いていたら、章と山田に出くわした。乾もシゲも幸生もどこにいるのかはいまだ不明だが、これだけの規模のホールで知り合いに遭遇するのは奇跡に近い。ふらふらっと歩み寄っていくと、山田が俺に目を留めた。
「本橋くん、どうかした? 気分でも悪いの?」
「なんでもねえよ。章、ドルフに会ってきたのか」
「行きづらくて……」
「行くだけ行くって言ってたじゃないの。行こうよ。門前払いを食わされたらそれはそのときのことでしょ。あとにしましょうよ、って章くんが言うから、楽しみに待ってたのに」
「行ってみよう、章、俺も連れていけ」
「そんならまあ……期待しないで下さいね」
 大勢の人々が行きかう中を歩き出しながら、章は興奮冷めやらぬおももちでいる。すごかったねぇ、と山田が言うと、章は熱に浮かされたように語り出した。
「グラブダブドリブがステージに登場して、客席の騒音が最高潮に達したでしょ。俺はグラブダブドリブのライヴを見るのははじめてだったんですけど、ステージのロッカーたちがそれぞれのオーラをまとって、光り輝いて見えた。俺は挫折したもとロッカー、まばゆくて正視できないほどでしたよ」
 耳によみがえってくるのは、グラブダブドリブのヴォーカリスト、ジェイミー・パーソンの雄たけびだった。
「ジェイミーのカーリーヘアはユウヤのニセものとはちがって、本物の金髪ですよ。グラブダブドリブはなにもかもが本物。彼のキャッチフレーズは「金髪のライオン」っていうんです」
 黄金のたてがみを振り乱し、はだけたシャツから覗く黄金の胸毛までをも振り乱して、ジェイミーが吼えた。
「ようこそーっ、俺たちの島へ!!」
 そのシーンは俺の脳裏にもよみがえってきていた。

「To wizard's island to which it goes
 The hang on you are taken to the hand that I extended.
 Highest Music is given to you temporary ..this... 」
 
 歌も聴こえてくる気がする。俺は無言で歩き、章は続けた。
「グラブダブドリブってのは、ガリバー旅行記に出てくる魔法使いの島なんですって。ギターの中根悠介が命名したんだそうです。オープニングナンバーは、俺もCDではたびたび聴いてる「魔法使いの島」。グラブダブドリブのテーマソングなのかな」
「私には演奏のよしあしはそんなにはよくわからないけど、素人にも桁外れのテクニックだと思えたよ。章くん、当たってる?」
「当たってますよ。あんなバンドは他にはいない。ジェイミーのあの声、あの歌……あの声量……あの音域の広さ……ジェイミーは昔はオペラを歌ってたんですって。だからあれも当然なのかもしれない。中根悠介のギターもだよ。俺はギターしかわからないけど、あの超絶技巧ときたら、現役でありながら伝説の域に達しかけているというのも大いにうなずける。涼しげなポーカーフェイスで、こんなの簡単だぜ、みたいなスーパーテクニックでギターを弾く。聴いていると憎悪までが起きそうだった」
「憎悪ねぇ」
 現在でもヴォーカリストであり、ギターも弾く章には、ジェイミーと中根が最大の関心のまとだったのだろう。人が多くて早くは歩けなくて、章は山田と会話をかわしながらゆっくり歩を進めていた。
「その上にあのルックスね」
「そうだよね。生で見るとルックスもすごいわ」
「すごいすごい、ばっかになるでしょ」
 山田と章はかなり前の席にいたので、彼らのルックスもよく見えていたらしい。
「紫のジョーゼットのブラウス……? ブラウス? 男がブラウス? 女ものみたいなブラウスだったよね。中根悠介は絶世の美青年でしょ?」
「たしかに。彼だったら女ものを着てたとしてもしっくり合ってた。背は高いけど細身だから、女のトールサイズなら合わなくもないよね。紫のブラウスに白の革パンツ。絶世の美女と呼んでもいいんじゃない?」
「黒い革のパンツが似合う細くて長い脚は、ロックギタリストの財産であるとの定説があるんですよ。俺もそんな脚に憧れてた。俺の脚は細いけど長くないから、革パンツなんか似合わないんだ。中根悠介は白の革パンツ。まぎれもなく細くて長い脚の彼には黒よりも白が似合ってた。これからは俺、革パンツなんか穿けないかも」
「穿けばいいじゃない。中根さんの鳶いろのストレートロングヘア、あの長い長い髪の色も本物?」
「彼はフィリピンと日本のハーフだそうだけど、あんな髪の色がアジア人種にあるのかな。そこまでは俺も知りません。彼のお母さんは、彼が子供のころに亡くなってるそうです。祖父母に育てられたって聞きました」
「章くん、詳しいんだね」
「まあね」
 ファッション談義は俺にはどうでもいいのだが、章と山田はなおもその会話を続けていた。
「ドラマーがドルフ。俺の昔の知り合いだって話しましたよね。ドルフの真っ赤な髪も、ベーシストの沢崎司の髪のエメラルドのメッシュも、五人の色とりどりの服装も、ダイモスほどのど迫力ボディではないにしろ、背丈は劣らない長身の群れも、ありとあらゆるステージ上の要素が俺を幻惑して、耳と目が発狂しそうになってきたんですよ。目は閉じればすむけど、耳はふさげない。もったいなくてふさげない。その上、中根悠介は歌までうまい」」
 じゃあ、ここらで静かな曲を、とジェイミーが言ったのは、ステージ半ばのころだったか。
「フィリピノバージョン「YESTERAY」」
 エレキギターをアコースティックギターに持ち替えて、弾き語りをはじめたのは中根悠介だった。ステージのライトが落ちて、中根悠介ひとりにスポットが当たる。フィリピノとはフィリピン語であろう。中根悠介の母親はフィリピーナだそうだから、母の国に敬意を表して歌うのか。フィリピノなど俺にはちんぷんかんぷんだし、ファンも俺と同様だろうけど、ビートルズの「イエスタディ」ならば誰でも知っている。
 太くはないが低い声だ。シゲの声に近いだろうか。MCもジェイミーのみが行っているので、俺は中根悠介の声は初に耳にした。中根悠介もコーラスはやっているものの、ジェイミーの声が目立ちすぎて他の声は聞き取りにくい。わざと抑えているのかもしれない。
 
「Yesterday all my troubles seemed so far away
 Now it looks as though they're here to stay
 Oh I believe in yesterday」

 英語でだったら俺にも歌えるのだが、フィリピン語はそのままなのだろうか。ポール・マッカートニーが失恋して作った歌だとか、母親を亡くした心境を綴った歌詞だとか、諸説あるのだが、中根悠介の母親もすでにこの世にはいないらしい。では、こちらの訳に基づいているのだろうか。
 
「母はなぜ旅立たなくてはならなかったのか
 僕は母を悲しませるようなことを言ってしまった
 昨日に戻りたい
 昨日、愛は簡単な遊びみたいなものだと思っていた。今はひとりになりたい。
 昨日は本当によかったと思いを馳せる」

 どこかで読んだ訳詩が頭をよぎり、しんとした気分になった。俺がグラブダブドリブのステージを思い出していると、章が憎らしそうな口調で言った。
「中根悠介ときたら、あれだけギターが上手……上手なんて言葉ではじれったいほどに上手なのに、歌までうまいじゃないか。世の中ってなんて不公平なんだろ、俺はロッカーを続けてなくてよかったって、心底がっくりしてしまいましたよ」
「そうなの? 本橋くんはさっきから黙りこくってるけど、反論はおあり?」
「反論はない。章、俺もおまえに同感だ。顔だの服だのは省いて、他はすべておまえに同感だ」
「リーダーがそんなふうに?」
「俺だっていいものは認めるさ」
 へぇぇ、とふたりして言って、山田と章は俺の顔をまじまじと見つめた。
 たどりついたのはグラブダブドリブの控え室。バックステージパスは持っているので、ここまでは来られた。が、章はためらっている。やっぱりやめとく? と山田が小声で言い、章は意を決したようにドアをノックした。
「開いてるよ、入っていいよ」
 いらえはジェイミーであろう。オペラ出身のヴォーカリストは歌声は高らかだが、話しているときには乾と俺の中間あたりの声を出す。誰何もせずに応えたジェイミーに、章が言った。
「女性もいっしょなんですけど、いいんですか」
「女性? どなた?」
 ドアが開き、金髪のライオンが姿を見せた。こうして間近で見るとでかい。燦劇のファイ以上に背が高く、ダイモスのユウヤ並に筋骨隆々だ。
「どなただっけ? 誰かの知り合い?」
「ドルフの……」
「おーい、ドルフ、美女と美少年、美青年か? それと、美はつかないけど怖い顔したお兄さんがいらしてるぞ」
 美はつかないのが俺だろう。美はつかないのはわかっているが、失礼な奴だ。いささかむっとしていると、真っ赤な髪の大男が顔を出した。
「俺の知り合い? ……よお、章。すげえ久し振りだな」
 白人の大男がなめらかに日本語を話すと不思議な感覚を覚えたのだが、章はあからさまに安堵の表情になった。
「ドルフ、ご無沙汰」
「なんだよ。ご無沙汰だなんて堅苦しい挨拶すんな。そっちの方たちは?」
「フォレストシンガーズって知ってる?」
「フォレストシンガーズ? んんと、聞いたことはあるな」
 知ってるよ、俺、と興味深げに我々を見ていたジェイミーが言った。
「俺のライバル。男五人のヴォーカルグループだよな。章っていうのか。っつうことは、おまえさんが木村章だな。そっちのお兄さんは……待て、名乗るな。当てさせろ。リーダーの本橋真次郎」
「そうです。本橋です」
「章くんの護衛って感じ? で、そちらのお美しい方は?」
「マネージャーの山田です」
「ファーストネームは? 日本人は姓がファーストだから、下のお名前は、かな?」
「美江子です」
「美江子さんか。美人だねぇ。こんなところで立ち話はなんだし、どうぞどうぞ、ずずーっとお通り下さい。悠介、司、ボビー、女性のお客さまだぞ。裸じゃないな。よし、いい。美江子さん、どうぞどうぞ」
「入れよ、章。美江子さんも本橋さんも」
 ドルフはそうでもなさそうだが、ジェイミーはよく喋る。乾や幸生の同類なのか。ライオンだと自称しているそうだが、まさか食われもしないだろうと、俺は最後に控え室に入っていった。煙草の煙が控え室に充満している。あっちでもこっちでも煙草をすぱすぱやっていた。
「本橋です。かつては木村がドルフさんにお世話になったそうで」
「ドルフさんなんていいんだよ。ドルフって呼んで。俺はジェイミー・パーソン。ライヴを聴いてくれてたんだったら知ってるだろうけど、紹介しましょう。本橋さんに似た感じの怖い顔。うちのリーダーでもある、ベースの沢崎司」
 うっす、と沢崎は無愛想に応じ、ジェイミーがさらに言った。
「キーボードのボビー・オーツ」
 黒人と白人のハーフ、といった肌の色をしたボビーは、打って変わってにこやかに言った。
「はじめまして。フォレストシンガーズって俺も知ってるよ」
「その話はあとでしろ、ボビー。そこでギターを抱えてるのは、ギターフェチとその名も高い中根悠介。美江子さん、見とれてるでしょ? 無理もないね。こんだけの美形はそんじょそこらにいないんだから」
「ジェイミー、黙れ。挨拶できないじゃないか」
「俺なんか無視して挨拶すれば?」
「中根です。よろしく」
 こいつもまた愛想がない。俺は知ってるんだろ、とドルフが言い、章を手招きした。山田は気後れした様子で突っ立っていて、俺もどうしていいやらわからずにいると、ジェイミーが言った。
「早速だけど、本橋さん、あんたらと俺、どっちが歌はうまい?」
「どっちがと言われましても、ジャンルちがいですから」
「ジャンルは関係ねえよ。勝負だ」
「勝負?」
「勝負しようぜ。歌の勝負だ。俺は日本の歌い手ってのには失望ばっか感じてたんだよ。下手な奴が多すぎる。ロック界と演歌界を除いたら、日本人シンガーは下手くそだらけじゃないか。久々で勝負できそうなのがあんたたちだって思ってたんだ。飛んで火に入る夏の虫。飛び込んできたからには逃がさないぞ。本橋さん、逃げないよな」
「……逃げる気はない」
「そう来なくちゃな」
 おいおい、とボビーが割って入ってきた。
「ジェイミー、初対面の本橋さんになにを挑戦してるんだよ」
「初対面であろうとなかろうと、ヴォーカリストはすべて俺のライバルだ」
「すみませんね、本橋さん、気にしないで」
「気にします。挑戦されて受けて立たないようでは俺の男がすたる。勝負しましょう」
 喧嘩じゃないんだからいいだろ、と目で問うと、山田はため息と苦笑まじりにうなずいた。
 おまえらなんか最初から問題にもしてねえよ、とせせら笑われるよりは、ライバル視してくれたほうがずっと喜ばしい。しかも、彼はフォレストシンガーズを知っていた。俺が歌でジェイミーに勝てるかどうか不安もなくもないが、売られた喧嘩は必ず買うのが俺のポリシーだ。喧嘩ったって暴力ではなく、シンガーとしての歌の勝負なのだから、なんらやましい点はない。
 それにしてもこいつは、乾にも幸生にも俺にも似ているようだな、と見返すと、おーし、やるぜ、とジェイミーは腕まくりをした。歌うのに腕まくりは必要ないので、俺は腹に力を入れた。


5

「そんなに挑戦的な奴に
 あんなに挑みかかられて
 こんなにその気になったのに
 どんなにあがいてみたところで」

 ギブアーップ!! ってか。いかん、ギブアップしてどうする。シゲが言い出して以来、頭の隅にひっかかっていて完成のめどの立っていない詞が、未完成のままでちらちらとよぎった。章は章で、ギターを弾く中根の指先を凝視していて心ここにあらず。先に歌えとジェイミーに言われ、伴奏しようか、と中根が言い、俺は言ったのだった。
「俺たちはハーモニーで売ってる。正直、売ってるつもりがたいして売れてはいないけど、売りはハーモニーだ。平素は五人だけど、今はここにはふたりしかいない。ふたりのハーモニーでは限界があるけど、幸いにもテナーの章とバリトンの俺がいる。高音部と中低音はこなせるんだから、章とふたりで歌うよ。二対一では卑怯か」
「いやぁ、いいよ。俺はひとりで勝つから」
 癪ではあったのだが、オペラ出身シンガーのジェイミーに対抗するためならば、章の歌に助けを求めるのもやむを得まい。
 グラブダブドリブの面々は、ボビーがやや高めの声質をしているものの、全員が話し声は低い。中根は低くぶっきらぼうで、沢崎は低く無愛想、ドルフは太く低く深みのある声をしている。中根と沢崎がバリトン、ドルフがバスでボビーは低めのテナーか。ジェイミーは基本的にはバリトンだろうか。いずれにせよ、そろって俺よりも背が高いのだから、長身の男は声が低いという巷説通りだ。
 ダイモスの連中も全員が声が低く、全員が背が高い。燦劇のファイも背が高く、地声は低い。ブラックフレームスのユズルも背が高く、歌うと金属質の高い声ではあるが、話し声は低い。彼らよりは低いものの、世間一般的に見れば長身の部類であろう俺も声は低い。乾にしても小柄な章や幸生よりは、話し声は低い。
 小柄な男にも低い声の者はいる。シゲは中背だが、きわめて声は低い。例外はあるのだろうが、巷説は巷説でだいたいあてはまっている。
 それはそれとして、ダイモスは歌のハーモニーに難があった。全員の声が似通っていて、ハーモニーになっていないのだ。ユウヤの声が四つで歌っているようなものだった。が、グラブダブドリブはジェイミーがたったひとりでコーラスもできそうなほどだし、そもそもロックバンドにハーモニーは重要ではないのだろう。それでも言ってみた。
「あんたも仲間にコーラスをつけてもらったらどうだ?」
「そんなのはいいからさ、なにを歌う?」
「章、よそ見ばっかりしてないで、なにを歌おうか?」
「んんとんんと……ロックで勝負するのはやめましょう。リーダーの得意なラヴバラードがいいんじゃありません? 俺は高音パートでしょ? ジェイミーも同じ歌を歌う? 英語だと発音で最初っから負けてるけど、日本語の発音だったら負けないよな。リーダーの声が活きる歌……なにがいいかなぁ」
 おまえも手伝えと言ったときには臆しかけていた章だったが、シンガー魂に火はついているようだ。ジェイミーはこんな歌、知ってるかな? と呟いた。
「難破船」
「私は愛の難破船、ってやつだな。知ってる知ってる。本橋、歌え」
 呼び捨てになってしまっているが、当方もジェイミーと呼んでいるのだから、文句をつけるいわれはない。「難破船」、女性の歌だが、俺の得意な曲調だ。章とざっとハーモニーの相談をして歌い出した。

「たかが恋なんて
 忘れればいい
 泣きたいだけ泣いたら
 目の前のちがう愛が見えてくるかもしれないと」

 中根はギターを弾き、ジェイミーもドルフもボビーも沢崎も山田も、俺の歌を聴いている。章が途中から、男でこの声が出せる者はめったといないであろう、うるわしきハイトーンヴォイスで加わった。

「そんな強がりを言ってみせるのは
 あなたを忘れるため
 寂しすぎてこわれそうなの
 私は愛の難破船」

 金属質のきんきらきんヴォイスも出せば、ヘビメタシャウトも炸裂させる章だが、こんな歌だとしっとりと美しく高いハーモニーをつけてくれる。乾でも幸生でもよかったのだが、あいつらだとジェイミーと舌戦になってしまう恐れがある。シゲの低い声よりは章がいいので、章がいてくれてよかったのだろう。
 そもそも章がいなかったら、グラブダブドリブの控え室を訪問するわけがないのに、当初の目的がすりかわっている。ひそかに苦笑しながらも、我ながら上出来で満足できた。これで負けても悔いはない。歌い終えると一斉に拍手してくれた。
「おっし、次は俺。美江子さん、聴いて下さいね」
 俺らは聴かなくていいのか、とボビーが茶化すのにかまわず、ジェイミーも歌い出した。同じ歌をジェイミーが歌い終えてお辞儀をすると、山田が言った。
「……本橋くんの歌は聴き慣れてるんだけど、ジェイミー、でいいんですね? ジェイミーの歌って……素人には表現できない。ロックナンバーをフルヴォリュームで歌ってるのも最高でしたけど、ああして抑えたトーンでバラードを歌っても素敵でした。さっきから私、すごいとしか言えません。ほんとにすごい」
「ありがとう。感謝のキスをしてよろしいでしょうか、マダム?」
「いえ、それは……」
 横からジェイミーの頭をはたいたのは沢崎で、ジェイミーは大げさに頭をさすった。
「いてぇな、なんだよ」
「女と見たら口説くな」
「口説いてないって」
 沢崎は言った。
「俺は山田さんとはさかさまに、ジェイミーの歌は聴き慣れてる。本橋の歌はほとんど知らなかったけど、たいしたもんだな。ジェイミー、歌に勝敗なんてつけられねえんだよ」
「つけられるさ。明らかな差ってのはあるだろ」
「おまえとそこらのちんぴらジャリタレにだったらつけられるだろうけど、本橋とじゃつかない。勝負なんかしなくていいだろ」
「だなぁ。うん、本橋、章、勝負は痛み分け。飲みにいこうぜ」
 勝負しようと言い出したのは彼なのに、あっさりと身を翻して、豪快な笑い声を立てる。これが輝けるロックスターか。なんともまあ……と俺は、ジェイミーの派手な金髪と派手な衣装を見つめて言葉をなくしていた。


 その場にいたかったなぁ、くっそーっ、と真っ先に叫んだのは幸生で、乾も言った。
「本橋とジェイミーの歌の真剣勝負、俺も聴きたかったよ。聴きたかったのもあるけど、そういう勝負だったら俺も参加したかった。シゲも歌いたかっただろ」
「そうですねぇ。歌いたかったし聴きたかったな」
「ジェイミーは彼ひとりの声でロックスターを張ってるヴォーカリストだけど、俺たちは各々の声、及び五つの声のハーモニーで売ってる。五対一でも決して卑怯なんかじゃないよ。シゲと幸生と俺もいたら、ジェイミーにだって勝てたかもしれない。惜しかったな、本橋」
「いいんだよ、負けても悔いはないと思ったんだから。勝てないまでも負けなかった。俺はそれで満足だ」
「ほお、らしくないね」
 乾はにやっとし、幸生が言った。
「俺は一対一でジェイミーと勝負したかったな。俺のほうが負けなかったかもしれない。俺も美江子さんや章といっしょに行けばよかったよ。章を探してたんだけど、あんなにでかいホールだもん。会えなかったんだよね。シゲさんはどうでした、グラブダブドリブは」
「よかったよ」
「乾さんは?」
「俺はロックには疎いと常々言ってるけど、ロックには疎い俺でさえも、ロックバンドも道をきわめるとここまで到達するんだな、って感動しながら聴いてた。ミエちゃんはどうだった?」
「最高だったよ。本橋くんまで感動の面持ちになってたし、章くんには訊くまでもないかな」
「俺はどこか落胆してましたよ」
 同じジャンルの音楽をやっているのでなくてよかったかもしれない、とまで思わせるのだから、グラブダブドリブは次元も世界も他のバンドとは一線を画しているのだろう。俺もロックに疎いのは乾以下かもしれないのだが、つくづくしみじみそう感じていた。
「おまえもジェイミーと歌の勝負、してみたかった?」
 幸生が問いかけたのはファイで、ファイは曖昧に首を振った。
「本橋さんたちはグラブダブドリブグラブダブドリブばっか言って、俺たちはどうだった?」
「私たちはどうだった?」
 エミーとミズキに迫られて、なんと答えるべきかと考えていると、章が言った。
「おまえら、運がよくなかったね。グラブダブドリブが出てきた時点で、その前のバンドなんかみーんな霞んで、忘却の彼方へと消えちまったよ。格がちがいすぎだ」
 昨日はグラブダブドリブとの対面、その後のジェイミーとの歌合戦とで、俺も他のバンドへの意識は消え果ていた。今日は燦劇のメンバーとミズキが俺たちのスタジオにやってきているのだが、話題がどうしてもグラブダブドリブに終始してしまう。エターナルスノウの面々と我々とは個人的な会話をしていないので、やってくるのはミズキただひとり。ミズキはプライベートでは、自分の所属するバンドよりも燦劇と親しくしているらしい。
 燦劇もミズキもこころなしか元気なく見えるのは、彼らこそグラブダブドリブと同じ土俵に立つミュージシャンだからだろうか。同じといっても格差がありすぎる。それが彼らにも理解できているのだろう。
「俺たちは新人だもんね。これからだよ。これからがんばろ」
 結論づけるようにパールが言い、エミーとファイはうなずいてからなにやら耳打ちし合い、エミーが言った。
「ミズキちゃん、大事な話があるんだ。ファイとミズキちゃんと俺の三人で話したい。いい?」
「いいけど……ココはどうすんの?」
「あの子はどうでもいいんだよ。行こう」
 いつまでじらすんだ、どちらを選ぶかはっきりしてくれ、とでも、膝詰め談判をするつもりだろう。ファイもエミーもしっかりやれよ、と幾度目かのエールを送って、出ていく三人を見ていたら、幸生が言った。
「若いもんは若いもん同士でって……俺はお見合いの仲人さんか。いやいや、それはそうと、みなさん、例の詩は書けました? シゲさんの提案による、あんなにそんなにこんなに」
「どんなに、もあるぞ」
歌は書かないと言い張っているシゲが言い、パールもルビーもトビーもなになに? と問いかける。幸生が説明した。
「なにがどうなってシゲさんの頭に浮かんだのかは謎なんだけど、あんなにこんなにどんなにそんなに。日本語にはよく出てくるフレーズじゃん。どんなに好きと感じてみても、こんなにあなたを求めてみても、あんなに夢中で口説いてみても、そんなにあなたはつめたいの。おまえらも経験あるだろ? そのフレーズを使った詞を書くんだよ。トビーもルビーもパールもやってみるか。章、完成した?」
「してない。意外にむずかしいんだよな。乾さんは?」
「考えてはいるんだけど、まとまりにくいんだ。本橋は?」
「こんなのはどうだ?」
 メロディをつけて歌ってみた。

「そんなに俺はもてないのか
 あんなに幾度も恋をしたのに
 こんなに愛してると叫んでみても
 どんなにもどかしさを覚えてみても

 だーれもうなずいてくれなかった
 だーれも俺と恋をしてくれなかった

 そんなにもてないっていうんだったら
 あんなにふられてばかりだったら
 こんなに胸を痛ませても
 どんなに嘆いてもはじまらない

 恋なんか二度としないさ
 恋なんかなくったって
 俺は俺で生きていく
 それが俺の人生さ

 そんなに決意してみても
 あんなに強がり言ってみても
 こんなに心に風が吹く
 どんなにつらい人生でも

 そうさ、これが俺の人生
 あれも俺の人生
 これが俺の人生
 どれも俺の人生」

 やけっぱちソングじゃん、と幸生が笑い、シゲは言った。
「主役は俺ですか」
「なに言ってるんだ。おまえは最愛のひとにもてたから結婚したんだろ。独身男から見たら、おまえは究極にもてたんだよ」
「リーダーもやっぱ、けっこう弁は立つんですよね。提案はシゲさんなんだから、本橋真次郎、本庄繁之作詞でレコーディングしません? コミックソングタッチってのもたまにはいいですよ。シリアスに愛を語るラヴソング群にまぎれ込ませた、男の本音っての? リードは乾さんがいいな」
「俺?」
「乾さんはかっこつけたかっこいい歌が多いから、ずっこけて下さい。ステージではうらぶれた男の風情を漂わせて、歌いながら何度も哀愁の吐息をつく。うん、いいいい。やりましょう」
 最終的にはさらに練る必要があるのだが、新曲がひとつ完成したと考えてもいいだろう。幸生が仕切ってそういうことになり、乾も歌った。うらぶれたもてない男の歌。乾がそんな歌を歌うと意外性があっていいかもしれない。芝居っけにかけては乾も幸生に張るのだから、哀愁ムードたっぷりもきっちり演じていた。
「ファイに書かせよう」
「俺も書いてみようかな」
「フォレストシンガーズとの競作か? 勝ち目ないぞ」
 惨劇の残り三人が言い合っている。山田はケータイで呼び出されて出ていき、男が八人残っていたのだが、ファイもエミーもミズキも戻ってはこない。幸生が歌いはじめた。

「あんなにふたりして口説いて
 こんなに競って言ってみた

 どっちを選ぶの、きみは?
 どっちが選ばれたって、恨みっこなしだよ

 どんなに仲のいい俺たちだって
 そんなにライバルになったなら

 選ばれたほうは選ばれてないほうを
 恨んでしまうよ、きっと

 だからなんだね
 きみは言った
 どっちも嫌いよ、つきまとわないで

 あんなに恋した心は
 こんなにはかなく砕けて散って

 残ったのは俺たちふたり 
 これで元通りの友達だね

 どんなに慰め合ってみても
 そんなに嬉しくもない

 嬉しいどころかむかつくぞっ
 おまえのせいだおまえのせいだ
 あげくは俺たちつかみ合い」

 どことなくなにかの盗作じみてるけど、おー、できたじゃん、ファイとエミーの心境ね、と幸生はけらけら笑った。
「これ、燦劇にあげるよ。作詞三沢幸生、補作詞はファイがやったらいいんじゃないか。ちゃんと俺の名前を出せよ。無断で使ったら著作権侵害で訴えるからな。一筆書け」
「そんな歌、俺たちのイメージじゃねえよ」
 トビーが言い、ルビーも言った。
「俺たちはラヴソングってあんまり歌わないし……ラヴソングでもないか」
「そういう歌は遠慮します」
 パールも言い、幸生はパールをまっこうから見据えた。
「ひとつのイメージにこだわってると、世界が狭くなるんだよ。な、章?」
「俺は関係ねえだろ」
「関係なかったっけっけっけー。けどさ、俺たちだってシリアスなラヴソングが多いけど、時には乾さんの書く無頼っぽい歌だとか、リーダーが創り上げた今みたいなもてない男の歌だとか、ふられ少年の哀歌だとか、だらしなーい奴の嘆きだとか、男の本音だとか、ごくごく稀には女心を歌うだとか、いろいろと試行錯誤してるんだよ。そうやって世界を広げていくの。きみたちも見習いなさい」
「俺らはロックバンドだから」
 ビジュアル系だもんな、と章が、言ったパールの顔を見た。
「ビジュアル系ってのはそれでひとつの世界なんだ。広がらなくていいんだよ」
「木村さん、俺たちを軽視してる」
「してるよ。当然だろ」
 ここにファイやエミーがいれば、なんだとぉ、と気色ばむところだろう。パール、トビー、ルピーは気性が荒くはないようで、章につっかかったりはしなかった。
「ハードロックこそがロックなんだ。プログレもシンフォニックロックもニューロマンティックも、グラムもニューウェーブも、ヘヴィメタルもポップロックもサイケデリックもガレージもスカもブルースロックも、ユーロもロックンロールもロカビリーも、デスメタルだって俺は嫌いじゃない」
 そんなにもロックには種類があるのか。どれも聞いたことはあるが、俺には章ほどずらずら並べられない。章のロック含蓄は幸生のシャレ含蓄と張り合うのであるらしい。
「他にもあるけど……」
「まだあるのか。どこがどうちがうんだ」
「話しはじめると時間がいくらあっても足りませんから、リーダーはちょっと引っ込んでて下さい」
「わかった」
 あとから説明を聞こうと決めて黙ると、章は言った。
「すべてのジャンルのロックは俺はそれなりに好きだけど、ビジュアルとパンクスは嫌いなんだよ。ハードコアパンクの連中なんか大嫌いだ」
「章さぁ、それってジャンルが嫌いっていうより、ビジュアルとパンクスの人間が嫌いなんだろ」
 幸生が口を入れた。
「なんかされたんだろ? モヒカンかスキンヘッドのパンクスに女の子を奪われたとか、カラコン入れたビジュアルロッカーに殴られたとか?」
「ちがう。純粋に音楽について言ってるんだ」
「そっかなぁ。まあいいけどね」
「いいんだったらおまえは黙ってろ」
「んで、なにが言いたいの?」
「おまえは黙ってろって言っただろ」
 反論をこころみようとしたのは、トビーだった。
「グラムってデビッド・ボウイやT・レックスだろ。ビジュアルに近いんじゃないの」
「近いといえば近いけど、おまえらは先駆者の真似っこじゃねえか。アルファベットのZIGGYがビジュアル系の走りだといわれてるけど、音楽はバッドボーイロックとか言って、おまえらみたいのじゃなかったよ。レッドウォリアーズとかってのもいたな。紫っていう日本ロックの創始者みたいのもいて……こんな話になるととめどもなくなる。とにかく、俺はおまえらの音楽は嫌いだ。趣味にケチをつけられるいわれはない」
 つまり結論は、と乾が言った。
「章のロック世界の最高峰はグラブダブドリブだな」
「乾さん、その通りかも」
「それが言いたかったのか。うん、結論には俺も賛成だな」
 俺が言うと、乾、幸生、シゲの順に応じた。
「俺もだ」
「俺もだなぁ」
「俺もですよ」
 フォレストシンガーズ五人の意見は一致し、燦劇の三人は黙りこくった。
「グラブダブドリブも先駆者じゃないし、俺たちのジギーだって真似っこだよ。誰かの真似からはじめるのが現在の音楽だよな。フォレストシンガーズにしたって、男ばっかりのコーラスグループはよくある。だから、だからだから……とにかく……」
「はいはい、章はビジュアルとパンクスは嫌いね。いいじゃん、嫌われるってのは無視されるよりはいいんだよ」 
 女の子にも? と幸生にルビーが問い返し、さあ、それはどうだろ、と幸生は悩んでいる。乾が言った。
「おまえたちはもてるんだろうけど、もてない男の歌を八人で歌おうか。そんなにあんなにこんなにどんなに。リーダー、タイトルは決定?」
「あいうえお順で、あんなにこんなにそんなにどんなに、にしよう」
 乾も言い、俺はうなずいた。
「詞も曲も練り直すけど、タイトルはそれで行こう。人目を引きそうだ」
「おーしっ、八人の合唱団、行くよっ!」
 音頭を取る幸生に合わせて、五人で歌った。惨劇の三人は俄かには歌詞を覚えられない様子だったが、二度目になるととぎれとぎれについてきた。おまえたちはロック、俺たちはロックじゃないけど、すっげえ目標があるんだよな。章の中では最高峰たるグラブダブドリブの頂上を仰ぎ見て、せっせと登っていこうぜ。
 ファイもエミーもふられたのかもしれないけど、ふられたごときでめげてどうする。俺なんか何度女にふられたか。ふられてもがんばれよ、と俺は、歌いつつファイとエミーにまたまたエールを送っていた。

E N D

 

 
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