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小説56(あんなにこんなにそんなにどんなに)前編

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フォレストシンガーズストーリィ・56


 「あんなにこんなにそんなにどんなに」前編

1

 このところ妙にロッカーと縁がある。章が呼び寄せるってわけでもあるまいが、俺たちがデビューしたころに同じくデビューして、馬鹿馬鹿しいいやがらせをやったジャパンダックスがはじまりだった。
 あれから四年、ジャパンダックスは解散して事務所からもいなくなり、後輩に当たるミュージシャンが続々とデビューしている。俺たちフォレストシンガーズが所属しているオフィス・ヤマザキからも、ロックバンドがデビューした。その名は燦劇。ビジュアル系ロックバンドという存在を知らなかったのではないが、目の当たりにすると驚いた。
 それからエターナルスノウ、燦劇のギタリストであるエメラルド、愛称エミー、エメラルドからしてもちろんニックネームではあるのだが、女でもないのにエミーと呼ばれている、本名を知らない男の昔なじみがいるということで、燦劇とは親しいバンドだ。燦劇はビジュアル系で、エターナルスノウはなんと名づけるロックなのだろう。不思議な音を出すバンドだ。
「クラシックテイストなんじゃありません?」
 ビジュアルとパンクスは嫌いだ、と公言している章が、エターナルスノウのCDを聴いたと話した。
「ロックではあまり使わないたぐいの楽器を使ってる。基本的にロックは、ギター、ベース、ドラム、ですよね。サックス、トランペット、ピアノ、シンセサイザー、ヴァイオリンなんかも使う。フルートやハープ、トロンボーン、ウクレレ、マンダリン、その他の管楽器や弦楽器も時には使う。エターナルスノウはメンバーの人数も多いし、ホルンやヴィオラを使ったりして、クラシックっぽい音を聴かせるでしょ。クラシックをやってた奴らなんじゃありませんか」
 小学生のころに俺は、ピアノのレッスンをはじめた。もとはクラシックだ。いつしかポピュラー音楽にかたむいていったのだが、フォレストシンガーズの中ではクラシックには詳しいほうだろう。章はロックフリークだが、楽器の知識は持っている。俺もロックは嫌いではないのだが、なんたってロッカーって人種には奇態な奴が多いので、できれば章以外のロッカーとはなるぺく関わりたくなかったのだ。
 いっとう最初に関わってしまったプロのロックバンドがジャパンダックスだという、経験もよくなかった。はじめのころのジャパンダックスよりは燦劇はつきあいやすいとわかるようになっていたが、エターナルスノウはいかがなものだろうか。
 燦劇の面々が我々のスタジオに連れてきた、エターナルスノウのヴォーカリスト、ミズキとの出会いが彼らとの関わりの発端だった。十七歳だと聞くミズキは、男が目の色を変えるのも無理はない美少女ではあるのだが、俺から見たらガキすぎる。十歳以上も年下だ。
 花をも欺く美少女なのはまちがいないが、ミズキはとんでもない口もきく。生半可な生意気少女である。燦劇の面々に章や幸生、シゲまでが加わってうっとり見とれていたが、彼女の正体はいくぶん暴露されて、ミズキをめぐる争奪戦は、燦劇のヴォーカリストのサファイア、愛称ファイとエミーの間に限られたのであるらしい。
 ビジュアルロックはともかく、クラシックテイストロックとなると俺も興味が出てきて、近いうちにはエターナルスノウのライヴを聴きたいと考えた。ミズキの歌も生で聴きたい。
「すると、ヴォーカルも一種の楽器扱いなんだな。綺麗な女の子のソプラノが、さまざまな楽器の音色に融和して不思議な音をかもし出してる」
「そんな感じですね。そうそう、リーダー、徳永渉さんって知ってます?」
「徳永? 合唱部にいた徳永だったら知ってる」
「その徳永さんでしょ。俺も聞いたことのある名前なんですけど、エターナルスノウは徳永さんと事務所が同じなんだそうですよ。燦劇の奴らが言ってました」
 もちろん俺も徳永はよくよく知っている。当時はなぜだかは知らなかったのだが、奴は学生時代から俺を敵視していた。徳永は山田に恋をしていて、俺が山田とつきあっていると一人合点して俺を敵視していたらしいとあとから聞いた。俺を殴りたいと言って挑戦してきて、手ごたえもなくあっけなくも俺に負けたのを、奴は長くひきずっていた。
 その後に徳永は山田につきあってほしいと懇願し、そちらもあっけなくもふられたらしい。あのころの山田には引きもきらず男からの告白があったようで、なのに全部をふってしまって、いい気なもんだと言えなくもないような……いいんだけどな、山田が誰をふろうが、誰と恋をしようが、俺には関係ないのだから。
「徳永さんはデビューは遅かったけど、今では俺たちよりちょっと売れてますよね。徳永さんはジャージーブルースシンガーってとこ? リーダーや乾さんや美江子さんと同い年でしょ。俺はそんなによく知らないけど、歌は上手なんですよね。そりゃそうか。顔もよく覚えてないんだけど……どんな顔でした?」
「俺のほうがずーっといい男だ」
「はあ、リーダーのほうが顔は上? ったら……そっか」
「章、なにが言いたいんだ」
「いえいえ、この目で見てから判断します」
 徳永がどうしたわけでもなく、噂を聞いて俺に確認したにすぎないのだろう。徳永はたしかに俺たちよりは人気があるようだが、それにしたってほとんどテレビにも出ない。テレビに出ないと世間的知名度は高まりにくい。章がプライベートで聴く音楽はロックロックなのだから、シンガーの徳永渉をよく知らないのはうなずける。
「俺は徳永のアルバムを持ってる。聴かせてやろうか」
「アルバムって写真も載ってるんですよね。リーダーより落ちる顔ってどんなのだろ」
「章、音楽は……」
「顔でやるもんじゃない。はい、わかってます」
 先に言われてしまって、章を連れてアパートに帰った。シゲは結婚して新婚家庭をかまえ、乾も引っ越したが、章と幸生と俺は学生時代のアパートにそのまま暮らしている。とりたてて不便もないし、狭い部屋のほうが掃除が楽だ。酒とつまみを買って帰ると、章に徳永渉のCDアルバムを手渡した。
「顔ってのは趣味もあるし……って美江子さんも言ってたな。CDの写真は小さいからわかりづらいけど、この顔……こんなひと、合唱部にいたんですね。俺は先輩なんかどうでもよかったからはっきり覚えてないな」
「徳永とは会ったじゃないか」
「え? いつ?」
「宮崎でだ。二年前だ。金子将一さんとも会っただろ。あのときに徳永もいたよ」
「そうでした? ええとええと……金子さんは知ってるけど……」
 そういえば俺も失念していた。金子さんは俺たちよりだいぶ売れているので知名度もある程度は高い。たまには会う機会もある。徳永とはまず会わない。機会を作ってまで会いたくもない。したがって徳永は平素は忘れているのだが、金子さんつながりで思い出した。
「金子さんは知ってますよ。会ったのも覚えてるような……地方での仕事っていっぱいあったからごっちゃになってますよ。まあいいや。男だもんね。そうだそうだ。それより、CDかけていいですか」
「ああ」
 男だからどうでもいい、忘れたってかまわない、だが、徳永の歌には関心がある。自然な感情であろう。ピアノのイントロに続いて徳永のハスキーヴォイスが聞こえてきた。
 流行り歌にはなりにくい、地味な歌だろう。低く囁く苦い恋の歌だ。同年ゆえのライバル心やら、ゆえもない反発心やらで、徳永と俺は敵対していた。表立って殴り合ったのは一度きりで、大学生のころは知らん顔をしている場合が多かった。内心では意識し合っていたくせに、知らんぷりをしていた。
 宮崎で再会した際にも、たいした話はしなかった。シゲの結婚式には同窓生も招待されていたのだが、金子さんも徳永も来ていなかった。金子さんには会ったし、みんなで徳永の噂もしていたのだが、章には関心もなかったのだろう。徳永とは二年間会っていない。あのころよりは大人になった俺たちは、会えばわだかまりなく話せるだろうか。山田にふられた徳永は、新しい恋を見つけただろうか。
「くー、しみるなぁ。俺はロックばっか聴いてるけど、こういう大人の男の歌も悪くない。いい声ですね。俺はハスキーヴォイスって憧れるんですよ。シゲさんみたいな渋い声も、リーダーみたいな大人の声もいいけど、徳永さんの声は男心にもしみますね。女のひとだったらセクシーだって言いそう」
「セクシーな男は気持ち悪い」
「リーダーは男だからですよ。俺も男だけど、徳永さんの声は聴いててしみる。セクシーな女は好きでしょ? ああ、そっか。リーダーと乾さんがミズキちゃんには興味なさげだったのは、彼女はセクシーってタイプじゃないからか」
「俺は色気過多の女も気持ち悪いよ」
 微塵も色気のない女も困りものだけど……と考えて、徳永の歌を聴きながら思い出していた。俺にも苦い恋の追憶はある。思い出せばなくした恋ぱかりがころがっている。
 幸生や章は小型目の女が好みで、乾もどうやら女の趣味は幸生や章と似通っているらしい。乾は大人の女がいいとほざくのだが、小柄な大人の女がいいのだろうか。ひとまず乾の趣味は脇にどけておくとして、先ごろ妻となった川上恭子さんと出会う前に、シゲは言っていた。
「アスリートですか。テニス選手ねぇ。でかい女なんじゃありません? タイプじゃないなぁ」
「なに言ってんだ。仕事相手にタイプもなにもねえだろ。仕事だ、仕事」
 はい、とシゲは答えたが、仕事だからしようがないか、とぶつくさ言っていた。その恭子さんと現在のシゲは夫婦なのであるのだから、なにがどうなってそうなるのか、男と女とは不思議なものである。恭子さんにしても大柄ではない。小柄というほどでもなく、細くもないがでかくもない。
 小柄な女が好きなのは、幸生と章の場合はてめえも小さいから、であろうが、乾はなぜだろう? 乾は小柄な女でないと食指をそそられないのではなく、奴が長身美女とつきあっていた時期があるのを俺は知っているのだが、それはまた別の話だ。ひるがえって考えるに、俺は女の背丈にはなんのこだわりもない。背の高いのともちっちゃいのともつきあってきた。さすがに俺以上にでかいのは遠慮したいのだが……とまあ、それも別の話だ。
 何度も恋はしたつもりだが、シゲのように成就したものはひとつもない。
 章とふたりで俺の部屋にいるからといって、酒の勢いで話す気にもならない。ひとりで思い出して苦く笑っていればいい。失恋なんてのはそうやって忘れていくものさ、な、徳永、と俺は、歌っている徳永に無言で語りかけたつもりでいた。
 「本橋くん、私がついてるよ」
 徳永のハスキーヴォイスなんぞは胸にしみないが、幾度も幾度もそう言った、山田の微笑はほんの少々、俺の胸にしみた。


 デビュー直後のオフィス・ヤマザキ主催ライヴ、杉内ニーナさんを筆頭に、ジャパンダックスもフォレストシンガーズも出演した。俺たちにとっては初の本格的ステージだった。よその事務所もそのようなライヴをやるもので、エターナルスノウと徳永渉が所属するヴァン音楽事務所が、「Are you ready?」と銘打ったライヴを行うとの情報が入ってきた。
 うちの事務所もソウル、ロック、コーラスグループ、と雑多なジャンルのミュージシャンを抱えているが、売れているのはニーナさんのみと言っていい。ニーナさんにしても街を歩いていてファンの方に目ざとく発見されて騒がれるスターでもないのだが、オフィス・ヤマザキの看板ミュージシャンではあるのだ。
 ヴァン音楽事務所にもロックやらブルースやらのミュージシャンが所属している。ここの看板スターは徳永か。徳永ではないだろうが、他には思いつかない。とすると、たいしたミュージシャンはいないのだ。いずこも同じ秋の夕暮れ、乾だったらそう言いそうだな、と考えて、俺は乾を誘った。
「徳永か。エターナルスノウの演奏も聴きたいな。行こう」
 とりあえず今回は乾とふたりで敵情視察だと決めて、後輩たちに声はかけずにライヴに出かけた。先に用事をすませてから行くよ、と乾は言い、俺がライヴ会場に向かっていると、うしろから声をかけられた。
「本橋くん、お出かけ? ひとり?」
「ニーナさん、旅行から帰られたんですか」
「そうよ。楽しかったわ。本橋くんもヴァンさんのライヴに行くの? 私も行こうとしてたところ。まだ時間はあるから、お茶を飲みましょうよ」
 先だっては章も幸生もシゲもニーナさんにおつきあいをしている。乾はその前にニーナさんとなにやらあったらしいのだが、四人の話が食い違っていて真相がつかめない。そこをつきとめたいのもあって、俺はニーナさんのお供をした。
「ニーナさんは勉強熱心でいらっしゃるから、ほうぼうのライヴに行かれるんですね」
「勉強っていうより若者の風俗を知るだとか、現今の音楽シーンを知るだとか、そっちの興味よ。私もこんな仕事をしてるんだから、時代遅れの化石になりたくないもの」
「それを勉強熱心と呼ぶのではありませんか」
「そうかしらね。本橋くんはエターナルスノウがお目当て? ミズキちゃんって言ったかしら。ヴォーカルの女の子、浮世離れした美人じゃないの。羽根が生えてふわふわ空を飛んでるみたいな?」
「見た目はそうでしょうけど、中身はあれでなかなか……」
「そうなの?」
 ミズキが我々の前にはじめてあらわれたあの日に、ニーナさんもスタジオに来た。ミズキとファイが出ていったあとだったので、ニーナさんはそのふたりには会っていない。シゲはよけいな口をきかないであろうから、なにかとあったいきさつは知らないのだろう。俺も話さないことにした。
「あの日、来てたのよね」
「来てましたけど、あれから会ってません。若い奴らは好きにしてくれー、ってのか……」
「本庄くんもそんなふうに言ってたけど、あなたたちだって若いじゃないの」
「はい、若いです。ニーナさんも若いですよね」
「心は若いわよ。本橋くんって案外如才ないのね」
「乾ほどではありません」 
 その名が出たついでに、真相をつきとめようとこころみた。
「乾がニーナさんの千葉でのライヴにお邪魔したという話は、シゲからも章からも幸生からも聞きました。幸生の話はあいつのちゃらっぽこのようですが、シゲと章の話が食い違ってます。肝心の乾は、すべては遠くすべては近い、だとか言って話さない。俺にも話していただけませんか。同じ話を三度……二度……いや、同じ話なのかどうかも……おいやでしょうか」
「あの話……いいわよ。時間は大丈夫よね」
 煙草を取り出したニーナさんに火を差し出すと、ありがと、と言ってニーナさんは話しはじめた。
 千葉での杉内ニーナライヴの会場控え室に、乾が大きな花束を持って訪ねてきた。導入部はシゲの話と同じだ。章から聞いたのも、花束は省かれていたが、同じだ。ファンの中年男性たちが、ホールの外で話していたニーナさんと乾のいる場所に迷い込んできた。そこまでは似通っているのだが、そこから章とシゲの話がずれていく。幸生の話はあいつの妄想なのでほうっておいていいとして、今回はどちらの話しになるのだろうか。
「外で乾くんと話してたの。乾くんってもてるんだろうね、かっこいいもんね、ニーナさんこそ、恋愛遍歴はさぞかし……だなんて、乾くんはお世辞を言ってくれたわ」
 ふたりの会話の内容も、章から聞いたのとはずれている。幸生は先走りすぎるのでニーナさんも調子が狂ったのだとして、会話はいくつもあったのだろう。お喋りにかけてはニーナさんも乾も拮抗しているので、話題があちこちに広がったのだというわけだ。納得できる。
「昔の恋の打ち明けっこをしているうちに、なんとなくもやもやしてきちゃってね、私は乾くんってタイプだわ、だけど、乾くんは私みたいなおばさんに好きになられても困るわよね、って……そんな話になったの」
「ファンの方は?」
「ファンの方? なに、それ?」
「いえ、続けて下さい」
 切なげな吐息まじりに、ニーナさんは話した。
「乾くんは優しいのよね。こんなおばさんに真面目につきあってくれて……」
 青空のもとでニーナさんと乾は、いつしか見つめ合っていた。ニーナさんはぽつんと言ったのだそうだ。
「乾くんの恋人がうらやましい。あなたはどうやって彼女に恋を囁くの?」
「あなたのその美しいお手に口づけたい」
「手なんか駄目よ。キスはくちびるとくちびるを合わせるものだわ」
「こうですか」
「駄目。乾くん、私はこんなに……あなたの倍近くも年上なのに……」
「愛に年齢は無関係です。ニーナさん、俺はあなたとならば、非難も中傷も誹謗も罵言もこの身ひとつで受け止めてみせます。この細腕であなたを守り抜きたい。ニーナさん、俺と……」
「やーね、冗談よぉ」
「冗談ではありません。俺の目を見て下さい」
 そのとき、一天にわかにかき曇り、青空に雲のベールがかかってふたりを薄闇が包んだ。空を切り裂くどしゃ降りの雨の中……伸びてきた乾の腕の中に、ニーナさんはその全身をあずけた。
「……なんて素敵なひとときなんでしょう。夢ならば醒めないで。ああ、乾くん、いいえ、隆也さん、私はあなたの……」
「ニーナさんは演技派でいらっしゃいますね。幸生がやってるのより数倍素晴らしい。しかししかし、しかししかし……」
「しかししかし? 嘘だとでも言いたいの?」
「嘘だとは申しませんが、ずれにずれて異次元空間に飛び去ってませんか」
「なにがずれてるのよ」
「シゲと幸生と章の話には、共通点もありました。どこかで枝分かれはしたものの、まるで別次元の話ではありませんでしたよ。今の話はちがいすぎます」
「これが真相よ」
 嘘だ、と言うわけにいかないので、俺は黙った。
「せっかく浸ってたのに、本橋くんが口出しするから酔い心地が醒めちゃったわ。中年女のエロティックファンタジーよ」
「ファンタジーですか」
「なんとかロマンスの世界みたい。そんな世界に連れていってくれた乾くんなのよ」
「幻想の中で?」
「現実ででよ。あなたって野暮ね。そろそろ時間だわ。行きましょ」
 よりいっそう真相が不明になった。ニーナさんは俺にも章と同じにからかう手に出たのだというのが妥当な線だと思うのだが、フィクションだかファンタジーだかがまじっているのだとしても、あの乾なら近いことがあってもおかしくはないような、乾ならば言いそうな台詞……悩みつつカフェを出て、ライヴ会場に到着した。ニーナさんは事務所の誰かに挨拶に行くと言って別行動になり、ホールの外で空を見上げて悩んでいた。
 あの青空がかき曇り、唐突に振り出した雨の中、乾とニーナさんの抱擁シーンか。遠目で見たら絵にならなくもない。大雨から女をかばって抱きしめる乾の背中が、霞む景色の中に見え隠れする。
「待っててくれたのか」
 のんびりした乾の声がして、俺は視線を移した。
「おまえなぁ、正直に言え」
「なんだよ、やぶからぼうに。俺がなにをしたんだ」
「恋人のいる女性を横合いから……」
「人聞きの悪い……誰の話だ」
「そうだな。恋人がいるんだよな、彼女には。おまえは遊ばれたんだな。からかわれたのはおまえだな。よしよし、そんならいい。男は遊ばれたって被害もない」
「なにを言ってるんだよ、本橋、はっきり言え」
 いつもは俺が、乾、はっきり言え、と詰る立場である。今日はさかさまになって、なんの話だ、と俺を難詰する乾を適当にごまかすのは気分爽快だった。
「恋人のいる女性? ニーナさんか」
「察しが早すぎる」
「ニーナさんに会ったのか。またしても別の話を聞かされて、本橋真次郎の頭脳がカオスと化した。混迷混濁をきわめるきみの頭中に渦巻く妄想はいかに?」
「妄想なんかしてねえよ。幸生じゃあるまいし。おい、乾、どれが本当の話だ」
「さあねぇ。カオスはカオスのまま、みんながあれこれ妄想をしているのを、俺は傍観しているとしよう」
「すかしてんじゃねえってんだよ。他人ごとみたいな面しやがって」
「おまえがなにを怒ってる? 天地神明に誓って、俺はやましい行為はしていない」
 言われなくてもそうだろうとは思う。ニーナさんの話は、それこそ妄想なのだかファンタジーなのだかロマンス小説なのだか、そのようなたぐいなのだとも思う。にしたって、おまえだったらあれくらいの台詞は言ってのけそうだからな、とも思うのだから、乾が悪いのだ。日頃の言動が俺に邪推させるのだ。
「徳永に会っていくか」
 するりと話題を変えた乾にうなずいて、俺も頭を切り替えた。
  

2

 なんだ、本橋? 乾? と徳永は俺たちを刺々しい目つきで眺め、なにしに来たんだ、とつっかかってきた。そう出られると俺はこう出たくなって、言い返した。
「おまえも二十八になったんだろ。ちっとは大人になったかと思ったら、まるで成長してないんだな。なんだ、その態度は。それが二年ぶりに会う旧友に……」
「誰が旧友だ。俺はおまえなんか友達だと思ってない」
「俺も思ってねえよ。言い間違えた。二年ぶりに会う仇敵への態度だな。そんならうなずけるよ」
「俺はおまえになんか会いたくもないよ」
「俺も会いたくなかったんだよ。乾、帰ろう。こいつの面を見てると胸糞が悪くなってくる」
 にやにやと徳永と俺を見て、乾は言った。
「本橋の場合はむかつくって言葉を下品に表現するんだな。やあ、徳永、久し振り」
「俺はおまえにも別に会いたくなんか……」
「俺には別にをつけてくれるのか。ありがとう、徳永、俺はおまえに会いたかったよ。だから、渋る本橋を無理やり引っ張ってきたんだ。なつかしいね。なかなかの活躍のようじゃないか」
「なかなか……?」
「大活躍と言い換えようか」
 うるせえんだよ、と吐き捨てた徳永の口調も、学生時代となんら変わりはなかった。
 二年前には徳永はプロシンガーとしてデビューしていなかった。歌を専門にしてはいたのだが、個人的にCDを出す段階にはたどりついていなかった。どんなきっかけがあったのかは知らないが、一年ばかり前に彼もデビューしたのだ。二十七歳とは遅咲きの部類だろう。
 彼のデビューを祝う会、というものが催されて、幸生が出席した。発案者は金子さんだと聞いた。乾と俺は語り合い、そんな席で徳永と喧嘩になったらどうしようもないだろ、と決めて出席は見合わせた。そのあとで金子さんとは話したが、徳永とは互いを避けていたといってもいい。
 遅咲きといえば、俺たちはいまだ咲いてはいない。徳永のほうがフォレストシンガーズよりは売れている。というのが俺の態度にあらわれる、などと思われてはいっそう胸糞が悪いのだが、こんな奴に愛想よくしたくもない。乾に対しても徳永は昔から喧嘩腰ではあったのだが、乾はのらくら身をかわすのが得意であるので、正面から徳永に対したりはしない。今日もとんがっている徳永に、昔通りに対処していた。
「俺は前々から考えてたよ。おまえをうちに誘ったこともあったけど、あのころから思ってた。徳永のその声は、ソロとして歌うほうが合ってる。ブルースシンガーになったんだね。ぴったりだよ」
「あ、ああ、まあ、そりゃ……」
「おまえのその、男の色気が漂うハスキーヴォイスで歌うこの歌」
 胸糞が悪いと言いながら、俺も徳永の歌は知っている。彼のファーストアルバムを買って章にも聴かせた。徳永の歌がよいものであるのは認めざるを得まい。口にはしたくもないのだが、乾は徳永の歌のワンフレーズを口ずさみ、絶賛の手に出た。
「いいねぇ。徳永の声にはまたとなく似合う。俺の声ではおまえのようには歌えないよ。おまえは正統派ジャズやブルースをソロで歌うために生まれてきた男なんだ。おまえの歌を聴いてるとよくわかる」
「……乾、なにかたくらんでるのか?」
「おまえのそのひねくれた根性は直ってねえんだな」
 黙っていようと決めたのに、ついつい口をはさむと、徳永は俺を見返した。
「もう一度おもてに出て殴り合いってのか、俺がおまえを殴るだけになりそうだけど、やってもいいんだぜ。その根性を叩き直してやりたいよ」
「……俺は仕事前だ」
「ああ、わかってる。俺はおまえとちがって成長したから、学生時代のような幼稚な真似はやらないよ。仕事前のおまえの面をぶん殴るなんて真似はしたくない。乾、おまえにまかせる。ミズキちゃんには遠慮もしてたんだろうけど、徳永にはなんの遠慮もいらないから、完膚なきまでに言葉で叩きのめせ」
「はあ、台無し」
 なにが台無しなのか知らないが、乾は肩をすくめ、徳永が言った。
「ミズキってエターナルスノウのか。知り合いか」
「そうだ。乾と俺がライヴに来たのは、エターナルスノウを生で聴きたいからだよ。おまえはついでだ」
「ついででなんか来るな」
「ついででだって来てやったのに、なんなんだ、おまえのその態度は……」
「おまえのどこが成長してるんだ。昔と同じじゃないか」
「おまえよりゃましだよ」
 いい加減にしろ、と乾が荒い声を出した。
「まったくどっちもどっちだよ。どっちも全然成長も進歩もしてない。俺はむしろ嬉しいかもな」
「嬉しい?」
 嬉しくもなく徳永の声と俺の声がハモり、乾は声のトーンを変えた。
「学生時代に戻った気分になるじゃないか。おまえたちがそうやって角つき合わせてるのを見てると、俺も十代に戻ったみたいだ。俺たちは合唱部の部室にいて、星さんや金子さんや高倉さんもどこかにいるような気がするよ。女子部のほうから華やかな笑い声が聞こえてくる。あの声は誰だろ。ミエちゃんの声も聞こえる……」
「山田さんは元気か」
 よそ見をしながらの徳永が問いかけ、乾は白々しくも答えた。
「元気だよ。二十代も後半になって、生来の美貌に磨きがかかってえもいわれぬ魅力的な女性に花開いて、そりゃあもてるよな。いくつものプロポーズを蹴飛ばして、私は仕事に生きるのよ、ってね、そういうところがまた危ういまでに美しくて……」
「おまえは誰の話をしてるんだ。誰が美貌だ。いくつものプロポーズ? 山田はシゲの結婚式で、この年になってもプロポーズはされたことがないと言ってたじゃないか。あいつにプロポーズしたのは幸生が最初で最後だろ」
「幸生って三沢か。三沢と山田さんが結婚するのか」
 あれはただのジョークだ、あいつらがいっつもやってるジョークだ、と言う前に、徳永は歯軋りしそうな勢いで言った。
「なんと趣味の悪い……なんと、悪趣味きわまりない。山田さんが三沢を選んだ? 本橋、おまえがしっかりしないからだろ。三沢ごときに山田さんをさらわれていいのか」
「俺はいいんだけどな」
「……そうだった。そうだったんだよな。おまえはよくても俺はよくないよ」
「山田が幸生みたいなガキと結婚するわけはないだろうけど、なににしたっておまえとも絶対にしないんだから、そう肩を落とすな」
「……そうか。なにぃ? いや、たしかに……いや……しかし……」
「どうしようもねえ野郎だな、おまえは。まだあんな女に未練を持ってるのか」
「あんな女とはなんだっ!!」
 いい加減にしろよな、と再び乾が言った。
「幸生がミエちゃんにプロポーズしたってのは余興だよ。本橋、おまえも徳永を苛めるな。これ以上話してると本当に殴り合いが勃発する恐れがある。徳永、あとでな。本橋、行こう」
「殴り合いなんてものにはならない。俺もこんな手ごたえのない奴は殴らない」
「わかったから行こう」
 あとでもなにも、おまえたちの面なんぞ二度と見たくないっ!! の声を背に、乾が控え室のドアを閉めた。閉めた途端にぎろっと来た。
「仕事前のシンガーの気持ちを乱してどうする」
「その台詞、どこかで聞いたな。ニーナさんがシゲに話した、おまえがニーナさんのファンに向けて言った台詞か。俺が聞いた話にはファンの方ってのが出てこなかったんだけど、ニーナさんの嘘八百話の才能も、幸生やおまえに近いってわけか」
「後学のために聞きたい。ニーナさんはおまえにはなんと話したんだ?」
「おまえなら言いかねない台詞の連発だよ」
「それはどんな?」
「おまえにしか言えねえんだよ」
「俺が言ったと仮定すれば、おまえにも言えるだろ」
「言えねえよ」
 愛に年齢は無関係です。ニーナさん、俺はあなたとならば、非難も中傷も誹謗も罵言もこの身ひとつで受け止めてみせます。この細腕であなたを守り抜きたい、だったか。俺には殺されても言えない。死ぬまで言わない。死んでも言わない。仮定だとしても言えない。
「どれが真相なんだよ。頭がおかしくなって、幸生みたいになってきそうだ」
「俺がなにを言ったとニーナさんがおっしゃったのか、おまえが言わなかったら俺にも話しようがないだろ」
「ニーナさん、いたずらがすぎますよ。僕の心を惑わせないで下さい。そんな目で見つめられたら、僕はあなたを……うげっ、これ以上言えない」
「本橋、ニーナさんをおもちゃにして遊ぶな」
「おもちゃにできるようなひとか、ニーナさんが。こっちがおもちゃにされてるんだよ」
「おや……? おまえともなにか?」
「なんにもねえよ。馬鹿野郎。おもちゃってのは比喩だ。乾……てめえ、ごまかすなよ」
「ふむふむ、本橋もその程度は言えるんじゃないか」
 今しがた口走った台詞か。迂闊にも乗せられてしまった。俺だって作詞もするんだから、頭の中でなら愛の台詞のひとつやふたつ、こねくり回すのはできなくもない。だが、それを明瞭に言葉にする乾とは、俺は人間がちがうのだ。あまりにもちがうのだ。なんと言い返してやろうかと、またしても頭の中で台詞を考えていると、ドアのむこうから徳永が怒鳴った。
「おまえたちはそこでいつまで喋ってるんだっ!! とっととどこかに行っちまえ!!」
 怒鳴られて退散することにして、なにもかもが乾にうまく丸め込まれたような……と考えながら、客席へと向かった。


 インド楽器のシタールだとか、沖縄楽器の三線だとか、中国楽器の二胡だとか、コントラバスだとか……などなどと、章が幸生に話しているのは、先日、俺とかわしたロックやクラシックの楽器の話題の続きであろう。聞くともなく耳をかたむけていたら、幸生が茶々を入れた。
「コントラバスってでかいだろ。章が演奏しようとしたら、章が楽器に抱えられてる感じになりそう」
「てめえに言われたくねえんだよ。ちびは似たようなもんだろ」
「俺はおまえよりは背が高い」
「何センチだ?」
「百七十弱ってとこかな。章は百六十もないんだから、十センチ近くの差があるじゃん」
「嘘をつけ、嘘を」
「背が伸びたんだよ、俺」
「嘘だっ!! 背比べしよう」
「今さら背比べなんかしなくても……」
 まーたはじまった。このふたりは身長が話題になると牙を向き合う。身長に限らず、なにかといえば喧嘩をして、口論が取っ組み合いに発展する。放っておくと、幸生の口が全開になっていった。
「百七十弱あったらちびじゃないよ。かわいそうだね、ちっちゃい男って。章なんかは手も小さいから、ギターの弦に届かないんじゃないの? 複雑なコードは押さえられないだろ。だからギターが上達しないんだ」
「おまえの手も小さいだろうがよっ。手を合わせてみろ」
「やだー、気持ち悪い。なんでおまえと手をくっつけなくちゃいけないの。手が腐るよ。なに、章ちゃん? 俺と手を握り合いたい? そんな趣味があったんだ。やだわ、変態」
「変態に変態と言われたくない」
 ごごごーっ、と章のうちに燃えている怒りの炎が見える気がした。怒りやすいってことにかけては、章は俺と張る。幸生が相手だとなおさら炎がめらめら燃え盛るのだ。そこにやってきたシゲに、章が尋ねた。
「シゲさんの身長は?」
「百七十そこそこかな」
「ですよねぇ。そんなら幸生が百七十あるわけないんだ。シゲさんと較べたら一目瞭然だろ。おまえのほうがシゲさんよりずーっと低いよ。それに、言っとくけど、俺は百六十はあるんだからな」
「だから、俺は弱だって言ってるじゃん。章ほどの弱じゃないけど、俺はなんでもかんでもが弱なんだよね。あーあ、寂しい」
「なにを黄昏てるふりをしてるんだ。幸生、立て。三人で背比べしよう」
「惨めになるのはおまえだよ、章」
「おまえもだっ!!」
 アホらし、と呟いてシゲは嘆息し、乾が言った。
「身長なんかどうでもいい。顔もどうでもいい。リーダー、どうぞ」
「なにを? なんだって? ……えーと、音楽は顔でやるものでも背丈でやるものでもない、ってか。そんなの言うまでもないだろ。下らん」
「乾さんは何センチ?」
 まだこだわっているらしく、章が質問を乾に向けた。
「百七十と数センチってとこだな」
「リーダーは百八十あります?」
「八十にはわずかに足りないんじゃないかな。俺は本橋よりやや低い。七十七と七十九くらいか。七十すぎると身長も縮んでくるんだよな。八十が近づいてきて……はあ、腰が痛い。なぁ、本橋?」
「俺がしてるのは身長の話であって、年齢の話ではありませんっ!!」
 断固として言って、章は全員を眺め渡した。
「百七十以上あるひとたちは引っ込んでて下さい。どうせ俺はこん中でいちばーんちびだよ。だけど、幸生、おまえとだけは……おまえにも背は負けるけど、ほんのちょっとだ。二センチ程度だ。乾さんとリーダーの差程度だ。確認するんだから立て」
「なーにムキになってんの。おや、章がますますむかつきそうな背の高いのが来たよ」
 うーっす、こんにちわーっ、どうもどうもーっ、と声が三つ聞こえて、入ってきたのは燦劇のファイ、エミー、パールだった。章が身長にこだわるので気になって背比べしてみると、ヒールの高い靴を履いていなくても、ファイは俺より高い。百八十は優に超えているだろう。エミーは乾ほどか。パールはぐんと小さくて、章ほどだ。
「ちっちゃいのもいるから安心しろ、章。パールはおまえより年下の若い奴だけど、おまえと同じぐらいだ。んん? 身長の話はいやか、パール?」
「嬉しくはないけど、ファンの子は言ってくれるからいいんだ。トビーとパールは女の子みたいに小柄で可愛くて……そんなところが最高、ってね」
「女みたいに可愛いと言われて嬉しいのか」
「嬉しいよ」
 本音なのだろうか。背の低い男は章のようにひがむものだと思っていたが、若者はさまがわりしているのか。爺さんみたいな感慨にふけりそうになっていると、ファイが言った。
「身長の話? 俺は女の子に言われるよ。ファイって背が高くて男らしくてかっこいい、ってね」
「俺はそんなには高くないけど、このくらいあったらいいんだよ。ファイ、てめえのどこが男らしいんだ? ガキになんかして、そこにいる先生にキック一発喰らって、やり返しもできずにあとで泣いてたくせに」
「泣いてねえぞっ。エミー、てめえ、この野郎……」 
 可愛いと言われて喜んでいる男に較べれば、ファイとエミーの言い争いのほうがよほど俺には理解しやすい。やんのかよ、やってもいいぞ、と睨み合っているところを見ると、ファイとエミーは俺に近い男なのかもしれない。が、幸生と章の子犬のじゃれあいのようには、このふたりでは行かないだろう。止めねばなるまい。
「やめろ。おまえらは俺たちのスタジオに喧嘩しにきたのか。なにか用事があったんだろうが。ファイ」
「なんだよ」
「エミーの言う通りだ。おまえのどこが男らしい。ガキだ、おまえは」
 うぐっ、とファイはひと声発し、エミーが笑った。
「へーっだ、ざまあみろ。本橋さんにかかったらおまえなんかガキもガキもガキもガキも……」
「エミーもやめろ。図に乗るな」
「俺もガキ?」
「言うまでもない。おまえらはいくつだ?」
 えらそうに言ってるあんたも……と乾が口をはさみそうな気がしたのだが、なにも言わずに笑っている。ファイはぶすくれていて、パールが答えた。
「ファイとエミーが二十一、トビーと俺が二十歳、ルビーは十九。本橋さんと乾さんが二十八で、シゲさんは二十七で、木村さんとユキちゃんは二十六でしょ。較べないでほしいな」
 いつの間にやらユキちゃんになっている。幸生とパールには性格的共通点があるのか、仲良くなっているようだ。パールも幸生がよくやる女芝居を披露するのだから、俺の厄介ごとがふえていくのではなかろうか。
 ふたりともにやめろと言って聞くタマでもないのだし、時にはあの芝居も役立つのだからいいとしよう。よくはないがそうしか仕方ない。気持ちを別のほうに向けよう。十九から二十一の男たち。俺たちがその年頃には大学生だった。章は大学を中退して、ロックバンドに生きていたころだ。
「ファイとエミーがバンドをやろうと相談して、オーディションでメンバーを集めたんだったよな。幸生がそう聞いたって話してたよ。ファイとエミーはいつから仲間なんだ?」
 尋ねると、エミーが応じた。
「幼稚園からいっしょだよ。腐れ縁ってやつだ」
 ファイも言った。
「お笑いコンビでもやろうか、って俺が言ったのは、エミーとつるんで学校をさぼってばかりいた、中学坊主のころだったっけ」
「お笑いなんてのは顔のまずい奴がやるもんだろ」
「そうでもないぞ。このごろのお笑いは顔もいい」
「俺は笑われたくなんかないよ。音楽やりたいな」
「おまえ、楽器できたっけ?」
「ギターが弾ける」
「へぇぇ」
 交互に話すのは、中学時代の会話の再現であるらしい。してみると、彼らはずっと友達だったのだ。乾と俺よりも長年つるんでいる……幼稚園からならば十七、八年にもなるのか。乾と俺はざっと十年だから、彼らのほうが長い。長年のつきあいの男同士の関係は、俺にも想像がつく。乾と俺にどこかしら似ているのだろう。
「高校も同じでさ。俺ら、できが悪かったからろくでもない高校にしか行けなくて、大学進学なんかしたくもなくて、高校は出たけどフリーターになるしかなくて、それでもエミーとつるんでて、このまんまじゃお先真っ暗だし、ほんとにバンドやろうぜって、相談がまとまったのは二年ほど前だな」
「俺は燦劇の前に別のバンドにちらっといたんだけど、ファイとやるほうがいいなって思った。俺ら、できはよくないけど顔はまあまあだろ。俺はまあまあだけど、ファイはこの顔だ。顔で売ろう」
「顔で売るのにあれほどの化粧すんのか」
 素朴な疑問をシゲが口にすると、パールが言った。
「顔で売れそうなメンバーが集まって、いっそビジュアル系でいこうや、って言い出したのは俺だよ」
「そこはわかったけど、ファイとエミーはガキのころからの友達なんだろ。そしたら本名で……」
 言いかけた章に、本名は忘れた、とファイもエミーも言った。本名にまつわるいやな思いでもあるのか、よほど奇抜な名なのか、あるいはださい名なのか、と俺が考えていると、パールが言った。
「だからさ、俺ら、顔は悪くないけど、演奏が駄目なんだ。本橋さん、俺にキーボード指導してくれない?」
「俺にはギターを教えて、乾さんでも木村さんでもいいから」
「俺は歌がうまくなりたいよ」
 訪ねてきた本題はそこだったのか。いかれた格好のいかれた奴らだが、向上心はあると見える。キーボードのパールもギターのエミーも、ヴォーカルのファイもそれぞれの技量を磨きたい。しかし、俺はピアノだったら弾けるが、ロックキーボードを教える技能などない。乾も言った。
「本橋はピアノがプロ級の腕前だけど、ロックじゃないよ。俺はギターはうまくもない」
「俺よりはうまいけど、乾さんもロックギターじゃないからね」
 章も言い、幸生も言った。
「歌は教えられない。もったいないから教えてやらない」
 ええー、そんなそんな……と三人は駄々をこね、乾が言った。
「人に頼ってばかりいるな。ロックなんてのは……章、言え」
「俺が?」
「ロックに一家言あるのはおまえだろ」
「ひええ……」
 がんばれよー、章、と幸生がノーテンキにも言い、章は考え込んだ。早く言えよ、と幸生に催促され、うるせえんだよ、と言い返してから章が口を開いた。
「ロックバンドの演奏は上手下手は二の次、ってわけもないよな。うまいに越したことはない。だけど、ローリングストーンズだってそんなにうまくもないんだよ。おまえらとはレベルがちがいすぎるけど、特別達者なバンドじゃないんだ。ビジュアル系ロックって演奏よりも雰囲気じゃないのか」
「聞いていいか、章?」
「どうぞ、シゲさん」
「ビジュアルロックの定義ってなんだ?」
「こいつらがステージでやってる、あのハチャメチャな格好ですよ。定義なんかそれしかないんじゃないかな。ああいう衣装やメイクで決めてるバンドをビジュアル系と呼ぶ。音はビジュアルったってさまざまだけど、音も格好も過激のひとことに尽きる。そのくせ、そのたぐいのバンドはおおむね下手。俺はそう思う。俺はとにかく、おまえらの作り出す音は嫌いだっ!!」
 ロックに一家言、などではなく章の好き嫌いの問題になってしまい、シゲが言った。
「なるほど。そうなのか。章、ごめんな。俺が口出ししたからだな。言えよ、続き」
「続きってねぇ……乾さん、言って下さいよ」
「俺はロックには疎いから言えない」
「疎くもないくせに」
 じゃ、俺が言ってあげようか、と幸生がしゃしゃり出、章には言うべきことがらがなかったのか、言ってみろよ、となり、幸生が言いはじめた。
「俺もロックには詳しくないけど、世間に反抗するのがロッカーなんじゃないの? 最初はおまえらって相当反抗的だったけど、このごろ変に素直になってきて、見てて面白くなくなってきたよ。演奏は下手でもいい。無茶苦茶やってこそロッカーじゃん。もっともっと高みの過激を目指しなさい」
 話がすり変わっていっているようにも思えるが、これ以上の過激とはどんなだろう。幸生のタイプも過激と呼ぶのか、過激ではなく単なる過剰性格なのか。俺の怒りっぽさも昔は過激だったのかもしれないし、乾の口もある面過激だし、章の反逆精神も昔は一部、過激だった。
 だが、近頃はみんな丸くなってきている。シゲはもとから性格はまろやかだが、結婚して以来、寝ても醒めても恭子恭子……これではいけない。丸くなりすぎてはまさしく爺さんだ。
「おし、俺たちも俺たちなりの過激を目指そう」
「リーダーは充分過激ですってば」
 幸生が言い、乾も言った。
「本橋はそのくらいでいいよ」
「おまえはもうすこし抑えろ。俺たちの中でもっとも過激なのはおまえの口だ」
「幸生には負けるよ」
 そうかなぁ、と首をかしげる幸生の肩を叩いて、パールが言った。
「よかったね、ユキちゃん、乾さんに勝てて」
「うん、僕ちゃん、とーっても嬉しい」
「過激じゃなくて、おまえはガキだろ」
「リーダー、シャレのつもり? 下手、最低。シャレになってませーん」
 うるせえんだよ、と言いそうになって口を押さえた。ここでうるせえんだよでは徳永と同じだ。と、乾が言った。
「幸生、おまえのはカ行変格活用じゃないのか」
「乾さんもシャレ? 乾さんのシャレは高度すぎてついていけないよぉ。どういう意味ですか」
「意味はない。シャレとは言葉遊びだ」
 やはり乾と幸生は過剰、すべてに於いて過剰だ。いつに変わらぬ結論にたどりつくしかなかった。

後編に続く

 
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