番外編

番外編105(うくすつぬ)

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番外編105

 このシリーズは五十音の各段ごとに、その文字が頭にある単語を使っての寸劇です。
 う段は地名を主にする固有名詞です。


「うくすつぬ」


1・宇都宮・美江子


 どこの街にも、子どものころにはこんなの、なかったけどな、とある程度の年齢の者ならば感じるイベントがあるだろう。

 我が故郷、宇都宮市は「歴史と光のフュージョンプロジェクト」。フュージョンっていうと音楽? 私も音楽業界人のはしくれなのでそう思ってしまうのだが、その意味ではなくて、複合的とでもいうのだろうか。

 歴史ある場所や商店街や広場やらを彩る電飾。いつのころからか、私の故郷にもそんなイベントができたようだ。

 膨大な電力がかかるんだろな、といつだったか、ライトアップを見た徳永渉が呟いていた。主婦になった私もふと、もったいなくない? と考えてしまうのだが、そんなみみっちいことを言っていてはいけない。

「綺麗でしょ」
「綺麗だけどさ、餃子は?」
「わかってるけど、そしたら、餃子像でも見に行く?」
「そんなのあるの? それ、食える?」
「モニュメントだから食えないのっ」

 関東人はどうも、宇都宮イコール餃子だと認識している。今日は上の弟の息子たちを伴っての帰郷で、先に美しいイルミネーションを見せてあげようと思ったのに、小学生の甥っこたちは食い気一方だ。

「餃子はおばあちゃんが焼いてくれるから、餃子像を見てからおばあちゃんちに行こうね」
「餃子、早く食べたい」
「食べられる餃子がいいよ」

 クリスマスは夏夢と冬夢の父親は仕事だ。母親は実家の父親が病気だとかで、冬休みに入った息子たちを父親、すなわち私の弟の実家に預けることになった。
 東京暮らしの弟一家の息子たちをまずは私が預かって、ここまで連れてきた。慣れない父親の実家になど行きたがらない甥たちは、餃子につられて来たようなものだった。

「これ……」
「おいしそうじゃないね」
「餃子を着たビーナスなんだよね」
「変なのぉ」

 声をそろえる甥たちの感想は、変といえば当たっているので否定もできない。食べるほうがいいと言うのも同感なので、実家へと向かいながら母にメールした。

「あと三十分ほどで到着するから、餃子をどっさりお願いね。
 お母さんのおいしい餃子で懐柔するしかないよね、小学生男子なんてものは」


2・九頭竜川・隆也

福井県嶺北地方を流れる大河、九頭竜川。福井県は俺の故郷の隣県なのだから、小学校の遠足でもここに来た。

 石川県金沢市の犀川のほとりに建つ家で育った俺は、流れる川が好きだ。海も湖も好きだが、川が特に好き。ガキのころには犀川の川べりで石を投げたりとんぼ返りをしたり、冬でも本に読みふけっていたりした。

 小学校に上がるまでは祖母に手を引かれて川べりを散歩し、小学生になればひとりで遊びにいった。高校生までの俺は友達とつるむよりもひとりが好きだったし、当時は子どもがひとり遊びをしていてもさほどに危険視もされなかったし。

 祖母と喧嘩をして家を走り出て、くそばばあ、と悪態をついていたり。
 恋人同士のつもりだった女の子と手をつないで散歩して、こっそり煙草を吸ったり酒を飲んだりキスしたり。川にまつわる記憶は無数にある。

 そうして大人になった俺は東京の大学生になり、大学を卒業してフリーター時代を経てシンガーになった。
 もとから旅好きではあったが、フォレストシンガーズの乾隆也となってからは仕事で日本中を歩いた。今日も仕事がらみの福井への旅だ。

 昔はよく五人そろって地方を歩き、つるむのは嫌いなはずだったのに、仲間っていいものだな、と思っていたものだが、三十代ともなると五人一緒には外出しない。五人がそろっていると、あ、フォレストシンガーズ? と言われることも多くなってきたから。

 故郷の隣の県、犀川へは続いていないようだが、それでもつながってはいるはずの九頭竜川。こんなところではひとりしみじみ、幼少のころを偲ぶのもいいものだ。
 まるでとなりに祖母がいるような……そんな錯覚も起きて、河原のたんぽぽを摘んで差し出してみた。


3・住吉大社・弾

「ここで新選組の沖田総司が、逃亡した隊士を追い詰めて斬ったんやで」
「……そんで、その隊士って死んだん?」
「そらそうや。沖田総司は剣豪やもんな、沖田に斬られたら死ぬわ」
「……そしたら、ここに幽霊がいてる? お母ちゃん、怖いよぉ」

 得意げに父が話してくれて、俺は怯えて母に抱きついた。お父ちゃん、ちっちゃい子にそんな話をするもんやないわ、と母が父をたしなめていたのを思い出す。

 あれから何年たつのか、俺も父親になり、妻と三歳になった娘とともに里帰りをした。
 平素は東京暮らしだが、正月には大阪に帰る。今年は三日に両親の家につき、父も母も一緒に初詣にやってきた。

「住吉大社って大きいね。それに、すごい人。パパ、かよ乃ちゃんを抱っこしてて」
「抱っこはしてるつもりやねんけど、かよ乃がもがくから……降りたら迷子になるで。おとなしゅうしとり」
「あれ、ほしいよぉ」
「あとであとで」
「ママがいい。ママに抱っこぉ」
「あとでな」

 子を持って知る親心、つくづくそれがわかる。
 俺が子どもだったころに父があんな話をしたのも、怖がらせて気持ちをそらせるためだったのか。屋台のあれがほしいと言ったり、ママの抱っこがいいと言ったり、おばあちゃんのほうが好き、パパ嫌い、と言ったりする駄々っ子娘を抱いて歩いていると、父の気持ちもわかってくるのだった。


4・津和野・奈々

 五歳でフォレストシンガーズの乾さんにはじめて会った。あのときからあたしの記憶がはじまっているので、それ以前は覚えていない。

「奈々は東京で生まれたのよ。それからママがあちこち転々としたけど、結局は東京で暮らしてるんだから東京っ子だね」

 母はそう言うのだからそうなのだろう。
 小学生まではシングルマザーに育てられて貧乏だったけれど、母が再婚してからは金持ちになった。父があたしの可愛らしさを気に入って、タレントにしよう、と張り切って児童劇団に入れ、両親が望んだ通りに子役女優になった。

 乾さんとも再会して仲良くしてあげているし、徐々に子役からは脱して大人の女優になっているし、今のあたしはけっこう満足。
 今回のドラマではじめて、子どもではなく十代の女の子の役をもらった。探偵さんの助手であるデリケートな少女、彼女は津和野の出身ということで、ロケでやってきたのだった。

 西のほうにはあまり来たことはない。関西よりむこうには住んだことはないと母も言っていたから、中国地方は新鮮だ。

 徐々に大人の女優になってきているとはいえ、あたしは別に有名でもないので、ひとりで散歩だってできる。心配するスタッフを振り切って外に出て歩いていた。

「こんなところで……いいなぁ。こんなところ、住むのもいいな」

 大人になったら結婚して外国に住みたいと漠然と憧れていたけれど、津和野もいいな。結婚って誰と? 乾さん? いやだ、あんなおじさん。あんな口うるさいおじさん、絶対にいやだ。慌てて否定してみても、あたしもおばさんになってからだったら、乾さんと結婚するのもいいかなぁ、なんて、あたしの気持ちが考えたがっていた。


5・額田郡・希恵

名古屋の大学を卒業して当地で就職してからすでに十五年。食品会社での担当もいくつか変わり、今春、インスタントラーメンプロジェクトの責任者に就任した。

「本庄課長、額田郡を開拓しませんか」
「……額田郡ねぇ。なにかあるの?」
「僕の故郷なんですよ。あのへんはまだ田舎だし、開拓の余地はあるはずなんです」
「新製品のダイエットインスタントラーメン、売れそう?」
「だから、開拓しましょうよ」

 入社二年目の際下っ端、田中くんの提案で、額田郡へとやってきた。

「本庄課長の弟さんって、フォレストシンガーズのメンバーなんですよね」
「そうよ」
「このへんは課長の出身地にも近いんですよね」
「近くはないけど、うちは三重県だから、そんなに遠くもないかな」
「タイアップしましょうよ」
「フォレストシンガーズと?」

 新製品のインスタントラーメンのCMソングを私の弟、本庄繁之に作ってもらおう。CMにも出てもらおう。このあたりの人々にアピールするためには、いい方法だと田中くんは力説する。
 昔ながらのよろず屋のような店も、小さなコンビニもスーパーマーケットもあるのどかな町を歩きながら、田中くんはフォレストシンガーズの歌を口ずさんでいた。

 弟は作詞も作曲もできないんだけど……フォレストシンガーズがインスタントラーメンのCMソングって、イメージ崩れるんじゃないかな? 三沢さんだったらコミックタッチで書いてくれるだろうか。いや、彼も意外と歌を作るとシリアスだから。

「ここですよ」
「ああ、田中くんのお宅ってコンビニなのね」
「昔は酒屋だったんですけど、コンビニに変わったんです。課長のお宅も酒屋でしょ。合いますよね」
「よく知ってるね」
「サプライズなんで、母が変なことを言っても気にしないで下さいね」

 ってことは、私とここに来ると話してないと? 悪い予感がしていたら、奥から出てきた中年女性が私を見て顔をしかめた。

「良夫、いきなりなんだね。ええ? この人は誰? ええ? こんな年上の女と結婚するっていうのかね。母ちゃん、許さんよ。中に入りなさい」

 三河弁は多少はわかるので、概要としてはこのようなことを言ったのだと理解できた。いや、あの、その、ちがうって、ちがわないかな、ともごもご言っている田中良夫ともども、お母さんに家の中に押し込まれてしまう。

 このあとは私も三河弁で対抗しなくちゃいけないのだろうか。
 ちがうって、はいいけど、ちがわないかな、ってのはどういう意味? 悪い予感が妙な形で実現して、どんどんふくらんできていた。


6・富士五湖・真次郎

 ひとり、ボートを漕ぐ。
 観光シーズンでもないウィークディなので、湖面には他のボートはいなくて静かだ。

 どうも近頃運動不足なので、シゲとふたりして富士五湖ウルトラマラソンってやつに出場しようと語り合っていた。が、スケジュールの都合で出られない。悔しくて、だったらふたりで走ろうぜ、ってことになったのだ。

 富士山北ろくに点在する五つの湖。山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖を総称して富士五湖というう。五湖はその昔、富士山の噴火で流出した溶岩流が川をせき止めて誕生したのだそうだ。
 山中湖にボートを浮かべて漂っていると、シゲの姿が見えた。

「本橋さん、脚は大丈夫ですかーっ?」
「大丈夫だよ。俺だって走りたいぞーっ!!」
「いけません。無理したらいけませんからねっ!!」

 なのに、俺は昨日、足をくじいてしまった。たいしたこともないから走りたいと言っているのに、こんなときには頑ななシゲが断固として止める。仕方なしに俺はボート漕ぎで腕の運動をしているのだった。

「畜生、シゲばっかり楽しそうに走ってやがって……」

 手を挙げて走り去っていくシゲのうしろ姿に、未練がましく呟いてみる。
 綺麗な声が聞こえて見上げると、俺の頭上を美しい色彩の鳥が飛んでいくのが見えた。腐ってないで一緒に歌おうよ、と言ってくれているような鳥の歌声が、長く尾を引いて耳に届いていた。


7・武庫川・新之助 

 アルバイトをしている神戸の電気屋のお客が、武庫川近くに引っ越した。どうしてもヒノデ電気のお兄ちゃんたちに新居の電気を見てほしいと頼まれて、ヒデさんとふたりしてマンションまでやってきた。

 仕事は別にきつくもなかったし、豪華な昼メシも出してもらい、特別手当ももらっていい気持ちで、ヒデさんとふたりして高級な街を歩く。桜が咲いていて散策も気持ちがよかった。

「俺も川は好きやな」
「俺もって、川好きなひとは他の誰?」
「幸生のソロライヴは川のある街やったよな。乾さんも川は好きやて言うてたな」
「ヒデさんの故郷の川は……四万十川?」
「ちょっと遠いけどな。おまえは淀川か」
「そうそう。あんな川、どうでもええけど」

 高知生まれの小笠原英彦と、大阪生まれの高畑新之助には似合わない街、武庫川。それでも川はすがすがしくて、ガラの悪いおっさんと兄ちゃんだって受け入れてくれる。
 ケーキ屋やカフェも品がよさそうで、俺たちには入っていきにくい。甘いものが食べたくなってきたので、スーパーに入ってケーキとコーヒーを買った。

「ここってスーパーも高級やな」
「高いよなぁ。俺の昼メシよりもケーキが高いぞ」
「ヒデさん、ダイエットが台無しやな」
「たまにはえいんやきに」

 出た、ヒデさんの土佐弁、もっと喋って、なんて言いながら、川べりに下りていく。
 いや、俺はヒデさんほどにガラが悪くも貧乏でもないのだが、桜だけは平等に、ガラの悪い貧乏なおっさんと兄ちゃんの上にも、綺麗な花びらを散らせてくれていた。


8・湯布院・卓夫 

 本業は長崎の観光案内所勤務。ならば似たようなものだろう、と勝手に解釈されて、長崎出身の政治評論家の観光案内を申しつけられた。

「家内が湯布院に行きたいと言ってるんだよ。スケジュールに入れてくれ」
「先生と奥さまは、湯布院に行かれたことはおありですか」
「私は昔、何度かね。家内は東京生まれのフランス育ちだから、行ったことはないんだ」
「承知しました」

 小柄ででっぷりした評論家先生は六十歳に近いだろうか。彼よりも背が高くてすらりとした知性派美人の夫人は、夫の三分の一ほどの年齢に見える。夫人がはじめてならばということで、裕福な初心者向けコースにした。

「湯布院ってこうなっちまったのか」
「あなたが知ってるころとはちがってるの?」
「ちがってるよ。あのころにはもっと鄙びた温泉らしいところだった。観光地ナイズされちまって、原宿か清里か嵐山かってところだな。なんにも考えずに観光客が押し寄せて、地元もそいつらに毒されるからいけないんだ。嘆かわしい」
「そうかしら? 楽しいじゃないの」
「……ああ、おまえが楽しいんだったらいいよ」

 憤懣やるかたない、と言いたそうだった表情が、夫人になだめられるとゆるむ。夫婦円満でよろしいことだ。
 町を歩き、昼食どきになってレストランに入ると、フォレストシンガーズの歌が聴こえてきた。あら、この歌、好き、と夫人が笑顔になり、評論家先生は言った。

「どこかのアイドルか?」
「アイドルじゃないわよ。フォレストシンガーズって知らない? 川上さんはごぞんじでしょ」
「はい、存じております」

 ランチはご一緒しましょうね、と夫人が言ってくれたので、僕も同席させてもらっていた。

「この歌唱力よ。アイドルのはずがないじゃない。あなたはフォレストシンガーズって知らないの?」
「知らんね」
「あなたの年頃だと演歌好きよね」
「私の年頃は団塊の世代といって、ビートルズやボブ・ディランを聴いて育ったんだ。見損なってもらっちゃ困るな」

 演歌好き世代が聞くと怒るだろうな、僕が苦笑していると、先生が言った。

「男が五人? 三十代か。彼らは結婚してるのか?」
「ふたりは結婚してるらしいわよ。どうしてそんなことが気になるの?」
「最近の若い者は結婚しないだろ。三十代にもなって結婚しない者がやけに多いのは少子高齢化の現在、由々しき事態だ。おまえは私と結婚したんだから、子どもを……私が年を取ってると言っても子どもは作れるんだから……」
「その話はあとで、ね」

 横で他人の私が聞いていると気づいたようで、先生は咳払いをして話題を戻した。

「だから、三十代の男五人となると気になるんだよ。ふたりしか結婚してないのか。相手は?」
「相手って、本橋さんの奥さんはフォレストシンガーズのマネージャーさんらしいわよ。本庄さんの奥さんはテニス選手で、あなたの望み通りに子どもをふたり産んでるの。なんだってそんなことまでが気になるの?」

 ファンだとは本当のようで、夫人はフォレストシンガーズ情報に詳しい。先生がどうして彼らの奥さんまでを話題にするのかは僕も気になって、黙って聞いていた。

「マネージャーねぇ。うん、そういう仕事は私にはよくわからんが、本庄ってのの女房はテニス選手か。シャラポワとかいう女がいたな」
「シャラポワさんと較べたら気の毒よ。彼女、なんて言ったかな。清子さんだったかしら。君子さんだったかしら。そんな名前の、平凡な太った女よ。今は主婦になってるらしいから、それでもいいんじゃないかな」
「フォレストシンガーズって売れてるのか?」
「まあまあじゃないの?」

 昼から豪華なランチを食しながら、夫は不服そうな顔をした。

「まあまあ売れてる歌手が、どうしてそんなスペックの低い女と結婚するのかね」
「人は好き好きでしょ」
「いや、しかし……なにを好き好んで平凡な太った女となんか……なあ、川上くん? きみだってうちの家内のような女のほうがいいだろ」
「あら、川上さん、なんだかひきつってる?」
「いえ、なんでもありません」

「で、そのテニス選手はどこの大学?」
「高卒だって聞いたわよ。本橋さんの奥さんは、フォレストシンガーズと同じ大学だって」
「フォレストシンガーズってどこの大学だ?」
「えっとね……別にたいした大学じゃないけど、あんまり関係なくない?」

 ひきつっているのを見抜くとは、夫人は慧眼かもしれない。さっきから僕はうずうずしていた。僕は先生の奥さんなんかよりも、平凡な太ったテニス選手がいいんです!! と言ってやりたくて言えなくて。

 清子や君子じゃなくて恭子だ。彼女の結婚前の名前は川上恭子だ。僕と同姓だ。彼女の名前を正確には知らないのだから、夫人だって僕が川上恭子のいとこだなどと知るはずもない。それは仕方ないのでいいのだが、恭子ちゃんの悪口を言うな。

 恭子ちゃんは太ってなんかいない。ルックスは平凡かもしれないが、努力してプロになった才能のあるアスリートだ。僕は彼女を妹のように思い、それでいて尊敬もしている。彼女のご主人の本庄繁之さんとは親しいってほどでもないが、歌手だとは思えないほど朴訥ないいひとだ。

 食欲がなくなってきて、これ以上夫婦の会話を聞いているのも苦痛になってきた。でも、席を立つわけにもいかない。恭子ちゃん、僕はつらいよ、こんなときにはどうすればいいのか、教えて。


9・留萌・龍 

 たまには帰ってこいと母がうるさいので、大学二年生になった今年の夏休みには、兄貴に小遣いをもらって帰省した。

 帰省したって親の家ですることなどない。俺は一浪して東京の大学生になったので、近所の奴らは大学三年生か、短大や専門学校を卒業して社会人になっているのが大半だ。高卒で働いている奴もいて、長い夏休みは取れないと言っていた。

 高校生までのころと同じにしてある俺の部屋の、机の引き出しをなんとなく整理していたら、中学校の卒業アルバムを発見した。

「あ……真緒ちゃん……」

 初恋のひとと言っていいのだろうか。中学三年生のときに、つきあうまではいかなかったが、同じクラスで机を並べていた女の子だ。
 十五歳だった少年と少女が二十歳になって、どんなふうに変わったのか。俺は東京に出て都会的になったはずだが、彼女はどうなのか。

 アルバムの最後のページには名簿が載っている。稚内の小さな中学校だから卒業生数も少なくて、ページ数も少ない。ケータイではなくて、電話番号は家のものだろう。真緒の家は俺の親の家からも近いと思い出した。

 公立中学だが、けっこう遠方から通っている奴もいた。北海道は広くて、校区内も広い。それでも稚内市内で駅からも近いほうの俺の住まいのあたりは、さほどの田舎でもないと言われている。だけど、東京に出てみれば、俺の故郷は田舎なのだと強く強く実感した。

 暇だから、と口実をつけて、俺は外に出た。ケータイではない家の電話になんか、用もないのにかけられない。真緒ちゃんに会えるなんて偶然は期待していなかったが、彼女の母親に会ってしまった。

「龍くんでしょ? 噂してたのよ」
「俺の?」
「龍くんのじゃなくて、お兄さんの」
「ああ、そっか」

 それだったらうなずける。俺はただの大学生だが、兄貴はフォレストシンガーズのメンバーになっていて、おばさんたちにはなかなか人気があるらしいのだから。

「フォレストシンガーズの木村章さん、かっこいいわよね。この子、うちの娘の友達の兄さんなのよ、ってパート先では自慢にしてるの」
「友達ってほどでもなかったけど……」

 あの木村章はかっこいいかな? ちびだけどね。それって自慢かぁ? ま、わかるけどね、などと内心で受け答えしながらも、俺は当たり障りのない返事をしていた。

「友達でもなかった? 真緒は龍くんが好きだったんじゃないかしら。いつだったか、クリスマスカードを出そうかどうかって悩んでたわよ」
「俺に?」
「そうよ。そうだったはず。内緒だったのに言ったら、真緒、怒るかな。だけどもう時効よね。真緒は結婚して留萌に行っちゃったんだから、中学のときのことなんか、なつかしい想い出よね」
「もう結婚したの?」
「ええ、ついこの間」

 二十歳で結婚とは、田舎にしたって早すぎる。
 だが、友達でもなかったと言っている男が、詳しい事情を尋ねるわけにもいかない。真緒の母親も言ってはくれなかった。

 だからって俺が詮索する筋ではないのは承知しているが、気になった。暇なのだから、留萌に遊びに行くのもいいな、なんて口実をつけて、別に調べるわけでもないし、と自分に言い訳しいしい、電車に乗った。

 JRを乗り継いで、連絡もスムーズではないから七時間もかけて、稚内から留萌へと旅をする。北海道は広いから、本当に旅気分だった。

「暇なんだからいいよな。留萌港には……」

 駅で訊いてみると、歩けばいいと言われた。留萌ってのは稚内とどっちが? と思っていたのだが、ニシンや数の子が獲れるのもあって賑わっている。稚内のほうが田舎なのかもしれない。

 ひとりで港まで歩き、ひとりで船を眺める。金があったらこの船に乗って、外国へ行ってしまいたい気分だ。
 同級生だった女の子は結婚したってのに、俺はなにをやってんのかな。もうじき就活もしなくちゃならない時期だってのに、覚悟を決められなくてふらふらしている。

「おまえはいいよなぁ」

 低空を飛ぶ白いカモメに、ありがちなぼやきを聞かせる。
 なにも真緒に会いたかったわけじゃない。五年も会っていない女の子と偶然にも顔を合わせて、彼女がおばさんになっていたりしたらがっくりするじゃないか。留萌だって広いんだから、真緒と会うなんてはずはない。

 おばさんになるには早すぎるけど、結婚してるんだし、妊娠でもしてたらあり得るよな。
 これはいわゆる「すっぱいブドウ」ってやつなのか。悔し紛れか負け惜しみか、俺はカモメに向かって、会わないほうがいいに決まってるんだよな、と呟いた。

「だったらキミはなにをしにここに来たの?」
「ひとり旅だよ。腹減ったな。留萌ってなにがうまいの?」
「海産物だね」
「……俺は稚内の親の家にいるんだから、海産物は食い飽きたよ」

 カモメは海産物が好きなのだろう。海だって好きなのだろう。俺も海は嫌いではないが、見飽きた。やっぱり俺はこれからも東京で生きていきたい。稚内の海を見ても、留萌の海を見ても、俺にはそうとしか思えなかった。

END










 

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