ショートストーリィ(花物語)

花物語2014「八月・朝顔日記」

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あさがお
花物語2014・葉月

「朝顔日記」

 入学式が終わった春の日、朝香のパパは心からの晴れやかな笑顔を見せた。

「これで朝香も一年生だ。パパの肩の荷がすこしだけ降りたよ。パパは今までの五年間、残業もしないですこしでも早く帰れるようにと必死だった。会社でどんなに白い目で見られても、朝香を保育園に迎えにいくことが先決だった。これで仕事ができるんだ。これからはひとりで留守番できるね? 学校から帰ったらひとりで宿題をしたりテレビを見たりして、パパの帰りを待っていられるね? 危険なことはしないよね? 朝香はいい子なんだから、パパの言いつけを守れるね?」

「うん、ま、だいじょぶだと思うよ」
「よし、我が家のきまりを書いておこう」

 両親がともに働いているという家の子は珍しくもないが、そういう子は学童保育に入る。パパは知らないの? と訊いてみようかとも思ったのだが。
 学童保育は無料でもないのだろう。パパは残業ができなかったからお金がないのだろう。小学校でクラスメイトに囲まれているだけでもうっとうしいのに、放課後まで学童保育に行くというのは、朝香には耐えがたい。なのだから、パパの書いた我が家のきまりを守って、留守番しているほうがいい。

 二歳のときにママを亡くして、パパとふたりで生きてきた。近所のおばさんたちは、朝香ちゃんのパパはえらいわね、よくやってらっしゃる、と言うので、きっとそうなのだろう。
 保育園の先生たちも、朝香ちゃんのお父さんは立派よ、と言っていたから、きっとそうなのだろう。保育園には父親のいない子は数人いたが、母親のいない子は朝香ひとりで、シングルマザーよりもシングルファザーに先生たちの点が甘かった意味は、朝香には不明だったが。

 ともあれ、春からは朝香とパパの新生活がスタートした。
 朝は朝香のほうがパパよりも遅い時間に出かける。戸締りをしっかりして、集団登校で上級生たちに引率されていく。一年生は授業がおしまいになるのが早いので、帰りは一年生のみの集団下校だ。近頃は物騒なのだそうで、朝香のような可愛い女の子はヘンシツシャとやらに狙われるので、ひとりで帰ってはいけないらしい。

 トモバタラキという家の子たちは、学童保育に行く。ママが家にいる金持ちの子や、短時間だけ働いているパートの家の子は家庭に帰る。高校生のお姉ちゃんがいるからいっしょにママの帰りを待つという子はいたが、ひとりでお留守番は朝香だけだ。

「怖くない?」
「泥棒が入ったらどうする?」
「寂しくない?」
「パパが晩ごはんまでに帰ってこないときはどうするの?」

「怖くなんかないよ。朝香は子どもじゃないんだから寂しくもない。晩ごはんは食べなくても平気だよ。ダイエットできていいから、たまには晩ごはんヌキで寝るの」

 友達の質問には、半分は強がり、半分は本音で答えた。朝香は漫画を読んだり描いたりするのが好きで、パパも趣味には協力的だから本や画材を買ってくれる。将来は漫画家になるのか、稼げるようになってパパを楽させてくれよ、と朝香には本気に見える表情で言う。

 漫画を描いたりコミックスを読んだり、テレビアニメやDVDを観たりしていると、退屈している暇なんかない。パパは言っていた通りにぐっと残業を増やし、遅くに帰ってくることもあるようだが、朝香は「我が家のきまり」を守って九時には寝るようにしていた。

「そうよ、夕食を食べないのがいちばんなのよ」
「そう言ってもねぇ、おなかがすくじゃない」
「さっさと寝ちゃうに限るよね」

 近所のおばさんたちの会話によると、夕食抜きがダイエットにはもっとも効果的なのだそうだ。朝香は漫画に出てくるスリムな美少女が目標なので、七歳の今からダイエットしておくのはまちがっていないと思っている。空腹には強い体質らしく、夕食を食べなくても眠れた。

「しかし、夏休みは問題だな。夏休みの間だけの学童保育ってのもあるらしいけど、行くか?」
「行きたくない。朝香はもう慣れたから、夏休みだってだいじょぶだよ」
「そうかなぁ。まあ、朝香がそう言うんだったらやってみようか。パパはこの時期は忙しいんだけど、無理だったら言うんだよ」

 パパと話し合って、夏休みも今まで通りにすると決めた。朝香としては今さら学童保育になど行きたくない。生まれてはじめての長く自由な夏だ。そんな時間を手放すなんてあり得なかった。

「だけど、これねぇ……どうしよう? 咲かないな」

 夏休みの宿題、これだけは難題である。なんだって小学一年生にこんなにたくさんの宿題を出す? 特に朝顔の観察日記というものが、朝香には頭が痛いのだった。
 花が咲けば見事な絵を描く自信はあるが、どういうわけだか咲かない。育て方をまちがえたのか。
 プランターに植えた朝顔に支柱を立てて、学校の先生が言った通りに育てているのに、蔓が伸びてはきているのに、つぼみもつかない。

 毎日の暮らしには特に支障もなく、朝香はひとりの時間を満喫している。朝はゆっくり起きてパパが作っておいてくれた朝食を食べ、昼にはパパのくれた予算でスーパーのお総菜やお弁当やパンを買って食べる。掃除をしておくとパパが大喜びしてくれる。

 夜はパパが早く帰ってくれば、作ってくれる。時には昼も夜もお総菜だったり、夜はナシだったりもするが、朝香は食べ物には執着がないのでへっちゃらだ。食べ物なんかどうでもよくて、朝顔が咲かないのだけが気になっていた。

「つぼみ……お水をたくさーんあげたら咲くかな」
 ようやくつぼみはついたものの、このままではつぼみが開かない間にしおれてしまうのではないか。最初は宿題が完成しないのだけが気がかりだったのだが、咲かないつぼみが愛しくなってきていた。

「そのベランダは日当たりがよくないのね」
「……そう? おばさん、誰?」
「通りすがりなんだけど、ああ、あなたも痩せてるね。ちゃんと食べてる?」
「あんまり食べてないけど、痩せてるほうがかっこいいじゃん」
「うーん……」

 二階のベランダで朝顔に水やりをしていると、下から朝香を見上げているおばさんと目が合った。困った顔をしたおばさんは、朝顔の育て方についてアドバイスをくれる。ついでに、朝香にはよけいなお節介にしか思えない。ちゃんと食べなくちゃ、とのアドバイスもくれた。

 それからは毎日、おばさんが通りかかるようになった。「我が家のきまり」には、知らないひとと話をしない、知らないひとを家には入れない、というものもあったが、庭先で話すくらいだったらいいだろう。優しそうなおばさんなんだからかまわないことにして、彼女が通りかかると朝香は庭に出ていった。

 けれど、きまりを破っているのだからパパには言わない。朝香ひとりの秘密を持っているのも楽しかった。
 八月に入っても朝顔が咲かなくて、今朝は早くからやってきたおばさんに、プランターを持ってきて見せた。

「朝香ちゃんの部屋のベランダに出してるんだね。ここのほうが日当たりはいいんだけど……」

 あたし、名前を言ったかな? と朝香は不思議に思う。覚えてはいないけど、おばさんと会ってから一週間くらいになるのだから、言ったのだろう。おばさんは朝顔のつぼみに手をかざした。

「あっ……咲いた」
「咲いたねぇ。日当たりがいいせいよ」
「嘘。おばさんは魔法使い?」
「そうじゃなくて、日当たりと時間のせいじゃないかな」
「……綺麗」

 何色なのかは知らなかった朝顔は、開くと愛らしいピンクいろだった。ひとつ、ひとつ、またひとつと、早朝の光の中で花開く朝顔は幻想的な眺めだった。

「おばさんって魔法使い……」
「そう思っててくれてもいいわ。朝香ちゃん、このごろはちゃんと食べてる?」
「太らない程度には食べてるけどね」
「最近の女の子は、小学校の一年生でダイエットなんて言うのね」
「おばさん、あたしが一年生だってなんで知ってるの?」
「え? だって、朝香ちゃん、言ったじゃないの」
「言った?」
「言ったよ」

 名前も一年生だということも、朝香は言ったつもりはない。本当にこのおばさんは魔法使いなのだろうか。それとも……と朝香は思う。
 ママは死んだと言ったのはパパだ。朝香は二歳だったのだから記憶にはまったくない。ママが死んでこの家に引っ越してくるときに写真は処分した、見ると哀しいからだけど、朝香のためには残しておくべきだったかと後悔している、パパはそう言っていた。

「じゃあね、これからはそのプランター、庭に出しておいたほうがいいよ」
「うん、ね、おばさん、あたしは漫画を描いてるの」
「へぇぇ、すごいね」
「朝顔の話も漫画にしようかな。宿題の朝顔が咲かなくて困ってる女の子のところに、魔法使いが来てくれるんだよ。その魔法使いのおばさんは、ほんとはね……」
「ほんとは?」
「内緒」

 ほんとはね、死んだと思っていたママだったんだ、ママはほんとは生きていたの? それとも、幽霊なのかな? あたしとしてはどっちが嬉しいんだろ。わからなくなっておばさんを見つめた朝香を微笑んで見つめ返し、おばさんは背中を向けた。
 朝香のまなうらに残ったものは、朝顔の花が開くような、美しくて寂しげなおばさんの微笑みばかり。

END






 
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~ Comment ~

NoTitle

少し前この物語は読んでいました。
すぐコメントするつもりだったのに遅くなってしまいました。
あかねさんは私がドキドキしてしまうような、ちょっと凄い
のも書くし、こんな子供が主人公のファンタジックなのも得意。
やっぱりプロです。
 この花物語は頑張りやで健気でちょっとおませな朝香ちゃんが生き生きと描かれていて、少し胸キュンです。
 素敵なパパ優しいママ、やっと開いたピンク色の朝顔。
朝香ちゃんの幸せな明日が始まりそうな予感がします。
 素敵な花物語でした。

danさんへ

コメントありがとうございます。

この子、おませでしょ。
七歳くらいだと個人差がとても大きくて、赤ちゃんみたいな子もいれば、ダイエットだとかおしゃれだとかに関心のある、ませた子もいるなって印象があります。

朝香の両親の過去、朝香の知らないころになにがあったのか。
このおばさんは本当は何者なのか?
なーんてことは、言わぬが花だったりして。

だけどやっぱり子どもはみんな、幸せになってほしいですよね。
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