ショートストーリィ(musician)

「エクスタシー」

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舞台となるのはこの国です。

「エクスタシー」

 常春の国ではなく、夏はあるのだが冬はない。秋もあるが、全般的にはうららかな気候の土地だ。
 芸術家の国とも謳って移住者を募り、二十一世紀になってから建国された新興国、ヴァーミリオン・サンズ。英語が公用語なのもあって、人口に占める割合は欧米人が半数以上だ。

 むろん、この国にもさまざまな職業に就いている者もいる。自ら望んで来た者も、企業や団体から派遣されている者も、なんらかの理由で流れてきた者もいた。

 田岡美羽は会社命令でヴァーミリオン・サンズに赴任させられた。旅行会社なのだから英語に堪能な社員は多数いるのに、美羽が選ばれたのは彼氏もいない独身だからか。ミウって名前は欧米人にも発音しやすいだろ、と上司は言っていたが。

 旅行会社で働いているくせに海外旅行が好きでもなかったのは、時差ボケに弱いのと日本食が大好きだからだった。

 ヴァーミリオン・サンズにやってきて約二年、これだけ長く暮らしていれば時差ボケは関係ない。むしろ帰国したほうがボケそうなので、美羽は一度も日本に帰っていない。食事にしてもそれらしきものをスーパーマーケットで仕入れてきて、和食もどきを自炊してしのげるようになっていた。

「ただいまぁ」
「お帰り」
「……え? ジャミー!!」

 ひとり暮らしのマンションに帰って、癖でひとりごとの挨拶をしたらいらえがあった。
 びっくりして心臓が跳ね上がった美羽の前に、うっそりと姿をあらわしたのはジャミー・アッシュだ。彼とは合い鍵を渡すほどの仲ではないのに。

「どうしたの? 鍵がかかってたでしょ? どうやって入ったの?」
「鍵は前にミウのバッグから盗んで、コピーしておいたんだよ」
「手癖が悪いね。なによ、勝手に入らないでよ」
「うん、ごめん」
「……妙にしおらしいじゃない? どうかした? 頬がささくれてるみたい……こけてるみたい。ジャミー、なにかあったの?」

 母はインド人、父は誰なのかも知らないが、欧亜混血の美形だったらしいと、当の本人は言っていた。肌は黒っぽいので顔色がわかりづらいが、ジャミーは憔悴しきった表情でいる。

 複雑な混血であるジャミーは、イギリスで育った。すべては本人の言なので虚偽も混じっているのかもしれないが、なにが本当でなにが嘘なのかは美羽にはわからないので信じておくしかない。
 極貧で育ったというわりには英語が喋れるのだから、イギリス育ちも嘘ではないと思える。二年前にヴァーミリオン・サンズにやってきたのは、美羽とほぼ同時期だったらしい。

 お金に余裕があるときに訪ねる、各国の音楽を生で聴かせてくれるミュージックレストラン。ジャミーはそこで、シタールを演奏してインドふうの歌を歌っていた。

 いささか荒んだ香りはするものの、複雑な血が作り出したらしき陰翳のある美貌に、美羽の目が惹きつけられた。哀愁を帯びた音楽も美羽の好みだったし、細くて低い声で歌うジャミーのオリジナルソングも、稚拙ではあっても魅力的だった。

 三度目にその店でジャミーの演奏を聴いたときに、彼が英語で歌った歌は、美羽の記憶にあるものだった。ああ、この歌は……私が日本人だと知って歌ってくれた? 他にも日本人がいた? ただの余興? 考えすぎかな、と思っていた美羽の横に、演奏を済ませたジャミーが腰かけた。

「なんて名前?」
「ミウ・タオカ」
「タオ?」
「タオったって、老子の言う「道」とかいう意味じゃないのよ。日本の姓のひとつ。田岡、タオカ」
「日本人なのか、やっぱりね」

 こうして間近で見ると、彼の浅黒い肌も黒い髪も黒い瞳も、時として深い翳を刻む顔立ちも吸い込まれそうに美しい。ジャミー・アッシュと名乗った彼に、美羽は尋ねた。

「英語で歌うとちがった曲みたいだったけど、今の、日本の歌だって知ってた?」
「知ってるよ。日本語でもすこしだけは歌える。あなたが日本人だろうと思ったから、俺の知ってる唯一の日本の歌を歌ったんだ。訳したのも俺だよ。合ってた?」
「意味は合ってたけど、日本語ができるの?」
「できないけどね」

「サクラノハナビルチルタビニ
 トドカヌオモイガマタヒトツ
 ナミダトエガオニケサレテク
 ソシテマタオトナニナッタ」

 ぎこちない日本語のワンフレーズを口ずさみ、ジャミーは美羽の肩を抱き寄せて頬にキスをした。
 日本語ができないのに、どうして日本の歌を英訳できるの? あなたは嘘つきね、思ったことを口にはできずに、美羽はジャミーの胸をつきのけた。

 あれからだってジャミーは嘘ばかりついているから、どれが本当でどれが嘘なのかも美羽にはわからない。なのに、美羽は彼に恋をしていた。

「あの店のオーナーは女なんだよ。中国人の肥満体のマダムさ。彼女は美少年趣味で、俺以外にも何人もの男をペットにしている。俺の歌もシタールの演奏もたいしたこともないんだけど、彼女のおもちゃになってやってる代償として、あの店で仕事をさせてもらってるんだ」

 しれっとしてジャミーはそう言っていたが、彼とはじめて会った店のオーナーは、後に判明したところではアメリカ人男性だった。

「影の黒幕っているじゃない。中国人のマダムがアメリカ人の男に店をやらせて操ってるんだよ」
「そんな噂はなかったよ」
「そぉ? ま、あれは嘘だけど、そういうふうなマダムはヴァーミリオン・サンズの闇の部分を支配してるのさ。俺みたいに大人になりかけてるんだったらまだいいけど、ロリコン趣味の男や女のために、発展途上国から幼児を輸入してたりさ……」

「ヴァーミリオン・サンズにもそんなのがあるの?」
「あるに決まってるだろ。俺だってガキのころには、そういうおっさんにおもちゃにされたよ。どこの国にだってあるんだ。ヴァーミリオン・サンズは光あふれる芸術家の国だって宣伝してるけど、芸術家は変態だらけなんだぜ。たとえばほら、ギャラクシアン・フィルのバート・ヒューズリーはもうひとりの男と、ひとりの女を共有してるって」
「それって変態?」
「普通?」

 あーあ、今夜も俺は変態オヤジに奉仕して、それでメシを食わせてもらえるんだよ、妖怪ばばあに奉仕して仕事をもらったり、そうやって生きていくしかないんだよな。

 薄笑いを浮かべながら、ジャミーはそんなことばかり言う。本気にしてみたり、嘘ばかり言わないで、と怒ってみたりする美羽に、嘘だよ、とジャミーは笑ってみせる。けれど、ジャミーの笑顔は暗すぎて、すべてが本当なのかと美羽は思ってしまうのだった。

「どうせばれるんだろうから、テレビつけてみなよ」
「テレビ?」
「ニュースをつけたら俺がうつるよ」

 今夜のジャミーはまた一段と暗く、血の匂いまでがまとわりついているように思える。テレビではニュースはやっていなかったので、ジャミーは言った。

「そしたらインターネットで探してみるよ。ミウ、俺、腹が減ったんだ。追い出す前になにか食わせて」
「……昨夜作った味噌汁と、昨夜炊いたごはんでいいんだったら。でも、追い出すって?」
「日本食、大好きだよ」

 以前にこの部屋でごちそうしてやったときには、なんだ、そのスープは、なんだ、この黒いビニールは、と騒いで、そのくせ、わかめの味噌汁をおかわりしたジャミーだ。彼にも自分の台詞が本当なのか嘘なのか、わかっていないのかもしれない。

 味噌汁とごはんをあたためて運んでやると、ジャミーはスプーンでごはんを食べながらパソコンを示した。美羽は彼が開いたインターネットの画面を見た。

「飲食店の女性オーナーを殺害したかどで指名手配中のジャミー・アッシュ容疑者(20)は、確保しようとした警察官の腕をすり抜けて逃亡した。
 警察官が彼を追ったのだが、包囲網をもくぐり抜けて逃げおおせてしまった。
 アッシュ容疑者が逃亡した二番街を中心に現在、鋭意捜査中。近隣の住人は重々注意のこと」

 そのような記事を、美羽は二度、三度と読んだ。記事の内容が頭にしっかり入ってこない。ジャミー・アッシュって誰? 殺害? 逃亡? 確保って逮捕のこと?

「飲食店のオーナーってのは、俺がたまに歌わせてもらってるライヴハウスのオーナーだよ。俺をおもちゃにして仕事をくれるごうつくばばあのひとりで、フランス人の化け物ばばあだね。あの女、サドなのかと思ったらマゾでもあって、男と寝るときには首を絞められるのが趣味なんだ。強く締められれば締められるほど快感だって言って、俺としては殺しちまうんじゃないかと心配なんだけど、やれって言うんだからやるしかないだろ。今日はエスカレートして、ベルトで絞めてって言うんだぜ。ほんとに死んじまうからいやだって断ったら、ベルトで俺を殴った。頭に来たからベルトを取り上げて、お望み通りだろって首を絞めてやったら死んじまったよ。あれも望み通りだったんだろうな」

 淡々と語るジャミーを、美羽は無言で見返した。

「そうだったのかなぁ。言っててわかんなくなってきたな。ミウ、背中を見てくれる? 俺はあのばばあに背中をベルトで打たれたんだろか。そしたら傷がついてるだろ。それとも、ばばあに頼まれてベルトで首を絞めたんだったか。どっちだったかな。どっちにしても……プレイの行き過ぎだったのが本当だとしても、俺は人を殺したのか。あんなばばあ、殺したら人助けになるんだろうけどさ……」

「ジャミー、どれが本当なの?」
「わかんねえよっ!!」

 振り絞るように叫んで、ジャミーは美羽を抱きしめた。
 強すぎる力が苦しいけれど、拒絶する気にはならない。軽く抱きしめたり抱き寄せたり、キスをしたり、愛してるよ、と囁いたり、胸や腰に触れたりはするけれど、ジャミーはこの部屋に遊びにきても美羽にはそれ以上のことをしようとしなかった。

 なにが本当のことかなんて、本人にだってわかっていないらしいが、彼が殺人を犯したのは事実なのだろう。
 そうして警察に逮捕されかけて逃亡し、美羽の部屋に隠れていた。そんなときに私を選んでくれたのが嬉しい。私は正気ではない、と美羽にはわかっていたけれど、嬉しいのもまぎれもない事実だった。

「じきに警察、来るよね」
「うんうん」
「それまで、どのくらい時間があるかな」
「黙ってろよ」
「黙っていたら抱いて……」
「おまえが望むなら……」

 しなやかな手が美羽の衣服にかかる。こうしているところに警察が踏み込んできたら……街には美羽とジャミーの交友関係を知っている者もいるのだから、警察がここを突き止めるのも時間の問題だろう。なのだから、裸で抱き合っているところに入ってこられる可能性も高い。

 それでもいい。それでもいいからジャミーとひとつになりたい。
 飢えた獣のように美羽をむさぼる、美しい若者の腕の中で陶酔の極みに上りつめたその瞬間、ふたりしてそのまま天に昇っていけたら……警察を嘲笑ってやれるのに……エクスタシーのただなかで、美羽はとぎれとぎれにそんな想いを浮かべていた。


END






 
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~ Comment ~

NoTitle

愛欲というべきか。。。
( 一一)
まあ、それはそれで。
それこそが官能的というべきものなんでしょうかね。
それも面白い人生だと笑えるのでしょうが。

LandMさんへ2

かなり昔、ヴァーミリオン・サンズという架空の国を想像しました。
その国を舞台にして魅力的な恋人たちを描こうと、一時、相当にはまっていました。

そこにふっと出てきたジャミー。
馬鹿な子、不出来な子ほど可愛い母心みたいなもので、私はこういうキャラに入れあげる傾向があります。
今回、久しぶりで書いてみて、自分で切ない気分になっていました。

極限状態での愛欲と官能、ひとことで言ってしまえばそうなのかもしれませんね。
美羽が十年後くらいに、あれは得難い経験だったと思うのか否か……です。
こちらもお読み下さって、ありがとうございました。

NoTitle

「ヴァーミリオン・サンズ」といえば、バラードのSFにありましたね。あの短編集では、わたしはどんどん勝手に成長していく楽器の話が好きです。

それは別にしてこの掌編は面白かったです。異国の夜伽話にありそうですね。遊女に聞かされた翌朝、男の胸には短刀が突き立っていたりして。

そんな妄想までしてしまうイメージ豊かなお話でした(^^)

ポール・ブリッツさんへ

コメントありがとうございます。

そうそう、そのバラードのSFから、タイトルを拝借しました。
ずいぶんと前に読んだので内容はあまり覚えていませんが、楽器の話……なんとなくぼんやりとは記憶にあります。もう一度読んでみようかな。

アラビアのシェェラザードみたいな? 千夜一夜物語みたいな?
そんなふうに読んでいただけるとは嬉しいですね。
ジャミー・アッシュは相当にお気に入りのキャラで、これを書きながら悲しくなっていたりしましたので、ご感想をいただいてとてもとてもうれしかったです。
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