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小説371(低気圧BOY)

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フォレストシンガーズストーリィ371

「低気圧BOY」

1

 頭が重い、まぶたも重い、目が覚めない。
 昨夜はなにがあったんだった? 男の声が聞こえてはいるものの、会話が意味をなさない中で考える。そうだ、昨日は本橋さんのアパートに連れてこられたんだった。
 悲願だった、ロックンロールスターになるという将来がはかなく砕け散ったのは、大学を中退してまで賭けていた「ジギー」が解散したから。あれからの俺は自暴自棄になって投げやりに生きていた。それでも、ジギーのベーシストだったスーと再会してからは、彼女が俺の恋人になった。スーとは喧嘩しながらも楽しくやっていて、ロックミュージシャンになるって夢は捨ててもいいかな、とまで思ったりした。
 ちらっと考えはしても捨て切れずにいた、歌で生きていくという将来。それがもしかしたら、昨夜、幸生と再会したことでかなうのかもしれない。
 ふたりして飲んでいた酒場から、たった一年だけ通った大学の先輩のアパートへ連れてこられ、彼らが組んでいるヴォーカルグループに入れと誘われた。俺もちょっとは知っていた旧メンバーの小笠原さんが脱退したとかで、声の高い男を探していたのだそうだ。
 本橋真次郎、乾隆也、本庄繁之、三沢幸生のフォレストシンガーズに木村章が加わると決められたのは強制に近かったが、俺だって絶対にいやってわけではなかった。
 よーし、決まりだ、章、歌え。
 なんて言われて、酒を飲んでロックを歌った。すっげぇ高い声だな。おまえ、ほんとに歌がうまいな、英語の発音もいいじゃん、などと言われていたのは覚えている。そりゃそうさ、俺は声が高くて歌がうまくて、ロックンロールするときだけは英語の発音もいいんだ。
 次第に意識が混濁してきて、俺は眠ってしまったのだろう。俺は酒には強いほうではなく、酔うと寝てしまう。酔ってなくても一度寝たら起きないのはガキのころからだ。
 そっかぁ、俺、フォレストシンガーズに入ったんだ。
 アマチュアの男五人のヴォーカルグループ、全員が俺が一年間だけいた大学の合唱部出身だ。本橋さんと乾さんは二年、本庄さんは一年年上で、幸生は同い年。酔い潰れて寝てしまったのだから、ここは本橋さんのアパートだろう。
 薄目を開けて見てみると、窓のほうで幸生と乾さんが話している。章はいつまで寝てるんだ、バイトはないのかな? メシいらないのか? とか言っている。今日はバイトは夜だし、メシなんか食いたくもねえよ、頭が痛いよ。
 声には出さずに返事をして、なおも考える。昨夜、寝ている俺の耳元で、誰かがなにか言っていた。静かに低い声は乾さんだったのだろうか。
「ありがとう。おまえが来てくれて嬉しいよ。んん?……寝言か。ロックじゃなくても……俺たちがプロになったら、おまえの望みもかなえられるよ。おまえも夢を見てたんだろ。別の形でかなうんだ。だからさ……章……」
「そうだよ、章、当然じゃん」
 本橋さんと本庄さんは出かけたのか。今、ここに残っている乾さんと幸生が俺に言っていた台詞が、途切れがちに頭に残っている。あるいは夢だったのかもしれない。俺は寝たら起きないんだから、囁き声ぐらいで起きるはずもないんだから。
「うっ!!」
 いきなり、幸生が俺の腹の上にすわった。
「こらぁ、起きろ。起きんとちょめってしちゃるけんな」
「なんだよ、その言葉は。どこの方言だ」
「知りません。適当です。土佐弁だったらどう言うの?」
「起きないとぶっ飛ばすぜよ、かな?」
「英語では?」
「Get up. Wake up.幸生、このくらいは中学生英語だぞ」
「はいはーい。章、Get up!! Wake up!! シャラーップ!! AKIRAーっ!!」
「黙らせなくてもいいだろうに」
 腹の上で飛び跳ねられて英語で叫ばれて、俺としては寝たふりをしていられなくなった。
 いやいや起きてシャワーを浴びさせられて、なにか食わないのか? 食欲ないよ、とかって会話をして、三人で外に出た。
 二日酔い気味ではあるが、歩けなくはない。幸生が乾さんを導いている。幸生は大学一年のときには俺んちに遊びにきていた。俺も奴のアパートに遊びにいった。ふたりともにアパートを引っ越してはいないのだから、俺だって幸生のアパートにはひとりで行ける。幸生も覚えていたのだろう。
「ああ、ここは……」
「乾さんも知ってるんですか?」
「いや、はじめて来たけど……」
 方向音痴ではないらしい幸生に従って歩いていると、俺のアパートにたどりついた。ふたりがかりで部屋に放り込まれ、また明日ーっ!! と幸生の声が聞こえて、ふたりの足音がドアの前から遠ざかっていく。ああ、ここは、と乾さんが言ったのはどういう意味だろ。
 乾さんは俺んちに来たことがあったっけ? 先輩を近くまで連れてきたり、俺のアパートはあそこ、と教えたりした記憶はあるが、乾さんとはそんなに親しくもなかったのだから、住まいの話をしたことはないはずだ。
 フォレストシンガーズに入れ、と言われてうなずいたあの瞬間から、俺の明日にはかすかな希望の灯がともった。その反面、悪い予感もする。特にあの乾隆也……あいつはただものじゃなさそうで、手ごわい先輩のように思える。
 早くもうんざり気分になりつつも、スーに話してやるのが楽しみにも思えてくる。が、スーだって手ごわいかもしれない。スーはロック少女だから、ロックじゃない音楽なんてやめな、と言う可能性は高い。
 だからってもはや引けない。なんだって中途半端に終わってしまう俺なのだから、今度こそはがんばって貫徹するんだ。フォレストシンガーズでプロになるんだ。その望みまで潰えてしまったとしたら、俺には明日はないも同然じゃないか。
 

2

 たった一年のつきあいだったのは、フォレストシンガーズのメンバーは皆同じだ。幸生とは同い年だから交流が深かったが、先輩たちの人となりを知るところまでも行っていなかった。特に山田美江子さんは、異性なのだからもっともなじみが少なかった。
「本橋さんは山田、乾さんはミエちゃんって呼んでるよ。シゲさんと俺は美江子さんって呼んでるんだから、おまえもそう呼べば?」
 幸生の言う通りにしたから、表面的には仲好さそうに見えるのだろう。フォレストシンガーズはマネージャーさんとも仲良しだよね、と皆が言う。
 二十二歳になった俺と幸生、二十三歳の本庄さん、二十四歳になった本橋さんと乾さんと美江子さん、他のみんなに言わせると美江子さんも含めての六人が仲間。そんなフォレストシンガーズは、今年の初秋にメジャーデビューした。
「章くん、ここに吹き出物ができてるよ」
「首ですか。ほんとだ」
 細い指で首筋をつつかれてぞくっとしたので、俺は美江子さんの手をよけてそこに触れた。
「不摂生してるんじゃないの?」
「首なんか目立たないんだからいいでしょ。タートルのセーターでも着たら隠れますよ」
「タートルネックはむしろよくないんじゃないかな」
 蒸れたり刺激したりするのはよくないと言っていた美江子さんは、事務所のデスクの引き出しから薬のチューブを取り出した。
「これ、塗っておけば?」
「大げさな」
「大げさだって言うけど、あなたは人さまに姿を見られる仕事なのよ」
「俺たちは売れてませんから、人さまに姿なんてあんまり見られませんよ」
「あんまりだとしても、多少は見られるでしょ」
 こうして美江子さんの説教がはじまると、うるせえな、と言いたくて言えなくて苦労する。怒らせてうるせえと言い返すと、本橋さんにだったら殴られるかもしれない。乾さんにだったらなお説教される。本庄さんは、内心、先輩に向かっておまえは……と言いたそうな顔になり、しかし、口にはしない。
 先輩には口答えもできない体育会系は大嫌いだ。幸生にしか、うるせえんだよっ、とは言い返せない。まして美江子さんにうるせえと言ったら、乾さんにもひっぱたかれそうだ。
 げんこつごちんのリーダー、本橋さんの態度はさっぱりしていて我慢しやすいのだが、乾さんは殴るとしてもほっぺたに平手打ちだったりして陰湿なのだ。殴るんだったらげんこつで顎でも一発やれよ。女を殴るみたいな平手打ちはうっとうしいんだよ。
 ガキのころから親父のげんこつで育った俺は、げんこつには免疫があるのだろう。それでも殴られると腹立たしいが、乾さんの軽めの平手打ちはもっと腹立たしい。やり返してやりたくて、負けるに決まっているから組み付いてもいけないのもまた腹立たしくて。
「美江子さんが正式なマネージャーになったら、フォレストシンガーズは売れるんだろうな。美江子さんの手腕に期待してますよ」
 精一杯の皮肉を言って、事務所から出ていった。
 今日の仕事は東京のラジオ局めぐりだ。今年中は日本全国ラジオ局あいさつ回りがメインの仕事になる。旅慣れてはいない俺は旅行は好きでもないので、東京の仕事のほうが気楽だった。
「はい、これ」
 午前中の仕事をすませて事務所に一旦戻る。本橋さんと乾さんは社長に報告していて、幸生とシゲさんは昼食に行った。俺は金がないからコンビニのおにぎりですまそうとしていたら、美江子さんが俺に袋を差し出した。
「吹き出物、消えてないみたいよ。効果ありっていうビタミンサプリと洗顔料、使って」
「俺ってそんなに肌が汚いですか」
「時々、荒れてるって思うときがあるよ」
「時々だったら美江子さんだってでしょ。男とすごして朝帰りのときとかさ」
「……そういうプライベートな問題は、セクハラになりますよ」
「なに言ってんだか」
 この気の強いお姉さんは、事務所の先輩マネージャーや社長に対しても、セクハラでしょっ、と怒る。中年オヤジたちは、近頃の若い娘は……と苦笑しているのだが、俺は言ってやりたくなってきた。
「セクハラって上の立場の男が、女に向かってやることじゃないのかな」
「女が男に向かっての場合も、セクハラは成立するみたいね」
「そしたら美江子さんのやってることのほうがセクハラでしょ。俺はあなたよりも立場が下なんだから、セクハラにはなりません。あんたのやってることのほうがセクハラだよ」
「私のどこが……」
「肌なんてプライベートな問題だろうが」
「ほっとけって言いたいの?」
「先輩に向かって、末は俺たちのマネージャーになるって立場の美江子さんに、ほっとけとは言いませんけどね」
 怯んでいるようで、美江子さんはいささか引き気味に眉根を寄せて俺を見返した。
「女じゃないんだから、吹き出物のひとつやふたつ、どうってことはないんですよ。そんなものを気にしてる暇があったら、早く有能なマネージャーになって下さい。有能な、ね」
「……わかりました。ご忠告は感謝します」
「ふーん、美江子さんもちっとは大人になったじゃん」
「失礼しました」
 差し出した袋を引っ込めて、美江子さんが行ってしまう。その背中が怒っている。もしかして俺、美江子さんを言い負かせた? 美江子さん、本橋さんか乾さんに告げ口するんだろうか。
 告げ口されるのも気にはなるが、ああやって口で勝ってもちっともいい気分にならない。だから女って嫌いなんだ。女によっては好きなのももちろんいるが、今日の美江子さんは嫌いだ。男のマネージャーのほうがいい。そして、今日の俺も俺は嫌いだ。
 

3

 メジャーデビューしてから約一年半、二十三歳になった俺と幸生から、二十五歳の本橋さんと乾さんまで、フォレストシンガーズが初のソロアルバムを出すはこびとなった。
 そのせいでみんな、浮かれ気味なのだろうか。俺は楽しげにソロアルバムの話をしているみんなに、どうせ売れもしないのにさ、などと冷水を浴びせる発言をしたこともあるが、実は嬉しい。プロのシンガーズとしては、アルバムを出してこそ一人前だ。
「じゃあ、お疲れ。章、風邪を引くなよ」
「あらん、章ちゃんったら、リーダーに愛されてるのね」
 そうではなくて、いつだったか俺が喉を痛めて歌の練習ができなくなったからだ。俺は身体が丈夫ではないので、先輩たちは気遣ってくれる。それがまたうっとうしい。
「章は本橋さんに愛されてるから、乾さん、俺を愛して」
「シゲ、おまえにまかせる」
「まかせられても困るんですけど……」
 楽しそうにじゃれている他の三人をスタジオに残して、俺は先に出ていった本橋さんのあとを追った。
 このごろ、本橋さんは本当に浮かれている。リーダーなのだからファーストアルバムのリリースがよほど嬉しいのか。それもあるのだろうが、それだけではない。
「リーダー、彼女ができたんだよ、きっと」
「今まではいなかったのか?」
「いたんだろうけど、別れたんじゃない? 俺もリーダーのコイバナってほとんど知らないけど、乾さんも言ってた。本橋のあの服のセンスは、彼自身のものではないなって」
「あ、そっか、それで違和感があったんだ」
 乾さんは非常に服装のセンスがいい。幸生もてめえの少年っぽさを上手に活かした服装をしている。章はロッカーファッションだよね、と皆が言う、俺だってセンスは悪くない。シゲさんは論外。彼は清潔でさえあればいいのだ。
 で、本橋さんも相当ファッションセンスがない。ステージ衣装のスーツを着るとかっこよく決まるのだが、私服はひどいものだ。
 そんな本橋さんが最近、普段着もちょっとしゃれている。そうか、幸生の言う通り、アドバイスしてくれる彼女ができたのだろう。わかりやすい男だ。
 たいていは練習や話し合いが終わったあとも、リーダーは遅くまでスタジオに残っている。乾さんとふたりで残って編曲の相談をしたり、古い録音を聴いたり。あるいは、ひとりで資料を抱えて帰ったり。なのに今夜は手ぶらで早めに帰ってしまった。
 これはおそらくデートだろう。他のみんなは我関せずのようだが、俺はちらっとその彼女を見たかった。尾行したりすると乾さんだったらまちがいなく気づくだろうが、本橋さんは鈍感だから、俺が注意深くやれば大丈夫だ。
 地下鉄で繁華街に出ていった本橋さんは、ファッションビルの入口で人待ち顔でたたずんでいる。フォレストシンガーズはまったくの無名のようなものだから、こんなところで彼女と待ち合わせても平気だ。気楽でいいような、寂しいような。
「早かったのね」
「……ってか、きみが少々遅刻だろ」
「仕事だったんだもの。喉が渇いたな。一杯飲む?」
「酒?」
「お酒はあとでね」
 あらわれたのは、やや小柄でほっそりしたあかぬけた女だ。なるほど、彼女はかなりファッショナブルである。本橋さんも顔以外はかっこいいといえるタイプの、長身で引き締まった体格をしている男なのでお似合いではあった。
「あれでいいわ」
「寒いのに外でか?」
「おいしそうだもの。買ってくるね」
「俺が買うよ」
 尾行している俺には都合のいいことに、本橋さんは屋台の飲みものを買った。湯気の立つカップを彼女にも渡し自分も持って、あったかぁい、おいしい、と言っている彼女に微笑みかける。俺も飲みたかったが、ふたりを見失ってはいけないので諦めた。
「今日はコートを買ってくれたお客がいたの。毛皮のコートだよ」
「今から毛皮? 男がか」
「モスクワに旅行するって言ってたな。男性だって毛皮は着るよ」
「どんな奴?」
「わりと小柄な男性」
「小柄だったら毛皮に着られてるんじゃないのか?」
「お客さまの悪口はやめて」
「……ごめん、でもさ、男は毛皮よりも黒革のほうがよくないか?」
「真次郎さんにだったらどちらでも似合いそうね」
 この会話からすると、彼女は男性服のショップで働いているのか。本橋さんのセンスが改善されるにはうってつけの相手だったわけだ。
「俺は革を買う金なんかないよ」
「ローンも組めますわよ。アルバムが出るんでしょ?」
「売れたら買うよ」
「前祝いに、今日は私がごちそうしようかな」
「俺は女におごってもらうのはいやだって言ってるだろ」
「そんな意地ばかり張ってるから、お金が足りないんだよぉだ」
「わかってるけどさ」
 あてもないデートなのか、話をしながらふたりはただ歩いている。寒くなってきたね、と呟いた彼女の肩を本橋さんが抱き、耳元で囁いた。
「志保……」
「うふっ……うん、ごはんを……」
「……うん……おでん……」
「ああ、いいよね。あっち……あっちにね……」
「うん、志保……」
 寒い夜だってのに、熱々カップルに当てられそうになってきた。
 これからふたりはおでん屋に行き、そのあとは本橋さんの部屋にでも帰るのか。これ以上は尾行できないから、俺はそこで足を止めた。
 うしろ姿だけだと十分にかっこいい広い背中の男に、ほっそりした女が寄り添って、ふたりはいちゃつきながら歩いていく。本橋さんが照れているようなのも、志保さんが彼をリードしているようなのも微笑ましくて、うらやましかった。
「畜生、あんなもん、見るんじゃなかったぜ」
 呟いてから、俺は彼らと逆方向へと歩き出す。
 背が高い分だけでも、本橋さんは俺よりもかっこいい男だろう。顔は俺のほうがダンチにいいはずだが、女は顔が綺麗なちびよりも、少々ブでもプロポーションのいい男を選ぶはず。本橋さんくらいだったら醜男ってほどでもないし。
「いいないいな、俺も彼女、ほしいな」
 スーに捨てられて以来、恋人はできない。ゆきずりの女とだったら何人かは寝たが、深入りしたいような女はいなかった。
 あーあ、いいな、ぼやきながら、腹減ったな、と呟いてみる。せめてメシだけでも、可愛い女の子と一緒に食いたいな。ナンパしたらひっかかってくれそうな女の子はいるが、面倒な気もする。帰ろうかな。白い息とともに、いいないいな、の呟きばかりが漏れていた。
 

4

 なんだってこう売れないんだろ。
 デビューしてから丸二年、今年も秋がやってきたが、あいもかわらず季節ごとのイベントの繰り返しばかりだ。ソロアルバムの売れ行きも芳しくなく、たまにやるワンマンライヴは小さなホールで、ソールドアウトしたことすら一度もない。
「やってて虚しくなんないですか」 
 最初のうちは本庄さんと呼んでいた先輩を、俺もシゲさんと呼ぶようになった。彼は本橋さんのように暴力はふるわない。乾さんのように俺を頭ごなしに叱ったりもしない。時おり悪魔のようにきついひとことを吐くのだが、あとのふたりの先輩よりは扱いやすかった。
「いや、俺はここまででもけっこう満足してるんだよ」
「満足?」
「本橋さんや乾さんに言うと叱られるけど、だって、プロになれたじゃないか。シングルもアルバムも出せただろ。コンサートだってやれてるだろ。デビューしたばかりのころと比べたら、歌の仕事も着実に増えてる。俺は幸せなんだよ」
「……彼女でもできましたか」
「彼女は関係ないだろ」
「関係あるよ。シゲさん、彼女、できたの?」
 この状況で満足できるとは、そんないいことでもなかったとしたら信じられない。俺が迫ると、シゲさんは真顔でかぶりを振った。
「できないよ」
「この際だから訊いていいですか」
「訊くな」
 訊くなと言われても訊きたい。
 ちょうどいいことにスタジオにはシゲさんと俺のふたりきりだ。本橋さんと乾さんと幸生は事務所に行っている。シゲと章は先に帰っていいぞ、と言われていたのだが、なんとなく残っていた。
 このたぐいの質問をしようとすると、乾さんは視線で、章、やめろ、と命令する。幸生は俺にヘッドロックをかけたり、テーブルの下で足を蹴ったりする。あの鈍感本橋さんでさえも、話題を替えようとするのだから。
「シゲさんって女にトラウマでもあるんですか」
「トラウマ……はないよ」
「その「間」はなに?」
「ないったらないんだよ」
「シゲさん、童貞?」
「……ちがうよっ!!」
 答えるまでの微妙な「マ」が気になった。
「童貞ではないんだね。ほっとしましたよ。相手は風俗?」
「な、なんでそう突っ込むんだ? ちがうよ」
「ってことは、彼女ってのはいたんだ」
「訊くなって言ってるだろ」
 激しくいやな想い出があるのだろうか。俺にも初体験というとついてくる悪しき記憶がある。女にレイプされたようなもの……シゲさんの想い出はそういうのではないと思う。非力な俺とはちがって、女がこのシゲさんを腕ずくでレイプ、は不可能なはずだ。
 酔わされて、というのだって、シゲさんは俺よりもはるかに酒に強い。もっとも、シゲさんよりも力のある、ロシアの重量挙げ選手みたいな女に……うわわ、想像したくないからやめよう。
「シゲさん、泣いてます?」
「泣くわけないだろっ」
「……ねぇ、俺が聞いてあげるからぶちまければ? シゲさんって女嫌い?」
「そんなはずないって」
「姉さんがきつすぎて女は怖いとか?」
「姉は気は強いけど、怖くはないよ」
「美江子さんのせいとか?」
「章、おまえ、美江子さんに対して無礼だぞ」
「実は美江子さんのせい? まさか美江子さんに襲われて、遠慮して断れなかったとか?」
「ばっ、馬鹿野郎!!」
 この怒り顔は、図星だからか、美江子さんに対する俺の無礼に対して怒っているのか。読み切れない。俺はなおも追及し、シゲさんは赤い顔になって汗をかいている。そうしていると、スタジオに誰かが入ってきた。
「……乾さん?」
 あの乾隆也のかっこつけ野郎は、俺が身にやましいことをしていると音もなく背後に立っている。今はやましいってほどのこともないし、背後は壁なので立てない。入ってきたのも乾さんではなかった。
「木村、他人が訊かれたくないことは口にしないものだぞ」
「社長……」
 事務所の社長、山崎敦夫だった。
 この業界の古狸は、乾さんをも脱帽させるほどの説教好きだ。平素は彼の被害に遭っているのは主にうちの年長ふたりだが、どこから聞いていたのか、今日は俺に説教が向きそうだった。
「本橋たちは帰ったよ。木村と本庄はまだいるかなって、来てみたんだ。本橋たちを飲みに誘ったら先約があるとか言って……」
「あ、俺も約束があるんでした。失礼しますっ!!」
「そうか。本庄は行くか? 好きだろ?」
「は、はあ」
 好きと言ったのは酒だろう。俺も弱いわりには酒は好きだが、社長となんか飲みたくない。シゲさんにおまかせしてスタジオを飛び出した。
 こうしてまたもや、シゲさんの過去の女関係についての尋問は失敗に終わった。社長に邪魔されたんだからしようがないし、社長との酒の席はシゲさんにおまかせできたのだから、ある面は失敗でもなかったのだろうが。


5

「男は二十五からが、本物の成人男子だよね」
「……二十歳だったらガキだもんな」
「大人になった俺たちに乾杯」
「ああ、まあな」
 誕生日を祝い合う男同士っていうのもいるそうだが、我々は本橋さんの主義もあってそんな真似はしない。全員が三月生まれなので、全員が同時期に年齢を重ねる。おめでとう、とも言わないが、二十五歳は節目でもあるようで、幸生と飲みに来た。
 数日、俺のほうが誕生日が遅い。稚内ではまだ冬の三月。東京では桜のたよりも聞かれる季節だ。
 大人の男の酒ってことで、ウィスキーをメインとしたバーにいる。仕事帰りなのでスーツを着てネクタイを締めていて、幸生も未成年には見えなかった。
「もうじきだよな」
「そのお祝いも兼ねてだろ。俺たちの名前のついた、冠番組っていうんだっけ? それってやっぱどきどき、わくわくだよな」
「深夜ってか、早朝だけど」
「聴いてくれるひとはいるよ。ラジオ局にはすでに続々と手紙やファックスが届いてるって」
「ほんとか?」
「だといいなぁって、ユキちゃんの希望的観測だよ」
 早朝四時からの「FSの朝までミュージック」というラジオ番組が、近く開始される。本橋さんと乾さん、シゲさんと女性テニス選手、幸生と俺がペアになって、週に三回、我々がDJをつとめる。
 テーマ曲も作った。テニス選手の川上恭子にも紹介してもらった。俺も女とお喋りするほうがいいかな、とも思っていたのだが、あのもっさりした女が相手よりは、呼吸の合う幸生のほうがやりやすい。今夜はその話題にも花が咲いていた。
「まあな、あのぐらいだったらシゲさんも、緊張しないんじゃないかな。その意味では恭子さんみたいな女のほうがいいよな」
「失礼な言い方だな」
「おまえもそう思ってんじゃねえのかよ?」
「恭子さん、可愛いじゃん」
「幸生は女だったら誰でも可愛いんだろ」
 そうでもない、いいや、そうかな? と幸生は首をかしげている。この女好き男は、女の守備範囲が異様なまでに広い。
 背の高い女は嫌いだという俺の趣味には同感なようだが、美江子さんみたいな気の強い口うるさい、顔にも性格があらわれているような美人にも、ごろにゃん、お姉さま、と甘えかかる。
 年上の女は嫌いな俺に、成熟した女性の色香には酔わされちゃうわ、と反論する。事実、事務所の先輩である杉内ニーナおばさんとお手合わせできるのか? と問うてみれば、マジで、できるできる、大出来だ、と応じていた。本音であるらしい。
 太った女は嫌いな俺とはちがって、ふっくらまろやかなぽちゃぽちゃ肌も素敵だと真顔で言う。女だったら赤子でも老婆でも好きだというのは、性的関心とは別らしいが。
 そんな調子で俺の好みはことごとく否定して、章は心が狭いと言いやがる。俺が狭いんじゃなくておまえが広すぎなんだ。そんなだとそのうち、とんでもないブスにひっかかるぞ。おまえだってブスは嫌いだろ? と問うてみても、むにゃむにゃとごまかす奴なのである。
 近くシゲさんの仕事のパートナーになるってだけの川上恭子には、義理立ての必要はない。あの女は俺の好みとはかけ離れていて、美人でもなければスリムでもない。声は可愛くて背は高くない、それ以外は俺はパス!! だったのに、幸生は彼女をかばう。
 そうしているうちにこっちはむかっ腹が立ってきて、ついでに席も立った。こらぁ、章、半分払ってけ、と怒っている幸生を無視して、先に店を出てずんずん歩く。ツケのきく店ではないから、幸生が払っていたのだろう。数分後に幸生は駆け足で追いついてきて、背後から俺の膝のうしろを膝で蹴りやがった。
「なにをするんだよっ!!」
「罰だよ」
「なんの?」
「おまえな、言っとくけど面と向かっては言うなよ」
「誰に?」
「決まってんだろ。恭子さんにだ」
「なにを?」
「おまえがさっき、言ったようなことだよ」
「俺、なに言ったっけ? 忘れたよ。具体的に繰り返してみろよ」
「……その手に乗るか」
 珍しく幸生は本当に怒り顔をしている。めったと怒らない奴を怒らせると勝ったと思うのが常なのだが、理由が理由だけに虚しくて、俺のほうのむかっ腹はしゅるっとしぼんでいった。


6

 好みとはかけ離れているとはいえ、俺が結婚するんじゃないんだから、シゲさんの相手なのだからOKだ。秋にはシゲさんが恭子さんと結婚することになった。
「ヒデがさ……」
「……そうだなぁ」
「だけど、シゲくんは……」
 うちの年長者たち、美江子さんと本橋さんと乾さんがこそこそ話していたのは、小笠原英彦についてだったのだろう。
 たったの一年間だけ触れ合った、シゲさんの親友、ヒデさん。あまり真面目に合唱部活動をしていなかった俺と同様、彼もさぼったりしていたので、一緒にライヴハウスに行ったこともある。昼メシくらいだったらおごってくれたし、ライヴハウスの飲み物代を払ってもらった記憶もあった。
 それでもつきあいはたったの一年で、それでも俺は彼のおかげで、プロのシンガーになれたってのもある。ヒデさんが脱退しなかったとしたら、フォレストシンガーズのメンバーとしてデビューしたのは俺ではなかったはずだ。
 なにがどうなってヒデさんが脱退したのかは、ひがみっぽい俺に気を使って誰も詳しくは話してくれなかった。そのせいで俺はますますひねくれ、ヒデさんには複雑な感情を抱いていた。
 一昨年くらいだったか、偶然にもヒデさんと会って、メンバーには言うなと命令された。そんな命令は聞かなくてもいいようなものの、ヒデさんのしょぼくれた様子からしても気持ちはわかるので、約束を守った。
 あれからどうしたのかな、ヒデさんは。
 もう神奈川にはいないんだろうか。不健康にむくんだみたいな顔をして、栄養状態が悪いんだろうかと思った彼には、女もいないんだろうか。昔はけっこうかっこいい男だったのに。
 しようがないよ、俺たちが思い煩うことじゃない、意外にクールに言った乾さんの声に、そうだな、そうよね、と男女の声がかぶさる。今夜の我々はレコーディングスタジオにいて、俺はスタジオから出て廊下を歩いていった。
 ヒデさんは言ってたよね、シゲはもてないんだよ、って。俺もシゲさんと深く関わるようになって、ほんとにそうだったんだと知った。なにしろシゲさんの想い出話には、女というと母親と姉さんと、幼馴染の泉水さんしか出てこないんだから。
 そのくせ、シゲさんはフォレストシンガーズでは真っ先に結婚するんだぜ。もてない人間は結婚は早いって説もあるから、それなのかな?
「もてないってのは若いときには男としては哀しいもんだけど、おまえみたいにもてまくってもな……おまえの青春は哀しいというよりも虚しかっただろ」
「……あんたに言われたくねえんだよ」
 いけないいけない、幸生の癖がうつった。
 あいつは暇があると架空会話をやっている。その相手役はフォレストシンガーズのメンバーだったり美江子さんだったり、ヒデさんだったりもするらしい。時には妹や母ちゃんも出てくるのだろうし、俺の知らないあいつの過去の友達もいるのかもしれない。
 その上に猫やら小鳥やら、木の葉やら風やらとまで喋る、三沢幸生は特異口の持ち主だと自分でも言っている。
 そんな癖がうつってしまって、俺はどこにいるのかもしれないヒデさんと会話をしていた。あげくは俺自身にダメ出しされて、今夜も胸のうちに低気圧がやってきた気分になった。


END








 
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~ Comment ~

NoTitle

本気でやっても売れないのが音楽。
だからこその音楽なのかもしれませんが。
夢のある職業っていうのは同時に儚い職業でもありますね。
必死に努力しても売れないという矛盾は辛いですね。
人とはそういう生き方もするものですが。

LandMさんへ2

こっちにもコメント、ありがとうございます。
長いのも読んで下さってうれしいです。

芸術ってもので売れるのはむずかしいですけど、芸能はもっとむずかしいですよね。
いいものを持っていてもまったく注目されないのは、時代の風に乗れないってこともあるようで。
そうして諦めて去っていくミュージシャンも多々いる。
「消えた」と他人はいうけど、消えたわけでもなくて。

なんだか切ないですよね。

こんにちは

はじめまして!あるブログを拝見していたら、このブログに出会いました。私もブログを開設しています。「鬼藤千春の小説」で検索できます。一度訪問してみて下さい。

有り難う

「鬼藤千春の小説」のブログへ訪問いただきまして、有り難うございます。今後ともよろしくお願い致します。

鬼藤千春さまへ

ご訪問、コメント、ありがとうございます。
私も鬼藤さんのブログをすこし見せていただきました。
近くじっくり読ませていただくつもりです。

鬼藤さんもぜひまた、いらして下さいね。
お待ちしています。

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