ショートストーリィ(FSいろは物語)

いろはの「わ」

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フォレストシンガーズ

「和風細雨」

 
 日本庭園に細かい雨がそぼ降る。イメージとしてはそうなのだが、どういう意味だろうか。言葉の意図をはかりかねてじっと顔を見ると、乾さんが言った。

「和っていう文字には日本ってだけではなくて、和み、穏やかって意味があるだろ。細かい雨も静かじゃないか。そういう意味だよ。それっていいことなんだから、ヒデも本橋もシゲを見習えと言いたいな」
「はぁ」

 大学合唱部の一年先輩である本橋さんと乾さん、同い年の小笠原ヒデ、二年生になってから親密度が増してきて、四人で行動を共にすることも多くなってきた。三沢幸生あたりは仲間に入れてほしがっているが、一年坊主には遠慮もあるようでしゃしゃり出てはこない。

 男子部では傑出した才能の持ち主の、本橋さんと乾さんは天才クラスの歌唱力だと俺は思っている。ヒデは秀才、俺は凡才、俺は鈍才ではないはずだから、凡才だったらまだいいか、とも思っている。そこまでの才能の持ち主の乾さんと本橋さんに親しくしてもらえるのはたいそう嬉しくも誇らしくもあった。

 今年の夏休みの合宿も終わり、夏のコンサートも終了し、新学期がはじまるにはまだ間もあるので、歌はヌキにして四人で泳ぎにいこうということになった。来年の夏休みだと本橋さんや乾さんは就活準備の必要が出てきて、遊んでいられなくなるのかもしれない。

「男ばっかりか。つまらんな」
「そしたらおまえは行くなよ」
「行く行く」

 文句を言っていたヒデももちろんついてきて、四人でプールにやってきた。親しみを増したのはいいのだが、そうなると増長する傾向がヒデにはある。乾さんが相手だと一歩引いているくせに、本橋さんとは気性が似ているせいか、ふたりきりにしておくともめはじめていた。

「おまえのプレス、なんか変なんだよな」
「そうですか。俺はこう固まってしまってるから、変だと言われてもね……」
「マイクを使うと息を吸い込む音が入って耳障りなんだよ」

 歌はヌキの遊びのはずだったのだが、みんな歌が好きなのだから話題がどうしてもそちらに流れる。本橋さんとヒデのもめごとの発端は息継ぎであるらしかった。

「んなことを言うんだったら言わせてもらいますけど、本橋さんも高音部になると裏声になるでしょ。もうちょっと地声でがんばれないんですか」
「俺は乾やおまえみたいな声質じゃないんだから、地声では高音は出にくいんだ。おまえのファルセットはいいって、高倉さんにも言われたからこれでいいんだよ」
「高倉さんなんか知らんきに。本橋さんは俺にはケチばっかつけるくせに、自分は正当化するんですね」

 高倉さんとは、本橋さんと乾さんを見出した二年前の男子部キャプテンだ。噂には聞いているのだからヒデが知らないはずもないのだが、どうやらかたくなになってきたらしい。しかも土佐弁が出てきた。これはまずい。

「なんの話してんだよ。だっせぇ」
「ファルセットよかコルセットのほうが色っぽいじゃん」
「やだ、コウジ、あんたのそのシャレもだっせえよ」

 まったく関係もないのに、近くにいた若い男女のグループがからんできた。ヒデがそいつらをぎろっと見る。ヒデは怒ると目がぎらついて殺気が漂う。本橋さんも怖い顔をすると迫力満点で、男たちはびびって後ずさったのだが、女の子たちが調子に乗ってきた。

「なんなのよ、やろうっての? 面白いじゃん。あたし、退屈してたんだよね。ね、マオ? 見たいよね」
「うんうん、見たい」
「夏は喧嘩の季節だよぉ」
「そっちはふたり? こっちは三人だから怖いかな」
「あたしたちは見てるだけだから、やるのは男三人だから心配しなくていいよ」

 ますますまずい。こうやって挑発されると乗るのがヒデって奴だ。本橋さんも乗りかねない。すこし離れた場所にいた俺は近づいていった。

「シゲ、おまえも加勢しにきてくれたのか」
「ちがうよ。俺は止めにきたんだ。今日は泳ぎにきたんでしょ。泳ぎましょうよ」
「こうやって挑戦されてるんだから、売られた喧嘩は買わのぅと名折れやきに。おまえはいややったら引っ込んじょれ、シゲ」
「乾なんか連れてくるなよ。シゲもすっこんでろ」
「本橋さんまでぇ……」

 四対三だとこの男たちも戦意喪失するかと思ったのだが、乾は邪魔だから連れてくるな、と本橋さんは言う。邪魔が入る前にやりますか、とヒデも不敵に笑う。見回してみても乾さんの姿は見えないので、俺が全身全霊を賭けて止めるしかなさそうだった。

「冷静になってよく考えてみましょうよ。発端は本橋さんとヒデの議論でしょ。そこに関係のないひとたちが口を突っ込んで来た。それだけのことで喧嘩になる必要はひとかけらもないじゃありませんか」
「売られた喧嘩は買うのが男だ」
「そうだ、ヒデの言う通りだよ」
「そんな馬鹿な。やめましょうよ」

 やれやれぇ、と女の子たちがけしかけ、男たちはにやにやしている。プールサイドにいた子ども連れは避難していき、若者のグループは遠巻きにして見学している。俺が必死になって訥弁をふるってみても、ヒデと本橋さんが納得しないのだからどうしようもないのだった。

「なんか、パトカーの音が……なにかありましたか?」

 躍起になって俺が止めようとしていると、女の子たちの背後から乾さんが顔を出した。たしかにパトカーのサイレンらしき音が聞こえてきていて、乾さんは女の子たちに言った。

「ははーん、ここで一触即発になってる血の気の多い奴らを見て、危機を察したどなたかが通報したんですね。お嬢さんたち、危険ですよ。むこうに行きましょう」
「え、え……」
「あの、あたしたち……」
「怪我をしたくないでしょう? 行きましょう」

 三人の女の子たちは困り顔をしていたものの、乾さんについていってしまう。本橋さんとヒデを挑発していた男たちも、パトカーのサイレンに白けてしまったのか、連れの女の子たちを乾さんにさらわれてしまいそうになったのもあって、おい、待てよ、喧嘩なんかしないよ、などと言いながらそっちに行ってしまった。

「あの野郎……」
「乾さんらしいですね。くそ」
「しかし、ああやって男たちも行ってしまったら、乾が喧嘩を売られないかな」
「乾さんだったら上手に切り抜けるでしょ」

 パトカーのサイレンは遠く遠くから聞こえている。ヒデが言った。

「あの音、なんにも関係ないんじゃないんですか。ちょうどタイミングよく聞こえてきたから、乾さんが利用したんじゃないのかな」
「なるほど、そうかもな。乾だったらやりそうだよな。ヒデ、おまえとなにかもめてたのってなんだっけ?」
「もうどうでもよくなりましたよ」
「そうだな。帰ろうか」
「乾さんはほっとくんですか」
「帰りに「花かんざし」に行こうって話してたんだ。乾も来るだろ」

 ごちそうさまです、とヒデが頭を下げる。はじめからおごってもらうのが大前提のようで気が引けるのだが、合唱部では飲みにいったりすれば先輩が払うのが当然とされているのだから、俺もヒデと一緒に頭を下げた。

 大学近くの学生街にある安直な飲み屋、「花かんざし」。プールに近いとあの男どもと鉢合わせする可能性もありそうだが、ここならば大丈夫だろう。先に三人で食ったり飲んだりしていると、乾さんがやってきて言ったのだ。シゲみたいな雨が降ってきたぜ、と。

「和風細雨、ワフウサイウっていうんだよな。シゲはそういう性格だろ。本橋もシゲもシゲの爪の垢を煎じて飲めばいいんだ」
「おまえはばあちゃんっ子だっただけあって、言うことが古いよな。シゲみたいな雨ってどんなだよ」
「穏やかに吹く風と、静かにそぼ降る雨。人の過ちや欠点を改めるのに柔和な態度、方法でのぞむ。そういう意味だ。霧雨のようにあたたかく心にしみる、昔のひとはいいこと言うよ」

 ヒデは俺の手を取って、垢なんかないな、とふざけている。本橋さんは言った。

「で、あの女の子たちに誘われなかったか」
「飲みにいかない? だとか、ふたりになりたいな、だとか言われていたような気もするけど、適当にあしらって逃げてきたよ」
「男どもはどうしたんですか?」
「そっちも適当に」

 ふーん、さすが、とか言いながら、ヒデは不満そうだ。俺はヒデの手を振り払った。

「俺が和風細雨だったら、乾さんはなんなんですか?」
「今回に限っては、臨機応変かな。ヒデや本橋みたいな性格で世渡りをすると、いつなんどき大怪我をするかもしれない。ヒデにはシゲ、本橋には俺、ふたりともに運命が結びつけたパートナーなんだよ」
「は、はあ」

 それはちょっと気持ち悪いかも、と思っていても先輩には言えないでいる俺を見て、ヒデががはがは笑う。ここまで言われては本橋さんも笑うしかなくなったらしく、好きにしてくれ、と苦笑いで情けない声を出していた。


SHIGE/19歳/END





 



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~ Comment ~

NoTitle

話題からはそれますが。。。
声というのは才能ですねえ。
勿論、努力でできることもたくさんあるのですが。
声域というのは自分ではどうにもできないところもありますからね。
努力ではどうしようもできない領域。
それは妬みにもなりますね。

LandMさんへ

いつもありがとうございます。

人間、持って生まれたもの、持たずに生まれたものはどうしようもありませんね。
身長、脚の長さ、顔のよさ、髪の毛の量。声、そのほかの才能。

体重は自己管理できると言いますが、やはり体質もありますから、食べても太りにくいひと、じきに太るひとってのもいます。
多少食べ過ぎても太らないのも一種の才能だったりして。

他人を羨んだり妬んだりの感情もの多寡も、人によってちがうんですよね。
ほんとに、どうしようもないものかもしれません。
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