ショートストーリィ(花物語)

花物語2014「七月・アイビー」

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あいびー
花物語2014・文月

「アイビー」


 永遠の眠りが訪れるのを静かに待つ夫と、そんな夫の枕頭に寄り添って静かに見守る妻。この夫婦とのつきあいは五十年以上になるのだと、岡本希は静かに思い出す。八十路間近ともなると、なのか、五十年も前だからなのか、過去は静かに振り返る以外のすべはない。

 あのころ、当然希は二十代だった。短大を卒業して就職した職場で元気に働いていた。一晩くらいの徹夜はへっちゃらで、活力にあふれていた。そんな希に注目してくれたのは、下請け工場で働く苗場壮一、電話で話したり、時には壮一が希の職場に仕事でやってきたりして、自然に言葉をかわすようになっていった。

「岡本さんって彼氏はいるの?」
「今は仕事が楽しいから、彼氏はいらないんですよ」
「僕もね……うん、僕にもいないんだ。恋人がいない同士でつきあっちゃわない?」
「安易に言わないで下さい」

 冗談かと思っていたのだが、壮一は本気だったらしい。その言葉を皮切りに猛アプローチがスタートした。

 親会社の総務部にいる希と、子会社の工場勤務の壮一。仕事で顔を合わせる機会はたびたびある。会うたびに、ランチを一緒にしよう、お茶を飲みにいこう、今夜、時間はある? と話しかけられて、デートしようよ、と誘われて、希の心は徐々に動いていった。

 二十三歳の女と、三つ年上の男。希から見て壮一は嫌いなタイプでもなかったし、高校も短大も女子高だったのもあって、男性に熱心に誘われたり口説かれたりするのも初体験で、とうとうデートの誘いにうなずいた。

「希ちゃん、僕と正式につきあって」
「……はい」
「嬉しいよ。ありがとう!! 愛してるよ」
「そんな……こんなところで……」

 何度目かのデートをしていたレストランで正式に告白され、愛してるよ、とまで言われて恥ずかしくもあったが、嬉しくもあった。
 当時、女の結婚事情は「クリスマスケーキ」と言われていた。すなわち、二十四は売れるが、二十五になると大安売りになる。二十六なんて論外といったところだ。

 私は二十三歳で彼氏が決まった。これで二十四歳で結婚かな。嫁き遅れにはならなくてすんだ。正直、そんな気持ちもあった。壮一はエリートでもなんでもないけれど、堅実な企業で働いている。私だって平凡で美人でもないのだから、こんなもんかな。

 妥協も入っていたそんな気分は、壮一に愛されている実感を得るにつれて、私も壮一さんが好き、愛してる、に変化していった。早くプロポーズしてくれないかしら。早く結婚したい。寿退社をして幸せな奥さんになって、子どもは二人か三人、希は現実味のある夢を見ていた。

「希ちゃん……」
「どうしたの、むずかしい顔を……あ、なんでしょうか」

 交際開始から一年近くがたったころ、壮一が真面目な顔になって切り出した。希としては夢がかなう瞬間なのかと身構えた。奇しくもはじめてデートをしたのと同じレストランだった。

「実は……希ちゃんとつきあう前に、僕には好きな女性がいたんだよ」
「……そうなの」
「そうなんだ。そのひととはつきあってたんだけど、別に好きな男性ができたから別れてくれって言われたんだ。僕は泣く泣く諦めた。心が離れてしまったんだからどうしようもない。潔く諦めて他の女性を探そうってね。そのつもりで見ていたらきみがいたんだよ」
「……そう、なのね」

 そんなこと、言わなくてもいいのに、とは言えないのは、遠慮があったからだ。気持ちが波立つのを抑えて、希はおとなしく聞いていた。

「ところが、その彼女、誠子ちゃんっていうんだけど、つきあっていた男性と別れたらしいんだよね。一年ばかりつきあってるうちに、彼氏のいやなところも見えてきたらしい。なんだかんだとあって別れたって、僕のアパートに電話をしてきてくれたんだ」
「そ、そう」
「だからね、悪いけど、僕は誠子ちゃんと戻ろうと思う。僕が本当に愛しているのは誠子ちゃんだって、思い知ったんだ。希ちゃんには悪いけど、ごめん、この通り!!」

 テーブルにぶつかりそうな具合に頭を下げる壮一の後頭部を見下ろしながら、てっぺんがちょっと薄くなってるな、ここにコップの水をぶっかけてやったらすっきりするかしら、と考えていたあの夜。

 結局はものわかりのいい女の顔をして、希が身を引いた。それから数か月は心に嵐が吹き荒れて、夜中に布団にもぐって泣いたりもした。会社で壮一に会うと顔が引きつって、希のほうから避けたりもした。それでも表面はなにもなかったように繕って、日々をやりすごした。

「希ちゃん、これ」
「なんでしょうか」
「きみにはお世話になったから、ぜひ、来てほしいんだ」

 ある日、壮一にこっそり手渡されたのは結婚式の招待状。なんとデリカシーのない男だろうか。目の前で破ってやろうか。それとも、何食わぬ顔で参列して、新婦にすべてをぶちまけてやろうか。悔しいやら腹立たしいやらで、希は壮一にはまともな返事もできなかった。

「そっか、壮一さんはその、誠子って女と結婚するんだ」
「そうなのよ。結婚式の招待状なんか持ってきてにやけててさ。私はどうしたらいいと思う?」
「復讐したいわけ?」

 二、三の友人は希が壮一とつきあっていたことを知っている。そのうちのひとり、職場ではもっとも仲良しの路子に、会社帰りの居酒屋で打ち明けた。

「結婚式で復讐するつもりだったら、手はいくつかあるわよ」
「……うーん……」
「だけどさ、復讐なんてやめときなさい。卑劣な奴に復讐するっていうのは、相手のレベルまで堕ちるってことよ。希ちゃんの値打も下がるってことよ」
「そうかな」
「そうよ。どうせそんな女も男も、長続きしないって。あっちとくっついては別れて前の彼氏と復縁したり、彼女にふられたからって別の女とつきあったりって奴らでしょ」

「だけど、ふたりは結婚するのよ」
「結婚したって離婚するわよ」
「離婚?」
「そうよ。長持ちするような夫婦にはならないわ。私が保証してあげる」

 路子の言葉には一理あるような気がした。それならば結婚式に参列して、見届けてやろう。このふたりは近いうちには破局する。その道程を見るためにも、これからも親しくしていよう。
 暗い目論見を胸に秘めて、希はそれを実行した。誠子は希が夫の一時的な交際相手だと知っているのかいないのか、夫の同僚のような存在として、希に気軽に接してくれた。

 男から男へと渡り歩く軽い女だと思いたかった誠子は、意外に気のいい女だった。希が複雑な気分で夫婦ともと親しくつきあっているのを横から見て、路子などは呆れていたものだったが。

 歳月はただ流れていく。路子も結婚して退職し、希が三十代になるころには同年輩の女子社員はひとりもいなくなった。結婚して退職した路子が子育てを一段落させてパート社員として復帰したころには、希は四十代になっていた。

「そっかぁ、希さんは独身なんだ」
「そうよ。機会を逸してしまったわ。っていうか、私たちの世代って二十代で結婚しなかったらおしまいって感じだったものね」
「三十代で結婚した女はいなくもないけど、希さんは仕事に生きてたからもあるんでしょ」
「恋愛なんかこりごりってのもあったかな」
「そうかもしれないけど、これからでも恋をすれば?」
「もういいわよ」

 定年が訪れてからも、希は嘱託として会社に残った。もはや周囲には若いころからのつきあいのある人は皆無だ。路子も夫が転勤になって辞めてしまってからは、年賀状のやりとりのみになり、希には友達と呼べる存在もいなくなってしまった。

 なのに、壮一と誠子は続いているのである。
 長続きしないんじゃなかったの? 私はあの夫婦の破局を見届けたくてそばにいたのに、意味なかったじゃないの? だけど、今となっては唯一といっていい友達夫婦だから、もはや生々しい感覚もなくなってしまったから、それでいいのかもしれない。

 嘱託機関すらも終了し、希はひとりのんびり暮らすようになった。壮一と誠子の金婚式のお祝いには招待され、子どもや孫に囲まれた夫婦を、二心もなく祝福した。

「時の経つのって早いような……なんていうのかしら、邯鄲の夢?」
「ああ、そうね、ありがとう、希さん。主人はもうじき逝ってしまうだろうけど、彼がいなくなっても仲良くしてね」
「こちらこそ、まだ続く老後を仲良くやっていきましょう」

 目をやると、病室の窓の外に隣の病棟が見える。古い病院も歳月を経て、ほどよい具合に白い壁がくすんでいる。その壁に這う蔦の葉、アイビー。花言葉は「結婚」、「永遠の愛」。
 永遠の愛だかどうだかはわからない。他人にはうかがい知れぬ夫婦間のあれこれは、壮一と誠子にもあったかもしれない。いくら親しくてもそこまでは、希には話さなかったのかもしれない。

 破局を見届けたくて、やっばりね、と笑ってやりたくて、五十年も夫婦の近くにいた。そんな夫婦は夫の死によって分かたれようとしている。希が自身は身をもっては知ることができなかった「夫婦」を見ていた、結果は皮肉なものだったのか。それはそれでよかったのか。


END







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~ Comment ~

NoTitle

ほう。復讐はいいことですよ。
・・・なんて、経験したことがない私言うことでもないか。
復讐したいほどの情愛なら、やってそんな損なことはないと思いますけどね。

LandMさんへ

コメントありがとうございます。
復讐はいいことですか。
復習だったらいいことですけどね。
わ、アホシャレですみません(^o^)

復讐譚というのは物語としては面白いのですが、私は復讐を肯定的に描いた作品が嫌いです。
最近もそんな小説を読みまして、面白いけど……うう、いやいや、と感じたのでした。

現実問題としては復讐は愚か以外のなにものでもないと思っています。
「阪急電車」に出てくる復讐女も、そんな馬鹿なことやってないで、もっと生産的なことをしようよ、と感じたものでした。

NoTitle

久し振りに覗いたら素敵な夏がいっぱい。ひまわりいいですね。
 それにこの花物語本当にいいです。
 時代も私と同世代、何だか切なくてでも希さんに悲壮感
とか、嫌悪感がないのがより一層私の心に響きます。
私の中では真実の愛とは静かに変わらぬ想いがいつまでも続くことなのです。
現実的ではないけれど、そう信じています。
希さん自身気付いてないかも知れないけれど、私は彼女の
なかにそれを見届けたような気がします。
あかねさんにはこういう話を沢山書いて欲しいです。
ほほほ私やっぱり、変ですか。

danさんへ

コメントありがとうございます。
danさんの感覚はちっとも変じゃないと思いますよ。
私も変な人間のつもりはないのですが、変な奴を書くのは好きでして、フツーの人間が変な奴を書いてもたいしたことないなぁなんて思ったりしています。

ひまわり、いいですよね。
来年の夏には向日葵の、もっとまさもなストーリィを書けたらいいんですけど。

因果応報という言葉がありますよね。
よくない行いをした人間は幸せになれるわけがないと。
いやいや、そうでもないんじゃない?
多少悪いことをしても、上手に世渡りしていく人間はいるんじゃない?
あ、でも、もしかしてそういう人間は地獄に行くのかな?

などとも考えております。

不思議ですよね~

人と人の縁って。
あんな男って思っても、あんな女って思っても、なぜか組み合わせの妙があったり、たまたまそういうタイミングだったり。絶対の愛があるわけでもなくて、ただ何か不思議な力が働いているとしか思えないことがあって。
本当に、人生何でも五分と五分、差し引きゼロってことで、そのプラスマイナスも特に大きなことじゃなくて、ほんのちょっとしたこと、なんでしょうね。
人生を感じる作品、頷きながら読ませていただきました。

大海彩洋さんへ

コメントありがとうございます。

人の心ってものが不思議だから、恋愛は特に摩訶不思議なんですよね。
他人から見て、あんな奴どこがいいの、って相手がそのひとにだけはかけがえのない特別な恋人だったりもして。

人生そのものも不思議ですよね。
月並みですが、事実は小説よりも奇なり、なんて申しますし。

「幸せ」は心の持ちようひとつとも言いますから、本人が幸せだと思っていたら、それでいいんですよね。
ほんとに人生、人の気持ち、人と人との縁って不思議だと私もしみじみ思います。

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