ショートストーリィ(しりとり小説)

86「ヴァイオリンのお稽古」

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しりとり小説89

「ヴァイオリンのお稽古」


 ひとり娘が中学生になり、子育ても一息ついた。
 男女雇用機会均等法世代とでもいうのか、雅子の世代の女性は四年制大学を卒業して正社員として企業に就職、結婚しても出産しても仕事を続けていくのが当然だとの思想を持つように至った。

 そうはいってもそれは建前である場合も多く、現実問題として雅子も妊娠してからは働き続けるのがつらくなった。

「雅子さんが仕事を続けたい気持ちはわかるし、いいことだと思うよ。けれど、そのためにおなかの子どもになにかあったら大変だ。ここは一旦退職して、子どもが大きくなったら再就職したらどうかな」
「そんなに簡単に再就職できる?」
「雅子さんにはヴァイオリンの腕があるだろ」
「ヴァイオリンは仕事にはならないわ」

 幼児のころからヴァイオリンの先生についてレッスンし、高校生になればアマチュアオーケストラで演奏していた。二十代前半から妊娠するまでは、冬口冬馬のオーケストラのメンバーになってコンサートにも出演した。
 指揮者の冬口はプロだが、オーケストラのメンバーは大半がそれでは食べていかれない。夫の晃一もクラシック好きではあるが、自分で演奏はしないので、そのあたりは軽く考えていた。

「仕事がなかったら専業主婦だっていいじゃないか」
「そうね。まずは出産してからよね」

 多少は自分をごまかしたのもあり、雅子は娘の果音が中学生になるまでは、専業主婦として暮らしてきた。夫の収入にも不足はないし、雅子は家事も嫌いではなかったので、それはそれで楽しい暮らしだったのであるが。

「でも、働きたい。十五年近くもブランクがあると大変だけど、仕事がしたいの。父さんはヴァイオリンの仕事をすればいいって言うから考えたのよ。ヴァイオリンの先生になるために学校に行くわ」
「そんなんで先生になれるの?」
「なってみせるの」

 インターネットで発見した「ヴァイオリン教師養成講座」に申し込み、一年間通った。主婦であってもヴァイオリンは弾いていて、時たま小規模な演奏会に出たりもしていたが、趣味と仕事は別だ。
 親を冷やかな目で見る傾向のある年ごろの娘は、ふーん、ま、やってみれば? の態度。夫としては雅子に無理に働いてほしいわけでもなく、生活に困っているパート主婦のような仕事に就かれるのは自分のプライドが許さず、といったところらしく、がんばってね、とゆったり笑っていた。

「教室を開きます」

 やがて、雅子は夫と娘にそう宣言した。
 自宅で開く教室だ。対象は子どもで、基礎から教える。あなたはお母さんでもあり、優しい性格だから子ども教室の先生がふさわしいと、養成講座の先生が言ってくれたからもあった。

 生徒が集まるかと不安だったのだが、早速申し込みがあった。雅子の自宅から徒歩で行ける大きなマンションに住む、小学校一年生の女の子がふたり。このふたりは友達同士で、母親同士も知り合い。ふたりで語り合って訪ねてきてくれた。

「雅子さん、ヴァイオリン教室を開くの?」
「そうなの。我が家の一室を使うのよ。主人も娘も音楽が好きだから、うちには防音室があるのね。そこを使うの。生徒さんもふたりは決まったわ」
「うちもお願いしようかしら」
「あら、いいわね。いらしてよ」

 その電話は冬口冬馬のオーケストラ時代の友人である、浩江からのものだった。彼女はフルート奏者で、雅子よりも早く結婚して遠方で暮らすからと、オーケストラをやめて夫の勤務先近くへ引っ越していった。
 彼女の夫は転勤族で、それからも日本各地で転居ばかりしている。年賀状も毎年届き、折に触れては電話をかけてきて、子どもができないのよ、と嘆いていた。

 結婚してから十年以上もたち、三十代も終わりかけていた六年前、妊娠したとの報告があった。そして生まれた息子の名前は透馬。浩江さんったら、冬口さんの名前をもらったのね、実は冬口さんが好きだったのかな、と雅子は思ったものだ。

 その浩江の夫がこのたび、東京に戻ることになった。東京で暮らすのは久しぶりだから、雅子さん、よろしくね、との電話がかかってきて、雅子が先生をしてくれるのならば、五歳になった透馬にもヴァイオリンを習わせようとなったらしい。

 会うのは浩江とだって十年ぶりぐらいだ。透馬とは初対面になる。一年生の女の子ふたりにヴァイオリンを教えて、すこしは先生にも慣れてきたころに、浩江が透馬を連れてきた。

「久しぶりね。お元気そうでなによりだわ」
「雅子さんもお元気そうで。なんだか昔以上に綺麗になったみたい。私は老けちゃったでしょ」
「そんなことはないわよ」

 年齢も浩江のほうがやや上で、不妊治療が過酷だったのもあったらしい上に、高齢出産で育児も大変だったらしく、たしかにやつれて見えた。小さな身体でかしこまっている透馬をかたわらに、浩江は言った。

「私はフルートもやめてしまったから、透馬に教えるのも無理なのよ。うちの主人は音楽には興味ないほうで、男の子なんだから楽器なんかなにも習わせなくてもいいだろって言うの。小学生になったら塾に入れたらいい。他にもやらせたいんだったらスイミングスクールあたりだったらいいって。うちは経済的に余裕もないから、雅子さんだったら授業料は安くしてもらえるから、ってことで主人の許可をもらったのよ」

「あ、ああ、そうなのね」
「音楽は情操教育のためには大切よね。私も透馬と一緒に教えてもらおうかしら」
「浩江さんはもう一度、フルートをやり直したほうがよくない?」
「フルートのレッスン料なんて出せないわ。ヴァイオリンだったら透馬の横にいて、一緒に教えてもらえばいいんでしょ」

 うーん、私も商売なんだけどね、とは言えずに、雅子は曖昧にうなずいた。
 それからは一週間に一度、午後三時に浩江と透馬が通ってくるようになった。透馬はヴァイオリンを持っていないので、果音が小さいころに使っていたのを貸してあげた。

「あらぁ、嬉しい。これ、果音ちゃんはもう使わないんでしょ。もらっていいわよね」
「……え、え、ええ」
「よかった。こんな小さい男の子なんて、いつやめるって言いだすかもわからないんだから、買うのももったいないと思ってたのよ。雅子さんだったら融通をつけてくれるから、お教室はこちらにしてよかったわ」

「ママ、おなかすいた」
「ああ、今日は急いでたから、おやつを食べてなかったね」
「レッスンがすんだらシュークリームがあるわよ」
「透馬、よかったね。雅子おばちゃんだったらいつもおやつを出してくれるよ」

 これは浩江の家がそんなにも経済的に困窮しているからなのか、もとからこんな性格だったのか、夫が吝嗇なのか。まずは基礎の基礎から透馬にヴァイオリンを教えている雅子に、浩江は言った。

「ヴァイオリンなんてやだぁって言うようになったら、雅子おばちゃんはおいしいおやつを出してくれるんだから、って言い聞かせられるわよね」
「そういうので釣るのはよくないかも……」
「もうすこししたら私も一緒に教えてね。雅子さんのお古でいいから、私にもヴァイオリン、貸してもらえるよねぇ?」

 もしかしたら、大変な相手と関わる羽目になってしまったのではないか? モンスターペアレントとかいうのがいるらしいが、浩江は一種のそれではないか? 彼女が旧友であるだけに始末が悪い。雅子の気持ちは暗澹としてきていた。
 
「透馬は私の息子だもの。音楽の才能はあるでしょ」
「まだそこまではわからないけどね」

 できるものならば、僕はヴァイオリンなんてやだっ!! サッカーがしたい!! 野球がやりたい!! とか言い出してくれないだろうか。僕はヴァイオリンなんか大嫌いだ!! と透馬が言ってくれたら、雅子としては引き止める気は毛頭ない。

 言ってほしいことは言ってくれず、透馬は毎回のおやつに釣られて機嫌よくレッスンに通ってくる。浩江は浩江で、私には無料で教えてくれるのよね? ついでだもんね、いつからはじまるの? と嬉しそうに言う。雅子のほうこそ言いたくなった。

「こんなことになるんだったら、ヴァイオリンの先生なんてやだっ!!」
 と。

次は「こ」です。

「主人公について」

蛇足ながら、小さなストーリィの各主人公について補記しておきます。
しりとり小説52「カノン」の主人公の母、雅子さんです。





 
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