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小説54(ONE NIGHT STAND)後編

 ←小説54(ONE NIGHT STAND)前編 →番外編16(さらば青春の光)
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ほんの少々売れてきているとはいえ、街を歩いていてファンの方々の目に留まり、きゃーっ!! フォレストシンガーズの三沢さんよーっ!! 素敵素敵っっ!! などと騒がれた経験はまだない。一度はしてみたい経験なのだが、そこまではまだ程遠い。であるからして、乾さんとふたりで待ち合わせ場所にたたずんでいても、誰も騒がない。
「寂しいなぁ」
 若者たちの待ち合わせのメッカたる場所にいるってのに、だーれも気づいてくれないなんて、と呟くと、乾さんが言った。
「……男ばっかりだからか。せっかくのライヴなんだから、女の子がいっしょのほうがいいか。今夜は俺たちは数馬くんの保護者なんだから、そこらへんを歩いている女の子に声をかけたりするなよ」
「そういう意味で寂しいんじゃないんだけど、そう言われてみるとそっちはもっと寂しいですね。あそこにいる女の子のふたり連れ、すっごい好み。乾さん、今だけお話ししましょ、って声かけてきて」
「いやだ」
「どうして? いいじゃありませんか。乾さんってナンパしたことないの?」
「ない」
 うっそだー、と言いたかったのだが、考え直した。乾さんはもてるんだから、ナンパなんかする必要はないのかもしれない。寂しかったのが悔しくなってきた。
「したことないってのは男としては欠陥人間ですよ。なにごともいい経験。経験ってのはすべてが初体験からはじまる。ないんだったらなおさらです。チャレンジしてみましょう。俺がご教示しますから」
「いらない」
「教示なんかしなくてもいいと? そりゃあそうだよね。乾さんだったらその気にさえなればナンパはお手のものでしょ。あの子もあの子も可愛いじゃん。そそられません?」
「そそられない」
「……変だな。今夜の乾さんはワンセンテンス言葉しか口にしない。実は脳裏にはあるんでしょ? あそこにいる可愛い女の子たちになんと声をかけようかと、乾さんのその明晰なる頭脳の中で、ありとあらゆる口説き文句が渦巻いてるんだ。ひとつ教えて。俺のほうこそご教示を賜りたい。乾さん、乾先生、乾大先生、乾教授、乾名誉教授、乾校長先生……あ……」
 小柄で可愛い女の子ふたりは、ダブルデートでもする予定だったのか。あらわれた男ふたりと、遅ーい、待ちくたびれたよー、ごめんごめん、などとじゃれ合いながら行ってしまった。
「……もうっ、乾さんがさっさとしないからですよ。ナンパなんてのは即刻決断即刻実行。やあ、彼女たち、可愛いね、とかなんとか声をかけたら、あとはこの口がものを言う。なんとでもなるのに」
「来たぞ」
「誰? 誰が? ええ? あれ、あれあれあれ……章?」
「みたいだな」
 ロックライヴにはもとロッカーはこんな格好で来るのか。今夜の章は背が高い。髪がおっ立ってるのとロンドンブーツのせいだ。蛍光イエローのシャツに革パンツを穿いて、俺たちとは完璧に人種がちがって見えた。章は俺たちの前でふんぞりかえり、背が高くなっているからか、えらそうに言った。
「乾さん……まあ、乾さんは常々そういうファッションだけど、それだとインディズのライヴには似合いませんよ。ジャズかなんかだったらいいんだろうけど、今夜は若い奴らばっかりなんだから。アドバイスするべきだったな」
 モノトーンか寒色しか身につけない乾さんは、今夜もブルーグレイのシャツに白のパンツと、普段と変わらない服装だ。さらりとさりげなくかっこいいと俺は思うのだが、ロッカーのセンスには合わないらしい。章は俺の服装にもケチをつけた。
「おまえのかっこは渋谷のチーマーか」
「チーマーって古くない?」
「古いから文句言ってんだよ。いい年してストリートボーイズファッションなんてのは、いい加減に卒業しろ」
「いい年はてめえだろ。いい年してロンドンブーツなんて、それは古くないのか」
「ロンドンブーツは永遠のロッカーの象徴なんだよ。象徴でもあり主張でもある」
「百年前のロッカーの台詞だね」
「百年前にはロッカーなんかいないんだよ」
 ふたりとも、黙れ、と乾さんが言った。
「たしかに統一性なさすぎてばらばらだけど、こんなところで喧嘩をするな。服なんてのはひとの趣味の範疇なんだから、他人にごたごた言われる筋合いはないんだよ。俺だって言いたくても言わない。本橋もシゲも……言わないったら言わない」
「やっと乾さんらしくなってきましたね。ワンセンテンス語しか喋らずにいたら、口の中でムツゴロウが飛びはねかけてたでしょ。本橋さんとシゲさんが……乾さんの言いたいことはわかってますよ。そうそう、そういうこと」
 ムツゴロウ? ワンセンテンス? と首をかしげていた章が言った。
「約束の時間はすぎてるでしょ。数馬はまだ来てないんですか」
 おまえには言う資格はない、と乾さんとふたりで言い返すと、章は口を閉じ、乾さんが言った。
「やっぱり迎えにいくべきだったか。逃げたんじゃないだろうな。俺は数馬くんには会ってるけど、こう人が多いと……」
「気長に待ちましょ。来なかったら知らないもんね。ところで、乾さん?」
 この機会に、気がかりだったことを訊いてみた。
「ニーナさんには恋の告白をされたんですか」
「馬鹿言ってんじゃないよ。あれはただの色っぽいジョークだ」
「エロティックトークってやつ? 乾さんにはその気はない?」
「ないに決まってんだろ。あり得ない。乾さんとニーナさんなんて、ロックライヴに行こうとしている、乾さんと幸生の服装以上に似合わない。乾さん、そうですよね。ないって言って下さい」
「章、おまえがなにを焦って……ああ、あれだ。章、黙ってろ。幸生もだ」
 はいはーい、と俺はうなずき、章は不服そうに黙った。そこへ近づいてきたのが、山崎和馬であるらしい。十四歳になりたての中学二年生。俺がこの年頃だったころと同じで、背が低くて細い。子供そのものの顔と体格をしていた。
 あの親父の息子なんだから肥満体なのかも、と想像していたのとはまるでちがっていて、すばしっこそうな少年だった。ロイヤルパープルのシャツは中学生らしくないのだが、ジーンズにスニーカーと、下半身は普通の中学生だ。ただし、中学生のころの俺のようにはのほほんとしていなくて、ロッカー時代の章もかくやと思われる険のある表情を浮かべていた。
「……」
 この間はすみませんでした、でもなければ、お待たせしました、でもない。今夜はよろしく、でもない。数馬は仏頂面で俺たちの前に立ち、ひとことも口をきかずに顎をしゃくった。
「あっち? ライヴハウスはきみのお父さんから聞いてるから、場所は知ってるよ。行こうか」
 穏やかに話しかける乾さんに返事もしない。本橋、きみだったら殴りたくならないか? と社長が言っていたのを思い出した。本橋さんだったらこの態度を見た途端に、挨拶くらいしろ、ぼかっ、ってのは大いにあり得る。章も殴ってやりたそうに和馬を睨んでいて、乾さんが章を目で止めた。
「行こう。はじまってしまう」
 うなずきもせずに歩き出す数馬のあとから乾さんが続き、さらにあとから章と俺が歩き出し、章はぶちぶちぼやいた。
「なんだよ、このガキは。乾さんだって怒ったふりしたら相当おっかねえんだから、びしっと言えばいいんだ。年長者に対する態度がなってない、ってさ。俺たちにだったら言うくせに……」
「おまえの台詞? きゃーはは、もとロッカーも常識人になり果てたね」
「おまえは腹が立たないのか」
「別に。中学生なんてエイリアンみたいなもんじゃん。まともにつきあってらんねえよ」
「おまえの台詞はじじいみたいだ」
「中学生男子なんてものから見たら、年上の男はみーんなじじいと同じだよ」
「達観してるんだな。俺はむかつくぞ」
「まあまあ、章ちゃん。抑えてね。あんなちっこいのに殴りかかったりしたら、先輩たちに嘲笑されるよ。おまえは……続き、言っていい?」
「おまえもむかつくんだよっ」
 明らかにてめえより弱い奴にしか強く出られない、とは言わずにいるうちに、ライヴハウスにたどりついた。立ち見の客席は満員だ。見渡す限り女の子……男であるというだけで浮きそうな雰囲気だった。
「数馬くん、女の子を乱暴に押しのけちゃいけない」
「そんなこと言ってたら、見えないじゃないかよ」
 やっと口をきいた数馬の声は、変声期特有のハスキーヴォイスめいていた。乾さんを睨み返し、数馬がなおもなにか言おうとしたとき、背伸びしてステージを見た章が言った。
「……出てきた。あいつら? ビジュアル系ってやつ? うげげ……来るんじゃなかったかも」
 燦劇がどのようなタイプのロックバンドなのかは、社長は知らなかった。数馬は当然知っていたのだろう。突然饒舌になった。
「サファイア、エメラルド、トパーズ、パール、ルビー、彼らの名前ってのかニックネームってのか、宝石の名前がついてるんだ。音楽も宝石みたいだよ。前に行きたい。行かないと見えない」
「きみが遅く来るからだろ。きみもなかなか詩的な表現をするんだね」
「詩的でもなんでもいいよ。離せ」
「けっ、なにが詩的だよ。だせっ」
「なんだとぉ。燦劇のどこがださいんだ。おまえのほうがよっぽどださいよっ」
「なんだと、このガキ」
 詩的だと言ったのは乾さんで、反論したのは章である。なんだとぉ、なんだとぉ、と軍鶏みたいにとさかを立てて、闘犬みたいにがるがるるるっと唸り合っている章と数馬を見やって、乾さんが言った。
「幸生、章を数馬くんから引き離せ。他のひとの迷惑になる。数馬くんはこっちに来なさい」
「うるせえんだよ。てめえは……離せって言ってんだろ」
「あとでな、あとで」
 ちらりとかすめた乾さんの目の光が鋭くて、俺はぞくっとしたのだが、数馬には見えなかったらしい。乾さんは数馬を引っ立てて、丁寧に観客たちに断りつつ前へと進んでいった。
「俺たちはここにいようぜ。章、なんとか見えるだろ。女の子ばっかだから、俺でも背は高いほうだもんな。おまえはまたとびきり高いしさ」
「見えるけど……俺、こういうの苦手」
「ビジュアル系は苦手か。アルファベットのバンド名のZIGGYも化粧してたじゃないか」
「ZIGGYは女っぽくない。女っぽいってのか、ビスクドールってのか、人間じゃないみたいなメイクしてる、こういうのは苦手だ。嫌いだ。音が駄目だ。拒絶反応が起きる……幸生……」
 演奏がはじまっていた。おどろおどろしい前奏に乗せて、女の子たちの嬌声が響き渡る。悲鳴にも似た無数の叫びに、俺はあとずさった。もはや章の声も聞こえない。章は俺の腕を引っ張って、吐き気を催しているような顔をしている。出よう、出よう、と口が動いているので、最後列にいたのを幸い、ふたりして会場から出た。
「ふえー、参った」
「そんなに嫌いか」
「嫌いだよ。俺はこの手のバンドは受け入れられないんだ」
「好き嫌いが激しいんだね。偏食は駄目よ。大きくなれないわよ」
「今さら大きくなんかならないからいい」
「変に偏食してると、社長みたいにでぶっちゃうわよ」
「うるせえんだ。聴こえてくる……耐えられない、出よう。外に出よう。出ないと俺は失神するぞっ」
 失神されては俺では章をかつげない恐れもあるので、ライヴハウスからも出た。
「なんつう激烈な反応を示すんだろうね。外見は俺も好きじゃないけど、音は悪くなくない?」
「いやだいやだ。背筋を毛虫に這い回られてるみたいな気分になってくるよ。ビジュアルったってあんなのばかりじゃなくて、見た目はともかく、俺にも我慢できるっつうか、けっこういいかな、って思えるのもあるんだよ。だけど、燦劇は駄目だ。あいつらのロックは虫唾が走る」
「そこまで? ロックってのも実にさまざまありますな」
「俺のロックはハードロックだ」
「知ってるけどね」
 ロックとは……と章は、彼なりのロック論をぶちはじめた。数馬は乾さんにまかせたのだから、先に帰るわけにはいかないだろう。ライヴが終わるまで章のロック論を聞いてやるとしよう。
 あくびまじりで章の口舌を聞き続けて約一時間、ぞろぞろと異様なファッションの女の子たちがライヴハウスから吐き出されてきた。ゴシックロリータふうやら、燦劇の模倣をしているらしき非人間的メイクやら、章の言うビスクドールふうやら、服装は一様ではないのだが、トーンは全員が似通っている。声をかけたくなる可愛いタイプはゼロだった。
「……うひゃひゃあ、章、怖いよぉ。カラーコンタクトか? 目が色とりどりだ」
「宝石がコンセプトだって言ってたよな。サファイアにエメラルドにトパーズにルビーにパール。そういう目の色にしてるんだ。服装もその色と雰囲気だろ。カラコン入れた目ってのは……メドゥサかよ、この女どもは」
「見つめられると石化しちゃうの? RPGにそんな化け物が出てくるよな。目を見ないでおこう」
 ひそひそ声で話していたのだが、ひとつのグループが俺たちに目を留めた。フォレストシンガーズの三沢さん? ではなく、中のひとりが低い声で言った。
「あんたら、なんか文句あんの?」
「そんな格好でこんなところでなにしてんだよ。邪魔だね。どけよ」
「男のくせにこんなところへ来んなよ」
「燦劇のみんなは、男なんて大嫌いだってさ」
「ブスも大嫌いだって言ってたね」
「だったらあんた、帰ったほうがよくない?」
「てめえこそ帰れよ。ブスはてめえじゃん」
「……やんのかよ」
「やるっての?」
 俺たちにいちゃもんをつけていたのが、仲間に矛先が向いて、さきほどの章と数馬のように、女の子がふたり、睨み合っている。ブス、てめえこそブス、となんとも貧弱な語彙での罵り合いがはじまって、今にもつかみ合いになりそうな……ますます怖い。止めるなどとは思いも寄らなくて、章と俺はじりじり後退し、隙を窺ってダッシュで逃げた。
「ロックファンの女の子、特に追っかけやってるような奴らは、気の荒いのが多いんだよ。どいつもこいつもライバルだからさ、友達同士でも罵りはじめるとああなる。昔を思い出したよ」
 経験者の章が言い、うー、やだやだ、と呟いた。
「おまけにあのルックスだもんな。本物の化け物みたいだ」
「章、おとなしくしてないと、また睨まれるぞ。女の子って怖いよぉ」
「衆を頼むといっそうだよな。弱い奴ほど群れたがる」
「だから、言うなってば。ほらほら、また睨まれてる」
 ガラの悪い男に睨まれるのと、異様ないでたちの女の子たちの色とりどりの目に睨まれるのと、どっちがより怖いだろう、と考えて小さくなっている俺たちのかたわらを、女の子の甲高い声がさざめきながら通りすぎていく。そこにまざって聞こえてきたのは、乾さんの声だった。いくら乾さんでもこんな女の子たちへの対抗手段は持ち合わせていないと思えるが、すこしばかり安心してそちらを見た。
「あのぉ、もしかして、あんたって音楽事務所かなにかのひと?」
 トパーズいろの目、トパーズいろのドレス、トパーズと名乗る燦劇のメンバーのファンなのか、背の高い女の子が乾さんに話しかけた。章と俺は迷い込んできたガキだとしか思われていなかったようだが、乾さんは業界人に見えるのだろう。音楽事務所のひとにちがいはないのだが、乾さんは立ち止まってなんと応えようか迷っている様子だった。
「燦劇にメジャーデビューしろって言いにきたの?」
「……そういうわけでもなくて、僕は彼のつきそいですよ」
「つきそい? このガキの? なーんだ、つまんね」
「ガキだとぉ? おまえだってガキじゃないかよ」
 数馬がその女の子に食ってかかり、彼女はひややかに数馬を一瞥して立ち去ろうとした。数馬が腕を伸ばして彼女を突こうとし、乾さんがその腕をとらえた。
「きみは誰にでも彼にでもつっかかるんじゃないよ。おいで」
「離せよ。なにが保護者だ。俺は頼んでない」
「きみのお父さんに頼まれたんだ」
「あのくそ親父……離せってばっ!!」
「まったく……こんなところで駄々をこねてるんじゃない。動かないつもりだな。いいんだな?」
「な……な……うわっ!!」
 出た出た、と章が嬉しそうに言った。周囲を行きかう女の子たちも、目を丸くして乾さんを見上げている。乾さんは身をかがめてひょいと数馬を肩に担ぎ上げ、俺たちのほうへと歩み寄ってきた。
「お待たせ。行こうか」
「そのまんまで?」
「このまんま歩いたほうが手っ取り早いんだけど、少年のプライドをいたく傷つける行為だよな。数馬くん、俺は責任持ってきみを家に帰らせる義務がある。抵抗を続けるつもりだったらこのまま連れて帰ってもいいんだけど、どうする?」
「降ろせ。帰るよっ!」
「よし」
 再び身をかがめた乾さんの肩から飛び降りた数馬は、歯を剥き出して乾さんを睨み上げた。
「目つきがすごいな、きみは。根性はありそうで見所もありそうなんだけど、ちがう方面にその意気がりを向けたほうがいいよ。大人に抵抗しても無駄だ。行くぞ」
「……くそぉ……なにが大人だよ。おまえらなんか……おまえらなんかぁ……」
「はいはい、話は道々聞くからね。歩きなさい」
「てめえ、思い切り……むかつくんだよっ!!」
「さようですか」
 あくまでも涼しい顔の乾さんと、通りすぎていく女の子たちがひそひそくすくすやっているのを見て、数馬の怒りの導火線が燃え盛ったらしい。乾さんには腕力ではかなわないのは承知しているようで、唾を吐きかけようとした。乾さんはすいっと顔をそらし、言った。
「回りには人が大勢歩いてる。他人にかかるかもしれないんだからやめなさい」
「そんなら……おまえがよけなきゃいいんじゃないか」
「俺だって唾を吐きかけられるのはごめんだよ。つまらない真似をしてないで、メシでも食って帰るか? 腹が減って気が立ってるのかな」
「……おまえらのメシ代まで、親父にもらってきてねえよ」
「きみにごちそうになろうなんて考えてない。念のために言っておくけど、逃げようとしたら……わかってるだろうな」
「うるせえんだよ」
 逃げようとしたらもう一度かつぐぞ、なのか、足をひっかけるぞ、なのかは知らないが、俺も念のために数馬が逃亡しようとしたら阻止するつもりで、目を配りつつ歩き出した。
「どうする? まっすぐ帰るのか。きみも燦劇のバックステージに行きたいんじゃないのか」
「うるせえ」
「行きたくないんだったらいいけどな」
「……うるせえんだよ。黙れ」
「……このガキ、黙って聞いてりゃいい気になりやがって……」
「章」
 やめろ、と乾さんは言いたいのであろうが、章はやめなかった。
「おまえは誰に向かって口をきいてんだよ。乾さんはおまえよかずっと年上だぞ。おまえだのてめえだの黙れだの、年上に向かってなんだ、その言葉遣いは」
「章、やめろ」
「なんでやめなきゃいけないんですか。俺もこのガキにはむかつくもむかつくもむかつく。しょっぱなからそうだったじゃないか。ひとことの挨拶もしないは、口を開いたらくそ生意気な台詞を連発するは、親の顔が見たいってんだよ」
「親の顔はよく見てるだろ」
「親のせいじゃないんだよな。こいつの根性がまがってるんだ」
 おーお、おまえってほんとに常識人になったんだね、と俺は章を見てひそかに笑っていたのだが、数馬は今度は章に食ってかかった。
「親父なんか関係ねえだろ。年も関係ねえだろ。俺はなんにも頼んでないよ。てめえらなんかがついてくるから、ライヴもちっとも楽しくなかったよ。こんなだったら来るんじゃなかった」
「俺も来るんじゃなかったよ。燦劇だなんて……俺は反吐が出そうだった。ああいうのは大嫌いだ」
「……燦劇の悪口を言うな」
「いくらでも言ってやるよ。あんな奴ら、変なメイクとファッションでこけおどしてるだけじゃないか。見た目はきらきら綺麗なのかもしれないけど、音は最悪。ちらっと聴いただけだけど、演奏も下手だったぞ。あんなのはロックもろくにわかってない女の子たちにきゃあきゃあ言われて、自己満足してるだけの低能集団、かっこだけのくるくるパーだよ。ちょっとでもロックを知ってる人間には、調子っぱずれのいかれた音楽ってんだ」
「……言うな」
「……反論できるんだったらやってみろよ。おまえなんかもあの女の子たちと同類だろ。音楽についてなにか言える知識も耳もねえんだろうが。そんなのが一人前にほざくなっての」
 うううう、と数馬は唸り、章はへへんと嘯いた。中学生では章の口には勝てっこないだろう。これでも章はもとロッカーだ。好き嫌いでしかものを言わない奴ではあるのだが、数馬よりは語彙も数段豊富なはずで、それゆえに大人げないことこの上ない。中学生を言い負かして悦に入ってんじゃねえよ、と俺は言いたかったのだが、乾さんが言ってくれた。
「章、中学生と対等に喧嘩をするな」
「対等じゃないでしょ。俺だってこいつに比べりゃ大人なんだから」
「大人のつもりだったら大人らしくしろ。おまえはおまえの大好きなロックバンドを悪し様に言われたら嬉しいか。俺は燦劇の演奏をじっくり聴いたよ。俺の好みではなかったけど、こういうのが好きなひとには気持ちよく浸れる音楽なんだろうとは思った」
「俺は聴く気にもなれませんでしたよ」
「おまえの趣味に合わなかっただけだろ。じっくり聴きもせずになにを言ってる」
「でも、下手でしょ?」
「うまくはなかったな」
 そーら、見ろ、と数馬を見下ろす章に、少年はますます燃え盛った。
「てめえらこそ、黙って聞いてりゃ言いたいこと言いやがって、燦劇はフォレストシンガーズなんかよりはうまいよっ」
「うちは楽器は演奏しないんだよ。歌が専門なんだ。歌は俺らのほうが百倍うまいんだよ」
「演奏できないんだろ」
「できるさ。乾さんも俺もギターが弾けるし、本橋さんはピアノがプロ級だし、幸生もハモニカがうまいし、演奏しようと思ったら、燦劇なんかよりうまくやれるんだよ」
 ぎりぎりっと歯軋りをした数馬が、奥の手を出したと俺には見えた。
「おまえらなんかおまえらなんかぁ……パパに言ってクビにしてもらってやる。覚えてろ」
「最終奥義ってやつね」
 思わずにやっとして口をはさむと、数馬は俺に向き直った。
「なんだよなんだよぉ。てめえだってちびじゃないかっ!!」
「うん、俺はちびだよ。章もあんな踵の高いブーツ履いてるから、乾さんと変わらない背丈になってるけど、ほんとは俺よりちびなんだ。とはいっても大人だからね、口でも力でもおまえには勝つ。しようがないよね。数馬は中学生なんだから」
 言いつつ見やると、乾さんが章を促して歩き出していた。
「おまえも大人になったら、少なくとも章や俺とはいい勝負ができるようになるよ。とにかく落ち着け。かっかすると見えるものも見えなくなる。数馬、好きな子いる?」
「女なんかみんな嫌いだ」
「そう言いたい年頃なのか。俺なんか中学生のころって、好きな女の子がいっぱいいてさ、どれにしようかな、って困ったもんだよ。女なんかみんな嫌いだ、は小学生の台詞。実はいるんだろ」
「いないよ」
「女嫌いか。もったいない。ま、それも大人になってきたら変わってくるよ」
「……てめえらは、大人大人って言いやがって。俺は大人になんかなりたくねえよ」
「ガキのまんまでいたいの? ちっちゃくて弱っちくて、大人に腕力で押さえつけられたり、反抗しすぎるとかつぎ上げられたりするんだぜ。言葉数も足りなくて、言いたいことも上手には言えない。そんなガキより大人になるほうがいいだろ。俺なんか、早く本物の大人になりたいけどな」
 むっつりはしているものの、数馬も歩き出した。
「なにか言いたい? 言いたいことは言わないと鬱屈しちゃうよ。俺は章みたいに怒らないから、言ってもいいよ」
「……おまえらなんか、パパがいるから……パパが……パパが使ってくれてるから……なのにさ、大人大人ってえらそうにしやがって……パパが……パパが……いなかったらどうすんだよ。クビになったらどうすんだよ。クビにしてやるからな。おまえらなんかクビにしてやる」
「ふむ、パパか」
「くっそぉーっ!!」
 無茶苦茶にキックしてくる数馬から身をかわしながら、蹴られてやったほうがいいんだろうか、とも考えた。しかし、蹴られると痛い。どうするのが最善かと悩んでいたら、ふっと攻撃がやんだ。見ると、数馬は乾さんに抱え上げられてじたばたあばれていた。
「なにすんだよぉっ!! 降ろせっ!!」
「これでも大人になりたくないか?」
「なりたくないよっ!」
「ガキのまんまでいたら、優しいパパがなんでもしてくれて楽だよな。なにをしでかしても後始末はしてくれる。小遣いをねだればくれる。大人ってのはつらいもんさ。親父ってのはとりわけつらいものらしい。俺は二十八だから、世間的に見れば若造の部類だよ。親父になった経験もないけど、おまえよりは大人だ。だからな、大人ってのは理不尽なものなんだ。身勝手で、子供を腕力で蹂躙しようとするものなんだ。教えてやろうか、どうやるのか」
 じたばたするのをやめて、数馬は目を見開いていた。乾さんは穏やかな声音で俺に呼びかけた。
「幸生、どうやって教えたらいい?」
「放り投げるとか、そのあたりの樹に縛りつけるとか?」
「張り倒すとかか。数馬、どれにしようか?」
「や、やめろ」
「おまえがやめろと言ったところで、抵抗は無駄だと言っただろ」
 ついに乾さんの声がきびしくなり、章までが目を見張って凝視している。数馬の全身が強張って見えた。
「おまえは親父に殴られたこともないんだろ。親父さんの教育方針は尊重しなくちゃいけないけど、俺はおまえの親父じゃない。しかし、今夜はおまえの保護者だ。大人になりたくない? 今どきの流行りかもしれないけど、そんなのはまっとうな少年じゃないんだよ。早く大人になって、むかつく大人を見返してやりたいと願うのが健全な少年だ。おまえの不健全な精神を叩き直してやろうか。え、数馬?」
「……いやだ」
「こういうガキには体罰は必要だよな、幸生?」
「乾さんがそう思うんだったらやって下さい」
「おまけになんだって? パパにクビにしてもらう? 結局おまえは親父に頼ってるんじゃないか」
「だ……だって……」
「あげくは泣くのか? 泣きたいんだったら泣いてもいいけど、さあてと、どうしようかな」
 いやだ、いやだよぉ、と数馬は泣き声を出し、乾さんは言った。
「殴られるのがそんなに怖いのか。そんなガキを殴る気にもならねえよ」
 手荒に数馬を地面に放り出し、乾さんは言った。
「ガキはガキらしくしてろ。わかったら返事しろ」
「……わかったよ」
「お、その目だ。いい目をしてるよ、おまえ」
 数馬にはにこっとしてみせ、乾さんは俺たちに向かって肩をすくめた。章は盛んに自分の耳をいじっている。耳が痛い、とでもいうポーズなのかもしれない。
 乾さんの台詞は章の台詞と似て非なるものと俺には聞こえた。俺の自己流解釈によれば、ガキガキと言われると猛然と腹が立つ年頃なのは承知の上で、敢えてそう言った。乾さんも多少は怒っていたのかもしれないが、大部分は怒った演技だったのだろう。乾さんというひとは、彼が怒ると回りの人間がどれほどびびるかを知り尽くした上で、そういう演技をする傾向がある。
 それをして計算ずくとも呼ぶのかもしれないが、乾さんの本質は知らないはずの数馬でさえも、叱りつけられてぶるっていた。そのくせ俺たちに肩をすくめてみせたのは、また口はばったいことを言っちまったかな、だったのだろう。だから俺は乾さんには一生かなわない。俺が同じような演技をしてみても、迫力もなんにもないんだから。
 だったら俺は俺の演技をしようか。演技ってユキちゃんの芝居? 俺にはそれしかないけれど、この場にはふさわしくないだろう。あとにしようと決めて、俺は数馬の肩を抱こうとした。が、見事に振り払われた。
「腹は減ってないのか、数馬?」
「あんたらに呼び捨てに……」
「お、あんたになった。パパに言いつけるの? 乾さんに苛められたよぉ、って?」
「言いつけないよ。かっこ悪い」
「そうだよな。告げ口はガキのすること。卑怯者のすることだよ。まぁ、言いつけてもいいんだけどね。おまえのパパは太っ腹の大物だから、ガキの言い分で俺たちをクビにしようなんて考えるはずもない。乾、よくぞ息子を叱ってくれた、って褒めてくれるよ。おまえの親父は文字通り腹が太いんだから」
「うん、太い」
「だろ」
 先に立って歩きながら、乾さんは章になにか言っている。数馬はそんな乾さんの背中を睨んでいる。悔しかったら乾さんに勝てるほどの大人になってみろよ、と俺は小声で言った。俺には一生かかっても、乾さんに勝つのは無理だけどね、ともこっそりつけ足した。
 
 
5

 狭いライヴハウスに女の子がごった返していて、ニーナさんがいたのだとしても発見できなかった。ニーナさんの彼とはどんな男だろう。おっさんがいたのなら目立っていたはずだが、おっさんもいたようにはない。若い男はちらほらいたが、熟年男女カップルはいなかった。若者ふうに作って紛れ込んでいたのだろうか。
 駅への道にも思い思いのファッションをした、燦劇ファンの女の子たちが歩いている。乾さんは章と前を歩いていて、どうやら俺が数馬のお守りをまかせられたようなので、言ってみた。
「腹減らない? 俺は減ったよ」
「ほんとはさ……あのさ、あんたらって音楽のひとなんだから、行けないのかな」
「音楽関係者ってか。そうなんだけど、行きたい? 燦劇に会いたい? けど、あいつら、いち早く逃亡してるよ。あんなにファンがいるんだもん。見つかって大騒ぎになったら大変じゃん」
「そうなのかな。俺、前からずーっと燦劇のライヴに来たかったんだけど、燦劇ファンの友達もいないし、ひとりで行くのもなぁ……って、行けなかったんだよ。だからよく知らないんだけど、ロックバンドってそう?」
「ロックバンドでなくても、人気のある奴らはそんなもんだよ」
 まだまだ俺たちは、ファンの方から逃げなくてはならない域には達していない。ライヴはやってはいるものの、満席にもならないていたらくだ。考えると気分が沈鬱になりそうだった。インディズバンドがあんなに騒がれるのに……いや、俺たちはジャンルがちがうんだから、ロックバンドのようにはいかないのだ。
「あんたも燦劇の音楽は嫌い?」
「俺はまともに聴いてないからなんとも言えないよ。章の奴が激烈拒絶反応を起こして、俺にも聴かせてくれなかったんだもんな。章は音楽の許容範囲が狭いんだよ。だから気にすんな。乾さんは悪くないって言ってくれただろ」
「……俺はあいつ、大嫌いだ」
「乾さんが? おーおー、いい根性してる。章に似てるかもな」
「あんな奴も嫌いだ」
「俺は?」
 嫌いだとは言わない。中学生少年に好きだと言われても嬉しくもないが、俺は優しいとでも思っているのなら思わせておこう。
「バックステージに行くのは諦めたほうがいいよ。それよりメシ。腹減った」
 僕もおなかがすいた、なんて言うのは沽券に関わるのだろうか。中学生のプライドなんてものは俺は忘れかけているが、なにかと複雑なのだろう。俺は前を行く乾さんに呼びかけた。
「おーい、せんぱーい、おなか減ったよぉ」
「このあたりは混雑してるだろ。離れてからメシにしよう。章、数馬とガキの喧嘩をするんだったらおまえは帰れ」
「乾さんったらつめたいんだ。俺も腹ペコですよぉ」
 どうも精神年齢が近いようで、振り向いた章と数馬はばちばちっと火花を散らし合った。俺も精神年齢は十六歳だそうだけど、喧嘩は嫌いだからなんとかなるだろう。
「数馬、なにが食いたい?」
 いつの間にやら呼び捨てになっている乾さんに訊かれて、数馬はぶすっと、なんでもいいよ、と答えた。俺は腹にたまるものが食いたい、と章が言い、ひと駅離れた界隈まで歩いて、洋食レストランに入った。
「ビーフカツレツとオムライスとビール。あ、ハンバーグもうまそう」
「章、ビールはやめろ」
「ビールごときでは寝ませんよ。乾さんのケチ」
「ケチで言ってるんじゃないんだよ。おまえは酔うと……心して飲め」
「ビールなんか心しなくても大丈夫ですってば」
 酒には弱いくせして飲みたがる。酔うとすぐに寝るくせに度をすごしてしまう。章ってのは程度を知らない奴だ。中途半端かと思えば極限から極限へと突っ走る。自制心が足りないんじゃないの? と言えば、おまえに言われたくない、が出るに決まってるけど。
 自制心は足りなくても自尊心は強いから、章はこうなんだな。おまえの自尊心は中学生並。実際数馬と似たところがあるよ、とこっそり笑っていたら、乾さんが尋ねた。
「数馬は? おまえも腹が減ってるだろ。育ち盛りなんだから」
「……なんでもいいよ」
「俺が決めていいのか。野菜シチューにグリーンサラダにオニオンフライ」
「なんで野菜ばっかりなんだよ。肉がいい」
「だったら自分で決めろ」
 他愛ないすったもんだをやってから、個々の注文が決まり、料理が運ばれてくると、章は数馬と喧嘩をしないようにか、食うのに専念していた。乾さんはシーフードフライ定食など口にしつつ、数馬に質問した。
「燦劇のファン代表としての数馬に訊きたい。彼らの魅力は?」
「魅力?」
「おまえが彼らに魅せられたポイントは? はじめて彼らを見たとき、あるいは彼らの音楽を聴いたとき、どこに惹かれた?」
「……」
「彼らとどうやって出会った?」
「友達がくれたんだ。インディズレーベルから出した燦劇のCD。そいつは、こんなの気持ち悪いとか言ってたけど、俺は……聴いてて気持ちよかった。気持ちよくて……もっともっと聴きたい、ライヴが聴きたいって……」
 社長命令の「燦劇の実力を知る」というのを別方向から攻めていると見える。章があの状態だったのだから、ファンの声を聞こうというつもりなのだろう。燦劇の魅力を語るには数馬では言葉不足だが、訥々と精一杯話すのに、乾さんは的確な質問と相槌を織り交ぜて耳をかたむけていた。
「宝石なんて興味なかったけど、サファイアってどんなのかな、だとか……ああ、こんなんなんだ、この綺麗な青い宝石、サファイアの目とおんなじ色だ。綺麗だな。そう思った。サファイアはファイ、エメラルドはエミー、トパーズはトビー、パールとルビーはそのまんまで呼ばれてるんだよ。回りの女がぎゃあぎゃあ名前を叫んでただろ」
「そうだったな」
「ファンの女の子たちにもリサーチしたらいいんじゃありません? 誰か呼んできましょうか」
「いいよ、幸生。収拾がつかなくなる。うん、数馬、おまえのファン心はだいたいはわかった。俺の感想も含めて社長に報告しておくよ」
「パパ……親父になにを報告するんだよ」
「ここからは仕事の話。ごめんな、メシがまずくなったか」
「いいけど……」
「野菜も残さず食え」
「うるせえな、あんたは。ママみたいに……」
 そうそう、そうなんだよ、と章が言った。
「乾さんって時々、おふくろみたいになるんだ。うちのリーダーは親父みたいで、乾さんはおふくろ。俺が病気で寝込んだときなんかにさ……こんな話、関係ねえよな」
「ねえよ」
「おまえはなあ……いいから食え。メシがまずくなるのは俺だよ」
 ビールごときでと豪語していたのに、外に出た章はふらついていた。ロンドンブーツなんか履いてるからだよ、と俺が言うと、章は足元を見下ろして言った。
「慣れてたのになぁ……ピアスも入らなくなってくるし……俺のロックが遠ざかっていく」
「そのうちその格好でステージに立てば? ファンのみなさまの度肝を抜くよ。ね、乾さん?」
「章はやりたきゃやればいいけど、みんなでやろうと言うなよ」
「お、俺もやってみたい」
「幸生には似合わねえよ」
「おーや、そうでございますか、章ちゃん。あんたは似合ってるわよね。隆也さん、章とユキちゃんは体型は似てるのに、章には似合っててユキちゃんには似合わないってなぜ?」
「顔の差……」
「いやーん、乾さんまで顔って言う」
「美醜の差じゃないんだ。章の顔立ちはどこか鋭い。おまえは甘い。そのせいだよ」
「どうせユキちゃんは醜いわ。ブスだもん。だけど、隆也さんは、ブスだっていいからついておいで、俺のものになれ、って言ってくれたじゃないの。今さらそんな……」
「ブスだなんて言ってないよ」
「言った、今、言った」
「困ったね。ユキちゃん、機嫌直せ」
「いやいや」
 なにやってんの、こいつら? と数馬が章に訊いた。
「ほっとけほっとけ。幸生のストレス解消法なんだってよ。関わると俺たちも変態だと思われるから、他人のふりをしような」
「ふーん。そうか、三沢幸生と乾隆也は変態なんだ」
「変態は幸生だけだよ」
 幸生の変態ときたら、あんなこともこんなことも……と章は、虚実とりまぜて数馬に話している。ふーんふーん、と数馬は聞いている。ひょんなきっかけで仲直りしたのだろうか。やはり精神年齢が近いせいであるらしい。同類嫌悪が方向転換して仲良しになるってのもあるのだから、案外このふたり、意気投合するのかもな、そしたらもっときっかけを……と乾さんに抱きつこうとしたら押しのけられて、数馬は今夜はじめて、無邪気な笑い声を立てた。


 断じて俺は燦劇は認めない、とろくろく聴いてもいない章は言い、乾さんは言った。
「俺はロックには疎いですよ。けれど、あれほどファンを惹きつける魅力を持っているのはまちがいない。音は稚拙といえばいえるけど、独特の世界観も持ってます。社長がその耳で確認なさったらどうですか」
 となると、社長は乾さんの意見を尊重する。先日の一件がなかったとしても、社長は乾さんに一目置いているのであるようだ。社長が燦劇の面々を招集し、フォレストシンガーズの練習用スタジオに彼らがやってきた。奇抜なファッション、奇抜なメイク、きらめくカラーコンタクト、演奏するとなるとこの格好でないとできないのか、ライヴで見た通りの姿をしていた。
「社長はまだ来てねえの?」
 一度は見ている俺でさえも怖気づきそうな姿の男、色からするとサファイアであろう奴に声をかけられて、シゲさんが目をまん丸にした。
「……まだ、だけど……きみらか。燦劇ってのは……こりゃまた……」
 実にさまざまあるロックバンドという存在。ビジュアル系とパンクスは嫌いだという章は、それでも見慣れている。乾さんも一度見て聴いているのだから、今さら驚きもしないだろう。シゲさんはサファイアに魅入られているかのようで、言葉をなくしている。メジャーシーンにもビジュアル系はいるのだが、間近で見るとシゲさんならこうなるだろう。シゲさんが彼らにどんな応対をするのか見ものではあるので、俺は見物していた。
「ここで演奏するんだよな。社長もおっつけ来るだろうから、待ってて」
「あっそ。人を呼びつけといて待たせるとは……ま、いいか」
 色で判断すれば誰が誰かは見当がつく。サファイアがヴォーカル、トパーズがペース、パールがキーボード、エメラルドがギター、ルビーがドラムだと聞いている。愛称はファイ、トビー、パール、エミー、ルビーだと数馬が言っていた。メイクが濃くて素顔はわからないものの、女っぽいタイプばかりだった。女性的なのはメイクのせいか。今のところは各々の区別がつきづらい。
 外見は女っぽく見えるのだが、中身は傍若無人ロッカー集団だ。社長がなかなか来ないので、大声で無遠慮な会話をし、スタジオの機材をいじったりしている。シゲさんはしかめっ面をして、本橋さんに目で訴えかけた。
「……リーダー、気持ちはよおくわかります。けど、社長のおでましを待ちましょうね。ね、ねねね? 怒らないで。ユキちゃん、リーダーが怒ると泣いちゃうから」
「おまえの芝居はいいんだよ。なんだ、あいつらは。挨拶もなしで……」
「俺たちなんかは無関係だと思ってるんですよ。あいつらを呼んだのは社長なんだから、俺たちに挨拶する必要はないって。リーダーはそういう無作法は大嫌いでしょ。しかし、ロッカーは我々とは人種がちがうんだから」
「人種も関係ないし、俺の好き嫌いも関係ない。ジャパンダックスも相当なもんだったけど、あいつらはそれ以下じゃないのか。なんだ、あの態度は。こら、そこの赤い目の奴、無闇に機材に触れるな」
 本橋さんとしては穏やかに注意したほうなのだが、ルビーは知らん顔をした。
「……いかん、爆発しそうだ。乾、なんとかしろ」
「章のほうが手馴れてるだろ。章、どうにかしろ」
「いやですよ。俺はあの手の奴らには近寄りたくない。幸生、なんとかしろ」
「ほっとくと機材をこわされる? そこまではしないでしょ。シゲさん、なんとかして」
 なんとかって、どうすりゃいいんだよぉ、とシゲさんはきょろきょろしている。機材の上に腰を下ろしたエメラルド、エミーが言った。
「いつまで待たせるんだよ。俺たち、忙しいんだけどな。他にも声のかかってる事務所はあるんだぜ。なにもこんなに待たされてまで……帰ろうか」
「そんならお引き取りいただいていいよ」
 応じたのは乾さんだった。
「社長はきみたち以上に忙しいんだけど、時間を割いてきみたちの演奏を聴きたいから呼んだ。待たされるのがいやだったら帰ってもいいよ。俺から言っておくから」
「あんたに言ってねえんだよ」
「ここは俺たちの専用スタジオではないが、貸してもらっている以上は管理責任もある。ここの責任者はうちのリーダーだ。リーダーに無断でやたらにさわるな」
「……堅いこと言って……さわるぐらいどうってことないだろ」
「そこの黄色い目の奴、煙草をそこらに捨てるな」
 黄色い目はトパーズだ。乾さんに怒られたトパーズは、捨てた煙草の吸殻を拾い上げ、わざわざ再び火をつけて乾さん目がけて投げつけた。乾さんは身軽にそれを避け、フロアに落ちたのを拾って捨てにいった。が、リーダーがおさまるはずもない。トパーズにずかずかと近づいた。
「なにをしやがるんだ、てめえは」
「……あれぇ? 手元が狂っちった」
「狂ってんのはてめえの頭だろ。なんだ、その……いや、格好なんかどうでもいいけど、あんな真似をしておいてひとこともないのか」
「ひとこと? だから言ったよ。手元が狂った」
「……この……乾……いないのか」
「いやだね、乱暴だね。ファイ、俺、この人に殴られるかもよ。怖いから帰ろうよぉ」
 それぞれに履いているヒールつきの靴、ヒールの高さもまちまちなので、正確な身長も定かではない。が、パールがもっとも小柄だった。トパーズも小さい。サファイアは比較的がっしりしていて長身のようだが、あとのふたりもヒールがなければさほど大柄でもないだろう。高いヒールでよろよろしているような奴らを殴ったら俺の名折れだ、とでも思ったか、本橋さんは振り上げかけたこぶしを引っ込めた。
「暴力はいけませんけどね、きみらも態度がよくないんだよ。馬鹿じゃないんだろ。ちっとは考えて行動を起こせよ」
 珍しくもシゲさんが言い、そうだそうだ、と本橋さんは首肯した。やってらんねえや、帰ろうっと、とサファイアがドアに向かったとき、反対側からドアが開いた。入ってきたのはなぜか数馬で、どけよ、ガキ、とサファイアが数馬の肩を押した。数馬はものの見事にひっくり返り、今度こそ本気でかっとしたらしき本橋さんが駆け寄るよりも早く、乾さんがあらわれて数馬を抱き起こそうとした。
「なにすんだよっ!」
「数馬、やめろ」
 ちびだけど気は強い。章よりも気丈な性格をしている数馬は、乾さんの手をふりほどいてサファイアに体当たりした。たぶん本橋さんよりも背が高く、数馬よりは倍ほど腕力もあるであろうサファイアにかかってはひとたまりもなく、数馬は殴り飛ばされて背中をドアに打ちつけた。
「数馬、しっかりしろ」
 駆け寄った本橋さんが数馬を抱き起こし、乾さんはサファイアの前に立ちふさがった。
「子供になにをする」
「……そいつが邪魔だから……」
「靴を脱げ」
「靴?」
「そんな靴を履いてたら身軽に動けないだろ。動けるんだったら脱がなくてもいいよ。脱ぐのか、脱がないのか」
「脱いだらなにを?」
「わかってんだろ。言わなきゃわからないのか。わからないんだったら……」
 ファイティングポーズ? うわわーっ、リーダー、乾さんを止めてっ!! と俺は叫んだのだが、本橋さんはかぶりを振った。
「やらせろ」
「やらせろってね……こいつと乾さんが取っ組み合ってくんずほぐれつしたら、機材にぶち当たって損害が出ますよ。弁償する金がどこにあるの? リーダーは乾さんの喧嘩を見たいんだろうけど、駄目駄目駄目っ!」
「幸生、おまえは黙ってろ。乾とそこの青い目の奴、おもてに出てやってこい」
 おもてに出ろ、とは、本橋さんが喧嘩を売ってきた奴に言うのは聞き覚えがある。だが、今は乾さんをそそのかしている。シゲさんが割って入ってきた。
「乾さん、やめて下さい」
「シゲ、なめんなよ」
「……なめてませんけど、話し合いで解決しろってのは乾さんの持論じゃありませんか。その青い目の……ファイ? きみが悪いんだ。数馬くんにあやまれ」
「へっ、ガキにあやまってられるかよ。そいつが俺の邪魔をするからだ」
 無言でこの場の状況を見定めようとしていたらしき、数馬が発言した。
「……そっか。俺、パパから聞いて、燦劇がフォレストシンガーズのスタジオに来るって言うから、会いたくて来たんだよ。パパは行くなって言ったけど、来たかったんだもん。ここまで来るくらいの小遣いはあるもんね。けど……そうかぁ。俺、ファイの大ファンだったんだけどな……俺はガキかもしれないけど……そうなんだね」
「なにをうだうだ言ってんだ。どけって言ってんだろ」
 言いざま、サファイアは数馬を軽めに蹴った。数馬はサファイアを睨み上げ、ぼそっと言った。
「燦劇のファンはやめる」
「やめたらいいだろ。おまえなんかにファンやめられたって、俺たちは痛くも痒くもねえんだよ。みんな、帰ろうぜ」
 動いたのは本橋さんと乾さんがほぼ同時だったのだが、乾さんのほうがサファイアに近かった分、瞬時早かった。乾さんの回し蹴りが鮮やかにサファイアの脇腹に決まり、サファイアはぶざまに転倒した。
「靴を脱いでかかってこいよ。俺は外に出る。本橋、おまえは手を出すな」
「先を越されちまったから出さないよ。ただし、そっちのおまえらが加勢しようってんだったら話は別だ。全員まとめて俺が面倒見てやるから、この裏の空き地に行くか。そこだったら他人の目はないし、思うさまやれるぜ。久し振りだな。血が騒ぐ。乾、やろうや」
「彼らがやりたいって言うんだったらね」
「俺もやっていい?」
 数馬までが言うので、俺はその腕を引っ張った。
「数馬には五年ほど早いよ。大学生になってからにしようね。あのヒールで踏んづけられたらどうすんの? 腹に穴が開くよ。リーダーはすっげえ強いんだし、乾さんもなかなかのもんだからまかしておこう」
「幸生、馬鹿言ってんじゃない」
 この声は当然、シゲさんだった。
「本橋さん、喧嘩はいけません。乾さんまでなにを言ってるんですか。そっちのきみらもやめろ。章、幸生、乾さんを止めろ。俺は本橋さんを……」
「やりたいんだったら俺を殴り倒してからにしろ、ってか。シゲ、おまえも参加しろよ」
「お断りします」
 そっちのきみら、はどうしているのかと見たら、固まってこそこそ話していた。
「燦劇はやりたそうじゃないけどね。本橋さんほどバトル好きの男はそうそうはいないんです。サファイアはてめえが悪いんだから、乾さんに蹴られて当たり前。殴らなかったのはあれでしょ? こいつらは顔が売りものなんだから、怪我をさせたらやばいってね。そこまで頭をめぐらせるのは乾さんならではですよね。リーダーだったら顎か横っ面にどっかーん、でしょ」
「だろうな。ああ、そうだよな」
 やめましょうね、と章もようやく言った。
「乾さんはいつものいいかっこ……いやいや、そうじゃなくて、そうじゃないけど……ええと……ビジュアル系の奴らって俺はあんまり知らないけど、喧嘩の似合う格好はしてませんよ。乾さん、やめますよね?」
「だから言ってんだろ。俺は喧嘩がしたいんじゃない。サファイアを一方的に攻撃したんじゃフェアじゃないからだ」
「だけど、悪いのは……」
 一斉に注目されたサファイアはふてくされてそっぽを向き、パールが言った。
「うん、たしかにやりすぎたかも。ファイ、その子は俺たちのファンなんだろ。あやまれよ」
「……」
「数馬っての? ごめんな。ファンをやめないで。ファイのファンはやめてもいいから、燦劇のファンはやめないで。乾さん、すみません。ファイを許してやって」
「きみは燦劇のリーダー?」
「リーダーなんてのは特に決まってないけど、俺が言わないと誰も言わないから。ファイが数馬くんに乱暴したのもだけど、他にもやりすぎた。乾さんは強そうには見えないけど、強いんだね。本橋さんは……怖い」
「怖くねえよ、俺は」
 いいえ、リーダーは怖いです、と章と俺は口をそろえ、まばらな笑い声が起きた。乱闘にはならなくてよかった、と考えておくしかないだろう。遅まきながらも社長があらわれたときには、その場はおさまっていて、乾さんとパールが音楽論を闘わせていた。サファイアはいまだふてくされていたが、他の三人はシゲさんと本橋さんと話していた。
「社長が来たから演奏するんだよな。幸生、俺は逃げる」
「章はあいかわらず、そんなにもいやか」
「いやだよ。聴きたくない」
「数馬は?」
「……聴きたいな。ファイがあんな奴だって知って、ちょっとがっかりしたけど、パールがあやまってくれたし、俺はやっぱり燦劇が好きだよ」
「ファンが減らなくてめでたい。章は逃げれば?」
 そうする、と章は逃亡し、まずは六人で燦劇の演奏を聴くことになった。
「燦劇のファンが減らずにすんだのは、乾さんのおかげだよな」
「関係ないじゃん、乾さんなんか……」
 てめえ、おまえからあんたになって、乾さんになったか。意地っ張り少年は章同様、認めたくないものは断じて認めないだろうけど、乾さんをちらっと見た目が、言葉を裏切っていると感じられた。

 
6

 これは俺の解釈だけど、と前置きして、数馬に話した。
「乾さんは優しげに見えるけど、おまえにもわかったように、優しくて穏やかなばかりの男じゃないんだよ。勇猛果敢なところもおおいにある。だけど、彼にはポリシーがあって、腕力では圧倒的に劣る相手には手を上げない。ファイは背も高くてやる気になったら乾さんと対等に勝負できるだろ。だからキックを食らわしたんだ」
 どうでもいいようなそぶりをしてはいるが、数馬の耳は俺の声をしっかりキャッチしていた。
「ファンをやめられたって痛くも痒くもないってのは、乾さんの逆鱗に触れたかな。ただし、保証の限りではないよ」
「なにが?」
「圧倒的に乾さんに力で劣る相手とは?」
「子供」
「女もね。女には乾さんは絶対に暴力はふるわないけど、おまえは男だし、いずれは大人になるんだから。保証の限りではないってのはそれだよ。おまえがよほどのなにかをしたら、殴られる恐れはあるな」
「よほどって?」
「さあ、なんだろ」
 脅迫はしたものの、乾さんは数馬は殴らなかった。数馬が大人になっても、乾さんではめったに暴力は使わないはずだが、釘はさしておいたほうがいいだろう。数馬はふくれっ面で言った。
「そんなのどうでもいいよ。燦劇の演奏はどうだった?」
 燦劇の面々はスタジオ内の一室で社長と面談中だ。無作法な奴らにはジャパンダックスで慣れているだろうから、社長もめったなことでは席を蹴立てたりはしないだろう。俺はスタジオの裏手で数馬と話し中。社長の用事がすむまで引き止めておくつもりだった。
「俺もロックには詳しくないから、うーん……むずかしいな。乾さんの受け売りは悔しいけど、独自の世界観は持ってるね。演奏はうまくはないけど、彼ら独特のなにかがある。章のほうがうまく言えるだろうに、あいつは頑固者で、嫌いだったら嫌いだっ!!
の一点張りだもんな。おまえは身近で聴いてどうだった?」
「よかったよ。ファンをやめたいって思えない」
「ファンってそういうものだね」
「だから、俺が燦劇のファンのまんまなのは、乾さんのおかげなんかじゃないんだから」
「わかったよ」
 なんの因果で俺はガキの子守をしなくてはいけないんだろうか。十四歳でも女の子とだったら楽しいだろうに、男の子と話していてもつまらない。だが、乾さん以外では数馬は持て余すにちがいないので、俺がつきあってやるしかない。本橋さんだと怒りたくなるだろうし、章はあの調子だし、シゲさんでは数馬相手だといっそう無口になりそうだ。
「俺、フォレストシンガーズの歌を聴いたんだ」
「今まで聴いたことなかったの?」
「ないよ」
「おー、初体験おめでとう」
 げっ、という顔になり、数馬は頬を赤らめた。
「男の重要な初体験はまだだね。十四歳じゃ早すぎるか」
「……そんなのって重要?」
「もちろんだよ。意味わかったんだ。すげえ」
「わかるよ」
 ガキを相手になにを言ってんだ、と先輩たちに怒られそうなので、俺は話題を引き戻した。
「その年頃になって、悩みが生じたら幸生兄ちゃんが相談に乗ってやるよ。我々の歌はどうだった?」
「燦劇がいい」
「あっそ。音楽も服装も趣味の範疇だもんな。無理やり聴かせて好きにならせるわけにもいかないよ。俺たちの歌は大人の男路線なの。おまえにはわからなくていいの」
「大人の歌なんかより、燦劇の歌がいいな。ファイの声っていいよね」
「歌うと甘ったるい声だな。俺にも歌えるよ」
 素顔はどんなだか知らないが、ファイはサファイアブルーの瞳をして、ブルーが基調の化粧をして、肩まで届くわざと乱した髪にも青っぽいラメをふりかけて、サファイアトーンの衣装をまとっていた。靴も青のヒールだった。ファイがマイクを両手で握りしめて、切々と歌う燦劇のオリジナル、「ジュエリー」は記憶に残っていた。

「抱きしめたものすべてが
 この腕の中で崩れていく
 きらめく破片はダイヤモンドのかけら
 この手をすりぬけてただ輝いて
 もう届かない」

 甘い声は俺の得意技でもあるので、ワンフレーズを歌ってみせると、数馬はびっくり顔になった。
「一回聴いただけで?」
「一回では全部は覚えられないけど、半分以上覚えてるよ」
「そんなにいい歌だから?」
「そうでもないな。嫌いな歌でも覚える。聴いてるつもりはなくても覚えたりもする。俺は歌に関する記憶力は抜群なんだ」
「……勉強に役立つよね」
「歌に関する、と言っただろ。家庭教師はできないよ」
「していらないよ。家庭教師はいるんだ。女なんだよ。医学部の学生なんだってさ。やな女」
 女家庭教師のせいで女嫌いになったのなら気の毒だが、恋心の裏返しとも考えられるので、迂闊なことは言えない。
「数馬くんは頭は悪くないんだから、もっと勉強しなさい、努力が足りない、勉強すれば学力は伸びる、だってさ。パパみたいに言うな」
「先生はみんなそう言うんだ。おまえは頭が悪いんだから努力しても意味ない、なんて言えないだろ」
「頭来るから、いっぺんぶん殴って泣かせてやめさせてやりたいんだよな」
「やめなさい」
「なんでだよ。そいつは俺よりでかいんだから、力でだって俺には負けないだろうからいいじゃないか」
「ちびでも男は男なんだから、女をぶん殴ったら駄目なんだよ」
「男の家庭教師だったらいいのかよ」
 いいのだろうか。俺は中学時代は不良ではなかったのだが、子供じみたいたずらをして教師によく叱られた。だからって教師を殴りたいと考えたことはなくて、この口でごまかして逃げるのがもっぱらだった。数馬の気性は親父には似ていない。社長は説教は頻繁だが、暴力はふるわないタイプのはずだ。
「……ここにいたのか。深刻な話でもしてたのか」
 乾さん登場、数馬への説教は乾さんにおまかせしようと決めて、俺は乾さんに頭を下げた。
「どういう意味だ。そのお辞儀は? 幸生、なんなんだ」
「乾さんはどこから聞いてました?」
「俺は燦劇のライヴの夜に、数馬になにかと言ったよな。あのときの俺の台詞、幸生は覚えてるだろ。あの中の大人を男に置き換えて、ガキを女に置き換えたら……とあとから気づいた。胸が痛んだよ」
 話題が変わったようでいて、変わっていない。頭の中で置き換えて整理して、俺は言った。
「一部はつながりそうだけど、男は女を腕力で蹂躙なんかしませんよ。俺はしないもん。ってーか、できない」
「おまえはしなくても、する男はいるんだよ」
「リーダーもしないでしょ。シゲさんもしないでしょ。乾さんはもちろんしないよね。章はてめえの非力を知ってるから、女にはわりと強く出るけど、根本的には惚れた女には弱いんです。惚れてなくても男は女には弱いよね。それでこそまっとうな男です。数馬、乾さんの言ってる意味はわかったか?」
「わかんねえよ」
「帰り道で噛み締めてみたら、いくらかはわかるよ。あのときの乾さんの台詞は、おまえも覚えてるだろ」
「覚えてねえ」
 おーい、数馬、帰るぞ、と社長の声が聞こえてきた。口の中でもごもごとさよならを言って数馬は走り去っていき、入れ替わりにパールがやってきた。
「追って連絡する、だってさ」
 腰を下ろしたパールは、頭のうしろで手を組んだ。キーボードプレイヤーはロックバンドのうちでは体力に乏しい者が担当している場合もある。女性ロッカーにはヴォーカルかキーボードが多いのは、体力と無関係ではないだろう。ファイのファッションのブルーをパールホワイトに変えて、他はほぼ似た感じのルックスだが、パールはぐっとちいさい。体格もかなり細くて、少女にも見えかねない。
 すわっていると座高が俺くらいなので、身長も同じようなものか。ビジュアルロックにはハードロッカーの迫力は必要ないだろうし、パールはルックスとファッションの釣り合いが取れていた。
「おまえ、いくつ?」
「二十歳だよ。他の奴らも二十歳前後」
「若いんだ」
「三沢さんだっけ? あんたも二十歳ぐらい?」
「俺は二十六だ」
「ほんと?」
 大学を卒業してからも、高校生かと疑われるのがたびたびだった。二十六になっても二十歳に見られるとは、喜んでいる場合ではなーい。くすくす笑っている乾さんを見て、俺はパールに訊いた。
「乾さんはいくつに見える?」
「二十七、八? 三沢さんと、それから、逃げたひと……」
「章、木村章」
「木村さんだね。彼と三沢さんは俺たちとおんなじような年に見えて、あとの三人は二十七、八に見えたから、ずいぶん年の差があるんだなって思ってたんだ」
「木村も二十六だよ」
 へええ、そうなんだ、とパールは感心している。章も二十歳に見えたとは、安心している場合でもないが安心した。
「シゲさん、本庄のシゲさんが二十七で、リーダーの本橋さんと乾さんは二十八。俺たち、同じ大学の先輩後輩なんだよ。荒っぽいけど頼りがいのあるリーダーと、口も頭も腕力もたいしたもののこの方と、口はもうひとつだけど力持ちのシゲさんと、先輩たちのおかげで章と俺はやってこられたんだ。見ての通り、俺らはいつまでたってもガキだからね」
「うちはファイとエミーがバンドを組もうって決めて、オーディションでメンバーを募ったんだよ。顔のいいのが最優先だったみたい。だから演奏テクニックはね……こんなんでプロになれるのかな」
「よそからも引きが来てるんだろ」
「あれはエミーのはったり。強がりだよ。俺は気が弱いんだね。あいつらほど強気に出られない。ばらしたらやばいかもね」
「パール、でいいのかな」
「いいよ、乾さん、なに?」
 素顔を透視しようとこころみたのだが、メイクがけばすぎてうまくいかない。しかし、彼らは顔もいいのだろう。素顔を見てみたいと考えていると、乾さんが言った。
「きみは気が弱くなんかないよ。勇気がある」
「勇気?」
「だよな、幸生?」
「俺に言わせるんですか。テストされてる気分。つまりさ、パールは言ったじゃん。パールはリーダーじゃないけど、俺が言わないと誰も言わないって、他の奴らの言わないことを言った。やりすぎた、すみません、数馬、ごめん、って。あれですよね」
「あんなのは……みんなもいたから」
「俺こそだよ」
「乾さんがなに?」
 居心地がよくないと煙草をくわえる感のある乾さんが、煙草を取り出した。
「みんなもいたから、俺はファイに立ち向かえたんだって考えられるだろ」
「乾さんはひとりっきりだったとしても、数馬くんを殴ったファイに向かっていってるよ。俺にはそんな気がする。三沢さん、ちがう?」
「ご明察。パールは会って間もないのに、乾さんの本質を見抜いちゃったんだね。乾さん、なにをらしくもなく照れてるんですか。煙草を吸ってるのはそのせいでしょ?」
「照れてはいないけど……おまえには見抜かれまくってるな」
 苦笑を浮かべた乾さんは煙草を吸い込み、パールが言った。
「やっぱりメジャーデビューしたいな。俺、乾さんのいる事務所に入りたい。社長がどう決めるのかはわからないし、プロになったらなったで……でも、プロになりたいよ」
「パール、乾さんに心酔しちゃった? 駄目駄目駄目駄目だーめよ。隆也さんはユキちゃんのものなんだからね。あんたのほうが美人だからって、隆也さんを横取りしないでよね。隆也さんはブスでもいいからユキが一番、って言ってくれるんだもん。ねーっ、隆也さーん」
「ブスだとは言ってないって」
「言ってなくても思ってる」
「思ってないよ。俺の可愛いユキ……」
 男はまず例外なく、俺がこの芝居をはじめるといやがる。女性は楽しんでくれたりもするのだが、本橋さんとシゲさんと章などは、はじめた途端にやめろと怒る。パールも最初は怪訝そうにしていたのだが、なんと、乗ってくれた。
「……そうなのね。これからはユキちゃんがライバルになるのね。パールも参戦するわ。隆也さんがどちらを選んでくれるのか、勝負よ、ユキちゃん」
「……へ? は? 隆也さーん」
「負けるな、ユキ、パールもがんばれ」
「ひどいひどい。渦中のひとは隆也さんなのに」
「そうよ。パールも隆也さんに……どうしましょ。ひと目惚れしちゃったわ」
 ちょいタンマ、と俺は地に戻った。
「パール、ゲイだったりする?」
「ゲイじゃないから安心していいよ。こういうの、けっこう女の子に受けるんだよね。うちもステージでやったりすんの。隆也さんの役はファイで、俺が女役。身長で決まっちゃったっていうか、俺はちらっと演劇部にも入ってたことがあって、芝居は好きなんだ。みんなにやれって言われてやってるうちに、板についちゃった。ファイは地声が低くて、俺はガキっぽい声してるから、ラヴシーンやると真に迫ってるって、ファンの子たちにも喝采を浴びるんだよ。三沢さん、なにしょぼくれてんの?」
「本格派か……勝てそうにない」
「本格って、中学生の演劇部だよ」
「にしたってさ……乾さん、俺もどこかの劇団に入ろうかな。はい、わかりました。片手間にできるようなことじゃない、ですね。だけどだけど、なにがどうしたって隆也さんはユキちゃんのものなんだからねっ」
「パールにはファイがいるけど、隆也さんも素敵。浮気したーい」
「浮気なんて最低!」
「あんたにはファイを貸してあげるから、取り替えっこしない?」
「やだ、あんなのやだ」
「あんなのとはなによっ!!」
 やめろやめろやめろ、と、本当に女に奪い合いをされている男のように、乾さんが手を振った。
「パール、おまえはファイとやってろ。ふたりがかりで来られちゃたまったもんじゃないよ」
「わーい、隆也さんはユキのものだもんね」
「……ああ、嬉しくて疲れて死にそうだ」
「隆也さん、死んじゃいやっ!! しっかりしてっ!!」
 数馬が帰ったあとでよかったよ、とため息をつく乾さんに、俺も内心で賛成していた。俺はすでに見せているが、パールのこんな姿を見せたら、数馬のファン心理が揺らめくかもしれないではないか。


 ちわーっす、とスタジオのドアを開けて入ってきたのが誰なのか、俺にはしばしわからなかった。小柄でほっそりした少年。長い髪をたばねて、チェックのシャツにジーンズ。まじまじ見ていると彼は笑い出し、乾さんが言った。
「パール、どうした」
「乾さんにはわかった? 本名は……言いにくいな。磯畠耕史朗っていうんだよね」
 こう書くんだよ、と教えてくれた。字画も多ければ、字面にすると本庄繁之以上に固い名前ではないか。今日はヒールも履いていないので、背丈は章ほどだ。予想通りのちびだった。
「侍みたいな名前だな。かっこいいじゃないか」
「侍なんていわれたくないよ、乾さん。パールでいいからね。今日はみなさんに改めて挨拶にきました」
「デビューが決まったのか」
 はい、よろしくお願いしますっ、先輩たちっ!! とパールは、合唱部に入部したての新入生のごとき挨拶をし、本橋さんが言った。
「あんな奴らには俺はよろしくお願いされたくもないけど、おまえがいたらなんとかやっていけるよ。こちらこそよろしく」
 手を差し出した本橋さんと、パールは握手した。
「ファイはすねててね、乾さんとは顔を合わしたくないんだって。すねてるのが半分、いじけてるのが半分。いじけてる中には、本橋さんも乾さんもおっかないからそばに寄りたくない、ってのがあるみたいだよ。他の奴らも腰が引けてて、おまえは乾さんと仲良くなったんだったら、代表して挨拶してこいって言われたんだ。俺は仲良くなったと思っていい?」
「……パール、乾さんに恋したんだろ」
「三沢さんはなにを言ってんだよ。俺はゲイじゃないって」
「ゲイではない男は、男には恋をしないのか」
「しないよ。当然だろ」
 馬鹿か、おまえは、と本橋さんが横合いから俺の頭をはたいた。
「男同士で恋のなんのと気色の悪い発言をすんな」
「それって差別的発言ですよ、リーダー。そんならどうすんの? パールが真性ゲイで、乾さんに恋をしたんだったら排斥すんの? ゲイが気色悪いだなんて、世の中にはその発言に憤慨するひとが大勢いますよ」
「おまえの台詞が気色悪いんだ。話をねじくれさせるな」
「うん、まあね、真性ゲイの話になるとややこしくなるから、はい、すみません、と引き下がります。俺が悪うございました。リーダー、ごめんなさい」
 さっさと引き下がれ、と本橋さんは言い、パールに視線を向けた。
「おまえが改めて挨拶しにきてくれたのはいいけど、他の奴らは挨拶なしか」
「社長に言われたらしにくると思うよ。そのときには穏やかに接してやってね。本橋さんは怖いんだから」
「怖くなんかねえだろ。普通にしてたら俺も怒ったりしないよ」
「そうなんだろうけど……乾さんはさらに怖いし」
「俺が怖いとは心外だな。なあ、章?」
「どうして俺に振るんですか。乾さんがどう怖いのか、俺に言わせたらキリもなく出てきますよ。話が長く長く長くなりますよ。パール、おまえの台詞は当たってる。乾さんは怖い」
「シゲも俺が怖いか?」
「俺には怖くはないっていうか、俺はこうだから乾さんは怖くないっていうのか、章はこうだから乾さんが怖いってのか、章の気持ちはわかります」
「曖昧だな。率直に言えよ」
「上手に言えません」
 ごまかしているのか真情なのか、禅問答みたいなシゲさんの答えだった。そのあとは燦劇のCD発売の話になり、誰も俺には訊いてくれないので、質問はなしで答えた。
「叱られるととってもとっても怖い隆也さんが、ユキは大好きなの。だって、ユキを叱ってくれるのは、隆也さんが愛してくれてるからだわ。パール、あんたは割り込んでこないでね」
「そうなの? パールも愛を込めた隆也さんのお叱りを受けてみたい」
「割り込んでこないでって言ったでしょ」
「ユキちゃんがそうなったら、パールも自然にこうなっちゃうんだもん」
 乾さんはうつむいて笑っていて、本橋さんとシゲさんと章はぎょぎょぎょっ、になっている。そこに美江子さんの声が聞こえてきた。
「燦劇のパールくん? 話は社長から聞いてますよ。私はフォレストシンガーズのマネージャーの山田美江子です。よろしくね」
「はじめまして、パールです。よろしくお願いします」
「パールくんの声って幸生くんとちょっと似てるのかな。幸生くんと乾くんのお芝居はいつでも見てるけど、三つ巴はまたちがったムードになるんだね。続けて」
「続けなくていい。乾、おまえは乗るな」
「はい、承知しました、リーダー。俺も幸生ひとりだったらどうにかなるんだけど、パールが加わると頭に霞がかかってくるよ。幸生、パールがいるところではやめろ」
「そうね、じゃない、そうですね。ふたりっきりでね。いや、ふたりっきりだとつまんないな。芝居には観客がいなくちゃね。パールのいないところで、かつ、観客のいるところでやりましょう。パール、乾さんはやっぱり俺を選んでくれたんだよ。おまえはファイのもとへ戻れ」
 そうなの、隆也さんはユキちゃんがいいのね、と迫真の演技をしてから、パールは流し目で乾さんを見た。
「……色っぽい目をするのね。燦劇については社長から聞いたけど、パールくんってものすごく綺麗だし、そんなだったらメイクなんかしなくてもいいじゃない。他のひとも美青年なんでしょ?」
「ファイは妖艶で凄絶なる美形ですよ。トビーもエミーもルビーも、そこらのホストクラブのナンバーワンにも勝てそうな美形。俺がいちばん顔は落ちます」
「パールくんがいちばん落ちる? 嘘。美形なんてのは、見る側の好みもあるんだから一概には言えないんじゃないの。だけど、そんなにも美形ぞろいのバンド、素顔のみんなに会ってみたいな」
「そのうち素顔で連れてきますよ」
 オーバーなんだよ、おまえは、と章が口をはさんだ。
「本物の美形ロックバンドってのは、グラブダブドリブがいるだろ。あいつらにも勝つのか」
「演奏は負ける。けど、顔は負けないんじゃないかな。グラブダブドリブ一の美形ったら中根悠介だよね。ファイは彼にも負けない。あとはタイプがちがうね。うちはみんな細くて、ファイ以外は大きくもないから、体格で勝負したらグラブダブドリブには負ける。トビーは木村さんのタイプに近いかな」
「俺は誰に近い?」
「三沢さん? いない」
 ぷふっ、と吹き出した美江子さんは、失礼、と咳払いをして言った。
「章くん、私が見て判断してあげる。男性の顔については女の目のほうがたしかだよ」
「美江子さんは面食いでしたっけ」
「ぜーんぜん。だけど、好きなタイプの男の美形顔ってのはあるの。顔は好きだけど恋はしたくないタイプとか、顔は好きじゃないけど好みとか、いろいろあるのよね。グラブダブドリブと燦劇の素顔のどちらが上か、楽しみだなぁ」
「おまえはミーハーだったのか」
「そうだよ、本橋くん。女ってたいがいミーハーだもん」
 けろっと言い返されて、本橋さんは顎をつまんだ。
「顔の話は置いといて、パールもコーラスはやってるんだろ。バックヴォーカルか。俺たちと歌ってみないか」
 言った乾さんに、えー? 俺がフォレストシンガーズと歌うの? と恥ずかしそうにしているのは、パールも俺たちの歌は知っていると見える。章が提案した。
「ロックを歌おう。ZIGGYは知ってるだろ。俺もジギーってバンドをやってたんだけど、こっちのZIGGYはメジャーなほうだよ。パール、歌えるか「ONE NIGHT STAND」っての」
「うん、知ってる」
 知らないぞ、と本橋さんとシゲさんは言い、乾さんも自信なさげではあったが、俺は知っている。章の部屋でCDを聴かされて覚えていた。

「あてのない旅さ、バッグをぶらさげて
 景色が入れ替わるだけさ
 おんぼろのこのギター
 お気に入りのハイヒールシューズ
 車輪のきしむ音で目を覚ます
 トラベリングバンド」

 ロックンロールナンバーとなると章の本領が発揮されて憎らしいのだが、パールも歌い、俺も歌った。乾さんも歌ってる。ロックバンドの歌だけど、俺たちにはギターもハイヒールも縁はないけど、歌うために旅をするのは同じだ。一夜限りの熱狂を求めて、聴衆とステージが一体化する。そこにはロックもコーラスも差異はない。
 章はパールにエールを送っているのか。燦劇もトラベリングバンドになるんだろうから、この心意気でやれよ、と。「ONE NIGHT STAND」の歌詞は、後半はこう続いていく。

「ONE NIGHT STAND
 どこかの街に俺を待つ誰かがいるのならば
 ONE NIGHT STAND
 一夜の夢でしかないかもしれないけど
 ONE NIGHT STAND
 薔薇色の世界は、そうさ、俺のもの」

 一体化といえば、パールの歌声と俺の歌声にはたしかに似通った部分があって、ところどころで彼と俺の声が溶け合ってしまう。しかーし、歌は断然俺のほうがうまいもんね、ロックバンドのキーボーディストにヴォーカリストが負けてたまるかよ、と敵対心を燃やして声を張っていたら、章が言った。
「乾さんも幸生も、声がロックに向いてないよ。パールのほうがいい。パール、ふたりで歌おう」
「パールの声と俺の声は似てるじゃん。俺の声は向いてなくて、パールは向いてるのか」
「似てるようでちがうんだよ。乾さんも幸生も、ロックを歌うと不協和音になっちまう」
「てめえ、俺に喧嘩売ってんのか」
「幸生、本橋さんみたいに言うな。ロックはこう歌うんだ。パール、ついてこい」
「OK」
 えっらそうにぬかしやがって、章は再び歌いはじめた。相当にむかつくのだが、章の歌はロックそのものだ。ZIGGYのヴォーカリストは迫力満点のダミ声に近いのだが、章の金属質のハイトーンヴォイスは、それはそれでロックにまたとなくふさわしい。憎たらしいー、と俺が歯噛みしていたら、乾さんがそっと囁いた。悔しいから俺たちも、ロックを見事にこなせるようになろう、だった。もしかして章の思う壺? こうやって俺たちを徐々にその気にさせて、フォレストシンガーズもロックを歌おうぜって?
 ま、レパートリーが広がるのはいいことだよね、と納得しておいて、章のロックヴォーカルテクニックを盗み取ろうと、俺は聴覚、知覚、感覚、その他諸々を研ぎ澄ませようとつとめていた。

END

 

 
 
 
 
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