ショートストーリィ(FSいろは物語)

いろはの「ぬ」

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フォレストシンガーズ

「ぬばたま」


 若々しい笑い声をふりまいて、学生たちがキャンパスを行きかう。若者たちに混ざっていると自分も生気を分けてもらえるようで、私はこうしているのが嫌いではなかった。
 昼休みどきの大学、気候がいいのでキャンパスのあちこちで、学生たちもランチをしたためている。私もベンチに腰かけてお弁当を開いた。

「ここ、いいですか」
「今日はどこのベンチも満員なんです」
「どうぞ」

 わりに長いベンチなので、小柄な女性ばかりだったら四人でもどうにかすわれる。三人の女の子たちが私の隣にすわって、賑やかに食事をはじめた。

「それで、いっちゃん、告白したの?」
「告白はやっぱり、男のひとにしてほしいよね」
「そりゃそうだけど、待ってばかりじゃなにもはじまらないよ」
「……苺はそんな安い女じゃないから、告白なんかしないの」

 いっちゃんと呼ばれている女の子の本名は、苺というらしい。苺ちゃんが中心になって、コイバナが繰り広げられている。苺の自称も、いっちゃん、苺、であり、若くて可愛い女の子だったら許されるんだな、と私は微笑ましく聞いていた。

「いっちゃんは古典文学をやるんでしょ」
「そう、万葉集」
「乾さんがやってるから?」
「迷ってたんだけど、それもあるから決めたの。もともと嫌いじゃないし」
「万葉集かぁ。古すぎて私にはわかんないよ」
「さっちはイギリスの詩のほうが好きだよね」
「詩や万葉集はどうでもいいから、それで、いっちゃん、どうするつもり?」

 うーん、どうしようかなぁ、と宙を睨んで、苺ちゃんがフルーツサンドをかじる。なめらかな頬、キュートな目鼻立ち。ほっそりした可愛い子だ。

 古典文学、万葉集、乾さん。気になる単語が続出しているが、彼女たちにしてみれば、ベンチの端っこにすわっている中年のおばさんは路傍の石のようなものなのだろう。私が聞いていても、それがなにか? というようなものだろうから、聞いていないことにしておこう。

「乾さんってもう来年は卒業でしょ。四年生だと忙しいだろうしね」
「忙しかったって女の子とはつきあえるよ」
「そうだよ。英文の渡部さんとかさ……」
「うちの兄貴だって医大の五年生だけど、女の子とつきあいまくってるよ」
「え、さっちの兄さん、医大生? 聞いてなかったよ。紹介して」

 果てしなく脱線していく女の子たちの会話は可愛い。乾さんの話題からはそれてしまったし、私は食事を終えていたので、彼女たちに軽く頭を下げてベンチから離れた。
 そんなに珍しい苗字でもないが、どこにでもある名前でもないのではないか。万葉集専攻、古典文学科の乾さん、合唱部の乾隆也の話だったはずだ。

 去年の夏の終わりに、合唱部主催のコンサートに出かけた。私はそれほどに音楽好きでもないが、家にいても暑いし、今年こそは噂に聞く合唱部のコンサートに行こうと決めたのだった。

「こんにちは、聴きにきて下さったんですよね」
「え、ええ、こんにちは」

 コンサートは学校からだと徒歩でも行ける、我が大学とはゆかりもあるホールで行われる。すこし早くつきすぎたので、ホール前の広場にある噴水を眺めていたら、学生とおぼしき若い男性が話しかけてきた。

「学生さんですか」
「私が? まさか、そんなはずないでしょ」
「そんなはずがなくはないと思いますが、院生だとかでもないんですか」
「大学院には行っていたんですけど、そっちも終了して、教授にはなれそうにもないけど、潰しのきかない学者崩れですから、まあ、教授の助手ってところですね」

「ああ、そうなんですか。どちらの学部だか伺ってもよろしいですか」
「文学部です」
「俺も文学部です。乾隆也と申します。お目にかかったこと、ありましたっけ?」
「もしかして、私の言ってることを疑ってるのかな」

 とんでもない、と手を振って笑って、彼は言った。

「いや、うちの文学部は学科もたくさんあって、教授だって助手の先生だって大勢いらっしゃいますよね。ただの好奇心ですよ。俺は古典文学のほうです」
「私は近世日本文学です。鴫田っていいます」
「そうですか。時代としてはすこし遠いかな」
「だけど、私、古い短歌なんかは好きですよ」
「俺も大好きです。専門は万葉集ですから」

 文学部に入学して、私も最初は古典を学ぶつもりだった。それから六年も大学生をやっているうちに、あっちによろめいたりこっちに傾いたりした。決断力がなかったから大学院でようやく、近世文学に本格的に取り組むことにしたのだ。
 ふらつきすぎたせいか、もとから能力がなかったせいか、万年助手で、大学には二十年以上もいる。大学三年生、二十歳をすぎたばかりの乾さんの、倍の年齢だ。

「俺も今日は歌うんですよ。同じ合唱部の本橋って男とデュオで歌います。聴いていって下さいね」
「乾さんと本橋さんって……ああ、お名前は聞いたことがあります」
「そうですか、光栄です」

 どこかで耳にした名前だな、とは思ったが、本橋、乾と並べられてぴたっとはまった。合唱部ではスターといっていいコンビではないか。
 暇だから、家にいても暑いから、その程度の動機で聴きにきたコンサートに、私はすっかり浸ってしまった。特に本橋&乾のデュエット。特に特に、乾隆也の透明感のある、グレープソーダみたいな歌声にはしびれてしまった。

 特別にハンサムでもないが、背は高めですらりとしている。白いシャツに淡いグレイのパンツという、無造作なファッションもさりげなく決まっていた。彼は万葉集を勉強している。私の好きな世界を深く知っている。彼ともっと万葉集の話がしたかった。

 自らの気持ちを直視したくはない。私は四十一歳、四年生になった乾さんは二十一歳か二十二歳。苺ちゃんのような若い女の子が似合う年頃の青年だ。私は今年も合唱部のコンサートを楽しみにしていよう。その日には乾さんに会えるのだから。

 そのつもりだったのに、苺ちゃんたちの会話を聞いていて気持ちがもわっとしていた。今日の午後はたいした仕事もない。乾さんの顔が見たいな。古典文学の教室に行けば、顔を見るだけだったら可能だろうか。私が助手をつとめる先生は古典文学とは関わっていないので、見とがめられる心配もないのだから。

 足が勝手に動いて、彼のいるはずの教室に行こうとしていた。昼休みも終わりかけていて、学生たちも教室へと急いでいる。なのに、教室が近づいてくると私の足の速度が鈍る。こんなおばさんが乾さんを見てどうしようっての? 自虐的な思いに足を止めたとき、通りがかりの建物の陰から、さきほどの女の子の声が聞こえてきた。

「だから、いっぺんデートしてあげるってば」
「俺はデートは望んでないから、悪いけどね」
「どうして? 乾さん、いっちゃんのこと、好きでしょ」
「まあね、嫌いじゃないけどね」
「そしたら、いいじゃん。いっちゃんが誘ってあげてるんだから、ありがとうって言ってデートしたらいいんだよ」
「あのね、谷崎さん」

 応じているのはグレープソーダの声。彼は話すときには歌うときよりも声が低くなるが、面白がっているような響きが感じ取れる分、明るい高めの声になっていた。

「きみは十八だね。そろそろ、自称がいっちゃんってのはやめたほうがいいな」
「可愛いでしょ」
「幼稚園児だったら可愛いけど、大人の女性はやめたほうがいいよ」
「いっちゃん、まだ大人じゃないもん。乾さん、デートしようよ」

 女から告白するなんて安っぽい真似は……と言っていたくせに、やっているではないか。若いっていいなぁ、と思ってしまいそうになっていると、乾さんの声が聞こえてきた。

「悪いけど、俺はデートって呼べるつきあいは愛し合ってる女性としかしないから」
「これから愛し合うんでしょ」
「俺は子どもとつきあう気はないな。ああ、講義の時間だ。じゃ」
「もうっ、素直じゃないんだからっ」

 地団太を踏みそうな勢いで怒っている苺ちゃんを置き去りに、乾さんが立ち去っていく。足音が遠ざかっていくから、こっちに出てくるのではないようだ。なんだか嬉しくなってしまって、私もしばらくはそこに立ち止まっていた。

「ああっ、さっきのおばさんっ!!」
「あ……」
 
 しまった、さっさと私も立ち去ればよかった。後悔先に立たずで、苺ちゃんに責められた。

「立ち聞きするなんてお行儀悪い。なんなのよ」
「ごめんなさい。通りすがりに声が聴こえちゃったものだから」
「おばさんって学校の事務員さん? 購買部とか食堂とかのおばさん? 学生でもないのにここらへんをうろちょろしないでよね」
「助手なんですけど……」
「助手って、正社員でもないわけ?」

 助手の意味がわかっていないらしき苺ちゃんは、居丈高に続けた。

「なんだっていいから早く仕事しなさいよね」
「ええ。あなたも早く授業に……」
「おばさんに命令される筋合いはないのっ。もうっ、乾さんったら、こんな可愛い子をふっちゃってさ……ふられたっていうんでもないのか。デートを断って後悔したら、あやまってくるかな。もうちょっと待つしかないか」
「……ポジティヴ思考でうらやましいわ」
「は?」
「いえ、じゃあね」

 苺ちゃんに背を向けたら、自然に言葉がこぼれた。ざまあみろ。

 あああ、自己嫌悪。苺ちゃんがふられたって私には関係ないのに。私が苺ちゃんのかわりに……だなんて可能性は0.000000000∞1パーセントもないのに。私も仕事をしようと教授の執務室に向かいつつ、こんな歌を頭の中で噛みしめていた。

「野干玉之 黒髪變 白髪手裳 痛戀庭 相時有来」

「ぬばたまの、黒髪変り、白けても、痛き恋には、逢ふ時ありけり」と読む。白髪の出る年頃になっても、切ない恋に出会うこともあるのよ、という万葉集の歌だ。太古の昔から、私みたいな恋をしていたひともいる。

 ぬばたまは「黒」の枕詞だが、私の気持ちは今は真っ黒。苺ちゃんに「ざまあみろ」と吐き捨ててやりたくてどうしようもない。私の胸のうちも、ぬばたまの漆黒一色に染まっていた。


END





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