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小説368(岬めぐり)

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フォレストシンガーズストーリィ368

「岬めぐり」

1

 霧の出ていない晴れた日だから、樺太が見えている。海のほうに目をやれば遠くロシア領が見え、振り返れば北海道は稚内市。稚内といえば、一年限りで合唱部を退部してしまい、大学も中退してしまった木村章の故郷だと聞いていた。
 日本最北端の地、との碑の立つ場所で、俺は木村を思い出す。
 さして触れ合いはなかった。俺が大学三年生の年、去年に入部してきてその高い声でちょっとだけ旋風を起こし、風のように去っていった木村章だ。木村とは親友だったようで、さらに規模の大きな旋風を起こした三沢幸生のほうが目立っていたから、木村は三沢に隠れていたふしもあった。
 人なつっこい三沢は二年生になって、いっそう上級生たちに可愛がられるようになっている。合唱部のキャプテンになった俺も、副キャプテンになった乾も、三沢には目をかけている。
 木村がいなくなって寂しくなったのではあるようだが、そんなところは見せないのは男の意地か? 高校生みたいに見える三沢にだって、男の意地ってやつもあるのだろう。


 真夏ではあっても宗谷岬の風はわりあいにつめたい。木村章はここに帰ってきているのだろうか。三沢も木村の噂をしなくなったので、俺は普段は彼を忘れている。こうして彼の故郷に来たから思い出したにすぎない。
「俺には関係ないんだけどさ」
 貧乏大学生なのだから、青春18きっぷってのを使って鉄道で稚内までたどりついた。俺は旅も電車も好きだ。飛行機だって好きだが、夏休みで時間の余裕だけはあるのだから、ゆっくりのんびり旅しよう。時間をかければその間、考えごともたっぷりできる。
 JR稚内駅からバスに乗って、宗谷岬を目指した。
 観光客がちらほらいる。碑の前でカップルに頼まれてカメラのシャッターを押したりもした。礼を言われてカップルから離れると、彼女のことも思い出す。
「ひとり旅? 私は連れてってくれないんだ」
「おまえは休めないだろ」
「休めるけどね……いいよ。行ってらっしゃい」
 実はあいつ、怒っていたのかな? 彼女がいるんだから誘うべきだっただろうか、と思わなくもないが、土産でも買っていって機嫌を取ろう。
 
「流氷とけて 春風吹いて ハマナス咲いて カモメも啼いて 遥か沖ゆく 
 外国船の 煙もうれし 宗谷の岬
 流氷とけて 春風吹いて ハマナス揺れる 宗谷の岬

 吹雪が晴れて しばれがゆるみ 渚の貝も 眠りが覚めた
 人の心の扉を開き 海鳴りひびく 宗谷の岬
 流氷とけて 春風吹いて ハマナス揺れる 宗谷の岬

 倖せもとめ さいはての地に それぞれ人は 明日を祈る
 波もピリカの 子守のように 思い出残る 宗谷の岬
 流氷とけて 春風吹いて ハマナス揺れる 宗谷の岬」

 歌碑を眺めて一緒に歌う。歌いながら海のほうへと歩いていく。
 街を歩いたら木村にばったり会ったりして? 食いもの屋にでも入ったらあいつがバイトしていたりして? 会いたいわけでもないが、そんな偶然も考えてしまう。
「まだ腹も減ってないし、バスに乗ろうかな」
 ひとりごとのような、考えているだけのような感じはひとりでいるときの常だ。存分に海を見てから、俺はバス停へと歩き出した。


 東京に帰ったら両親と兄たちに、俺の決意を打ち明けねばならない。大学四年生、父は母にまかせっばなしで、まだ新婚の時期の兄たちも弟にはかまっている暇がないというか、将来については信頼されているのかもしれない。
 が、母はうるさい。就職はどうするの? 就職試験は受けてるの? 三年生の終わりごろからやいやい言われるようになって、ごまかすのももう限界だ。
「俺は歌手になるんだ。合唱部の後輩たちと乾とで、ヴォーカルグループを結成してプロになるんだよ。そのためには就職はしないんだ」
 そう言うとまちがいなく、家族そろって反対するだろう。そんなのは想定内だ。反対されるのを恐れていてはしたいこともできやしない。
 親不孝息子、兄不孝弟でごめんな、と先にあやまっておいて、俺は俺のしたいことをする。失敗したら……なんて考えない。木村、おまえにも夢はあるんだろ。東京にいるにしても故郷に帰っているにしても、おまえはおまえの夢をかなえろよ。
 稚内市から出ていくバスに乗り込み、うしろを振り向く。俺もおまえもがんばろうな、木村章。


2

 去年の夏休みには乾隆也の故郷にも行った。
 石川県金沢市出身、合唱部で友人になった乾は一般庶民ではないらしいと聞いていたが、では、なんなんだ? 士族か、華族か? 俺には想像しにくかったのが、乾邸を見て納得できた。加賀百万石前田家の家来の血筋だとか聞くよりも、この屋敷でばあちゃんに育てられたんだから、俺とはちがった男に育ったのも当然だなぁ、と。
 東京に戻った俺は予定通りに両親と兄たちに決意を告げて猛反対を食らい、小遣いを貯めた金をはたいてアパートを借りて独立した。
 それから一年、フリーター暮らしの俺たちはプロにはなれていない。父も母も許してはくれていないのだが、兄たちがとりなしてくれているようだ。
 双生児であるふたりの兄のうち、敬一郎には去年、長女が誕生した。栄太郎には今年、長男ができた。俺は叔父になったわけで、敬一郎の娘も栄太郎の息子もあぶなっかしく抱っこさせてもらった。兄たちの妻、俺にとっては義姉にあたるひとたちも俺を応援してくれていた。
 
 
 金沢というと海のイメージはないが、石川県にだって岬はいくつもある。そのうちではパワースポットとも呼ばれている珠洲岬にやってきた。
 現在はフリーターまっしぐらの俺たちは、夏休みは取る気になったら取れる。取らずに働いたらその分、金になるわけだが、旅行がしたくて休みをもらった。東京だって嫌いではないが、時には旅先で呼吸したくなるから。
「珠洲岬か。風水的な聖域だとも言われてるね。本橋はそういうのに興味あったか?」
「パワースポットというよりも、岬に興味があるんだよ」
「先端が好きなんだよな」
 乾とそんな話をしてから、フォレストシンガーズも夏休みにして旅に出た。乾も沖縄へ行くと言っていた。
 能登半島の東北端、岬なのだから端っこなのは当然だ。土地柄、さまざまな伝説があるらしく、大衆食堂のおばあちゃんが話をしてくれた。
「百年水ってのがあるんだよ」
 五百万年かかったできたパワーホール、義経伝説、幻の蛇、原生林、オオタコ、などの話をしてくれるおばあちゃんは、やわらかさのある金沢なまりを持っている。大学一年生の乾にはこのアクセントのなまりがあって、こいつは金沢出身かな? と感じたのだった。
 おばあちゃんといえば、乾隆也を育てたさな子さんを想い出す。俺にもばあちゃんはいたが、同居はしていなかったのでなじみは少なかった。
 ブリの塩焼き定食がうまい。ごはんをおかわりすると大盛りにしてくれて、よく食べるねぇ、頼もしいね、と笑ってくれるばあちゃんが可愛い。
「ごちそうさまでした」
「気をつけてね」
 岬を目指して歩き出す俺に、ばあちゃんが手を振ってくれた。


海を見るための旅ではないのだが、先っぽの好きな俺は海沿いをひとりで歩くことが多い。リュックを背負ってたどりついた珠洲岬。
 来年の今ごろ、俺はどうしているのだろう。
 楽観的に考えれば、歌手になっていたい。フォレストシンガーズがプロになって全国で歌っていたい。アイドルじゃないんだからテレビに出まくるってこともなく、日本中の小さなホールで歌を聴いてもらいたい。
 けれど、悲観的に考えれば、フリーターのまんまかもしれない。プロになって歌うための旅をするのと、アマチュアで好きな旅をするのと、今の俺は前者の境遇になりたい。同じ旅でもきっとずいぶんとちがうのだろう。
「よっ、坊主、いくつ?」
「……」
 ちょこちょことそばに寄ってきた男の子に話しかけると、彼は俺を怖そうに見て後ずさりした。そのまま後退していった先にもおばあさんがいて、男の子はおばあさんの腹のあたりに顔をうずめた。
「まあまあ、臆病者だねぇ。お兄さんにお返事しなくちゃ。タカちゃん、いくつ?」
「……」
「聞こえないよ。ごめんなさいね、お兄さん、この子は怖がりで」
「タカちゃんっていうんですか。いやいや、俺って怖そうに見えるらしいですから。ごめんな、タカちゃん、気にしなくていいよ」
 おばあさんにくっついてめそめそしている坊主は、タカちゃんというらしい。おばあさんとタカ、当然、乾隆也とそのおばあさんを思い出す。
「……おばあさんも見てて下さいね。来年は無理だったとしても、近い将来にはきっと……」
 砂浜を歩く小さいカニを追いかけていくタカを、おばあさんが追いかけていく。俺は彼女を乾のおばあさんに見立てて、小声でその背中に話しかけていた。

 
3

 軟派な街だと章の言う、三沢幸生の生まれ故郷。幸生の生まれは横須賀だが、三浦半島は横須賀からも近い。
 1960年代ごろからしきりに歌にされるようになった、湘南、横浜、横須賀、葉山や茅ヶ崎、江の島、鎌倉。演歌もロックも似合う街は、たしかに硬派なイメージではない。俺は東京生まれだから、ガキのころからこのあたりへはよく遊びにきた。
 兄貴たちに連れられてきて、海に放り込まれたのはここだったか。
 ミサキはミサキでも三崎だ。今年の夏はフォレストシンガーズのデビューが決まって、ひとり旅に出る余裕もなかった。初秋にデビューしてからだって超多忙で、ようやく一日だけ完全オフとなった初冬の今日になって、レンタカーで三崎にやってきた。
 日本最先端は遠いから、そこまで出かける余裕はない。我々の第一目標、メジャーデビューは達成したのだから、文句はかけらもないのだが。
「そうだ、ここだここだ」
 人のいない海水浴場で、幼いころを思い出す。
 七つも年上の兄貴たちは双生児で、空手をやっていたのもあってやたらにでかくて、中学生でもおっさんに見えた。俺が幼稚園だから、兄貴たちは中学一年生の年だったか。三人だけではじめて海に来たのだった。
「プールでだったら泳げるんだから、怖くなんかないだろ」
「海のほうが塩の加減で浮くから、泳ぎやすいんだぞ」
「浮き輪? そんなものはいらねえよ」
「ほら、真次郎、行くぞ」
 うっきゃーっ!! と、今から思えば幸生みたいな悲鳴を上げて、空中を飛んでいく俺の姿が写真に残されている。兄貴たちもよくもまあ、あんな瞬間を撮ったものだ。


 三崎には海水浴場もあり、魚市場もある。プロになれたから父も母も完璧に認めてくれるようになって、メシを食いに実家に行くこともある。大学四年の年にはじめたひとり暮らしは続行しているが、貧しいので親や兄貴たちの援助は多少は受けている。
 小遣いをもらうのと同じだよな、と忸怩たる思いを抱きつつも、兄貴たちに酒をおごってもらったり、母の料理をふるまってもらったり。
 なのだから、たまには土産を買っていこうか。なにが名物なのかな?
「そりゃあ、まぐろだよ」
「まぐろってのは扱いにくいですよね」
「そしたら、アジの干物とかは? ってか、彼女にお土産? 干物じゃ色気ないか」
「いや、おふくろに土産だから」
 市場のおばちゃんは俺がそう言っているのをろくに聞いていないようで、彼女にお土産だったら真珠のピアスなんかどう? と勝手に言っている、いや、そんなのはいいから、と押し問答していると、中から若い女が出てきた。
「あっ!!」
 おっ、俺を知ってくれているのかな、と胸がときめいたのはぬか喜びだった。
「なんだ、人違いだ」
「誰だと思ったの?」
「おばさんは知らない男」
「彼氏?」
「モトカレだよ」
 フォレストシンガーズの本橋真次郎を知っているのではなく、俺が彼女のモトカレとやらに似ているだけだったのか。がっかりではあるが、おばちゃんのお土産攻撃からは逃れられた。
 ひとまずはアジの干物を買って焼いてもらい、握り飯も作ってもらってそれらを抱えて海辺に下りていく。焼きたての干物とできたての握り飯は美味だった。
「この梅干しもうまいな」
「……こんなところでひとりでお昼? 侘しいね」
「いや、侘しくはないよ」
「私も一緒に食べていい?」
「どうぞ」
 隣にすわったのは、さっきの魚屋の若い女のほうだ。彼女は弁当を食べている。うまそうだな、と覗きこむと、マグロステーキと卵焼きを分けてくれた。
「これが名物のマグロか。うまいな。帰りに買っていくよ」
「ちゃんと料理してあげるから、大丈夫だよ。彼女にお土産?」
「彼女じゃなくておふくろだよ」
「彼女、いないの?」
「どうだっていいだろ」
 いるにはいるが、俺が忙しくなったのでデートができない。彼女はCDショップで働く正社員だから、俺の突然の休みと休みを合わせることもできなかった。
「平日のこんな時間に遊んでるって、あんた、フリーター? 学生じゃないよね」
「俺のこと、知らないんだな」
「んんと……有名なひと? そんなはずないよね」
 もうじきハリウッドでデビューする映画スターの卵だ、とでも言ってやろうかと思ったのだが、俺では説得力もないだろう。俺は乾や幸生とちがって作り話の才能もない。嘘をつくのは虚しい気もして、正直に言った。
「新人歌手なんだ。ほんと?」
「嘘は言ってないよ」
「その顔で?」
「あんたなぁ……」
 むかっとして怒りたくなったのを耐えていると、彼女はきゃらきゃら笑った。
「ごめん。ま、嘘だっていいよ。そっかぁ、歌手なんだね。そしたらそのうちにはスターになるかもしれないんだ」
「可能性はあるよ」
「そっかぁ、そんな男といっぺん、寝てみたいな。今夜はどこに泊まるの?」
「夜には東京に帰るんだよ」
「なーんだ、残念」
「それも冗談なんだろ?」
「かもね」
 けろけろした女だ。
 神奈川県の若い奴は幸生に似ているのか? そうとも限らないだろうに、このお調子者っぽさは幸生に酷似している。幸生だったら彼女にナンパされたら予定変更して、ふたりでホテルに泊まるのか? それとも、彼女の部屋に行くのだろうか。
 冗談だと本人も言っているのだし、幸生を女にしたようなこんなのに誘われてもその気にならなくて、俺はむしろむすっとしていた。彼女はまたもやきゃっはっはっと笑い、言った。
「信用してないわけじゃないんだけど、証拠を見せてよ」
「証拠ったって……あ、そうだ。あるよ。待ってて」
 カーオーディオで聴くつもりで、デビューCDを持ってきていた。駐車してある車からCDを持ってきて戻ってみると、彼女の姿は消えていた。市場のほうに行くと、先刻のおばさんと彼女が並んで働いているのが見えた。
「これだよ」
 そのつもりでCDを振ってみせる。なるべく近づいて写真が見えるようにする。ちゃんと見えたのかどうか、彼女は満面の笑みで大きくうなずいてくれた。
 

4

 何組ものシンガーが出演する歌謡ショーのような舞台やら、季節ごとのイベントのステージやら。デビューしてから二年になるフォレストシンガーズの仕事はそういったものが大半だ。単独ライヴとなると数えるほどしかやっていなくて、歌える機会が乏しくて欲求不満気味でもあった。
「三重県の海は綺麗だよな」
「俺の故郷でも、海のほうは風光明媚ですよね」
「シゲんちは住宅街にあるんだろ」
「行きます? 行ってもしようがないけど、酒だけはたんまりありますよ」
 行ってもしようがないとシゲが言うのだから、本庄酒店ではなくて海に行くことにした。
 仕事で訪れた伊勢は、シゲが産まれて育った土地に近い。シゲが子どものころに泳いだという御座岬海水浴場でキャンプもできるというので、そこにしたのだ。
「夜中に歌えるかな」
「本橋さん、歌い足りないんですか」
「足りねえよ。今度のイベントでは一日に一曲しか歌えなかったじゃないか」
 他の三人はひと足先に帰京した。あの三人はインドア派だが、シゲと俺は自然が好きなアウトドア人間だ。仕事でならばアウトドアの遊びのようなこともやるが、好きでやっているのではなく強制的にやらされているのだから、純粋な遊びでキャンプをしたかったのだ。
 白砂の浜で泳ぎ、美しい景色を見、男同士で色気ゼロも清々しくていいよな、と笑いながら、夜は定番、バーベキューパーティとなった。
「合宿を思い出すよな」
「一年生はアルコール禁止だから、ヒデなんかは身もだえしてましたよ」
「俺たちは三月生まれだから、二年生でも未成年だろ」
「誕生日までは知らない先輩も多いですから、二年になったら飲んでましたけどね」
 二十六歳と二十五歳、先輩にも酒豪のヒデにも鍛えられた俺たちは、当然ビールを飲んでいた。
「星も綺麗だし、夜の海も綺麗だよな。シゲだって彼女とこういうところに来たこと、あるんだろ」
「いえ……」
「ほんとにないのか」
「ありません。聞かないで下さい」
 もてない、俺には恋愛方面では話すことはない、とはシゲの口癖だ。もてないというのはどうやらかなり事実のようだが、かつて一度もまるっきりもてた経験がない、のだろうか? そこまでなのだろうか。
 中背で四角い感じで、腕力も体力もありそうなシゲは、たとえるならば金太郎さんタイプか。日本の女は外見的には乾隆也のような、ほどほど長身、細身、人あたりがソフトで紳士的で、男前すぎない男を好むのが多数派だとは思うが、俺だってもてなくもなかったのだし。
 なのにシゲは? 女の話をするとシゲがどよよんとしそうなので、その話題は避けて通ろう。とすると、仕事の話も野暮だし、なんの話をしようか。
 
「わたしゃ年ごろ 黒汐育ち
  志摩の入江で 真珠とる
  旅のお方に 想いをかけて
  いとしい便りを ああ
  きょうか明日かと 待ち侘びる

  浪にほろほろ 磯濱つばき
  散ればあの人 思い出す
  夢もわびしい きょうだい千鳥
  涙が出る時ア ああ
  水にもぐって 泣くんだよ

  髪の黒さは 母さんゆずり
  唄の上手は 父ゆずり
  やませ吹く夜は 大王崎で
  しみじみ唄って ああ
  戀(こい)しいお方を 偲ぶのよ」

 話題を探して沈黙が降りていたら、シゲがこんな歌を歌ってくれた。渋い喉が冴えわたる。こんなに声だっていいのに、おまえはなんでもてないんだ? 女って見る目、ないんだよな。言うとまたシゲが暗くなりそうだから、俺は黙って拍手した。


5

東京発信のFM放送を受信できる土地にいれば、ヒデは「FSの朝までミュージック」を聴いてくれているだろうか。
 去年、我々のグループ名を冠したラジオ番組がはじまった。そのおかげでシゲは川上恭子さんと結婚し、フォレストシンガーズの名もわずかながら売れてきた。我々単独のコンサートも徐々に増えてきて、今年は四国のホールでもライヴをやる。
 そのためにやってきた室戸岬。室戸岬に立つ中岡慎太郎像と、桂浜の坂本龍馬像は海をはさんで見つめ
合っているのだと、歴史好きなシゲが言っていた。
 プロになったらプライベートな旅はできにくくなるだろう。その予想は当たっていた。ライヴツアーで全国を回れるようになったのは最近だが、ようやくその希望もかないつつある。誰かしら、知り合いの故郷だったりゆかりの地だったりすると、その土地に行くとその誰かを想うのも常だ。
「ミサキ、みさき、神奈川に三崎ってあるだろ。あそこにも行ったぜ」
「三の崎の三崎ですね。あれもミサキだよね。ミサキって女性もいますね」
「ミサキって女?」
「俺は会ったことはないんだけど、ヒデさんの妹」
「ああ、そういえばそうだったな」
 三つ年下の妹、小笠原美咲の噂はヒデから聞いた。ヒデに似た背の高い美人だと聞いた合唱部の男どもは、紹介しろと騒いでいたものだ。
「乾さんが会ったって言ってましたよね。リーダーは会ってない?」
「俺は会ったことはないな。ヒデより三つ年下ってことは、二十四歳か。大学は卒業して働いてて、そろそろ結婚って年かな」
「こっちの女性は東京よりは、結婚が早いのかな」
 幸生とふたりで室戸岬のしょっぱなに立って、いなくなった奴の話をしていた。
 風が激しい。波も荒い。人間が育った土地柄というのはあるものだ。俺は江戸っ子、気が短くて喧嘩っ早くて、宵越しの金は持たない、かな? 江戸っ子が全員そんな性格ではないにしても、俺には顕著にあらわれている。
 ここにいる幸生は軟派な横須賀生まれのナンパ男。ナンパが得意なのみならず、性格も軟派だ。いい意味でも悪い意味でも。
 三重県というと関東の人間にはわかりづらくて、朴訥なのかな、とのイメージを持つ。シゲはその通り、朴訥な男だ。稚内出身、木村章はどうだろう。東北や山陰だと辛抱強く粘り強い感じがするが、北海道はまた別。章は開明的だの開拓者的だのではないが、あいつは北海道人以上にロッカー気質だからか。
 北陸や新潟も雪国で我慢強く気が長い。金沢だけは華やかで雅なイメージではあるが、金沢出身乾隆也は我慢強く気が長い。東京育ちの俺以上に都会的なのは、持ち前のセンスや体格のおかげか。
 考えてみれば、性格、気質、体格、顔立ち、顔つき、現在の環境などが人格を形成するのだろう。二十八歳になった俺は、デビュー当時よりは名が売れてきたフォレストシンガーズのリーダー。外見は大人になっているが、中身は成長したのだろうか。


 そして、この地の出身の小笠原英彦。高知といえば坂本龍馬に代表される、幕末の志士を数多く輩出した土地だ。この波のように激しくて一途で、猪突猛進な男たちが幕末の京を疾走していた。
 疾走し続けて失踪しちまったんだよな、ヒデ。幸生に言われる前に漢字シャレをやっておくよ。
 激しい波と風にもまれて育って、東京に出てきて俺たちの仲間になり、結婚するからと言って去っていったヒデ。メンバーチェンジなんてよくあることだ。プロになってから出会った歌やお笑いのグループだって、特に確立もしていないころにはメンバーが変わったと言ってることは珍しくない。
 失踪してしまったのではなく、自らの意志で俺たちの前から消えてしまったヒデは、どこかで妻と子どもを持って幸せに暮らしているはずだった。
「あんな感じかな」
「あの女? 美人だな」
「美咲さんってあんな感じだと思いません? リーダー、声をかけてみる?」
「ってか、こんなところでリーダーって呼ぶな」
「だったらシンちゃん、あの子、ナンパしてみる?」
「てめえは誰に向かってシンちゃん呼ばわりしてんだよ?」
「きゃあ、怖い。真次郎さまぁ、許して」
 わざとらしく怯えてみせてから、幸生が俺に身を寄せた。
「ねえね、真次郎さん、あの彼女、ナンパしてみせてよ」
「俺はナンパなんてものはしたことがないんだよ」
「……ならばよけいだよ。やってみ? やってみなってばぁ」
「……それにだな、こっちはふたりでむこうはひとりだ。おまえがあぶれるぞ」
「ああっ、成功するつもりでいるんだ。その上に俺をのけ者にしようとしてる。そんな気なんだね。いいですよ、俺がナンパして成功してみせますから」
「おい、待て」
 こいつは本当にやる奴だ。止めようと幸生の腕をつかむと、いででで、骨が、骨が、と大げさに騒ぐ。美咲さんに似ていると勝手に決めたすらっとした美人は、なにげなくこっちを気にしているようだ。
「おーい」
「あ、ここ。おーい!!」
 男の声がして、彼女も反応する。むこうから男が走ってくる。彼女もそっちに走っていく。ナンパなんかしなくてよかっただろ、と幸生をつつくと、幸生もうなだれてみせる。
 あのカップルは美咲さんとその彼氏なのだろうか。そんなはずはないけれど、ヒデとその妻のようにも見える。今にも小さな子どもが走り出てきて、ヒデがその子を抱き上げ、彼女と手をつないで歩き出す。そんな錯覚にとらわれていた。


6

 十年近く前には日本最北端の地に出向いた。三十歳になった記念に、日本最南端の地にやってきた。
 沖縄、波照間島の南部に位置する高那崎に、日本最南端の碑は立つ。日本全国から集められた石を使って作られた蛇の道から入り口がはじまる。二匹の蛇が絡み合ったような形の道が興味深い。道の途中から海のほうに、三角の蛇の頭がふたつ。
 赤と白の蛇の頭が海のほうに向いている。三角だからコブラみたいだな。それとも、沖縄の蛇? ハブかな。俺は蛇は嫌いではないが、にょろにょろ大群や毒蛇だったらいやだな。


 ようやくフォレストシンガーズにも運が向いてきたかもしれない。シゲが結婚した恭子さんは、幸運の女神だともいわれている。彼女とシゲが恋愛関係になったきっかけのラジオ番組が、フォレストシンガーズをすこしずつ押し上げてくれている。
 来年にはフォレストシンガーズ初の、全国ライヴツアーが予定されて、俺たちは燃えていた。
 リーダーは情熱過剰でうざい、と章が言っていたのは知っているが、初の全国ツアーで情熱を抱かない歌手がいたらどうかしている。俺だけではなく、マネージャーの山田だって社長だって、事務の玲奈ちゃんだって張り切っているのだから。
「山田かぁ」
 マネージャーを思い出すと、その当人だって思い出す。山田美江子もあれでも女なのだから海は好きで、海を見ているとガラにもなくロマンティックになるのだろうか。去年のあれはロマンだかセンチだかがさせた行動なのだろうか。
「おまえも連れてきてやりたかったかな、なんでおまえなんだろうな。山田……なんでって……そりゃあさ……」
 去年の夏のイベント、夕刻の海を山田とふたりで歩いていた。つまらない話や仕事の話、想い出話などをしていてふと立ち止まり、見つめ合い、俺は衝動的に山田を抱きしめてキスをした。あいつも拒まなかった。
 衝動だったのかどうなのか、俺はおまえが好きだ、と強く感じたことすらも、半ば夢だったようにも思える。俺は山田が好きだ、学生時代からの友達で十年以上も一緒にいて、大人になってからは仕事仲間になった山田は、喧嘩はしても好きだ。それは同志愛なのか? 友情なのか? それもあるけれど。
 男の俺が女の山田美江子を好き。山田は女だけど、女だと思ったことは……なくもない。水着姿にどきっとしたり、綺麗な脚だと思ったり、おぶって歩いたときに背中に胸のふくらみを感じたり、そんな経験は幾度もあるが、それは動物として、山田が異性だというだけで。
「……わかんねえよ」
 ただ、おまえをここに連れてきてやりたかった。並んでこの景色を見たかったと心から思う。それだけは正直な気持ちだ。
「いつか……」
 いつか、どうしたいのか、気持ちが固まらない。俺の気持ちが山田と生涯をともにしたいと固まったとしても、あいつが肯う保証もありゃしない。俺らしくもなくうじうじ考えるこんな心の動きは、当分は続きそうな予感がしていた。


END








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