novel

小説367(白夜の騎士)

 ←FS春物語「Pillow Talk」 →ガラスの靴4
imagesCAY5GC1Q.jpg
フォレストシンガーズストーリィ367

「白夜の騎士」

1
 
 若者の、すなわち俺の澄んだ瞳のような空。夏が近づいてきている空を見て歩いていると、ハモニカが吹きたくなってきた。歌いたくもなってきた。ハモニカは持ってきていないから、口笛にしよう。両方は不可能だから、心で歌いながら口笛を吹いた。

「若者の澄んだ 瞳のように
 きれいな空へ 口笛ひびく
 はじめての愛が 愛が結べず
 あなたは今日も ひとり泣いてる」

 隣を歩いている奴は木村章、大学に入って合唱部にも入って、最近になって親しくなった奴だ。顔は章のほうがいいとの説もあるが、そんなことないもんね。顔の良しあしなんてのは見解の相違で、ユキちゃんのほうが二枚目よ、と言う女の子だっているはずだ。
 少なくとも俺は、俺だけは章よりも三沢幸生のほうがいい男だと信じている。
 身長は俺のほうがやや高い。体重も俺のほうが若干、筋肉も俺のほうが若干多い。頭脳の明晰さも俺のほうが……要するに、顔以外は俺のほうがすべてに於いて俺が若干上。若干にすぎなくても上というのは重要だ。
 という関係の、合唱部の同い年の仲間だ。章はオレンジと黒の派手なプリントパーカーのポケットに手を突っ込んで歩いていた。
「なんの曲?」
「章はロック好きのくせに、知らないのか」
 口笛をやめて答えると、章は口をとがらせた。
「その曲調がロックかよ。歌謡曲だろ」
「そう言われればそうかもしれないな。だけど、日本ロックの祖に近いところもあるんじゃない?」
「グループサウンズか」
「おー、話せるじゃん。知ってるんだ」
「知ってはいるよ」
 1960年代に一世を風靡した日本歌謡界の徒花といってもいい、GSは俺たちが生まれる十年以上前にぱっと開いてしゅっと消えた花火だ。
「俺んちは母ちゃんがGS好きで、レコードをいっぱい持ってたんだ。俺んちには年子の妹とそのふたつ下の妹もいて、俺たちがちっちゃいころは母ちゃんは育児に無我夢中だったんだよ。息抜きはGSのレコードをかけて歌ったり踊ったりすること。下の妹が生まれたころには俺は三つで、上の妹はふたつ。母ちゃんが赤ん坊を背負って両手で息子と娘の手を引いて、ザ・タイガースの歌を歌いながら歩いてたのは俺もぼんやりとだったら覚えてるよ」
「母ちゃんの影響か」
 マザコンだな、と章は呟き、冷やかすような目で俺を見た。
「マザコンじゃないけど、GSの歌ってメロディラインも単純でガキにも覚えやすく歌いやすいだろ。俺も聴かされまくったから、覚えちまった。ガキのころに覚えた歌は全身にしみついて、忘れないんだよな。GSと同時期の日本のポップスも大好きだよ」
「俺もポップロックだったら好きだけどな」
 ほぼ初対面の際にも、章はロックが好きだと言っていた。章の原点はロック、俺の原点は少年合唱団だとの話はしたが、今日はさらに音楽の嗜好を掘り下げる会話になっていた。
「だけどさ、それだったら章はロック同好会とか、軽音のサークルとかに入ったらよかったんじゃないのか? ヘヴィメタル研究会ってのもあったよ」
「……それも考えたんだけどさ」
「章って楽器もやるんだろ」
「ギターは好きだよ」
「うまい? 今度聴かせて。作曲もやる?」
「やるよ」
 高校のときから俺もギターを弾いての作曲、作詞もやっていた。俺はギターはまったく上達しないが、ハモニカだったら得意だ。章はすべての面でライバルになりそうな奴だった。
「そんならなんで、ロック系のサークルに入らなかったの?」
「うるせえな。どうだっていいだろ」
「あー、なんかあったんだ。なにがあった?」
「なんにもねえよ」
「入ろうとはした?」
「うるせえんだよっ!!」
 うわっ、超音波!! 俺は章のシャウトに攻撃されてのけぞった。
「すげぇ声だな。声の音波って何ヘルツとか何デシベルとかいうんだろ。物理で習ったじゃん。おまえの声は何ヘルツ?」
「知らねえよ」
「バルス波とかってのもあるよね。章の声は……」
「そんなのどうだっていいだろっ!!」
「うおっと、へヴィメタシャウトだ」
 大学からささやかな繁華街へと続く道には、桜並木がある。葉桜になった樹が、章の声でざわざわっと揺れていた。
「すげぇ。小鳥さんが怯えてるよ。大丈夫だからね。章の声は超音波ではあるけど熱波じゃないから、焼き鳥にされたりはしないよ。猫さんもいたとしても大丈夫。にゃんちゃんはいるんだったら出ておいで。ちくわの天ぷらでも買ってあげようか」
「おまえは誰と喋ってるんだよ」
「にゃんちゃん」
「猫がいるのか?」
「いるかもしれないじゃん」
「いたとしても、猫は口をきけないだろ」
 あきれ顔で突っ込む章に言い返した。
「それは想像力不足だよ。猫ってのは発声器官の関係で、うみゃーごとかにゃごにゃごっとか、くっふーんとかしか喋れないけど……」
「猫はにゃあと鳴くんだろうが」
「それも表現力不足だよ。猫の鳴き声もバリエーション豊かなんだぜ。ふぎゃごっ!! むみぃぃーーー、うにっ、みぃいいいーん……」
「もういいよ。どうでもいいよ」
「猫、嫌い?」
 別に、という答えは、嫌いではなく無関心ってやつだろう。猫嫌いは洗脳しにくいのでむずかしいが、興味なしは簡単に好き好きに変わる。俺を大嫌いだという女の子よりは、興味ないの、ごめんね、と言う女の子を振り向かせるほうがたやすいのと同じだ。
「うんうん、よしよし、そのうちには……で、章の好きなロックバンドって?」
「この間、テレビのバラエティ番組でさ」
 話がそれているのかと思ったら、そうでもなかった。
「アイドル歌手が化粧品屋の店員に頼むって企画があったんだ。その女のアイドルって歌手のくせに、歌手のくせに歌が下手ってのもあるんだけど、それ以上に歌を知らないんだよな。だから、あなたの好きな歌を教えて下さい、私も勉強しますって企画だよ」
「なるなる」
「だけど、その店員も歌にはあまり興味ないみたいで、長いこと考えてから言ったんだ。マニアックな歌でもいいですか、って」
「ほどどほ」
「……なんだ、その合いの手は? いや、教えてくれなくていいよ。でさ、店員が言ったのって……俺はこけそうになったぜ」
「なに?」
 レッドツェッペリンの「天国への階段」だったのだそうだ。長い前置きを経て、章の好きなバンドを教えてもらった。
「ツェッペリンをマニアックだと言うな。俺は「天国への階段」だったらフルコーラス歌えるぞ」
「英語で?」
「当然だろ」
「ほぇぇ」
 たいていの教科は苦手で、これでよく大学受験を突破できたと我ながら感動している俺は、特に英語が苦手だ。なのだから章をちょっとだけ尊敬した。
「すると、英語は得意教科なんだね」
「いいや。ロックだけだ」
「……なんだ、そうか。だけど、「天国への階段」をギターを弾いて英語で全部歌えるんだろ。すげぇじゃん。聴きたい、歌って、聴かせて。襲わないから、章のアパートに連れてって」
「いいけど……襲わないってわざわざ言うか」
「いやいや、俺は年上趣味だから、章には性的関心はないってちゃんと言っておかないと誤解されるし……ね?」
「誤解なんかしねえよ、バカ野郎。う? 年上趣味?」
「相手が男だったらね」
「……冗談だろ」
「うん」
 バカ野郎ーっ!! ともう一度シャウトして、章が俺を蹴ろうとする。俺はその短い脚をよけて走り出す。章のアパートをはじめて訪ねるっていうのは、女の子の部屋に遊びにいくことの半分ほどはわくわくさせてくれた。


2

 男のかっこよさにはさまざまあって、本橋さんの輝ける美点は歌だ。あの声で歌われると、俺だってうっとりしてしまう。
 大学一年の年にできた親友だったはずの章は、俺になんの相談もなく学校を退学してしまった。あいつの声もたいそう特異で魅力的だったが、本橋さんの声は特異ではない。彼は歌は得意だが、喋っていればわりにありふれた低い男の声である。
 あの声で歌うと、俺が女だったら惚れちまうよな、と思う。俺は男には性的関心は持たないが、精神的に惚れるってのはあるようで、本橋さんには男同士として惚れてしまった。
 ふたつ年上の本橋真次郎は大学四年生。背が高くて筋肉質で、顔は怖いがかっこ悪くはない。東京生まれの東京育ちで、稚内出身の章に言わせると、横須賀のおまえや東京生まれの男って軟派だよな、になる。おまえにだけは言われたくないけどね、章。
 それはともかく、本橋さんは外見は硬派なくせして、中身はそう硬くもなさそうだ。女の子の話をしても柔軟に相談に乗ってくれる。
「好きな子はいるんだけど、落ちてくれないんですよね」
「落とすってのは、寝たいって意味か?
「それも含めて。本橋さんだって女の子を好きになったら寝たいでしょ」
「そりゃまあ、欲望はあるよ。男だもんな」
 十九歳の俺と二十一歳の先輩は、キャンパスの一画で話をしていた。
「今まで、本橋さんは何人と寝ました?」
「……んんと……俺のことはいいんだよ。おまえの話をしろ」
「いで」
 初体験は好きな女性とだったが、そのあとはナンパで知り合った女の子とばかりだ。高校生のときに年上の女性と初体験をしたものの、俺はまともに女性と交際した経験がない。恋をしたわけでもない女の子と、十九歳にしてざっと経験十人。多いのか少ないのか。
 だからふたつ年上の先輩の数も聞きたかったのに、はぐらかされて殴られた。本年度男子合唱部キャプテンは暴力派なので、何度殴られたことか。
 しかし、彼のげんこつには湿っぽさがない。俺をぼかっとやる本橋さんの行為には、三沢、おまえは可愛い奴だな、の心が込められているので、痛いけれど嬉しい。俺はナンパでばっかり十人ほど、と言ったら、本橋さんに叱られるのか、すげぇなって感心されるのかもわからなかった。
「好きな子はふたりです」
「ひとりじゃなくて? それは不実なんじゃないのか」
「だって、どっちも俺と寝てくれないんですよ。必死で口説いたらどっちかは落ちるかもしれないでしょ。ひとりのほうが落ちる確率三十パーセントとして、もうひとりは二十パーセントとして、ふたりいたら五十パーセント……いでっ。なんで殴るの?」
「おまえはそんな計算もできないのか」
「二十と三十を足したら五十でしょ」
「足すな」
 計算方法がまちがっていただろうか。俺は英語も苦手だが、算数も苦手だ。帰ってから考え直すことにして、計算はどけておいた。
「なんにしたって、ふたりいたほうが確率は高いじゃありませんか」
「それはそうだが、俺は二股って嫌いだな」
「本橋さんは二股はしたことないと?」
「そんなにもてやしないし、そんな暇もねえよ。おまえは女のことばっかり考えてるのか?」
「そうでも……ないか……あるかな、いえ、そんなことはありません」
 本当は日常の五十パーセントほどは女のことを考えている。俺の人生の半分は女の子、残り半分のうちの半分が歌で、半分弱がジョーク、わずかな残りで勉強や将来についても考えているので、そこらあたりの占める確率は……っと。
「俺は算数が苦手なんですってば」
「算数の話なんかしてないだろ」
「……本橋さん、もてないんですか」
「もてなくもないけどさ」
「もてた話、して下さいよ」
「男はそんな話はしないんだよ」
 本橋さんと親しくなってからだと一年もたっていないが、彼のコイバナをしてもらったことはない。男はコイバナはしないもので、女の話だったらしてもいいのか。恋と女は別ものか。たしかにそうかもしれない。恋なんかしていなくても、女と寝たいとは思うのだから。


3

 同年代の男にもさまざまな性格があるものだとは、俺だって知っている。男子合唱部のメンバーに限ってみても、体格だって顔立ちだって頭脳だって中身だって、立ち居振る舞いだって実にさまざまだ。それにしてもこの方は。
 三重県出身、本庄繁之。
 旧四年生は卒業してしまって、俺も大学三年生になった。新四年生の実松さんが男子部のキャプテンになり、俺も時には彼から相談を受ける。四年生の男子が集まっている中に俺も混じって、先輩たちを観察する。その中でもとびきり異質なのはこの方だ。
「ほんなら、それで決まり。今日は解散しよか。俺はこのあとバイトがあるんやけど、みんなは?」
 議長役のキャプテン、実松さんが言い、俺もバイト、俺も、との声が起きて、バイトがないのは本庄さんと俺だけだとわかった。
「だったらシゲさん、一緒に帰りましょ」
「いいけど、俺、金ないぞ」
「おごってとは言いませんよ」
 本庄繁之、彼のことは同年や先輩の男たちはシゲと呼んでいる。俺もフォレストシンガーズを結成してからは、シゲさんと呼ばせてもらえるようになった。四角い顔と四角い身体の朴訥な先輩は、金さえあれば安いものだったらおごってくれるのだが、今日は金欠らしい。
「いつもおごってもらってるんだから、今日は俺が出しますよ」
「後輩におごってもらうのはいやだよ。それに、俺がよく食うのは知ってるだろ」
「知ってますよ。そっかぁ、シゲさんほどよく食うひとと食いもの屋に行くと俺もピンチだな。どうしたらいいかな……そだ。なんか買っていってシゲさんのアパートで食うとか?」
「おまえは料理はできるのか」
「すこしだったらできるし、出来合いの総菜とかでもいいじゃん」
「たまにはそれもいいかな。田舎から送ってきた米とみかんだったらあるよ。バイトの給料が入るまではそれでしのぐつもりだったんだ」
「じゃ、惣菜は俺が買いますから」
「う、うん、そうしてもらおうかな」
 ためらいがちながらもうなずいてくれたので、ふたりでスーパーに行った。買い物をしてから帰ったシゲさんちの炊飯器は大きい。ひとり暮らしだってのに五合炊きだというところが、彼の大食いぶりを物語っている。
 冬の夜に隙間風の吹き込む部屋だから、炊飯器のたてる湯気があたたかくてありがたい。ごはんが炊けるまではコロッケやポテトサラダをつついて、シゲさんとだべっていた。
「はあ……」
「それはなんのため息だ?」
「……恋の吐息」
「おまえっていつも好きな女の子がいるよな」
「好きだと思う女の子は途切れたためしがありませんよ。シゲさんにだっているんでしょ」
「……いないよ」
「嘘だぁ」
 シゲには彼女はおらんやろ、と大阪弁実松さんは言っていたが、好きな女の子くらいはいるだろう。いないほうがおかしい。
「ずっといないの? ひとりもいないの?」
「うん、いない。ひとりもいない」
「シゲさんってホモ?」
「アホか」
 怒った本橋さんにだったらすぐに殴られるのだが、シゲさんは殴らない。そのかわり赤い顔になって俺を睨んだ。
「初恋は?」
「小学校のときだったかなぁ。そのときは意識してなかったけど、あれはきっと初恋だよ」
「女の子?」
「ってか、女の先生だ」
 美人の女性教師に恋する小学生男子。珍しい話でもないだろう。
「そしたら真性ホモではありませんよね。初恋かぁ、なつかしいな。俺の初恋は幼稚園のときで、タマキちゃんって子だったんだ。ファーストキスの相手でもあったんですよ」
「幼稚園でキス?」
「シゲさんのファーストキスは?」
 無言になってしまったシゲさんを見やって、俺も口を閉じた。シゲさん、ひょっとして未経験? セックスが未経験、もしくは風俗体験のみという大学生男子はいなくもないだろうが、キスも未経験? 触れてはいけないタブー領域に、俺は踏み込もうとしているのだろうか。
「ごはん、炊けたみたいよ。繁之さん、見てきて」
「女言葉はやめろ」
 炊飯器のできあがりブザーのおかげで、タブー領域から抜け出せた。あちっ、あちあちっ、とか言いながら、シゲさんが大きな炊飯器を混ぜている。握り飯が食いたいな、と言うと、シゲさんが塩を持ってきてくれた。
「おふくろが作った梅干しもあるよ。姉が送ってくれた漬物も塩昆布もあるよ」
「おにぎりっておいしいですよね。俺のはじめての女性……いえ、なんでもありません」
 初体験相手の麗子さんと海に行ったとき、彼女が作ってきてくれた卵焼き入りおにぎりってのを思い出し、それも食いたいと言いかけたのをからくも中断できた。シゲさんの思い出には女といえば母か姉しかいないのかもしれないから、言ってはいけない。
 ここがシゲさんの、同年代男子の中でのとびきりの異質さなのだ。
 あれからさらにナンパによる女性経験だけを増やしてきた俺が、正直にそれを打ち明けたら、彼は異星生物を見るような目つきになるのだろうか。軽蔑されるのか、卒倒したりして?
 本橋さんにだったら叱られるかと思ったが、シゲさんにはそんなふうに考えてしまう。シゲさんとは食いものの話が一番だ。それだったら罪もない。だけどひょっとしたら、シゲさんが異質ってわけでもなくて、俺とは両極端だというだけなのだろうか。


4

「遠い昔の 恋人たちは
 真夏の夜の白夜の騎士が
 涙でぬれた 乙女を抱えて
 月の世界へ 帰ると歌う」

 いつだったかこの歌を口笛で吹いていたことがあった。誰かとこの道を歩いていたあのときは……そう、誰かって章だったな。章はどうしているんだろう。
 独断で大学をやめてしまって、噂ではロックバンドをやっているらしい。合唱部のミャーコちゃんに、つきあってほしいと言ったらしいと本人から聞いた。
 つきあってほしいと言われて悩んだミャーコちゃんは、章が指定したライヴハウスに行ったのだそうだ。章はそこで、別の女の子とキスしていたのだそうだ。今度章に会ったら、ミャーコちゃんの怒りを俺があいつにぶつけてやる、と決意しているものの、会いにいく気にはなれないでいる。
 おまえはあのまんま、あのアパートで暮らしているんだろ? 思う存分ギターを弾いて歌って、ロバート・プラントみたいにシャウトしてるのか? プロになるのか? 俺たちもフォレストシンガーズでプロになろうとがんばってるよ。
「幸生くん、ひとり?」
「あ……きゃっ、美江子さんにナンパされちゃった」
「私にナンパされたら嬉しいの? じゃあ、彼、お茶しない?」
「喜んで」
 本橋さんや乾さんと同い年だから、去年大学を卒業した山田美江子さんだ。美江子さんは本橋さんや乾さんとはたいそう仲が良くて、俺たちがプロになったらマネージャーをやると言ってくれている。そんな仲なのだから、フォレストシンガーズとも強く関わってくれていた。
 二十二歳の美女と二十歳の美男は、大学はどう? 幸生くんもいよいよ四年生だね、なんて話をしながら学生街の喫茶店に入る。美江子さんはなにかの用事で来ていたのか、学生時代をなつかしんで歩いていたのか。
 栃木県出身の美江子さんは、卒業してからも当然、故郷に帰ってはいない。彼女の目標は俺たちを陰で操ること? ってのは冗談だが、俺たちフォレストシンガーズの一番の協力者だ。
「ケーキ食べる? おごるよ」
「俺は甘党じゃないんで、サンドイッチにしてもいいですか」
「おなか、すいてるの? いいよ、なんでも好きなものを食べて」
「ごちそうさまです」
 女性に金を出させるのはよくないのかな? とかつては思っていた。
 だけど、俺の場合は初にまともにつきあったというか、まともでもなかったのだが、はじめての相手が年上のひとで、麗子さんはデートでもよくおごってくれた。幸生くんは高校生なんだから、お姉さんにまかせておきなさい、と言われるとちょっと哀しかったものだ。
 大学生になってからも女性の先輩には可愛がってもらったから、お菓子や飲み物や喫茶店代などはたびたびおごってもらった。美江子さんにだって何度ごちそうしてもらったか。美江子さんは差し入れだってしょっちゅう持ってきてくれるのだから。
「美江子さんの白夜の騎士は?」
 先刻歌っていたのを思い出して、問いかけた。
「本橋さんや乾さんってコイバナはしてくれないけど、美江子さんはしてくれます?」
「私は恋どころじゃないのよ。新入社員は仕事を覚えるのが第一だし、あなたたちが早くプロになれるにはどうしたらいいか、暇があれば考えてるの。恋なんかしなくていいんだ」
「それはいけませんよ。命みじかし恋せよ乙女」
「命は短くなんかないよ、失礼ね」
「……すみません」
 このフレーズの「命」とは、「花の命」「容色」であろうか。乙女の旬は短いとは、たしかに失礼だ。
 美江子さんのコイバナはひとつだけ知っている。美江子さんの相手だった酒巻國友は俺から見ても後輩だったから、彼の一挙手一投足で、美江子さんとの仲の進展や終わりを知った。
 去年の初夏に酒巻は美江子さんに告白し、夏の合宿で早くもふられた。三つも年下のガキっぽい酒巻では、美江子さんには太刀打ちできなかったのだろう。告白しただけでも褒めてやるよ。おまえ、勇気あったんだよな。 
 その前にもその後にも、美江子さんに恋がなかったとは思えない。章と同じくらいの身長だから、女性としては中背よりやや高いってところか。麗子さんもこのぐらいだった記憶がある。
 昔はぽっちゃりしてたのよ、と言うが、現在の美江子さんはすらっとしている。それでいて胸はあるし、脚のラインは綺麗だし、プロポーションがいいのである。理知的な美人で隠れグラマー。性格はいくぶんきついが、気の強い女を好きな男はいっぱいいるんだし、美江子さんがもてないはずはない。
 なのに、自分の話はあまりしてくれずに、乾くんはもてるんだろうけど、本橋くんはどうなの? なんて質問を俺にした。
「リーダーは言うことがその日によってちがうんですよ。俺はもてるんだっていばったり、俺は一度ももてたことがないんだ、シゲ以下だって嘆いて、シゲを引き合いに出すなって乾さんに叱られたりしてますよ」
「シゲくんは……ううん、いっか」
 ほんとにそんなにもてないの? と訊かれたら俺も困るので、そうそう、いいよね、と笑っておいた。
 ハンバーグサンドイッチとフルーツポンチが運ばれてくる。美江子さんも甘党ではないはずだが、女性はこういうのを食べたいのかな。それとも、お疲れなんだろうか。


5

 これ以上言うことなんかない!! 憤怒をはらんだ本橋さんの言葉が最後のセリフになったのか、ヒデさんは立ち上がり、黙って本橋さんの部屋から出ていった。
 先輩たちは動かない。ヒデさんとは同い年で親友であるシゲさんはヒデさんの決意を知らなかったようで、固まってしまっている。本橋さんは怒っている。乾さんは苦悩している。最下っ端の俺にはなにもできっこないだろうけど、ヒデさんの後を追った。
 フォレストシンガーズを結成したのは、本橋さんと乾さんと美江子さんが大学を卒業する年の一月。あれからはこの公園で練習してきた。今夜はいないが、夜中に練習しているときに美江子さんがおにぎりかなんかを差し入れにきてくれて、夜の一人歩きは危ないよ、と乾さんが心配したり。
 シゲさんの彼女になったはずの女性は、実は本橋さんが好きで、シゲさんはあてつけに使われたと知ったのもここの公園だった。
 乾さんを好きな女性が見学に来たり、俺の友達が聴きにきてくれたりもした。美江子さんが友達を連れてきてくれて、今日は女性ファンに聴いてもらってる気分、だなんて嬉しかったこともあった。
 正式にグループを作ってから一年半、ヒデさんとシゲさんも大学を卒業した梅雨の一夜に、ヒデさんが脱退を表明した。ヒデさんは結婚するのだそうだ。ヒデさんには彼女はいるのだろうと薄々気づいてはいたが、そんなに急がなくてもいいのに。
 重たげな花が咲いているところに隠れて、ヒデさんを見ていた。男の背中が泣いている。演歌にでもなりそうなヒデさんの背中に声をかけた。
「血の出そうな声だったな」
「誰が? 乾さんか」
「誰でしょうね。シゲさんには相談したんですか」
「してないよ。あんな奴はクソの役にも立たないんだから」
「ヒデさんらしくもない。そういうのは偽悪的っていうんじゃありません?」
「聞いたふうな口を叩くな。おまえはプロになれると本気で信じてるのか」
「信じてますよ。でないとやっていけないもん」
「……あやかしい」
 どういう意味だろ。土佐弁だろうか。
「俺、ヒデさんの土佐弁って好きだな。土佐弁って男らしくて剽悍っていうの? かっこいいじゃん。どういう意味?」
 体型は乾さんに似て、細身で長身のほうだ。性格は本橋さんに似ていて、饒舌なところは乾さんにも俺にも似ていて、短気で喧嘩っ早い土佐の闘犬。ヒデさんの顔は、フォレストシンガーズではナンバーワンだと言われていた。
「俺の分まで……なんて言う資格は、俺にはないんだよな。あやかしいってのは馬鹿馬鹿しいって意味だ。俺もそうと信じないと……やめよう。幸生、元気でな」
「はい、ヒデさんも」
 これでさよなら? そんなはずないよね。そんなのいやだよ。俺はヒデさんが大好きだ。男の俺が男に大好きだと言うと、本橋さんにだったら殴られる。シゲさんには本気で気持ち悪がられる。乾さんは芝居っぽく受け止めてくれるけど、キスはしてくれない。いや、俺だって男とキスはしたくないけど。
 今、ここで好きだと叫んだら、ヒデさんにだったら蹴られるか、投げ飛ばされるか。
 それでもいいから言いたいけど、言ったら泣いてしまうかもしれないから、言わない。雨も降っていないってのに、ヒデさんの背中がかすんだままで遠ざかっていった。
 

6

 この澄んだ初夏の空は、若者の瞳のようだ。すなわち、俺の瞳だ。あれ? 前にも同じようなことを思ったな。若者の澄んだ瞳のように、綺麗な空に口笛響く……今日の空はひときわ澄んで、俺ではなくて、隣を歩く乾さんの口笛が響いていた。
 十八歳で出会ったふたつ年上の先輩、乾隆也。背は高いほうで身体は細いほうで、本橋さんに言わせるとへなちょこだそうだが、俺から見ると大人の男っぽいかっこいいボディをしている。
 はじめて彼に憧れた瞬間から、俺はあなたに一生ついていきますと、ひそかに誓っていた。それからの俺は乾さんの背中を追っかけて必死で走ってきた。優しげな風貌に似合わず、なのか、いかにも頭よさげな眼の光に似合ってなのか、鋭い舌鋒に切り裂かれたことは数々あれど。
 後輩を叱るときにもきびしいひとだから、章なんかはびしびしやられて半べそをかいていたこともある。シゲさんだって落ち込んでいると、しっかりしろっ!! と怒鳴られたそうだ。
 他人にばかりきびしいんじゃないよね。知ってるから。俺は乾さんの内面をだいぶ知ってきているから、だからこそ大好きなんだ。
 昔は俺だって分別がなくて、乾さんに叱られるといじけたりむかっ腹を立てたりもした。だけど、今では乾さんにもらった目から火花が飛びそうなパンチだって、ありがたかったと思っている。軽く頬をぶたれたのは素敵な思い出、って、俺は変態かよ。
「変態じゃないもんね」
「んん?」
 あなたは俺の白夜の騎士だよ、と言えなくて、俺は歌った。
 最年少の俺も大学を卒業して、二十二歳になった爽やかな初夏の日、本橋さんのアパートから飛び出していったヒデさんを追いかけて走った道を、乾さんと歩いている。

「夜空をかける 白夜の騎士は
 恋するあなたの 小さな窓に
 星でつくった 十字架飾り
 愛が結べず 生命をとじる」

 先日、フォレストシンガーズの五名と山田美江子さんがリーダーの部屋に集合した。
 山田美江子、本橋真次郎、乾隆也、本庄繁之、木村章、三沢幸生。我々を歓喜の渦に巻き込んだのは、オフィス・ヤマザキの社長である山崎敦夫氏からの電話だった。電話は本橋さんのアパートにかかってきて、きみたち、デビューしろ、と言われたのだった。
 あれからは怒涛の日々で、オフィス・ヤマザキへ面接に行ったり、本橋さんが過労で倒れたり、美江子さんが心配のあまり怒っていて章がびびっていたり、シゲさんが泣いたり、順不同でいろんないろんなことがあった。
 初秋にはファーストシングルがリリースされる。「あなたがここにいるだけで」という、乾隆也作詞、本橋真次郎作曲のラヴソングだ。
 諸々が本決まりになると、実感が湧いてくる。俺たち、プロになるんだよ。プロのシンガーズになるんだ。親に電話したら母はびっくりして、それから泣いていた。泣いていないふりをしていたけれど、まちがいなく泣いていた。
「幸生、一度帰ってこい、飲もう」
 父は電話をかけてきてそう言い、妹たちは例のきゃっきゃっした調子で、お兄ちゃん、よかったねぇーーっ、お給料もらったらバッグ買ってね、あたしはワンピースがいいっ!! と騒いでいた。
 みんなも家に連絡したのかな。本橋さんは兄さんたちの手荒い祝福を、シゲさんは頭の上がらない姉さんの激励の言葉をもらったかな。章は親父さんに勘当されているそうだけど、許してもらったんだろうか。それから乾さんは?
 金沢生まれだとは聞いているが、俺は乾さんの故郷の詳細を知らない。彼のコイバナも過去もほとんど知らない。今後は長い長いつきあいになるのだろうから、知っていけるはず。そのうちにはこのミステリアスな先輩の全貌も見えてくるはずだ。
「乾さんっ、これからもよろしくお願いしますっ!! 俺は一生、あなたについていきますっ!!」
 ん? という顔をした乾さんは、わざとらしくもそっくり返って言った。
「おう、ついてこい」
 

 END









スポンサーサイト


  • 【FS春物語「Pillow Talk」】へ
  • 【ガラスの靴4】へ
  • Tag List 
  •  * |

~ Comment ~

NoTitle

白夜の騎士ですか。。。
まあ、男は優しさを被った獣なので。
騎士様が存在するのは本当にあるんですかねえ。
・・・と斜に構えるのも良くないですね。

LandMさんへ「白夜の騎士」

こちらにもありがとうございます。
LandMさんのお年ごろだと当然、ごぞんじないはずですが、このタイトルはザ・タイガースの曲名です。

遠い遠い昔、あのころはまだ男は男で女は女で、そういった差別も区別も激しくて、男はいばってて、男が恋愛にうつつをぬかしてられるか、といった建前があったようなのですね。
そんな時代に「白夜の騎士」なんて歌。当時の若い女性はうっとりしたんでしょうねぇ。
管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【FS春物語「Pillow Talk」】へ
  • 【ガラスの靴4】へ