ショートストーリィ(FSいろは物語)

いろはの「に」

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青空に梅
フォレストシンガーズ

「にほひおこせよ」

 
 うーん、これ、なんの花だっけ? などと考えるようになったのは、乾と山田の影響だろう。高校生のときまでだったら、花が咲いている、としか思わなかった。いや、それ以前の問題で、花が咲いているとも意識していず、意識していないことも意識の外だった。

 大学に入って知り合った、山田美江子と乾隆也。山田は女だから花が好きなのも当然かもしれないが、乾も好きらしい。おばあさんとお母さんが華道の先生だとかで、そのせいで奴は花にはやたら詳しい。その上に文学部で古典を専攻しているので、短歌や俳句にも詳しい。

 単価? ちがうのか、短歌か。俳句って五、七、五で季語ってのがいるんだよな。俺だったら「たんか、はいく」という単語を耳にするとそんな発想をするのだが、乾はちがう。男のくせに気持ちワルッと発言すると女の子たちから非難を浴びそうなので、変な奴だと思っているだけにとどめていた。

 しかし、俺も知らず知らずに影響を受けているらしい。
 もうじき大学二年生になる春休み、十九歳になったばかりの俺は、新学期になったらバイトを転職しようかなぁ、なんてぼんやり考えながら、公園のベンチにすわっている。大学二年生は大学にも慣れ、後輩もでき、就職について真剣に考えるほどでもなく、気楽といえば気楽だ。

 合唱部の活動は忙しいし、俺は理学部なので勉強をさぼっているわけにもいかないしで、暇ではないのだが、バイトをする時間くらいは捻出できる。
 一年生のときにはファストフードショップでバイトしていた。その店にすこしだけつきあっていた女の子と、合唱部の先輩が連れだって入ってきた苦い想い出。彼女とは別れたんだから、そんなこと、もうどうでもいいのに。

 十九年しか生きていなくても、人生には楽しいこともいやなこともあったなぁ、と考えている俺の鼻先に、いい香りが漂ってくる。食いものではなく、花の匂いだ。なんの花だろうか。

 見渡してみると、むこうのベンチに女の子がいるのが見えた。石坂しのぶだ。高校のときに片想いをして、思い切って告白してふられたしのぶ。去年の今ごろにもここで会って、大学合格おめでとう、と言ってもらったのだ。あのときは兄貴が公園に入ってきて邪魔をされた。

 ひとつ年下のしのぶも大学生になったのだろうか。あれからは一度も会っていなかったし、ふられた女の子に未練たらしくするのもいやだし、俺には彼女ができたのもあって忘れていたようなものだったが、姿を見てしまうと気になる。しのぶとつながって思い出される、野島のことも頭の中に出てきた。

 高校二年のときに知り合った、陸上部の野島春一。彼とは妙に親しくなって、野島のクラスメイトだったしのぶを好きになったのだ。しのぶは野島を好きだったから、俺の告白を断ったのかとも思えるが、単に本橋真次郎がタイプではなかったからなのかもしれない。
 
 おそらくはしのぶは大学生になっているはずだ。たしか美大だか芸大だかに進学したいと言っていた。今日もああしてスケッチしているのだから、大学でも絵を描いているのだろう。
 けれど、野島は家庭の事情で進学はできないと言っていた。あいつはどうしているのだろう。俺よりも年下なのに働いているのか。親や弟妹のために働いて一家を支えているのだろうか。

 ほんと、俺はお気楽だよな、と改めて思う。
 両親とふたりの兄がいて、兄たちは双生児。七つ年上だから社会人で、俺をいつまでたってもガキ扱いして殴ったり投げ飛ばしたりもするが、小遣いだってくれる。二十歳になる祝いに車の免許を取る金を出してくれるとも言っている。俺のちっぽけな悩みなんかは、兄貴たちに笑い飛ばされると吹っ飛んでしまう。

 この、いい香りのする花をスケッチしているのか。しのぶがすわっているベンチの近くに咲いている、白い花。しのぶのこと、野島のこと、俺の学生生活のこと、いろんないろんなことが頭の中にぽこぽこと浮かんだり沈んだりしていた。

「よぉ、シンちゃん、こんなところでじいさんみたいになにをやってんだ?」
「じいさんにじいさんと言われたくないんですが……」
「ちがいねぇ」

 がははっと笑って無断で俺の隣にすわったのは、近所のおじいさんだった。

「お、あの可愛い女の子か? 覗き見してんのか」
「大きな声を出さないで下さい。覗いてなんかいませんよ」
「うん、可愛いねぇ。スカートが短いねぇ」
「じいちゃんこそ、スケベな目で見んなよな」

 ガキのころにはこのじいちゃんには、敬語なんか使わずに話していた。中学生くらいからは丁寧に話すようにこころがけるようになったが、つい昔の癖が出る。兄貴が聞いていたら、目上の人間にその言葉遣いはなんだ、と殴られるところだが、じいちゃんは言うのだった。

「俺は目上なんかじゃねえよ。ただ年を食ってるだけだ。シンちゃん、初体験ってやつはすんだか」
「……どうだっていいでしょ」
「その面は、まだなんだな。だらしねえな」
「ほっといてくれ」

 少なく見積もっても俺の四倍近い年齢だ。俺がガキのころからおじいさんだったこの男に、俺がかなうわけもない。からかわれたりいじられたりするのは気分がよくないので黙っていると、じいちゃんが言った。

「春の風だねぇ。コチってやつだな」
「東の風って書いて「こち」って読むんですよね」
「おー、シンちゃん、さすが大学生。教養ができたねぇ」
「じいちゃん。俺を馬鹿にしてるでしょ」
「いやいや、学士さまを馬鹿になんかしませんよ。俺は中卒だもんな」
「その言い方は、からかわれてるとしか思えない」
「ひがむなよ」

 コチ、コチ、東風。東の風が春を連れてくる。春を感じさせる花。東風に乗った花の香り。桜ではなくて桃でもなくて……。

「わかった。梅だ」
「梅田ってのは大阪の地名だろ」
「じゃなくて、花の名前ですよ。じいちゃんは知らないの? あの花は梅」
「うん、そんな当たり前のこと、教えてもらわなくてもいいけどね。わかったって、わかってなかったのか」
「えーっと……あ」

 ごまかそうと梅の花のほうを見る。樹の近くにあるベンチでスケッチをしていた女の子の姿が消えている。今年もまた野暮な男に邪魔をされた。

「東風吹かば、にほひおこせよ」
「梅の花、あるじなしとて、春を忘れるな」
「春な忘れそ、だけどね。シンちゃん、お利口になったなぁ」
「大学の友達に教わりました」
「そうそう、そういうの、覚えておけよ」

 この会話ってなんだか、乾隆也とそのおばあさんのやりとりのようだ。俺には似合わなすぎて恥ずかしすぎる。このがらっぱちじいさんにだって似合わないけれど、年齢ゆえの重みが加わる分、俺よりはましなのではあるまいか。
 誰も聞いてなかったよな? しのぶだって聞いてないよな? きょろきょろっと公園を見回す俺の頬を、そよそよと東風が撫でていった。


SHIN/19歳/END









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