別小説

特別編2(苦悩の旋律2)

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おことわり2

どうも1は説明不足ですし、完結もしていませんので、続編を書いてみました。
これで完結したのかどうかは謎ですが、別視点でいささかの説明を加えたと解釈してやって下さいね。


特別編2

「苦悩の旋律2」


1 将一

 あの日、俺には女難の相が出ていたのであるらしい。プロシンガーとしてデビューするために力を貸してくれた溝渕奈々子氏と、酒場で向き合って話していたのが発端だった。
「将一くんって堅物なの?」
 妖艶すぎる美女は、色気のありすぎるまなざしで俺を見た。
「そうは見えないんだけど、意外にウブだったりして?」
「女性恐怖症なんですよ」
「将一くんが? もてすぎるせいじゃないの?」
「もてる男って女性恐怖症になるものなんですか」
「もてる女は男嫌いになったりするのかもしれない。私は男は好きだよ。将一くんも好き」
「それはどうも……」
 会うたびに彼女は俺を口説きたがる。姿態は美女だが中身は好色な男に近い。酒も強いので下手をすると酔い潰されて、ホテルに連れ込まれて襲われそうな危険を感じるのだった。
「この間、徳永くんに紹介してもらったじゃない?」
 いまだデビューへの道は開けていないものの、後輩の徳永渉も歌の業界に身を置いてはいるので、溝渕さんに紹介する機会はあった。
「彼もいい男よね。いい男を見るとつまみ食いしたくなるのは私のサガだから、口説いちゃった」
「私と寝たらデビューできるかもよ、って?」
「それは言わなかった。そしたら将一くんとはじめて会ったときの二の舞になるじゃない。だからね、可愛い女のふりなんかして、私、あなたとベッドでおつきあいしたいわ、って」
「私はおまえを抱きたいわ、じゃないんですか」
「することは同じじゃないの。徳永くんはころっと堕ちたよ」
「ほお、それはそれは」
「あなたは平気?」
「はい」
 あら、そう、と気分を害した表情になり、溝渕さんは煙草に火をつけた。こういう女だったら後腐れもなさそうだと決め込んで、徳永は彼女と寝たのだろうか。軽率な奴だが、俺が平気かどうかと聞きたがる彼女の気持ちは解せない。
「嘘だよ」
「嘘なんですか」
「口説いてはみたんだけど、彼ったらこうだったの。俺は女に口説かれて寝る趣味はありません、口説くんだったらこっちからやる、だって。だからさ、そんなら口説いてよ、って言ったんだけど、ものすっごくつめたい目で見られてめげちゃった。将一くん、なぐさめて」
「それも嘘なんじゃないんですか」
「私、このところあなたに真剣になりつつあるのよ。徳永くんと寝たって聞いたらあなたも……逆効果?」
「逆も直も、効果ってのは特段ないと思いますが……」
 あら、そう、と再び言い、灰皿で煙草をもみ消した彼女は、ウィスキーグラスを取り上げた。グラスを手に無表情で俺を見つめ、次の瞬間、中身を俺の顔にぶっかけた。
「……」
「将一くん、あなたとは仕事のおつきあいだけにしましょうね」
「望むところです」
「そのほうがさっぱりしていいのよね。あなたの顔もウィスキーで洗われてさっぱりしたでしょ。髪も服も濡れそぼってますますいい男になったよ」
「ありがとうございます」
 くちびるをすぼめてふーっと息を吹き、彼女はあでやかに微笑んだ。
「出ませんか」
「出てどうするの?」
「このまんまここで飲んでいられるほどには、俺も強心臓ではないものでしてね」
「なに言ってるのよ。それくらいできないとプロのシンガーとしてはやっていけないわよ」
「そうですか。ならばこのままでいます」
 まばらではあるが相客もいる。見知らぬ人々がこちらを見やってこそこそ言っている。この状況を耐えてこそ、プロのシンガーとして成功できるのか。プロのシンガーになるのははじめてなので、それが本当なのかどうかは知らないが、羞恥などは感じまいとつとめることにした。
「拭いたら駄目」
「わかりました」
 彼女は俺に試練を与えたのだと強いて考えることにして、濡れた髪も顔もそのままに飲んでいた。ところでね、と彼女は平静に仕事の話しをはじめ、俺もその話に集中して、髪から襟元からしたたる水滴を忘れようとしていた。
「やっぱり私、あなたが好きよ。いつか落としてみせる」
 仕事の話しが一段落すると、彼女は俺の手に自らの手を重ねた。
「そういう難攻不落な男って、私の闘志をかき立てるのよ。いつかはあなたを私のとりこにしてみせる。私ってやっぱり、どこかおじさんなのよね」
「自覚がおありなんですね」
「あるわよ。徳永くんでもいいんだけど、将一くんのほうがもっと好き。徳永くんってさ、ことと次第によっては……ちがうのかな。あなたもなのかな」
「なんですか」
「いいの。じゃあ、私は帰る。なにはともあれ将一くん、デビューおめでとう」
「ありがとうございます。あなたのおかげです」
「大恩ある私になびかない、あなたってなんてなんて……好きよ」
 立ち上がって身をかがめて、俺の耳元で囁いて、彼女は颯爽と店から出ていった。俺にはここに残って飲み続けていろと言いたいのか。あるいはあの口説きたがりは、彼女の癖のようなものなのだろうか。男だったらなんでもいいのであろうか。徳永を口説いたというのも嘘かまことかわからないし、徳永に問い質したとしても、奴が正直に答えるとも思えない。
 しばらくしてから俺も店を出た。いくぶん乾きつつある髪や服が気持ち悪い。タクシーを止めても乗車拒否されるのではあるまいか。街を歩いていると道行く人々の視線を感じる。ウィスキーの匂いをふりまいて歩いている濡れた男。悪くすると警察に通報されてしまうかもしれない。さて、どうするべきか。
 思案しながら歩いていて思い当たった。ここからは「向日葵」が近い。向日葵の店主とは顔なじみになっているので、助けを求めたら従業員控え室を貸してくれるだろう。店主は体格がいいので、彼の着替えも貸してもらえるかもしれない。従業員控え室にシャワールームがあったとしたらさらにラッキーなのだから、向日葵に行くことにした。
「金子?」
 店に入っていくと、星さんがいた。目ざとく俺に気づいて驚きの表情を浮かべている。俺も仕方なく手を上げた。もともとこの店は、合唱部の先輩の星さんと俺の行きつけの店なのだ。星さんとはこれまでにもここで幾度か会っていた。
「なんだ、おまえのその格好は? 女となにかあったんだろ」
「女ですよね、普通はこんなことをするのは」
「だろうな。ああ、マスター、ちょっと……」
 カウンターのむこうで店主が怪訝そうに俺たちを見ている。星さんは彼に歩み寄り、俺の希望に添った頼みごとをしてくれたようだった。アルバイトらしき青年が俺たちを控え室に連れていってくれた。
「シャワーはないんですけど、顔を洗って下さい。タオルだったらありますよ。いっそ全部脱ぎます? 下着も濡れてますか」
「下着まではしみてないかな。脱がせてもらうよ」
「乾燥機はあるんですけど、匂いがすげえ。ウィスキーですよね」
「できれば誰かの着替えを……」
「マスターのだったら合いそうですね。聞いてきます」
「ありがとう。感謝します」
 濡れているのは上半身のみだったので、上着とシャツを脱ぎ、洗面所で髪と顔を洗った。狭い控え室の椅子にすわって、星さんはそんな俺を少々面白そうに眺めていた。
「事情を説明しないといけないんでしょうけど、話すと長くなるんですよ」
「事情なんかどうだっていいさ。女なんだろ」
「やったのは女です」
「金子、女難の相が出てるぜ」
「そうですか」
 貸してもらったタオルで髪を拭っていると、アルバイト青年が部屋に戻ってきた。
「こんな寝巻きみたいのしかないんだそうですけど、着て下さい」
「ありがとう。マスターの?」
「そうですよ。マスターはお客さんよりかなり太ってるから、でかいでしょうけどね」
「大は小を兼ねる」
 はい、とトレーナーを手渡してくれながら、青年の手が俺の胸に触れた。
「ん?」
「……あ、ごめんなさい。金子将一さんっておっしゃるんですよね」
「こいつ、もうすぐプロの歌手としてデビューするんだってさ」
「星さん、それはいいですよ」
「へええ? そうなんですか。CD出すんですか? ロック? 演歌? R&B? 金子さん、いい声してますよね。顔もすっげえいいし、筋肉はちょっと足りないけど……あ、ごめんなさい。ごゆっくり」
 なぜだか顔を赤らめて青年が出ていくと、星さんがくっくと笑った。
「あいつ、おまえに惚れたんじゃないのか」
「勘弁して下さい」
「この上、男にまで惚れられたんじゃ、だよな。おまえの筋肉が足りないって言うんだから、筋肉マニアのマッチョ趣味か」
「それはいいですって」
「うん、いいよな。なんともださいトレーナーを着てるおまえに言うのもなんだけど、ついに悲願がかなったな」
「ごぞんじだったんですか」
 こいつはもうすぐデビューする、と星さんはさきほど言った。彼は電機メーカーの音響部門勤務なのだから、音楽業界の話題も耳に留まるのだろう。
「金子、それを着て帰るのか。待ってる女が部屋にいたら、どういいわけする?」
「いませんから大丈夫です」
 星さんは俺の事情を尋ねようとはせず、じゃあ、またな、と言い残して控え室から出ていった。
 数日後、貸してもらった紺のトレーナーを返すために「向日葵」の通用口から顔を出すと、あの日のアルバイト青年が迎えてくれた。
「わざわざどうもすみません」
「いや、こちらこそありがとう。助かったよ」
「あの、こんなお願いするのって図々しいんですけど、金子さんってピアノを弾くんだって、星さんから聞いたんです。それで、あのね、僕の近所の男の子がピアノを……」
「俺はピアノはもはや門外漢だよ。弾くには弾くけど、専門家ではない。それでいいなら話は聞くけど?」
「よかったら聞いて下さい」
 アルバイト青年は富山直哉と名乗った。十八歳の浪人生。予備校通いが暮らしの中心だそうだが、向日葵のマスターの甥に当たるので、頼まれて時おり店でアルバイトをしている。富山くんの言う近所の男の子とは、忍野樹という名の高校生だそうだ。
「樹のピアノはすっげえ上手なんですよ。僕は素人だから上手だとしか言えないけど、ピアノでメシ食ってくって無理なんですか。あんなに上手でも?」
「あんなにだかどんなにだか、俺はこの耳で聴いてないからなんとも言えないよ。しかし、樹くんって高校生なんだろ。ピアノを職業にするのは先でもいいんじゃないのか」
「音大目指せよ、って僕は言ってるんだけど、音大って金がかかるんですよね」
「かかるだろうな」
「樹の両親は離婚したんです。お母さんは家を出ていって、樹はお父さんと家に残った。お父さんは収入がいいから、音大にだって行けるはずだったんだけど、最近、再婚したんですよ」
 新しい母は、樹くんの音大進学に難色を示している。大学進学までには間があるのだが、そこから樹くんと義母のおりあいが悪くなり、樹くんは家を出たいと言っているのだと富山くんは話した。
「高校生ったって、樹のピアノはプロのピアニストになれるレベルだと思うんだけどな、無理なのかな」
「天才少年だったら無理ではないよ。けど、高校生にしてプロになれるほどの技量だったとしたら、すでに注目されてるんじゃないのか。クラシック界だとしたら俺はそっちも門外漢だけどね」
「プロになれって誘いは来てないみたいです」
「そうなんだったら……きみが思うほど、本人が思うほどのレベルではないんじゃないかな」
「そうですか」
 落胆の表情になる富山くんに、俺は言った。
「俺はやっとプロのシンガーになれるって決まったばかりの、駆け出しだよ。樹くんの力にはなってやれない。無責任になにか言える立場でもない。機会があれば樹くんのピアノを聴きたいけど、俺は今はそれどころじゃない。我が身の処し方で手一杯だ。本気でプロになりたいんだったら研鑽を積め。今のところはお母さんの圧力と闘って勝て。それしか道はない。十五や十六の少年が独り立ちするのも不可能ではないけど、耐え難きを耐えて親のもとで暮らすほうがまだしも楽かもしれない。お母さんを説得するって方法もあるんだから」
「……あんまし参考にならない意見ですよね」
「そうだな。ごめん」
「あやまってもらわなくても……僕こそすみません」
 飲んでいかないんですか、と名残惜しそうにする富山くんのもとから歩み去っていきつつ、悩み多き年頃の少年に思いを馳せた。富山くんは樹くんのピアノを俺に聴かせて、プロになれる、と言わせたかったのかもしれない。だが、俺がそう感じたとしても、それはただの希望的憶測だろう。プロになんかなれないよ、と俺が言い捨てたとしても、それはそれで、あんな奴には見る目がないんだ、と言われるのではないだろうか。
 いずれにせよ、おのれの道はおのれで切り開いていくしかない。高校生ならば将来は果てしなく遠く、それでいて果てしなく近い。高校生の俺は漠然と、言語学者になりたいな、程度に夢見ていた。 
 人の進む道なんて、どこでどう変わるか、本人にもわからないものなのだ。俺だっていつしかこの道を歩き出した。果てになにがあるのか、未知なる道を歩きはじめたばかりの俺には、見知らぬ少年に関っている余裕はない。プロになりたいと切望している徳永渉でさえも、俺にはどうにもしてやれないのだから。

 
 が、しかし、向日葵で会うたびに富山くんに懇願され、話を聞くだけなら、となったのは、自然な流れだったのだろう。そうして知り合った忍野樹が、俺のバックバンドのメンバーとなった。
 合唱部の後輩たちのヴォーカルグループ、フォレストシンガーズは俺よりも一年早くメジャーデビューしている。徳永渉も後にはデビューした。俺もプロのシンガーになれて、三十路に到達し、さして成功はしていないまでも、実力あるミュージシャンたちに専属で演奏してもらいたいと熱望するようになったのも、自然な感情だった。
 樹はフォレストシンガーズのメンバーたちとも、合唱部時代のさらに後輩の酒巻國友とも面識ができていった。フォレストシンガーズのリーダーたる本橋真次郎は、自身もピアノを弾くのだからして、樹が彼になつくようになったのも、本橋の性格からしても不思議ではない。
 酒巻は三沢や彼自身を後輩気質だと言う。三沢も認めている。対して、本橋や俺は先輩気質なのだそうだ。言われてみればさもありなん。俺だって学生時代には、先輩諸兄にひとかたならぬお世話になったものではあるのだが、今となってみれば、周囲がほとんど後輩ばかり、というせいもある。
 二十七歳、フォレストシンガーズではちょうど真ん中の年齢の本庄繁之が結婚した。俺はスケジュールの都合があって結婚式には参列できなかったのだが、本庄に結婚祝いを贈りたくて訪ねていった。
「ええ? わざわざいらして下さったんですか。その上、大先輩からお祝いだなんて……もったいない」
「結婚ってのは祝うものだろ。粗末な品で悪いけど、ほんの心ばかりだよ」
「心ばかりじゃないですよ。どこが粗末なんですか。このようなものは……」
「いただけませんか?」
「いえ、いただかないのも失礼ですよね。ありがとうございますっ!!」
 本庄は最敬礼してから言った。
「あのね、本橋さんがね、乾さんも幸生も章もなんですけど、ここんところどうも変だったんです」
「変とは? 三沢なんて奴は、いつだって変じゃないか」
「その変とはまた別の変っていうんですかね。つい先日なんですけど、俺にはなにがなんだかさーっぱりわからない会話を、四人でやってました」
「どんな?」
「章がギターを弾いて、苦悩の旋律とか言ってて、男であって男ではないとか、樹くんがどうとか、気持ち悪いけどそう言ったらいけないとか、そのような会話のあげく……」
「うん、それで?」
「本橋さんはなんとも言いようのない顔になり、俺以外の三人は納得顔になり、俺にはなーんにもわからないといった、そういう感じだったんです。なんですか、あれは?」
「樹の名が出たから俺に質問してるのか」
「そうなんですけど……うちのメンバーには聞いてはいけない雰囲気っつうか……」
「それだけはおまえにも察しがついたか。ああ、わかったよ」
「金子さんはご存知なんですね」
「知らないけどわかった」
 は? へ? といった表情になった本庄の前から、俺は曖昧に微笑んで歩み去った。
 いつだったか、ライヴの打ち上げでフォレストシンガーズと一緒になり、俺が本橋のかわりに彼らに加わってダンスナンバーを歌った。本橋は樹とダンスをしていて、あのときに樹が本橋になにやら言ったのではないかと思われる。
 よりにもよって本橋に言うとは、それはまさしく本橋にとっては、「苦悩の旋律」であっただろう。本庄と本橋は男女間の微妙な感情にも疎いと聞いているが、男女ではないのならばいっそうだ。
 この世にはそういった恋があるとの知識はあっても、本橋にとっては、遠い遠い世界での出来事だろう。俺にとってもそうだった。おのれが当事者になるとは、どうしたらいい? 気づいてはいても、そ知らぬていをよそおっているのがベストだと考えていた。
 恋は一種の熱病なのだから、たった十九の青年が、年上の男に恋をしていると感じているなんて、錯覚なのかもしれないではないか。錯覚、病気、幻想、自らの心が奇妙な動きをして、それを樹は恋だと勘違いしている。病はいずれは治癒する。
 このところは樹とは会っていなかったのだが、距離と時間が彼の熱を冷ましてくれただろうか。冷めてはいないのだとしたら、俺はどうするべきか?
 樹が女だとしても、十九の小娘とどうこうってわけにもいかない。男なのだからなおさらだ。俺にはそのような嗜好は、そのような習性は、そのような恋愛感情は一切ない。ひとりで歩きながらも、どうしても気持ちの中に忍び込んでくるのは……
 あいつと関わったのが誤りだったのか。気持ち悪いとは言わないけれど、絶対の絶対に応えてはやれない。相談できる相手もいない。八方塞であろうか。俺も自宅に戻って、三味線で「苦悩の旋律」を爪弾いてみるとしようか。


2 隆也

 困っているのか嬉しいのか、両方なのか、そんな顔をして、シゲが俺に目録を見せた。
「むこう一年間、一ヶ月に一度、本庄家にアレンジメントフラワーが届く。金子さんからの結婚祝い? 俺にも思いつかないよ。こんなのもらったら迷惑なのか?」
「とんでもありません。恭子は喜ぶでしょうね」
「おまえは喜んでない?」
「喜んでますけど、留守のときに届いたらどうしましょう?」
 シゲの新妻、恭子さんはテニス選手である。シゲにしても留守がちな日常なのだから、彼の心配はそこにあったのだと知った。
「いついつだったらいますから、その日に届けてほしいと、花屋さんに連絡しておけばいいんだよ」
「あ、そうか、なるほどね。さすが乾さん」
「さすがは金子さんだろ。それはそうと、シゲ……」
「はい?」
「いや、いいよ」
 今日の金子さんはシゲに用があって訪ねてきてくれたのだから、俺は会釈しただけだった。だが、ふたりの会話は耳に届いていた。
 おそらくは金子さんは、樹の想いを知っていたはずだ。知っていながら知らないふりをするのは、金子さんの思いやりであったのか。言われるまで気づかなかった本橋やら、言われてさえも信じられないであろうシゲとは、金子さんは人間におおいなる差がある。
 どちらが上か下かではなく、敏感さには個人差があるのだからして、本橋やシゲはあれでいいのだ。俺だって人に言われるほど敏感ではないが、金子さんに近い察しは持っているつもりだから、早くからそうではないかと思っていた。
 樹が金子さんに向けるまなざしやら、ちょっとしたそぶりやらで、章も幸生も気づいていた。表立ってそんな話はしなかったが、章が本橋にほのめかしたときの様子で、四人四様の心の中はおよそはわかるってものだった。
 関係ないといえばいえる、我々五人はどうだっていい。金子さんはどうするんだろう。樹は今後、どうするつもりなのだろう。本橋はもはや、俺は知らない、の態度を取るつもりでいるようだが、俺としては気がかりだ。
 しばらくは金子さんはプレイメンとは別に仕事をしていたようだが、シゲに結婚祝いを届けにきてくれた数日後には、金子将一&プレイメンのライヴが行われた。俺はその日は雑誌の取材が入っていて、早めに終わったのを幸い、ライヴ会場を訪ねた。
 ベテランスタジオミュージャン集団のプレイメンに加わって、樹もおじさんたちに遜色のないピアノ演奏をしている。恋が仕事の障壁にはなっていない。まずはそれだけはよかった。
「乾さーん」
 樹のピアノにひとまず安堵して、ホールから出ていこうとしていると、酒巻が手を振っていた。
「おまえも来てたのか」
「はい。乾さんはファンの方に発見されて騒がれるといけないからですか。まだ終わってないのに」
「騒がれるほどになってみたいけど、まだそこまでじゃないよ。ちょっと見にきただけだから、お先に失礼するんだ」
「このあとも仕事が?」
「仕事はすんだよ。おまえは? プライベートで来てたんだったら、メシ食いにいこうか」
「ええと、やっぱりおごって下さると?」
「確認するな。いつもおごってるだろ」
「はい、ごちそうさまです」
「行こう」
 男子合唱部の部室で出会ってから、八年近く、酒巻は幸生とはちがって、先輩にメシをおごらせるのを当然だとは思っていない。遠慮がちに俺についてくる酒巻と、近くの酒場に腰を落ち着けた。
「実は腹が減ってたからさ、早く出ないとライヴ終了後だと店が込むだろ」
「そうですね。でも、乾さん……ええとええと……」
「なんだよ? おまえもなにか聞いてるのか。個人的な問題を詮索するな」
「ああ、乾さんも知ってるんですね。詮索したらいけないんですね。でもでも、気になりません?」
「ならないよ」
 どうやら酒巻も知っている。樹はプレイメンに参加する以前から、酒巻とは親しくしていたようなのだから当然かもしれない。気にならないなんてのは嘘っぱちだが、俺たちが気にしてもなんにもならない、といった意味で言ったのだ。
 察したのか否か、酒巻はそれっきりその件については口を閉ざし、昔話やら現在の仕事の話やらで食事が進んでいった。
「ライヴが終わったみたいだな。ホールから流れてきたひとたちで込んできた。出ようか」
「はい、ごちそうさまでした」
「おまえは小食だな」
「僕は身体が小さいですから。乾さんは小さくないのに、あまり食べませんね」
「体質だろ。おまえとだったらメシ代も酒代も安くついて助かるよ」
 食事を終えて外に出ると、酒巻が言い出した。
「金子さんに挨拶していきません?」
「顔を出さないと無礼になるかな。行くか」
 今夜のライヴの主役たちも、そろそろ外に出てくるころか。ホールの関係者通用口に向かうと、顔見知りのスタッフが快く通してくれた。
「乾さん、なんだか……」
「うん、酒巻」
 廊下を歩いていると小声の会話が聞こえてきて、俺たちは飲料の自動販売機の陰に身をひそめた。
「……だろ。いいだろ?」
「……ふーん、あんたってそっちか」
「おまえもだろうが」
「同類は見抜かれ……」
「……いいだろ、樹」
「……あんたみたいな……」
「なんなんだよ」
「……さんとは……」
「……は、おまえなんかはなんとも……」
「知ってるよっ!!」
「しーっ、大声出すな。で?」
 一方は樹の声、一方はプレイメンのドラマーの声だった。酒巻は泣き出しそうな表情になり、俺は心を空っぽにしてなおも続く内緒話に耳を集中させていた。
 ところどころしか聞こえないが、内容はわかる気がする。酒巻は手をもみしだき、全身で不安そうにしている。しばしの会話のあとで、樹がはっきりと答えた。
「いいよ、どうせ……いいんだ、行くよ」
「ああ、待ってるぜ」
 行くよ、行くからね、樹のそんな声とともに、姿が見えた。樹は俺を認め、ばつ悪げになったものの、挑戦的に俺を見据えた。
「立ち聞きしてた?」
「してないよ。おまえは黙ってろ」
「……おまえって? 酒巻さんもいたの? じゃあさ、金子さんに言っておいてよ。僕ももう二十歳になったんだから、大人の行動は自由でしょ。今夜は金子さんとは別行動しますから」
「うん、伝言しておくよ」
「そんな、樹くん、樹くん、後悔しないの?」
「したとしたっていいじゃん。酒巻さんなんてなんの関係もないんだから、ほっといてくれよ」
「そう言われてしまったら……だけど、無茶はしないで。自棄にならないで」
「なってないよ。ほっとけっての」
 不安げに見上げる酒巻に言い放ち、樹は背を向けた。ドラマーはどこへ消えたのかあらわれず、酒巻と俺はぽつんとその場に残された。
「乾さん、本当にほっといていいんですか」
「そうしかどうしようもないよ」
「そんな……」
「樹が今夜、行動をともにする男ってのは、プレイメンの仲間なんだろ。そんな男が仲間に無茶はしないと信じよう」
「そうでしょうけど、無茶ってどんな?」
「俺が知るかっ」
「乾さんには経験ないんですか」
「酒巻、てめえな……」
「うわわっ、すみませんっ!! 失言でした。三沢さんだったら怒りませんよ。乾さんも怒らないで下さいっ。怖いーっ」
「……おまえは経験あるのか」
「ありません。いくら乾さんでも……そのようなことをおっしゃると……あ、そか、うわわ、参りました」
「……行こう」
「はい」
 首うなだれて酒巻がついてくる。樹の姿もとうにない。
 俺はそういった方々に偏見を抱いてはいないつもりだったが、乾さんには経験ないんですか? と酒巻に問われて、思わず怒りそうになった。
 ってことはすなわち、俺はそういった人間ではない、と、まっとうな男なのだ、と。偏見がなくはないではないか。幸生だったら怒りもせずに、酒巻にどう切り返すのか、想像してみるのは可能であるが、そんな気力はなくなってしまった。
 断じて報われない恋に背を向けて、樹は安易なほうへと進み出すのか。その先に待つものは果たして? 金子さんはそうと知ったら、どんな反応を示すのか。言いにくいのだが、言わざるを得ないので、控え室にひとりで残っていた金子さんに、いましがたの出来事を告げた。
「それはつまり……ふーん、そうなのか。樹が好きでやるんだったらいいだろ。すまなかったな、乾、酒巻」
「いえ、僕はなにも……いいんですか、金子さんは」
「いいも悪いも、俺にはどうしようもないよ。だろ、乾?」
「こればっかりはね」
 我々には窺い知れない世界なのだから、どうしようもないとしか言いようはない。酒巻は涙をぽろりとこぼしてから、慌ててうしろを向き、ぼそっと呟いた。金子さんが悪いんですよ、と言ったように聞こえたのは、俺の空耳だったのだろうか。誰も悪くなんかないじゃないか。
 ただいまの俺には、そうとしか言いようがない。それ以外になにが言えるというのだ。幸生だったらどう言えばいいのか、教えてくれるのか。
 なぜここにそんなものがあるのか知らないが、金子さんが三味線を抱えた。爪弾くメロディは「苦悩の旋律」。俺たちに苦悩をもたらした張本人は、今頃なにを? 想像したくはない。それもまさしく、俺の偏見のあらわれだったのだろうか。

END

 
 
 


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~ Comment ~

NoTitle

BLでもちゃんとフォレストシンガーズの雰囲気が流れていて、微笑ましい感じで読みました。
金子君てたしか、「チョーイケメン」でしたっけ?(違ってたらすみません ^^;
だったら男の子に惚れられるのも無理ないでしょうね。

なんか「ほのかな少年の恋」みたいな空気が新鮮というかなんというか。
そう、「好感」がもてました。

樹君が金子君に恋心を抱いていく行程がとても自然。
なかなか魅力的な子ですね。

ラスト近くでの樹の言動にちょっとドキッ。
でも彼もこういう経験を経ておとなになっていくのかなあ・・・

西幻響子さんへ

これを読んで下さったのですね。
ありがとうございます。

このストーリィはどこかに応募しようかと思って、フォレストシンガーズってものについても説明していて、第一話はあんなふうになったのです。

応募はやめて、ブログにアップするだけにしてしまったのですが。

はい、金子将一はルックスは最高です。
フォレストシンガーズの面々は顔はそれほどでも……ですので、脇役の金子、徳永は美青年にしようと思って。

性格はふたりともにゆがんでますが、フィクションでつきあう分には、ルックスが良くて性格の悪い男が好きなんですよね。

「苦悩の旋律」はあと一話、ありますが(西幻さんだったらJAPANってバンドはごぞんじでしょうか? 西幻さんの趣味ではないでしょうけど)、あくまでも「特別編」ですので。
本編にも樹はちらっと出てきますが、パラレル樹ですので(^^

それでもやっぱり、魅力的だと言っていただけると嬉しいです。
「BL作家シリーズ」なんてものもありますし、よろしかったらいろいろ、覗いてみてやって下さいね。

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