novel

小説364(万里の河)

 ←バトン・最愛オリキャラ・番外2 →グラブダブドリブ・司「I appreciate it」
thCAS5U4PKかわ
フォレストシンガーズストーリィ364

「万里の河」

1

 レストラン大森。大森は大盛りに通じる。学生街にある、店名通りの大盛りが売りの店だ。食欲のありすぎる男子学生たちが足繁く通っていて、シゲと俺もひいきにしていた。
「メガ盛り丼? 俺の身体を見て下さいよ」
 一年生の三沢幸生が情けない声を上げる。
 先輩にはおごってもらうのが当然。というか、男子合唱部では当然なのだが、他の一年生はそれでもちっとは遠慮がちにする。恐縮してすみませんと言ったり、悪いですよ、と辞退するそぶりをしてみせたり、いつもおごってもらってるから、と感謝の意を表す。
 こいつにしても感謝はしているのかもしれないが、先輩なんだからおごってもらうのは当たり前じゃん? ごちそうさまーっ、てなもんだ。
 去年、大学生になったシゲと俺は、合唱部で友達になった。本庄繁之、小笠原英彦に同じ合唱部の実松弾を加えて、アホトリオと呼ばれている。シゲは三重、実松は大阪、俺は高知の出身だから、バカではなくてアホなのである。
「実松さんってなんて名前なんですか」
 そんなに食えないよぉ、と尻ごみする三沢に、男だろ、食え、と激励して店に入った。シゲはもとより喜んでいて、俺も大盛りは嬉しい。
「シゲ、ヒデって呼び合ってるでしょ? 実松さんは実松? いえ、先輩を呼び捨てにしているわけではなくて……えっと、メガ丼しかないんですか」
「ここのメガ丼はおまえには完食できないだろ。普通の丼でもすごいんだぞ」
「そしたら、俺は普通の玉子丼にします。ねえねえ、実松さんの名前は?」
「本人に聞けよ」
「教えてくれないんだもん」
 じきに夏休みが来るってのに、一年生に名前を教えてやらないとは、実松もかたくなな奴だ。「弾」なんて名前は顔に似合わないからいやだ、と言い張って、実松と呼べと強要するあいつの気持ちもわかるのだが。
「玉子丼だなんて軟弱なものを食わずに、かつ丼にしろよ。俺はメガかつ丼。シゲは?」
「メガハンバーグカレー丼にするよ」
「メガって……あ、あれ?」
 横須賀で生まれて育ったスカボーイだというのだから、すかしているのも当然なのかもしれない。小柄で細くて中学生にも見える三沢は、男前というのではないが、すっきりした都会的な容貌をしている。この天下無敵のお喋りぶりと愛想のよさと人なつっこさで、三沢くんって可愛いね、と女子部でも言われているらしい。
 この店名物のメガ丼は、親子やカツや玉子や天ぷらといったベーシックなものから、からあげ、ハンバーグ、カレー、エビフライ、ハムエッグ、と種類も豊富だ。グラタン丼や肉じゃが丼もある。むこうの席の男たちの前に運ばれていった丼を見て、三沢がうへっという顔になった。
 むこうにいるのは体育クラブの学生だろうか。うちの大学はマンモスなので知らない奴も大勢いるが、彼らは三沢の視線に気づいて応じてくれた。
「俺はミックスフライメガ丼だ」
「俺はきんぴらとレバニラ炒めのミックスメガ丼。うまそうだろ」
「おまえ、一年か? しっかり食って大きくなれよ」
「……はい、でも、メガは無理ですよぉ」
「だらしねえな。しっかり食わないと出世しないぞ」
 知らない同士であろうに、むこうは三沢にそう言ってから、いただきます、と手を合わせた。
「じゃあ、俺もかつ丼にします」
「全部食えよ」
 念を押してから注文すると、二、三分ほどして巨大な丼がふたつと、巨大とまではいかなくても大きな丼がひとつ、運ばれてきた。
「うきゃあ、これがメガじゃないの? でかっ。本庄さんのと小笠原さんの、すげっ。ほんとにそんなに食えるんですか? うわうわ、そっちの先輩たち、もう食っちゃったの? すげぇ。男らしいなぁ。憧れちゃうなあ。ええん、俺、見てるだけで満腹しそうだよぉ」
「ごたごた言わずに食え」
「四の五の言わずに食え」
「三沢、食え」
 すでに丼に取り組んでいるシゲ以外の、むこうのふたりと俺とが三沢に言う。三沢、三沢と連呼したものだから店内に彼の名前が浸透して、店のオヤジさんも言った。
「三沢くん、メガ盛りでもないのに食べ切れなかったら恥だよ」
「そうやきに。そのくらい食えなくてなにが男だ」
「そうだっ!!」
 昼メシどきにはやや早いのだが、昼休み時間になると満席になるので、メガ丼目当ての学生たちは早めに来る。続々とでかい男子学生たちが入ってきていて、なぜかみんなして三沢を応援しはじめた。
「食え食え三沢」
「さっさと食っちまっておかわりしろよ」
「全部食ったらデザートをサービスするよ」
「オヤジさん、俺にもデザートサービスして。フライ丼、食ったよ」
「あんたはそんなの簡単なもんだろ」
「もう一杯食ったらサービスしてくれる?」
「あんたなんかにサービスしてたら、うちの店は倒産するよ。三沢さん、がんばれ」
「お、そっちはもう食ったのか。あんたはたいしたもんだね。三沢、がんばれ」
「三沢幸生にエールを送ってやって下さい!!」
「フレーフレー、三沢っ!!」
 男子たちの声が店内に充満して大騒ぎである。俺はそっちに参加もしながら丼を食い、シゲは黙って食い、三沢は目を白黒させつつも食っている。最初のふたりが出ていき、客が入れ替わり、シゲも俺も完食してから、三沢が箸を置いた。
「しまったな、もっと腹を減らしてくるんだった。昨日、おふくろが食パンをたくさんくれたんですよ。昨日は横須賀の家に遊びにいってたから、サンドイッチを作ってくれた残りの食パン、いいバターももらったから、朝から食パンを六枚も食ったんです。サンドイッチ用の薄切りなんだけど、うまかったからさ、だから俺、あんまり腹が減ってなくて……」
「つべこべ言わずに食え」
「残したらもったいないだろ。それはメガ盛りじゃないんだぞ」
「無理ですぅ。堪忍して。おなかいっぱいだぁっ!!」
 泣き言を言う三沢を見て、シゲが言った。
「しようがないな。俺が残りは食うよ」
「……本庄さん、すげっ」
 たしかにシゲの食欲はすごいが、俺は見慣れているのでどうってこともない。そこに、この店ではめったと見ない女性客が入ってきた。
「メガポテトサラダ丼、お願いします」
「はいよ」
 ポテトサラダ丼なんかあったのか。俺は暇なのでそちらを観察する。
 間もなく、ポテトの白、きゅうりの緑、ハムのピンク、ゆで卵の黄身、などの彩りも綺麗なポテトサラダがてんこ盛りになった丼が、女性の前に置かれる。彼女が優雅に食事をするのに、俺はぽけっと見とれてしまった。
 ほっそりした綺麗な手が丼を持って、片手で丼をもりもり食べている。大きな女だったらうなずけるが、彼女はわりあいに小さめの美人だ。この女性だったら三沢以下の胃袋しか持っていなさそうなのに。
「おいしい」
「お客さん、みんな食べられますか」
「平気ですよ。おいしいんだもの」
「たいしたもんですな。三沢くん、見習いなさいよ」
「……はい。おじさん、その方にデザートをサービスしてあげて下さいよ」
「そうだね。なにがいいですか?」
「あら、ほんと? じゃあね、ホットケーキ」
 嬉しそうに叫んだ彼女の前に、メガホットケーキのホイップクリーム添えが置かれる。俺としてはもうげんなりだったのだが、彼女は嬉しそうに目を輝かせた。

 
 そのあとで俺たちは店から出たから、彼女がポテトサラダ丼とホットケーキのメガを完食したのかどうかは知らない。学生街の大盛りレストランを思い出したものだから、あのときの彼女も思い出した。
「大食い女って細いんだよな」
「そうとも決まってないだろうけど、テレビの大食い選手権で優勝するような女は細いのが多いよね」
「おまえも細いな。尻がちっちゃいのはいいんだけど、胸はもっと……いて」
「食べても胸やお尻に肉がつかないんだもん」
 大食い、大盛りといえば、シゲとレストラン大森を思い出す。二十代になったシゲはあれほどの食欲はキープしていないだろうか。三沢幸生は変わらず細くてちっこいのだろうか。
 大学三年のときに合唱部の先輩に誘われて、シゲと幸生と俺はフォレストシンガーズのメンバーにしてもらった。プロになろうと誓い合って励んできたのだが、俺は恋人の策略にはまって歌を捨てた。後に妻になった恵の策略。俺はどうしてもそう考えてしまう。
 できてもいないのにできちゃったと言った恵にはめられて、俺は彼女と結婚した。家庭を持てばアマチュアシンガーズは続けていられないから、恵の親父の会社に就職させてもらった。
 本当に恵が妊娠して出産し、娘の瑞穂を可愛いけどうるさいな、と思っていたころに、フォレストシンガーズのデビューを知った。そして、俺は未練にとらわれて荒れた。そして、恵に捨てられて家を出た。短く言えばそんなわけで、俺は旅人になった。
 最近はジャンクフードが多くなって太りつつあるが、俺はもてなくもない。そろそろこの街も出ていこうかな、と思っているので、最初で最後のつもりで工場で知り合った女とホテルに行った。
「おなかすいたね」
「夕飯はまだなのか? 外にファミレスがあったろ。帰りに食っていこうか」
「うん。ね、ヒデさん……ううん、いいわ」
「いいんだったらいいよ」
 なにが言いたいのか知らないが、俺は聞きたくもない。女とホテルを出て歩き、近くのファミレスに入って注文する。驚いたことに女は大食らいらしく、ハンバーグとピラフとカレーライスとフルーツパフェを注文して、嬉しそうに食っているのだった。
 胸が小さいと言って小突かれて、なんだか恋人同士になったような錯覚が起きる。俺は腹は減っていないので、コーヒーだけ注文して、彼女のパフェを横からつつく。彼女と俺の仲のような、安っぽい味がした。
 

2

 目が覚めても意識が完全に戻ってはいないから、一瞬、考えた。ここはどこだ? 俺は……誰かが隣に寝ている。闇の中で光る眼、俺を見つめている眼、シゲ? そんなはずないだろ。えーっと、名前は忘れた、今夜ナンパした女?
 女だっていうんだったら恵? 瑞穂?
 ああ、そうだ、俺は結婚して離婚して、妻子とは別れて旅に出てきたのだった。俺はまだ二十代のはずだが、ふらふら流れて暮らしていると不摂生になって、ろくなものも食っていないのに太った。恵は料理上手でもなかったが、栄養のバランスを考えた食事を作ってくれていたらしい。
 そうすると、ここは職場近くのホテルだ。そうだそうだ、思い出してきた。
 流れ者の臨時労働者である小笠原英彦は、こんなおっさんになってももてなくもない。女だって時には性欲にまかせて、適当な男と寝たいものなのだろう。俺はそんな女には都合のいい相手として選ばれる。俺としても面倒なのはいやなので、女とは深入りはしたくない。けれど、手っ取り早く女とは寝たい。無料だったらありがたい。
 というわけで、しばらく暮らした土地を出ていくときなり、しがらみがなさそうで厄介ではなさそうな女なりと仲良くなったらホテルに入る。今夜もそんな女がベッドのかたわらで、俺を見ているのだった。
「起きてたのか」
「あら、起こしちゃった?」
「寝ろよ」
 考えていたのはほんの一瞬だったのだが、こんな短時間でも人間というものは、けっこう想いをめぐらせるものだ。
「あたしの話、聞いてくれない?」
「俺は眠いんだ」
「じゃあ、聞いてくれなくてもいいから喋ってもいい?」
「俺は寝ちまうかもしれないけど、それでもいいんだったら」
 いいよ、と応じて、女が話をはじめた。
「若いときには東京にいたのよ。私は女優になりたかったの。ここからいちばん近い大きな町の劇団に入って、才能あるよ、東京に行けば、って言われて、親の猛反対を押し切って上京した。東京でも劇団には入れたんだけど、お金がいるんだよね。劇団なんて持ち出しばっかりで稼ぎはマイナスだから、バイトもしたよ。あたしを抱いたらわかったかな、かなりのこともしたよ」
「そっか」
「それでね……」
 こんな奴、どこにでもここにでもいる。おのれの才能とやらを過大評価して都会に出ていき、夢破れて帰ってきた男や女。俺はそのつもりで上京したのではないが、結果は同じ。故郷には帰らずに、見知らぬ土地をさまよっているってだけの差だ。


「俺たちには才能はあると思うんだ。もしもひとかけらの才能もないんだとしたら、歌がうまい、見事なハーモニーだ、おまえたちは歌手になれるよ、フォレストシンガーズはすごいグループだよ、足りないのは運かな、がんばれよ、って言ってもらえないと思う。俺たちはグループなんだから、互いに才能も認め合ってるだろ。ひとりでやってる人間よりは恵まれてるんだよ」
「それで、おまえはなにが言いたいんだ?」
「だけど、圧倒的に才能の量が足りないのかなって、思わなくもない。こんな才能だったら……むしろ俺たちの人生の邪魔をするのかもしれないなって」
 アマチュアのままではあったが、フォレストシンガーズにはささやかな仕事もあった。交通費だけしか出ない仕事でも、歌えるのだったら喜んで、仮説ステージや即売会場や、イベントの隅のマイクの前に五人で並んだ。
 そんな仕事のひとつだ。本橋さんと乾さんは今春に大学を卒業し、シゲと俺も半年余りすれば学生ではなくなる。幸生のみが現役となる来年も、俺たちはアマチュアシンガーズのまんまなのだろうか。
 不安も抱えつつ、それでも歌える仕事は嬉しい。夏の山に来て五人で仕事をし、終わって酒を飲んで食って、みんなでひと部屋で寝てしまった。夜中に俺が目を覚ますと、本橋さんと乾さんがいない。民家を民宿にしたような部屋の縁側から、ふたりの会話が聞こえてきていた。
「才能が人生の邪魔をする? 乾、それってどういう意味だよ」
「本当の才能は、芸は身を助くるってことになるんだよな。だけど、俺たちの中途半端な才能は、身を滅ぼすのかもしれない」
「どうして?」
「俺たちになんの才能もなかったら、こんな言い方は傲慢なのかもしれないけど、歌手になろうなんて想像もせずに、ごく当たり前に就職して、新入社員として励んでるよな。そんな人生を俺は送りたくなかったんだけど、そうできてたら……いや、そんなのって楽じゃないんだろうけど……傲慢かな」
「無限大の才能があったらプロになれるのか」
「そうだね。クラシックの天才とはちがって、俺たちの進みたい道はそういうのじゃないかもしれない。才能だけじゃないのかもしれない。だけど……」
 間が空く。本橋さんと乾さんは見つめ合っているのだろうか。と、ごつんという音がして、乾さんの笑いまじりの声も聞こえた。
「うん、ありがとう」
「馬鹿野郎」
「……吹っ切れたよ、おまえのげんこつってほんとに妙薬になるんだよな。ありがとう」
「下らないことを考えてないで寝ろ。それにしても……やり返さないんだよな」
「殴られて感謝してるのに、やり返しはしませんよ、リーダー」
 つまり、現在のうらぶれ男の俺に、ゆきずりの女が話しているのは、あのときの乾さんが言いたかったことに酷似しているのだろうか。
 もとの仲間たちはプロになったらしいが、売れているとは聞こえてこない。要するに彼女も彼らも俺も、同じように半端な才能に翻弄された人間のなれの果てなのだ。せめてあんたらはさ……無理かな。俺は女の言葉を聞き流しながら、あんたら、フォレストシンガーズの五人に思いを馳せていた。


3

 遠い遠い過去のような気がする昔に、仲間たちとこの丘に来た。気分的にはそれから百年もたったように思える今日、フォレストシンガーズの木村章とこの丘で会った。
 ルシアンヒルとこの丘を名づけたのは、大学生のころに章にその歌を教えてもらったからだ。俺のかわりにフォレストシンガーズに入り、売れてはいないままなれど、プロの歌い手になっている後輩。俺の繰り言を聴いてくれた章は、誰にも言うな、との約束にうなずいて帰っていった。
 働いているコンビニでもらってきたおにぎりを食う間がなかったので、昼飯ヌキで働いて時間を終える。お疲れさまー、の声に送られてアパートまで歩いて帰る。まっすぐ帰る気になれなくて、おにぎりを持って川のほうへと歩いていった。

「遠く遠くどこまでも遠く流れる河で
 暮れかかる空にあなた想い
 今日も待っています」

 ひとりになってからは鼻歌さえも歌わなくなっていたのに、川を見ているとこんな歌が浮かぶ。学生時代には東京の川べりで、友達といろんな話をした。あのときの会話の相手は……そうだ、同じ学部の大垣だった。
「合唱部のマネージャーみたいな女、いるだろ」
「山田美江子?」
「そうそう、そいつだよ」
 先輩を呼び捨てにするな、そいつと言うな、と文句をつけてやりたかったのだが、ひとまず抑えて大垣の話を聞いた。
「いい女だよな。この間、公園で見たんだ」
「山田さんをか」
「山田ひとりじゃなくて、男連れだったよ。ちんちくりんのガキみたいな奴」
 酒巻だろうか、とは思ったが、確実ではないので言わないことにした。
「似合わないんだよな。山田は背はそれほど高くもないけど、胸はでかいほうだろ。気の強そうな女だけどけっこう美人で、大人っぽい感じがする。連れの男はちんちくりんの高校生かな、って感じだったから、からかってやったんだ」
 よっ、彼女、そんなガキみたいなのはほっといて、俺とお茶しない? と大垣は言ったのだそうだ。
「そしたらさ、山田は鬼みたいな顔になって、ガキをかばって前に立って俺を睨むんだ。なにも言わずにじーっと睨まれて、俺は言ったよ」
 そんな顔をするとブスだな、そんな女とお茶したくないから、バイバイ、と大垣は言った。酒巻らしき男は震え声でなにやら言いかけた。
「失礼な……そんな……」
「いいから黙ってて。私は平気だよ」
「美江子さん……」
「泣かなくていいから」
 こんなんで泣くのか、面白い奴だな、と思った大垣は、酒巻の顎に指をかけた。
「おまえのほうが可愛いじゃん。俺と遊ぶ?」
「な、な……そんな……な、ななな……」
「おまえだったら男にカマを……」
「やめなさいっ!!」
 山田が割って入ってきて、酒巻の手を引っ張って走っていってしまったと、大垣はげらげら笑う。俺は言った。
「こうやって顎に手をかけたのか?」
「手じゃなくて指……うわっ!!」
 俺は大垣の顎を一発、軽めに殴った。軽めでも不意を突かれたからなのか、大垣はうしろに倒れ、俺は奴をほっぽって歩き出した。
「なにしやがんだよっ!! こらっ、ヒデっ!!」
「けっ」
 別に、俺は美江子さんを女性として意識しているわけではない。美江子さんの胸ってけっこうでかいな、とシゲに言って、こらこらっと怒られたりもした。美江子さんはプロポーションいいよね、と内緒話をしかけてくる幸生に、ガキのくせに女性をそんな目で見るな、と説教してやったこともある。
 もしも俺が美江子さんに対する卑猥なジョークを言ったりしたら、本橋さんにだったら殴られたかな。乾さんからも頬のひとつも張られて、手厳しく叱りつけられたかもしれない。
 あんたらだって男なんだから、美江子さんを変な妄想の……というのは、本橋さんや乾さんやシゲにはなかったのだろうか。俺は変な目で見たことはあるが、それだけだった。
 なのにいい子ぶって、無礼な大垣を殴り飛ばしたのは、くすぐったい記憶だ。俺にも偽善的なところはあったかな。
 こうして川を眺めて、硬くなったおにぎりをぼそぼそかじる。侘しい夕食、美江子さんの料理はうまかったなぁ、だなんて、もと妻ではなく美江子さんの作ってくれた、餃子やいなり寿司や炊き込みご飯や玉子焼きをなつかしむ。
「しようがないよな」
 もと妻の恵を思い出せば、いやなものがいっぱいいっぱいぞろぞろつながって出てくる。先輩後輩というすがすがしい関係だった美江子さんとの想い出には、いやなものはひとつもない。だからこそこんなときには、悪い記憶のない女性として、美江子さんを想い出す。
 ちょっとぐらいは俺にだって、女性がらみの綺麗な思い出があるんだよ、と、誰にともなく言い訳をしていた。


END





 
 

 
スポンサーサイト



【バトン・最愛オリキャラ・番外2】へ  【グラブダブドリブ・司「I appreciate it」】へ
  • Tag List 
  •  * |

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【バトン・最愛オリキャラ・番外2】へ
  • 【グラブダブドリブ・司「I appreciate it」】へ