ショートストーリィ(花物語)

花物語2014「三月・SAKURA」

 ←FS春物語「大阪春の陣」 →いろはの「ろ」
SAKU.jpg
花物語2014・弥生

「SAKURA」

 姉さん、と声をかけて襖を開けたさと子は、息を呑んで立ち尽くした。

 春霞のようなごく淡い藤色の地に、桜の花が咲いている。あでやかな和服の裾一面に、桜の花びらが散っている。姉の桜子は着物を肩にかけて、鏡に向かって嫣然と微笑んでいた。

「さと子ちゃん、桜が咲いたらこの着物を着てお花見に行きましょうよ。あなたにも着物を貸してあげるわ。だから、おいしいお弁当を作ってね」
「姉さん……その着物を着るつもり?」
「そうよ。あなたは私よりも若いんだから、ピンクの着物がいいかしら。桜の着物は他にもあるって、さと子ちゃんも知ってるでしょ」

「知ってるけど、ほんとに着るの? 姉さんと私が?」
「桜の着物は桜が散るころくらいまでしか着られないのよ。季節を先取りするのが和装の決まりだけど、桜爛漫のときにだったら着てもいいのよ。知らなかった?」
「知ってるけど……」

 そういう意味で言っているのではない、との言葉を飲み込んで。さと子は桜子を見返した。
 ものごころがついた年ごろに、母に尋ねてみたことがある。

「姉さんは桜子っていう綺麗な名前なのに、私はさと子ってどうして? 姉妹だとは思えないみたいな名付けだって言われたよ」
「さ、ではじまる名前なんだから、姉妹らしいじゃないの」

 母はそう言ったが、その後、父が家を訪ねてきたお客と話しているのを聞いてしまった。

「結婚して妻が身ごもって、娘が産まれたときにはたいそう嬉しかったものですよ。産まれた娘がまた、赤ん坊だとも思えないほどに華やかに美しい容貌をしていた。いや、親ばかですが、私は長女をひと目見た瞬間に、なんて綺麗な子なんだろうと思ったんです」
「親ばかではないですよ。桜子さんは本当にお美しい。先生の予想通りの美少女に育たれてよかったですね」
「ありがとう」

 しかしね、と父は続けた。

「ふたり目も女だと知ったときには、正直、落胆してしまいました。赤ん坊なんてものはこれで普通なんでしょうけど、次女は長女と比較すれば平凡な、ありていに言えば猿のような顔をしていまして、また女か、今度はこんな娘か……とね。ですから、長女には考え抜いて桜子という名をつけたのですが、次女はどうでもいいみたいな名前になったんですよ」
「……それはないでしょうけど」
「そうなんですよ。名は体を表すとはよく言ったものですな。桜子は桜子らしく、さと子はさと子らしく育ちましたよ」

 大学教授であり、著書のある学者でもあった父は、娘たちはまだ学校から帰ってこないだろうと思って、客に本音を話していたのだろう。盗み聞きしていたのがうしろめたくて、さと子は誰にもそんな話を聞いたとは言わなかった。

 父の言うことは本当だと、さと子も思う。
 咲き誇る爛漫の桜のように、華やかでいながらはかなさと寂しげな風情をも兼ね備えた、和風の美少女に育った姉は成績もいい。あなたが男だったらお父さんの後を継いで……いいや、あなたはそれだけ綺麗なんだから、女でよかったね、と目を細めて言う父は、姉を溺愛していた。

 きみはまあ、平凡でいいよ、普通でいいよ、と言われるさと子のほうは、容貌も成績もぱっとしない平均点の娘に育った。

 あなたは素晴らしい娘なのだから、多少は適齢期をすぎてもいい、と父が言って、姉は大学院にまで進んだ。姉の大学の講師であり、父が目をかけていた男性との婚約が決まったのは、姉が二十五歳の年。さと子は平凡な大学生になっていた。

「桜子の名前にちなんで、こんな着物を買ったんですよ」
「ああ、綺麗だな。似合うよ、桜子」
「姉さん……素敵」

 たった今、姉が肩にかけている桜の着物が仕立て上がって届いたときのことは、さと子も鮮やかに覚えていた。
 和服の似合う和風の愛娘のために、母はたくさんたくさんの着物をこしらえた。どっさりの嫁入り道具を持って、姉が嫁ぐ予定だった一ヶ月ほど前のある日、両親は列車事故に巻き込まれてそろって生命を断たれた。

「ご両親がお亡くなりになって、桜子さんはご結婚どころではないでしょう。結婚式は延期しましょう。落ち着いてからということで」

 婚約者にそう言われたというのは、さと子も知っている。大混乱をきわめていたのだから、それもしようがないと姉も納得していた。納得以前に、いちどきに両親を亡くした悲しみで、姉もさと子もたしかに結婚式どころではなかったのだ。

 それからいったいどうしたのか。一年がすぎても改めて結婚式の話は出ず、姉は、破談になりました、と冷たくそっけなくさと子に告げた。

「お姉さんの婚約者だった男はもちろん、桜子さんの美貌も好きだったようだよ。だけど、どうもね、お父さんの地位や立場ってものも重要視していたようなんだ。お父さんが亡くなられた以上、なんのメリットもないみたいな……そのせいもあるんじゃなかったのかな」

 推測だけど、と前置きして、大学関係者が話してくれた。姉はなんのコメントもしなかったが、それからは家に引きこもりがちになった。

 両親が残してくれた遺産はある。家屋敷も土地もあるから、姉妹は働かずとも生きていける。もとより桜子は大学院を修了してからは花嫁修行の日々で、就職はした経験がない。姉は家で静かに暮らすのが性に合っているようだったが、さと子は就職した。

 学術図書出版社で地味に地味に働いていたのだし、目立たない外見と幼いころから姉の陰に隠れるようにして生きてきた経験ゆえか、引っ込み思案な性格だったから、さと子には恋愛は訪れなかった。潔癖症の気味もあったようで、男との触れ合いを想像すると生理的嫌悪が起きたせいもあった。

 地味な会社員の妹と、金持ちの専業主婦のような姉は、長く長くふたりで暮らしてきた。大人の女ふたりの生活ではさしたる家事も必要なく、通いの家政婦さんに来てもらっていればすべては事足りて、ふたりともに不自由もなく暮らしていた。

 そうして何年がすぎたのだろう。さと子は六十五歳の定年をすぎ、嘱託として十年ほどは勤務できる規定になってはいるものの、職場では冗談めかして、もういいんじゃないですか? さと子さん、がんばりすぎですよ、と言われるようになってきていた。

 すると、姉さんは八十歳近い? 自分の年齢も姉の年齢も意識していなかったさと子は愕然とした。そんな年齢になっているからこそ、桜の和服を肩から流した姉を見て息を呑んだのだ。

 誰も彼もにもてはやされ、両親に溺愛され、美しいと評判だった姉も。姉のうしろでひっそり生きてきた地味な妹も、おばあさんになれば大差はなくなる。さと子はつと進み出て、姉の横に立った。

「だけど、姉さんはやっぱり品のいい綺麗な老人だわ」
「……さと子ちゃんは黒地に桜の、夜桜みたいな着物もいいかもしれないわね。私には粋すぎるし、若い娘の着るものじゃないって言われてしまい込んだはずなんだけど、どこに入れたかしら。着物がたくさんありすぎて探しにくいのよ」
「ゆっくり探してちょうだいね」
「ええ、お花見までには見つけるわ。お弁当、お願いね」

 桜の和服を身にまとった老姉妹が花見をしていれば、道行く人の目をそばだたせるかもしれない。だからってなにがいけないの? たとえ大勢の人々に奇異な視線を注がれたとしても、姉の願いをかなえてやりたい。さと子自身もそうしたくなってきていた。

END





スポンサーサイト


  • 【FS春物語「大阪春の陣」】へ
  • 【いろはの「ろ」】へ
  • Tag List 
  •  * |

~ Comment ~

NoTitle

待っていました「花物語」
父母を亡くしたけれど仲の良い姉妹、素敵な桜の花模様の着物
を着た華やいだ二人を想像して浮き浮きしていました。
 でも最初の桜子とさと子の様子から何かあると感じていました。
 今は年老いた姉妹だったのですね。ここで桜子が嫣然と微笑んでいたという最初のフレーズがぴったり来ました。
 突然、目の前に芝居の回り舞台が現れたような感動です。
桜吹雪が舞うなかに、やっぱり私は若く美しい姉妹を立たせたいです。
 いいです。あかねさんの「花物語」

NoTitle

ほんわりと優しいけれど、ある意味物悲しさも感じられる話ですね。
女の美しさって、誰のための物なのかなあと、ちょっと感じました。
でも、このお話のいいところは、さと子さんの優しい視線ですよね。
美しすぎる姉を持つ妹というと、やはりどこかひねた部分を持ちそうですが。
さと子さんは、最後まで優しく姉を見守る賢い人という印象で、なんだか救われます。
桜子お姉さんは、幸せな人生だったのかな。
そうだったらいいな・・と、最後に思いました。

danさんへ

コメントありがとうございます。
楽しみにして下さっているとは、とってもとっても嬉しいです。
桜模様の和服、短い季節だけしか着られなくて、それだけに素敵ですよねぇ。私はそんな豪華な着物は着たこともありませんが、林真理子さんのエッセイによく出てきます。

桜の旬は短くて、女の旬も短くて、なんだかもの哀しい気分になりますね。
「花のいのちは短くて、苦しきことのみ多かりき」
ですが、幸せってのは本人の気の持ちよう次第でしょうから、桜子もさと子もこれはこれでいい人生だったのかな、なんて思っています。

limeさんへ

コメントありがとうございます。

私には年齢の近い同性の身内がいません。弟と従兄弟たち、男の子ばっかりに囲まれて育ちました。

姉妹ってものは想像だけですが、私がさと子の立場だったとしたら、きっとひねくれて早めに家を出て独立していると思います。
才色兼備の美人の姉、桜子の立場だったら……とは想像できないんですけどね。

山岸涼子さんの漫画に、よく似た立ち位置の姉妹が出てきました。
あの姉妹は若かったけど、将来はこんなふうになるのかなぁ。たしか妹のほうは不良がかってましたから、またちがうかな?
ほんとにね、幸せって本人の気持ちがいちばん重要ですよね。
自分が創作した人物にはやっぱり思い入れてしまいますから、桜子が幸せだったらいいな、と言っていただけたのも嬉しいです。

季節ごとの着物

お茶席に出ていると、床の間の花と重なっちゃいけないとか、お茶碗の模様と重なっちゃいけないとか、あれこれ決まりごとがあるし、着物も着る機会も少ない昨今、こんな風に季節の着物や小物って、本当に持っていても宝の持ち腐れになりますよね。
でも、昔はこうして季節を楽しんだんですね。その名残を感じるようで、素敵な掌編でした。
あかねさんみたいに、こんな年齢の女性を素敵に書くことができるようになりたいなぁ。

大海彩洋さんへ

いつもコメントありがとうございます。

私は着物なんて数えるほどしか着たこともないですし、一応は持っていたのも喪服以外は処分してしまったのですよね。収納場所がなくて。
ですから、着物に関しては受け売りしかないんですけど。

大海さんは三味線のほうでなどお召しになる機会もよくあるのでしょうか?
決まりごとはいろいろあるようですけど、そういうのも興味深いですよね。

上手に素敵には書けませんけど、私はおじいさんやおばあさんを書くのはけっこう好きです。
特におばあさん。いつかは私もそうなるんだなぁ、ってのもありまして。
ひょうきんなおじいさんなんかももっと書きたいと思っています。
管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【FS春物語「大阪春の陣」】へ
  • 【いろはの「ろ」】へ