ショートストーリィ(FSいろは物語)

いろはの「い」

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フォレストシンガーズ


「いろはにおえど」


 どれほどに口やかましい祖母がいても、子どもの好奇心は殺せない。ましてや我が家は純日本家屋なのだから、プライバシーを考慮した構造はしていない。見つかって蔵へ入れられたこともあるが、それでもめげず、俺は時おり、祖母の隙を窺って盗み聞きを慣行していた。

 むろん、いつでもなんでもやるのではない。興味のあるときだけだ。
 子どもの好奇心だけではなくなった高校生の現在は、大人の世界を垣間見るスリルも手伝い、甘美な悪の行為であるというエロスのようなものも感じつつ、たまには祖母と客の会話を盗み聞きしたりしていた。

「いかがでしたか」
「はい、とても清楚なお嬢さまで、先方さまがよろしければおつきあいさせていただきたいと申されておりました」
「それはよかったですね。先方さまも、誠実そうで清潔そうなよい方だと言っておられましたよ」
「では、話を進めてもよろしいですね」

 今は亡き祖父と祖母は見合い結婚だと聞く。逆算すれば第二次大戦の終戦後。自由恋愛とやらいう言葉も出てきていたと古い雑誌で読んだことがあるが、祖母などは、そんなもの、私には縁がなかったよ、と言う。当時は見合いが主流だったのだろう。

 父と母は恋愛結婚なのか? 両親本人に聞く機会はなく、祖母は恋愛というものを不潔だと考えているふしもあるようで、無邪気な年頃でもなくなった俺には訊きづらい。なので知らないが、まあ、あのふたりはいいだろう。俺だって父と母が恋をしている姿はあまり想像したくなかった。

 平成の時代となった現代は、恋愛結婚が主流のはずだ。
 だが、金沢の片隅で昭和のまんまみたいに営んでいる乾家では、時に見合いが行われる。祖母は顔が広いようで、旧家や名家や格式の高い家、古臭い結婚観を持つ親に頼まれて、どこやらの娘とそこやらの息子の出会いをセッティングしているのだ。

 男と女のあれこれには興味があるのだから、見合いとなると気になる。今、祖母が我が家にたびたび訪ねてくる気取ったおばさんと話しているのは、先日行われていた見合いの後日談だったのだろう。

 おばさんの知り合いの男性と、祖母の華道の御弟子さんの娘、いつの時代なんだよ、と呆れるようなお見合いが我が家で行われ、俺も男女ともに目にした、さすがに盗み聞きはしなかったが、ふたりして我が家の庭を散歩している姿も見た。

 うちって料亭みたいだな、変な感心をしていた俺は、そのときの見合いがとにもかくにもうまく行ったと聞いたわけだ。これからあのふたりは交際をして、昔ながらの結婚をするのか。ともに金持ちの息子と娘だそうだから、派手な結婚式になるはずだ。祖母は恋愛嫌いのくせに結婚式は好きだから、張り切って参列するのだろう。

 なんだかな、そんなにまでして結婚したいのかな、見合い結婚なんかするぐらいだったら、俺は独身でいいよ。どっちにしたって十六歳。結婚なんて遠い遠い遠い未来の話だろうけど、十年もしたら祖母が見合い話を持ってくる? 

「隆也、言っておくけど、あんたみたいな半人前がよそさまの娘さんとつきあうだのなんだのは、うんとうんと早すぎるんだからね。そんなことをして、よそさまの娘さんが傷ものになったって言われたら大変だよ」
「俺はよその女の子を傷つけたりしないよ」
「そういう意味じゃないんだよ。結婚前に男と軽々しくつきあうような女は、おかしな噂を立てられるの」
「意味がわからないよ」
「あんたがもうすこし大人になったら、詳しく話してあげる」

 とにかく、軽々しく女性とつきあったりしないように、と中学生のころから釘をさされていた。祖母が言いたいことはわかったが、古っ!! などと口走るとあとがうるさいので、わからないふりをしておいた。
 そのせいでもないのだろうが、俺は女の子と正式につきあったことはない。あの子、いいな、可愛いな、恋人になりたいな、程度ならば感じた経験はあるが、告白してカップルになりたいとまでは思えなかった。

 恋はしたいけど、結婚なんかしたくない。十六歳では男だって女だってそう思っているのが順当なはずだが、あんな主義の祖母に監視されていては自由には動けない。
 なんにしたって彼女を持つにもまだ早いのだから、じっくりやるさ。

 金沢の街に涼風が吹きはじめた秋のころ、夏休みには生まれてはじめてアルバイトをしたので、ふところがちょっとだけあたたかい。香林坊のコーヒーハウスに行こうか。
 バイトとは言っても父の店で働くことしか許してもらえなかったので、和菓子屋の厨房での下働きだった。賃金はお駄賃のようなものだったが、高校生になったのだからバイトだってさせてもらえる。コーヒーも解禁になって、一段階は大人になった気分だった。

 来客中の祖母は俺が出かけても文句を言えないだろうからちょうどいい。ポケットの金を計算して、家から出ていった。
 交通の便はよくないので、どこに行くにも歩くことが多い。ガキのころから親しんできた犀川のほとりを早足で歩き、繁華街へと出ていく。香林坊のはずれにお気に入りの店を見つけたから、コーヒーを飲むといえばここだ。人通りの少なくなったあたりまで歩いて、店に入った。

「彼、ひとりなの?」
「ええ、ひとりですよ」
「ここ、いいかしら?」

 上手にメイクしているから化粧が濃いとは感じにくいが、濃いのではないだろうか。派手な目鼻立ちの美人に声をかけられた。俺よりは十歳近く年上に見える美人は早季子と名乗り、煙草を取り出した。

「高校生?」
「そうです。隆也っていいます」
「キミ、どこかで会った?」
「俺もなんとなく、早季子さんにどこかで会った気がするんですけどね」
「……ま、狭い街だもんね。遊びにいくところってそんなにはないんだし、この店に時々来るんだったらここで会ったのかもね」

 コーヒーを飲み、煙草を吸う。高校生でも喫煙する女は嫌いだと言う男はよくいるものだが、俺は美人がかっこいいポーズで煙草を吸うのは嫌いでもない。彼女はいくぶんはすっぱな感じだから、煙草が似合っていた。

「今、彼氏がいないのよ」
「今だけですか」
「そうよ。彼氏がとぎれたためしなんかないんだけど、今はいないの。決まった男がいないと自由でいいっていうのもあるけど、寂しいのもあるかな。隆也くん、つなぎにどう?」
「つなぎだったらお断りします」
「お金ないし?」
「俺は本気で好きになった女性としかつきあうつもりはありません」
「ま、生意気」

 野暮は承知で言ってみると、あどけない子どもを見るような目で見られて嘲笑われた。

「まあね、高校生とつきあってもしようがないよね。いろいろ教えてあげるったって、隆也くんだったら私のこと、おなかの底では馬鹿にしてそうだもんね」
「腹の底で馬鹿にしながらの女性とは、つきあうつもりはありませんから」
「はっきり言ってくれちゃって、むかつくガキ」
「すみません」
「キミって若いくせになんか余裕あるんだよね。むかつくってよく言われない?」
「言われませんよ」

 からみたい気分なのか、彼女は煙草の煙を俺の顔に吹きつける。今までの男はね、この間の彼はね、ちょっとだけ遊んでみた妻子のいる男はね、と問わず語りに語り、その合間には俺に向かってくだを巻く。酔っているようにはないが、大人の女性の恋愛話はけっこう面白いのでおとなしく聞いていた。

「んでね、この間、見合いしたんだよね。私はまだ二十三だけど、早く売るにこしたこともない。諦めて妥協して結婚しようかな。だけど、その前にもう一花咲かせたいの。狙ってる男はいるんだ。あいつを落としてしっかり遊んでから、見合い相手と結婚しようかな」
「早季子さん、他人も聞いてますよ。そんな話は個室でしなくちゃ」
「あら、個室に行きたくなったの?」
「そうは言ってませんが」
「大丈夫だよ。こんな隅っこの席だし、誰も聞いてないって」

 たしかに、この席の会話に聞き耳を立てている者はいないようだった。

「すると、その見合い相手と二股かけるってことですか」
「そうよ。一時期は二股ってか。本気でつきあうのは見合い相手のほう。もうひとりは遊び。その男だって遊び人なんだから、私が遊びでいいって言ったら大喜びだよ」
「そういうもんかぁ」
「キミだって男でしょうが」

 男だからこそ、遊び相手の男よりも、結婚相手になる見合い相手が気の毒だと思ってしまうのだが。
 ちょろっと誘惑的な台詞を口にされ、適当にかわし、彼女の過去の恋愛をたくさん聞かされた。誇張もあるのかもしれないが、高校生としては、すげぇなぁ、俺は将来もこういう女とはつきあいたくないな、が本音だった。

 それからはその店には行かなくなったのは、早季子さんを避けていたからもある。高校生だってなにかと忙しいし、バイト代がなくなると小遣いが乏しくなって、コーヒー代も惜しくなったせいもあった。
 その年のバレンタインディに俺にチョコレートをくれた、となりのクラスのまゆりとつきあうようなって、その店にもたまには行くようになった。早季子さんには一度も会わなかったので、いつしか彼女のことは忘れてしまっていたのだが。

「どうもありがとうございました。さな子さんのおかげでいいお嫁さんがもらえそうです」
「きっとご縁があったんですよ。よろしゅうございましたね」
「ありがとうございます」

 春が近づいてきたある日、聞き覚えのある声が客間の外に漏れてきていた。秋に見合いをしたあのカップルらしい。襖が突然開けられてもすぐさまは気づかれない位置に立って、俺は耳を澄ませた。

「早季子さんは花嫁修業をなさってるの?」
「はい、料理や着付けや英会話を勉強しております」
「芳武さんのお仕事柄、海外駐在もおありなんですものね。今どきの花嫁修業は多彩ですよね」
「早季子さんはなにをしても筋がいいと、先生に褒められてるそうですよ」
「うちの娘の華道のほうでも、とっても優秀でしたよね」

 おほほ、と女性の笑い声、早季子さん? まさかまさか。
 若い男性と女性と、祖母の談笑がその後も続き、では、そろそろお暇いたします、との声が聞こえてから彼と彼女が立つ気配が伝わってきた。俺は慌てて庭に飛び降り、灯篭の陰からふたりを見ていた。

 冬の名残が深いこの時期だから、カップルはコートを着ている。彼女のほうは純白の愛らしいコートをまとっていて、長い髪が薄化粧の清楚な顔を縁取っている。あのときとはまったく別人にも見えるが、コーヒーショップで恋愛遍歴を聞かせてくれた早季子さんだ。

「足元に気をつけて」
「ありがとうございます。ブーツですから」
「僕の肩にもたれてもいいよ」
「大丈夫ですったら」

 襖の外まで見送りに出た祖母が、まあまあ、仲のよろしいこと、と笑っている。俺は三人に気取られないように、身動きもしないで考えている。

 いろはにおえどちりぬるを……いろは文字というのは風流な文言を作っているもので、特に冒頭の「いろはにおえど」はなにやらなまめかしい。

 早季子さんは見事に芳武さんとやらをたばかっているような、それとも、俺に話したほうが作り事だったとか? 前者だとしたら、色は匂うものではないのだろうか。人生経験未熟な高校生にはどちらだかわかるはずもなく、前者だとしてもどうなるものなのかもわからず、女って怖いな、と考えればいいものなのかどうかも、わからない、としか言いようがなかった。


TAKAYA/16歳/END





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NoTitle

つなぎと友達の境目が分からん。
・・・というわけではないですが、
私の場合は同じ女友達が常にいたので、その喪失感はないのですよね。
まあ、この辺は人間関係にもよりますよね。
友達と恋人は明確に分ける性格ですからね。
・・・やっていることはセックスとキス以外は変わらないですけどね。
・・・そういえば、恋をしていないのにそういうことをする主義はないですね。
その辺は誠実にやります。

LandMさんへ

いつもありがとうございます。
つなぎと友達の境目は、やはり肉体関係ですかね。
恋人と友達の差って、恋愛感情も関係あるのかな。

私にも男性の友達はいますが、深くはありませんので、友人というよりも知人に近いのかとも思います。
異性とは友達になりたくない、とおっしゃる方もいますが、異性の友人は絶対いたほうがいいと私は思います。
私なんかは昔から男性からは異性視されないので、気楽でいいですよ(^o^)

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