novel

小説52(心さえ天に舞い)

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フォレストシンガーズストーリィ・52

「心さえ天に舞い」

1

「あの日、あなたに吹きつけた逆風を
 僕はこの手で吹き飛ばしてあげたいと願った
 けれどあなたは自らの力ではねのけて
 走り続けてきたんだね

 時々でいいから立ち止まって
 振り向いて微笑みかけて
 ここに僕がいるから
 あなたを見つめているから

 その腕がしなやかにひるがえり
 ちいさなボールが天に舞う
 その脚が美しく跳躍し
 僕の心さえ天に舞う

 振り向いて僕を見て
 僕の口を見て
 愛しているよ、と告げるから

 そう、僕はそんなあなたを愛してる
 そのままどこまでも走り続ける
 あなたをこんなにも愛してる
 そう、あなたは僕のただひとりのひと」

 結婚祝いのひとつだよ、とにっこりして、乾くんが歌ったのは、シゲくんと恭子さんの門出のために書いたという、乾隆也作詞作曲のラヴソング、「心さえ天に舞い」だった。シゲくんは感動の面持ちになり、涙をこらえているかのようにくぐもった声で言った。
「……ありがとうございます。俺……恭子がテニスをしてる姿を見て、この瞬間の恭子を歌にできたらどんなにいいだろう、って考えたんですよ。でも、俺にはソングライターの才能はなくて、できませんでした。乾さんはさすがだな」
「結婚式でおまえが歌うってのはどうだ?」
「結婚式で? 俺自身のですか? うわ、それは勘弁して下さい」
「なんでだよ」
「恥ずかしいですよ」
 心底恥ずかしそうにシゲくんは言い、幸生くんが横合いから言った。
「そっか、その手があったんだ。このユキちゃんともあろう者が思いつかなくて、乾さんに先を越されてしまった。今から俺も作ったとしても、猿真似みたいなもんだしなぁ。俺は乾さんみたいに、作詞作曲両方はできないから、曲は章にお願いするしかないしなぁ。しまったしまったしまったぁ。でも、ま、いいや」
 立ち直りが早いのも幸生くんの特技ではある。しまったしまった、と嘆いたわりにはすぐさまけろりとして、幸生くんはシゲくんに言った。
「シゲさんだってシンガーでしょ? そんなことを恥ずかしがっててどうするんですか。堂々と歌わなくちゃ」
「俺はおまえみたいな厚顔無恥じゃないんだよ」
「俺って紅顔の美少年?」
「無知蒙昧の少年体型」
「……なんだとお?」
「章、うまい」
 拍手した乾くんに、そうですかぁ、幸生に勝てた? と章くんは嬉しそうな顔をし、幸生くんはふんだふんだ、といじけてみせ、本橋くんは言った。
「乾に先を越されたのは幸生同様なんだけど、実は俺もメロディだけ書いたんだよ。シゲの結婚式のための曲だ。幸生、俺の曲に詞をつけるか」
「ほお、いいですね」
「じゃあ、俺も恭子さんに捧げるロックナンバーを書こうかな。シゲさん、恭子さんの音楽の好みってどんなの?」
 こほんと咳払いをして、シゲくんはおもむろに言った。
「FSの歌だ」
「中でも特にシゲさんのソロ? そんならシゲさん、歌わなくちゃ」
「俺はいいんだよ」
「……よし、俺はそのセンで書こう」
 なにやら決意したように幸生くんは言い、乾隆也作詞作曲「心さえ天に舞い」、三沢幸生作詞、本橋真次郎作曲「恥ずかしがらないで」、木村章作詞作曲「Just marriage」の三曲が完成した。章くんの詞は英語で、乾くんの詞はシゲくんの想いを、幸生くんの詞は恭子さんの想いを表現していた。

「あなたの胸にもたれてみたら
 あなたの口からこぼれる歌
 低く甘い囁きに、私の恋心がとけこんでいく

 ラヴソングじゃないの? 
 好きだよ、って歌ってくれないの? 
 聞こえないふりなんかしないで
 恥ずかしがらないで
 好きだよ、って歌ってよ」

 ね? 最初にこの歌を恭子さんが歌って、それから照れ照れのシゲさんが「心さえ天に舞う」を歌う。そういう演出はどうですか? と幸生くんが言い出すと、シゲくんが言いにくそうに言った。
「恭子に歌わせないでやってくれ。幸生、おまえが歌え」
「恭子さんは駄目なの? 恭子さんの歌って聴いたことないな。シゲさんはある?」
「あるよ」
「……聴いたことのあるシゲさんがそう言うんだから、わけありってわけね。承知しました。「恥ずかしがらないで」は俺が歌うから、乾さんが書いたほうはシゲさんね。んで、ラストに章が自分で歌う。乾さんと本橋さんが章の曲にコーラスつける、って形でいいですか」
「了解、三沢プロデューサー」
「俺、プロデューサー? 乾さんったら、いやん」
 二次会のフィナーレの演出はそう決まりかけたのだが、ふと乾くんが言った。
「ミエちゃんが歌うってのはどう? 「恥ずかしがらないで」は女性の歌なんだから、ミエちゃんのソロってのも一興なんじゃないか。ミエちゃんだって合唱部出身なんだから」
「やめてよ。恥をかきたくない。私はシゲくん以上に厚顔無恥じゃないんだからね」
 あなたたちの前では素人にすぎない私が、歌うなんてとんでもない、と固辞して逃げ出した。
 川上恭子さんと本庄繁之くんのなれそめは、「FSの朝までミュージック」というラジオ番組がきっかけである。シゲくんが二十六歳、本橋、乾、私は二十七歳、幸生くんと章くんが二十五歳だったのだから、今から一年ばかり前だ。FM放送でのフォレストシンガーズのレギュラー番組の仕事が舞い込んできた。
「深夜も深夜、明け方なんだけどな」
 事務所の社長からその話を聞いたのは、リーダー本橋真次郎と、マネージャーの私、山田美江子が真っ先だった。本橋くんがみんなを集めて話しているのを、私もかたわらで聞いていた。
「聴取率は低い時間帯だけど、社長の交渉の結果、週に三度、俺たちが出演できることになった」
「三度っていうと、五人そろってか?」
 乾くんが問い返し、本橋くんが応じた。
「五人そろってじゃなくて、ペアだな。ふたりずつだ」
「五を二で割ると二.五じゃないか。割り切れないぞ」
「その話はあとにするとしてだ。ペアの割り振りはおまえたちが決めろと社長は言う。そこで俺は考えた。乾、おまえはどう思う? 幸生と章に組ませるとどうなる?」
「番組が滅茶苦茶になる」
 そんなことないでしょ、と割り込もうとした幸生くんの頭を、乾くんが押しのけて言った。
「そんなことはあるよ。幸生も章も乗りはじめると際限ないじゃないか。幸生はそのテンションだし、章は気分次第ってところがあるけど、馬鹿話だったら章もお手のものだろ。ラジオでその調子でやったら……想像するだに恐ろしい」
「だろ? そうなると、幸生と章は分けて、シゲか乾か俺と組ませないとどうしようもない。シゲもそう思わないか?」
「同感ですね。美江子さんは?」
「私も同感」
 同感の反対!! と幸生くんが言った。
「ラジオなんて慣れてないってのに、先輩と組んだら気を使ってまともに喋れなくなりますよ、俺」
「誰が誰に気を使ってるんだ」
「やだな、リーダーったら。俺が先輩に、です」
「俺もです。俺は幸生とがいいなぁ」
「お、章、気が合うね。俺もおまえとがいいよ」
「うーん、そうか、そう出るか……そんな気もしたんだ。そうなると……乾は誰と組んでもソツなく喋るだろうけど、実を言えば俺も……いや、俺の都合はどうでもいい。いいんだけど、最初はやりやすいようにやるのがいちばんだよな。乾と俺が組む。いいか、山田?」
「あなたたちが決めればいいよ。私は反対はしないから」
 おーし、章、がんばろう、と幸生くんは章くんの手を握ろうとして、その手を振り払われていた。乾くんは顎に手をやり、シゲくんを見やって発言した。
「シゲはどうするんだ。ひとりで担当するのか」
「……そんな……俺がひとりでラジオって……」
「待て、シゲ、おまえには心強い相手役がいるんだよ」
 ふーん、本橋くんもけっこう策略を使うんだね、と私はひそかに笑っていた。その相手役は、本橋くんと私は社長から聞いている。幸生くんと章くんをペアにすると持っていったのは、そうでないと幸生くんあたりがきっと、あ、俺はそのひとと組みたい!!と言い出すであろうと踏んでの策略だったのだろう。本橋くんはシゲくんに言った。
「プロテニスプレイヤーの川上恭子さんだ」
「……アスリートですか。俺は知らないけど……」
「俺も知らなかったんだけど、テニス界ではそこそこ名前の通った女性だそうだ。ラジオ出演の経験もあるらしいから、おまえをしっかりリードしてくれるさ」
「はあ、アスリート……でかい女のひとですか?」
「そこまでは知らないよ。シゲ、仕事だぞ」
「はい、わかりました」
 女のひとと? いいないいな、と案の定幸生くんが言った。
「俺もそっちがいいかなぁ」
「幸生、前言撤回するのか? おまえは章とやりたいんだろ」
「別に章となんかやりたくないですよ。女のひとの可愛い声と、俺のこの可愛い声が組むと、とーってもいい雰囲気になりそうなのにな」
 章くんは言った。
「おまえのガキ声と女のひとの声よりも、シゲさんの渋い声と綺麗な女のひとの声のほうがいいに決まってんだろ」
「そうか、そうとも言える」
「だろ? 俺もそう思ってたんだよ」
「リーダーの声も女のひとと組むとよさそうに思えますけどね」
「俺は女と組むと……いいんだ、決定だ」
 女と組むとなに? と追求したかったのだが、想像しておくにとどめた。女と組むと気を使うからいやだ、とでも言いたいのかもしれない。
 そうしてペアが決まった「FSの朝までミュージック」の初日は、本橋真次郎&乾隆也で、ウィークディの午前四時からはじまった。事務所のラジオをつけて、シゲくんと幸生くんと章くんと私の四人は、胸をとどろかせて番組のオープニングテーマを聴いていた。オープニング曲は乾隆也作詞、本橋真次郎作曲、エンディング曲は三沢幸生作詞、木村章作曲。歌はフォレストシンガーズ。この歌が週に三度、巷に流れるだけでも私には感激だった。
「まだ明け初めぬ都会の空に、我々の歌が流れて参りました。はじめまして、フォレストシンガーズの本橋真次郎です」
「おや、シンちゃん、どうかした? そんな二枚目声出して……」
「どうもしておりません。きみもご挨拶をしなさい」
「生まれてはじめてですよ。彼にきみと呼ばれるのは」
「乾!」
「はい、かしこまりつかまつりました。フォレストシンガーズの乾隆也です。お初にお耳にかかる方々も大勢いらっしゃるかと存じますが、フォレストシンガーズを覚えて下さいね。オープニングテーマはいい歌でしょう? 生で歌いましょうか」
「乾くん、予定にない台詞はやめなさい」
「はい、リーダー」
 ラジオ出演ははじめてではないのだが、レギュラーとなると勝手がちがうらしい。本橋くんは上がっている。私の感想をそっくりそのまま、幸生くんが口にした。
「乾さんは最初から全開ですね。二、三年レギュラーやってて、リーダーがゲストに来てるって感じ。乾さんは天性の口先男なんだ。それに較べるとリーダーは緊張してる。声が硬いですよね」
「……おまえに言われたくないってよ、乾さんも」
「そうか、章。俺は乾さんほどじゃないぞ。ああ、俺も緊張してきた。どうしよどうしよ、明後日はおまえと俺だよ」
「明後日の明後日は俺だ。うわわ……今から心臓がどきつくよ」
 どうしよどうしよ、と言っていた幸生くんだが、どうしよどうしよ、ではなく、どうしてどうして、であった。その二日後の同時刻に、幸生くんと章くんが本橋くんと乾くんに代わって、私たちは同じようにラジオに耳をかたむけていた。
「じゃじゃーん、三沢幸生登場!! みなさまー、はじめましてっ、ユキちゃんでーす。一昨日はうちのリーダーと乾さんがお耳汚しをしてしまいまして、たいへん失礼しました。僕らはあんなんじゃないよね、章?」
「やっと俺にも喋らせてくれるわけね。はじめまして、フォレストシンガーズの木村章です。この三沢幸生という男は、のっけからこのスーパーハイテンションで喋りまくるんですが、僕がこいつを抑えて抑えて抑えるように、誠心誠意つとめて参りますので、リスナーのみなさま方もご安心下さい。リーダーも安心していいですよ。それから……」
「おまえはいつまで喋ってんだよ。抑えて抑えて抑えたら、僕のこの美声が聞こえなくなるだろ」
「百分の一に抑える程度でちょうどいいんだよ、おまえの喋りは」
「あらん、もう、章ちゃんったらいやーん」
「やめろ、それはやめろ」
「楽しみにしてたのにぃ。あのねあのね、リスナーのみなさま方、聴いて下さい」
 息もつかせぬほどの幸生くんのお喋りはジェットコースター、合いの手を入れる章くんとはテンポもぴったりで、聴き慣れているはずの私たちも度肝を抜かれそうになった。
「……俺は乾さんほどじゃない? 美江子さん、よく言いますよね、こいつは……」
「ほんとだよね、シゲくん」
「どうしよう。俺は……こんなふうには喋れそうにありませんよ」
「シゲくんは幸生くんや章くんや乾くんの真似をしなくていいのよ。川上恭子さんとはお会いしたんでしょ? 彼女としっとり素敵なムードでやったらいいの」
「できるかなぁ」
 できる、自信を持て、と本橋くんと乾くんは声をそろえ、それから乾くんが言った。
「……苦情は来ないかな。幸生のこの……章のこの……やりすぎだろ」
「まさしく。しかし、おまえの喋りはけっこう好評だったらしいから、幸生も章も……しかし、俺は頭が痛い」
 先輩たちに頭痛を起こさせているのも知らぬげに、最初から最後まで幸生くんと章くんは飛ばしていた。そして、その二日後には、シゲくんヌキで放送を聴いた。
「はじめまして、川上恭子と申します」
 私は会っていないので、初に聞く恭子さんの声は、実に愛らしく耳に響いた。
「はじめまして、本庄繁之です、こんばんは。川上さん、よろしくお願いします」
「こちらこそ。本庄さんの声って素敵ですね」
「声だけはまあ……」
「お顔も素敵ですよ。みなさまにお見せしたいわ」
「見ないほうがいいです」
「どうして? うふ、あんまり言わないでおこうっと。女性リスナーの方が、本庄さんってそんなに素敵なの? って……ファックス、BBSの書き込み、お電話などなどお待ちしておりまーす」
「男性リスナーのみなさまは、川上さんにどうぞ」
 あら、なかなかやるじゃない、と私が呟くと、乾くんも言った。
「この時間帯だと恭子さんとシゲのペアがベストだな」
「章と俺は?」
「おまえらはうるさすぎだ」
「乾さんに言われたくありませんよ。けど、ほんと、いい雰囲気ですね。こうやって聴いてると、シゲさんの声って素敵だわ。俺も恋しちゃいそう」
「シゲが泣くからやめろ」
「リーダーまでそんなこと言って……章はどう思う?」
「俺も一生に一度でいいから、シゲさんみたいな声を出したい」
 俺もだよ、と乾くんも言い、幸生くんは言った。
「俺はこの声でいいもん。シゲさんの声が四つとリーダーの声だったら、ハーモニーができないよ」
「それはそれなんだけどな。まあ、なににしても、FSの三つの番組がそれぞれに趣がちがっていいじゃないか。な、本橋、俺たちは大人の男路線にしよう」
「おまえが大人らしくしないと不可能だよ」
「してみせるよ」
 翌週からも幸生章ペアは変化がなかったのだが、本橋乾ペアはいくぶん落ち着いて大人らしくなった。乾くんが時おり茶々を入れたりふざけたりするのはご愛嬌で、本橋くんも徐々に慣れていった。川上本庄ペアのしっとりいい雰囲気は週を追うごとに増していき、そしてそして、となった次第である。
 放送がはじまっていくらかたったころに、恭子さんとFSの五人に私も含めて食事をした。私とは初対面になる恭子さんは、プロテニスプレイヤーという職業から空想していた姿よりも小柄で、笑顔の可愛い女性だった。
「シゲは言ってたんだけどな」
 あとから本橋くんが話してくれた。
「腕も脚もごっつくてぶっとくて、背が高くていかつくて……タイプじゃないなぁ、だとかなんとか、会う前にぼやいてたんだ」
「シゲくんでもそういうぼやきをやるんだね」
「俺も意外だったけど、仕事だ、文句言うな、と俺が言ったら、はい、そうですね、わかりました、となるのがシゲだよな」
「章くんだったら、だってだって……でしょ?」
「だろうな」
 それにしてもそのころは、シゲくんと恭子さんが恋に落ちるとは、誰ひとり予想もしていなかった。いつからそうなったの? と尋ねてみても、シゲくんは、さあ、ええと……だったりするのだけど、俺はもてないもてないと嘆いていたシゲくんが、FSの中ではトップに結婚するのだから、世の中はわからないもんだよね、なのかもしれない。


2

 ラジオ番組にもみんながなじんできたころ、私が仕事をすませて事務所から出ると、背の高い女性の姿が目に入ってきた。視線が合ったので会釈した。
「フォレストシンガーズのマネージャーさん?」
 ヒールの音を舗道に響かせて歩み寄ってきた彼女が、私を見下ろした。パンプスのヒールが高くて、本橋くんくらいの背丈に見える。ヒールを差し引いたら乾くんよりいくぶん低い程度か。それにしても女性にしたらかなりの長身だ。モデルさんなのだろうか。売れっ子モデルだったらもっと背が高くないといけないかな、綺麗なひとだな、と私は考え、返答した。
「そうですけど」
「あのときにいたよね」
「あのときって?」
「覚えてないの?」
 あきらかに年下であろうに、面識もないはずなのに、この口のききよう。いささかむっとしてしまうのは、先輩だの後輩だのと言いたがるFSのみんなの影響を受けているからにまぎれもない。面識がない? じっと見返していると、もやもやっとよみがえってきた。
「あのときってパーティのときですか」
「そうだよ。えーと、あんたはなんて名前?」
「山田です」
「あたし、菜月」
 二十歳そこそこだろうか。今どきの若い子の言葉遣いはこんなもんだよね、と二十七歳の私は思う。五つ以上も年齢差があれば、世代は異なるのだから仕方ない。
 過日、業界のパーティに本橋くんと乾くんと私の三人で出席した。本橋くんと乾くんはいやそうだったのだが、私はそれなりに楽しんでいた。本橋くんが踊ろうと言って私をフロアに引っ張り出し、踊っているんだか口喧嘩しているんだかわからない時がすぎて、気がついたら乾くんがいなかった。
「乾はどっかでなんか食ってんのかな」
「広い会場だもんね。知り合いと会って話し込んでるのかもしれない」
「かもな。ほっとくか。俺も腹減った。おまえをリードすると疲れるよ」
「なに弱音吐いてんの? リードされてたほうが疲れたよ。ローストビーフがあるね。食べようよ」
「ダイエットするんじゃなかったのか」
「したほうがいい?」
「しなくていいけど、おまえが痩せようと太ろうと、俺には関係ねえだろ」
「そうだよね。だったら食べようよ」
 すぐにおなかが減るひとだね、と私は本橋くんによく言うのだが、私もすぐにおなかがすく。私がダイエットを意識した理由はこの女性、菜月さんだったのだと思い当たった。
 鮮やかなブルーのチャイナドレスをまとった、若い長身の美女がパーティ会場にいた。彼女はフロアに出る前の私たちを見ていた。私もあんなに背が高くてスリムだったらいいのにな、と思ったのだった。私は特に太ってはいないつもりだが、となりにこんなにもプロポーションのいいひとに立たれると居心地がよくない。私の背丈は並だけど、こんなにも背の高い女と較べるとずんぐりむっくりに思えてしまう。
「思い出しました。チャイナドレスの美女」
「あたしもあんたはよく覚えてる。山田さんだったっけね。どこかで話さない?」
「私になんのご用?」
「あんたと話をしたいの」
 私はしたくないけど、と言うと角が立ちそうなので、ふたりで近くのカフェに入った。
「……あんたは本橋さんの彼女?」
「ちがいます。あのね、あんたあんたと言われると気分よくないの。あなたはいくつ?」
「二十二」
「五つも年下じゃないの。山田さんと呼んで下さい」
「えっらそう。むかつく」
「こっちがむかつくのよ」
 のっけから喧嘩腰では、本橋くんに意見できないではないか。本橋くんは短気で怒りっぽくて、売られた喧嘩は買う、の主義の持ち主だ。フォレストシンガーズのリーダーとして社会人らしくなってきてはいるし、ラジオなどでは乾くんの言う「二枚目声」を出しての紳士的ものごしもできるのだけど、本質は変わっていない。
 対外的には大人のふりをしているものの、仲間うちでは昔のまんまだ。幸生くんや章くんが相手だと、口より先に手が出る。シゲくんにはあまりやらないけど、乾くんに口で負けそうになると、かかってこい、と言いたがる。私を叩いたりはしないけど、実力行使はやりたがる。
 そんな本橋くんと私は怒りっぽい性格は似ていて、だからこそ、年下の菜月さん相手にでも大人気なくふるまってしまうのだろう。反省して気を静めて、私は言った。
「なんのお話?」
「別に……っていうか、隆也はあたしのこと、なんにも言ってなかった?」
「隆也?」
 年下の三人はシゲ、幸生、章と名前で呼ばれているのだが、本橋、乾は姓で呼ばれるのがもっぱらだ。乾くんは本橋くんを「シンちゃん」とも呼ぶが、乾くんを「隆也」とは誰もまず呼ばない。幸生くんが芝居をはじめて「隆也さーん」としなだれかかるときくらいか。年下の女性が彼を「隆也」と呼び捨てにする。特別な仲でしかあり得ないのではなかろうか。
「……パーティのときに乾くんが消えたのは、あなたとだったの?」
「乾くんだなんてなれなれしい」
「隆也のほうがなれなれしいでしょ。そうだったのか」
「あんたと隆也ってどういう関係?」
「友達です」
「本橋さんとも?」
「FSの全員と私は友達。学生時代からの友達で、今では仕事仲間でもあるのよ」
 大学時代からよく誤解された。本橋くんか乾くんとつきあってるの? と誰彼となく何度も質問された。そのたび否定して、否定しても疑われたりもした。
「変なの。そんな友達っているの? あたしにも男の友達はいるけど、隆也とこうなってからは仲良くするのはやめたよ。男の子の友達と遊びにいったりしたら、隆也は怒るかな。隆也ってあんまり怒らないよね」
「つまらないことでは怒らないかな」
「あたしが浮気したら怒るんじゃない?」
「馬鹿みたい」
「なによ、その言い方は。どうせあたしは……隆也はあんまり怒らないけど、怒ったことはあるんだ。あたし……あたし……」
「どうしたの?」
 泣いてる? うつむいてハンカチを取り出して、菜月さんは続けた。
「前にね……あたし、外で隆也をひっぱたいた」
「あらま」
「だって、隆也が悪いんだもん。隆也はよく喋るし、なんでも知ってるし、頭いいでしょ?」
「いいほうよね」
「あたし、あんな隆也に軽蔑されたくなかったの。頭が空っぽで顔と身体だけの女だなんて思われたくなかった。モデルなんてのには世間の偏見があるでしょ? 馬鹿だと思われてる」
「そうかな」
 偏見はいくらかはあると認めよう。にしても、顔と身体はいいと自慢しているわけだ。モデルさんかと思ったのは当たっていたようだった。
「頭の悪いあたしがあんな隆也とつきあってて、なんにもついていけなくて、だからね、本を読んだりしてるの」
「いい心がけだね」
「ふんだ。あんたに言われたくないのよ。言ってほしいのは隆也……俺はきみのそういう、向上心だっけ、そういうところも好きだ、って、隆也は言ってくれたよ」
 すこしべそもかいているようだが、目がとろんとしていた。
「きみのこういうところ、ああいうところ、そういうところが好きだって、隆也は言ってくれる。嬉しい。隆也は……なんてーのか……えーとね……」
「褒め言葉の出し惜しみはしないよね。後輩たちにもそうだよ。後輩にはきびしいし、だいぶひねくれてるけど、根は……どうなのかしらね。私は乾くんと深くつきあってるんじゃないから、心の底は見えてない。あなたのほうがずっと知ってるでしょ」
「そうなの? わかんないよ」
 それでね、と菜月さんは言った。
「あのときは隆也も怒ってた。声がぐっと低くなって、いい加減にしろ、怒るぞ、って……あたし、泣いちゃったよ。怖かった。隆也が怖いと思ったのははじめてだけど……怖いけど……かっこいいっていうか……」
「ふむ、そういうものなのですか」
「隆也ってもてるんじゃないの?」
「私は存じません」
「なに気取ってんの? 教えて」
「知りません」
 本当は知ってるけど、言わないのが仁義であろう。菜月さんは口をとがらせて私を睨みつけた。
「話ってそれ? 乾くんがもてるかどうか知りたいの? 私は知らないし、どっちだっていいんじゃない? 今はあなたと恋人同士なんでしょ? 浮気してるふりをして乾くんをためそうとでも思ってる? やめたほうがいいよ」
「あんたに言われたくないし。あのときだってね、怒ってはいたんだろうけど……なんて言えばいいのかわかんない。あたしの気持ちをうまく言えないよ。あんたなんかに言ったって仕方ないんだよね」
「ちょっと、あなたが私を誘ったんでしょ? なのにその言い草はなに? ここに乾くんがいたら、びしっと叱られるかもよ。叱られたいの?」
 ぐっと怯んだ彼女に、私は顔を近づけた。我ながら意地悪な声音になっていた。
「彼は自分自身のことではあまり怒らない。あなたにひっぱたかれたって、痛いのは彼だからそんなには怒らなかったんだよね。だけど……これは本橋くんからの又聞きなんだけど、乾くんは他人のことで怒るの。私のことでも怒ってくれるよ」
「たとえば?」
「忘れた」
「そこまで言っておいて忘れた? ずるいずるーい」
 言わないほうがいいかもしれない。私の記憶の中のあれこれ。たとえば……デビュー間もないころのできごとだとか。
 あのころ、同じ事務所にジャパンダックスというロックバンドがいた。今でもいる。デビューの時期も近くて年頃も同じで、仲良くしろと社長は言ったのだが、無礼な奴らで、彼らは本橋くんを怒らせた。章くんも相当怒っていた。もとロッカーの章くんの怒りは、本橋くんとは別方向だったようだが、彼らは幾度もFSにいやがらせに出たのである。
 ジャパンダックスも現在では落ち着いて大人らしくなってきているようなのだが、あのころはひどかったんだよ、と今では笑い話になりつつあるエピソードを話してくれたのは、幸生くんだった。
「美江子さんをターゲットにして、あいつら、よからぬたくらみをね……」
「よからぬたくらみ? 私になにをしようと……?」
「言わぬが花。美江子さんにも予想はつくでしょ」
 つかなくもない。今さらでも私は腹を立てたのだが、乾くんは言ったらしい。
「乾さんがああもストレートにね……俺、唖然としましたよ。そんなことをしやがったら、あいつら、ぶっ殺してやるってさ。リーダーが焦って、乾、物騒な発言はやめろ、って止めた。逆だったら唖然としないんですけど、乾さんの台詞だとは思えなかったよ。乾さんのあの目の鋭い光。思い出すとぞくっとする。シブ、ゴン、乾さんにぶっ殺されなくてよかったね」
「…………」
 コメントのしようもなかったのだが、たしかに乾くんにはそういうところがある。平素は温厚そうに見えて、ひとたび怒りの炎が燃え上がると、目つきの鋭さが壮絶なまでになって、私もぞくっとしたことがあった。
 鋭敏な勘、常人を凌駕しそうな聡さ、炯眼さ、理論武装に達者な口、知識と語彙の豊富さ、全身にまとう知的でクールな雰囲気、涼しげな微笑、爽やかな声質、都会的な洗練された着こなし。ルックスはたいしたことがないと本人は言うし、俺は金沢生まれの田舎者だよ、とも言うのだが、すべてをひっくるめて、外見だけではない要素が、彼をかっこいい男に見せているのだろう。
 上っ面だけの化けの皮は容易に剥がれる。外見がどんなに美形でも、総合的な乾くんのかっこよさにはかなわない。昔から彼はどこか超然としていて、章くんを悔しがらせたりもしていたけれど、幸生くんはそこを見抜いて敬慕していた。シゲくんは無意識的になのかもしれないが、乾さんはさすがだな、と始終言っていた。
 同い年のライバルなので、本橋くんはあからさまには口にしないけど、時おりぽつりと漏らす。あいつは俺とはできがちがうんだよ、なのだそうだ。あいつと較べたら俺は凡人だ、普通だ、も本橋くんもよく言っている。
 理性と知性の香りのみならず、秘めた野性と闘志もたいしたものだし、彼がもてるのは無理もない。私? 私は本音を言えば、乾くんには私みたいな平凡至極の女では無理よ、である。
 自分が殴られたってたいして腹は立てないけど、私が男に暴力をふるわれたりしたら、乾くんは敢然と立ち向かった。それは本橋くんだって、他の三人だって同じなのだけど、乾くんが口先男ではないのは、私はよくよく知っている。菜月さんには深くは知らないと言ったけど、知っているつもりだ。
 そんな乾くんの恋人、つきあいにくいかもしれない。ましてこんなに若い菜月さんでは、自身のコンプレックスも相乗して焦れたくなるだろう。彼女の気持ちもわかる気がした。
「山田さん、なに考えてんの? 話して」
「私のことは忘れたけど、後輩たちにまつわる話をしようか」
「後輩たちって男でしょ。あたしは女に対する隆也を知りたいの」
「私も女だけど、乾くんは私を女としては意識してないよ」
 たぶんこれも嘘。友達でもあるけれど女でもある、と乾くんは意識している。おまえは半分男だ、と決めつける本橋くんだって、私を女と見ていないわけではないのだから。
 つきあいが長くなってくるにつれて、ひとつ、またひとつと彼らの心の底が垣間見えた。私は傍観者の立場でいる場合が多いから、彼らの会話や議論や口論や、日常のひとこまを見ては考えている。女の私は仲間はずれ、とかつてはひがんでいたけれど、それゆえに見える部分もあるのだと知った。男同士では言いづらいことがらを、私にだけは話してくれたりもするのだから。
「あんたと話しても役に立たない」
「たしかにそうかもしれないけど、あなたって失礼だよね。さっきも言ったよね、私。私だからじゃないのよ。彼にとって作別な存在であるあなたが、彼にとって特別な存在である人々、そういう相手にあなたがそういう態度を取ったら、乾くんは叱るよ。叱ると怒るのニュアンスの差はわかるでしょ? 乾さんに怒られた、って後輩たちはよく言ってる。怒られた、って口から出てるけど、実際には叱られてるの。乾くんだって時には怒るよね。かっかともするよね。だけど、大切なひとには叱るの。もどかしいな、私にもうまく言えないんだけど……」
「あたしは隆也の特別なひと? 大切なひと?」
「そうに決まってるじゃないの」
 くだくだしい私の台詞の中の、耳においしい部分のみを心に留めたらしい。菜月さんの視線が宙をさまよった。
「……ほんとにそう?」
「私は乾くんじゃないから……だからそうとは……ううん、きっとそうよ」
「信じていい?」
「本人に確認しなさいよね。だからね、そういうあなたなんだから、態度を改めて……」
「こんな態度だから、あたしは本橋さんたちにも紹介してもらえないの?」
「紹介してもらってない……そうみたいね。菜月さん……」
 なにを話したくて私を呼び止めたのかと思えば、結論はこれだったのか。
「あたしなんか……友達に紹介してももらえない……」
「うーん、困ったね。いくら私でも、彼女をみんなに会わせなさい、とは言えないな」
「いくら私でも?」
「仕事の面ではマネージャーだけど、プライベートではただの友達なんだから、って意味です。姉さんでもないんだから」
「言えない?」
「言えません」
 切ない吐息をついて、菜月さんはコーヒーカップを見つめていた。彼女の心のさざ波が、カフェオレのおもての小さな波と同化して揺れている。そんな頼りなげな風情に見えた。


 思い起こせばパーティの後、乾くんはほんのちょっぴり様子がおかしかった。さして気にしていなかったのだが、そういうわけであったらしい。学生時代は互いの恋愛にお節介も焼いたけど、もう大人なんだし、よけいな口出しはできない。
 美人だけど子供、の菜月さんに、乾くんは手を焼いているのだろうか。菜月さんは菜月さんで、自身の気持ちすらつかみ切れず、クールな乾くんに焦れている。二十七歳と二十二歳、世間にはざらにあるカップルだが、乾くんは大人びていて、菜月さんは子供っぽいから、年齢差以上の差があるのかもしれない。
「美江子さん、ごはん食べにいきません?」
 気にはなっても乾くんに質問もできず、菜月さんと話した夜から何ヶ月かがたって、仲間のうちのもうひとりの恋人、シゲくんの恋人以上の婚約者である恭子さんから電話がかかってきた。
「シゲくんとデートしないの?」
「シゲちゃんとなんかしない」
「あらぁ……喧嘩したの?」
「その話を聞いてほしいんです」
 菜月さんは私より五つ年下で、友達にはなれそうにないタイプだと思える。恭子さんにしても四つ年下だが、彼女とは友達になれそうだ。私の周囲には女友達は数少なくなり、女同士のデートもめったにするおりがないので、いそいそと恭子さんとの待ち合わせ場所に出かけた。
「おいしい店があるんですよ。案内しますね」
「楽しみ。なんの店?」
「メキシコ料理です」
「タコスとか?」
 アスリートは身体を酷使するのだから、食べないと保たない。食欲旺盛タイプのシゲくんとはそこも合うのだろう。恭子さんは少々元気がなかったのだが、よく食べた。
「おいしーい。美江子さんも彼と来たら?」
「うん、おいしいね……私の彼はいいのよ」
「いるんでしょ?」
「その話はいいのよ。恭子さんの話は?」
「食べるのが一段落してから言います」
 そう言ったくせに、もりもり食べながら恭子さんはこぼした。
「シゲちゃんってばね、知ってはいましたよ。女心のわからない鈍感男」
「本橋くんと同類だものね。あのふたりは大いに似てる」
「本橋さんは知りませんけど、シゲちゃんはそうですよ。シゲちゃんは忙しいから、ウェディングドレスの試着だとかについてきてくれられないのは我慢しますけど、相談してもなーんにもわかってないの。ベールってあれか? 分厚い生地の黒いやつ、目だけ出してる……それってイスラムのなんとかでしょ」
「ああ、二カーブとか言うんだよね」
「一事が万事、その調子なんだから。些細な発端なんですけど、シゲちゃんがあんまりなんにもわかってないから頭に来て、そんなひとと結婚してもやっていけない、って言っちゃって……」
「そこから喧嘩? シゲくんはなんて言い返したの?」
「おろおろしてました」
 いざとなれば言うべきことは言うシゲくんなのだが、幸生くんにでも常々言い負かされてたじたじしているのだから、恭子さん相手だとなおさらだろう。
「シゲちゃんはあまり言い返さないから、私はよけいに苛々しちゃうんですよ」
「言いたいだけ言えばいいじゃない。シゲくんは怒らないでしょ」
「怒らないからよけいに苛々するんです」
 乾くんと菜月さんのもめごと、シゲくんと恭子さんのもめごと、かなりの差のある諍いだろう。恭子さんにならば、怒らせたいの? と尋ねたくなる。菜月さんには、叱られたいの? と尋ねた。ずいぶんとニュアンスがちがう。私の想像の中では乾くんと菜月さんは対等の関係ではなく、乾くんの目線が上にある。恭子さんはシゲくんを見下ろしているのか。
 そこまでではないにせよ、シゲくんと恭子さんの結婚後の関係も想像がつきそうだ。いわゆるカカア天下ってやつ? シゲくんにはそっちが似合う、なんて言ったら、シゲくんは気を悪くするだろうか。
「私がばばばーっ、って機関銃連射口攻撃しても、うん、ああ、おお、なあ、恭子ぉ……って、こんな感じ。あれって三沢さんの口マシンガン攻撃をかわすのに慣れてるからですか」
「そうかもしれないね」
「でね、私のほうがすっごく怒っちゃって、ひっぱたいてやろうかと思ったんだけど……」
「恭子さんでもそんなに怒るの?」
「怒りますよ。でも、手を上げようとする寸前になにを察したのか、シゲちゃんはひっくり返ってしまいました。なあ、喧嘩はやめようよ、ってのほほんと言うの。気が抜けたわ」
「シゲくんの戦法かな」
「そうなんですかね。ちがうと思うなぁ」
「幸生くんの口攻撃には、シゲくんはこうだよ」
 おまえはなぁ……がシゲくんの口癖のようだ。あまりにも幸生くんの口がすぎていたりすると、そこに本橋くんがいれば、ものも言わずに幸生くんの頭をごつん。章くんはなにか言いながら幸生くんの足を蹴飛ばす。乾くんは理路整然と幸生くんにお説教をする。私はたいてい静観している。
「シゲちゃんはひとりで解決できないんですか」
「しようと思えばできるんだけど、シゲくんの役割じゃないって決めてるみたい」
「シゲちゃんは誰かを怒らせないの?」
「シゲくんが誰かを怒らせた? 私の知ってる限りでは皆無だよ。シゲくんが怒ってる姿もめったに見ない。ちょっとだけ怒ってるくらいだったらあるけど、心底怒ってるシゲくんと幸生くんは……ないと思うな。本橋真次郎を怒らせるには刃物はいらぬ。卑怯者、臆病者、と言えばいい」
「木村さんは?」
「ロックなんて最低の音楽だよ、でよさそうね」
「乾さんは?」
「あれは難物だね。咄嗟には出てこない。幸生くんはさらにだな。シゲくんを怒らせるには……」
 なんですか、と恭子さんは瞳をきらきらさせた。
「あるかもね。恭子さんを人質に取ればいいのよ。仮定の話だから怒らないでね。恭子さんを楯に取って、この女に危害を加えるぞ、それでシゲくんは燃え上がる。炎のかたまりになってそいつに突進して吹っ飛ばすね」
「そうかな」
「前に章くんが言ってたっけ」
 話のつれづれに、私は章くんに尋ねた。章くんとふたりきりで話していた際だった。
「章くんにもあるんだよね。俺は男だから、って矜持ってのは」
「あるんでしょうね」
「あるから言うんでしょ? 男らしくなりたい、俺は男らしくない俺が情けない、よく言ってるじゃないの」
「言ってますね。でも……美江子さんにはないんですか?」
「私は女だから、って矜持? 女らしくない私が悲しい? あんまりないな。女はそういうことはあまり考えないよ。どうしてだろうね」
 それって女性一般ではなくて美江子さんだからでしょ? と章くんの目が語っているように思えたが、追求はせずに言った。
「俺は男なんだから、って男が思うようには、女は思わないの。どうしてだかは知らないけど、そういうものだよ。人類の歴史も関係あるのかもしれないけど、ややこしくなるからその話はどけておこうね。私たちの話をしよう。本橋くんはいつも言うじゃない? 男だろ、しっかりしろ、男のくせになにをうじうじしてるんだ、とかなんとか」
「そう言われるのはもっぱら俺」
「彼は自らにもそう言ってるよ。幸生くんだって言うじゃない? 幸生くんの場合はジョークも入ってるけど、シゲくんもだよね。乾くんもそうだよね。本橋くんとはちがった形でだけど、俺は男だ、おまえは男だ、ってね。さりげなく匂わせたりするところが、本橋くんと乾くんの差かな」
 男と女はちがうんだよ、って、男には当然の論理なのだろう。乾くんや本橋くんが口にすると反発したくなるのだが、あの日の私は言った。 
「男と女はちがうっていうのはたしかなんだろうね。変なたとえ話だけど……たとえば、真夏の街を章くんが上半身裸で歩いていたとする」
「俺はそんなことはしません」
「だから、たとえ話だってば。章くんがそうしていたら、道行く人々はびっくりするだろうね。びっくりはしても、元気なお兄ちゃんだな、って苦笑いして通り過ぎる。私だったらどう?」
「美江子さんが上半身裸で……」
 なにやら妄想しているらしい章くんをちろっと見てから、私は続けた。
「警察に通報されたりして」
「そこに乾さんが通りがかったとしたら、乾さんはきっとこうする。自分の着てるシャツを脱いで、慌てず騒がず美江子さんに着せかけて、ミエちゃん、おうちに帰ろうね、いい子だからね、って……なだめて歩き出す。シゲさんもそうしそうだな。シゲさんだと台詞がちがうかな。美江子さん、しっかりして下さいっ!! でしょうね。シゲさんは慌てず騒がずじゃなくて、大慌てで乾さんと同じようにして、大慌てで美江子さんの手を引っ張って歩いてく。本橋さんもそうするかもしれないけど、美江子さんを抱きかかえて走り出すかもしれない」
「そんな感じだね。章くんや幸生くんだったらどうするの?」
「幸生はまずはじっくり見てから……じゃないのかな。いや、俺はそんなふうにはしませんよ。俺だったら乾さんと同じようにふるまいます」
 ほんと? ではあったのだが、そう言うと章くんは、美江子さんの裸なんか見たくもないよ、と言いかねない。だから言わずにおいた。
「一例を上げればそんな感じだけど、他のことでもそうだよね。男と女はちがうの。男と女は平行線なんだわ」
「美江子さん、恋の悩み?」
「そんなんじゃありません。仕事だってそうだよ。仕事には男も女もないはずなのに、私は女だからって……ひがんでるのかな。私はそんなに、私は女だからなんて意識してないのに、周囲が意識させるのよ」
「本橋さんとか?」
「あいつはそんなでもないほうよ」
 思考がわき道にそれかけていたのを引き戻して、私は恭子さんに言った。私が上半身裸で街を歩いていたら、の部分を抜粋して話すと、恭子さんはころころ笑った。
「シゲちゃんだったらまちがいなくそうですよ。木村さんもよく観察してますね」
「恭子さんもそう思う? だけどね、シゲくんってほんとに、いい意味で男らしい男だと思うよ」
 男らしいと一般的に言うのは褒め言葉だろう。今どきの女が男に「あなたは男らしいね」と言ったとしても、褒めているとは限らない。馬鹿じゃないの、という意味で私も本橋くんなんかには言う。本橋くんって悪い意味で男らしいよね、章くんもだね、と感じているのだが、それは置いておいて私は言った。
「シゲくんは無口ってほどでもなくて、あの乾くんと幸生くんと章くんとに圧倒されて、口をきく機会が少ないのかもしれない」
「私もね」
「私もだね。本橋くんも口ではシゲくんには勝つ。口達者がそろってるんだな、うちは。シゲくんはすこしちがってて、不言実行のどっしりした男じゃないの。私は昔から思ってた。一般論として、FSの男性たちの中で結婚相手を選ぶんだったら、シゲくんがベストだなって」
「そう……なんですか」
「私がシゲくんに恋して言うわけじゃないのよ。恭子さんにはわかってるよね。私、シゲくんにも直接そう言ったの。そしたらシゲくんは、ぎょぎょっとしてあとずさりしてた。プロポーズしてるんじゃないから安心して、って念を押したら安心してた」
「目に見えるみたい」
「幸生くんだと私がそう言ったら、こう出そうね」
 美江子さんからプロポーズしてもらえるだなんて……はい、結婚しましょう、と私の手を握り締めそうだね、と言うと、恭子さんはいっそう笑った。
「そんな三沢さんに鍛えられてないんですね、シゲちゃんは」
「鍛えられないタイプなのよ。シゲくんはどしっとしてるの」
 昔はそうでもなかったし、彼とてうじうじ悩んでいたりすることもあったのだけど、本質的にシゲくんは大地にしっかと脚を踏みしめて立つ、気は優しくて力持ち、そのものズバリなのだと私は思う。
「恭子さんはいい男を選んだのよ」
「そう、かなぁ」
「そうだって。ウェディングベールの像が結べないのなんて大目に見てあげたら?」
「そうします。美江子さんも口がうまいのね」
「そうかしら。乾くんには負けるわよ」
「シゲちゃんが言ってましたよ」
 今度は恭子さんが話してくれた。
「人間の中身ってのはひとことでは括れない。あんな面もこんな面もある。本橋さんと乾さんはちがった中身を持ってるけど、どちらもいい男だよ。俺はあのふたりの先輩についてきてよかった。俺はあのひとたちの後輩でよかった、って」
「いかにもシゲくんらしい台詞だね」
「幸生はわけのわからない奴だけど、俺はあいつが好きだよ。章は以前はどうしようもなかったけど、だんだんやりやすくなってる。美江子さんは……」
「私はなに?」
「美江子さんも先輩として尊敬してる。俺はいい先輩に恵まれて幸せだよ。売れてなくても最高の人生だよ、だって。うらやましいです、私。フォレストシンガーズのみなさんの関係が」
「正直言って私もうらやましい」
「……そうなんですね」
 ふたりの喧嘩の話から、フォレストシンガーズのみんなの関係に移って、ふたりしてなんとなくしんみりした。恭子さんはワイングラスを上げた。
「私もみなさんの仲間入りをさせてもらえます?」
「もちろん」
「及ばずながらですけど、よろしくお願いします」
「私も及ばずながらなんだけど、お互いにしっかりやりましょうね。よろしく」
 かんぱーい、とグラスを合わせて、よかったね、シゲくん、と心でつけ加えて、乾くんも菜月さんと……と考えかけて、むこうはハッピィエンドとはいかないかもね、とちらりと考えた。


3

 じゃあね、バイバイ、とルッチとターコは手を振り、社長はやれやれ、といった顔をしている。私は社長に尋ねた。
「どうかしたんですか、社長?」
「ジャパンダックスを解散するんだそうだ。私には事後報告ってわけだな。決めたものはしようがないがな」
「どういった理由で?」
「彼女たちに訊きなさい」
 話してくれるの? と問いかけたら、ターコが応えた。
「山田とゆっくり話すなんてはじめてかな。はじめてでもないか。前には猛烈な喧嘩をしたよね。ね、ルッチ?」
「だねえ。なつかしいね。山田、あたしたちの話、聞く?」
「話してくれるんだったらね」
 山田山田と呼び捨てにしないでよ、と私が食ってかかったのがきっかけだったか。ターコの言う猛烈な大喧嘩をしたのは、ジャパンダックスもフォレストシンガーズもデビューしてから数ヶ月ばかりがたったころだった。
 そもそも私は彼女たちが気に入らなかった。ジャパンダックスにはあとふたり、シブ、ゴンという愛称の男性がいるのだが、彼らも当然気に入らなかった。最初に彼らに腹を立てたのは本橋くん、続いて章くん、他の三人も気に食わない奴らだと思ってはいたようだが、本橋くんや章くんほどには怒りっぽくない三人は、どうにか心を鎮めていた。
 ジャパンダックスはフォレストシンガーズとの初対面のおりから、ださいグループ名だとかださい音楽だとか、ださいルックスだとか、ださいださいを連発したらしい。
「あいつらにださいと言われてもどうってことないけどね」
 乾くんはそう言ったのだが、いくぶん気分を害していたらしい。幸生くんはこう言った。
「どっちがぁ? って感じ。俺は誰がなんと言っても、シブやゴンよりはかっこいいよ」
「あんなのと較べたら俺だってましだろ?」
 シゲくんも言い、さあ、どうだろ、と幸生くんは切り返し、本橋くんに怒られていた。そんな彼らの気持ちが伝染したのでもないけれど、私もジャパンダックスには敵対心を抱いていた。おまけにあれもある。最悪の事件は未遂に終わっていたが、わだかまりは残っていた。それでも私は関知しないと決めていたのだが、ルッチとターコと私の三人になったときに、喧嘩が勃発したのである。
「私はあなたたちのマネージャーじゃないんだし、友達でもないの。呼び捨てはやめて下さい」
「本橋はあんたを山田と呼んでるじゃん」
 ルッチはしらっと言い、ターコも言った。
「男にだったら呼び捨てにされてもいいのか。あんたら、実は……じゃないの?」
「実はってなに? 本橋くんは昔からの友達だし、あなたたちとは立場がちがうでしょうが」
「友達……ねぇ。ね、ね、ターコ?」
「友達ってのはなんなんだろうね。女ひとりで男を五人手玉に取ってるってのは、あんたのその肉体を武器にしてってのか……武器にできるほどの肉体でもないか」
「顔もたいしたことないもんね。あたしらのほうがずーっと美人だよね」
「そりゃそうだよ、ルッチ。山田はたかがマネージャー、あたしらはこの美貌も売りにしてるミュージシャンだもんね。較べられたくないよね」
「でもさ、ターコ。男からするとこの女は、なにかしら特別な魅力っての? 女同士ではわからない……きゃあ、やーだ」
「なに言い出すんだよ。ルッチったら。でもでも……そうなの、山田?」
 下劣な笑みを浮かべて私を見るふたりの女に、アッパーカットでも食らわせてやりたいと心底思った。ううう、ううう、と唸りながらこぶしを握ったり開いたりしていたのは、殴りかかったら駄目だよ、と必死で自分をなだめていたからだ。私に武器があるとすれば言葉ではないか。なんと言い返すのが効果的だろう、と脳をフル回転させていたら、ルッチがにやにやと言った。
「ほんとのことだから言い返せないんだね。そうだったのか」
「あいつらも変な趣味だね。男五人と女ひとりでベッドで……」
「……いい加減にしなさいっ!!」
 こういうときは乾くんのようにクールに、それでいて声音には本橋くんのような恫喝の響きを込めて、感情的にならずに理性的に話さないといけない。頭ではわかっていたのに、怒鳴ってしまった。
「黙って聞いてりゃ言うにことかいて、あんたたちは彼らをも私をも侮辱したのよ。あやまりなさい」
「本当のことを言ってなにが悪いんだよ。ね、ターコ?」
「そうだよね。あんたも本当のことを言われたから怒ってんだろ? おーお、すげぇ鼻息……きゃああ、吹き飛ばされそう」
「ターコ、しっかりしてっ!!」
「怖いよぉ。山田の顔が鬼みたいになってるよぉ」
「怖いねぇ。山田ぁ、そんなに怒るなよ」
「……どこまでもどこまでも……ふざけるなっ!!」
 きゃああっ!! と裏声で悲鳴を上げて、ふたりは寄り添った。そこに登場したのがシブだった。太った身体をゆさゆさ揺すってやってきたシブは、きょとんとして尋ねた。
「今の、誰の声だ? ルッチとターコか。おまえらにもそんな声が出るんだな。どうした? 山田がなにかしたのか」
「そうなんだよ」
「殴るわ蹴るわ、もう無茶苦茶。これでも女か、この女は」
「あたしらじゃこの女の暴力にはかなわないよ。シブ、なんとかして」
 口々に訴えるルッチとターコを交互に見て、シブは言った。
「それはないでしょ、山田? 女同士で暴力沙汰の喧嘩はよくないよ。ルッチとターコにあやまれ」
「あんたは引っ込んでなさい。あやまるのはそっちのほうです。私があんたたちのどこを殴ったり蹴ったりしたって? 証拠を見せてもらいましょうか」
「見せられないよ」
「シブがいたら見せられない場所だもんね、ターコ?」
「そうそう。なににしたって無茶苦茶されたんだよ。この女って最低」
「あたしらが殴られた分、シブのその馬鹿力でやり返してよ」
「俺が?」
 さすがにためらってはいたようだが、ルッチとターコにやってやってとそそのかされて、シブが一歩踏み出した。
「……やろうっての? やってもらいましょうか。私はルッチにもターコにも指一本触れてないけど、あんたが信じないんだったらやったらいいじゃない。証拠もなしに彼女たちの言い分を信じるって言うんだったらね。仲間の台詞のほうが、たかがマネージャーの台詞より重みがあるのは当然よね。どうぞ」
「なーんて強がり言ってるのは、あいつらに泣きつくつもりだろ。本橋は喧嘩が強そうだもんな。あんたを殴ったりしたら、本橋に言いつけて仕返しさせるんだろ。俺は本橋には勝ち目がなさそうだもんな」
「言いつけたりしない。見くびらないで」
「どうだか」
 このたぐいの台詞も、時として聞く。いつか章くんまでが言った。
「なにがどうなったって、本橋さんも乾さんも本庄さんも美江子さんの味方ですよね。幸生もそうだろうけど、あいつは数に入れないにしても、美江子さんはいいよね。いざとなったら強い男が助太刀してくれるんだもんな。だから俺は美江子さんにはさからいません」
「さからいたかったらとことんさからえば? なにが言いたいの?」
 ぼそっと言ったのは、けっ、女のくせに……だった。むっかーっ、とした私の心境は、シブに似た台詞をぶつけられたときと同様だった。あのときも私は章くんになんと言い返そうかと悩んでいて、章くんは私を睨んでいた。いくばくの時が流れたのかは定かではないが、気がつくと乾くんがそばにいた。
「なにを睨み合ってる? ミエちゃんがそんなにおっかない顔してると、高校教師みたいだね。幸生、章をどこかに連れていけ」
 気がつくと幸生くんもいて、章くんを引っ張っていった。章くんは素直に幸生くんについていき、乾くんは言った。
「章って奴はね……考えが足りないんだよ。深く考えもせずにぽろりと口から出しては後悔する。俺もその傾向あるけどね」
「乾くんはそんなんじゃないくせに……」
「いいや。俺も似たもんだよ。ミエちゃん、章を許してやって」
「事情も知らずにそう言うの?」
「事情は知らないけど、章が悪いに決まってる」
 きっぱりと言われて、私は軽い調子で言おうとつとめつつ口にした。
「本橋くんが来たんじゃなくてよかったのかな。本橋くんはじきに手を上げるものね」
「事情を聞くと俺も章をぶん殴りたくなるかもしれないよ。殴っていい?」
「駄目。だったら話さない」
「章は幸生に話してるだろうな。こういうときは幸生にまかせるのが一番だよ。待とう」
 待っていたら章くんがやってきて、美江子さん、すみません、としょんぼりと頭を下げた。
 これでよかったんだろうな、とも思ったけれど、あのときも私は悔しいと感じていた。私では解決できない。章くんに言い返せない。いざとなったら強い男が味方してくれるから強気に出られる? その通りかもしれない。あとから乾くんと話した。
「男って男の言うことしか聞かないんだよね」
「章? あいつは男の言うこともなかなか聞かないよ」
「沖縄でも……」
 デビューしてから一年足らずの夏の終わりに、私がマネージャーとして同行した仕事が終わったころに、私は章くんと大喧嘩をした。章くんがなにを言ったのかを明確に聞いていたのはシゲくんのみで、乾くんは私に尋ねた。
「章はなにを言ったの?」
「忘れた」
 美江子さんは虎の威を借るなんとかだ、と章くんは言ったのだ。なにやらひどく苛々していたらしい章くんの心に油を注ぎかねない台詞……女の子にふられたからって云々、と言った私もよくないのだから、乾くんには言わずにおいた。
「今は章くんはそうでもなくなったと思ってたけど、本音はああなのかしらね」
「本音かぁ。章の本音は俺にも読めないな」
 そんなこんなを思い出す。本橋くんか乾くんが助けてくれると? だからこそ私は強く出られる? そうなのかもしれない。シブの言い分は当たっているのかもしれない。言い返せなくなってくちびるを噛んでいると、シブが焦りはじめた。
「ほら、来た。やべ。ルッチ、ターコ、行こう」
「逃げるの? だらしないな。来たのは本庄だよ。あいつは怖くないだろ」
「本庄か。そんなら……ってこともなさそうなんだよな。あいつもけっこう……」
 こそこそと言い交わしているルッチにターコにシブ、怒りの持って行き場がなくなって突っ立っている私を、シゲくんはしばらく眺めてから発言した。
「なにかありました?」
「山田があたしたちに暴力ふるったの」
 ルッチが言い、ターコも言った。
「あたしたちはなーんにもしてないのに、目茶目茶に殴られたんだよ。本庄、あんた、どう思う? あたしらでは山田の暴力に対抗できないから、シブに仕返ししてもらおうかなって」
「美江子さんがあんたたちを殴った? まさか」
「ほんとだもん、ね、ルッチ?」
「ほんとだよ。なんであたしらがそんな嘘をつくんだよ」
「あんたたちの台詞なんか俺は信用できないんだよ。根拠はあるだろうが。今まであんたたちは俺たちになにをした? 今度は言いがかりつけて、美江子さんまで巻き込もうってのか。美江子さんに手を出すな。やりたいんだったら俺が受けて立ってやるよ。美江子さんがこのひとたちを殴ったなんてのは絶対に信じないけど、やりたいんだったら俺がやってやるよ。シブ、やるか」
「……いや、あの……」
 やれよ、シブ、とターコは言い、私はシゲくんに言った。
「シゲくんってそんなに私を信用してくれるの? 私だったらやりかねなくない? なにか理由があったとしたら、このひとたちをひっぱたくぐらいはやるかもよ」
「こいつらと美江子さんは仕事のつきあいでしょ。そんなひとを美江子さんは殴ったりしません」
「ありがとう、信じてくれて。そうだよ、私はなんにもしてない。喧嘩はしてたんだけど、でも、シゲくんたちのマネージャーの私が、よそのグループのひとたちと喧嘩していいわけはないんだよね。社会人としてはしてはいけないことをしました。そういう意味で謝罪します。ルッチさん、ターコさん、すみませんでした」
 え? ええ? とルッチとターコは顔を見合わせ、ややあってルッチが言った。
「シブにはあやまらないの?」
「シブさんにあやまる筋合いはありませんから」
「ターコ、どうする?」
 またしてもこそこそ相談してから、ターコが言った。
「んんと、ごめんね。言いすぎた」
「冗談だったんだよ。ごめんね」
「……言っていい冗談とよくない冗談があるよね。でしょ、シゲくん? 幸生くんは朝でも昼でも夜でもジョーク三昧で生きてるひとだけど、そのへんはわきまえてない?」
「わきまえてるんですかね。どうでしょう? えーと……あれは……これは……」
 らしくない長広舌をふるっていた際も、シゲくんは激してはいなかった。内心ではどうだか知らないけど、表面上は静かだった。えーと……と悩みはじめたら、完全にいつものおとぼけシゲくんに戻ってしまって、まずルッチが笑い出し、ターコも笑い出し、シブまで笑って私も笑って、しまいにはシゲくんも笑い出した。
「雨降って地固まるっていうの? あれからちょっとずつ和解したのかもね」
 あれから三年ほどたつ。今夜はルッチとターコと三人で、ファミリーレストランで向き合って穏やかに話していた。
「なのに解散? どうして? 音楽的見解の相違?」
 含羞の表情と見れば見られる顔をして、ルッチが言った。
「できちゃったんだよ」
 横でターコが、そういうこと、と呟いた。
「できちゃったってのは……訊くまでもないか。昔もこうやって……昔はどうでもいいね。そっか。シブくんかゴンくんの子供?
ちがうの? 失礼しました。今、あの喧嘩のときに私が怒ったのとおんなじようなこと言ったね」
「あの喧嘩は忘れようよ」
「忘れようね、山田?」
「そのほうがお互いのためかもしれないね」
 あれからだっていろんなことがあって、フォレストシンガーズもジャパンダックスも、それぞれの道を一生懸命歩いてきたはずだった。いまだに彼らは私を山田山田と呼ぶけれど、愛称のようなものなのだろうと考えている。私だけではなく、FSのみんなを彼らは姓で呼び捨てにする。
「解散ったってすぐにじゃないよ。一応はプロなんだしさ、簡単に、はいさよなら、ってわけにもいかないんだよね」
 いつになくしみじみと、ターコが言った。
「あたしら、売れなかったもんな。乾に言ったんだけどさ……」
「ああ、言ったね。あたしだっけ、ターコだっけ?」
「どっちだったかな。どっちでもいっしょじゃん」
「なんて言ったの?」
 あたしらは売れるけどあんたらは売れない、あたしが保証してやる、だったのだそうだ。
「……ひどーい」
「ひどいよね。ほら、若気の至りって言うじゃん。まあまあ、そういうことにしておこうよ」
「売れなかったのはあたしらもだよ。それだけのせいでもないけど解散すんの。あんたら……ってーか、本橋たちは続けてくの?辛抱強いんだね」
「もちろん続けていく」
 代表して私が宣言するのは僭越かもしれないけど、彼らもそう決めているはずだ。ふたりしてうなずいて、ルッチは言った。
「あたしも子供を生んだら復活するよ。ターコは別のバンドでやるんだよね。がんばれよ」
「あんたもがんばれよ、ルッチ。山田たちもね」
「もっちろん」
 若気の至りか、章くんも言っていた。俺、若かったからね、美江子さん、いろいろと失礼しました、だなんて。
「あたしさぁ……」
 別れ際にルッチが言った。
「本庄って奴にちょっとね……」
「ちょっと、なに?」
「本庄は結婚するんだろ。あたしも結婚するんだし、今さらなに言ってんの、っての?」
「え? それって?」
「そうそう、ルッチは本庄繁之が好きだったの」
「ちょっとだけだよ。ほんのちょっと」
「……へええ」
 ま、なににしても、とルッチが咳払いした。
「本庄にもよろしく言っておいて。あんたも私生活でもがんばれよって。結婚生活は別の意味で大変だろうからね」
「あんたの台詞だと思えない。山田、あたしらもがんばろうね。ルッチでさえも結婚できるんだから、あたしらだっていつかはできるよ」
「ああ、がんばりなよ、山田もターコも」
「くそ、余裕の台詞」
 じゃ、バイバイ、と手を振って、ルッチとターコは消えていった。結局私は、ジャパンダックスのみんなの本名を知らないままだったと気づいたのは、ふたりとさよならしてからだった。


 もてないもてないと嘆いてばかりだったシゲくんも、もてた経験はあるんだね、と思うと笑えてきた。けれど、ルッチの言う通りだ。シゲくんを好きだったというルッチも結婚する。ルッチに好かれていたとは露ほども知らないであろう、シゲくんも結婚する。時は流れたんだな、と感慨深くなっていると、乾くんが私の顔をじっと見た。
「思い出し笑いしてる?」
「してないよ。ううん、笑ってはいないけど思い出してたの。学園祭の準備とか……」
「学園祭?」
「そう。うちの大学では力仕事となると、男の子が手を貸してくれたよね」
「それは当然でしょう」
「当然なの? 女子大に行ってる友達に言われたな」
 高校時代の女友達を一年生のときの学園祭に招いたら、彼女は言ったのだった。
「あの看板なんかは男子がやったんでしょ? あんな高いところにあんな重そうな看板をかけるのは、美江子の大学では男子の役目だよね」
「あれは合唱部とは関係ないけど、たぶんそうだと思うよ」
「うちはみーんな女子がやるんだよ。女子しかいないんだから当たり前かもしれないけど、力仕事をしてくれる男手はないの。だからなんだよね」
「ん?」
「女子校出の女は強い」
「ああ、そうなんだ」
「美江子も強いんだろうけど、共学出身の女よりも、女子校育ちはもっと強いの。参ったか」
「……私はそんなに強い?」
「強くないつもり? 弱いふりなんかしても似合わないよ。ま、女子校育ちはその分、羞恥心欠如になるってのもあるかもしれない。うちの大学の中等部から上がってきた子なんか、筋金入りの女子校育ちだからね、時々呆然としちゃうよ。良し悪しって部分もあるんだけどね」
 友人の話をかいつまんですると、乾くんはうなずいた。
「ふむふむ、わかる気もするけどね。女子校なんてのは男の入り込めない世界だから、優雅なお嬢さまたちが集ってるのかと思うけど、そうではないんだな」
「ないみたいね」
「で、そこから話がどこへ行くの?」
「……見通されてる」
「見通してないから訊いてるんだよ」
 そこからここへとつながるのは、ジャパンダックスの解散から、彼らとの喧嘩、引いては章くんとのやりとりを思い出していたからだ。
「私は本橋くんには、いつでも強い態度を取ってるよね」
「普通じゃないのかな」
「乾くんの普通の基準ってどこ? 私は本橋くんには態度が大きいって自覚してるよ。乾くんにもそう?」
「俺にも普通でしょ。ミエちゃんのでかい態度の基準はどこ? 恋人が相手だとミエちゃんもそんな態度は取らないって?」
「話をねじまげないで」
「失礼しました」
 笑いたいのをこらえているような顔をしているのを見ると、ちょっぴり腹が立つ。腹を立てては話しにならないので、私は気持ちを落ち着かせて言った。
「一般論なんだかどうだか知らないけど、言うじゃないの。女が男に向かってぽんぽんものを言えるのは、相手の男が腕力に訴えないという前提があるからだって。私が本橋くんと対等に張り合えるのは、その前提をもとにしてるのよね」
「そんなの当然だよ」
「……当然だってひとことで言い切ったら、会話にならないよ」
「男は女に向かって暴力は振るわないって大前提がある、それでこそまっとうな社会なんじゃないのかな」
 真顔になって乾くんは言った。
「時代によって国によって社会によって、男が女を暴力で押さえつける場合があるよね。そんなのは異常な世界だろ。現代にもあるみたいだけど、徐々にそんな悪しき風習は減っていっている。本橋は現代日本の男としては、乱暴な奴かもしれない。今どきの若い男としては、売られた喧嘩は買うなんてのは野蛮だと俺は思う。話し合いで解決しろと俺は言いたい。だが、あいつは時としておのれの主義にしたがって行動を起こす。暴力による喧嘩を買って立ち向かう相手が男に限られてるってところだけは、あいつもまっとうだと思うけどね」
「そう……なのかな」
「きみに向かって本橋が暴力を用いたらどうする?」
「絶交する」
「俺もだな」
 え? と見返すと、乾くんはにこっとした。
「一度目なら俺が殴り返す」
「はあ」
「二度目は許さない。あいつと縁を切る」
「……本気?」
「本気っていうか、あいつはやらないと信じてるから言うんだよ」
「そうだよね。よかった」
「よかった?」
 あのね、ミエちゃん、と乾くんは微笑んで続けた。
「ミエちゃんの論法を角度を変えて見ると、こうとも言えるんだよ。あなたはたしかに本橋にぽんぽんとものを言う。本橋はあなたに時には暴言を吐く。本橋がそうできるのはなぜ?」
「私を……ええと……女だと思ってないから、じゃないんだよね。なぜ?」
「ミエちゃんがしつこくこだわったり、めそめそしたりしないひとだからだよ」
「……ふーん」
「根は同じじゃないの?」
「……うーん、そうだろうか」
 うまく丸め込まれているような気もして、私は悩み深くなっていた。乾くんはにこにこと私を見ている。しばらく考えてから言ってみた。
「だからなんだよね、乾くんと話してるとたじたじしてきちゃうの。本橋くんにだったら絶対に口では勝てるんだけどな。はじめは私が言い出したにしても、後半になると乾くんの舌先に丸められてからめ取られていく。このミエちゃんがこうなるなんて……乾くんにだけだよ」
「舌先男の口先男だから?」
「それだけじゃないのは知ってるけどね……舌よりも頭? 乾くんは幸生くんとはちがう方向に舌も頭も回るんだよね」
「ミエちゃんはいつだって、俺を持ち上げた次の瞬間に墜落させるんだから。覚悟は決めましたよ。落として下さい」
「落としたりしないよ」
 この調子で菜月さんとも……? 彼女は恋人なのだから、理詰めばかりではないのだろうか。もののついでみたいに、菜月さんとはどんなふうに喧嘩をするの? と尋ねたら、乾くんはどんな反応を示すのだろう。見たいけど訊けない。
「大学を卒業したばかりの夏に……覚えてる?」
「なにかとあったよね。どの話?」
「ううん、いい」
 あれは明らかに私が悪かった。本橋くんと乾くんと三人で話していて、私の恋に本橋くんがいちゃもんをつけて、彼の台詞が正論だったがゆえに腹を立てて本橋くんをひっぱたいた。あのときの乾くんの台詞は鮮やかに覚えていた。
「ずるいよ、ミエちゃん。殴ったのはミエちゃんなのに、泣いたら本橋は動けなくなる。怒りもできなくなる。殴り返すなんてのは論外だけど、なにも言えなくなっちまうよ」
 泣いてる……私、泣いてる? 泣いてる。そう、私は泣いていた。
 ごめんね、と本橋くんに言いながらも泣いていた私の肩を、本橋くんと乾くんは両側から抱いてくれた。いちゃもんをつけられてもしようがないまちがった恋をしていた私。まちがっているとわかっていても容易にはやめられなかった恋だった。
「どれだけの人間に迷惑かけてるか知ってんのか。おまえの勝手な思い込みで、その男は自業自得にしたって、奥さんや子供の気持ちを考えろ」
「奥さんには気づかれてないもん」
「いずれ露見する」
「なんであんたにわかるのよ」
「そういうもんだ」
「……親みたいな台詞はやめて」
 まっすぐに私を見つめた本橋くんの強いまなざしも、そのかたわらでつらそうに私を見ていた乾くんのまなざしも、ありありと蘇ってきた。
「私、あなたたちと友達になれてよかった。乾くんの口にはこの私が……」
「さあ、どこへ落ちるの?」
「落とさないってば。私ごときに落とせる乾くんじゃないんだから」
「落とすってのはよくない意味もあるよ」
「そんな話はしてません」
「ミエちゃんはよく言うよね。俺たちがなにか言ってると、その話をいささか曲解していささか別の話題に持っていく。そんな話はしてないよ、と言ったら、私はしてるの!! と言う。あれは最大の女性論理だな。男は完敗するしかない」
「またそんな過去の話を蒸し返すんだ。だから乾くんは底意地が悪い、根性まがってるって言われるのよ」
「はい、落ちたね」
「……落とされたかったの? 変な趣味」
「かもしれない。まあ、俺なんかはさ……」
 俺なんかはさ……の続きは言ってくれなくて、結局、菜月さんへと話を流れさせることもできなくて、彼と彼女がどうしたのか、私は知らないままだった。


4

 おそろいの黒のスーツに銀のネクタイの礼服姿で、本橋くん、乾くん、幸生くん、章くんがシゲくんを囲んで談笑している。乾くんがシゲくんの肩を叩いて言った。
「危機も喧嘩もあるにはあったんだろうけど、平穏無事にここまでたどりついたほうだぜ、幸生の横槍にもめげず。よかったな、おめでとう、シゲ」
「乾さんだって苛めたくせに」
「いつ?」
 あらあら、やきもち? 乾くんと幸生くんがシゲくんを苛めた? このふたりにふたりがかりで苛められて、シゲくんはどうやって太刀打ちしたのだろう。いつの話なのかは知らないが、三人の舌戦は私も見物したかった。
 例によって私のダークブルーのドレスを賞賛してくれたのは乾くんで、あなたの肌の色が引き立つね、素敵だよ、なんて言った。幸生くんは大げさに目を押さえて、まぶしくて美しくて正視できませーんっ!! と気絶しそうなふりをしてみせた。本橋くんはこうだった。
「地味だな」
「ゲストは花嫁さん以上に目立っちゃいけないの」
「うぬぼれんなっての」
「うぬぼれてないじゃない。服装の話をしてるのよ」
「美江子さんが派手なドレスを着たら恭子さんより……うわわ、やめたやめた」
「章、なにが言いたいの?」
 なにも言いたくないっ! と章くんは幸生くんに言い返し、乾くんは言った。
「適度に華やかに、それでいて花嫁さんよりは控えめに、ってのがゲストの女性の心得だよね。あちらにいらっしゃるのは恭子さんのテニス仲間かな。若いんだよね」
「うわー、すっげえ華やかじゃん。リーダー、俺、あっちのみなさまにご挨拶してきていいですか」
 ふらふらっと歩き出そうとしたのもパフォーマンスなのかもしれないが、本橋くんは幸生くんの襟首をつかんで引き戻した。
「行くな」
「なんでなんで? なんで、章?」
「決まってんだろ。おまえは静かにしてろ」
「どう決まってるのかさっぱりわからない」
 いつものように幸生くんと章くんは蹴飛ばし合いをしていて、そこに花婿さんがあらわれた。シゲくんはダークグレイのタキシードを着込んでいて、照れているのか複雑な表情をしていた。
「おめでとう、シゲくん」
 みんなが気楽な独身で、みんながおんなじだった私たちの中から、シゲくんが真っ先に抜け出すんだね。いつか幸生くんが言っていたのが当たってたね。シゲさんはもてないのかもしれないけど、その分、真実の恋に到達するんですよ、きっと、って。私はなんだかセンチメンタルな気分になって、シゲくんの胸元にマーガレットの花を挿した。
「ありがとうございます、美江子さんのおかげもありました」
「私がなにかした?」
「どうせお節介焼いたんだろが、おまえはよぉ」
「お節介かな。本橋くんはもう……こんなおめでたい日になに言ってんだか」
「めでたさを妨害するほどの台詞だったか」
「いいけどね。シゲくん、恭子さんに言っといて。ブーケは私に投げてね」
「花嫁さんのブーケをキャッチすると、そのひとが次にゴールインするって話があるね。シゲは知ってるか」
 結婚式に出席するのがはじめてでもあるまいに、ゲストの女性の衣装なんか気にも留めていなかったらしい本橋くんとはちがって、乾くんはこういうことを知っている。シゲくんは本橋くんと同類であるので、かぶりを振った。
「知りません」
「らしいよ。ミエちゃん、意中のひとがいるの?」
「いないけど、そのうちいるようになるかもね」
「とぼけちゃって」
 意中のひとねぇ……二十八にもなってまるっきり恋がないのも悲しいけど、昔は私はもてたのよ、なんて言っても虚しいのでとぼけておいたら、章くんが言った。
「おめでとうございます、本庄さん。今日は四人で歌いますから、楽しみにしててくださいね」
 本橋くんも言った。
「めでたいめでたい。先を越されちまったけど、乾、俺たちもがんばろう」
「がんばりましょ」
「シゲさん、いいなぁ」
 言った幸生くんを、シゲくんがじーっと見返す。幸生くんはへへっと笑った。
「けどさ、結婚したら自由がなくなる。俺はもうしばらくは……ちょっとちょっとっ、いてっ、リーダーも乾さんもなにすんですか。いでぇよぉ、章、助けろ」
「知ーらないっと」
「じゃあな、シゲ、おまえの花婿ぶりも楽しみにしてる」
「花婿さんも大変みたいよ。がんばってね」
 おめでたい席でも常となにも変わらない。本橋くんと乾くんが幸生くんの耳を両側から引っ張り、いででいででと言いながらの幸生くんは引っ張られていき、章くんと私はそのあとからついていった。
 友人や親戚の結婚式には幾度か出席しているけれど、今日は特別だった。シゲくんは私にとっては特別なひと。言うまでもなく恋愛とは無関係だけど、今ではかけがえのないひとだ。恭子さんもそう。これからは私のかけがえのないひとの伴侶になる。本橋くんがスピーチをし、フォレストシンガーズが歌い、恭子さんは感激の涙にくれていて、シゲくんも涙ぐんでいて、私ももらい泣きしそうだった。
「結婚式っていいもんだね。シゲくんの結婚式となると感慨ひとしおよ」
 小声で言うと、幸生くんが尋ねた。
「美江子さんも結婚したくなった?」
「相手がいないからね」
「それって常套句でしょ。いないの? 本当の本当にいないんですか」
「いない」
「ならば、今、たった今ここで発表しましょう」
「なにを? やめてよね。私は幸生くんとは結婚しないから」
「……なにも言ってないのにそう出るってことは、したいんでしょ?」
「しつこいね。しない」
 ちぇー、がーっかり、だって。幸生くんの場合、言ってはいけない冗談と言ってもいい冗談の区別がついているのかどうか、本人にもわかっていないのではなかろうか。今の冗談はどっち? 悩むのも馬鹿馬鹿しい。
「ありがと、幸生くん。ミエちゃんってばこの年になって、プロポーズされた経験もないのよね。それではあまりにかわいそうだから言ってくれたんでしょ?」
「言ってませんよ。言いましょうか」
「言って」
「へ? 言っていいの? 美江子さん、俺と結婚しましょう」
「謹んでお断りします」
 やーっぱり、だって。
「でも、これでひとに言えるよね。私も男性にプロポーズされた経験はあるのよ、断ったけど、って」
「俺はそんなのしかお役に立てませんけど、こんな私でよかったら、何度でも何度でもプロポーズしますよ」
「一度で充分です。同じ男性に何度もプロポーズされても意味ないの」
「そうかなぁ?」
 他の三人は呆れ顔をしていたのだが、とうとう本橋くんが言った。
「幸生、いい加減にしろ」
「……そんならリーダーがすれば? 乾さんも章もすれば? そしたら四人の男にプロポーズされたけど断ったのよ、って自慢できますよね、美江子さん?」
「幸生くんだけでいいのよ」
「……お、おおお……」
 おまえらはどこにいるのかわかってんのか、と本橋くんが怖い顔をした。
「山田までいつまでもふざけてんじゃねえんだよ」
「幸生くん、リーダーが怒るの。助けて」
「……げげげ。辞退します」
「なんでよ? 仮にもあなたは私にプロポーズしたんでしょ? そんなあなたが助けてくれないの?」
「美江子さんのほうがリーダーに勝てるくせに」
「勝てないわよ」
「……嘘だぁ。どうしたんですか、美江子さん、なにたくらんでるの?」
 章くんが乾くんになにか言っている。漏れ聞こえたところによると、美江子さんの女言葉は気持ち悪い、だった。
「私は女なのに、女言葉を使うと気持ち悪いって言われるのね」
 またまたなにか言っている。地獄耳、だった。
「私はどうせ地獄の使者ですよーだ」
「地獄に死者がいるのは自明の理。FS商事地獄支社? 三沢幸生主演映画の地獄に於ける試写?」
 ししゃししゃししゃ、頭がこんがらがってきそうになっていると、乾くんが言った。
「プロポーズの試射。下手な鉄砲もなんとやら」
「乾、てめえまで参加するな」
 今のししゃはどういう意味ですか、と質問した章くんにも、本橋くんは言った。
「頼むから、おまえまで加わるな、章。俺の頭が破裂する」
「私もよ、本橋くん」
「……幸生、山田の口真似をするな」
 新郎席にいるシゲくんが、心配そうに私たちを見ている。本橋さんはなにを怒っているのかな? と言いたげな表情だった。毎度の騒ぎ、と私が口の動きで伝えると、シゲくんは納得の表情になった。

 
 結婚式の本番では、フォレストシンガーズの持ち歌から「満開の薔薇」、シゲくんの姉さんの希恵さんのリクエストによる「乾杯」、と二曲を歌った。二次会になると友人たちが集まって、宴もそろそろ果てるころ、乾くんが言った。
「さーて、みなさま、ご清聴いただけますか」
「成長は育っていくこと。性徴は成長にともなう……」
「幸生、それはもうやめろって」
「はい、やめまーす」
 まったくもう、とため息をついて幸生くんを見やってから、本橋くんも言った。
「二次会の歌のプロデュースはこいつにまかせたんですけど、このあとも幸生にまかせるとすべてがぶっこわれそうなんで、乾にやってもらいます。乾、頼むぞ」
「はいはい、リーダー。でも、歌うのは幸生なんですよ。歌はまともに歌うんだな、幸生?」
「はいっ。僕がまともになるのは歌うときだけ。って、自分で言ってりゃ世話はないっての、でございますね。ではでは、歌わせていただきます。リーダーの作曲、わたくしの作詞による「恥ずかしがらないで」です。お聴き下さいませーっ」
 自然に周囲が静まり、乾くんと章くんがギターを抱え、本橋くんがピアノの前にすわり、幸生くんはマイクを手にした。幸生くんだって稀にはシリアスに話すときもあるのだが、たいがいはジョークがまじる。まじるどころか、言葉の大部分が冗談だったりもする。
 シャレを連発して会話相手の頭を混乱させるのも得意中の得意である幸生くんが、歌いはじめると別の幸生くんになる。女性の心をあらわした歌詞だから、幸生くんは女性的な甘く高い声で歌い出した。本橋くんのピアノが、乾くんと章くんのギターが、スゥイートな旋律を奏でる。背筋に戦慄が走る、と幸生くんが聴いていたら言いそうで笑いそうになったのが、瞬時に霧散した。
 平素は彼らは歌に徹しているから、伴奏はまずしない。ステージでは楽器の専門家が伴奏してくれるのだ。フォレストシンガーズのライヴの際にたびたびお世話になるバンドの、ピアニストの女性が私にこっそり言った。
「本橋さんって、ピアノの腕も玄人はだしなんですね」
「玄人が裸足で逃げます? あ、すみません。さっきから幸生くんが……いえ、失礼しました」
「玄人はだしってそういう意味ですよ。玄人が裸足で逃げ出しそうだって意味なの。まさしくそうだわ。今後も本橋さんの前でピアノを弾くなんて、裸足で逃げたくなりそう」
 彼女もそこで言葉を切って、幸生くんの歌と三人の伴奏に耳を集中させていた。シゲくんと恭子さんも私のそばに来て、恭子さんはシゲくんの肩に頭をもたせかけた。
「シゲちゃん……私のために……シゲちゃんと私のために……?」
「うん。幸生もいいとこあるだろ」
「どうしよう、泣けてくるよぉ」
「いいよ、泣いていいから」
「シゲちゃん……」
 お熱いね、なんて言うとシゲくんが照れまくるだろうから見ないことにして、私は目を閉じた。
 目を閉じると歌と旋律が一体になって、身体中を包み込んでいく。音楽に携わっているときのあなたたちは、まるで別人になるんだね。どちらもあなたたちの本質だよね。ピアノとギターと歌が、私を優しく甘く、幻想的でさえある世界にいざなってくれる。素敵だよ、最高だよ、としか私には言えない。
「ありがとうございましたーっ。じゃあ、次はシゲさんね。逃げないでよ、シゲさん」
 歌を終えた幸生くんがシゲくんを手招きすると、シゲくんは困った顔で応じた。
「……あのさ、俺は今、手が離せないんだよな」
「どうもそのようですね。では、この歌は低い声の男性向きにできてますから、リーダーがソロでどうぞ。乾隆也作詞作曲「心さえ天に舞い」です」
「俺か。うん、まあ、そんなら……」
 もごもご言った本橋くんは、セルフ伴奏で歌いはじめた。
 甘い歌声と形容できるのは幸生くんと同じだけれど、もちろん声質がまったく異なっている。幸生くんよりも太くて低い声。高くて甘い声と低くて甘い声は、甘さの質がちがうのだと、今さらながら私は感じていた。幸生くんの歌も最高だったけど、私は本橋くんの声のほうが好き。
 素人なんだからね、私は。好き嫌いでしかものが言えないんだからね、なんていいわけしながら、私は本橋くんの歌に聴き惚れていた。昔からそうだった。FSの五人は各々がちがった声をしていて、だからこそ素晴らしいハーモニーをかもし出すのだけれど、私は本橋くんの声がいちばん好きだ。荒っぽくてガラが悪くて困った男、ではあるのだけれど、まろやかでほどよく低い声には粗暴さなどは一片もない。
 聴き慣れているはずの本橋くんの歌が、切ないほどに耳を打つ。私の心までが天に舞いそうな歌……私は本橋くんの声が大好きだよ、と改めて思っていた。
 私のそばでは恭子さんが本格的に泣き出してしまっている。悲しくて泣いているのではないから、シゲくんも当惑しているのではなく、ひたすら照れていた。それでもその広い胸に恭子さんを抱擁して、彼女の背中を撫でて、耳元でなにか囁いている。シゲくんもやればできるじゃないの、などとも私は考えていた。
「はい、では、最後は章ですね。んん、乾さんも歌いたいんでしょ? デュエットしますか?」
「三沢プロデューサー、よろしいですか。章くんもいいかな」
「やりますか」
 章くんがにっこりして、最後の曲は乾隆也&木村章の英語のデュエットとなった。

「A white flower opened.
 Let's return to my house together.
 A red flower opened.
 Your hand is taken and it begins to walk.
 It attaches and it also : in being also of where.
 It is not told to become silent and to attach.
 It is good while saying in the "tsubekobe".
 Attach to me and in being. 」
 
 ついておいで、どこまでも。黙ってついてこい、とは言わない。つべこべ言いながらでもいいよ。僕についておいで。とは、章くんらしくない歌詞なのだろうか。らしいのだろうか。単純な歌詞なので私にも翻訳はできた。
 歌詞はともかく、ロックタッチのメロディはいかにも章くんだ。幸生くんの高い声とはまたちがうふたりのハイトーンヴォイスが美しくからみ合い、三つの歌はラヴソングでありながら各々がちがうテイストになっていて、ゲストのみなさまも満足してくださっただろう。私も心から堪能して拍手を送った。
「最後の曲は「Just marriage」、木村章の作詞作曲でしたー。章ってば、英語が上手だからってかっこつけちゃってやーねっ。乾さんと章の英語の発音はいかがでしたか、マネージャー?」
 いきなり振られて戸惑ったのだが、私は応えた。
「発音はまあまあですね。歌詞はシンプルでしたが、曲が最高でした」
「僕の自作は?」
「三沢さんの歌も最高でしたよ。特に曲がね」
「曲はリーダーの作ですよ。乾さんのは?」
「そちらにいらっしゃる新婦さまをごらんになれば、みなさまにもご理解いただけますわよ」
 一斉に注目された恭子さんはシゲくんの背中に隠れてしまい、シゲくんが言った。
「いや、あの、なにはともあれ、ですね。本橋さん、乾さん、幸生、章、ありがとう。俺にはそうとしか……美江子さん、あとはお願いします」
「はい、新郎新婦はお取り込み中ですので、私がなりかわって言わせていただきます。恭子さんと繁之さんのために、こんなにも素敵な歌をありがとうございました。惚れ直したわよ、本橋さん、乾さん、三沢さん、木村さん」
 なーに言ってんだよ、とばかりに本橋くんは私を睨む真似をし、乾くんは典雅なまでに気取ったお辞儀をし、章くんは手を振り、幸生くんは高らかに叫んだ。
「こちらこそありがとうございましたーっ!! よっ、シゲさん、かっこいい!!」
 俺に振るな、振るな、とシゲくんは手を顔の前で振っていたが、本日の主役のかたわれなんだから、振るなって言うのはなしだよ、と囁くと、はあ、そうですね、と情けない顔をして、恭子さんを抱く腕に力を込めた。恭子さんはただただ泣いていて、すみませーん、と呟いて、私に向かって鼻をすすった。鼻も真っ赤でお化粧は剥げてるけど、シゲくんにとってはそんな恭子さんも最高の花嫁さんなんだよね。
「今日は思い切りシゲくんに甘えてたらいいのよ。シゲくん、嬉しいでしょ?」
「え? はあ、まあ……あの……」
「いいからいいから」
 当初の予定とは歌の担当が変わってしまったし、表に出ないのがもっぱらの私までもが喋らされてしまったのだけど、三沢プロデューサー、二次会も大成功よ、と親指を立ててみせると、幸生くんも胸に手を当てて気取って礼をしてみせた。

END

 

 
 

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~ Comment ~

ため息もの~

ああ、とても良かったです~

で、ここまで来てようやく気づきましたが(^^;
こんな風に進んでいるのに、今まで、一度も「はぁ? 何これ」と不快になることがなく、辻褄合わんじゃん、ってこともなく、だいたいの回で良い気持ちになってますが、それってスゴイことだよな~!!
と。

ずーっと続いているドラマを連続で観ている気分です。
こうやって、人は成長して、どんどん変わって、歩き続けるんだな、って感慨です。
これだけ人物に息吹が吹き込まれて、一人一人の人間に厚みがあって、生きた役者さんとか実在の人物が存在しているような違和感のなさは、やはり根本の設定や背景がしっかりしているからっすねぇ!

すごく安心して気持ちよく浸れます。

誰の目線でも物語は同じように進む。
読者層を幾重にも意識して、更に物語に深みが出て、一度スルーした事柄もこうやって反芻されるとさすがにおバカなfateにも自然についていける効果があってなかなか嬉しいです(^^;

シゲさんの結婚式。
仲間の歌声。
ああ、ウツクシイですねぇぇぇ!

ヒトってそういうとき、心から感動出来るもんなんだろうと思います。

fateさんへ

そんなふうに言っていただけると、穴があったら入りた~いってか、穴を掘って入りたいってか、本橋くんみたいに言いたくなりますが、恐縮です。ありがとうございます。

いえ、実は、酒巻くんのストーリィで、彼が初対面だと言っているある先輩と、ほんとは以前に会っているという大失策フレーズがあるのですよ。
どうにも修整しようがなくてそのまんまにしてありますので、お気づきになられましたら教えて下さいね。ハズカシイ……

このあたりはシゲの結婚がメインテーマですので、同じような描写がよく出てきますよね。
私がそのとき、物語の中ではまっていた状況やら、そのときのひいきキャラやらが、読み返してみるとよくわかります。

彼らは芸能人なのだから、やっぱり普通ではないのが当然で、でも、そんな中、シゲだけは平凡に普通に幸せにさせたい。
平凡で普通な幸せってのも突き詰めればむずかしいですけど、一般的に、結婚して夫になって父になって家庭を築いて……という幸せ。

そういうつもりで書いてますので、fateさんのご感想、とっても嬉しいです。
フォレストシンガーズを一番たくさん、読んで下さってるのはまちがいなくfateさんですよね。
今後ともなにとぞよろしくお願いします。
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