ショートストーリィ(しりとり小説)

77「ララバイ」

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しりとり小説77

「ララバイ」

 幸いにもつわりは軽かったので、腹部が目立つようになるまでは会社には隠し通し、太田さん、妊娠してるんじゃない? とのうわさ話が聞こえてくるようになってから上司に打ち明けた。

「そうなの。おめでたなのね。よかったじゃない?」
「はい、嬉しいんですけど……」
「いつまで働けるの?」
「出産ぎりぎりまでは」
「あなたが大丈夫だったらいいんですよ」

「……産休や育児休暇っていうのは……」
「正社員にだったらその制度はあるんですけどね」
「契約社員でしたら、無給の制度は……」
「生憎、正社員以外には無給でもそんな制度はないの」

 引き下がるしかなかった。
 未婚の母になるのではないのだから、医者が大丈夫だと言ってくれる期間までは働いてから会社を辞め、一年ほどすれば新しい就職口を探そう。子持ちの三十代女性に簡単に職が見つかるとは思えないから、資格を取ろう。介護職だったら取れるだろうと、資料ももらってきた。

「澄恵さんは妊娠中でも熱心に勉強してて、えらいなぁ」
「今の会社は出産で辞めなくちゃいけなくなるから、次の就職のためよ」
「辞めるの?」
「そうなのよ。まあ、正社員じゃないからね」

 こういったことは自然のなりゆきだから、こうなっても致し方ないとは思っていた。夫だってわかってくれるだろうと漠然と考えていて、改まって相談したことはない。が、夫は表情を暗くした。

「話がちがうんじゃない?」
「私は結婚しても専業主婦にはなりたくないって言ったよね。そのつもりよ。出産したってなんとかして働くわ」
「そりゃ当然だけど、子どもを産んだら何か月かは休むんだろ」

「そうなるでしょうね」
「その間、澄恵さんの食費はどうするの?」
「ええ?」
「自分の食い扶持くらい、大人は自分で稼ぐのは当然でしょ」

 まちがった言い分ではないけれど、澄恵としては少々愕然とした。

「僕は今までと同じだけしか、共用の財布には入れないよ。それで家賃と光熱費くらいは払えるよね。僕の食費もそこから捻出できるでしょ」
「そのぐらいはできるだろうけど、赤ちゃんのものを買うのは……」
「今まではそこに澄恵さんもお金を入れて、食費だの雑費だのは賄えたんだ。僕はこれ以上、お金を入れられないんだから、あとは澄恵さんが稼いでよ。そういう約束だろ」

 結婚に当たっては、経済的にはそうしようと約束した。だが、今は非常時のようなものではないか。澄恵はおずおずと言ってみた。

「子どもはふたりの責任っていうか……」
「産むのはあなたでしょ。最終的な責任はあなただよ」
「そういう理屈なの?」
「ちがうの?」

「そしたら、私はどうすればいいの? 出産間際までは働けるとしたって、それからしばらくは無収入になるのよ」
「貯金があるだろ。とにかく、僕は無駄な出費はしたくないんだ。あなたの食費くらいは入れて下さいね。契約違反はいやだよ」
「あなたは子どもがほしくないの?」
「いてもいいけど、いなくてもいいな」

 言い捨てて、夫は寝室に行ってしまった。
 突っ込みどころはあると思うのだが、澄恵にはうまく反論する自信がない。

 約束は約束なのだから、働ける間は給料も入るのだからと自分をなだめ、無駄な出費は極力抑えて貯蓄に励んだ。夫にも収入はあるのだから、彼の小遣いはそっちから出しているが、彼が買い物に行くと家計費からお金を使う。
 日用品や食料品を夫が買ってきてくれるのは助かるから、ぜいたく品を買ってきても文句を言わないようにしていたが、これからはそうもいかないので、澄恵は買い物は自分ですることにした。

「また豆腐ともやし炒め? 飽きたよ。明日は僕が自分の食べたいものを買ってくるから、澄恵さんは家で休んでていいからね」
「高いもの、買わないでね」
「僕にまで節約を押しつけないでほしいな」

 出産までは夫とそのような攻防があり、ついに子どもが生まれた。
 病院にやってきた夫は子どもを見て、サルみたいな顔だな、そのうち可愛くなるのかな、と笑っていて、ぎこちない手つきで抱っこもしていたが、出産にかかった費用についてはコメントなしだった。

 気がついてもいないのか、気づいていないふりか。せめて折半してよ、とも言い出しにくくて、澄恵は独身時代からの貯金を下ろして出産費用に充てた。

「いつになったら働くの?」
 息子、亨の新生児時代はてんわんやのうちにすぎていく。赤ん坊にかかる費用についても夫はなにも言わないので、自身と息子のための経費も澄恵は貯金を切り崩していた。三か月ほどが経つと、夫が不満そうに言い出した。

「澄恵さんは元気なんだし、働けるでしょ」
「亨はどうするの?」
「保育園ってのがあるじゃないか」
「来春から預ける手続きはしてるけど、入れられるかどうかもまだわからないのよ。今すぐは無理だよ」

「そんなこと言って、なし崩しに主婦になろうって言うんじゃないだろうね」
「そんなつもりはありません」
「主婦なんてのはニートと同じだろ。あなたは金も稼がないくせに、赤ん坊にかまけて家事をおろそかにしている。うちの母は言ってたよ。僕が赤ん坊のころには泣くとおぶって家事をしてたって。今どきの主婦は赤ちゃんを背負わないから、まともに掃除もできないんだって」

「……」
「今はあなたは主婦なんだから、専業なんだから、完璧に家事をやってね。でないとあなたの存在意義はないよ」
「……わかったわ。ごめんなさい」
「あなただって、貯金が減る一方だろ。だから僕は親切で言ってあげてるんだ。稼がなくっちゃね。でないと人間は生きてる価値がないんだよ」
「そうね」

 妊娠していたころに、収入がなくても食費を入れろと言われたときから、夫への愛情は冷めかけていた。澄恵のプライドも邪魔をして、子育て期間ぐらいは養ってほしいとも言えずにいた。正社員になる努力を怠った自分も悪いのかと思ったせいもあった。

 が、もう駄目だ。
 こんな男を父として育ったら、亨も変な男になってしまう。今こそ、妊娠中から勉強してきた介護士としての資格を生かそう。
 離婚すればこのマンションから出ていかなくてはならなくなるだろうから、来春までは我慢して、亨を保育園に預けて働けるようになったら、夫に最後通牒をつきつけよう。そう思って、夫には素直に接しておいた。

「澄恵さん、ガスレンジが汚れてるよ。赤ん坊なんか放っておいて掃除をしろよ」
「はーい」

 抱き上げた亨の耳元で、澄恵は低く子守唄を口ずさんだ。

「ゆりかごの歌を かなりやがうたうよ
 ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

 ゆりかごの上に びわの実がゆれるよ
 ねんねこ ねんねこ ねんねこよ」

 キッチンでさえずっているカナリヤは、離婚届を突きつけたらなんて言うかしら? むしろ喜んだりして? 息子に執着するはずはない人間だろうから、喜んで離婚してくれるだろうと思える。澄恵としてもそれを望んでいた。

次は「い」です。

「主人公について」
 
蛇足ながら、小さなストーリィの各主人公について補記しておきます。
旧姓・香取澄恵。フォレストシンガーズの誰もまだ入部していなかった時期の合唱部で、女子部ナンバーワン美人だともてはやされていた彼女が、大人になった姿です。
彼女の夫みたいなことを言う男性、ネットではちらほら目にします。都市伝説だと思いたいけど、実際にもいるのでしょうか。


 


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