ショートストーリィ(しりとり小説)

75「墓穴」

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しりとり小説75

「墓穴」

 フロアを歩くパンプスの音が聞こえて、片瀬菜穂子は顔を上げた。
 営業二課の庶務的な仕事を担当している、奥田が歩いてきている。菜穂子が勤務する会社は大きくて、各部署も多人数なので、各課に庶務の担当者がいるのだ。

 勤務歴の長い女子社員がその職務につくことが多いので、奥田は適任だろう。四十歳前後の年齢だと思える彼女は長身で姿勢がよく、きびきびしていて感じもいい。奥田が歩いていったのは、今春に入社したばかりの女子社員の席だった。

「真鈴ちゃん、どうぞ」
「あ、どうも」
「真鈴ちゃん、あのね」
「はい」

 かしこまった様子の真鈴のデスクに、奥田がなにやら置いた。すこし身体を横向けて、菜穂子も覗いてみる。奥田が置いたものはビスケットのパックだった。

「あなたも社会人になったんだから、人からものをもらったら、あ、どうも、じゃないでしょ?」
「すみません」
「すみませんでもなくて……?」
「ありがとうございます」
「それでいいのよ。食べて」

「はあ……」
「はあじゃないでしょ? 食べていいのよ。ぜーんぶ食べていいの」
「……はい」

 暇なわけでもないのだが、気になって菜穂子はそちらを見ていた。他にもちらちら見ている社員がいるが、特に気にする様子もなく、奥田は言った。

「真鈴ちゃん、ダイエットとかしてる?」
「いいえ、別に……」
「そうよねぇ。若いんだもの。身体に毒になるダイエットなんかしたらいけないわ。若い女の子はぱくぱく食べるのが一番よ。男性はぽっちゃりした女性が好きなんだから、真鈴ちゃんはそのままでいいのよ」

 さ、さ、食べて、食べて、と強く促されて、真鈴はビスケットを手に取った。
 短大を卒業して入社した真鈴は、二十歳か二十一歳だろう。奥田が若くして子どもを産んでいたとしたら、母親でもおかしくはない。母のような目線で真鈴を見ているのかと思わなくもないのだが。

 しかし、彼女にだって川中という姓はあるのに、職場でマリンちゃん呼ばわりをし、勤務中にお菓子を勧めるのは変なのではないか? お節介かと思って菜穂子は奥田に意見はしないし、ベテランの先輩に意見できる雰囲気でもないが、訝しく感じていた。

「もっと食べなさい。全部食べていいのよ」
「そんなには……」
「食べられない? 若いんだし、真鈴ちゃんはその身体なんだから、これくらい食べてしまえるでしょ。ほらほら、食べて」

 ビスケットの包みを全開にし、失敗した書類の裏にすべてを出して、奥田はさらに真鈴に勧める。そんなことばっかりしてないで仕事しろよ、と菜穂子としては言いたかった。

「真鈴ちゃん、おはよう。昨日、主人が会社でもらってきたのよ。あなたにあげる」
 翌日も午前中から、奥田が真鈴の席にやってきた。

「うちでは主人も私も食べないから、あなたが食べて」
「はい、ありがとうございます」
「どうぞ、食べて」

 なんなのだろうと伺うと、色とりどりの小さなお菓子、マカロンらしい。奥田はマカロンの包みを開き、真鈴のデスクに積み上げた。

「朝ごはん、食べてきましたからあとで……」
「こんなのは軽いお菓子だから、おなかがすいてなくても入るわよ。食べなさいな」
「……んんっと……」
「朝からしっかり食べて、しっかり仕事、しなくちゃね。早く食べて。包み紙を捨てるから」
「あ、ええと……はい」

 五、六個はあるマカロンを真鈴が全部食べると、奥田は楽しそうに言った。
「おいしかったでしょ? 真鈴ちゃんはおいしいものが食べられてよかったね」
「……はい、ありがとうございます」

 そういえば今までだって、奥田さんは真鈴ちゃんの席に来て、食べて、と言っていたな、と思い出した。今まではたいして意識もしていなかったのだが、一度気になると、気になってしまうものだ。菜穂子だっていつもいつもは自席にはいないのだが、自分のデスクで仕事をしていると、一日に二、三度は奥田が真鈴に話しかける声が聞こえてきていた。

「はい、真鈴ちゃん、食べて」
「あの……まだおなかがすいてなくて……」
「おなかなんかすいてなくても、お菓子は食べられるわよ。好きでしょ」
「好きですけど……」
「じゃあ、おあがりなさいな」

 その調子で、奥田はお菓子ばかりを勧めている。誰も止めはしないし、真鈴も食べさせられて、おいしい、と嬉しそうに言っていたりもするのだから、咎めるほどではないのか。上司も気にも留めていないようだが、菜穂子としては頭をかしげていた。

「これ、おいしそうでしょ。どうぞ」
「わぁ、ほんとですね」
「主人の会社はほら、あれじゃない」

 今日もそんな声が聞こえてきて、よく飽きずにやってるね、仕事しろよ、と菜穂子が思っていると、男の声が奥田と真鈴のやりとりに割り込んだ。

「奥田さんのご主人の会社のあれって、なんなんですか」
「主人は食品会社のお菓子部門に勤めてるんです。谷原さんは知らなかった?」
「知りませんよ。うまそう。僕ももらっていいですか」
「太りますよ」
「って……川中さんはいいんですか」

 真鈴の姓は川中という。谷原に問いかけられて、奥田はしゃあしゃあと答えた。

「女の子はふっくらしてるほうが可愛いでしょ。男性は太ったら醜いですよ」
「ふっくらったって限度が……」
「なんてことを言うんですか。真鈴ちゃんにあやまって」

「ああ、すみません。じゃあ、僕は……ひとつもらっていい?」
「意地汚いですね。男性はこんなもの、食べなくていいんです」

 苦笑した谷原が、菜穂子の席にやってきた。
「フィーダーとかいうの、いるらしいね」
「なんですか」
 上機嫌で真鈴にお菓子を食べさせている奥田を顎で示して、谷原はひそひそ声で言った。

「他人を太らせるのが趣味って人間。奥田さんってそうなのかと思ったけど、片瀬さんは彼女にお菓子、食べさせられたことはある?」
「私は勧められたことはないですね」
「僕にもああだったでしょ。川中さんにだけか」

「それって……」
「フィーダーっていうよりも、なんなんだろ。悪意でもなさそうだから、単なる世話焼きなのかな。母性的な女性なんだろうね」

 それだけ言って、谷原は歩み去っていった。
 そうなのだろうか、と菜穂子は思う。ちらりと見ると、今日は奥田は真鈴にフルーツケーキのようなものを与えている。昼食前に食べるような量ではない。

 世話好きで母性的な女性、そうも見えるが、悪意的解釈をすれば、肥満気味の真鈴をもっと太らせたいとか、陰で嘲笑っているとか? ペット扱いとか? 真鈴も拒否すればいいのに、とも思うが、谷原や菜穂子にだって意見しにくい奥田に、真鈴がさからえるはずもないのか。

 奥田の墓穴になるような証拠でもつかみたいものだと思うが、菜穂子もそれほど暇ではない。真鈴がいいんだったらいっか、ということで忘れて、菜穂子は仕事に没頭しはじめた。

 次は「つ」です。

「主人公について」

蛇足ながら、小さなストーリィの各主人公について補記しておきます。
菜穂子はフォレストシンガーズ全員の大学の後輩で、番外編にすこし顔を出します。章が大学生活最後に告白した、片瀬美耶子の妹ですが、フォレストシンガーズとは特別な関わりはありません。
谷原くんはあの谷原くん。彼がなんなのか、気づいて下さる方がいらしたら嬉しいです。
いえ、誰なのかご存じなくても、いっこうに支障はございませんが。












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~ Comment ~

NoTitle

うわあ、なんだか…迷惑な人ですね、奥田さんて。
怖い・・・^^;

人に食べ物を進めるのって、気を使いますし、進められるのも苦手です。
好み以外にも、食べ物を受け付けない時間って、ありますもんね。

この奥田さんに、母性本能的なものを感じないのは、私だけ?
ちょっと、ホラーチックな読後感がただよったような・・・。

でも、菜穂子ちゃんが関わりたくない気持ちも、すごくわかります。
こわいなあ・・・。

limeさんへ

このストーリィは自分で書いていて、なんだかもどかしいと申しますか。
いつもその傾向はあるのですが、言いたいことや考えていることが消化しきれないまま書いているというか。

そういう感覚がつきまとっていたのですが、limeさんがそんなふうに解釈して下さって嬉しいです。
怖い、そうかもしれませんね。
うん、深く考えたら怖いですよね。

職場にも「自分だけダイエットするなんて許さん」とか言う女性がいましたが、彼女は無理強いはしないし、からっと明るかったからいいんですよね。
奥田さんはある種のサイコかもしれません。

え~

こ、これは……limeさんのおっしゃる通り、ホラー???
何か事情が分かれば(書いてあったら)「な~んだ」ってことになりそうだけれど、書いてない分怖い、という気がします。
これは、ちょっと実験小説っぽくも見えるけれど……

わぁ、本当に奥田さんの目的は何だろう?
誰かの世話をしているという満足感とは思えませんよね。
ある種のいじめなのかしら。苛めなんだけれど、「誰かにものをあげる」という形で「いいことをしている」ことになっているので、自分の中では昇華されている。昇華されている分、怖いですよね~
あぁ、何だかモヤモヤする(>_<) ←これがあかねさんの思うつぼなんだろうなぁ^^;
いずれにしても、面白かったです。

大海彩洋さんへ

いつもありがとうございます。

私も自分でもやもやしてるんですが、実験小説と解釈していただけると、そうかもしれないとも思います。

書いてない分、怖い。
本当にこの奥田って女はなにを考えてるんだ?
著者の私にもわからなーい。
というのが無責任のようでいて、いい効果を出してる?
え? ほんとですか?
きゃあ、ほんとにそうなっていたら嬉しいです。冷や汗(^^;)

奥田さんはマリンちゃんを、この子は若いけど太っててトロクって、私よりも値打が下、と思っているのかもしれませんね。
だから、だから、あなたはいったいなにがしたいんですか?
その行為の意味は? 
うむむむむむ。

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