グラブダブドリブ

グラブダブドリブ「Saturday in the park」

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グラブダブドリブ

「Saturday in the park」

1・彰巳

 客観的に見れば美男であるジェイミーの娘で、ハーフなのだからアイリーヤが美女のひな鳥なのは当然だといえる。アイリーヤ・ジャスミン・パーソン、愛称はリーヤ。
 赤ん坊なんてものはたいていが、人間になりかけの猿のような顔をしている。俺はぼんやりとそう思っていたのだが、リーヤをはじめて見たとき、その認識がぶっ飛んだ。お母さんが藍さんでも、ジェイミーの遺伝子が入るとこんなに可愛い女の子が生まれるんだ。
 お母さんが藍さんでも……とは口に出しては絶対に言わない。そんなことを言おうものなら、ジェイミーにぶっ飛ばされて出入り差し止めにされるのは必定だ。
 二十代の健康な男子としては、女は美人のほうがいいと、普通に思っている。が、藍さんを見ていると、女は顔やプロポーションだけじゃないとも思う。ジェイミーが彼女に惚れて惚れて惚れまくって押しまくって、強引に結婚した気持ちもわかる。
 けれど、やっぱり俺は綺麗な子がいいなぁ。
 などと考えながら、俺は藍さんと公園にいる。藍さんが押すベビーカーにはもうじき一歳になるリーヤがいて、あぶあぶあばあばあご機嫌だ。

「People dancing, people laughing
 A man selling ice cream
 Singing Italian songs
(fake Italian) E qui vare esse nade
 Can you dig it (yes, I can)
 And I've been waiting such a long time
 For Saturday 」

 土曜日の公園なのだからして、こんな歌が出てきた。
 売れないシンガーだった藍さんが、グラブダブドリブの女性バックコーラスに応募してきて半ば合格したということで、ジェイミーのレッスンを受けるようになった。そのとき、もののついでに俺もジェイミーに教えてもらえることになった。
 あのころの俺はフリーターで、グラブダブドリブのおかげでロックバンドのヴォーカリストとしてデビューさせてもらえると決まっていた。
 その前からジェイミーには時折レッスンを受けていたので、違う!! そこはそうじゃない!! と怒鳴られるどころか、あ、まちがえた、と思う寸前に殴られるなんてのは慣れっこだった。
 身体が大きくて力の強いジェイミーに殴られると相当に痛いのだが、それだけ本気で教えてくれてるってことだ。うん、ジェイミー、ありがとう、ってさ、そうとばかり感謝してられっかよ。この野郎。その上に、藍さんが一緒にレッスンを受けていると、俺は彼女の分まで殴られた。
 男女差別主義の権化であるジェイミーは、女は殴らない、かわりにおまえを、と言って、藍さんがミスすると俺を殴るのだ。
 ま、俺は藍さんのついでだしさ、ジェイミーの暴力にも男同士のセクハラにも慣れてるよ、藍さん、そんなに恐縮しないで。
 といった出会い方をした俺たちは、レベルにはかなりの差があるとはいえ、ともにシンガーだ。現在の藍さんは主婦であり母であると同時に、たまにライヴハウスで歌っている。一方の俺はロックバンドのヴォーカル。売れていないという点は共通しているのだった。
「彰巳くん、その歌って歌詞はわりと複雑なんでしょ」
「そうみたいだけど、いいんじゃない?」
「いいけどね」
「ギター、持ってくればよかったな。藍さんにも歌ってもらって、公園でのミニライヴっていいじゃん」
「ちょっと恥ずかしいわ。私はここにはよく来るのよ」
「あ、そっか」
この方の夫はいつでもどこでも歌いたい男だが、奥さんは常識人だ。いずれにせよ、ふたりともにまったくの無名なので、シンガーとはいえ誰にも注目されず、昼どきの公園でのんびりしていた。
「食べようか」
「待ってました、腹減ったよ」
 万年金欠、万年貧困である俺は、グラブダブドリブのおかげで飢えずにすんでいる部分もある。
 悠介さんや司さんにおごってもらったり、プロデューサーの真柴豪さんやジェイミーの奥さんに食事に招いてもらったり、ドルフやボビーが、ほれ、と言って小遣いをくれたり。こういうことがあるのだから、ジェイミーや司さんのげんこつだの、豪さんや悠介さんの小言だのにも耐えられる。
 その点、説教もしないドルフやボビーはありがたいのかな、単に俺にはそれほど関心がないだけか。どっちの態度にも一長一短あるなぁ。
 考えつつ、俺はベビーカーを覗いてリーヤをあやす。その間に藍さんは、ベンチにすわってランチボックスを広げていた。
「うまそっ!! いっただきまーす。うんうん、藍さんは悠介さんよりも料理はうまいよね。あとの四人とは比べるのもまちがってるし、聡美さんよりもうまいし……うまいうまいうまーい」
「彰巳くん、大げさよ。それにね、悠介さんや聡美さんに失礼だから」
 聡美さんとは、豪さんの奥さんだ。彼女はキャリアウーマンであるので、時間がたっぷりある藍さんほどには家事には手をかけない。料理だって聡美さんのは手抜き気味、その分手際はいいのだが、藍さんの料理のほうが俺の口に合うのもあるらしい。
 パート主婦である俺の母は、九州出身だ。藍さんも九州出身だから、おふくろの味が似ているのだろう。藍さんの煮物は腹にもハートにもしみ渡る。
 サンドイッチと太巻き寿司、煮物や空揚げやポテトサラダ、卵焼きにトマト。野菜は得意ではない俺のために、ハンバーグにすりおろし人参が入っていたり、小さく切ったピーマンがポテトサラダに混ぜられていたり、やることが母と同じだ。
 ママの膝に抱かれたリーヤの口には、俺がスプーンを運んでやる。離乳食ってやつで、卵の入ったおかゆとオレンジジュースとほうれん草のうらごし。赤ん坊はこんなものがうまいのか。俺もリーヤの年ごろにはこんなの、食ってたんだろうな。
「藍さんも食えば? リーヤは俺が抱っこしてるよ」
「そうね。ちょっとだけお願い」
「落とさないからね」
「信用してるわよ」
 落としたりしてリーヤに怪我をさせたら……ちらっと想像するだけで怖い。ジェイミーの反応を考えるのも怖いので、俺はリーヤをしっかり抱えた。
「リーヤ、二十年後には……おっと、言わないよ。きみの花嫁姿を見るころには、俺も売れていたいなぁ。売れないまま引退して、なんてことにはなっていたくないなぁ」
「彰巳くんも料理はうまいんだから、豪さんのお宅でハウスボーイに雇ってもらったら?」
「藍さん、リアリティのある想像をさせないで」
 海苔巻きを食べながら、藍さんが笑っている。むこうから歩いてきたおばあさんが、なぜだか俺たちのすわっているベンチに割り込んできた。
「髪の毛が長いんだね」
「え? 俺? はぁ……」
 ロックヴォーカリストなんだから、この赤っぽく染めたロングヘアも小道具のひとつなんだよ。おばあさんに言っても理解不能だろうから、俺は愛想笑いを浮かべておいた。
「あんた、外人さん? まあ、なんて可愛い子。あいのこだからなんだね」
 そんな言葉、放送禁止用語だろ、と思っている俺にはかまわず、おばあさんはリーヤに話しかけた。
「お母さんは太ってて、だっさいとかいうんだろ。そんな女なのに、あんたはまぁ、なんて可愛らしいんだろうね。将来が危険だね。変な男にひっかからないようにしないといけないよ。見ればあんたのお父さんは、お母さんよりもだいぶ年下だろ。そんな年下の髪の長い男と結婚して、あいのこを産んでるだなんて、不細工な女だからなのか、苦労もあったんだろうね。あんたは美人になるだろうけど、美人には別の苦労があるんだよ」
「あの……」
 遮ろうとしたらしき藍さんにもかまわず、おばあさんは続けた。
「綺麗すぎる女も困ったもんだよ。いっそそのほっぺたに傷でもつけたらいいんだけど、そうもできないだろうね。なんだか甲斐性のなさそうなお父さんで、あんたもかわいそうに。大きくなったら水商売でもさせられて、このお父さんに食い物にされないようにしなさいよ」
「あのなぁ」
「彰巳くん」
 抑えて、とばかりに、藍さんが俺の手を押え、ばあさんはなおも言った。
「ほんとにまぁ、なんて可愛いんだろ。可愛すぎる子は不幸になるんだよ」
「藍さん、行こう」
「そうね」
 手早くランチボックスを片付けて、まだうだうだ言っているばあさんをほっぽって歩き出した。ベビーカーに戻されたリーヤは不満だったようで、きーっ、と抗議の声を上げている。
「藍さん、俺が抱いていい?」
「いいわよ……あのおばあさんったらあんな言い方……」
「俺はいいんだけどね」
 きーきー言っているリーヤを抱き上げると、いやぁん、みたいな声を出された。ママがいいらしく、リーヤは藍さんのほうに手を伸ばす。やむなく俺はリーヤを藍さんに返し、荷物を持って歩き出した。
 片手はベビーカーを押し、軽くなった荷物をかつぐようにして、リーヤを抱いた藍さんのあとから歩く。俺はリーヤの親父には見えないだろうと思っていたが、この年で一歳児のいる男はいなくもない。そう見る人間もいるってわけだ。
 あのばあさんの言い草には怒らずにいられなかったが、リーヤみたいな娘だったらほしいかもしれない。
 ってことは奥さんは藍さんか……外見を気にしないのならいい奥さんだろうけど、売れないシンガー同士の夫婦なんて、うまくいくはずないよな。ジェイミーが夫だからこそ、藍さんは幸せに暮らしている。リーヤだって幸せな赤ちゃんなんだ。
 現実的に考えると気分がへこんできそうで、俺だっていつかは……と前向きになろうと努力する。いつかは有名なロッカーになって、藍さんよりもずっと美人の奥さんと、可愛い子どもを持つんだ。いつかはきっと、たぶん、そうなったらいいな。


2・藍

 ベビーカーを押した男女が公園を歩いていれば、夫婦に見られても不思議はない。彰巳くん、気の毒に。
 だいぶ年下だとおばあさんは言ったが、実際には彰巳くんと私は三つほどしかちがわない。背は高めでほっそりしていて、赤く染めた長い髪をして、げっ歯類みたいな顔をしている高石彰巳。破れたジーンズを穿いた服装も若々しい。
 そんな彼と並んでいれば、太っていておばさんにも見える私はだいぶ年上、と思われても仕方ないだろう。これでもまだ二十代なんだけどね。
「あなたは彰巳くんが可愛くてしようがないのよね」
「そうなんだよ。俺は別にゲイじゃないんだけど、あいつばかりはさ、可愛くて可愛くてかまいたくなるんだ。性格も可愛いんだよな。ちょっとケツを撫でたらきゃあきゃあ騒ぐところとか、ひっぱたいてやったら泣きそうな顔をして、食ってかかってきたいらしいんだけど怖くてできない、みたいなところとか」
「暴力や痴漢行為はいけませんよ」
 ジェイミーには姉がふたり、妹がふたりいる。
 両親は故郷のイギリスで暮らしているが、姉妹たちは各国に分かれて住んでいる。私たちの結婚式のために家族一同が来日してくれて、大柄な女性五人と男性ひとりに囲まれて頭がぼーっとしている私に、ジェイミーがひとりひとり、丁寧に紹介してくれた。
「前にも話したけど、両親は現在ではごくたまに客演としてオーケストラで演奏する程度で、平素は本国の屋敷で悠悠自適。上の姉のジュリアはパリで音楽学校の教師をしていて、未婚の母だ。娘は彼氏のところに預けてきたんだそうだよ。下の姉のジェーン、上の妹のジャニス、下の妹のジョリーン……」
 パーソン一族のあかしのようなプルシアンブルーの瞳で私を見つめて、みんなが私たちを祝福してくれた。
 クラシック一家の長男で、彼のみは造反してロックの道に進んだとはいえ、ジェイミーはイギリスの音楽エリートの一員だ。アメリカの音楽学校と日本の音楽大学を卒業しているのだから、学歴も立派なもので、私みたいな地方の高卒である売れないシンガーとしては、最初は臆しているしかなかった。
「ご家族は反対しないの?」
 プロポーズされてうなずいた夢見心地のひとときがすぎると、私はそう質問した。
「反対なんかするわけないし、万が一したとしても俺はきみを妻にするよ」
 そう言い切ってくれた通りに。誰も反対はしなかったのだそうだ。夫婦のつりあいを云々するのは日本人だけなのだろうか。そうでもないだろうに。
「可愛いひとね、アイ」
 その程度だったらわかる英語で言って、ジュリア姉さんが私を抱きしめてくれた。あとの言葉はわからなかったが、ジェイミーが通訳してくれた。
「太ってるって? どこが? 藍は小さくて愛らしいわ。インディゴとラヴは日本語では同じアイ、なのね、ってさ。姉ちゃんたちもグラマーだろ。藍はイギリスに行けば小さいとしか思われない。太ってるなんて誰も思わないよ」
 とのことだった。
 出産したときにはお母さんがリーヤに会いにきてくれて、お守りをしてあげるからあなたはジェイミーとデートしてきなさい、と送り出してくれた。
 四人の姉妹たちに囲まれて育ったジェイミーは、女慣れしまくっていると言われている。女慣れはともかく、そういった育ちゆえに彰巳くんを弟視したがるのもあるのだろう。私から見ても彰巳くんは夫の弟のようなもの。結婚式以来会うこともない姉さんや妹たちよりも、彰巳くんのほうが親しみやすかった。
 老人は時として無遠慮なものだ。私も独身時代に小さなバーで歌わせてもらっていたときに、ブスだけど若いからいいか、わしの妾にならないか? とおじいさんにあからさまにからかわれたこともある。そのときにはおじいさんの連れの女性が、あんたも趣味悪いね、と言ってげらげら笑っていた。
 ロッカーというのは年配のひとの偏見にさらされることもよくある。グラブダブドリブのみなさんにしても、外国人であるのもあいまって、知らないひとには変な目で見られると言っていた。
 ドルフが夜中に警官に職務尋問されたとか、ボビーはバーで、覚せい剤の売人とまちがえられたとか、ジェイミーも酔っ払いにからまれて、外人は日本から出ていけと言われたそうで、悠介さんは顔が美しすぎるからか、あんた、いくら? と酔っ払いに訊かれたと言っていた。
「司さんはいかにも怖そうだから、そういうのってないのかな」
「ドルフも怖そうだけどね」
「俺は迫力ないもんな」
 グラブダブドリブのみんなやら、彰巳くんのバンド仲間やらが世間から受けた誤解の話をしながら歩いているうちには、私が抱いているリーヤがうとうとしはじめた。もう一度別のベンチに腰かけて、リーヤをベビーカーに戻す。そろそろ帰る? と彰巳くんに話しかけようとしていると、知人がやってきた。
「こんにちは」
「ああ、こんにちは、いいお天気ですね」
 マンションの同じ階に住む奥さんだ。私たちが暮らしているマンションは都会の富裕層の住居であるだけに、近所づきあいはほとんどない。形式的な自治会はあるものの、たいていの住人が管理会社にまかせていて、引っ越しの挨拶も日ごろの雑談もしないのが当たり前だ。
 田舎生まれの私にはなじみにくい。独身時代に住んでいたアパートだったら、顔を合わせればこんにちは、ぐらいは言ったのに、とは思うけれど、夫があのジェイミー・パーソンなのだから、私もご近所さんとは関わらないようにしているしかない。
 それでも顔見知りはいるもので、この女性は同じフロアの服部さんの奥さん。どういったご家庭なのかは知らないが、子どもさんがふたりいるのだけは知っていた。
「お話し、していいですか」
「……嬉しいです。私も服部さんとはお話ししてみたかったんですよ」
「そう? でも、お連れさんが……」
「いいですよ。俺はリーヤを寝かしつけてきますから」
 主婦の会話になど参加したくないようで、彰巳くんはベビーカーを押していってしまった。服部さんは好奇心に満ち満ちた顔をして私に尋ねた。
「どなた?」
「夫の友達です」
「へぇぇ。えーっと、お宅のご主人って日本人じゃないんですよね」
「はい。イギリス人です」
「かっこいいわ。そういうおうちって開けてるんだね」
「……はい」
 開けているとはどういう意味だろうか。質問もできずに曖昧に笑ってみせた。
 彼女はジェイミーが何者なのかを知っているのだろうか。我が家が入っているマンションには有名人もいるようで、詮索しないのが不文律になっている。服部さんにしても実業家なのか芸術家なのか文化人なのか。奥さんのほうは一般人かもしれないが、ご主人に相当な収入があるはずなのは確実だった。
「だけど、あんな若くていい加減そうな男の子と、真っ昼間からデートしないほうがいいんじゃない?」
「デートじゃなくて、子守りの散歩ですよ」
「ご主人はごぞんじなの?」
「今日は彼が電話をしてきて……」
 暇なんだよ、藍さんも時間ある? リーヤの子守りをするから、昼飯、食わせて、と彰巳くんが言った。朝方の電話で、ジェイミーは昨夜から帰っていないのでそれを知らない。私は彰巳くんに、そしたらお弁当を作るから、リーヤと三人で公園に行こうよ、と応じた。
「主人は知りませんけどね」
「それだったらよけいによくなくない? ご主人の友達だっていったって、若くてかっこいい男の子だもの。他人が変な噂を立てるよね」
「そう……ですか」
「お宅のご主人って芸能人なんだよね。そういうお宅は普通じゃないんだろうけど」
「普通じゃない……んですかね」
 たしかにジェイミーは普通ではないが、私はしごく普通だ。
「遊ばれないようにね」
「遊ばれるって……」
「ま、奥さんじゃあね。あら、失礼。彼って何者? ふらふらはしてるようだけど、かっこいいじゃない。私にも紹介して」
「いえ……」
「できないの? ひとりじめしたいの?」
 このまま話していると変な方向に行きそうだ。私はきついのは苦手だし、ご近所さんなのだからあまり言い返すわけにもいかず。困ってしまって、私はベンチから立ち上がった。
「失礼します」
「そう? じゃあ……」
 こんなときには逃げるしかない。早足で歩いてベンチから遠ざかり、彰巳くんを探す。彰巳くんは服部さんの台詞を聞かなくてよかったね。
「ちがうよ、俺の子じゃないって」
「ほんとかなぁ」
 声が聞こえているほうに歩いていくと、ベビーカーのそばに彰巳くんと、高校生らしき女の子がふたり、立っていた。
「よく見ろよ、この子、ハーフだろ。俺の先輩の子だよ」
「きゃあ、可愛い。抱っこしたーい」
「いやーん、可愛いっ」
「抱っこは駄目だよ。寝てるんだから」
 ケチぃ、だとか言われて困っている彰巳くんのほうに近づいていった。
「ごめんなさい。帰りましょうか」
「ああ、藍さん、うん、帰ろう」
 えーっ?! と言いたげな顔をしている女の子たちに会釈して、私がベビーカーを押した。あの子たちの言いたいことはわかってるわ、と思っていると、案の定の声が聞こえた。
「あのおばさんからあの子が……」
「嘘だろぉ」
「嘘じゃないんだとしたら……」
 あたしもハーフの子、産みたいっ!! と叫んだ女の子の声に、彰巳くんが両手を広げて、やれやれ、とやってみせる。その仕草はジェイミーとひどく似ていた。


3・彰巳

 まったく女って……と言いたいのはやまやまなのだが、藍さんも女なのだから言ってはいけないのか。藍さんと話していた金持ち主婦らしい女がなにを言っていたのかは知らないが、ばあさんも高校生も、まったく女ってのは。
 ベビーカーを押す藍さんのあとから歩いていくと、ジェイミー一家が暮らすマンションが見えてくる。独身の俺にはこのマンションは大きすぎるが、結婚したらこんな家に住みたいな。何度も何度も見たマンションなのに、立派な外観を見上げていると、格差社会だなぁ、と実感してしまう。
「高石さん?」
「あん? あ、ああ、えーと……」
 うしろから声をかけてきたのは、顔は見たことのある若い男だった。どこで会ったんだっけ? と思い出そうとしている俺に、藍さんが言った。
「私は先に部屋に戻ってコーヒーを淹れておくわね」
「うん、すぐに行くよ」
 藍さんは男に会釈してマンションの中に入っていき、彼は言った。
「俺のこと、覚えてない? 俺なんかは売れないバンドマンにも覚えてもらえないんだよね」
「同業者?」
「同業者じゃないよ。あんたなんかは売れてないにしたってプロだろ。俺はプロにもなれないんだから、あんたが知るわけないんだよな」
 というと、スタジオだかどこかで働く青年なのだろうか。あるいは、ライヴハウスででも会ったのか。背丈は俺よりもかなり低く、やや肥満気味の平凡な目鼻立ちの男だ。
「俺はお使いでここらへんを歩いてたんだよ。このマンションって芸能人だの小説家だのも住んでるって聞いたから、知ってる顔を見られるかと思ってた。そしたらあんたに会ったんだけど、あんたはここに住んでるんじゃないんだろ」
「俺にはこんなマンションの家賃を払えないよ」
「だよな。そしたらさ……」
 すっと俺に身を寄せて、名乗りもしない男は言った。
「あんなブスでも金持ちなんだろ。それで……なんだよな」
「なにが言いたいんだよ」
「俺だって、こんなマンションに住んでる女だったら太っててもブスでもいいよ」
 あのひとはグラブダブドリブのジェイミー・パーソンの奥さんだ、と言ってもいいものなのだろうか。こいつの言いたいことはわかったが、なんと応じればいいのかわからなかった。
「どうやって知り合ったの? 俺にもそんないいこと、ないかなぁ」
「……ないだろ」
 そういう意味では俺にだっていいことなんかない。第一、藍さんは姉さんというか同志というか、というべき存在で、ジェイミーに知られたらぶっ殺されそうな感情などは夢にも抱いたことはない。ジェイミーが怖いからではなくて、俺にはかけらもそんな感情はなく、藍さんも同じのはずだった。
 おまえも変なことを言うとジェイミーにぼこぼこにされるぞ、とも言えず、俺は彼を見下ろす。彼は俺を見返し、いやな口調で言った。
「あんたはいいよな。なんたって顔がいいもんな。俺はあんたをバイト先で見かけて、あいつは誰? って誰かに訊いたんだ。キャットニップスの高石彰巳だって教えてもらったんだけど、そんな奴、知らなかった。どんな音のバンドなのか、どんな歌なのかも知らないし、聴く気にもなんないけど、俺と同じくらいの年だろ」
「そんなものかな」
「あんたなんか、顔だけだろろうが。背も高くて細くて、顔だけじゃなくてルックスだけ……ルックスだけじゃないか。だから下手でもプロになれて、あんな年上の金持ちの女と……」
 聴いたこともないのに下手だと言うな、と怒りたいところだが、彼が俺たちの音を聴いてみたとして、やっぱり下手じゃないかと言われても否定できないのが弱いところだった。
「俺がどうにかなるためには、ルックスをどうにかしなくちゃいけないのか」
「そんなことないだろ」
 現に顔なんかよくなくても、かっこいいバンドはいる。売れているミュージシャンもいる。ミック・ジャガーだってスティヴン・タイラーだって……とは、比較する対象が大きすぎるか。
「俺にもなにかいいこと、ないかなぁ」
「……俺もだよ」
「今からあの女といいこと、するんだろ」
「そんなんじゃないよ」
「いいからいいから、いいなぁ、うらやましいな」
 下卑た笑みを浮かべた表情で俺を見やって、いいないいな、ともう一度言って、彼は行ってしまった。
「阿呆か、おまえは」
 女ってよぉ……とは言えない。人間ってのは……が正しいのか。そのあたり、俺にはとうていうまく言えそうになかった。


END




 

 
 
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