茜いろの森

フォレストシンガーズ、本橋真次郎、乾隆也、本庄繁之、三沢幸生、木村章、そして山田美江子、小笠原英彦。メインキャラに加えて、その他大勢登場する連作短編集がメインです。フォレストシンガーズ以外の小説もあります。

はじめていらして下さった方へ❤

内容紹介

ようこそいらっしゃいませ

はじめて「茜いろの森」をご訪問して下さった方、
ありがとうございます。
当ブログのコンテンツのようなものについて、説明させていただきます。

「NOVEL」と番外編はフォレストシンガーズ小説で、
全部がつながっています。
フォレストシンガーズの五人、
本橋真次郎、乾隆也、本庄繁之、三沢幸生、木村章。
及び、山田美江子、小笠原英彦。

メインとなるのはこの七人で、
彼らとどこかしらでつながりのある人々が、
別の物語になって動いていたりもします。

フォレストシンガーズキャラクター相関図」も、お粗末ながら作ってみました。

番外編はフォレストシンガーズ以外のキャラが主役、
のはずだったのが、
いつしか妄想ストーリィメインになりました。

「未分類」は言い訳、ご挨拶、お願いなどなど。
「FOREST SINGERS」には第一部からの完了記念企画やら、
著者が彼らに書かせたエッセイやら(そうなんですよ)を載せています。

「内容紹介」はあらすじ、タイトルの曲名説明、
などなどです。

「ショートストーリィ」は、茜いろの森の小説は長すぎる、とおっしゃる方のため、
はじめてご訪問くださった方に、おためしで読んでいただくための、ごく短い小説を置いています。
ただいまのところ「ショートストーリィ」カテゴリには、musician、しりとり、などがあります。
興味を持って下さったら、メインのフォレストシンガーズノヴェルも覗いてみて下さいね。

「別小説」は同人誌仲間と書いたリレー小説の番外編、友人のクリエストで書いた小説、
私が昔から書いているフォレストシンガーズではない小説もあります。
そっちにもフォレストシンガーズの誰かが顔を出す場合もあるのは、
著者の趣味です。

そこから独立した、グラブダブドリブやらBL小説家シリーズやら、リクエストいただいて書いた小説などもあります。
BLとはそう、あれ、BL小説家の桜庭しおん作の過激な小説が作中作として出てきますので、お嫌いな方はくれぐれもごらんになりませぬよう。

他にもBLがかった物語もありますので、そういう場合は「注意」と赤字を入れておきます。

「共作」はまやちさんとの共作。
「連載」は私も連載をやってみたくてはじめた、ロックバンドの物語です。
ひとつひとつがおよそ1000字ほどですので、お気軽に入っていってやって下さいませ。

「お遊び篇」は、またややこしくて、
えーと、つまり、フォレストシンガーズストーリィのキャラたちが名前はそのままで、
別人になって別世界に生きている物語です。
すみません。

「リレー」カテゴリもあります。
その他、これからも増やしていく予定であります。

こんなアンケートを作りました。同じものがトップページにもあります。
できましたら投票して下さいな。楽しみにしております。














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どれから読もうかな? の方へ・追伸

内容紹介

フォレストシンガーズについて、などなど


四年ほど前に私の頭の中に生まれてきたアキラ。
「俺はもとからいたんだから、生まれてきたんじゃないんだよ」
と、本人は主張しておりますが。
本人の主張はさておき、アキラが生まれてきたおかげでフォレストシンガーズが誕生しました。

凝り性で、そのくせ飽きると離れていってしまうという著者が、唯一、何十年も飽きずに凝りまくっているのが「小説を書く」ということ。

昔は投稿したり、紙の同人誌を作って発表したりしていました。
この時代になって、ホームページを作ろうかと思い、むずかしそうだから避けていて。
そんなころにフォレストシンガーズの小説を書き溜めていましたので、そうだ、ブログで発表しよう!! と決めたのでした。

そうしてフォレストシンガーズメインの「茜いろの森」を創設してから約二年半。
最近はグラブダブドリブ、ジョーカー、しおんとネネのシリーズや連載。
ショートストーリィなども書いてはいますが、やはりメインはフォレストシンガーズです。

「茜いろの森」をご訪問下さった方で、フォレストシンガーズってなに? と興味を示していただけた方は、「内容紹介」、「forestsingers」カテゴリをお開き下さいませ。
All title list(作品数が多いので、2ページになっています)の中にあります。

そのカテゴリの中の「こんなお話です」に目を通していただけると幸いです。

小説でしたら、ショートストーリィ(musician)の中のフォレストシンガーズ物語、一話~七話までをお読みいただけるのが、いちばん最初でしたら最適かと思われます。
フォレストシンガーズストーリィ1-第一話「はじまり」

どれから読もうかな? の方へ
「The Chronicle・ショートバージョン」
もわりあい短めです。

長くてもいいとおっしゃる方には、「The Chronicle」全11話のロングバージョンもございます。
小説200(The Chronicle)第一部

その他にもフォレストシンガーズストーリィはあちこちに散らばっております。
お急ぎでない方は「あらすじ」なども見ていただいて、お好みに合うストーリィを見つけていって下さいませ。

みなさまのアクセスや拍手、コメントなどは著者の最大の喜び、励みでございます。
変なコメント(変というのは種々ありますが)でない限りは必ずお返事させていただきます。
URLを残していただければ、コメントを下さった方のブログにも遊びにいかせてもらいますねー。

さて。
いついつまでもブログを続けていきたい、というのが私の最大の希望でもありますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。
こんなミニアンケートにも、よろしかったらお答え下さいね。




2013/8月
津々井茜



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どれから読もうかな? の方へ

内容紹介

2011/5/28

「The Chronicle・ショートバージョン」

**はじめに

 長い「The Chronicle」をブログにアップしてから、考えました。
 はじめてフォレストシンガーズストーリィを読んで下さる方は、「The Chronicle」から読んでいだけるといいな。彼らの大学一年生から三十歳までの物語だから、ちょうどいいな。
 でも、最初に読んでいただくには長すぎるかも。
 ならば、ショートバージョンを書こうと決めて書いたのがこのストーリィです。「The Chronicle」の抜粋ではなく、エッセンスを抽出して短くまとめたものですので、長いのも短いのも両方読んでいただけると嬉しいです。
 このストーリィを読んでフォレストシンガーズに興味を持って下さった方は、「The Chronicle」本編もぜひどうぞ。もちろんその他のたくさんたくさんあるストーリィも、読んでいただけると嬉しくて嬉しくて、著者は舞い上がってしまいまする。

 なお、これでも長いだろ、とおっしゃる方には、さらに短いのもあります。
フォレストシンガーズストーリィ1-第一話「はじまり」
ここからスタートする七つのストーリィも、よろしくお願いします。

 ではでは、ショートバージョン、お楽しみ下さいませ~。



1・真次郎

 七つも年上の兄貴たちに育てられた十八歳の暴れん坊が、桜の花なんて気にしているわけもない。あのころの俺は桜なんて見てもいなかっただろうけれど、この季節になると思い出す。あの日もこうして桜が満開に咲き誇っていた。
 桜吹雪と聞くと遠山の金さんを思い出す俺にも、自分自身の桜吹雪の思い出はある。大学の入学式、俺の運命を決めた日。大仰に言えばそうだったのかもしれない。
 空手家で双生児の兄貴たちに反発したいためもあって、俺はスポーツ嫌いだった。好きなものはたくさんたくさんあれど、中では音楽がもっとも好き。ピアノも好きでクラシック音楽も好きだったのだが、オーケストラなんて俺のガラじゃねえや、だった。
 サークルに入ろうとして迷った末に、俺は合唱部を選んだ。新入生勧誘パフォーマンスで歌っていた女性たちの美しい声や、当時の女子部キャプテンの美しい容姿に魅せられたせいもあった。
 飛びこんでいった合唱部の部室で、先輩の星さんに会った。彼の人柄に惹かれて、入部してから触れ合った男子の先輩たちにも惹かれていって、俺は強く強く合唱部に傾倒していく。歌というものにものめり込んでいく。
 それからもうひとつ、同級生との出会いもあった。東京生まれの俺がこの大学に入学し、合唱部に入部しなかったとしたら、おそらくは会わなかった乾隆也だ。
「乾、本橋、おまえたち、夏のコンサートでデュエットをやれ」
 キャプテン高倉さんのその命令が、俺たちを結びつけた。いや、高倉さんの言葉がなかったとしても、俺たちは特別な仲になっていただろう。男同士で特別とは気持ちが悪いのだが、そうなのだからどうしようもない。
 金沢生まれの乾と俺、運命論も俺のガラではないけれど、そんなこともあるのかなぁ、と今になれば思う。それからそれから、もうひとり、彼女との出会いはまちがいなく、俺の運命を変えた。
「綺麗だねぇ。あれから何年たつんだろ」
「あれから何年なんて振り返るのは、年を食った証拠だぜ」
「だけど、このシーズンには思い出すでしょ」
「うん、まあ、そうだな」
 近所では一番豪壮な邸宅の塀ごしに、ゴージャスな桜が咲きこぼれている。まるで秀吉が愛でた醍醐の桜のよう……俺はそんなものはこの目で見ていないのは当然だが、こんなだったのだろうと思う桜だ。そんな桜を見上げて、俺は妻と会話をかわす。
 あれから何年、その何年とは、おまえとおまえと出会ってからの歳月と一致する。おまえ、とは乾と美江子だ。美江子とは「あれ」がいつなのかをわかり合っている。仲間たちとの出会いと、美江子との出会いがあって、今、俺はここに立っている。


2・美江子

 母校のキャンパスの花壇には、ポピーの花が並んで咲いていた。
「可愛いチューリップの花ですね」
「……あのね、三沢くん」
「はーい」
 咲いた咲いたチューリップの花が、三沢くんが歌う。十八歳の男の子がそんな可愛い声を出す? キミのほうが花よりも可愛くて、声だけだったら幼稚園児の坊やみたい。顔を見ても中学生みたい。ふたつ年下の三沢幸生を見つめていたら、吹き出して笑い出した。
「美江子さん、なにがそんなにおかしいんですか。そんなに笑わないで」
 笑いすぎて涙が出てきたら、三沢くんは私の背中をとんとん叩いてくれた。
「美江子ちゃーん、泣いたら駄目よ。べろべろばー」
 今、ここにいるのは、その三沢幸生、最年少の大学二年生。彼に較べるとずいぶんとお兄さんに見える、本橋真次郎、乾隆也、彼らは私と同い年の大学四年生だ。そして、大学三年生の小笠原英彦と本庄繁之。五人がキャンパスに集まって、本橋くんが私に正式に紹介してくれた。
「フォレストシンガーズだ。決定したよ」
「……うん」
 詳しくなんか言ってくれなくてもわかる。大学の男子合唱部で知り合った五人が、ヴォーカルグループを結成した。私も話は聞いていたけれど、正式に決定したから改めて紹介してくれたのだ。
「三沢くん、覚えてる?」
「覚えてるってどれですか? あの樹の陰で美江子さんとキスしたこと? むふふ」
「おー、三沢? おまえ……美江子さんと……このぉ」
「きゃああ、小笠原さんっ!! 許してっ!! だって、愛し合ってるんだもんっ」
「許さない。待て」
 逃げていく三沢くんを、小笠原くんが追いかけていく。本庄くんはきょろきょろしてから、私にもの問いたげな目を向ける。乾くんは笑っていて、本橋くんが質問した。
「山田、おまえ、ほんとにあんなガキとキスしたのか?」
「そうじゃなくて、この花壇に咲いてた花よ」
「花なんか咲いてたか?」
「春には咲いてたでしょうが」
「そうだったかなぁ」
「あのへんにはどんな花が咲いてたか、覚えてる?」
 冬枯れの花壇には花はなく、本橋くんと本庄くんは悩んでいる。乾くんは言った。
「花壇なんだから花はあるよ。春の花だったら……あのあたり? ポピーだったな」
「さすが乾くん。花の名前も知ってるし、記憶力もいいよね。本橋くんや本庄くんも見習いなさい」
「はい、すみません」
 本庄くんは素直に答え、本橋くんは言った。
「歌詞は覚えないといけないけど、男は花の名前なんか知らなくていいんだよ」
「でも、本橋さん、歌には花が出てくるでしょ」
「俺は出さないからいいんだ」
 ポピーの花が咲いていたころに知り合った、大学一年生だった三沢くん。二年近くがたっても、彼の声は黄色くて、小笠原くんにつかまえられてきゃあきゃあ悲鳴を上げている。
 なんでおまえは花の名前なんか知ってるんだ、と本橋くん。乾さんのおばあさんは、お華の先生だからでしょ、と本庄くん。ポピーくらいは常識だろ、と乾くん。そんな五人で、歌の道を歩き出すんだね。私も一緒に歩いていく。
 きっと近いうちには、あなたたちはプロになる。私はあなたたちのマネージャーになる。目の前にはお花畑が広がっている。未来をそう考えれば、頬を刺す冬の風までが、あたたかく感じられた。


3・隆也

 アマチュアながらも、ノーギャラながらも、仕事をさせてもらって泊まらせてもらった海の家の庭に、朝顔の花が揺れている。青や紫の暗い色ばかりで、朝から俺の気持ちも暗くなりそうだ。
「……暗い色合いだと思うから暗く感じるんだ。暗いんじゃなくて爽やかで清々しい色の花だと思え、隆也、気は持ちようだ。ものは考えようだ」
 山田、本橋、乾が大学を卒業してから一年余り、今年は一年下の本庄シゲ、小笠原ヒデも卒業した。三沢幸生は大学四年生。俺たちはいまだアマチュアだ。
 プロになるための道は険しくて、真夏の朝に海辺にいても心は浮き立たない。一昨年までは別の海辺で大学合唱部の合宿をしていて、あのころはひたむきに楽しかったのに、俺の青春は卒業とともに終わったのか。
 暗くばかり考えてしまうのは、ヒデがいなくなってしまったから。ヒデは結婚するからと言って、梅雨のころにフォレストシンガーズを脱退してしまった。
 一年生の年にだけ合唱部にいて、大学をも中退してロックに走っていた木村章は、幸生とは仲良くしていた。シゲやヒデとも親しくしていたらしいが、本橋や俺は章とはほとんど交流もなかった。その章を幸生が連れてきて、強引にフォレストシンガーズに参加させた。
 であるから、人数的にはフォレストシンガーズはもとに戻っている。それでもそれでも暗いのは、章が俺を嫌っているから? 俺が悪いから? あいつだって悪いだろ。
 章は彼女のスーちゃんと喧嘩ばかりしていると言う。喧嘩はするのが当然だろうが、彼女と彼は暴力沙汰の喧嘩になって、章はスーちゃんに殴られて殴り返すという。そうと聞いて説教したのがはじまりだった。
 もてるらしき章は、女性の母性本能をくすぐるのだろう。綺麗な顔をしていて細くて小柄で、反抗的なロッカー。彼は小さな薔薇なのか。美しい外見に引きつけられて寄っていく女は、刺にさされて傷つく。女性が守ってやりたいと感じる男の章は、時に牙を剥く。
「あいつは弱気で寂しがりなんですよ。そんなところを隠したくて反抗的になったり、女にばっか強く出たり、実は最弱軟弱脆弱柔弱……」
「幸生、そのへんでいいよ」
 弱のつく単語を並べ立てようとする幸生を、途中でさえぎったこともあった。
 女に暴力はふるうし、遅刻はするし、説教するとふてくされるし、リーダーに殴られるとふくれるし、その上にその上に、あろうことか、ファンの方につっけんどんにする。あまつさえ、突き飛ばしたりもする。あのときは俺は章の頬を軽く張り飛ばした。
「あいつはフォレストシンガーズのファンじゃなくて、ジギーのファンだった女ですよ。乾さんには関係ないじゃん」
 ジギーとは、章がヴォーカリストとして加わっていたロックバンドだ。インディズとしては人気があったのだそうで、章にはそのころからのファンがついている。
「なんであろうとも、ファンの方にそんな態度を取ってると癖になるんだよ。俺たちがメジャーデビューして、支持して下さるファンの方におまえがそんなだと、プロのシンガーとしては最悪だろ」
「ファンなんてうぜえんだもん。それにさ、俺たちがメジャーになるなんて……乾さん……わかりましたから。いやだよ」
 手を上げて顔をかばっている章を、きつく殴る気はなかった。説教だってしたくはなかったのだが、彼は本心からそう思っているのかと、おりに触れては説得してきた。章だってわかっているだろうに、ロッカーらしき反逆心なのか、素直にうなずいてはくれない。
 先輩風を吹かせて説教ばかりするうざい奴。章にはそう思われているのはまちがいない。俺の存在に嫌気が差して、章がフォレストシンガーズを脱退したとしたら……そう思うと気持ちが暗澹としてくる。真夏の朝を俺のグレイの吐息が曇らせていると、幸生の声が聞こえた。
「おはよう。隆也さん、ユキちゃん、キスしてあげようか」
 十八番の幸生の女芝居だ。俺が暗くなっていると察してなぐさめてくれようとしているらしいが、こんななぐさめはいらない。強いて荒々しく言った。
「幸生、おまえ、あの花の名前を知ってるか。まちがえたら罰として、あそこに見えてる灯台までランニングだぞ。言ってみろ」
「あの花? ええとええと……チューリップ、桜、薔薇、菊……他に花ってあったっけ。ええとええと……そうだ、ポピー!! きゃーーっ、乾さんっ、なにをなさるのっ?!」
「ランニングだって言っただろ」
「隆也さんもつきあってくれるの? そしたらね、おんぶして走って。きゃわわーっ!! ひとりで走りますっ!! 先輩ったら怖いんだから。ユキちゃん、そんなことされたら疼いちゃうわ」
「……黙って走れ」
「はいっ!!」
 前を走っていく幸生の髪が朝陽に輝いている。朝顔が幸生と俺を見比べて笑っている。くよくよと考えているよりも、俺たちは走らなくっちゃ。


4・英彦


 暑苦しい花だな、と呟くと、恵が言った。
「夾竹桃。ヒデって花の名前を知らないね」
「男は普通はそうだろ」
 乾さんは別として、シゲも幸生も本橋さんも花の名なんて知らなくて、美江子さんが呆れてたよ、とは口の中で呟く。
 遠い遠い昔の友達なんて、思い出すと虚しいだけなのに、今では気軽に親しくできる男友達がいないせいか。妻と子はいても女友達はさらにいない。友達がいても妻や子はいない男だって多いのだから、俺は幸せだ。
 紫陽花を見ると楽しかった学生時代を思い出すから、あの花は嫌いだ。梅雨がすぎて真夏になり、紫陽花は見なくなったと思ったら、今度は暑苦しい花か。
「濃いピンクは暑苦しいかもしれないけど、白いのはよくない?」
「俺は好きじゃないな」
「たしか夾竹桃って、根だか樹だかに毒があるんだって」
「食うと死ぬのか?」
「そうかもね」
 毒のある樹は食ってもまずいだろう。別に死にたくはないのだから、夾竹桃を食う気もないけれど、最悪、あいつを食えばいいんだな、なんて思って苦く笑った。
 数年前にフォレストシンガーズを脱退して結婚し、子供ができて普通の父、普通の夫、普通のサラリーマンになった。フォレストシンガーズがデビューしたとの噂は聞かないし、シンガーズだって普通の人間なんだから、俺とはなんちゃあ変わりもせんちや、ではあるのだが。
 なのになんだって、俺はこうして鬱々している? 夏の陽射しの中、淡い緑のワンピースを着て、白いパラソルを差した妻はけっこう美人で、妻の押すベビーカーの中の瑞穂は、天使のように愛らしい赤ん坊なのに。
「パパ、買いものしてくるから、見ててね」
「ああ。ゆっくり行ってこい」
 ドラッグストアに入っていく妻を、外で待っている。俺はガードレールに腰かけて、ベビーカーを見つめている。瑞穂がほにゃほにゃと笑っている。可愛いな、おまえは俺の娘なんだもんな。けど、おまえがいなかったら俺は……
 ふっとよくない想いが浮かび、頭を振った。赤ん坊は父親の悪心を感じたのか、唐突に泣き出す。抱き上げるといっそう泣く。ドラッグストアから恵が顔を出した。
「パパ、泣かしたら駄目。ちゃんと見ててよ!!」
 怒鳴られて怒鳴り返した。
「赤ん坊ってのは泣くのが仕事だろ。俺のおふくろはそう言ってたぞ。文句があるんだったらさっさと買い物をすませて出てこいよ」
「もうっ、役に立たないんだから」
 これではまた喧嘩になりそうだ。冷戦になるのか舌戦になるのか。せめて明るい喧嘩だといいな。こうなってくると妻も娘もうっとうしくて、俺は夾竹桃に悪態をついた。
「家出したいよ。失踪したいよ。くそっ!!」
 ベビーカーに戻すと、瑞穂は顔を真っ赤にしていっそういっそう泣き出した。
 

5・繁之


 この花だったら知ってるけど、なんて名前だっけ? 幸生だったらチューリップだと言いそうだが、チューリップではないのは知っている。チューリップは春の花だ。
 アマチュア時代にはこの公園で、五人で練習をしてきた。筋トレやキックボクシングごっこや、ランニングもした。議論もした。コンビニで買ってきた夜食やら、美江子さんがさしいれてくれた手作りの豚汁なんかも食った。
 本橋さんが不良にからまれていた高校生を助けたり、乾さんが女の子をかばったり、章がどこかの男に殴られそうになったり、幸生が泣きそうな顔でブランコにすわっていたり、そんな思い出がたくさんたくさんある。
「俺の書いた曲なんです。乾さん、見て下さい」
「お、書けたか……うんうん……ヒデ、これ、駄目だろ、これは」
「なんでですか」
「自分で考えろ。ほら、ここだよ」
 俺にはできないソングライティングについて、乾さんと話していたヒデの声を思い出す。ここんところは盗作だろ、と指摘されたヒデは、あとから言っていた。
「あのときには乾さんを殴りそうになって、辛抱したんだ。俺、えらいだろ」
「アホか。当然だよ。盗作だって言われて怒って、乾さんを殴ったりしたら、俺が許さんからな」
「……おまえにやり返されたら俺は死ぬから、やらんでよかったな」
 がははっと笑った声までも思い出した。
「とうとうデビューしたんだよ。ヒデは知らないだろ? フォレストシンガーズなんて名前、どこにも出てないもんな。でも、もうじき各地のFM放送挨拶回りをするんだ。おまえはFM放送のある地域に住んでるのか? 茨城や高知だったら聴けるよな。おまえがどこにいるのかは知らないけど、元気なんだろ? 幸せなんだろ? 結婚したのかな。子供もできたのかな。恵さんって……うん、まあ、美人だよな。おまえも顔は整ってるんだから、可愛い子供だろうなぁ。会いたいな」
 ヒデの子供よりもヒデ本人に会いたい。この花、なんて名前だ? ヒデに質問したい。ヒデもきっと知らないだろうから、乾さんと美江子さんにも来てもらおう。花の名前はどうでもいいから、本橋さんと幸生も呼ぼう。章は、呼ばないほうがいいんだろうか。
「みんなで言うんだよな。幸生は言うんだよ。チューリップ? あいつの定番だからさ。本橋さんは薔薇だって言うかもな。そしたら美江子さんか乾さんが……あ? コスモス? そうだったかも。自信はないけどそうかもしれない。誰かが教えてくれたんだ。おまえじゃないだろうけど、ありがとう、ヒデ。コスモスだな」
 自信はないがコスモスだと決めた白や薄桃色の花を見ながら、ヒデに話しかける。繊細で可憐な花だ。俺にもこんな彼女ができたらいいな、ヒデのことばかり考えている女々しい自分が腹立たしいのもあって、コスモスに意識を向けていた。


6・幸生

「悲しくったって、苦しくったって
 ステージの上では平気なの
 だけど、涙が出ちゃう
 だって、ユキちゃん、女の子なんだもんっ!!」

 この替え歌を歌うとシゲさんは脱力し、リーダーはげんこつを固め、章はキックをしかけてきて、美江子さんはため息をつく。乾さんは俺の肩を抱いてくれた。
「そういうタイムリーな歌を歌うな。売れなくて悲しくて苦しいなんてのは、もっと長くやってから言うもんだよ」
「身も心もユキちゃんになっていい?」
「心は見えないから、ユキちゃんになってるんだとおまえが言い張れば、俺もうなずかざるを得ない。身は見えるんだぞ。なってみろ、なれるのか、え、幸生? なれるのか」
「そんなご無体な……」
 変身はできそうにないので諦めて、心だけはユキちゃんになろうと乾さんにくっつく。本橋さんとシゲさんはむこうで、俺たちを見ないように必死で無視しようとしている。章は美江子さんと、虫みたいにちっちゃい花のそばでお話していた。
「俺もやっぱ本物の女性とお話したいなぁ……」
「俺に女になれって言ってるのか」
「乾さんが女になったって……俺の趣味は知ってるでしょ」
「小柄でキュートな美少女だろ」
「そうそう。俺を女の子にしたような美少女ね」
「女性は男装すると十歳若く見え、男は女装すると十歳老けて見えるという。肌の差だそうだな。幸生、不精ひげがはえかけてるぞ」 
 人を現実に立ち返らせる無情な発言をしてから、乾さんは公園のベンチにすわった。
 ここは兵庫県の公園。近隣の人々の憩いの場になっているようで、そぞろ歩くカップルや家族連れや友達連れは大勢目につく。けれども、だあれも俺たちに目を留めてはくれない。俺たち、フォレストシンガーズっていうんだよぉ!! って叫ぼうか。パークライヴをやろうよ。無料だよ。俺たちの歌を聴いて、拍手を、歓声を下さい。
 餓えるほどにそう思う。デビューしてから二年がすぎて、今年も秋になって、いろんないろんな仕事をしてきたけれど、俺たちはまったく認められないまんまだ。
 試行錯誤を繰り返し、多種類の歌のジャンルにチャレンジし、テレビのバラエティ番組に出たり、ラジオに単発で出演したり。そのどれもがフォレストシンガーズの糧にはなっただろうけれど、実を結んではいない。
 乾さんの言う通り、悲しむにはまだ早いと知ってはいるけれど、イベントに出演させてもらって主催者にないがしろな扱いを受けると、へこみたくなる。無名のシンガーって人間じゃないの? 猫だったら不細工でももてはやされるのに、ユキちゃんは可愛くても愛してもらえないんだわ。
 なんてね、こうやって自分の中でもひとり芝居をやって、俺はてめえを鼓舞する。乾さんと美江子さん以外は芝居をやると怒るけど、実はちょっぴり癒されていたりするんでしょ。
「乾さん、あの虫みたいな花、なんて名前ですか」
「紅の虫か。あれはおまえには高度だろうな」
「花に高度や低度ってあるんですか」
「あるんじゃないのか。一般的知名度の高い、おまえでも知っているチューリップや桜から、おまえだと知らなくても普通な萩や竜胆やえのころ草、さらに知名度の低い、イタドリ、ベニタデ、ゲンノショウコ、などなど。知名度レベルでも花は多種に分類できるんだよ」
 それってシンガーになぞらえてる? シンガーとはさかさまに、花は知名度が低いほど高度なのか。俺は今、乾さんが言った花の中から、あの虫のようなちっこい花の名前を探した。
「リンドウかなぁ。ちがう? 萩」
「おまえにだったら推理は簡単だろ。覚えないと意味ないんだぞ」
「はあい」
 我々だって覚えられないと意味がない。しかし、公園でフォレストシンガーズの名を連呼するのは、犯罪に近いのかもしれない。そのためにはどうすればいいのかも、模索しながら歩いていく。それが我らの生きる道?
 これからも俺たちは、シンガーとして高級になるために努力する? 高級とひとことで言うべきなのかどうかもわからない暗い道を、みんなで歩いていく。
 ねえ、隆也さん、頼りにしてるからね。俺はあなたの背中を特に見つめて、一生懸命ついていくよ。どこまでも連れていってね、ごろにゃん。


7・章

 デビューしてから六度目のクリスマス。去年にはシゲさんが結婚し、フォレストシンガーズはほんのちょびっと有名になった。有名になったと口にするのもおこがましいが、デビュー当時から二、三年ほどの真っ暗闇からは抜け出しつつある。
 二十二歳でプロのシンガーズの一員となった俺は、二十七歳になった。愛した女もいるけれど、スー以外の女とはすべてが切れた。スー以外の女はどれもこれもがまやかしだったのだから、切れて後悔もしていないが、心に寒い風が吹く。
 クリスマスのイルミネーションやツリーや、音楽で浮き立つ街で俺はひとり。すこしは売れてきたといっても、ちびの俺がひとりで街を歩いていても、ファンに発見されて騒がれるなんてまずない。そのほうが気楽だけど、時にはこんなこと、ないかなぁ。
 女子大生の集団が俺を見つけ、わーっと取り囲み、サインだ握手だ写真だと騒いだあげくに、その中でもとびきり可愛い子が言う。
「あたしたち、これから女の子ばかりでパーティするの。木村さんも来て」
 五、六人の女の子は全員が、俺の好みの小柄で細身の美人ばっかり。俺は迷惑そうなそぶりをしながらも言うのだ。
「ちょっとだけだったらつきあうよ。ケーキでも買っていこうか」
「木村さんが来てくれるだけで嬉しいの」
「そうは行かないだろ。女子大生のパーティに社会人が手ぶらでは行けないよ。これで好きなものを買えよ」
 札を握らせると、女の子たちは感激して、みんなそろって背伸びして、俺にちゅっちゅっのちゅーっ!! ……ああ、虚しい。
 つまんねえからナンパしようかな。スターになっていない現状の利点は、道行く人々のほとんどが俺を知らないこと。ナンパして釣り上げた女もたいていは俺を知らないから、適当にごまかしてホテルに連れていって寝て、適当にバイバイ。
 乾さんに知られたら叱られるだろう……そう考えてから、あんたもやってんだろっ、と胸のうちで叫び返す。可愛い子はいないかと物色していたら、街角にたたずむ女の姿が見えた。ベージュのコートのすらっとした女は、俺と同じくらいの身長だ。小柄ではないけど、まあ、許容範囲。俺は彼女に近づいていった。
「彼女、ひとり? お茶でもどう?」
 顔が見たいのに、彼女はうつむいたまんまだ。どこかで見た女……有名人かな? 気が逸って気もそぞろになっていた。
「誰か待ってんの? ふられたんだろ。俺とお茶しようよ。メシだっておごるよ」
「……」
「すかすなって」
 苛々してきたので、ちょっとだけ怒らせる手段に出た。
「顔を見せてよ。見せられないってのはブスなんだろ」
「……え……」
「いやいや、ブスじゃねえよな。顔を見せて」
 猫撫で声を出して顎を指でそっと持ち上げる。女は顔を上げてにたっと笑った。
「うぎゃっ!!」
「口裂け女じゃないんだから、悲鳴を上げなくてもいいじゃないの」
「口裂けって……古っ」
 ある意味、妖怪よりも悪い。逃げてもはじまらない相手だからなお悪い。開き直った俺は言った。
「そんなコート、見たことないし、美江子さんだなんて気づきませんでしたよ」
「私は声で章くんだって気づいたから、黙ってうつむいてたの。あなたはいつもこういうことをやってるんですか。お話を聞かせていただこうかしら」
「補導の教師みたいに言わないで」
「食事をおごってくれるんじゃなかったの?」
「美江子さんはデートじゃなかったの?」
 ぎろっと睨まれた。図星だったのかもしれなくて、腕を引っ張られるままになった。
「あれは知ってる?」
「あれって?」
 彼女と腕を組んで歩いているというよりも、教師に腕を取られてどこかへ引きずっていかれる中学生気分。我らがおっかないマネージャーと街を歩くなんて、振り切って逃げたら本橋さんや乾さんに告げ口されるから、逃げるに逃げられない。
 情けなくて返事もしたくなかったのだが、あれって? と彼女の声に反応してしまった。美江子さんが指差す先には、赤と緑の花のような葉っぱのようなものがあった。
「飾りですよね。造花? 乾さんに教わったような……クリスマスの花、クリスマスカラー……なんだっけ。忘れたよ」
「ポインセチアだよ。あんなふうに華やかに……見えてくるの」
 目を閉じて、美江子さんが囁いた。
「あなたたちの将来は、ポインセチアカラーに彩られてるのよ」
「へええ、いいね」
 美江子さんがえらい美人に見える。いや、もともと彼女は美人なのだが、いつだっておっかなさが先に立つ。今夜は優しい気持ちになってくれているのか、彼氏にデートをすっぽかされて不機嫌なのを繕おうとでもして、作為的に優しくふるまっているのか。
 どっちにしても、優しい美江子さんだったら好きだ。クリスマスイヴ当日ではないのだから、美江子さんとデートってのもいいだろう。
「メシ食いにいきます? 酒もいいでしょ」
「いいけどね、章くんはお酒を飲むと潰れるんだから、一杯だけにしなさいね」
 こういうことを言うから、デート気分に水を差すのだ。酒を飲んでいても説教されそうで、俺は美江子さんの腕を静かに静かに、と努力して引き離した。
「急用を思い出しました。帰ります」
「そうなの? ナンパなんかしないようにね」
 うるせえんだよっ!! と怒鳴りそうになったのをこらえて、小走りになる。来年こそはポインセチアのように華やかなクリスマスを迎えたい。優しくて可愛い彼女もほしい。
 今年のクリスマスには間に合いそうもないから、来年こそ、来年こそ、と祈る。俺たちフォレストシンガーズは、ポインセチア程度の知名度を持つシンガーズになれるのだろうか。今年のクリスマスコンサートのチケットは初ソールドアウトだったのだから、近々きっとなれるさ。
 そうと信じていなければ、こんな寒空の下、ひとりで歩いてなんかいられるかよ。きっと俺たち、大物になるんだよっ!!

未完
 



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フォレストシンガーズ人物相関図①

内容紹介

フォレストシンガーズを中心とするキャラクター相関図  
(ver1.大学関係)


修整

以前から相関図モトム、とのリクエストをいただいていました。
このたびも大海彩洋さんからリクエストいただきまして、さあ、どうしよう、と悩んだあげく。

家系図を作れる無料ソフト発見。
ただ、無料の分では印刷もできないし、画像として使えない。
うーん、どうしようかとまたもや迷ったあげく、いい方法を考えてもらいました。

ようやくブログにアップできました。
これはテスト版のようなものですので、簡単すぎてわかりにくいかもしれません。
とりあえず、フォレストシンガーズの五人と大学の仲間たちとの相関図です。

ここはこうしたら? などのご意見があれば、どしどし教えて下さいませね。
お待ちしております。





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花物語2017/9「アレチヌスビトハギ」

ショートストーリィ(花物語)

2017花物語

nusubito.jpg

2016/11「胡蝶蘭」の続編です


9月「アレチヌスビトハギ」

 忘れたころに呼び出されて遊びにつれていってくれる母方の祖父、渡辺壮造。遊園地や外食に連れていってくれるのは嬉しかったが、海那としてはだんだん、祖父に会うのが苦痛になってきていた。

「マリちゃん、おじいちゃんからのお誘いよ」
「……いやだなぁ、行きたくないな」
「行きたくないの?」
「行きたくないよ」

 父方の祖母に言われてはじめて難色を示したのは、海那が十歳くらいのときだっただろうか。そんなこと言わずに、連れていってもらいなさいな、と祖母に諌められて、海那は渋々祖父の呼び出しに応じた。

 お母さんは事情があって海那を残して出ていったの、母がいないことについては海那はそれだけしか知らされていない。父が海那とともに自分の実家に戻ったので、海那を育ててくれたのは主に父方の祖母だ。父方の祖父にはたまさか遊んでもらう程度で、父もあまり海那とは関わろうとしなかったが、優しいおばあちゃんが好きなので、海那は特に寂しいとも感じなかった。

「ディズニーランドに行こう」
「ディズニー? うん、行く行く!!」

 自分では理由も判然としないまま、いつしか好きではなくなっていった壮造だが、ディズニーランドとなると胸が躍る。壮造は孫娘を連れて意気揚々と地下鉄に乗り、ディズニーランドって千葉県じゃなかった? と首をかしげている海那を、ビルの屋上に連れていった。

「トクトク屋スーパーマーケット、デズニーランド」

 特設会場のようなものができていて、そこにはそんな看板がかかっていた。しょぼいスペースに、微妙に本物とはちがったディズニーキャラたちがいた。

「ディズニーじゃないじゃん。デズニーって書いてあるよ」
「同じようなものだろ。ほら、マリーナ、こっちにおいで」
「やだよ。こんなだっさいのいらない」

 思春期の入口あたりに到達していた海那は、微妙に本物とはちがっているという貧相さが我慢できなくて、壮造の手を振り払った。

「おまえが行きたいと言ってたから、連れてきてやったんじゃないか」
「私は本物にだったら行きたいって言ったけど、偽物のださいデズニーになんか行きたくないのっ!!」
「変わりないだろ」
「変わるよ」
「……待ちなさい、マリーナ。こら、待て」

 引き留めようとする壮造を振り切ってエレベータに乗る。壮造も必死で追いかけてきて、エレベータの中でもビルから出てからも怒り続けていた。

「まったく生意気な。やっぱりあんな父親とじいさんばあさんに育てられたのがまちがいだったんだな。俺は反対だったんだけど、どうしてもおまえを引き取るとじいさんばあさんが言い張るんだ。まったく、おまえの親父は女房に浮気されて家出されるような甲斐性なしだし、そんな男に育てたじいさんやばあさんもろくでもない。そんな奴らに育てられたら、俺のたったひとりの孫がこうなっても無理ないんだ」

 十歳にはわかりづらい言葉であったが、いくつかのフレーズが胸につきささった。

 二度とあのおじいちゃんとは会いたくない!! と祖母に宣言したものだから、祖父母が壮造と話し合ってくれた。喧嘩のようになって、あんな躾の悪い娘とはこっちも会いたくもない!! と壮造も言ったらしい。

 それから情報収集をした。あちこちから聞こえる噂をつなぎ合わせ、壮造の台詞を思い起こし、中学生になるころには海那もおよその事情を把握した。

 壮造の娘である則子が十七歳、各子が十六歳の年に、壮造の妻であり姉妹の母である女性が亡くなった。則子は高校を中退して主婦になり、各子は同じく高校を中退して遊び人になった。家出をして何人もいた彼氏の住まいに転がり込んだり出ていったりしていた各子は、あるとき妊娠に気づく。

「あんたの子だよ、結婚しよう」
「え、えーっ?!」

 気の弱い男はさからえず、両親に各子を引き合わせた。その男が海那の父である。

「申し訳ございません。うちの息子がおたくのお嬢さんを……息子と各子さんを結婚させて下さい」
「できちまってるんだからしようがないわな」

 取り急ぎ、屋形和夫と渡辺各子は結婚し、海那が生まれた。

「海ってマリンって読むの?」
「読むよ。知らないの?」
「知らないけど……そしたら、海那ってマリンナって読むんじゃないの?」
「マリンナなんて変だから、マリーナだよ」
「マリナのほうが可愛くない?」
「駄目っ!! マリーナ!!」

 母の言い分が通り、海那と書いてマリーナと読む名前になった。

「お父さん、お母さん、各子がマリーナを置いて出ていっちゃったよ」

 父が娘を抱いて両親に泣きついたのは、海那が一歳をすぎたころらしい。父方の祖父母と母方の祖父の壮造が話し合い、海那は父とその両親に育てられると決まった。

「きゃああ、マリーナ?! やだ、おばさんになっちゃって!!」
「どなたですか?」
「忘れたの? あんたの親だよ」

 どの面下げて今さら娘に会いにこられるんだ、ではあったのだが、記憶にはまったく残っていない母が来てくれたのは嬉しくなくもない。焼肉屋でビールで乾杯してから、母は言った。

「うちの父さんとは長く会ってないんだってね」
「二十年くらい会ってないかな」
「そうみたいね。あんな生意気な娘に育ったのは、屋形のじいさんばあさんのせいだって父さんは言ってたよ。そしたら、マリーナは伯母さんにも会ってないの?」
「母さんの姉さん? 話には聞いたけど、会ったことないな」

 くっくと笑いながら、母が話した。

「姉ちゃんってのは私よりひとつ年上だから、五十一になったのね。その年で結婚したんだってよ」
「ふーん。初婚?」
「そうなの。えーっと、マリーナは何歳だっけ?」
「三十二。独身。悪かったね」
「悪いったってしようがないけど、そっか、そしたら……姉ちゃんが結婚した奴はマリーナよりも年下だよ。二十八だって」
「え? ええ? どういうこと?」
「どういうこともこういうことも、姉ちゃんは五十になって二十八の男と結婚したんだよ。すごいよね。やるよね」
「……」

 その話を聞いたときから、海那は伯母の夫に興味を持っていた。
会いたいけど、会いにいくのも変かな。なにか機会ができないだろうか、そう考え続けて数年。ようやくチャンスがめぐってきた。

 年下の伯父。義理の関係なのだから、昔だったらそういうのもよくあったのかもしれない。けれど、五十歳と二十八歳の夫婦は珍しいだろう。逆ならばまだしも、伯母とその夫は妻のほうが二十二歳も年上なのだから、週刊誌かワイドショーのネタにでもなりそうだ。

「はじめまして」
「マリーナさん。お話は聞いていたんですよ」

 こちらとしても話しだけは聞いて、マリーナは間野次郎についての妄想をふくらませていた。
 貧相な小男だとか、人外魔人みたいな巨漢だとか? ニートだとか? そういうのでもなければ、二十八が五十と結婚しないよね。

 まして、則子伯母は清掃パートをしている太目のおばさんだと言うではないか。母の話によるとぽっちゃりしていて若くは見えるらしいが、太ったおばさんが若く見えたって可愛くもなんともないとマリーナは思う。五十が若く見えたところでたかだか四十代だろうし。

 その上に則子にはあのじじいがついている。マリーナにとってはデズニーランドの想い出とつながる、最悪のじじいだ。あんなのと同居するとなれば、則子が二十八で次郎が五十でも次郎のほうから断られるのではないか。

 なのに、次郎はマリーナの妄想を裏切ってくれた。
 髪が薄いせいで老けて見えるとはいえ、清潔感もあって悪くないルックスをしている。細身で長身。アメリカ帰りのエリートサラリーマン。最近は大学で講師もしているのだそうで、収入もかなりいいらしい。

 しまったな、もうちょい早く会っていたら、私が誘惑してやったのに。マリーナは後悔していた。
 が、マリーナももう四十をすぎた。伯母や母譲りなのか太目で、独身のわりには若々しくもない。おばさん体型のせいか、次郎には言われてしまった。

「マリーナさんとうちの奥さんが一緒にいたら、姉妹に見えるでしょうね。則子さんは若いですよ」
「失礼ね」
「そうですか?」

 こういうところがもてない原因で、そんなにも年上の女としか結婚できなかったんじゃないの? マリーナは内心で言った。次郎はデリカシーがなさすぎる。

「へぇぇ、面白そう」
「面白そうだと思う?」
「うん、やってみてもいいよ。私も暇だし」

 五十をすぎて若く見えても無意味だが、世間には本当に驚異的に実年齢よりも若い女がいるものだ。マリーナの高校時代の後輩、ノアンがその代表格である。

 同じ高校とはいえ、マリーナは成績がよくはなかったので短大にしか進学できず、卒業して一般企業の一般職に就いた。ノアンは理系一流大学から大学院に進み、マリーナの勤務先の親会社である一流企業で研究職に就いている。高校時代はそう親しくしていたわけではないが、三十代になってから再開して仲良くなった。

 性格はよくないが、欠点などは霞んでしまうほど、ノアンはすべてに非の打ちどころがない。美人でプロポーションもよく、学歴も収入も最高だ。その昔、男は三高でないともてないと言われていたが、現在の女は三高だとむしろ結婚から遠ざかる傾向がある。よって、ノアンも四十をすぎて独身なのだった。

 高身長、高学歴、高収入の美女は、マリーナのお遊びに乗ってきてくれた。

「話は合うのよ」
「そうだろうね。で、何歳の設定にしたの?」
「三十四」
「十分、ノアンだったらそのくらいに見えるよ。二十九でもよくなかった?」
「だけど、間野さんってあまり若い女には興味なくない? 三十四くらいがいいんだよ」
「そうかもね。で?」
「五十って言ったほうがよかったかもね」
「そうなの?」

 つまり失敗? ノアンは苦笑して言った。

「しまいにははっきり迫ってみたんだけど、ごめんなさい、僕は妻を愛しているんです、だーって」
「……信じられない」
「でしょう? 腹が立つから別の友人をそそのかして口説かせてみたんだけど、結果は同じだったよ」
「へぇぇ……本気であのばばあを愛してるのか」
「なんだかね、私、むしろ感激しちゃったわ。そんな男もいるんだね」

 これだけの美女に恋のゲームを仕掛けられて、その気にならない男がいるのだろうか。ひょっとしたら間野次郎は……?
 いや、そんな悪しき想像をするのはよそう。男なんて……と失望するしかない人生を送ってきたマリーナの義理の伯父は、高潔でストイックないい男なのだ。そう思っておいたほうがいいではないか。

 この世にはそんな男もいるんだな、と感嘆しようとするマリーナの心の裏側に、そんな男がなんであんな伯母の夫なんだよっ、との黒い感情が忍び込んでくる。そんなことを考えるもんじゃないよ、マリーナ。あのおばさんにだっていいところもあるんだよ。と、否定しようとしても止められなかった。

END







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FS超ショートストーリィ・四季のうた・幸生「秋の実」

番外編

フォレストシンガーズ

四季のうた

「秋の実」

 自然のものが好きなきみのために、部屋いっぱいに敷き詰めてあげる。
 その中で一緒にごろごろしようよ。んーーーー、ね、幸せ?

「幸生」
「はい?」

 夢を語る俺に、乾さんが素朴な疑問をぶつけた。

「きみってのはあれだろ」
「そう、あれですよ」
「あれは動くものに反応する。じゃれつく、おいかける」
「その通り」
「すると、だな」

 う、皆まで言ってくれなくともわかるよ。

「……どんぐりを部屋いっぱいに敷き詰めるとなると、いくついるんだろ。ごくごく狭い部屋だとしても相当な数が必要ですよね。でも、彼女は意外と喜ばない」
「彼女、なんだな」
「もちろんですよ」

 そうなると、二十個から三十個くらいのどんぐりを部屋にころがしておいたほうがいいんだ。なんだ、それだったら楽じゃん。さすが先輩、俺の頭から抜け落ちていたことに気づかせてくれて、どもども、です。

END

 







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FSソングライティング物語「MAN OF MIE」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

ソングライティング物語

「MAN OF MIE」

 金沢、横須賀、東京、歌詞に出てくるとたいへんにかっこいい。
 稚内、高知、宇都宮、まぁ、「稚内哀歌」だとか「恋するよさこい橋」だとか「宇都宮の恋人たち」だとか、おさまりは悪くない。

 その点、三重県北牟婁郡ってのは……同郷の方々に悪いので具体的には言わないが、シゲらしい出身地だね、と言われるのもあって俺にとっては大好きな故郷だが……ま、いいか。俺には歌なんか作れないんだから。
 歌詞も作れない、曲も書けない俺だから、故郷の地名を冠してもさまにならないところの出身なのかな、と考えておくことにしよう。

「あいつ、無礼なんだよな」
「おまえにだけは言われたくないってよ、章」
「……幸生はうるせえんだよっ」

 この木村章に無礼だと言われた男、ハッピィプロジェクトの荻原。彼が乾さんに、演歌を書いてほしいと依頼にきた。乾さんの書く歌には古臭い匂いがしていい、と言ったのだそうだが、褒めてはいないよな? 章だったら激怒して追い返しそうだが、乾さんは人間ができているので依頼を受けた。

 そこからはじまった、「ふるさとの歌を作ろう」フォレストシンガーズ内キャンペーン。

「俺は「横須賀たそがれ」を書くんだ」
「幸生、それ、ぱくりだろ?」
「タイトルはぱくってもいいんだよ。ぱくりってか、リスペクトソングね。「そんなアキラにだまされて」ってのも同じだろ。章は?」
「稚内ブルース」
「本橋さんは?」
「俺は……「TOKIO」でいこうかな。いっそリスペクトソング特集にするか」
「そしたら俺も、「金沢の花嫁」なんてのも作ろうかな」

 詞も曲も作れる仲間たちは盛り上がり、俺はひとり、話の輪の外にいた。

「シゲくんは「宇都宮の夜」って歌を書いてよ」
「俺は「月の桂浜」にしようかな? 「月の法善寺横丁」ってあるだろ」
「ヒデくんも参加するんだ。わぁ、楽しみ」

 気を使ったのか、美江子さんがそう言ってくれたが、マネージャーである美江子さんの故郷は歌にしなくてもいいのだから、俺はやはり無関係みたいなものだ。

「シゲさん、元気なくないですか?」
「モモちゃん、おはよう」

 スタジオに集合した、ヒデも含めての仲間たちがソングライティングの話題で盛り上がっている。俺は参加しにくいので外に出たら、フルーツパフェのモモちゃんに会った。

「奥さんと喧嘩でもしました?」
「喧嘩はしてないし、元気なくもないよ。モモちゃんは仕事は?」
「モモちゃんはクリちゃんと喧嘩したんで、今日は休みなんですけどお兄さんたちに慰めてもらいにきました」
「そっか。だったら俺がうまいものをごちそうして慰めてあげるよ」
「わーい、やったー!!」

 栗原桃恵と栗原準、二十代はじめの夫婦デュオは、我々と同じ事務所所属の後輩だ。か弱い植物……いや、植物ってのはか弱く見えて実は強いのだから、イワシみたいと言ったほうがいいのか。イワシは「鰯」と書くのだから、クリは鰯男なのかもしれない。

 そんな夫を持つモモちゃんこそが、それほど強くは見えないが強くあろうとがんばっている、草花のようにけなげな女の子だ。俺は古いと言われようとなんだろうと、夫が妻より弱くてどうする、と歯がゆく思ってしまう。

 ファンの男にからまれているモモちゃんを助けもできずに震えていたというクリ。そばを通りかかった乾さんが助け舟を出してファンには引き取ってもらい、そのあとでクリを叱って頬を張り飛ばしたと聞いた。クリはモモちゃんに抱かれて泣いたとか……なんと情けない。

 あんな亭主がいたら喧嘩もしたくなるよな、恭子、俺はクリよりはよっぽど強い夫だよな? 横でクリがいかに情けないかを話しているモモちゃんとふたり、よく来る喫茶店に入った。

 小柄でほっそりしてはいるが、モモちゃんは高校時代はソフトボール選手だったのだそうで、野球好きの俺とは話も合う。こう見えてけっこうよく食べるモモちゃんはパンケーキセットとサラダ、俺はハンバーガーセットを注文して、早めのランチにした。

「モモちゃんも作曲、してみてるんですよ」
「クリも作曲はするんだっけ?」
「しなくはないけど、作曲してみては、木村さんみたいにかっこいい曲はできないとか、乾さんみたいな深みのある歌詞は書けないとかって落ち込んでるの。当然じゃん」
「どうして当然?」
「乾さんとは人間の深みがちがうんですから」
「……深みかぁ」

 ずきっと刺さったモモちゃんのひとことを頭を振ってはじき飛ばし、ハンバーガーに噛みついた。

「人間の深みって、その人の作品にあらわれるんじゃない? 木村さんの人間性はともかくとして、乾さんや本橋さんの大きな器は書く曲や詩に出てきてると思うの」
「深み、器ね」
「そうですよ。クリちゃんなんてガキなんだもん。深い詩や曲は書けなくて当然なんだよっだ」
「若くてもいい詞や曲を書くソングライターっているよ」
「それはもともとの人間のできがちがうんじゃない?」

 いちいちずきずきずきっ、とくることを言う子だ。

 喧嘩をしたのだからクリを罵りたいのだろう。モモちゃんはクリのことを言っているのであって、深くても浅くても詩も曲も書けない俺にあてこすっているわけではない。わかっていても俺のほうこそ落ち込みたくなった。

「モモちゃんはどんな曲、書いたの?」
「ちょっとだけね」

 口ずさんでくれたメロディは、モモちゃんの可愛い声とあいまってとても可憐で、俺にはいい曲になりそうに思えた。

「いいんじゃない?」
「全然です。どこかで聴いたようなフレーズでしょ」
「そうかなぁ」
「でもね、モモちゃんだってミュージシャンなんだから、作曲くらいできなくっちゃね。作曲もできないミュージシャンなんて、そんなの音楽やってるって名乗る資格はないのかもしれないって思うの。歌うだけだったらカラオケでもいいんだもん。作詞は日本語の読み書きができたらできるけど、曲を書くってそうはいかないでしょ。素敵な曲を書いてみたい。そうできてこそ本物のミュージシャンだよね」
「う、うん、そうだね」

 十も年下なのに、俺よりはよほどしっかりしていると思われる、モモちゃんのミュージシャン論を聞かされて、しっかり食べてスタジオに帰ると、仲間たちはまだ作詞作曲話を続けていた。

 しようがないからお茶でも淹れようかな。
 コンビニでスナック菓子、買ってきましょうか? 幸生じゃないけど、そんなシャレでも言って笑うしかない。ソングライティングの話題になると俺は入れないのが昔からだから、慣れてるけどさ。

「友がみな、我よりえらく見ゆる日よ、花を買いきて妻と親しむ」

 乾さんに教わったこんな短歌が浮かぶ。そうだ、今夜は花を買って帰ろうっと。

END








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FS超ショートストーリィ・四季のうた・全員「四季の女」

番外編

フォレストシンガーズ・四季のうた

「四季の女」

1春

 市中からは遠く離れて……現代ではたいした距離でもないが、その昔は、なにかしらやらかした貴族が島流しのように送られてくる土地でもあった。

「京都大原三千院
 恋に疲れた女がひとり

 結城に塩瀬の素描の帯が
 池の水面に揺れていた」

 建礼門院も、なにかしらやらかした都の貴族のひとりとみなしていいのか。
 そのころには結城の小袖なんかなかったのではないかと思えるが、恋に疲れたどころか人生に疲れた美しい女がひとり。
 塩瀬の帯のうしろ姿、振り向いたその顔が……母に似ているように思えて、隆也は幻想から覚めた。


2夏

「黒潮黒髪 女身愛しゃ
 想い真胸に 想い真胸に
 織る島紬」

 大島が舞台なのだそうだから、想い出の中にいる沖縄の島娘とはちがう。
 いや、別人なのは当然だが、この歌を聴くとどうしても、繁之の心には若き日のあの娘が浮かんでくるのだ。


3秋

 どうして胸がずきっと痛む?

「私が男になれたなら
 私は女を捨てないわ」

 捨てないよ、俺だって、捨てられたのはこっちだろうが。
 ひとりごとを呟きながら、あてもなく夜の街を歩く。ここは新宿、ネオン暮らしの蝶々が舞う街。。演歌の世界にいるみたいだな、と真次郎は肩をすくめた。


4冬

 はーるばる来たぜはーこだてーっ!! 

 お、意外とそんな歌もうまいじゃん、と自分で自分を褒めてみる。

「あとは追うなと言いながら
 うしろ姿で泣いてたきみを
 思い出すたび会いたくて
 とーっても我慢ができなかったよーーーー」

 函館の女……北の女……俺にも北の女との過去がある。別れのときの彼女のうしろ姿は泣いてもいなかった。というか、自然消滅的に別れてしまったのだけど、そんな失恋も男の人生にはあるものだよね、と幸生は笑ってみた。


5そしてまた春

今年もまた桜が咲く。
 小さなてのひらをいっぱいに広げて、花びらを受け止めていた想い出がある。てのひらが小さいのに視線は高かったから、あれは誰かの背中におんぶされていたのだろう。

「She's my red hot Louisiana Mama
 From a town called New Orleans
 Golden hair and eyes of blue
 My real live Dixie queen
 My Louisiana Mama
 From New Orleans 」

 桜を見て思い出す女が「母」だなんてかっこ悪い。
 照れ隠しに歌おう。ママとタイトルについてはいても、可愛いあの娘はルイジアナ……なのだから、地名ではなく人名なのかもしれないが、俺が歌うんだからこのほうが似合うよな、と章はうなずき、いっそう声を張り上げた。

END








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FSソングライティング物語「トウキョウ・シティ・セレナーデ」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

ソングライティング物語

「トウキョウ・シティ・セレナーデ」

 遠くに島影が見える。目を閉じれば、潮風と心地よい空気を感じる。隣にあのひとがいたら最高なのに。ううん、あのひとがいたのは去年のことでしょ。今年の夏はきっと別の彼女ができて、その女性と海で愛をささやいてるよ。私も早く新しい恋をしなくちゃ。

「気持ちいいね、海は」
「うん、そうね」
「どこから来たの?」
「東京」

 心の隙間にするっと入ってきた、新しい恋の予感?

「へぇぇ、東京かぁ。さすが、都会の女? 名前はなんていうの?」
「山田美江子」
「美江子ちゃん……名前はあまり東京っぽくないね」
「東京っぽい名前ってどんなの?」
「サギリとか……」
「サギリってキミのモトカノの名前?」

 初対面なのに話が弾んで、連絡先を交換した彼。本当に好きで好きでたまらなかった人に捨てられてから半年がすぎて、新しい恋がしたいと思っていた矢先だったから、私も突っ走ってしまった。

「俺は群馬県出身だけど、アパートは東京だから」
「私も出身は栃木だよ。だから名前は都会的じゃないんだよね」
「そんなのどっちでもいいけどさ」

 夏休みが終わったら東京で会おう。義実と名乗った彼と約束した。

「美江子ちゃんは大学生なんだろ。なんの勉強してるの?」
「教育学部だから、二年生になってからは教育についてのあれこれを学んでる。どっちかっていうと文系かな。義実くんの学校は?」
「……ごめん、俺、学生じゃないんだ。今日は正直に言おうと思って、美江子ちゃんの学校のことを聞いたんだよ」

 高校を卒業して就職するために東京に出てきた。しかし、仕事がつらすぎて夏にはやめた。二十歳だと言っていた義実くんは本当はまだ十八で、秋には再就職するつもりで夏場は海辺でバイトしていたのだと打ち明けた。

「シンガーソングライターになりたくて、そういう仕事を探してるんだよ。すぐには無理だろうから、ちょっとでも音楽的な仕事、美江子ちゃんには心当たりはない?」
「ライヴハウスの従業員とか、音楽スタジオで働くとか?」
「そういうの、どうやって探すの?」
「求人情報誌に載ってないかな」
「下働きみたいな仕事で、俺の音楽性を認めてもらえることはあるんだろうか」
「義実くん、歌は書けるの?」

 当然だろ、との答えだったから、当然、どんな歌? 聴かせて、とお願いした。

「Once in your life you will find her 

 Someone that turns your heart around 

And next thing you know you're closing down the town 

 Wake up and it's still with you 

 Even though you left her way across town 

 Wondering to yourself, "Hey, what've I found?"」

 あれ? この歌、知ってる。私は訝しい気持ちで義実くんを見返す。彼は得意げに言った。

「英語の歌なんかきみは知らないだろ。実は俺もよくは知らないんだよ。モトカノのサギリが作詞してくれたんだ。彼女は中学生のときから留学してて、英語で詩が書けるほどの英語力だったんだよね。俺は英語の歌なんてひとつも知らなかったから、尊敬しちゃったな。メロディも半分はサギリが教えてくれたんだ」
「そう? 義実くんもこの歌は知らなかった?」
「俺の中から半分は出てきた歌だもん。それまでは知らなかったよ。いい歌だろ」
「うん、そうだね」

 既成の歌だとも知らないで、俺が作った歌だ、半分はモトカノに協力してもらった、なんて言うのね。なんだか哀れに思えてきた。

「ミエちゃん、彼氏ができたって言ってただろ? 彼とは最近はどう?」
「海辺の恋は蜃気楼みたいなものだったのよ」
「……ああ、そっか」
「乾くん、ニューヨークシティセレナーデを歌って」
「いいよ」

 歌唱力も乾くんのほうがはるかにはるかに上。あれれ? でも、ちょっと歌詞がちがわない?

「When you get caught between the Moon and Tokyo City 

 I know it's crazy, but it's true 

 If you get caught between the Moon and Tokyo City 

 The best that you can do ...... 

 The best that you can do is fall in love」

 TOKYOバージョンです、と乾くんが言い、私は納得した。 

 夕方の海辺で出会った彼は、潮風の中で爽やかな好青年に見えた。彼のほうは私を都会の女だなんて勘違いして、日常生活に帰ってからデートをしたら、お互いがっかりして。

 そういうことにしておこう。プライベートなつきあいについては、乾くんにだって本橋くんにだって、女友達にだって詳しくは話したくない。去年のあのひとは合唱部の先輩だったから、乾くんも本橋くんも彼との触れ合いがあったけれど、義実くんは身近なひとではないのだから。

MIE/19/END









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175「イミテーショントーク」

ショートストーリィ(しりとり小説)

しりとり小説

175「イミテーショントーク」


 両親の方針で、亜湖は単身で帰国して日本の大学に入学した。日本人って真面目なんだろうな、話しは合うだろうか、と亜湖は漠然と懸念していたのだが、案ずるより産むがやすし、であって、学校で友達は大勢できた。

「シンガポールにいたの? 私のパパは外交官で、子どものころにはあっちこっちの国で暮らしたんだ。亜湖とは似てるかな? 私、真織、よろしく」
「よろしく」

 法学部の優等生。英語は当然、ドイツ語とロシア語が堪能で、スキーはプロ級の真織と亜湖ではスケールがちがっていたが、誘われてウィンタースポーツサークルに入部した。真織のほうが一年上なので先輩ではあるが、私たちの感覚は日本人じゃないんだもん、マオでいいよ、と真織が言った。ひとつくらい年上だからってへりくだる習慣はないのは亜湖も同様だったので、マオ、アコと呼び合うようになった。

 二年生ながらウィンタースポーツサークルでは中心人物で、ファンクラブまであるスターの真織。彼女の妹分だと周囲からも認められるようになると、二年生女子たちが亜湖を仲間に入れてくれるようになった。

 華やかな女の子たちの周りには、華美な仲間たちが集まる。亜湖はさほどに美人でもなかったのだが、美人集団にまぎれて悪目立ちするような冴えないルックスでもない。むしろ美人に混ざっている亜湖も美人、とみなされるようになっていった。

「マオ、その髪型よりもこれ、よくない?」
「どれどれ? それは嫌いだ。私は今のまんまでいいんだよ」
「いっぺんためしてみたらいいのに。こんな大胆な髪型、マオにしかできないよ」
「いやだね」

 いつだって話題の中心には真織がいる。ひとりの女の子が雑誌を開いて、似合うよと勧める髪型を、真織は遠慮なく拒否した。

「そうかなぁ。徳武さんだってこのヘアスタイル、いいなって言ってたのに」
「徳武の趣味に合せて髪型を変えるつもりはないから」
「そっかぁ。そんなことしなくても愛されてるんだね。マオ、うまく行ってるんだ」
「むこうはうまく行ってると思ってるんだろうけど、飽きてきたかも」
「うわぁ、あんなこと言ってるよ。マオが飽きたんだったら私がアプローチしていい?」
「いいけど、サッコは徳武のタイプじゃなさそう。太目は嫌いだってよ」
「……そ、そう……」
「ああ、めんどくせっ。亜湖、あっち行こ」

 二十歳前後の女の子は美人であっても、太目だと言われると気分が地に落ちる。知ってか知らずか真織はサッコに痛烈な毒舌を浴びせてその場から去って行った。
 それでも真織は女の子たちに嫌われない。マオは特別だとみんなが思っているようだった。

「徳武さんとは別れたの?」
「うるさいからふってやった」
「もったいなーい」
「あんたらもうるさいね。ほっとけよ。亜湖、行くよ」
 
 また別のある日、真織は女の子たちに囲まれて彼氏の話をしていた。徳武という名の四年生はアパレル会社社長令息で、ルックスも相当によい。真織が入学してきたときには徳武には彼女がいたのだそうだが、彼女をふって真織に猛アプローチをし、つきあうようになったのだとの噂があった。

 それから約一年、徳武は真織と婚約したがっているらしいのだが、それがうるさいからいやだと真織は言う。徳武とつきあいたい女の子は学内女子の半数ほどいるのではないか。その女子たちは歯ぎしりして、中には徳武にアタックした者もいたようだ。

「マオは俺と別れるって言ってるよ。もう手遅れかもしれない。だけど、マオと較べりゃ……きみなんか……これ以上はっきり言わせないでくれよ。俺は当分、マオを想って未練に浸るんだ」

 アタックした数人の女子は、同じような台詞をぶつけられて断られたらしい。

「で、マオ、新しい彼氏はできたの?」
「できたよ」

 春になって徳武は卒業していき、誰かが真織に尋ねた。

「ひとりに絞ると束縛したがったり、婚約してほしいって言われたりでめんどくさいから、ふたりとつきあうことにしたの。誰だって? 見てりゃわかるじゃん。男もうるさいけど女もうるせえな。亜湖、行こうぜ」

 実はマオと亜湖はレズ? 男子たちはそんな噂もしていたらしいが、まったくそんな事実はなかった。

 ただ、自分が中心になるのがいつでも当然だと無意識でも思っているらしき真織からすれば、正反対の性格で表に出たくはない亜湖がつきあいやすかったのだろう。友人たちが面倒になってくると、亜湖、行こうぜ、となるのが真織の常套句だった。

 亜湖が三年生のとき、真織から直接聞いた。テレビ局に就職するんだ、女子アナになるんだ、と。真織の大学は地味なほうで、マスコミ業界に就職するとしても新聞社か堅めの出版社がほとんどで、民放の女子アナは初だった。周囲の者たちは大騒ぎしていたが、当の本人は、そう? そんなに珍しい? という態度だった。

 それから一年、亜湖は教授の推薦もあって中規模の商社に就職した。教授のコネであるだけに、大学の先輩も何人もいる。自然、亜湖はその先輩たちのグループに所属した。

「亜湖ちゃんってあの瀬田真織と仲良しだったんだってね」
「ええ、親しくしてもらってました」

 ここにはいない状態でさえも、真織は女たちの話題の中心人物になる。真織と同年の先輩と、さらにもう一年上の先輩とのいるグループで飲みにいくと、酒の席でも真織の話でもちきりになっていた。

「瀬田真織は学生時代からああだったんでしょ」
「ああってのはどれ?」
「二股、三股は普通ってか?」
「ああ、もて話はよく聞いたね。私はもてて当然じゃん、って態度だったよ」
「どんな感じ?」

 好奇心満々になって、二十代の女たちが身を乗り出す。話題は真織であっても、話の主導権は真織と同い年の郁子が握っていた。

「あの男とつきあってたんだけど別れたの、って真織が言い出した途端に、別の男が言いよってくるんだって。それが全部、どこかの大会社の御曹司だったり、スポーツ選手だったり、大物俳優の息子だったりするんだな。真織ってものすごいブランド好きだよ」
「持ってるものも?」
「真織は男自慢はすごかったけど、持ち物とかは無頓着だったみたい。無頓着なふりしてただけかもしれないけどね」

 この先輩、郁子は真織のグループにはいなかった。郁子のような平凡なタイプは真織の取り巻き連中の中では浮いてしまっていただろう。それでも彼女は真織の学生時代には詳しいらしい。

「学生のころって華やかな女の子がもてるんだよね」
「それってもててるって言うのかな。結婚相手とは思われてなかったんじゃない?」
「学生だったら女のほうも遊びでもいいんだろうけど、あんまり度が過ぎるのもね」
「うんうん、派手すぎる女はいざ結婚となると、素行調査とかされて相手の親に難色を示されたり……」
「ありそうだよね」

 したり顔で、他の女たちもうなずく。亜湖は特にどこかのグループに属したいと思っているのではなく、誘われると拒否しないだけだ。そのせいで学生時代と社会人になってからでは、真逆な女たちに囲まれるようになっていた。

「いつか、ひとりの女の子が真織にしつこく、髪型を変えろって勧めてたんだ」

 その記憶は亜湖の中にもあった。

「真織はなんでもメンドクサイっていうんだけど、その女は真織のつきあってる男の名前まで出してしつこく言ってた。真織がいなくなっちゃってから、別の女に言ってたよ」

 あの髪型だけは真織には似合わないだろうと思って勧めたんだ、残念、乗ってくれなかったか。だっさくなって彼氏にふられる真織を見たかったな、と彼女が言う、数人が同意していたと郁子は笑った。

「そういう女って絶対、結婚できないよね。瀬田真織のことだよ」
「そんで、負け犬だとか自己卑下しつつ、ほんとは私のほうが勝ち組なんだよ、って陰では勝ち誇ってるの」
「結婚なんかしたくないもん、出産だってしたくないもん。パートかなんかしながら家事に子育て、なんてしんどいことはごめんだわ、ってね」
「私のほうがそんな主婦よりも高学歴で美人で、自分に投資もしてるし女磨きもしてるから、もてもてで魅力的なんだよ、ってね。主婦のみなさんお疲れさまぁ、って感じ?」
「そんな女にはなりたくないよね。私は結婚してる勝ち犬になりたいな」
「私も、私も」

 この先輩たちは親しくはなかったのだから、悪口も仕方ないのか。そのくせ、有名人の真織のことはなんでも知っている、と吹聴だけはしたがる。郁子が真織について言い散らしているのを聞いていると、亜湖の気分はどよよん、どよよんとしてきていた。

「マオはあいかわらずもててるよね」
「ほんとだね。だけど、まだ結婚しないんだ」
「するわけないじゃん」

 先輩たちが出席すると聞き、真織も来るとも聞いたので、亜湖も同窓会に出かけていった。真織は忙しいようで、遅れてやってくるという。かつての真織の取り巻き連中が話していたので、亜湖はその会話を聞いていた。

「そう? するわけないの? なんで?」
「私はマオだったらとびきり上等の男を捕まえて、すぐに結婚すると思ってたな」
「だって、マオとつきあいたがる男って遊びでしょ? 本気でつきあう男なんかいないよ。あんな尻軽」
「そこまで言う? だって、マオは言ってたよ。男とつきあうと結婚したがってうるさいから、二、三人いたほうがいいって」
「あんなの見栄だよ」

 決めつけたのは、マオ、この髪型はどう? と提案してはねつけられていた先輩だった。

「マオはもててるんじゃないの。遊び相手にちょうどいいからってだけだよ」
「そうかもしれないけどさ」
「若いうちはいいけど、だんだん年を取ってくるとね……」
「たったひとりでいいのよね。たったひとりの男に愛されて、プロポーズされて結婚するのが女の幸せだよ。古くてもいいの。マオみたいに遊ばれてるだけって不幸だもの」
「そうだよねぇ」

 ここでも女たちは、したり顔でうなずき合う。仲間ではなくなったら、親しくしていた女たちでもこうなのか。それとも以前から本音はこうだった? 男たちも言っていた。

「マオとだったらいっぺんは寝たかったな」
「寝るだけでいいのか?」
「それ以外になにがあるんだよ。寝たいだけだよ」
「俺はマオとだったら結婚したいよ」
「物好きだな。あんな……」

 公衆……とその男が言いかけたとき、マオが来たよ、と誰かが囁いた。途端に皆が駆け寄っていき、マオ、マオ、マオ、と呼びかけて歓迎の言葉を口にする。マオはいつもの面倒そうな表情で、おっす、よぉ、などと挨拶している。虚飾の宴……亜湖の脳裏にはそんな言葉が浮かんでいた。

次は「く」です。








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FSソングライティング物語「鳥の歌」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ


「鳥の歌」

 六百年も前のフランスに、ジャヌカンというシャンソンシンガーソングライターがいた。シャンソンというと我々の大学の先輩である金子将一さんの得意分野なので、彼が教えてくれたのだ。

「この歌は珠玉の擬声シャンソンだなんて言われてるんだな。俺の声だけではこれはちょっと無理かとも思う。女性ヴォーカルグループにバックコーラスをつけてもらったらどうかな、と考えていて思いついた。三沢幸生がいるじゃないか」
「俺ですか」
「そうだ、おまえだよ」
「フランス語でしょ? 英語だって中学生以下なのに、フランス語だと幼稚園以下ですよ。俺は外国語会話をしなくちゃいけないとなると無口になりますよ」
「会話じゃないんだ。おまえの担当はここだよ」
 
 と言われて見せられた詞は、日本語だったので読んでみた。

「エ・ファリラリロン エ・ファリラリロン
 フェルリ ジョリジョリ
 フェルリルリ ティティティ
 ピティ ピティ
 シュティ トゥイトゥィ
 テュディー クディテュ
 フリアン タルタルタルタル テュー
 キララ コキコキ キララ
 フィフィ ウィーウィー テオテオ
 キオ キオ キオキオ ヴェルシー
 トゥルルル オワティ
 クックー ククックー クックックー」

 なるほど、鳥だ。

「なんの鳥なんでしょうね」
「なんの鳥でもいいんだよ。彼には鳥の歌がこう聞こえていたんだ。おまえはオノマトペーが上手だろ」
「オノマ?」
「いわゆる声帯模写だよ」
「……はい、上手なはずです」
「それは本橋の声で言ったんだな」
「わかります? じゃ、今のは?」
「乾の声だな。次は木村かな」
「……お見それしました」
「俺の声だろ」

 シンガーなのだから耳がいいのは当然だろう。次々に言い当てられて悔しくなったので、金子さんの知らない人物の声帯模写もやってみた。それですらも半分は当たる。ヤマ勘だけどな、などと笑いながら、うちの親父や乾さんのお父さんのもの真似までをも当ててしまった。

「乾の親父さんとだったら、そう何度も会ったわけじゃないんだろ。おまえのその能力はたいしたもんだよ。じゃあ、頼んだ」
「えと? これを覚えて完璧に歌えるようになって、金子さんのレコーディングでバックコーラスを務めればいいんですね。えーっと、やっぱり声も使い分けないといけないんですよね」
「それぞれの鳥の声にマッチするように、何色でも使い分けてくれ」
「男の色? あれって「だんしょく」とも読むし、「なんしょく」とも読むんですよね」
「そっちじゃなくて何種類もの色だよ。解釈はおまえにまかせる」
「うへ」

 解釈はおまえにまかせる、と言われると、先輩にテストされるみたいな気分だ。大学合唱部では在籍がかぶっていない、四つ年上の大先輩には卑屈になりそうになる。そんな気持ちを励まして闘志を掻き立ててみた。

 ガキのころから歌うのと喋るのは大好きだったから、小鳥と一緒に歌ったり、小鳥とお喋りだってしていた。人間が相手だとうるさがられる場合もあるが、小鳥は俺のお喋りをいつまでだって聴いてくれて、歌声で応えてくれる。時には無視して飛んでいってしまう。綺麗な声の小鳥さんは、気まぐれに優しい女の子のようだった。

 だから俺は小鳥が好き。鳥の性別はわからないので、出会った鳥はすべて女の子だと思うことにしている。古来から人間は鳥の鳴き声を鳥の「歌」だとして、自分たちも鳥をテーマにした歌をいっぱい作ってきた。俺もものごころついたころから、そんな歌をいくつも歌ってきた。

 フォレストシンガーズの三沢幸生としてデビューしてからだって、俺の書いた詞には「小鳥さん」が出てきたりもする。失恋した哀しみを小鳥さんに聴いてもらって、小鳥さんと歌を歌う、そんな歌詞もあった。

「よし、鳥の声の勉強をしよう」

 鳥は好きだが、知識は乏しい。日本野鳥の会あたりに所属している山ガールだか森ガールだか鳥ガールだかが同行して教えてくれたらいいのだが、高確率でおじさんかおじいさんが同行してくれそうだ。そんならひとりのほうがいい。ひとりで鳥さんたちとお喋りに行こう。

 休日にハイキング支度をして深くはない森に出かけていった。我々の大学合唱部に伝わる組曲「森の静寂と喧騒」を思い出す。シンガーになってから面識のできたクラシック作曲家、真鍋草太先生の作品だ。ここにも小鳥の鳴き声がふんだんに使われていた。

 上質なテナーシンガーがいないとステージに上げられない難曲ということで、合唱部でもめったにコンサートでは歌われてこなかった。そんな曲を俺が一年生の年の男子部キャプテン、渡辺さんが一年生中心に歌わせたいと野望を抱いたのは、木村章と三沢幸生がいたからだったのだ。

 驚異のハイトーンヴォイス、ヘヴィメタシャウトが持ち味だからクラシック系には合わないかと思われがちだが、章の歌の才能は特異なものなのだろう。ロックじゃないのか、つまんねえ、とぶちぶち言うわりには、ド演歌だって「第九」だって高水準で歌いこなす。

 三沢幸生のほうは七色の声の持ち主なのだから、鳥の声だってお手のものだ。
 本橋さんと乾さんにとっては、一年生のときに高倉キャプテンと出会ったのが転機だったらしいが、俺にとっても渡辺さんとの出会いが、歌で生きていきたいと思わせた第一歩だったのかもしれない。

 シゲさんは中学生のときからの合唱部育ち。章も中学生のときからのロックキッズ。なのだから、彼らのほうが歌に傾倒した時期は早かったのだが、ああやって大学で出会った五人が、今ではこうやって歌でメシを食わせてもらっている。音楽の神が俺たちを選んだんだよね。

 なんてことも考えながら、森の中に入っていく。初夏の森は緑いろ濃く、鼻孔にも緑の匂いが流れ込んでくる。むせかえりそうな植物の匂い、見上げれば木漏れ日がきらきら。美少女の姿をした妖精があらわれそうな錯覚が起きる。

「ニンフちゃん、フェアリーちゃん、出ておいで。妖精ってのがいないんだったら猫でもいいよ……いないか……出てこないか。出てこられても困るからいいんだけどね」

 口を閉じて耳を澄ませると、小鳥の声だったら聴こえてきた。春から初夏にかけて、森で見られる鳥、インターネットで調べてきた鳥があの声で鳴いているのか。アオバト、イワツバメ、オオルリ、カイツブリ、カッコウ、キビタキ、クロツグミ、コサメビタキ、コムクドリ、アカハラ、それからそれから、なんだっけ?

 ピピピピー ピーヒョロロ
 ギュクククク キュキュー
 キューヒョヒョー ピーキョキョー
 クックルクー クゥクゥクゥ
 ピヨピヨピピー コココッコッ

 細い声や高い声、太い声も濁った声もある。金子さんが教えてくれたところによると、鳥は全種類が異なる声をしているのだそうだ。猫の鳴き声にだって個体差はあるけれど、そんなものは聞き取れない人間も多い。鳥の声は知識の乏しい俺にだって、あ、別の鳥だ。なにかの鳥となにかの鳥がデュエットしてる、喧嘩してたりするのかな? 程度にはわかる。

 初夏の森はこんなにも歌の宝庫だったんだね。鳥ばかりではなく、木々もざわめいている。小川のせせらぎも歌っている。木漏れ日がダンスしている。リスが鳴いていたりもする。こうして真剣な気分で森に身を置いてみて、真鍋先生のあの曲が実感できた。

「じゃあ、俺も歌っていい? どうやら鳥は女の子ばかりじゃないってことも実感できたから、混声大合唱だね。みんなでなにを歌う? ええ? なんだって? 一斉にさえずらないで。ひとりずつ発言して下さい。んんん……?」

 ぴいっ、くくっ、ちぃー、りりっ、なんて言ってる鳥語を判読するには修行不足だ。だったら俺が勝手に決めよう。金子さんがくれた「鳥の歌」の日本語楽譜は覚えてしまったので、歌ってみる。小鳥たちがコーラスしてくれる。俺もこの小鳥たちに遜色ないバックコーラスをつけてみせよう。金子さんに、さすが三沢幸生、参った!! と言わせてみせるんだ。

END









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FS俳句・短歌・超ショートストーリィ2017/9

forestsingers

フォレストシンガーズ

超ショートストーリィ


 小川に沿って歩いていく。上流から下流へと、小さくて細い川は秋のはじめの風の中を、静かに流れていく。春の小川はさらさらゆくよ、だけど、初秋の小川はどんな音を立てて流れるのだろう。みんなだったらどう表現しますか? と繁之が尋ねようとしたら、隆也が言った。

「濁れる水のながれつつ澄む」
「それ、俳句なんですか?」
「これも俳句だよ。山頭火の自由律俳句だ」

 五七五ではなく、季語もなさそうでも俳句なのか。繁之には不思議な感覚だった。

 けれど、濁った水が流れつつ澄むって、こうして小川のほとりを歩いているせいか、含蓄深い言葉のように思える。秋の小川がどんな音を立てて流れるのかよりも、この俳句の意味のほうが重要になってきて、繁之はなおも歩を進めながら考えていた。

 考えるのはむずかしい。俺の頭では考えがまとまらない。
 でも、先輩に頼ってばかりではいけない。自分で考えなくちゃ。そうすれば考えも澄んでくるかもしれない。この俳句にはそんな意味もあるのかな。あるかもしれない、よな?

END

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FS食べもの物語「アップルパイ」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

食べ物物語

「アップルパイ」

 無人販売所のりんごをふたつパクって歩き出す。行く手にガキがいて睨んでいたが、無視して歩いていった。

「瑠璃、ワンマンライヴ決定!!
 ○○市民ホール、来る十二月十日来場決定!!」

 でかでかと文字が躍っているポスター。瑠璃、おまえ、ドサ回りやってるんだ。こんな田舎でコンサートやって、じいさんやばあさんが聴きにくるのか? 瑠璃はロックシンガーじゃなかったっけ? 演歌歌手に転向したのか? 落ちぶれたもんだね。

 ろくろく学校にも行かないで遊び歩いていた十代のころ、瑠璃と博人は恋人同士だった。
 
「俺、歌手になりたいんだ。歌手になるためには学校なんかいらないだろ」
「ヒロだったら歌もうまいし、顔もいいからきっとなれるよね」
「フォレストシンガーズって知ってるか?」
「知ってるけど……グループだよね」
「そうだよ。その中の乾隆也って奴、俺と声が似てるんだ。瑠璃はよく知らないんだったら、いっぺんコンサートに行ってみるか」
「うん、行く行く」

 当時のフォレストシンガーズはまったく売れてはいなかったから、横浜でのライヴチケットは簡単に買えた。売れてはいないといっても、徐々に人気が出てきていたようで、ライヴが終わったあとに通用口に行ってみると、出待ちのファンがたむろしていた。

「……女ばっかだ」
「まあそうだろ」
「ヒロも待ってるの?」
「ちょっとだけ待とうよ」

 女のファンたちが群れている場所からやや離れて、瑠璃と博人もフォレストシンガーズの誰かが顔を出すのを待っていた。瑠璃は乗り気ではなかったようだが、博人につきあってくれていた。

 小一時間後、出てきたのは博人お目当ての乾隆也。彼はファンにサインをしてあげていて、博人も近づいていこうとした。邪魔な女たちをかき分けて前に進んでいたら、乾に咎められたのだ。そこの坊や、女性に荒っぽいふるまいをするんじゃないよ。

 無視して進もうとしていたら、ガードマンがあらわれて引っ張っていかれてほっぽり出された。はらはらしていたらしき瑠璃が言った。

「ヒロ、大丈夫?」
「大丈夫じゃねえよっ!! なーにが女性たちだ。女ばっかひいきしやがってよ。ブスばばあばっかじゃねえか」
「八つ当たり」
「うるせえんだ」

 あの一件のせいで瑠璃とは別れてしまった。
 別れたって女には不自由しないのだし、瑠璃には未練もなかったのだが、あるとき、博人は見てしまった。

「近々にはブレイクの予感。
 瑠璃のミニアルバムが発売されます。みなさん、買ってね」

 ん? 瑠璃? こんな名前は珍しくないよな。
 歌手になる予定が未定のままで、高校を卒業してもフリーターにしかなれずにいる博人は、金に余裕があれば音楽雑誌を買う。余裕がなくても立ち読みしたいのだが、行きつけのコンビニでは読ませてもらえない。久しぶりで買った音楽雑誌にそんな記事が掲載されていた。

 姉のパソコンを借りて検索してみたら、瑠璃の写真があらわれてきた。大人びて綺麗になっていたが、その写真はまぎれもなく瑠璃。博人に恋してむこうから告白してきて、博人だったら歌手になれる、応援してあげる、と言っていた瑠璃だった。

「おまえが歌手になったの? 歌手になりたいなんて言ってなかったじゃんよ。嘘つき」

 ずるいずるいずるい、博人の胸はその感情ばかりに支配された。
 が、ロックシンガー瑠璃はブレイクするようにもなく、テレビに出るようなこともない。歌手になるだけなったって売れなきゃ意味ないよな、とせせら笑って、博人は安心していた。

 安心してフリーターを続け、博人も二十歳を過ぎた。ひとつ年下の瑠璃ももう十九か。若くもないんだから、これから売れるってこともないだろうな。瑠璃、歌手なんかやめたら? と笑っていたのだが。

「バンドを結成されたんですってね」
「そうなんですよ。不良おじさんズです」
「defective boys……ボーイなんですよね」

 名前だけは博人も知っている、ドラマーの一柳というおじさんのインタビュー記事を、例の音楽雑誌で読んでしまった。

「ボーイのなれのはてのおじさんですからね」
「ヴォーカルは女性だとか?」
「ええ。シンガーの瑠璃ちゃんに歌ってもらいます」

 この瑠璃もあの瑠理か? 嘘だろ、と思ったのだが、あの瑠璃だった。
 ベテランスタジオミュージシャンたちが結成したお遊びバンドとはいえ、実力は申し分ない。マニアックなファンから初心者までに人気が出て、瑠璃も一躍人気者になった。

「瑠璃は俺の娘みたいなものなんだから、手を出すなよ」
「やだ、そんなこと言ったら瑠璃は嫁かず後家になっちゃうじゃん」
「瑠璃、それは差別用語だぞ」
「きゃあ、失言、ごめんなさい」

 おじさんたちとじゃれて可愛がられている瑠璃を見て、猛然と嫉妬したが、博人には瑠璃に対抗する手段の持ち合わせはなかった。

「瑠璃、ラヴラヴボーイズのポンと深夜のデート」
「瑠璃、レイラのレイとお忍び旅行」
「瑠璃、ギタリストの泉沢達巳と焼き肉デート」

 そのようなスキャンダルも頻発するようになり、恋多き美女との浮名も流すようになった瑠璃は、defective boysから離れて独り立ちしていった。

「けど、こんなところにドサ回りだろ。たいしたことないね」

 強がりだとはわかっている。歌手になりたかった博人はそのあてもなくくすぶっているのに、瑠璃はスターになってしまった。フォレストシンガーズの三沢幸生とデュエットしたシングル曲を発売するとの話を聞くと、俺はフォレストシンガーズのせいで瑠璃と別れる羽目になったんだ、との逆恨みも起きる。

「あんたはいつまでフリーターなんかやってるの?」
「夢をかなえるためだよ」
「夢ってなんの?」
「うるせえな。母ちゃんには関係ねえだろ」

 昨夜も母ともめていたら、姉が冷やかに言った。

「歌手になりたいって言ってたのはあたしは知ってるよ。だけど、そのための努力なんかしてないでしょ? 路上ライヴでもやったらいいじゃない」
「そんなのやったら、警察に引っ張られるよ」
「オーディションに応募するとか、デモテープを送るとかって手もあるんじゃないの?」
「やったって無駄だよ」

 オーディションを受けようと応募したことはあるが、書類選考で不合格になった。もしかしたらフォレストシンガーズが邪魔をしたのではないかと思ったが、証拠もないので泣き寝入りするしかなく、それっきり応募するつもりもなくなってしまった。

「だったら、言ってるだけ?」
「姉ちゃんにも関係ねえだろ」
「関係あるんだよ」
 
 目が据わって怖い顔になった姉が迫ってきた。

「あたし、会社に好きなひとがいるの。彼に告白してつきあうようにはなったんだ。一年ほどたつから結婚したいってほのめかしたら、言われたんだよ」

 弟がフリーターなんだろ。うーん、そいつがひっかかるな。そのまんまニートになられて、将来俺たちが面倒見なくちゃならなくならない? 俺はきみと結婚するのはいやじゃないけど、そんな弟がいるんじゃな、だったのだそうだ。

「あんたのせいで、あたしが結婚できないかもしれないんだよ」
「馬鹿じゃねえのか。俺のせいじゃなくて、姉ちゃんがブスであばずれだからだろ。姉ちゃんみたいな女は遊びだったらいいけど結婚したくないから、俺を口実にされてるだけだよ」

 憤怒の形相になった姉に殴られそうになり、よけたついでに姉を蹴飛ばして、母に泣かれた。姉が組み付いてきたので振り払って、昨夜のうちに家を出た。
 家出をしても行くあてもなく、有り金も乏しいので各駅停車の電車に乗って、終着駅で降りた。駅前はそこそこ賑やかだったが、すこし歩くと畑ばかりだ。こんな田舎に瑠璃が来るのか。おまえもたいしたことないね。

 資金がきわめて乏しいので、朝食はかっぱらったりんごだけ。こんなものでは足りなくて、どうしようかと思案していたら、ネットカフェを発見した。

 バイトの給料をおろしてきたのと、時々姉のパソコンを借りてネットなどをするので、データを保存してあるSDカード。それは大事に持ってきた。瑠璃に対抗する手段……たったひとつ、あるのだが。そんなことをしたらとばっちりがあるのでは? とも思う。

 ネットカフェのパソコンに、SDカードを差し込んでみる。動画があらわれてくる。瑠璃と恋人同士だったころにジョークで撮影した、ホテルの部屋でのワンシーンだ。

「ヒロ、なにやってんの? やだ、撮るなよ」
「いい記念になるだろ」
「やめてってば」

 やめてと言いながらも瑠璃も面白がっていて、煙草をふかしたり脱いだ下着をこちらに投げてきたりしてけらけら笑っている。瑠璃のヌードが一瞬写り、動画は終了した。

 これをネットで公開して拡散させるってことはできる。瑠璃は未成年なのだから、喫煙だけでも問題になるだろう。博人の姿は写り込んでいず、瑠璃、おっぱい見せて、などと言っている声だけが入っている。瑠璃は本名なので、顔と名前で見た者にはあの瑠璃だとわかるだろう。

「でもな、そこまで……」

 堕ちたくはないかな、と博人は思う。
 ひとつは食べてしまったが、もうひとつのりんごを取り出してパソコンの横に置いた。りんご、りんご、おまえは毒りんご?

 夢を見ていられて幸せだったころ、夢はかなうと信じていられたころ、この動画と同時期に、瑠璃の家に遊びにいった。両親は留守だからおいでよ、あたしが夕飯を作ってあげると瑠璃は言い、そのくせ、料理を失敗してどれも食べられるしろものではなかった。

「ひでぇ、そんなんじゃおまえと結婚できないな」
「結婚する気なんかないくせにさ……あ、そうだ。アップルパイがあるよ。これは時間がかかるから、昨夜作ったの。ヒロが来てくれたらデザートに出そうと思ってたんだ」
「デザートだけかよ」
「ごめんね」

 ぺろっと舌を出した、素直で可愛かった瑠璃の顔。俺はたしかにおまえが好きだった。
 りんごを見ていると、あのときのアップルパイの味が思い出される。パソコンの横のりんごは、博人の悪だくみを止めようとしているのか。そこまでしたらいけないよ、と言いたいのかどうか。博人にはわからなかった。

END







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FS超ショートストーリィ・四季のうた・幸生「夏の馬」

番外編

フォレストシンガーズ

四季のうた超ショートストーリィ

「夏の馬」

 マ、今年の夏シリーズは全部「マ」でしたね。
 他の読み方をする漢字もあったけど、「マ」とも読めます。

 フォレストシンガーズ小説は超ショートから長めのNOVELや番外編までありまして、このブログも長くなってくるにつれて、初期とは様相を変えているのです。

 ブログスタート当初は、フォレストシンガーズの小説をひとりでもいいからどなたかに読んでもらいたい一心でした。小説1から開始して、そのうちには訪問して下さる方もできて、その方々の助言もあって気づいたのですね。

 書物で読めば短編でも、こうしてPCやスマホで読む場合、空白の少ない長い文章はたいへんに読みにくい。
 
 事実、よそさまの小説ブログでも、よく知らない方の作品だと長いのは敬遠して、まずはショートストーリィを読ませてもらう。長いのは連載という形になさっている方が大半だ。
 私のブログもすこし読んで下さっても、飽きられるのも早い。

 ということで、ショートストーリィ、超ショートストーリィを充実させていくことにしました。
 加えて、フォレストシンガーズ以外の小説もどんどん載せていこうと。

 雑記のたぐいはこちらにありますので、「茜いろの森」はほぼ全部が小説です。
 んで、長いのは読んでもらえなくてもいいつもりで、自己満足のつもりで。

 番外編とforestsingersカテゴリは超ショートストーリィ、と決めてからでも数年。やはりこのカテゴリを読んで下さる方がもっとも多いようで、まことにありがとうございます。
 多いとはいっても辺境の小さな秘湯ですので、novelなどと比較して、ですけど。

 超ショート、四季のうた、は「春の雨」「夏の朝」「秋の月」「冬の猫」というように、季節の○←一文字の漢字。原則、その形でタイトルをつけています。

 全部が動物だった季節もありましたが、今夏は「マ」。
 さて最後の「マ」は、あれれ? 先にタイトルを出してますね。

****** ***** *****

 なんだか知らないけど、うだうだと説明してる奴がいましたね。奴って……僕らのママでした。ママ、ごめんね。

 みなさま、お待たせしました。ここまでは著者がうだうだ言ってたんですけど、ここからはみなさまお待ちかねのユキちゃんですよぉ。待ってないなんて、そんなに褒めないで。僕、照れちゃうわ。

 高原でひとり、俺は口笛を吹く。ミルクいろの靄が流れて、幻想的な景色だ。ミルクいろの靄の中を動くものがある。闇夜に蠢く黒猫は黒と黒だが、これは白に白。なんだろう。俺は口笛の形に口を開いたままで、目を凝らす。

「……ああ、そっか」

 そうだよな、タイトルに合わせないといけないもんな。
 そうとわかっちゃいるけど、白い景色の中の白馬には見とれてしまう。純白の馬にまたがって、どこか遠いところへ行ってしまいたくなるような。

「俺がいなくなったら、全世界の女性が哀しむから駄目。うん、しかし、この手法って二度と使えないだろうな。一回くらいいいかな。ね、白馬さん?」

END










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FS食べもの物語「宇都宮餃子」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

食べ物物語

「宇都宮餃子」

1

 ジャパニーズロックフェスティバル。とはいっても、近頃流行のロックではなく懐メロだ。一昨年に岡山で初開催され、かつてはロック少年やロック少女だった人々に人気を博した。現役の若者の間でもそこそこ話題になり、気を良くした主催者が二度、三度と開催するようになった。

「木村くん、またやろうや」
「あ、またやるんですか。ぜひ」
「次は栃木県の分に、俺たちも出るんだよ」

 初回の岡山公演の際に、木村章はベテランスタジオミュージシャンたちのバンドでヴォーカルをつとめた。あれから幾度かフェスティバルは開催されているが、彼らもそう毎回は集まれないのだろう。ドラマーの一柳が誘ってくれたので、章もスケジュールを合わせた。

 栃木県は宇都宮市、フォレストシンガーズのマネージャーである山田美江子の出身地だ。若いころには章はちょっとひがんでいたことがある。

「あれ、うまかったよなぁ」
「あれってなんだ?」
「宇都宮に来ると思い出す、美江子さんお手製の……」
「ああ、宇都宮名物だな」
「美江子さんのお母さん特製のタレもうまいんだ」
「あ、あれ、また食いたくなってきましたよ」
「あれってなんだよ?」

 行けばわかるよ、と連れていかれたのは餃子の店。アマチュアフォレストシンガーズ時代には、この土地出身の美江子がたびたび手製の餃子をふるまってくれたのだそうだ。

 大学を中退して一時は彼らとは遠ざかっていた章がフォレストシンガーズに加わり、プロになってからも、美江子は餃子を作ってくれる。美江子の母が送ってくれたという特製のタレは、美江子が本橋と結婚してからもふたりのマンションの冷蔵庫に入っている。

 みんなとは立場が違うから、とひがんでいたあのころ。餃子と聞くと思い出す。宇都宮の餃子は章にだけは、ひねくれ気分の味がしそうだ。


2

 単独仕事は数年前から増えてきている。章がフォレストシンガーズのメンバーとなってから初に、別にロックバンドを組んでライヴをやると言い出したときには、三沢幸生は複雑な気分になったものだ。

 まったくもぅ、章ってほんとにロックが好きなんだな。
 ほんとはフォレストシンガーズを脱退して、ロックバンドやりたいんじゃないの? などと思ったが、今ではもうそこまでは思わない。

 ベテランスタジオミュージシャンたちが章に歌ってほしいと依頼してくるのだから、彼のロックヴォーカリストとしての実力はたいしたものなのだ。

「ユキちゃん、一柳のおじさんたちのロック、聴きにいかない? 暇はない?」
「瑠璃ちゃんは行くの? そしたら行こうかな」

 その日は幸生にも仕事があったが、宇都宮ならば夜にライヴを聴きにいき、とんぼ帰りしてくるのは可能だ。瑠璃の乗ったタクシーが幸生の仕事場に迎えにきてくれた。

 ロックヴォーカリストとしてデビューしたものの、売れずにいた瑠璃を抜擢してくれたのが一柳。彼が仲間たちと結成した「defective boys」のヴォーカルとしてCDを出しているうちに、瑠璃も人気者になった。瑠璃はフォレストシンガーズ全員になついていたし、幸生も彼女と仕事をしたことが何度もあった。

 女は大好き、若い女はとりわけ大好き、な幸生ではあるが、瑠璃ほど若いと少々気が引ける。こうしてタクシーの後部座席で隣り合わせですわっているだけで十分だった。

「餃子食べたいな」
「瑠璃ちゃんも宇都宮ってーと餃子を連想するんだね」
「ライヴまでに時間あるから食べたいけど……」
「周りのお客さんに迷惑でしょ」
「言えてるよね」

 おススメの店、ありますよ、と運転手。だったら、と幸生は言った。

「ライヴが終わったらこのタクシーで迎えに来て下さいよ。三人で餃子食ったら誰にも迷惑はかからないでしょ」
「それ、いいですね。私も嬉しいですよ。東京まで往復の仕事なんてめったにないですから」
「うんうん、毒食らわば皿までだね」
「瑠璃ちゃん、それちがうけど……」

 餃子を食べたあとの匂いは、周囲の人々には毒にも近い。瑠璃と共犯者になるみたいな、運転手は邪魔みたいな……瑠璃が幸生を見てうふっと笑う。残念、きみがもうちょっと大人か、俺がもうちょっと若かったらね。


3

「おまえが作ったのか? こんなの食ったら腹をこわさないかな」

 失礼な台詞を吐いて山田に蹴られそうになり、飛びのいたら乾隆也に首を抱え込まれて頭を殴られた。山田美江子が料理が得意なのは知っていたが、それでもいつだって悪口ばかり言い、乾に怒られたっけ。

 想い出に変わると甘ずっぱい、学生時代。
 大学に入学して知り合い、乾と山田と本橋真次郎、三人でずーっと仲良くしていた。友人たちのみならず、真次郎の母親までが、山田さんってカノジョなんでしょ? と言いたがった。

 ことごとく否定してきたその関係が事実になって、カノジョを飛び越えて妻になってしまった。こいつと結婚するなんて、学生時代の俺が知ったら怒るんじゃないかな? と真次郎は思う。

「宇都宮の餃子っていうと、うちの母か私の作ったのがうちでは定番でしょ」
「そうだよな」
「章くんに頼んで、宇都宮ではいちばんおいしいって弟たちが言ってる店の餃子、買ってきてもらうの」
「そんな頼み、よく章が引き受けたな。脅迫でもしたのか」
「なんの脅迫よ? 人聞き悪いね」

 朝の光の中、妻が怒り顔で笑っている。
 今日は幸生と本庄繁之と隆也は仕事だが、真次郎と章は休日だ。章がロックフェスティバルに出たいというので、フォレストシンガーズの仕事はスケジュールからはずした。

「その餃子、通信販売はやってないのか」
「やっていないみたいよ。冷凍のも作ってないの」
「そしたら、俺たちも食いにいこうか」
「え? 今から行くの? そうだね。行こうか」

 素直じゃないね、章くんのステージを聴きにいくって言えば? 美江子の目がそう言っている。彼女の立場ならばジャパニーズロックフェスの当日券は手に入れられるだろう。ソールドアウトはしていないらしいのだから。


4

 午前中に雑誌の撮影が終了した隆也は、近くのカフェに行ってみまた。繁之がその店ででインタビューを受けているのを知っていたからこそだったのだが、うまい具合に彼の仕事も終わったようだ。

「お疲れさん。昼メシか?」
「そうなんですよ。あの、乾さん、仕事は終わりました?」
「終わったよ。シゲはこのあとは予定は?」
「えーっと……実は……」

 ピラフとポークチョップの皿を並べて昼食中の繁之がポケットを探り、隆也も同様にする。ふたりのポケットから出てきたのは同じものだった。

「予定通りに終わるかどうか微妙だったから、買うのは躊躇したんだけどさ……」
「俺もですよ。今からだったら余裕で間に合いますよね。乾さんもなにか食います?」
「俺はむこうで餃子を……あ、そっか、ライヴホールでいやがられるな。餃子は終わってからのお楽しみにして、サンドイッチでも頼むよ」

 長年グループをやっていると、考えることが似てくるのかもしれない。
 宇都宮で開催されるジャパニーズロックフェスティバルのチケットが二枚、テーブルの上に仲良く並んでいた。

END






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FS俳句・短歌・超ショートストーリィ2017/8

forestsingers

2017/8

 細くて長い脚……サイズとしては長くもないけれど、身長のわりには長いじゃん?
 そんな僕の脚にからみつく、ごつごつした毛深い脚を想う。それって山鳥のしだり尾? 自由で身勝手なケイさんを山鳥にたとえるのは、ふさわしい気もする。

 本当に長いケイさんの脚を想いながら、長々しい夜にひとり。
 山鳥が呼んでくれないだろうか。哲司、と僕の名を呼んで、それ以上はなにも言わずにかたわらに長く伸びてくれないだろうか。

 ケイさんがいないんだからやむなく、ひとりかもネム。
 かも寝むって意味不明だけど、山鳥がいないんだったらひとりはつまらないから、鴨と寝るとか? でも、鴨もいないから仕方なく、ネムネムネム……。

「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長ながし夜をひとりかも寝む」柿本人麻呂

 俳句だの短歌だのが大好きな、乾さんが教えてくれた昔の恋歌。短歌なんかどうでもいいから、乾さん、鴨になってよ。

TETSUSHI/真夏の夜に


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FS食べもの物語「天むす」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

食べ物物語

「天むす」

 エビの天ぷらを中に入れて作ったおむすびを「天むす」という。発祥は三重県だとか岐阜県だとか諸説あるが、現在では名古屋名物とされていた。

「だからって、なんで天むす……」
「テン、ムー、スーって……」
「サイアク……」

 三人で顔を見合わせてから、天を仰いで嘆いた。

 親のつけてくれた名前はもちろんあるが、子どもをターゲットにしたアイドルグループ、名古屋出身の「天むす」の三人は、愛称がテン、ムー、スー。三人ともに教育テレビの子供番組でデビューしたので、子どもたちには見覚えもあって親しみを感じたのだろう。デビューしたらじきに人気者になった。

 本名は典子、ニックネームがテンちゃんだったので、「テン」は本人にも親しみがあっていやではない。スーとムーは本名とはかけ離れた愛称だが、本人たちもなじんできたようだ。

「おはようございまーす」
「よろしくお願いしまーす」
「わー、いい匂い」

 名古屋出身なのだから、名古屋でもっとも人気があるのも当然かもしれない。このたびは天むすが、名古屋に本社のある食品メーカーの、ダイエットラーメンのCMキャラとして起用された。

「はじめまして。営業担任責任者の本庄です」

 もらった名刺には、プロジェクト担当課長、本庄希恵とある。ほんじょうきえ、とひらがなも振ってあった。
 三十代だろうか。この年の女性で課長って、かしこいんだろうな、とテンは思う。同時に、かしこいかもしれないけど脚太いし、ブスだよね、とも心で言っていた。

 小学校に入学すると、母の趣味でテンは児童劇団に入った。顔が可愛かったのもあり、学校ではかなり勉強ができたのもあって、テレビの子供向け番組に出るようになったのだ。あれから十年、高校生になったテンは勉強はほとんどしないが、頭はいいと自覚している。美人で秀才、あたしは最強。

 子ども番組出身という共通点から、大人たちの思惑に従って結成されて売り出されたグループだ。表面上は親しくしているが、典子は他のふたりなどは歯牙にもかけていない。あたしのほうが上、あたしが最強。

 ダイエットラーメンのCMに起用されたのは、ムーとスーがややぽっちゃり体型だからだろう。テンはスリムで長身だが、子どもたちはモデル体型のテンよりもぽっちゃりお姉さんのほうに親しみを覚える傾向にある。典子としては天むすなんて大人のタレントになる前の通過点にすぎないのだから、子どもに人気などなくてもよかった。事実、テンちゃんいいね、という声は大人の男性たちからあがっているらしい。

「うん、よし、私もつきあってあげよう」

 若いOLに扮したテンが、職場の給湯室でカップラーメンを作っている。テンは太目のスーとムーのためにダイエットラーメンを選び、自分もそれを食べるという設定だった。

「おいしいね、これってダイエット麺なの?」
「これだったら続きそう。これからはずっとランチはこれにしよう!!」
「いろんな味があるから、全種類買ってきたんだよ」
「テンちゃん、気が利くぅ」

 スムーズに撮影を終えると、リアルでのランチタイムになった。名古屋AK食品の製品、今回のカップラーメンや冷凍食品やインスタント食品などがテーブルに並び、天むすの三人もそれらで食事を摂ることになった。

「テンちゃんの意地悪ぶりが出てるCMだよね」
「意地悪なの、あれ?」
「ムーちゃんってば天然? 意地悪じゃん」
「テンちゃが意地悪っていうよりも、会社のひとたちが意地悪なんじゃない?」
「広告代理店が意地悪なのかな」

 意地悪、意地悪を連発しながらも、ムーとスーは食欲旺盛だ。こんな安っぽいインスタント食品で太りたくないから、テンは冷凍おにぎりだけにした。

「えーっと、お食事中すみません」

 そこに入ってきたのは、本庄希恵の部下だと名乗った若い男。田中くんと呼ばれていた青年だった。

「本庄って名前で気づきませんでした?」
「なにに?」
「えーっと、スーさん? スーって名前もフォレストシンガーズに関わりがあるらしいんですよ」
「フォレストシンガーズ?」

 それがいったいなに? フォレストシンガーズというおじさんたちのヴォーカルグループがいるのは知っているが、なんの関わりがあるのだろう? 田中は楽しそうに続けた。

「本庄希恵さんは……っと、部外者の前で社内の人間をさん付けにすると怒られるんだけど、あなたたちにだったらいいよね。うちの課長、本庄希恵さんはフォレストシンガーズの本庄繁之さんのお姉さんなんですよ」

 ふーん、以外の感想は、典子には持ちようもなかった。

「それでね、課長がこのプロジェクトの責任者になったときに、僕は提案したんです。フォレストシンガーズにCMソングを作ってもらえないかなって。イメージじゃないんじゃない? って課長は言ったから、そしたら、本庄繁之さんのソロとか……とも言ったんですよね。そしたら、本庄さんは作詞や作曲ができないって。そんな歌手もいるんですね」
「私も作詞や作曲ってできないな。したらできるのかもしれないけど、やったことないし」

 冷淡に典子が応じ、田中は言った。

「あなたたちはアイドルでしょ。アイドルだったらできなくてもいいんだよ。フォレストシンガーズってシンガーソングライター集団だって言ってるのに、ソングライト……ソングライターができない人もいるんだなって。あ、課長には内緒ね」

 三人は曖昧に微笑んでうなずいた。

「だから、フォレストシンガーズにはCMソングは作ってもらえなかったんですよ。僕としては残念なんだけど、あなたたちは可愛いからいいよね。で、もうひとつ、いや、もうふたつ、大事な情報を手に入れた。そのためにサインしてくれない? 課長をびっくりさせたいってか、喜ばせたいってか、協力してくれないかな?」
「サインが大事な情報?」
「そうなんだ、なんと、本庄繁之さんの息子が、天むすの大ファンなんだって。本庄さんはあなたたちにサインをもらいに行きたくて、行きそびれてるらしいんだよ」

 なんと、ともったいつけるようなことだろうか。本庄と言われても、フォレストシンガーズの個々人の顔は知らない。本庄希恵の弟ならば、イケメンでもないだろうとしか思えなかった。

「もうひとつは?」
「スーって、木村章さんのモトカノの名前なんだって。すごいでしょ」

 どこが? と問い返すのも馬鹿馬鹿しくて、典子は田中が差し出した色紙にサインをした。仕事がらみで知り合った誰かにサインをねだられるのは日常茶飯事だ。

「ありがとう。もう一枚、書いてもらえる? これは僕の……」

 えへへと笑って、田中は尋ねた。

「うちのインスタント食品はけっこうおいしいでしょ。あなたたちはいつだって豪華なものばっかり食べてるんだろうから、たまには粗食もいいよね。あ、そうそう、僕が言ったことは全部、課長には内緒ね。これからも天むすのCD買うからね。コンサートがあったらチケットの便宜とかは……ああ、握手してもらっていいかな」

 ひとりで喋りまくっている田中に握手してやると、今日は手を洗わないでおこっと、とベタな台詞を残して、彼はようやく出ていった。

「それがどうした」

 ぽつっと呟いたムーのひとりごとに、今回ばかりは典子も大賛成だった。

「木村章のモトカノ、スーでーす」

 CMの仕事が終わると、天むすは地元のラジオに出演した。天むすの三人と名古屋では有名な男性DJが担当する番組である。早速、DJの馬原が突っ込んだ。

「フォレストシンガーズって?」
「馬原にぃ、知らないの?」
「知ってるけど、スーちゃんってフォレストシンガーズの木村章のモトカノ? 初耳だよ」
「うん、スーも初耳だった」
「……めちゃんこ意味不明でかんわ」

 彼もまた地元出身なので、定番の名古屋弁でしめくくった。
 なんのつもりだ、この女は? 典子はスーの真意を探ろうとしていた。フォレストシンガーズの木村章のモトカノ、スーという名と偶然、天むすのスーが一致しただけだ。それがなにかいいことにでもつながるのか? ならば、フォレストシンガーズつながりで、本庄繁之の息子があたしたちの大ファンなんだって、というのは?

 内緒にしろと田中は言ったが、本庄課長に告げ口するのではないからいいだろう。本庄さんちの坊やによろしく!! と言ってみようか。
 ただし、この放送は名古屋ローカルなので、フォレストシンガーズはおそらく聴いていない。そこが問題だ。

END








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174「頭が高い」

ショートストーリィ(しりとり小説)

しりとり小説

174「頭が高い」

 平凡ではない私に平凡な名前はふさわしくない。女ではあっても女っぽくはなく、さっぱりした気性は男のようなのだから、女の名前もふさわしくはない。かといって同人誌仲間のように、コータローだの良太だの敬助だの、男名前も名乗りたくない。

「綾小路ミツルさまって、誰よ、これ? まちがって届いたのかな?」
「あ、それ、私」
「誰が綾小路ミツル? あんたは小山満代でしょ」
「いいのっ」

 父親の名前をフルネームで、下に家族の名前を並べた表札の横に、「綾小路ミツル」と手書きで作った名刺を張り付けて、母に呆れられたりもした。

 中学生になると部活をしなくてはならないと校則で定められていた。やりたい部活などなくて、かったるいなぁ、と思っていたら、積極的なクラスメイトが同好会を作ると聞きつけた。

「一年生のくせに生意気だとも言われたけど、ボクは漫研がいいんだもん。だから、先生に交渉したの。先生が顧問もしてくれるって。満代も入らない?」
「漫画研究会だよね。入るっ!!」

 それまでは漫画が好きなだけの少女だった満代は、友人と相談してペンネームも決め、描くようにもなった。
 けれど、漫画を描く才能はなかったらしい。絵は下手ではなかったのだがストーリィが作れなくて、小説を書く友達に頼んで彼女の原作を漫画化してみたりしたのだが。

「やおいにしないでよ。私は男同士の恋愛は嫌いなんだから」
「遅れてるね。漫画の王道はやおいだよ」
「そうだそうだ。やおいのほうが人気が出るんだぜ」
「私はいやっ!!」

 かたくなな原作者だったので、その友人とは喧嘩別れしてしまった。

 漫画研究会を作ったほうの友人とは気が合って、長く続いていた。同じ高校に進学し、そこにはもとから漫研があったのでふたりして入部し、友人のほうは先輩に描いた漫画を褒められ、満代は描くに描けなくて友人にお願いした。

「ボクだって絵だったら描けるんだから、ソージのネタをひとつくれよ」
「やだよ。ボクが描くんだから」
「ケチ」
「ネタも自分で考えろよな」

 友人のペンネームはソージ、彼女は新選組マニアで、幕末の志士たちの男同士恋愛漫画を得意としていた。満代はミツル、ふたりともにボクと自称し、少年っぽい言葉で話すのが楽しかった。

「ソージは卒業したら美大に行きたいのか?」
「うーん、美大じゃなくて短大の保育科にしようかなって……」
「保育科? なんでだよ?」
「私の才能くらいじゃ、漫画家にも画家にもなれそうにない。ほんとに才能があったら、雑誌のコンテストに応募してる漫画がとっくに新人賞くらい受賞してるのよね。私よりも年下の子だって、デビューしてるんだもん」
「そんなことないよ。ソージは才能あるって」

 自分は漫画家にはなれそうにないから、せめて友達がプロになれたら……との想いから躍起になりつつ、満代は気づいた。

「私? ソージ、なんか女みたいじゃね?」
「私は女だもん。ソージなんて呼ぶのもやめて。彼に言われたんだ。満代とおまえは痛いって言われてるの知ってるか? 俺はおまえとつきあいたいけど、そんな痛い女だったら友達にも笑われる。ソージなんてのも痛すぎるよ。ボクもやめてくれ。本当のおまえに戻ってくれよって」
「そんで、つきあうの?」

 うなずいた友人の顔が憂いありげな大人の美女に見えて、満代は叫んだ。

「裏切り者!! 男なんか嫌いだって言ってたくせに!!」
「あれはもてない強がりだったのかもね。満代も高校生でいられるのはもうちょっとなんだから、将来のことを真面目に考えたほうがいいよ。彼も作ったら?」
「満代なんて呼ぶな。その名前は大嫌いだ!!」

 裏切り者とは絶交だ。満代は親友のつもりだった友達とはそこで縁を切った。

 なのだから、ソージがその後どうしたのかは知らない。性転換してその彼と結婚したのか。いや、もとから女なのだが、友人が女に戻ると聞くと不潔ったらしく感じて、性転換でもなんでもしろ、気分になったのだ。

 自覚はあったから、満代には美大や芸大進学は無理だとわかっていた。だったらデザイン専門学校にしよう。推薦入学のできる学校に入学すると、そこにもいっぷう変わった女の子が大勢いたので、むしろ拍子抜けしてしまった。高校のときにはボクって言ってたの? 私は男っぽい? そんなのフツーだね、と笑われた。

 まったく才能がなかったわけでもなく、無難に専門学校を卒業して小さなアパレルメーカーに就職した。
 デザイナーになったつもりでいたから、ペンネームのつもりでミツルとだけ名乗るようにもなった。

 流行りものにはアンテナを敏感にしておきたい。ファッションだけではなく風俗的なこともだ。ダイエット、クラブ、レストラン、酒、音楽、などなど。映画もテレビドラマも、興味のあるものがいっぱいで、漫画からは遠ざかっていく。活字を読むのは面倒だから、漫画の文字だってめんどくさくて読んでられないね、だった。

「泥棒猫っ!!」
「は? すっげぇレトロな言葉。そんなの死語じゃないの?」
「死語もなにもないでしょっ!!」

 不倫は文化だ、とどこかの有名人が言ったとテレビで見た。不倫だってトレンドのひとつだし、あたしは結婚なんかしたくもないんだから、彼氏は既婚者のほうがいいさ、軽い気持ちで妻子のある男とつきあっていた。彼がミツルのマンションに来ていたときに、妻が乗り込んできた。こんなにも激怒している妻を見て、ミツルはむしろびっくりしていた。

「奥さん、そんなに怒らないで。私も本気じゃないんだからさ。ああ、コウちゃん、奥さん怖いよ」

 そのときちょうど、彼はシャワーを浴びていた。ミツル、えーっと俺のシャツ……などと言いながら出てきた彼は、妻の姿を見て硬直していた。

「コウちゃんだって本気じゃないよね」
「あ、あああ、ああ、そうだよ。母さん、落ち着いて。本気のはずないだろ。まあ、いうなれば人助けだよ。この彼女、見ろよ。若いだけがとりえのデブだろ。もてないんだよ、全然。今どきの若い男は細い女が好きらしくて、あんなデブ、気持ち悪いとまで言うんだ。俺は別に太った女も嫌いじゃないし、遊ぶだけだったらいいかなって。それだけだよ。本気のはずないよ。うんうん、落ち着いて。母さん、帰ろうな」

 妻を母さんと呼ぶ男は、ミツルをほったらかして帰っていき、翌日には弁解しまくっていた。

「あの場ではああ言うしかないじゃないか。立場としては妻の座って強いんだよ。ミツルちゃんはうちの女房に慰謝料請求される恐れだってあるんだ。女房は興奮していたから落ち着かすためにああ言ったんだよ。でないと刃傷沙汰だってあり得たんだから」
「だったら私とのほうが本気? 奥さんと離婚して私と結婚するの?」
「ミツルちゃんって……そんなダサいこと言う女だったのか?」
「あ、そだね、嘘嘘。言ってみただけ」

 もっとも嫌悪したい女の台詞が口に出てしまった。そんな自分に嫌気がさしたのもあり、彼はまだ私には未練があるのだろうから、こっちから捨ててやろうと決めたのもあって別れた。

 私がもてないって? デブだから若い男に相手にされないって? 冗談じゃないんだよ。彼の言葉が癇に障ったものだから、もてると証明したくて男遊びをするようになった。ミツルちゃんはデブじゃなくてグラマーなんだろ、と言う男も次々にあらわれて、ほら見ろ、もてるじゃん。今のあたしに会ったら後悔するだろうな、とコウちゃんに舌を出していた。

 そしてこうして、ふと気づくと四十歳が目前に迫ってきている。

 いつのころからか、夜の街で男をナンパしても逃げられるようになった。遊ぶだけだったら大歓迎してくれた男たちが、おばあちゃん、家に帰って孫と遊んだら? などと言うようになった。そろそろ私も潮時か。婚活でもすっかな。そのつもりでずいぶんと久しぶりに書店に入ったのは、婚活特集をしている女性雑誌が目当てだった。

 女性雑誌の横には女性向け漫画本のコーナーがある。少女漫画もレディスコミックも、ミツルが夢中になっていたころと変わらぬ隆盛ぶりだ。小型で分厚い少女漫画誌を手に取ったのは、ソージ・土方という漫画家の名前が目についたから。中学から高校にかけて親友だと思っていたソージを思い出したからだ。

「今どきでもこんな名前、つけたがるんだね、新選組ってまだ流行ってるのかな」

 表紙だけを見て帰宅し、婚活特集の雑誌をぱらぱらめくる。婚活はインターネットを駆使したほうがいいということらしいので、ミツルも雑誌で勧めていた婚活サイトを見ることにした。

「三十歳をすぎると不利だ? 古いなぁ。男女差別だな。女性蔑視だな。抗議のメールを送ってやろうか」

 婚活の現実、というようなサイトもある。見ていると気が滅入ってきたので、書店で見たソージ・土方を検索してみた。

「ファンのみなさん、こんにちは。ソージです。
 私は中学生のときから変わってないみたい。ソージってペンネームもずーっと同じなんですよ。
 さすがに、中学生や高校生のときにボクって言ってたのはやめましたけどね。

 漫画は中学生のときから描いています。中学に入学して漫研を創立して、その漫研、ソージの母校だってことでけっこう人気なんだって。ソージ先生と同じ中学校に入って漫研にも入りたい、なんて言ってくれる女の子もいるらしいの。
 公立中学だから校区がちがったら無理だよ。そう言ってくれるのは嬉しいけど、ご両親を困らせたりしないでね。

 同じ趣味の友達がいて、ふたりで切磋琢磨もできました。
 名前、書いていいかな。ペンネームだからいいよね。ミツル、元気にしてる? あなたも結婚してお母さんになってるかな。
 会いたいな。もしもこれを読んでいたら連絡して。

 わたくしごとで失礼しました。さて。

 高校生になって彼ができて、おまえは痛いなんて言われて漫画から遠ざかろうとしたんだけど、やっぱり捨てられなかった。
 短大は保育科に進んで、保育士にもなったんだけど、それでも漫画は捨てられなかった。高校のときの彼とはすぐに別れて、保育士になってからできた彼と結婚して、毎日忙しかったけど、それでも漫画は捨てられなかった。

 保育士を続けながら、主婦として母としても働きながら、夜中に漫画を描いたりもしていました。
 そうやって苦節十五年、三十五歳にして新人漫画家としてデビューしたの。

 その後のことはファンのみなさんだったらごぞんじでしょう? 母として主婦としては永続するんだろうけど、保育士の仕事はやめて専業漫画家になれたのは、ファンのみなさまのおかげです。
 これからも応援してね」

 ソージ・土方のオフィシャルサイトには、ソージのプロフィルというページがあった。読んでいると中学、高校のときの友達を思い出す。彼女と酷似していて、なにやら吐き気までがしてきた。

 嘘だ、嘘。あのソージのはずがない。生年月日からすると私と同年で、知ってるひとは知ってるんだからいいよね、との但し書き付きで紹介されている中学校も高校も私と同じで、本人の写真には少女のころの面影がある。だけど、信じない。ミツルって私? 信じない。あり得ない。

 サイトに公開されたプロフィルの、ソージの若き日はすべて、ミツルの友人だった彼女と一致する。けれど、信じたくなかった。確認なんか、連絡なんかしたくなかった。

「もしもあんたに会うとしたら、婚活に成功してセレブなマダムになってからだな。見てろよ、ソージ、そうなって会ったら言ってやるんだ」

 あんたはたかが漫画家だろ。私は大金持ちの主婦だよ。結局は私の勝ちだね。頭が高い!! 控えろ!! って、言ってやるんだ。

次は「い」です。







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FS食べもの物語「ラーメン」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

食べ物物語

「ラーメン」

 スープをひと口すすった本橋が、ほっと息をつく。俺は麺をひと筋口に入れ、のびかけてるな、と感じる。夏休み明けの学食には学生の姿は少なく、まだ学校に出てきていない奴も大勢いるらしいと思われた。

「学食って久しぶりだな、うまいよな」
「……うまいか。うん、うまいかな」

 金沢の乾家では、料理は祖母が指揮をして家に住み込んでいる女性がこしらえるのがもっぱらだった。
 家に住み込んでるお姉さん? なんだそりゃ? と友達に不思議がられるので、そういうのは一般的ではないと知ったのだが、乾家は華道の家元だから、行儀見習いや修行のために、日本各地から名家のお嬢さまたちがやってきていたのだ。

 華道の家元は母の仕事で、父は和菓子屋のあるじ。ひとり息子の隆也の養育は祖母の仕事。祖母は家事をとりしきる家刀自でもあって、住み込んでいる女性たちの総監督でもあった。

「大奥さま、今夜はなにを……?」
「ブリの脂が乗ってきているころだから、照り焼きじゃなくて塩焼きにしましょうかね。大根を煮て、ほうれん草のゴマ汚しと、あとは卵を……」

 幼児のころには、食卓に出されたものは文句を言わずに全部食べる。食べ物についてあれこれ言うのは、男のすることじゃないからね、との祖母の教えを忠実に守っていた。

「ばあちゃん、僕、ラーメンが食べたいな」
「ラーメン?」
「うん。インスタントラーメンっておいしいんだって。とっくんが言ってたよ。僕も食べたいな」
「ラーメンなんて夕食にはならないし、インスタントなんて絶対に使いたくないね」
「カレーライスは?」
「それだったら土曜日のお昼に作ってあげるよ」

 小学生にもなると恐る恐る言ってみて、洋風は却下されていた。要するに祖母が好まなかったからだろう。
 誕生日にケーキを焼いてもらったり、クリスマスにはチキンソテーを作ってもらったり、たまにはカレーや麻婆豆腐のメニューもあったが、うちの食事は基本和食だった。

 両親は帰りが遅いので、小学生までだったら俺が寝てしまってから食事をしていた。夫婦での食事だと給仕と後片付けは母がしていたようだが、俺はよくは知らない。外食もほぼない家庭だったので、家族四人で食事をした経験はほとんどなかった。

 高校三年の年に祖母がみまかり、俺は翌春には東京に出て大学生になった。あれから三年、今でも行儀見習いの女性はたまにいるようだが、母が食卓を整えて父と差し向かいで食事しているのだろうか。俺にはうまく像が結べない。うちの両親は仲がいいのか悪いのかも想像しにくいのである。

 父の店でのみアルバイトを許可してもらえるようになってからは、俺も友達とだったり彼女とだったりで、外で飲み食いすることを覚えた。コーヒーやホットケーキやサンドイッチは、彼女とふたりで食べるとたいそう美味だった。

 が、金には困窮していた身だから、高校生までは外食経験に乏しい。大学生になってひとり暮らしとなり、昼は学食で食べるのが嬉しくて、けれど、なるべく自炊するようにしている。俺が中学生になると、男も料理はできたほうがいいかしらね、と言うようになった祖母に教わった田舎の和風料理だ。

 一方、東京生まれの東京育ち、本橋真次郎は。

「高校のときは弁当だったのか?」
「そうだよ。本橋はちがうのか」
「弁当も作ってもらったけど、俺らは三人とも大食いだから、弁当だけじゃ足りないんだよ。弁当にプラスして売店でパンを買ったり、学校の近くの店で安い稲荷寿司とかも買ったりしていたな」

 兄がふたり、そのふたりは七歳年上の空手の猛者で双生児。本橋も大柄なほうだが、兄さんたちは巨漢といっていい。そんな息子三人に食わせなければいけなかったのだから、本橋母の料理は質より量だったと思われる。山盛りにしたコロッケやから揚げが、まごまごしていると真次郎の口には二、三個しか入らなかったというのだから、すさまじい食事風景だったのだろう。

「あ、真次郎、ウルトラマンだ!! って兄貴に言われて窓の外を見てる隙に、半分は残ってた俺のチャーハンが空っぽになってたこともあったよ。兄貴が食っちまったんだ」

 なんかいいな、うらやましいな、と応じると、どこがいいんだ、おまえは馬鹿か、と本橋に呆れられた。

 よって、本橋は食えるものならなんでもうまいと感じるようである。のびかけたラーメンがしみじみうまいとは、幸せな奴だ。

 舌が肥えている人はいる。うちの祖母は頑固ではあったが、昔ながらの金沢料理の作り手としてならば達人に近かった。洋風は食べ慣れないので駄目だったにせよ、料理人としても食する側としても舌は磨かれていた。おばあさまに教わった料理、夫に大好評なんですよ、と、うちに修行に来てのちに結婚した女性から幾度も聞いた。

 子どもの舌には合わなかった田舎料理も、二十歳になって再現してみると、それなりにうまく感じるようになった。俺はまだまだ若造だから、中年にでもなれば祖母の味をなつかしむのか。俺にとってはおふくろの味ではなく、祖母の味。

 皮肉ではなく、金持ちではあってもわりあいに庶民的で、ふたりの兄にもみくちゃにされて育った本橋を俺はうらやましく思う。そのおかげで好き嫌いもなく、なにを食ってもうまいとは最高ではないか。俺もいつか結婚したら、本橋家のような家庭を築きたい。

「全然足りないな。もう一杯買ってくるよ。おまえは?」
「俺はもう腹いっぱいだ」
「……それっぽっちしか食わないのかよ、それでも男かよ」

 小食だと男らしくないと、妙な偏見を持つのはやめろ。とは何度も言ったので言い飽きた。本橋真次郎はいい男ではあるのだが、男らしさにこだわりすぎる傾向がある。あればっかりはどうにかならないものだろうか。

TAKA/20歳/END







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FS超ショートストーリィ・四季のうた・隆也「夏の麻」

番外編

フォレストシンガーズ

四季のうた


「夏の麻」

 春は「ひ」で、火、陽、非、否、灯、だったわけです。
 夏は「ま」。著者のお遊びですね。

 でも、「麻」といえば「ま」というよりは「あさ」、リネンですよね。
 麻薬とか快刀乱麻とか、麻酔とか麻痺とかって言葉もたくさんありますが、俺はリネンの話をしたいな。

 いいですよね、麻。

 麻のシャツ、麻のシーツ、麻のスーツ、麻のハンカチ、麻のナプキンやテーブルクロス。
 生成りの麻のスーツに白い麻のシャツを身につけ、麻づくしのテーブルセッティングをした食卓につく。愛するひととふたり、俺の手料理で遅い朝の食事を……「あさ」ちがいでも朝も麻もさわやかなイメージですよね。

 食事を済ませたらふたりでマルシェに買い物に行こうか。昼は屋台で軽く食べて、夜はきみが作ってくれる? 俺はその間、きみのために歌おうかな。

 そして、夜。

 ふたりして入浴してから素肌で麻のシーツにくるまって……なにをするのかって? 内緒。ここから先はふたりだけの世界ですので、では、おやすみなさい。

TAKA/END






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花物語2017/8「母子草」

ショートストーリィ(花物語)

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花物語2017

八月「母子草」

 思いがけなくも、母は反対はしなかった。

 父が亡くなったときには兄もほのかもまだ子どもだったので、母が父に苦労していたのかどうかは知らない。父の悪口を言うような母ではなかった。なのだから、父親なんかいなくてもいいのよ、的思想が母にあるのかどうかも、ほのかは知らないのだが。

 大きくはないがしっかりした会社の経営者三代目、父はその立場で、初代と二代目が亡くなってから、父は母と結婚した。父方は特に男が早逝家系らしく、ほのかの曾祖父も祖父も父も中年の年頃で逝去していた。三代目が潰すこともよくあるらしいが、父は可もなく不可もなくといった程度に会社を存続させ、父亡きあとは母が会社を引き継いだ。

 経営者としての能力は、母のほうが父よりも上だったらしい。金銭的にもまったく困窮することなく、母は息子と娘を育てた。母が多忙ゆえに放任されていた部分はあるが、兄は大学院まで終了して文系の学者になった。ほのかは外国語大学英語科を卒業して通訳になった。

「父親がいなくても、ほのかがひとりでしっかり子どもを育てていけるんだったら、母さんは応援するわよ。それに、あんたは母さんが反対したってやりたいことはやるでしょ。そういうところが頼もしいんだから、あんたは我が道を行きなさい」
「兄さんには言わなくてもいいかな」
「あいつは頭の固いところがあるから、言わなくてもいいんじゃない?」

 ルックスがいいのと金を持っているのとで、兄はけっこうもてる。妻と息子がいるにも関わらず適当に遊んでいるようだが、自分はいいけど妹は駄目、の思想の持ち主だ。それでも同居しているわけでもなし、黙ってやればいいとの母の意見に従って、ほのかはひとりで子どもを産んだ。

 仕事で知り合ったイギリス人と、彼が日本に滞在している間だけの恋をしていた。彼は仕事を終えて帰国し、残したものはほのかの胎内の子どもだけ。ほのかには結婚願望はかけらもないが、子どもはほしかったので好都合だった。

 一年間は産休、育休を取るつもりだったので、もしものために蓄えてあった資金を活用した。金髪の可憐な女の子を出産し、ベビーシッターや保育園の手配もし、家政婦さんを雇って家事をまかせ、長女の華子が一か月後には一歳になる時期に、ほのかは仕事に復帰した。

「ほのか、いつの間に結婚したんだ? もう子どもが生まれたのか? できちゃったってやつか?」
「できちゃったから子どもはいるけど、できちゃった婚じゃないよ」
「ってことは?」
「結婚はしてないから」

 黙っていてもどこからか漏れるもので、平素はつきあいもない兄も妹が出産したと知ったらしい。電話をしてきた兄に正直に告げると、兄は長く長く絶句してから言った。

「不倫なのか?」
「彼は独身だって言ってたけど、本当のことはわからない。彼はイギリスに帰っていってしまったし、私が華子を産んだのも知らないはずよ」
「えーっとえーっと……えーっと……なにからどう訊いていいのかわからないよ。俺はたつ子になんて言えばいいんだ」
「義姉さんには本当のことを言って。迷惑はかけないから」
「迷惑はかかるんだよ。おまえがかけてないつもりでも、そんなふしだらな妹を持ったってだけで、俺たちには迷惑がかかるんだよ」
「そぉ? ごめんね」

 面倒なのでそうあしらっておいたら、兄はそれ以上は言わずに荒々しく電話を切ってしまった。

「華子はきょうだいがほしいよね?」
「おにいちゃんがほしい」
「お兄ちゃんか……お兄ちゃんってのは養子でももらうんだったら可能かな」

 しかし、日本の法律では未婚の母に養子を託してはくれないだろう。弟か妹でもいいよね? と質問すると、ようやくお喋りができるようになってきた、一歳半の華子はこっくりうなずいた。

「あらぁ? ふたり目も産むの? 華子のお父さんと再会したとか?」
「産まれてきたらわかるだろうから言うけど、今度はアフリカ人なのよ。華子のパパはアーティスト、次の子のパパはアスリート。誰かまでは言えないけど、生物としてのこの子たちの父はそういった男性よ」
「来日していた金髪のアーティスト……ブラックのアスリート……そう大勢はいないだろうけど、ま、あんたが決めたことなんだから貫きなさい。華子はきちんと育ててるんだから、できるって立証済みだものね」

 今回も母は、反対意見は述べなかった。

 問題は兄だ。華子の出産時には兄は、唖然茫然愕然だったらしい妻のたつ子をなんとか説得というか、きみは俺の妹には関わらなくていいんだからほっとけ、と言ったらしいが、父親のちがうふたり目の子どもとなると、兄も義姉も逆上するかもしれないと思えた。

 通常、まずは母親が大変だろう。父親がいたら大変さが五倍ほどになりそうな気がする。ほのかは親の問題はクリアしているのだから、兄夫婦なんて軽い軽い、と考えることにした。

「ほのか、また産んだんだって?」
「誰だよ、兄さんにそうやって告げ口してるのは……」
「誰だっていいだろ。しかも、今度は黒人とのハーフだって? おまえはなにを考えてるんだ」
「なにを考えてるにしたって、あなたには関係ないんじゃないの?」
「そうは行くかよ。きっちり話そう。おまえのマンションに行くよ」

 電話で宣言されて、仕方がないから承諾した。

「義姉さんまで一緒? ご苦労さまだね」
「なんでひとこと相談くらいしてくれないの?」
「相談したら反対するでしょ」
「するに決まってるだろ」
「ほのかさんったら、ひどすぎるわ」

 長女のときに経験済みなので、今回は前回よりもスムーズに出産できた。お金の面も人手の面も仕事の工面もクリアして、長女の華子と次女の佳子と、家政婦のおばさんと、育休中のほのかは穏やかに暮らしていた。その平穏を破ったのは、血相を変えて乗り込んできた兄夫婦だ。

「うちの竜弥のことも考えてよ」
「竜弥がどう関係するの?」
「竜弥だって何年かしたら、結婚話も出てくるでしょ? そのときに身辺調査でもされたら、未婚の母のほのかさんの存在が障りになるとも考えられるのよ。ひとりだけだったらともかく、一目で父親がちがうって娘がふたり……この子たちだって、華子ちゃんと佳子ちゃんだって、大きくなったら差別にさらされるわ。あなたは自分さえよかったらいいみたいだけど、竜弥と華子ちゃんと佳子ちゃんの気持ちはどうなるの?」

 綿々とかきくどく義姉の横で、兄も重々しくうなずく。竜弥とは兄夫婦のひとり息子だ。

「差別されるのよ。日本では華子ちゃんや佳子ちゃんは差別されるの」
「義姉さん、その差別や偏見っていいこと?」
「いいこと? 差別や偏見はいいことではないけど、現代の日本には厳然と存在するじゃないの」
「悪いことだとわかってて、あなたがその偏見や差別を口にするんだね。悪いことなんだったら、ご自分の意識から変えていかなくちゃ。世間は差別するかもしれないけど、差別するほうが悪いんだもの」
「……あなた、ほのかさんって宇宙人みたいね」
「まったくだ」

 兄夫婦は肩を落とし、ほのかは言った。

「日本ではルックスのいいハーフはもてはやされるけど、アメリカ南部なんかだと佳子みたいな子は差別されるのよ。正式に結婚している黒人と白人の夫婦だって同じ。だったらその夫婦は子どもを産むなって言うの? 差別されるから産むなって、最低の台詞だよね」
「……だって、現に差別は……」
「だから、差別っていけないことなんだから、私たちからなくしていこうよ。それができないって変じゃない? 結婚してるからいいって言うかもしれないけど、結婚したって夫が浮気でもして離婚することはおおいにある。それだって子供はかわいそうよ。そっちのほうが最悪の家庭になりそうじゃない?」

 義姉さんは知らないみたいだから幸せだけど、実はね……とは言わずに、遊びの浮気などはたびたびやっている兄を見やる。こほんと咳をしてから、もういいよ、無駄だよ、と兄は言い、妻の肩を抱いた。

「おまえの屁理屈には俺たちは太刀打ちできないよ。もういいから、俺たちには迷惑かけるなよ」
「縁を切っていただいてもよろしくてよ」

 言ったほのかを、たつ子は恨めしそうに睨んでいた。

「きょうだいは二歳ちがいがベストなのよね。ちょうどよく妊娠したから、理想的な歳の差で出産できるわ」
「……あの、三人目ですか?」
「そうですよ。子どもが増えると大変だろうから、もちろんお給料はアップします。協力してくれますよね」
「は、はい」

 三人目の子どもの生物学的父は日本人、ミュージシャンだ。言い訳などしなくても、三人の子どもの父親がちがうのは一目瞭然。ほのかはそれを望んでいた。家政婦も戸惑っているようだが、彼女は金のために働いているのだから、少なくとも表立ってはとやかくは言わない。妊娠を告げた翌朝、家政婦が花を活けてくれた。

「これ、母子草?」
「そうです。ご無事な出産をお祈りしています」
「ありがとう」

 ふたり目はものすごくとやかく言った兄たちも、三人目となるとむしろ諦観するかもしれない。今度はぜひとも男の子、ほのかの願いはきっとかなうはずだ。

END







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FS食べもの物語「ミートピザ」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

食べ物物語

「ミート・ピザ」

 住まいにも新しい暮らしにも慣れ、大学というものがすこしずつわかってきている。合唱部に入部して、学部にもサークルにも友達ができた。今日は午後からの授業が休講になったので、合唱部の友人である小笠原英彦と昼メシを食いにいこうと語らって、学校近くの店にやってきた。

「ここ、いっぺん入ってみたかったんだ」
「ペニーレイン、俺は入学式の日に入ったよ」
「そうなんか。メシも食えるんだろ」
「食えるよ。ピザとカレーを食ったんだ。どっちもうまかった」

 ビートルズの曲名を店名にしているのだから、ビートルズファンの店なのか。俺もビートルズは嫌いではないが、よくは知らない。合唱部の先輩たちにはビートルズ好きも大勢いるようで、「ペニーレイン」は時として部室での話題に上がっていた。

「ピザとカレーの両方って、豪勢だな。お父さんと一緒に来たのか」
「いや、親父は先に帰ったから、どこかの中年男性におごってもらったんだ」
「どこかの知らないおっさんに? シゲちゃん、知らんひとについていったらあかんよ、ってお母さんに言われなかったのか?」
「ついていったんじゃなくて……」

 この店で同席した男性だ。彼は俺と同郷だと言って、きみはカレーだけじゃ足りないだろ、もっと食べなさい、とも言ってくれたのだ。話の内容から彼は入学式の来賓、音楽関係者、それだけはわかったのだが、あの中年紳士が何者なのかは不明のままだった。
 
「実はシゲにいかがわしいことをしたかったとか」
「アホ」
「うん、アホじゃのぅ」

 高知県出身のヒデは標準語を身につけてかっこいい都会の男になると宣言している。土佐弁は禁止!! と自らに課していてるくせに、土佐弁どころか、合唱部仲間の大阪弁やら、学部の友達の岡山弁やらを口から出す。三重県出身の俺にしてもなまってはいるものの、ヒデのようには方言は使わなくなっていた。

「……肉のピザか。うまそうだけど高いな。ピザよりも米の飯のほうが食いごたえがあるから、カレーの大盛りにしようかな」
「俺もピラフの大盛りにしようかな」
「シゲはそれだけで足りるんか?」
「足りないかもしれないけど……」

 親の家にいれば食べ物にだけは不自由しなかった。俺が大食いなのは母はよくよく知っているから、いつだってごはんをたくさんたくさん炊いてくれた。おかずはさほどに豊かではなくても、味噌汁と魚と漬物でもあれば、ごはんを何杯でもおかわりできた。

 が、ひとり暮らしになってみると、金がない。我が家は三重県で酒屋を経営していて、三つ年上の姉は名古屋で大学に通っている。俺は東京で大学生になったのだから、親は仕送りに汲々としているはずだ。印刷屋のバイトは見つけたが、それでも生活費は潤沢ではない。

 なのだから、おかずなんて買えない。上京するときに母が持たせてくれた米がなくなりそうになっていて、これがなくなったら俺は飢えてしまう……と考えるとよけいに腹が減るのだった。

「久しぶりの贅沢だからピザもいいと思ってたけど、やっぱり米のほうがいいかな」
「米のほうが腹持ちもいいもんな」
「ヒデは食費、足りてるか?」
「俺はおまえほどには食わんから」

 周囲を見回しても、俺がいちばんの大食漢なのはまちがいない。
 本庄くん、すっごく食べるんだね、それで太らないってうらやましい、と大学の女の子やら、バイト先の女性社員には言われる。シゲ、これも食うか? と合唱部の男友達は、消しゴムを食わせようとしたりする。

 あまりによく食べるのって恥ずかしいかなぁ、とも思うのだが、腹が減っては力も出ない。おまえはよく食う、とみんなに言われるのは甘んじて受けるしかないのだった。

「この曲、なに?」
「さあ? 聴いたことはあるけど……」
「シゲは音楽好きじゃろ? 知らんのか」
「ヒデだって知らないんじゃないか」
「俺は歌うのは嫌いじゃないけど、音楽にはそれほど興味ないきに、ビートルズなんかなんちゃあよう知らん」
「ヒデ、土佐弁全開になってるぞ」

 うるさいんじゃ、シゲは、合唱部のくせに。
 合唱部はヒデもだろ、おまえだってビートルズ知らないくせに、と言い合っていると、視線を感じた。

「きみたち……」

 ○○大学の合唱部? と尋ねた男性は、俺たちよりはだいぶ年上に見えた。

「先輩なんですか」
「うん、俺も合唱部出身だよ。お節介を焼きたくなった。この曲は「ストロベリーフィールズフォーエバー」だ」
「苺の歌ですか」
「ビートルズの故郷、リバプールにある孤児院の名前だよ。「ペニーレイン」がシングルレコードで売り出されたときのカップリング曲だ。当時はB面っていったな」

 詳しい……というよりも、音楽好きならば当然の知識なのかもしれない。この男性だったら知っているか、と思って、俺は入学式の日にこの店でピザをごちそうしてくれた紳士の話をした。

「あ、俺、知ってる」

 思いがけなくもヒデが応じた。

「作曲家の真鍋草太!!」
「呼び捨てにすんなよ」
「あ、すみません」

 軽くたしなめられて首を竦めたヒデと俺に、男性は言った。

「そっか、真鍋先生がピザをおごってくれたんだ。きみたち、ピザが食いたかったんだよな。じゃあ、今日は俺がおごろう。学生は金がないのが当たり前なんだから、遠慮しなくていいよ」
「え、えと、いいんですか」
「いやだったら提案しないよ」

 背が高くて都会的なこの男も、音楽関係者だろうか。東京の音楽関係者ってかっこいいよな、と、俺は俺の知っている数少ないミュージシャンたちを思い浮かべる。合唱部の先輩にもキャプテンの金子さんをはじめとして、かっこいい男は多い。

 真鍋草太さんという音楽家は知らなかったが、クラシックの方だそうだ。ヒデは入学式のときに女の子たちが噂していたから名前を覚えたのだそうで、どんな音楽家なのかは知らなかったらしい。

「合唱部のために曲も残して下さってるんだよ」
「そうなんですか」
「真鍋先生と話せたとは、本庄くん、よかったね」
「はい」

 東京のピザはうまいけど高いから、おごってもらったときにしか食えないかな、なんてさもしいことを考えそうになって、俺も首をすくめる。阿部とだけ名乗った男性がミートピザを二枚オーダーしてくれて、単純にも嬉しくなってしまった。


SHIGE/18歳/END








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FS食べもの物語「トロピカルフルーツ」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

「トロピカルフルーツ」


 ずっとひとりっ子だったから、このままひとりっ子でいるのだろうとは考えたこともなかった。十二歳までの人生はひとりっ子で、それが当然だったから。

「章はひとりっ子だから気が弱くてね」
「兄弟がいたらこんなに自分勝手じゃなかったかもしれないのにね」
「だけど、今さらだよね」

 親戚のおばさんや母が話しているのを聞いて、勝手なことを言ってるのはあんたらじゃないかよ、と思ってはいたが、自分がよもやひとりっ子でなくなる日が来るとは、想像もしていなかった。

「章、赤ちゃんが生まれるのよ」
「誰が産むんだよ?」
「母さんに決まってるじゃないの」

 母が何歳なのかは知らないが、いいおばさんが子どもを産む? かっこ悪い!! と叫んで母を悲しませ、父に殴られた。あれから四年、弟の龍は幼稚な語彙ながらも一人前に喋るようになって、母とも会話をしていた。

「食べたかったな」
「だって、高かったんだもの」
「おいしいんでしょ?」
「母さんも食べたことないから知らないわ。癖があるとか言うね」
「くせって?」
「変わった味とか匂いとかがあるんだよ」
「ふーん」

 食べものの話らしいが、なんだろう? 十六歳になった章と話すときとはまったくちがった穏やかに辛抱強い調子で、母は龍と話している。ふーん、とつまらなさそうに応じて、龍が台所から出てきた。

「買ってほしかったのに、お母さん、ケチ」
「なにがほしかったんだ?」
「えっと、トロ……」
「まぐろのトロ? 魚?」
「ちがうよ、マンゴとかいうの」
「マンゴーか」

 果物には興味がないので、章はマンゴーなんぞを食べたいと思ったことはない。トロというのはトロピカルフルーツだろう。マンゴーってそんなに高かったっけ? うちってそんなに貧乏だったっけ?

「よし、そしたら、兄ちゃんが大人になったら買ってやるよ。バイトでもするようになったら買えるだろ。いや、それよりもトロピカルフルーツが実る南の島に連れていってやろうか」
「南の島? そっちがいい!!」

 指切りだよ、なんて、龍は章の指に指をからませてきた。普段はうるさいほうが勝る小さな弟が、あのときばかりは可愛く思えた。

 小さな弟だった龍は、章が親の家には寄りつかないでいた十二年ばかりの間に、兄を身長で追い抜いてしまっていた。章が三十歳、龍が十八歳。大学受験には全部失敗して、それでも東京に行きたくて……と上京してきた龍が、父の金庫からかっぱらってきたキーを使って章の部屋に入り込んでいたのを発見したときには、泥棒かと思った。

「あいつ、俺よりも乾さんに似てません?」
「顔はおまえに似てるよ。木村家って美男美女家系だろ。おまえのお母さんも美人なんだし、お父さんだって……」
「親父の顔なんて思い出したくもないし……おふくろはばあさんになっちまってるけど、ふたりの若かったころの写真だったら……」

 古臭いファッションをしてはいたが、へぇ、なかなか美男美女だな、と感じた記憶はあった。

「その上に龍は背が高いんだから、もてるだろうな」
「どうせ俺はちびですよ」
「……いやいや……」

 父親は章が大学を中退したと聞いて激怒し、勘当だーっ!! と宣言した。章がフォレストシンガーズのメンバーとして有名になってきていても、あの頑固親父は長男と和解しようとしない。そのくせ次男には甘くて、龍が東京で浪人することを許した。

 一浪の末に章が中退した大学に入学した龍は、仕送りもしてもらい、兄に小遣いももらい、時にはフォレストシンガーズの誰彼におごってもらったりもして優雅な学生生活を送っている。どこが優雅だっ?! と龍は怒るが、少なくとも章の学生時代よりははるかに恵まれていた。

 しかし、最近の龍は就活に疲れている。

「兄ちゃんはいいよなぁ。ちびだけど才能があるんだもん。俺の身長と兄ちゃんの才能、取り換えっこしない?」
「いやだ」
「だろうね。言ってみただけだよ」

 第一、章が承諾したとしても不可能ではないか。では、章も言うだけ言ってみよう。

「おまえを慰労してやるために、おまえがガキだったころの約束、実行してやろうか」
「なんの約束?」
「トロピカルフルーツを食いに、南の島に行く。今の俺にはおまえをタイでもセブでもタヒチでもバリでも、セイシェルにでも連れていってやれるぞ」
「……いらねぇよ。その分、小遣いくれ」

 弟の返答は、あまりにもあまりにも章の予想通りだった。

END







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FS食べもの物語「クレームアンジュ」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

「クレームアンジュ」


 おしゃれな店というのだろうか。外観もお菓子のようだ。
 淡いピンクの壁、ケーキみたいにも見える看板に「Un grand reve」とピンクの生クリームみたいな文字で書いてある。「reve」の「e」の上に「^」な記号がついてるってことは、フランス語だろうか。俺は敦子に尋ねた。

「この喫茶店に入るのか?」
「喫茶店じゃないの。カフェ」
「どうちがうんだ?」
「どうって……喫茶店とカフェはちがうのよ。本橋くん、入ろう」
「うん」

 双生児である兄貴たちの空手の試合を見にいったら、同じ中学校の女の子と会った。敦子の姉さんも空手をやっているのだそうで、兄や姉が空手をやっているという似た境遇だと知って話がはずみ、それからつきあうようになったのだ。

 中学三年生、来年は受験だから、先生や親に知られたら、男女交際なんてやってる場合じゃないだろ、と言われるかもしれない。中学生の男女交際はまだ早いと言う者もいるが、早くはない。俺の友達だって敦子の友達だって、彼女や彼氏がいると知るとうらやましがる。

 受験に専心しなくてはならない時期になったら、交際を一時ストップしてもいいかな、と俺は思う。敦子とそんな相談をしたわけではないが、今はまだ必死で勉強しなくてはならないほどでもないのだから、休日にデートするくらいはいいだろう。

 俺は彼女がいることを兄貴たちにだって親にだって内緒にしているが、敦子は姉さんには喋っているらしい。そのおかげで姉さんが遊園地の入園チケットをくれたというので、ふたりで遊んできた。

 乗り物にも乗り放題のチケットだったから、金がかからずにすんでよかった。昼食のハンバーガーは俺が払い、帰りの喫茶店……ではなくてカフェか、それも俺がおごるつもりで、敦子に行きたい店を選べと言ったら、ここに連れてこられたのだった。

「可愛いね、あれ」
「あの人形? まあな」
「素敵なインテリア。あたしも大人になったらこんな店、やりたいな」
「喫茶店を経営するのか」
「カフェだってば」

 ウェイトレスがメニューを持ってくる。うわ、高っ、と叫びそうになる。俺は女の子とデートするなんてはじめてだから、こんなカフェに入るのもはじめてだ。
 男友達とだったら安くて腹がふくれるものを食える店に入る。親とだったら高そうな店にも行くが、兄貴たちとだってこんな店には入らない。兄貴たちは大食らいの大男だから、喫茶店なんてものにもめったに入らない。連れていかれるのは牛丼屋やファストフードショップばかりだ。

 この値段だったら夕飯代より高いよな。中学生なんだからあまり遅くはなれないから、夕飯じゃなくてお茶にしたけど、こんな値段ってぼったくりだろ。
 それに、このメニューの名前はなんだ? ケーキの名前か? コーヒーや紅茶のコーナーにもややこしい外国語が並んでいて、俺にはなんなのかわからない。「ティラミス」「パンナコッタ」「カヌレ」「クイニーアマン」ってなんだろ?

「あたしはクレームアンジュにしようかな」
「なんだ、それ? 安寿と厨子王?」
「……? そっちこそ、なんだ、それ? 本橋くんったら、クレームアンジュを知らないの?」
「知ってるよ。知ってる」

 軽蔑の目で言われたら、知らないとは言えなくなってしまう。俺は甘いものは嫌いだし、メニューの大半が知らない食いものなので、わかやりやすいものを選んだ。

「俺はアイスコーヒーと、チーズとハムのクレープ」
「お茶の時間なのに、甘いものは食べないの?」
「えーっと……」

 美人のウェイトレスに注目されているのもあって、甘いのは嫌いだとは言えなくなってしまった。クレープに包んであるものは惣菜ふうならば、ツナだの卵だのと見当がつくのだが、甘いほうは名前を飾り立ててあってわかりづらい。
 イヴォンヌのクレープってなんだ? ホットケーキはないのか? シュー・ア・ラ・クレームってシュークリームか? ちがうのかもしれないし、シュークリームは嫌いだし。

「えっと……クレームドカカオにしようかな」
「お客さん、未成年でしょ。クレームドカカオはお酒ですよ」
「もうっ、本橋くんったら、恥ずかしいことを言わないで」
「……ごめん」
「だったらね、クレームアンジュをふたつ。それでいいでしょ」
「うん、いいよ」

 クレームアンジュってなんなのか知らないし、第一、高いし、とも言えなくなって、それでいいよ、と呟くしかなかった。

 出てきたものはチーズとも生クリームともつかないデザートで、赤っぽいジャムのようなソースのようなものがかかっている。おしゃれ、おいしい、と敦子ははしゃいでいたが、俺にはおいしくもない。食いものっておしゃれだったらいいのか? 美味のほうが大切じゃないんだろうか。

 甘いのは嫌いってことは、俺は将来は酒飲みになるのかな。兄貴たちは高校のときから、親父と三人でビールを飲んだりしていた。二十歳をすぎた今はふたりともに酒豪だ。俺もああなるのかな。ビールだったら飲んだことはあるけど、そんなにうまいとも思わなかった。コーヒーのほうがうまいよな。

 そんなことを考えながら白い食いものをつついている俺に、敦子が楽しそうに話しかけてくる。敦子はこのクレームアンジュをたいそうおいしいと思っているようでご機嫌だった。

「あのアトラクション、怖かったけど面白かったよね。本橋くんはジェットコースターとか絶叫マシンとかも平気なんだ。そういうところは男らしいかも」
「あ、そう? そうかもな」
「そうだよ。本橋くんは男らしいって、あたしの友達も言ってる。うん、おいしい」
「うん、よかったな」

 女の子ってわがままで口うるさくて、手のかかる存在だけど、やっぱり可愛いかもな。敦子の機嫌がよければ、なぜか俺も気分がよくなってくるのだった。


真次郎14歳/ END








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FS俳句・短歌・超ショートストーリィ2017/7

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2017/7 フォレストシンガーズ 超ショートストーリィ


 手の中には小さな和菓子がひとつ。汗をかくんだから糖分を補給しなくちゃね、と祖母が言って持たせたものだ。

「あんたは和菓子屋の息子なんだから、甘いものは嫌いだなんて親不孝なことは許されないんだよ」
「汗をかいたら必要なのは、糖分じゃなくて塩分だろ」
「これも持っていけばいいよ」

 もうひとつ、渡されたスポーツドリンクの成分を見れば、ビタミンや塩分の他に糖分も入っている。おばあちゃんの知恵袋とかいうのはまちがってはいないのだろうし、和菓子ひとつくらいは邪魔にもならないので持ってきた。

 金沢の中学一年生、乾隆也。
 夏休みの自由研究の題材を探すために、郊外の森にやってきた。

 自由研究だったら理系じゃなくて、得意な文系のほうがいいな。
 適当な岩に腰かけて、祖母が作ってくれたおにぎりを食べる。和菓子はデザートであろうが、甘いものを最後にすると口の中に甘ったるい味が残りそうで、先に食べてしまうことにした。

「しずけさや岩にしみいる蝉の声」

 そうそう、こっちの研究のほうがいい。

 文字通りというか、俳句通りというか、松尾芭蕉のこの句がぴったりすぎるシチュエーションだ。隆也以外の人間はおそらく誰もいない小さな森の中、静けさに浸る隆也の頭上から蝉の声が降りそそぐ。

「あんたのお父さんは変人だから、このお菓子はね……」

 でこぼこした小豆で覆った水ようかん、見た目が岩に似ているからと、和菓子職人の父がこの菓子に「蝉しぐれ」と命名した。蝉しぐれに包まれて「蝉しぐれ」を食べるのは、中学生には乙すぎて気恥ずかしいような……。

TAKA/12/END



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FS超ショートストーリィ・四季のうた・真次郎「夏の真」

番外編

フォレストシンガーズ

四季のうた

「夏の真」

 脚が四本、砂浜に並んでいる。
 ごつごつしたおのれの脚と並んでいるのは、すらっと長い綺麗な脚。彼女は一般的な意味での美人ではないと真次郎は思う。プロポーションも背が高すぎて細すぎると思うが、着こなしは素晴らしくいい。脚もまっすぐで美しく、さすがモデル、なのだろうとは思えた。

 モデルなんか趣味じゃないのにな。
 シンガーとモデルのカップルなんてありふれすぎてて、恥かしいくらいなのにな。
 でも、彼女がモデルだから好きになったのではなくて。
 好き……好きは好きだけど、ただそれだけで、それよりも。

「なんかちょっと疲れたね。戻らない?」
「そうだな。行こうか」

 ホテルに戻ったら水着をはずしてシャワーを浴びて、それからそれから……それからすることが、俺のいちばんしたいこと。そこに真実なんかあるんだろうか。

 真実の「真」は真次郎の真。俺の名前の中に「真」はあるんだから、俺の想いや行為の中にもあるのかどうかなんて、考えるのはやめておこう。

 陽が翳りはじめている中、長身の彼女の肩を抱いて砂浜を歩いていく。真次郎のしたいこと、彼女もしたがっているはずのこと。それだって「真実」なのはまちがいない。

SHIN/25/END


 







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FS食べもの物語「カツサンド」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

食べもの物語

「カツサンド」

 手をつないでもえいがか? そう訊いてから彼女がうなずいたら手を取る。それが正しい方法なのだろうか。訊くべきかとも思ったのだが、喉にからまったようになって言葉が出てこない。あのときの俺はどうしても訊けなくて、手を伸ばして彼女の指を一本、つまんだ。

「……」
「…………」

 彼女もなにも言わず、赤くなってうつむいていたっけ。

「それが初デート?」
「そうだよ。十二歳のときだったな」

 十二歳なんて純情なのが当たり前だ。変な知識だけは頭の中に詰まっていても、実践はしたことがない。男友達と下ネタで盛り上がったりはしたし、俺には妹がいるので身近に女の子の存在もあったのだが、妹は厳密には女の子ではない。後輩の三沢幸生にも妹がいるので、この感覚は共有できるようだ。

「どこに行く?」
「お母さんが、映画やとかはいかんちゅうて……暗いから……」
「そうか。ほしたら、ハイキングにしよか」
「それやったらえいがかな。うち、お弁当つくるきに」

 四国は高知県の、約十年前の十二歳だ。母親の言いつけを素直に守る女の子、女の子のいやがることはしないと決めていた男の子。

 あの男の子だった小笠原英彦は、成長して大学生になった。高校生で初体験はすませ、最近はすれてしまって、ナンパだってやる。遊びで女の子と寝たりもする。大学の合唱部で知り合い、はじめは喧嘩ばかりしていた柳本恵と、なりゆきでつきあうようになったが、これは遊びではないのか?

 大学生が真剣につきあったところで、普通は結婚までは考えない。恵を好きだからつきあってるんだろ? 恋人なんだろ? と誰かに質問されればうなずくが、情熱のようなものはなかった。

 茨城県の海辺出身の恵と、高知県出身の俺は気性が似ている。どっちも荒い。俺は優しい女の子が好きなはずだったのだが、どうしてだかこんな女につかまってしまった。好都合なのはともにひとり暮らしだから、ホテル代不要。彼女の親の目や耳を気にする必要もないってことか。

 片付いているほどでもないが、俺の部屋よりは整理整頓されている恵のマンションで、ふたりで持ちよりメシ。恵の父親は茨城で水産物会社を経営しているので、上等なスルメや干物なども出てきていた。

 初デートっていつだった? 覚えてる? と言い出したのは恵だ。

「私は高校のときかなぁ。映画を観にいったの」
「俺は中学一年のときだよ」
「ませてたんだね」
「そうかな」

 はじめてのなにか、というのは意外と覚えている。初デート、ファーストキス、初恋、初失恋、ファーストセックス、ファーストナンパ、それらは全部、土佐で高校生の間にすませて東京に出てきた。

「ファーストエッチは?」
「そういうことは訊かないのが礼儀でしょ」
「そうだな」

 ちょっとだけ知りたかったが、しつこくはしないでおこう。
 あら、ヒデとのエッチが初だよ、ととぼけるほどに厚顔無恥ではない女だとわかっただけでも収穫ではないか。

「そんな話題を出したせいで……」
「駄目だよ。食べてから」
「食うのは休憩しようよ」
「ダメダメ」

 こっちは厚顔無恥になってしまって、あの純情な少年はどこに行ったのだ? と苦笑してしまう。十年もたっていないのに、人は変わるものなのだ。

「あ、これも買ったんだった。これ、おいしいよ」
「カツサンド……ますます思い出すよ」

 抱きすくめようとする俺の腕から抜け出して、恵がサンドイッチの箱を差し出した。十二歳のときの彼女が作ってきた弁当もカツサンドだった。

「昨日、お母さんに教えてもらって私が揚げたんぞね」
「うん、上手にできてるな」
「おいしい?」
「うまーい!!」

 見上げた土佐の青空も思い出す。

「まだ初デートの話? 私とおうちデートしてるんだから、そんな大昔のことばかり想い出すなよ」

 自分から初デートの話をはじめたくせに、恵は怒っている。
 怒るってことは、恵はやっぱり俺に惚れてるんだな、とひとりでにやついてみた。

END








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花物語2017/7「段菊」

ショートストーリィ(花物語)

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2017/7 花物語

「段菊」

 面と向かって人にこんなことを言うとは、やはり日本人ではないからなのだろうか。幼いころから祖父母の家にいることが多かった摂子には、謙譲の美徳、人には遠慮を、気遣いを、思いやりを、という教えが身についてしまっていて、ケィティにはむしろ見とれてしまっていた。

「あんたって暗いね」
「そ、そう……? えーっと、ケィティさんって日本語、上手なのね」
「私、語学の天才だから」

 他人を暗いと決めつけるのもだが、自分で自分を天才だと言うのも、摂子には信じられなかった。

 中学生にもなって摂子は字が下手すぎる。幼稚園くらいから習字をやっておくべきだった。摂子のお母さんには余裕がなかったのだから仕方ないし、まだ手遅れではないから、書道教室に通わせよう、そうそう、それがいい。
 本人には相談もせず、祖父母が決めてきた習い事だ。先週、はじめて教室にやってきて、中学生コースの仲間たちとは挨拶だけはかわしていた。

 幼児、小学生、中学生、高校生、成人。
 この書道教室は五つのコースに分かれている。小学生と成人はなかなかに盛況なのだが、幼児のほうは遊びのようなもの。高校生も少ないが、中学生は生徒数がさらに少ない。

 もっとも数の少ない中学生コースには、イギリス人がいるとは聞いていた。先回はケィティという名前だと教わった彼女は欠席だったのだが、摂子についてはケィティも聞かされていたのだろう。イギリス人で摂子と同い年とだけは聞いていたが、摂子は突っ込んだ質問はしなかった。

 イギリス人だったら日本語は得意じゃないんだろうな、と思っていたのだが、ケィティは日本人と変わらない話し方をする。自称天才は本当なのかもしれなかった。

 なんて不躾な子なんだろ、と初対面で感じたケィティとは、それでもじきに雑談だったらする仲になった。ケィティ、セツコ、と呼び合うようになるにつれ、彼女はいくつもの質問をした。

「それでそんなに暗くなったの?」
「きっとそうだね」
「ふぅぅん」

 不審そうな、うさんくさそうな目。ケィティにそんな目で見られて、摂子のほうは目を伏せた。

 起床して身支度をして祖父母の家に送っていかれ、祖母に保育園に連れられていった幼児期。
 小学校にはきっちり戸締りをしてからひとりで登校した。四年生までは学童保育に行き、学童の放課後は祖母の家に帰って夕食と入浴。時にはそのまま泊まることもあった。

「摂子のお父さんは、お母さんが忙しく働きすぎるのが不満なんだって。お母さんの収入がいいからお父さんは楽できたってのもあるはずなのに、結局は家事ができないだとか、摂子の育児を私にまかせすぎだってのが気に入らないみたいだよ。だったらあんたが家事も育児もすればいいんだ」
「おばあちゃん……」
「離婚するらしいけど、摂子は今までとそんなに変わらないから大丈夫」

 たしかに祖母の言う通りで、摂子の生活は両親の離婚後もさして変化しなかった。

 官庁の管理職である母はたいへんに多忙で、だからこそ摂子は母方の祖母に育てられたようなものだ。そうと知るようになったのは、両親が離婚した摂子、小学校五年生のとき。摂子の親権は母が持ち、摂子は母とふたり暮らしになったマンションから小学校に通う。食事や入浴は平日はたいてい祖父母宅でだった。

 離婚にあたって両親がどんな話し合いをしたのかは、摂子は詳らかには聞かされていない。祖母によると、父さんは摂子には別に会いたくもないらしいね、とのことで、事実、父とはあれきり一度も会っていなかった。

「それで傷ついて、摂子は暗い女になったんだ」
「そうかもしれないと思うよ」

 一年ほどの間に、摂子はケィティのさまざまな質問に答えた。ケィティはあまり自分の話をしなかったのだが、摂子からおよその境遇を聴き出してから話してくれた。

「私の親はかなり年取ってるの。摂子のおばあちゃんと変わらない年なんじゃないかな」
「おばあちゃん、六十すぎてるよ」
「うちのパパも五十すぎてるよ」

 中学二年生から見れば、五十代も六十代も似たような年頃である。

「パパもママも何回離婚したかなぁ。私の実のパパは三回、実のママは二回だっけ? 三回だっけ? 離婚しては再婚するから、ステップファーザーやステップマザーも何人も何人もいて、いちいち覚えてらんないの。そのステップの人たちも離婚したり再婚したりしてるから、私と関係のある大人がいーっぱいいるんだよ」
「ほぇぇ」
「もちろんパパやママにもパパやママがいて、生きてたり死んでたりするんだけど、それも覚えてない。だって、グランマやグランパだって何度かは離婚してるよ。一度も離婚したことのない大人なんて、イギリスにはいないんじゃないかな」

 ほぇぇ、へぇぇ、としか摂子には返答できない。これぞまさしくカルチャーショックだ。

「どのパパがどうでどのママがどうで、グランパは? グランマは? ややこしいから覚えてるのもやめたの」
「そうなんだ」
「そうなんだよ。でね、私の親権は実のパパが持ってて、去年、日本人と再婚したのね。三回目だったか四回目だったか忘れたけど、パパは新しい奥さんが大好きで、私を連れて来日したの。パパの新しい奥さんはお喋りだから、私もじきに日本語を覚えたよ」
「パパの新しい奥さん……ケィティの新しいママ……」
「ママってのは世の中にひとりだけだから、あのひとはパパの新しい奥さん。ママじゃないよ」
「そのひと、嫌いなの?」
「ううん。けっこう好き」

 私なんかはそうなのに、明るいでしょ? なんで一回両親が離婚したくらいで暗いの? 馬鹿らしいじゃん、とケィティは言いたかったのだと解釈した。

「摂子、このごろ元気ね。おばあちゃんも安心したわ」
「うん。ケィティのおかげ」

 三年生の夏休みに、摂子はケィティのパパとパパの新しい奥さん、だとケィティの言う女性との家に遊びにいった。庭に咲いていた紫の花を、その女性が摂子にプレゼントしてくれた。

「菊ですか?」
「段菊っていうのよ。シソ科だけど、菊に似てるでしょ。この花の花言葉は、悩みとかわがままとか、あまりよくないんだけど、大人のわがままで悩んでしまう少女のために……なんてね」

 複雑な気分で受け取った摂子を見て、ケィティは笑っていた。

 高校はケィティとは別々になったのだが、淡い茶色の髪にグリーンの瞳の彼女とともに、紫の段菊の花の印象は鮮烈に残った。
 大学を卒業した摂子が一般企業に就職したころには、離婚が珍しかった時代も去って平成の世の中になった。摂子は祖母の友人の紹介で結婚し、子どもが三人できてワーキングマザーとして生きてきた。

 あれっきり一度も父には会っていない。祖父は亡くなったが、祖母と母は摂子の住まいとは近居で元気にしている。母は官庁の重要なポストに就き、祖母が主婦のように家庭の切り盛りをしていた。

「母さん、俺、結婚しようと思うんだ」
「あら、おめでとう。紹介してちょうだいよ」

 三番目の子どもである長男が言い出したとき、摂子は気軽に応じた。

「今どきとしてはちょっと早めだろうけど、いいよね。どんなひと……って、会わせてもらったらわかるから連れておいで」
「彼女……先に言っておくよ。バツ三なんだ。子どもができない体質だからって、一度目は夫に離婚をつきつけられた。二度目と三度目は不妊症だと知ってて結婚したのに、相手に言われたんだそうだよ。やっぱり……子どもがほしいって」
「……そうなの、わかったわ」
「母さん、反対しないの?」
「そんなのするわけないでしょう。彼女が悪いわけじゃなし」

 ありがとう、と息子は言ってくれたが、娘たちは言った。

「えええ? バツ三? あり得ない」
「バツイチだっていやなのに、三回? そんなの、母さん賛成したの? 父さんは?」
「あのね……」

 なぜ三度も離婚を? と夫は言ったが、事情を説明すればわかってくれた。それにしてもな……とぶつぶつぼやいていたのは、もろ手を挙げて賛成というわけでもないのだろう。

 こういう事情で三度の離婚をした女性なのよ、と説明すると、娘たちも納得はしてくれたが、年上なんでしょ? そのひと、男を見る目ないよね、わかるけど、弟がそんな女性と結婚するってのはね、子どもはできないんだよね……と難色を示していた。摂子の母も祖母も、そうと話すとなんとなく渋面を作っていた。

 平成も三十年近くになる現代でも、日本人は離婚に偏見を持っている。息子と彼女はすこしばかり特殊なケースとはいえ、バツ三は相当だろう。摂子だってそんな事情がなければ、いやだなぁと感じたかもしれない。

「母さんだって離婚したくせに」
「私は好きで別れたんじゃないわ。父さんが……」
「彼女も同じよ」
「そうねぇ。でもねぇ、世間がねぇ……」
「ああ、それは私も気になるわ」

 反対したいらしい母の顔を見ながら、摂子は考える。
 中学校を卒業してからは連絡もないケィティは、どこでどうしているのかしら。彼女も結婚して、二度や三度の離婚や再婚を経験しているのだろうか。私は離婚はしなかったけど、息子がそんなことを言い出しているのよ。

 あなたのおかげかしらね。離婚を色眼鏡で見なくなったのは。

 ケィティ、もう一度会いたいわ。あなただったらなんと言うか。息子の結婚についてではなく、周囲の人々の態度についての意見を聴きたい。身内がこうなのだから、他人はなんと噂するのか。それだけは気になって仕方ない私に、あのころのように元気をちょうだい。

 END








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FS食べもの物語「ハンバーグステーキ」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ


「ハンバーグステーキ」

 
 学校から帰ると母は買い物にいっていた。妹たちも幸生よりも早く帰ったようで、母と一緒に出かけていた。幸生は猫のミミとピピをいっぺんに抱き寄せて話しかけた。

「昨日、母さんが言ったんだよ。明日はなにを食べたい? って。だからさ、ハンバーグって言ったんだ。しばらく作ってないからいいかもね、よし、そうしよう、って母さんが言ってた。今夜はハンバーグだぞぉ。ミミとピピも食べたい? ちょっとだけ残しておいてこっそり分けてやるよ」

 ハンバーグが食べられると思うと、口の中がハンバーグモードになる。楽しみにしていたのに、だから宿題も早くすませて、ハンバーグハンバーグやっほー!! と歌いながら二階から降りてきたのに。

「あれぇ? ハンバーグじゃないの?」
「あらっ、そういえば幸生にはそう言ったよね。忘れてたわ」
「ええっ?! そんなぁ……」

 スーパーマーケットで安売りをしていたとかで、今夜はポークステーキなのだそうだ。幸生は心底がっかりして、口をききたくなくなった。

「いっただきまーす」
「ポークステーキだったらりんごとパインも焼いて付け合わせにするといいって、雑誌に載ってたのよ。どう、おいしい、雅美、輝美、幸生?」

 おいしい!! とふたりの妹は叫び、父も、うんうん、うまいな、とにこにこしている。母も満悦の表情になって幸生を見た。

「どうしたの、幸生がごはんのときにお喋りしないなんて、熱でもあるんじゃない?」
「だって、ハンバーグ……口がハンバーグ食べたいって言ってて、お喋りできないんだよ」
「まだ言ってるの?」
「ハンバーグと豚肉なんてよく似たものじゃないか」
「そうだよ。同じお肉だもん」
「お兄ちゃんったらなにをぐだぐだ言ってんの? 男らしくないんだからぁ」

 家族総出で責められて腹が立って、幸生は言い返した。

「こんなのおいしくないよっ。母さんが豚肉食べてたら共食いみたいで、オレは食欲がなくなっちまうんだよっ!!」
「幸生っ!!」
「そんなことを言う子は食べなくていい。二階に行きなさい」

 母は般若の形相になり、父はきびしく言い放つ。こうなれば意地もあるので、幸生としてもあやまる気にもならずに箸を投げ出して二階に上がった。

 階下からは一家団欒の声が聴こえてくる。幸生はひとりぼっちで、猫たちも二階には来てくれない。起きていると泣いてしまいそうだったので、布団にもぐり込んだ。
 が、眠れない。布団の中でぼーっと目を開けていると空腹感がつのる。いつだったか、テレビドラマで見たワンシーンを思い出した。

 小学生の男の子がなにかで父親に叱られて、晩ごはんヌキの罰を言い渡される。おなかがすいたなぁ、としょんぼりしていると、母がそおっと男の子の部屋に入ってきて、お父さんには内緒よ、とおにぎりを置いていってくれるのだ。
 うちの母さんもそうしてくれるかも……と期待していたのだが、ついぞそんな気配もなかった。

「薄情もの。オレって母さんと父さんの実の子じゃないのかも。腹減ったなぁ。ハンバーグ、食べたいなぁ。口の中がまだ、ハンバーグ、ハンバーグって言ってるよ。ポークステーキだったら焼くときの匂いは似てるから、直前までだまされてたんだもんな」

 布団の中でぶちぶち呟いているうちには眠ってしまって、翌日。

「今日はパートに行くからちょっと遅くなるかもしれないの。ごはんの支度はできるように帰ってくるから、お留守番していてね」

 独身時代には銀行員で、父とは職場結婚をして退職した母は、子どもたちが小学生になってからは時たまもとの銀行にパートに行く。そんな日には幸生が妹たちの面倒を見なくてはいけない。もっとも、雅美は幸生とひとつしかちがわないので、輝美の面倒も彼女が見てくれているようなものだ。

「そうだ、よーし」

 貯金箱からとっておきの千円札を出して、幸生は放課後にスーパーマーケットに行った。
 家に帰ると玉ねぎをみじん切りにして、パン粉と合いびき肉と卵を入れて手でぐっちゃぐっちゃとかき混ぜる。大好物のハンバーグの作り方は、母が料理しているのを見て覚えてしまった。

 雅美と輝美はふたりで遊びにいっているから、邪魔される恐れもない。お兄ちゃんったらまだハンバーグって言ってる、男らしくないんだからっ!! とからかわれると怒ってしまって暴力をふるってしまうから、そうすると今夜も父に叱られるから、ひとりでいられてラッキーだった。

「あ、だけど、留守番してるときに火を使ったらいけないって言われてるんだ。ミミ、ピピ、どうしたらいいと思う?」

 いい匂いがするせいなのか、ミミとピピは幸生の足元にいる。ハンバーグのタネを混ぜることはできても、成形して焼き上げる自信がなくて、幸生はボールの中を見つめていた。

「ただいまぁ」
「……父さん、お帰りなさい。早いね」
「今日は母さんが残業だって言うから、父さんが早く帰ってきたんだよ。なにやってんだ?」
「え? えーと……」

 ボールの中でぐちゃぐちゃになっているものを見れば、父にもなにをやっているのかは一目瞭然だったのだろう。呆れたように笑って幸生の頭に手を乗せた。

「一緒に丸めて焼こうか。母さんに頼まれたわけでもないんだろ」
「オレが食べたくて……」
「おかずができてたら母さんも喜ぶかもな。着替えるから待ってろ」
「うん」

 父の足元にすり寄っていく、ミミとピピにも言ってみた。

「おまえたちもハンバーグ、食べたいだろ? オレが作ったんだからちょっとだけあげるよ」
「……馬鹿」
「え? なんで?」
「猫には玉ねぎは厳禁だぞ。知らなかったのか?」
「そうなの?」

 誰も教えてくれなかったのだから、知らないに決まっているではないか。そうなんだって、とミミとピピを見やると、猫たちは不満そうに、にっ、みゃっ、と鳴いた。
 父がエプロンを二枚持ってきて、一枚を幸生につけてくれる。玄関の戸が開いて、ただいまぁ、と妹たちの声がする。幸生は背伸びして父の耳元に素早く囁いた。

「ハンバーグは父さんが作ったんだって言っといて」
「ん? どうして?」
「男らしくないって言われるから」
「……いつまでもこだわってるからってか? ああ、わかった。そう言っておくよ」

 男の気持ちは男同士にしかわかんないんだよね。ウィンクしてくれた父にウィンクを返し、幸生は自分のためには特大ハンバーグを作るつもりで、ボールの中に手を突っ込んだ。

 
幸生10歳/END







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FS超ショートストーリィ・四季のうた・繁之「夏の間」

番外編

フォレストシンガーズ

超ショートストーリィ・四季のうた

「夏の間」

 
 一瞬の沈黙、しらじらーっとした間。
 シラケ鳥飛んでいく……なんて歌があったなぁと、繁之はその場の気まずい空気の中で考えていた。KYなんて言葉もあるよな。俺はこの場の気まずい空気ってやつは読めているけど、KYの「空気」は別の意味なのかな。

 仕事でやってきた夏の海岸。仕事とはいえ若い男女が集まっているのだから、プライベートタイムにはみんなで飲んで食べて騒ごうか、ということになる。

 フォレストシンガーズの仲間たちは、繁之から見ればみんなもてる男だ。次から次へと恋をして、彼女を作っている。そうすることには苦悩もあるのだろうが、そんな苦悩だったら俺もしてみたいよ、である。

 ……これなんだな、俺がもてない理由のひとつは。
 もてない理由はひとつではないだろうが、この白々しい空気を繁之ひとりでは打破できないから、女性を引きつけられないというのはまちがいなくありそうだ。

 理由がわかったからといってどうすることもできず。
 
「ああ、そうそう、それでね……ね、乾さん、この間さ……」
「ん? ああ、そうだった」
「あ、あれですよね。ねぇ、こんな話知ってる?」
「昔々、あるところに……」
「リーダーったら、ちがいますってばっ」

 口火を切ったのは幸生、隆也が振りに乗っかり、章も即座に反応する。「この話」の意味はわかっていないのかもしれないが、真次郎も反応して女の子たちが盛り上がる。

 たったひとり、話題に入っていくこともできなくて、繁之の周りだけ空気がちがっているような。間、間、間だらけみたいな……。

SHIGE/25/END






 


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いろはの「ひ」part2

ショートストーリィ(FSいろは物語)

フォレストシンガーズ

いろは物語2

「飛花落葉」

 教授の助手と学生として出会った彼と恋に落ちた。むろん私のほうが年上だったが、彼は女の外見や年齢にこだわる男性ではなかったので、私の中身だけを見てくれた。

「万葉集を専攻なさってるの? 私も短歌は大好きよ」
「気が合いますね」

 趣味が合って結びついたということは強い。彼とは会うたび、短歌の話題で盛り上がった。

「額田王を卒論のテーマにするの?」
「迷っているんです。俺は古歌も大好きですけど、現代の歌も好きなんですよね。額田王というひとりの歌人にとどまらず、古代の歌と現代の歌について、みたいなテーマにしようかなって」
「それもいいわね」

 いつしかふたりで会うようになって、時を忘れてそんな話をした。

「もうじき卒業ね」
「……そうですね」
「卒業しちゃったら、乾くんとは二度と会うこともないのかしらね」
「そんなの……寂しいですよ。信子さんは俺から見たら目上の方だから、こんなことは言えなかったんだけど、卒業してしまえば対等の男と女になれるって考えてもいいですか」
「私は目上なんかじゃないわよ。今でも対等じゃないの」

 二月のある日、喫茶店で彼が告白してくれた。

「じゃあ、俺が卒業してからもつきあって下さい」
「それって恋人同士としての交際ってこと?」
「もちろんです。俺は若すぎて結婚の申し込みはできないけど、一刻も早くひとり立ちしてみせます。そしたら信子さんと結婚して、幸せにしてみせます」

 何歳の年の差があると思ってるの? なんて訊かなくても、知っていて申し込んでくれているのだ。年齢差だの、彼は若くてすらりと背の高いかっこいい青年で、私はぱっと見はやつれたふうに痩せたおばさんだということだの、いちいち口にしなくても、乾くんは私と向き合っているのだから、見ればわかる。

 下世話なものはすべて取っ払って、私の魂を見てくれている彼。私だって彼が若くてかっこいいから恋をしたのではなく、心と心が引き寄せ合ったから好きになった。

「じゃあ、よろしくお願いします」
「嬉しいです。ありがとうございます」
「じゃあね、敬語はやめてね。信子って呼んで」
「呼び捨てはしにくいな。あなたが年下だとしても俺は呼び捨てにはしませんよ。信子さん、俺のことも乾くんじゃなくて隆也くんって呼んで」
「わかりました」

 結婚はどうでもいい。ソウルフレンドという言葉もあるのだから、彼とは男と女のそれになれればいい。けれど、それでも男と女。セクシャルな関係だって彼が望むのならば結んでもいい。貧相なおばさんだって、彼の腕の中では額田王のような豊満な美女に変身できた。

「隆也くんに恋してた女の子、いたでしょ」
「誰のこと?」
「いっちゃんって言ったかな。告白されたんじゃないの?」
「女性から告白ってのは何度かされてるんだ。だけど俺は、こっちが本当に恋をした女性とでないとつきあう気にはなれない。だからあなたに俺が告白したんだよ」
「……そうね」

 やがて彼は卒業し、私は大学に残った。

「歌は歌でもそっちを仕事に選んだのね」
「そうなんだ。信子さん、これで俺もあなたと結婚するめどが立ったよ。もうすこしフォレストシンガーズが軌道に乗ったら、あなたを連れ去りにくるから」
「待ってるわ」

 俗世間の恋人たちのような俗っぽいことは、私はしなくてもいいのよ。だけど、純粋で若いあなたは、愛する女を結婚して幸せにしたいと願っている。ならば私も応えてあげたい。その気持ちだけで、私は彼に冷水をかけるような言葉は浴びせなかった。

 あれから十年、二十代だった隆也くんが三十五歳ということは、私は五十五歳。光陰矢の如し……大人は誰だってふと立ち止まると、このフレーズを実感するものだ。

「たまには……」

 通りがかった高級スーパーマーケットに、好奇心を起こして入ってみた。フォレストシンガーズは近年になってかなり売れてきているから、この程度のマーケットで買い物をするのは余裕の収入がある。私も教授の地位についているから収入はよくなったが、生活費は俺の給料から出すように、と夫は言う。年下だからこそ多少はいばらせてあげるのも、かしこい妻の夫操縦術だ。

「いっちゃん、苺大好き」
「うん、僕も苺は大好きだよ。苺、買えば?」
「季節外れだからね、高いね」
「高いの、それ?」
「セイさんって買い物にもめったに来ないから、なにが高いのかわかってないでしょ」
「だって、八百円だろ。高くなんかないじゃん」
「苺としては高いんだよ」

 自分をいっちゃんと呼ぶ女、甘ったるい声。ぎくっとしてその声のほうを見ると、三十代に見える若作りカップルがいた。男のほうは脚本家か作家か、ニュース番組にも顔を出している文化人だ。いっちゃんとは……学生時代に乾くんに横恋慕していた女だった。

「前のときにはつわりってあんまりなかったんだけど、ふたり目はわかんないらしいからね」
「つわりってすっぱいものが食べたくなるんだろ」
「そういうのもよくあるけど、変なものが食べたくなったりもするんだって。今はいっちゃんはすごく苺が食べたいの」
「だから、買えばいいじゃん。ムゥだって苺は好きだろ」
「もちろん大好きだよ。セイさんも食べる?」
「うん、食べる。三パック買えば?」

 あの会話からすると、いっちゃんはふたり目の子どもを妊娠している。彼女は乾さんよりもふたつ、三つ年下だったはずだから、三十二、三歳か。二十代で結婚して出産したとしたら、そのくらいでふたり目は順当だ。連れの男は夫なのだろうか。

 小さなパックに苺が五粒で八百円。いくらなんでもね、こんなの買えないわよね、心の中で乾くんに話しかけて、私は特になにも買わずに外に出た。出ると再び、いっちゃんとセイさんに出くわした。

「ムゥってどんな字を書くんだっけ?」
「核爆発の核と夢」
「核夢か、センスいいな」
「でしょ? いっちゃんが考えたの。だけど、モトダンのママ、つまりいっちゃんの元姑は、核だなんて最悪だとか言ってさ、センスないんだから」
「シャレがわかんないんだな。それで別れたわけ?」
「モトダンは泣いてたけど、あんな姑、顔も見たくなかったんだもん」
「俺にはおふくろはいないから、ポイント高いだろ」
「そこだけはね」
「そこだけはってなんだよ」

 外を歩きながらこんなプライベートな話をするとは恐れ入るが、おかげで私もいっちゃんの事情が知れた。姑との確執により離婚したいっちゃんは、セイさんとつきあっている。ふたり目の胎児は誰の子なのだろう? 関係ないけど気になって、駐車場までは尾行することにした。

「けどさ、いっちゃんだったらバツイチでも子持ちでも、引く手あまただよな。今まで誰とつきあった? 俺と知り合うまでに、俺の知ってる奴だったら誰がいる?」
「えーと、いちばんはじめはフォレストシンガーズの乾隆也」
「ああ、そうなんだ」

 嘘ばっかり!! ふられてたくせに!! と言ってやりたい。私はいっちゃんが乾くんにふられる現場を目撃していた。が、言いにいける立場ではないので我慢した。

「大学のときだよ。乾さんがしつこくて、どうしてもつきあってほしいって泣きつかれたの。でも、ほら、いっちゃんってお金のかかる女じゃん? 乾さんはデビューもできなくて貧乏だったから、このままではきみを幸せにできない、ごめん、って別れたの、彼、号泣してたな」
「男泣かせの苺」
「その通り」

 彼女の本名が苺だったのも思い出した。

「そのあとはタケちゃんとか……」
「お笑いの? 年寄りのほう?」
「若いほうだよ」
「いっちゃんは有名人泣かせでもあるんだな。サッカーの誰かともつきあってただろ」
「トーマスとつきあってたよ。外人とは結婚したくなかったから別れたの」
「そんでもって、トクと結婚したんだよな。マーシャルともつきあってなかったっけ?」
「よく知ってるね」

 私の知らない名前も出てきたが、いっちゃんの恋愛遍歴は相当に華やかであるらしい。けれど、そんなの幸せでもないし素敵でもないのよ。女はただひとりの男性と深く愛し合うのがいちばん。

「いちばん好きだったのは乾さんかなぁ。いっちゃんは今はフリーなんだから、教えてあげたら乾さんもその気になるかもね。復縁ってやつ?」
「駄目だよ。いっちゃんは俺と再婚するんだろ」
「まだ決めてないもーん」

 その気になんかなるわけないでしょ。乾さんには私がいるのよ、とは言えない私をそこに置き去りに、いっちゃんとセイさんは車に乗って去っていった。

 学生時代と変わらぬほどに若くて華奢で、私には荒んでいるとしか思えない生活が表にはまったくあらわれていない可愛い顔のいっちゃん。背が高くて奇抜なおしゃれの似合う、ルックスも悪くないセイさん。浮つき加減もお似合いのカップルだった。

「ああやって軽く軽く、世の中渡っていく女もいるのよね。ね、乾さん?」

 ひとりになって歩き出す私の行く手には萩の花。風が花と葉を散らせていた。

「いっちゃんと話をしたかったな。私はあなたが乾さんにふられていたのを見てたのよって言ってやりたかった。あの調子なんだから、いっちゃんの並べ立てた男の名前だって、どこまでが本当なんだか……ええ? あなたも変わりないでしょって? 私は他人には言わないもの。妄想しているだけだもの」

 他人に吹聴するのと、心で妄想しているのとはあまりにもちがう。学生時代の乾さんとほんのひとこと、ふたこと言葉をかわしただけの年上の女は、片想いを続けて楽しい妄想を作り上げただけ。
 片想いという意味では同じようだったいっちゃんも、別の妄想を作って他人に言い触らしている。そこはたいへんにちがっているはずだ。

 所詮、妄想だって花や葉っぱのようなもの。風が吹けば飛んでいってちりぢりになるばかり。

END






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173「ヴァーミリオン・サンズ」

ショートストーリィ(しりとり小説)

しりとり小説

173「ヴァーミリオン・サンズ」

 建国されたのは二十一世紀初頭。
 南欧のどこかにある小さな国、「ヴァーミリオン・サンズ」

 フェミニストの母親に薫陶を受け、英語が好きで小説を書くのが好きで、ヴァーミリオン・サンズに行きたくて着々と準備を進めた本村梢子。英語で小説が書けるようになり、暮らしの目途もたったので日本から移住してきた、ペンネームはショーコ・M。三十歳。

 母は応援してくれているが、父はひとり娘の異国暮らしを心配しまくっていると聞く。けれど、二十一世紀のこの世の中だ。どれだけ距離があっても、そんなに心配しなくても大丈夫だよ、お父さん。

 イングランドのロイヤルファミリーとも血縁のある、ロッカート侯爵の嫡男として生まれた、ディーン・ナイジェル・ロッカート。両親ともに政治家であるので、長男は必然的に跡を継ぐようにと育てられた。それゆえに父の教育がきびしすぎていやけがさし、生来の反逆精神が磨きをかけられ、何度も何度も家出を繰り返し。

 世界中を放浪した若き日を経て、ヴァーミリオン・サンズにやってきた。
 画家と名乗ってはいるが、現在のところはイラストレーターが本職である。二十九歳。

 暴力夫を家からたたき出した母に育てられた、生粋のニューヨーカー、アデルバート・ジョゼフ・ヒューズリー。愛称はバート。

 音楽家というものは幼少期から英才教育を受けていないと、大成などするわけがないとの説はあるが、バートはその説の輝かしき例外だ。十代になってからピアノをはじめ、他の楽器にも手を伸ばし、指揮者としても目覚める。ヴァーミリオン・サンズの新興楽団「ギャラクシアンフィル」からの招聘を受けて渡ってきたバートは三十二歳。

 シャンパンイエローの薔薇が咲き乱れる、冬のない国、ヴァーミリオン・サンズ。
 大柄なイギリス人とアメリカ人と、小柄な日本人の三人はこの国で出会った。

「そりゃあまあね。とやかく言う人間はどこの国にだっているのよ。日本なんてひどいもんなんだから、私は他人の陰口には慣れてるよ。ぜーんぜんへっちゃらだから」

「僕は親の迫害にさらされて生きてきたんだから、他人がなんと言おうとまるっきり平気の平左だよ」
「親の迫害ったら、ディーンは精神的なものだろ。俺は肉体的にちょっと虐待されたけど、おふくろのほうが強かったから、ま、たいしたこともないわな。ああ、俺だって平気だよ」

「そうだよね。当事者の私たちがそうなんだから、これからだって軽やかにあっけらかんと生きていけるよね。ディーン、バート、ずーっとずーっとよろしくね」

「こちらこそ、レディ、この生命つきるまで、あなたにありったけの愛を捧げます」
「……これだからイギリス貴族の息子なんてのはよ……いやいや、なにも言ってないぜ。では、改めて、俺はシンプルに、ショーコ、愛してるよ」

「うん、私も!!」
 

次は「ず」です。



蛇足

ヴァーミリオン・サンズシリーズはここにあります。

http://quianred.blog99.fc2.com/blog-category-22.html

読んで下さった方がほとんどいらっしゃらなくて、寂しいのであまりアップしていないのですが、かなり昔から書いていますので、実はたくさんあるのです。

で、宣伝させていただきました。このような小説です……って、どのような? と思われた方は、どうぞどうぞ読んでみて下さいね。
ではでは、ショーコ&ディーン&バートをよろしく~ 







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FS雨の物語「雨がやんだら」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

雨の物語

「雨がやんだら」


 南の窓を細く開けて、彼が言った。

「雨だな。じきにやみそうだから、もうすこししてから出ていくよ」
「……すぐに出ていってくれる?」
「濡れろって言うのか?」
「寒くもないんだから平気でしょ」

 そしたら傘を、なんて言わない。傘を貸しても返してもらうあてはない。もしも彼が傘を返しにきたら、私は彼を部屋に通してしまう。元気だった? ほんの短い間、会わずにいただけなのに、元気だったよ、って見つめ合って、以前のようにキスをして……そんなこと、二度としたくないから。

「つめたい女だな」

 不機嫌そうに私を見て、彼が部屋から出ていく。さよなら、でもなく、じゃあ、のひとこともなく、彼は出ていく。廊下を足音が遠ざかっていった。

 好きだったひとと別れるのは二度目だ。三十路間近になって一度も結婚もしたこともない女としては、二度は少ないのだろうか。十代から二十代前半までの間にだって、軽く男性とつきあったことはあるけれど、相手の顔も名前も思い出せないくらいなのだから、計算にも入らない。

 ひとり目は鮮やかすぎるほどよく覚えている。

 気まぐれを起こして書道教室に通うようになって、親しくなった人は何人かいた。その中にひとりだけ男性がいて、女性の仲間たちと彼の噂をするようになった。

「乾さんって教室を休む日も多いよね」
「なんの仕事してるんだろ」
「こんな時間に書道教室に来るって、激務のサラリーマンではないはずよね?」
「先生、乾さんのお仕事ってなんですか?」

 生徒さんのプライベートは教えられません、との先生の答えに、私たちは想像をふくらませていった。

「乾さん、今日はお時間あります?」
「あ、ええ、あの……すこしくらいでしたら」
「そしたらお茶に行きましょうよ」
「……はい」
「もちろん、みんなでですよ。私とデートしてほしいとは言ってませんよ」
「みんな? ああ、ええ、じゃあ、お供します」

 図々しい年配の女性が乾さんに直接アタックし、乾さんは私の顔を見てからうなずいた。

「隠してるってほどでもないですし、隠すようなものでもないんですけど、歌手なんですよ。売れてないからみなさんはごぞんじないでしょう? フォレストシンガーズっていいます」
「歌手の方が書道に?」
「好きなんです。子どものころに習っていて、さぼってばかりいたのを後悔してまして、大人になって改めてってわけなんですね。ただ、不規則な仕事なんであいかわらずさぼってて、先生にはご了承いただいてるんですけど心苦しいんです」
「歌手なんだったらしようがないわね」

 売れてないとはいえ、プロの歌手と友達になれた、みたいに、教室の仲間たちはウキウキしていたようにも見える。それからは乾さんに時間のあるときは、みんなでお茶や食事に行くこともあった。

「緋佐子さんとは路線が同じなんですね」
「そうみたいですね」

 同じ路線の電車で帰るのは乾さんと私のふたりだけ。いいなぁ、だとか、ずるぅい、だとか言う女性はいたが、聞き流した。独身者も既婚者も混ざっている女性たちは三十代以上で、二十三歳の私がもっとも若い。乾さんも二十代半ばだそうだから、私以外のおばさんたちは見ていないはず。

 背が高くて細身でセンスがよくて、ハンサムというのでもないけれど清潔感のある都会的な男性だ。歌手だなんて私とは世界がちがいすぎるけれど、ちがいすぎるからこそ興味深い。

 最初から好意を抱いていたのが、恋愛感情に変わっていく。だけど、売れていないとはいえ乾さんは芸能人。綺麗で華やかな女性たちに囲まれて仕事をしているのでしょう? 平凡な会社員なんかにその気になるはずがない。時々、熱い視線を感じるのは勘違いよ。うぬぼれちゃ駄目。

「あとでふたりになれる?」

 何人かで食事にいったとき、乾さんにさりげなく耳打ちされて心臓が跳ね上がった。他の女性たちとは別れ、なにげなくさりげなくふたりになって、電車の駅とは別方向へ歩き出した。

「俺のアパートは歩いてでも帰れるくらい近いんだけど、あなたは電車だよね。ご両親と妹さんがいるんでしょ。早く帰らないといけないよね」
「門限があるわけでもないし、今夜は書道教室の日だって親も知ってるから、終電までに帰れば大丈夫。書道の日はみんなで食事をするから」
「そっか。でも、まだ俺の部屋には誘えないな。俺の部屋に泊まりにきてくれられる仲になりたいって言ったら、OKしてくれる?」
「遊びでしょ」
「どうしてそう思う?」
「だって、乾さんはミュージシャンだから」
 
 まっすぐに私を見つめて、乾さんは言ってくれた。

「俺は遊びの恋はしないんだ。チャコちゃん、つきあって下さい」
「……チャコって呼んで」
「ありがとう」

 そんなふうにしてはじまった恋だから、私はいつでもどこかで乾さんを疑っていた。

 電車に乗って訪ねた乾さんのマンション。マンションよりはアパートの名前がふさわしい小さな部屋に、乾さんは金沢から大学入学のために上京して以来住んでいた。

「こんな部屋で暮らしてる貧乏人なんだから、チャコが想像しているような仕事じゃないんだよ」
「でも……やっばり……」
「チャコを好きになったから、チャコだけが好きだから告白したんだ。信じろよ」
「うん、信じる」

 信じようと決めた。乾さんは女慣れしているようで、私とのつきあいもスムーズでスマートで、私はいったい何人目の女? 現在進行形でも何人目かの女なの? と詰りたくなっては我慢した。

 けれど、やっぱり。

 居酒屋で見てしまった、仕事のできそうな美人と乾さんのツーショット。彼女は俺たちのマネージャーだよ、と乾さんは言ったけれど、そんなふうではなかった。彼女のほうは乾さんを仕事仲間だと思っているだけかもしれないが、乾さんは彼女が好きでしょ?

 それからもう一度。
 駅で乾さんを見た。綺麗な女性を送ってきたのか、彼女が電車に乗ってから乾さんに声をかけた。

「キスされてたね。見ちゃった」
「……いや、仕事の関係者だよ」
「そおお? やっぱりミュージシャンなんてのは……前にだって……」
「前に、なに?」

 怒りたいのか泣きたいのか、わからない気分で私は歩き出し、乾さんが追いかけてきた。

「声優さんたちのアルバムにコーラスで参加するって、話しただろ。彼女は声優さんだよ。キスしてくれたのは送ってくれてありがとう、の意味だろ。彼女には婚約者がいるんだそうだよ」
「声優さんなんてのも、いい加減なんだよね。婚約者は捨てて隆也さんのところへ来たらどうするつもり?」
「俺にはきみがいるから、帰ってもらうよ」
「どうだか。前にもね」

 前にも? 訊き返す乾さんに、早足で歩きながら話した。

「なんで私、隆也さんの見たくないシーンばっかり見るんだろ。私が隆也さんの部屋に泊まって、そのあとで隆也さんたちは島根に行くって言ってたよね。帰ってきた日の夜、私もいたのよ。「花束」に」
「見てたの? 声をかけてくれたらよかったんだ」
「女性と食事してる隆也さんに、声なんかかけられるわけないじゃない」
「彼女はうちのマネージャーだよ」
「マネージャーったって若い女性じゃないの。恋人同士にだってなれるでしょ。いい雰囲気で乾杯してにっこり見つめ合って、そのあとで隆也さんは、彼女の耳元でなにか囁いてた。口説いてるんだろうと思ったから、私は友達との飲み会から抜け出してひとりで帰ったの」
「ちがうよ。仕事の話をしてたんだ」

 堰を切ったみたいに我慢していた諸々があふれ出して、止まらなくなっていた。

「隆也さんってやっぱりもてるんだもの。私はミュージシャンだなんて仕事のひととは……はじめから……ついていけないってわかってたのに」
「俺はきみについてきてほしいんじゃないよ。一緒に歩いていきたいんだ」
「それって結婚したいって意味? ちがうでしょ」
「結婚はまだ……」

 駅の構内をぐるぐる歩いていた。ただ、ぐるぐるぐるぐると。

「結婚はいいんだけど、そうやって女のひとと……そんなのいやなの。私の神経が変になるの。見たくないのに見ちゃって、
苛々もやもやして、やきもちなんか妬きたくないのに」
「チャコ、ごめん。俺んちに行こう」
「いや。行かない」

 走り出した私と、見送っていた乾さんの姿が、ドラマのワンシーンみたいに目に浮かぶ。あのとき、雨が降っていたのだったか。客観的に見ていたシーンではないのに、綺麗な別れの想い出にすりかえているみたい。
 
「雨がやんだらお別れなのね
 ふたりの想い出 水に流して
 二度と開けない南の窓に
 ブルーのカーテン弾きましょう

 濡れたコートで濡れた身体で
 あなたはあなたは
 誰に会いにいくのかしら」

 あのころの私は親元で暮らしていたから、乾さんのマンションに行くことだったらあっても、私の住まいに彼を招いたことはない。乾さんは私の今の住まいなどは知るはずもない。いっときつきあっていた緋佐子なんて、完全に忘れてしまったに決まっているけれど。

 二度目の恋が完全に消えていくまでの間、私は一度目の恋のことばかり考えていた。
 あれからフォレストシンガーズはちょっとだけ有名になったけれど、私はあのまんま、もうじきに独身の三十歳になってしまう。

 雨がやんだら……じゃなくて、雨が降ったらいいのに。
 すべてがかすんでしまうような細雨の中を、むこうからやってくる人がいる。黒い傘のその人は……隆也さん? そんなはずないのに、そんなはず、あったらいいのに。

END








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FS超ショートストーリィ・四季のうた・章「夏の魔」

番外編

フォレストシンガーズ

四季のうた


「夏の魔」

 寝苦しい熱帯夜の夢に忍び込んでくるのは。

 ギターみたいなフォルムをした身体のライン。からみつく長く細い腕。
 おまえを抱いて、おまえに抱かれて、破滅させられてしまいたい。
 蠱惑的な悪女にだまされて翻弄されて、すべてが壊れてもいい。いや、壊れたい。

 もしかしたら根源的な男の願望なのかもしれない。
 なんてさ、それって誰の勝手な妄想だよ。
 からみつく蜘蛛のような腕から、逃れようとする章もいる。けれど、身を任せてしまいたいと願う章もいる。

 目覚めてしまえば、なんて暑苦しい!! やめてくれ、と振り払いたくなるような、真夏の夜の夢。

AKIRA/ある夜に

 







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花物語2017/6「いずれアヤメか」

ショートストーリィ(花物語)

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2017/6 花物語

「いずれアヤメか」

 勉強が大嫌いで、漫画とアニメにばかりうつつを抜かしている。彩夢が息子の二千翔について嘆いているのを聞くたび、重子は言いたくなって困った。そりゃあ、彩夢ちゃんと三千弥さんの子だもの。それで普通じゃない? アヤメ、ミチヤ、ニチカだなんて名前からしても、ヤンキー一家だもんね。

 ものごころついたときから、彩夢は重子のご近所の友達だった。幼稚園から中学校までが同じで、名前は可愛いけど彩夢ちゃんって顔は可愛くないよね、重子ちゃんと名前を取り換えたらいいのに、と誰彼からとなく言われた。

 学力がちがったので高校は別々になり、それでも重子と彩夢は時々は会って話をした。なのだから、互いの人生についても知り尽くしている。

 高校を中退してしまった彩夢は、近くの市場の八百屋で働くようになる。流行っている大きな八百屋なので店員の数も多く、若者も大勢働いていた。彩夢は同じ高校中退の三千弥とできちゃった結婚をした。彩夢の親は反対したので、重子の両親が説得してやったものだ。できちゃったんだから、結婚させるのが一番だよ、と。

 二十歳で結婚した彩夢と三千弥の夫婦は、彩夢の両親と同居していたから、それからだって重子とは交流が続いた。重子は短大を卒業して銀行に就職し、二十五歳で結婚した。当時、すでに幼稚園児だった二千翔は、やがて生まれた重子夫婦の娘、さやかの子守りもしてくれた。

 二千翔が高校生になった年、さやかは十歳。二千翔のほうはさやかにかまいたがったが、あんな不細工なおっさんには近寄ってほしくない、とさやかは言い放ち、二千翔を苦笑させていた。

「ごめんね、二千翔くん。さやかったらひどいんだよね。さやか、二千翔くんにあやまりなさい」
「ごめーん。でもさ、だって、ほんとのことだもん」
「本当のことだからってなんでも言ったらいけないの」

 お母さんだって、二千翔がこうなったのはあの両親の子だからよ、とは言わないでしょ、と重子は心でつけ足した。
 あのころまでは優越感を抱いていられて、重子の心は平穏だったのだ。

 エリート銀行員の夫と、重子とさやかは実家からほど近いマンションで暮らしている。夫の収入はいいほうなので、重子は専業主婦だ。今どきは裕福な専業主婦がもっとも勝ち組なのである。

 八百屋の店員夫婦の彩夢たちは、子どもを彩夢の両親に預けて共働き。いつまでたっても彩夢の両親と同居しているせいか、三千弥は年々やせていく。それに引き換え、彩夢はどっしりと太ってとうてい重子と同い年になど見えない、押しも押されもせぬおばさんだ。

 夫の両親は外国暮らしなので、重子には義理親の苦労もない。二年に一度くらいは親が帰国したり、重子たちが親のもとに遊びにいったりするだけなので、もめごともなく平和だった。

 子どもはひとりずつだから同じだが、できがちがいすぎる。二千翔は工業高校に通っているものの、アニメと漫画にしか興味のないオタク。さやかは中学受験をするために、勉学に励んでいる。小学校の先生からも、さやかちゃんだったら志望校に合格間違いなしと太鼓判を押されていた。

 やっぱりね、生まれつきできがちがうんだし、こうなるのも当然よね。重子は彩夢とわが身を比べては満悦する。重子はダイエットにも気を使い、エステに通ったりもしているので太らない。重子の夫も身ぎれいにしていて、若く見える。重子と彩夢と三千弥が同い年で、重子の夫は四歳年上なのだが、彩夢ばかりが中年に見えていた。

「重子ちゃん、これ、見て」
「なあに?」

 中学校から大学院まで完備している女子校に、さやかが無事に合格して通いはじめ、高校に進学した春、彩夢が重子に漫画雑誌を手渡した。

「面白いペンネームでしょ」
「亀波? カメナミって読むの?」
「カメハメハだって」
「カメハだったらわかるけど、カメハメハなんて読めないじゃないのよ。これがどうかしたの?」
「そのカメハメハって、うちの息子なんだよ」
「二千翔くん?」
「そうなの。その雑誌で新人賞を受賞してデビューしたのよ。近いうちに単行本も出るんだよ」
「そ、そう。おめでとう。よかったね」
「まあね、漫画家なんてどういうものだか、私にはよくわからないけど、ニートやひきこもりよりはいいだろって父さんとも言ってるの」

 かすかに胸がざわめいたあのときから、彩夢と重子の力関係が逆転していったのかもしれない。

 カメハメハの描いた漫画「モエルおたく道」が爆発的に売れ、コミックスとしては前代未聞の大ベストセラーになった。映画化もテレビ化もなされ、あれよあれよという間に二千翔、いや、カメハメハは漫画家の大先生になってしまった。

「引っ越すことになったのよ。重子ちゃんとはずっと近くにいたのに、離れてしまうのは寂しいわ」
「あ、そうなの。どちらにお引っ越し?」
「二千翔が二軒、家を建ててくれたの。二千翔は億ションっていうのか、タワーマンション? そういうマンションでひとり暮らししてるんだけど、おじいちゃんおばあちゃんとお父さんお母さんにって、二軒も豪邸を建ててくれたのよ。そんなには遠くないから、重子ちゃんもぜひ遊びに来てね」
「ええ、ありがとう」

 ひょうきんな持ち味がもてはやされ、二千翔はテレビにまで出ている。高校時代にはさやかに不細工なおっさんと言われていた二千翔は、そうなるとあかぬけてかっこよくなり、芸術家然として見えるようになった。

 時に、二千翔は二十三歳、さやかは十七歳。

「さやか、学校から電話がかかってきたのよ。昨日、学校に行かなかったんだって? なにかあったの? いじめられたりしてるんじゃないの?」
「ガキじゃあるまいし、イジメなんかないよ」
「ガキって、そんな言葉を使うもんじゃないわよ」
「なんにもないから大丈夫。昨日は電車の中で気分が悪くなったから、ちょっとさぼっただけだよ」
「さぼりは駄目よ」

 わかったわかった、とうるさそうに言っていたさやかは、それからちょくちょく学校をさぼるようになった。名門女子校なのだから教師もきっちりしていて、さやかが休むたびに電話がかかってくる。ついに重子はさやかを問い詰めた。

「学校、つまんないんだよ。私には合わないの」
「だから、苛められてるとかじゃないの?」
「いじめられはしない。無視だったらされるけどね。だからさ、学校はやめたいの」
「やめるって、そんなことを軽々しく言うものじゃないわよ」
「軽々しく言ってない。私だってよくよく考えたよ」

 幾度も幾度も、さやかの父親もまじえて家族会議をした。重子の両親もさやかに話してくれ、さやかの父方の祖父母も帰国してさやかに意見をしてくれた。だが、さやかは頑として、中退したいとの意思を覆さなかった。

「彼と同棲するって決めたから。反対したって聞かないから、家は出るね」
「同棲? 彼氏がいるの?」
「いるよ。当たり前じゃん。ママは私がもてないとでも思ってるの? 私、おじさんにだってお兄さんにだってもてもてだよ。エンコーだってしてたんだから」
「さ……や……か……」
 
 あやうく気絶しかけた重子に、さやかは爽やかに微笑んだ。

「エンコーは二回だけだし、それだけでやめたから心配しないで。エンコーなんかしたら駄目だ、って諭してくれた、クラブの黒服のお兄さんとつきあうようになって、本気になったの。同棲して、さやかが二十歳になったら結婚しようって約束したんだから大丈夫だからね」
「なにが、どこが大丈夫よっ?!」

 ママはあんたをそんな娘に育てた覚えはありませんっ!! ヒステリックに叫ぶ重子を、娘はクールに見つめる。さやかの爽やかな微笑は消えなかった。

「まあね、ひきこもりやニートよりはいいんじゃない?」

 なにかにすがりたくて、重子は彩夢の新居に訪ねていった。誰がそんなところに行きたいもんか、豪邸なんか見たくもないよ、と思っていたのだが、彩夢ならばさやかを幼いころから知っている。娘だけではなく、重子のことも幼いころからよく知っている友達なのだった。

「私だって高校を中退してできちゃった結婚をして、ろくでもない息子に悩まされてきたけど、今では息子は立派な漫画家だよ。私たちはそれでも働きたいから、八百屋をすることにしたの。それも二千翔が協力してくれて、デパートの中に店が出せるんだ。今度は店員じゃなくてオーナーだよ。最初はいっぱい苦労もしたけど、息子のおかげでこうなれたんだもの。さやかちゃんだっていいほうにころぶかもしれない。学校だけが人生じゃないよっ!! ものは考えようだよっ」

 彩夢に言われると説得力はあるのだが、なにがどうまちがって、彼我の人生がこんなふうになってしまったのかと考えると、重子は呆然としてしまう。

 いずれアヤメか、カキツバタ。
 この慣用句は、甲乙つけがたい美女に対して用いられるはず。ちょっとずれているのかもしれないが、重子も言いたい。いずれ彩夢か重子花……昔は重子のほうがはるかに上だったはずなのに、なにがどう狂って、彩夢と重子が逆転してしまったのだろうか。

END







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FS雨の物語「はじまりはいつも雨」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

雨の物語

「はじまりはいつも雨」

 美江子……山田美江子。

 どこにでもありそうな、ありふれた名前のように思える。事実、銀行か区役所で名前見本として挙げられていても不思議でもない。

「山田美江子さんか……頭のよさそうな名前だな」
「あいつ、ほんとに頭はいいんだろ?」
「外見的にも頭のよさそうな感じだよな。それだけに……」
「それだけに……? 本橋、はっきり言えよ」

 いやいや、と笑ってごまかしたあのころは、頭がよさそうで気がきつそうで、男をやりこめるのが趣味なんじゃないのか? とは言えなかった。

 山田美江子が本橋美江子に変わっても、美江子の本質は変わってはいない。
 人なんて名前では変わらない。
 
 本橋真次郎がもしも芸名を使ったとしても、本橋真次郎は本橋真次郎だ。俺だって一生変わりそうにないよな。おまえも変わらなくていいから……口には出さず、真次郎は美江子の肩を抱き寄せた。

「きみの名前は優しさくらい、よくあるけれど
 呼べば素敵な とても素敵な
 名前と気づいたよ」

 そっかぁ、優しさくらいによくある名前か。作詞をする人は着眼点がちがうな。と繁之は感心してしまう。
 
 川上恭子もよくある名前だろう。「優しさ」というものと同じくらいによくある名前で、呼べばとても素敵な名前を、俺は呼び捨てにしていいのか? してもいいんだよな?

「……恭子……」
「はあぃ、シゲちゃん?」
「んとんと……」
「どうしたの?」
「いや、雨が降ってきたみたいだよ」
「あ、ほんとだ」

 カーテンを薄く開けて、恭子が窓の外を眺めている。はじめて繁之の部屋に恭子が泊まった日。そしてきみは、近いうちに本庄恭子になる。くすぐったくも嬉しくて、繁之は恭子のいささかたくましいうしろ姿を飽かずに眺めていた。

 既婚のふたりは妻との近い過去の想い出をよみがえらせ、未婚の三人は別れた彼女のことを思い出しつつ歌う。真っ二つに想いが分かれたステージの上。

「僕は上手にキミを愛してるかい 愛せてるかい
 誰よりも誰よりも」

 本名も知らないままに、はじまったあの恋。
 古ぼけたおばあさんみたいな名前だから、教えない!! と怒った顔をして言っていた彼女の名前は末子。半同棲はしていたけれど、それだけだったから、章はスーの苗字は知らないままで終わってしまった。

 はじまりはいつも雨。
 この歌の彼と彼女は、終わらなかったのだろうか。ステージで歌っていて、章はふっとそんなことを思った。

「キミに会う日は不思議なくらい
 雨が多くて
 水のトンネル くぐるみたいに
 幸せになる」

 きみの名前は……というフレーズが印象的なこの歌だから、幸生もかつて、愛した彼女を想う。
 彼女と会う日も雨が多かった。雨の横浜でデートしたり、一泊で小さな旅をしたときも雨だった。

 幸せ真っ只中にいるこの歌のカップルも、いつかはこうして俺みたいに、ああ、あのときは……って思い出すんだね。
 蘭子ちゃん、きみは幸せでいるかなぁ。

 きっとこんな想い出は、誰にだってあるのだろう。ステージで一緒に歌っている他の四人も、誰かのことを記憶の中から引っ張り出して、その彼女に捧げている。隆也だって同じだ。

 愛した女性の名前。
 これから愛することになるかもしれない、女性の名前。
 永遠に愛することができたら、どんなにか幸せな女性の名前。

 その名前はなんていうんだろ? 今夜も雨が降っているみたいだから、ライヴを終えて外に出たら、優しい名前のあなたに会えたらいいだろうな。この歌をあなたに捧げられたら、どんなにか幸せになれそうで。

「はじまりはいつも雨
 星をよけて
 ふたり 星をよけて」

END








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FS超ショートストーリィ・四季のうた・全員「四季の萌」

番外編

フォレストシンガーズ・四季のうた

「四季の萌」



「萌えいづるといえば、春に芽生える植物の子ども。ちっちゃな若緑、若緑の芽生え、春の息吹、目覚めた新芽の緑の息だよ。感じるだろ、ほら」

「乾さんらしいお答えですねぇ。春に萌えるったら猫の恋だな。猫の恋って春の季語だって、乾さん、教えてくれたじゃん。猫が恋をして生まれてくる、ちっちゃなちっちゃな仔猫……ううう、萌え萌え萌え萌えっ!!」

「幸生らしすぎて涙が出るよ……萌え、かぁ。ギターだな。うん、俺はギター」

「ギターに萌えるって、章は変態……いやいやいや、人は好き好きだな。俺が春に萌えるっていえば……いや、俺の場合は萌えるよりは燃えるんだよ。毎年春になると、今年こそ!! って燃えるんだ。シゲは?」

「本橋さんのおっしゃる通り、そういう意味でも春には燃えますよね。萌えるほうは……」

「シゲは食いもんだろ。地面に萌えて出てくる山菜とか? たらの新芽を天ぷらにして一杯。同じ新芽でも乾さんの感覚とは大違いだな」

「ヒデ、よけいなことを言うな」




「燃える太陽……じゃなくて、夏に萌える? 俺は猫路線で行くよ。春に恋をしたママ猫が産んだ仔猫は、夏ごろに可愛い盛りを迎えるんだ。そんなころの仔猫にはもうっ!! 萌え死にっ!!」

「ギターに萌えるほうが、幸生の猫萌えよりは変態度ははるかに低いですよ。そしたら俺も楽器ね。夏はレゲェだな。レゲェで女の子を燃え上がらせて……そして、むふっ」

「しかしやはり、章の顔が変態チックに見えるな。いやいやいや……俺は萌えじゃなくて燃えなんだから、夏といえば真っ赤に燃え盛る太陽」

「真っ赤に燃えた太陽だから、真夏の夜は恋の季節なの、って。
 あ、すみません。シゲらしくない台詞でしたね。俺は食い物担当でした。美江子さん、夏の食べ物の代表は?」

「西瓜、アイスクリーム、焼きとうもろこし、リンゴ飴や綿あめもね。真夏の食べ物ってお祭りや花火大会の屋台だとか、リゾートや海辺って感じだよね。私は夏の恋。恋には燃えも萌えも両方の要素があるよね」




「食い物ならば秋が本番ですね。モエなんだから燃えるってことで、たき火の中に放り込んだ焼き芋。焼き松茸。アウトドアのバーベキューもがんがん火が燃えてますよ」

「シゲさんは食ってりゃ幸せなんだからいいよね。俺も猫がいたら幸せ。あっ、シゲさん、たき火する前に気をつけて。ほらほら葉っぱの山が動いてるよ。わっ!! 猫が飛び出してきたーっ!!」

「凄まじい声を出すなよ、幸生。騒がしいので俺は俺らしく、秋に萌ゆる歌を。
 秋くれて ふかき紅葉は山ひめの そめける色のかざりなりけり 藤原定家」

「長き夜の つれづれなるまま つま弾けば ギターが歌う 情熱歌う 木村章」

「なんだよ、章も乾の真似か? 楽器ネタってそんなにはないもんな。俺が秋に萌える……燃える……モエルものってなんだ? スポーツの秋かな。恭子さん、走りにいこうか」

「私も食べものとランニングの両方に萌えます。みんなで走りにいきましょう。あれれ? 木村さん、逃げていっちゃった」




「冬には掘りごたつの中が燃えてます。こたつといえば猫。猫はこたつで丸くなり、ユキちゃんのハートもまあるく、猫と一緒に萌えてます」

「冬こそ情熱のギター!! 俺もこたつに入って作曲するよ」

「うん、だったら俺はこたつにいる幸生と章のために、あったかい飲み物でも淹れてくるよ。寒い夜にあたたかな飲み物ってのも、ほっこり萌えないか? ストーブも燃やそうか」

「浜の真砂はつきるとも、世に飲み食いの種は尽きまじ、だよな。俺は冬というと受験勉強を思い出すなぁ。十四歳と十七歳の冬には勉強に燃えていたものだよ」

「本橋くんは燃えるものがあると幸せなんだよな。冬に萌える……冬だって恋でしょう? 雪に覆われた地面の下、やがて来る春を待って雌伏している若い芽のように、やがて咲き誇る春を待つかのごとく、ひそかにはぐくまれていく恋……いいなぁ。浪漫だね」

「萌え、と燃えがごっちゃになってしまいましたが、俺だったら酒ですよ。さあ、こたつに入って酒盛りをしましょう。恭子さんも美江子さんもどうぞー。ああ、幸生のみーちゃんもくーちゃんも、たまちゃんもみんな来いよー」

「ヒデさんもそう言ってますので、みなさんもおこたであったまって行って下さいね。おこたの中でおしくらまんじゅう。燃えて萌えてしーあわせ」

END







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FS雨の物語「大阪レイニーディ」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

雨の物語

「大阪レイニーディ」

 まずいことをしてしまった、と母からのメールが届いた。まずいこととはなんだ? 父と喧嘩でもしたか? そんなこと、離れて暮らしている息子に訴えてきても困るだけだ。困るようなメールを読みたくなかったので、途中でケータイを閉じてほったらかしておいた。

 歌手になりたくて、そんなら東京に行かなくてはいけないと決意して、実松弾は東京の大学を受験した。首尾よく合格し、父と母も賛成してくれたから上京して大学生になった。合唱部に入部して熱が入っていたのもあり、金には困窮していたのもあって、大学生の間はほとんど大阪に帰りもしなかった。

 合唱部は男子部と女子部に分かれていたものの、みんな仲が良かった。同級生たちで合同ハイキングに行ったり、映画を観にいったりすると、部外の友達を連れてくる者もいた。

 男どもはもてへん奴が多いみたいやけど、その中でももてない代表、シゲには女友達がいる。
 ヒデは顔がええせいか、これでけっこうもてるみたいや。ええなぁ。
 じゃがいもみたいな顔をした俺も、もてるわけないわな。ええねん、歌手になったらもてるはずやから、それまでは男友達と遊んでいよう。

 そのつもりだったのだが、驚いたことに大学生のときに彼女ができた。ふたつ年下の育子ちゃんと一緒に大阪に行って、母に紹介したのが悪かった。

「私は結婚したんも遅かったし、なかなか子どもがでけへんで、それでも弾が生まれたんやからよかったんやけど、女の子もほしかったんよ。娘のいる友達がうらやましゅうてね。育子ちゃんを娘やと思ってええかしら」
「はい、私も嬉しいです」
「お母ちゃん、育子ちゃんに迷惑やで」
「迷惑なんかじゃないよ」

 優しい育子ちゃんはそう言ってくれ、母は完全にその気になってしまっていた。

「就職、決まったで」
「歌手になりたいて言うてたんは諦めたんやな」
「そらそうや。俺はそんなもんにはなれん。普通のサラリーマンになることにしたわ」
「そのほうがええよ。で、結婚は?」
「まだまだまだまだずーっと先や」

 電話で報告した俺に、母が結婚をせっついていた。やっと社会人になろうとしている二十二歳が、結婚なんか考えられるはずもないだろうに。
 東京で就職を決めた俺に、両親は寂しさもあっただろう。けれど、反対はせず、ただ、育子ちゃんと早く結婚しろとばかり言っていた。親父も同感であるらしかった。

「まだ結婚はせえへんの?」
「……育子ちゃんとは別れた」
「……そうやったんか。そんな気がしてたんや」

 二十五歳の夏、久しぶりで帰省した俺の前で、母がうなだれた。

「この間、育子ちゃんに電話したんやわ。そしたら元気のうて、なんかあったんかなと思っててん。別れたからか」
「そうや。もう育子ちゃんに電話したらあかんで」
「あかんの?」
「当たり前やろ。お母ちゃんは勝手に彼女を娘みたいに思ってたんかもしれんけど、婚約してたわけでもない。別れてしもたらもう他人や。モトカレの母親と仲良くしてる女の子なんて変やろうが」
「そうかなぁ。あかんの?」

 あかんの? と寂しそうに繰り返す母に、あかんあかん、絶対にあかん!! と断言しておいたのだが。

「育子って誰?」
「……え?」

 もてないことにかけてはシゲと張り合うほどだった俺だって、恋はする。大学生からの五年間ほどは育子ちゃん一筋だったのだが、別れてから好きになったひとはいた。二十六歳になって告白した、咲恵さんとようやくつきあってもらえるようになったのだが、どうしてここで育子ちゃんの名前が? 

「あの……」
「お母さんに私のメールアドレス、教えたんでしょ」
「咲恵ちゃん、教えてもええて言うたよな」
「言ったけど……うん、見たほうが早いね」

 両親は俺に彼女ができたと聞くと、結婚結婚と張り切る。だから言いたくないのだが、いないとなるとそれはそれで気をもむので、彼女ができたよ、とは報告していた。
 お話ししたいわぁ、と母にねだられて、咲恵ちゃんに打診してみた。かまわないよ、との答えだったので、母に彼女のメールアドレスを告げた。

 早速、母からメールが来て、咲恵ちゃんのほうも返事を出したらしい。二、三度メールのやりとりをした母から、昨夜、新しい着信があったのだそうだ。

「弾には彼女ができたみたい。弾よりふたつ年上やそうやけど、私とメールもしてくれるええ人やよ。
 彼女のいてないときやったら、育子ちゃんとこうやってメールしててもええと思ってたわ。
 育子ちゃんはとっても優しいから、弾さんとのことは関係なく、母と娘みたいに仲良くしましょって言うてくれるんやもんね。

 そやけど、やっぱりあかんのやろか。
 私は育子ちゃんが大好きで、弾のお嫁さんになってほしいけど、あかんのかなぁ」

 メールを読ませてもらっていると、気絶しそうになってきた。母はまだ育子ちゃんとこんなことをしていたのか。育子ちゃんも育子ちゃんだ。彼女のほうから切ってくれないから、母がいつまでも執着するのだ。

「ねぇ、育子って誰?」
「モトカノって言うたらええんかな」
「モトカノとお母さんが仲いいんだ」
「これは、おふくろが育子ちゃんに送るつもりでまちがえて……」
「そうみたいだけど、それはいいんだよ。弾のお母さんが息子のモトカノとこんなメール、そっちが気持ち悪いの」
「うん、わかるよ」

 軽蔑のまなざしで俺を見る咲恵ちゃん、その表情がすべてを物語っていた。

「マザコンはしようがないと思ってたけど、これはひどすぎるよね」
「うん、俺が悪いんやな」
「気持ち悪いって思ってしまったら駄目なの」
「別れるってこと?」

 うなずいて、咲恵ちゃんは背を向けた。
 母に責任転嫁してどうする。母とつきあってくれた育子ちゃんだって、ちっとも悪くない。俺は知らなかったとはいえ、すっぱり断ち切れなかったのが悪い。なにもかも俺が悪い。

「そうか……母ちゃんのメール、まずいことってそれやったんや。なんか……もてる男の悩みみたいやなぁ」

 大阪人らしくジョークで笑い飛ばして、雨の中に出ていく。こんな歌も歌ってみた。
 
「東京は近くの街で
 御堂筋から青山通りはたしかに続いているよ
 ああ 大阪レイニーディ
 あほらしいといつものように
 笑ってほしい」

 梅雨時だもの、大阪も雨かな。久しぶりに故郷に帰って、大阪の雨に濡れたくなってきた。

END









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172「天下無敵ラヴ」

ショートストーリィ(しりとり小説)

しりとり小説

172「天下無敵ラヴ」

 才色兼備の女子アナ。興梠光信は、大学時代の一年先輩である瀬田真織の悩みを熱心に聴いていた。

 同窓会というのでもないが、時々集まって飲み会を開く。ウィンタースポーツサークルだから、冬以外は学生時代にも飲み会ばかりやっていた。卒業してもOBやOGの結束は強くて、派手な職業に就いた先輩たちもけっこう参加している。その中でもいちばん華やかなのはやはり真織だった。

「まーた告白されちゃったんだ。私は二股してるんだよ、って冗談っぽく正直に言ったのに、三股でもいいから俺も混ぜてくれ、だって。困っちゃうんだよね」
「マオちゃん、ほんと、もてるよね」
「当たり前じゃん」
「もてないほうがおかしいっての」

 口を入れる他のメンバーたちのようには、光信にはできない。

 大学に入学した光信が、こんなサークルは僕には向かないかな、お金がかかるかな、と迷いながらも入部したウィンタースポーツサークル。スキーやスノボが中心ではあったが、近場のスケート場に行ったりするのだったらさほどにお金はかからなかった。

 向かなくてもいいから入りたいと光信が思ったのは、二年生ながらにサークルではすでに中心人物だった真織のそばにいたかったからだ。美人でプロポーションもよく、法学部の優等生。父親は外交官で真織は帰国子女、英語は当然、ドイツ語とロシア語が堪能で、スキーはプロ級の真織。

 今どきはスノボのほうが流行る? スノボなんて遊びじゃん、と笑っている真織を、光信はいつも熱く見つめていた。

 美人であるというだけで、女性は同性の嫉妬を浴びるものだと聞く。しかし、真織は周囲の女子学生たちとレベルがちがいすぎたのか。お嬢さまやお坊ちゃまもうじゃうじゃいる大学でも、真織は嫉妬よりは羨望のまなざしを向けられていた。男子たちは恋人になりたいというよりもファンを自任し、女子もファンクラブに入りたがった。

 難関試験を突破してテレビ局に就職して三年、二十五歳になった真織は美貌と才覚とで人気者になりつつある。サッカー選手とプロ野球選手との二股交際をしているところに、近頃脚光を浴びているラグビー選手からも告白されたのだと悩んでいるらしい。

「はぁ、飲み過ぎた。明日も仕事なんだよ。帰るわ」
「真織ちゃん、送っていこうか」
「男は駄目。私たちが送っていこうか」
「真織先輩、私に送らせて」
「男は駄目って差別じゃないかよ。じゃぁ、僕ら三人で送っていくよ」

 誰が送っていくかで言い争っている同窓生たちを無視して、真織はなぜか光信を指さした。

「キミ、誰だっけ?」
「興梠です」
「コオロギ? ロギくんか。ロギくん、送っていって」

 席を移動する者もいたので、押されて真織の真正面にすわっていた。そのせいだとしか思えないのだが、光信は心から偶然に感謝した。
 その夜はタクシーで真織を送っていっただけだったが、お礼のしるしなのか、電話番号とケータイのメールアドレスは教えてくれた。コオロギという珍しい姓なのも手伝って、真織は光信をしっかり記憶してくれていた。

「ロギくん、今夜は暇なんだ。あそぼ」

 バブル時代のアッシーとかメッシーとかいうやつか? 真織からメールをもらったときには一瞬、そう思ったが、光信は車は持っていない。タクシーを使ってもアッシーだったらやる。メッシーは食事をおごればいいのだろう。真織とデートのようなことができるのならば、なんだってやるつもりだった。

「ロギくんってなんの仕事? 聞いたっけ?」
「いえ、言ってません。僕は製薬関係の業界紙記者です」
「新聞記者なの?」
「業界紙ですから、そんなに忙しくはないんですけどね」
「薬か。そしたらさ、TW製薬の新薬開発情報って入ってくる?」
「入ってくるかもしれませんが、僕は下っ端ですし、もしも知れたとしても情報は漏らせませんから……」
「そんなのあったりまえじゃん。キミにスパイしろなんて言ってねえんだよ」
「あ、すみませんっ!!」

 時として真織の口から出る男言葉も、光信には最高に魅力的だった。
 すべてが魅力的ではあるのだが、ふとしたおりに見せる意外な仕草や言動。祖母が華族階級出身なのだそうで、古風というのか大時代的というのか、そんな所作もたまらなく美しく見えた。

「ああ、このひと、知ってるよ。ガキのころにうちに遊びにきて、お年玉をもらったことがある」

 一ヶ月に一度くらい、真織のほうから誘いがかかる。光信が思い切ってデートに誘うと、忙しいからごめんね、とハートつきの断りメールが届く。光信には誘いを待つしかなかった。

 そうしてデートしていると、高名な画家が祖母の友達だと言ったりする。映画に連れていかれて代金は? と尋ねると、この監督、親父の飲みトモなんだよ。チケットなんかいくらでももらえるから、と言う。隠れ家的バーに連れていかれても、マダムとため口をきいていたりする。あのマダム、遠い親戚なんだ、などと言う。

 なのだから、アッシーでもメッシーでもない。たいていの店は顔パスで、お金? いいのいいの、である。展覧会や映画もチケットを持っていて、光信には払わせないのだった。

「マオちゃん、僕はまったく払ってないから気が引けるんだよね。レンタカーでドライブでもしない? そのときには今までのお礼の意味で、全部僕が払うから」

 敬語はやめろ、マオちゃんと呼べ、と命令されて、光信も従うようになった。一ヶ月に一度ほどは会う関係が続いて約一年が経過していた。

「んなしょぼいの、いらねぇって。ロギくんは気にしなくていいのよ」
「でも……。マオちゃん、彼氏は……」
「去年だったよね。プロスポーツ選手三人につきあってほしいって告白されて、めんどくさいから全部つきあったの。そしたら三人ともがプロポーズしてきたから、めんどくさくなって三人とも断った。マオちゃん、彼氏と別れたんだって? とか言って近づいてきたのが、お笑いの……それから、俳優の……あと、キャスターの……」
「マオちゃん、いつも複数同時進行だよね」
「今まではそうだったけど、なんだかなぁ、ほんと、面倒になってきたよ。私がフリーになると男がほっとかないんだもん」

 面倒だとは光信は決して思わないが、惨めな気分になってきた。
 彼女は光信のことを可愛い後輩だとしか思っていないのだろう。女の子はめんどくさいから、と理由も聞いた。だから男の光信を誘い、金銭的負担を与えないで遊んでくれる。大人同士の遊びではなく学生のままのノリだ。

「僕ももう二十五の大人のつもりなんだけどな……マオちゃんは僕を男として見てはいないの?」
「男? だよね? そか、ロギくんも私と寝たいんだ。だったら行こうか。ホテルカメリアだったら親父の友達が……それとも、私のマンションでもいいよ」
「ホテル代は僕に出させて」
「そぉ?」

 不思議そうな顔をした真織との初体験。その勢いで翌朝にはプロポーズした。

「はぁ? ロギくんが私と結婚したいって?」
「身の程知らずかな、もちろん、断ってもらってもいいんだけど……」
「面白いね。いいかもね」

 スムーズにことが運んだのは意外だったのだが、真織はうなずいてくれた。真織の両親や親せきも、堅実な男性だからいいんじゃないの? 大学時代からの友達と結婚するのはいいことだね、と言ってくれた。むしろ光信の両親のほうが腰が引けていたのだが、真織さんがいいと言うんだったら……と結局は受け入れてくれた。

 なのだから、覚悟は決めていた。

「興梠さん、出てましたね」
「なにが?」
「とぼけちゃって」

 その昔、民放の女子アナには二十五歳定年説があった。そのせいか女子アナは旬の時期に、いい獲物をつかまえて結婚退職してしまう。政治家二世、実業家、俳優、スポーツ選手、料理家、小説家、弁護士や医者。そういった社会的地位も収入も上等な男と結婚して主婦になった女もよくいた。

 二十五歳定年説は影を潜めてはいるものの、女子アナは若さが生命線だ。真織は結婚と同時に局を辞してフリーになり、妊娠出産の時期にはほとんど仕事もしていなかった。

 ふたりの娘ができ、長女が小学生、次女が幼稚園児になった昨年から、真織はぼちぼち仕事を復活させている。今年は世界的な映画祭の仕事を引き受けて、目下はその準備で忙しいようだ。子どもたちはほぼ真織の親の家で暮らしていて、幼稚園や小学校から直接車で送迎してもらっている。

 父親の光信は仕事を終えると真織の実家に行って子どもたちと触れ合い、休みの日には遊園地に連れていったりする。もうじきに真織は海外に発つので、しばらくはともに単身赴任予定だった。

「とぼけちゃってるということは、あれは嘘なのかな。そうですよね。いくらなんでもあんな年寄りと」
「ああ、あれね」
 
 つい先日、週刊誌にスキャンダルが載った。興梠真織、大物俳優のJと深夜の密会?! 

「そうですよね」
「そうだね」

 女性の部下に質問されたことについては、ただとぼけておいた。が、こんなことは今までにだって何度も何度もあったのだ。

「久しぶりに仕事をしたら疲れちゃったよ。パパ、マッサージして」
「ああ、いいよ」

 長女が一歳になり、次女を妊娠するまでのわずかな時期に、真織は頼まれて新装開店したレストランのリポートという仕事をした。長女はベビーシッターに預け、光信が帰宅してからはベビーシッターを帰らせてふたりで留守番していたのだった。帰ってきた真織はシャワーを浴び、光信にマッサージさせながら言った。

「久しぶりに他の男とキスしたわぁ」
「……あ、そ、そう」
「キスだけだよ。心配しないで」

 プロデューサーに口説かれた、人妻になると色っぽさが増したね、いっぺんだけどう? と言われたけど断った。あんなハゲオヤジ、嫌いだもんね。でも、レストランのオーナーは渋い二枚目で、こっちからキスしちゃったんだ。彼も嬉しそうに抱きしめてくれて、ディープキスまでしちゃった。

 楽し気に話す真織に相槌を打ちつつ、このひとは常人とは倫理観がちがうんだから、僕が譲歩するしかないと光信はおのれに言い聞かせていた。

 次女の妊娠中にも一度だけ仕事をし、スポンサーとホテルに行ったらしき痕跡を光信が見つけた。

「妊娠してるのにそれは……」
「妊娠していたら他の男の子はできないからちょうどいいって。嘘だよ。なんにもしてないよ」

 そちらのほうが嘘だとは思ったのだが、遊びだったら許すしかなかった。

 その調子で、仕事を復活してからの真織はちょくちょく遊んでいる。三十代になって若さに翳りは出てきているものの、男たちは真織に人妻の色気を感じるようで、いっそう彼女はもてる。光信としても魅力的な妻は嬉しいのだから、他の男に本気になって離婚すると言い出さなかったらよしとしよう。

「あれ、ほんとみたいじゃないですか」
「いいからさ、あなたに関係ないでしょ」
「興梠さんは腹が立たないんですか」

 明日には真織が帰国するという日、再び俳優と真織のスキャンダルが出た。ワイドショーも取り上げていたので、真織の母親も見たかもしれない。真織はいつもうまくやっているので、世間に名前が出るのははじめてだ。今度ばかりは母親が諌めてくれると決め込んで、光信としてはまかせるつもりだった。

「奥さんが浮気するなんて最低」
「だから、あなたには関係ないでしょうに」

 部下の女性が怒っている。彼女は独身で彼氏もいないと言っていた。たしかに、もてそうにはないタイプだ。すると、マオちゃんがうらやましいのかな? そこまで言うと部下がいっそう怒りそうなので、光信はその場を離れた。

 それよりも、今夜には真織に会える。娘たちもママが帰ってくるのを楽しみにしているだろうから、迎えにいって連れて帰ってこなくちゃ。マオちゃん、ちょっとくらいの遊びはいいけど、娘たちの前でだけはいい母の顔をしていてね、とは、真織の母親が言ってくれるだろうからおまかせしよう。

次は「ヴ」です。








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FS雨の物語「時雨茶屋」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

雨の物語

「時雨茶屋」

「通りすがりのしもた屋に「小唄教えます」との小さな看板がかかっていた。高杉晋作といえば有名な小唄があったのではなかったか? シンガーとしては「歌」のすべてに関心があるので、真次郎はその家の玄関チャイムを押した。

「あら……えーっと……」
「あ、あの、本橋真次郎です」
「そうですよね。フォレストシンガーズの?」
「そうです」

 部屋に通してくれた三十代くらいの和服の女性は、フォレストシンガーズを知っていた。

「最近は歌手もドラマに出ないといけないみたいな風潮なんですよね。高杉晋作をやってほしいってオファーがありまして」
「高杉晋作? 本橋さんだったら坂本龍馬のほうが似合いそう」
「龍馬はもっと似合う奴がいますけどね」

 フォレストシンガーズは知っていても、坂本龍馬と同郷で龍馬に似ていると言われ、本人はやめろと言うものの、まんざらでもなさそうな奴のことは、彼女は知らないだろう。だから真次郎は別のことを言った。

「高杉にも有名な小唄がありますよね?」
「三千世界の烏を殺し、ぬしと朝寝がしてみたい」
「そうそう、それ」
「これは小唄じゃなくて都都逸ですけど、高杉が詠んだのかしら。馬関の芸者あたりが口ずさんだのかもしれませんね」
「ああ、そうなんですか」

 小唄と都都逸のちがいなど、真次郎にはわからない。ただ、宇多と名乗った小唄の先生に、時間のあるときに手ほどきしてもらう約束をした。

「三味線ですよね」
「小唄三味線です。本橋さん、心得は?」
「ゼロです。俺はピアノとギターだけです」
「音楽家なんですもの。すこし練習すれば弾けますよ」
「そうかなぁ」

 時間があれば、というのは真次郎のだ。宇多は多忙な身でもないようで、いつも和服姿でゆったり微笑んでいる。逆行した時代の中にいる昭和の女……大正の女? 宇多にはそんな風情がある。

 手取り足取り、みたいに、宇多は真次郎に三味線も小唄も教えてくれた。真次郎も熱心に通う。高杉晋作に端を発した習い事だったが、スケジュールを合わせにくかったのもあり、宇多が似合わないと笑ったのもありで、オファーは断った。仕事とは無関係になっても小唄をやめる気はなかった。

「この家も古くなってきたから、修繕しなくちゃいけないんですけど、お金がね」
「古いのがいい感じの家ですけどね、築何年なんですか?」
「五十年くらいになるかしら。昭和の時代には料理屋だったんですよ。私は芸者だったから、奥のお座敷で仕事をさせてもらっていたの」
「昭和の時代に芸者って、宇多さん、そんな年じゃないでしょ」
「私、六十八よ」
「嘘ばっかり」

 稽古がすめばお茶を飲んで、世間話もするようになった。

「宇多さん、ほんとは何歳ですか」
「本橋さんよりは年上」
「俺、三十六ですよ。俺より年上には見えないな」
「だから言ってるでしょ。六十八だって」
「嘘がすぎますよ」

 だんだん腹が立ってきた。落ち着いて考えれば腹を立てる筋ではない。女性にはっきり年齢を言えと迫る俺が野暮なのだ。宇多が何歳であっても真次郎には無関係なのに。

「年を多くサバを読む女性はいないはずだけど、四十くらいにはなってるんですか」
「六十八よ。昭和生まれだもの」
「俺だって昭和生まれですよ。宇多さん、正直に言って下さい」
「いやです」

 何度もそんな会話を繰り返し、何度もはぐらかされ、言えよ、いやだ、と言葉遣いも崩れていく。ふと気がつくと、宇多は真次郎の腕の中にいた。

「俺には妻がいるんだけど……」
「知ってるわ。一度だけね」

 一度だけ、ふたりは思いを遂げた。
 その夜、真次郎が宇多におさらいをしてもらっていたのはこんな小唄。

「ひとりの人に 二夜とは
 契らぬものと思えども
 残る未練の朝時雨
 濡らす葦辺の芝木戸や
 その名も粋な 時雨茶屋」」

 おい、おいおいおいっ、香川厚樹!! 怒鳴りそうになって、俺は彼に手渡された用紙の束を閉じた。

「なんだ、これは」
「いやぁ、いっぺん、古風な小唄の師匠の不倫恋愛小説なんか書いてみたくてね」
「なんで相手役が本橋真次郎なんだ。俺がおまえのオファーを断った腹いせか」
「あれぇ? 駄目でした? 本橋さん、喜んでくれるかと思ったんだけどな」
「……誰がっ!!」
「そうですか。原稿はパソコンに残ってますから、本橋真次郎って名前を変換したら、本橋さんではなくなりますよ。誰にしようかな。本庄繁之とか……いや、失礼」

 言っておいて香川はくっくと笑っている。本庄繁之……似合わない。俺だって似合わないが、シゲはもっと似合わない。乾隆也だったら似合いそうだが、あいつは独身なので不倫にならない。宇多に夫がいれば不倫になるのか?

「馬鹿らしい。架空の男にしろ」
「そうですかぁ? 実在の男のほうが、書いてて楽しいんだけどな」
「小唄の師匠は実在の女なのか?」
「そうだとしたら、本橋さん、会いたいですか」
「え……」

 大学の後輩である香川厚樹は、映研のメンバーとして在学中に俺たちに接触してきた。こっちはすでにフォレストシンガーズとしてデビューしていたものの、最悪に売れない時期だった。

 そこで知り合った香川とはけっこう長いつきあいになる。現在の香川はアニメを主に扱っている映像会社で働いていて、個人的にもショートフィルムを撮ったりもしている。フォレストシンガーズも被写体になったし、麻田洋介と戸蔵イッセイを使ったリメイク映画の撮影もしている。

「本橋さん、高杉晋作、やりません?」
「映画か?」

 このオファーだけは事実だ。スケジュールが合わない、俺には役者をやりたいって気はない、高杉だったら章のほうが似合うぜ、俺もそんなのやりたくない、というようないきさつもあって断った。

 素直に引きさがったくせに、それをネタにこんな小説を書くとは、香川はとんでもない奴だ。俺をおもちゃにして遊ぶな。
 しかし、このシチュエィションには引き込まれた。過度に怒ってしまったのは、こういうのもいいかもな、とよろめきそうになったからだ。いや、精神的にだけだが。

「で、宇多って本当は何歳なんだ?」
「へ?」

 いや、いいよっ、と俺は自分で自分を遮った。

「本橋真次郎バージョンは破棄しろよ」
「わかりました。先輩に迷惑はかけないように書きます」
「ああ、そうしろ」

 書くのは自由なのだから、そこまでは止められない。
 香川をカフェに残して外に出ると、こういうのが時雨なんだな、って感じの雨が降っていた。あの角を曲がれば、宇多という名の色っぽい女が小唄教室を開いている家がある。

 そんな錯覚に包まれそうな、梅雨どきの細かい雨。

END









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FS俳句・短歌・超ショートストーリィ2017/6

forestsingers

FS俳句・短歌・超ショートストーリィ2017/6


「人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂ひける」紀貫之

 古典だったか現国だったかの教師の声が聞こえる気がする。これって中学校で習うのだったか? 小学校かな? ま、どっちでもいいや。

「こういう場合の「花」は桜ですね。最初は日本では「花」といえば梅だったのですが、いつのころからか桜になったのです。ですから、短歌や俳句では「花」は桜です。覚えておいて下さいね」

 覚えてはいるが、では、いつから「花」が桜になったのか。なぜ「梅」が「桜」に変わったのかは教わっていなかったのか。大学生になった國友の記憶にはその部分はなかった。

「奈良時代までは梅だったらしいよ」
「平安時代から桜になったんですか。なにかきっかけがあったんですか」
「日本文芸不毛の時代ってのがあって、その後で、中国から渡ってきた「梅」ではなく、日本古来の花である「桜」が日本を代表する「花」になったんだね」

 菅原道真公が……と國友に講義してくれたのは、日本文芸に造詣の深い先輩だった。

 だからね、乾さん、和歌なんてものには門外漢の僕だけど、日本では「花」といえば「桜」なのは知ってるんです。でもでも、紀貫之さんのこの「花」を「ベニバナ」だとしてもいいでしょう?

 花そのものがふるさとの香りを連れてくる。
 大学に入学するために上京してきた、國友の故郷は山形県。山形県の県花は紅花だ。

「ベニバナって別名を末摘花っていうんだよな」
「そうなんですか? 末摘花って源氏物語に出てくる、かわいそうな容貌の女性でしょ?」
「そうだよ」

 なんでベニバナが末摘花? 紅花に失礼なような……と感じたのも思い出す。

「末摘花の鼻の先が赤いからだとか、紅花は茎の末のほうから摘み取るからとか」
「末?」
「先のほうだな」
「へぇぇ。なるほど」

 思いがけなく出会った一面の紅花を見て、自然にふるさとを思い出す。自然に有名なこの歌も思い出す。国語教師の教えを思い出していたはずが、いつしかその声が乾隆也に変わっていた。

kunitomo/20/END

KIMG0206shiba.jpg
紅花ではなく、芝桜ですが。










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ガラスの靴70

別小説

「ガラスの靴」

     70・求愛


 スマホに電話をしてきたのは、専門学校時代の同級生だった蘭々ちゃんだ。同じく同級生だった多恵ちゃんが、蘭々が笙くんに電話したいって言ってるんだけど、と打診してきたので、かまわないよと答えた。

 アート系専門学校に通いはじめて間もなく、僕はアンヌと恋人同士になった。僕はアニメCG学科の一年生、アンヌは大学を中退しての再入学だったから、学年はひとつ上の七歳年上。アンヌの評判がよくなかったのもあり、それでも僕はアンヌに夢中だったのもありで、僕は同い年の連中には変人扱いされていて友達は少なかった。

 なのだから、蘭々と聞いても、そういう変わった名前の女の子、いたな、程度にしか記憶になかった。専門学校の卒業アルバムを見てみたら、童顔の可愛い子だったので、電話をしてきた蘭々ちゃんが会いたいと言ったのにもうなずいた。

「多恵ちゃんからいろいろ聞いたんだけど、笙くん、子どももいるんだってね」
「いるよ。胡弓、三歳。僕に似て美少年なんだ」
「子ども、今日はどうしたの?」
「お母さんに預けてきた。お母さんは孫命のばあちゃんだから、胡弓を預かるのは老後のいちばんの楽しみなんだよ」
「そう……連れてこなかったのは嬉しかったな」

 同級生なのだから二十三歳かと思っていたが、彼女は中卒で専門学校に入学したのだから、二十歳なのだそうだ。童顔というよりも僕より三つも年下なのだから、学生のときには十代半ばの子どもだったのである。

「蘭々ちゃんはモデルだって?」
「そうなの。このごろってぽっちゃりブームだから、ぽっちゃりさん向けの雑誌もあるのね。その雑誌専門のモデル。読者モデル募集ってのに応募してみたら合格しちゃったんだ」

 電話でも聞いていたが、小柄なのにモデル? と疑問だった。会ったら詳しく聞こうと思っていたら、そういうことだったのか。
 記憶にはほとんどないが、アルバムの蘭々ちゃんはちょっとだけぽちゃっとした小柄で可愛い女の子だった。あれは三年ほど前。ぽっちゃりモデルの仕事のためなのか、彼女はずいぶん太った。これはぽっちゃり? ぼってりじゃないのか?

 別に僕は太った女の子に偏見はない。アンヌは細身で長身だが、アンヌの妹分みたいなカンナちゃんだって嫌いではない。カンナちゃんはがっしりどっしりの体型だから、蘭々ちゃんみたいなぽっちゃりタイプのほうが、好む男もいるのではないだろうか。

「そうなのよ。もてもてで、蘭々、困っちゃうの」
「そうなんだ」
「専門学校を卒業してからは、近所の小さいスーパーマーケットで働いてたのね。スーパーだからお客さんはおばさんが多いじゃない?」
「そうだよね。主婦が客層の中心だろうな」

 可愛いからって、蘭々ちゃんはおばさんたちにクレームばかりつけられたのだそうだ。レジのまちがい、包装が遅い、あれはどこに置いてるの? と訊かれても答えられない。あてずっぽうで答えたりもしたからまちがえてばっかり。

「そんなのたいしたことでもないのに、みんな、カンカンに怒るのよ。なんでそんなに文句ばっかりつけるのかと思ってたら、旦那が蘭々に恋してたみたい。冗談じゃないわよ。なんで蘭々ちゃんがあんなおっさん……大丈夫よ、あんな禿げたおっさんに興味ないから、そんなに妬かなくていいからって言ってやったの」
「クレームつけられてそう言ったの?」
「そうよ。だって、そんなことばかり言われてたんだもの」
「その全部が、旦那が蘭々ちゃんを好きになったからってやきもち?」
「そうみたい。あり得ないわよね」
 
 本当にあり得ないのは、実際に蘭々ちゃんがミスばかりしていたからではないのか。この子も大いなる勘違い女?

「そんなのばっかりで、店長にも怒られたの。店長もおばさんなんだけど、その旦那ってのは蘭々に恋してたみたい。旦那は事務所のほうで働いてたから、会うこともあったのよ」
「そうなんだ」
「うん、だからね」

 あんなみっともないおっさんが蘭々に恋したって、こっちは相手にしてないから無駄よ、だから心配しないで、と蘭々ちゃんは店長に言ってのけ、退職勧告を受けたらしい。可愛い子って世の中のおばさんからは迫害されるのよ、と世を嘆いていた蘭々ちゃんは。

「蘭々、悪くないもん。勝手に恋するおっさんやら、やきもちを妬いて怒るおばさんたちが悪いのよ。だからやめないつもりだったんだけど、そんなときに応募したモデルの仕事に合格したから、やめてあげたわ。店長も今ごろ、後悔してるかもね」

 どうして後悔してるの? と質問するのはやめておこう。蘭々ちゃんの思考回路は常人ではないようだ。 
 たしかに顔は可愛いほうだから、遠くから見てちょこっと好きになる男はいるかもしれない。しかし、そんなにどいつもこいつも恋しないだろう。彼女は蘭々であって、西本ほのかではないのだから。

 読者モデルに合格したことで、蘭々ちゃんの勘違いを助長した節もある。だけど、ま、次の仕事があってよかったね。

「そうなのよ。モデルの仕事は蘭々ちゃんに合ってるし、お給料もちょっとは上がったからいいんだけど、やっぱりスーパーとは関係あるし、カメラマンだの編集者だのなんだのが、次から次へと蘭々ちゃんを好きになってメンドクサイの」
「スーパーと雑誌モデルが関係あるの?」
「あるわよ。その雑誌って全国スーパーマーケット連合ってところが出してるんだもの」

 それってファッション雑誌か? もしかして、広告? 広報? 蘭々ちゃんは髪をかき上げ、ふっと笑った。

「やっぱり蘭々も決まった彼氏を持つべきだと思うのね。蘭々はこんなに可愛いんだから、彼氏も綺麗な顔でなくちゃ駄目なの」
「モデル仲間にいないの?」
「男のひとはいないのよ」

 それでね、と身を乗り出して、蘭々ちゃんは僕の手を握った。

「多恵ちゃんから笙くんの話を聞いて、笙くんを救ってあげることに決めたの」
「救う?」
「だって、笙くんはあのアンヌさんの奴隷みたいにされて、こき使われて蹂躙されて虐待されてるんでしょ」
「って、多恵ちゃんが言ったの?」
「多恵ちゃんは、笙くんはそれなりに幸せらしいよって言ったけど、嘘だもんっ!!」

 怖い顔をして、蘭々ちゃんは力説した。

「そんなはずないじゃない。男性は仕事をしたいものよ。主夫なんかに満足できる男のひとはいないの。笙くんが幸せだと思ってるなんて、洗脳されてるのよ。アンヌさんってそんなふうなひとだったわ。魔女みたいな?」
「おー、ウィッチーウーマン、かっこいい」

 妻を悪く言うな、と怒るのは僕のキャラではないので、おどけてみせた。

「若くて綺麗な笙くんを主夫なんかにして、仕事もさせずに家に閉じ込めて、自分は遊び歩いてるんでしょ。家事も育児も笙くんに押しつけて、自分はなんにもしないのよね。そんなの、女じゃないわ。しかも年上で、淫乱ビッチだったそうじゃないの」
「いやぁ、僕はそんなアンヌが……」
「だから、それは洗脳されてるの。笙くん、目を覚ましなさい。蘭々ちゃんが笙くんをまっとうな男のひとに立ち直らせてあげる。蘭々のこと、好きよね?」
「嫌いじゃないけどね」

 大嫌いではないのでそう答えると、蘭々ちゃんは満足げにうなずいた。

「当然だわ。蘭々を嫌う男のひとなんかいないんだもの。笙くん、アンヌさんから逃げてきなさい。笙くんには自主性や積極性はないって知ってるの。男らしくもないけど綺麗な顔をしていて、生活力もなくて長所もあんまりないとは知ってるけど、愛の力は強いのよ。蘭々が笙くんを更生してあげる。真人間にしてあげるから、黙って蘭々についてきなさい」

 こういう口説き文句には弱いので、僕が独身だったとしたら、はい、ついていきます、と返事をしたかもしれない。
 しかししかしかし、しかーし、僕には妻も息子もいる。こんな勘違い女の独断に巻き込まれてなるものか。アンヌ、僕はがんばるからね。

「僕には子どもがいるからね」
「子どもって母親が育てるものよ。蘭々はみんな知ってて、笙くんを受け止めてあげるんだからへっちゃらだわ。バツイチ子持ちの笙くんでいいの。結婚してあげる」
「アンヌに叱られるよ」
「蘭々がアンヌさんと闘ってあげるわ」
「無理だよ」
「無理じゃないってぱ。蘭々ちゃんにまかせておきなさい」

 なんでまた、多恵ちゃんも蘭々ちゃんに僕の電話番号を教えたのか。多恵ちゃんの彼氏が別の女と結婚してしまい、やっぱり寂しいから、幸せな僕に嫉妬したとか?
 ああ、でも、なんかちょっと面白いかも。蘭々ちゃんをきっぱり切ってしまうよりも、アンヌに紹介してみるのもいい。彼女がどうやってあのアンヌと闘うのか、見てみたい気持ちになっていた。

つづく



 




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FS雨の物語「梅雨寒」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

雨の物語

「梅雨寒」

 どうして俺はこがなところにおるんろう?
 
 何度かはこんな席にも加わったのだが、いっかな慣れない。いつだってそんな気分がつきまとう。フォレストシンガーズの面々は女性たちに取り巻かれてサインをしているようで、俺は遠くから彼らを眺めている。長身の痩せた女たち、今日のイベントに出ていたモデルたちらしい。

「ヒデさん、知ってます?」
「ああ、モモちゃん。知ってるってなにを?」
「うちの社長、鋼さんを誘惑しようとしてるんですよ」
「ゆ、う、わ、く?」

 鋼とは俺の弟である。高知在住二十八歳、独身。モモちゃんのいううちの社長とは、オフィス・ヤマザキの山崎敦夫。六十代のはず。初老の男が三十近い男を誘惑……よく考えたら、もしかして、と思い当った。

「もしかしたらもしかして、鋼に歌手になれってか?」
「当たり。ヒデさんは鋭いんですね」

 ファッションと歌のイベントには、フォレストシンガーズもモモクリも出演していた。山崎社長には俺も歌手になれと誘惑されたことがあるのだが、そっちは断った。ただし、歌を書いてくれとの依頼なら受ける。今回も俺の書いた曲がイベントで使われたので、打ち上げの席にも呼んでもらったのだった。

「鋭いっていうか、俺も経験ありだからな。俺は鋼には聞いてないけど、あいつが歌手ってのは無理だろ」
「モモちゃん、鋼さんにそれとなく聞いてみてくれって、社長に頼まれたんですけどね」
「聞いたのか?」
「聞いてません。別の話になっちゃったから」
「それでいいだろ。鋼が歌手って……いや、あいつがやりたいんだったらいいんだけどな」

 大学生のときに本橋さんと乾さんに誘ってもらって、フォレストシンガーズに加えてもらった。なのだから、俺はそのころには歌手になりたかった。女の奸計にはまったのかもしれない結婚をして夢が破れた俺が、山崎さんからの鋼の誘惑を強く反対すると、嫉妬しているのかと思われそうだ。

 考えてみたらそれもいいかもしれない。最近は早熟なタレントも多いが、意外に遅咲きの歌手や俳優もいる。三十路間近でデビューとは年を取りすぎているような気もするが、鋼は顔も声もいいし、歌だって下手ではないのだから。鋼は作詞も作曲もできないはずだから、俺が作ってやってもいいしな、なんて気の早いことを考えてもいた。

 イベントは戸外だったから、打ち上げも野外パーティのような形だ。梅雨の近い六月の夜、夜気は湿って感じられた。
 数日後、鋼に電話をかけた。

「鋼、デビューすんのか?」
「はぁ?」

 結婚式には妹も弟も出席してくれたが、そのあとは完全に家族とは音信不通にしていた。離婚してからは俺のほうから連絡を絶ち、俺はほうぼうを放浪していたから、住所不定のようなものだった。

 最近になってようやく、弟や妹とは電話でなら話すようになった。妹は福岡で夫とふたり暮らし、弟は実家暮らし。両親には婚約者を家に連れていって会ったが、あのときには鋼はいなかったから、何年顔を合わせていないのだろうか。俺の結婚生活はざっと三年、あれからざっと八年……十年以上、鋼とは会っていない。

 妹の美咲が写真を送ってくれたので、大人になった鋼がどんな男なのかは知っている。俺とは会っていないのに、鋼は幸生や章とは会っていて、ヒデさんに似ていい男だね、と幸生が言っていた。モモちゃんも、鋼さんはかっこいいと言っていた。

 なので、電話をかけるのはそれほど気が重くもない。鋼はどこにいるのか知らないが、携帯に出た。親父と俺と弟と、三人の声が似ていると美咲が言っていた通りだ。妹とならば無駄話もするが、弟とは、元気か? もなく、単刀直入に質問した。デビューするのか?

「せんよ」
「せんのか?」
「ガラやないきに」
「たしかに、ガラやないな」
「そうじゃろ? そんなもん、俺は興味ないちや」

 モロ土佐弁で話す相手は家族だけ。今の俺は土佐弁と神戸弁と標準語がまぜこぜになった変な言葉遣いだが、弟とだったらこんなふうになる。

「それよりなぁ……」
「なんちや? 恋の悩みか」
「……おまえに言うてもしようがないきに」
「おまえとはなんちや」
「おまえはおまえじゃ」

 ガキのころみたいに下らない口争いをして、鋼は電話を切ってしまった。

 なんとなく、ほっとしている。
 弟が歌手になって、俺と似た声で歌ってヒットして、スターになる。そんな想像をすると気分が良くない。小笠原鋼……どんな芸名をつけるのかは知らないが、あいつの兄貴はもとフォレストシンガーズの小笠原英彦だってよ、なんて噂されたくない。

 兄貴は未練たらしく音楽にしがみついて、フォレストシンガーズのお情けで稼いでいる……言われたくないのは事実だからか? 俺がフォレストシンガーズとはなんの関わりもなかったとしたら、臨時収入もありゃしないのだし、三津葉と知り合って婚約するなんて幸運もやってこなかっただろうし。

「……ちゃっちゃいな」

 おのれの小ささを嫌悪するこんな夜。
 梅雨入りして間もない六月の、今夜は雨。俺はちっちゃいな、と思うと、夜気がつめたい。梅雨寒ってこんなふうなのを言うんだろうか。

END








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FS超ショートストーリィ・四季のうた・真次郎「春の灯」

番外編

フォレストシンガーズ

四季のうた

「春の灯」


 おいら岬の灯台もりは……なんて歌もあったっけ。
 妻とふたりで、えーっと……なんだっけ?

「灯台を見ているから浮かぶわけだが、この歌ってなんだった?」

 沖行く船の
 無事を祈って 灯をかざす
          灯をかざす

 ひとりごとみたいに歌ってみると、乾隆也が反応した。

「喜びも悲しみも幾年月。うちの母が生まれたころくらいかな。ヒットした映画の主題歌だよ」
「灯台もりの歌だよな?」
「そうそう。今どきってハイテクが管理してるんだろうから、灯台もりなんかいないんだろうな」

 二十代も半ばだというのに、幸生と章は犬っころみたいに海岸ではしゃいでいる。おいおい、危ないぞ、とか言いながらも繁之も参加していて、真次郎と隆也は灯台を見上げていた。

「ハイテクって言い方も古いだろ」
「ハイテクノロジーだろ。なんて言いかえるんだ?」
「さあ」

 仕事でやってきた春の終わりの海辺。自由時間に五人で散歩していても、真次郎の頭の中には、こんなに売れなくてこの先どうなるんだろ、と暗い想いが浮かぶ。

「でも、灯台がさ……」
「照らしてくれるんだよな、俺たちの前途を」

 その言い方も古いだろ、と隆也を蹴飛ばしてから、ふたりで歌った。

 星を数えて 波の音きいて
 共に過ごした 幾歳月の
 よろこび 悲しみ 目に浮かぶ
            目に浮かぶ

 幾年月もの時間が流れたあとでこの場所に来たら、俺たちもこんなふうに思うのだろうか。そのときには成功しているのだろうか……そうだといいなぁ、と隆也と真次郎はふたりして、もう一度灯台を見上げた。

SHIN/26/END














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FS雨の物語「相合傘」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

雨の物語

「相合傘」

 渋い色合いのチェックの傘はかなり大きい。これならばふたりでも濡れない。小さな肩を抱いてあなたを俺の胸に包むようにして、町を歩こう。

「いつも通り雨にゃ いつも通り雨にゃ
 あの町この町
 どの路地もひっそり閑」

 真冬の冷たい雨……みぞれ混じりの雨、春は近い。
 けぶる春雨。雨に散る桜。
 長く続く梅雨どき雨。
 ざぁっと激しく降る夏の雨と落雷。乾いた喉を潤す恵みの雨。
 枯葉を濡らす秋の雨。稲を成長させる雨。
 そしてまたNovember Rain……師走の雨、一年が終わる。

「あなたはどの季節の雨が好き?」
「隆也さんは?」
「俺は……あなたとこうして相合傘ができるんだったら、春でも夏でも秋でも冬でも雨は大好きだよ」
「……うふっ」

 はにかんで笑って俺を見上げるあなたを抱き寄せて、傘に隠れてキスをする。高校生に戻ったみたいな気分だ。

 誰かの背中で雨のリズムを聞いているうちに、眠ってしまった記憶がある。あれは母だったのか父だったのか、祖母だったのか。それとも、我が家に住み込んで行儀見習いをしていたお姉さんだったのか。雨、というと思い出される、おんぶ。子どものころの記憶の背景は必ず金沢だ。
 
 幼い身体には大きすぎる傘をさして、やっぱり大きめの長靴を履いて、一生懸命祖母のあとを追いかけた。幼稚園に入園してからはじめての雨の日。春の雨はつめたくはなくて、水たまりにわざと入っていって怒られたっけ。

 和服に和傘の綺麗な女性に、ぽけっと見とれていたのは小学生のころ。八つか九つくらいだったか。見知らぬあのひとは俺の初恋の女性。

 突然の雨に、傘を持ってきていなかった俺は校舎から走り出る。家路をたどる途中で出会った同級生の女の子が、黙って傘をさしかけてくれた。俺はかぶりを振り、ありがとう、と目だけで言って傘には入らず再び駆け出す。中学生のころの無言劇のB.G.Mは雨の音。

 それからね、高校生になってはじめて、好きな女の子と相合傘をしたんだよ。今、ここにいる相合傘のお相手のあなたには、そんな話はできないね。

「そのひと、どうしたの?」
「高校を卒業して俺は東京に出たから、自然消滅ってやつかな。でも、ごく最近、あのとき以来に再会したんだ」
「それで?」
「彼女の結婚式に出席させてもらったよ」
「未練はあるんでしょ?」
「あなたがいるんだから、未練なんてないよ」

 立ち止まってもう一度、あなたを抱き寄せてキス。

大学生になってからも、大人になってフォレストシンガーズの一員として、シンガーとして生きていくようになってからも、恋は何度も何度も訪れて去っていった。相合傘だってしたことはあるよ。雨の中を俺の部屋にやってきた彼女を抱き上げて、バスルームに運んでいったことだってあるよ。

 ふたりで歩く雨の中。あたたかな部屋にたどりついたら、バスルームからベッドまで愛する彼女を運んでいく。

 少年時代のコイバナだったら語れるけど、大人になってからのそういうのは生々しいね。俺はあなたとふたりきりになれる場所にいって、あなたとそうしたいんだけどな。

「相合傘道行
 すっかり晴れたら 離れなくちゃ
 もっと降れふれ
 相合傘道行」

 晴れたら傘をたたまなくてはならないから、そうしたら、幻のあなたも消えてしまうから、離れていってしまう。だから、雨降れ、もっと降れ。

END








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171「あなたのすべて」

ショートストーリィ(しりとり小説)

しりとり小説171

「あなたのすべて」

 正社員になれないのは学歴のせいなのだろう。悔しいけれど、高校二年生の年に母親が病気になってしまって父親に見捨てられ、常太郎が高校を中退して働くしかなくなってしまったのだから仕方ない。高校中退でも雇ってくれる会社があり、準社員という形で工場で働けるのはありがたかった。

「だから、結婚は諦めてるけどね」
「諦めなくてもいいんじゃない? 好きなひとはいないの?」
「いないし、女性を好きになったりはしないようにしてるんだ」
「そんなの寂しいでしょ」
「寂しいけどね」

 だから、趣味のひとつくらいは持ちたかった。ここならば年配者が多いから、という理由もあり、お金がかからないから、もあって選んだ市民ハイキングサークル。若者は少ないが皆無でもなく、三十歳になったばかりの常太郎よりひとつ年下の浅子と親しくなった。

「正社員じゃないっていうのは結婚のネックになるかもしれないけど、努力したらなれないの?」
「正社員登用試験はあるんだけど、高卒以上っていう資格が必要なんだよ」
「そっかぁ……うん、そうね」

 かなり太っているが、浅子は体力がある。山歩きに参加して常太郎が先にばてると、手を引っ張ってくれたり荷物を持ってくれたりもした。

「私はこんな体型だから、男のひとには敬遠されるみたい。それでも、彼氏はいたことがあるんだよ。私からプロポーズしたんだけど、彼のお母さんに反対されちゃった。強すぎるって」
「強い女性はかっこいいのにね」
「そうでしょう? だったら常太郎さん、私と結婚しない?」

 親しくなったといっても友達で、だからこそこうしてふたりで食事にくるようになったのだと常太郎は嬉しく感じていた。恋人がほしくてサークルに参加したのではない。年配者たちは独身の常太郎にお節介を焼きたがるが、彼の年収と準社員の身分を知ると、女性を紹介するとは言わなくなるのだった。

「冗談でしょ」
「冗談では言わないよ。私ね、思うの」

 ナウい女って結婚してて子どももいて、もちろん仕事もやって、夫の稼ぎがよくなかったら養うくらいの勢いでいなくちゃ。それがこれからのかっこいい女だよ、と浅子は大まじめに言った。

「僕は奥さんに養ってほしくはないけどね」
「それはまあいいんだけど、私は常太郎さんの年収なんか全然気にしないの。私だって働くんだから、ふたり合わせたら生活はしていけるでしょ。常太郎さん、家事はやれるよね」
「できなくはないよ」
「私だって家事もやるよ。だけど、仕事もするんだから専業主婦ほどはできない。家事の分担も決められたらいいな。そういうことはいやだって言う男性もよくいるんだけど、常太郎さんなら受け入れてくれられない?」
「いいよ。浅子さん、本気?」
「本気だよ」

 当時の浅子はさほどに大きくはない会社の事務員だったから、大言壮語しているといえたかもしれない。けれど、常太郎はやはり家庭がほしかった。子どもだってほしかった。

「結婚して下さい」
「あらぁ、常太郎さんがプロポーズしてくれた。はい、結婚しましょう」

 あのときの浅子の輝く笑顔は、一生忘れないだろう。
 
 結婚してからは夫婦ふたりで、がんばって上昇していった。常太郎は通信教育で高校卒業資格を得、会社の昇格試験を受けて三十三歳にして正社員になった。五十一歳の現在は工場の生産二課主任の地位についている。
 一方の浅子は四十歳で起業し、小さいながらも会社社長だ。常太郎に専務にならないかとの打診はあったのだが、妻の部下になるのは避けたいとのプライドゆえに断った。

 あまりに仕事にがんばりすぎたから、妊娠はしても出産には至らなかったのは夫婦ともどもに残念だが、浅子の両親も常太郎の母親も手厚い介護もしてもらえる有料老人ホームに入所させ、月に一度は夫婦そろって訪ねていける日々に幸せを感じていた。

 今日も浅子は遅くなるだろうから、ひとりで食事をして帰ろうか。仕事を定時で終えた常太郎は、行きつけの定食屋に足を向けた。勤務先からだと近いので、時たま若い社員に会う。今夜も生産四課の山崎と相席になった。

「主任は奥さん、いらっしゃるんですよね」
「いるよ。きみは独身?」
「独身を謳歌してます。結婚なんかしたくもないし……」

 高卒で給料が安いのは、二十代のころの常太郎もこの山崎も同様だろう。結婚したくない、が本音かどうかはわからないが、結婚はいいものだよ、と説教するつもりは常太郎にはなかった。

「奥さんは仕事ですか」
「仕事は仕事だけど、最近、新入社員が入ったんだよ。うちの奥さんは小さい会社を経営してるんだ」
「へぇぇ、すごいですね。いいの見つけたんだな」
 
 不躾な言い草ではあるが、常太郎も笑っておいた。

「それでね、胸の中に小さい雲があって、僕は小さい人間だなって自己嫌悪したりしてるんだよ」
「小さい雲?」

 焼き魚定食を食べながら、常太郎はうなずいた。
 
「峰さんっていう新入社員が入ったの」
「若い女性?」
「中年男性よ。彼、リストラされたんだって」
「それは気の毒に」

 一ヶ月ばかり前、浅子が常太郎に報告してくれた。

「昔の友達……っていうか、正直に言うね。あなたとつきあっていたころに話したことがあるでしょう? こんな私にもモトカレがひとりだけいるって」
「そうだっけ? ああ、浅子さんがプロポーズして、強すぎるからって断られたって彼?」
「強すぎるって反対したのは彼のお母さんだよ。そうそう、その彼。その彼なのよ」

 つまり、峰は浅子のモトカレで、人づてに聞いたのだそうだ。浅子さんの昔の彼、リストラされて奥さんにも離婚されて悲惨なことになってるよ、と。

「子どもさんはふたりいて、ふたりとも専門学校を出て就職しているらしいんだけど、峰さんもまだ五十代だから、引退してしまうには早いみたいなのね。もっと働きたいって言うから、うちに入社してもらったの」
「そっか……」

 事後承諾だったのは、常太郎は浅子の会社とは無関係なのだから当然かもしれなかった。

「へぇぇ、モトカレですか。なんか奥さん、やりたい放題ですね」
「そうかな」

 さらに無関係な山崎に話したくなったのは、小さい雲が常太郎の中でわだかまっていたからだった。

「奥さんって主任と同じような年なんですよね。ひとつ年下? 五十のばあさんか……にしたって、モトカレなんて気分よくないですよね。主任は許すんですか」
「許すもなにも、僕は妻を尊敬してるよ」
「なめられてるなぁ。怒ってもいいのに。そんなの離婚してもいいようなもんですよ」
「離婚なんかしないよ」
「主任、甘いですよ。俺は稼ぎもない女とは結婚したくない。専業主婦を養うなんてまっぴらだけど、そういういばった社長なんて女もいやだな。だから俺は結婚なんかしないんだ」

 まあ、きみは好きにしたら? 結婚しないというよりできないんだろうけどね、と常太郎は心でだけ反論した。

 この青年以下だった若き日の常太郎と友達になってくれ、恋人になり、結婚しようと彼女のほうから言い出してくれ、本当に結婚して妻になってくれた浅子。妻のおかげで常太郎の人生は、若いころに描いた未来図よりもはるかによいものになった。

 妻には感謝してもし切れない。リストラされたモトカレを雇ってあげ、最近は彼の元妻との交渉も手伝ってやっていて、それゆえに連夜帰宅が遅くなる妻を、尊敬していると山崎に話したのは嘘ではない。

 嘘では決してないけれど、心が完全に平穏だと言えばそれは嘘になる。まさか今さら、浅子がモトカレとどうこうなるとは思えないが、おおらかな心持ちにはなれないでいる。山崎に妻を悪しざまに言われて、どうしてこんな気持ちになるのか改めて考えてみた。

 愛しているから……浅子、僕はあなたを愛しているから……だから、こんな気持ちになるんだ。要するに嫉妬だね。そう結論づけると、ほんの一部だけは心の雲が晴れた。

次は「て」です。






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FS俳句・短歌・超ショートストーリィ2017/5

forestsingers

FS俳句・短歌・超ショートストーリィ2017/5


水はまだ冷たいかな? 夕方になってきているから、気温も下がってきている。ためらいはあったが、せせらぎに足を浸してみた。

 意外に冷たくはない。
 じゃあ、ちょっと泳ごうか。

「実松、泳ぐような季節じゃないんじゃないか?」
「ああ、乾さん、一緒に泳ぎません?」
「風邪をひく……ってこともないかな」

 呆れたような顔をして、乾隆也が笑っている。

 実松弾が大阪から上京して入学した大学の、サークルの先輩だ。一年年上の合唱部の実力者。
 美男子というわけでもないのだが、すっきりした容貌で背は高めで細身で、弾自身とはルックスが大違い。弾とは仲のいい同級生の小笠原英彦も隆也のタイプだが、性格はそれぞれにちがっていて面白い。

「あ、つばめや!!」
「……うん」

 サークルの有志でやってきた、初夏の川べりで、ふたりはそろって空を見上げた。弾はぽかんと口を開けてつばめに見とれ、隆也は短歌を口ずさんだ。

「つばくらめ空飛びわれは水泳ぐ一つ夕焼けの色に染まりて」馬場あき子

 こんなシーンでこんな短歌を即座に思い出すとは、そこもやっぱり俺とはおおちがいやなぁ。片耳で隆也が口にする短歌を聴きながら、弾の目は夕焼けいろの空を行くつばめを追い続けていた。

DAN/18/END


KIMG0167.jpg

弾のふるさと、大阪





 

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FS雨の物語「雨の慕情」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

雨の物語

「雨の慕情」

 三つ年上なだけだからおばさんではないけれど、おばさんっぽいというか、ボクなんて自称していたけれど少年っぽくはなくて、むしろおじさんっぽいっていうか。

「幸生、なにがあったんだよ」

 肘で章につつかれて、なんにもないよとごまかした。
 言いたくないのはなぜだろう? 俺の彼女だって堂々と紹介するような……いや、彼女は彼女ではあるが、恋人という意味の「彼女」ではないのだから、紹介する必要もないわけで。

 昔から章はみんなに好きな女の話をしていたけれど、そんな章をガキっぽいと感じるようになったから、俺はコイバナはしなくなった。そのせいだから、そのせいで彼女の話はしないんだ。

 でも、俺、彼女に恋したんだろうか。

 好みのタイプは章ほどには確固とはしていないけれど、三十六歳のおばさんっぽい女性はストライクゾーンではない。キャットシッターの朝緒さん。がっしりした体格のおばさんっぽくもおじさんっぽくもある年上のひと。彼女が猫好き仲間だからこそ、話がはずんで楽しかった。恋とは別ものなのかもしれない。

 若いころには若い女の子に恋をした。恋だかどうかなんて確認もせず、好きになったら突き進んだ。

 十六歳の初メイクラヴのお相手には、むこうから誘惑されたようなもので。
 十八歳で恋した相手は、恋人にもなれないままに天に召されてしまった。

 それからだって何人もに恋をして告白して、つきあったりふられたり、断られたり捨てられたり、捨てられたり捨てられたり……そりゃそうだ。三十三歳にして独身なのは、つきあった女性もつきあえなかった女性も、抱かれてくれたひとも断られたひとも、すべてと別れたから。

 夫ある女性に恋したこともある。彼女も年上だったが、抱き合うことはかなわなかったので不倫すれすれ。彼女は夫のもとに戻り、俺は捨てられた。

 捨て猫みたいな女の子を拾い、清らかな関係のままで同居していたこともある。彼女は俺をどう誤解しているのか、彼氏ができた、あいつはどうこう、などと相談してくる。ぐっと年下の女の子だって大好きだけど、十歳以上も年下と恋人同士になる気はないのだからいいんだけど。

 本気で恋したつもりで、本気で焦がれたつもりのあのひとは、章とどうにかなりそうな? あれは遠い日の遠い感情だから、今になれば寝なくてよかったなと思っている。

 そんなことばかり重ねて、俺は年齢だけ大人になった。

「ユキちゃんはいい加減な男やねんから、ずーっとそうやってふらふらしとったらええんよ。結婚なんかせんとき。ユキちゃんの奥さんになる女性は不幸やわ」
「そうですねぇ。だったら弥生さん、生涯独身の俺とずっと遊んで下さいね」
「うんうん、遊びましょ」

 春日弥生さんにはまちがいなく、恋はしていない。五十代か六十代であろう女性は俺の恋愛対象ではないが、大好きなひとなのもまちがいなかった。

「そうだよ。こんな言い方って恥ずかしいかもしれないけど、弥生さんは俺の親友だな」
「……そんなの、変」
「変かなぁ」
「じゃあ、幸生くんは私にお父さんみたいな年頃の親友がいて、その男性のことを大好きだって言ってても平気?」
「一度、俺もその男に会ってみたいな。俺が見極めてあげるよ」
「どういう意味で?」
「きみにとっては友達でも、その男はきみに下心を抱いている場合もあるからね」
「弥生さんだって……」
「ないない、それはないよ」
「でも……そんなの汚らしいし」
「汚いって弥生さんが?」

 いつか、弥生さんのことを汚らしいと言う女がいた。俺はその言葉を受け入れられなくて、彼女のほうから告白してくれたのに断った。そんなことだって俺にはあるが、これは恋なのかな、と悩むのは久しぶりだ。

 結婚はしない。
 けれどそれは俺の一方的な考えで、女性は俺とつきあったら結婚したいのかもしれない。二十代のころにだって、幸生くんはお気楽すぎる、と言われてふられたことがある。三十代はなおさらだよなぁ。

 ああ、歳をとるってやだやだ。現実がのしかかってきて、永遠の少年でなんかいられやしない。
 ねえ、シゲさん、俺もあなたみたいな男だったらよかったと思うよ。章は論外、乾さんは異人種だけど、本橋さんとシゲさんはある意味、俺の理想のまっとうな男像なんじゃないかな。

 愛した女性にプロポーズして、ごく尋常に結婚へと進む。疑いなんかみじんも抱いていないでしょう? 本橋さんは置いておくとしても、シゲさんは純粋に女性と愛し合い、家庭を作って子どもを持ち、私生活では夫として父として生きている。それっていいものだなぁ。

 単純に、いいないいな、俺もそうしたいな、でもないだけに、シゲさんがうらやましい。俺にだってやろうと思えばできなくもない暮らしのはずだけど、どこかが、なにかが、ほんの半歩ほどちがうから、シゲさんみたいには生きられない。

 ミュージシャンなんだもの。俺は平凡な幸せなんかいらないのさ。
 ロッカーは結婚しちゃいけない、という主義の男もいるが、俺のは主義というほどでもない。俺はロッカーじゃなくて、半端なシンガー。かっこつけて決まるかっこよさも持っていない。

 だから、こんな歌を流してしみじみしてみたりするんだよ。

「心が忘れたあのひとも
 膝が重さを憶えてる
 長い月日の膝枕 煙草ぷかりとふかしてた

 憎い恋しい 憎い恋しい
 めぐりめぐって今は恋しい……」

 煙草に火をつけて小さく吐息をつく。外は小雨。耳を澄ませば雨音に混じって、誰かの足音が聞こえてくるような、そんな夜。

 雨々ふれふれもっと降れ。私のいいひと連れてこい。
 ……いいひとって誰だよ? 朝緒さん? こんな雨の夜に女性が訪ねてきてくれる妄想よりは、俺が行きたい。でも、彼女と俺はそんな関係にはなっていないから、一歩を踏み出すべきなのか。

 でもでも、これって恋?
 いつものように気軽には動けない、だからこそ、これは恋?

END









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いろはの「ゑ」part2

ショートストーリィ(FSいろは物語)

いろはの「ゑ」

「ゑひもせず」

 同業者、ギタリスト、とはいっても彼はスタジオミュージシャン、僕はバンドマンだから接点はあるようでいてそれほどでもない。友達でもないので結婚式にも招待はされなかったが、会ったときに言ってみた。

「種田くん、結婚したんだってね。おめでとう」
「ああ、レイ、ありがとう」

 僕らのバンド、レイラのメンバーは全員、国籍不詳のニックネームだけを名乗っている。僕の本名も知らないで、レイはレイでしかないと思っている、というよりも、あいつの本名はなんだっけ? などと意識もしていない人間が大半だろう。

「お祝いもしてなかったから、おごるよ」
「祝ってもらうほどでもないけどね」
「結婚ってめでたいんだろ」
「めでたいんだろうな」

 醒めたもの言いだ。
 それでも、酒をおごると申し出たのは断られなかった。種田は酒が好き。年のころなら三十くらいか。やや太目で背の低い男だが、彼はプロデュース方面にセンスがあるらしく、アイドルの売り出しに関わったりもして収入が多い。

 そのせいか、彼はもてる。世の中不公平なもので、女のほうが得だよな、と言う男もよくいるが、ルックスがよくない場合は断然、男のほうが得だ。

 敏腕プロデューサー、収入最高、という男も女もけっこういるが、たとえばあのアイドルグループを出世させた女性……彼女だってものすごく収入がいいはずだが、もてない。寄ってくるのは金目当ての男ばかりよ、と嘆いていた。

 気のもちようってやつもあるのかもしれない。男のほうがその点、割り切れるのかもしれない。男はこっちが好きだったら、女のほうは金目当てだったとしてもそれでもいいと思えるが、逆の場合は女のプライドが許さないだろうから。

 最近の若者はそうでもなくなっていると聞くが、性的、恋愛的には男と女はちがうよなぁ、と、僕も二十数年生きてきて実感するようになっていた。

 なんだか種田がつまらなそうなので、つまらなくなくなるようにと、妹のユイを呼び出すことにした。ロックギタリストの妹のくせして、ユイはロックが嫌いだと言う。男嫌いでもなさそうだが、二十歳をすぎても私はユニコーンが呼べるんだとイタイ台詞を言ってのける。すなわち、処女だってこと? 嘘だろぉ? とは僕も思うが、いくら兄でもたしかめられないわけで。

 ミュージシャンには面白い男は多いので、私は客寄せユイじゃない、と文句をつけながらも、ユイは僕の呼び出しに応じてくれる。今夜も仕事を終えて暇だったらしく、出てきてくれた。

「種田さん? はじめまして。ご結婚おめでとう」
「あ、ああ、ありがとう。レイの妹さん? 商社で働いてるんだって?」
「ええ」

 まったく僕の妹らしくもなく、ユイはいわゆる女性エクゼクティヴ候補生だ。その上に美人だから、彼女があらわれると男たちの目が輝く。僕の知人ミュージシャンはこぞってユイを口説きたがり、ユイは上手に身をかわす。ユイも口説かれるのを楽しんでいると見えるが、決して流されない。

 外見は似ていなくもないが、僕はたいそう背が高く、ユイは小柄なほうだ。女の背が低いのは難点にはならず、こういうタイプが好きだという男を引きつける。白けていた感じの種田も、ユイがやってきたらテンションが上がったように見えた。

 ひとつ年下の妹。若くて美人で人当たりもよくて、性格はよくないかもしれないが露骨にはあらわさない。今どきらしい仕事のできる強い女。それでいてぱっと見はソフトで優しい。これでもてないほうがおかしいってもんだ。

「なんだかずいぶん、奥さんをこきおろすのね」
「本当のことだからね。ってか、こきおろしてるつもりはなくて、真実を述べてるだけだよ」
「だったらなんで結婚したの?」

 兄妹として同居していた十数年間の、ユイとの間にあったあれこれを思い出しているうちに、ユイと種田の会話は佳境に突入していた。

「種田さんって奥さんを好きで結婚したんでしょ」
「嫌いではなかったけどね。うん、まあ、好きではあったんだろ」
「ただひとりのひとっていうのでもなくて?」
「他にも女はいたけどね」
「……何人もの女性の中から選んだの?」
「彼、もてるんだよ」

 横から僕が口を添えると、ユイは納得顔でうなずいた。種田が何者なのかはユイも知っているから、あながち社交辞令でもないだろう。

「女性のほうがほっとかないっていっても、種田さんのほうは興味なかったとか?」
「全部の女に興味があったわけじゃないけど、何人かは気になる女もいたよ」
「その中から選んで奥さんと結婚したんでしょ? やっぱり奥さんは特別なひとなんじゃない?」
「特別っていえばね……」

 どことなく夢見がちな瞳になって、種田は言った。

「特別な女はいたんだよ」
「奥さんじゃなくて?」
「当然だろ。奥さんじゃなくて……」

 モデルの……と言いかけて、種田はふっと笑う。モデルのリラか。典型的、類型的モデルらしいルックスのリラというハーフ女が、さりげなく種田にアプローチしていたのは、周知の事実だった。

「誰も知らないと思うよ。彼女のほうも俺に好意を持っていてくれるみたいだったけど、シャイな子だからあからさまなことはしない。気づいてるのは俺だけかな。こう見えて俺はそういうのは聡いんだ。リラ……いや、モデルのその子はさ……名前は言わないけどね」

 言ってるじゃないか、僕はひそかに失笑したが、思わず口から洩れてしまったということか。

「ツンデレっていうのかな。俺に恋してるくせにつんけんしちゃって、ふたりきりだとちょっとだけでれっとなるんだ。彼女はおバカタレントみたいなポジションにいるから、頭が悪いふりをしてるんだよ。頭が悪い奴に頭のいいふりはできない。してもじきに馬脚をあらわす。けど、頭のいい奴に悪いふりはできるんだね。芸能界にはよくいるんだよ」
「なるほど」

 うん、まさしく恋は盲目だ。

「本当の自分は見せたくないってのか、そんなところがけなげでさ。俺は陰で彼女をバックアップしていた。そうしているうちには俺も彼女に気持ちがかたむいていってたんだけど、彼女は誰かと結婚して妻になったり母になったりするような女じゃない。誰かひとりのものになるような女じゃない。俺は彼女はそっとしておきたかった。そういう男もいるんだよ。本当に好きな女はそっとしておいて、現実は現実として女房をもらったんだよ」
「そんなだったら結婚する必要はなくない?」
「こんな業界でも、結婚してるほうが信用が置けるって考えるやからもいるからね」

 どこまで本気で言っているのか知らないが、種田は酒よりもそんな自分に酔っている口ぶりで言っていた。ユイに言っているのだから、そんな俺ってかっこいいだろ、アピールなのかもしれない。

「ひねくれたふりもしていたけど、彼女はほんとはいい子なんだよ。あのルックスのよさにだまされて、中身も現代っ子そのもののドライな女だと思ってる奴ばっかだけど、古風なところもあるんだ。それでいて妖精みたいな透明感もある。打算だの計算だののない子なんだね。彼女が俺とふたりっきりのときに話してくれたんだけど、子どものときにはピアノを習っていて、天才じゃないかと騒がれたんだってさ。そういうところも俺とは話が合うのかな」

 その上に、絵と作文でも賞をもらったことがある。読書感想文コンクールで優勝したり、中学生書道大会でも特選を受賞したりした。僕もリラがそんなことを言っていたのを聞いた。

「謙虚な子だから、俺にしか言わないんだよ。それだけ心を許してるんだよな。俺は兄貴気分になっちまってね、この子だけは汚い水に染まらないように守ってやりたいと思った」
「だったら結婚すればよかったのに」
「ユイちゃんも綺麗な顔に似合わず世俗的だな。言ってるだろ。あの子は人の女房におさまるような女じゃない。俺がひとりじめしたら損失だよ」
 
 だからね、と種田はしめくくった。

「世間的には俺みたいにもてまくった男が結婚した相手が、特別な女だって思い込みがあるみたいだね。そういう奴もいるだろうさ。でも、俺はこんな男なんだ。特別な女は特別として取っておいて、結婚するのは通俗的な現実の女。そのほうがいいんだよ」
「ふーん」

 自分に酔った勢いで、種田は酒にも酔ってきている。ユイはしらっとしていて、僕もちっとも酔えはしない。店を出ると種田は上機嫌で言った。

「ユイちゃん、俺に惚れるなよ」
「ご心配なく」
「どうしてもって言うんだったら、抱いてあげるくらいはいいけどね」
「ユイ、帰ろう」

 放っておくとユイが種田を殴る恐れもあったので、僕は妹の手を引いた。

「おやすみ」
「ええ? レイが俺に抱いてほしいのか? 悪いけどその趣味はないよ。リラんとこ行こうかな。リラはどこでなにしてるのかな? いや、やめておこう。今夜の俺はちょっとおかしくなってるから、リラに迫られたら抱いてしまうよ。そんな罪つくりなことは……」

 そこに突っ立ってうだうだ言っている種田をほっぽって歩き出し、僕はユイに言った。

「僕にも独自の情報網ってのはあって、世間に出回っていない話も聞くんだよ」
「なんのこと?」
「リラ、できちゃってるらしいな。近くできちゃった婚の発表があるはずだよ」
「リラって……種田氏の……?」
「そうだよ。言わないとか言って、名前を連呼してただろ」

 突っ立ったままでまだうだうだしている種田を振り返り、ユイは非難口調になった。

「言ってあげないの?」
「いやだ。僕は無用に他人に憎まれたくないよ」
「気の毒……っていうのかな」
「種田が? いや、愚かっていうんだ」
「レイらしいセリフだね」

 もっと若かったころ、思い込みから恋をしていた女の子に忠告してあげたことがある。彼女が恋していた男の本性は、男たちは知っていたから。

 そうして僕が憎まれた。彼がそんな男のはずないでしょ。レイは彼に嫉妬してるのよ。あげく、レイのせいで彼にふられた。
 あんな奴にはふられてよかったのに……ってさ、僕も他人のことは言えないが、女の子をだましたりはしない。レイそのまんまの僕に惚れる女はいくらでもいるんだから。

 その経験上、僕は誰かの思い込みで曇った目を覚まさせようなんて思わない。「恋は盲目」はある意味幸せで、あれはあれで純情さもある奴なんだなと、種田を微笑ましく思えるから。

「酔えない酒だったよな。ユイ、もう一軒行く? それとも、僕んち来る?」
「レイのおかげで普段の私は知り合えないような人種と話せるから、いい勉強になるわ。酔えなくてもいいんだ」

 この台詞もまた、ユイらしいものだった。

END








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花物語2017/5「ブーケのカスミソウ」

ショートストーリィ(花物語)

ぶーけ
花物語2017

五月「ブーケのカスミソウ」

 大きくなったら学校の先生になる!!
 本人の佳澄のみならず、父も母も祖父母も、疑いもなくそう信じていた。

 父は小学校の校長で、母は小学校教諭。母が新米教師時代に研修を受けた際に、父が講師をつとめていたのだそうだ。父と母には十四歳の歳の差があり、父は母の師匠的な立場だったので、夫婦間にも格差があった。

 祖父母にしても、父方の祖父は中学校教諭、祖母はもと保母、母方は祖父も祖母も高校教師と、全員が教育者である。そんな家庭に育ったのだから、佳澄の将来の希望が「先生」となるのも無理からぬことだったのだろう。成績が良くないと先生にはなれない、という大人の教えには納得がいったので、佳澄は勉強家でもあった。

「お母さん、今日は授業参観だよ。来るって約束したじゃない? どこ行くの?」
「急いでるのよ。話はあとで」

 授業参観は平日に実施されるのが通例だ。よそのお母さんにも働く主婦はいるが、たいていは仕事を休んで参観に来る。小学校高学年ともなると、参観になんか来なくていいのに、と口では言う子もちらほらいるが、本音は来てほしい。教室のうしろに母の顔があると嬉しいものなのだ。

 が、佳澄の母は参観になど来たためしがない。保育園から小学校まで、たまさか祖母が来てくれたこともあるが、毎年佳澄の母は欠席だ。教師との個人面接や三者面談にだけは、時間の都合をつけてそそくさとやってきては、またそそくさと学校に戻っていくのだった。

「どこ行くのよぉ。参観には行かないの?」

 大急ぎで出かけていった母のうしろ姿に声をかけても、もう届かない。今日は朝から二時間通常の授業をして、三時限と四時限が保護者の授業参観。午前中だけで授業が終わる。参観に間に合うようにしてくれるんだろうか。口をとがらせている佳澄に、父が言った。

「昨日、母さんのクラスの子どもが万引きをしたらしいんだよ。母さんは今日は佳澄のために有休をとっていた。小学校六年生になったんだから、一度は参観にも行くべきだってね。しかし、担任しているクラスの子が万引きをしたんだから、学年の担任全員で会議をすることになったんだそうだ。教師としては一大事なんだから、佳澄は我慢しなさい」
「そんなぁ……」
「人には辛抱が第一、いつも言ってるだろ」

 だったらお父さんが来てよ、とは言っても無駄だ。父も身支度を終えて出かけていき、佳澄もとぼとぼと通学路をたどった。子どものことは母親がするのが当然。どうして僕が佳澄の世話をしなくちゃならないんだ? 母さんにできないならおばあちゃんに頼めばいいだろ、が父の持論なのは、佳澄だって知っている。

 人には辛抱が第一、という父の好きな人生訓をもって育てられたのだから、佳澄は我慢強い子になったのだろう。母は我が子よりも教え子が優先。父は仕事がすべて。そんなの当たり前だよ、と四人いる祖父母たちも言う。我慢って美徳なのだもの。佳澄は我慢のできるいい子だね。

「では、班分けをします。どうやって分けましょうか」

 参観日は無事に終了し、五月になってゴールデンウィークも終わると、間もなく修学旅行だ。クラスはその話題で持ちきりとなり、先生が児童たちに提案を求める。仲良しの友達と同じ班になりたい、との意見が圧倒的だったので、教師も受け入れてくれた。

「はーい、決まりましたか? ん? 佳澄さんはどうしたの?」
「あ、佳澄ちゃん、ここにおいでよ。うちはひとり足りないの。佳澄ちゃんが入ったらちょうどいいよ」
「う、うん、はい」

 誰かさんと誰かさんと誰かさんと、一緒の班にしよう!! ざわめいて盛り上がっているクラスメイトたちに置き去りにされた気分でいた佳澄を、琴絵が呼んでくれた。ええ? 佳澄ちゃんも? えええ? などとこそこそ言っていた他の女の子たちも、おおっぴらに佳澄を排除しようとはしなかった。

 それまでは班分けとなると、出席番号順だの席の近い子同士だのという決め方がもっぱらだったので、好きな子同士となるともめごとも起きかねない。わりにスムーズに決まったので、教師も安堵している様子だった。

 一泊二日の日光への旅。自由時間には班ごとに地図を片手に自由行動をする。佳澄ちゃんもおいで、と呼んでくれた女の子、琴絵はもとからリーダー格で、彼女がなんでも決めててきぱき動くのだから、佳澄の班はなにをするにもなめらかに行動できた。が、突然事件が勃発した。

 バスから降り、ここからは東照宮まで歩くことに決定した。六人で歩いていたその道中である。今にも雨が降り出しそうになっていたせいか、他には人通りはない。佳澄は皆からやや遅れて歩いていたのだが、みんなが騒いでいるほうへと駆け寄った。

「琴絵ちゃん、大丈夫?」
「どうしたの? おなか痛いの?」
「どうしよ。誰かケータイ持ってない?」
「ケータイは禁止だもん。持ってないよ」
「琴絵ちゃんっ、しっかりしてっ!!」
「マナが泣くなよっ」

 リーダーがしかめっ面でうずくまってしまったのだから、他の子たちはパニックである。修学旅行のルールではケータイは持参禁止。見回してみても公衆電話のボックスも店もない。通り過ぎていくのは観光バスばかりで、四人の女の子たちは泣きそうになっていた。

「おーい、おーいっ!!」

 こうするしかないと判断して、佳澄は道路の真ん中に立って両手を挙げた。大きく手を振り回す。無視して走り去っていく車やバスがほとんどだったが、一台の観光バスが留まってくれて、中から中年女性が降りてきた。

「佳澄ちゃんっているのかいないのかわからなかったけど、役に立ったね」
「佳澄ちゃんが班にいてくれたよかったね」
「佳澄ちゃん、ありがとう、あなたのおかげで琴絵は助かったのよ」

 観光バスから降りて来たのはベテラン添乗員の女性だった。道路で手を振っていたのが子どもだったからこそ、彼女がバスを止めてくれたのだ。添乗員さんが的確に処置してくれたので、琴絵は大事に至らずにすんだ。琴絵のおなかがどうして痛くなったのかについては、教師は詳しくは話してくれなかったが。

 中学生になっても高校生になっても大学生になっても、アルバイト先でも、佳澄はいつだって小学校のころのままのポジションだ。ああ、佳澄ちゃん、いたの? あ、佳澄ちゃん、お願い。はー、佳澄ちゃんがいてくれて助かった。ずっと誰かにそう言われてきた。

 自己主張をしないのは、人には辛抱が第一、の父の主義で育てられたからだろうか。我慢は美徳、と祖父母も佳澄を褒めてくれたからか。佳澄はいい子だね、と母も言ってくれた。

 今日は琴絵の結婚式だ。小学校の修学旅行以来、琴絵と佳澄は仲良くしている。大学を卒業したばかりの佳澄の交友関係の中では、琴絵がトップを切ってゴールインした。

「これ、佳澄の花だね」
「ああ、カスミソウ?」
「ブーケには必ずといっていいほど入ってるよね」

 アルバイト先で知り合ったひとつ年上の先輩を、佳澄が琴絵に紹介した。俺、琴絵ちゃんとつきあいたいな、と彼が言い出し、佳澄がふたりの仲介をした。私、もしかしたら彼を好きだったのかな、と感じるようになったときにはすでに遅く、琴絵ちゃんにプロポーズしたんだ、との彼からの報告を受けた。

 ゴージャスなウェディングドレス、華やかな大輪の花を集めたブーケ。白いカスミソウが花々を縁取っている。どんな花とも相性のいい白い小さなカスミソウ。自分を主張せず、誰の邪魔にもならずに引き立てて、それでいてとても役に立っている。複雑な気分で佳澄は思う。

 いろんな意味で私に似た花なんだな、カスミソウは。
 幼いころの将来の夢、学校の先生になる!! はかなったんだから、これからはクラスの児童たちをまとめる、カスミソウみたいな存在になろうと、佳澄は決意した。


END








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はーい、ユキちゃんでーす。本橋真次郎、乾隆也、本庄繁之、木村章、そして、私、三沢幸生からなる五人のフォレストシンガーズストーリィを、ぜひぜひ読んで下さいませませっ。我々五人と山田美江子、小笠原英彦のメインキャラに加えて、他にもいろんなひとが登場しますが、ストーリィはすべてつながっていますので、どれかから読んでいただいて興味を持ってもらえたら、他のも読んでね。そして、別小説もあります。読んでいただけましたら、コメントなどいただけると最高に嬉しいです。よろしくお願いします。

quian

Author:quian
フォレストシンガーズ
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