茜いろの森

フォレストシンガーズ、本橋真次郎、乾隆也、本庄繁之、三沢幸生、木村章、そして山田美江子、小笠原英彦。メインキャラに加えて、その他大勢登場する連作短編集がメインです。フォレストシンガーズ以外の小説もあります。

はじめていらして下さった方へ❤

内容紹介

ようこそいらっしゃいませ

はじめて「茜いろの森」をご訪問して下さった方、
ありがとうございます。
当ブログのコンテンツのようなものについて、説明させていただきます。

「NOVEL」と番外編はフォレストシンガーズ小説で、
全部がつながっています。
フォレストシンガーズの五人、
本橋真次郎、乾隆也、本庄繁之、三沢幸生、木村章。
及び、山田美江子、小笠原英彦。

メインとなるのはこの七人で、
彼らとどこかしらでつながりのある人々が、
別の物語になって動いていたりもします。

フォレストシンガーズキャラクター相関図」も、お粗末ながら作ってみました。

番外編はフォレストシンガーズ以外のキャラが主役、
のはずだったのが、
いつしか妄想ストーリィメインになりました。

「未分類」は言い訳、ご挨拶、お願いなどなど。
「FOREST SINGERS」には第一部からの完了記念企画やら、
著者が彼らに書かせたエッセイやら(そうなんですよ)を載せています。

「内容紹介」はあらすじ、タイトルの曲名説明、
などなどです。

「ショートストーリィ」は、茜いろの森の小説は長すぎる、とおっしゃる方のため、
はじめてご訪問くださった方に、おためしで読んでいただくための、ごく短い小説を置いています。
ただいまのところ「ショートストーリィ」カテゴリには、musician、しりとり、などがあります。
興味を持って下さったら、メインのフォレストシンガーズノヴェルも覗いてみて下さいね。

「別小説」は同人誌仲間と書いたリレー小説の番外編、友人のクリエストで書いた小説、
私が昔から書いているフォレストシンガーズではない小説もあります。
そっちにもフォレストシンガーズの誰かが顔を出す場合もあるのは、
著者の趣味です。

そこから独立した、グラブダブドリブやらBL小説家シリーズやら、リクエストいただいて書いた小説などもあります。
BLとはそう、あれ、BL小説家の桜庭しおん作の過激な小説が作中作として出てきますので、お嫌いな方はくれぐれもごらんになりませぬよう。

他にもBLがかった物語もありますので、そういう場合は「注意」と赤字を入れておきます。

「共作」はまやちさんとの共作。
「連載」は私も連載をやってみたくてはじめた、ロックバンドの物語です。
ひとつひとつがおよそ1000字ほどですので、お気軽に入っていってやって下さいませ。

「お遊び篇」は、またややこしくて、
えーと、つまり、フォレストシンガーズストーリィのキャラたちが名前はそのままで、
別人になって別世界に生きている物語です。
すみません。

「リレー」カテゴリもあります。
その他、これからも増やしていく予定であります。

こんなアンケートを作りました。同じものがトップページにもあります。
できましたら投票して下さいな。楽しみにしております。














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どれから読もうかな? の方へ・追伸

内容紹介

フォレストシンガーズについて、などなど


四年ほど前に私の頭の中に生まれてきたアキラ。
「俺はもとからいたんだから、生まれてきたんじゃないんだよ」
と、本人は主張しておりますが。
本人の主張はさておき、アキラが生まれてきたおかげでフォレストシンガーズが誕生しました。

凝り性で、そのくせ飽きると離れていってしまうという著者が、唯一、何十年も飽きずに凝りまくっているのが「小説を書く」ということ。

昔は投稿したり、紙の同人誌を作って発表したりしていました。
この時代になって、ホームページを作ろうかと思い、むずかしそうだから避けていて。
そんなころにフォレストシンガーズの小説を書き溜めていましたので、そうだ、ブログで発表しよう!! と決めたのでした。

そうしてフォレストシンガーズメインの「茜いろの森」を創設してから約二年半。
最近はグラブダブドリブ、ジョーカー、しおんとネネのシリーズや連載。
ショートストーリィなども書いてはいますが、やはりメインはフォレストシンガーズです。

「茜いろの森」をご訪問下さった方で、フォレストシンガーズってなに? と興味を示していただけた方は、「内容紹介」、「forestsingers」カテゴリをお開き下さいませ。
All title list(作品数が多いので、2ページになっています)の中にあります。

そのカテゴリの中の「こんなお話です」に目を通していただけると幸いです。

小説でしたら、ショートストーリィ(musician)の中のフォレストシンガーズ物語、一話~七話までをお読みいただけるのが、いちばん最初でしたら最適かと思われます。
フォレストシンガーズストーリィ1-第一話「はじまり」

どれから読もうかな? の方へ
「The Chronicle・ショートバージョン」
もわりあい短めです。

長くてもいいとおっしゃる方には、「The Chronicle」全11話のロングバージョンもございます。
小説200(The Chronicle)第一部

その他にもフォレストシンガーズストーリィはあちこちに散らばっております。
お急ぎでない方は「あらすじ」なども見ていただいて、お好みに合うストーリィを見つけていって下さいませ。

みなさまのアクセスや拍手、コメントなどは著者の最大の喜び、励みでございます。
変なコメント(変というのは種々ありますが)でない限りは必ずお返事させていただきます。
URLを残していただければ、コメントを下さった方のブログにも遊びにいかせてもらいますねー。

さて。
いついつまでもブログを続けていきたい、というのが私の最大の希望でもありますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。
こんなミニアンケートにも、よろしかったらお答え下さいね。




2013/8月
津々井茜



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どれから読もうかな? の方へ

内容紹介

2011/5/28

「The Chronicle・ショートバージョン」

**はじめに

 長い「The Chronicle」をブログにアップしてから、考えました。
 はじめてフォレストシンガーズストーリィを読んで下さる方は、「The Chronicle」から読んでいだけるといいな。彼らの大学一年生から三十歳までの物語だから、ちょうどいいな。
 でも、最初に読んでいただくには長すぎるかも。
 ならば、ショートバージョンを書こうと決めて書いたのがこのストーリィです。「The Chronicle」の抜粋ではなく、エッセンスを抽出して短くまとめたものですので、長いのも短いのも両方読んでいただけると嬉しいです。
 このストーリィを読んでフォレストシンガーズに興味を持って下さった方は、「The Chronicle」本編もぜひどうぞ。もちろんその他のたくさんたくさんあるストーリィも、読んでいただけると嬉しくて嬉しくて、著者は舞い上がってしまいまする。

 なお、これでも長いだろ、とおっしゃる方には、さらに短いのもあります。
フォレストシンガーズストーリィ1-第一話「はじまり」
ここからスタートする七つのストーリィも、よろしくお願いします。

 ではでは、ショートバージョン、お楽しみ下さいませ~。



1・真次郎

 七つも年上の兄貴たちに育てられた十八歳の暴れん坊が、桜の花なんて気にしているわけもない。あのころの俺は桜なんて見てもいなかっただろうけれど、この季節になると思い出す。あの日もこうして桜が満開に咲き誇っていた。
 桜吹雪と聞くと遠山の金さんを思い出す俺にも、自分自身の桜吹雪の思い出はある。大学の入学式、俺の運命を決めた日。大仰に言えばそうだったのかもしれない。
 空手家で双生児の兄貴たちに反発したいためもあって、俺はスポーツ嫌いだった。好きなものはたくさんたくさんあれど、中では音楽がもっとも好き。ピアノも好きでクラシック音楽も好きだったのだが、オーケストラなんて俺のガラじゃねえや、だった。
 サークルに入ろうとして迷った末に、俺は合唱部を選んだ。新入生勧誘パフォーマンスで歌っていた女性たちの美しい声や、当時の女子部キャプテンの美しい容姿に魅せられたせいもあった。
 飛びこんでいった合唱部の部室で、先輩の星さんに会った。彼の人柄に惹かれて、入部してから触れ合った男子の先輩たちにも惹かれていって、俺は強く強く合唱部に傾倒していく。歌というものにものめり込んでいく。
 それからもうひとつ、同級生との出会いもあった。東京生まれの俺がこの大学に入学し、合唱部に入部しなかったとしたら、おそらくは会わなかった乾隆也だ。
「乾、本橋、おまえたち、夏のコンサートでデュエットをやれ」
 キャプテン高倉さんのその命令が、俺たちを結びつけた。いや、高倉さんの言葉がなかったとしても、俺たちは特別な仲になっていただろう。男同士で特別とは気持ちが悪いのだが、そうなのだからどうしようもない。
 金沢生まれの乾と俺、運命論も俺のガラではないけれど、そんなこともあるのかなぁ、と今になれば思う。それからそれから、もうひとり、彼女との出会いはまちがいなく、俺の運命を変えた。
「綺麗だねぇ。あれから何年たつんだろ」
「あれから何年なんて振り返るのは、年を食った証拠だぜ」
「だけど、このシーズンには思い出すでしょ」
「うん、まあ、そうだな」
 近所では一番豪壮な邸宅の塀ごしに、ゴージャスな桜が咲きこぼれている。まるで秀吉が愛でた醍醐の桜のよう……俺はそんなものはこの目で見ていないのは当然だが、こんなだったのだろうと思う桜だ。そんな桜を見上げて、俺は妻と会話をかわす。
 あれから何年、その何年とは、おまえとおまえと出会ってからの歳月と一致する。おまえ、とは乾と美江子だ。美江子とは「あれ」がいつなのかをわかり合っている。仲間たちとの出会いと、美江子との出会いがあって、今、俺はここに立っている。


2・美江子

 母校のキャンパスの花壇には、ポピーの花が並んで咲いていた。
「可愛いチューリップの花ですね」
「……あのね、三沢くん」
「はーい」
 咲いた咲いたチューリップの花が、三沢くんが歌う。十八歳の男の子がそんな可愛い声を出す? キミのほうが花よりも可愛くて、声だけだったら幼稚園児の坊やみたい。顔を見ても中学生みたい。ふたつ年下の三沢幸生を見つめていたら、吹き出して笑い出した。
「美江子さん、なにがそんなにおかしいんですか。そんなに笑わないで」
 笑いすぎて涙が出てきたら、三沢くんは私の背中をとんとん叩いてくれた。
「美江子ちゃーん、泣いたら駄目よ。べろべろばー」
 今、ここにいるのは、その三沢幸生、最年少の大学二年生。彼に較べるとずいぶんとお兄さんに見える、本橋真次郎、乾隆也、彼らは私と同い年の大学四年生だ。そして、大学三年生の小笠原英彦と本庄繁之。五人がキャンパスに集まって、本橋くんが私に正式に紹介してくれた。
「フォレストシンガーズだ。決定したよ」
「……うん」
 詳しくなんか言ってくれなくてもわかる。大学の男子合唱部で知り合った五人が、ヴォーカルグループを結成した。私も話は聞いていたけれど、正式に決定したから改めて紹介してくれたのだ。
「三沢くん、覚えてる?」
「覚えてるってどれですか? あの樹の陰で美江子さんとキスしたこと? むふふ」
「おー、三沢? おまえ……美江子さんと……このぉ」
「きゃああ、小笠原さんっ!! 許してっ!! だって、愛し合ってるんだもんっ」
「許さない。待て」
 逃げていく三沢くんを、小笠原くんが追いかけていく。本庄くんはきょろきょろしてから、私にもの問いたげな目を向ける。乾くんは笑っていて、本橋くんが質問した。
「山田、おまえ、ほんとにあんなガキとキスしたのか?」
「そうじゃなくて、この花壇に咲いてた花よ」
「花なんか咲いてたか?」
「春には咲いてたでしょうが」
「そうだったかなぁ」
「あのへんにはどんな花が咲いてたか、覚えてる?」
 冬枯れの花壇には花はなく、本橋くんと本庄くんは悩んでいる。乾くんは言った。
「花壇なんだから花はあるよ。春の花だったら……あのあたり? ポピーだったな」
「さすが乾くん。花の名前も知ってるし、記憶力もいいよね。本橋くんや本庄くんも見習いなさい」
「はい、すみません」
 本庄くんは素直に答え、本橋くんは言った。
「歌詞は覚えないといけないけど、男は花の名前なんか知らなくていいんだよ」
「でも、本橋さん、歌には花が出てくるでしょ」
「俺は出さないからいいんだ」
 ポピーの花が咲いていたころに知り合った、大学一年生だった三沢くん。二年近くがたっても、彼の声は黄色くて、小笠原くんにつかまえられてきゃあきゃあ悲鳴を上げている。
 なんでおまえは花の名前なんか知ってるんだ、と本橋くん。乾さんのおばあさんは、お華の先生だからでしょ、と本庄くん。ポピーくらいは常識だろ、と乾くん。そんな五人で、歌の道を歩き出すんだね。私も一緒に歩いていく。
 きっと近いうちには、あなたたちはプロになる。私はあなたたちのマネージャーになる。目の前にはお花畑が広がっている。未来をそう考えれば、頬を刺す冬の風までが、あたたかく感じられた。


3・隆也

 アマチュアながらも、ノーギャラながらも、仕事をさせてもらって泊まらせてもらった海の家の庭に、朝顔の花が揺れている。青や紫の暗い色ばかりで、朝から俺の気持ちも暗くなりそうだ。
「……暗い色合いだと思うから暗く感じるんだ。暗いんじゃなくて爽やかで清々しい色の花だと思え、隆也、気は持ちようだ。ものは考えようだ」
 山田、本橋、乾が大学を卒業してから一年余り、今年は一年下の本庄シゲ、小笠原ヒデも卒業した。三沢幸生は大学四年生。俺たちはいまだアマチュアだ。
 プロになるための道は険しくて、真夏の朝に海辺にいても心は浮き立たない。一昨年までは別の海辺で大学合唱部の合宿をしていて、あのころはひたむきに楽しかったのに、俺の青春は卒業とともに終わったのか。
 暗くばかり考えてしまうのは、ヒデがいなくなってしまったから。ヒデは結婚するからと言って、梅雨のころにフォレストシンガーズを脱退してしまった。
 一年生の年にだけ合唱部にいて、大学をも中退してロックに走っていた木村章は、幸生とは仲良くしていた。シゲやヒデとも親しくしていたらしいが、本橋や俺は章とはほとんど交流もなかった。その章を幸生が連れてきて、強引にフォレストシンガーズに参加させた。
 であるから、人数的にはフォレストシンガーズはもとに戻っている。それでもそれでも暗いのは、章が俺を嫌っているから? 俺が悪いから? あいつだって悪いだろ。
 章は彼女のスーちゃんと喧嘩ばかりしていると言う。喧嘩はするのが当然だろうが、彼女と彼は暴力沙汰の喧嘩になって、章はスーちゃんに殴られて殴り返すという。そうと聞いて説教したのがはじまりだった。
 もてるらしき章は、女性の母性本能をくすぐるのだろう。綺麗な顔をしていて細くて小柄で、反抗的なロッカー。彼は小さな薔薇なのか。美しい外見に引きつけられて寄っていく女は、刺にさされて傷つく。女性が守ってやりたいと感じる男の章は、時に牙を剥く。
「あいつは弱気で寂しがりなんですよ。そんなところを隠したくて反抗的になったり、女にばっか強く出たり、実は最弱軟弱脆弱柔弱……」
「幸生、そのへんでいいよ」
 弱のつく単語を並べ立てようとする幸生を、途中でさえぎったこともあった。
 女に暴力はふるうし、遅刻はするし、説教するとふてくされるし、リーダーに殴られるとふくれるし、その上にその上に、あろうことか、ファンの方につっけんどんにする。あまつさえ、突き飛ばしたりもする。あのときは俺は章の頬を軽く張り飛ばした。
「あいつはフォレストシンガーズのファンじゃなくて、ジギーのファンだった女ですよ。乾さんには関係ないじゃん」
 ジギーとは、章がヴォーカリストとして加わっていたロックバンドだ。インディズとしては人気があったのだそうで、章にはそのころからのファンがついている。
「なんであろうとも、ファンの方にそんな態度を取ってると癖になるんだよ。俺たちがメジャーデビューして、支持して下さるファンの方におまえがそんなだと、プロのシンガーとしては最悪だろ」
「ファンなんてうぜえんだもん。それにさ、俺たちがメジャーになるなんて……乾さん……わかりましたから。いやだよ」
 手を上げて顔をかばっている章を、きつく殴る気はなかった。説教だってしたくはなかったのだが、彼は本心からそう思っているのかと、おりに触れては説得してきた。章だってわかっているだろうに、ロッカーらしき反逆心なのか、素直にうなずいてはくれない。
 先輩風を吹かせて説教ばかりするうざい奴。章にはそう思われているのはまちがいない。俺の存在に嫌気が差して、章がフォレストシンガーズを脱退したとしたら……そう思うと気持ちが暗澹としてくる。真夏の朝を俺のグレイの吐息が曇らせていると、幸生の声が聞こえた。
「おはよう。隆也さん、ユキちゃん、キスしてあげようか」
 十八番の幸生の女芝居だ。俺が暗くなっていると察してなぐさめてくれようとしているらしいが、こんななぐさめはいらない。強いて荒々しく言った。
「幸生、おまえ、あの花の名前を知ってるか。まちがえたら罰として、あそこに見えてる灯台までランニングだぞ。言ってみろ」
「あの花? ええとええと……チューリップ、桜、薔薇、菊……他に花ってあったっけ。ええとええと……そうだ、ポピー!! きゃーーっ、乾さんっ、なにをなさるのっ?!」
「ランニングだって言っただろ」
「隆也さんもつきあってくれるの? そしたらね、おんぶして走って。きゃわわーっ!! ひとりで走りますっ!! 先輩ったら怖いんだから。ユキちゃん、そんなことされたら疼いちゃうわ」
「……黙って走れ」
「はいっ!!」
 前を走っていく幸生の髪が朝陽に輝いている。朝顔が幸生と俺を見比べて笑っている。くよくよと考えているよりも、俺たちは走らなくっちゃ。


4・英彦


 暑苦しい花だな、と呟くと、恵が言った。
「夾竹桃。ヒデって花の名前を知らないね」
「男は普通はそうだろ」
 乾さんは別として、シゲも幸生も本橋さんも花の名なんて知らなくて、美江子さんが呆れてたよ、とは口の中で呟く。
 遠い遠い昔の友達なんて、思い出すと虚しいだけなのに、今では気軽に親しくできる男友達がいないせいか。妻と子はいても女友達はさらにいない。友達がいても妻や子はいない男だって多いのだから、俺は幸せだ。
 紫陽花を見ると楽しかった学生時代を思い出すから、あの花は嫌いだ。梅雨がすぎて真夏になり、紫陽花は見なくなったと思ったら、今度は暑苦しい花か。
「濃いピンクは暑苦しいかもしれないけど、白いのはよくない?」
「俺は好きじゃないな」
「たしか夾竹桃って、根だか樹だかに毒があるんだって」
「食うと死ぬのか?」
「そうかもね」
 毒のある樹は食ってもまずいだろう。別に死にたくはないのだから、夾竹桃を食う気もないけれど、最悪、あいつを食えばいいんだな、なんて思って苦く笑った。
 数年前にフォレストシンガーズを脱退して結婚し、子供ができて普通の父、普通の夫、普通のサラリーマンになった。フォレストシンガーズがデビューしたとの噂は聞かないし、シンガーズだって普通の人間なんだから、俺とはなんちゃあ変わりもせんちや、ではあるのだが。
 なのになんだって、俺はこうして鬱々している? 夏の陽射しの中、淡い緑のワンピースを着て、白いパラソルを差した妻はけっこう美人で、妻の押すベビーカーの中の瑞穂は、天使のように愛らしい赤ん坊なのに。
「パパ、買いものしてくるから、見ててね」
「ああ。ゆっくり行ってこい」
 ドラッグストアに入っていく妻を、外で待っている。俺はガードレールに腰かけて、ベビーカーを見つめている。瑞穂がほにゃほにゃと笑っている。可愛いな、おまえは俺の娘なんだもんな。けど、おまえがいなかったら俺は……
 ふっとよくない想いが浮かび、頭を振った。赤ん坊は父親の悪心を感じたのか、唐突に泣き出す。抱き上げるといっそう泣く。ドラッグストアから恵が顔を出した。
「パパ、泣かしたら駄目。ちゃんと見ててよ!!」
 怒鳴られて怒鳴り返した。
「赤ん坊ってのは泣くのが仕事だろ。俺のおふくろはそう言ってたぞ。文句があるんだったらさっさと買い物をすませて出てこいよ」
「もうっ、役に立たないんだから」
 これではまた喧嘩になりそうだ。冷戦になるのか舌戦になるのか。せめて明るい喧嘩だといいな。こうなってくると妻も娘もうっとうしくて、俺は夾竹桃に悪態をついた。
「家出したいよ。失踪したいよ。くそっ!!」
 ベビーカーに戻すと、瑞穂は顔を真っ赤にしていっそういっそう泣き出した。
 

5・繁之


 この花だったら知ってるけど、なんて名前だっけ? 幸生だったらチューリップだと言いそうだが、チューリップではないのは知っている。チューリップは春の花だ。
 アマチュア時代にはこの公園で、五人で練習をしてきた。筋トレやキックボクシングごっこや、ランニングもした。議論もした。コンビニで買ってきた夜食やら、美江子さんがさしいれてくれた手作りの豚汁なんかも食った。
 本橋さんが不良にからまれていた高校生を助けたり、乾さんが女の子をかばったり、章がどこかの男に殴られそうになったり、幸生が泣きそうな顔でブランコにすわっていたり、そんな思い出がたくさんたくさんある。
「俺の書いた曲なんです。乾さん、見て下さい」
「お、書けたか……うんうん……ヒデ、これ、駄目だろ、これは」
「なんでですか」
「自分で考えろ。ほら、ここだよ」
 俺にはできないソングライティングについて、乾さんと話していたヒデの声を思い出す。ここんところは盗作だろ、と指摘されたヒデは、あとから言っていた。
「あのときには乾さんを殴りそうになって、辛抱したんだ。俺、えらいだろ」
「アホか。当然だよ。盗作だって言われて怒って、乾さんを殴ったりしたら、俺が許さんからな」
「……おまえにやり返されたら俺は死ぬから、やらんでよかったな」
 がははっと笑った声までも思い出した。
「とうとうデビューしたんだよ。ヒデは知らないだろ? フォレストシンガーズなんて名前、どこにも出てないもんな。でも、もうじき各地のFM放送挨拶回りをするんだ。おまえはFM放送のある地域に住んでるのか? 茨城や高知だったら聴けるよな。おまえがどこにいるのかは知らないけど、元気なんだろ? 幸せなんだろ? 結婚したのかな。子供もできたのかな。恵さんって……うん、まあ、美人だよな。おまえも顔は整ってるんだから、可愛い子供だろうなぁ。会いたいな」
 ヒデの子供よりもヒデ本人に会いたい。この花、なんて名前だ? ヒデに質問したい。ヒデもきっと知らないだろうから、乾さんと美江子さんにも来てもらおう。花の名前はどうでもいいから、本橋さんと幸生も呼ぼう。章は、呼ばないほうがいいんだろうか。
「みんなで言うんだよな。幸生は言うんだよ。チューリップ? あいつの定番だからさ。本橋さんは薔薇だって言うかもな。そしたら美江子さんか乾さんが……あ? コスモス? そうだったかも。自信はないけどそうかもしれない。誰かが教えてくれたんだ。おまえじゃないだろうけど、ありがとう、ヒデ。コスモスだな」
 自信はないがコスモスだと決めた白や薄桃色の花を見ながら、ヒデに話しかける。繊細で可憐な花だ。俺にもこんな彼女ができたらいいな、ヒデのことばかり考えている女々しい自分が腹立たしいのもあって、コスモスに意識を向けていた。


6・幸生

「悲しくったって、苦しくったって
 ステージの上では平気なの
 だけど、涙が出ちゃう
 だって、ユキちゃん、女の子なんだもんっ!!」

 この替え歌を歌うとシゲさんは脱力し、リーダーはげんこつを固め、章はキックをしかけてきて、美江子さんはため息をつく。乾さんは俺の肩を抱いてくれた。
「そういうタイムリーな歌を歌うな。売れなくて悲しくて苦しいなんてのは、もっと長くやってから言うもんだよ」
「身も心もユキちゃんになっていい?」
「心は見えないから、ユキちゃんになってるんだとおまえが言い張れば、俺もうなずかざるを得ない。身は見えるんだぞ。なってみろ、なれるのか、え、幸生? なれるのか」
「そんなご無体な……」
 変身はできそうにないので諦めて、心だけはユキちゃんになろうと乾さんにくっつく。本橋さんとシゲさんはむこうで、俺たちを見ないように必死で無視しようとしている。章は美江子さんと、虫みたいにちっちゃい花のそばでお話していた。
「俺もやっぱ本物の女性とお話したいなぁ……」
「俺に女になれって言ってるのか」
「乾さんが女になったって……俺の趣味は知ってるでしょ」
「小柄でキュートな美少女だろ」
「そうそう。俺を女の子にしたような美少女ね」
「女性は男装すると十歳若く見え、男は女装すると十歳老けて見えるという。肌の差だそうだな。幸生、不精ひげがはえかけてるぞ」 
 人を現実に立ち返らせる無情な発言をしてから、乾さんは公園のベンチにすわった。
 ここは兵庫県の公園。近隣の人々の憩いの場になっているようで、そぞろ歩くカップルや家族連れや友達連れは大勢目につく。けれども、だあれも俺たちに目を留めてはくれない。俺たち、フォレストシンガーズっていうんだよぉ!! って叫ぼうか。パークライヴをやろうよ。無料だよ。俺たちの歌を聴いて、拍手を、歓声を下さい。
 餓えるほどにそう思う。デビューしてから二年がすぎて、今年も秋になって、いろんないろんな仕事をしてきたけれど、俺たちはまったく認められないまんまだ。
 試行錯誤を繰り返し、多種類の歌のジャンルにチャレンジし、テレビのバラエティ番組に出たり、ラジオに単発で出演したり。そのどれもがフォレストシンガーズの糧にはなっただろうけれど、実を結んではいない。
 乾さんの言う通り、悲しむにはまだ早いと知ってはいるけれど、イベントに出演させてもらって主催者にないがしろな扱いを受けると、へこみたくなる。無名のシンガーって人間じゃないの? 猫だったら不細工でももてはやされるのに、ユキちゃんは可愛くても愛してもらえないんだわ。
 なんてね、こうやって自分の中でもひとり芝居をやって、俺はてめえを鼓舞する。乾さんと美江子さん以外は芝居をやると怒るけど、実はちょっぴり癒されていたりするんでしょ。
「乾さん、あの虫みたいな花、なんて名前ですか」
「紅の虫か。あれはおまえには高度だろうな」
「花に高度や低度ってあるんですか」
「あるんじゃないのか。一般的知名度の高い、おまえでも知っているチューリップや桜から、おまえだと知らなくても普通な萩や竜胆やえのころ草、さらに知名度の低い、イタドリ、ベニタデ、ゲンノショウコ、などなど。知名度レベルでも花は多種に分類できるんだよ」
 それってシンガーになぞらえてる? シンガーとはさかさまに、花は知名度が低いほど高度なのか。俺は今、乾さんが言った花の中から、あの虫のようなちっこい花の名前を探した。
「リンドウかなぁ。ちがう? 萩」
「おまえにだったら推理は簡単だろ。覚えないと意味ないんだぞ」
「はあい」
 我々だって覚えられないと意味がない。しかし、公園でフォレストシンガーズの名を連呼するのは、犯罪に近いのかもしれない。そのためにはどうすればいいのかも、模索しながら歩いていく。それが我らの生きる道?
 これからも俺たちは、シンガーとして高級になるために努力する? 高級とひとことで言うべきなのかどうかもわからない暗い道を、みんなで歩いていく。
 ねえ、隆也さん、頼りにしてるからね。俺はあなたの背中を特に見つめて、一生懸命ついていくよ。どこまでも連れていってね、ごろにゃん。


7・章

 デビューしてから六度目のクリスマス。去年にはシゲさんが結婚し、フォレストシンガーズはほんのちょびっと有名になった。有名になったと口にするのもおこがましいが、デビュー当時から二、三年ほどの真っ暗闇からは抜け出しつつある。
 二十二歳でプロのシンガーズの一員となった俺は、二十七歳になった。愛した女もいるけれど、スー以外の女とはすべてが切れた。スー以外の女はどれもこれもがまやかしだったのだから、切れて後悔もしていないが、心に寒い風が吹く。
 クリスマスのイルミネーションやツリーや、音楽で浮き立つ街で俺はひとり。すこしは売れてきたといっても、ちびの俺がひとりで街を歩いていても、ファンに発見されて騒がれるなんてまずない。そのほうが気楽だけど、時にはこんなこと、ないかなぁ。
 女子大生の集団が俺を見つけ、わーっと取り囲み、サインだ握手だ写真だと騒いだあげくに、その中でもとびきり可愛い子が言う。
「あたしたち、これから女の子ばかりでパーティするの。木村さんも来て」
 五、六人の女の子は全員が、俺の好みの小柄で細身の美人ばっかり。俺は迷惑そうなそぶりをしながらも言うのだ。
「ちょっとだけだったらつきあうよ。ケーキでも買っていこうか」
「木村さんが来てくれるだけで嬉しいの」
「そうは行かないだろ。女子大生のパーティに社会人が手ぶらでは行けないよ。これで好きなものを買えよ」
 札を握らせると、女の子たちは感激して、みんなそろって背伸びして、俺にちゅっちゅっのちゅーっ!! ……ああ、虚しい。
 つまんねえからナンパしようかな。スターになっていない現状の利点は、道行く人々のほとんどが俺を知らないこと。ナンパして釣り上げた女もたいていは俺を知らないから、適当にごまかしてホテルに連れていって寝て、適当にバイバイ。
 乾さんに知られたら叱られるだろう……そう考えてから、あんたもやってんだろっ、と胸のうちで叫び返す。可愛い子はいないかと物色していたら、街角にたたずむ女の姿が見えた。ベージュのコートのすらっとした女は、俺と同じくらいの身長だ。小柄ではないけど、まあ、許容範囲。俺は彼女に近づいていった。
「彼女、ひとり? お茶でもどう?」
 顔が見たいのに、彼女はうつむいたまんまだ。どこかで見た女……有名人かな? 気が逸って気もそぞろになっていた。
「誰か待ってんの? ふられたんだろ。俺とお茶しようよ。メシだっておごるよ」
「……」
「すかすなって」
 苛々してきたので、ちょっとだけ怒らせる手段に出た。
「顔を見せてよ。見せられないってのはブスなんだろ」
「……え……」
「いやいや、ブスじゃねえよな。顔を見せて」
 猫撫で声を出して顎を指でそっと持ち上げる。女は顔を上げてにたっと笑った。
「うぎゃっ!!」
「口裂け女じゃないんだから、悲鳴を上げなくてもいいじゃないの」
「口裂けって……古っ」
 ある意味、妖怪よりも悪い。逃げてもはじまらない相手だからなお悪い。開き直った俺は言った。
「そんなコート、見たことないし、美江子さんだなんて気づきませんでしたよ」
「私は声で章くんだって気づいたから、黙ってうつむいてたの。あなたはいつもこういうことをやってるんですか。お話を聞かせていただこうかしら」
「補導の教師みたいに言わないで」
「食事をおごってくれるんじゃなかったの?」
「美江子さんはデートじゃなかったの?」
 ぎろっと睨まれた。図星だったのかもしれなくて、腕を引っ張られるままになった。
「あれは知ってる?」
「あれって?」
 彼女と腕を組んで歩いているというよりも、教師に腕を取られてどこかへ引きずっていかれる中学生気分。我らがおっかないマネージャーと街を歩くなんて、振り切って逃げたら本橋さんや乾さんに告げ口されるから、逃げるに逃げられない。
 情けなくて返事もしたくなかったのだが、あれって? と彼女の声に反応してしまった。美江子さんが指差す先には、赤と緑の花のような葉っぱのようなものがあった。
「飾りですよね。造花? 乾さんに教わったような……クリスマスの花、クリスマスカラー……なんだっけ。忘れたよ」
「ポインセチアだよ。あんなふうに華やかに……見えてくるの」
 目を閉じて、美江子さんが囁いた。
「あなたたちの将来は、ポインセチアカラーに彩られてるのよ」
「へええ、いいね」
 美江子さんがえらい美人に見える。いや、もともと彼女は美人なのだが、いつだっておっかなさが先に立つ。今夜は優しい気持ちになってくれているのか、彼氏にデートをすっぽかされて不機嫌なのを繕おうとでもして、作為的に優しくふるまっているのか。
 どっちにしても、優しい美江子さんだったら好きだ。クリスマスイヴ当日ではないのだから、美江子さんとデートってのもいいだろう。
「メシ食いにいきます? 酒もいいでしょ」
「いいけどね、章くんはお酒を飲むと潰れるんだから、一杯だけにしなさいね」
 こういうことを言うから、デート気分に水を差すのだ。酒を飲んでいても説教されそうで、俺は美江子さんの腕を静かに静かに、と努力して引き離した。
「急用を思い出しました。帰ります」
「そうなの? ナンパなんかしないようにね」
 うるせえんだよっ!! と怒鳴りそうになったのをこらえて、小走りになる。来年こそはポインセチアのように華やかなクリスマスを迎えたい。優しくて可愛い彼女もほしい。
 今年のクリスマスには間に合いそうもないから、来年こそ、来年こそ、と祈る。俺たちフォレストシンガーズは、ポインセチア程度の知名度を持つシンガーズになれるのだろうか。今年のクリスマスコンサートのチケットは初ソールドアウトだったのだから、近々きっとなれるさ。
 そうと信じていなければ、こんな寒空の下、ひとりで歩いてなんかいられるかよ。きっと俺たち、大物になるんだよっ!!

未完
 



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フォレストシンガーズ人物相関図①

内容紹介

フォレストシンガーズを中心とするキャラクター相関図  
(ver1.大学関係)


修整

以前から相関図モトム、とのリクエストをいただいていました。
このたびも大海彩洋さんからリクエストいただきまして、さあ、どうしよう、と悩んだあげく。

家系図を作れる無料ソフト発見。
ただ、無料の分では印刷もできないし、画像として使えない。
うーん、どうしようかとまたもや迷ったあげく、いい方法を考えてもらいました。

ようやくブログにアップできました。
これはテスト版のようなものですので、簡単すぎてわかりにくいかもしれません。
とりあえず、フォレストシンガーズの五人と大学の仲間たちとの相関図です。

ここはこうしたら? などのご意見があれば、どしどし教えて下さいませね。
お待ちしております。





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FS俳句・短歌・超ショートストーリィ2017/8

forestsingers

2017/8

 細くて長い脚……サイズとしては長くもないけれど、身長のわりには長いじゃん?
 そんな僕の脚にからみつく、ごつごつした毛深い脚を想う。それって山鳥のしだり尾? 自由で身勝手なケイさんを山鳥にたとえるのは、ふさわしい気もする。

 本当に長いケイさんの脚を想いながら、長々しい夜にひとり。
 山鳥が呼んでくれないだろうか。哲司、と僕の名を呼んで、それ以上はなにも言わずにかたわらに長く伸びてくれないだろうか。

 ケイさんがいないんだからやむなく、ひとりかもネム。
 かも寝むって意味不明だけど、山鳥がいないんだったらひとりはつまらないから、鴨と寝るとか? でも、鴨もいないから仕方なく、ネムネムネム……。

「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長ながし夜をひとりかも寝む」柿本人麻呂

 俳句だの短歌だのが大好きな、乾さんが教えてくれた昔の恋歌。短歌なんかどうでもいいから、乾さん、鴨になってよ。

TETSUSHI/真夏の夜に


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FS食べもの物語「天むす」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

食べ物物語

「天むす」

 エビの天ぷらを中に入れて作ったおむすびを「天むす」という。発祥は三重県だとか岐阜県だとか諸説あるが、現在では名古屋名物とされていた。

「だからって、なんで天むす……」
「テン、ムー、スーって……」
「サイアク……」

 三人で顔を見合わせてから、天を仰いで嘆いた。

 親のつけてくれた名前はもちろんあるが、子どもをターゲットにしたアイドルグループ、名古屋出身の「天むす」の三人は、愛称がテン、ムー、スー。三人ともに教育テレビの子供番組でデビューしたので、子どもたちには見覚えもあって親しみを感じたのだろう。デビューしたらじきに人気者になった。

 本名は典子、ニックネームがテンちゃんだったので、「テン」は本人にも親しみがあっていやではない。スーとムーは本名とはかけ離れた愛称だが、本人たちもなじんできたようだ。

「おはようございまーす」
「よろしくお願いしまーす」
「わー、いい匂い」

 名古屋出身なのだから、名古屋でもっとも人気があるのも当然かもしれない。このたびは天むすが、名古屋に本社のある食品メーカーの、ダイエットラーメンのCMキャラとして起用された。

「はじめまして。営業担任責任者の本庄です」

 もらった名刺には、プロジェクト担当課長、本庄希恵とある。ほんじょうきえ、とひらがなも振ってあった。
 三十代だろうか。この年の女性で課長って、かしこいんだろうな、とテンは思う。同時に、かしこいかもしれないけど脚太いし、ブスだよね、とも心で言っていた。

 小学校に入学すると、母の趣味でテンは児童劇団に入った。顔が可愛かったのもあり、学校ではかなり勉強ができたのもあって、テレビの子供向け番組に出るようになったのだ。あれから十年、高校生になったテンは勉強はほとんどしないが、頭はいいと自覚している。美人で秀才、あたしは最強。

 子ども番組出身という共通点から、大人たちの思惑に従って結成されて売り出されたグループだ。表面上は親しくしているが、典子は他のふたりなどは歯牙にもかけていない。あたしのほうが上、あたしが最強。

 ダイエットラーメンのCMに起用されたのは、ムーとスーがややぽっちゃり体型だからだろう。テンはスリムで長身だが、子どもたちはモデル体型のテンよりもぽっちゃりお姉さんのほうに親しみを覚える傾向にある。典子としては天むすなんて大人のタレントになる前の通過点にすぎないのだから、子どもに人気などなくてもよかった。事実、テンちゃんいいね、という声は大人の男性たちからあがっているらしい。

「うん、よし、私もつきあってあげよう」

 若いOLに扮したテンが、職場の給湯室でカップラーメンを作っている。テンは太目のスーとムーのためにダイエットラーメンを選び、自分もそれを食べるという設定だった。

「おいしいね、これってダイエット麺なの?」
「これだったら続きそう。これからはずっとランチはこれにしよう!!」
「いろんな味があるから、全種類買ってきたんだよ」
「テンちゃん、気が利くぅ」

 スムーズに撮影を終えると、リアルでのランチタイムになった。名古屋AK食品の製品、今回のカップラーメンや冷凍食品やインスタント食品などがテーブルに並び、天むすの三人もそれらで食事を摂ることになった。

「テンちゃんの意地悪ぶりが出てるCMだよね」
「意地悪なの、あれ?」
「ムーちゃんってば天然? 意地悪じゃん」
「テンちゃが意地悪っていうよりも、会社のひとたちが意地悪なんじゃない?」
「広告代理店が意地悪なのかな」

 意地悪、意地悪を連発しながらも、ムーとスーは食欲旺盛だ。こんな安っぽいインスタント食品で太りたくないから、テンは冷凍おにぎりだけにした。

「えーっと、お食事中すみません」

 そこに入ってきたのは、本庄希恵の部下だと名乗った若い男。田中くんと呼ばれていた青年だった。

「本庄って名前で気づきませんでした?」
「なにに?」
「えーっと、スーさん? スーって名前もフォレストシンガーズに関わりがあるらしいんですよ」
「フォレストシンガーズ?」

 それがいったいなに? フォレストシンガーズというおじさんたちのヴォーカルグループがいるのは知っているが、なんの関わりがあるのだろう? 田中は楽しそうに続けた。

「本庄希恵さんは……っと、部外者の前で社内の人間をさん付けにすると怒られるんだけど、あなたたちにだったらいいよね。うちの課長、本庄希恵さんはフォレストシンガーズの本庄繁之さんのお姉さんなんですよ」

 ふーん、以外の感想は、典子には持ちようもなかった。

「それでね、課長がこのプロジェクトの責任者になったときに、僕は提案したんです。フォレストシンガーズにCMソングを作ってもらえないかなって。イメージじゃないんじゃない? って課長は言ったから、そしたら、本庄繁之さんのソロとか……とも言ったんですよね。そしたら、本庄さんは作詞や作曲ができないって。そんな歌手もいるんですね」
「私も作詞や作曲ってできないな。したらできるのかもしれないけど、やったことないし」

 冷淡に典子が応じ、田中は言った。

「あなたたちはアイドルでしょ。アイドルだったらできなくてもいいんだよ。フォレストシンガーズってシンガーソングライター集団だって言ってるのに、ソングライト……ソングライターができない人もいるんだなって。あ、課長には内緒ね」

 三人は曖昧に微笑んでうなずいた。

「だから、フォレストシンガーズにはCMソングは作ってもらえなかったんですよ。僕としては残念なんだけど、あなたたちは可愛いからいいよね。で、もうひとつ、いや、もうふたつ、大事な情報を手に入れた。そのためにサインしてくれない? 課長をびっくりさせたいってか、喜ばせたいってか、協力してくれないかな?」
「サインが大事な情報?」
「そうなんだ、なんと、本庄繁之さんの息子が、天むすの大ファンなんだって。本庄さんはあなたたちにサインをもらいに行きたくて、行きそびれてるらしいんだよ」

 なんと、ともったいつけるようなことだろうか。本庄と言われても、フォレストシンガーズの個々人の顔は知らない。本庄希恵の弟ならば、イケメンでもないだろうとしか思えなかった。

「もうひとつは?」
「スーって、木村章さんのモトカノの名前なんだって。すごいでしょ」

 どこが? と問い返すのも馬鹿馬鹿しくて、典子は田中が差し出した色紙にサインをした。仕事がらみで知り合った誰かにサインをねだられるのは日常茶飯事だ。

「ありがとう。もう一枚、書いてもらえる? これは僕の……」

 えへへと笑って、田中は尋ねた。

「うちのインスタント食品はけっこうおいしいでしょ。あなたたちはいつだって豪華なものばっかり食べてるんだろうから、たまには粗食もいいよね。あ、そうそう、僕が言ったことは全部、課長には内緒ね。これからも天むすのCD買うからね。コンサートがあったらチケットの便宜とかは……ああ、握手してもらっていいかな」

 ひとりで喋りまくっている田中に握手してやると、今日は手を洗わないでおこっと、とベタな台詞を残して、彼はようやく出ていった。

「それがどうした」

 ぽつっと呟いたムーのひとりごとに、今回ばかりは典子も大賛成だった。

「木村章のモトカノ、スーでーす」

 CMの仕事が終わると、天むすは地元のラジオに出演した。天むすの三人と名古屋では有名な男性DJが担当する番組である。早速、DJの馬原が突っ込んだ。

「フォレストシンガーズって?」
「馬原にぃ、知らないの?」
「知ってるけど、スーちゃんってフォレストシンガーズの木村章のモトカノ? 初耳だよ」
「うん、スーも初耳だった」
「……めちゃんこ意味不明でかんわ」

 彼もまた地元出身なので、定番の名古屋弁でしめくくった。
 なんのつもりだ、この女は? 典子はスーの真意を探ろうとしていた。フォレストシンガーズの木村章のモトカノ、スーという名と偶然、天むすのスーが一致しただけだ。それがなにかいいことにでもつながるのか? ならば、フォレストシンガーズつながりで、本庄繁之の息子があたしたちの大ファンなんだって、というのは?

 内緒にしろと田中は言ったが、本庄課長に告げ口するのではないからいいだろう。本庄さんちの坊やによろしく!! と言ってみようか。
 ただし、この放送は名古屋ローカルなので、フォレストシンガーズはおそらく聴いていない。そこが問題だ。

END








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174「頭が高い」

ショートストーリィ(しりとり小説)

しりとり小説

174「頭が高い」

 平凡ではない私に平凡な名前はふさわしくない。女ではあっても女っぽくはなく、さっぱりした気性は男のようなのだから、女の名前もふさわしくはない。かといって同人誌仲間のように、コータローだの良太だの敬助だの、男名前も名乗りたくない。

「綾小路ミツルさまって、誰よ、これ? まちがって届いたのかな?」
「あ、それ、私」
「誰が綾小路ミツル? あんたは小山満代でしょ」
「いいのっ」

 父親の名前をフルネームで、下に家族の名前を並べた表札の横に、「綾小路ミツル」と手書きで作った名刺を張り付けて、母に呆れられたりもした。

 中学生になると部活をしなくてはならないと校則で定められていた。やりたい部活などなくて、かったるいなぁ、と思っていたら、積極的なクラスメイトが同好会を作ると聞きつけた。

「一年生のくせに生意気だとも言われたけど、ボクは漫研がいいんだもん。だから、先生に交渉したの。先生が顧問もしてくれるって。満代も入らない?」
「漫画研究会だよね。入るっ!!」

 それまでは漫画が好きなだけの少女だった満代は、友人と相談してペンネームも決め、描くようにもなった。
 けれど、漫画を描く才能はなかったらしい。絵は下手ではなかったのだがストーリィが作れなくて、小説を書く友達に頼んで彼女の原作を漫画化してみたりしたのだが。

「やおいにしないでよ。私は男同士の恋愛は嫌いなんだから」
「遅れてるね。漫画の王道はやおいだよ」
「そうだそうだ。やおいのほうが人気が出るんだぜ」
「私はいやっ!!」

 かたくなな原作者だったので、その友人とは喧嘩別れしてしまった。

 漫画研究会を作ったほうの友人とは気が合って、長く続いていた。同じ高校に進学し、そこにはもとから漫研があったのでふたりして入部し、友人のほうは先輩に描いた漫画を褒められ、満代は描くに描けなくて友人にお願いした。

「ボクだって絵だったら描けるんだから、ソージのネタをひとつくれよ」
「やだよ。ボクが描くんだから」
「ケチ」
「ネタも自分で考えろよな」

 友人のペンネームはソージ、彼女は新選組マニアで、幕末の志士たちの男同士恋愛漫画を得意としていた。満代はミツル、ふたりともにボクと自称し、少年っぽい言葉で話すのが楽しかった。

「ソージは卒業したら美大に行きたいのか?」
「うーん、美大じゃなくて短大の保育科にしようかなって……」
「保育科? なんでだよ?」
「私の才能くらいじゃ、漫画家にも画家にもなれそうにない。ほんとに才能があったら、雑誌のコンテストに応募してる漫画がとっくに新人賞くらい受賞してるのよね。私よりも年下の子だって、デビューしてるんだもん」
「そんなことないよ。ソージは才能あるって」

 自分は漫画家にはなれそうにないから、せめて友達がプロになれたら……との想いから躍起になりつつ、満代は気づいた。

「私? ソージ、なんか女みたいじゃね?」
「私は女だもん。ソージなんて呼ぶのもやめて。彼に言われたんだ。満代とおまえは痛いって言われてるの知ってるか? 俺はおまえとつきあいたいけど、そんな痛い女だったら友達にも笑われる。ソージなんてのも痛すぎるよ。ボクもやめてくれ。本当のおまえに戻ってくれよって」
「そんで、つきあうの?」

 うなずいた友人の顔が憂いありげな大人の美女に見えて、満代は叫んだ。

「裏切り者!! 男なんか嫌いだって言ってたくせに!!」
「あれはもてない強がりだったのかもね。満代も高校生でいられるのはもうちょっとなんだから、将来のことを真面目に考えたほうがいいよ。彼も作ったら?」
「満代なんて呼ぶな。その名前は大嫌いだ!!」

 裏切り者とは絶交だ。満代は親友のつもりだった友達とはそこで縁を切った。

 なのだから、ソージがその後どうしたのかは知らない。性転換してその彼と結婚したのか。いや、もとから女なのだが、友人が女に戻ると聞くと不潔ったらしく感じて、性転換でもなんでもしろ、気分になったのだ。

 自覚はあったから、満代には美大や芸大進学は無理だとわかっていた。だったらデザイン専門学校にしよう。推薦入学のできる学校に入学すると、そこにもいっぷう変わった女の子が大勢いたので、むしろ拍子抜けしてしまった。高校のときにはボクって言ってたの? 私は男っぽい? そんなのフツーだね、と笑われた。

 まったく才能がなかったわけでもなく、無難に専門学校を卒業して小さなアパレルメーカーに就職した。
 デザイナーになったつもりでいたから、ペンネームのつもりでミツルとだけ名乗るようにもなった。

 流行りものにはアンテナを敏感にしておきたい。ファッションだけではなく風俗的なこともだ。ダイエット、クラブ、レストラン、酒、音楽、などなど。映画もテレビドラマも、興味のあるものがいっぱいで、漫画からは遠ざかっていく。活字を読むのは面倒だから、漫画の文字だってめんどくさくて読んでられないね、だった。

「泥棒猫っ!!」
「は? すっげぇレトロな言葉。そんなの死語じゃないの?」
「死語もなにもないでしょっ!!」

 不倫は文化だ、とどこかの有名人が言ったとテレビで見た。不倫だってトレンドのひとつだし、あたしは結婚なんかしたくもないんだから、彼氏は既婚者のほうがいいさ、軽い気持ちで妻子のある男とつきあっていた。彼がミツルのマンションに来ていたときに、妻が乗り込んできた。こんなにも激怒している妻を見て、ミツルはむしろびっくりしていた。

「奥さん、そんなに怒らないで。私も本気じゃないんだからさ。ああ、コウちゃん、奥さん怖いよ」

 そのときちょうど、彼はシャワーを浴びていた。ミツル、えーっと俺のシャツ……などと言いながら出てきた彼は、妻の姿を見て硬直していた。

「コウちゃんだって本気じゃないよね」
「あ、あああ、ああ、そうだよ。母さん、落ち着いて。本気のはずないだろ。まあ、いうなれば人助けだよ。この彼女、見ろよ。若いだけがとりえのデブだろ。もてないんだよ、全然。今どきの若い男は細い女が好きらしくて、あんなデブ、気持ち悪いとまで言うんだ。俺は別に太った女も嫌いじゃないし、遊ぶだけだったらいいかなって。それだけだよ。本気のはずないよ。うんうん、落ち着いて。母さん、帰ろうな」

 妻を母さんと呼ぶ男は、ミツルをほったらかして帰っていき、翌日には弁解しまくっていた。

「あの場ではああ言うしかないじゃないか。立場としては妻の座って強いんだよ。ミツルちゃんはうちの女房に慰謝料請求される恐れだってあるんだ。女房は興奮していたから落ち着かすためにああ言ったんだよ。でないと刃傷沙汰だってあり得たんだから」
「だったら私とのほうが本気? 奥さんと離婚して私と結婚するの?」
「ミツルちゃんって……そんなダサいこと言う女だったのか?」
「あ、そだね、嘘嘘。言ってみただけ」

 もっとも嫌悪したい女の台詞が口に出てしまった。そんな自分に嫌気がさしたのもあり、彼はまだ私には未練があるのだろうから、こっちから捨ててやろうと決めたのもあって別れた。

 私がもてないって? デブだから若い男に相手にされないって? 冗談じゃないんだよ。彼の言葉が癇に障ったものだから、もてると証明したくて男遊びをするようになった。ミツルちゃんはデブじゃなくてグラマーなんだろ、と言う男も次々にあらわれて、ほら見ろ、もてるじゃん。今のあたしに会ったら後悔するだろうな、とコウちゃんに舌を出していた。

 そしてこうして、ふと気づくと四十歳が目前に迫ってきている。

 いつのころからか、夜の街で男をナンパしても逃げられるようになった。遊ぶだけだったら大歓迎してくれた男たちが、おばあちゃん、家に帰って孫と遊んだら? などと言うようになった。そろそろ私も潮時か。婚活でもすっかな。そのつもりでずいぶんと久しぶりに書店に入ったのは、婚活特集をしている女性雑誌が目当てだった。

 女性雑誌の横には女性向け漫画本のコーナーがある。少女漫画もレディスコミックも、ミツルが夢中になっていたころと変わらぬ隆盛ぶりだ。小型で分厚い少女漫画誌を手に取ったのは、ソージ・土方という漫画家の名前が目についたから。中学から高校にかけて親友だと思っていたソージを思い出したからだ。

「今どきでもこんな名前、つけたがるんだね、新選組ってまだ流行ってるのかな」

 表紙だけを見て帰宅し、婚活特集の雑誌をぱらぱらめくる。婚活はインターネットを駆使したほうがいいということらしいので、ミツルも雑誌で勧めていた婚活サイトを見ることにした。

「三十歳をすぎると不利だ? 古いなぁ。男女差別だな。女性蔑視だな。抗議のメールを送ってやろうか」

 婚活の現実、というようなサイトもある。見ていると気が滅入ってきたので、書店で見たソージ・土方を検索してみた。

「ファンのみなさん、こんにちは。ソージです。
 私は中学生のときから変わってないみたい。ソージってペンネームもずーっと同じなんですよ。
 さすがに、中学生や高校生のときにボクって言ってたのはやめましたけどね。

 漫画は中学生のときから描いています。中学に入学して漫研を創立して、その漫研、ソージの母校だってことでけっこう人気なんだって。ソージ先生と同じ中学校に入って漫研にも入りたい、なんて言ってくれる女の子もいるらしいの。
 公立中学だから校区がちがったら無理だよ。そう言ってくれるのは嬉しいけど、ご両親を困らせたりしないでね。

 同じ趣味の友達がいて、ふたりで切磋琢磨もできました。
 名前、書いていいかな。ペンネームだからいいよね。ミツル、元気にしてる? あなたも結婚してお母さんになってるかな。
 会いたいな。もしもこれを読んでいたら連絡して。

 わたくしごとで失礼しました。さて。

 高校生になって彼ができて、おまえは痛いなんて言われて漫画から遠ざかろうとしたんだけど、やっぱり捨てられなかった。
 短大は保育科に進んで、保育士にもなったんだけど、それでも漫画は捨てられなかった。高校のときの彼とはすぐに別れて、保育士になってからできた彼と結婚して、毎日忙しかったけど、それでも漫画は捨てられなかった。

 保育士を続けながら、主婦として母としても働きながら、夜中に漫画を描いたりもしていました。
 そうやって苦節十五年、三十五歳にして新人漫画家としてデビューしたの。

 その後のことはファンのみなさんだったらごぞんじでしょう? 母として主婦としては永続するんだろうけど、保育士の仕事はやめて専業漫画家になれたのは、ファンのみなさまのおかげです。
 これからも応援してね」

 ソージ・土方のオフィシャルサイトには、ソージのプロフィルというページがあった。読んでいると中学、高校のときの友達を思い出す。彼女と酷似していて、なにやら吐き気までがしてきた。

 嘘だ、嘘。あのソージのはずがない。生年月日からすると私と同年で、知ってるひとは知ってるんだからいいよね、との但し書き付きで紹介されている中学校も高校も私と同じで、本人の写真には少女のころの面影がある。だけど、信じない。ミツルって私? 信じない。あり得ない。

 サイトに公開されたプロフィルの、ソージの若き日はすべて、ミツルの友人だった彼女と一致する。けれど、信じたくなかった。確認なんか、連絡なんかしたくなかった。

「もしもあんたに会うとしたら、婚活に成功してセレブなマダムになってからだな。見てろよ、ソージ、そうなって会ったら言ってやるんだ」

 あんたはたかが漫画家だろ。私は大金持ちの主婦だよ。結局は私の勝ちだね。頭が高い!! 控えろ!! って、言ってやるんだ。

次は「い」です。







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FS食べもの物語「ラーメン」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

食べ物物語

「ラーメン」

 スープをひと口すすった本橋が、ほっと息をつく。俺は麺をひと筋口に入れ、のびかけてるな、と感じる。夏休み明けの学食には学生の姿は少なく、まだ学校に出てきていない奴も大勢いるらしいと思われた。

「学食って久しぶりだな、うまいよな」
「……うまいか。うん、うまいかな」

 金沢の乾家では、料理は祖母が指揮をして家に住み込んでいる女性がこしらえるのがもっぱらだった。
 家に住み込んでるお姉さん? なんだそりゃ? と友達に不思議がられるので、そういうのは一般的ではないと知ったのだが、乾家は華道の家元だから、行儀見習いや修行のために、日本各地から名家のお嬢さまたちがやってきていたのだ。

 華道の家元は母の仕事で、父は和菓子屋のあるじ。ひとり息子の隆也の養育は祖母の仕事。祖母は家事をとりしきる家刀自でもあって、住み込んでいる女性たちの総監督でもあった。

「大奥さま、今夜はなにを……?」
「ブリの脂が乗ってきているころだから、照り焼きじゃなくて塩焼きにしましょうかね。大根を煮て、ほうれん草のゴマ汚しと、あとは卵を……」

 幼児のころには、食卓に出されたものは文句を言わずに全部食べる。食べ物についてあれこれ言うのは、男のすることじゃないからね、との祖母の教えを忠実に守っていた。

「ばあちゃん、僕、ラーメンが食べたいな」
「ラーメン?」
「うん。インスタントラーメンっておいしいんだって。とっくんが言ってたよ。僕も食べたいな」
「ラーメンなんて夕食にはならないし、インスタントなんて絶対に使いたくないね」
「カレーライスは?」
「それだったら土曜日のお昼に作ってあげるよ」

 小学生にもなると恐る恐る言ってみて、洋風は却下されていた。要するに祖母が好まなかったからだろう。
 誕生日にケーキを焼いてもらったり、クリスマスにはチキンソテーを作ってもらったり、たまにはカレーや麻婆豆腐のメニューもあったが、うちの食事は基本和食だった。

 両親は帰りが遅いので、小学生までだったら俺が寝てしまってから食事をしていた。夫婦での食事だと給仕と後片付けは母がしていたようだが、俺はよくは知らない。外食もほぼない家庭だったので、家族四人で食事をした経験はほとんどなかった。

 高校三年の年に祖母がみまかり、俺は翌春には東京に出て大学生になった。あれから三年、今でも行儀見習いの女性はたまにいるようだが、母が食卓を整えて父と差し向かいで食事しているのだろうか。俺にはうまく像が結べない。うちの両親は仲がいいのか悪いのかも想像しにくいのである。

 父の店でのみアルバイトを許可してもらえるようになってからは、俺も友達とだったり彼女とだったりで、外で飲み食いすることを覚えた。コーヒーやホットケーキやサンドイッチは、彼女とふたりで食べるとたいそう美味だった。

 が、金には困窮していた身だから、高校生までは外食経験に乏しい。大学生になってひとり暮らしとなり、昼は学食で食べるのが嬉しくて、けれど、なるべく自炊するようにしている。俺が中学生になると、男も料理はできたほうがいいかしらね、と言うようになった祖母に教わった田舎の和風料理だ。

 一方、東京生まれの東京育ち、本橋真次郎は。

「高校のときは弁当だったのか?」
「そうだよ。本橋はちがうのか」
「弁当も作ってもらったけど、俺らは三人とも大食いだから、弁当だけじゃ足りないんだよ。弁当にプラスして売店でパンを買ったり、学校の近くの店で安い稲荷寿司とかも買ったりしていたな」

 兄がふたり、そのふたりは七歳年上の空手の猛者で双生児。本橋も大柄なほうだが、兄さんたちは巨漢といっていい。そんな息子三人に食わせなければいけなかったのだから、本橋母の料理は質より量だったと思われる。山盛りにしたコロッケやから揚げが、まごまごしていると真次郎の口には二、三個しか入らなかったというのだから、すさまじい食事風景だったのだろう。

「あ、真次郎、ウルトラマンだ!! って兄貴に言われて窓の外を見てる隙に、半分は残ってた俺のチャーハンが空っぽになってたこともあったよ。兄貴が食っちまったんだ」

 なんかいいな、うらやましいな、と応じると、どこがいいんだ、おまえは馬鹿か、と本橋に呆れられた。

 よって、本橋は食えるものならなんでもうまいと感じるようである。のびかけたラーメンがしみじみうまいとは、幸せな奴だ。

 舌が肥えている人はいる。うちの祖母は頑固ではあったが、昔ながらの金沢料理の作り手としてならば達人に近かった。洋風は食べ慣れないので駄目だったにせよ、料理人としても食する側としても舌は磨かれていた。おばあさまに教わった料理、夫に大好評なんですよ、と、うちに修行に来てのちに結婚した女性から幾度も聞いた。

 子どもの舌には合わなかった田舎料理も、二十歳になって再現してみると、それなりにうまく感じるようになった。俺はまだまだ若造だから、中年にでもなれば祖母の味をなつかしむのか。俺にとってはおふくろの味ではなく、祖母の味。

 皮肉ではなく、金持ちではあってもわりあいに庶民的で、ふたりの兄にもみくちゃにされて育った本橋を俺はうらやましく思う。そのおかげで好き嫌いもなく、なにを食ってもうまいとは最高ではないか。俺もいつか結婚したら、本橋家のような家庭を築きたい。

「全然足りないな。もう一杯買ってくるよ。おまえは?」
「俺はもう腹いっぱいだ」
「……それっぽっちしか食わないのかよ、それでも男かよ」

 小食だと男らしくないと、妙な偏見を持つのはやめろ。とは何度も言ったので言い飽きた。本橋真次郎はいい男ではあるのだが、男らしさにこだわりすぎる傾向がある。あればっかりはどうにかならないものだろうか。

TAKA/20歳/END







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FS超ショートストーリィ・四季のうた・隆也「夏の麻」

番外編

フォレストシンガーズ

四季のうた


「夏の麻」

 春は「ひ」で、火、陽、非、否、灯、だったわけです。
 夏は「ま」。著者のお遊びですね。

 でも、「麻」といえば「ま」というよりは「あさ」、リネンですよね。
 麻薬とか快刀乱麻とか、麻酔とか麻痺とかって言葉もたくさんありますが、俺はリネンの話をしたいな。

 いいですよね、麻。

 麻のシャツ、麻のシーツ、麻のスーツ、麻のハンカチ、麻のナプキンやテーブルクロス。
 生成りの麻のスーツに白い麻のシャツを身につけ、麻づくしのテーブルセッティングをした食卓につく。愛するひととふたり、俺の手料理で遅い朝の食事を……「あさ」ちがいでも朝も麻もさわやかなイメージですよね。

 食事を済ませたらふたりでマルシェに買い物に行こうか。昼は屋台で軽く食べて、夜はきみが作ってくれる? 俺はその間、きみのために歌おうかな。

 そして、夜。

 ふたりして入浴してから素肌で麻のシーツにくるまって……なにをするのかって? 内緒。ここから先はふたりだけの世界ですので、では、おやすみなさい。

TAKA/END






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花物語2017/8「母子草」

ショートストーリィ(花物語)

hahako.jpg
花物語2017

八月「母子草」

 思いがけなくも、母は反対はしなかった。

 父が亡くなったときには兄もほのかもまだ子どもだったので、母が父に苦労していたのかどうかは知らない。父の悪口を言うような母ではなかった。なのだから、父親なんかいなくてもいいのよ、的思想が母にあるのかどうかも、ほのかは知らないのだが。

 大きくはないがしっかりした会社の経営者三代目、父はその立場で、初代と二代目が亡くなってから、父は母と結婚した。父方は特に男が早逝家系らしく、ほのかの曾祖父も祖父も父も中年の年頃で逝去していた。三代目が潰すこともよくあるらしいが、父は可もなく不可もなくといった程度に会社を存続させ、父亡きあとは母が会社を引き継いだ。

 経営者としての能力は、母のほうが父よりも上だったらしい。金銭的にもまったく困窮することなく、母は息子と娘を育てた。母が多忙ゆえに放任されていた部分はあるが、兄は大学院まで終了して文系の学者になった。ほのかは外国語大学英語科を卒業して通訳になった。

「父親がいなくても、ほのかがひとりでしっかり子どもを育てていけるんだったら、母さんは応援するわよ。それに、あんたは母さんが反対したってやりたいことはやるでしょ。そういうところが頼もしいんだから、あんたは我が道を行きなさい」
「兄さんには言わなくてもいいかな」
「あいつは頭の固いところがあるから、言わなくてもいいんじゃない?」

 ルックスがいいのと金を持っているのとで、兄はけっこうもてる。妻と息子がいるにも関わらず適当に遊んでいるようだが、自分はいいけど妹は駄目、の思想の持ち主だ。それでも同居しているわけでもなし、黙ってやればいいとの母の意見に従って、ほのかはひとりで子どもを産んだ。

 仕事で知り合ったイギリス人と、彼が日本に滞在している間だけの恋をしていた。彼は仕事を終えて帰国し、残したものはほのかの胎内の子どもだけ。ほのかには結婚願望はかけらもないが、子どもはほしかったので好都合だった。

 一年間は産休、育休を取るつもりだったので、もしものために蓄えてあった資金を活用した。金髪の可憐な女の子を出産し、ベビーシッターや保育園の手配もし、家政婦さんを雇って家事をまかせ、長女の華子が一か月後には一歳になる時期に、ほのかは仕事に復帰した。

「ほのか、いつの間に結婚したんだ? もう子どもが生まれたのか? できちゃったってやつか?」
「できちゃったから子どもはいるけど、できちゃった婚じゃないよ」
「ってことは?」
「結婚はしてないから」

 黙っていてもどこからか漏れるもので、平素はつきあいもない兄も妹が出産したと知ったらしい。電話をしてきた兄に正直に告げると、兄は長く長く絶句してから言った。

「不倫なのか?」
「彼は独身だって言ってたけど、本当のことはわからない。彼はイギリスに帰っていってしまったし、私が華子を産んだのも知らないはずよ」
「えーっとえーっと……えーっと……なにからどう訊いていいのかわからないよ。俺はたつ子になんて言えばいいんだ」
「義姉さんには本当のことを言って。迷惑はかけないから」
「迷惑はかかるんだよ。おまえがかけてないつもりでも、そんなふしだらな妹を持ったってだけで、俺たちには迷惑がかかるんだよ」
「そぉ? ごめんね」

 面倒なのでそうあしらっておいたら、兄はそれ以上は言わずに荒々しく電話を切ってしまった。

「華子はきょうだいがほしいよね?」
「おにいちゃんがほしい」
「お兄ちゃんか……お兄ちゃんってのは養子でももらうんだったら可能かな」

 しかし、日本の法律では未婚の母に養子を託してはくれないだろう。弟か妹でもいいよね? と質問すると、ようやくお喋りができるようになってきた、一歳半の華子はこっくりうなずいた。

「あらぁ? ふたり目も産むの? 華子のお父さんと再会したとか?」
「産まれてきたらわかるだろうから言うけど、今度はアフリカ人なのよ。華子のパパはアーティスト、次の子のパパはアスリート。誰かまでは言えないけど、生物としてのこの子たちの父はそういった男性よ」
「来日していた金髪のアーティスト……ブラックのアスリート……そう大勢はいないだろうけど、ま、あんたが決めたことなんだから貫きなさい。華子はきちんと育ててるんだから、できるって立証済みだものね」

 今回も母は、反対意見は述べなかった。

 問題は兄だ。華子の出産時には兄は、唖然茫然愕然だったらしい妻のたつ子をなんとか説得というか、きみは俺の妹には関わらなくていいんだからほっとけ、と言ったらしいが、父親のちがうふたり目の子どもとなると、兄も義姉も逆上するかもしれないと思えた。

 通常、まずは母親が大変だろう。父親がいたら大変さが五倍ほどになりそうな気がする。ほのかは親の問題はクリアしているのだから、兄夫婦なんて軽い軽い、と考えることにした。

「ほのか、また産んだんだって?」
「誰だよ、兄さんにそうやって告げ口してるのは……」
「誰だっていいだろ。しかも、今度は黒人とのハーフだって? おまえはなにを考えてるんだ」
「なにを考えてるにしたって、あなたには関係ないんじゃないの?」
「そうは行くかよ。きっちり話そう。おまえのマンションに行くよ」

 電話で宣言されて、仕方がないから承諾した。

「義姉さんまで一緒? ご苦労さまだね」
「なんでひとこと相談くらいしてくれないの?」
「相談したら反対するでしょ」
「するに決まってるだろ」
「ほのかさんったら、ひどすぎるわ」

 長女のときに経験済みなので、今回は前回よりもスムーズに出産できた。お金の面も人手の面も仕事の工面もクリアして、長女の華子と次女の佳子と、家政婦のおばさんと、育休中のほのかは穏やかに暮らしていた。その平穏を破ったのは、血相を変えて乗り込んできた兄夫婦だ。

「うちの竜弥のことも考えてよ」
「竜弥がどう関係するの?」
「竜弥だって何年かしたら、結婚話も出てくるでしょ? そのときに身辺調査でもされたら、未婚の母のほのかさんの存在が障りになるとも考えられるのよ。ひとりだけだったらともかく、一目で父親がちがうって娘がふたり……この子たちだって、華子ちゃんと佳子ちゃんだって、大きくなったら差別にさらされるわ。あなたは自分さえよかったらいいみたいだけど、竜弥と華子ちゃんと佳子ちゃんの気持ちはどうなるの?」

 綿々とかきくどく義姉の横で、兄も重々しくうなずく。竜弥とは兄夫婦のひとり息子だ。

「差別されるのよ。日本では華子ちゃんや佳子ちゃんは差別されるの」
「義姉さん、その差別や偏見っていいこと?」
「いいこと? 差別や偏見はいいことではないけど、現代の日本には厳然と存在するじゃないの」
「悪いことだとわかってて、あなたがその偏見や差別を口にするんだね。悪いことなんだったら、ご自分の意識から変えていかなくちゃ。世間は差別するかもしれないけど、差別するほうが悪いんだもの」
「……あなた、ほのかさんって宇宙人みたいね」
「まったくだ」

 兄夫婦は肩を落とし、ほのかは言った。

「日本ではルックスのいいハーフはもてはやされるけど、アメリカ南部なんかだと佳子みたいな子は差別されるのよ。正式に結婚している黒人と白人の夫婦だって同じ。だったらその夫婦は子どもを産むなって言うの? 差別されるから産むなって、最低の台詞だよね」
「……だって、現に差別は……」
「だから、差別っていけないことなんだから、私たちからなくしていこうよ。それができないって変じゃない? 結婚してるからいいって言うかもしれないけど、結婚したって夫が浮気でもして離婚することはおおいにある。それだって子供はかわいそうよ。そっちのほうが最悪の家庭になりそうじゃない?」

 義姉さんは知らないみたいだから幸せだけど、実はね……とは言わずに、遊びの浮気などはたびたびやっている兄を見やる。こほんと咳をしてから、もういいよ、無駄だよ、と兄は言い、妻の肩を抱いた。

「おまえの屁理屈には俺たちは太刀打ちできないよ。もういいから、俺たちには迷惑かけるなよ」
「縁を切っていただいてもよろしくてよ」

 言ったほのかを、たつ子は恨めしそうに睨んでいた。

「きょうだいは二歳ちがいがベストなのよね。ちょうどよく妊娠したから、理想的な歳の差で出産できるわ」
「……あの、三人目ですか?」
「そうですよ。子どもが増えると大変だろうから、もちろんお給料はアップします。協力してくれますよね」
「は、はい」

 三人目の子どもの生物学的父は日本人、ミュージシャンだ。言い訳などしなくても、三人の子どもの父親がちがうのは一目瞭然。ほのかはそれを望んでいた。家政婦も戸惑っているようだが、彼女は金のために働いているのだから、少なくとも表立ってはとやかくは言わない。妊娠を告げた翌朝、家政婦が花を活けてくれた。

「これ、母子草?」
「そうです。ご無事な出産をお祈りしています」
「ありがとう」

 ふたり目はものすごくとやかく言った兄たちも、三人目となるとむしろ諦観するかもしれない。今度はぜひとも男の子、ほのかの願いはきっとかなうはずだ。

END







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FS食べもの物語「ミートピザ」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

食べ物物語

「ミート・ピザ」

 住まいにも新しい暮らしにも慣れ、大学というものがすこしずつわかってきている。合唱部に入部して、学部にもサークルにも友達ができた。今日は午後からの授業が休講になったので、合唱部の友人である小笠原英彦と昼メシを食いにいこうと語らって、学校近くの店にやってきた。

「ここ、いっぺん入ってみたかったんだ」
「ペニーレイン、俺は入学式の日に入ったよ」
「そうなんか。メシも食えるんだろ」
「食えるよ。ピザとカレーを食ったんだ。どっちもうまかった」

 ビートルズの曲名を店名にしているのだから、ビートルズファンの店なのか。俺もビートルズは嫌いではないが、よくは知らない。合唱部の先輩たちにはビートルズ好きも大勢いるようで、「ペニーレイン」は時として部室での話題に上がっていた。

「ピザとカレーの両方って、豪勢だな。お父さんと一緒に来たのか」
「いや、親父は先に帰ったから、どこかの中年男性におごってもらったんだ」
「どこかの知らないおっさんに? シゲちゃん、知らんひとについていったらあかんよ、ってお母さんに言われなかったのか?」
「ついていったんじゃなくて……」

 この店で同席した男性だ。彼は俺と同郷だと言って、きみはカレーだけじゃ足りないだろ、もっと食べなさい、とも言ってくれたのだ。話の内容から彼は入学式の来賓、音楽関係者、それだけはわかったのだが、あの中年紳士が何者なのかは不明のままだった。
 
「実はシゲにいかがわしいことをしたかったとか」
「アホ」
「うん、アホじゃのぅ」

 高知県出身のヒデは標準語を身につけてかっこいい都会の男になると宣言している。土佐弁は禁止!! と自らに課していてるくせに、土佐弁どころか、合唱部仲間の大阪弁やら、学部の友達の岡山弁やらを口から出す。三重県出身の俺にしてもなまってはいるものの、ヒデのようには方言は使わなくなっていた。

「……肉のピザか。うまそうだけど高いな。ピザよりも米の飯のほうが食いごたえがあるから、カレーの大盛りにしようかな」
「俺もピラフの大盛りにしようかな」
「シゲはそれだけで足りるんか?」
「足りないかもしれないけど……」

 親の家にいれば食べ物にだけは不自由しなかった。俺が大食いなのは母はよくよく知っているから、いつだってごはんをたくさんたくさん炊いてくれた。おかずはさほどに豊かではなくても、味噌汁と魚と漬物でもあれば、ごはんを何杯でもおかわりできた。

 が、ひとり暮らしになってみると、金がない。我が家は三重県で酒屋を経営していて、三つ年上の姉は名古屋で大学に通っている。俺は東京で大学生になったのだから、親は仕送りに汲々としているはずだ。印刷屋のバイトは見つけたが、それでも生活費は潤沢ではない。

 なのだから、おかずなんて買えない。上京するときに母が持たせてくれた米がなくなりそうになっていて、これがなくなったら俺は飢えてしまう……と考えるとよけいに腹が減るのだった。

「久しぶりの贅沢だからピザもいいと思ってたけど、やっぱり米のほうがいいかな」
「米のほうが腹持ちもいいもんな」
「ヒデは食費、足りてるか?」
「俺はおまえほどには食わんから」

 周囲を見回しても、俺がいちばんの大食漢なのはまちがいない。
 本庄くん、すっごく食べるんだね、それで太らないってうらやましい、と大学の女の子やら、バイト先の女性社員には言われる。シゲ、これも食うか? と合唱部の男友達は、消しゴムを食わせようとしたりする。

 あまりによく食べるのって恥ずかしいかなぁ、とも思うのだが、腹が減っては力も出ない。おまえはよく食う、とみんなに言われるのは甘んじて受けるしかないのだった。

「この曲、なに?」
「さあ? 聴いたことはあるけど……」
「シゲは音楽好きじゃろ? 知らんのか」
「ヒデだって知らないんじゃないか」
「俺は歌うのは嫌いじゃないけど、音楽にはそれほど興味ないきに、ビートルズなんかなんちゃあよう知らん」
「ヒデ、土佐弁全開になってるぞ」

 うるさいんじゃ、シゲは、合唱部のくせに。
 合唱部はヒデもだろ、おまえだってビートルズ知らないくせに、と言い合っていると、視線を感じた。

「きみたち……」

 ○○大学の合唱部? と尋ねた男性は、俺たちよりはだいぶ年上に見えた。

「先輩なんですか」
「うん、俺も合唱部出身だよ。お節介を焼きたくなった。この曲は「ストロベリーフィールズフォーエバー」だ」
「苺の歌ですか」
「ビートルズの故郷、リバプールにある孤児院の名前だよ。「ペニーレイン」がシングルレコードで売り出されたときのカップリング曲だ。当時はB面っていったな」

 詳しい……というよりも、音楽好きならば当然の知識なのかもしれない。この男性だったら知っているか、と思って、俺は入学式の日にこの店でピザをごちそうしてくれた紳士の話をした。

「あ、俺、知ってる」

 思いがけなくもヒデが応じた。

「作曲家の真鍋草太!!」
「呼び捨てにすんなよ」
「あ、すみません」

 軽くたしなめられて首を竦めたヒデと俺に、男性は言った。

「そっか、真鍋先生がピザをおごってくれたんだ。きみたち、ピザが食いたかったんだよな。じゃあ、今日は俺がおごろう。学生は金がないのが当たり前なんだから、遠慮しなくていいよ」
「え、えと、いいんですか」
「いやだったら提案しないよ」

 背が高くて都会的なこの男も、音楽関係者だろうか。東京の音楽関係者ってかっこいいよな、と、俺は俺の知っている数少ないミュージシャンたちを思い浮かべる。合唱部の先輩にもキャプテンの金子さんをはじめとして、かっこいい男は多い。

 真鍋草太さんという音楽家は知らなかったが、クラシックの方だそうだ。ヒデは入学式のときに女の子たちが噂していたから名前を覚えたのだそうで、どんな音楽家なのかは知らなかったらしい。

「合唱部のために曲も残して下さってるんだよ」
「そうなんですか」
「真鍋先生と話せたとは、本庄くん、よかったね」
「はい」

 東京のピザはうまいけど高いから、おごってもらったときにしか食えないかな、なんてさもしいことを考えそうになって、俺も首をすくめる。阿部とだけ名乗った男性がミートピザを二枚オーダーしてくれて、単純にも嬉しくなってしまった。


SHIGE/18歳/END








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FS食べもの物語「トロピカルフルーツ」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

「トロピカルフルーツ」


 ずっとひとりっ子だったから、このままひとりっ子でいるのだろうとは考えたこともなかった。十二歳までの人生はひとりっ子で、それが当然だったから。

「章はひとりっ子だから気が弱くてね」
「兄弟がいたらこんなに自分勝手じゃなかったかもしれないのにね」
「だけど、今さらだよね」

 親戚のおばさんや母が話しているのを聞いて、勝手なことを言ってるのはあんたらじゃないかよ、と思ってはいたが、自分がよもやひとりっ子でなくなる日が来るとは、想像もしていなかった。

「章、赤ちゃんが生まれるのよ」
「誰が産むんだよ?」
「母さんに決まってるじゃないの」

 母が何歳なのかは知らないが、いいおばさんが子どもを産む? かっこ悪い!! と叫んで母を悲しませ、父に殴られた。あれから四年、弟の龍は幼稚な語彙ながらも一人前に喋るようになって、母とも会話をしていた。

「食べたかったな」
「だって、高かったんだもの」
「おいしいんでしょ?」
「母さんも食べたことないから知らないわ。癖があるとか言うね」
「くせって?」
「変わった味とか匂いとかがあるんだよ」
「ふーん」

 食べものの話らしいが、なんだろう? 十六歳になった章と話すときとはまったくちがった穏やかに辛抱強い調子で、母は龍と話している。ふーん、とつまらなさそうに応じて、龍が台所から出てきた。

「買ってほしかったのに、お母さん、ケチ」
「なにがほしかったんだ?」
「えっと、トロ……」
「まぐろのトロ? 魚?」
「ちがうよ、マンゴとかいうの」
「マンゴーか」

 果物には興味がないので、章はマンゴーなんぞを食べたいと思ったことはない。トロというのはトロピカルフルーツだろう。マンゴーってそんなに高かったっけ? うちってそんなに貧乏だったっけ?

「よし、そしたら、兄ちゃんが大人になったら買ってやるよ。バイトでもするようになったら買えるだろ。いや、それよりもトロピカルフルーツが実る南の島に連れていってやろうか」
「南の島? そっちがいい!!」

 指切りだよ、なんて、龍は章の指に指をからませてきた。普段はうるさいほうが勝る小さな弟が、あのときばかりは可愛く思えた。

 小さな弟だった龍は、章が親の家には寄りつかないでいた十二年ばかりの間に、兄を身長で追い抜いてしまっていた。章が三十歳、龍が十八歳。大学受験には全部失敗して、それでも東京に行きたくて……と上京してきた龍が、父の金庫からかっぱらってきたキーを使って章の部屋に入り込んでいたのを発見したときには、泥棒かと思った。

「あいつ、俺よりも乾さんに似てません?」
「顔はおまえに似てるよ。木村家って美男美女家系だろ。おまえのお母さんも美人なんだし、お父さんだって……」
「親父の顔なんて思い出したくもないし……おふくろはばあさんになっちまってるけど、ふたりの若かったころの写真だったら……」

 古臭いファッションをしてはいたが、へぇ、なかなか美男美女だな、と感じた記憶はあった。

「その上に龍は背が高いんだから、もてるだろうな」
「どうせ俺はちびですよ」
「……いやいや……」

 父親は章が大学を中退したと聞いて激怒し、勘当だーっ!! と宣言した。章がフォレストシンガーズのメンバーとして有名になってきていても、あの頑固親父は長男と和解しようとしない。そのくせ次男には甘くて、龍が東京で浪人することを許した。

 一浪の末に章が中退した大学に入学した龍は、仕送りもしてもらい、兄に小遣いももらい、時にはフォレストシンガーズの誰彼におごってもらったりもして優雅な学生生活を送っている。どこが優雅だっ?! と龍は怒るが、少なくとも章の学生時代よりははるかに恵まれていた。

 しかし、最近の龍は就活に疲れている。

「兄ちゃんはいいよなぁ。ちびだけど才能があるんだもん。俺の身長と兄ちゃんの才能、取り換えっこしない?」
「いやだ」
「だろうね。言ってみただけだよ」

 第一、章が承諾したとしても不可能ではないか。では、章も言うだけ言ってみよう。

「おまえを慰労してやるために、おまえがガキだったころの約束、実行してやろうか」
「なんの約束?」
「トロピカルフルーツを食いに、南の島に行く。今の俺にはおまえをタイでもセブでもタヒチでもバリでも、セイシェルにでも連れていってやれるぞ」
「……いらねぇよ。その分、小遣いくれ」

 弟の返答は、あまりにもあまりにも章の予想通りだった。

END







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FS食べもの物語「クレームアンジュ」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

「クレームアンジュ」


 おしゃれな店というのだろうか。外観もお菓子のようだ。
 淡いピンクの壁、ケーキみたいにも見える看板に「Un grand reve」とピンクの生クリームみたいな文字で書いてある。「reve」の「e」の上に「^」な記号がついてるってことは、フランス語だろうか。俺は敦子に尋ねた。

「この喫茶店に入るのか?」
「喫茶店じゃないの。カフェ」
「どうちがうんだ?」
「どうって……喫茶店とカフェはちがうのよ。本橋くん、入ろう」
「うん」

 双生児である兄貴たちの空手の試合を見にいったら、同じ中学校の女の子と会った。敦子の姉さんも空手をやっているのだそうで、兄や姉が空手をやっているという似た境遇だと知って話がはずみ、それからつきあうようになったのだ。

 中学三年生、来年は受験だから、先生や親に知られたら、男女交際なんてやってる場合じゃないだろ、と言われるかもしれない。中学生の男女交際はまだ早いと言う者もいるが、早くはない。俺の友達だって敦子の友達だって、彼女や彼氏がいると知るとうらやましがる。

 受験に専心しなくてはならない時期になったら、交際を一時ストップしてもいいかな、と俺は思う。敦子とそんな相談をしたわけではないが、今はまだ必死で勉強しなくてはならないほどでもないのだから、休日にデートするくらいはいいだろう。

 俺は彼女がいることを兄貴たちにだって親にだって内緒にしているが、敦子は姉さんには喋っているらしい。そのおかげで姉さんが遊園地の入園チケットをくれたというので、ふたりで遊んできた。

 乗り物にも乗り放題のチケットだったから、金がかからずにすんでよかった。昼食のハンバーガーは俺が払い、帰りの喫茶店……ではなくてカフェか、それも俺がおごるつもりで、敦子に行きたい店を選べと言ったら、ここに連れてこられたのだった。

「可愛いね、あれ」
「あの人形? まあな」
「素敵なインテリア。あたしも大人になったらこんな店、やりたいな」
「喫茶店を経営するのか」
「カフェだってば」

 ウェイトレスがメニューを持ってくる。うわ、高っ、と叫びそうになる。俺は女の子とデートするなんてはじめてだから、こんなカフェに入るのもはじめてだ。
 男友達とだったら安くて腹がふくれるものを食える店に入る。親とだったら高そうな店にも行くが、兄貴たちとだってこんな店には入らない。兄貴たちは大食らいの大男だから、喫茶店なんてものにもめったに入らない。連れていかれるのは牛丼屋やファストフードショップばかりだ。

 この値段だったら夕飯代より高いよな。中学生なんだからあまり遅くはなれないから、夕飯じゃなくてお茶にしたけど、こんな値段ってぼったくりだろ。
 それに、このメニューの名前はなんだ? ケーキの名前か? コーヒーや紅茶のコーナーにもややこしい外国語が並んでいて、俺にはなんなのかわからない。「ティラミス」「パンナコッタ」「カヌレ」「クイニーアマン」ってなんだろ?

「あたしはクレームアンジュにしようかな」
「なんだ、それ? 安寿と厨子王?」
「……? そっちこそ、なんだ、それ? 本橋くんったら、クレームアンジュを知らないの?」
「知ってるよ。知ってる」

 軽蔑の目で言われたら、知らないとは言えなくなってしまう。俺は甘いものは嫌いだし、メニューの大半が知らない食いものなので、わかやりやすいものを選んだ。

「俺はアイスコーヒーと、チーズとハムのクレープ」
「お茶の時間なのに、甘いものは食べないの?」
「えーっと……」

 美人のウェイトレスに注目されているのもあって、甘いのは嫌いだとは言えなくなってしまった。クレープに包んであるものは惣菜ふうならば、ツナだの卵だのと見当がつくのだが、甘いほうは名前を飾り立ててあってわかりづらい。
 イヴォンヌのクレープってなんだ? ホットケーキはないのか? シュー・ア・ラ・クレームってシュークリームか? ちがうのかもしれないし、シュークリームは嫌いだし。

「えっと……クレームドカカオにしようかな」
「お客さん、未成年でしょ。クレームドカカオはお酒ですよ」
「もうっ、本橋くんったら、恥ずかしいことを言わないで」
「……ごめん」
「だったらね、クレームアンジュをふたつ。それでいいでしょ」
「うん、いいよ」

 クレームアンジュってなんなのか知らないし、第一、高いし、とも言えなくなって、それでいいよ、と呟くしかなかった。

 出てきたものはチーズとも生クリームともつかないデザートで、赤っぽいジャムのようなソースのようなものがかかっている。おしゃれ、おいしい、と敦子ははしゃいでいたが、俺にはおいしくもない。食いものっておしゃれだったらいいのか? 美味のほうが大切じゃないんだろうか。

 甘いのは嫌いってことは、俺は将来は酒飲みになるのかな。兄貴たちは高校のときから、親父と三人でビールを飲んだりしていた。二十歳をすぎた今はふたりともに酒豪だ。俺もああなるのかな。ビールだったら飲んだことはあるけど、そんなにうまいとも思わなかった。コーヒーのほうがうまいよな。

 そんなことを考えながら白い食いものをつついている俺に、敦子が楽しそうに話しかけてくる。敦子はこのクレームアンジュをたいそうおいしいと思っているようでご機嫌だった。

「あのアトラクション、怖かったけど面白かったよね。本橋くんはジェットコースターとか絶叫マシンとかも平気なんだ。そういうところは男らしいかも」
「あ、そう? そうかもな」
「そうだよ。本橋くんは男らしいって、あたしの友達も言ってる。うん、おいしい」
「うん、よかったな」

 女の子ってわがままで口うるさくて、手のかかる存在だけど、やっぱり可愛いかもな。敦子の機嫌がよければ、なぜか俺も気分がよくなってくるのだった。


真次郎14歳/ END








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FS俳句・短歌・超ショートストーリィ2017/7

forestsingers

2017/7 フォレストシンガーズ 超ショートストーリィ


 手の中には小さな和菓子がひとつ。汗をかくんだから糖分を補給しなくちゃね、と祖母が言って持たせたものだ。

「あんたは和菓子屋の息子なんだから、甘いものは嫌いだなんて親不孝なことは許されないんだよ」
「汗をかいたら必要なのは、糖分じゃなくて塩分だろ」
「これも持っていけばいいよ」

 もうひとつ、渡されたスポーツドリンクの成分を見れば、ビタミンや塩分の他に糖分も入っている。おばあちゃんの知恵袋とかいうのはまちがってはいないのだろうし、和菓子ひとつくらいは邪魔にもならないので持ってきた。

 金沢の中学一年生、乾隆也。
 夏休みの自由研究の題材を探すために、郊外の森にやってきた。

 自由研究だったら理系じゃなくて、得意な文系のほうがいいな。
 適当な岩に腰かけて、祖母が作ってくれたおにぎりを食べる。和菓子はデザートであろうが、甘いものを最後にすると口の中に甘ったるい味が残りそうで、先に食べてしまうことにした。

「しずけさや岩にしみいる蝉の声」

 そうそう、こっちの研究のほうがいい。

 文字通りというか、俳句通りというか、松尾芭蕉のこの句がぴったりすぎるシチュエーションだ。隆也以外の人間はおそらく誰もいない小さな森の中、静けさに浸る隆也の頭上から蝉の声が降りそそぐ。

「あんたのお父さんは変人だから、このお菓子はね……」

 でこぼこした小豆で覆った水ようかん、見た目が岩に似ているからと、和菓子職人の父がこの菓子に「蝉しぐれ」と命名した。蝉しぐれに包まれて「蝉しぐれ」を食べるのは、中学生には乙すぎて気恥ずかしいような……。

TAKA/12/END



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FS超ショートストーリィ・四季のうた・真次郎「夏の真」

番外編

フォレストシンガーズ

四季のうた

「夏の真」

 脚が四本、砂浜に並んでいる。
 ごつごつしたおのれの脚と並んでいるのは、すらっと長い綺麗な脚。彼女は一般的な意味での美人ではないと真次郎は思う。プロポーションも背が高すぎて細すぎると思うが、着こなしは素晴らしくいい。脚もまっすぐで美しく、さすがモデル、なのだろうとは思えた。

 モデルなんか趣味じゃないのにな。
 シンガーとモデルのカップルなんてありふれすぎてて、恥かしいくらいなのにな。
 でも、彼女がモデルだから好きになったのではなくて。
 好き……好きは好きだけど、ただそれだけで、それよりも。

「なんかちょっと疲れたね。戻らない?」
「そうだな。行こうか」

 ホテルに戻ったら水着をはずしてシャワーを浴びて、それからそれから……それからすることが、俺のいちばんしたいこと。そこに真実なんかあるんだろうか。

 真実の「真」は真次郎の真。俺の名前の中に「真」はあるんだから、俺の想いや行為の中にもあるのかどうかなんて、考えるのはやめておこう。

 陽が翳りはじめている中、長身の彼女の肩を抱いて砂浜を歩いていく。真次郎のしたいこと、彼女もしたがっているはずのこと。それだって「真実」なのはまちがいない。

SHIN/25/END


 







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FS食べもの物語「カツサンド」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

食べもの物語

「カツサンド」

 手をつないでもえいがか? そう訊いてから彼女がうなずいたら手を取る。それが正しい方法なのだろうか。訊くべきかとも思ったのだが、喉にからまったようになって言葉が出てこない。あのときの俺はどうしても訊けなくて、手を伸ばして彼女の指を一本、つまんだ。

「……」
「…………」

 彼女もなにも言わず、赤くなってうつむいていたっけ。

「それが初デート?」
「そうだよ。十二歳のときだったな」

 十二歳なんて純情なのが当たり前だ。変な知識だけは頭の中に詰まっていても、実践はしたことがない。男友達と下ネタで盛り上がったりはしたし、俺には妹がいるので身近に女の子の存在もあったのだが、妹は厳密には女の子ではない。後輩の三沢幸生にも妹がいるので、この感覚は共有できるようだ。

「どこに行く?」
「お母さんが、映画やとかはいかんちゅうて……暗いから……」
「そうか。ほしたら、ハイキングにしよか」
「それやったらえいがかな。うち、お弁当つくるきに」

 四国は高知県の、約十年前の十二歳だ。母親の言いつけを素直に守る女の子、女の子のいやがることはしないと決めていた男の子。

 あの男の子だった小笠原英彦は、成長して大学生になった。高校生で初体験はすませ、最近はすれてしまって、ナンパだってやる。遊びで女の子と寝たりもする。大学の合唱部で知り合い、はじめは喧嘩ばかりしていた柳本恵と、なりゆきでつきあうようになったが、これは遊びではないのか?

 大学生が真剣につきあったところで、普通は結婚までは考えない。恵を好きだからつきあってるんだろ? 恋人なんだろ? と誰かに質問されればうなずくが、情熱のようなものはなかった。

 茨城県の海辺出身の恵と、高知県出身の俺は気性が似ている。どっちも荒い。俺は優しい女の子が好きなはずだったのだが、どうしてだかこんな女につかまってしまった。好都合なのはともにひとり暮らしだから、ホテル代不要。彼女の親の目や耳を気にする必要もないってことか。

 片付いているほどでもないが、俺の部屋よりは整理整頓されている恵のマンションで、ふたりで持ちよりメシ。恵の父親は茨城で水産物会社を経営しているので、上等なスルメや干物なども出てきていた。

 初デートっていつだった? 覚えてる? と言い出したのは恵だ。

「私は高校のときかなぁ。映画を観にいったの」
「俺は中学一年のときだよ」
「ませてたんだね」
「そうかな」

 はじめてのなにか、というのは意外と覚えている。初デート、ファーストキス、初恋、初失恋、ファーストセックス、ファーストナンパ、それらは全部、土佐で高校生の間にすませて東京に出てきた。

「ファーストエッチは?」
「そういうことは訊かないのが礼儀でしょ」
「そうだな」

 ちょっとだけ知りたかったが、しつこくはしないでおこう。
 あら、ヒデとのエッチが初だよ、ととぼけるほどに厚顔無恥ではない女だとわかっただけでも収穫ではないか。

「そんな話題を出したせいで……」
「駄目だよ。食べてから」
「食うのは休憩しようよ」
「ダメダメ」

 こっちは厚顔無恥になってしまって、あの純情な少年はどこに行ったのだ? と苦笑してしまう。十年もたっていないのに、人は変わるものなのだ。

「あ、これも買ったんだった。これ、おいしいよ」
「カツサンド……ますます思い出すよ」

 抱きすくめようとする俺の腕から抜け出して、恵がサンドイッチの箱を差し出した。十二歳のときの彼女が作ってきた弁当もカツサンドだった。

「昨日、お母さんに教えてもらって私が揚げたんぞね」
「うん、上手にできてるな」
「おいしい?」
「うまーい!!」

 見上げた土佐の青空も思い出す。

「まだ初デートの話? 私とおうちデートしてるんだから、そんな大昔のことばかり想い出すなよ」

 自分から初デートの話をはじめたくせに、恵は怒っている。
 怒るってことは、恵はやっぱり俺に惚れてるんだな、とひとりでにやついてみた。

END








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花物語2017/7「段菊」

ショートストーリィ(花物語)

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2017/7 花物語

「段菊」

 面と向かって人にこんなことを言うとは、やはり日本人ではないからなのだろうか。幼いころから祖父母の家にいることが多かった摂子には、謙譲の美徳、人には遠慮を、気遣いを、思いやりを、という教えが身についてしまっていて、ケィティにはむしろ見とれてしまっていた。

「あんたって暗いね」
「そ、そう……? えーっと、ケィティさんって日本語、上手なのね」
「私、語学の天才だから」

 他人を暗いと決めつけるのもだが、自分で自分を天才だと言うのも、摂子には信じられなかった。

 中学生にもなって摂子は字が下手すぎる。幼稚園くらいから習字をやっておくべきだった。摂子のお母さんには余裕がなかったのだから仕方ないし、まだ手遅れではないから、書道教室に通わせよう、そうそう、それがいい。
 本人には相談もせず、祖父母が決めてきた習い事だ。先週、はじめて教室にやってきて、中学生コースの仲間たちとは挨拶だけはかわしていた。

 幼児、小学生、中学生、高校生、成人。
 この書道教室は五つのコースに分かれている。小学生と成人はなかなかに盛況なのだが、幼児のほうは遊びのようなもの。高校生も少ないが、中学生は生徒数がさらに少ない。

 もっとも数の少ない中学生コースには、イギリス人がいるとは聞いていた。先回はケィティという名前だと教わった彼女は欠席だったのだが、摂子についてはケィティも聞かされていたのだろう。イギリス人で摂子と同い年とだけは聞いていたが、摂子は突っ込んだ質問はしなかった。

 イギリス人だったら日本語は得意じゃないんだろうな、と思っていたのだが、ケィティは日本人と変わらない話し方をする。自称天才は本当なのかもしれなかった。

 なんて不躾な子なんだろ、と初対面で感じたケィティとは、それでもじきに雑談だったらする仲になった。ケィティ、セツコ、と呼び合うようになるにつれ、彼女はいくつもの質問をした。

「それでそんなに暗くなったの?」
「きっとそうだね」
「ふぅぅん」

 不審そうな、うさんくさそうな目。ケィティにそんな目で見られて、摂子のほうは目を伏せた。

 起床して身支度をして祖父母の家に送っていかれ、祖母に保育園に連れられていった幼児期。
 小学校にはきっちり戸締りをしてからひとりで登校した。四年生までは学童保育に行き、学童の放課後は祖母の家に帰って夕食と入浴。時にはそのまま泊まることもあった。

「摂子のお父さんは、お母さんが忙しく働きすぎるのが不満なんだって。お母さんの収入がいいからお父さんは楽できたってのもあるはずなのに、結局は家事ができないだとか、摂子の育児を私にまかせすぎだってのが気に入らないみたいだよ。だったらあんたが家事も育児もすればいいんだ」
「おばあちゃん……」
「離婚するらしいけど、摂子は今までとそんなに変わらないから大丈夫」

 たしかに祖母の言う通りで、摂子の生活は両親の離婚後もさして変化しなかった。

 官庁の管理職である母はたいへんに多忙で、だからこそ摂子は母方の祖母に育てられたようなものだ。そうと知るようになったのは、両親が離婚した摂子、小学校五年生のとき。摂子の親権は母が持ち、摂子は母とふたり暮らしになったマンションから小学校に通う。食事や入浴は平日はたいてい祖父母宅でだった。

 離婚にあたって両親がどんな話し合いをしたのかは、摂子は詳らかには聞かされていない。祖母によると、父さんは摂子には別に会いたくもないらしいね、とのことで、事実、父とはあれきり一度も会っていなかった。

「それで傷ついて、摂子は暗い女になったんだ」
「そうかもしれないと思うよ」

 一年ほどの間に、摂子はケィティのさまざまな質問に答えた。ケィティはあまり自分の話をしなかったのだが、摂子からおよその境遇を聴き出してから話してくれた。

「私の親はかなり年取ってるの。摂子のおばあちゃんと変わらない年なんじゃないかな」
「おばあちゃん、六十すぎてるよ」
「うちのパパも五十すぎてるよ」

 中学二年生から見れば、五十代も六十代も似たような年頃である。

「パパもママも何回離婚したかなぁ。私の実のパパは三回、実のママは二回だっけ? 三回だっけ? 離婚しては再婚するから、ステップファーザーやステップマザーも何人も何人もいて、いちいち覚えてらんないの。そのステップの人たちも離婚したり再婚したりしてるから、私と関係のある大人がいーっぱいいるんだよ」
「ほぇぇ」
「もちろんパパやママにもパパやママがいて、生きてたり死んでたりするんだけど、それも覚えてない。だって、グランマやグランパだって何度かは離婚してるよ。一度も離婚したことのない大人なんて、イギリスにはいないんじゃないかな」

 ほぇぇ、へぇぇ、としか摂子には返答できない。これぞまさしくカルチャーショックだ。

「どのパパがどうでどのママがどうで、グランパは? グランマは? ややこしいから覚えてるのもやめたの」
「そうなんだ」
「そうなんだよ。でね、私の親権は実のパパが持ってて、去年、日本人と再婚したのね。三回目だったか四回目だったか忘れたけど、パパは新しい奥さんが大好きで、私を連れて来日したの。パパの新しい奥さんはお喋りだから、私もじきに日本語を覚えたよ」
「パパの新しい奥さん……ケィティの新しいママ……」
「ママってのは世の中にひとりだけだから、あのひとはパパの新しい奥さん。ママじゃないよ」
「そのひと、嫌いなの?」
「ううん。けっこう好き」

 私なんかはそうなのに、明るいでしょ? なんで一回両親が離婚したくらいで暗いの? 馬鹿らしいじゃん、とケィティは言いたかったのだと解釈した。

「摂子、このごろ元気ね。おばあちゃんも安心したわ」
「うん。ケィティのおかげ」

 三年生の夏休みに、摂子はケィティのパパとパパの新しい奥さん、だとケィティの言う女性との家に遊びにいった。庭に咲いていた紫の花を、その女性が摂子にプレゼントしてくれた。

「菊ですか?」
「段菊っていうのよ。シソ科だけど、菊に似てるでしょ。この花の花言葉は、悩みとかわがままとか、あまりよくないんだけど、大人のわがままで悩んでしまう少女のために……なんてね」

 複雑な気分で受け取った摂子を見て、ケィティは笑っていた。

 高校はケィティとは別々になったのだが、淡い茶色の髪にグリーンの瞳の彼女とともに、紫の段菊の花の印象は鮮烈に残った。
 大学を卒業した摂子が一般企業に就職したころには、離婚が珍しかった時代も去って平成の世の中になった。摂子は祖母の友人の紹介で結婚し、子どもが三人できてワーキングマザーとして生きてきた。

 あれっきり一度も父には会っていない。祖父は亡くなったが、祖母と母は摂子の住まいとは近居で元気にしている。母は官庁の重要なポストに就き、祖母が主婦のように家庭の切り盛りをしていた。

「母さん、俺、結婚しようと思うんだ」
「あら、おめでとう。紹介してちょうだいよ」

 三番目の子どもである長男が言い出したとき、摂子は気軽に応じた。

「今どきとしてはちょっと早めだろうけど、いいよね。どんなひと……って、会わせてもらったらわかるから連れておいで」
「彼女……先に言っておくよ。バツ三なんだ。子どもができない体質だからって、一度目は夫に離婚をつきつけられた。二度目と三度目は不妊症だと知ってて結婚したのに、相手に言われたんだそうだよ。やっぱり……子どもがほしいって」
「……そうなの、わかったわ」
「母さん、反対しないの?」
「そんなのするわけないでしょう。彼女が悪いわけじゃなし」

 ありがとう、と息子は言ってくれたが、娘たちは言った。

「えええ? バツ三? あり得ない」
「バツイチだっていやなのに、三回? そんなの、母さん賛成したの? 父さんは?」
「あのね……」

 なぜ三度も離婚を? と夫は言ったが、事情を説明すればわかってくれた。それにしてもな……とぶつぶつぼやいていたのは、もろ手を挙げて賛成というわけでもないのだろう。

 こういう事情で三度の離婚をした女性なのよ、と説明すると、娘たちも納得はしてくれたが、年上なんでしょ? そのひと、男を見る目ないよね、わかるけど、弟がそんな女性と結婚するってのはね、子どもはできないんだよね……と難色を示していた。摂子の母も祖母も、そうと話すとなんとなく渋面を作っていた。

 平成も三十年近くになる現代でも、日本人は離婚に偏見を持っている。息子と彼女はすこしばかり特殊なケースとはいえ、バツ三は相当だろう。摂子だってそんな事情がなければ、いやだなぁと感じたかもしれない。

「母さんだって離婚したくせに」
「私は好きで別れたんじゃないわ。父さんが……」
「彼女も同じよ」
「そうねぇ。でもねぇ、世間がねぇ……」
「ああ、それは私も気になるわ」

 反対したいらしい母の顔を見ながら、摂子は考える。
 中学校を卒業してからは連絡もないケィティは、どこでどうしているのかしら。彼女も結婚して、二度や三度の離婚や再婚を経験しているのだろうか。私は離婚はしなかったけど、息子がそんなことを言い出しているのよ。

 あなたのおかげかしらね。離婚を色眼鏡で見なくなったのは。

 ケィティ、もう一度会いたいわ。あなただったらなんと言うか。息子の結婚についてではなく、周囲の人々の態度についての意見を聴きたい。身内がこうなのだから、他人はなんと噂するのか。それだけは気になって仕方ない私に、あのころのように元気をちょうだい。

 END








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FS食べもの物語「ハンバーグステーキ」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ


「ハンバーグステーキ」

 
 学校から帰ると母は買い物にいっていた。妹たちも幸生よりも早く帰ったようで、母と一緒に出かけていた。幸生は猫のミミとピピをいっぺんに抱き寄せて話しかけた。

「昨日、母さんが言ったんだよ。明日はなにを食べたい? って。だからさ、ハンバーグって言ったんだ。しばらく作ってないからいいかもね、よし、そうしよう、って母さんが言ってた。今夜はハンバーグだぞぉ。ミミとピピも食べたい? ちょっとだけ残しておいてこっそり分けてやるよ」

 ハンバーグが食べられると思うと、口の中がハンバーグモードになる。楽しみにしていたのに、だから宿題も早くすませて、ハンバーグハンバーグやっほー!! と歌いながら二階から降りてきたのに。

「あれぇ? ハンバーグじゃないの?」
「あらっ、そういえば幸生にはそう言ったよね。忘れてたわ」
「ええっ?! そんなぁ……」

 スーパーマーケットで安売りをしていたとかで、今夜はポークステーキなのだそうだ。幸生は心底がっかりして、口をききたくなくなった。

「いっただきまーす」
「ポークステーキだったらりんごとパインも焼いて付け合わせにするといいって、雑誌に載ってたのよ。どう、おいしい、雅美、輝美、幸生?」

 おいしい!! とふたりの妹は叫び、父も、うんうん、うまいな、とにこにこしている。母も満悦の表情になって幸生を見た。

「どうしたの、幸生がごはんのときにお喋りしないなんて、熱でもあるんじゃない?」
「だって、ハンバーグ……口がハンバーグ食べたいって言ってて、お喋りできないんだよ」
「まだ言ってるの?」
「ハンバーグと豚肉なんてよく似たものじゃないか」
「そうだよ。同じお肉だもん」
「お兄ちゃんったらなにをぐだぐだ言ってんの? 男らしくないんだからぁ」

 家族総出で責められて腹が立って、幸生は言い返した。

「こんなのおいしくないよっ。母さんが豚肉食べてたら共食いみたいで、オレは食欲がなくなっちまうんだよっ!!」
「幸生っ!!」
「そんなことを言う子は食べなくていい。二階に行きなさい」

 母は般若の形相になり、父はきびしく言い放つ。こうなれば意地もあるので、幸生としてもあやまる気にもならずに箸を投げ出して二階に上がった。

 階下からは一家団欒の声が聴こえてくる。幸生はひとりぼっちで、猫たちも二階には来てくれない。起きていると泣いてしまいそうだったので、布団にもぐり込んだ。
 が、眠れない。布団の中でぼーっと目を開けていると空腹感がつのる。いつだったか、テレビドラマで見たワンシーンを思い出した。

 小学生の男の子がなにかで父親に叱られて、晩ごはんヌキの罰を言い渡される。おなかがすいたなぁ、としょんぼりしていると、母がそおっと男の子の部屋に入ってきて、お父さんには内緒よ、とおにぎりを置いていってくれるのだ。
 うちの母さんもそうしてくれるかも……と期待していたのだが、ついぞそんな気配もなかった。

「薄情もの。オレって母さんと父さんの実の子じゃないのかも。腹減ったなぁ。ハンバーグ、食べたいなぁ。口の中がまだ、ハンバーグ、ハンバーグって言ってるよ。ポークステーキだったら焼くときの匂いは似てるから、直前までだまされてたんだもんな」

 布団の中でぶちぶち呟いているうちには眠ってしまって、翌日。

「今日はパートに行くからちょっと遅くなるかもしれないの。ごはんの支度はできるように帰ってくるから、お留守番していてね」

 独身時代には銀行員で、父とは職場結婚をして退職した母は、子どもたちが小学生になってからは時たまもとの銀行にパートに行く。そんな日には幸生が妹たちの面倒を見なくてはいけない。もっとも、雅美は幸生とひとつしかちがわないので、輝美の面倒も彼女が見てくれているようなものだ。

「そうだ、よーし」

 貯金箱からとっておきの千円札を出して、幸生は放課後にスーパーマーケットに行った。
 家に帰ると玉ねぎをみじん切りにして、パン粉と合いびき肉と卵を入れて手でぐっちゃぐっちゃとかき混ぜる。大好物のハンバーグの作り方は、母が料理しているのを見て覚えてしまった。

 雅美と輝美はふたりで遊びにいっているから、邪魔される恐れもない。お兄ちゃんったらまだハンバーグって言ってる、男らしくないんだからっ!! とからかわれると怒ってしまって暴力をふるってしまうから、そうすると今夜も父に叱られるから、ひとりでいられてラッキーだった。

「あ、だけど、留守番してるときに火を使ったらいけないって言われてるんだ。ミミ、ピピ、どうしたらいいと思う?」

 いい匂いがするせいなのか、ミミとピピは幸生の足元にいる。ハンバーグのタネを混ぜることはできても、成形して焼き上げる自信がなくて、幸生はボールの中を見つめていた。

「ただいまぁ」
「……父さん、お帰りなさい。早いね」
「今日は母さんが残業だって言うから、父さんが早く帰ってきたんだよ。なにやってんだ?」
「え? えーと……」

 ボールの中でぐちゃぐちゃになっているものを見れば、父にもなにをやっているのかは一目瞭然だったのだろう。呆れたように笑って幸生の頭に手を乗せた。

「一緒に丸めて焼こうか。母さんに頼まれたわけでもないんだろ」
「オレが食べたくて……」
「おかずができてたら母さんも喜ぶかもな。着替えるから待ってろ」
「うん」

 父の足元にすり寄っていく、ミミとピピにも言ってみた。

「おまえたちもハンバーグ、食べたいだろ? オレが作ったんだからちょっとだけあげるよ」
「……馬鹿」
「え? なんで?」
「猫には玉ねぎは厳禁だぞ。知らなかったのか?」
「そうなの?」

 誰も教えてくれなかったのだから、知らないに決まっているではないか。そうなんだって、とミミとピピを見やると、猫たちは不満そうに、にっ、みゃっ、と鳴いた。
 父がエプロンを二枚持ってきて、一枚を幸生につけてくれる。玄関の戸が開いて、ただいまぁ、と妹たちの声がする。幸生は背伸びして父の耳元に素早く囁いた。

「ハンバーグは父さんが作ったんだって言っといて」
「ん? どうして?」
「男らしくないって言われるから」
「……いつまでもこだわってるからってか? ああ、わかった。そう言っておくよ」

 男の気持ちは男同士にしかわかんないんだよね。ウィンクしてくれた父にウィンクを返し、幸生は自分のためには特大ハンバーグを作るつもりで、ボールの中に手を突っ込んだ。

 
幸生10歳/END







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FS超ショートストーリィ・四季のうた・繁之「夏の間」

番外編

フォレストシンガーズ

超ショートストーリィ・四季のうた

「夏の間」

 
 一瞬の沈黙、しらじらーっとした間。
 シラケ鳥飛んでいく……なんて歌があったなぁと、繁之はその場の気まずい空気の中で考えていた。KYなんて言葉もあるよな。俺はこの場の気まずい空気ってやつは読めているけど、KYの「空気」は別の意味なのかな。

 仕事でやってきた夏の海岸。仕事とはいえ若い男女が集まっているのだから、プライベートタイムにはみんなで飲んで食べて騒ごうか、ということになる。

 フォレストシンガーズの仲間たちは、繁之から見ればみんなもてる男だ。次から次へと恋をして、彼女を作っている。そうすることには苦悩もあるのだろうが、そんな苦悩だったら俺もしてみたいよ、である。

 ……これなんだな、俺がもてない理由のひとつは。
 もてない理由はひとつではないだろうが、この白々しい空気を繁之ひとりでは打破できないから、女性を引きつけられないというのはまちがいなくありそうだ。

 理由がわかったからといってどうすることもできず。
 
「ああ、そうそう、それでね……ね、乾さん、この間さ……」
「ん? ああ、そうだった」
「あ、あれですよね。ねぇ、こんな話知ってる?」
「昔々、あるところに……」
「リーダーったら、ちがいますってばっ」

 口火を切ったのは幸生、隆也が振りに乗っかり、章も即座に反応する。「この話」の意味はわかっていないのかもしれないが、真次郎も反応して女の子たちが盛り上がる。

 たったひとり、話題に入っていくこともできなくて、繁之の周りだけ空気がちがっているような。間、間、間だらけみたいな……。

SHIGE/25/END






 


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いろはの「ひ」part2

ショートストーリィ(FSいろは物語)

フォレストシンガーズ

いろは物語2

「飛花落葉」

 教授の助手と学生として出会った彼と恋に落ちた。むろん私のほうが年上だったが、彼は女の外見や年齢にこだわる男性ではなかったので、私の中身だけを見てくれた。

「万葉集を専攻なさってるの? 私も短歌は大好きよ」
「気が合いますね」

 趣味が合って結びついたということは強い。彼とは会うたび、短歌の話題で盛り上がった。

「額田王を卒論のテーマにするの?」
「迷っているんです。俺は古歌も大好きですけど、現代の歌も好きなんですよね。額田王というひとりの歌人にとどまらず、古代の歌と現代の歌について、みたいなテーマにしようかなって」
「それもいいわね」

 いつしかふたりで会うようになって、時を忘れてそんな話をした。

「もうじき卒業ね」
「……そうですね」
「卒業しちゃったら、乾くんとは二度と会うこともないのかしらね」
「そんなの……寂しいですよ。信子さんは俺から見たら目上の方だから、こんなことは言えなかったんだけど、卒業してしまえば対等の男と女になれるって考えてもいいですか」
「私は目上なんかじゃないわよ。今でも対等じゃないの」

 二月のある日、喫茶店で彼が告白してくれた。

「じゃあ、俺が卒業してからもつきあって下さい」
「それって恋人同士としての交際ってこと?」
「もちろんです。俺は若すぎて結婚の申し込みはできないけど、一刻も早くひとり立ちしてみせます。そしたら信子さんと結婚して、幸せにしてみせます」

 何歳の年の差があると思ってるの? なんて訊かなくても、知っていて申し込んでくれているのだ。年齢差だの、彼は若くてすらりと背の高いかっこいい青年で、私はぱっと見はやつれたふうに痩せたおばさんだということだの、いちいち口にしなくても、乾くんは私と向き合っているのだから、見ればわかる。

 下世話なものはすべて取っ払って、私の魂を見てくれている彼。私だって彼が若くてかっこいいから恋をしたのではなく、心と心が引き寄せ合ったから好きになった。

「じゃあ、よろしくお願いします」
「嬉しいです。ありがとうございます」
「じゃあね、敬語はやめてね。信子って呼んで」
「呼び捨てはしにくいな。あなたが年下だとしても俺は呼び捨てにはしませんよ。信子さん、俺のことも乾くんじゃなくて隆也くんって呼んで」
「わかりました」

 結婚はどうでもいい。ソウルフレンドという言葉もあるのだから、彼とは男と女のそれになれればいい。けれど、それでも男と女。セクシャルな関係だって彼が望むのならば結んでもいい。貧相なおばさんだって、彼の腕の中では額田王のような豊満な美女に変身できた。

「隆也くんに恋してた女の子、いたでしょ」
「誰のこと?」
「いっちゃんって言ったかな。告白されたんじゃないの?」
「女性から告白ってのは何度かされてるんだ。だけど俺は、こっちが本当に恋をした女性とでないとつきあう気にはなれない。だからあなたに俺が告白したんだよ」
「……そうね」

 やがて彼は卒業し、私は大学に残った。

「歌は歌でもそっちを仕事に選んだのね」
「そうなんだ。信子さん、これで俺もあなたと結婚するめどが立ったよ。もうすこしフォレストシンガーズが軌道に乗ったら、あなたを連れ去りにくるから」
「待ってるわ」

 俗世間の恋人たちのような俗っぽいことは、私はしなくてもいいのよ。だけど、純粋で若いあなたは、愛する女を結婚して幸せにしたいと願っている。ならば私も応えてあげたい。その気持ちだけで、私は彼に冷水をかけるような言葉は浴びせなかった。

 あれから十年、二十代だった隆也くんが三十五歳ということは、私は五十五歳。光陰矢の如し……大人は誰だってふと立ち止まると、このフレーズを実感するものだ。

「たまには……」

 通りがかった高級スーパーマーケットに、好奇心を起こして入ってみた。フォレストシンガーズは近年になってかなり売れてきているから、この程度のマーケットで買い物をするのは余裕の収入がある。私も教授の地位についているから収入はよくなったが、生活費は俺の給料から出すように、と夫は言う。年下だからこそ多少はいばらせてあげるのも、かしこい妻の夫操縦術だ。

「いっちゃん、苺大好き」
「うん、僕も苺は大好きだよ。苺、買えば?」
「季節外れだからね、高いね」
「高いの、それ?」
「セイさんって買い物にもめったに来ないから、なにが高いのかわかってないでしょ」
「だって、八百円だろ。高くなんかないじゃん」
「苺としては高いんだよ」

 自分をいっちゃんと呼ぶ女、甘ったるい声。ぎくっとしてその声のほうを見ると、三十代に見える若作りカップルがいた。男のほうは脚本家か作家か、ニュース番組にも顔を出している文化人だ。いっちゃんとは……学生時代に乾くんに横恋慕していた女だった。

「前のときにはつわりってあんまりなかったんだけど、ふたり目はわかんないらしいからね」
「つわりってすっぱいものが食べたくなるんだろ」
「そういうのもよくあるけど、変なものが食べたくなったりもするんだって。今はいっちゃんはすごく苺が食べたいの」
「だから、買えばいいじゃん。ムゥだって苺は好きだろ」
「もちろん大好きだよ。セイさんも食べる?」
「うん、食べる。三パック買えば?」

 あの会話からすると、いっちゃんはふたり目の子どもを妊娠している。彼女は乾さんよりもふたつ、三つ年下だったはずだから、三十二、三歳か。二十代で結婚して出産したとしたら、そのくらいでふたり目は順当だ。連れの男は夫なのだろうか。

 小さなパックに苺が五粒で八百円。いくらなんでもね、こんなの買えないわよね、心の中で乾くんに話しかけて、私は特になにも買わずに外に出た。出ると再び、いっちゃんとセイさんに出くわした。

「ムゥってどんな字を書くんだっけ?」
「核爆発の核と夢」
「核夢か、センスいいな」
「でしょ? いっちゃんが考えたの。だけど、モトダンのママ、つまりいっちゃんの元姑は、核だなんて最悪だとか言ってさ、センスないんだから」
「シャレがわかんないんだな。それで別れたわけ?」
「モトダンは泣いてたけど、あんな姑、顔も見たくなかったんだもん」
「俺にはおふくろはいないから、ポイント高いだろ」
「そこだけはね」
「そこだけはってなんだよ」

 外を歩きながらこんなプライベートな話をするとは恐れ入るが、おかげで私もいっちゃんの事情が知れた。姑との確執により離婚したいっちゃんは、セイさんとつきあっている。ふたり目の胎児は誰の子なのだろう? 関係ないけど気になって、駐車場までは尾行することにした。

「けどさ、いっちゃんだったらバツイチでも子持ちでも、引く手あまただよな。今まで誰とつきあった? 俺と知り合うまでに、俺の知ってる奴だったら誰がいる?」
「えーと、いちばんはじめはフォレストシンガーズの乾隆也」
「ああ、そうなんだ」

 嘘ばっかり!! ふられてたくせに!! と言ってやりたい。私はいっちゃんが乾くんにふられる現場を目撃していた。が、言いにいける立場ではないので我慢した。

「大学のときだよ。乾さんがしつこくて、どうしてもつきあってほしいって泣きつかれたの。でも、ほら、いっちゃんってお金のかかる女じゃん? 乾さんはデビューもできなくて貧乏だったから、このままではきみを幸せにできない、ごめん、って別れたの、彼、号泣してたな」
「男泣かせの苺」
「その通り」

 彼女の本名が苺だったのも思い出した。

「そのあとはタケちゃんとか……」
「お笑いの? 年寄りのほう?」
「若いほうだよ」
「いっちゃんは有名人泣かせでもあるんだな。サッカーの誰かともつきあってただろ」
「トーマスとつきあってたよ。外人とは結婚したくなかったから別れたの」
「そんでもって、トクと結婚したんだよな。マーシャルともつきあってなかったっけ?」
「よく知ってるね」

 私の知らない名前も出てきたが、いっちゃんの恋愛遍歴は相当に華やかであるらしい。けれど、そんなの幸せでもないし素敵でもないのよ。女はただひとりの男性と深く愛し合うのがいちばん。

「いちばん好きだったのは乾さんかなぁ。いっちゃんは今はフリーなんだから、教えてあげたら乾さんもその気になるかもね。復縁ってやつ?」
「駄目だよ。いっちゃんは俺と再婚するんだろ」
「まだ決めてないもーん」

 その気になんかなるわけないでしょ。乾さんには私がいるのよ、とは言えない私をそこに置き去りに、いっちゃんとセイさんは車に乗って去っていった。

 学生時代と変わらぬほどに若くて華奢で、私には荒んでいるとしか思えない生活が表にはまったくあらわれていない可愛い顔のいっちゃん。背が高くて奇抜なおしゃれの似合う、ルックスも悪くないセイさん。浮つき加減もお似合いのカップルだった。

「ああやって軽く軽く、世の中渡っていく女もいるのよね。ね、乾さん?」

 ひとりになって歩き出す私の行く手には萩の花。風が花と葉を散らせていた。

「いっちゃんと話をしたかったな。私はあなたが乾さんにふられていたのを見てたのよって言ってやりたかった。あの調子なんだから、いっちゃんの並べ立てた男の名前だって、どこまでが本当なんだか……ええ? あなたも変わりないでしょって? 私は他人には言わないもの。妄想しているだけだもの」

 他人に吹聴するのと、心で妄想しているのとはあまりにもちがう。学生時代の乾さんとほんのひとこと、ふたこと言葉をかわしただけの年上の女は、片想いを続けて楽しい妄想を作り上げただけ。
 片想いという意味では同じようだったいっちゃんも、別の妄想を作って他人に言い触らしている。そこはたいへんにちがっているはずだ。

 所詮、妄想だって花や葉っぱのようなもの。風が吹けば飛んでいってちりぢりになるばかり。

END






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173「ヴァーミリオン・サンズ」

ショートストーリィ(しりとり小説)

しりとり小説

173「ヴァーミリオン・サンズ」

 建国されたのは二十一世紀初頭。
 南欧のどこかにある小さな国、「ヴァーミリオン・サンズ」

 フェミニストの母親に薫陶を受け、英語が好きで小説を書くのが好きで、ヴァーミリオン・サンズに行きたくて着々と準備を進めた本村梢子。英語で小説が書けるようになり、暮らしの目途もたったので日本から移住してきた、ペンネームはショーコ・M。三十歳。

 母は応援してくれているが、父はひとり娘の異国暮らしを心配しまくっていると聞く。けれど、二十一世紀のこの世の中だ。どれだけ距離があっても、そんなに心配しなくても大丈夫だよ、お父さん。

 イングランドのロイヤルファミリーとも血縁のある、ロッカート侯爵の嫡男として生まれた、ディーン・ナイジェル・ロッカート。両親ともに政治家であるので、長男は必然的に跡を継ぐようにと育てられた。それゆえに父の教育がきびしすぎていやけがさし、生来の反逆精神が磨きをかけられ、何度も何度も家出を繰り返し。

 世界中を放浪した若き日を経て、ヴァーミリオン・サンズにやってきた。
 画家と名乗ってはいるが、現在のところはイラストレーターが本職である。二十九歳。

 暴力夫を家からたたき出した母に育てられた、生粋のニューヨーカー、アデルバート・ジョゼフ・ヒューズリー。愛称はバート。

 音楽家というものは幼少期から英才教育を受けていないと、大成などするわけがないとの説はあるが、バートはその説の輝かしき例外だ。十代になってからピアノをはじめ、他の楽器にも手を伸ばし、指揮者としても目覚める。ヴァーミリオン・サンズの新興楽団「ギャラクシアンフィル」からの招聘を受けて渡ってきたバートは三十二歳。

 シャンパンイエローの薔薇が咲き乱れる、冬のない国、ヴァーミリオン・サンズ。
 大柄なイギリス人とアメリカ人と、小柄な日本人の三人はこの国で出会った。

「そりゃあまあね。とやかく言う人間はどこの国にだっているのよ。日本なんてひどいもんなんだから、私は他人の陰口には慣れてるよ。ぜーんぜんへっちゃらだから」

「僕は親の迫害にさらされて生きてきたんだから、他人がなんと言おうとまるっきり平気の平左だよ」
「親の迫害ったら、ディーンは精神的なものだろ。俺は肉体的にちょっと虐待されたけど、おふくろのほうが強かったから、ま、たいしたこともないわな。ああ、俺だって平気だよ」

「そうだよね。当事者の私たちがそうなんだから、これからだって軽やかにあっけらかんと生きていけるよね。ディーン、バート、ずーっとずーっとよろしくね」

「こちらこそ、レディ、この生命つきるまで、あなたにありったけの愛を捧げます」
「……これだからイギリス貴族の息子なんてのはよ……いやいや、なにも言ってないぜ。では、改めて、俺はシンプルに、ショーコ、愛してるよ」

「うん、私も!!」
 

次は「ず」です。



蛇足

ヴァーミリオン・サンズシリーズはここにあります。

http://quianred.blog99.fc2.com/blog-category-22.html

読んで下さった方がほとんどいらっしゃらなくて、寂しいのであまりアップしていないのですが、かなり昔から書いていますので、実はたくさんあるのです。

で、宣伝させていただきました。このような小説です……って、どのような? と思われた方は、どうぞどうぞ読んでみて下さいね。
ではでは、ショーコ&ディーン&バートをよろしく~ 







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FS雨の物語「雨がやんだら」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

雨の物語

「雨がやんだら」


 南の窓を細く開けて、彼が言った。

「雨だな。じきにやみそうだから、もうすこししてから出ていくよ」
「……すぐに出ていってくれる?」
「濡れろって言うのか?」
「寒くもないんだから平気でしょ」

 そしたら傘を、なんて言わない。傘を貸しても返してもらうあてはない。もしも彼が傘を返しにきたら、私は彼を部屋に通してしまう。元気だった? ほんの短い間、会わずにいただけなのに、元気だったよ、って見つめ合って、以前のようにキスをして……そんなこと、二度としたくないから。

「つめたい女だな」

 不機嫌そうに私を見て、彼が部屋から出ていく。さよなら、でもなく、じゃあ、のひとこともなく、彼は出ていく。廊下を足音が遠ざかっていった。

 好きだったひとと別れるのは二度目だ。三十路間近になって一度も結婚もしたこともない女としては、二度は少ないのだろうか。十代から二十代前半までの間にだって、軽く男性とつきあったことはあるけれど、相手の顔も名前も思い出せないくらいなのだから、計算にも入らない。

 ひとり目は鮮やかすぎるほどよく覚えている。

 気まぐれを起こして書道教室に通うようになって、親しくなった人は何人かいた。その中にひとりだけ男性がいて、女性の仲間たちと彼の噂をするようになった。

「乾さんって教室を休む日も多いよね」
「なんの仕事してるんだろ」
「こんな時間に書道教室に来るって、激務のサラリーマンではないはずよね?」
「先生、乾さんのお仕事ってなんですか?」

 生徒さんのプライベートは教えられません、との先生の答えに、私たちは想像をふくらませていった。

「乾さん、今日はお時間あります?」
「あ、ええ、あの……すこしくらいでしたら」
「そしたらお茶に行きましょうよ」
「……はい」
「もちろん、みんなでですよ。私とデートしてほしいとは言ってませんよ」
「みんな? ああ、ええ、じゃあ、お供します」

 図々しい年配の女性が乾さんに直接アタックし、乾さんは私の顔を見てからうなずいた。

「隠してるってほどでもないですし、隠すようなものでもないんですけど、歌手なんですよ。売れてないからみなさんはごぞんじないでしょう? フォレストシンガーズっていいます」
「歌手の方が書道に?」
「好きなんです。子どものころに習っていて、さぼってばかりいたのを後悔してまして、大人になって改めてってわけなんですね。ただ、不規則な仕事なんであいかわらずさぼってて、先生にはご了承いただいてるんですけど心苦しいんです」
「歌手なんだったらしようがないわね」

 売れてないとはいえ、プロの歌手と友達になれた、みたいに、教室の仲間たちはウキウキしていたようにも見える。それからは乾さんに時間のあるときは、みんなでお茶や食事に行くこともあった。

「緋佐子さんとは路線が同じなんですね」
「そうみたいですね」

 同じ路線の電車で帰るのは乾さんと私のふたりだけ。いいなぁ、だとか、ずるぅい、だとか言う女性はいたが、聞き流した。独身者も既婚者も混ざっている女性たちは三十代以上で、二十三歳の私がもっとも若い。乾さんも二十代半ばだそうだから、私以外のおばさんたちは見ていないはず。

 背が高くて細身でセンスがよくて、ハンサムというのでもないけれど清潔感のある都会的な男性だ。歌手だなんて私とは世界がちがいすぎるけれど、ちがいすぎるからこそ興味深い。

 最初から好意を抱いていたのが、恋愛感情に変わっていく。だけど、売れていないとはいえ乾さんは芸能人。綺麗で華やかな女性たちに囲まれて仕事をしているのでしょう? 平凡な会社員なんかにその気になるはずがない。時々、熱い視線を感じるのは勘違いよ。うぬぼれちゃ駄目。

「あとでふたりになれる?」

 何人かで食事にいったとき、乾さんにさりげなく耳打ちされて心臓が跳ね上がった。他の女性たちとは別れ、なにげなくさりげなくふたりになって、電車の駅とは別方向へ歩き出した。

「俺のアパートは歩いてでも帰れるくらい近いんだけど、あなたは電車だよね。ご両親と妹さんがいるんでしょ。早く帰らないといけないよね」
「門限があるわけでもないし、今夜は書道教室の日だって親も知ってるから、終電までに帰れば大丈夫。書道の日はみんなで食事をするから」
「そっか。でも、まだ俺の部屋には誘えないな。俺の部屋に泊まりにきてくれられる仲になりたいって言ったら、OKしてくれる?」
「遊びでしょ」
「どうしてそう思う?」
「だって、乾さんはミュージシャンだから」
 
 まっすぐに私を見つめて、乾さんは言ってくれた。

「俺は遊びの恋はしないんだ。チャコちゃん、つきあって下さい」
「……チャコって呼んで」
「ありがとう」

 そんなふうにしてはじまった恋だから、私はいつでもどこかで乾さんを疑っていた。

 電車に乗って訪ねた乾さんのマンション。マンションよりはアパートの名前がふさわしい小さな部屋に、乾さんは金沢から大学入学のために上京して以来住んでいた。

「こんな部屋で暮らしてる貧乏人なんだから、チャコが想像しているような仕事じゃないんだよ」
「でも……やっばり……」
「チャコを好きになったから、チャコだけが好きだから告白したんだ。信じろよ」
「うん、信じる」

 信じようと決めた。乾さんは女慣れしているようで、私とのつきあいもスムーズでスマートで、私はいったい何人目の女? 現在進行形でも何人目かの女なの? と詰りたくなっては我慢した。

 けれど、やっぱり。

 居酒屋で見てしまった、仕事のできそうな美人と乾さんのツーショット。彼女は俺たちのマネージャーだよ、と乾さんは言ったけれど、そんなふうではなかった。彼女のほうは乾さんを仕事仲間だと思っているだけかもしれないが、乾さんは彼女が好きでしょ?

 それからもう一度。
 駅で乾さんを見た。綺麗な女性を送ってきたのか、彼女が電車に乗ってから乾さんに声をかけた。

「キスされてたね。見ちゃった」
「……いや、仕事の関係者だよ」
「そおお? やっぱりミュージシャンなんてのは……前にだって……」
「前に、なに?」

 怒りたいのか泣きたいのか、わからない気分で私は歩き出し、乾さんが追いかけてきた。

「声優さんたちのアルバムにコーラスで参加するって、話しただろ。彼女は声優さんだよ。キスしてくれたのは送ってくれてありがとう、の意味だろ。彼女には婚約者がいるんだそうだよ」
「声優さんなんてのも、いい加減なんだよね。婚約者は捨てて隆也さんのところへ来たらどうするつもり?」
「俺にはきみがいるから、帰ってもらうよ」
「どうだか。前にもね」

 前にも? 訊き返す乾さんに、早足で歩きながら話した。

「なんで私、隆也さんの見たくないシーンばっかり見るんだろ。私が隆也さんの部屋に泊まって、そのあとで隆也さんたちは島根に行くって言ってたよね。帰ってきた日の夜、私もいたのよ。「花束」に」
「見てたの? 声をかけてくれたらよかったんだ」
「女性と食事してる隆也さんに、声なんかかけられるわけないじゃない」
「彼女はうちのマネージャーだよ」
「マネージャーったって若い女性じゃないの。恋人同士にだってなれるでしょ。いい雰囲気で乾杯してにっこり見つめ合って、そのあとで隆也さんは、彼女の耳元でなにか囁いてた。口説いてるんだろうと思ったから、私は友達との飲み会から抜け出してひとりで帰ったの」
「ちがうよ。仕事の話をしてたんだ」

 堰を切ったみたいに我慢していた諸々があふれ出して、止まらなくなっていた。

「隆也さんってやっぱりもてるんだもの。私はミュージシャンだなんて仕事のひととは……はじめから……ついていけないってわかってたのに」
「俺はきみについてきてほしいんじゃないよ。一緒に歩いていきたいんだ」
「それって結婚したいって意味? ちがうでしょ」
「結婚はまだ……」

 駅の構内をぐるぐる歩いていた。ただ、ぐるぐるぐるぐると。

「結婚はいいんだけど、そうやって女のひとと……そんなのいやなの。私の神経が変になるの。見たくないのに見ちゃって、
苛々もやもやして、やきもちなんか妬きたくないのに」
「チャコ、ごめん。俺んちに行こう」
「いや。行かない」

 走り出した私と、見送っていた乾さんの姿が、ドラマのワンシーンみたいに目に浮かぶ。あのとき、雨が降っていたのだったか。客観的に見ていたシーンではないのに、綺麗な別れの想い出にすりかえているみたい。
 
「雨がやんだらお別れなのね
 ふたりの想い出 水に流して
 二度と開けない南の窓に
 ブルーのカーテン弾きましょう

 濡れたコートで濡れた身体で
 あなたはあなたは
 誰に会いにいくのかしら」

 あのころの私は親元で暮らしていたから、乾さんのマンションに行くことだったらあっても、私の住まいに彼を招いたことはない。乾さんは私の今の住まいなどは知るはずもない。いっときつきあっていた緋佐子なんて、完全に忘れてしまったに決まっているけれど。

 二度目の恋が完全に消えていくまでの間、私は一度目の恋のことばかり考えていた。
 あれからフォレストシンガーズはちょっとだけ有名になったけれど、私はあのまんま、もうじきに独身の三十歳になってしまう。

 雨がやんだら……じゃなくて、雨が降ったらいいのに。
 すべてがかすんでしまうような細雨の中を、むこうからやってくる人がいる。黒い傘のその人は……隆也さん? そんなはずないのに、そんなはず、あったらいいのに。

END








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FS超ショートストーリィ・四季のうた・章「夏の魔」

番外編

フォレストシンガーズ

四季のうた


「夏の魔」

 寝苦しい熱帯夜の夢に忍び込んでくるのは。

 ギターみたいなフォルムをした身体のライン。からみつく長く細い腕。
 おまえを抱いて、おまえに抱かれて、破滅させられてしまいたい。
 蠱惑的な悪女にだまされて翻弄されて、すべてが壊れてもいい。いや、壊れたい。

 もしかしたら根源的な男の願望なのかもしれない。
 なんてさ、それって誰の勝手な妄想だよ。
 からみつく蜘蛛のような腕から、逃れようとする章もいる。けれど、身を任せてしまいたいと願う章もいる。

 目覚めてしまえば、なんて暑苦しい!! やめてくれ、と振り払いたくなるような、真夏の夜の夢。

AKIRA/ある夜に

 







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花物語2017/6「いずれアヤメか」

ショートストーリィ(花物語)

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2017/6 花物語

「いずれアヤメか」

 勉強が大嫌いで、漫画とアニメにばかりうつつを抜かしている。彩夢が息子の二千翔について嘆いているのを聞くたび、重子は言いたくなって困った。そりゃあ、彩夢ちゃんと三千弥さんの子だもの。それで普通じゃない? アヤメ、ミチヤ、ニチカだなんて名前からしても、ヤンキー一家だもんね。

 ものごころついたときから、彩夢は重子のご近所の友達だった。幼稚園から中学校までが同じで、名前は可愛いけど彩夢ちゃんって顔は可愛くないよね、重子ちゃんと名前を取り換えたらいいのに、と誰彼からとなく言われた。

 学力がちがったので高校は別々になり、それでも重子と彩夢は時々は会って話をした。なのだから、互いの人生についても知り尽くしている。

 高校を中退してしまった彩夢は、近くの市場の八百屋で働くようになる。流行っている大きな八百屋なので店員の数も多く、若者も大勢働いていた。彩夢は同じ高校中退の三千弥とできちゃった結婚をした。彩夢の親は反対したので、重子の両親が説得してやったものだ。できちゃったんだから、結婚させるのが一番だよ、と。

 二十歳で結婚した彩夢と三千弥の夫婦は、彩夢の両親と同居していたから、それからだって重子とは交流が続いた。重子は短大を卒業して銀行に就職し、二十五歳で結婚した。当時、すでに幼稚園児だった二千翔は、やがて生まれた重子夫婦の娘、さやかの子守りもしてくれた。

 二千翔が高校生になった年、さやかは十歳。二千翔のほうはさやかにかまいたがったが、あんな不細工なおっさんには近寄ってほしくない、とさやかは言い放ち、二千翔を苦笑させていた。

「ごめんね、二千翔くん。さやかったらひどいんだよね。さやか、二千翔くんにあやまりなさい」
「ごめーん。でもさ、だって、ほんとのことだもん」
「本当のことだからってなんでも言ったらいけないの」

 お母さんだって、二千翔がこうなったのはあの両親の子だからよ、とは言わないでしょ、と重子は心でつけ足した。
 あのころまでは優越感を抱いていられて、重子の心は平穏だったのだ。

 エリート銀行員の夫と、重子とさやかは実家からほど近いマンションで暮らしている。夫の収入はいいほうなので、重子は専業主婦だ。今どきは裕福な専業主婦がもっとも勝ち組なのである。

 八百屋の店員夫婦の彩夢たちは、子どもを彩夢の両親に預けて共働き。いつまでたっても彩夢の両親と同居しているせいか、三千弥は年々やせていく。それに引き換え、彩夢はどっしりと太ってとうてい重子と同い年になど見えない、押しも押されもせぬおばさんだ。

 夫の両親は外国暮らしなので、重子には義理親の苦労もない。二年に一度くらいは親が帰国したり、重子たちが親のもとに遊びにいったりするだけなので、もめごともなく平和だった。

 子どもはひとりずつだから同じだが、できがちがいすぎる。二千翔は工業高校に通っているものの、アニメと漫画にしか興味のないオタク。さやかは中学受験をするために、勉学に励んでいる。小学校の先生からも、さやかちゃんだったら志望校に合格間違いなしと太鼓判を押されていた。

 やっぱりね、生まれつきできがちがうんだし、こうなるのも当然よね。重子は彩夢とわが身を比べては満悦する。重子はダイエットにも気を使い、エステに通ったりもしているので太らない。重子の夫も身ぎれいにしていて、若く見える。重子と彩夢と三千弥が同い年で、重子の夫は四歳年上なのだが、彩夢ばかりが中年に見えていた。

「重子ちゃん、これ、見て」
「なあに?」

 中学校から大学院まで完備している女子校に、さやかが無事に合格して通いはじめ、高校に進学した春、彩夢が重子に漫画雑誌を手渡した。

「面白いペンネームでしょ」
「亀波? カメナミって読むの?」
「カメハメハだって」
「カメハだったらわかるけど、カメハメハなんて読めないじゃないのよ。これがどうかしたの?」
「そのカメハメハって、うちの息子なんだよ」
「二千翔くん?」
「そうなの。その雑誌で新人賞を受賞してデビューしたのよ。近いうちに単行本も出るんだよ」
「そ、そう。おめでとう。よかったね」
「まあね、漫画家なんてどういうものだか、私にはよくわからないけど、ニートやひきこもりよりはいいだろって父さんとも言ってるの」

 かすかに胸がざわめいたあのときから、彩夢と重子の力関係が逆転していったのかもしれない。

 カメハメハの描いた漫画「モエルおたく道」が爆発的に売れ、コミックスとしては前代未聞の大ベストセラーになった。映画化もテレビ化もなされ、あれよあれよという間に二千翔、いや、カメハメハは漫画家の大先生になってしまった。

「引っ越すことになったのよ。重子ちゃんとはずっと近くにいたのに、離れてしまうのは寂しいわ」
「あ、そうなの。どちらにお引っ越し?」
「二千翔が二軒、家を建ててくれたの。二千翔は億ションっていうのか、タワーマンション? そういうマンションでひとり暮らししてるんだけど、おじいちゃんおばあちゃんとお父さんお母さんにって、二軒も豪邸を建ててくれたのよ。そんなには遠くないから、重子ちゃんもぜひ遊びに来てね」
「ええ、ありがとう」

 ひょうきんな持ち味がもてはやされ、二千翔はテレビにまで出ている。高校時代にはさやかに不細工なおっさんと言われていた二千翔は、そうなるとあかぬけてかっこよくなり、芸術家然として見えるようになった。

 時に、二千翔は二十三歳、さやかは十七歳。

「さやか、学校から電話がかかってきたのよ。昨日、学校に行かなかったんだって? なにかあったの? いじめられたりしてるんじゃないの?」
「ガキじゃあるまいし、イジメなんかないよ」
「ガキって、そんな言葉を使うもんじゃないわよ」
「なんにもないから大丈夫。昨日は電車の中で気分が悪くなったから、ちょっとさぼっただけだよ」
「さぼりは駄目よ」

 わかったわかった、とうるさそうに言っていたさやかは、それからちょくちょく学校をさぼるようになった。名門女子校なのだから教師もきっちりしていて、さやかが休むたびに電話がかかってくる。ついに重子はさやかを問い詰めた。

「学校、つまんないんだよ。私には合わないの」
「だから、苛められてるとかじゃないの?」
「いじめられはしない。無視だったらされるけどね。だからさ、学校はやめたいの」
「やめるって、そんなことを軽々しく言うものじゃないわよ」
「軽々しく言ってない。私だってよくよく考えたよ」

 幾度も幾度も、さやかの父親もまじえて家族会議をした。重子の両親もさやかに話してくれ、さやかの父方の祖父母も帰国してさやかに意見をしてくれた。だが、さやかは頑として、中退したいとの意思を覆さなかった。

「彼と同棲するって決めたから。反対したって聞かないから、家は出るね」
「同棲? 彼氏がいるの?」
「いるよ。当たり前じゃん。ママは私がもてないとでも思ってるの? 私、おじさんにだってお兄さんにだってもてもてだよ。エンコーだってしてたんだから」
「さ……や……か……」
 
 あやうく気絶しかけた重子に、さやかは爽やかに微笑んだ。

「エンコーは二回だけだし、それだけでやめたから心配しないで。エンコーなんかしたら駄目だ、って諭してくれた、クラブの黒服のお兄さんとつきあうようになって、本気になったの。同棲して、さやかが二十歳になったら結婚しようって約束したんだから大丈夫だからね」
「なにが、どこが大丈夫よっ?!」

 ママはあんたをそんな娘に育てた覚えはありませんっ!! ヒステリックに叫ぶ重子を、娘はクールに見つめる。さやかの爽やかな微笑は消えなかった。

「まあね、ひきこもりやニートよりはいいんじゃない?」

 なにかにすがりたくて、重子は彩夢の新居に訪ねていった。誰がそんなところに行きたいもんか、豪邸なんか見たくもないよ、と思っていたのだが、彩夢ならばさやかを幼いころから知っている。娘だけではなく、重子のことも幼いころからよく知っている友達なのだった。

「私だって高校を中退してできちゃった結婚をして、ろくでもない息子に悩まされてきたけど、今では息子は立派な漫画家だよ。私たちはそれでも働きたいから、八百屋をすることにしたの。それも二千翔が協力してくれて、デパートの中に店が出せるんだ。今度は店員じゃなくてオーナーだよ。最初はいっぱい苦労もしたけど、息子のおかげでこうなれたんだもの。さやかちゃんだっていいほうにころぶかもしれない。学校だけが人生じゃないよっ!! ものは考えようだよっ」

 彩夢に言われると説得力はあるのだが、なにがどうまちがって、彼我の人生がこんなふうになってしまったのかと考えると、重子は呆然としてしまう。

 いずれアヤメか、カキツバタ。
 この慣用句は、甲乙つけがたい美女に対して用いられるはず。ちょっとずれているのかもしれないが、重子も言いたい。いずれ彩夢か重子花……昔は重子のほうがはるかに上だったはずなのに、なにがどう狂って、彩夢と重子が逆転してしまったのだろうか。

END







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FS雨の物語「はじまりはいつも雨」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

雨の物語

「はじまりはいつも雨」

 美江子……山田美江子。

 どこにでもありそうな、ありふれた名前のように思える。事実、銀行か区役所で名前見本として挙げられていても不思議でもない。

「山田美江子さんか……頭のよさそうな名前だな」
「あいつ、ほんとに頭はいいんだろ?」
「外見的にも頭のよさそうな感じだよな。それだけに……」
「それだけに……? 本橋、はっきり言えよ」

 いやいや、と笑ってごまかしたあのころは、頭がよさそうで気がきつそうで、男をやりこめるのが趣味なんじゃないのか? とは言えなかった。

 山田美江子が本橋美江子に変わっても、美江子の本質は変わってはいない。
 人なんて名前では変わらない。
 
 本橋真次郎がもしも芸名を使ったとしても、本橋真次郎は本橋真次郎だ。俺だって一生変わりそうにないよな。おまえも変わらなくていいから……口には出さず、真次郎は美江子の肩を抱き寄せた。

「きみの名前は優しさくらい、よくあるけれど
 呼べば素敵な とても素敵な
 名前と気づいたよ」

 そっかぁ、優しさくらいによくある名前か。作詞をする人は着眼点がちがうな。と繁之は感心してしまう。
 
 川上恭子もよくある名前だろう。「優しさ」というものと同じくらいによくある名前で、呼べばとても素敵な名前を、俺は呼び捨てにしていいのか? してもいいんだよな?

「……恭子……」
「はあぃ、シゲちゃん?」
「んとんと……」
「どうしたの?」
「いや、雨が降ってきたみたいだよ」
「あ、ほんとだ」

 カーテンを薄く開けて、恭子が窓の外を眺めている。はじめて繁之の部屋に恭子が泊まった日。そしてきみは、近いうちに本庄恭子になる。くすぐったくも嬉しくて、繁之は恭子のいささかたくましいうしろ姿を飽かずに眺めていた。

 既婚のふたりは妻との近い過去の想い出をよみがえらせ、未婚の三人は別れた彼女のことを思い出しつつ歌う。真っ二つに想いが分かれたステージの上。

「僕は上手にキミを愛してるかい 愛せてるかい
 誰よりも誰よりも」

 本名も知らないままに、はじまったあの恋。
 古ぼけたおばあさんみたいな名前だから、教えない!! と怒った顔をして言っていた彼女の名前は末子。半同棲はしていたけれど、それだけだったから、章はスーの苗字は知らないままで終わってしまった。

 はじまりはいつも雨。
 この歌の彼と彼女は、終わらなかったのだろうか。ステージで歌っていて、章はふっとそんなことを思った。

「キミに会う日は不思議なくらい
 雨が多くて
 水のトンネル くぐるみたいに
 幸せになる」

 きみの名前は……というフレーズが印象的なこの歌だから、幸生もかつて、愛した彼女を想う。
 彼女と会う日も雨が多かった。雨の横浜でデートしたり、一泊で小さな旅をしたときも雨だった。

 幸せ真っ只中にいるこの歌のカップルも、いつかはこうして俺みたいに、ああ、あのときは……って思い出すんだね。
 蘭子ちゃん、きみは幸せでいるかなぁ。

 きっとこんな想い出は、誰にだってあるのだろう。ステージで一緒に歌っている他の四人も、誰かのことを記憶の中から引っ張り出して、その彼女に捧げている。隆也だって同じだ。

 愛した女性の名前。
 これから愛することになるかもしれない、女性の名前。
 永遠に愛することができたら、どんなにか幸せな女性の名前。

 その名前はなんていうんだろ? 今夜も雨が降っているみたいだから、ライヴを終えて外に出たら、優しい名前のあなたに会えたらいいだろうな。この歌をあなたに捧げられたら、どんなにか幸せになれそうで。

「はじまりはいつも雨
 星をよけて
 ふたり 星をよけて」

END








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FS超ショートストーリィ・四季のうた・全員「四季の萌」

番外編

フォレストシンガーズ・四季のうた

「四季の萌」



「萌えいづるといえば、春に芽生える植物の子ども。ちっちゃな若緑、若緑の芽生え、春の息吹、目覚めた新芽の緑の息だよ。感じるだろ、ほら」

「乾さんらしいお答えですねぇ。春に萌えるったら猫の恋だな。猫の恋って春の季語だって、乾さん、教えてくれたじゃん。猫が恋をして生まれてくる、ちっちゃなちっちゃな仔猫……ううう、萌え萌え萌え萌えっ!!」

「幸生らしすぎて涙が出るよ……萌え、かぁ。ギターだな。うん、俺はギター」

「ギターに萌えるって、章は変態……いやいやいや、人は好き好きだな。俺が春に萌えるっていえば……いや、俺の場合は萌えるよりは燃えるんだよ。毎年春になると、今年こそ!! って燃えるんだ。シゲは?」

「本橋さんのおっしゃる通り、そういう意味でも春には燃えますよね。萌えるほうは……」

「シゲは食いもんだろ。地面に萌えて出てくる山菜とか? たらの新芽を天ぷらにして一杯。同じ新芽でも乾さんの感覚とは大違いだな」

「ヒデ、よけいなことを言うな」




「燃える太陽……じゃなくて、夏に萌える? 俺は猫路線で行くよ。春に恋をしたママ猫が産んだ仔猫は、夏ごろに可愛い盛りを迎えるんだ。そんなころの仔猫にはもうっ!! 萌え死にっ!!」

「ギターに萌えるほうが、幸生の猫萌えよりは変態度ははるかに低いですよ。そしたら俺も楽器ね。夏はレゲェだな。レゲェで女の子を燃え上がらせて……そして、むふっ」

「しかしやはり、章の顔が変態チックに見えるな。いやいやいや……俺は萌えじゃなくて燃えなんだから、夏といえば真っ赤に燃え盛る太陽」

「真っ赤に燃えた太陽だから、真夏の夜は恋の季節なの、って。
 あ、すみません。シゲらしくない台詞でしたね。俺は食い物担当でした。美江子さん、夏の食べ物の代表は?」

「西瓜、アイスクリーム、焼きとうもろこし、リンゴ飴や綿あめもね。真夏の食べ物ってお祭りや花火大会の屋台だとか、リゾートや海辺って感じだよね。私は夏の恋。恋には燃えも萌えも両方の要素があるよね」




「食い物ならば秋が本番ですね。モエなんだから燃えるってことで、たき火の中に放り込んだ焼き芋。焼き松茸。アウトドアのバーベキューもがんがん火が燃えてますよ」

「シゲさんは食ってりゃ幸せなんだからいいよね。俺も猫がいたら幸せ。あっ、シゲさん、たき火する前に気をつけて。ほらほら葉っぱの山が動いてるよ。わっ!! 猫が飛び出してきたーっ!!」

「凄まじい声を出すなよ、幸生。騒がしいので俺は俺らしく、秋に萌ゆる歌を。
 秋くれて ふかき紅葉は山ひめの そめける色のかざりなりけり 藤原定家」

「長き夜の つれづれなるまま つま弾けば ギターが歌う 情熱歌う 木村章」

「なんだよ、章も乾の真似か? 楽器ネタってそんなにはないもんな。俺が秋に萌える……燃える……モエルものってなんだ? スポーツの秋かな。恭子さん、走りにいこうか」

「私も食べものとランニングの両方に萌えます。みんなで走りにいきましょう。あれれ? 木村さん、逃げていっちゃった」




「冬には掘りごたつの中が燃えてます。こたつといえば猫。猫はこたつで丸くなり、ユキちゃんのハートもまあるく、猫と一緒に萌えてます」

「冬こそ情熱のギター!! 俺もこたつに入って作曲するよ」

「うん、だったら俺はこたつにいる幸生と章のために、あったかい飲み物でも淹れてくるよ。寒い夜にあたたかな飲み物ってのも、ほっこり萌えないか? ストーブも燃やそうか」

「浜の真砂はつきるとも、世に飲み食いの種は尽きまじ、だよな。俺は冬というと受験勉強を思い出すなぁ。十四歳と十七歳の冬には勉強に燃えていたものだよ」

「本橋くんは燃えるものがあると幸せなんだよな。冬に萌える……冬だって恋でしょう? 雪に覆われた地面の下、やがて来る春を待って雌伏している若い芽のように、やがて咲き誇る春を待つかのごとく、ひそかにはぐくまれていく恋……いいなぁ。浪漫だね」

「萌え、と燃えがごっちゃになってしまいましたが、俺だったら酒ですよ。さあ、こたつに入って酒盛りをしましょう。恭子さんも美江子さんもどうぞー。ああ、幸生のみーちゃんもくーちゃんも、たまちゃんもみんな来いよー」

「ヒデさんもそう言ってますので、みなさんもおこたであったまって行って下さいね。おこたの中でおしくらまんじゅう。燃えて萌えてしーあわせ」

END







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FS雨の物語「大阪レイニーディ」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

雨の物語

「大阪レイニーディ」

 まずいことをしてしまった、と母からのメールが届いた。まずいこととはなんだ? 父と喧嘩でもしたか? そんなこと、離れて暮らしている息子に訴えてきても困るだけだ。困るようなメールを読みたくなかったので、途中でケータイを閉じてほったらかしておいた。

 歌手になりたくて、そんなら東京に行かなくてはいけないと決意して、実松弾は東京の大学を受験した。首尾よく合格し、父と母も賛成してくれたから上京して大学生になった。合唱部に入部して熱が入っていたのもあり、金には困窮していたのもあって、大学生の間はほとんど大阪に帰りもしなかった。

 合唱部は男子部と女子部に分かれていたものの、みんな仲が良かった。同級生たちで合同ハイキングに行ったり、映画を観にいったりすると、部外の友達を連れてくる者もいた。

 男どもはもてへん奴が多いみたいやけど、その中でももてない代表、シゲには女友達がいる。
 ヒデは顔がええせいか、これでけっこうもてるみたいや。ええなぁ。
 じゃがいもみたいな顔をした俺も、もてるわけないわな。ええねん、歌手になったらもてるはずやから、それまでは男友達と遊んでいよう。

 そのつもりだったのだが、驚いたことに大学生のときに彼女ができた。ふたつ年下の育子ちゃんと一緒に大阪に行って、母に紹介したのが悪かった。

「私は結婚したんも遅かったし、なかなか子どもがでけへんで、それでも弾が生まれたんやからよかったんやけど、女の子もほしかったんよ。娘のいる友達がうらやましゅうてね。育子ちゃんを娘やと思ってええかしら」
「はい、私も嬉しいです」
「お母ちゃん、育子ちゃんに迷惑やで」
「迷惑なんかじゃないよ」

 優しい育子ちゃんはそう言ってくれ、母は完全にその気になってしまっていた。

「就職、決まったで」
「歌手になりたいて言うてたんは諦めたんやな」
「そらそうや。俺はそんなもんにはなれん。普通のサラリーマンになることにしたわ」
「そのほうがええよ。で、結婚は?」
「まだまだまだまだずーっと先や」

 電話で報告した俺に、母が結婚をせっついていた。やっと社会人になろうとしている二十二歳が、結婚なんか考えられるはずもないだろうに。
 東京で就職を決めた俺に、両親は寂しさもあっただろう。けれど、反対はせず、ただ、育子ちゃんと早く結婚しろとばかり言っていた。親父も同感であるらしかった。

「まだ結婚はせえへんの?」
「……育子ちゃんとは別れた」
「……そうやったんか。そんな気がしてたんや」

 二十五歳の夏、久しぶりで帰省した俺の前で、母がうなだれた。

「この間、育子ちゃんに電話したんやわ。そしたら元気のうて、なんかあったんかなと思っててん。別れたからか」
「そうや。もう育子ちゃんに電話したらあかんで」
「あかんの?」
「当たり前やろ。お母ちゃんは勝手に彼女を娘みたいに思ってたんかもしれんけど、婚約してたわけでもない。別れてしもたらもう他人や。モトカレの母親と仲良くしてる女の子なんて変やろうが」
「そうかなぁ。あかんの?」

 あかんの? と寂しそうに繰り返す母に、あかんあかん、絶対にあかん!! と断言しておいたのだが。

「育子って誰?」
「……え?」

 もてないことにかけてはシゲと張り合うほどだった俺だって、恋はする。大学生からの五年間ほどは育子ちゃん一筋だったのだが、別れてから好きになったひとはいた。二十六歳になって告白した、咲恵さんとようやくつきあってもらえるようになったのだが、どうしてここで育子ちゃんの名前が? 

「あの……」
「お母さんに私のメールアドレス、教えたんでしょ」
「咲恵ちゃん、教えてもええて言うたよな」
「言ったけど……うん、見たほうが早いね」

 両親は俺に彼女ができたと聞くと、結婚結婚と張り切る。だから言いたくないのだが、いないとなるとそれはそれで気をもむので、彼女ができたよ、とは報告していた。
 お話ししたいわぁ、と母にねだられて、咲恵ちゃんに打診してみた。かまわないよ、との答えだったので、母に彼女のメールアドレスを告げた。

 早速、母からメールが来て、咲恵ちゃんのほうも返事を出したらしい。二、三度メールのやりとりをした母から、昨夜、新しい着信があったのだそうだ。

「弾には彼女ができたみたい。弾よりふたつ年上やそうやけど、私とメールもしてくれるええ人やよ。
 彼女のいてないときやったら、育子ちゃんとこうやってメールしててもええと思ってたわ。
 育子ちゃんはとっても優しいから、弾さんとのことは関係なく、母と娘みたいに仲良くしましょって言うてくれるんやもんね。

 そやけど、やっぱりあかんのやろか。
 私は育子ちゃんが大好きで、弾のお嫁さんになってほしいけど、あかんのかなぁ」

 メールを読ませてもらっていると、気絶しそうになってきた。母はまだ育子ちゃんとこんなことをしていたのか。育子ちゃんも育子ちゃんだ。彼女のほうから切ってくれないから、母がいつまでも執着するのだ。

「ねぇ、育子って誰?」
「モトカノって言うたらええんかな」
「モトカノとお母さんが仲いいんだ」
「これは、おふくろが育子ちゃんに送るつもりでまちがえて……」
「そうみたいだけど、それはいいんだよ。弾のお母さんが息子のモトカノとこんなメール、そっちが気持ち悪いの」
「うん、わかるよ」

 軽蔑のまなざしで俺を見る咲恵ちゃん、その表情がすべてを物語っていた。

「マザコンはしようがないと思ってたけど、これはひどすぎるよね」
「うん、俺が悪いんやな」
「気持ち悪いって思ってしまったら駄目なの」
「別れるってこと?」

 うなずいて、咲恵ちゃんは背を向けた。
 母に責任転嫁してどうする。母とつきあってくれた育子ちゃんだって、ちっとも悪くない。俺は知らなかったとはいえ、すっぱり断ち切れなかったのが悪い。なにもかも俺が悪い。

「そうか……母ちゃんのメール、まずいことってそれやったんや。なんか……もてる男の悩みみたいやなぁ」

 大阪人らしくジョークで笑い飛ばして、雨の中に出ていく。こんな歌も歌ってみた。
 
「東京は近くの街で
 御堂筋から青山通りはたしかに続いているよ
 ああ 大阪レイニーディ
 あほらしいといつものように
 笑ってほしい」

 梅雨時だもの、大阪も雨かな。久しぶりに故郷に帰って、大阪の雨に濡れたくなってきた。

END









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172「天下無敵ラヴ」

ショートストーリィ(しりとり小説)

しりとり小説

172「天下無敵ラヴ」

 才色兼備の女子アナ。興梠光信は、大学時代の一年先輩である瀬田真織の悩みを熱心に聴いていた。

 同窓会というのでもないが、時々集まって飲み会を開く。ウィンタースポーツサークルだから、冬以外は学生時代にも飲み会ばかりやっていた。卒業してもOBやOGの結束は強くて、派手な職業に就いた先輩たちもけっこう参加している。その中でもいちばん華やかなのはやはり真織だった。

「まーた告白されちゃったんだ。私は二股してるんだよ、って冗談っぽく正直に言ったのに、三股でもいいから俺も混ぜてくれ、だって。困っちゃうんだよね」
「マオちゃん、ほんと、もてるよね」
「当たり前じゃん」
「もてないほうがおかしいっての」

 口を入れる他のメンバーたちのようには、光信にはできない。

 大学に入学した光信が、こんなサークルは僕には向かないかな、お金がかかるかな、と迷いながらも入部したウィンタースポーツサークル。スキーやスノボが中心ではあったが、近場のスケート場に行ったりするのだったらさほどにお金はかからなかった。

 向かなくてもいいから入りたいと光信が思ったのは、二年生ながらにサークルではすでに中心人物だった真織のそばにいたかったからだ。美人でプロポーションもよく、法学部の優等生。父親は外交官で真織は帰国子女、英語は当然、ドイツ語とロシア語が堪能で、スキーはプロ級の真織。

 今どきはスノボのほうが流行る? スノボなんて遊びじゃん、と笑っている真織を、光信はいつも熱く見つめていた。

 美人であるというだけで、女性は同性の嫉妬を浴びるものだと聞く。しかし、真織は周囲の女子学生たちとレベルがちがいすぎたのか。お嬢さまやお坊ちゃまもうじゃうじゃいる大学でも、真織は嫉妬よりは羨望のまなざしを向けられていた。男子たちは恋人になりたいというよりもファンを自任し、女子もファンクラブに入りたがった。

 難関試験を突破してテレビ局に就職して三年、二十五歳になった真織は美貌と才覚とで人気者になりつつある。サッカー選手とプロ野球選手との二股交際をしているところに、近頃脚光を浴びているラグビー選手からも告白されたのだと悩んでいるらしい。

「はぁ、飲み過ぎた。明日も仕事なんだよ。帰るわ」
「真織ちゃん、送っていこうか」
「男は駄目。私たちが送っていこうか」
「真織先輩、私に送らせて」
「男は駄目って差別じゃないかよ。じゃぁ、僕ら三人で送っていくよ」

 誰が送っていくかで言い争っている同窓生たちを無視して、真織はなぜか光信を指さした。

「キミ、誰だっけ?」
「興梠です」
「コオロギ? ロギくんか。ロギくん、送っていって」

 席を移動する者もいたので、押されて真織の真正面にすわっていた。そのせいだとしか思えないのだが、光信は心から偶然に感謝した。
 その夜はタクシーで真織を送っていっただけだったが、お礼のしるしなのか、電話番号とケータイのメールアドレスは教えてくれた。コオロギという珍しい姓なのも手伝って、真織は光信をしっかり記憶してくれていた。

「ロギくん、今夜は暇なんだ。あそぼ」

 バブル時代のアッシーとかメッシーとかいうやつか? 真織からメールをもらったときには一瞬、そう思ったが、光信は車は持っていない。タクシーを使ってもアッシーだったらやる。メッシーは食事をおごればいいのだろう。真織とデートのようなことができるのならば、なんだってやるつもりだった。

「ロギくんってなんの仕事? 聞いたっけ?」
「いえ、言ってません。僕は製薬関係の業界紙記者です」
「新聞記者なの?」
「業界紙ですから、そんなに忙しくはないんですけどね」
「薬か。そしたらさ、TW製薬の新薬開発情報って入ってくる?」
「入ってくるかもしれませんが、僕は下っ端ですし、もしも知れたとしても情報は漏らせませんから……」
「そんなのあったりまえじゃん。キミにスパイしろなんて言ってねえんだよ」
「あ、すみませんっ!!」

 時として真織の口から出る男言葉も、光信には最高に魅力的だった。
 すべてが魅力的ではあるのだが、ふとしたおりに見せる意外な仕草や言動。祖母が華族階級出身なのだそうで、古風というのか大時代的というのか、そんな所作もたまらなく美しく見えた。

「ああ、このひと、知ってるよ。ガキのころにうちに遊びにきて、お年玉をもらったことがある」

 一ヶ月に一度くらい、真織のほうから誘いがかかる。光信が思い切ってデートに誘うと、忙しいからごめんね、とハートつきの断りメールが届く。光信には誘いを待つしかなかった。

 そうしてデートしていると、高名な画家が祖母の友達だと言ったりする。映画に連れていかれて代金は? と尋ねると、この監督、親父の飲みトモなんだよ。チケットなんかいくらでももらえるから、と言う。隠れ家的バーに連れていかれても、マダムとため口をきいていたりする。あのマダム、遠い親戚なんだ、などと言う。

 なのだから、アッシーでもメッシーでもない。たいていの店は顔パスで、お金? いいのいいの、である。展覧会や映画もチケットを持っていて、光信には払わせないのだった。

「マオちゃん、僕はまったく払ってないから気が引けるんだよね。レンタカーでドライブでもしない? そのときには今までのお礼の意味で、全部僕が払うから」

 敬語はやめろ、マオちゃんと呼べ、と命令されて、光信も従うようになった。一ヶ月に一度ほどは会う関係が続いて約一年が経過していた。

「んなしょぼいの、いらねぇって。ロギくんは気にしなくていいのよ」
「でも……。マオちゃん、彼氏は……」
「去年だったよね。プロスポーツ選手三人につきあってほしいって告白されて、めんどくさいから全部つきあったの。そしたら三人ともがプロポーズしてきたから、めんどくさくなって三人とも断った。マオちゃん、彼氏と別れたんだって? とか言って近づいてきたのが、お笑いの……それから、俳優の……あと、キャスターの……」
「マオちゃん、いつも複数同時進行だよね」
「今まではそうだったけど、なんだかなぁ、ほんと、面倒になってきたよ。私がフリーになると男がほっとかないんだもん」

 面倒だとは光信は決して思わないが、惨めな気分になってきた。
 彼女は光信のことを可愛い後輩だとしか思っていないのだろう。女の子はめんどくさいから、と理由も聞いた。だから男の光信を誘い、金銭的負担を与えないで遊んでくれる。大人同士の遊びではなく学生のままのノリだ。

「僕ももう二十五の大人のつもりなんだけどな……マオちゃんは僕を男として見てはいないの?」
「男? だよね? そか、ロギくんも私と寝たいんだ。だったら行こうか。ホテルカメリアだったら親父の友達が……それとも、私のマンションでもいいよ」
「ホテル代は僕に出させて」
「そぉ?」

 不思議そうな顔をした真織との初体験。その勢いで翌朝にはプロポーズした。

「はぁ? ロギくんが私と結婚したいって?」
「身の程知らずかな、もちろん、断ってもらってもいいんだけど……」
「面白いね。いいかもね」

 スムーズにことが運んだのは意外だったのだが、真織はうなずいてくれた。真織の両親や親せきも、堅実な男性だからいいんじゃないの? 大学時代からの友達と結婚するのはいいことだね、と言ってくれた。むしろ光信の両親のほうが腰が引けていたのだが、真織さんがいいと言うんだったら……と結局は受け入れてくれた。

 なのだから、覚悟は決めていた。

「興梠さん、出てましたね」
「なにが?」
「とぼけちゃって」

 その昔、民放の女子アナには二十五歳定年説があった。そのせいか女子アナは旬の時期に、いい獲物をつかまえて結婚退職してしまう。政治家二世、実業家、俳優、スポーツ選手、料理家、小説家、弁護士や医者。そういった社会的地位も収入も上等な男と結婚して主婦になった女もよくいた。

 二十五歳定年説は影を潜めてはいるものの、女子アナは若さが生命線だ。真織は結婚と同時に局を辞してフリーになり、妊娠出産の時期にはほとんど仕事もしていなかった。

 ふたりの娘ができ、長女が小学生、次女が幼稚園児になった昨年から、真織はぼちぼち仕事を復活させている。今年は世界的な映画祭の仕事を引き受けて、目下はその準備で忙しいようだ。子どもたちはほぼ真織の親の家で暮らしていて、幼稚園や小学校から直接車で送迎してもらっている。

 父親の光信は仕事を終えると真織の実家に行って子どもたちと触れ合い、休みの日には遊園地に連れていったりする。もうじきに真織は海外に発つので、しばらくはともに単身赴任予定だった。

「とぼけちゃってるということは、あれは嘘なのかな。そうですよね。いくらなんでもあんな年寄りと」
「ああ、あれね」
 
 つい先日、週刊誌にスキャンダルが載った。興梠真織、大物俳優のJと深夜の密会?! 

「そうですよね」
「そうだね」

 女性の部下に質問されたことについては、ただとぼけておいた。が、こんなことは今までにだって何度も何度もあったのだ。

「久しぶりに仕事をしたら疲れちゃったよ。パパ、マッサージして」
「ああ、いいよ」

 長女が一歳になり、次女を妊娠するまでのわずかな時期に、真織は頼まれて新装開店したレストランのリポートという仕事をした。長女はベビーシッターに預け、光信が帰宅してからはベビーシッターを帰らせてふたりで留守番していたのだった。帰ってきた真織はシャワーを浴び、光信にマッサージさせながら言った。

「久しぶりに他の男とキスしたわぁ」
「……あ、そ、そう」
「キスだけだよ。心配しないで」

 プロデューサーに口説かれた、人妻になると色っぽさが増したね、いっぺんだけどう? と言われたけど断った。あんなハゲオヤジ、嫌いだもんね。でも、レストランのオーナーは渋い二枚目で、こっちからキスしちゃったんだ。彼も嬉しそうに抱きしめてくれて、ディープキスまでしちゃった。

 楽し気に話す真織に相槌を打ちつつ、このひとは常人とは倫理観がちがうんだから、僕が譲歩するしかないと光信はおのれに言い聞かせていた。

 次女の妊娠中にも一度だけ仕事をし、スポンサーとホテルに行ったらしき痕跡を光信が見つけた。

「妊娠してるのにそれは……」
「妊娠していたら他の男の子はできないからちょうどいいって。嘘だよ。なんにもしてないよ」

 そちらのほうが嘘だとは思ったのだが、遊びだったら許すしかなかった。

 その調子で、仕事を復活してからの真織はちょくちょく遊んでいる。三十代になって若さに翳りは出てきているものの、男たちは真織に人妻の色気を感じるようで、いっそう彼女はもてる。光信としても魅力的な妻は嬉しいのだから、他の男に本気になって離婚すると言い出さなかったらよしとしよう。

「あれ、ほんとみたいじゃないですか」
「いいからさ、あなたに関係ないでしょ」
「興梠さんは腹が立たないんですか」

 明日には真織が帰国するという日、再び俳優と真織のスキャンダルが出た。ワイドショーも取り上げていたので、真織の母親も見たかもしれない。真織はいつもうまくやっているので、世間に名前が出るのははじめてだ。今度ばかりは母親が諌めてくれると決め込んで、光信としてはまかせるつもりだった。

「奥さんが浮気するなんて最低」
「だから、あなたには関係ないでしょうに」

 部下の女性が怒っている。彼女は独身で彼氏もいないと言っていた。たしかに、もてそうにはないタイプだ。すると、マオちゃんがうらやましいのかな? そこまで言うと部下がいっそう怒りそうなので、光信はその場を離れた。

 それよりも、今夜には真織に会える。娘たちもママが帰ってくるのを楽しみにしているだろうから、迎えにいって連れて帰ってこなくちゃ。マオちゃん、ちょっとくらいの遊びはいいけど、娘たちの前でだけはいい母の顔をしていてね、とは、真織の母親が言ってくれるだろうからおまかせしよう。

次は「ヴ」です。








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FS雨の物語「時雨茶屋」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

雨の物語

「時雨茶屋」

「通りすがりのしもた屋に「小唄教えます」との小さな看板がかかっていた。高杉晋作といえば有名な小唄があったのではなかったか? シンガーとしては「歌」のすべてに関心があるので、真次郎はその家の玄関チャイムを押した。

「あら……えーっと……」
「あ、あの、本橋真次郎です」
「そうですよね。フォレストシンガーズの?」
「そうです」

 部屋に通してくれた三十代くらいの和服の女性は、フォレストシンガーズを知っていた。

「最近は歌手もドラマに出ないといけないみたいな風潮なんですよね。高杉晋作をやってほしいってオファーがありまして」
「高杉晋作? 本橋さんだったら坂本龍馬のほうが似合いそう」
「龍馬はもっと似合う奴がいますけどね」

 フォレストシンガーズは知っていても、坂本龍馬と同郷で龍馬に似ていると言われ、本人はやめろと言うものの、まんざらでもなさそうな奴のことは、彼女は知らないだろう。だから真次郎は別のことを言った。

「高杉にも有名な小唄がありますよね?」
「三千世界の烏を殺し、ぬしと朝寝がしてみたい」
「そうそう、それ」
「これは小唄じゃなくて都都逸ですけど、高杉が詠んだのかしら。馬関の芸者あたりが口ずさんだのかもしれませんね」
「ああ、そうなんですか」

 小唄と都都逸のちがいなど、真次郎にはわからない。ただ、宇多と名乗った小唄の先生に、時間のあるときに手ほどきしてもらう約束をした。

「三味線ですよね」
「小唄三味線です。本橋さん、心得は?」
「ゼロです。俺はピアノとギターだけです」
「音楽家なんですもの。すこし練習すれば弾けますよ」
「そうかなぁ」

 時間があれば、というのは真次郎のだ。宇多は多忙な身でもないようで、いつも和服姿でゆったり微笑んでいる。逆行した時代の中にいる昭和の女……大正の女? 宇多にはそんな風情がある。

 手取り足取り、みたいに、宇多は真次郎に三味線も小唄も教えてくれた。真次郎も熱心に通う。高杉晋作に端を発した習い事だったが、スケジュールを合わせにくかったのもあり、宇多が似合わないと笑ったのもありで、オファーは断った。仕事とは無関係になっても小唄をやめる気はなかった。

「この家も古くなってきたから、修繕しなくちゃいけないんですけど、お金がね」
「古いのがいい感じの家ですけどね、築何年なんですか?」
「五十年くらいになるかしら。昭和の時代には料理屋だったんですよ。私は芸者だったから、奥のお座敷で仕事をさせてもらっていたの」
「昭和の時代に芸者って、宇多さん、そんな年じゃないでしょ」
「私、六十八よ」
「嘘ばっかり」

 稽古がすめばお茶を飲んで、世間話もするようになった。

「宇多さん、ほんとは何歳ですか」
「本橋さんよりは年上」
「俺、三十六ですよ。俺より年上には見えないな」
「だから言ってるでしょ。六十八だって」
「嘘がすぎますよ」

 だんだん腹が立ってきた。落ち着いて考えれば腹を立てる筋ではない。女性にはっきり年齢を言えと迫る俺が野暮なのだ。宇多が何歳であっても真次郎には無関係なのに。

「年を多くサバを読む女性はいないはずだけど、四十くらいにはなってるんですか」
「六十八よ。昭和生まれだもの」
「俺だって昭和生まれですよ。宇多さん、正直に言って下さい」
「いやです」

 何度もそんな会話を繰り返し、何度もはぐらかされ、言えよ、いやだ、と言葉遣いも崩れていく。ふと気がつくと、宇多は真次郎の腕の中にいた。

「俺には妻がいるんだけど……」
「知ってるわ。一度だけね」

 一度だけ、ふたりは思いを遂げた。
 その夜、真次郎が宇多におさらいをしてもらっていたのはこんな小唄。

「ひとりの人に 二夜とは
 契らぬものと思えども
 残る未練の朝時雨
 濡らす葦辺の芝木戸や
 その名も粋な 時雨茶屋」」

 おい、おいおいおいっ、香川厚樹!! 怒鳴りそうになって、俺は彼に手渡された用紙の束を閉じた。

「なんだ、これは」
「いやぁ、いっぺん、古風な小唄の師匠の不倫恋愛小説なんか書いてみたくてね」
「なんで相手役が本橋真次郎なんだ。俺がおまえのオファーを断った腹いせか」
「あれぇ? 駄目でした? 本橋さん、喜んでくれるかと思ったんだけどな」
「……誰がっ!!」
「そうですか。原稿はパソコンに残ってますから、本橋真次郎って名前を変換したら、本橋さんではなくなりますよ。誰にしようかな。本庄繁之とか……いや、失礼」

 言っておいて香川はくっくと笑っている。本庄繁之……似合わない。俺だって似合わないが、シゲはもっと似合わない。乾隆也だったら似合いそうだが、あいつは独身なので不倫にならない。宇多に夫がいれば不倫になるのか?

「馬鹿らしい。架空の男にしろ」
「そうですかぁ? 実在の男のほうが、書いてて楽しいんだけどな」
「小唄の師匠は実在の女なのか?」
「そうだとしたら、本橋さん、会いたいですか」
「え……」

 大学の後輩である香川厚樹は、映研のメンバーとして在学中に俺たちに接触してきた。こっちはすでにフォレストシンガーズとしてデビューしていたものの、最悪に売れない時期だった。

 そこで知り合った香川とはけっこう長いつきあいになる。現在の香川はアニメを主に扱っている映像会社で働いていて、個人的にもショートフィルムを撮ったりもしている。フォレストシンガーズも被写体になったし、麻田洋介と戸蔵イッセイを使ったリメイク映画の撮影もしている。

「本橋さん、高杉晋作、やりません?」
「映画か?」

 このオファーだけは事実だ。スケジュールが合わない、俺には役者をやりたいって気はない、高杉だったら章のほうが似合うぜ、俺もそんなのやりたくない、というようないきさつもあって断った。

 素直に引きさがったくせに、それをネタにこんな小説を書くとは、香川はとんでもない奴だ。俺をおもちゃにして遊ぶな。
 しかし、このシチュエィションには引き込まれた。過度に怒ってしまったのは、こういうのもいいかもな、とよろめきそうになったからだ。いや、精神的にだけだが。

「で、宇多って本当は何歳なんだ?」
「へ?」

 いや、いいよっ、と俺は自分で自分を遮った。

「本橋真次郎バージョンは破棄しろよ」
「わかりました。先輩に迷惑はかけないように書きます」
「ああ、そうしろ」

 書くのは自由なのだから、そこまでは止められない。
 香川をカフェに残して外に出ると、こういうのが時雨なんだな、って感じの雨が降っていた。あの角を曲がれば、宇多という名の色っぽい女が小唄教室を開いている家がある。

 そんな錯覚に包まれそうな、梅雨どきの細かい雨。

END









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FS俳句・短歌・超ショートストーリィ2017/6

forestsingers

FS俳句・短歌・超ショートストーリィ2017/6


「人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂ひける」紀貫之

 古典だったか現国だったかの教師の声が聞こえる気がする。これって中学校で習うのだったか? 小学校かな? ま、どっちでもいいや。

「こういう場合の「花」は桜ですね。最初は日本では「花」といえば梅だったのですが、いつのころからか桜になったのです。ですから、短歌や俳句では「花」は桜です。覚えておいて下さいね」

 覚えてはいるが、では、いつから「花」が桜になったのか。なぜ「梅」が「桜」に変わったのかは教わっていなかったのか。大学生になった國友の記憶にはその部分はなかった。

「奈良時代までは梅だったらしいよ」
「平安時代から桜になったんですか。なにかきっかけがあったんですか」
「日本文芸不毛の時代ってのがあって、その後で、中国から渡ってきた「梅」ではなく、日本古来の花である「桜」が日本を代表する「花」になったんだね」

 菅原道真公が……と國友に講義してくれたのは、日本文芸に造詣の深い先輩だった。

 だからね、乾さん、和歌なんてものには門外漢の僕だけど、日本では「花」といえば「桜」なのは知ってるんです。でもでも、紀貫之さんのこの「花」を「ベニバナ」だとしてもいいでしょう?

 花そのものがふるさとの香りを連れてくる。
 大学に入学するために上京してきた、國友の故郷は山形県。山形県の県花は紅花だ。

「ベニバナって別名を末摘花っていうんだよな」
「そうなんですか? 末摘花って源氏物語に出てくる、かわいそうな容貌の女性でしょ?」
「そうだよ」

 なんでベニバナが末摘花? 紅花に失礼なような……と感じたのも思い出す。

「末摘花の鼻の先が赤いからだとか、紅花は茎の末のほうから摘み取るからとか」
「末?」
「先のほうだな」
「へぇぇ。なるほど」

 思いがけなく出会った一面の紅花を見て、自然にふるさとを思い出す。自然に有名なこの歌も思い出す。国語教師の教えを思い出していたはずが、いつしかその声が乾隆也に変わっていた。

kunitomo/20/END

KIMG0206shiba.jpg
紅花ではなく、芝桜ですが。










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ガラスの靴70

別小説

「ガラスの靴」

     70・求愛


 スマホに電話をしてきたのは、専門学校時代の同級生だった蘭々ちゃんだ。同じく同級生だった多恵ちゃんが、蘭々が笙くんに電話したいって言ってるんだけど、と打診してきたので、かまわないよと答えた。

 アート系専門学校に通いはじめて間もなく、僕はアンヌと恋人同士になった。僕はアニメCG学科の一年生、アンヌは大学を中退しての再入学だったから、学年はひとつ上の七歳年上。アンヌの評判がよくなかったのもあり、それでも僕はアンヌに夢中だったのもありで、僕は同い年の連中には変人扱いされていて友達は少なかった。

 なのだから、蘭々と聞いても、そういう変わった名前の女の子、いたな、程度にしか記憶になかった。専門学校の卒業アルバムを見てみたら、童顔の可愛い子だったので、電話をしてきた蘭々ちゃんが会いたいと言ったのにもうなずいた。

「多恵ちゃんからいろいろ聞いたんだけど、笙くん、子どももいるんだってね」
「いるよ。胡弓、三歳。僕に似て美少年なんだ」
「子ども、今日はどうしたの?」
「お母さんに預けてきた。お母さんは孫命のばあちゃんだから、胡弓を預かるのは老後のいちばんの楽しみなんだよ」
「そう……連れてこなかったのは嬉しかったな」

 同級生なのだから二十三歳かと思っていたが、彼女は中卒で専門学校に入学したのだから、二十歳なのだそうだ。童顔というよりも僕より三つも年下なのだから、学生のときには十代半ばの子どもだったのである。

「蘭々ちゃんはモデルだって?」
「そうなの。このごろってぽっちゃりブームだから、ぽっちゃりさん向けの雑誌もあるのね。その雑誌専門のモデル。読者モデル募集ってのに応募してみたら合格しちゃったんだ」

 電話でも聞いていたが、小柄なのにモデル? と疑問だった。会ったら詳しく聞こうと思っていたら、そういうことだったのか。
 記憶にはほとんどないが、アルバムの蘭々ちゃんはちょっとだけぽちゃっとした小柄で可愛い女の子だった。あれは三年ほど前。ぽっちゃりモデルの仕事のためなのか、彼女はずいぶん太った。これはぽっちゃり? ぼってりじゃないのか?

 別に僕は太った女の子に偏見はない。アンヌは細身で長身だが、アンヌの妹分みたいなカンナちゃんだって嫌いではない。カンナちゃんはがっしりどっしりの体型だから、蘭々ちゃんみたいなぽっちゃりタイプのほうが、好む男もいるのではないだろうか。

「そうなのよ。もてもてで、蘭々、困っちゃうの」
「そうなんだ」
「専門学校を卒業してからは、近所の小さいスーパーマーケットで働いてたのね。スーパーだからお客さんはおばさんが多いじゃない?」
「そうだよね。主婦が客層の中心だろうな」

 可愛いからって、蘭々ちゃんはおばさんたちにクレームばかりつけられたのだそうだ。レジのまちがい、包装が遅い、あれはどこに置いてるの? と訊かれても答えられない。あてずっぽうで答えたりもしたからまちがえてばっかり。

「そんなのたいしたことでもないのに、みんな、カンカンに怒るのよ。なんでそんなに文句ばっかりつけるのかと思ってたら、旦那が蘭々に恋してたみたい。冗談じゃないわよ。なんで蘭々ちゃんがあんなおっさん……大丈夫よ、あんな禿げたおっさんに興味ないから、そんなに妬かなくていいからって言ってやったの」
「クレームつけられてそう言ったの?」
「そうよ。だって、そんなことばかり言われてたんだもの」
「その全部が、旦那が蘭々ちゃんを好きになったからってやきもち?」
「そうみたい。あり得ないわよね」
 
 本当にあり得ないのは、実際に蘭々ちゃんがミスばかりしていたからではないのか。この子も大いなる勘違い女?

「そんなのばっかりで、店長にも怒られたの。店長もおばさんなんだけど、その旦那ってのは蘭々に恋してたみたい。旦那は事務所のほうで働いてたから、会うこともあったのよ」
「そうなんだ」
「うん、だからね」

 あんなみっともないおっさんが蘭々に恋したって、こっちは相手にしてないから無駄よ、だから心配しないで、と蘭々ちゃんは店長に言ってのけ、退職勧告を受けたらしい。可愛い子って世の中のおばさんからは迫害されるのよ、と世を嘆いていた蘭々ちゃんは。

「蘭々、悪くないもん。勝手に恋するおっさんやら、やきもちを妬いて怒るおばさんたちが悪いのよ。だからやめないつもりだったんだけど、そんなときに応募したモデルの仕事に合格したから、やめてあげたわ。店長も今ごろ、後悔してるかもね」

 どうして後悔してるの? と質問するのはやめておこう。蘭々ちゃんの思考回路は常人ではないようだ。 
 たしかに顔は可愛いほうだから、遠くから見てちょこっと好きになる男はいるかもしれない。しかし、そんなにどいつもこいつも恋しないだろう。彼女は蘭々であって、西本ほのかではないのだから。

 読者モデルに合格したことで、蘭々ちゃんの勘違いを助長した節もある。だけど、ま、次の仕事があってよかったね。

「そうなのよ。モデルの仕事は蘭々ちゃんに合ってるし、お給料もちょっとは上がったからいいんだけど、やっぱりスーパーとは関係あるし、カメラマンだの編集者だのなんだのが、次から次へと蘭々ちゃんを好きになってメンドクサイの」
「スーパーと雑誌モデルが関係あるの?」
「あるわよ。その雑誌って全国スーパーマーケット連合ってところが出してるんだもの」

 それってファッション雑誌か? もしかして、広告? 広報? 蘭々ちゃんは髪をかき上げ、ふっと笑った。

「やっぱり蘭々も決まった彼氏を持つべきだと思うのね。蘭々はこんなに可愛いんだから、彼氏も綺麗な顔でなくちゃ駄目なの」
「モデル仲間にいないの?」
「男のひとはいないのよ」

 それでね、と身を乗り出して、蘭々ちゃんは僕の手を握った。

「多恵ちゃんから笙くんの話を聞いて、笙くんを救ってあげることに決めたの」
「救う?」
「だって、笙くんはあのアンヌさんの奴隷みたいにされて、こき使われて蹂躙されて虐待されてるんでしょ」
「って、多恵ちゃんが言ったの?」
「多恵ちゃんは、笙くんはそれなりに幸せらしいよって言ったけど、嘘だもんっ!!」

 怖い顔をして、蘭々ちゃんは力説した。

「そんなはずないじゃない。男性は仕事をしたいものよ。主夫なんかに満足できる男のひとはいないの。笙くんが幸せだと思ってるなんて、洗脳されてるのよ。アンヌさんってそんなふうなひとだったわ。魔女みたいな?」
「おー、ウィッチーウーマン、かっこいい」

 妻を悪く言うな、と怒るのは僕のキャラではないので、おどけてみせた。

「若くて綺麗な笙くんを主夫なんかにして、仕事もさせずに家に閉じ込めて、自分は遊び歩いてるんでしょ。家事も育児も笙くんに押しつけて、自分はなんにもしないのよね。そんなの、女じゃないわ。しかも年上で、淫乱ビッチだったそうじゃないの」
「いやぁ、僕はそんなアンヌが……」
「だから、それは洗脳されてるの。笙くん、目を覚ましなさい。蘭々ちゃんが笙くんをまっとうな男のひとに立ち直らせてあげる。蘭々のこと、好きよね?」
「嫌いじゃないけどね」

 大嫌いではないのでそう答えると、蘭々ちゃんは満足げにうなずいた。

「当然だわ。蘭々を嫌う男のひとなんかいないんだもの。笙くん、アンヌさんから逃げてきなさい。笙くんには自主性や積極性はないって知ってるの。男らしくもないけど綺麗な顔をしていて、生活力もなくて長所もあんまりないとは知ってるけど、愛の力は強いのよ。蘭々が笙くんを更生してあげる。真人間にしてあげるから、黙って蘭々についてきなさい」

 こういう口説き文句には弱いので、僕が独身だったとしたら、はい、ついていきます、と返事をしたかもしれない。
 しかししかしかし、しかーし、僕には妻も息子もいる。こんな勘違い女の独断に巻き込まれてなるものか。アンヌ、僕はがんばるからね。

「僕には子どもがいるからね」
「子どもって母親が育てるものよ。蘭々はみんな知ってて、笙くんを受け止めてあげるんだからへっちゃらだわ。バツイチ子持ちの笙くんでいいの。結婚してあげる」
「アンヌに叱られるよ」
「蘭々がアンヌさんと闘ってあげるわ」
「無理だよ」
「無理じゃないってぱ。蘭々ちゃんにまかせておきなさい」

 なんでまた、多恵ちゃんも蘭々ちゃんに僕の電話番号を教えたのか。多恵ちゃんの彼氏が別の女と結婚してしまい、やっぱり寂しいから、幸せな僕に嫉妬したとか?
 ああ、でも、なんかちょっと面白いかも。蘭々ちゃんをきっぱり切ってしまうよりも、アンヌに紹介してみるのもいい。彼女がどうやってあのアンヌと闘うのか、見てみたい気持ちになっていた。

つづく



 




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FS雨の物語「梅雨寒」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

雨の物語

「梅雨寒」

 どうして俺はこがなところにおるんろう?
 
 何度かはこんな席にも加わったのだが、いっかな慣れない。いつだってそんな気分がつきまとう。フォレストシンガーズの面々は女性たちに取り巻かれてサインをしているようで、俺は遠くから彼らを眺めている。長身の痩せた女たち、今日のイベントに出ていたモデルたちらしい。

「ヒデさん、知ってます?」
「ああ、モモちゃん。知ってるってなにを?」
「うちの社長、鋼さんを誘惑しようとしてるんですよ」
「ゆ、う、わ、く?」

 鋼とは俺の弟である。高知在住二十八歳、独身。モモちゃんのいううちの社長とは、オフィス・ヤマザキの山崎敦夫。六十代のはず。初老の男が三十近い男を誘惑……よく考えたら、もしかして、と思い当った。

「もしかしたらもしかして、鋼に歌手になれってか?」
「当たり。ヒデさんは鋭いんですね」

 ファッションと歌のイベントには、フォレストシンガーズもモモクリも出演していた。山崎社長には俺も歌手になれと誘惑されたことがあるのだが、そっちは断った。ただし、歌を書いてくれとの依頼なら受ける。今回も俺の書いた曲がイベントで使われたので、打ち上げの席にも呼んでもらったのだった。

「鋭いっていうか、俺も経験ありだからな。俺は鋼には聞いてないけど、あいつが歌手ってのは無理だろ」
「モモちゃん、鋼さんにそれとなく聞いてみてくれって、社長に頼まれたんですけどね」
「聞いたのか?」
「聞いてません。別の話になっちゃったから」
「それでいいだろ。鋼が歌手って……いや、あいつがやりたいんだったらいいんだけどな」

 大学生のときに本橋さんと乾さんに誘ってもらって、フォレストシンガーズに加えてもらった。なのだから、俺はそのころには歌手になりたかった。女の奸計にはまったのかもしれない結婚をして夢が破れた俺が、山崎さんからの鋼の誘惑を強く反対すると、嫉妬しているのかと思われそうだ。

 考えてみたらそれもいいかもしれない。最近は早熟なタレントも多いが、意外に遅咲きの歌手や俳優もいる。三十路間近でデビューとは年を取りすぎているような気もするが、鋼は顔も声もいいし、歌だって下手ではないのだから。鋼は作詞も作曲もできないはずだから、俺が作ってやってもいいしな、なんて気の早いことを考えてもいた。

 イベントは戸外だったから、打ち上げも野外パーティのような形だ。梅雨の近い六月の夜、夜気は湿って感じられた。
 数日後、鋼に電話をかけた。

「鋼、デビューすんのか?」
「はぁ?」

 結婚式には妹も弟も出席してくれたが、そのあとは完全に家族とは音信不通にしていた。離婚してからは俺のほうから連絡を絶ち、俺はほうぼうを放浪していたから、住所不定のようなものだった。

 最近になってようやく、弟や妹とは電話でなら話すようになった。妹は福岡で夫とふたり暮らし、弟は実家暮らし。両親には婚約者を家に連れていって会ったが、あのときには鋼はいなかったから、何年顔を合わせていないのだろうか。俺の結婚生活はざっと三年、あれからざっと八年……十年以上、鋼とは会っていない。

 妹の美咲が写真を送ってくれたので、大人になった鋼がどんな男なのかは知っている。俺とは会っていないのに、鋼は幸生や章とは会っていて、ヒデさんに似ていい男だね、と幸生が言っていた。モモちゃんも、鋼さんはかっこいいと言っていた。

 なので、電話をかけるのはそれほど気が重くもない。鋼はどこにいるのか知らないが、携帯に出た。親父と俺と弟と、三人の声が似ていると美咲が言っていた通りだ。妹とならば無駄話もするが、弟とは、元気か? もなく、単刀直入に質問した。デビューするのか?

「せんよ」
「せんのか?」
「ガラやないきに」
「たしかに、ガラやないな」
「そうじゃろ? そんなもん、俺は興味ないちや」

 モロ土佐弁で話す相手は家族だけ。今の俺は土佐弁と神戸弁と標準語がまぜこぜになった変な言葉遣いだが、弟とだったらこんなふうになる。

「それよりなぁ……」
「なんちや? 恋の悩みか」
「……おまえに言うてもしようがないきに」
「おまえとはなんちや」
「おまえはおまえじゃ」

 ガキのころみたいに下らない口争いをして、鋼は電話を切ってしまった。

 なんとなく、ほっとしている。
 弟が歌手になって、俺と似た声で歌ってヒットして、スターになる。そんな想像をすると気分が良くない。小笠原鋼……どんな芸名をつけるのかは知らないが、あいつの兄貴はもとフォレストシンガーズの小笠原英彦だってよ、なんて噂されたくない。

 兄貴は未練たらしく音楽にしがみついて、フォレストシンガーズのお情けで稼いでいる……言われたくないのは事実だからか? 俺がフォレストシンガーズとはなんの関わりもなかったとしたら、臨時収入もありゃしないのだし、三津葉と知り合って婚約するなんて幸運もやってこなかっただろうし。

「……ちゃっちゃいな」

 おのれの小ささを嫌悪するこんな夜。
 梅雨入りして間もない六月の、今夜は雨。俺はちっちゃいな、と思うと、夜気がつめたい。梅雨寒ってこんなふうなのを言うんだろうか。

END








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FS超ショートストーリィ・四季のうた・真次郎「春の灯」

番外編

フォレストシンガーズ

四季のうた

「春の灯」


 おいら岬の灯台もりは……なんて歌もあったっけ。
 妻とふたりで、えーっと……なんだっけ?

「灯台を見ているから浮かぶわけだが、この歌ってなんだった?」

 沖行く船の
 無事を祈って 灯をかざす
          灯をかざす

 ひとりごとみたいに歌ってみると、乾隆也が反応した。

「喜びも悲しみも幾年月。うちの母が生まれたころくらいかな。ヒットした映画の主題歌だよ」
「灯台もりの歌だよな?」
「そうそう。今どきってハイテクが管理してるんだろうから、灯台もりなんかいないんだろうな」

 二十代も半ばだというのに、幸生と章は犬っころみたいに海岸ではしゃいでいる。おいおい、危ないぞ、とか言いながらも繁之も参加していて、真次郎と隆也は灯台を見上げていた。

「ハイテクって言い方も古いだろ」
「ハイテクノロジーだろ。なんて言いかえるんだ?」
「さあ」

 仕事でやってきた春の終わりの海辺。自由時間に五人で散歩していても、真次郎の頭の中には、こんなに売れなくてこの先どうなるんだろ、と暗い想いが浮かぶ。

「でも、灯台がさ……」
「照らしてくれるんだよな、俺たちの前途を」

 その言い方も古いだろ、と隆也を蹴飛ばしてから、ふたりで歌った。

 星を数えて 波の音きいて
 共に過ごした 幾歳月の
 よろこび 悲しみ 目に浮かぶ
            目に浮かぶ

 幾年月もの時間が流れたあとでこの場所に来たら、俺たちもこんなふうに思うのだろうか。そのときには成功しているのだろうか……そうだといいなぁ、と隆也と真次郎はふたりして、もう一度灯台を見上げた。

SHIN/26/END














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FS雨の物語「相合傘」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

雨の物語

「相合傘」

 渋い色合いのチェックの傘はかなり大きい。これならばふたりでも濡れない。小さな肩を抱いてあなたを俺の胸に包むようにして、町を歩こう。

「いつも通り雨にゃ いつも通り雨にゃ
 あの町この町
 どの路地もひっそり閑」

 真冬の冷たい雨……みぞれ混じりの雨、春は近い。
 けぶる春雨。雨に散る桜。
 長く続く梅雨どき雨。
 ざぁっと激しく降る夏の雨と落雷。乾いた喉を潤す恵みの雨。
 枯葉を濡らす秋の雨。稲を成長させる雨。
 そしてまたNovember Rain……師走の雨、一年が終わる。

「あなたはどの季節の雨が好き?」
「隆也さんは?」
「俺は……あなたとこうして相合傘ができるんだったら、春でも夏でも秋でも冬でも雨は大好きだよ」
「……うふっ」

 はにかんで笑って俺を見上げるあなたを抱き寄せて、傘に隠れてキスをする。高校生に戻ったみたいな気分だ。

 誰かの背中で雨のリズムを聞いているうちに、眠ってしまった記憶がある。あれは母だったのか父だったのか、祖母だったのか。それとも、我が家に住み込んで行儀見習いをしていたお姉さんだったのか。雨、というと思い出される、おんぶ。子どものころの記憶の背景は必ず金沢だ。
 
 幼い身体には大きすぎる傘をさして、やっぱり大きめの長靴を履いて、一生懸命祖母のあとを追いかけた。幼稚園に入園してからはじめての雨の日。春の雨はつめたくはなくて、水たまりにわざと入っていって怒られたっけ。

 和服に和傘の綺麗な女性に、ぽけっと見とれていたのは小学生のころ。八つか九つくらいだったか。見知らぬあのひとは俺の初恋の女性。

 突然の雨に、傘を持ってきていなかった俺は校舎から走り出る。家路をたどる途中で出会った同級生の女の子が、黙って傘をさしかけてくれた。俺はかぶりを振り、ありがとう、と目だけで言って傘には入らず再び駆け出す。中学生のころの無言劇のB.G.Mは雨の音。

 それからね、高校生になってはじめて、好きな女の子と相合傘をしたんだよ。今、ここにいる相合傘のお相手のあなたには、そんな話はできないね。

「そのひと、どうしたの?」
「高校を卒業して俺は東京に出たから、自然消滅ってやつかな。でも、ごく最近、あのとき以来に再会したんだ」
「それで?」
「彼女の結婚式に出席させてもらったよ」
「未練はあるんでしょ?」
「あなたがいるんだから、未練なんてないよ」

 立ち止まってもう一度、あなたを抱き寄せてキス。

大学生になってからも、大人になってフォレストシンガーズの一員として、シンガーとして生きていくようになってからも、恋は何度も何度も訪れて去っていった。相合傘だってしたことはあるよ。雨の中を俺の部屋にやってきた彼女を抱き上げて、バスルームに運んでいったことだってあるよ。

 ふたりで歩く雨の中。あたたかな部屋にたどりついたら、バスルームからベッドまで愛する彼女を運んでいく。

 少年時代のコイバナだったら語れるけど、大人になってからのそういうのは生々しいね。俺はあなたとふたりきりになれる場所にいって、あなたとそうしたいんだけどな。

「相合傘道行
 すっかり晴れたら 離れなくちゃ
 もっと降れふれ
 相合傘道行」

 晴れたら傘をたたまなくてはならないから、そうしたら、幻のあなたも消えてしまうから、離れていってしまう。だから、雨降れ、もっと降れ。

END








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171「あなたのすべて」

ショートストーリィ(しりとり小説)

しりとり小説171

「あなたのすべて」

 正社員になれないのは学歴のせいなのだろう。悔しいけれど、高校二年生の年に母親が病気になってしまって父親に見捨てられ、常太郎が高校を中退して働くしかなくなってしまったのだから仕方ない。高校中退でも雇ってくれる会社があり、準社員という形で工場で働けるのはありがたかった。

「だから、結婚は諦めてるけどね」
「諦めなくてもいいんじゃない? 好きなひとはいないの?」
「いないし、女性を好きになったりはしないようにしてるんだ」
「そんなの寂しいでしょ」
「寂しいけどね」

 だから、趣味のひとつくらいは持ちたかった。ここならば年配者が多いから、という理由もあり、お金がかからないから、もあって選んだ市民ハイキングサークル。若者は少ないが皆無でもなく、三十歳になったばかりの常太郎よりひとつ年下の浅子と親しくなった。

「正社員じゃないっていうのは結婚のネックになるかもしれないけど、努力したらなれないの?」
「正社員登用試験はあるんだけど、高卒以上っていう資格が必要なんだよ」
「そっかぁ……うん、そうね」

 かなり太っているが、浅子は体力がある。山歩きに参加して常太郎が先にばてると、手を引っ張ってくれたり荷物を持ってくれたりもした。

「私はこんな体型だから、男のひとには敬遠されるみたい。それでも、彼氏はいたことがあるんだよ。私からプロポーズしたんだけど、彼のお母さんに反対されちゃった。強すぎるって」
「強い女性はかっこいいのにね」
「そうでしょう? だったら常太郎さん、私と結婚しない?」

 親しくなったといっても友達で、だからこそこうしてふたりで食事にくるようになったのだと常太郎は嬉しく感じていた。恋人がほしくてサークルに参加したのではない。年配者たちは独身の常太郎にお節介を焼きたがるが、彼の年収と準社員の身分を知ると、女性を紹介するとは言わなくなるのだった。

「冗談でしょ」
「冗談では言わないよ。私ね、思うの」

 ナウい女って結婚してて子どももいて、もちろん仕事もやって、夫の稼ぎがよくなかったら養うくらいの勢いでいなくちゃ。それがこれからのかっこいい女だよ、と浅子は大まじめに言った。

「僕は奥さんに養ってほしくはないけどね」
「それはまあいいんだけど、私は常太郎さんの年収なんか全然気にしないの。私だって働くんだから、ふたり合わせたら生活はしていけるでしょ。常太郎さん、家事はやれるよね」
「できなくはないよ」
「私だって家事もやるよ。だけど、仕事もするんだから専業主婦ほどはできない。家事の分担も決められたらいいな。そういうことはいやだって言う男性もよくいるんだけど、常太郎さんなら受け入れてくれられない?」
「いいよ。浅子さん、本気?」
「本気だよ」

 当時の浅子はさほどに大きくはない会社の事務員だったから、大言壮語しているといえたかもしれない。けれど、常太郎はやはり家庭がほしかった。子どもだってほしかった。

「結婚して下さい」
「あらぁ、常太郎さんがプロポーズしてくれた。はい、結婚しましょう」

 あのときの浅子の輝く笑顔は、一生忘れないだろう。
 
 結婚してからは夫婦ふたりで、がんばって上昇していった。常太郎は通信教育で高校卒業資格を得、会社の昇格試験を受けて三十三歳にして正社員になった。五十一歳の現在は工場の生産二課主任の地位についている。
 一方の浅子は四十歳で起業し、小さいながらも会社社長だ。常太郎に専務にならないかとの打診はあったのだが、妻の部下になるのは避けたいとのプライドゆえに断った。

 あまりに仕事にがんばりすぎたから、妊娠はしても出産には至らなかったのは夫婦ともどもに残念だが、浅子の両親も常太郎の母親も手厚い介護もしてもらえる有料老人ホームに入所させ、月に一度は夫婦そろって訪ねていける日々に幸せを感じていた。

 今日も浅子は遅くなるだろうから、ひとりで食事をして帰ろうか。仕事を定時で終えた常太郎は、行きつけの定食屋に足を向けた。勤務先からだと近いので、時たま若い社員に会う。今夜も生産四課の山崎と相席になった。

「主任は奥さん、いらっしゃるんですよね」
「いるよ。きみは独身?」
「独身を謳歌してます。結婚なんかしたくもないし……」

 高卒で給料が安いのは、二十代のころの常太郎もこの山崎も同様だろう。結婚したくない、が本音かどうかはわからないが、結婚はいいものだよ、と説教するつもりは常太郎にはなかった。

「奥さんは仕事ですか」
「仕事は仕事だけど、最近、新入社員が入ったんだよ。うちの奥さんは小さい会社を経営してるんだ」
「へぇぇ、すごいですね。いいの見つけたんだな」
 
 不躾な言い草ではあるが、常太郎も笑っておいた。

「それでね、胸の中に小さい雲があって、僕は小さい人間だなって自己嫌悪したりしてるんだよ」
「小さい雲?」

 焼き魚定食を食べながら、常太郎はうなずいた。
 
「峰さんっていう新入社員が入ったの」
「若い女性?」
「中年男性よ。彼、リストラされたんだって」
「それは気の毒に」

 一ヶ月ばかり前、浅子が常太郎に報告してくれた。

「昔の友達……っていうか、正直に言うね。あなたとつきあっていたころに話したことがあるでしょう? こんな私にもモトカレがひとりだけいるって」
「そうだっけ? ああ、浅子さんがプロポーズして、強すぎるからって断られたって彼?」
「強すぎるって反対したのは彼のお母さんだよ。そうそう、その彼。その彼なのよ」

 つまり、峰は浅子のモトカレで、人づてに聞いたのだそうだ。浅子さんの昔の彼、リストラされて奥さんにも離婚されて悲惨なことになってるよ、と。

「子どもさんはふたりいて、ふたりとも専門学校を出て就職しているらしいんだけど、峰さんもまだ五十代だから、引退してしまうには早いみたいなのね。もっと働きたいって言うから、うちに入社してもらったの」
「そっか……」

 事後承諾だったのは、常太郎は浅子の会社とは無関係なのだから当然かもしれなかった。

「へぇぇ、モトカレですか。なんか奥さん、やりたい放題ですね」
「そうかな」

 さらに無関係な山崎に話したくなったのは、小さい雲が常太郎の中でわだかまっていたからだった。

「奥さんって主任と同じような年なんですよね。ひとつ年下? 五十のばあさんか……にしたって、モトカレなんて気分よくないですよね。主任は許すんですか」
「許すもなにも、僕は妻を尊敬してるよ」
「なめられてるなぁ。怒ってもいいのに。そんなの離婚してもいいようなもんですよ」
「離婚なんかしないよ」
「主任、甘いですよ。俺は稼ぎもない女とは結婚したくない。専業主婦を養うなんてまっぴらだけど、そういういばった社長なんて女もいやだな。だから俺は結婚なんかしないんだ」

 まあ、きみは好きにしたら? 結婚しないというよりできないんだろうけどね、と常太郎は心でだけ反論した。

 この青年以下だった若き日の常太郎と友達になってくれ、恋人になり、結婚しようと彼女のほうから言い出してくれ、本当に結婚して妻になってくれた浅子。妻のおかげで常太郎の人生は、若いころに描いた未来図よりもはるかによいものになった。

 妻には感謝してもし切れない。リストラされたモトカレを雇ってあげ、最近は彼の元妻との交渉も手伝ってやっていて、それゆえに連夜帰宅が遅くなる妻を、尊敬していると山崎に話したのは嘘ではない。

 嘘では決してないけれど、心が完全に平穏だと言えばそれは嘘になる。まさか今さら、浅子がモトカレとどうこうなるとは思えないが、おおらかな心持ちにはなれないでいる。山崎に妻を悪しざまに言われて、どうしてこんな気持ちになるのか改めて考えてみた。

 愛しているから……浅子、僕はあなたを愛しているから……だから、こんな気持ちになるんだ。要するに嫉妬だね。そう結論づけると、ほんの一部だけは心の雲が晴れた。

次は「て」です。






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FS俳句・短歌・超ショートストーリィ2017/5

forestsingers

FS俳句・短歌・超ショートストーリィ2017/5


水はまだ冷たいかな? 夕方になってきているから、気温も下がってきている。ためらいはあったが、せせらぎに足を浸してみた。

 意外に冷たくはない。
 じゃあ、ちょっと泳ごうか。

「実松、泳ぐような季節じゃないんじゃないか?」
「ああ、乾さん、一緒に泳ぎません?」
「風邪をひく……ってこともないかな」

 呆れたような顔をして、乾隆也が笑っている。

 実松弾が大阪から上京して入学した大学の、サークルの先輩だ。一年年上の合唱部の実力者。
 美男子というわけでもないのだが、すっきりした容貌で背は高めで細身で、弾自身とはルックスが大違い。弾とは仲のいい同級生の小笠原英彦も隆也のタイプだが、性格はそれぞれにちがっていて面白い。

「あ、つばめや!!」
「……うん」

 サークルの有志でやってきた、初夏の川べりで、ふたりはそろって空を見上げた。弾はぽかんと口を開けてつばめに見とれ、隆也は短歌を口ずさんだ。

「つばくらめ空飛びわれは水泳ぐ一つ夕焼けの色に染まりて」馬場あき子

 こんなシーンでこんな短歌を即座に思い出すとは、そこもやっぱり俺とはおおちがいやなぁ。片耳で隆也が口にする短歌を聴きながら、弾の目は夕焼けいろの空を行くつばめを追い続けていた。

DAN/18/END


KIMG0167.jpg

弾のふるさと、大阪





 

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FS雨の物語「雨の慕情」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

雨の物語

「雨の慕情」

 三つ年上なだけだからおばさんではないけれど、おばさんっぽいというか、ボクなんて自称していたけれど少年っぽくはなくて、むしろおじさんっぽいっていうか。

「幸生、なにがあったんだよ」

 肘で章につつかれて、なんにもないよとごまかした。
 言いたくないのはなぜだろう? 俺の彼女だって堂々と紹介するような……いや、彼女は彼女ではあるが、恋人という意味の「彼女」ではないのだから、紹介する必要もないわけで。

 昔から章はみんなに好きな女の話をしていたけれど、そんな章をガキっぽいと感じるようになったから、俺はコイバナはしなくなった。そのせいだから、そのせいで彼女の話はしないんだ。

 でも、俺、彼女に恋したんだろうか。

 好みのタイプは章ほどには確固とはしていないけれど、三十六歳のおばさんっぽい女性はストライクゾーンではない。キャットシッターの朝緒さん。がっしりした体格のおばさんっぽくもおじさんっぽくもある年上のひと。彼女が猫好き仲間だからこそ、話がはずんで楽しかった。恋とは別ものなのかもしれない。

 若いころには若い女の子に恋をした。恋だかどうかなんて確認もせず、好きになったら突き進んだ。

 十六歳の初メイクラヴのお相手には、むこうから誘惑されたようなもので。
 十八歳で恋した相手は、恋人にもなれないままに天に召されてしまった。

 それからだって何人もに恋をして告白して、つきあったりふられたり、断られたり捨てられたり、捨てられたり捨てられたり……そりゃそうだ。三十三歳にして独身なのは、つきあった女性もつきあえなかった女性も、抱かれてくれたひとも断られたひとも、すべてと別れたから。

 夫ある女性に恋したこともある。彼女も年上だったが、抱き合うことはかなわなかったので不倫すれすれ。彼女は夫のもとに戻り、俺は捨てられた。

 捨て猫みたいな女の子を拾い、清らかな関係のままで同居していたこともある。彼女は俺をどう誤解しているのか、彼氏ができた、あいつはどうこう、などと相談してくる。ぐっと年下の女の子だって大好きだけど、十歳以上も年下と恋人同士になる気はないのだからいいんだけど。

 本気で恋したつもりで、本気で焦がれたつもりのあのひとは、章とどうにかなりそうな? あれは遠い日の遠い感情だから、今になれば寝なくてよかったなと思っている。

 そんなことばかり重ねて、俺は年齢だけ大人になった。

「ユキちゃんはいい加減な男やねんから、ずーっとそうやってふらふらしとったらええんよ。結婚なんかせんとき。ユキちゃんの奥さんになる女性は不幸やわ」
「そうですねぇ。だったら弥生さん、生涯独身の俺とずっと遊んで下さいね」
「うんうん、遊びましょ」

 春日弥生さんにはまちがいなく、恋はしていない。五十代か六十代であろう女性は俺の恋愛対象ではないが、大好きなひとなのもまちがいなかった。

「そうだよ。こんな言い方って恥ずかしいかもしれないけど、弥生さんは俺の親友だな」
「……そんなの、変」
「変かなぁ」
「じゃあ、幸生くんは私にお父さんみたいな年頃の親友がいて、その男性のことを大好きだって言ってても平気?」
「一度、俺もその男に会ってみたいな。俺が見極めてあげるよ」
「どういう意味で?」
「きみにとっては友達でも、その男はきみに下心を抱いている場合もあるからね」
「弥生さんだって……」
「ないない、それはないよ」
「でも……そんなの汚らしいし」
「汚いって弥生さんが?」

 いつか、弥生さんのことを汚らしいと言う女がいた。俺はその言葉を受け入れられなくて、彼女のほうから告白してくれたのに断った。そんなことだって俺にはあるが、これは恋なのかな、と悩むのは久しぶりだ。

 結婚はしない。
 けれどそれは俺の一方的な考えで、女性は俺とつきあったら結婚したいのかもしれない。二十代のころにだって、幸生くんはお気楽すぎる、と言われてふられたことがある。三十代はなおさらだよなぁ。

 ああ、歳をとるってやだやだ。現実がのしかかってきて、永遠の少年でなんかいられやしない。
 ねえ、シゲさん、俺もあなたみたいな男だったらよかったと思うよ。章は論外、乾さんは異人種だけど、本橋さんとシゲさんはある意味、俺の理想のまっとうな男像なんじゃないかな。

 愛した女性にプロポーズして、ごく尋常に結婚へと進む。疑いなんかみじんも抱いていないでしょう? 本橋さんは置いておくとしても、シゲさんは純粋に女性と愛し合い、家庭を作って子どもを持ち、私生活では夫として父として生きている。それっていいものだなぁ。

 単純に、いいないいな、俺もそうしたいな、でもないだけに、シゲさんがうらやましい。俺にだってやろうと思えばできなくもない暮らしのはずだけど、どこかが、なにかが、ほんの半歩ほどちがうから、シゲさんみたいには生きられない。

 ミュージシャンなんだもの。俺は平凡な幸せなんかいらないのさ。
 ロッカーは結婚しちゃいけない、という主義の男もいるが、俺のは主義というほどでもない。俺はロッカーじゃなくて、半端なシンガー。かっこつけて決まるかっこよさも持っていない。

 だから、こんな歌を流してしみじみしてみたりするんだよ。

「心が忘れたあのひとも
 膝が重さを憶えてる
 長い月日の膝枕 煙草ぷかりとふかしてた

 憎い恋しい 憎い恋しい
 めぐりめぐって今は恋しい……」

 煙草に火をつけて小さく吐息をつく。外は小雨。耳を澄ませば雨音に混じって、誰かの足音が聞こえてくるような、そんな夜。

 雨々ふれふれもっと降れ。私のいいひと連れてこい。
 ……いいひとって誰だよ? 朝緒さん? こんな雨の夜に女性が訪ねてきてくれる妄想よりは、俺が行きたい。でも、彼女と俺はそんな関係にはなっていないから、一歩を踏み出すべきなのか。

 でもでも、これって恋?
 いつものように気軽には動けない、だからこそ、これは恋?

END









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いろはの「ゑ」part2

ショートストーリィ(FSいろは物語)

いろはの「ゑ」

「ゑひもせず」

 同業者、ギタリスト、とはいっても彼はスタジオミュージシャン、僕はバンドマンだから接点はあるようでいてそれほどでもない。友達でもないので結婚式にも招待はされなかったが、会ったときに言ってみた。

「種田くん、結婚したんだってね。おめでとう」
「ああ、レイ、ありがとう」

 僕らのバンド、レイラのメンバーは全員、国籍不詳のニックネームだけを名乗っている。僕の本名も知らないで、レイはレイでしかないと思っている、というよりも、あいつの本名はなんだっけ? などと意識もしていない人間が大半だろう。

「お祝いもしてなかったから、おごるよ」
「祝ってもらうほどでもないけどね」
「結婚ってめでたいんだろ」
「めでたいんだろうな」

 醒めたもの言いだ。
 それでも、酒をおごると申し出たのは断られなかった。種田は酒が好き。年のころなら三十くらいか。やや太目で背の低い男だが、彼はプロデュース方面にセンスがあるらしく、アイドルの売り出しに関わったりもして収入が多い。

 そのせいか、彼はもてる。世の中不公平なもので、女のほうが得だよな、と言う男もよくいるが、ルックスがよくない場合は断然、男のほうが得だ。

 敏腕プロデューサー、収入最高、という男も女もけっこういるが、たとえばあのアイドルグループを出世させた女性……彼女だってものすごく収入がいいはずだが、もてない。寄ってくるのは金目当ての男ばかりよ、と嘆いていた。

 気のもちようってやつもあるのかもしれない。男のほうがその点、割り切れるのかもしれない。男はこっちが好きだったら、女のほうは金目当てだったとしてもそれでもいいと思えるが、逆の場合は女のプライドが許さないだろうから。

 最近の若者はそうでもなくなっていると聞くが、性的、恋愛的には男と女はちがうよなぁ、と、僕も二十数年生きてきて実感するようになっていた。

 なんだか種田がつまらなそうなので、つまらなくなくなるようにと、妹のユイを呼び出すことにした。ロックギタリストの妹のくせして、ユイはロックが嫌いだと言う。男嫌いでもなさそうだが、二十歳をすぎても私はユニコーンが呼べるんだとイタイ台詞を言ってのける。すなわち、処女だってこと? 嘘だろぉ? とは僕も思うが、いくら兄でもたしかめられないわけで。

 ミュージシャンには面白い男は多いので、私は客寄せユイじゃない、と文句をつけながらも、ユイは僕の呼び出しに応じてくれる。今夜も仕事を終えて暇だったらしく、出てきてくれた。

「種田さん? はじめまして。ご結婚おめでとう」
「あ、ああ、ありがとう。レイの妹さん? 商社で働いてるんだって?」
「ええ」

 まったく僕の妹らしくもなく、ユイはいわゆる女性エクゼクティヴ候補生だ。その上に美人だから、彼女があらわれると男たちの目が輝く。僕の知人ミュージシャンはこぞってユイを口説きたがり、ユイは上手に身をかわす。ユイも口説かれるのを楽しんでいると見えるが、決して流されない。

 外見は似ていなくもないが、僕はたいそう背が高く、ユイは小柄なほうだ。女の背が低いのは難点にはならず、こういうタイプが好きだという男を引きつける。白けていた感じの種田も、ユイがやってきたらテンションが上がったように見えた。

 ひとつ年下の妹。若くて美人で人当たりもよくて、性格はよくないかもしれないが露骨にはあらわさない。今どきらしい仕事のできる強い女。それでいてぱっと見はソフトで優しい。これでもてないほうがおかしいってもんだ。

「なんだかずいぶん、奥さんをこきおろすのね」
「本当のことだからね。ってか、こきおろしてるつもりはなくて、真実を述べてるだけだよ」
「だったらなんで結婚したの?」

 兄妹として同居していた十数年間の、ユイとの間にあったあれこれを思い出しているうちに、ユイと種田の会話は佳境に突入していた。

「種田さんって奥さんを好きで結婚したんでしょ」
「嫌いではなかったけどね。うん、まあ、好きではあったんだろ」
「ただひとりのひとっていうのでもなくて?」
「他にも女はいたけどね」
「……何人もの女性の中から選んだの?」
「彼、もてるんだよ」

 横から僕が口を添えると、ユイは納得顔でうなずいた。種田が何者なのかはユイも知っているから、あながち社交辞令でもないだろう。

「女性のほうがほっとかないっていっても、種田さんのほうは興味なかったとか?」
「全部の女に興味があったわけじゃないけど、何人かは気になる女もいたよ」
「その中から選んで奥さんと結婚したんでしょ? やっぱり奥さんは特別なひとなんじゃない?」
「特別っていえばね……」

 どことなく夢見がちな瞳になって、種田は言った。

「特別な女はいたんだよ」
「奥さんじゃなくて?」
「当然だろ。奥さんじゃなくて……」

 モデルの……と言いかけて、種田はふっと笑う。モデルのリラか。典型的、類型的モデルらしいルックスのリラというハーフ女が、さりげなく種田にアプローチしていたのは、周知の事実だった。

「誰も知らないと思うよ。彼女のほうも俺に好意を持っていてくれるみたいだったけど、シャイな子だからあからさまなことはしない。気づいてるのは俺だけかな。こう見えて俺はそういうのは聡いんだ。リラ……いや、モデルのその子はさ……名前は言わないけどね」

 言ってるじゃないか、僕はひそかに失笑したが、思わず口から洩れてしまったということか。

「ツンデレっていうのかな。俺に恋してるくせにつんけんしちゃって、ふたりきりだとちょっとだけでれっとなるんだ。彼女はおバカタレントみたいなポジションにいるから、頭が悪いふりをしてるんだよ。頭が悪い奴に頭のいいふりはできない。してもじきに馬脚をあらわす。けど、頭のいい奴に悪いふりはできるんだね。芸能界にはよくいるんだよ」
「なるほど」

 うん、まさしく恋は盲目だ。

「本当の自分は見せたくないってのか、そんなところがけなげでさ。俺は陰で彼女をバックアップしていた。そうしているうちには俺も彼女に気持ちがかたむいていってたんだけど、彼女は誰かと結婚して妻になったり母になったりするような女じゃない。誰かひとりのものになるような女じゃない。俺は彼女はそっとしておきたかった。そういう男もいるんだよ。本当に好きな女はそっとしておいて、現実は現実として女房をもらったんだよ」
「そんなだったら結婚する必要はなくない?」
「こんな業界でも、結婚してるほうが信用が置けるって考えるやからもいるからね」

 どこまで本気で言っているのか知らないが、種田は酒よりもそんな自分に酔っている口ぶりで言っていた。ユイに言っているのだから、そんな俺ってかっこいいだろ、アピールなのかもしれない。

「ひねくれたふりもしていたけど、彼女はほんとはいい子なんだよ。あのルックスのよさにだまされて、中身も現代っ子そのもののドライな女だと思ってる奴ばっかだけど、古風なところもあるんだ。それでいて妖精みたいな透明感もある。打算だの計算だののない子なんだね。彼女が俺とふたりっきりのときに話してくれたんだけど、子どものときにはピアノを習っていて、天才じゃないかと騒がれたんだってさ。そういうところも俺とは話が合うのかな」

 その上に、絵と作文でも賞をもらったことがある。読書感想文コンクールで優勝したり、中学生書道大会でも特選を受賞したりした。僕もリラがそんなことを言っていたのを聞いた。

「謙虚な子だから、俺にしか言わないんだよ。それだけ心を許してるんだよな。俺は兄貴気分になっちまってね、この子だけは汚い水に染まらないように守ってやりたいと思った」
「だったら結婚すればよかったのに」
「ユイちゃんも綺麗な顔に似合わず世俗的だな。言ってるだろ。あの子は人の女房におさまるような女じゃない。俺がひとりじめしたら損失だよ」
 
 だからね、と種田はしめくくった。

「世間的には俺みたいにもてまくった男が結婚した相手が、特別な女だって思い込みがあるみたいだね。そういう奴もいるだろうさ。でも、俺はこんな男なんだ。特別な女は特別として取っておいて、結婚するのは通俗的な現実の女。そのほうがいいんだよ」
「ふーん」

 自分に酔った勢いで、種田は酒にも酔ってきている。ユイはしらっとしていて、僕もちっとも酔えはしない。店を出ると種田は上機嫌で言った。

「ユイちゃん、俺に惚れるなよ」
「ご心配なく」
「どうしてもって言うんだったら、抱いてあげるくらいはいいけどね」
「ユイ、帰ろう」

 放っておくとユイが種田を殴る恐れもあったので、僕は妹の手を引いた。

「おやすみ」
「ええ? レイが俺に抱いてほしいのか? 悪いけどその趣味はないよ。リラんとこ行こうかな。リラはどこでなにしてるのかな? いや、やめておこう。今夜の俺はちょっとおかしくなってるから、リラに迫られたら抱いてしまうよ。そんな罪つくりなことは……」

 そこに突っ立ってうだうだ言っている種田をほっぽって歩き出し、僕はユイに言った。

「僕にも独自の情報網ってのはあって、世間に出回っていない話も聞くんだよ」
「なんのこと?」
「リラ、できちゃってるらしいな。近くできちゃった婚の発表があるはずだよ」
「リラって……種田氏の……?」
「そうだよ。言わないとか言って、名前を連呼してただろ」

 突っ立ったままでまだうだうだしている種田を振り返り、ユイは非難口調になった。

「言ってあげないの?」
「いやだ。僕は無用に他人に憎まれたくないよ」
「気の毒……っていうのかな」
「種田が? いや、愚かっていうんだ」
「レイらしいセリフだね」

 もっと若かったころ、思い込みから恋をしていた女の子に忠告してあげたことがある。彼女が恋していた男の本性は、男たちは知っていたから。

 そうして僕が憎まれた。彼がそんな男のはずないでしょ。レイは彼に嫉妬してるのよ。あげく、レイのせいで彼にふられた。
 あんな奴にはふられてよかったのに……ってさ、僕も他人のことは言えないが、女の子をだましたりはしない。レイそのまんまの僕に惚れる女はいくらでもいるんだから。

 その経験上、僕は誰かの思い込みで曇った目を覚まさせようなんて思わない。「恋は盲目」はある意味幸せで、あれはあれで純情さもある奴なんだなと、種田を微笑ましく思えるから。

「酔えない酒だったよな。ユイ、もう一軒行く? それとも、僕んち来る?」
「レイのおかげで普段の私は知り合えないような人種と話せるから、いい勉強になるわ。酔えなくてもいいんだ」

 この台詞もまた、ユイらしいものだった。

END








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花物語2017/5「ブーケのカスミソウ」

ショートストーリィ(花物語)

ぶーけ
花物語2017

五月「ブーケのカスミソウ」

 大きくなったら学校の先生になる!!
 本人の佳澄のみならず、父も母も祖父母も、疑いもなくそう信じていた。

 父は小学校の校長で、母は小学校教諭。母が新米教師時代に研修を受けた際に、父が講師をつとめていたのだそうだ。父と母には十四歳の歳の差があり、父は母の師匠的な立場だったので、夫婦間にも格差があった。

 祖父母にしても、父方の祖父は中学校教諭、祖母はもと保母、母方は祖父も祖母も高校教師と、全員が教育者である。そんな家庭に育ったのだから、佳澄の将来の希望が「先生」となるのも無理からぬことだったのだろう。成績が良くないと先生にはなれない、という大人の教えには納得がいったので、佳澄は勉強家でもあった。

「お母さん、今日は授業参観だよ。来るって約束したじゃない? どこ行くの?」
「急いでるのよ。話はあとで」

 授業参観は平日に実施されるのが通例だ。よそのお母さんにも働く主婦はいるが、たいていは仕事を休んで参観に来る。小学校高学年ともなると、参観になんか来なくていいのに、と口では言う子もちらほらいるが、本音は来てほしい。教室のうしろに母の顔があると嬉しいものなのだ。

 が、佳澄の母は参観になど来たためしがない。保育園から小学校まで、たまさか祖母が来てくれたこともあるが、毎年佳澄の母は欠席だ。教師との個人面接や三者面談にだけは、時間の都合をつけてそそくさとやってきては、またそそくさと学校に戻っていくのだった。

「どこ行くのよぉ。参観には行かないの?」

 大急ぎで出かけていった母のうしろ姿に声をかけても、もう届かない。今日は朝から二時間通常の授業をして、三時限と四時限が保護者の授業参観。午前中だけで授業が終わる。参観に間に合うようにしてくれるんだろうか。口をとがらせている佳澄に、父が言った。

「昨日、母さんのクラスの子どもが万引きをしたらしいんだよ。母さんは今日は佳澄のために有休をとっていた。小学校六年生になったんだから、一度は参観にも行くべきだってね。しかし、担任しているクラスの子が万引きをしたんだから、学年の担任全員で会議をすることになったんだそうだ。教師としては一大事なんだから、佳澄は我慢しなさい」
「そんなぁ……」
「人には辛抱が第一、いつも言ってるだろ」

 だったらお父さんが来てよ、とは言っても無駄だ。父も身支度を終えて出かけていき、佳澄もとぼとぼと通学路をたどった。子どものことは母親がするのが当然。どうして僕が佳澄の世話をしなくちゃならないんだ? 母さんにできないならおばあちゃんに頼めばいいだろ、が父の持論なのは、佳澄だって知っている。

 人には辛抱が第一、という父の好きな人生訓をもって育てられたのだから、佳澄は我慢強い子になったのだろう。母は我が子よりも教え子が優先。父は仕事がすべて。そんなの当たり前だよ、と四人いる祖父母たちも言う。我慢って美徳なのだもの。佳澄は我慢のできるいい子だね。

「では、班分けをします。どうやって分けましょうか」

 参観日は無事に終了し、五月になってゴールデンウィークも終わると、間もなく修学旅行だ。クラスはその話題で持ちきりとなり、先生が児童たちに提案を求める。仲良しの友達と同じ班になりたい、との意見が圧倒的だったので、教師も受け入れてくれた。

「はーい、決まりましたか? ん? 佳澄さんはどうしたの?」
「あ、佳澄ちゃん、ここにおいでよ。うちはひとり足りないの。佳澄ちゃんが入ったらちょうどいいよ」
「う、うん、はい」

 誰かさんと誰かさんと誰かさんと、一緒の班にしよう!! ざわめいて盛り上がっているクラスメイトたちに置き去りにされた気分でいた佳澄を、琴絵が呼んでくれた。ええ? 佳澄ちゃんも? えええ? などとこそこそ言っていた他の女の子たちも、おおっぴらに佳澄を排除しようとはしなかった。

 それまでは班分けとなると、出席番号順だの席の近い子同士だのという決め方がもっぱらだったので、好きな子同士となるともめごとも起きかねない。わりにスムーズに決まったので、教師も安堵している様子だった。

 一泊二日の日光への旅。自由時間には班ごとに地図を片手に自由行動をする。佳澄ちゃんもおいで、と呼んでくれた女の子、琴絵はもとからリーダー格で、彼女がなんでも決めててきぱき動くのだから、佳澄の班はなにをするにもなめらかに行動できた。が、突然事件が勃発した。

 バスから降り、ここからは東照宮まで歩くことに決定した。六人で歩いていたその道中である。今にも雨が降り出しそうになっていたせいか、他には人通りはない。佳澄は皆からやや遅れて歩いていたのだが、みんなが騒いでいるほうへと駆け寄った。

「琴絵ちゃん、大丈夫?」
「どうしたの? おなか痛いの?」
「どうしよ。誰かケータイ持ってない?」
「ケータイは禁止だもん。持ってないよ」
「琴絵ちゃんっ、しっかりしてっ!!」
「マナが泣くなよっ」

 リーダーがしかめっ面でうずくまってしまったのだから、他の子たちはパニックである。修学旅行のルールではケータイは持参禁止。見回してみても公衆電話のボックスも店もない。通り過ぎていくのは観光バスばかりで、四人の女の子たちは泣きそうになっていた。

「おーい、おーいっ!!」

 こうするしかないと判断して、佳澄は道路の真ん中に立って両手を挙げた。大きく手を振り回す。無視して走り去っていく車やバスがほとんどだったが、一台の観光バスが留まってくれて、中から中年女性が降りてきた。

「佳澄ちゃんっているのかいないのかわからなかったけど、役に立ったね」
「佳澄ちゃんが班にいてくれたよかったね」
「佳澄ちゃん、ありがとう、あなたのおかげで琴絵は助かったのよ」

 観光バスから降りて来たのはベテラン添乗員の女性だった。道路で手を振っていたのが子どもだったからこそ、彼女がバスを止めてくれたのだ。添乗員さんが的確に処置してくれたので、琴絵は大事に至らずにすんだ。琴絵のおなかがどうして痛くなったのかについては、教師は詳しくは話してくれなかったが。

 中学生になっても高校生になっても大学生になっても、アルバイト先でも、佳澄はいつだって小学校のころのままのポジションだ。ああ、佳澄ちゃん、いたの? あ、佳澄ちゃん、お願い。はー、佳澄ちゃんがいてくれて助かった。ずっと誰かにそう言われてきた。

 自己主張をしないのは、人には辛抱が第一、の父の主義で育てられたからだろうか。我慢は美徳、と祖父母も佳澄を褒めてくれたからか。佳澄はいい子だね、と母も言ってくれた。

 今日は琴絵の結婚式だ。小学校の修学旅行以来、琴絵と佳澄は仲良くしている。大学を卒業したばかりの佳澄の交友関係の中では、琴絵がトップを切ってゴールインした。

「これ、佳澄の花だね」
「ああ、カスミソウ?」
「ブーケには必ずといっていいほど入ってるよね」

 アルバイト先で知り合ったひとつ年上の先輩を、佳澄が琴絵に紹介した。俺、琴絵ちゃんとつきあいたいな、と彼が言い出し、佳澄がふたりの仲介をした。私、もしかしたら彼を好きだったのかな、と感じるようになったときにはすでに遅く、琴絵ちゃんにプロポーズしたんだ、との彼からの報告を受けた。

 ゴージャスなウェディングドレス、華やかな大輪の花を集めたブーケ。白いカスミソウが花々を縁取っている。どんな花とも相性のいい白い小さなカスミソウ。自分を主張せず、誰の邪魔にもならずに引き立てて、それでいてとても役に立っている。複雑な気分で佳澄は思う。

 いろんな意味で私に似た花なんだな、カスミソウは。
 幼いころの将来の夢、学校の先生になる!! はかなったんだから、これからはクラスの児童たちをまとめる、カスミソウみたいな存在になろうと、佳澄は決意した。


END








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FS雨の物語「あと一センチ傘が寄ったら」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

雨の物語

「あと一センチ傘が寄ったら」

 ガキのくせして、こいつは俺の魂胆を見抜いていやがるんだろうか?

 事情は断片的にしか知らないが、もとフォレストシンガーズのメンバーだった小笠原英彦は、結婚するからと言ってアマチュア時代に脱退した。

 結婚して離婚し、妻子を残してヒデさんは旅に出た。俺はその時期に神奈川でヒデさんに会っている。神奈川県にも田舎のような場所があり、そこで俺のいない時期のフォレストシンガーズが歌ったことがあると幸生に聞いたからだ。樹の幹に幸生の落書きが残っているというのを見たくなって出かけていった。

 おそらくはヒデさんも同じ理由でそこにいたのだろう。

 それからなにがどうなったのか、ヒデさんは神戸に流れ着いて落ち着いた。彼がフォレストシンガーズを脱退してから約十年、まずシゲさんと再会して、俺たちとも会うようになった。

 一年間しか大学にはいなかったのだから、ヒデさんとの縁は俺がもっとも薄い。しかし、彼は俺の先輩である。ヒデさんがフォレストシンガーズをやめなかったとしたら、木村章はどうなったんだろ、と思うと複雑な気分でもある。ヒデさんは本橋さん並みに暴力的で、乾さん並みに鋭敏な男だからつきあいにくいのだが。

 そのヒデさんが働く神戸の電気屋、ヒノデ電気。主人は日野さん、ヒデという字も入った名前、というのが関係あるのかどうかは知らないが、日野さんにはひとり息子がいて、創始という。ヒデさんは創始をずいぶん可愛がっているというか、対等に友達づきあいをしているというか。

「小学生やから幸生よりは二十歳くらい年下なんやけど、創始は幸生に似てるんや」
「ヒデさん、そんなに幸生が好き?」
「……アホか、おまえは」

 というような会話をしたことがあって、創始は幸生ともずいぶん仲がいい。俺は創始とは会ったこともなかったのだが、幸生が言ったのだった。

「創始ってアニメ好きだってのは話しただろ。蜜魅さんがアニメ声優のイベントに創始を招待したんだよ。ヒデさんが連れてくるらしいけど、仕事の打ち合わせを兼ねてるからイベントには行けないんだってさ。俺につきそってやってくれって頼まれたんだけど、俺も先約があるんだ。章、行かない?」
「ええー? ガキのつきそい?」
「ワオンちゃんも出るんだよぉん」

 むろん、幸生のほうは俺の魂胆……というよりも、幸生の差し金というか、策略というか、それが俺の魂胆と一致したのだから、渋々のていをよそおって創始と待ち合わせた。

 この年頃の男の子となんかどんな会話をしたらいいんだ? 俺には十二歳年下の弟がいるとはいうものの、龍が十歳くらいのころには俺は東京、弟は稚内と、話をする機会もなかった。ヒデさんとシゲさんと幸生と乾さんは子どもの扱いもうまいが、俺は苦手だ。

「こんにちは、はじめまして、日野創始です」
「ああ、行儀いいな。知ってるだろうけど俺は木村章。よろしく」
「はい、よろしくお願いします」

 その上に、彼は神戸の少年だから関西弁だ。俺は大阪弁が大嫌い。ヒデさんや幸生に言わせると神戸弁と大阪弁はちがうらしいが、俺にはどこがどうちがうのかわからない。東京駅まではヒデさんが送ってきて、そこから別行動になったらしい。創始はタクシーの中ではそんな話をした。

「ひとりでちゃんと来られたんだな」
「来られましたよ」
「おまえ、アニメ好きなんだろ?」
「はい」

 堅くなっているのか、創始は俺にはため口はきかない。ヒデさんは日常的に彼と接していて、幸生とシゲさんは彼と何度も会っているそうで、完璧友達みたいに喋ると聞いていたのだが。

「おまえ、本橋さんと乾さんには会ったのか?」
「本橋さんには会いました。乾さんとは会うてないな。お母ちゃんは乾さんに会いたいらしいけど、ヒデさんが言うんです。乾さんは危険やて」
「危険……?」
「なんで危険なんか、僕にはわかりません」

 とぼけているみたいな口調だったので、その話題はそこまでにした。

「蜜魅さんとは仲良しやけど、ワオンさんにはサインをもらったくらいです。木村さんは別にアニメが好きでもないんでしょ? えーっと、ワオンさんとは大学が一緒でした?」
「俺は一年で中退してるからさ」
「ああ、そうやったっけ」

 ワオン、その名前を口にするたび、創始の目が意味深な光を帯びる……なんて、俺の考えすぎだろうか。

 大学三年生の年に幸生が友達になったのだから、俺は大学時代にはワオンちゃんとは一面識もなかった。大きな学校だから、経済学部に古久保和音という女子学生がいるとも知らなかった。幸生は彼女と同じゼミで知り合い、ほぼひとめ惚れして迫った。

 友達づきあいはしてくれたけれど、寝てはくれなかったワオンちゃん。彼女の本名は「かずね」だが、幸生がワオンちゃんと呼ぶようになったので、声優としての芸名も「古久保ワオン」だ。

 そんな女に俺が惚れてしまって、なのに、幸生となにかあったんじゃないかと疑い、幸生が否定してくれたので信じた。なのになのに、俺はもう一歩を踏み出せないでいる。
 さっさと告白してふられたらいいだろ。あのツンツン女がデレになるところを見せてくれるのもよし、ツンツンのままふられるのもよし。

 頭ではわかっている。フォレストシンガーズは声優業界と無関係ではないので、仕事の関わりもたまにはある。行きつけのカフェで会うこともあった。

 だからこその俺の魂胆と幸生の策略。俺はアニメには興味ないのだから、創始のつきそいとしてしかイベントには行けない。昔から我々のファンだったという漫画家の蜜魅さんを紹介してくれたのはワオンちゃんで、蜜魅さんはヒデさんと婚約しているのだから、創始も俺の魂胆を知っているような気がしなくもなく。

 いちいち気にしていたら動けない。ここまで来たら行動あるのみだ。

 行動ったって、アニメ声優のイベントで客席にすわり、楽しそうな創始につきあっているだけではなにもできない。創始は
ものすごく嬉しそうだが、アニメの美少女戦隊って……俺はそんなものは知らないから、アミちゃんがどうの、ボーちゃんがこうのと言われても意味もわからない。

「ワオンちゃんは猫の役なのか」
「そうや。木村さん、知らんかった?」

 徐々に言葉遣いがほぐれてきた創始が教えてくれた。

 十人というか、総勢十体の美少女戦隊には、人間もロボットも宇宙人も動物もいる。ワオンちゃん演じるココルは年に一度だけ人間に変身する美少女猫なのだそうで、幸生の好きそうなキャラなのだった。

「ふーん……」
「僕もココルちゃん、好き。蜜魅さんがココルちゃんの絵、描いてくれてん」
「そりゃよかったな」

 アニメキャラの猫なんかより、俺は本体のワオンちゃんが好きだ、と言ってしまいたくなる。好き……なんだよな、好きなんだ。だから俺はこんなところにいるんだ。

 ステージには十一人の声優がいる。十体の美少女戦隊の声優たちなのに、なぜか男がいる。時々男に変身するキャラがいるのだと創始が教えてくれて、ややこしいんだな、と俺は苦笑する。声優にも美人は多いのだが、俺は他の女には興味ない。ただ、ワオンちゃんばかり見ていた。

「章、お疲れ」
「あ……ヒデさん……」
「おう、創始、楽しかったか」
「うん、ヒデさん、仕事終わったん?」

 イベントが終了してホールの廊下に出ていくと、ヒデさんと蜜魅さんがいた。もしかしたらこれは、このふたりも幸生の策略に加担しているのか。そこまでしてもらわないといけない俺はなんなんだ。情けない。

「木村さん、創始くんは私たちが……」
「そうやな、章、行ってこい」

 どこに行けと言われているのかはわかっていたので、創始はこっちのカップルにまかせて俺は単独行動になった。けれど、楽屋に行く気にはなれない。楽屋には他の女もいるだろうし、なにしに来たの? とワオンちゃんにつんけんされる恐れもあるし。

「……雨か」

 巷に雨のふるごとく、我が心にも雨の降る。
 乾さんじゃあるまいし、詩なんか呟いても空も心も晴れやしない。

「え?」

 どうでもよくなって外に出、やみくもに歩いていると、小さな傘がさしかけられた。水色の女ものの傘だ。

「ワオンちゃん……」
 
 相合傘ではなくて、彼女も別の花柄の傘をさしている。ひとことも口をきいてくれず、先に行ってしまおうとする彼女の背中に声をかけた。

「ありがとう。このあと、予定ある?」
「打ち上げがあるから」
「……そっか」

 俺も行ってもいい? なんて尋ねられない。どうして俺はワオンちゃんの前では弱気になるんだろ。好きだから? 好きだから、なんだろうな。どうしてこんな女、好きなんだろ。好きだから、好きだから、理屈なんかなくて好きだから。

 雨に濡れてる俺を見つけたのは偶然かもしれない。ヒデさん、蜜魅さん、創始が言ったのかもしれない。なににしたって、俺に傘を貸してくれたのは必然だ。ほんのちょっとだけ距離が縮まった……そんなのが嬉しいなんて、木村章もヤキが回ったもの、なのかな?

END









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396「ローカル列車で2」

novel

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フォレストシンガーズストーリィ

396「ローカル列車で2」

1・寿々

 千里の道も一歩から、というのだから、旅番組に出られるようになったのはいいことだ。「歌の森」の不細工女子代表、チャコ役としてほんのちょっとは名前と顔が売れたから、新しい仕事を手に入れたのだから。

「女ふたり、ローカル列車での旅」、佐田千鶴と時松寿々が旅人だ。双方、売れない女優というポジションは似ているが、ルックスは大違い。大柄な私は小柄な相手とペアにしやすいらしくて、「歌の森」の相方も小柄でころころのモコ。ローカル列車のほうでも千鶴さんは小柄なほうだ。

「佐田千鶴、知らないな」
「私も知らなかったんだけど、可愛い子だよ」
「十九歳ね? いいなぁ、十代なんて。私たちは崖っぷちだけど、十九だと将来もあるよね」
「ユカちゃんにだって将来はあるよ」
「だといいんだけど……」

 共演者のひとりである阿久津ユカは自嘲的に笑う。
 二十五歳、美人女優としては崖っぷちなのかもしれないが、昨今は三十代でブレイクしたりもするではないか。三十代アイドルだっているではないか。

 その点、お笑い系女優のほうである私には、年齢はさほど重要ではないはず。
 ないはずだと信じたい。

「千鶴ちゃんって乾さんに……なんだろ?」
「そうなんですか」
「いいなぁ、乾さんはもてるんだよな。乾さんは三十五、千鶴ちゃんは十九。男女が逆だったら無理かもしれないけど、歳の差婚も流行ってるんだし、つきあえばいいのにね。俺だったら大喜びだよ」

 劇団ぽぽろのスターであり、フォレストシンガーズとは長年の交流があるらしい戸蔵一世さんは、千鶴さんのことも知っていた。

「佐田千鶴ってのは……」
「ああ、石川くん。彼女は高卒だよ」
「そうですか。十九歳だったら……」
「俺も高卒だし、寿々ちゃんもそうじゃない?
「そうです」

 ふむ、と呟いて、石川諭はイッセイさんと私の顔を見比べる。彼の口癖は、あのひとはどこの大学? と偏差値、だから、質問される前にイッセイさんが答えたのだ。

 主役クラスの俳優の中には、一回の放送に一度は顔を出すものの、ほんの端役である役者とは格が違うと思っているひともいるらしい。端役でも若くて可愛い女の子とだと遊びたいと考えたりもするようだが、時松寿々? そんなのいたっけ、との認識のひとも多い。

 石川諭はそっちのタイプらしく、私に直接話しかけてきたことはない。それきり私を一瞥すらせず、つまらなそうな顔をして離れていった。

「うちの親はさ……」

 このドラマのメインキャストに有名人はいないが、その中にもヒエラルキーはあるらしく、私なんかは限りなく最下位に近い。イッセイさんは高いほうのはずだが、彼も売れない役者だと自称しているせいもあるのか、表面上は私にも気軽に接してくれていた。

「俺が学生のころには学歴も大切だって風潮だったけど、そんなものは次第にすたれていくって考えだったらしいんだ。だから、俺が大学には行かずに役者になりたいって言ったときにも、反対はしなかったよ。役者になるんだったら学歴なんてまるで無関係だよなって言ってた。だけど、意外にそうでもないよね」
「高学歴が売りの芸人さんとかもいますものね」
「俺たちがなにを言っても、低学歴人種の歯ぎしりだな」

 撮影の休憩時間、セットの隅でイッセイさんと話していると、次々に共演者たちが会話に参加してくる。次は川端としのりくん。彼は現役高校生だ。

「ローカル列車の旅ですか。いいなぁ。僕は国内旅行はあまりしたことがないんで、最近、時間ができるとひとり旅をしてるんです。寿々さん、素敵な電車があったら教えて下さいね」
「国内旅行はしてないけど、海外だったらしてるんだろ」
「親に連れられて、ドイツやイギリスのホールでクラシックコンサート、なんて旅行だったらしましたね」

 若いからもあるが、彼は共演者たちとはやや毛色がちがっている。つまりはお坊ちゃんというわけだ。

「イッセイさん、この間はどうも」
「ああ、元気出たか?」
「おかげさまで……」

 たった今、スタジオに来たばかりの三村真次郎が、イッセイさんにだけ声をかけて通りすぎた。彼はどうやら私を嫌っている。それとも、おまえなんか好きも嫌いもねえよ、うぬぼれるな、であろうか。

 男は美人が好きなのが当たり前。三村くんはユカちゃんに恋をしていて、ユカちゃんはそんな彼をうっとうしがり、虫よけとして私を利用しようとする。ユカちゃんがどこまで三村くんを面倒がっているのかは知らないが、大嫌いだとまでは思っていないような気もする。

 好んでやっているわけでもないが、ユカちゃんとふたりきりになりたいのに邪魔をする寿々。というのが三村くんの時松寿々像だろう。嫌いというよりも目障りなのか。

「千鶴……千鶴ってぇと……洋介が……んん、ちがったかな」
「洋介がなにか言ってたのか?」

 見ていると複雑な気分になる共演者もいて、彼はその最たるものの存在だ。ロックヴォーカリストのVIVI。彼の仲間が私を誘惑しようとし、一生に一度くらいはそんな経験をしてみるのもいいかと心が動いた。今は若いからそんな誘いもあるけれど、このままおばさんになったら、私と寝たがる男は皆無になりそうで。

 なのに、VIVIが妨害した。
 こんな女とそこまでして寝なくても……おまえ、飢えてんのかよ? VIVIが言っている声が私の耳に届いた。私を誘惑しようとしていた男は、VIVIに諌められて気を取り直したらしい。

 あんな男、はこっちの台詞だ。あんな奴とベッドに入らなくてよかった。遊ぶの遊ばれるのといった話ではなく、酔いが醒めた男にベッドの中で萎えられたり罵られたりしたら、私はどうしたらいいのかわからなくなっただろうから。

 だから、VIVIを恨んでいるわけではない。ただただ、彼を見ていると複雑な気分になるだけ。VIVIはイッセイさんと、洋介がどうのこうのという話をしている。洋介とは誰なのか知らないので、私は口を入れずにいる。セットの隅は大通りのように、何人もの人間が通り過ぎていっていた。

「この間、桜田さんと話してたんだって?」
「……それがどうかしたんですか」

 じゃあね、寿々ちゃん、またね、と愛想よく私にも声をかけたVIVIが行ってしまうと、主役クラスの中では残るひとり、琢磨士朗もやってきた。イッセイさんに尋ねられた琢磨くんは、無愛想に応じた。

「桜田さんってどう思う?」
「どうも思いませんけどね」
「そっか……だったらいいんだよ」

 このやりとりも、私には意味不明。
 
 「歌の森」とは実在の男性五人のヴォーカルグループ、フォレストシンガーズをモデルにした半ばはノンフィクションのドラマだ。脚本家はみずき霧笛氏。みずきさんからしてフォレストシンガーズとは親しいらしく、フォレストシンガーズと交流のある役者や歌手もゲスト出演する。

 ゲストの中では一番のトップスターは桜田忠弘さんだろう。彼は自ら、俺も出たい、と言ったのだそうだ。急遽、桜田忠弘が演じるための役柄が作られた。大スターのわりには桜田さんはお高くなくて、私なんかにも話しかけてくれる。大スターに話しかけられると感激する売れない役者もいるようだが、私はむしろ戸惑ってしまった。

「寿々ちゃんは桜田さんってどう思う?」
「かっこいいですよね。月並みですけど、スターのオーラがありますよね」
「オーラかぁ。俺にはオーラって見えない?」

 真顔で問いかけられると、またまた困ってしまう。桜田さんほどのスターのオーラなら見える気もするが、イッセイさんにはそれほどのオーラはない、ないとは言ってもまだない……まだ、だと言っていいのかどうか。私なんかに言われてもイッセイさんは嬉しくもないだろうし。


2・千鶴

 お酒をメインにしている店には、未成年の私は入りづらい。乾さんが連れてきてくれるんだったらいいけれど、ひとりでは入ったらいけないのかな。でも、ここにいたら乾さんと会えるかもしれないし。妙な言い訳をしながら、俳優や歌手がよく出入りしている居酒屋に入ってみた。

「あ……」
「千鶴さん、ここここ、ここにおいでよ」

 むこうから呼んでくれているのは、時松寿々さん。ローカル列車の番組で二、三度一緒にロケをして、寿々さんのほうは私を友達扱いするようになった。私から見ればだいぶ年上なのであまりになれなれしくしてはいけないかとも思うのだが、売れない女優としての立場は近いので、年齢差以外はそうは気を使わなくていい相手だ。

「千鶴さんってあなた? 可愛い顔してるんだね」
「紹介するね。阿久津ユカさん」

 「歌の森」はいつもいつも熱心に見ているので、私はユカさんはよく知っている。男性キャストの多いあのドラマでは女性としては一番の役柄の、山田美江子役のひとだ。二十歳ごろの美江子さんは真面目でお堅い教育学部の学生だから華やかには作っていない。そのせいで、素顔のユカさんはドラマで見るよりも美人だった。

「はじめまして。ドラマはずっと見てます」
「千鶴ちゃんって山田さんとは仲良しなの?」
「仲良しってことはないんですけど、フォレストシンガーズのみなさんにはちょっとだけ可愛がってもらってますから、美江子さんともお話したりはします」
「ふぅん」

 目つきが冷たいような気がするのは、私の思い過ごし? 飲めば? と言いながらユカさんがビールを注いでくれ、千鶴ちゃんは未成年だよ、と寿々さんが止めた。

「フォレストシンガーズとは親しいのね。どんなふうに?」
「どんなふうって……」

 ビールくらいいいじゃん、とユカさん。写真でも撮られたらいけないから、と寿々さん。ユカさんは注いだビールを自分で飲んだ。

「千鶴ちゃん、元気にしてたか?」
 会う機会があると、そう言って私の頭に手を乗せる本橋さん。

「久しぶりです」
 何度言われても、年下の私に丁寧な口調のシゲさん。シゲさんには私のほうから、恭子さんはお元気ですか? と尋ね、はい、元気です、と答えてもらう。恭子さんによろしく、がシゲさんとの会話の定番だ。

「千鶴ちゃん、彼氏はできた?」
「章の質問、意地が悪いんだよな」
「意地が悪くはねえだろ。俺は純粋に千鶴ちゃんを心配してるんだよ」
「できてないんだったら俺とつきあおう、とか言いたいくせに」
「言いたくねえよ。千鶴ちゃんは俺の好みのタイプじゃないし、千鶴ちゃんのほうも俺はタイプじゃないだろ」
「千鶴ちゃん、はっきり言っていいよ。あんたなんか嫌い、って言っていいからね」
「……三沢さんは好きです」
「ありがとう」

 木村さんと三沢さんとはそんな会話をかわし、横で聞いていたアイドルシンガーの瑛斗くんは言っていた。なんだかシュールだったなぁ、って。

「乾さん……」

 顔を見ただけで胸がいっぱいになってしまい、微笑みかけてもらうと涙が出そうになる乾さん。かなわぬ恋だと知っているけど、片想いはやめられない。

 ひと口にフォレストシンガーズと言っても、五人のお兄さんに対する感情も態度もまったくちがう。ユカさんの質問には簡単には答えられそうになかった。


3・寿々

「きゃああ、電車の床が抜けそう」
「おおげさな。電車の床がそんなやわなはずないでしょ」
「だって、あたしたちだけだったらまだいいけど、重量が……女じゃないほど重い女がいるんだもん」
「誰だよ、それは、イロハ?」
「ローナったら、言わせるの?」

 きゃはきゃはとはしゃいでるのは、あいどるグループの「イロハ」の三人だ。一見は三人ともにはしゃいでいるようだが、ハナビは気弱に笑っているだけ。イロハとローナは名前は出さねど、私のことに決まっている「女じゃないほど重い女」を肴にして盛り上がっていた。

「ぽっちゃりカルテットでーす」
「五人とも一緒にすると、イロハがかわいそう~」
「なに言ってんだよ。かわいそうなのはローナだろ」
「千鶴ちゃんじゃないの?」
「ってかね、ひとり……いいんだけどね」

 メディアが流行らせようとしているのか、それとも、本当にちょっとは流行っているのか、ぽっちゃりガールブームなのだそうで、イロハはその流行に乗るために結成されたグループだ。ばっと見は三人とも同じようだけど、性格はちがう。太りようもちがう。

 ソロアイドルとしてデビューしたものの売れなくて、ダイエットして痩せたのをもとに戻し、ぽっちゃりぽっちゃりアイドルになったローナ。井端露和という名前だったころに、私も彼女とは挨拶をかわした覚えがあった。

 昔からずーっと太っているのだそうな、イロハ。いっちゃんはそこが可愛いんだよ、といばっている。
 もうひとりはおどおどしているようにも見えるハナビ。イロハとローナに両側から押されていたら、ひとりだけ控えめなのもいいかもしれない。

 事務所の目論見がはまりつつあって、売れつつあるイロハが今日のゲストだ。ぽっちゃりカルテットなんて言っているが、本当に一緒にしてあげたらかわいそうなのは千鶴さん。千鶴さんは太っているのではなく、出るべきところは出、くびれもしっかりあるマリリン・モンロー体型なのだから。

 彼女たちの言う通り、私は千鶴さんも含めての四人とは体格がまったくちがう。どっしりぼってり、母にはいつも、寿々は着コッテウシみたいだと言われていた。

 富山県のローカル列車に五人で乗り込み、床が抜けるの座席が壊れるのと、イロハとローナは大騒ぎしている。グループとしてのイロハはけっこう売れているので、番組のスタッフたちも愛想がいい。こういう番組では売れている者がいちばん強いのだから、千鶴さんも私も引き立て役に徹するしかないのだった。

「花嫁列車なんでしょ? ローナも早くお嫁に行きたいわぁ」
「花嫁衣装って着物だもんね。ローナのサイズだってあるよね」
「あるに決まってるじゃん。イロハの無礼者」
「ひとりだけ、サイズなかったりして?」
「そしたら花婿衣装でもいいんじゃね?」
「花婿衣装の誰かさんと、千鶴ちゃんの花嫁って似合いそうだね」
「それ、いいかも」

 好き勝手に言っては大笑いしているローナとイロハ、ひやひやしているようにも見えるハナビ、こういう空気には慣れていないようで、困り顔の千鶴さん。私はお笑い系なのだから、太ったアイドルたちに負けていられない。本来はこの番組の主役でもあるのだから、もっともっと盛り上げなくちゃ。

END






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FS雨の物語「雨のち虹いろ」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

雨の物語

「雨のち虹いろ」

 ドアを開けた途端、うわーんっ!! という盛大な泣き声が耳を打った。一歳に満たない次男の壮介にすれば力強すぎるので、広大か? 当たりだ。俺も父親らしくなってきて、長男と次男の泣き声は聞き分けられるようになってきた。と、喜んでいる場合ではない。

 だーっと走ってきて突進してきた広大を抱き上げ、ママがママが、ママがいけないの、と途切れ途切れに言いながら泣いているのを抱いて部屋に入っていく。妻の恭子はぶすっとした顔はしていたものの、俺にだけ聞こえるように、ごめんね、と言った。

「えーっと……俺はどうしたらいいのかな」
「落ち着くまで抱いててやって」

 そうするしかないので、広大を抱いて寝室に入る。広大は泣きじゃくってしがみついて離れないので着替えもできない。諦めてベッドにすわった。

 二十六歳の年にフォレストシンガーズに、ラジオレギュラーの仕事がもたらされた。本橋さんと乾さん、幸生と章、俺とテニス選手の川上恭子さんがペアとなって早朝のラジオ番組を担当する。週に三回もの仕事だったから、時間的に聴取者は少ないとはいえ、我々を知っているひとが徐々に増えていくきっかけになった。

「テニスで勝負しようよ。私が負けたらカラオケにつきあうわ」
「俺が恭子さんにテニスで勝てるわけないでしょ」

 仕事が終わってからふたりで食事に行ったり、恭子さんのテニスの試合を見に行ったりして仲良くなっていったころ、恭子さんに言われた。
 テニス勝負は当然、俺の完敗だったのだが、前々から誘っていたカラオケに恭子さんはつきあってくれた。お疲れさま会みたいにしてふたりきりでカラオケハウスに入り、初に判明したことは。

「そうよ、シゲさんにだったらわかるでしょ。私は音痴なのっ!! だからカラオケはいやだったんだよ」
「そっか、ごめん。でも、恭子さんの音痴は可愛いよ」
「シゲさん……」

 鈍感な俺があのときばかりは察して言った。

「先に言わせて、好きだ」

 音痴なのにカラオケボックスに来てくれたのは、ふたりきりになりたかったから。俺に告白してくれるつもりだったから。俺だって恭子さんが好きだ。友達として好きなつもりでいたのと、俺はもてないんだから、恋なんかしたって無駄だ、との諦観があって気づかないふりをしていた。

「私も好き」
「俺とつきあってくれますか」
「はい、嬉しい」

 生まれてはじめての相思相愛の恋人。プロポーズというほど改まってはいなかったが、そのひとと結婚できることになった。マリッジブルーとかいう奴で、なんだか揺らめいているらしき恭子に、美江子さんがアドバイスをしてやってくれた。乾さんは言っていたらしい。

「シゲほどいい奴はいないんですけど、あいつは自信がないのが欠点なんですよ。恭子さん、あなたがあいつに自信を持たせてやって下さい」
「シゲと結婚したら幸せになれるよ、俺が保証するから」

 本橋さんも言ってくれ、幸生も言った。

「シゲさんがもてないのはまちがいないみたいだったけど、前に俺、言ったでしょ。シゲさんはその分、素敵な女性と結婚してとびきり幸せになるんだよ。当たってたよね」
「素敵な女性……いやいや、おめでとうございます」

 どこが素敵な女性? と言いたいようにも思えたが、章も言ってくれたので素直に礼を述べておいた。

 三つ年下の恭子と結婚した、あのころからフォレストシンガーズが上向いてきた。なのだから俺は以前よりも多忙になり、恭子がひとりで留守番をすることも増えていったのだが、彼女はけなげに家庭を守ってくれた。仕事は少なめにして主婦業をがんばってくれていた。

「シゲちゃん、できたみたいよ」
「……」

 嬉しすぎてまともに言葉も出せず、恭子を抱きしめたあの日、三年とちょっと前に恭子の胎内に宿ったちっちゃなちっちゃな赤ん坊の素が生まれてきて、今、俺の胸にすがってわあわあ泣いている。うるさいなんてひとかけらも思わない。愛しくて愛しくて、シャツの胸を涙でぐしょぐしょにされているのまでが可愛かった。

 とりたててはなにもできないので、広大が三歳になるまでの出来事をなぞっていた。

 いつもは気の強い女性が、俺の胸で泣いてくれると嬉しいな、と乾さんが言っていたが、俺は女性にそんなふうに泣かれたことなどない。姉をはじめとする女性と喧嘩をしたことは幾度かあるはずだが、すべて気の強い相手で、彼女は怒りこそすれ泣きはしなかった。

 おまえのママとだったら喧嘩をして、泣かせたこともあるんだけどね……女性に泣かれると俺は困惑のきわみになるんだけど、おまえだったら可愛いよ。心行くまで泣け、広大。

 だんだん涙が止まりつつあるようで、広大はしゃくり上げている。広大は恭子に似て言葉が早く、三歳のわりにはしっかり話せるのだが、三歳のわりには、だ。泣いていてはしどろもどろになるに決まっているのだから、涙が完全に止まるまでは待ってやろう。

「お風呂、入ったか?」
「パパと……」
「まだか。じゃあ、もうちょっとしたら入ろうな」
「うん」
「眠くないか? 泣くと疲れるだろ。眠いんだったら明日の朝にしてもいいかな。パパは明日は休みなんだ」
「お休み?」
「うん。ドライヴに行こうか」
「うんっ!!」

 これで完全に泣き止んだ様子で、広大の顔が輝いた。

「だったら風呂、入ろうか。風呂で話をしよう」
「うん」

 覗いてみると、恭子は壮介のベビーベッドの横で読書しているらしい。広大は全面的に俺にまかせると決めたらしいので、恭子との話はあとにして広大をバスルームに連れていった。

「あのね、壮介がね」
「うん」
「僕のおもちゃ、お鼻に入ったの」
「おまえのおもちゃってどれだ?」

 お湯につかって髪と身体を洗って、再び湯船に沈んだころになって、広大がなにがあったのかを話しはじめた。

「ああ、車の車輪か」
「それでね、ぼく、取ってやろうとしたの。そしたら壮介が泣いたの。ママが……ぼくが壮介をいじめたって……」
「ああ、それでなぁ」
「ママ、きらい。パパが好き」

 詳しいことはわからないが、広大のおもちゃの小さな部品が壮介の鼻に入り、お兄ちゃんが取ってやろうとした。うまく行かずに弟が泣き、そこを目撃した母親が怒った。誰も悪くはないので、俺としても困ってしまったのだった。

「うーん、うん、パパがママに言っておいてやるよ。広大は壮介をいじめてないもんな」
「うんっ!!」

 入浴がすむころには広大はこっくりこっくりしはじめていて、パジャマを着せてベッドに運んだときには熟睡状態だった。壮介もとうに眠ったようで、俺がダイニングに戻ると、恭子が食事の支度をしてくれていた。

「お疲れさま。食べるでしょ」
「軽く……いや、普通に食うよ」

 煮物や野菜炒めや恭子お手製のいなり寿司などが食卓に並び、日本酒も出てきて、俺は広大の話を恭子に語った。

「そっかぁ、私が怒ったから広大は泣き出しちゃって、ちゃんと話を聴いてやらなかったのよね。明日、ごめんねって言っておくわ」
「それでいいんじゃないかな」
「ありがとう、シゲちゃん」
「いや……俺だって親なんだから」
「そうだよね」

 日ごろは親らしいことはあまりできないのだから、たまには息子や妻の役に立たなくちゃ。

「今夜もメシがうまい!! あのさ、恭子、前に女性向けマラソン雑誌の表紙になっただろ」
「そうそう。いろんな人におめでとうって言われたよ」
「あれを見てくれたよその出版社のひとから、またやりませんかって社長にさ……」
「わ、素敵!!」
「俺はもちろんいいんだけど、今度は広大と壮介を連れてって話なんだよ。なんの雑誌だと思う?」

 以前はふたりして悩みまくったのだが、今回は恭子がスムーズに正解を出した。

「広大と壮介も一緒だって言うんだったら、育児雑誌でしょ? イクメン向け?」
「イクメンなんてのは実はそうそういないんだそうだから、一般的育児雑誌だけど、うん、当たり。恭子はどう思う? あんなちっちゃいうちから雑誌モデルなんてやらせていいのかな」
「そうねぇ」

 有名人の子どもゆえに、露出度が高くなるというのはありがちだ。俺は有名人でもないのだが、一応はシンガーなのだから、こっちが知らない人が俺を知っている場合もある。そんな人間の息子であることは、広大と壮介にどう影響するのだろう。

「ミーハーだけど、いい記念になりそうだなぁ。とびきり可愛く撮ってくれるんだろうし……あれ? 私はいらないの?」
「父と息子っていう、男ばっかりを探してたんだってさ」
「いやぁん、私も仲間に入りたぁい」

 わざとらしくいやいやしてから、恭子はにこっとした。

「付き添いには行ってもいいんでしょ」
「もちろんだよ。賛成?」
「賛成っ!!」

 大泣きしている長男と、それにともなってどよよんとしていた妻、家の中がどしゃ降りみたいだったのが、ぱーっと晴れて虹が出た気分。広大にも壮介にもまだ雑誌の表紙になるという意味はわからないだろうけど、マイナスにならないように俺も心しなくちゃ。

「明日はドライヴでしょ。広大には話してやらなくちゃね」
「うん、きみからも話してやって」

 それから、昨日はごめんね、ってキスしてやって。

END








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FS超ショートストーリィ・四季の歌・幸生「春の否」

番外編

フォレストシンガーズ

四季のうた

「春の否」

 避妊……うん、そりゃ大事だ。
 罷免……いや、そりゃ困る。
 緋色……俺に似合う?

 飛影……かっこいいよね。
 悲壮……ベートーヴェンにあったっけ? 俺には似合わなさすぎる。
 悲歎……「悲しい」単語はたくさんあるね。人間って哀しいね。

 ひーふーひーほー。

 誹謗……そういうことはしちゃ駄目よ。
 肥満……いやいやいや、俺は大丈夫。
 比翼……仕立てもののことも言うけど、俺は鳥がいいな。

 「ひ」のつく単語は多々あれど、「否定」はいやだなぁ、と、ひがないちにち、ひわひわと想う、春の休日。

YUKI/暇なある日





 


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170「小さなボランティア」

ショートストーリィ(しりとり小説)

しりとり小説

170「小さなボランティア」

 病弱だったから、小学校も中学校も欠席が多かった。義務教育だからなんとか卒業させてもらえたけど、高校は出席日数が足りないと留年させられることもある。退学だってある。父はそう言った。

「お父さんの知り合いの会社で、道子を雇ってもいいと言ってくれてるんだよ。簡単な事務職だ。身体も学校よりは楽だし、社長の友達の娘なんだから、みんなが道子の事情も知っていて休ませてくれたり、いたわってくれたりもする。道子は勉強が好きなわけでもないだろ。会社は小さいけどしっかりしてるから、結婚するまでは働けるよ」

 ためらいはしたものの、道子は父の提案に従った。

 コスモス建機、その名の通りの建築機器を扱う会社だ。道子は事務所で一般事務の仕事をする。父の言っていた通りで仕事は大変ではなく、十八歳の道子にはおじさんたちもおばさんたちも優しくしてくれた。

 それでも風邪を引いたり、ちょっとした病気にかかったりはする。道子ちゃん、帰ってもいいよ、あらあら、大変、早退しなさい、道子が具合悪そうにしていると、社長や、専務の職に就いている社長の奥さん、または社歴の長い年配の社員が気遣ってくれた。

 給料や福利厚生はいいほうではないが、道子だって精勤はしていないのだから不満はいえない。若いひとが少ない職場だからこそ、道子ばっかり優遇されている、との陰口もなかったようだ。

「社長の奥さんが言ってくれたんだけどね……」

 二年ほどすぎたとき、父が言った。

「元雄さん、知ってるだろ」
「ああ、えっと、この間、工場長になったひとでしょ。社長の息子さん。何度も会ってるよ」

 よその会社で修行していた社長の息子は、四十四歳だと聞いていた。早くに結婚して子どももふたりいたのだそうだが、一昨年、事故で妻子をいちどきに亡くした。
 傷心の元雄はよそで働いていく気力を失ってしまい、そちらの会社は退職した。しばらくは心のケアをしていた元雄は、ようやくすこし元気が戻ってきたとかで、父親の会社の工場長に就任した。

 小柄で痩せていて、妻子を亡くした男性だと思うせいもあって、道子にも生気に乏しく映った。元雄の歓迎会には道子も出席したのだが、元気ないなぁと感じただけだった。

「でも、このごろはちょっとずつ元気になってらっしゃるみたいよ。事務所にも時々来ては、道子ちゃん、無理したらいけないよって言ってくれるの」
「そうらしいね。奥さんが言うには、元雄さんは道子のことが気に入ってるらしいんだ」
「ふーん」
「だとしても、道子と元雄さんじゃ親子くらい年が違うもんな」

 結婚の遅かった父は六十歳に近いが、元雄はその父の年頃に近い。道子から見ればおじさん以外の何者でもなかったのだが、それからも会うたびに、元雄は道子になにかと話しかけてきた。

「道子は結婚したいだろ」
「私と結婚してくれる男のひとなんかいないよ」

 最初から結婚は諦めていた。

「元雄さんだったら道子の事情は全部知ってる。中卒で病弱で、家事だって無理はできない。出産もできないんじゃないか、そうだよな? 元雄さんは一度は妻も子もいた身で、再婚できたら子どもがほしいって気もなくはないんだそうだよ。でも、今から再婚して子どもを作っていたんじゃ、元雄さんは五十になっちまう。子どもはもういいかな、けど、再婚はしたいなってね、お母さんには言うようになってきたらしいんだ」

 お母さん、すなわち専務、すなわち、コスモス建機の社長夫人だ。

「道子だったらお母さんやお父さんも気心が知れてる。丈夫ではないのもよく知ってるけど、控えめでおとなしい素直ないい子だ。変に学歴なんかないほうが、すれてなくていいんだそうだよ。元雄さんの前の奥さんはエリートだったらしくて、つきあいにくかったんだそうだ」

 考えてみたらどうだ? と父に言われて、道子としては呆然としてしまった。
 結婚も諦めていたのだから、出産なんて夢みたいなものだ。出産に耐えられたとしても、子育ては道子にはできっこない。道子が子どもを持ったら親子共倒れになりそうに思える。

 一生、コスモス建機と両親に守られて、ひっそり生きていけたらな、というのが道子の希望だった。けれど、母も言った。

「そんなに悪い話じゃないと思うのよ。年上すぎるって以外は、元雄さんはいいひとなんでしょ? 将来はコスモス建機の社長さんでしょ? 道子だって嫌いではないんでしょ? お父さんから見ても、元雄さんだったらいいんじゃないかって言ってるし」
「嫌いじゃないけど……」
「そしたらなにが不満? お父さんもお母さんも若くはないんだから、道子がひとりで残ると思ったら死んでも死にきれないよ。安心させてちょうだいな」

 涙ぐんだ母にすがられ、父にも、いい話だよ、としみじみ言われる。会社に行くと社長や専務が、考えてみてくれてるのよね? とせっつく。元雄は肝心の件には触れなかったが、親切にしてくれていた。

「道子ちゃん、お父さんから聞いたんでしょ。考えてみてくれた?」

 ついにある日、本人の元雄からの質問があった。絶対にいや、ではない。気が進まないという理由では弱すぎる。考える時間はたっぷりもらっていたのだから、断れはしない。

「はい、よろしくお願いします」
「そうか。こちらこそよろしく」

 二十一歳の道子は、四十五歳の元雄の再婚相手になることを決意した。

 専業主婦になればいいと、周囲のひとはみな勧める。子どものいない専業主婦は暇だよ、と言うひともいたが、道子は無理の利かない身体だから、慣れない主婦業はむしろ難行だ。仕事は辞めて毎日一生懸命、家事をこなしていた。

「ただいま。道子、顔色がよくないな」
「お帰りなさい……顔色、よくないですか? 疲れがたまってきたのかもしれません」
「疲れがたまるって、たまるほどのことはしてない……いやいや、いいよ、寝なさい。晩御飯はできてるんだろ? 片づけはしておくからやすみなさい」
「すみません」

 だるくてたまらなかったから、元雄の好意に甘えて寝床に入った。
 結婚式も新婚旅行もなかった入籍の日から、三ヶ月ばかりがすぎたその日から、道子は家事さえできなくなった。

「なんだってそんな弱いお嫁さんをもらったのかって、私たちも言ってたのよ。こんな役に立たない嫁でも、若いのがいいんだねぇ。男ってどうしようもないよねぇ」

 寝込んでしまって三日目に、元雄の元妻、死別した妻の姉だという女性が訪ねてきた。

「妹は大学院出の仕事好き女だったから、私はその分、実家の家事ばっかりやってたのよ。そのせいで独身なんだけど、元雄さんのためには好都合だったでしょ。これから私が家事をやってあげるから」
「は、はあ、でも、そんな……」
「いいのいいの。他人じゃないんだからね」

 夫の元妻の姉、そんな女は道子から見れば完全な他人だが、追い出すわけにもいかなくて姉さんと呼び、おまかせするしかなくなってしまった。

「まあまあ、台所もひどいものね。掃除なんかろくにしてないんでしょ。冷蔵庫の中もしょぼすぎるし、トイレもお風呂もどこもかしこも汚い。汚宅ってこういうのを言うのね。まずは大掃除。それから買い物にいってくるわ。道子さんは寝てなきゃいけないの?」
「いえ、起きられないほどじゃないんですけど……」
「だったら、軽い仕事はしてちょうだい。私は車で来てるから、買い物にも連れていってあげるわ」

 あれよあれよという間に元義姉に巻き込まれ、道子はむしろ疲れ果てた。元義姉は口だけではなく手際が良く、元雄が帰宅する時刻には家も綺麗になり、料理も何品もできあがっていた。

「姉さん、来て下さったんですね。助かりますよ」
「これからは私にまかせておいて。うちの両親はふたりでなんとかなってるから、住み込みで家政婦をやってあげるわ」
「あ、ああ、そうですか……」

 ああ、うまいなぁ、なつかしい味だ、と食卓についた元雄は嬉しそうだ。家の中も片付いて気が休まりますよ、と夫に言われては、姉さんに帰ってもらってほしいとも頼めない。夫の元妻の姉の家事能力は道子とはケタ違いで、体力も抜群なのだから。

「どうしてあんな女と再婚したの? 若かったらなんだっていいの? 草葉の陰で妹が泣いてますよ」
「……性格はいい子なんだけど、早まりましたかね。ボランティア活動みたいなものだったかな」

 早く寝なさい、と寝室に追いやられた道子が夜中にトイレに行こうとしていると、夫と義姉……としか呼びようのない女性の会話が聞こえた。

「いっそ離縁したら?」
「そんなわけには……」
「できなくはないわよ。なんだったら私が……」
「ええ? 冗談でしょ?」

 声が低まっていた部分は、なんだったら私が元雄さんと結婚してあげる、だったのだろうか。ボランティアだったと言われたのも哀しくて、道子は布団にもぐって泣いた。

 翌日、元雄は出勤し、義姉がひとりどたばたと家事をやっている隙に、道子は身体ひとつで家を出た。タクシーに乗るとは思いもよらず、電車を乗り継いで実家に帰った道子を迎えてくれた母に昨夜の話をして、道子と母は抱き合って泣きじゃくった。

「なによ、これは。こんな小説?」
「そうじゃなくて、ネットの身の上相談サイトに投稿するの」
「はぁ? こんなの嘘じゃん」
「嘘でいいんだよ。アルバイトだもん」
「そんなアルバイトがあるの?」
「あるのよ。で、これを身の上相談ふうにまとめて投稿するでしょ。するとレスがいっぱいつく。要するにツリだね」
「うわ、あくどい」
「よくある話じゃないの」

 フリーライターは頭を悩ませる。どうせだったらオチもつけたいな。

 娘から打ち明け話をされた母親は、道子を病院に連れていく。総合病院では紹介状がないとやたらに時間がかかるから、半日も待って診察をすませて帰宅すると、元雄が道子を迎えにきていた。

「元雄さんから話は聞いたよ。元の奥さんの姉さんが手伝いにきてくれて、断り切れなくていろいろやってもらった。元雄さんはあの女性には頭が上がらなかったんだそうだ」
「そうなんです。道子、ごめんな。ボランティアだなんて言ってしまって気を悪くしたんだろ。僕はそんなことは思ってないから……」

 父親の横で正座して頭を下げる元雄に、母は言った。

「義姉さんは、道子と別れて私と結婚しようって言ったんですって?」
「言ってませんよ、そんなこと。なんだったら私が道子さんに引導を渡す、とは言ってましたけどね。すみません、本当にすみません。道子、僕と一緒に帰ろう。義姉さんには引き取ってもらったからね」

 ところで、病院はどうだった? と父親に尋ねられた母親は、重々しく答えた。

「おめでたですってよ。道子さんにだって出産はできなくはない。むしろ母親になったら健康になれるかもしれない。大丈夫だ、産みなさい、って先生はおっしゃったわ」

 こんなオチはどうだろうか。
 あのサイトに集う女たちは、結婚、離婚、不倫、といった話題が大好物だ。道子を主人公にしたこの釣りストーリィを、出産で落とすのはいいのではないかと思える。素直な女たちはオチに喜んでくれるだろう。

 どうなることかと思ったけど、旦那さんもいい人じゃないの。
 おめでとう!! 元気な赤ちゃんを産んでね!!

次は「あ」です。







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FSさくら物語「雨に咲く」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

「雨に咲く」

 辛夷、連翹、花水木、雪柳に菜の花に山吹、馬酔木も蒲公英も菫も露草も。
 まさしく百花繚乱の春の花々の中、ひときわ人の心を酔わせるのは桜の花。老いも若きも日本人は桜が好き。私ももちろん好き。

「……綺麗だね」
「桜だよな」
「本橋くんには桜以外の花に見えるの? 桜じゃなかったらなんなの?」
「うるせえな、確認しただけだろ」

 大学で合唱部に入部して、親しくなった本橋くんと乾くんは性格がかなりちがっている。身長はさほどに変わらないが、本橋くんはがっちり、乾くんはほっそり。本橋くんは声が低くて太く、乾くんの声は高めで清涼感がある。

 外見もちがうが、中身はもっとちがう。
 十代終わりの男の子とすれば、本橋くんのほうが普通かもしれない。乾くんは金沢出身でおばあちゃんっ子だそうだから、東京出身お兄さんっ子の本橋くんとはちがっていて当然だろう。

 普通の男の子って、しかし、こんなにも花の名前を知らないもの? うちの弟たちはどうだったか? 彼らはまだ子どもだし、弟に花の名前なんか訊かないから知らなかったが、こんなものなのかもしれない。それにしても桜まで?

「だったらあの白い花……あっちの黄色いの、知るわけないよね」
「知るわけないだろ。山田、花の話なんかやめろ」
「はいはい。ひとりでこの花々に浸るわ。本橋くんは邪魔だから帰っていいよ」
「ああ……あ、いい匂いがする。たい焼きを売ってるんだな。買ってくるよ」
「たい焼きってあんこでしょ? 甘いのは嫌いじゃなかった?」
「いや、この匂いはあんこじゃないよ」

 典型的花より団子男子の本橋くんは、おまえも食うだろ、と勝手に決めて、出店に近づいていった。
 つきあいも一年になって、本橋くんの食べ物の好き嫌いもわかるようになってきた。彼は甘いものが嫌いで、フランス料理なんかも好きではない。いかにも東京らしいシンプルな料理が好きだそうだ。

 学校帰りに散歩していたらやってきた川沿い。去年もここに来たな……あのひととつきあうようになったころには桜は終わっていたけれど、このあたりにはつつじや菖蒲が咲いていた。あのひとも花の名前に詳しくはなかったけれど、つつじくらいは知っていた。

 四年生のあのひとは、美江子、俺の彼女になれって言った。
 俺を好きか? まだわからない? 好きにさせてみせるさ、って、傲慢な口調で言った。

 そんな男、好きじゃなかったはずなのに。おまえだなんて呼ぶ男も嫌いだったのに。
 故郷の栃木県の高校生だったころには彼氏はいた。けれど、少年と少女の交際だったから、キスまでしかしなかった。そのキスも、あのひとのキスと較べたら子どもみたいなもの。

 はじめてのことをたくさんたくさん教えてくれて、言った通りに私を「星さんが大好き」にさせて、捨てていったあのひと。

 今ごろは社会人になって、職場のみんなとお花見に行ったりしてるんだろうか。女性の先輩にもてていたりして? 私のことなんかとうに忘れて、美人を口説いていたりして? あなたに捨てられてから二か月くらいしか経ってないんだから、私はまだ……忘れるなんて無理だよ。

「ほら、俺の思った通りだ。中身はハムエッグだよ」
「ハムエッグのたい焼きもおいしそうだね。いくら?」
「いいよ、やるよ」

 戻ってきた本橋くんが、アレンジたい焼きをくれた。熱々の甘くないたい焼きをかじりながら、川のほうを見る。

「かわをむいてくえよ」
「は? たい焼きの皮? たい焼きの皮を剥くの?」
「乾が言ってたんだよ」

 東京の川沿いにある店で、とある男性が友人に名物のかしわ餅をごちそうした。友人がかしわ餅を皮ごと食べようとしたので、彼は言った。

 皮を剥いて食えよ。

 すると、友人はくるっと川のほうを向いて、かしわ餅を皮ごと食べた。
 読書が好きでいろんなエピソードが頭の中に詰まっている乾くんが、本橋くんに話してくれたのだそうだ。本橋くんがその話を私にしてくれて、私はくくっと笑った。

「普通、カワヲムケって言ったら皮だよな」
「そうだよね。その友達って乾くんみたいな人じゃない?」
「言えてる。ひねくれてるんだな」

 悪口を言っているわけではなくて、親しみのこもった「ひねくれてる」だった。

「でも、柏餅って皮じゃなくて葉っぱだよね? まいっか……ねえ、本橋くん、私の心情を曲にしてみて」
「曲? いきなり? そんなもん、ここで作れって言われたってできねえよ」
「ワンフレーズだけでも」
「……ピアノがない」
「ハミングしてみて」

 無茶言うなよ、とぼやいてから、本橋くんは目を閉じた。三十分近くも、フェンスにもたれてふたりとも無言でいた。私は川べりに咲く花を見たり、風に舞ってくる花びらを感じたりしていた。

「うん、こんな感じ」
「できた?」
「ちょっとだけな」

 ごく普通の男の子ではあるが、本橋くんにはこんな才能がある。私も目を閉じて、彼の低い声がメロディを紡ぐのを聴いた。

 花びらが散る……散った花びらが私の頬をかすめて、あのひとのもとに届く。あのひとと私は別れたけれど、今年もまた花が咲く。咲いた花が散る。風に散る。花びらが私の髪にとまって、美江子は元気だよな、と囁いて、あのひとのもとへと飛んでいく。

 桜風景の中で本橋くんが作った曲なのだから、私の解釈だってまちがってはいないはず。
 目を閉じて見上げると、ぽつぽつと雨が降ってきた。サクラアメと呟くと、うまそうなアメだな、と本橋くんが応じる。彼は雨じゃなくて飴を連想したのだろうか。

 花に降る雨はあたたかくて優しいから、こうして濡れていてもへっちゃら。
 でもね、隣にいるひとが本橋くんじゃなくて、あのひとだったらな……って、どうしても思ってしまうの。私のために、本橋くんは素敵なメロディを作ってくれたのにね。

MIE/19歳/END








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ガラスの靴69

別小説

「ガラスの靴」

     69・贖罪


 このあたりに知り合いのやっているバーがあるとアンヌが言う。音楽業界やスポーツ業界人がリタイアして、水商売をはじめるのはありがちだ。そういう知り合いの店なのだろう。

「だいぶ前に来たんだけど、酔ってたから記憶があやふやだよ」
「なんて名前のバーだっけ?」
「紫蘭」
「シランなんて知らんなぁ」

 アホなシャレを言いながらも探していた。
 今夜はいつものように息子の胡弓は僕の母に預け、アンヌと夫婦水入らずで外食。アンヌは夕方で仕事が終わるというので、僕が待ち合わせ場所に出てきた。

 三歳の胡弓を連れてはいけないような、フレンチレストランでディナーをごちそうしてもらい、もう一軒行こうか、とアンヌが誘ってくれた。臨時収入でもあったのかな?

「紫蘭、ここじゃないの?」
「ああ、ここだ」
 
 ようやく発見したのは、古びた感じの店だ。紫のネオンサインがレトロな感じの看板で、目立たない場所にひっそりと建っていた。

「久しぶり……あれ?」
「ちがうの?」

 ドアを開けて中に入ったアンヌが、怪訝そうに店内を見回す。僕ははじめて来る店だから知らないが、内装が変わっているのか。カウンターのむこうにいる痩せた女性が、いらっしゃいませ、と微笑んだ。

「前からあんたがママさんだった?」
「いえ、あの、半年くらい前から私はここで働くようになったんです。私はママじゃなくて、ただの従業員です。ママは今日はお休みで、アルバイトの若い子がいるんですけど、まだ来てなくて」
「ママって、紫って女?」
「いえ、保子さんっていう……」
「ちがうな」

 経営者が変わったらしいのだが、「紫蘭」の名前はそのままだ。お店丸ごと別の人が買い取ってオーナーになるというのも、ない話ではないらしい。

「まあいいや。せっかく来たんだから飲んでいこう」
「ありがとうございます。あのぉ、お客さま、芸能人かしら?」
「あたしは芸能人のつもりはないな。ロックミュージシャンだよ」
「そうなんですね。どこかで見た方だと思ってました」

 和服姿の女性は涙子と名乗り、名刺をくれた。涙の子でルイコ。えらく暗い名前に似合った、暗い雰囲気の女性だった。一生懸命愛想よくしようとつとめているらしいが、なんだかぎこちなくて、接客業には慣れていない感じがした。

「あたしはアンヌ、こいつはあたしの夫」
「ああ、そうなんですか。ご主人なんですか」
「主人はあたしだから、こいつが主夫なんだよ」

 まぁーっ!! と大げさな声をあげてから、涙子さんが水割りを作ってくれた。チーズやナッツのおつまみも出てきて、アンヌが彼女に質問した。

「涙子ってこの商売、長いのか」
「いえ、半年前にこちらでは働くようになったのが、はじめてです。それまでは私が主婦だったんですよ」
「旦那は?」
「いますけどね」

 プライベートな話はしたくないのか、涙子さんは曖昧に笑っている。それよりもロックのお話、聞かせて下さいな、とせがまれて、アンヌが語る。昨日から徹夜で続けていたPVの撮影話は、僕にもとても面白かった。
 そうしているとドアが開き、新たなお客さんが入ってくる。いらっしゃいませ……と言いかけた涙子さんの顔がこわばった。

「おかあさん……」
「なにか食べさせてよ。お客がこれだけしかいないんだったらいいだろ」

 入ってきたのは派手な服装のおばあさんだ。お母さんが娘が働いている店でごはんを食べさせてって、アリなのだろうか。しかめっ面の涙子さんにはかまわず、おばあさんはアンヌの隣にすわってしまった。

「あんたも派手だね」
「ばあさんも派手だね」
「その子、あんたの彼氏かい? それとも、ホストクラブの子?」
「あたしの夫だよ」
「ほぉぉぉぉ」

 眼鏡をずらして僕をまじまじと見てから、早くなにか食べさせてよ、とおばあさんは涙子さんに催促する。涙子さんはアンヌに詫びてから、まな板に向かった。

「綺麗な子だね。あんたも別嬪さんだけど、年下だろ」
「そうだよ。ばあさんの亭主は?」
「亭主ねぇ、一度は結婚したんだけど、あんたぐらいの年に離婚したんだよ」
「ふうん」

 珍しくアンヌの知り合いには今夜は会わなかったから、知人がやっているというバーを探してやってきた。なのにそこにも知人はいなかった。僕とばかり喋っていても退屈なのか、アンヌは見知らぬおばあさんの身の上話を真面目に聞いていた。

「亭主は家を出ていってしまって、息子と私が残された。養育費なんかもらえるわけもなかったから、あたしはひとりで働いたよ。息子もアルバイトはして、高校までは卒業させた。高校を出たら就職もして、あたしもちょっとは楽になった。それから十年くらいは、息子とふたりで楽しい暮らしだったんだよ」

 なのに、息子が結婚すると言い出したのだそうだ。

「結婚したいから家を出ていくって言うんだよ。そんなの許せない。あたしは大反対したね。それでもどうしても結婚するって言うから、だったらあたしの面倒も見てよって命令してやったんだ。息子は嫁とはもめてたみたいだけど、苦労をかけた母親の面倒を見るのは当然だろ。嫁になるって女も呼び出して、あたしを捨てるなんてのは人の道にはずれてる、そんなことをしたら世間さまに顔向けできないよって言ってやったから、息子もその女も納得したんだよ」
「へぇぇ」

 なにか言いたそうではあったが、他人ごとだ。アンヌは特にはコメントせず、涙子さんも黙々と料理をしていた。

「そうして息子は結婚して、三人で暮らすようになった。意外によくできた女でね、嫁はけっこうあたしに尽くしたんだよ。だけど、そうやってあたしにばかりかまけてるから、旦那がないがしろになる。息子はあの父親の血を引いてるんだから、ちゃんと見張ってないと浮気するだろうと思っていたんだよ」
「浮気したわけ?」
「それもしようがないだろうね。女としての魅力が全然なくなっちまって、姑と我が子しか見えてない嫁なんだもの。そんな女房だと男は浮気するさ」

 元凶はあんたなんじゃないの、おばあさん? と僕も言いたくなったが、アンヌが黙っているのだから僕も黙って聞いていた。

「ところが悪いことに、息子の浮気相手ってのも結婚してたんだね。ダブル不倫ってやつさ。息子は開き直って、むこうの女の亭主に慰謝料を請求されてる、俺には金がない、どうにかしてくれ、って嫁に泣きついた。嫁は主婦をやってたから稼ぎはなかったんだけど、そうなったら稼ぐしかないだろ。あたしが仕事を探してきてやったんだよ」
「なんかそれ、変じゃねえのか?」

 うん、すごく変。僕もアンヌに同意し、涙子さんはおばあさんの前にチャーハンの皿を置いた。

「しけた食い物だな。まずそう」
「文句言わずに食え」
「あんたに言われる筋合いはねえんだよ」

 毒づいたものの、アンヌに言われたので渋々、おばあさんはスプーンを手にする。うまくないね、あいかわらず下手だな、と文句を言いながらも、チャーハンを食べつつ続きを喋っていた。

「息子は嫁に子どもとあたしと、慰謝料の支払いまでを押しつけて家を出ていっちまったよ。母親の恩をあだで返すってのはあのことだ。やっぱり父親の血なんだよね。あんたもこんな顔だけ綺麗な男と結婚してたら、浮気されて捨てられるよ」
「あのさ、ばあさん」

 その一言はスルーして、アンヌがおばあさんに尋ねた。

「涙子はあんたの娘?」
「あんたはなにを聞いてたんだよ。ぼーっとして、頭が悪いのか。今の話に出てきただろ。涙子がその嫁だよ」

 へ? は? とアンヌと僕はあっけに取られるしかなく、おばあさんは涙子さんに言った。

「あんたは料理も下手だし気が利かないし、亭主に出ていかれるのも当たり前だね。こんなんで客にまともな料理を出せてるのか?」
「このお店はバーですから、あまり料理はしないんですよ」
「料理も下手だし不景気な面してるし、この店も流行ってないんだろ」
「お客は少ないですね」
「そのうち潰れるかねぇ。水商売も無理だったら、ソープででも働くか? あんたにできる仕事なんか他にはないだろ」

 つんつん、とアンヌがおばあさんの肩をつつく。おばあさんはその指を振り払い、僕はついに言った。

「涙子さん、今の話ってほんと?」
「だいたいは……」
「なんで……逃げないの?」
「夫の借金を返すのは、妻のつとめですもの」
「離婚すりゃいいじゃん」

 そうだそうだ、とアンヌも力強くうなずき、おばあさんは言った。

「亭主が稼いでくるときだけはいい顔して、つらい立場になったら捨てるって、そんなの、世間さまに顔向けできるはずないだろ。あたしが許さんよ」
「ばばあに許してもらう筋合いはねえんだよ」
「ばばあとはなんだ。このあばずれ」
「なんだとぉ?」

 カウンターから飛び出してきた涙子さんがおばあさんを止め、僕がアンヌを止めた。アンヌはかなり怒っていて、僕は妻を抱きしめて耳元で言った。

「涙子さんがそのつもりにならないだったら、僕らにはどうにもできなくない? こんな女性っているんだね」
「……あたしらは他人だからな。うー、しかし、むかつくっ!!」

 他人のためにも怒ってみせる、正義の味方アンヌは大好きだけど、まったく僕らにはどうにもできない。僕はカウンターにお札を載せて、アンヌの肩を抱いて外に出た。
 涙子という名前、あの暗い空気、彼女の境遇にぴったりすぎて嘘みたいなほどだ。「紫蘭」という名前までが、どろどろーっじめじめーっと感じられてきた。

つづく









 

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FS超ショートストーリィ・四季の歌・章「春の非」

番外編

フォレストシンガーズ

四季のうた

「春の非」

 うらうらと春の陽。
 昼寝がしたくて登ってきた、都会のビルの屋上。ここは空中庭園になっていて、人の目に触れにくい緑の中に隠れていられる。これもフォレストの一種だ。

「フォレストシンガーズの木村章さん?」
 ファンに見つけられて声をかけられるのが嬉しいときもあれば、わずらわしいときもある。今の俺は春の陽の中で、誰でもないひとりの人間でいたかった。なんてかっこつけてみても、別に意味ないんだけどね。

 はるのひ……。
「ひ」っていろんな字があるなぁ、なんて、春の陽の中で考える。ほとんど眠りの中にいながらも、「はるのひ」を考えていた。ねむいときのしこうにはいみがなくて、いみがないのがいいのだから……。

 あ、こんな字もある。
「非常階段」の非。これも、春の「ひ」。

END








 

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FSさくら物語「桜めぐり」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

さくら物語

「さくらめぐり」

1・高知 

ソメイヨシノの開花宣言は、高知城の樹が基本なのだと聞いた。この樹の花がいくつか開いたら、日本中にサクラサクの報告がなされる。

「ああ、咲いてるよ」
「ほんまやきに……もうじきやな」

 その樹をヒデに教えてもらって、俺が見つけた一輪。もうすこし遅く来たら桜満開の高知城が見られたのだろうが、こうしてここにヒデとふたりでいるだけでもいい。俺としては恥ずかしくてそんな台詞は口にできないが、言わなくてもいいのだ。

「シゲ、たこ焼き食おうか」
「高知のたこ焼きってうまいのか?」
「土佐の食いもんはなんでもうまいんじゃきに」
「……うん、食おう」

 花よりも言葉よりもたこ焼き。大人になっても俺たちはちっとも変わっちゃいないのである。


2・和歌山

 この花の下に貴志駅のたまをすわらせたら、猫雑誌や旅雑誌の表紙にできそうだ。俺がたまを抱いていたら、フォレストシンガーズファンクラブ会報の表紙にもぴったり。一度でいいからそうしたかったな。

 昨年、天国の駅長に就任して逝ってしまった猫のたま。俺は彼女とCMに出るのが夢だった。雑誌の表紙もいい。うちの会報にゲスト出演してくれるのでもいい。俺が和歌山県観光大使に選ばれたりしたら最高。たまと共演したいなぁ。そんな夢はかなえてくれず、たまは遠くに行ってしまった。

 日本でもっとも早く咲く部類の、和歌山の桜。たまはきっと和歌山県の桜のもとで、写真を撮ったことはあるよね。ユキとたまの共演は、俺の空想の中でやるよ。猫ってけっこう植物を食べたがるけど、たまももしかしたら、桜の花びらを食べた? おいしかった?

  
3・東京 

 少女だったら知らないが、大半の少年、はっきり言ってしまえば「男のガキ」って奴は、桜になど興味はない。家族で花見をしても、早く弁当にしようよ、としか思っていない。俺ももちろんそんなガキだった。

 そんな俺が東京の桜を見ている。ああ、桜って本当に綺麗だな、なんて思うようになったのは、なんのせいだろう? 歳のせい? 俺はまだそんな年じゃないぞ。もののあわれって奴がわかるようになってきたからか? そういうのを教えてくれた乾のおかげもあるのかな。

「桜舞う……本橋、どう続ける?」
「突然振るな……えっと、俳句だよな。ええーっとぉ……そうだ!!」

 金さんのせな、鮮やかに、と頭に浮かんだフレーズを口にすると、乾は笑い出した。
 いやぁ、実に本橋真次郎らしい。いやいや、グレイト!! などと言って大笑いしている。どうせそうだよ。桜吹雪っていったら遠山金四郎だろうが。江戸っ子はそう思うんだよ。

 うん、時代劇を連想するんだから、歳のせいってのも認めるしかないかな。


4・富山

 北国なのだから当然だが、北陸地方では桜はゆっくりと咲く。北陸以南では花吹雪が舞いはじめるころに、俺の故郷、金沢では桜が見ごろを迎える。年々、積雪が少なくなるのにともなって、桜の開花も早めになっているかもしれない。

「乾くんは石川県出身? 金沢? そっか、俺は富山出身だから、金沢って憧れたもんだよ。妬ましくて嫌いだったりしてな。うん、乾くんって金沢出身って感じだよ。俺は富山のカントリーボーイって感じだろ」
「……とんでもない。そんなふうに言われたら恥ずかしいですよ」

 初対面の際だったか、すこしは話もできるようになってからだったか、桜田忠弘さんにそんなことを言われた。
 富山出身の男性がカントリーボーイなのかどうかは知らないが、桜田さんにはカントリーの匂いなどしない。ただ、富山や福井の人間は金沢に憧れるとは聞いた。金沢以外の石川県出身者でさえも、金沢は別格視するようで。

「そらそうですよ。俺ら、大阪の人間でも金沢は特別って気がします。大阪のもんには京都は近すぎて特別でもないんで、むしろ金沢のほうが特別かな」
「大阪の人って京都に憧れないのか?」
「うーん、富山と大阪はちがいますからね」
「ふむふむ、そういう意味で……」

 これは大阪出身の大学の後輩、実松との会話だ。

 そういう意味とはどういう意味かは、推して知るべし。大阪人は東京にも憧れはしないと実松は言っていたので、大阪人のほうがある意味、特別な日本人かもしれない。

 富山にはなんの思い入れもなかった金沢人の俺が意識するようになったのは、桜田さんと親しくなったからだ。今日は金沢に仕事でやってきて、ふと思い立って富山まで足を延ばした。富山の人間は金沢に観光にも訪れるのだろうが、逆はあまりないかな。なので、俺も富山はよくは知らない。フォレストシンガーズの乾隆也になってから、仕事で幾度か来た程度だ。

「お……」

 思いがけなくも目の保養ができたのは、ここははじめての高岡城址、古城公園になっている高岡城址へと駅から続く道には、八重桜が満開の姿を見せてくれていた。

「金沢では桜は散ってたのに……」

 誰ひとり行きかう人もない桜の道にたたずんで、満開の八重桜を堪能させてもらったのも、ある意味、桜田さんのおかげだったともいえる。

 
5・札幌

 北海道の桜はいきなり咲き、ばっと開いて短期間で散ってしまう。桜なんか見ているようで見ていなかった、俺が北海道にいた十八までのガキのころには、そんなもんだった。

「稚内はまだだけど、札幌は昨日、急に咲いたんだって。綺麗だねぇ」
「瑳絢も桜には負けてないな」
「え?」

 ぽかっと口を開けてから、いとこの瑳絢は俺の腕のあたりをぼかぼか叩いて笑いころげた。

「章さんったらやだっ!! お世辞っ!!」
「いやいや、まあ、これはリップサービスともいうんだけどな」
「それ、綺麗って意味? そんなの言われたの生まれてはじめてだぁっ!!」
「幸生や乾さんには言われただろ?」
「そうだっけ?」

 笑いやんで首をひねっているサアヤには、天然ボケ傾向がある。十八になったいとこのサアヤはフォレストシンガーズのファンなのだそうで、行ける限りはライヴを聴きたいと言う。俺の親の家とサアヤの住まいは近く、彼女も稚内在住だが、札幌でのライヴにも来てくれた。

 いとことはいえ、十八歳のサアヤは瑞々しくも綺麗だ。さすがに章の血縁だよな、と乾さんは言い、俺がもっと若かったらなぁ、と幸生も言っていた。

 恋愛感情など持つはずもない相手のほうが、気楽でいいのかもしれない。それでもやっぱり綺麗な女の子と、日本ではほぼ今年最後になるはずの札幌の桜を見る。故郷は近いとはいってもそれほどでもないのだから、こうしているのはなかなかにいい気分だった。

END








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FS超ショートストーリィ・四季の歌・繁之「春の陽」

番外編

フォレストシンガーズ

四季のうた

「春の陽」

 仔犬みたいな丸い目をした後輩が、無邪気そうに俺の顔を覗きこむ。
 ラジオ番組にゲスト出演しているのだから、聴取者のみなさんには俺の顔は見えないのだが、学生時代の後輩、酒巻國友の視線を意識してしまった。

「シゲさん、どうかしました? 僕、なにか変なこと言いました?」
「いや、変なことなんか言ってませんよ。うん、春ですね、ほんとに」
「春ですよねぇ。陽射しがほんと、春ですね」

 酒巻がDJをつとめる番組を放送しているラジオ局のスタジオ、小さな窓からも陽射しがいっぱいに降り注ぐ。この陽射しってなにかに似ているな……ああ、そうだ、と思い当って、ひとりで照れてしまったのだ。

 なにに似ているのかといえば。
 そう、恭子。俺の奥さん。そんなこと、他人の前では照れくさくて言えない。ファンの方がラジオを聴いてくれているのだから、よけいに言えない。

 でも、寂しくて暗くて真冬みたいだった俺に、ぱっと射し込んだ春の陽。それは恭子そのものだから。嬉しくて恥ずかしくて、俺の頬にも陽射しみたいな明るみが射しているはず。

SHIGE/28/END







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169「白い恋人たち」

ショートストーリィ(しりとり小説)

しりとり小説

169「白い恋人たち」

 函館支店、こんな小さな支店の営業課長だなんて、栄転だとは思えないが、地方であっても課長になれたのは、会社から期待されているからだと山木珠緒は考えることにしていた。

「山木課長は三十二歳なんですか。その年で課長だなんて、すごい出世ですよね」
「そうでもないけどね」
「どこの大学ですか?」

 東京の大学、そこの院を出たの、理系? そうよ、という会話をした相手は、三つ年下の部下、小野田満だった。

「やっぱすげぇですよ。俺は札幌の大学を卒業したんですけど、大学院には行けなかった。俺も理系なんですけど、院まで進まないと大卒と同じような仕事にしか就けませんよね。課長は院まで出てどうしてこの会社に?」
「誘われたのよ」
「縁故入社ですか」
「縁故じゃないよ。教授の勧めだったの」

 三つ年上なだけの女が上司になるとは、と小野田はひがんでいるのかと思ったが、それもあるにしても、珠緒と親しくなりたいとは考えているようだ。課内では小野田と珠緒の年齢がもっとも近いのもあり、いつしか仲良くなっていった。

「課長、彼氏はいないんですか?」
「函館に来るときに別れてきたわ」
「俺を棄てて函館なんかに行くのかって言われたとか?」
「ま、そんなとこ」

 学生時代から十年もつきあっていたモトカレは、あきらかにひがんでいた。

「珠緒は俺の支えになってくれるって気はひとかけらもないんだよな。俺はブラック企業に就職しちまったから、二度、転職をした。珠緒はたまたまいい会社に就職できたから順調に出世して、俺を見下してるんだろ。そうはいっても珠緒の会社なんか、ちっぽけなもんじゃないか」
「まあそうだけど、男女差別はしないいい会社だよ」

 そんな会話は平素から頻繁で、珠緒のほうが収入いいんだから、出しておいて、とデート費用やホテル代も払わされたりした。

「函館支店の課長? 珠緒は俺よりも仕事が大事なのか? 俺を棄てていくのか」
「そんなこと言うんだったら、キミが私についてきてよ」
「俺も函館に? 珠緒のほうが仕事をやめるって気はないのか? 俺を選ぶって言うんだったら、結婚してもいいんだよ。珠緒も三十二だろ。結婚出産を望まないのか」
「キミが函館についてくるんだったら、結婚してあげてもいいよ」
「結婚してやるのは俺のほうだろ」
 
 平行線をたどったあげくに、彼とは別れた。詳しい事情を話す気にもならないでいる珠緒に、小野田は自分のほうの話をした。

「俺も大学のときには何人もの女の子とつきあったんだけど、あのころって俺は結婚なんか考えられなかった。女の子のほうはそうでもなくて、小野田くんだったら有望だから婚約しない? なんて冗談めかして言うんですよ。それで何人もから逃げ出したんだけど、大学三年のときの彼女、いい女だったな」

 金持ちのお嬢さまだから品があっておっとりしていて、結婚などとは言い出さなかった。

「鷹揚で優しくて、今から思えば最高の彼女だったんですけど、俺も若かったし、これからいくらでも女の子とは知り合えると思って、別れました。噂によると彼女は……」

 どこどこの会社の御曹司と結婚したらしい、と小野田は言った。

「卒業して前の会社に就職して、今度は同い年の幹部候補生の女の子とつきあったんですよ。彼女は課長と似たタイプで、仕事命って感じだったな。お嬢さまはなんでも俺に合わせてくれたけど、彼女は自分に合わせさせようとする。俺を操ろうとする。やっぱあのお嬢さまのほうがよかったな、なんて後悔したりしてね」
「ないものねだりだね」

 そうですよね、と小野田は頭をかいていた。

 北海道の中では都会だとはいえ、函館には繁華街がそういくつもあるわけではない。いきおい、社員の行動範囲も限られる。小野田とふたりで飲んでいる姿を目撃されたこともあったし、ひとりで飲みにいった店で、部下と遭遇したこともあった。

「あら、課長、おひとりですか? 小野田さんとじゃなくて?」
「小野田くんとなんかめったに飲みにはきませんよ。古場さんこそ、ご主人と待ち合わせ?」
「私もたまにはひとりで飲みたいんですよ」

 パート社員の古場鶴美、彼女は四十歳で、独身時代は正社員として、結婚してからはパートとして同じ職場で働き続けている。変形お局さまのようなものだが、珠緒の職場では主のようものでもあるので仕事では重宝していた。

「で、小野田さんとはつきあってるんですか?」
「職場恋愛はしたくないな」

 避けるわけにもいかなくて、珠緒は鶴美と同席することにした。

「恋愛にはなってるわけだ」
「そうなのかなぁ」
「告白されました?」
「告白なんかしてこないよ。彼は年下だし、部下だし、思わせぶりは言うけど、遠慮してるんだろか」

 モトカノは何人もいたけど、決め手に欠けたんですよね、今度こそ、結婚相手になる女性とつきあいたいな、と小野田は言い、珠緒の顔をじっと見つめていた。

「年下ったって、たった三つでしょ? 部下だからって遠慮なんかしていたら、今どきは社内結婚できないじゃないですか」
「そうは言ってもね……」

 ため息をつく珠緒に、相談に乗りますからね、と鶴美は言ってくれた。
 彼女も部下ではあるのだが、年上で既婚なのだから人生経験は豊富なはずだ。それからは珠緒は鶴美に小野田とのあれこれを相談するようになり、鶴美も親身になって聞いてくれた。

「そこは珠緒さんがさりげなく一押ししなくちゃ」
「私が押すの?」
「そうですよ。それもさりげなく、さりげなくね。珠緒さんからのアプローチだってむこうに思わせたら、男は図に乗りますから」
「なるほど」

 社内ではパート社員と課長だが、プライベートでは鶴美のほうが先輩だ。珠緒さん、鶴美さんと呼び合うようになって、有益なアドバイスもしてもらった。

「課長……じゃなくて、珠緒さんって呼んでもいいかな」
「ええ?」
「つきあうようになったら、あなたが俺の上司だって忘れていいかな」
「……それ、告白?」
「恋人同士になったら、ため口でもいいかな」
「いいよ。許してあげる」

 仕事一筋で生きるつもりはないから、珠緒は結婚だってしたかった。三十二歳は女としてはぎりぎりに近い年齢だとも聞く。すこしだけ年下の、仕事もルックスもそこそこの男。上昇婚思考のない珠緒には小野田は理想に近かったから、やった、と内心で小躍りした。

「ただし、私は若くもないんだから……」
「もちろん、結婚を前提でつきあって下さい」
「いいわ」

 やったやった、私の勝ち!! 珠緒としてはそのつもりで、鶴美にも報告した。

「よかったですね。近い将来には函館で新家庭を構えるんですか」
「私が本社に戻れたら一番いいんだけどね」
「小野田さんって函館のひとでしょ? ご両親もいらっしゃるんでしょ? 嫁としての立場は……」
「嫁に行くつもりはないから。私は小野田くんと結婚するんだよ」
「そりゃそうですけどね」

 今すぐに結婚するわけでもないのだから、そのあたりはおいおい考えていけばいい。珠緒としては譲れない部分は、小出しにして小野田に伝えていくつもりだった。

 北国で暮らすのははじめての、北海道の冬。函館は積雪は少ないほうだが、それでも雪景色になる日もよくある。白い街がライトアップされた冬は、恋をしている珠緒にはロマンティックで美しかった。

「えと、珠緒さん……」
「なに?」

 本年度の仕事おさめの日、早めに勤務を終えて、珠緒は小野田との待ち合わせ場所に急いだ。小野田は緊張の面持ちで珠緒を迎え、食事に行く前に……と切り出した。

「珠緒さんに言われた通りで、俺ってないものねだりなんだよね」
「ん?」
「癒し系のお嬢さまとつきあっていたら、仕事のできる自立した女がよくなる。キャリアウーマンとつきあっていたら、可愛くてつくしてくれる女に目移りする。その調子で二十代には彼女を何度も取り換えた。今度こそは結婚して落ち着きたかったんだけど、両親に話したら難色を示されて……」
「私が年上だから?」

 その懸念はなくもなかったが、小野田は、俺が説得するからまかせておいてくれ、と言っていた。珠緒の両親は反対はしないだろうから、きちんとまとまってから話すつもりだった。

「それもあるし、職場で奥さんのほうが立場が上だってのもやりにくいだろって」
「だったら、満くんが転職すればいいのよ。私が話にいこうか?」
「いや」

 苦悩のいろをおもてに浮かべて、小野田は首を振った。

「そんなときに、俺はまたないものねだりをやってたんだ。可愛くて若くて、仕事なんかたいしてできはしないけど、この子とだったら親は絶対に反対しないだろうっていう、二十三の子とね……」
「浮気したの? 誰?」

 あなたの知らない女の子だよ、と小野田は言うが、彼女を守ろうとしてかばっているのかもしれない。

「浮気ってか、俺はまだあなたとは結婚してないんだから、心変わりってか気の迷いってかね……だけど、苦しくて相談したんだ。相談相手はあなたもよく知ってるひとだから……古場さん」
「ああ、古場さんね。彼女には私も相談に乗ってもらったよ。古場さんだったら満くんを諌めてくれたでしょ」
「ってかね……」

 いっそう苦しそうに、小野田は言った。

「ないものねだり、そのときにつきあってるのとちがったタイプに走るってのは俺の定番なんだけど、これはかなり異色だなと」
「なんのことなの?」
「熟女ってほどの年齢でもないけど、あのくらいの女は究極に癒してくれるんだよね。珠緒さんとはずいぶんちがったタイプの……深みにはまりそうなんだ」
「誰と? え……えーっ?!」
「そうなんだよ。俺は誠実でありたいから、目移り、心変わりをしたら前の彼女とは別れる主義だ。珠緒さんとは結婚前提のつもりだったけど、あくまでも前提でしょ。決定ではなかったからね。だから、ごめんなさい。俺のことは忘れて下さい。俺が転職するんでもいいよ。あなたは悪くないものね」

 うだうだと弁解している小野田の声は、珠緒の耳を素通りしていく。

 本当なのか? 相談に乗るのが好きな鶴美が、知恵を授けたのではないのか。仕事を辞めてもいいつもりだったら、私との仲をでっちあげれば? 若い子に乗り換えられたら闘志を燃やすかもしれないけど、私とだったら珠緒さんもがっくりして、勝手にしろって言うんじゃない?

 そう考えたがるのは珠緒のプライドゆえか。ふっくら太った鶴美は珠緒にはおばさん以外の何物にも見えないし、既婚でもあるのだから心配もしていなかったが、実は小野田を狙っていたのか。珠緒も鶴美に小野田の情報を与えすぎたのか。いずれにしても、小野田とは別れることになりそうだ。

「いい思い出をありがとう」
「珠緒さん、俺はあなたのそんなところが好きだったよ。潔いよね。男前だよね」

 本当のことなんてわからないけど、ここは私のゆきずりの土地だ。男もゆきずりの相手だと割り切れるはず。割り切れるはずだと、珠緒は自分に言い聞かせた。

次は「ち」です。








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プロフィール

はーい、ユキちゃんでーす。本橋真次郎、乾隆也、本庄繁之、木村章、そして、私、三沢幸生からなる五人のフォレストシンガーズストーリィを、ぜひぜひ読んで下さいませませっ。我々五人と山田美江子、小笠原英彦のメインキャラに加えて、他にもいろんなひとが登場しますが、ストーリィはすべてつながっていますので、どれかから読んでいただいて興味を持ってもらえたら、他のも読んでね。そして、別小説もあります。読んでいただけましたら、コメントなどいただけると最高に嬉しいです。よろしくお願いします。

quian

Author:quian
フォレストシンガーズ
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