茜いろの森

フォレストシンガーズ、本橋真次郎、乾隆也、本庄繁之、三沢幸生、木村章、そして山田美江子、小笠原英彦。メインキャラに加えて、その他大勢登場する連作短編集がメインです。フォレストシンガーズ以外の小説もあります。

はじめていらして下さった方へ❤

内容紹介

ようこそいらっしゃいませ

はじめて「茜いろの森」をご訪問して下さった方、
ありがとうございます。
当ブログのコンテンツのようなものについて、説明させていただきます。

「NOVEL」と番外編はフォレストシンガーズ小説で、
全部がつながっています。
フォレストシンガーズの五人、
本橋真次郎、乾隆也、本庄繁之、三沢幸生、木村章。
及び、山田美江子、小笠原英彦。

メインとなるのはこの七人で、
彼らとどこかしらでつながりのある人々が、
別の物語になって動いていたりもします。

フォレストシンガーズキャラクター相関図」も、お粗末ながら作ってみました。

番外編はフォレストシンガーズ以外のキャラが主役、
のはずだったのが、
いつしか妄想ストーリィメインになりました。

「未分類」は言い訳、ご挨拶、お願いなどなど。
「FOREST SINGERS」には第一部からの完了記念企画やら、
著者が彼らに書かせたエッセイやら(そうなんですよ)を載せています。

「内容紹介」はあらすじ、タイトルの曲名説明、
などなどです。

「ショートストーリィ」は、茜いろの森の小説は長すぎる、とおっしゃる方のため、
はじめてご訪問くださった方に、おためしで読んでいただくための、ごく短い小説を置いています。
ただいまのところ「ショートストーリィ」カテゴリには、musician、しりとり、などがあります。
興味を持って下さったら、メインのフォレストシンガーズノヴェルも覗いてみて下さいね。

「別小説」は同人誌仲間と書いたリレー小説の番外編、友人のクリエストで書いた小説、
私が昔から書いているフォレストシンガーズではない小説もあります。
そっちにもフォレストシンガーズの誰かが顔を出す場合もあるのは、
著者の趣味です。

そこから独立した、グラブダブドリブやらBL小説家シリーズやら、リクエストいただいて書いた小説などもあります。
BLとはそう、あれ、BL小説家の桜庭しおん作の過激な小説が作中作として出てきますので、お嫌いな方はくれぐれもごらんになりませぬよう。

他にもBLがかった物語もありますので、そういう場合は「注意」と赤字を入れておきます。

「共作」はまやちさんとの共作。
「連載」は私も連載をやってみたくてはじめた、ロックバンドの物語です。
ひとつひとつがおよそ1000字ほどですので、お気軽に入っていってやって下さいませ。

「お遊び篇」は、またややこしくて、
えーと、つまり、フォレストシンガーズストーリィのキャラたちが名前はそのままで、
別人になって別世界に生きている物語です。
すみません。

「リレー」カテゴリもあります。
その他、これからも増やしていく予定であります。

こんなアンケートを作りました。同じものがトップページにもあります。
できましたら投票して下さいな。楽しみにしております。














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どれから読もうかな? の方へ・追伸

内容紹介

フォレストシンガーズについて、などなど


四年ほど前に私の頭の中に生まれてきたアキラ。
「俺はもとからいたんだから、生まれてきたんじゃないんだよ」
と、本人は主張しておりますが。
本人の主張はさておき、アキラが生まれてきたおかげでフォレストシンガーズが誕生しました。

凝り性で、そのくせ飽きると離れていってしまうという著者が、唯一、何十年も飽きずに凝りまくっているのが「小説を書く」ということ。

昔は投稿したり、紙の同人誌を作って発表したりしていました。
この時代になって、ホームページを作ろうかと思い、むずかしそうだから避けていて。
そんなころにフォレストシンガーズの小説を書き溜めていましたので、そうだ、ブログで発表しよう!! と決めたのでした。

そうしてフォレストシンガーズメインの「茜いろの森」を創設してから約二年半。
最近はグラブダブドリブ、ジョーカー、しおんとネネのシリーズや連載。
ショートストーリィなども書いてはいますが、やはりメインはフォレストシンガーズです。

「茜いろの森」をご訪問下さった方で、フォレストシンガーズってなに? と興味を示していただけた方は、「内容紹介」、「forestsingers」カテゴリをお開き下さいませ。
All title list(作品数が多いので、2ページになっています)の中にあります。

そのカテゴリの中の「こんなお話です」に目を通していただけると幸いです。

小説でしたら、ショートストーリィ(musician)の中のフォレストシンガーズ物語、一話~七話までをお読みいただけるのが、いちばん最初でしたら最適かと思われます。
フォレストシンガーズストーリィ1-第一話「はじまり」

どれから読もうかな? の方へ
「The Chronicle・ショートバージョン」
もわりあい短めです。

長くてもいいとおっしゃる方には、「The Chronicle」全11話のロングバージョンもございます。
小説200(The Chronicle)第一部

その他にもフォレストシンガーズストーリィはあちこちに散らばっております。
お急ぎでない方は「あらすじ」なども見ていただいて、お好みに合うストーリィを見つけていって下さいませ。

みなさまのアクセスや拍手、コメントなどは著者の最大の喜び、励みでございます。
変なコメント(変というのは種々ありますが)でない限りは必ずお返事させていただきます。
URLを残していただければ、コメントを下さった方のブログにも遊びにいかせてもらいますねー。

さて。
いついつまでもブログを続けていきたい、というのが私の最大の希望でもありますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。
こんなミニアンケートにも、よろしかったらお答え下さいね。




2013/8月
津々井茜



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どれから読もうかな? の方へ

内容紹介

2011/5/28

「The Chronicle・ショートバージョン」

**はじめに

 長い「The Chronicle」をブログにアップしてから、考えました。
 はじめてフォレストシンガーズストーリィを読んで下さる方は、「The Chronicle」から読んでいだけるといいな。彼らの大学一年生から三十歳までの物語だから、ちょうどいいな。
 でも、最初に読んでいただくには長すぎるかも。
 ならば、ショートバージョンを書こうと決めて書いたのがこのストーリィです。「The Chronicle」の抜粋ではなく、エッセンスを抽出して短くまとめたものですので、長いのも短いのも両方読んでいただけると嬉しいです。
 このストーリィを読んでフォレストシンガーズに興味を持って下さった方は、「The Chronicle」本編もぜひどうぞ。もちろんその他のたくさんたくさんあるストーリィも、読んでいただけると嬉しくて嬉しくて、著者は舞い上がってしまいまする。

 なお、これでも長いだろ、とおっしゃる方には、さらに短いのもあります。
フォレストシンガーズストーリィ1-第一話「はじまり」
ここからスタートする七つのストーリィも、よろしくお願いします。

 ではでは、ショートバージョン、お楽しみ下さいませ~。



1・真次郎

 七つも年上の兄貴たちに育てられた十八歳の暴れん坊が、桜の花なんて気にしているわけもない。あのころの俺は桜なんて見てもいなかっただろうけれど、この季節になると思い出す。あの日もこうして桜が満開に咲き誇っていた。
 桜吹雪と聞くと遠山の金さんを思い出す俺にも、自分自身の桜吹雪の思い出はある。大学の入学式、俺の運命を決めた日。大仰に言えばそうだったのかもしれない。
 空手家で双生児の兄貴たちに反発したいためもあって、俺はスポーツ嫌いだった。好きなものはたくさんたくさんあれど、中では音楽がもっとも好き。ピアノも好きでクラシック音楽も好きだったのだが、オーケストラなんて俺のガラじゃねえや、だった。
 サークルに入ろうとして迷った末に、俺は合唱部を選んだ。新入生勧誘パフォーマンスで歌っていた女性たちの美しい声や、当時の女子部キャプテンの美しい容姿に魅せられたせいもあった。
 飛びこんでいった合唱部の部室で、先輩の星さんに会った。彼の人柄に惹かれて、入部してから触れ合った男子の先輩たちにも惹かれていって、俺は強く強く合唱部に傾倒していく。歌というものにものめり込んでいく。
 それからもうひとつ、同級生との出会いもあった。東京生まれの俺がこの大学に入学し、合唱部に入部しなかったとしたら、おそらくは会わなかった乾隆也だ。
「乾、本橋、おまえたち、夏のコンサートでデュエットをやれ」
 キャプテン高倉さんのその命令が、俺たちを結びつけた。いや、高倉さんの言葉がなかったとしても、俺たちは特別な仲になっていただろう。男同士で特別とは気持ちが悪いのだが、そうなのだからどうしようもない。
 金沢生まれの乾と俺、運命論も俺のガラではないけれど、そんなこともあるのかなぁ、と今になれば思う。それからそれから、もうひとり、彼女との出会いはまちがいなく、俺の運命を変えた。
「綺麗だねぇ。あれから何年たつんだろ」
「あれから何年なんて振り返るのは、年を食った証拠だぜ」
「だけど、このシーズンには思い出すでしょ」
「うん、まあ、そうだな」
 近所では一番豪壮な邸宅の塀ごしに、ゴージャスな桜が咲きこぼれている。まるで秀吉が愛でた醍醐の桜のよう……俺はそんなものはこの目で見ていないのは当然だが、こんなだったのだろうと思う桜だ。そんな桜を見上げて、俺は妻と会話をかわす。
 あれから何年、その何年とは、おまえとおまえと出会ってからの歳月と一致する。おまえ、とは乾と美江子だ。美江子とは「あれ」がいつなのかをわかり合っている。仲間たちとの出会いと、美江子との出会いがあって、今、俺はここに立っている。


2・美江子

 母校のキャンパスの花壇には、ポピーの花が並んで咲いていた。
「可愛いチューリップの花ですね」
「……あのね、三沢くん」
「はーい」
 咲いた咲いたチューリップの花が、三沢くんが歌う。十八歳の男の子がそんな可愛い声を出す? キミのほうが花よりも可愛くて、声だけだったら幼稚園児の坊やみたい。顔を見ても中学生みたい。ふたつ年下の三沢幸生を見つめていたら、吹き出して笑い出した。
「美江子さん、なにがそんなにおかしいんですか。そんなに笑わないで」
 笑いすぎて涙が出てきたら、三沢くんは私の背中をとんとん叩いてくれた。
「美江子ちゃーん、泣いたら駄目よ。べろべろばー」
 今、ここにいるのは、その三沢幸生、最年少の大学二年生。彼に較べるとずいぶんとお兄さんに見える、本橋真次郎、乾隆也、彼らは私と同い年の大学四年生だ。そして、大学三年生の小笠原英彦と本庄繁之。五人がキャンパスに集まって、本橋くんが私に正式に紹介してくれた。
「フォレストシンガーズだ。決定したよ」
「……うん」
 詳しくなんか言ってくれなくてもわかる。大学の男子合唱部で知り合った五人が、ヴォーカルグループを結成した。私も話は聞いていたけれど、正式に決定したから改めて紹介してくれたのだ。
「三沢くん、覚えてる?」
「覚えてるってどれですか? あの樹の陰で美江子さんとキスしたこと? むふふ」
「おー、三沢? おまえ……美江子さんと……このぉ」
「きゃああ、小笠原さんっ!! 許してっ!! だって、愛し合ってるんだもんっ」
「許さない。待て」
 逃げていく三沢くんを、小笠原くんが追いかけていく。本庄くんはきょろきょろしてから、私にもの問いたげな目を向ける。乾くんは笑っていて、本橋くんが質問した。
「山田、おまえ、ほんとにあんなガキとキスしたのか?」
「そうじゃなくて、この花壇に咲いてた花よ」
「花なんか咲いてたか?」
「春には咲いてたでしょうが」
「そうだったかなぁ」
「あのへんにはどんな花が咲いてたか、覚えてる?」
 冬枯れの花壇には花はなく、本橋くんと本庄くんは悩んでいる。乾くんは言った。
「花壇なんだから花はあるよ。春の花だったら……あのあたり? ポピーだったな」
「さすが乾くん。花の名前も知ってるし、記憶力もいいよね。本橋くんや本庄くんも見習いなさい」
「はい、すみません」
 本庄くんは素直に答え、本橋くんは言った。
「歌詞は覚えないといけないけど、男は花の名前なんか知らなくていいんだよ」
「でも、本橋さん、歌には花が出てくるでしょ」
「俺は出さないからいいんだ」
 ポピーの花が咲いていたころに知り合った、大学一年生だった三沢くん。二年近くがたっても、彼の声は黄色くて、小笠原くんにつかまえられてきゃあきゃあ悲鳴を上げている。
 なんでおまえは花の名前なんか知ってるんだ、と本橋くん。乾さんのおばあさんは、お華の先生だからでしょ、と本庄くん。ポピーくらいは常識だろ、と乾くん。そんな五人で、歌の道を歩き出すんだね。私も一緒に歩いていく。
 きっと近いうちには、あなたたちはプロになる。私はあなたたちのマネージャーになる。目の前にはお花畑が広がっている。未来をそう考えれば、頬を刺す冬の風までが、あたたかく感じられた。


3・隆也

 アマチュアながらも、ノーギャラながらも、仕事をさせてもらって泊まらせてもらった海の家の庭に、朝顔の花が揺れている。青や紫の暗い色ばかりで、朝から俺の気持ちも暗くなりそうだ。
「……暗い色合いだと思うから暗く感じるんだ。暗いんじゃなくて爽やかで清々しい色の花だと思え、隆也、気は持ちようだ。ものは考えようだ」
 山田、本橋、乾が大学を卒業してから一年余り、今年は一年下の本庄シゲ、小笠原ヒデも卒業した。三沢幸生は大学四年生。俺たちはいまだアマチュアだ。
 プロになるための道は険しくて、真夏の朝に海辺にいても心は浮き立たない。一昨年までは別の海辺で大学合唱部の合宿をしていて、あのころはひたむきに楽しかったのに、俺の青春は卒業とともに終わったのか。
 暗くばかり考えてしまうのは、ヒデがいなくなってしまったから。ヒデは結婚するからと言って、梅雨のころにフォレストシンガーズを脱退してしまった。
 一年生の年にだけ合唱部にいて、大学をも中退してロックに走っていた木村章は、幸生とは仲良くしていた。シゲやヒデとも親しくしていたらしいが、本橋や俺は章とはほとんど交流もなかった。その章を幸生が連れてきて、強引にフォレストシンガーズに参加させた。
 であるから、人数的にはフォレストシンガーズはもとに戻っている。それでもそれでも暗いのは、章が俺を嫌っているから? 俺が悪いから? あいつだって悪いだろ。
 章は彼女のスーちゃんと喧嘩ばかりしていると言う。喧嘩はするのが当然だろうが、彼女と彼は暴力沙汰の喧嘩になって、章はスーちゃんに殴られて殴り返すという。そうと聞いて説教したのがはじまりだった。
 もてるらしき章は、女性の母性本能をくすぐるのだろう。綺麗な顔をしていて細くて小柄で、反抗的なロッカー。彼は小さな薔薇なのか。美しい外見に引きつけられて寄っていく女は、刺にさされて傷つく。女性が守ってやりたいと感じる男の章は、時に牙を剥く。
「あいつは弱気で寂しがりなんですよ。そんなところを隠したくて反抗的になったり、女にばっか強く出たり、実は最弱軟弱脆弱柔弱……」
「幸生、そのへんでいいよ」
 弱のつく単語を並べ立てようとする幸生を、途中でさえぎったこともあった。
 女に暴力はふるうし、遅刻はするし、説教するとふてくされるし、リーダーに殴られるとふくれるし、その上にその上に、あろうことか、ファンの方につっけんどんにする。あまつさえ、突き飛ばしたりもする。あのときは俺は章の頬を軽く張り飛ばした。
「あいつはフォレストシンガーズのファンじゃなくて、ジギーのファンだった女ですよ。乾さんには関係ないじゃん」
 ジギーとは、章がヴォーカリストとして加わっていたロックバンドだ。インディズとしては人気があったのだそうで、章にはそのころからのファンがついている。
「なんであろうとも、ファンの方にそんな態度を取ってると癖になるんだよ。俺たちがメジャーデビューして、支持して下さるファンの方におまえがそんなだと、プロのシンガーとしては最悪だろ」
「ファンなんてうぜえんだもん。それにさ、俺たちがメジャーになるなんて……乾さん……わかりましたから。いやだよ」
 手を上げて顔をかばっている章を、きつく殴る気はなかった。説教だってしたくはなかったのだが、彼は本心からそう思っているのかと、おりに触れては説得してきた。章だってわかっているだろうに、ロッカーらしき反逆心なのか、素直にうなずいてはくれない。
 先輩風を吹かせて説教ばかりするうざい奴。章にはそう思われているのはまちがいない。俺の存在に嫌気が差して、章がフォレストシンガーズを脱退したとしたら……そう思うと気持ちが暗澹としてくる。真夏の朝を俺のグレイの吐息が曇らせていると、幸生の声が聞こえた。
「おはよう。隆也さん、ユキちゃん、キスしてあげようか」
 十八番の幸生の女芝居だ。俺が暗くなっていると察してなぐさめてくれようとしているらしいが、こんななぐさめはいらない。強いて荒々しく言った。
「幸生、おまえ、あの花の名前を知ってるか。まちがえたら罰として、あそこに見えてる灯台までランニングだぞ。言ってみろ」
「あの花? ええとええと……チューリップ、桜、薔薇、菊……他に花ってあったっけ。ええとええと……そうだ、ポピー!! きゃーーっ、乾さんっ、なにをなさるのっ?!」
「ランニングだって言っただろ」
「隆也さんもつきあってくれるの? そしたらね、おんぶして走って。きゃわわーっ!! ひとりで走りますっ!! 先輩ったら怖いんだから。ユキちゃん、そんなことされたら疼いちゃうわ」
「……黙って走れ」
「はいっ!!」
 前を走っていく幸生の髪が朝陽に輝いている。朝顔が幸生と俺を見比べて笑っている。くよくよと考えているよりも、俺たちは走らなくっちゃ。


4・英彦


 暑苦しい花だな、と呟くと、恵が言った。
「夾竹桃。ヒデって花の名前を知らないね」
「男は普通はそうだろ」
 乾さんは別として、シゲも幸生も本橋さんも花の名なんて知らなくて、美江子さんが呆れてたよ、とは口の中で呟く。
 遠い遠い昔の友達なんて、思い出すと虚しいだけなのに、今では気軽に親しくできる男友達がいないせいか。妻と子はいても女友達はさらにいない。友達がいても妻や子はいない男だって多いのだから、俺は幸せだ。
 紫陽花を見ると楽しかった学生時代を思い出すから、あの花は嫌いだ。梅雨がすぎて真夏になり、紫陽花は見なくなったと思ったら、今度は暑苦しい花か。
「濃いピンクは暑苦しいかもしれないけど、白いのはよくない?」
「俺は好きじゃないな」
「たしか夾竹桃って、根だか樹だかに毒があるんだって」
「食うと死ぬのか?」
「そうかもね」
 毒のある樹は食ってもまずいだろう。別に死にたくはないのだから、夾竹桃を食う気もないけれど、最悪、あいつを食えばいいんだな、なんて思って苦く笑った。
 数年前にフォレストシンガーズを脱退して結婚し、子供ができて普通の父、普通の夫、普通のサラリーマンになった。フォレストシンガーズがデビューしたとの噂は聞かないし、シンガーズだって普通の人間なんだから、俺とはなんちゃあ変わりもせんちや、ではあるのだが。
 なのになんだって、俺はこうして鬱々している? 夏の陽射しの中、淡い緑のワンピースを着て、白いパラソルを差した妻はけっこう美人で、妻の押すベビーカーの中の瑞穂は、天使のように愛らしい赤ん坊なのに。
「パパ、買いものしてくるから、見ててね」
「ああ。ゆっくり行ってこい」
 ドラッグストアに入っていく妻を、外で待っている。俺はガードレールに腰かけて、ベビーカーを見つめている。瑞穂がほにゃほにゃと笑っている。可愛いな、おまえは俺の娘なんだもんな。けど、おまえがいなかったら俺は……
 ふっとよくない想いが浮かび、頭を振った。赤ん坊は父親の悪心を感じたのか、唐突に泣き出す。抱き上げるといっそう泣く。ドラッグストアから恵が顔を出した。
「パパ、泣かしたら駄目。ちゃんと見ててよ!!」
 怒鳴られて怒鳴り返した。
「赤ん坊ってのは泣くのが仕事だろ。俺のおふくろはそう言ってたぞ。文句があるんだったらさっさと買い物をすませて出てこいよ」
「もうっ、役に立たないんだから」
 これではまた喧嘩になりそうだ。冷戦になるのか舌戦になるのか。せめて明るい喧嘩だといいな。こうなってくると妻も娘もうっとうしくて、俺は夾竹桃に悪態をついた。
「家出したいよ。失踪したいよ。くそっ!!」
 ベビーカーに戻すと、瑞穂は顔を真っ赤にしていっそういっそう泣き出した。
 

5・繁之


 この花だったら知ってるけど、なんて名前だっけ? 幸生だったらチューリップだと言いそうだが、チューリップではないのは知っている。チューリップは春の花だ。
 アマチュア時代にはこの公園で、五人で練習をしてきた。筋トレやキックボクシングごっこや、ランニングもした。議論もした。コンビニで買ってきた夜食やら、美江子さんがさしいれてくれた手作りの豚汁なんかも食った。
 本橋さんが不良にからまれていた高校生を助けたり、乾さんが女の子をかばったり、章がどこかの男に殴られそうになったり、幸生が泣きそうな顔でブランコにすわっていたり、そんな思い出がたくさんたくさんある。
「俺の書いた曲なんです。乾さん、見て下さい」
「お、書けたか……うんうん……ヒデ、これ、駄目だろ、これは」
「なんでですか」
「自分で考えろ。ほら、ここだよ」
 俺にはできないソングライティングについて、乾さんと話していたヒデの声を思い出す。ここんところは盗作だろ、と指摘されたヒデは、あとから言っていた。
「あのときには乾さんを殴りそうになって、辛抱したんだ。俺、えらいだろ」
「アホか。当然だよ。盗作だって言われて怒って、乾さんを殴ったりしたら、俺が許さんからな」
「……おまえにやり返されたら俺は死ぬから、やらんでよかったな」
 がははっと笑った声までも思い出した。
「とうとうデビューしたんだよ。ヒデは知らないだろ? フォレストシンガーズなんて名前、どこにも出てないもんな。でも、もうじき各地のFM放送挨拶回りをするんだ。おまえはFM放送のある地域に住んでるのか? 茨城や高知だったら聴けるよな。おまえがどこにいるのかは知らないけど、元気なんだろ? 幸せなんだろ? 結婚したのかな。子供もできたのかな。恵さんって……うん、まあ、美人だよな。おまえも顔は整ってるんだから、可愛い子供だろうなぁ。会いたいな」
 ヒデの子供よりもヒデ本人に会いたい。この花、なんて名前だ? ヒデに質問したい。ヒデもきっと知らないだろうから、乾さんと美江子さんにも来てもらおう。花の名前はどうでもいいから、本橋さんと幸生も呼ぼう。章は、呼ばないほうがいいんだろうか。
「みんなで言うんだよな。幸生は言うんだよ。チューリップ? あいつの定番だからさ。本橋さんは薔薇だって言うかもな。そしたら美江子さんか乾さんが……あ? コスモス? そうだったかも。自信はないけどそうかもしれない。誰かが教えてくれたんだ。おまえじゃないだろうけど、ありがとう、ヒデ。コスモスだな」
 自信はないがコスモスだと決めた白や薄桃色の花を見ながら、ヒデに話しかける。繊細で可憐な花だ。俺にもこんな彼女ができたらいいな、ヒデのことばかり考えている女々しい自分が腹立たしいのもあって、コスモスに意識を向けていた。


6・幸生

「悲しくったって、苦しくったって
 ステージの上では平気なの
 だけど、涙が出ちゃう
 だって、ユキちゃん、女の子なんだもんっ!!」

 この替え歌を歌うとシゲさんは脱力し、リーダーはげんこつを固め、章はキックをしかけてきて、美江子さんはため息をつく。乾さんは俺の肩を抱いてくれた。
「そういうタイムリーな歌を歌うな。売れなくて悲しくて苦しいなんてのは、もっと長くやってから言うもんだよ」
「身も心もユキちゃんになっていい?」
「心は見えないから、ユキちゃんになってるんだとおまえが言い張れば、俺もうなずかざるを得ない。身は見えるんだぞ。なってみろ、なれるのか、え、幸生? なれるのか」
「そんなご無体な……」
 変身はできそうにないので諦めて、心だけはユキちゃんになろうと乾さんにくっつく。本橋さんとシゲさんはむこうで、俺たちを見ないように必死で無視しようとしている。章は美江子さんと、虫みたいにちっちゃい花のそばでお話していた。
「俺もやっぱ本物の女性とお話したいなぁ……」
「俺に女になれって言ってるのか」
「乾さんが女になったって……俺の趣味は知ってるでしょ」
「小柄でキュートな美少女だろ」
「そうそう。俺を女の子にしたような美少女ね」
「女性は男装すると十歳若く見え、男は女装すると十歳老けて見えるという。肌の差だそうだな。幸生、不精ひげがはえかけてるぞ」 
 人を現実に立ち返らせる無情な発言をしてから、乾さんは公園のベンチにすわった。
 ここは兵庫県の公園。近隣の人々の憩いの場になっているようで、そぞろ歩くカップルや家族連れや友達連れは大勢目につく。けれども、だあれも俺たちに目を留めてはくれない。俺たち、フォレストシンガーズっていうんだよぉ!! って叫ぼうか。パークライヴをやろうよ。無料だよ。俺たちの歌を聴いて、拍手を、歓声を下さい。
 餓えるほどにそう思う。デビューしてから二年がすぎて、今年も秋になって、いろんないろんな仕事をしてきたけれど、俺たちはまったく認められないまんまだ。
 試行錯誤を繰り返し、多種類の歌のジャンルにチャレンジし、テレビのバラエティ番組に出たり、ラジオに単発で出演したり。そのどれもがフォレストシンガーズの糧にはなっただろうけれど、実を結んではいない。
 乾さんの言う通り、悲しむにはまだ早いと知ってはいるけれど、イベントに出演させてもらって主催者にないがしろな扱いを受けると、へこみたくなる。無名のシンガーって人間じゃないの? 猫だったら不細工でももてはやされるのに、ユキちゃんは可愛くても愛してもらえないんだわ。
 なんてね、こうやって自分の中でもひとり芝居をやって、俺はてめえを鼓舞する。乾さんと美江子さん以外は芝居をやると怒るけど、実はちょっぴり癒されていたりするんでしょ。
「乾さん、あの虫みたいな花、なんて名前ですか」
「紅の虫か。あれはおまえには高度だろうな」
「花に高度や低度ってあるんですか」
「あるんじゃないのか。一般的知名度の高い、おまえでも知っているチューリップや桜から、おまえだと知らなくても普通な萩や竜胆やえのころ草、さらに知名度の低い、イタドリ、ベニタデ、ゲンノショウコ、などなど。知名度レベルでも花は多種に分類できるんだよ」
 それってシンガーになぞらえてる? シンガーとはさかさまに、花は知名度が低いほど高度なのか。俺は今、乾さんが言った花の中から、あの虫のようなちっこい花の名前を探した。
「リンドウかなぁ。ちがう? 萩」
「おまえにだったら推理は簡単だろ。覚えないと意味ないんだぞ」
「はあい」
 我々だって覚えられないと意味がない。しかし、公園でフォレストシンガーズの名を連呼するのは、犯罪に近いのかもしれない。そのためにはどうすればいいのかも、模索しながら歩いていく。それが我らの生きる道?
 これからも俺たちは、シンガーとして高級になるために努力する? 高級とひとことで言うべきなのかどうかもわからない暗い道を、みんなで歩いていく。
 ねえ、隆也さん、頼りにしてるからね。俺はあなたの背中を特に見つめて、一生懸命ついていくよ。どこまでも連れていってね、ごろにゃん。


7・章

 デビューしてから六度目のクリスマス。去年にはシゲさんが結婚し、フォレストシンガーズはほんのちょびっと有名になった。有名になったと口にするのもおこがましいが、デビュー当時から二、三年ほどの真っ暗闇からは抜け出しつつある。
 二十二歳でプロのシンガーズの一員となった俺は、二十七歳になった。愛した女もいるけれど、スー以外の女とはすべてが切れた。スー以外の女はどれもこれもがまやかしだったのだから、切れて後悔もしていないが、心に寒い風が吹く。
 クリスマスのイルミネーションやツリーや、音楽で浮き立つ街で俺はひとり。すこしは売れてきたといっても、ちびの俺がひとりで街を歩いていても、ファンに発見されて騒がれるなんてまずない。そのほうが気楽だけど、時にはこんなこと、ないかなぁ。
 女子大生の集団が俺を見つけ、わーっと取り囲み、サインだ握手だ写真だと騒いだあげくに、その中でもとびきり可愛い子が言う。
「あたしたち、これから女の子ばかりでパーティするの。木村さんも来て」
 五、六人の女の子は全員が、俺の好みの小柄で細身の美人ばっかり。俺は迷惑そうなそぶりをしながらも言うのだ。
「ちょっとだけだったらつきあうよ。ケーキでも買っていこうか」
「木村さんが来てくれるだけで嬉しいの」
「そうは行かないだろ。女子大生のパーティに社会人が手ぶらでは行けないよ。これで好きなものを買えよ」
 札を握らせると、女の子たちは感激して、みんなそろって背伸びして、俺にちゅっちゅっのちゅーっ!! ……ああ、虚しい。
 つまんねえからナンパしようかな。スターになっていない現状の利点は、道行く人々のほとんどが俺を知らないこと。ナンパして釣り上げた女もたいていは俺を知らないから、適当にごまかしてホテルに連れていって寝て、適当にバイバイ。
 乾さんに知られたら叱られるだろう……そう考えてから、あんたもやってんだろっ、と胸のうちで叫び返す。可愛い子はいないかと物色していたら、街角にたたずむ女の姿が見えた。ベージュのコートのすらっとした女は、俺と同じくらいの身長だ。小柄ではないけど、まあ、許容範囲。俺は彼女に近づいていった。
「彼女、ひとり? お茶でもどう?」
 顔が見たいのに、彼女はうつむいたまんまだ。どこかで見た女……有名人かな? 気が逸って気もそぞろになっていた。
「誰か待ってんの? ふられたんだろ。俺とお茶しようよ。メシだっておごるよ」
「……」
「すかすなって」
 苛々してきたので、ちょっとだけ怒らせる手段に出た。
「顔を見せてよ。見せられないってのはブスなんだろ」
「……え……」
「いやいや、ブスじゃねえよな。顔を見せて」
 猫撫で声を出して顎を指でそっと持ち上げる。女は顔を上げてにたっと笑った。
「うぎゃっ!!」
「口裂け女じゃないんだから、悲鳴を上げなくてもいいじゃないの」
「口裂けって……古っ」
 ある意味、妖怪よりも悪い。逃げてもはじまらない相手だからなお悪い。開き直った俺は言った。
「そんなコート、見たことないし、美江子さんだなんて気づきませんでしたよ」
「私は声で章くんだって気づいたから、黙ってうつむいてたの。あなたはいつもこういうことをやってるんですか。お話を聞かせていただこうかしら」
「補導の教師みたいに言わないで」
「食事をおごってくれるんじゃなかったの?」
「美江子さんはデートじゃなかったの?」
 ぎろっと睨まれた。図星だったのかもしれなくて、腕を引っ張られるままになった。
「あれは知ってる?」
「あれって?」
 彼女と腕を組んで歩いているというよりも、教師に腕を取られてどこかへ引きずっていかれる中学生気分。我らがおっかないマネージャーと街を歩くなんて、振り切って逃げたら本橋さんや乾さんに告げ口されるから、逃げるに逃げられない。
 情けなくて返事もしたくなかったのだが、あれって? と彼女の声に反応してしまった。美江子さんが指差す先には、赤と緑の花のような葉っぱのようなものがあった。
「飾りですよね。造花? 乾さんに教わったような……クリスマスの花、クリスマスカラー……なんだっけ。忘れたよ」
「ポインセチアだよ。あんなふうに華やかに……見えてくるの」
 目を閉じて、美江子さんが囁いた。
「あなたたちの将来は、ポインセチアカラーに彩られてるのよ」
「へええ、いいね」
 美江子さんがえらい美人に見える。いや、もともと彼女は美人なのだが、いつだっておっかなさが先に立つ。今夜は優しい気持ちになってくれているのか、彼氏にデートをすっぽかされて不機嫌なのを繕おうとでもして、作為的に優しくふるまっているのか。
 どっちにしても、優しい美江子さんだったら好きだ。クリスマスイヴ当日ではないのだから、美江子さんとデートってのもいいだろう。
「メシ食いにいきます? 酒もいいでしょ」
「いいけどね、章くんはお酒を飲むと潰れるんだから、一杯だけにしなさいね」
 こういうことを言うから、デート気分に水を差すのだ。酒を飲んでいても説教されそうで、俺は美江子さんの腕を静かに静かに、と努力して引き離した。
「急用を思い出しました。帰ります」
「そうなの? ナンパなんかしないようにね」
 うるせえんだよっ!! と怒鳴りそうになったのをこらえて、小走りになる。来年こそはポインセチアのように華やかなクリスマスを迎えたい。優しくて可愛い彼女もほしい。
 今年のクリスマスには間に合いそうもないから、来年こそ、来年こそ、と祈る。俺たちフォレストシンガーズは、ポインセチア程度の知名度を持つシンガーズになれるのだろうか。今年のクリスマスコンサートのチケットは初ソールドアウトだったのだから、近々きっとなれるさ。
 そうと信じていなければ、こんな寒空の下、ひとりで歩いてなんかいられるかよ。きっと俺たち、大物になるんだよっ!!

未完
 



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フォレストシンガーズ人物相関図①

内容紹介

フォレストシンガーズを中心とするキャラクター相関図  
(ver1.大学関係)


修整

以前から相関図モトム、とのリクエストをいただいていました。
このたびも大海彩洋さんからリクエストいただきまして、さあ、どうしよう、と悩んだあげく。

家系図を作れる無料ソフト発見。
ただ、無料の分では印刷もできないし、画像として使えない。
うーん、どうしようかとまたもや迷ったあげく、いい方法を考えてもらいました。

ようやくブログにアップできました。
これはテスト版のようなものですので、簡単すぎてわかりにくいかもしれません。
とりあえず、フォレストシンガーズの五人と大学の仲間たちとの相関図です。

ここはこうしたら? などのご意見があれば、どしどし教えて下さいませね。
お待ちしております。





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FS超ショートストーリィ・四季のうた・章「夏の魔」

番外編

フォレストシンガーズ

四季のうた


「夏の魔」

 寝苦しい熱帯夜の夢に忍び込んでくるのは。

 ギターみたいなフォルムをした身体のライン。からみつく長く細い腕。
 おまえを抱いて、おまえに抱かれて、破滅させられてしまいたい。
 蠱惑的な悪女にだまされて翻弄されて、すべてが壊れてもいい。いや、壊れたい。

 もしかしたら根源的な男の願望なのかもしれない。
 なんてさ、それって誰の勝手な妄想だよ。
 からみつく蜘蛛のような腕から、逃れようとする章もいる。けれど、身を任せてしまいたいと願う章もいる。

 目覚めてしまえば、なんて暑苦しい!! やめてくれ、と振り払いたくなるような、真夏の夜の夢。

AKIRA/ある夜に

 







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花物語2017/6「いずれアヤメか」

ショートストーリィ(花物語)

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2017/6 花物語

「いずれアヤメか」

 勉強が大嫌いで、漫画とアニメにばかりうつつを抜かしている。彩夢が息子の二千翔について嘆いているのを聞くたび、重子は言いたくなって困った。そりゃあ、彩夢ちゃんと三千弥さんの子だもの。それで普通じゃない? アヤメ、ミチヤ、ニチカだなんて名前からしても、ヤンキー一家だもんね。

 ものごころついたときから、彩夢は重子のご近所の友達だった。幼稚園から中学校までが同じで、名前は可愛いけど彩夢ちゃんって顔は可愛くないよね、重子ちゃんと名前を取り換えたらいいのに、と誰彼からとなく言われた。

 学力がちがったので高校は別々になり、それでも重子と彩夢は時々は会って話をした。なのだから、互いの人生についても知り尽くしている。

 高校を中退してしまった彩夢は、近くの市場の八百屋で働くようになる。流行っている大きな八百屋なので店員の数も多く、若者も大勢働いていた。彩夢は同じ高校中退の三千弥とできちゃった結婚をした。彩夢の親は反対したので、重子の両親が説得してやったものだ。できちゃったんだから、結婚させるのが一番だよ、と。

 二十歳で結婚した彩夢と三千弥の夫婦は、彩夢の両親と同居していたから、それからだって重子とは交流が続いた。重子は短大を卒業して銀行に就職し、二十五歳で結婚した。当時、すでに幼稚園児だった二千翔は、やがて生まれた重子夫婦の娘、さやかの子守りもしてくれた。

 二千翔が高校生になった年、さやかは十歳。二千翔のほうはさやかにかまいたがったが、あんな不細工なおっさんには近寄ってほしくない、とさやかは言い放ち、二千翔を苦笑させていた。

「ごめんね、二千翔くん。さやかったらひどいんだよね。さやか、二千翔くんにあやまりなさい」
「ごめーん。でもさ、だって、ほんとのことだもん」
「本当のことだからってなんでも言ったらいけないの」

 お母さんだって、二千翔がこうなったのはあの両親の子だからよ、とは言わないでしょ、と重子は心でつけ足した。
 あのころまでは優越感を抱いていられて、重子の心は平穏だったのだ。

 エリート銀行員の夫と、重子とさやかは実家からほど近いマンションで暮らしている。夫の収入はいいほうなので、重子は専業主婦だ。今どきは裕福な専業主婦がもっとも勝ち組なのである。

 八百屋の店員夫婦の彩夢たちは、子どもを彩夢の両親に預けて共働き。いつまでたっても彩夢の両親と同居しているせいか、三千弥は年々やせていく。それに引き換え、彩夢はどっしりと太ってとうてい重子と同い年になど見えない、押しも押されもせぬおばさんだ。

 夫の両親は外国暮らしなので、重子には義理親の苦労もない。二年に一度くらいは親が帰国したり、重子たちが親のもとに遊びにいったりするだけなので、もめごともなく平和だった。

 子どもはひとりずつだから同じだが、できがちがいすぎる。二千翔は工業高校に通っているものの、アニメと漫画にしか興味のないオタク。さやかは中学受験をするために、勉学に励んでいる。小学校の先生からも、さやかちゃんだったら志望校に合格間違いなしと太鼓判を押されていた。

 やっぱりね、生まれつきできがちがうんだし、こうなるのも当然よね。重子は彩夢とわが身を比べては満悦する。重子はダイエットにも気を使い、エステに通ったりもしているので太らない。重子の夫も身ぎれいにしていて、若く見える。重子と彩夢と三千弥が同い年で、重子の夫は四歳年上なのだが、彩夢ばかりが中年に見えていた。

「重子ちゃん、これ、見て」
「なあに?」

 中学校から大学院まで完備している女子校に、さやかが無事に合格して通いはじめ、高校に進学した春、彩夢が重子に漫画雑誌を手渡した。

「面白いペンネームでしょ」
「亀波? カメナミって読むの?」
「カメハメハだって」
「カメハだったらわかるけど、カメハメハなんて読めないじゃないのよ。これがどうかしたの?」
「そのカメハメハって、うちの息子なんだよ」
「二千翔くん?」
「そうなの。その雑誌で新人賞を受賞してデビューしたのよ。近いうちに単行本も出るんだよ」
「そ、そう。おめでとう。よかったね」
「まあね、漫画家なんてどういうものだか、私にはよくわからないけど、ニートやひきこもりよりはいいだろって父さんとも言ってるの」

 かすかに胸がざわめいたあのときから、彩夢と重子の力関係が逆転していったのかもしれない。

 カメハメハの描いた漫画「モエルおたく道」が爆発的に売れ、コミックスとしては前代未聞の大ベストセラーになった。映画化もテレビ化もなされ、あれよあれよという間に二千翔、いや、カメハメハは漫画家の大先生になってしまった。

「引っ越すことになったのよ。重子ちゃんとはずっと近くにいたのに、離れてしまうのは寂しいわ」
「あ、そうなの。どちらにお引っ越し?」
「二千翔が二軒、家を建ててくれたの。二千翔は億ションっていうのか、タワーマンション? そういうマンションでひとり暮らししてるんだけど、おじいちゃんおばあちゃんとお父さんお母さんにって、二軒も豪邸を建ててくれたのよ。そんなには遠くないから、重子ちゃんもぜひ遊びに来てね」
「ええ、ありがとう」

 ひょうきんな持ち味がもてはやされ、二千翔はテレビにまで出ている。高校時代にはさやかに不細工なおっさんと言われていた二千翔は、そうなるとあかぬけてかっこよくなり、芸術家然として見えるようになった。

 時に、二千翔は二十三歳、さやかは十七歳。

「さやか、学校から電話がかかってきたのよ。昨日、学校に行かなかったんだって? なにかあったの? いじめられたりしてるんじゃないの?」
「ガキじゃあるまいし、イジメなんかないよ」
「ガキって、そんな言葉を使うもんじゃないわよ」
「なんにもないから大丈夫。昨日は電車の中で気分が悪くなったから、ちょっとさぼっただけだよ」
「さぼりは駄目よ」

 わかったわかった、とうるさそうに言っていたさやかは、それからちょくちょく学校をさぼるようになった。名門女子校なのだから教師もきっちりしていて、さやかが休むたびに電話がかかってくる。ついに重子はさやかを問い詰めた。

「学校、つまんないんだよ。私には合わないの」
「だから、苛められてるとかじゃないの?」
「いじめられはしない。無視だったらされるけどね。だからさ、学校はやめたいの」
「やめるって、そんなことを軽々しく言うものじゃないわよ」
「軽々しく言ってない。私だってよくよく考えたよ」

 幾度も幾度も、さやかの父親もまじえて家族会議をした。重子の両親もさやかに話してくれ、さやかの父方の祖父母も帰国してさやかに意見をしてくれた。だが、さやかは頑として、中退したいとの意思を覆さなかった。

「彼と同棲するって決めたから。反対したって聞かないから、家は出るね」
「同棲? 彼氏がいるの?」
「いるよ。当たり前じゃん。ママは私がもてないとでも思ってるの? 私、おじさんにだってお兄さんにだってもてもてだよ。エンコーだってしてたんだから」
「さ……や……か……」
 
 あやうく気絶しかけた重子に、さやかは爽やかに微笑んだ。

「エンコーは二回だけだし、それだけでやめたから心配しないで。エンコーなんかしたら駄目だ、って諭してくれた、クラブの黒服のお兄さんとつきあうようになって、本気になったの。同棲して、さやかが二十歳になったら結婚しようって約束したんだから大丈夫だからね」
「なにが、どこが大丈夫よっ?!」

 ママはあんたをそんな娘に育てた覚えはありませんっ!! ヒステリックに叫ぶ重子を、娘はクールに見つめる。さやかの爽やかな微笑は消えなかった。

「まあね、ひきこもりやニートよりはいいんじゃない?」

 なにかにすがりたくて、重子は彩夢の新居に訪ねていった。誰がそんなところに行きたいもんか、豪邸なんか見たくもないよ、と思っていたのだが、彩夢ならばさやかを幼いころから知っている。娘だけではなく、重子のことも幼いころからよく知っている友達なのだった。

「私だって高校を中退してできちゃった結婚をして、ろくでもない息子に悩まされてきたけど、今では息子は立派な漫画家だよ。私たちはそれでも働きたいから、八百屋をすることにしたの。それも二千翔が協力してくれて、デパートの中に店が出せるんだ。今度は店員じゃなくてオーナーだよ。最初はいっぱい苦労もしたけど、息子のおかげでこうなれたんだもの。さやかちゃんだっていいほうにころぶかもしれない。学校だけが人生じゃないよっ!! ものは考えようだよっ」

 彩夢に言われると説得力はあるのだが、なにがどうまちがって、彼我の人生がこんなふうになってしまったのかと考えると、重子は呆然としてしまう。

 いずれアヤメか、カキツバタ。
 この慣用句は、甲乙つけがたい美女に対して用いられるはず。ちょっとずれているのかもしれないが、重子も言いたい。いずれ彩夢か重子花……昔は重子のほうがはるかに上だったはずなのに、なにがどう狂って、彩夢と重子が逆転してしまったのだろうか。

END







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FS雨の物語「はじまりはいつも雨」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

雨の物語

「はじまりはいつも雨」

 美江子……山田美江子。

 どこにでもありそうな、ありふれた名前のように思える。事実、銀行か区役所で名前見本として挙げられていても不思議でもない。

「山田美江子さんか……頭のよさそうな名前だな」
「あいつ、ほんとに頭はいいんだろ?」
「外見的にも頭のよさそうな感じだよな。それだけに……」
「それだけに……? 本橋、はっきり言えよ」

 いやいや、と笑ってごまかしたあのころは、頭がよさそうで気がきつそうで、男をやりこめるのが趣味なんじゃないのか? とは言えなかった。

 山田美江子が本橋美江子に変わっても、美江子の本質は変わってはいない。
 人なんて名前では変わらない。
 
 本橋真次郎がもしも芸名を使ったとしても、本橋真次郎は本橋真次郎だ。俺だって一生変わりそうにないよな。おまえも変わらなくていいから……口には出さず、真次郎は美江子の肩を抱き寄せた。

「きみの名前は優しさくらい、よくあるけれど
 呼べば素敵な とても素敵な
 名前と気づいたよ」

 そっかぁ、優しさくらいによくある名前か。作詞をする人は着眼点がちがうな。と繁之は感心してしまう。
 
 川上恭子もよくある名前だろう。「優しさ」というものと同じくらいによくある名前で、呼べばとても素敵な名前を、俺は呼び捨てにしていいのか? してもいいんだよな?

「……恭子……」
「はあぃ、シゲちゃん?」
「んとんと……」
「どうしたの?」
「いや、雨が降ってきたみたいだよ」
「あ、ほんとだ」

 カーテンを薄く開けて、恭子が窓の外を眺めている。はじめて繁之の部屋に恭子が泊まった日。そしてきみは、近いうちに本庄恭子になる。くすぐったくも嬉しくて、繁之は恭子のいささかたくましいうしろ姿を飽かずに眺めていた。

 既婚のふたりは妻との近い過去の想い出をよみがえらせ、未婚の三人は別れた彼女のことを思い出しつつ歌う。真っ二つに想いが分かれたステージの上。

「僕は上手にキミを愛してるかい 愛せてるかい
 誰よりも誰よりも」

 本名も知らないままに、はじまったあの恋。
 古ぼけたおばあさんみたいな名前だから、教えない!! と怒った顔をして言っていた彼女の名前は末子。半同棲はしていたけれど、それだけだったから、章はスーの苗字は知らないままで終わってしまった。

 はじまりはいつも雨。
 この歌の彼と彼女は、終わらなかったのだろうか。ステージで歌っていて、章はふっとそんなことを思った。

「キミに会う日は不思議なくらい
 雨が多くて
 水のトンネル くぐるみたいに
 幸せになる」

 きみの名前は……というフレーズが印象的なこの歌だから、幸生もかつて、愛した彼女を想う。
 彼女と会う日も雨が多かった。雨の横浜でデートしたり、一泊で小さな旅をしたときも雨だった。

 幸せ真っ只中にいるこの歌のカップルも、いつかはこうして俺みたいに、ああ、あのときは……って思い出すんだね。
 蘭子ちゃん、きみは幸せでいるかなぁ。

 きっとこんな想い出は、誰にだってあるのだろう。ステージで一緒に歌っている他の四人も、誰かのことを記憶の中から引っ張り出して、その彼女に捧げている。隆也だって同じだ。

 愛した女性の名前。
 これから愛することになるかもしれない、女性の名前。
 永遠に愛することができたら、どんなにか幸せな女性の名前。

 その名前はなんていうんだろ? 今夜も雨が降っているみたいだから、ライヴを終えて外に出たら、優しい名前のあなたに会えたらいいだろうな。この歌をあなたに捧げられたら、どんなにか幸せになれそうで。

「はじまりはいつも雨
 星をよけて
 ふたり 星をよけて」

END








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FS超ショートストーリィ・四季のうた・全員「四季の萌」

番外編

フォレストシンガーズ・四季のうた

「四季の萌」



「萌えいづるといえば、春に芽生える植物の子ども。ちっちゃな若緑、若緑の芽生え、春の息吹、目覚めた新芽の緑の息だよ。感じるだろ、ほら」

「乾さんらしいお答えですねぇ。春に萌えるったら猫の恋だな。猫の恋って春の季語だって、乾さん、教えてくれたじゃん。猫が恋をして生まれてくる、ちっちゃなちっちゃな仔猫……ううう、萌え萌え萌え萌えっ!!」

「幸生らしすぎて涙が出るよ……萌え、かぁ。ギターだな。うん、俺はギター」

「ギターに萌えるって、章は変態……いやいやいや、人は好き好きだな。俺が春に萌えるっていえば……いや、俺の場合は萌えるよりは燃えるんだよ。毎年春になると、今年こそ!! って燃えるんだ。シゲは?」

「本橋さんのおっしゃる通り、そういう意味でも春には燃えますよね。萌えるほうは……」

「シゲは食いもんだろ。地面に萌えて出てくる山菜とか? たらの新芽を天ぷらにして一杯。同じ新芽でも乾さんの感覚とは大違いだな」

「ヒデ、よけいなことを言うな」




「燃える太陽……じゃなくて、夏に萌える? 俺は猫路線で行くよ。春に恋をしたママ猫が産んだ仔猫は、夏ごろに可愛い盛りを迎えるんだ。そんなころの仔猫にはもうっ!! 萌え死にっ!!」

「ギターに萌えるほうが、幸生の猫萌えよりは変態度ははるかに低いですよ。そしたら俺も楽器ね。夏はレゲェだな。レゲェで女の子を燃え上がらせて……そして、むふっ」

「しかしやはり、章の顔が変態チックに見えるな。いやいやいや……俺は萌えじゃなくて燃えなんだから、夏といえば真っ赤に燃え盛る太陽」

「真っ赤に燃えた太陽だから、真夏の夜は恋の季節なの、って。
 あ、すみません。シゲらしくない台詞でしたね。俺は食い物担当でした。美江子さん、夏の食べ物の代表は?」

「西瓜、アイスクリーム、焼きとうもろこし、リンゴ飴や綿あめもね。真夏の食べ物ってお祭りや花火大会の屋台だとか、リゾートや海辺って感じだよね。私は夏の恋。恋には燃えも萌えも両方の要素があるよね」




「食い物ならば秋が本番ですね。モエなんだから燃えるってことで、たき火の中に放り込んだ焼き芋。焼き松茸。アウトドアのバーベキューもがんがん火が燃えてますよ」

「シゲさんは食ってりゃ幸せなんだからいいよね。俺も猫がいたら幸せ。あっ、シゲさん、たき火する前に気をつけて。ほらほら葉っぱの山が動いてるよ。わっ!! 猫が飛び出してきたーっ!!」

「凄まじい声を出すなよ、幸生。騒がしいので俺は俺らしく、秋に萌ゆる歌を。
 秋くれて ふかき紅葉は山ひめの そめける色のかざりなりけり 藤原定家」

「長き夜の つれづれなるまま つま弾けば ギターが歌う 情熱歌う 木村章」

「なんだよ、章も乾の真似か? 楽器ネタってそんなにはないもんな。俺が秋に萌える……燃える……モエルものってなんだ? スポーツの秋かな。恭子さん、走りにいこうか」

「私も食べものとランニングの両方に萌えます。みんなで走りにいきましょう。あれれ? 木村さん、逃げていっちゃった」




「冬には掘りごたつの中が燃えてます。こたつといえば猫。猫はこたつで丸くなり、ユキちゃんのハートもまあるく、猫と一緒に萌えてます」

「冬こそ情熱のギター!! 俺もこたつに入って作曲するよ」

「うん、だったら俺はこたつにいる幸生と章のために、あったかい飲み物でも淹れてくるよ。寒い夜にあたたかな飲み物ってのも、ほっこり萌えないか? ストーブも燃やそうか」

「浜の真砂はつきるとも、世に飲み食いの種は尽きまじ、だよな。俺は冬というと受験勉強を思い出すなぁ。十四歳と十七歳の冬には勉強に燃えていたものだよ」

「本橋くんは燃えるものがあると幸せなんだよな。冬に萌える……冬だって恋でしょう? 雪に覆われた地面の下、やがて来る春を待って雌伏している若い芽のように、やがて咲き誇る春を待つかのごとく、ひそかにはぐくまれていく恋……いいなぁ。浪漫だね」

「萌え、と燃えがごっちゃになってしまいましたが、俺だったら酒ですよ。さあ、こたつに入って酒盛りをしましょう。恭子さんも美江子さんもどうぞー。ああ、幸生のみーちゃんもくーちゃんも、たまちゃんもみんな来いよー」

「ヒデさんもそう言ってますので、みなさんもおこたであったまって行って下さいね。おこたの中でおしくらまんじゅう。燃えて萌えてしーあわせ」

END







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FS雨の物語「大阪レイニーディ」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

雨の物語

「大阪レイニーディ」

 まずいことをしてしまった、と母からのメールが届いた。まずいこととはなんだ? 父と喧嘩でもしたか? そんなこと、離れて暮らしている息子に訴えてきても困るだけだ。困るようなメールを読みたくなかったので、途中でケータイを閉じてほったらかしておいた。

 歌手になりたくて、そんなら東京に行かなくてはいけないと決意して、実松弾は東京の大学を受験した。首尾よく合格し、父と母も賛成してくれたから上京して大学生になった。合唱部に入部して熱が入っていたのもあり、金には困窮していたのもあって、大学生の間はほとんど大阪に帰りもしなかった。

 合唱部は男子部と女子部に分かれていたものの、みんな仲が良かった。同級生たちで合同ハイキングに行ったり、映画を観にいったりすると、部外の友達を連れてくる者もいた。

 男どもはもてへん奴が多いみたいやけど、その中でももてない代表、シゲには女友達がいる。
 ヒデは顔がええせいか、これでけっこうもてるみたいや。ええなぁ。
 じゃがいもみたいな顔をした俺も、もてるわけないわな。ええねん、歌手になったらもてるはずやから、それまでは男友達と遊んでいよう。

 そのつもりだったのだが、驚いたことに大学生のときに彼女ができた。ふたつ年下の育子ちゃんと一緒に大阪に行って、母に紹介したのが悪かった。

「私は結婚したんも遅かったし、なかなか子どもがでけへんで、それでも弾が生まれたんやからよかったんやけど、女の子もほしかったんよ。娘のいる友達がうらやましゅうてね。育子ちゃんを娘やと思ってええかしら」
「はい、私も嬉しいです」
「お母ちゃん、育子ちゃんに迷惑やで」
「迷惑なんかじゃないよ」

 優しい育子ちゃんはそう言ってくれ、母は完全にその気になってしまっていた。

「就職、決まったで」
「歌手になりたいて言うてたんは諦めたんやな」
「そらそうや。俺はそんなもんにはなれん。普通のサラリーマンになることにしたわ」
「そのほうがええよ。で、結婚は?」
「まだまだまだまだずーっと先や」

 電話で報告した俺に、母が結婚をせっついていた。やっと社会人になろうとしている二十二歳が、結婚なんか考えられるはずもないだろうに。
 東京で就職を決めた俺に、両親は寂しさもあっただろう。けれど、反対はせず、ただ、育子ちゃんと早く結婚しろとばかり言っていた。親父も同感であるらしかった。

「まだ結婚はせえへんの?」
「……育子ちゃんとは別れた」
「……そうやったんか。そんな気がしてたんや」

 二十五歳の夏、久しぶりで帰省した俺の前で、母がうなだれた。

「この間、育子ちゃんに電話したんやわ。そしたら元気のうて、なんかあったんかなと思っててん。別れたからか」
「そうや。もう育子ちゃんに電話したらあかんで」
「あかんの?」
「当たり前やろ。お母ちゃんは勝手に彼女を娘みたいに思ってたんかもしれんけど、婚約してたわけでもない。別れてしもたらもう他人や。モトカレの母親と仲良くしてる女の子なんて変やろうが」
「そうかなぁ。あかんの?」

 あかんの? と寂しそうに繰り返す母に、あかんあかん、絶対にあかん!! と断言しておいたのだが。

「育子って誰?」
「……え?」

 もてないことにかけてはシゲと張り合うほどだった俺だって、恋はする。大学生からの五年間ほどは育子ちゃん一筋だったのだが、別れてから好きになったひとはいた。二十六歳になって告白した、咲恵さんとようやくつきあってもらえるようになったのだが、どうしてここで育子ちゃんの名前が? 

「あの……」
「お母さんに私のメールアドレス、教えたんでしょ」
「咲恵ちゃん、教えてもええて言うたよな」
「言ったけど……うん、見たほうが早いね」

 両親は俺に彼女ができたと聞くと、結婚結婚と張り切る。だから言いたくないのだが、いないとなるとそれはそれで気をもむので、彼女ができたよ、とは報告していた。
 お話ししたいわぁ、と母にねだられて、咲恵ちゃんに打診してみた。かまわないよ、との答えだったので、母に彼女のメールアドレスを告げた。

 早速、母からメールが来て、咲恵ちゃんのほうも返事を出したらしい。二、三度メールのやりとりをした母から、昨夜、新しい着信があったのだそうだ。

「弾には彼女ができたみたい。弾よりふたつ年上やそうやけど、私とメールもしてくれるええ人やよ。
 彼女のいてないときやったら、育子ちゃんとこうやってメールしててもええと思ってたわ。
 育子ちゃんはとっても優しいから、弾さんとのことは関係なく、母と娘みたいに仲良くしましょって言うてくれるんやもんね。

 そやけど、やっぱりあかんのやろか。
 私は育子ちゃんが大好きで、弾のお嫁さんになってほしいけど、あかんのかなぁ」

 メールを読ませてもらっていると、気絶しそうになってきた。母はまだ育子ちゃんとこんなことをしていたのか。育子ちゃんも育子ちゃんだ。彼女のほうから切ってくれないから、母がいつまでも執着するのだ。

「ねぇ、育子って誰?」
「モトカノって言うたらええんかな」
「モトカノとお母さんが仲いいんだ」
「これは、おふくろが育子ちゃんに送るつもりでまちがえて……」
「そうみたいだけど、それはいいんだよ。弾のお母さんが息子のモトカノとこんなメール、そっちが気持ち悪いの」
「うん、わかるよ」

 軽蔑のまなざしで俺を見る咲恵ちゃん、その表情がすべてを物語っていた。

「マザコンはしようがないと思ってたけど、これはひどすぎるよね」
「うん、俺が悪いんやな」
「気持ち悪いって思ってしまったら駄目なの」
「別れるってこと?」

 うなずいて、咲恵ちゃんは背を向けた。
 母に責任転嫁してどうする。母とつきあってくれた育子ちゃんだって、ちっとも悪くない。俺は知らなかったとはいえ、すっぱり断ち切れなかったのが悪い。なにもかも俺が悪い。

「そうか……母ちゃんのメール、まずいことってそれやったんや。なんか……もてる男の悩みみたいやなぁ」

 大阪人らしくジョークで笑い飛ばして、雨の中に出ていく。こんな歌も歌ってみた。
 
「東京は近くの街で
 御堂筋から青山通りはたしかに続いているよ
 ああ 大阪レイニーディ
 あほらしいといつものように
 笑ってほしい」

 梅雨時だもの、大阪も雨かな。久しぶりに故郷に帰って、大阪の雨に濡れたくなってきた。

END









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172「天下無敵ラヴ」

ショートストーリィ(しりとり小説)

しりとり小説

172「天下無敵ラヴ」

 才色兼備の女子アナ。興梠光信は、大学時代の一年先輩である瀬田真織の悩みを熱心に聴いていた。

 同窓会というのでもないが、時々集まって飲み会を開く。ウィンタースポーツサークルだから、冬以外は学生時代にも飲み会ばかりやっていた。卒業してもOBやOGの結束は強くて、派手な職業に就いた先輩たちもけっこう参加している。その中でもいちばん華やかなのはやはり真織だった。

「まーた告白されちゃったんだ。私は二股してるんだよ、って冗談っぽく正直に言ったのに、三股でもいいから俺も混ぜてくれ、だって。困っちゃうんだよね」
「マオちゃん、ほんと、もてるよね」
「当たり前じゃん」
「もてないほうがおかしいっての」

 口を入れる他のメンバーたちのようには、光信にはできない。

 大学に入学した光信が、こんなサークルは僕には向かないかな、お金がかかるかな、と迷いながらも入部したウィンタースポーツサークル。スキーやスノボが中心ではあったが、近場のスケート場に行ったりするのだったらさほどにお金はかからなかった。

 向かなくてもいいから入りたいと光信が思ったのは、二年生ながらにサークルではすでに中心人物だった真織のそばにいたかったからだ。美人でプロポーションもよく、法学部の優等生。父親は外交官で真織は帰国子女、英語は当然、ドイツ語とロシア語が堪能で、スキーはプロ級の真織。

 今どきはスノボのほうが流行る? スノボなんて遊びじゃん、と笑っている真織を、光信はいつも熱く見つめていた。

 美人であるというだけで、女性は同性の嫉妬を浴びるものだと聞く。しかし、真織は周囲の女子学生たちとレベルがちがいすぎたのか。お嬢さまやお坊ちゃまもうじゃうじゃいる大学でも、真織は嫉妬よりは羨望のまなざしを向けられていた。男子たちは恋人になりたいというよりもファンを自任し、女子もファンクラブに入りたがった。

 難関試験を突破してテレビ局に就職して三年、二十五歳になった真織は美貌と才覚とで人気者になりつつある。サッカー選手とプロ野球選手との二股交際をしているところに、近頃脚光を浴びているラグビー選手からも告白されたのだと悩んでいるらしい。

「はぁ、飲み過ぎた。明日も仕事なんだよ。帰るわ」
「真織ちゃん、送っていこうか」
「男は駄目。私たちが送っていこうか」
「真織先輩、私に送らせて」
「男は駄目って差別じゃないかよ。じゃぁ、僕ら三人で送っていくよ」

 誰が送っていくかで言い争っている同窓生たちを無視して、真織はなぜか光信を指さした。

「キミ、誰だっけ?」
「興梠です」
「コオロギ? ロギくんか。ロギくん、送っていって」

 席を移動する者もいたので、押されて真織の真正面にすわっていた。そのせいだとしか思えないのだが、光信は心から偶然に感謝した。
 その夜はタクシーで真織を送っていっただけだったが、お礼のしるしなのか、電話番号とケータイのメールアドレスは教えてくれた。コオロギという珍しい姓なのも手伝って、真織は光信をしっかり記憶してくれていた。

「ロギくん、今夜は暇なんだ。あそぼ」

 バブル時代のアッシーとかメッシーとかいうやつか? 真織からメールをもらったときには一瞬、そう思ったが、光信は車は持っていない。タクシーを使ってもアッシーだったらやる。メッシーは食事をおごればいいのだろう。真織とデートのようなことができるのならば、なんだってやるつもりだった。

「ロギくんってなんの仕事? 聞いたっけ?」
「いえ、言ってません。僕は製薬関係の業界紙記者です」
「新聞記者なの?」
「業界紙ですから、そんなに忙しくはないんですけどね」
「薬か。そしたらさ、TW製薬の新薬開発情報って入ってくる?」
「入ってくるかもしれませんが、僕は下っ端ですし、もしも知れたとしても情報は漏らせませんから……」
「そんなのあったりまえじゃん。キミにスパイしろなんて言ってねえんだよ」
「あ、すみませんっ!!」

 時として真織の口から出る男言葉も、光信には最高に魅力的だった。
 すべてが魅力的ではあるのだが、ふとしたおりに見せる意外な仕草や言動。祖母が華族階級出身なのだそうで、古風というのか大時代的というのか、そんな所作もたまらなく美しく見えた。

「ああ、このひと、知ってるよ。ガキのころにうちに遊びにきて、お年玉をもらったことがある」

 一ヶ月に一度くらい、真織のほうから誘いがかかる。光信が思い切ってデートに誘うと、忙しいからごめんね、とハートつきの断りメールが届く。光信には誘いを待つしかなかった。

 そうしてデートしていると、高名な画家が祖母の友達だと言ったりする。映画に連れていかれて代金は? と尋ねると、この監督、親父の飲みトモなんだよ。チケットなんかいくらでももらえるから、と言う。隠れ家的バーに連れていかれても、マダムとため口をきいていたりする。あのマダム、遠い親戚なんだ、などと言う。

 なのだから、アッシーでもメッシーでもない。たいていの店は顔パスで、お金? いいのいいの、である。展覧会や映画もチケットを持っていて、光信には払わせないのだった。

「マオちゃん、僕はまったく払ってないから気が引けるんだよね。レンタカーでドライブでもしない? そのときには今までのお礼の意味で、全部僕が払うから」

 敬語はやめろ、マオちゃんと呼べ、と命令されて、光信も従うようになった。一ヶ月に一度ほどは会う関係が続いて約一年が経過していた。

「んなしょぼいの、いらねぇって。ロギくんは気にしなくていいのよ」
「でも……。マオちゃん、彼氏は……」
「去年だったよね。プロスポーツ選手三人につきあってほしいって告白されて、めんどくさいから全部つきあったの。そしたら三人ともがプロポーズしてきたから、めんどくさくなって三人とも断った。マオちゃん、彼氏と別れたんだって? とか言って近づいてきたのが、お笑いの……それから、俳優の……あと、キャスターの……」
「マオちゃん、いつも複数同時進行だよね」
「今まではそうだったけど、なんだかなぁ、ほんと、面倒になってきたよ。私がフリーになると男がほっとかないんだもん」

 面倒だとは光信は決して思わないが、惨めな気分になってきた。
 彼女は光信のことを可愛い後輩だとしか思っていないのだろう。女の子はめんどくさいから、と理由も聞いた。だから男の光信を誘い、金銭的負担を与えないで遊んでくれる。大人同士の遊びではなく学生のままのノリだ。

「僕ももう二十五の大人のつもりなんだけどな……マオちゃんは僕を男として見てはいないの?」
「男? だよね? そか、ロギくんも私と寝たいんだ。だったら行こうか。ホテルカメリアだったら親父の友達が……それとも、私のマンションでもいいよ」
「ホテル代は僕に出させて」
「そぉ?」

 不思議そうな顔をした真織との初体験。その勢いで翌朝にはプロポーズした。

「はぁ? ロギくんが私と結婚したいって?」
「身の程知らずかな、もちろん、断ってもらってもいいんだけど……」
「面白いね。いいかもね」

 スムーズにことが運んだのは意外だったのだが、真織はうなずいてくれた。真織の両親や親せきも、堅実な男性だからいいんじゃないの? 大学時代からの友達と結婚するのはいいことだね、と言ってくれた。むしろ光信の両親のほうが腰が引けていたのだが、真織さんがいいと言うんだったら……と結局は受け入れてくれた。

 なのだから、覚悟は決めていた。

「興梠さん、出てましたね」
「なにが?」
「とぼけちゃって」

 その昔、民放の女子アナには二十五歳定年説があった。そのせいか女子アナは旬の時期に、いい獲物をつかまえて結婚退職してしまう。政治家二世、実業家、俳優、スポーツ選手、料理家、小説家、弁護士や医者。そういった社会的地位も収入も上等な男と結婚して主婦になった女もよくいた。

 二十五歳定年説は影を潜めてはいるものの、女子アナは若さが生命線だ。真織は結婚と同時に局を辞してフリーになり、妊娠出産の時期にはほとんど仕事もしていなかった。

 ふたりの娘ができ、長女が小学生、次女が幼稚園児になった昨年から、真織はぼちぼち仕事を復活させている。今年は世界的な映画祭の仕事を引き受けて、目下はその準備で忙しいようだ。子どもたちはほぼ真織の親の家で暮らしていて、幼稚園や小学校から直接車で送迎してもらっている。

 父親の光信は仕事を終えると真織の実家に行って子どもたちと触れ合い、休みの日には遊園地に連れていったりする。もうじきに真織は海外に発つので、しばらくはともに単身赴任予定だった。

「とぼけちゃってるということは、あれは嘘なのかな。そうですよね。いくらなんでもあんな年寄りと」
「ああ、あれね」
 
 つい先日、週刊誌にスキャンダルが載った。興梠真織、大物俳優のJと深夜の密会?! 

「そうですよね」
「そうだね」

 女性の部下に質問されたことについては、ただとぼけておいた。が、こんなことは今までにだって何度も何度もあったのだ。

「久しぶりに仕事をしたら疲れちゃったよ。パパ、マッサージして」
「ああ、いいよ」

 長女が一歳になり、次女を妊娠するまでのわずかな時期に、真織は頼まれて新装開店したレストランのリポートという仕事をした。長女はベビーシッターに預け、光信が帰宅してからはベビーシッターを帰らせてふたりで留守番していたのだった。帰ってきた真織はシャワーを浴び、光信にマッサージさせながら言った。

「久しぶりに他の男とキスしたわぁ」
「……あ、そ、そう」
「キスだけだよ。心配しないで」

 プロデューサーに口説かれた、人妻になると色っぽさが増したね、いっぺんだけどう? と言われたけど断った。あんなハゲオヤジ、嫌いだもんね。でも、レストランのオーナーは渋い二枚目で、こっちからキスしちゃったんだ。彼も嬉しそうに抱きしめてくれて、ディープキスまでしちゃった。

 楽し気に話す真織に相槌を打ちつつ、このひとは常人とは倫理観がちがうんだから、僕が譲歩するしかないと光信はおのれに言い聞かせていた。

 次女の妊娠中にも一度だけ仕事をし、スポンサーとホテルに行ったらしき痕跡を光信が見つけた。

「妊娠してるのにそれは……」
「妊娠していたら他の男の子はできないからちょうどいいって。嘘だよ。なんにもしてないよ」

 そちらのほうが嘘だとは思ったのだが、遊びだったら許すしかなかった。

 その調子で、仕事を復活してからの真織はちょくちょく遊んでいる。三十代になって若さに翳りは出てきているものの、男たちは真織に人妻の色気を感じるようで、いっそう彼女はもてる。光信としても魅力的な妻は嬉しいのだから、他の男に本気になって離婚すると言い出さなかったらよしとしよう。

「あれ、ほんとみたいじゃないですか」
「いいからさ、あなたに関係ないでしょ」
「興梠さんは腹が立たないんですか」

 明日には真織が帰国するという日、再び俳優と真織のスキャンダルが出た。ワイドショーも取り上げていたので、真織の母親も見たかもしれない。真織はいつもうまくやっているので、世間に名前が出るのははじめてだ。今度ばかりは母親が諌めてくれると決め込んで、光信としてはまかせるつもりだった。

「奥さんが浮気するなんて最低」
「だから、あなたには関係ないでしょうに」

 部下の女性が怒っている。彼女は独身で彼氏もいないと言っていた。たしかに、もてそうにはないタイプだ。すると、マオちゃんがうらやましいのかな? そこまで言うと部下がいっそう怒りそうなので、光信はその場を離れた。

 それよりも、今夜には真織に会える。娘たちもママが帰ってくるのを楽しみにしているだろうから、迎えにいって連れて帰ってこなくちゃ。マオちゃん、ちょっとくらいの遊びはいいけど、娘たちの前でだけはいい母の顔をしていてね、とは、真織の母親が言ってくれるだろうからおまかせしよう。

次は「ヴ」です。








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FS雨の物語「時雨茶屋」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

雨の物語

「時雨茶屋」

「通りすがりのしもた屋に「小唄教えます」との小さな看板がかかっていた。高杉晋作といえば有名な小唄があったのではなかったか? シンガーとしては「歌」のすべてに関心があるので、真次郎はその家の玄関チャイムを押した。

「あら……えーっと……」
「あ、あの、本橋真次郎です」
「そうですよね。フォレストシンガーズの?」
「そうです」

 部屋に通してくれた三十代くらいの和服の女性は、フォレストシンガーズを知っていた。

「最近は歌手もドラマに出ないといけないみたいな風潮なんですよね。高杉晋作をやってほしいってオファーがありまして」
「高杉晋作? 本橋さんだったら坂本龍馬のほうが似合いそう」
「龍馬はもっと似合う奴がいますけどね」

 フォレストシンガーズは知っていても、坂本龍馬と同郷で龍馬に似ていると言われ、本人はやめろと言うものの、まんざらでもなさそうな奴のことは、彼女は知らないだろう。だから真次郎は別のことを言った。

「高杉にも有名な小唄がありますよね?」
「三千世界の烏を殺し、ぬしと朝寝がしてみたい」
「そうそう、それ」
「これは小唄じゃなくて都都逸ですけど、高杉が詠んだのかしら。馬関の芸者あたりが口ずさんだのかもしれませんね」
「ああ、そうなんですか」

 小唄と都都逸のちがいなど、真次郎にはわからない。ただ、宇多と名乗った小唄の先生に、時間のあるときに手ほどきしてもらう約束をした。

「三味線ですよね」
「小唄三味線です。本橋さん、心得は?」
「ゼロです。俺はピアノとギターだけです」
「音楽家なんですもの。すこし練習すれば弾けますよ」
「そうかなぁ」

 時間があれば、というのは真次郎のだ。宇多は多忙な身でもないようで、いつも和服姿でゆったり微笑んでいる。逆行した時代の中にいる昭和の女……大正の女? 宇多にはそんな風情がある。

 手取り足取り、みたいに、宇多は真次郎に三味線も小唄も教えてくれた。真次郎も熱心に通う。高杉晋作に端を発した習い事だったが、スケジュールを合わせにくかったのもあり、宇多が似合わないと笑ったのもありで、オファーは断った。仕事とは無関係になっても小唄をやめる気はなかった。

「この家も古くなってきたから、修繕しなくちゃいけないんですけど、お金がね」
「古いのがいい感じの家ですけどね、築何年なんですか?」
「五十年くらいになるかしら。昭和の時代には料理屋だったんですよ。私は芸者だったから、奥のお座敷で仕事をさせてもらっていたの」
「昭和の時代に芸者って、宇多さん、そんな年じゃないでしょ」
「私、六十八よ」
「嘘ばっかり」

 稽古がすめばお茶を飲んで、世間話もするようになった。

「宇多さん、ほんとは何歳ですか」
「本橋さんよりは年上」
「俺、三十六ですよ。俺より年上には見えないな」
「だから言ってるでしょ。六十八だって」
「嘘がすぎますよ」

 だんだん腹が立ってきた。落ち着いて考えれば腹を立てる筋ではない。女性にはっきり年齢を言えと迫る俺が野暮なのだ。宇多が何歳であっても真次郎には無関係なのに。

「年を多くサバを読む女性はいないはずだけど、四十くらいにはなってるんですか」
「六十八よ。昭和生まれだもの」
「俺だって昭和生まれですよ。宇多さん、正直に言って下さい」
「いやです」

 何度もそんな会話を繰り返し、何度もはぐらかされ、言えよ、いやだ、と言葉遣いも崩れていく。ふと気がつくと、宇多は真次郎の腕の中にいた。

「俺には妻がいるんだけど……」
「知ってるわ。一度だけね」

 一度だけ、ふたりは思いを遂げた。
 その夜、真次郎が宇多におさらいをしてもらっていたのはこんな小唄。

「ひとりの人に 二夜とは
 契らぬものと思えども
 残る未練の朝時雨
 濡らす葦辺の芝木戸や
 その名も粋な 時雨茶屋」」

 おい、おいおいおいっ、香川厚樹!! 怒鳴りそうになって、俺は彼に手渡された用紙の束を閉じた。

「なんだ、これは」
「いやぁ、いっぺん、古風な小唄の師匠の不倫恋愛小説なんか書いてみたくてね」
「なんで相手役が本橋真次郎なんだ。俺がおまえのオファーを断った腹いせか」
「あれぇ? 駄目でした? 本橋さん、喜んでくれるかと思ったんだけどな」
「……誰がっ!!」
「そうですか。原稿はパソコンに残ってますから、本橋真次郎って名前を変換したら、本橋さんではなくなりますよ。誰にしようかな。本庄繁之とか……いや、失礼」

 言っておいて香川はくっくと笑っている。本庄繁之……似合わない。俺だって似合わないが、シゲはもっと似合わない。乾隆也だったら似合いそうだが、あいつは独身なので不倫にならない。宇多に夫がいれば不倫になるのか?

「馬鹿らしい。架空の男にしろ」
「そうですかぁ? 実在の男のほうが、書いてて楽しいんだけどな」
「小唄の師匠は実在の女なのか?」
「そうだとしたら、本橋さん、会いたいですか」
「え……」

 大学の後輩である香川厚樹は、映研のメンバーとして在学中に俺たちに接触してきた。こっちはすでにフォレストシンガーズとしてデビューしていたものの、最悪に売れない時期だった。

 そこで知り合った香川とはけっこう長いつきあいになる。現在の香川はアニメを主に扱っている映像会社で働いていて、個人的にもショートフィルムを撮ったりもしている。フォレストシンガーズも被写体になったし、麻田洋介と戸蔵イッセイを使ったリメイク映画の撮影もしている。

「本橋さん、高杉晋作、やりません?」
「映画か?」

 このオファーだけは事実だ。スケジュールが合わない、俺には役者をやりたいって気はない、高杉だったら章のほうが似合うぜ、俺もそんなのやりたくない、というようないきさつもあって断った。

 素直に引きさがったくせに、それをネタにこんな小説を書くとは、香川はとんでもない奴だ。俺をおもちゃにして遊ぶな。
 しかし、このシチュエィションには引き込まれた。過度に怒ってしまったのは、こういうのもいいかもな、とよろめきそうになったからだ。いや、精神的にだけだが。

「で、宇多って本当は何歳なんだ?」
「へ?」

 いや、いいよっ、と俺は自分で自分を遮った。

「本橋真次郎バージョンは破棄しろよ」
「わかりました。先輩に迷惑はかけないように書きます」
「ああ、そうしろ」

 書くのは自由なのだから、そこまでは止められない。
 香川をカフェに残して外に出ると、こういうのが時雨なんだな、って感じの雨が降っていた。あの角を曲がれば、宇多という名の色っぽい女が小唄教室を開いている家がある。

 そんな錯覚に包まれそうな、梅雨どきの細かい雨。

END









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FS俳句・短歌・超ショートストーリィ2017/6

forestsingers

FS俳句・短歌・超ショートストーリィ2017/6


「人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂ひける」紀貫之

 古典だったか現国だったかの教師の声が聞こえる気がする。これって中学校で習うのだったか? 小学校かな? ま、どっちでもいいや。

「こういう場合の「花」は桜ですね。最初は日本では「花」といえば梅だったのですが、いつのころからか桜になったのです。ですから、短歌や俳句では「花」は桜です。覚えておいて下さいね」

 覚えてはいるが、では、いつから「花」が桜になったのか。なぜ「梅」が「桜」に変わったのかは教わっていなかったのか。大学生になった國友の記憶にはその部分はなかった。

「奈良時代までは梅だったらしいよ」
「平安時代から桜になったんですか。なにかきっかけがあったんですか」
「日本文芸不毛の時代ってのがあって、その後で、中国から渡ってきた「梅」ではなく、日本古来の花である「桜」が日本を代表する「花」になったんだね」

 菅原道真公が……と國友に講義してくれたのは、日本文芸に造詣の深い先輩だった。

 だからね、乾さん、和歌なんてものには門外漢の僕だけど、日本では「花」といえば「桜」なのは知ってるんです。でもでも、紀貫之さんのこの「花」を「ベニバナ」だとしてもいいでしょう?

 花そのものがふるさとの香りを連れてくる。
 大学に入学するために上京してきた、國友の故郷は山形県。山形県の県花は紅花だ。

「ベニバナって別名を末摘花っていうんだよな」
「そうなんですか? 末摘花って源氏物語に出てくる、かわいそうな容貌の女性でしょ?」
「そうだよ」

 なんでベニバナが末摘花? 紅花に失礼なような……と感じたのも思い出す。

「末摘花の鼻の先が赤いからだとか、紅花は茎の末のほうから摘み取るからとか」
「末?」
「先のほうだな」
「へぇぇ。なるほど」

 思いがけなく出会った一面の紅花を見て、自然にふるさとを思い出す。自然に有名なこの歌も思い出す。国語教師の教えを思い出していたはずが、いつしかその声が乾隆也に変わっていた。

kunitomo/20/END

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紅花ではなく、芝桜ですが。










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ガラスの靴70

別小説

「ガラスの靴」

     70・求愛


 スマホに電話をしてきたのは、専門学校時代の同級生だった蘭々ちゃんだ。同じく同級生だった多恵ちゃんが、蘭々が笙くんに電話したいって言ってるんだけど、と打診してきたので、かまわないよと答えた。

 アート系専門学校に通いはじめて間もなく、僕はアンヌと恋人同士になった。僕はアニメCG学科の一年生、アンヌは大学を中退しての再入学だったから、学年はひとつ上の七歳年上。アンヌの評判がよくなかったのもあり、それでも僕はアンヌに夢中だったのもありで、僕は同い年の連中には変人扱いされていて友達は少なかった。

 なのだから、蘭々と聞いても、そういう変わった名前の女の子、いたな、程度にしか記憶になかった。専門学校の卒業アルバムを見てみたら、童顔の可愛い子だったので、電話をしてきた蘭々ちゃんが会いたいと言ったのにもうなずいた。

「多恵ちゃんからいろいろ聞いたんだけど、笙くん、子どももいるんだってね」
「いるよ。胡弓、三歳。僕に似て美少年なんだ」
「子ども、今日はどうしたの?」
「お母さんに預けてきた。お母さんは孫命のばあちゃんだから、胡弓を預かるのは老後のいちばんの楽しみなんだよ」
「そう……連れてこなかったのは嬉しかったな」

 同級生なのだから二十三歳かと思っていたが、彼女は中卒で専門学校に入学したのだから、二十歳なのだそうだ。童顔というよりも僕より三つも年下なのだから、学生のときには十代半ばの子どもだったのである。

「蘭々ちゃんはモデルだって?」
「そうなの。このごろってぽっちゃりブームだから、ぽっちゃりさん向けの雑誌もあるのね。その雑誌専門のモデル。読者モデル募集ってのに応募してみたら合格しちゃったんだ」

 電話でも聞いていたが、小柄なのにモデル? と疑問だった。会ったら詳しく聞こうと思っていたら、そういうことだったのか。
 記憶にはほとんどないが、アルバムの蘭々ちゃんはちょっとだけぽちゃっとした小柄で可愛い女の子だった。あれは三年ほど前。ぽっちゃりモデルの仕事のためなのか、彼女はずいぶん太った。これはぽっちゃり? ぼってりじゃないのか?

 別に僕は太った女の子に偏見はない。アンヌは細身で長身だが、アンヌの妹分みたいなカンナちゃんだって嫌いではない。カンナちゃんはがっしりどっしりの体型だから、蘭々ちゃんみたいなぽっちゃりタイプのほうが、好む男もいるのではないだろうか。

「そうなのよ。もてもてで、蘭々、困っちゃうの」
「そうなんだ」
「専門学校を卒業してからは、近所の小さいスーパーマーケットで働いてたのね。スーパーだからお客さんはおばさんが多いじゃない?」
「そうだよね。主婦が客層の中心だろうな」

 可愛いからって、蘭々ちゃんはおばさんたちにクレームばかりつけられたのだそうだ。レジのまちがい、包装が遅い、あれはどこに置いてるの? と訊かれても答えられない。あてずっぽうで答えたりもしたからまちがえてばっかり。

「そんなのたいしたことでもないのに、みんな、カンカンに怒るのよ。なんでそんなに文句ばっかりつけるのかと思ってたら、旦那が蘭々に恋してたみたい。冗談じゃないわよ。なんで蘭々ちゃんがあんなおっさん……大丈夫よ、あんな禿げたおっさんに興味ないから、そんなに妬かなくていいからって言ってやったの」
「クレームつけられてそう言ったの?」
「そうよ。だって、そんなことばかり言われてたんだもの」
「その全部が、旦那が蘭々ちゃんを好きになったからってやきもち?」
「そうみたい。あり得ないわよね」
 
 本当にあり得ないのは、実際に蘭々ちゃんがミスばかりしていたからではないのか。この子も大いなる勘違い女?

「そんなのばっかりで、店長にも怒られたの。店長もおばさんなんだけど、その旦那ってのは蘭々に恋してたみたい。旦那は事務所のほうで働いてたから、会うこともあったのよ」
「そうなんだ」
「うん、だからね」

 あんなみっともないおっさんが蘭々に恋したって、こっちは相手にしてないから無駄よ、だから心配しないで、と蘭々ちゃんは店長に言ってのけ、退職勧告を受けたらしい。可愛い子って世の中のおばさんからは迫害されるのよ、と世を嘆いていた蘭々ちゃんは。

「蘭々、悪くないもん。勝手に恋するおっさんやら、やきもちを妬いて怒るおばさんたちが悪いのよ。だからやめないつもりだったんだけど、そんなときに応募したモデルの仕事に合格したから、やめてあげたわ。店長も今ごろ、後悔してるかもね」

 どうして後悔してるの? と質問するのはやめておこう。蘭々ちゃんの思考回路は常人ではないようだ。 
 たしかに顔は可愛いほうだから、遠くから見てちょこっと好きになる男はいるかもしれない。しかし、そんなにどいつもこいつも恋しないだろう。彼女は蘭々であって、西本ほのかではないのだから。

 読者モデルに合格したことで、蘭々ちゃんの勘違いを助長した節もある。だけど、ま、次の仕事があってよかったね。

「そうなのよ。モデルの仕事は蘭々ちゃんに合ってるし、お給料もちょっとは上がったからいいんだけど、やっぱりスーパーとは関係あるし、カメラマンだの編集者だのなんだのが、次から次へと蘭々ちゃんを好きになってメンドクサイの」
「スーパーと雑誌モデルが関係あるの?」
「あるわよ。その雑誌って全国スーパーマーケット連合ってところが出してるんだもの」

 それってファッション雑誌か? もしかして、広告? 広報? 蘭々ちゃんは髪をかき上げ、ふっと笑った。

「やっぱり蘭々も決まった彼氏を持つべきだと思うのね。蘭々はこんなに可愛いんだから、彼氏も綺麗な顔でなくちゃ駄目なの」
「モデル仲間にいないの?」
「男のひとはいないのよ」

 それでね、と身を乗り出して、蘭々ちゃんは僕の手を握った。

「多恵ちゃんから笙くんの話を聞いて、笙くんを救ってあげることに決めたの」
「救う?」
「だって、笙くんはあのアンヌさんの奴隷みたいにされて、こき使われて蹂躙されて虐待されてるんでしょ」
「って、多恵ちゃんが言ったの?」
「多恵ちゃんは、笙くんはそれなりに幸せらしいよって言ったけど、嘘だもんっ!!」

 怖い顔をして、蘭々ちゃんは力説した。

「そんなはずないじゃない。男性は仕事をしたいものよ。主夫なんかに満足できる男のひとはいないの。笙くんが幸せだと思ってるなんて、洗脳されてるのよ。アンヌさんってそんなふうなひとだったわ。魔女みたいな?」
「おー、ウィッチーウーマン、かっこいい」

 妻を悪く言うな、と怒るのは僕のキャラではないので、おどけてみせた。

「若くて綺麗な笙くんを主夫なんかにして、仕事もさせずに家に閉じ込めて、自分は遊び歩いてるんでしょ。家事も育児も笙くんに押しつけて、自分はなんにもしないのよね。そんなの、女じゃないわ。しかも年上で、淫乱ビッチだったそうじゃないの」
「いやぁ、僕はそんなアンヌが……」
「だから、それは洗脳されてるの。笙くん、目を覚ましなさい。蘭々ちゃんが笙くんをまっとうな男のひとに立ち直らせてあげる。蘭々のこと、好きよね?」
「嫌いじゃないけどね」

 大嫌いではないのでそう答えると、蘭々ちゃんは満足げにうなずいた。

「当然だわ。蘭々を嫌う男のひとなんかいないんだもの。笙くん、アンヌさんから逃げてきなさい。笙くんには自主性や積極性はないって知ってるの。男らしくもないけど綺麗な顔をしていて、生活力もなくて長所もあんまりないとは知ってるけど、愛の力は強いのよ。蘭々が笙くんを更生してあげる。真人間にしてあげるから、黙って蘭々についてきなさい」

 こういう口説き文句には弱いので、僕が独身だったとしたら、はい、ついていきます、と返事をしたかもしれない。
 しかししかしかし、しかーし、僕には妻も息子もいる。こんな勘違い女の独断に巻き込まれてなるものか。アンヌ、僕はがんばるからね。

「僕には子どもがいるからね」
「子どもって母親が育てるものよ。蘭々はみんな知ってて、笙くんを受け止めてあげるんだからへっちゃらだわ。バツイチ子持ちの笙くんでいいの。結婚してあげる」
「アンヌに叱られるよ」
「蘭々がアンヌさんと闘ってあげるわ」
「無理だよ」
「無理じゃないってぱ。蘭々ちゃんにまかせておきなさい」

 なんでまた、多恵ちゃんも蘭々ちゃんに僕の電話番号を教えたのか。多恵ちゃんの彼氏が別の女と結婚してしまい、やっぱり寂しいから、幸せな僕に嫉妬したとか?
 ああ、でも、なんかちょっと面白いかも。蘭々ちゃんをきっぱり切ってしまうよりも、アンヌに紹介してみるのもいい。彼女がどうやってあのアンヌと闘うのか、見てみたい気持ちになっていた。

つづく



 




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FS雨の物語「梅雨寒」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

雨の物語

「梅雨寒」

 どうして俺はこがなところにおるんろう?
 
 何度かはこんな席にも加わったのだが、いっかな慣れない。いつだってそんな気分がつきまとう。フォレストシンガーズの面々は女性たちに取り巻かれてサインをしているようで、俺は遠くから彼らを眺めている。長身の痩せた女たち、今日のイベントに出ていたモデルたちらしい。

「ヒデさん、知ってます?」
「ああ、モモちゃん。知ってるってなにを?」
「うちの社長、鋼さんを誘惑しようとしてるんですよ」
「ゆ、う、わ、く?」

 鋼とは俺の弟である。高知在住二十八歳、独身。モモちゃんのいううちの社長とは、オフィス・ヤマザキの山崎敦夫。六十代のはず。初老の男が三十近い男を誘惑……よく考えたら、もしかして、と思い当った。

「もしかしたらもしかして、鋼に歌手になれってか?」
「当たり。ヒデさんは鋭いんですね」

 ファッションと歌のイベントには、フォレストシンガーズもモモクリも出演していた。山崎社長には俺も歌手になれと誘惑されたことがあるのだが、そっちは断った。ただし、歌を書いてくれとの依頼なら受ける。今回も俺の書いた曲がイベントで使われたので、打ち上げの席にも呼んでもらったのだった。

「鋭いっていうか、俺も経験ありだからな。俺は鋼には聞いてないけど、あいつが歌手ってのは無理だろ」
「モモちゃん、鋼さんにそれとなく聞いてみてくれって、社長に頼まれたんですけどね」
「聞いたのか?」
「聞いてません。別の話になっちゃったから」
「それでいいだろ。鋼が歌手って……いや、あいつがやりたいんだったらいいんだけどな」

 大学生のときに本橋さんと乾さんに誘ってもらって、フォレストシンガーズに加えてもらった。なのだから、俺はそのころには歌手になりたかった。女の奸計にはまったのかもしれない結婚をして夢が破れた俺が、山崎さんからの鋼の誘惑を強く反対すると、嫉妬しているのかと思われそうだ。

 考えてみたらそれもいいかもしれない。最近は早熟なタレントも多いが、意外に遅咲きの歌手や俳優もいる。三十路間近でデビューとは年を取りすぎているような気もするが、鋼は顔も声もいいし、歌だって下手ではないのだから。鋼は作詞も作曲もできないはずだから、俺が作ってやってもいいしな、なんて気の早いことを考えてもいた。

 イベントは戸外だったから、打ち上げも野外パーティのような形だ。梅雨の近い六月の夜、夜気は湿って感じられた。
 数日後、鋼に電話をかけた。

「鋼、デビューすんのか?」
「はぁ?」

 結婚式には妹も弟も出席してくれたが、そのあとは完全に家族とは音信不通にしていた。離婚してからは俺のほうから連絡を絶ち、俺はほうぼうを放浪していたから、住所不定のようなものだった。

 最近になってようやく、弟や妹とは電話でなら話すようになった。妹は福岡で夫とふたり暮らし、弟は実家暮らし。両親には婚約者を家に連れていって会ったが、あのときには鋼はいなかったから、何年顔を合わせていないのだろうか。俺の結婚生活はざっと三年、あれからざっと八年……十年以上、鋼とは会っていない。

 妹の美咲が写真を送ってくれたので、大人になった鋼がどんな男なのかは知っている。俺とは会っていないのに、鋼は幸生や章とは会っていて、ヒデさんに似ていい男だね、と幸生が言っていた。モモちゃんも、鋼さんはかっこいいと言っていた。

 なので、電話をかけるのはそれほど気が重くもない。鋼はどこにいるのか知らないが、携帯に出た。親父と俺と弟と、三人の声が似ていると美咲が言っていた通りだ。妹とならば無駄話もするが、弟とは、元気か? もなく、単刀直入に質問した。デビューするのか?

「せんよ」
「せんのか?」
「ガラやないきに」
「たしかに、ガラやないな」
「そうじゃろ? そんなもん、俺は興味ないちや」

 モロ土佐弁で話す相手は家族だけ。今の俺は土佐弁と神戸弁と標準語がまぜこぜになった変な言葉遣いだが、弟とだったらこんなふうになる。

「それよりなぁ……」
「なんちや? 恋の悩みか」
「……おまえに言うてもしようがないきに」
「おまえとはなんちや」
「おまえはおまえじゃ」

 ガキのころみたいに下らない口争いをして、鋼は電話を切ってしまった。

 なんとなく、ほっとしている。
 弟が歌手になって、俺と似た声で歌ってヒットして、スターになる。そんな想像をすると気分が良くない。小笠原鋼……どんな芸名をつけるのかは知らないが、あいつの兄貴はもとフォレストシンガーズの小笠原英彦だってよ、なんて噂されたくない。

 兄貴は未練たらしく音楽にしがみついて、フォレストシンガーズのお情けで稼いでいる……言われたくないのは事実だからか? 俺がフォレストシンガーズとはなんの関わりもなかったとしたら、臨時収入もありゃしないのだし、三津葉と知り合って婚約するなんて幸運もやってこなかっただろうし。

「……ちゃっちゃいな」

 おのれの小ささを嫌悪するこんな夜。
 梅雨入りして間もない六月の、今夜は雨。俺はちっちゃいな、と思うと、夜気がつめたい。梅雨寒ってこんなふうなのを言うんだろうか。

END








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FS超ショートストーリィ・四季のうた・真次郎「春の灯」

番外編

フォレストシンガーズ

四季のうた

「春の灯」


 おいら岬の灯台もりは……なんて歌もあったっけ。
 妻とふたりで、えーっと……なんだっけ?

「灯台を見ているから浮かぶわけだが、この歌ってなんだった?」

 沖行く船の
 無事を祈って 灯をかざす
          灯をかざす

 ひとりごとみたいに歌ってみると、乾隆也が反応した。

「喜びも悲しみも幾年月。うちの母が生まれたころくらいかな。ヒットした映画の主題歌だよ」
「灯台もりの歌だよな?」
「そうそう。今どきってハイテクが管理してるんだろうから、灯台もりなんかいないんだろうな」

 二十代も半ばだというのに、幸生と章は犬っころみたいに海岸ではしゃいでいる。おいおい、危ないぞ、とか言いながらも繁之も参加していて、真次郎と隆也は灯台を見上げていた。

「ハイテクって言い方も古いだろ」
「ハイテクノロジーだろ。なんて言いかえるんだ?」
「さあ」

 仕事でやってきた春の終わりの海辺。自由時間に五人で散歩していても、真次郎の頭の中には、こんなに売れなくてこの先どうなるんだろ、と暗い想いが浮かぶ。

「でも、灯台がさ……」
「照らしてくれるんだよな、俺たちの前途を」

 その言い方も古いだろ、と隆也を蹴飛ばしてから、ふたりで歌った。

 星を数えて 波の音きいて
 共に過ごした 幾歳月の
 よろこび 悲しみ 目に浮かぶ
            目に浮かぶ

 幾年月もの時間が流れたあとでこの場所に来たら、俺たちもこんなふうに思うのだろうか。そのときには成功しているのだろうか……そうだといいなぁ、と隆也と真次郎はふたりして、もう一度灯台を見上げた。

SHIN/26/END














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FS雨の物語「相合傘」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

雨の物語

「相合傘」

 渋い色合いのチェックの傘はかなり大きい。これならばふたりでも濡れない。小さな肩を抱いてあなたを俺の胸に包むようにして、町を歩こう。

「いつも通り雨にゃ いつも通り雨にゃ
 あの町この町
 どの路地もひっそり閑」

 真冬の冷たい雨……みぞれ混じりの雨、春は近い。
 けぶる春雨。雨に散る桜。
 長く続く梅雨どき雨。
 ざぁっと激しく降る夏の雨と落雷。乾いた喉を潤す恵みの雨。
 枯葉を濡らす秋の雨。稲を成長させる雨。
 そしてまたNovember Rain……師走の雨、一年が終わる。

「あなたはどの季節の雨が好き?」
「隆也さんは?」
「俺は……あなたとこうして相合傘ができるんだったら、春でも夏でも秋でも冬でも雨は大好きだよ」
「……うふっ」

 はにかんで笑って俺を見上げるあなたを抱き寄せて、傘に隠れてキスをする。高校生に戻ったみたいな気分だ。

 誰かの背中で雨のリズムを聞いているうちに、眠ってしまった記憶がある。あれは母だったのか父だったのか、祖母だったのか。それとも、我が家に住み込んで行儀見習いをしていたお姉さんだったのか。雨、というと思い出される、おんぶ。子どものころの記憶の背景は必ず金沢だ。
 
 幼い身体には大きすぎる傘をさして、やっぱり大きめの長靴を履いて、一生懸命祖母のあとを追いかけた。幼稚園に入園してからはじめての雨の日。春の雨はつめたくはなくて、水たまりにわざと入っていって怒られたっけ。

 和服に和傘の綺麗な女性に、ぽけっと見とれていたのは小学生のころ。八つか九つくらいだったか。見知らぬあのひとは俺の初恋の女性。

 突然の雨に、傘を持ってきていなかった俺は校舎から走り出る。家路をたどる途中で出会った同級生の女の子が、黙って傘をさしかけてくれた。俺はかぶりを振り、ありがとう、と目だけで言って傘には入らず再び駆け出す。中学生のころの無言劇のB.G.Mは雨の音。

 それからね、高校生になってはじめて、好きな女の子と相合傘をしたんだよ。今、ここにいる相合傘のお相手のあなたには、そんな話はできないね。

「そのひと、どうしたの?」
「高校を卒業して俺は東京に出たから、自然消滅ってやつかな。でも、ごく最近、あのとき以来に再会したんだ」
「それで?」
「彼女の結婚式に出席させてもらったよ」
「未練はあるんでしょ?」
「あなたがいるんだから、未練なんてないよ」

 立ち止まってもう一度、あなたを抱き寄せてキス。

大学生になってからも、大人になってフォレストシンガーズの一員として、シンガーとして生きていくようになってからも、恋は何度も何度も訪れて去っていった。相合傘だってしたことはあるよ。雨の中を俺の部屋にやってきた彼女を抱き上げて、バスルームに運んでいったことだってあるよ。

 ふたりで歩く雨の中。あたたかな部屋にたどりついたら、バスルームからベッドまで愛する彼女を運んでいく。

 少年時代のコイバナだったら語れるけど、大人になってからのそういうのは生々しいね。俺はあなたとふたりきりになれる場所にいって、あなたとそうしたいんだけどな。

「相合傘道行
 すっかり晴れたら 離れなくちゃ
 もっと降れふれ
 相合傘道行」

 晴れたら傘をたたまなくてはならないから、そうしたら、幻のあなたも消えてしまうから、離れていってしまう。だから、雨降れ、もっと降れ。

END








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171「あなたのすべて」

ショートストーリィ(しりとり小説)

しりとり小説171

「あなたのすべて」

 正社員になれないのは学歴のせいなのだろう。悔しいけれど、高校二年生の年に母親が病気になってしまって父親に見捨てられ、常太郎が高校を中退して働くしかなくなってしまったのだから仕方ない。高校中退でも雇ってくれる会社があり、準社員という形で工場で働けるのはありがたかった。

「だから、結婚は諦めてるけどね」
「諦めなくてもいいんじゃない? 好きなひとはいないの?」
「いないし、女性を好きになったりはしないようにしてるんだ」
「そんなの寂しいでしょ」
「寂しいけどね」

 だから、趣味のひとつくらいは持ちたかった。ここならば年配者が多いから、という理由もあり、お金がかからないから、もあって選んだ市民ハイキングサークル。若者は少ないが皆無でもなく、三十歳になったばかりの常太郎よりひとつ年下の浅子と親しくなった。

「正社員じゃないっていうのは結婚のネックになるかもしれないけど、努力したらなれないの?」
「正社員登用試験はあるんだけど、高卒以上っていう資格が必要なんだよ」
「そっかぁ……うん、そうね」

 かなり太っているが、浅子は体力がある。山歩きに参加して常太郎が先にばてると、手を引っ張ってくれたり荷物を持ってくれたりもした。

「私はこんな体型だから、男のひとには敬遠されるみたい。それでも、彼氏はいたことがあるんだよ。私からプロポーズしたんだけど、彼のお母さんに反対されちゃった。強すぎるって」
「強い女性はかっこいいのにね」
「そうでしょう? だったら常太郎さん、私と結婚しない?」

 親しくなったといっても友達で、だからこそこうしてふたりで食事にくるようになったのだと常太郎は嬉しく感じていた。恋人がほしくてサークルに参加したのではない。年配者たちは独身の常太郎にお節介を焼きたがるが、彼の年収と準社員の身分を知ると、女性を紹介するとは言わなくなるのだった。

「冗談でしょ」
「冗談では言わないよ。私ね、思うの」

 ナウい女って結婚してて子どももいて、もちろん仕事もやって、夫の稼ぎがよくなかったら養うくらいの勢いでいなくちゃ。それがこれからのかっこいい女だよ、と浅子は大まじめに言った。

「僕は奥さんに養ってほしくはないけどね」
「それはまあいいんだけど、私は常太郎さんの年収なんか全然気にしないの。私だって働くんだから、ふたり合わせたら生活はしていけるでしょ。常太郎さん、家事はやれるよね」
「できなくはないよ」
「私だって家事もやるよ。だけど、仕事もするんだから専業主婦ほどはできない。家事の分担も決められたらいいな。そういうことはいやだって言う男性もよくいるんだけど、常太郎さんなら受け入れてくれられない?」
「いいよ。浅子さん、本気?」
「本気だよ」

 当時の浅子はさほどに大きくはない会社の事務員だったから、大言壮語しているといえたかもしれない。けれど、常太郎はやはり家庭がほしかった。子どもだってほしかった。

「結婚して下さい」
「あらぁ、常太郎さんがプロポーズしてくれた。はい、結婚しましょう」

 あのときの浅子の輝く笑顔は、一生忘れないだろう。
 
 結婚してからは夫婦ふたりで、がんばって上昇していった。常太郎は通信教育で高校卒業資格を得、会社の昇格試験を受けて三十三歳にして正社員になった。五十一歳の現在は工場の生産二課主任の地位についている。
 一方の浅子は四十歳で起業し、小さいながらも会社社長だ。常太郎に専務にならないかとの打診はあったのだが、妻の部下になるのは避けたいとのプライドゆえに断った。

 あまりに仕事にがんばりすぎたから、妊娠はしても出産には至らなかったのは夫婦ともどもに残念だが、浅子の両親も常太郎の母親も手厚い介護もしてもらえる有料老人ホームに入所させ、月に一度は夫婦そろって訪ねていける日々に幸せを感じていた。

 今日も浅子は遅くなるだろうから、ひとりで食事をして帰ろうか。仕事を定時で終えた常太郎は、行きつけの定食屋に足を向けた。勤務先からだと近いので、時たま若い社員に会う。今夜も生産四課の山崎と相席になった。

「主任は奥さん、いらっしゃるんですよね」
「いるよ。きみは独身?」
「独身を謳歌してます。結婚なんかしたくもないし……」

 高卒で給料が安いのは、二十代のころの常太郎もこの山崎も同様だろう。結婚したくない、が本音かどうかはわからないが、結婚はいいものだよ、と説教するつもりは常太郎にはなかった。

「奥さんは仕事ですか」
「仕事は仕事だけど、最近、新入社員が入ったんだよ。うちの奥さんは小さい会社を経営してるんだ」
「へぇぇ、すごいですね。いいの見つけたんだな」
 
 不躾な言い草ではあるが、常太郎も笑っておいた。

「それでね、胸の中に小さい雲があって、僕は小さい人間だなって自己嫌悪したりしてるんだよ」
「小さい雲?」

 焼き魚定食を食べながら、常太郎はうなずいた。
 
「峰さんっていう新入社員が入ったの」
「若い女性?」
「中年男性よ。彼、リストラされたんだって」
「それは気の毒に」

 一ヶ月ばかり前、浅子が常太郎に報告してくれた。

「昔の友達……っていうか、正直に言うね。あなたとつきあっていたころに話したことがあるでしょう? こんな私にもモトカレがひとりだけいるって」
「そうだっけ? ああ、浅子さんがプロポーズして、強すぎるからって断られたって彼?」
「強すぎるって反対したのは彼のお母さんだよ。そうそう、その彼。その彼なのよ」

 つまり、峰は浅子のモトカレで、人づてに聞いたのだそうだ。浅子さんの昔の彼、リストラされて奥さんにも離婚されて悲惨なことになってるよ、と。

「子どもさんはふたりいて、ふたりとも専門学校を出て就職しているらしいんだけど、峰さんもまだ五十代だから、引退してしまうには早いみたいなのね。もっと働きたいって言うから、うちに入社してもらったの」
「そっか……」

 事後承諾だったのは、常太郎は浅子の会社とは無関係なのだから当然かもしれなかった。

「へぇぇ、モトカレですか。なんか奥さん、やりたい放題ですね」
「そうかな」

 さらに無関係な山崎に話したくなったのは、小さい雲が常太郎の中でわだかまっていたからだった。

「奥さんって主任と同じような年なんですよね。ひとつ年下? 五十のばあさんか……にしたって、モトカレなんて気分よくないですよね。主任は許すんですか」
「許すもなにも、僕は妻を尊敬してるよ」
「なめられてるなぁ。怒ってもいいのに。そんなの離婚してもいいようなもんですよ」
「離婚なんかしないよ」
「主任、甘いですよ。俺は稼ぎもない女とは結婚したくない。専業主婦を養うなんてまっぴらだけど、そういういばった社長なんて女もいやだな。だから俺は結婚なんかしないんだ」

 まあ、きみは好きにしたら? 結婚しないというよりできないんだろうけどね、と常太郎は心でだけ反論した。

 この青年以下だった若き日の常太郎と友達になってくれ、恋人になり、結婚しようと彼女のほうから言い出してくれ、本当に結婚して妻になってくれた浅子。妻のおかげで常太郎の人生は、若いころに描いた未来図よりもはるかによいものになった。

 妻には感謝してもし切れない。リストラされたモトカレを雇ってあげ、最近は彼の元妻との交渉も手伝ってやっていて、それゆえに連夜帰宅が遅くなる妻を、尊敬していると山崎に話したのは嘘ではない。

 嘘では決してないけれど、心が完全に平穏だと言えばそれは嘘になる。まさか今さら、浅子がモトカレとどうこうなるとは思えないが、おおらかな心持ちにはなれないでいる。山崎に妻を悪しざまに言われて、どうしてこんな気持ちになるのか改めて考えてみた。

 愛しているから……浅子、僕はあなたを愛しているから……だから、こんな気持ちになるんだ。要するに嫉妬だね。そう結論づけると、ほんの一部だけは心の雲が晴れた。

次は「て」です。






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FS俳句・短歌・超ショートストーリィ2017/5

forestsingers

FS俳句・短歌・超ショートストーリィ2017/5


水はまだ冷たいかな? 夕方になってきているから、気温も下がってきている。ためらいはあったが、せせらぎに足を浸してみた。

 意外に冷たくはない。
 じゃあ、ちょっと泳ごうか。

「実松、泳ぐような季節じゃないんじゃないか?」
「ああ、乾さん、一緒に泳ぎません?」
「風邪をひく……ってこともないかな」

 呆れたような顔をして、乾隆也が笑っている。

 実松弾が大阪から上京して入学した大学の、サークルの先輩だ。一年年上の合唱部の実力者。
 美男子というわけでもないのだが、すっきりした容貌で背は高めで細身で、弾自身とはルックスが大違い。弾とは仲のいい同級生の小笠原英彦も隆也のタイプだが、性格はそれぞれにちがっていて面白い。

「あ、つばめや!!」
「……うん」

 サークルの有志でやってきた、初夏の川べりで、ふたりはそろって空を見上げた。弾はぽかんと口を開けてつばめに見とれ、隆也は短歌を口ずさんだ。

「つばくらめ空飛びわれは水泳ぐ一つ夕焼けの色に染まりて」馬場あき子

 こんなシーンでこんな短歌を即座に思い出すとは、そこもやっぱり俺とはおおちがいやなぁ。片耳で隆也が口にする短歌を聴きながら、弾の目は夕焼けいろの空を行くつばめを追い続けていた。

DAN/18/END


KIMG0167.jpg

弾のふるさと、大阪





 

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FS雨の物語「雨の慕情」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

雨の物語

「雨の慕情」

 三つ年上なだけだからおばさんではないけれど、おばさんっぽいというか、ボクなんて自称していたけれど少年っぽくはなくて、むしろおじさんっぽいっていうか。

「幸生、なにがあったんだよ」

 肘で章につつかれて、なんにもないよとごまかした。
 言いたくないのはなぜだろう? 俺の彼女だって堂々と紹介するような……いや、彼女は彼女ではあるが、恋人という意味の「彼女」ではないのだから、紹介する必要もないわけで。

 昔から章はみんなに好きな女の話をしていたけれど、そんな章をガキっぽいと感じるようになったから、俺はコイバナはしなくなった。そのせいだから、そのせいで彼女の話はしないんだ。

 でも、俺、彼女に恋したんだろうか。

 好みのタイプは章ほどには確固とはしていないけれど、三十六歳のおばさんっぽい女性はストライクゾーンではない。キャットシッターの朝緒さん。がっしりした体格のおばさんっぽくもおじさんっぽくもある年上のひと。彼女が猫好き仲間だからこそ、話がはずんで楽しかった。恋とは別ものなのかもしれない。

 若いころには若い女の子に恋をした。恋だかどうかなんて確認もせず、好きになったら突き進んだ。

 十六歳の初メイクラヴのお相手には、むこうから誘惑されたようなもので。
 十八歳で恋した相手は、恋人にもなれないままに天に召されてしまった。

 それからだって何人もに恋をして告白して、つきあったりふられたり、断られたり捨てられたり、捨てられたり捨てられたり……そりゃそうだ。三十三歳にして独身なのは、つきあった女性もつきあえなかった女性も、抱かれてくれたひとも断られたひとも、すべてと別れたから。

 夫ある女性に恋したこともある。彼女も年上だったが、抱き合うことはかなわなかったので不倫すれすれ。彼女は夫のもとに戻り、俺は捨てられた。

 捨て猫みたいな女の子を拾い、清らかな関係のままで同居していたこともある。彼女は俺をどう誤解しているのか、彼氏ができた、あいつはどうこう、などと相談してくる。ぐっと年下の女の子だって大好きだけど、十歳以上も年下と恋人同士になる気はないのだからいいんだけど。

 本気で恋したつもりで、本気で焦がれたつもりのあのひとは、章とどうにかなりそうな? あれは遠い日の遠い感情だから、今になれば寝なくてよかったなと思っている。

 そんなことばかり重ねて、俺は年齢だけ大人になった。

「ユキちゃんはいい加減な男やねんから、ずーっとそうやってふらふらしとったらええんよ。結婚なんかせんとき。ユキちゃんの奥さんになる女性は不幸やわ」
「そうですねぇ。だったら弥生さん、生涯独身の俺とずっと遊んで下さいね」
「うんうん、遊びましょ」

 春日弥生さんにはまちがいなく、恋はしていない。五十代か六十代であろう女性は俺の恋愛対象ではないが、大好きなひとなのもまちがいなかった。

「そうだよ。こんな言い方って恥ずかしいかもしれないけど、弥生さんは俺の親友だな」
「……そんなの、変」
「変かなぁ」
「じゃあ、幸生くんは私にお父さんみたいな年頃の親友がいて、その男性のことを大好きだって言ってても平気?」
「一度、俺もその男に会ってみたいな。俺が見極めてあげるよ」
「どういう意味で?」
「きみにとっては友達でも、その男はきみに下心を抱いている場合もあるからね」
「弥生さんだって……」
「ないない、それはないよ」
「でも……そんなの汚らしいし」
「汚いって弥生さんが?」

 いつか、弥生さんのことを汚らしいと言う女がいた。俺はその言葉を受け入れられなくて、彼女のほうから告白してくれたのに断った。そんなことだって俺にはあるが、これは恋なのかな、と悩むのは久しぶりだ。

 結婚はしない。
 けれどそれは俺の一方的な考えで、女性は俺とつきあったら結婚したいのかもしれない。二十代のころにだって、幸生くんはお気楽すぎる、と言われてふられたことがある。三十代はなおさらだよなぁ。

 ああ、歳をとるってやだやだ。現実がのしかかってきて、永遠の少年でなんかいられやしない。
 ねえ、シゲさん、俺もあなたみたいな男だったらよかったと思うよ。章は論外、乾さんは異人種だけど、本橋さんとシゲさんはある意味、俺の理想のまっとうな男像なんじゃないかな。

 愛した女性にプロポーズして、ごく尋常に結婚へと進む。疑いなんかみじんも抱いていないでしょう? 本橋さんは置いておくとしても、シゲさんは純粋に女性と愛し合い、家庭を作って子どもを持ち、私生活では夫として父として生きている。それっていいものだなぁ。

 単純に、いいないいな、俺もそうしたいな、でもないだけに、シゲさんがうらやましい。俺にだってやろうと思えばできなくもない暮らしのはずだけど、どこかが、なにかが、ほんの半歩ほどちがうから、シゲさんみたいには生きられない。

 ミュージシャンなんだもの。俺は平凡な幸せなんかいらないのさ。
 ロッカーは結婚しちゃいけない、という主義の男もいるが、俺のは主義というほどでもない。俺はロッカーじゃなくて、半端なシンガー。かっこつけて決まるかっこよさも持っていない。

 だから、こんな歌を流してしみじみしてみたりするんだよ。

「心が忘れたあのひとも
 膝が重さを憶えてる
 長い月日の膝枕 煙草ぷかりとふかしてた

 憎い恋しい 憎い恋しい
 めぐりめぐって今は恋しい……」

 煙草に火をつけて小さく吐息をつく。外は小雨。耳を澄ませば雨音に混じって、誰かの足音が聞こえてくるような、そんな夜。

 雨々ふれふれもっと降れ。私のいいひと連れてこい。
 ……いいひとって誰だよ? 朝緒さん? こんな雨の夜に女性が訪ねてきてくれる妄想よりは、俺が行きたい。でも、彼女と俺はそんな関係にはなっていないから、一歩を踏み出すべきなのか。

 でもでも、これって恋?
 いつものように気軽には動けない、だからこそ、これは恋?

END









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いろはの「ゑ」part2

ショートストーリィ(FSいろは物語)

いろはの「ゑ」

「ゑひもせず」

 同業者、ギタリスト、とはいっても彼はスタジオミュージシャン、僕はバンドマンだから接点はあるようでいてそれほどでもない。友達でもないので結婚式にも招待はされなかったが、会ったときに言ってみた。

「種田くん、結婚したんだってね。おめでとう」
「ああ、レイ、ありがとう」

 僕らのバンド、レイラのメンバーは全員、国籍不詳のニックネームだけを名乗っている。僕の本名も知らないで、レイはレイでしかないと思っている、というよりも、あいつの本名はなんだっけ? などと意識もしていない人間が大半だろう。

「お祝いもしてなかったから、おごるよ」
「祝ってもらうほどでもないけどね」
「結婚ってめでたいんだろ」
「めでたいんだろうな」

 醒めたもの言いだ。
 それでも、酒をおごると申し出たのは断られなかった。種田は酒が好き。年のころなら三十くらいか。やや太目で背の低い男だが、彼はプロデュース方面にセンスがあるらしく、アイドルの売り出しに関わったりもして収入が多い。

 そのせいか、彼はもてる。世の中不公平なもので、女のほうが得だよな、と言う男もよくいるが、ルックスがよくない場合は断然、男のほうが得だ。

 敏腕プロデューサー、収入最高、という男も女もけっこういるが、たとえばあのアイドルグループを出世させた女性……彼女だってものすごく収入がいいはずだが、もてない。寄ってくるのは金目当ての男ばかりよ、と嘆いていた。

 気のもちようってやつもあるのかもしれない。男のほうがその点、割り切れるのかもしれない。男はこっちが好きだったら、女のほうは金目当てだったとしてもそれでもいいと思えるが、逆の場合は女のプライドが許さないだろうから。

 最近の若者はそうでもなくなっていると聞くが、性的、恋愛的には男と女はちがうよなぁ、と、僕も二十数年生きてきて実感するようになっていた。

 なんだか種田がつまらなそうなので、つまらなくなくなるようにと、妹のユイを呼び出すことにした。ロックギタリストの妹のくせして、ユイはロックが嫌いだと言う。男嫌いでもなさそうだが、二十歳をすぎても私はユニコーンが呼べるんだとイタイ台詞を言ってのける。すなわち、処女だってこと? 嘘だろぉ? とは僕も思うが、いくら兄でもたしかめられないわけで。

 ミュージシャンには面白い男は多いので、私は客寄せユイじゃない、と文句をつけながらも、ユイは僕の呼び出しに応じてくれる。今夜も仕事を終えて暇だったらしく、出てきてくれた。

「種田さん? はじめまして。ご結婚おめでとう」
「あ、ああ、ありがとう。レイの妹さん? 商社で働いてるんだって?」
「ええ」

 まったく僕の妹らしくもなく、ユイはいわゆる女性エクゼクティヴ候補生だ。その上に美人だから、彼女があらわれると男たちの目が輝く。僕の知人ミュージシャンはこぞってユイを口説きたがり、ユイは上手に身をかわす。ユイも口説かれるのを楽しんでいると見えるが、決して流されない。

 外見は似ていなくもないが、僕はたいそう背が高く、ユイは小柄なほうだ。女の背が低いのは難点にはならず、こういうタイプが好きだという男を引きつける。白けていた感じの種田も、ユイがやってきたらテンションが上がったように見えた。

 ひとつ年下の妹。若くて美人で人当たりもよくて、性格はよくないかもしれないが露骨にはあらわさない。今どきらしい仕事のできる強い女。それでいてぱっと見はソフトで優しい。これでもてないほうがおかしいってもんだ。

「なんだかずいぶん、奥さんをこきおろすのね」
「本当のことだからね。ってか、こきおろしてるつもりはなくて、真実を述べてるだけだよ」
「だったらなんで結婚したの?」

 兄妹として同居していた十数年間の、ユイとの間にあったあれこれを思い出しているうちに、ユイと種田の会話は佳境に突入していた。

「種田さんって奥さんを好きで結婚したんでしょ」
「嫌いではなかったけどね。うん、まあ、好きではあったんだろ」
「ただひとりのひとっていうのでもなくて?」
「他にも女はいたけどね」
「……何人もの女性の中から選んだの?」
「彼、もてるんだよ」

 横から僕が口を添えると、ユイは納得顔でうなずいた。種田が何者なのかはユイも知っているから、あながち社交辞令でもないだろう。

「女性のほうがほっとかないっていっても、種田さんのほうは興味なかったとか?」
「全部の女に興味があったわけじゃないけど、何人かは気になる女もいたよ」
「その中から選んで奥さんと結婚したんでしょ? やっぱり奥さんは特別なひとなんじゃない?」
「特別っていえばね……」

 どことなく夢見がちな瞳になって、種田は言った。

「特別な女はいたんだよ」
「奥さんじゃなくて?」
「当然だろ。奥さんじゃなくて……」

 モデルの……と言いかけて、種田はふっと笑う。モデルのリラか。典型的、類型的モデルらしいルックスのリラというハーフ女が、さりげなく種田にアプローチしていたのは、周知の事実だった。

「誰も知らないと思うよ。彼女のほうも俺に好意を持っていてくれるみたいだったけど、シャイな子だからあからさまなことはしない。気づいてるのは俺だけかな。こう見えて俺はそういうのは聡いんだ。リラ……いや、モデルのその子はさ……名前は言わないけどね」

 言ってるじゃないか、僕はひそかに失笑したが、思わず口から洩れてしまったということか。

「ツンデレっていうのかな。俺に恋してるくせにつんけんしちゃって、ふたりきりだとちょっとだけでれっとなるんだ。彼女はおバカタレントみたいなポジションにいるから、頭が悪いふりをしてるんだよ。頭が悪い奴に頭のいいふりはできない。してもじきに馬脚をあらわす。けど、頭のいい奴に悪いふりはできるんだね。芸能界にはよくいるんだよ」
「なるほど」

 うん、まさしく恋は盲目だ。

「本当の自分は見せたくないってのか、そんなところがけなげでさ。俺は陰で彼女をバックアップしていた。そうしているうちには俺も彼女に気持ちがかたむいていってたんだけど、彼女は誰かと結婚して妻になったり母になったりするような女じゃない。誰かひとりのものになるような女じゃない。俺は彼女はそっとしておきたかった。そういう男もいるんだよ。本当に好きな女はそっとしておいて、現実は現実として女房をもらったんだよ」
「そんなだったら結婚する必要はなくない?」
「こんな業界でも、結婚してるほうが信用が置けるって考えるやからもいるからね」

 どこまで本気で言っているのか知らないが、種田は酒よりもそんな自分に酔っている口ぶりで言っていた。ユイに言っているのだから、そんな俺ってかっこいいだろ、アピールなのかもしれない。

「ひねくれたふりもしていたけど、彼女はほんとはいい子なんだよ。あのルックスのよさにだまされて、中身も現代っ子そのもののドライな女だと思ってる奴ばっかだけど、古風なところもあるんだ。それでいて妖精みたいな透明感もある。打算だの計算だののない子なんだね。彼女が俺とふたりっきりのときに話してくれたんだけど、子どものときにはピアノを習っていて、天才じゃないかと騒がれたんだってさ。そういうところも俺とは話が合うのかな」

 その上に、絵と作文でも賞をもらったことがある。読書感想文コンクールで優勝したり、中学生書道大会でも特選を受賞したりした。僕もリラがそんなことを言っていたのを聞いた。

「謙虚な子だから、俺にしか言わないんだよ。それだけ心を許してるんだよな。俺は兄貴気分になっちまってね、この子だけは汚い水に染まらないように守ってやりたいと思った」
「だったら結婚すればよかったのに」
「ユイちゃんも綺麗な顔に似合わず世俗的だな。言ってるだろ。あの子は人の女房におさまるような女じゃない。俺がひとりじめしたら損失だよ」
 
 だからね、と種田はしめくくった。

「世間的には俺みたいにもてまくった男が結婚した相手が、特別な女だって思い込みがあるみたいだね。そういう奴もいるだろうさ。でも、俺はこんな男なんだ。特別な女は特別として取っておいて、結婚するのは通俗的な現実の女。そのほうがいいんだよ」
「ふーん」

 自分に酔った勢いで、種田は酒にも酔ってきている。ユイはしらっとしていて、僕もちっとも酔えはしない。店を出ると種田は上機嫌で言った。

「ユイちゃん、俺に惚れるなよ」
「ご心配なく」
「どうしてもって言うんだったら、抱いてあげるくらいはいいけどね」
「ユイ、帰ろう」

 放っておくとユイが種田を殴る恐れもあったので、僕は妹の手を引いた。

「おやすみ」
「ええ? レイが俺に抱いてほしいのか? 悪いけどその趣味はないよ。リラんとこ行こうかな。リラはどこでなにしてるのかな? いや、やめておこう。今夜の俺はちょっとおかしくなってるから、リラに迫られたら抱いてしまうよ。そんな罪つくりなことは……」

 そこに突っ立ってうだうだ言っている種田をほっぽって歩き出し、僕はユイに言った。

「僕にも独自の情報網ってのはあって、世間に出回っていない話も聞くんだよ」
「なんのこと?」
「リラ、できちゃってるらしいな。近くできちゃった婚の発表があるはずだよ」
「リラって……種田氏の……?」
「そうだよ。言わないとか言って、名前を連呼してただろ」

 突っ立ったままでまだうだうだしている種田を振り返り、ユイは非難口調になった。

「言ってあげないの?」
「いやだ。僕は無用に他人に憎まれたくないよ」
「気の毒……っていうのかな」
「種田が? いや、愚かっていうんだ」
「レイらしいセリフだね」

 もっと若かったころ、思い込みから恋をしていた女の子に忠告してあげたことがある。彼女が恋していた男の本性は、男たちは知っていたから。

 そうして僕が憎まれた。彼がそんな男のはずないでしょ。レイは彼に嫉妬してるのよ。あげく、レイのせいで彼にふられた。
 あんな奴にはふられてよかったのに……ってさ、僕も他人のことは言えないが、女の子をだましたりはしない。レイそのまんまの僕に惚れる女はいくらでもいるんだから。

 その経験上、僕は誰かの思い込みで曇った目を覚まさせようなんて思わない。「恋は盲目」はある意味幸せで、あれはあれで純情さもある奴なんだなと、種田を微笑ましく思えるから。

「酔えない酒だったよな。ユイ、もう一軒行く? それとも、僕んち来る?」
「レイのおかげで普段の私は知り合えないような人種と話せるから、いい勉強になるわ。酔えなくてもいいんだ」

 この台詞もまた、ユイらしいものだった。

END








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花物語2017/5「ブーケのカスミソウ」

ショートストーリィ(花物語)

ぶーけ
花物語2017

五月「ブーケのカスミソウ」

 大きくなったら学校の先生になる!!
 本人の佳澄のみならず、父も母も祖父母も、疑いもなくそう信じていた。

 父は小学校の校長で、母は小学校教諭。母が新米教師時代に研修を受けた際に、父が講師をつとめていたのだそうだ。父と母には十四歳の歳の差があり、父は母の師匠的な立場だったので、夫婦間にも格差があった。

 祖父母にしても、父方の祖父は中学校教諭、祖母はもと保母、母方は祖父も祖母も高校教師と、全員が教育者である。そんな家庭に育ったのだから、佳澄の将来の希望が「先生」となるのも無理からぬことだったのだろう。成績が良くないと先生にはなれない、という大人の教えには納得がいったので、佳澄は勉強家でもあった。

「お母さん、今日は授業参観だよ。来るって約束したじゃない? どこ行くの?」
「急いでるのよ。話はあとで」

 授業参観は平日に実施されるのが通例だ。よそのお母さんにも働く主婦はいるが、たいていは仕事を休んで参観に来る。小学校高学年ともなると、参観になんか来なくていいのに、と口では言う子もちらほらいるが、本音は来てほしい。教室のうしろに母の顔があると嬉しいものなのだ。

 が、佳澄の母は参観になど来たためしがない。保育園から小学校まで、たまさか祖母が来てくれたこともあるが、毎年佳澄の母は欠席だ。教師との個人面接や三者面談にだけは、時間の都合をつけてそそくさとやってきては、またそそくさと学校に戻っていくのだった。

「どこ行くのよぉ。参観には行かないの?」

 大急ぎで出かけていった母のうしろ姿に声をかけても、もう届かない。今日は朝から二時間通常の授業をして、三時限と四時限が保護者の授業参観。午前中だけで授業が終わる。参観に間に合うようにしてくれるんだろうか。口をとがらせている佳澄に、父が言った。

「昨日、母さんのクラスの子どもが万引きをしたらしいんだよ。母さんは今日は佳澄のために有休をとっていた。小学校六年生になったんだから、一度は参観にも行くべきだってね。しかし、担任しているクラスの子が万引きをしたんだから、学年の担任全員で会議をすることになったんだそうだ。教師としては一大事なんだから、佳澄は我慢しなさい」
「そんなぁ……」
「人には辛抱が第一、いつも言ってるだろ」

 だったらお父さんが来てよ、とは言っても無駄だ。父も身支度を終えて出かけていき、佳澄もとぼとぼと通学路をたどった。子どものことは母親がするのが当然。どうして僕が佳澄の世話をしなくちゃならないんだ? 母さんにできないならおばあちゃんに頼めばいいだろ、が父の持論なのは、佳澄だって知っている。

 人には辛抱が第一、という父の好きな人生訓をもって育てられたのだから、佳澄は我慢強い子になったのだろう。母は我が子よりも教え子が優先。父は仕事がすべて。そんなの当たり前だよ、と四人いる祖父母たちも言う。我慢って美徳なのだもの。佳澄は我慢のできるいい子だね。

「では、班分けをします。どうやって分けましょうか」

 参観日は無事に終了し、五月になってゴールデンウィークも終わると、間もなく修学旅行だ。クラスはその話題で持ちきりとなり、先生が児童たちに提案を求める。仲良しの友達と同じ班になりたい、との意見が圧倒的だったので、教師も受け入れてくれた。

「はーい、決まりましたか? ん? 佳澄さんはどうしたの?」
「あ、佳澄ちゃん、ここにおいでよ。うちはひとり足りないの。佳澄ちゃんが入ったらちょうどいいよ」
「う、うん、はい」

 誰かさんと誰かさんと誰かさんと、一緒の班にしよう!! ざわめいて盛り上がっているクラスメイトたちに置き去りにされた気分でいた佳澄を、琴絵が呼んでくれた。ええ? 佳澄ちゃんも? えええ? などとこそこそ言っていた他の女の子たちも、おおっぴらに佳澄を排除しようとはしなかった。

 それまでは班分けとなると、出席番号順だの席の近い子同士だのという決め方がもっぱらだったので、好きな子同士となるともめごとも起きかねない。わりにスムーズに決まったので、教師も安堵している様子だった。

 一泊二日の日光への旅。自由時間には班ごとに地図を片手に自由行動をする。佳澄ちゃんもおいで、と呼んでくれた女の子、琴絵はもとからリーダー格で、彼女がなんでも決めててきぱき動くのだから、佳澄の班はなにをするにもなめらかに行動できた。が、突然事件が勃発した。

 バスから降り、ここからは東照宮まで歩くことに決定した。六人で歩いていたその道中である。今にも雨が降り出しそうになっていたせいか、他には人通りはない。佳澄は皆からやや遅れて歩いていたのだが、みんなが騒いでいるほうへと駆け寄った。

「琴絵ちゃん、大丈夫?」
「どうしたの? おなか痛いの?」
「どうしよ。誰かケータイ持ってない?」
「ケータイは禁止だもん。持ってないよ」
「琴絵ちゃんっ、しっかりしてっ!!」
「マナが泣くなよっ」

 リーダーがしかめっ面でうずくまってしまったのだから、他の子たちはパニックである。修学旅行のルールではケータイは持参禁止。見回してみても公衆電話のボックスも店もない。通り過ぎていくのは観光バスばかりで、四人の女の子たちは泣きそうになっていた。

「おーい、おーいっ!!」

 こうするしかないと判断して、佳澄は道路の真ん中に立って両手を挙げた。大きく手を振り回す。無視して走り去っていく車やバスがほとんどだったが、一台の観光バスが留まってくれて、中から中年女性が降りてきた。

「佳澄ちゃんっているのかいないのかわからなかったけど、役に立ったね」
「佳澄ちゃんが班にいてくれたよかったね」
「佳澄ちゃん、ありがとう、あなたのおかげで琴絵は助かったのよ」

 観光バスから降りて来たのはベテラン添乗員の女性だった。道路で手を振っていたのが子どもだったからこそ、彼女がバスを止めてくれたのだ。添乗員さんが的確に処置してくれたので、琴絵は大事に至らずにすんだ。琴絵のおなかがどうして痛くなったのかについては、教師は詳しくは話してくれなかったが。

 中学生になっても高校生になっても大学生になっても、アルバイト先でも、佳澄はいつだって小学校のころのままのポジションだ。ああ、佳澄ちゃん、いたの? あ、佳澄ちゃん、お願い。はー、佳澄ちゃんがいてくれて助かった。ずっと誰かにそう言われてきた。

 自己主張をしないのは、人には辛抱が第一、の父の主義で育てられたからだろうか。我慢は美徳、と祖父母も佳澄を褒めてくれたからか。佳澄はいい子だね、と母も言ってくれた。

 今日は琴絵の結婚式だ。小学校の修学旅行以来、琴絵と佳澄は仲良くしている。大学を卒業したばかりの佳澄の交友関係の中では、琴絵がトップを切ってゴールインした。

「これ、佳澄の花だね」
「ああ、カスミソウ?」
「ブーケには必ずといっていいほど入ってるよね」

 アルバイト先で知り合ったひとつ年上の先輩を、佳澄が琴絵に紹介した。俺、琴絵ちゃんとつきあいたいな、と彼が言い出し、佳澄がふたりの仲介をした。私、もしかしたら彼を好きだったのかな、と感じるようになったときにはすでに遅く、琴絵ちゃんにプロポーズしたんだ、との彼からの報告を受けた。

 ゴージャスなウェディングドレス、華やかな大輪の花を集めたブーケ。白いカスミソウが花々を縁取っている。どんな花とも相性のいい白い小さなカスミソウ。自分を主張せず、誰の邪魔にもならずに引き立てて、それでいてとても役に立っている。複雑な気分で佳澄は思う。

 いろんな意味で私に似た花なんだな、カスミソウは。
 幼いころの将来の夢、学校の先生になる!! はかなったんだから、これからはクラスの児童たちをまとめる、カスミソウみたいな存在になろうと、佳澄は決意した。


END








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FS雨の物語「あと一センチ傘が寄ったら」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

雨の物語

「あと一センチ傘が寄ったら」

 ガキのくせして、こいつは俺の魂胆を見抜いていやがるんだろうか?

 事情は断片的にしか知らないが、もとフォレストシンガーズのメンバーだった小笠原英彦は、結婚するからと言ってアマチュア時代に脱退した。

 結婚して離婚し、妻子を残してヒデさんは旅に出た。俺はその時期に神奈川でヒデさんに会っている。神奈川県にも田舎のような場所があり、そこで俺のいない時期のフォレストシンガーズが歌ったことがあると幸生に聞いたからだ。樹の幹に幸生の落書きが残っているというのを見たくなって出かけていった。

 おそらくはヒデさんも同じ理由でそこにいたのだろう。

 それからなにがどうなったのか、ヒデさんは神戸に流れ着いて落ち着いた。彼がフォレストシンガーズを脱退してから約十年、まずシゲさんと再会して、俺たちとも会うようになった。

 一年間しか大学にはいなかったのだから、ヒデさんとの縁は俺がもっとも薄い。しかし、彼は俺の先輩である。ヒデさんがフォレストシンガーズをやめなかったとしたら、木村章はどうなったんだろ、と思うと複雑な気分でもある。ヒデさんは本橋さん並みに暴力的で、乾さん並みに鋭敏な男だからつきあいにくいのだが。

 そのヒデさんが働く神戸の電気屋、ヒノデ電気。主人は日野さん、ヒデという字も入った名前、というのが関係あるのかどうかは知らないが、日野さんにはひとり息子がいて、創始という。ヒデさんは創始をずいぶん可愛がっているというか、対等に友達づきあいをしているというか。

「小学生やから幸生よりは二十歳くらい年下なんやけど、創始は幸生に似てるんや」
「ヒデさん、そんなに幸生が好き?」
「……アホか、おまえは」

 というような会話をしたことがあって、創始は幸生ともずいぶん仲がいい。俺は創始とは会ったこともなかったのだが、幸生が言ったのだった。

「創始ってアニメ好きだってのは話しただろ。蜜魅さんがアニメ声優のイベントに創始を招待したんだよ。ヒデさんが連れてくるらしいけど、仕事の打ち合わせを兼ねてるからイベントには行けないんだってさ。俺につきそってやってくれって頼まれたんだけど、俺も先約があるんだ。章、行かない?」
「ええー? ガキのつきそい?」
「ワオンちゃんも出るんだよぉん」

 むろん、幸生のほうは俺の魂胆……というよりも、幸生の差し金というか、策略というか、それが俺の魂胆と一致したのだから、渋々のていをよそおって創始と待ち合わせた。

 この年頃の男の子となんかどんな会話をしたらいいんだ? 俺には十二歳年下の弟がいるとはいうものの、龍が十歳くらいのころには俺は東京、弟は稚内と、話をする機会もなかった。ヒデさんとシゲさんと幸生と乾さんは子どもの扱いもうまいが、俺は苦手だ。

「こんにちは、はじめまして、日野創始です」
「ああ、行儀いいな。知ってるだろうけど俺は木村章。よろしく」
「はい、よろしくお願いします」

 その上に、彼は神戸の少年だから関西弁だ。俺は大阪弁が大嫌い。ヒデさんや幸生に言わせると神戸弁と大阪弁はちがうらしいが、俺にはどこがどうちがうのかわからない。東京駅まではヒデさんが送ってきて、そこから別行動になったらしい。創始はタクシーの中ではそんな話をした。

「ひとりでちゃんと来られたんだな」
「来られましたよ」
「おまえ、アニメ好きなんだろ?」
「はい」

 堅くなっているのか、創始は俺にはため口はきかない。ヒデさんは日常的に彼と接していて、幸生とシゲさんは彼と何度も会っているそうで、完璧友達みたいに喋ると聞いていたのだが。

「おまえ、本橋さんと乾さんには会ったのか?」
「本橋さんには会いました。乾さんとは会うてないな。お母ちゃんは乾さんに会いたいらしいけど、ヒデさんが言うんです。乾さんは危険やて」
「危険……?」
「なんで危険なんか、僕にはわかりません」

 とぼけているみたいな口調だったので、その話題はそこまでにした。

「蜜魅さんとは仲良しやけど、ワオンさんにはサインをもらったくらいです。木村さんは別にアニメが好きでもないんでしょ? えーっと、ワオンさんとは大学が一緒でした?」
「俺は一年で中退してるからさ」
「ああ、そうやったっけ」

 ワオン、その名前を口にするたび、創始の目が意味深な光を帯びる……なんて、俺の考えすぎだろうか。

 大学三年生の年に幸生が友達になったのだから、俺は大学時代にはワオンちゃんとは一面識もなかった。大きな学校だから、経済学部に古久保和音という女子学生がいるとも知らなかった。幸生は彼女と同じゼミで知り合い、ほぼひとめ惚れして迫った。

 友達づきあいはしてくれたけれど、寝てはくれなかったワオンちゃん。彼女の本名は「かずね」だが、幸生がワオンちゃんと呼ぶようになったので、声優としての芸名も「古久保ワオン」だ。

 そんな女に俺が惚れてしまって、なのに、幸生となにかあったんじゃないかと疑い、幸生が否定してくれたので信じた。なのになのに、俺はもう一歩を踏み出せないでいる。
 さっさと告白してふられたらいいだろ。あのツンツン女がデレになるところを見せてくれるのもよし、ツンツンのままふられるのもよし。

 頭ではわかっている。フォレストシンガーズは声優業界と無関係ではないので、仕事の関わりもたまにはある。行きつけのカフェで会うこともあった。

 だからこその俺の魂胆と幸生の策略。俺はアニメには興味ないのだから、創始のつきそいとしてしかイベントには行けない。昔から我々のファンだったという漫画家の蜜魅さんを紹介してくれたのはワオンちゃんで、蜜魅さんはヒデさんと婚約しているのだから、創始も俺の魂胆を知っているような気がしなくもなく。

 いちいち気にしていたら動けない。ここまで来たら行動あるのみだ。

 行動ったって、アニメ声優のイベントで客席にすわり、楽しそうな創始につきあっているだけではなにもできない。創始は
ものすごく嬉しそうだが、アニメの美少女戦隊って……俺はそんなものは知らないから、アミちゃんがどうの、ボーちゃんがこうのと言われても意味もわからない。

「ワオンちゃんは猫の役なのか」
「そうや。木村さん、知らんかった?」

 徐々に言葉遣いがほぐれてきた創始が教えてくれた。

 十人というか、総勢十体の美少女戦隊には、人間もロボットも宇宙人も動物もいる。ワオンちゃん演じるココルは年に一度だけ人間に変身する美少女猫なのだそうで、幸生の好きそうなキャラなのだった。

「ふーん……」
「僕もココルちゃん、好き。蜜魅さんがココルちゃんの絵、描いてくれてん」
「そりゃよかったな」

 アニメキャラの猫なんかより、俺は本体のワオンちゃんが好きだ、と言ってしまいたくなる。好き……なんだよな、好きなんだ。だから俺はこんなところにいるんだ。

 ステージには十一人の声優がいる。十体の美少女戦隊の声優たちなのに、なぜか男がいる。時々男に変身するキャラがいるのだと創始が教えてくれて、ややこしいんだな、と俺は苦笑する。声優にも美人は多いのだが、俺は他の女には興味ない。ただ、ワオンちゃんばかり見ていた。

「章、お疲れ」
「あ……ヒデさん……」
「おう、創始、楽しかったか」
「うん、ヒデさん、仕事終わったん?」

 イベントが終了してホールの廊下に出ていくと、ヒデさんと蜜魅さんがいた。もしかしたらこれは、このふたりも幸生の策略に加担しているのか。そこまでしてもらわないといけない俺はなんなんだ。情けない。

「木村さん、創始くんは私たちが……」
「そうやな、章、行ってこい」

 どこに行けと言われているのかはわかっていたので、創始はこっちのカップルにまかせて俺は単独行動になった。けれど、楽屋に行く気にはなれない。楽屋には他の女もいるだろうし、なにしに来たの? とワオンちゃんにつんけんされる恐れもあるし。

「……雨か」

 巷に雨のふるごとく、我が心にも雨の降る。
 乾さんじゃあるまいし、詩なんか呟いても空も心も晴れやしない。

「え?」

 どうでもよくなって外に出、やみくもに歩いていると、小さな傘がさしかけられた。水色の女ものの傘だ。

「ワオンちゃん……」
 
 相合傘ではなくて、彼女も別の花柄の傘をさしている。ひとことも口をきいてくれず、先に行ってしまおうとする彼女の背中に声をかけた。

「ありがとう。このあと、予定ある?」
「打ち上げがあるから」
「……そっか」

 俺も行ってもいい? なんて尋ねられない。どうして俺はワオンちゃんの前では弱気になるんだろ。好きだから? 好きだから、なんだろうな。どうしてこんな女、好きなんだろ。好きだから、好きだから、理屈なんかなくて好きだから。

 雨に濡れてる俺を見つけたのは偶然かもしれない。ヒデさん、蜜魅さん、創始が言ったのかもしれない。なににしたって、俺に傘を貸してくれたのは必然だ。ほんのちょっとだけ距離が縮まった……そんなのが嬉しいなんて、木村章もヤキが回ったもの、なのかな?

END









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396「ローカル列車で2」

novel

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フォレストシンガーズストーリィ

396「ローカル列車で2」

1・寿々

 千里の道も一歩から、というのだから、旅番組に出られるようになったのはいいことだ。「歌の森」の不細工女子代表、チャコ役としてほんのちょっとは名前と顔が売れたから、新しい仕事を手に入れたのだから。

「女ふたり、ローカル列車での旅」、佐田千鶴と時松寿々が旅人だ。双方、売れない女優というポジションは似ているが、ルックスは大違い。大柄な私は小柄な相手とペアにしやすいらしくて、「歌の森」の相方も小柄でころころのモコ。ローカル列車のほうでも千鶴さんは小柄なほうだ。

「佐田千鶴、知らないな」
「私も知らなかったんだけど、可愛い子だよ」
「十九歳ね? いいなぁ、十代なんて。私たちは崖っぷちだけど、十九だと将来もあるよね」
「ユカちゃんにだって将来はあるよ」
「だといいんだけど……」

 共演者のひとりである阿久津ユカは自嘲的に笑う。
 二十五歳、美人女優としては崖っぷちなのかもしれないが、昨今は三十代でブレイクしたりもするではないか。三十代アイドルだっているではないか。

 その点、お笑い系女優のほうである私には、年齢はさほど重要ではないはず。
 ないはずだと信じたい。

「千鶴ちゃんって乾さんに……なんだろ?」
「そうなんですか」
「いいなぁ、乾さんはもてるんだよな。乾さんは三十五、千鶴ちゃんは十九。男女が逆だったら無理かもしれないけど、歳の差婚も流行ってるんだし、つきあえばいいのにね。俺だったら大喜びだよ」

 劇団ぽぽろのスターであり、フォレストシンガーズとは長年の交流があるらしい戸蔵一世さんは、千鶴さんのことも知っていた。

「佐田千鶴ってのは……」
「ああ、石川くん。彼女は高卒だよ」
「そうですか。十九歳だったら……」
「俺も高卒だし、寿々ちゃんもそうじゃない?
「そうです」

 ふむ、と呟いて、石川諭はイッセイさんと私の顔を見比べる。彼の口癖は、あのひとはどこの大学? と偏差値、だから、質問される前にイッセイさんが答えたのだ。

 主役クラスの俳優の中には、一回の放送に一度は顔を出すものの、ほんの端役である役者とは格が違うと思っているひともいるらしい。端役でも若くて可愛い女の子とだと遊びたいと考えたりもするようだが、時松寿々? そんなのいたっけ、との認識のひとも多い。

 石川諭はそっちのタイプらしく、私に直接話しかけてきたことはない。それきり私を一瞥すらせず、つまらなそうな顔をして離れていった。

「うちの親はさ……」

 このドラマのメインキャストに有名人はいないが、その中にもヒエラルキーはあるらしく、私なんかは限りなく最下位に近い。イッセイさんは高いほうのはずだが、彼も売れない役者だと自称しているせいもあるのか、表面上は私にも気軽に接してくれていた。

「俺が学生のころには学歴も大切だって風潮だったけど、そんなものは次第にすたれていくって考えだったらしいんだ。だから、俺が大学には行かずに役者になりたいって言ったときにも、反対はしなかったよ。役者になるんだったら学歴なんてまるで無関係だよなって言ってた。だけど、意外にそうでもないよね」
「高学歴が売りの芸人さんとかもいますものね」
「俺たちがなにを言っても、低学歴人種の歯ぎしりだな」

 撮影の休憩時間、セットの隅でイッセイさんと話していると、次々に共演者たちが会話に参加してくる。次は川端としのりくん。彼は現役高校生だ。

「ローカル列車の旅ですか。いいなぁ。僕は国内旅行はあまりしたことがないんで、最近、時間ができるとひとり旅をしてるんです。寿々さん、素敵な電車があったら教えて下さいね」
「国内旅行はしてないけど、海外だったらしてるんだろ」
「親に連れられて、ドイツやイギリスのホールでクラシックコンサート、なんて旅行だったらしましたね」

 若いからもあるが、彼は共演者たちとはやや毛色がちがっている。つまりはお坊ちゃんというわけだ。

「イッセイさん、この間はどうも」
「ああ、元気出たか?」
「おかげさまで……」

 たった今、スタジオに来たばかりの三村真次郎が、イッセイさんにだけ声をかけて通りすぎた。彼はどうやら私を嫌っている。それとも、おまえなんか好きも嫌いもねえよ、うぬぼれるな、であろうか。

 男は美人が好きなのが当たり前。三村くんはユカちゃんに恋をしていて、ユカちゃんはそんな彼をうっとうしがり、虫よけとして私を利用しようとする。ユカちゃんがどこまで三村くんを面倒がっているのかは知らないが、大嫌いだとまでは思っていないような気もする。

 好んでやっているわけでもないが、ユカちゃんとふたりきりになりたいのに邪魔をする寿々。というのが三村くんの時松寿々像だろう。嫌いというよりも目障りなのか。

「千鶴……千鶴ってぇと……洋介が……んん、ちがったかな」
「洋介がなにか言ってたのか?」

 見ていると複雑な気分になる共演者もいて、彼はその最たるものの存在だ。ロックヴォーカリストのVIVI。彼の仲間が私を誘惑しようとし、一生に一度くらいはそんな経験をしてみるのもいいかと心が動いた。今は若いからそんな誘いもあるけれど、このままおばさんになったら、私と寝たがる男は皆無になりそうで。

 なのに、VIVIが妨害した。
 こんな女とそこまでして寝なくても……おまえ、飢えてんのかよ? VIVIが言っている声が私の耳に届いた。私を誘惑しようとしていた男は、VIVIに諌められて気を取り直したらしい。

 あんな男、はこっちの台詞だ。あんな奴とベッドに入らなくてよかった。遊ぶの遊ばれるのといった話ではなく、酔いが醒めた男にベッドの中で萎えられたり罵られたりしたら、私はどうしたらいいのかわからなくなっただろうから。

 だから、VIVIを恨んでいるわけではない。ただただ、彼を見ていると複雑な気分になるだけ。VIVIはイッセイさんと、洋介がどうのこうのという話をしている。洋介とは誰なのか知らないので、私は口を入れずにいる。セットの隅は大通りのように、何人もの人間が通り過ぎていっていた。

「この間、桜田さんと話してたんだって?」
「……それがどうかしたんですか」

 じゃあね、寿々ちゃん、またね、と愛想よく私にも声をかけたVIVIが行ってしまうと、主役クラスの中では残るひとり、琢磨士朗もやってきた。イッセイさんに尋ねられた琢磨くんは、無愛想に応じた。

「桜田さんってどう思う?」
「どうも思いませんけどね」
「そっか……だったらいいんだよ」

 このやりとりも、私には意味不明。
 
 「歌の森」とは実在の男性五人のヴォーカルグループ、フォレストシンガーズをモデルにした半ばはノンフィクションのドラマだ。脚本家はみずき霧笛氏。みずきさんからしてフォレストシンガーズとは親しいらしく、フォレストシンガーズと交流のある役者や歌手もゲスト出演する。

 ゲストの中では一番のトップスターは桜田忠弘さんだろう。彼は自ら、俺も出たい、と言ったのだそうだ。急遽、桜田忠弘が演じるための役柄が作られた。大スターのわりには桜田さんはお高くなくて、私なんかにも話しかけてくれる。大スターに話しかけられると感激する売れない役者もいるようだが、私はむしろ戸惑ってしまった。

「寿々ちゃんは桜田さんってどう思う?」
「かっこいいですよね。月並みですけど、スターのオーラがありますよね」
「オーラかぁ。俺にはオーラって見えない?」

 真顔で問いかけられると、またまた困ってしまう。桜田さんほどのスターのオーラなら見える気もするが、イッセイさんにはそれほどのオーラはない、ないとは言ってもまだない……まだ、だと言っていいのかどうか。私なんかに言われてもイッセイさんは嬉しくもないだろうし。


2・千鶴

 お酒をメインにしている店には、未成年の私は入りづらい。乾さんが連れてきてくれるんだったらいいけれど、ひとりでは入ったらいけないのかな。でも、ここにいたら乾さんと会えるかもしれないし。妙な言い訳をしながら、俳優や歌手がよく出入りしている居酒屋に入ってみた。

「あ……」
「千鶴さん、ここここ、ここにおいでよ」

 むこうから呼んでくれているのは、時松寿々さん。ローカル列車の番組で二、三度一緒にロケをして、寿々さんのほうは私を友達扱いするようになった。私から見ればだいぶ年上なのであまりになれなれしくしてはいけないかとも思うのだが、売れない女優としての立場は近いので、年齢差以外はそうは気を使わなくていい相手だ。

「千鶴さんってあなた? 可愛い顔してるんだね」
「紹介するね。阿久津ユカさん」

 「歌の森」はいつもいつも熱心に見ているので、私はユカさんはよく知っている。男性キャストの多いあのドラマでは女性としては一番の役柄の、山田美江子役のひとだ。二十歳ごろの美江子さんは真面目でお堅い教育学部の学生だから華やかには作っていない。そのせいで、素顔のユカさんはドラマで見るよりも美人だった。

「はじめまして。ドラマはずっと見てます」
「千鶴ちゃんって山田さんとは仲良しなの?」
「仲良しってことはないんですけど、フォレストシンガーズのみなさんにはちょっとだけ可愛がってもらってますから、美江子さんともお話したりはします」
「ふぅん」

 目つきが冷たいような気がするのは、私の思い過ごし? 飲めば? と言いながらユカさんがビールを注いでくれ、千鶴ちゃんは未成年だよ、と寿々さんが止めた。

「フォレストシンガーズとは親しいのね。どんなふうに?」
「どんなふうって……」

 ビールくらいいいじゃん、とユカさん。写真でも撮られたらいけないから、と寿々さん。ユカさんは注いだビールを自分で飲んだ。

「千鶴ちゃん、元気にしてたか?」
 会う機会があると、そう言って私の頭に手を乗せる本橋さん。

「久しぶりです」
 何度言われても、年下の私に丁寧な口調のシゲさん。シゲさんには私のほうから、恭子さんはお元気ですか? と尋ね、はい、元気です、と答えてもらう。恭子さんによろしく、がシゲさんとの会話の定番だ。

「千鶴ちゃん、彼氏はできた?」
「章の質問、意地が悪いんだよな」
「意地が悪くはねえだろ。俺は純粋に千鶴ちゃんを心配してるんだよ」
「できてないんだったら俺とつきあおう、とか言いたいくせに」
「言いたくねえよ。千鶴ちゃんは俺の好みのタイプじゃないし、千鶴ちゃんのほうも俺はタイプじゃないだろ」
「千鶴ちゃん、はっきり言っていいよ。あんたなんか嫌い、って言っていいからね」
「……三沢さんは好きです」
「ありがとう」

 木村さんと三沢さんとはそんな会話をかわし、横で聞いていたアイドルシンガーの瑛斗くんは言っていた。なんだかシュールだったなぁ、って。

「乾さん……」

 顔を見ただけで胸がいっぱいになってしまい、微笑みかけてもらうと涙が出そうになる乾さん。かなわぬ恋だと知っているけど、片想いはやめられない。

 ひと口にフォレストシンガーズと言っても、五人のお兄さんに対する感情も態度もまったくちがう。ユカさんの質問には簡単には答えられそうになかった。


3・寿々

「きゃああ、電車の床が抜けそう」
「おおげさな。電車の床がそんなやわなはずないでしょ」
「だって、あたしたちだけだったらまだいいけど、重量が……女じゃないほど重い女がいるんだもん」
「誰だよ、それは、イロハ?」
「ローナったら、言わせるの?」

 きゃはきゃはとはしゃいでるのは、あいどるグループの「イロハ」の三人だ。一見は三人ともにはしゃいでいるようだが、ハナビは気弱に笑っているだけ。イロハとローナは名前は出さねど、私のことに決まっている「女じゃないほど重い女」を肴にして盛り上がっていた。

「ぽっちゃりカルテットでーす」
「五人とも一緒にすると、イロハがかわいそう~」
「なに言ってんだよ。かわいそうなのはローナだろ」
「千鶴ちゃんじゃないの?」
「ってかね、ひとり……いいんだけどね」

 メディアが流行らせようとしているのか、それとも、本当にちょっとは流行っているのか、ぽっちゃりガールブームなのだそうで、イロハはその流行に乗るために結成されたグループだ。ばっと見は三人とも同じようだけど、性格はちがう。太りようもちがう。

 ソロアイドルとしてデビューしたものの売れなくて、ダイエットして痩せたのをもとに戻し、ぽっちゃりぽっちゃりアイドルになったローナ。井端露和という名前だったころに、私も彼女とは挨拶をかわした覚えがあった。

 昔からずーっと太っているのだそうな、イロハ。いっちゃんはそこが可愛いんだよ、といばっている。
 もうひとりはおどおどしているようにも見えるハナビ。イロハとローナに両側から押されていたら、ひとりだけ控えめなのもいいかもしれない。

 事務所の目論見がはまりつつあって、売れつつあるイロハが今日のゲストだ。ぽっちゃりカルテットなんて言っているが、本当に一緒にしてあげたらかわいそうなのは千鶴さん。千鶴さんは太っているのではなく、出るべきところは出、くびれもしっかりあるマリリン・モンロー体型なのだから。

 彼女たちの言う通り、私は千鶴さんも含めての四人とは体格がまったくちがう。どっしりぼってり、母にはいつも、寿々は着コッテウシみたいだと言われていた。

 富山県のローカル列車に五人で乗り込み、床が抜けるの座席が壊れるのと、イロハとローナは大騒ぎしている。グループとしてのイロハはけっこう売れているので、番組のスタッフたちも愛想がいい。こういう番組では売れている者がいちばん強いのだから、千鶴さんも私も引き立て役に徹するしかないのだった。

「花嫁列車なんでしょ? ローナも早くお嫁に行きたいわぁ」
「花嫁衣装って着物だもんね。ローナのサイズだってあるよね」
「あるに決まってるじゃん。イロハの無礼者」
「ひとりだけ、サイズなかったりして?」
「そしたら花婿衣装でもいいんじゃね?」
「花婿衣装の誰かさんと、千鶴ちゃんの花嫁って似合いそうだね」
「それ、いいかも」

 好き勝手に言っては大笑いしているローナとイロハ、ひやひやしているようにも見えるハナビ、こういう空気には慣れていないようで、困り顔の千鶴さん。私はお笑い系なのだから、太ったアイドルたちに負けていられない。本来はこの番組の主役でもあるのだから、もっともっと盛り上げなくちゃ。

END






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FS雨の物語「雨のち虹いろ」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

雨の物語

「雨のち虹いろ」

 ドアを開けた途端、うわーんっ!! という盛大な泣き声が耳を打った。一歳に満たない次男の壮介にすれば力強すぎるので、広大か? 当たりだ。俺も父親らしくなってきて、長男と次男の泣き声は聞き分けられるようになってきた。と、喜んでいる場合ではない。

 だーっと走ってきて突進してきた広大を抱き上げ、ママがママが、ママがいけないの、と途切れ途切れに言いながら泣いているのを抱いて部屋に入っていく。妻の恭子はぶすっとした顔はしていたものの、俺にだけ聞こえるように、ごめんね、と言った。

「えーっと……俺はどうしたらいいのかな」
「落ち着くまで抱いててやって」

 そうするしかないので、広大を抱いて寝室に入る。広大は泣きじゃくってしがみついて離れないので着替えもできない。諦めてベッドにすわった。

 二十六歳の年にフォレストシンガーズに、ラジオレギュラーの仕事がもたらされた。本橋さんと乾さん、幸生と章、俺とテニス選手の川上恭子さんがペアとなって早朝のラジオ番組を担当する。週に三回もの仕事だったから、時間的に聴取者は少ないとはいえ、我々を知っているひとが徐々に増えていくきっかけになった。

「テニスで勝負しようよ。私が負けたらカラオケにつきあうわ」
「俺が恭子さんにテニスで勝てるわけないでしょ」

 仕事が終わってからふたりで食事に行ったり、恭子さんのテニスの試合を見に行ったりして仲良くなっていったころ、恭子さんに言われた。
 テニス勝負は当然、俺の完敗だったのだが、前々から誘っていたカラオケに恭子さんはつきあってくれた。お疲れさま会みたいにしてふたりきりでカラオケハウスに入り、初に判明したことは。

「そうよ、シゲさんにだったらわかるでしょ。私は音痴なのっ!! だからカラオケはいやだったんだよ」
「そっか、ごめん。でも、恭子さんの音痴は可愛いよ」
「シゲさん……」

 鈍感な俺があのときばかりは察して言った。

「先に言わせて、好きだ」

 音痴なのにカラオケボックスに来てくれたのは、ふたりきりになりたかったから。俺に告白してくれるつもりだったから。俺だって恭子さんが好きだ。友達として好きなつもりでいたのと、俺はもてないんだから、恋なんかしたって無駄だ、との諦観があって気づかないふりをしていた。

「私も好き」
「俺とつきあってくれますか」
「はい、嬉しい」

 生まれてはじめての相思相愛の恋人。プロポーズというほど改まってはいなかったが、そのひとと結婚できることになった。マリッジブルーとかいう奴で、なんだか揺らめいているらしき恭子に、美江子さんがアドバイスをしてやってくれた。乾さんは言っていたらしい。

「シゲほどいい奴はいないんですけど、あいつは自信がないのが欠点なんですよ。恭子さん、あなたがあいつに自信を持たせてやって下さい」
「シゲと結婚したら幸せになれるよ、俺が保証するから」

 本橋さんも言ってくれ、幸生も言った。

「シゲさんがもてないのはまちがいないみたいだったけど、前に俺、言ったでしょ。シゲさんはその分、素敵な女性と結婚してとびきり幸せになるんだよ。当たってたよね」
「素敵な女性……いやいや、おめでとうございます」

 どこが素敵な女性? と言いたいようにも思えたが、章も言ってくれたので素直に礼を述べておいた。

 三つ年下の恭子と結婚した、あのころからフォレストシンガーズが上向いてきた。なのだから俺は以前よりも多忙になり、恭子がひとりで留守番をすることも増えていったのだが、彼女はけなげに家庭を守ってくれた。仕事は少なめにして主婦業をがんばってくれていた。

「シゲちゃん、できたみたいよ」
「……」

 嬉しすぎてまともに言葉も出せず、恭子を抱きしめたあの日、三年とちょっと前に恭子の胎内に宿ったちっちゃなちっちゃな赤ん坊の素が生まれてきて、今、俺の胸にすがってわあわあ泣いている。うるさいなんてひとかけらも思わない。愛しくて愛しくて、シャツの胸を涙でぐしょぐしょにされているのまでが可愛かった。

 とりたててはなにもできないので、広大が三歳になるまでの出来事をなぞっていた。

 いつもは気の強い女性が、俺の胸で泣いてくれると嬉しいな、と乾さんが言っていたが、俺は女性にそんなふうに泣かれたことなどない。姉をはじめとする女性と喧嘩をしたことは幾度かあるはずだが、すべて気の強い相手で、彼女は怒りこそすれ泣きはしなかった。

 おまえのママとだったら喧嘩をして、泣かせたこともあるんだけどね……女性に泣かれると俺は困惑のきわみになるんだけど、おまえだったら可愛いよ。心行くまで泣け、広大。

 だんだん涙が止まりつつあるようで、広大はしゃくり上げている。広大は恭子に似て言葉が早く、三歳のわりにはしっかり話せるのだが、三歳のわりには、だ。泣いていてはしどろもどろになるに決まっているのだから、涙が完全に止まるまでは待ってやろう。

「お風呂、入ったか?」
「パパと……」
「まだか。じゃあ、もうちょっとしたら入ろうな」
「うん」
「眠くないか? 泣くと疲れるだろ。眠いんだったら明日の朝にしてもいいかな。パパは明日は休みなんだ」
「お休み?」
「うん。ドライヴに行こうか」
「うんっ!!」

 これで完全に泣き止んだ様子で、広大の顔が輝いた。

「だったら風呂、入ろうか。風呂で話をしよう」
「うん」

 覗いてみると、恭子は壮介のベビーベッドの横で読書しているらしい。広大は全面的に俺にまかせると決めたらしいので、恭子との話はあとにして広大をバスルームに連れていった。

「あのね、壮介がね」
「うん」
「僕のおもちゃ、お鼻に入ったの」
「おまえのおもちゃってどれだ?」

 お湯につかって髪と身体を洗って、再び湯船に沈んだころになって、広大がなにがあったのかを話しはじめた。

「ああ、車の車輪か」
「それでね、ぼく、取ってやろうとしたの。そしたら壮介が泣いたの。ママが……ぼくが壮介をいじめたって……」
「ああ、それでなぁ」
「ママ、きらい。パパが好き」

 詳しいことはわからないが、広大のおもちゃの小さな部品が壮介の鼻に入り、お兄ちゃんが取ってやろうとした。うまく行かずに弟が泣き、そこを目撃した母親が怒った。誰も悪くはないので、俺としても困ってしまったのだった。

「うーん、うん、パパがママに言っておいてやるよ。広大は壮介をいじめてないもんな」
「うんっ!!」

 入浴がすむころには広大はこっくりこっくりしはじめていて、パジャマを着せてベッドに運んだときには熟睡状態だった。壮介もとうに眠ったようで、俺がダイニングに戻ると、恭子が食事の支度をしてくれていた。

「お疲れさま。食べるでしょ」
「軽く……いや、普通に食うよ」

 煮物や野菜炒めや恭子お手製のいなり寿司などが食卓に並び、日本酒も出てきて、俺は広大の話を恭子に語った。

「そっかぁ、私が怒ったから広大は泣き出しちゃって、ちゃんと話を聴いてやらなかったのよね。明日、ごめんねって言っておくわ」
「それでいいんじゃないかな」
「ありがとう、シゲちゃん」
「いや……俺だって親なんだから」
「そうだよね」

 日ごろは親らしいことはあまりできないのだから、たまには息子や妻の役に立たなくちゃ。

「今夜もメシがうまい!! あのさ、恭子、前に女性向けマラソン雑誌の表紙になっただろ」
「そうそう。いろんな人におめでとうって言われたよ」
「あれを見てくれたよその出版社のひとから、またやりませんかって社長にさ……」
「わ、素敵!!」
「俺はもちろんいいんだけど、今度は広大と壮介を連れてって話なんだよ。なんの雑誌だと思う?」

 以前はふたりして悩みまくったのだが、今回は恭子がスムーズに正解を出した。

「広大と壮介も一緒だって言うんだったら、育児雑誌でしょ? イクメン向け?」
「イクメンなんてのは実はそうそういないんだそうだから、一般的育児雑誌だけど、うん、当たり。恭子はどう思う? あんなちっちゃいうちから雑誌モデルなんてやらせていいのかな」
「そうねぇ」

 有名人の子どもゆえに、露出度が高くなるというのはありがちだ。俺は有名人でもないのだが、一応はシンガーなのだから、こっちが知らない人が俺を知っている場合もある。そんな人間の息子であることは、広大と壮介にどう影響するのだろう。

「ミーハーだけど、いい記念になりそうだなぁ。とびきり可愛く撮ってくれるんだろうし……あれ? 私はいらないの?」
「父と息子っていう、男ばっかりを探してたんだってさ」
「いやぁん、私も仲間に入りたぁい」

 わざとらしくいやいやしてから、恭子はにこっとした。

「付き添いには行ってもいいんでしょ」
「もちろんだよ。賛成?」
「賛成っ!!」

 大泣きしている長男と、それにともなってどよよんとしていた妻、家の中がどしゃ降りみたいだったのが、ぱーっと晴れて虹が出た気分。広大にも壮介にもまだ雑誌の表紙になるという意味はわからないだろうけど、マイナスにならないように俺も心しなくちゃ。

「明日はドライヴでしょ。広大には話してやらなくちゃね」
「うん、きみからも話してやって」

 それから、昨日はごめんね、ってキスしてやって。

END








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FS超ショートストーリィ・四季の歌・幸生「春の否」

番外編

フォレストシンガーズ

四季のうた

「春の否」

 避妊……うん、そりゃ大事だ。
 罷免……いや、そりゃ困る。
 緋色……俺に似合う?

 飛影……かっこいいよね。
 悲壮……ベートーヴェンにあったっけ? 俺には似合わなさすぎる。
 悲歎……「悲しい」単語はたくさんあるね。人間って哀しいね。

 ひーふーひーほー。

 誹謗……そういうことはしちゃ駄目よ。
 肥満……いやいやいや、俺は大丈夫。
 比翼……仕立てもののことも言うけど、俺は鳥がいいな。

 「ひ」のつく単語は多々あれど、「否定」はいやだなぁ、と、ひがないちにち、ひわひわと想う、春の休日。

YUKI/暇なある日





 


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170「小さなボランティア」

ショートストーリィ(しりとり小説)

しりとり小説

170「小さなボランティア」

 病弱だったから、小学校も中学校も欠席が多かった。義務教育だからなんとか卒業させてもらえたけど、高校は出席日数が足りないと留年させられることもある。退学だってある。父はそう言った。

「お父さんの知り合いの会社で、道子を雇ってもいいと言ってくれてるんだよ。簡単な事務職だ。身体も学校よりは楽だし、社長の友達の娘なんだから、みんなが道子の事情も知っていて休ませてくれたり、いたわってくれたりもする。道子は勉強が好きなわけでもないだろ。会社は小さいけどしっかりしてるから、結婚するまでは働けるよ」

 ためらいはしたものの、道子は父の提案に従った。

 コスモス建機、その名の通りの建築機器を扱う会社だ。道子は事務所で一般事務の仕事をする。父の言っていた通りで仕事は大変ではなく、十八歳の道子にはおじさんたちもおばさんたちも優しくしてくれた。

 それでも風邪を引いたり、ちょっとした病気にかかったりはする。道子ちゃん、帰ってもいいよ、あらあら、大変、早退しなさい、道子が具合悪そうにしていると、社長や、専務の職に就いている社長の奥さん、または社歴の長い年配の社員が気遣ってくれた。

 給料や福利厚生はいいほうではないが、道子だって精勤はしていないのだから不満はいえない。若いひとが少ない職場だからこそ、道子ばっかり優遇されている、との陰口もなかったようだ。

「社長の奥さんが言ってくれたんだけどね……」

 二年ほどすぎたとき、父が言った。

「元雄さん、知ってるだろ」
「ああ、えっと、この間、工場長になったひとでしょ。社長の息子さん。何度も会ってるよ」

 よその会社で修行していた社長の息子は、四十四歳だと聞いていた。早くに結婚して子どももふたりいたのだそうだが、一昨年、事故で妻子をいちどきに亡くした。
 傷心の元雄はよそで働いていく気力を失ってしまい、そちらの会社は退職した。しばらくは心のケアをしていた元雄は、ようやくすこし元気が戻ってきたとかで、父親の会社の工場長に就任した。

 小柄で痩せていて、妻子を亡くした男性だと思うせいもあって、道子にも生気に乏しく映った。元雄の歓迎会には道子も出席したのだが、元気ないなぁと感じただけだった。

「でも、このごろはちょっとずつ元気になってらっしゃるみたいよ。事務所にも時々来ては、道子ちゃん、無理したらいけないよって言ってくれるの」
「そうらしいね。奥さんが言うには、元雄さんは道子のことが気に入ってるらしいんだ」
「ふーん」
「だとしても、道子と元雄さんじゃ親子くらい年が違うもんな」

 結婚の遅かった父は六十歳に近いが、元雄はその父の年頃に近い。道子から見ればおじさん以外の何者でもなかったのだが、それからも会うたびに、元雄は道子になにかと話しかけてきた。

「道子は結婚したいだろ」
「私と結婚してくれる男のひとなんかいないよ」

 最初から結婚は諦めていた。

「元雄さんだったら道子の事情は全部知ってる。中卒で病弱で、家事だって無理はできない。出産もできないんじゃないか、そうだよな? 元雄さんは一度は妻も子もいた身で、再婚できたら子どもがほしいって気もなくはないんだそうだよ。でも、今から再婚して子どもを作っていたんじゃ、元雄さんは五十になっちまう。子どもはもういいかな、けど、再婚はしたいなってね、お母さんには言うようになってきたらしいんだ」

 お母さん、すなわち専務、すなわち、コスモス建機の社長夫人だ。

「道子だったらお母さんやお父さんも気心が知れてる。丈夫ではないのもよく知ってるけど、控えめでおとなしい素直ないい子だ。変に学歴なんかないほうが、すれてなくていいんだそうだよ。元雄さんの前の奥さんはエリートだったらしくて、つきあいにくかったんだそうだ」

 考えてみたらどうだ? と父に言われて、道子としては呆然としてしまった。
 結婚も諦めていたのだから、出産なんて夢みたいなものだ。出産に耐えられたとしても、子育ては道子にはできっこない。道子が子どもを持ったら親子共倒れになりそうに思える。

 一生、コスモス建機と両親に守られて、ひっそり生きていけたらな、というのが道子の希望だった。けれど、母も言った。

「そんなに悪い話じゃないと思うのよ。年上すぎるって以外は、元雄さんはいいひとなんでしょ? 将来はコスモス建機の社長さんでしょ? 道子だって嫌いではないんでしょ? お父さんから見ても、元雄さんだったらいいんじゃないかって言ってるし」
「嫌いじゃないけど……」
「そしたらなにが不満? お父さんもお母さんも若くはないんだから、道子がひとりで残ると思ったら死んでも死にきれないよ。安心させてちょうだいな」

 涙ぐんだ母にすがられ、父にも、いい話だよ、としみじみ言われる。会社に行くと社長や専務が、考えてみてくれてるのよね? とせっつく。元雄は肝心の件には触れなかったが、親切にしてくれていた。

「道子ちゃん、お父さんから聞いたんでしょ。考えてみてくれた?」

 ついにある日、本人の元雄からの質問があった。絶対にいや、ではない。気が進まないという理由では弱すぎる。考える時間はたっぷりもらっていたのだから、断れはしない。

「はい、よろしくお願いします」
「そうか。こちらこそよろしく」

 二十一歳の道子は、四十五歳の元雄の再婚相手になることを決意した。

 専業主婦になればいいと、周囲のひとはみな勧める。子どものいない専業主婦は暇だよ、と言うひともいたが、道子は無理の利かない身体だから、慣れない主婦業はむしろ難行だ。仕事は辞めて毎日一生懸命、家事をこなしていた。

「ただいま。道子、顔色がよくないな」
「お帰りなさい……顔色、よくないですか? 疲れがたまってきたのかもしれません」
「疲れがたまるって、たまるほどのことはしてない……いやいや、いいよ、寝なさい。晩御飯はできてるんだろ? 片づけはしておくからやすみなさい」
「すみません」

 だるくてたまらなかったから、元雄の好意に甘えて寝床に入った。
 結婚式も新婚旅行もなかった入籍の日から、三ヶ月ばかりがすぎたその日から、道子は家事さえできなくなった。

「なんだってそんな弱いお嫁さんをもらったのかって、私たちも言ってたのよ。こんな役に立たない嫁でも、若いのがいいんだねぇ。男ってどうしようもないよねぇ」

 寝込んでしまって三日目に、元雄の元妻、死別した妻の姉だという女性が訪ねてきた。

「妹は大学院出の仕事好き女だったから、私はその分、実家の家事ばっかりやってたのよ。そのせいで独身なんだけど、元雄さんのためには好都合だったでしょ。これから私が家事をやってあげるから」
「は、はあ、でも、そんな……」
「いいのいいの。他人じゃないんだからね」

 夫の元妻の姉、そんな女は道子から見れば完全な他人だが、追い出すわけにもいかなくて姉さんと呼び、おまかせするしかなくなってしまった。

「まあまあ、台所もひどいものね。掃除なんかろくにしてないんでしょ。冷蔵庫の中もしょぼすぎるし、トイレもお風呂もどこもかしこも汚い。汚宅ってこういうのを言うのね。まずは大掃除。それから買い物にいってくるわ。道子さんは寝てなきゃいけないの?」
「いえ、起きられないほどじゃないんですけど……」
「だったら、軽い仕事はしてちょうだい。私は車で来てるから、買い物にも連れていってあげるわ」

 あれよあれよという間に元義姉に巻き込まれ、道子はむしろ疲れ果てた。元義姉は口だけではなく手際が良く、元雄が帰宅する時刻には家も綺麗になり、料理も何品もできあがっていた。

「姉さん、来て下さったんですね。助かりますよ」
「これからは私にまかせておいて。うちの両親はふたりでなんとかなってるから、住み込みで家政婦をやってあげるわ」
「あ、ああ、そうですか……」

 ああ、うまいなぁ、なつかしい味だ、と食卓についた元雄は嬉しそうだ。家の中も片付いて気が休まりますよ、と夫に言われては、姉さんに帰ってもらってほしいとも頼めない。夫の元妻の姉の家事能力は道子とはケタ違いで、体力も抜群なのだから。

「どうしてあんな女と再婚したの? 若かったらなんだっていいの? 草葉の陰で妹が泣いてますよ」
「……性格はいい子なんだけど、早まりましたかね。ボランティア活動みたいなものだったかな」

 早く寝なさい、と寝室に追いやられた道子が夜中にトイレに行こうとしていると、夫と義姉……としか呼びようのない女性の会話が聞こえた。

「いっそ離縁したら?」
「そんなわけには……」
「できなくはないわよ。なんだったら私が……」
「ええ? 冗談でしょ?」

 声が低まっていた部分は、なんだったら私が元雄さんと結婚してあげる、だったのだろうか。ボランティアだったと言われたのも哀しくて、道子は布団にもぐって泣いた。

 翌日、元雄は出勤し、義姉がひとりどたばたと家事をやっている隙に、道子は身体ひとつで家を出た。タクシーに乗るとは思いもよらず、電車を乗り継いで実家に帰った道子を迎えてくれた母に昨夜の話をして、道子と母は抱き合って泣きじゃくった。

「なによ、これは。こんな小説?」
「そうじゃなくて、ネットの身の上相談サイトに投稿するの」
「はぁ? こんなの嘘じゃん」
「嘘でいいんだよ。アルバイトだもん」
「そんなアルバイトがあるの?」
「あるのよ。で、これを身の上相談ふうにまとめて投稿するでしょ。するとレスがいっぱいつく。要するにツリだね」
「うわ、あくどい」
「よくある話じゃないの」

 フリーライターは頭を悩ませる。どうせだったらオチもつけたいな。

 娘から打ち明け話をされた母親は、道子を病院に連れていく。総合病院では紹介状がないとやたらに時間がかかるから、半日も待って診察をすませて帰宅すると、元雄が道子を迎えにきていた。

「元雄さんから話は聞いたよ。元の奥さんの姉さんが手伝いにきてくれて、断り切れなくていろいろやってもらった。元雄さんはあの女性には頭が上がらなかったんだそうだ」
「そうなんです。道子、ごめんな。ボランティアだなんて言ってしまって気を悪くしたんだろ。僕はそんなことは思ってないから……」

 父親の横で正座して頭を下げる元雄に、母は言った。

「義姉さんは、道子と別れて私と結婚しようって言ったんですって?」
「言ってませんよ、そんなこと。なんだったら私が道子さんに引導を渡す、とは言ってましたけどね。すみません、本当にすみません。道子、僕と一緒に帰ろう。義姉さんには引き取ってもらったからね」

 ところで、病院はどうだった? と父親に尋ねられた母親は、重々しく答えた。

「おめでたですってよ。道子さんにだって出産はできなくはない。むしろ母親になったら健康になれるかもしれない。大丈夫だ、産みなさい、って先生はおっしゃったわ」

 こんなオチはどうだろうか。
 あのサイトに集う女たちは、結婚、離婚、不倫、といった話題が大好物だ。道子を主人公にしたこの釣りストーリィを、出産で落とすのはいいのではないかと思える。素直な女たちはオチに喜んでくれるだろう。

 どうなることかと思ったけど、旦那さんもいい人じゃないの。
 おめでとう!! 元気な赤ちゃんを産んでね!!

次は「あ」です。







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FSさくら物語「雨に咲く」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

「雨に咲く」

 辛夷、連翹、花水木、雪柳に菜の花に山吹、馬酔木も蒲公英も菫も露草も。
 まさしく百花繚乱の春の花々の中、ひときわ人の心を酔わせるのは桜の花。老いも若きも日本人は桜が好き。私ももちろん好き。

「……綺麗だね」
「桜だよな」
「本橋くんには桜以外の花に見えるの? 桜じゃなかったらなんなの?」
「うるせえな、確認しただけだろ」

 大学で合唱部に入部して、親しくなった本橋くんと乾くんは性格がかなりちがっている。身長はさほどに変わらないが、本橋くんはがっちり、乾くんはほっそり。本橋くんは声が低くて太く、乾くんの声は高めで清涼感がある。

 外見もちがうが、中身はもっとちがう。
 十代終わりの男の子とすれば、本橋くんのほうが普通かもしれない。乾くんは金沢出身でおばあちゃんっ子だそうだから、東京出身お兄さんっ子の本橋くんとはちがっていて当然だろう。

 普通の男の子って、しかし、こんなにも花の名前を知らないもの? うちの弟たちはどうだったか? 彼らはまだ子どもだし、弟に花の名前なんか訊かないから知らなかったが、こんなものなのかもしれない。それにしても桜まで?

「だったらあの白い花……あっちの黄色いの、知るわけないよね」
「知るわけないだろ。山田、花の話なんかやめろ」
「はいはい。ひとりでこの花々に浸るわ。本橋くんは邪魔だから帰っていいよ」
「ああ……あ、いい匂いがする。たい焼きを売ってるんだな。買ってくるよ」
「たい焼きってあんこでしょ? 甘いのは嫌いじゃなかった?」
「いや、この匂いはあんこじゃないよ」

 典型的花より団子男子の本橋くんは、おまえも食うだろ、と勝手に決めて、出店に近づいていった。
 つきあいも一年になって、本橋くんの食べ物の好き嫌いもわかるようになってきた。彼は甘いものが嫌いで、フランス料理なんかも好きではない。いかにも東京らしいシンプルな料理が好きだそうだ。

 学校帰りに散歩していたらやってきた川沿い。去年もここに来たな……あのひととつきあうようになったころには桜は終わっていたけれど、このあたりにはつつじや菖蒲が咲いていた。あのひとも花の名前に詳しくはなかったけれど、つつじくらいは知っていた。

 四年生のあのひとは、美江子、俺の彼女になれって言った。
 俺を好きか? まだわからない? 好きにさせてみせるさ、って、傲慢な口調で言った。

 そんな男、好きじゃなかったはずなのに。おまえだなんて呼ぶ男も嫌いだったのに。
 故郷の栃木県の高校生だったころには彼氏はいた。けれど、少年と少女の交際だったから、キスまでしかしなかった。そのキスも、あのひとのキスと較べたら子どもみたいなもの。

 はじめてのことをたくさんたくさん教えてくれて、言った通りに私を「星さんが大好き」にさせて、捨てていったあのひと。

 今ごろは社会人になって、職場のみんなとお花見に行ったりしてるんだろうか。女性の先輩にもてていたりして? 私のことなんかとうに忘れて、美人を口説いていたりして? あなたに捨てられてから二か月くらいしか経ってないんだから、私はまだ……忘れるなんて無理だよ。

「ほら、俺の思った通りだ。中身はハムエッグだよ」
「ハムエッグのたい焼きもおいしそうだね。いくら?」
「いいよ、やるよ」

 戻ってきた本橋くんが、アレンジたい焼きをくれた。熱々の甘くないたい焼きをかじりながら、川のほうを見る。

「かわをむいてくえよ」
「は? たい焼きの皮? たい焼きの皮を剥くの?」
「乾が言ってたんだよ」

 東京の川沿いにある店で、とある男性が友人に名物のかしわ餅をごちそうした。友人がかしわ餅を皮ごと食べようとしたので、彼は言った。

 皮を剥いて食えよ。

 すると、友人はくるっと川のほうを向いて、かしわ餅を皮ごと食べた。
 読書が好きでいろんなエピソードが頭の中に詰まっている乾くんが、本橋くんに話してくれたのだそうだ。本橋くんがその話を私にしてくれて、私はくくっと笑った。

「普通、カワヲムケって言ったら皮だよな」
「そうだよね。その友達って乾くんみたいな人じゃない?」
「言えてる。ひねくれてるんだな」

 悪口を言っているわけではなくて、親しみのこもった「ひねくれてる」だった。

「でも、柏餅って皮じゃなくて葉っぱだよね? まいっか……ねえ、本橋くん、私の心情を曲にしてみて」
「曲? いきなり? そんなもん、ここで作れって言われたってできねえよ」
「ワンフレーズだけでも」
「……ピアノがない」
「ハミングしてみて」

 無茶言うなよ、とぼやいてから、本橋くんは目を閉じた。三十分近くも、フェンスにもたれてふたりとも無言でいた。私は川べりに咲く花を見たり、風に舞ってくる花びらを感じたりしていた。

「うん、こんな感じ」
「できた?」
「ちょっとだけな」

 ごく普通の男の子ではあるが、本橋くんにはこんな才能がある。私も目を閉じて、彼の低い声がメロディを紡ぐのを聴いた。

 花びらが散る……散った花びらが私の頬をかすめて、あのひとのもとに届く。あのひとと私は別れたけれど、今年もまた花が咲く。咲いた花が散る。風に散る。花びらが私の髪にとまって、美江子は元気だよな、と囁いて、あのひとのもとへと飛んでいく。

 桜風景の中で本橋くんが作った曲なのだから、私の解釈だってまちがってはいないはず。
 目を閉じて見上げると、ぽつぽつと雨が降ってきた。サクラアメと呟くと、うまそうなアメだな、と本橋くんが応じる。彼は雨じゃなくて飴を連想したのだろうか。

 花に降る雨はあたたかくて優しいから、こうして濡れていてもへっちゃら。
 でもね、隣にいるひとが本橋くんじゃなくて、あのひとだったらな……って、どうしても思ってしまうの。私のために、本橋くんは素敵なメロディを作ってくれたのにね。

MIE/19歳/END








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ガラスの靴69

別小説

「ガラスの靴」

     69・贖罪


 このあたりに知り合いのやっているバーがあるとアンヌが言う。音楽業界やスポーツ業界人がリタイアして、水商売をはじめるのはありがちだ。そういう知り合いの店なのだろう。

「だいぶ前に来たんだけど、酔ってたから記憶があやふやだよ」
「なんて名前のバーだっけ?」
「紫蘭」
「シランなんて知らんなぁ」

 アホなシャレを言いながらも探していた。
 今夜はいつものように息子の胡弓は僕の母に預け、アンヌと夫婦水入らずで外食。アンヌは夕方で仕事が終わるというので、僕が待ち合わせ場所に出てきた。

 三歳の胡弓を連れてはいけないような、フレンチレストランでディナーをごちそうしてもらい、もう一軒行こうか、とアンヌが誘ってくれた。臨時収入でもあったのかな?

「紫蘭、ここじゃないの?」
「ああ、ここだ」
 
 ようやく発見したのは、古びた感じの店だ。紫のネオンサインがレトロな感じの看板で、目立たない場所にひっそりと建っていた。

「久しぶり……あれ?」
「ちがうの?」

 ドアを開けて中に入ったアンヌが、怪訝そうに店内を見回す。僕ははじめて来る店だから知らないが、内装が変わっているのか。カウンターのむこうにいる痩せた女性が、いらっしゃいませ、と微笑んだ。

「前からあんたがママさんだった?」
「いえ、あの、半年くらい前から私はここで働くようになったんです。私はママじゃなくて、ただの従業員です。ママは今日はお休みで、アルバイトの若い子がいるんですけど、まだ来てなくて」
「ママって、紫って女?」
「いえ、保子さんっていう……」
「ちがうな」

 経営者が変わったらしいのだが、「紫蘭」の名前はそのままだ。お店丸ごと別の人が買い取ってオーナーになるというのも、ない話ではないらしい。

「まあいいや。せっかく来たんだから飲んでいこう」
「ありがとうございます。あのぉ、お客さま、芸能人かしら?」
「あたしは芸能人のつもりはないな。ロックミュージシャンだよ」
「そうなんですね。どこかで見た方だと思ってました」

 和服姿の女性は涙子と名乗り、名刺をくれた。涙の子でルイコ。えらく暗い名前に似合った、暗い雰囲気の女性だった。一生懸命愛想よくしようとつとめているらしいが、なんだかぎこちなくて、接客業には慣れていない感じがした。

「あたしはアンヌ、こいつはあたしの夫」
「ああ、そうなんですか。ご主人なんですか」
「主人はあたしだから、こいつが主夫なんだよ」

 まぁーっ!! と大げさな声をあげてから、涙子さんが水割りを作ってくれた。チーズやナッツのおつまみも出てきて、アンヌが彼女に質問した。

「涙子ってこの商売、長いのか」
「いえ、半年前にこちらでは働くようになったのが、はじめてです。それまでは私が主婦だったんですよ」
「旦那は?」
「いますけどね」

 プライベートな話はしたくないのか、涙子さんは曖昧に笑っている。それよりもロックのお話、聞かせて下さいな、とせがまれて、アンヌが語る。昨日から徹夜で続けていたPVの撮影話は、僕にもとても面白かった。
 そうしているとドアが開き、新たなお客さんが入ってくる。いらっしゃいませ……と言いかけた涙子さんの顔がこわばった。

「おかあさん……」
「なにか食べさせてよ。お客がこれだけしかいないんだったらいいだろ」

 入ってきたのは派手な服装のおばあさんだ。お母さんが娘が働いている店でごはんを食べさせてって、アリなのだろうか。しかめっ面の涙子さんにはかまわず、おばあさんはアンヌの隣にすわってしまった。

「あんたも派手だね」
「ばあさんも派手だね」
「その子、あんたの彼氏かい? それとも、ホストクラブの子?」
「あたしの夫だよ」
「ほぉぉぉぉ」

 眼鏡をずらして僕をまじまじと見てから、早くなにか食べさせてよ、とおばあさんは涙子さんに催促する。涙子さんはアンヌに詫びてから、まな板に向かった。

「綺麗な子だね。あんたも別嬪さんだけど、年下だろ」
「そうだよ。ばあさんの亭主は?」
「亭主ねぇ、一度は結婚したんだけど、あんたぐらいの年に離婚したんだよ」
「ふうん」

 珍しくアンヌの知り合いには今夜は会わなかったから、知人がやっているというバーを探してやってきた。なのにそこにも知人はいなかった。僕とばかり喋っていても退屈なのか、アンヌは見知らぬおばあさんの身の上話を真面目に聞いていた。

「亭主は家を出ていってしまって、息子と私が残された。養育費なんかもらえるわけもなかったから、あたしはひとりで働いたよ。息子もアルバイトはして、高校までは卒業させた。高校を出たら就職もして、あたしもちょっとは楽になった。それから十年くらいは、息子とふたりで楽しい暮らしだったんだよ」

 なのに、息子が結婚すると言い出したのだそうだ。

「結婚したいから家を出ていくって言うんだよ。そんなの許せない。あたしは大反対したね。それでもどうしても結婚するって言うから、だったらあたしの面倒も見てよって命令してやったんだ。息子は嫁とはもめてたみたいだけど、苦労をかけた母親の面倒を見るのは当然だろ。嫁になるって女も呼び出して、あたしを捨てるなんてのは人の道にはずれてる、そんなことをしたら世間さまに顔向けできないよって言ってやったから、息子もその女も納得したんだよ」
「へぇぇ」

 なにか言いたそうではあったが、他人ごとだ。アンヌは特にはコメントせず、涙子さんも黙々と料理をしていた。

「そうして息子は結婚して、三人で暮らすようになった。意外によくできた女でね、嫁はけっこうあたしに尽くしたんだよ。だけど、そうやってあたしにばかりかまけてるから、旦那がないがしろになる。息子はあの父親の血を引いてるんだから、ちゃんと見張ってないと浮気するだろうと思っていたんだよ」
「浮気したわけ?」
「それもしようがないだろうね。女としての魅力が全然なくなっちまって、姑と我が子しか見えてない嫁なんだもの。そんな女房だと男は浮気するさ」

 元凶はあんたなんじゃないの、おばあさん? と僕も言いたくなったが、アンヌが黙っているのだから僕も黙って聞いていた。

「ところが悪いことに、息子の浮気相手ってのも結婚してたんだね。ダブル不倫ってやつさ。息子は開き直って、むこうの女の亭主に慰謝料を請求されてる、俺には金がない、どうにかしてくれ、って嫁に泣きついた。嫁は主婦をやってたから稼ぎはなかったんだけど、そうなったら稼ぐしかないだろ。あたしが仕事を探してきてやったんだよ」
「なんかそれ、変じゃねえのか?」

 うん、すごく変。僕もアンヌに同意し、涙子さんはおばあさんの前にチャーハンの皿を置いた。

「しけた食い物だな。まずそう」
「文句言わずに食え」
「あんたに言われる筋合いはねえんだよ」

 毒づいたものの、アンヌに言われたので渋々、おばあさんはスプーンを手にする。うまくないね、あいかわらず下手だな、と文句を言いながらも、チャーハンを食べつつ続きを喋っていた。

「息子は嫁に子どもとあたしと、慰謝料の支払いまでを押しつけて家を出ていっちまったよ。母親の恩をあだで返すってのはあのことだ。やっぱり父親の血なんだよね。あんたもこんな顔だけ綺麗な男と結婚してたら、浮気されて捨てられるよ」
「あのさ、ばあさん」

 その一言はスルーして、アンヌがおばあさんに尋ねた。

「涙子はあんたの娘?」
「あんたはなにを聞いてたんだよ。ぼーっとして、頭が悪いのか。今の話に出てきただろ。涙子がその嫁だよ」

 へ? は? とアンヌと僕はあっけに取られるしかなく、おばあさんは涙子さんに言った。

「あんたは料理も下手だし気が利かないし、亭主に出ていかれるのも当たり前だね。こんなんで客にまともな料理を出せてるのか?」
「このお店はバーですから、あまり料理はしないんですよ」
「料理も下手だし不景気な面してるし、この店も流行ってないんだろ」
「お客は少ないですね」
「そのうち潰れるかねぇ。水商売も無理だったら、ソープででも働くか? あんたにできる仕事なんか他にはないだろ」

 つんつん、とアンヌがおばあさんの肩をつつく。おばあさんはその指を振り払い、僕はついに言った。

「涙子さん、今の話ってほんと?」
「だいたいは……」
「なんで……逃げないの?」
「夫の借金を返すのは、妻のつとめですもの」
「離婚すりゃいいじゃん」

 そうだそうだ、とアンヌも力強くうなずき、おばあさんは言った。

「亭主が稼いでくるときだけはいい顔して、つらい立場になったら捨てるって、そんなの、世間さまに顔向けできるはずないだろ。あたしが許さんよ」
「ばばあに許してもらう筋合いはねえんだよ」
「ばばあとはなんだ。このあばずれ」
「なんだとぉ?」

 カウンターから飛び出してきた涙子さんがおばあさんを止め、僕がアンヌを止めた。アンヌはかなり怒っていて、僕は妻を抱きしめて耳元で言った。

「涙子さんがそのつもりにならないだったら、僕らにはどうにもできなくない? こんな女性っているんだね」
「……あたしらは他人だからな。うー、しかし、むかつくっ!!」

 他人のためにも怒ってみせる、正義の味方アンヌは大好きだけど、まったく僕らにはどうにもできない。僕はカウンターにお札を載せて、アンヌの肩を抱いて外に出た。
 涙子という名前、あの暗い空気、彼女の境遇にぴったりすぎて嘘みたいなほどだ。「紫蘭」という名前までが、どろどろーっじめじめーっと感じられてきた。

つづく









 

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FS超ショートストーリィ・四季の歌・章「春の非」

番外編

フォレストシンガーズ

四季のうた

「春の非」

 うらうらと春の陽。
 昼寝がしたくて登ってきた、都会のビルの屋上。ここは空中庭園になっていて、人の目に触れにくい緑の中に隠れていられる。これもフォレストの一種だ。

「フォレストシンガーズの木村章さん?」
 ファンに見つけられて声をかけられるのが嬉しいときもあれば、わずらわしいときもある。今の俺は春の陽の中で、誰でもないひとりの人間でいたかった。なんてかっこつけてみても、別に意味ないんだけどね。

 はるのひ……。
「ひ」っていろんな字があるなぁ、なんて、春の陽の中で考える。ほとんど眠りの中にいながらも、「はるのひ」を考えていた。ねむいときのしこうにはいみがなくて、いみがないのがいいのだから……。

 あ、こんな字もある。
「非常階段」の非。これも、春の「ひ」。

END








 

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FSさくら物語「桜めぐり」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

さくら物語

「さくらめぐり」

1・高知 

ソメイヨシノの開花宣言は、高知城の樹が基本なのだと聞いた。この樹の花がいくつか開いたら、日本中にサクラサクの報告がなされる。

「ああ、咲いてるよ」
「ほんまやきに……もうじきやな」

 その樹をヒデに教えてもらって、俺が見つけた一輪。もうすこし遅く来たら桜満開の高知城が見られたのだろうが、こうしてここにヒデとふたりでいるだけでもいい。俺としては恥ずかしくてそんな台詞は口にできないが、言わなくてもいいのだ。

「シゲ、たこ焼き食おうか」
「高知のたこ焼きってうまいのか?」
「土佐の食いもんはなんでもうまいんじゃきに」
「……うん、食おう」

 花よりも言葉よりもたこ焼き。大人になっても俺たちはちっとも変わっちゃいないのである。


2・和歌山

 この花の下に貴志駅のたまをすわらせたら、猫雑誌や旅雑誌の表紙にできそうだ。俺がたまを抱いていたら、フォレストシンガーズファンクラブ会報の表紙にもぴったり。一度でいいからそうしたかったな。

 昨年、天国の駅長に就任して逝ってしまった猫のたま。俺は彼女とCMに出るのが夢だった。雑誌の表紙もいい。うちの会報にゲスト出演してくれるのでもいい。俺が和歌山県観光大使に選ばれたりしたら最高。たまと共演したいなぁ。そんな夢はかなえてくれず、たまは遠くに行ってしまった。

 日本でもっとも早く咲く部類の、和歌山の桜。たまはきっと和歌山県の桜のもとで、写真を撮ったことはあるよね。ユキとたまの共演は、俺の空想の中でやるよ。猫ってけっこう植物を食べたがるけど、たまももしかしたら、桜の花びらを食べた? おいしかった?

  
3・東京 

 少女だったら知らないが、大半の少年、はっきり言ってしまえば「男のガキ」って奴は、桜になど興味はない。家族で花見をしても、早く弁当にしようよ、としか思っていない。俺ももちろんそんなガキだった。

 そんな俺が東京の桜を見ている。ああ、桜って本当に綺麗だな、なんて思うようになったのは、なんのせいだろう? 歳のせい? 俺はまだそんな年じゃないぞ。もののあわれって奴がわかるようになってきたからか? そういうのを教えてくれた乾のおかげもあるのかな。

「桜舞う……本橋、どう続ける?」
「突然振るな……えっと、俳句だよな。ええーっとぉ……そうだ!!」

 金さんのせな、鮮やかに、と頭に浮かんだフレーズを口にすると、乾は笑い出した。
 いやぁ、実に本橋真次郎らしい。いやいや、グレイト!! などと言って大笑いしている。どうせそうだよ。桜吹雪っていったら遠山金四郎だろうが。江戸っ子はそう思うんだよ。

 うん、時代劇を連想するんだから、歳のせいってのも認めるしかないかな。


4・富山

 北国なのだから当然だが、北陸地方では桜はゆっくりと咲く。北陸以南では花吹雪が舞いはじめるころに、俺の故郷、金沢では桜が見ごろを迎える。年々、積雪が少なくなるのにともなって、桜の開花も早めになっているかもしれない。

「乾くんは石川県出身? 金沢? そっか、俺は富山出身だから、金沢って憧れたもんだよ。妬ましくて嫌いだったりしてな。うん、乾くんって金沢出身って感じだよ。俺は富山のカントリーボーイって感じだろ」
「……とんでもない。そんなふうに言われたら恥ずかしいですよ」

 初対面の際だったか、すこしは話もできるようになってからだったか、桜田忠弘さんにそんなことを言われた。
 富山出身の男性がカントリーボーイなのかどうかは知らないが、桜田さんにはカントリーの匂いなどしない。ただ、富山や福井の人間は金沢に憧れるとは聞いた。金沢以外の石川県出身者でさえも、金沢は別格視するようで。

「そらそうですよ。俺ら、大阪の人間でも金沢は特別って気がします。大阪のもんには京都は近すぎて特別でもないんで、むしろ金沢のほうが特別かな」
「大阪の人って京都に憧れないのか?」
「うーん、富山と大阪はちがいますからね」
「ふむふむ、そういう意味で……」

 これは大阪出身の大学の後輩、実松との会話だ。

 そういう意味とはどういう意味かは、推して知るべし。大阪人は東京にも憧れはしないと実松は言っていたので、大阪人のほうがある意味、特別な日本人かもしれない。

 富山にはなんの思い入れもなかった金沢人の俺が意識するようになったのは、桜田さんと親しくなったからだ。今日は金沢に仕事でやってきて、ふと思い立って富山まで足を延ばした。富山の人間は金沢に観光にも訪れるのだろうが、逆はあまりないかな。なので、俺も富山はよくは知らない。フォレストシンガーズの乾隆也になってから、仕事で幾度か来た程度だ。

「お……」

 思いがけなくも目の保養ができたのは、ここははじめての高岡城址、古城公園になっている高岡城址へと駅から続く道には、八重桜が満開の姿を見せてくれていた。

「金沢では桜は散ってたのに……」

 誰ひとり行きかう人もない桜の道にたたずんで、満開の八重桜を堪能させてもらったのも、ある意味、桜田さんのおかげだったともいえる。

 
5・札幌

 北海道の桜はいきなり咲き、ばっと開いて短期間で散ってしまう。桜なんか見ているようで見ていなかった、俺が北海道にいた十八までのガキのころには、そんなもんだった。

「稚内はまだだけど、札幌は昨日、急に咲いたんだって。綺麗だねぇ」
「瑳絢も桜には負けてないな」
「え?」

 ぽかっと口を開けてから、いとこの瑳絢は俺の腕のあたりをぼかぼか叩いて笑いころげた。

「章さんったらやだっ!! お世辞っ!!」
「いやいや、まあ、これはリップサービスともいうんだけどな」
「それ、綺麗って意味? そんなの言われたの生まれてはじめてだぁっ!!」
「幸生や乾さんには言われただろ?」
「そうだっけ?」

 笑いやんで首をひねっているサアヤには、天然ボケ傾向がある。十八になったいとこのサアヤはフォレストシンガーズのファンなのだそうで、行ける限りはライヴを聴きたいと言う。俺の親の家とサアヤの住まいは近く、彼女も稚内在住だが、札幌でのライヴにも来てくれた。

 いとことはいえ、十八歳のサアヤは瑞々しくも綺麗だ。さすがに章の血縁だよな、と乾さんは言い、俺がもっと若かったらなぁ、と幸生も言っていた。

 恋愛感情など持つはずもない相手のほうが、気楽でいいのかもしれない。それでもやっぱり綺麗な女の子と、日本ではほぼ今年最後になるはずの札幌の桜を見る。故郷は近いとはいってもそれほどでもないのだから、こうしているのはなかなかにいい気分だった。

END








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FS超ショートストーリィ・四季の歌・繁之「春の陽」

番外編

フォレストシンガーズ

四季のうた

「春の陽」

 仔犬みたいな丸い目をした後輩が、無邪気そうに俺の顔を覗きこむ。
 ラジオ番組にゲスト出演しているのだから、聴取者のみなさんには俺の顔は見えないのだが、学生時代の後輩、酒巻國友の視線を意識してしまった。

「シゲさん、どうかしました? 僕、なにか変なこと言いました?」
「いや、変なことなんか言ってませんよ。うん、春ですね、ほんとに」
「春ですよねぇ。陽射しがほんと、春ですね」

 酒巻がDJをつとめる番組を放送しているラジオ局のスタジオ、小さな窓からも陽射しがいっぱいに降り注ぐ。この陽射しってなにかに似ているな……ああ、そうだ、と思い当って、ひとりで照れてしまったのだ。

 なにに似ているのかといえば。
 そう、恭子。俺の奥さん。そんなこと、他人の前では照れくさくて言えない。ファンの方がラジオを聴いてくれているのだから、よけいに言えない。

 でも、寂しくて暗くて真冬みたいだった俺に、ぱっと射し込んだ春の陽。それは恭子そのものだから。嬉しくて恥ずかしくて、俺の頬にも陽射しみたいな明るみが射しているはず。

SHIGE/28/END







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169「白い恋人たち」

ショートストーリィ(しりとり小説)

しりとり小説

169「白い恋人たち」

 函館支店、こんな小さな支店の営業課長だなんて、栄転だとは思えないが、地方であっても課長になれたのは、会社から期待されているからだと山木珠緒は考えることにしていた。

「山木課長は三十二歳なんですか。その年で課長だなんて、すごい出世ですよね」
「そうでもないけどね」
「どこの大学ですか?」

 東京の大学、そこの院を出たの、理系? そうよ、という会話をした相手は、三つ年下の部下、小野田満だった。

「やっぱすげぇですよ。俺は札幌の大学を卒業したんですけど、大学院には行けなかった。俺も理系なんですけど、院まで進まないと大卒と同じような仕事にしか就けませんよね。課長は院まで出てどうしてこの会社に?」
「誘われたのよ」
「縁故入社ですか」
「縁故じゃないよ。教授の勧めだったの」

 三つ年上なだけの女が上司になるとは、と小野田はひがんでいるのかと思ったが、それもあるにしても、珠緒と親しくなりたいとは考えているようだ。課内では小野田と珠緒の年齢がもっとも近いのもあり、いつしか仲良くなっていった。

「課長、彼氏はいないんですか?」
「函館に来るときに別れてきたわ」
「俺を棄てて函館なんかに行くのかって言われたとか?」
「ま、そんなとこ」

 学生時代から十年もつきあっていたモトカレは、あきらかにひがんでいた。

「珠緒は俺の支えになってくれるって気はひとかけらもないんだよな。俺はブラック企業に就職しちまったから、二度、転職をした。珠緒はたまたまいい会社に就職できたから順調に出世して、俺を見下してるんだろ。そうはいっても珠緒の会社なんか、ちっぽけなもんじゃないか」
「まあそうだけど、男女差別はしないいい会社だよ」

 そんな会話は平素から頻繁で、珠緒のほうが収入いいんだから、出しておいて、とデート費用やホテル代も払わされたりした。

「函館支店の課長? 珠緒は俺よりも仕事が大事なのか? 俺を棄てていくのか」
「そんなこと言うんだったら、キミが私についてきてよ」
「俺も函館に? 珠緒のほうが仕事をやめるって気はないのか? 俺を選ぶって言うんだったら、結婚してもいいんだよ。珠緒も三十二だろ。結婚出産を望まないのか」
「キミが函館についてくるんだったら、結婚してあげてもいいよ」
「結婚してやるのは俺のほうだろ」
 
 平行線をたどったあげくに、彼とは別れた。詳しい事情を話す気にもならないでいる珠緒に、小野田は自分のほうの話をした。

「俺も大学のときには何人もの女の子とつきあったんだけど、あのころって俺は結婚なんか考えられなかった。女の子のほうはそうでもなくて、小野田くんだったら有望だから婚約しない? なんて冗談めかして言うんですよ。それで何人もから逃げ出したんだけど、大学三年のときの彼女、いい女だったな」

 金持ちのお嬢さまだから品があっておっとりしていて、結婚などとは言い出さなかった。

「鷹揚で優しくて、今から思えば最高の彼女だったんですけど、俺も若かったし、これからいくらでも女の子とは知り合えると思って、別れました。噂によると彼女は……」

 どこどこの会社の御曹司と結婚したらしい、と小野田は言った。

「卒業して前の会社に就職して、今度は同い年の幹部候補生の女の子とつきあったんですよ。彼女は課長と似たタイプで、仕事命って感じだったな。お嬢さまはなんでも俺に合わせてくれたけど、彼女は自分に合わせさせようとする。俺を操ろうとする。やっぱあのお嬢さまのほうがよかったな、なんて後悔したりしてね」
「ないものねだりだね」

 そうですよね、と小野田は頭をかいていた。

 北海道の中では都会だとはいえ、函館には繁華街がそういくつもあるわけではない。いきおい、社員の行動範囲も限られる。小野田とふたりで飲んでいる姿を目撃されたこともあったし、ひとりで飲みにいった店で、部下と遭遇したこともあった。

「あら、課長、おひとりですか? 小野田さんとじゃなくて?」
「小野田くんとなんかめったに飲みにはきませんよ。古場さんこそ、ご主人と待ち合わせ?」
「私もたまにはひとりで飲みたいんですよ」

 パート社員の古場鶴美、彼女は四十歳で、独身時代は正社員として、結婚してからはパートとして同じ職場で働き続けている。変形お局さまのようなものだが、珠緒の職場では主のようものでもあるので仕事では重宝していた。

「で、小野田さんとはつきあってるんですか?」
「職場恋愛はしたくないな」

 避けるわけにもいかなくて、珠緒は鶴美と同席することにした。

「恋愛にはなってるわけだ」
「そうなのかなぁ」
「告白されました?」
「告白なんかしてこないよ。彼は年下だし、部下だし、思わせぶりは言うけど、遠慮してるんだろか」

 モトカノは何人もいたけど、決め手に欠けたんですよね、今度こそ、結婚相手になる女性とつきあいたいな、と小野田は言い、珠緒の顔をじっと見つめていた。

「年下ったって、たった三つでしょ? 部下だからって遠慮なんかしていたら、今どきは社内結婚できないじゃないですか」
「そうは言ってもね……」

 ため息をつく珠緒に、相談に乗りますからね、と鶴美は言ってくれた。
 彼女も部下ではあるのだが、年上で既婚なのだから人生経験は豊富なはずだ。それからは珠緒は鶴美に小野田とのあれこれを相談するようになり、鶴美も親身になって聞いてくれた。

「そこは珠緒さんがさりげなく一押ししなくちゃ」
「私が押すの?」
「そうですよ。それもさりげなく、さりげなくね。珠緒さんからのアプローチだってむこうに思わせたら、男は図に乗りますから」
「なるほど」

 社内ではパート社員と課長だが、プライベートでは鶴美のほうが先輩だ。珠緒さん、鶴美さんと呼び合うようになって、有益なアドバイスもしてもらった。

「課長……じゃなくて、珠緒さんって呼んでもいいかな」
「ええ?」
「つきあうようになったら、あなたが俺の上司だって忘れていいかな」
「……それ、告白?」
「恋人同士になったら、ため口でもいいかな」
「いいよ。許してあげる」

 仕事一筋で生きるつもりはないから、珠緒は結婚だってしたかった。三十二歳は女としてはぎりぎりに近い年齢だとも聞く。すこしだけ年下の、仕事もルックスもそこそこの男。上昇婚思考のない珠緒には小野田は理想に近かったから、やった、と内心で小躍りした。

「ただし、私は若くもないんだから……」
「もちろん、結婚を前提でつきあって下さい」
「いいわ」

 やったやった、私の勝ち!! 珠緒としてはそのつもりで、鶴美にも報告した。

「よかったですね。近い将来には函館で新家庭を構えるんですか」
「私が本社に戻れたら一番いいんだけどね」
「小野田さんって函館のひとでしょ? ご両親もいらっしゃるんでしょ? 嫁としての立場は……」
「嫁に行くつもりはないから。私は小野田くんと結婚するんだよ」
「そりゃそうですけどね」

 今すぐに結婚するわけでもないのだから、そのあたりはおいおい考えていけばいい。珠緒としては譲れない部分は、小出しにして小野田に伝えていくつもりだった。

 北国で暮らすのははじめての、北海道の冬。函館は積雪は少ないほうだが、それでも雪景色になる日もよくある。白い街がライトアップされた冬は、恋をしている珠緒にはロマンティックで美しかった。

「えと、珠緒さん……」
「なに?」

 本年度の仕事おさめの日、早めに勤務を終えて、珠緒は小野田との待ち合わせ場所に急いだ。小野田は緊張の面持ちで珠緒を迎え、食事に行く前に……と切り出した。

「珠緒さんに言われた通りで、俺ってないものねだりなんだよね」
「ん?」
「癒し系のお嬢さまとつきあっていたら、仕事のできる自立した女がよくなる。キャリアウーマンとつきあっていたら、可愛くてつくしてくれる女に目移りする。その調子で二十代には彼女を何度も取り換えた。今度こそは結婚して落ち着きたかったんだけど、両親に話したら難色を示されて……」
「私が年上だから?」

 その懸念はなくもなかったが、小野田は、俺が説得するからまかせておいてくれ、と言っていた。珠緒の両親は反対はしないだろうから、きちんとまとまってから話すつもりだった。

「それもあるし、職場で奥さんのほうが立場が上だってのもやりにくいだろって」
「だったら、満くんが転職すればいいのよ。私が話にいこうか?」
「いや」

 苦悩のいろをおもてに浮かべて、小野田は首を振った。

「そんなときに、俺はまたないものねだりをやってたんだ。可愛くて若くて、仕事なんかたいしてできはしないけど、この子とだったら親は絶対に反対しないだろうっていう、二十三の子とね……」
「浮気したの? 誰?」

 あなたの知らない女の子だよ、と小野田は言うが、彼女を守ろうとしてかばっているのかもしれない。

「浮気ってか、俺はまだあなたとは結婚してないんだから、心変わりってか気の迷いってかね……だけど、苦しくて相談したんだ。相談相手はあなたもよく知ってるひとだから……古場さん」
「ああ、古場さんね。彼女には私も相談に乗ってもらったよ。古場さんだったら満くんを諌めてくれたでしょ」
「ってかね……」

 いっそう苦しそうに、小野田は言った。

「ないものねだり、そのときにつきあってるのとちがったタイプに走るってのは俺の定番なんだけど、これはかなり異色だなと」
「なんのことなの?」
「熟女ってほどの年齢でもないけど、あのくらいの女は究極に癒してくれるんだよね。珠緒さんとはずいぶんちがったタイプの……深みにはまりそうなんだ」
「誰と? え……えーっ?!」
「そうなんだよ。俺は誠実でありたいから、目移り、心変わりをしたら前の彼女とは別れる主義だ。珠緒さんとは結婚前提のつもりだったけど、あくまでも前提でしょ。決定ではなかったからね。だから、ごめんなさい。俺のことは忘れて下さい。俺が転職するんでもいいよ。あなたは悪くないものね」

 うだうだと弁解している小野田の声は、珠緒の耳を素通りしていく。

 本当なのか? 相談に乗るのが好きな鶴美が、知恵を授けたのではないのか。仕事を辞めてもいいつもりだったら、私との仲をでっちあげれば? 若い子に乗り換えられたら闘志を燃やすかもしれないけど、私とだったら珠緒さんもがっくりして、勝手にしろって言うんじゃない?

 そう考えたがるのは珠緒のプライドゆえか。ふっくら太った鶴美は珠緒にはおばさん以外の何物にも見えないし、既婚でもあるのだから心配もしていなかったが、実は小野田を狙っていたのか。珠緒も鶴美に小野田の情報を与えすぎたのか。いずれにしても、小野田とは別れることになりそうだ。

「いい思い出をありがとう」
「珠緒さん、俺はあなたのそんなところが好きだったよ。潔いよね。男前だよね」

 本当のことなんてわからないけど、ここは私のゆきずりの土地だ。男もゆきずりの相手だと割り切れるはず。割り切れるはずだと、珠緒は自分に言い聞かせた。

次は「ち」です。








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FS俳句・短歌・超ショートストーリィ2017/4

forestsingers

 FS俳句・短歌・超ショートストーリィ2017/4

 ぼーっと春霞がかかったような頭の中に、こんな歌が浮かぶ。

 「杏あまさうな人は睡(ね)むさうな」室生犀星

 ひとり、故郷の道を歩いている隆也の頭の中の春霞は、まぼろしの杏の花がつくりだしているのか。この歌の「杏」とは杏の実のことなのだろうが、先に花だ。白い花、杏の花。

 ここは隆也のふるさとでもあり、歌を詠んだ室生犀星のふるさとでもある。

 見たいな、杏の花を。
 俺にもこんな歌が詠めるだろうか。
 あなたに張り合おうなんて、へっぽこ歌人には僭越ですけどね、犀星先生。俺だと犀星氏ではなくて再生紙みたいものだもんな。

 なんて、ひとりごとも頭にのぼせながら歩くのは、金沢は犀川のほとり、「さいせいのみち」。

TAKA/35/END

KIMG0076.jpg

あんずではなく、今月も梅の花です。
私も杏の花が見てみたいにゃ。
















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FSさくら物語「さくらガール」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

さくら物語

「さくらガール」

 冬には雪の積もった北国へと旅に出る、傷心の日本人。
 北には別れたひととの思い出や、ふるさとの想い出があちこちにころがっている。

 日本人は北が好きで「北……」とタイトルにつく歌はヒットするのだそうだ。そして冬が終わると春。春には日本人がもっとも好むものがある。「さくら」関連のヒットソングはたくさんありすぎて、俺なんかはどれがどれだかわからない。

「パール、チェリーブロッサム関係の海外ロックって知ってるか?」
「桜だよね。外国人は桜になんか興味ないんじゃないの?」
「ワシントンポトマック河畔に桜並木があるだろ」
「あるらしいけどね」

 フォレストシンガーズの木村章さんに質問されたが、俺も海外の桜の歌ってのは記憶にない。ロックにかけては俺なんかよりも数倍詳しい木村さんが知らないんだったら、俺が知るわけないじゃん。

 小学生のころに叔父の影響で、俺はロック好きになった。俺の母と俺の叔父は当然姉と弟で、ヤンキー姉弟らしく早く結婚した。母と俺の年齢差は十七歳で、叔父はさらに年下なのだから、俺の兄貴に近かった。
 叔父に教えられてボン・ジョヴィの大ファンになり、彼らの歌をピアノで弾きたくて練習を熱心にやった。

 ロックキッズがたどる道としてはありふれたことに、俺もバンドを組んでロックスターを夢見ていた。
 高校生のころにロック雑誌で、ファイとエミーがバンドのメンバーを募集しているのを読んだ。ファイがヴォーカル、エミーがギターだったから、キーボードの俺は彼女のミキちゃんの勧めで応募してみた。

 それからはなかなかのとんとん拍子で、ファイ、エミー、トピー、ルビー、パールの五人組ヴィジュアル系ロックバンド「燦劇」は人気者になっていった。フォレストシンガーズは燦劇をデビューさせてくれた音楽事務所、オフィス・ヤマザキの先輩ヴォーカルグループだ。

 とんとんとスターになった燦劇が分裂するのも早く、一時休止の形を取った俺たちは離れ離れになった。

 ロスアンジェルスでギター修行中のエミー。グラブダブドリブの沢崎司にベースの弟子にしてもらうんだと張り切って、ツアーローディをやっているトピー。アイドルのバックバンドでドラマーをやっているルビー。みんな、したいことがあるのだから、燦劇はもう解散同然だろう。

 ただひとり、ファイだけはふらふらして、神戸でよそのバンドとセッションしたりしているらしい。燦劇は収入もよかったのですぐに金に困ることもなく、充電中ってわけなのだ。ルビーとトピーは結婚して、ルビーには子どもも産まれた。

 そして俺は、メインの仕事としてはDJをやっている。誰かに頼まれてレコーディングを手伝ったりもしているし、歌も書き溜めている。燦劇ではファイが作詞、エミーが作曲をしていたのだが、俺だって歌は作れなくもないのだから、本名磯畑耕史郎のオリジナルソングを書いているのだ。

「パールは作詞も作曲もするんだね。CD発売予定はあるの?」
「特にはないけど、詞も曲もだいぶ溜まったよ」
「私にひとつ、提供して」
「あ、そう? どういう曲がいいの?」
「桜もので起死回生を狙いたいから、桜がいい」

 過去にはヒット曲もあるが、近頃はひっそりしている。それでも昔の固定ファンがついてくれているベテランシンガーの、長渕都。彼女とラジオの仕事を一緒にして頼まれ、木村さんの言っていた桜ロックを思い出した。

 夢よもう一度とでもいうのか。都さんだって新曲をヒットさせたいんだ。気持ちはわかるよ。磯畑耕史郎の名前でCDを出すなり、もと燦劇のパールの名で出すなりするよりも、都さんが歌ってくれたほうがいいかなぁ。なんて、打算もあって引き受けた。

 北は演歌になりがちだが、桜だったらロックにもなりそうだ。長渕都はパワフルなロックお姉さんなんだから、しっとりはしていない桜ソングがいい。

「前に木村さん、言ってたでしょ。海外の桜ロックってないんだよね」
「思いつかないから俺が作ろうと思ってたんだ」
「木村さんだったら男の歌だよね。俺は女の桜ロックを書くから。これ、聴いてみて」

 このメロディに若くはない女性の想いと桜をからめたらどうだろう、そう思って、俺が作って保存してあった曲を木村さんに聴いてもらった。

 正式に解散したわけではないので、燦劇はオフィス・ヤマザキに所属したままだ。俺のDJとしてやその他諸々の仕事もマネジメントしてもらっている。なのだから事務所にも出入りしている。春が近くて桜だよりももうすぐ聴こえてきそうな今日、木村さんと事務所の中庭で話をしていた。

「うーん、弱い」
「どこがどう弱いの?」
「どこもかしこも弱い。こんなのロックじゃない」
「アレンジ次第でロックになるでしょ」
「ならねえよ」

 駄目出しされて言い返していると、おどおどした視線を感じた。

「クリちゃん、これ、聴いてみてよ」
「あいつにロックなんかわからないんじゃないのか」
「クリちゃんだってシンガーでしょ。どうした? 元気ないね」
「あいつは元気ないってか、生まれつき覇気がないんだよ」

 フルーツパフェの栗原準。我々燦劇の後釜みたいにして、オフィス・ヤマザキに入ったフルーツパフェの片割れだ。見た目でいえば三大弱虫男は、酒巻國友、パール、栗原準だ、と木村さんは言うが、クリちゃんと並べないでほしい。
 中身はパールがいちばん強いかな、とあとで訂正してくれたので許すが。

 弱虫きわめつけのくせして、クリちゃんは結婚している。俺だってその気になればミキちゃんと明日にでも結婚できるのでうらやましくはないが、こうおどおどされると嗜虐心をそそられるのだ。

 そのせいで、苛めっ子ファイにクリちゃんはしょっちゅうなぶられている。俺はファイほどの苛めっ子ではないのだが、クリちゃんから見ればもと燦劇はみな同じ。そんな目で見られると意地悪をしたくなる。木村さんはクリちゃんに俺の曲を聴かせ、うーんうーん、と唸っているクリちゃんに、どうなんだ、はっきりしろ、と責めていた。

「日本でいちばん桜の早いのはどこ?」
「遅いのは旭川あたりだな」
「遅いのは聞いてないんだよ。今、どこかで咲いてる?」
「えーと、高知じゃないですかね。和歌山でもぽつぽつ咲いてきているらしいですよ」
「そっか、クリちゃん、サンキュー」

 ワシントンDCポトマック河畔に桜を見にいって、アメリカン美女ふうに元気な曲を書きたいところだが、ワシントンは遠い。それに、アメリカ東部はまだ寒いんじゃないだろうか。そしたら高知だ。

「……急に桜って、パール、どうしたの? こんなのって一部咲きくらいじゃない?」
「目を閉じてこうすると……」

 善は急げ、でミキちゃんとふたり、高知空港へと飛行機に乗った。開花宣言は出ていたものの、さすがに高知でもまだ早い。けれど、そよ吹く風に桜の香りを感じるような気がする。高知城の見えるあたりでミキちゃんの肩を抱き、目を閉じて想像してみた。

 桜の花びらが舞い踊る。桜の花みたいな女の子も踊ってる。きみは誰? ミキちゃん……じゃなくて、あれ? モモちゃんじゃん。クリちゃんの奥さんのモモちゃんだ。

 モモって名前の桜ガール。いいなぁ。
 よしよし、この曲をつかまえて料理して、先にモモクリにプレゼントしよう。モモちゃんのイメージなんだよ、と言ったらミキちゃんが妬くだろうから彼女には内緒だけど、クリちゃんには言ってやろうっと。

 ええ……そんな……モモちゃんは僕の奥さんなのに。
 だったらおまえが桃の花の曲でも書いて捧げろよ。できないんだろ? できないんだったら感謝して、俺の書いた曲を歌え。おまえはモモちゃんのうしろでハーモニーをつけてりゃいいんだからさ。

 頭の中で曲が形をなしてくる。この曲を聴かせてやったときのクリのいじいじっぷりを想像するとぞくぞくして、嗜虐心のまじったいい曲ができそうだった。

END








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FSさくら物語「花しぐれ」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

さくら物語

「花しぐれ」

 はらはら、ひらひら、ちらちら、俺にはそんな言葉でしか表現できないような花びらの中で、乾さんが歌っている。俺は素早くICレコーダーをセットした。

「散る花に 華やいで
 降る雨に 涙して
 自分さえ あざむいて
 舞う花に 想い託して」

 俳句みたいな歌詞は即興なのだろう。ただただ散る花と乾さんの声と、もの哀しいメロディ……いいなぁ、情緒のない俺でさえも涙ぐんでしまいそうに、はかなくて切ない歌になっていた。

「早く行かないと桜が終わっちゃうよ」
「さくらさん、どこに行っちゃうの?」
「来年の春になったらまた会おうねって、準備に行くんだよ」
「どこに?」
「桜さんの国」

 息子の素朴な疑問に、妻が精いっぱいロマンティックに答えている。長男の広大は桜ってものにも意識を向けるようになってきて、近所の公園で拾った花びらをノートにいっぱい貼っていた。
 次男の壮介は桜に関心があるのかないのか、まだまともな言葉は発しないのでわからないが、ばぶばぶ、まままんま、などど言っていた。

「シゲちゃん、明日はお花見ね」
「うん。花見弁当作ってくれよ」

 花より弁当の夫に応じて、妻が張り切って作ってくれた。花も弁当も両方大好きな広大ははしゃいでいて、壮介も嬉しそう。俺が休みで遊んでやると息子たちがたいそう楽しそうにしているのは、親父としても嬉しいものだ。

 盛りをすぎつつある桜の花びらが、盛大に舞い散る。これはこれで豪勢な景色なのではないだろうか。家族四人、車ですこしだけ遠出して、人は少なくて桜の花はたくさんある場所で弁当を広げた。

「こんなところ、はじめて来たかも」
「だろ? ここは前に乾さんが教えてくれた穴場なんだよ。うちからだと近くないけど、フォレストシンガーズのスタジオからだと歩いて来られるんだ。事務所のみんなで花見をしたり、ふらっと五人で来て、買ってきた弁当を食ったりしたな」

 あのころは恭子とは知り合ってもいなくて、俺には一生彼女なんかできないかも、とひがんでいた。それでも花は美しく、弁当はうまかった。

 壮介は恭子の膝で離乳食を食べさせてもらっている。広大はおとなしくおにぎりを食べていたのだが、遊びたくてそわそわしてきたのだろう。食べ終えると花びらの舞う中に駆け出していく。花びらが地面に積もっているところまで走っていって、両手ですくってまき散らし、きゃはははっ、と幸生みたいな声で笑っていた。

「広大の声って三沢さんに似てるよね」
「そうなんだ。俺もそう思ってた。ってか、幸生の声が三歳児みたいなんだよな」

 で、趣味は本橋さんに似ている。広大ってほんとは誰の子? などと章が口走って、乾さんにごつんとやられていたっけ。外見は俺に似ていて、最近いくらかほっそりしてきたものの、それでもお父さんそっくりと言われるのだから、俺の子に決まっているではないか。

 ぶわぁーーっ!! と花の洪水みたいなのが、恭子と俺の上に降り注ぐ。やった広大はきゃあきゃあ笑っていて、壮介もきゃっきゃっ喜んでいる。こらこら、やめなさい、と言いつつも恭子も笑っている。俺は広大に言った。

「今は他の人がいないからいいけど、よその人にやったら駄目だぞ」
「はあい」

 走り回って楽しそうな広大を、夫婦で目を細めて見守る。見渡す限り桜の風景の中、至福のひとときだ。
 やがて、思い切り遊んで走って疲れたのか、広大が戻ってきた。壮介は恭子に抱かれてうつらうつらしていて、広大は俺の膝に乗っかってきた。

「この間、岡山の有名な桜がよく見えるところで、野外ライヴがあっただろ」
「夕方にやったやつでしょ。動画サイトでだったら見たよ」
「そうそう、それだよ。ライヴの前にリハーサルやってて、ハプニングってのかな。共演者たちも聴き惚れてた。最高の瞬間だったんだよ」
「なあに?」

 ICレコーダーを取り出して、乾さんの歌を再生した。
 
 音もなく花びらは降り続き、息子たちは眠っていて、ここには気分的には恭子とふたりきり。低いトーンで乾さんの歌う花時雨の歌……素敵、と恭子が呟くと、広大が目を開いた。

「……パパじゃない」
「この歌?」
「パパの声じゃないもん。ぼく、パパのお歌がいいな」

 言われてちょっと恥ずかしくなった。

 これでも俺だってシンガーなのに、自分では桜の歌なんか作れない。桜、咲いたな、綺麗だな、花見がしたいな。恭子が作ってくれた弁当を持って家族で出かけたいな。ドライブだと酒が飲めないのが寂しいけどな、としか考えられない。

 だからって乾さんの歌を使うなんて、シンガー失格だ。広大にそこを指摘されたようで恥じ入ってしまったのだ。歌は作れないけど歌える。乾さんの歌じゃなくて本庄繁之の歌がいい、なんて言ってくれるのは現時点では広大だけだ。恭子は両方いいと言ってくれそうだが。

「花ぬらす 春の雨降り
 桜の散る切なさ
 花いろの傘に隠れて
 あなたに恋をした」

 即興で作るなんて無理だから、パパは既成の曲を歌うよ。
 桜が散るって切ないな。パパはもう二度と恋なんかしないはず。おまえのママに恋して結ばれたのが最初で最後でいい。でも、広大はいつかこんなふうに……そして、パパとママのそばから離れていってしまうんだね。

 あと二十年くらいかな。それまではこうして四人で、もしかしたらもっと増えるかもしれない家族で、毎年桜を見て、桜の花びらに包まれていたい。パパの願いはそれが一番だよ。

END







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花物語2017/4「花の宴」

ショートストーリィ(花物語)

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2017花物語

四月「花の宴」

 親戚の大部分は近所に住んでいるので、何組もの家族がそろってお花見に出かける。
 年に一度の楽しみなイベントの日が近づいていた。

 同じアパートに住む母の妹が、近所中の近所だ。母と叔母はどこそこの川べりがいいとか、あっちの公園もいいんじゃない? とか、お弁当にはなにを入れる? との相談ばかりしている。おばさんたちの会話を聞いていると、小学生の花絵も楽しみがふくらんでいくのだった。

「千鶴ちゃんちはお花見はどこに行くの?」
「お花見?」
「そうだよ。うちは今年はちょっと遠出をするんだって。いつもは近くの公園とか河原とかなんだけど、今年は城跡公園まで行くの」
「いつもって、花絵ちゃんちでは毎年お花見するの?」
「そうだよ」
「お花見って桜の花を見るんだよね?」
「うん」

 なにを当たり前のことを言っているんだ、この子は? 花絵は若干の苛立ちを込めて千鶴を見つめる。千鶴のほうは怪訝そうに花絵を見返した。

 五年生になって同じクラスになったから、花絵と千鶴は友達になった。仲良くなったころにはお花見の時期はすぎていたので、千鶴と花絵がこんな話をするのははじめて。口にしてしまってから、花絵は母と叔母の会話を思い出した。

「そんなことにお金を使うってもったいなくない? って、ノリママに言われたんだ。これから子どもたちにお金がかかるんだから、親戚づきあいでお金を使うなんてばかばかしいよって」
「ノリママんちってたしか、親戚づきあいしない家なんだったよね」
「そうみたい。噂だけど、ノリママんちの旦那は結婚してたらしくて、ノリちゃんができたから結婚したらしいのね」
「略奪?」
「そうなのよ。それで親戚からも縁を切られたらしいんだよ」
「……あんた、そんな女とつきあわないほうがいいよ」
「そう、かなぁ?」
「そうだよ、なんにしたってね」

 ノリママに限らず、 あんまり言い触らすとやきもちを妬かれるから、家族レジャーの話なんかはしないほうがいいんじゃない? 母が叔母にそう言っていたのを、花絵は思い出した。
 でも、私たちはまだ子どもだし、いいんだよね、いいんだいいんだ、言いたいんだもん。

 だって、他の子たちはお花見なんかじゃなくて、お正月にはハワイに行ったとか、親戚がロンドンにいるから遊びにいくとか、伯母さんがパリに旅行してお土産をくれたとか、うちもアメリカのディズニーランドに行くの、だとか、スケールのちがう自慢をするんだもん。そんな話をしない千鶴くらいしかうらやましがってくれないもん。

「千鶴ちゃんちはお花見ってしないの?」
「お花見のためにどこかに行くなんて、したことないな」
「ええ? ほんとにぃ?」

 略奪という意味は花絵だって知っている。結婚しているおじさんが奥さんではない女のひとを好きになり、そのひともおじさんを好きになり、おじさんは奥さんと離婚してそのひとと結婚する。
 そうなると親戚から縁を切られるらしいから、千鶴の家もそうなのだろうか。仲良しグループの一員のつもりではいるが、花絵は千鶴の家庭の事情などは知らない。はじめてふたりで一緒に帰るのだから、知りたくなった。

「千鶴ちゃんち、親戚から縁を切られたとか?」
「縁を切られたっていうよりも、親戚なんかいないから」
「お父さんやお母さんには兄弟いないの? おじいちゃんやおばあちゃんとかいないの?」
「お父さんには弟がいて、その叔父さんに奥さんがいるから、親戚ってそれだけかな」
「おじいちゃんやおばあちゃんは?」
「いないな」
「……かわいそぉぉぉ」

 けれど、叔父さんとその奥さんとやらとは縁を切っていないらしいから、千鶴の両親は略奪婚ではないのだろう。なんだ、つまんないの、どこがどうつまらないのか定かではないまま、花絵はがっかりした。

「お母さんの兄弟は?」
「お母さん、いないから」
「え? いないの?」

 俄然面白くなってきて、どうして? 離婚したの? と尋ねたかった。千鶴ちゃんのお父さんも不倫してお母さんと離婚したの? でも、それって変だよね。お父さんが不倫したんだったら、千鶴ちゃんはお母さんと一緒に暮らしているはず。母や叔母や伯母の口から出るよそさまの不倫、離婚話の顛末は、母が子を引き取った、で終わるのが常なのだから。

「お母さん、死んだの?」
「そうみたいよ」
「そか……じゃあ、だけど、叔母さんはいるんでしょ? 叔父さんと叔母さんとお父さんと千鶴ちゃんとでお花見すれば? 叔母さんにお弁当作ってもらってさ、いとこはいないの?」
「いない。麦ちゃんは料理も子どもも嫌いだって」
「……変!!」
「そう?」

 変だよ変だよ、そういう女って……なんて言うんだっけ? 女失格? そうだそうだ、これも母と叔母が言っていた。

「タケママはずーっと働いてるんだよね」
「そうよ。さすがに産休は取ったけど、育休は旦那が取ったんだって。それからタケパパがパートになって、タケママが大黒柱なの。大変だねって言ったら、私は育児も家事も嫌いだから、かわりに稼ぐの、だって。なんだかなぁ」
「へぇぇ……うーん……ねぇぇ」
「女失格? 言い過ぎ?」
「言い過ぎじゃないよ。失格だよ」

 そばで子どもたちが聞いていても、母も叔母も頓着はしていない。妹や弟たちは意味もわかっていないのだろうが、花絵はしっかり理解して、母と叔母の価値観を心に吸い込ませていっていた。

「子どもが嫌いとかお弁当作るのが嫌いとか、変だよ。千鶴ちゃんって叔母ちゃんを麦ちゃんって呼ぶの?」
「うん、麦って名前だから。麦ちゃんは千鶴の本当の叔母でもないんだし、おばちゃん扱いされたくないから、麦ちゃんって呼んでねって」
「……変!!」

 失格だとまで言っては失礼かと、変!! にとどめておいたのは、花絵の配慮である。

「お花見って楽しいのに。みんなで行けばいいのに」
「お酒飲んだりごちそう食べたりして、大人は楽しいかもしれないけど、子どもも楽しい? 退屈じゃない?」
「退屈じゃないよ。楽しいよ」
「そっかぁ……」

 想像でもしているのか、千鶴は視線を宙にさまよわせ、それから軽くかぶりを振った。

「私はいいや」
「千鶴ちゃんも変!!」

 なんてかわいそうな子なのだろうか。花絵は去年のお花見風景を想い起こしてみる。

 叔母や伯母や祖母や母がこしらえた豪華なお弁当を広げ、祖父、伯父、叔父、父はお酒も広げる。花絵はいとこたちと追っかけっ子をしたり、ちゃんと食べなさいよ、と母たちに言われてごちそうを食べたりもする。カラオケをしたりお喋りをしたり、最高に楽しいひとときだった。

 他のなんだって、親戚づきあいはたいそう楽しい。母だって親戚の女性たちが近くにいるから、いつだって楽しそうだ。そんな楽しみを知らない千鶴が、花絵にはかわいそうでならなかった。

「桜ってあんまり人のいないところで見たほうが綺麗じゃない?」
「千鶴ちゃんってひねくれてるよね。そんなことないよ。みんなで見る桜は……」

 あれ? その光景の中の桜を思い出そうとしてみても、花絵にはうまく像が結べない。一生懸命記憶を探っても、出てくるのは、テレビニュースで見たどこやらの観光名所の桜ばかり。

END




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FS超ショートストーリィ・四季の歌・隆也「春の火」

番外編

フォレストシンガーズ

四季のうた

「春の火」

 白人さんは暑がりだ。白色人種? 欧米人? との見当がつくだけで、どこの国の人間なのか、なんの言語を話すひとなのかも不明だから、単に「白人さん」だろうと考えるのを許してもらおう。

 真冬に半袖はざら。寒風吹きすさぶ中をショートパンツで自転車をこいでいたりもする。冬の観光地にも半袖の白人さんたちがそぞろ歩いている。
 黒人はどうなのかな? と考えつつ、隆也も観光地を歩く。

 黄色人種も黒色人種もおおむね、白色人種よりはあたたかい土地の出身、ルーツはそうなのではないだろうか。そこで、遺伝子レベルで寒がり、暑がりの人間ができる。
 日本人だって、出身地が左右する、のか?

 いやいや、金沢出身の乾隆也は寒がりでも暑がりでもないが、稚内出身の木村章は寒がりで暑がりで。
 こんなに狭い「フォレストシンガーズ」という範囲でも、出身地に於けるプロファイリングなんて不可能なわけで。

 東京出身本橋真次郎と、三重県出身本庄繁之は主義的に「男は寒いの暑いのがたがた言わないものだ」と考えていそうである。横須賀出身三沢幸生は、寒い暑いよりも意識が別のほうに向いていそうな?

 そんなに理屈っぽく考えなくても、春まだ浅いこの地を歩く人々の中にも半袖がいて、それはたいてい子どもか白人さん。それはたしかだな、と隆也は思う。

「あ……火」

 そのようなことどもを考察しながら歩いていたら、広い野原に出た。
 浅い緑の中にぽっと燃える……燃えて萌える小さな火は。

「赤い花……春の野原に萌えいづる……ほのかな炎」

TAKA/35/END








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FSさくら物語「夜桜お七」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

さくら物語

「夜桜お七」

 笑顔がいちばん、とよく言われるが、女に限って、なのだろうか。「男は度胸、女は愛嬌」という慣用句もある。我々フォレストシンガーズが写真撮影に臨む場合、笑えと命じられることもあるが、おおむねはクールビューティ……って、誰がビューティだ。

 ビューティかどうかは主観の問題なのでいいとしても、男はむやみに笑うものではない、とうちの祖母も言っていた。であるから、笑顔がいちばんなのは女性の場合か。

「あなたはあまり笑わないね」
「どうして笑わないといけないんですか?」
「いや、笑えって言ってるわけじゃないよ」
「面白いことを言ってもらえたら笑いますよ」

 大学の先輩たちの口コミで、常連になった店は何軒かある。この「向日葵」もそのひとつで、ワオンちゃんと俺は大学の同窓生なので、ここではしばしば会う。

 十年以上前、三沢幸生と古久保和音はゼミ仲間として友人になった。男は女に恋をし、肉欲を抱いたが、女は男をそんな目では見なかった。ありふれた話だろう。
 卒業後、自然に疎遠になっていっていたのだが、幸生がシンガーになったと知り、和音も一念発起、声優を目指して歩き始める。

 三十歳になったときにはともに夢をかなえていて、フォレストシンガーズの三沢幸生と声優、古久保ワオンとして再会した。傍観者である俺が知っているのはその程度だ。

「乾さんは煙草を吸うんですよね?」
「最近は外ではあまり吸わなくなったかな。ああ、ワオンちゃんも吸うんだね」

 どうぞ、と彼女のくわえた煙草に火をつけてさしあげる。どうも、と彼女は小さく呟く。面白くも可笑しくもないのに笑えるか、って気持ちもわかるが、ワオンちゃんは笑顔のほうが似合うんじゃないだろうか。

 若くはない大物女優だとか、本当にクールビューティで売っているミュージシャンやモデルだとか、笑わないほうがサマになる女性もいる。章が恋してふられ、それからなんだかんだとあって、どうしたわけだか彼女の敵対心が俺に向いているシンガーのミルキーウェイなどは、顔にも歌にも感情をこめないのがかっこいいと言われて売れている。

 声優であるワオンちゃんは、仕事上では顔はあまり関係ないのかもしれない。ケーブルテレビでリポーターをしたりはすると聞いているから、そんなときには笑顔も見せるのだろうが。

 仕事ではなくプライベートで、彼女の個性には笑顔が映る。小柄で華奢な可愛いタイプなのだから、クールや無感情は似合わない。とはいえ、ワオンちゃんは俺のなにでもないのだから、説教じみた台詞はやめておこう。店内には他に客はいないので、ふたりで煙草を吸っていた。

「……もうじき桜が咲くね」
「そうですね」
「花見したいな」
「花見ねぇ……私は嫌いだな」
「ああ、そう」

 日本人だからといって、誰もが桜好きとは決まったものではない。花見というと飲めや歌えのどんちゃん騒ぎを想像して、それが嫌いだと言う人間は大勢いる。花見したいな、私は嫌い、との反応には苦笑いするしかないが、ワオンちゃんを誘っているわけではないからいいのだ。

 誰かを誘っての花見も俺は決して嫌いではない。大騒ぎするのだって気心の知れた仲間たちとだったら楽しい。けれど、ひとりで花見をするのはもっと好きだ。

 だから、ワオンちゃんと別れてひとりになって、桜を見にきた。

「ああ……」

 フォレストシンガーズがデビューして、オフィス・ヤマザキの事務所と練習用スタジオに日々、通うようになっていた秋。その周辺を散策していて小さな広場を見つけた。一画に桜の樹がかなりたくさん植えられている。わりに年を経た樹だから、これは見事な花を咲かせるだろう。

 若いということの価値を実感していなかった、本当に若いころ。桜は若いのなんて駄目だ。老木に近いほうがいい。俺たちだって桜のごとく、歳を取って見事な花が咲き実を結ぶ樹になれたら。
 
 そんなふうにも思いながら、桜の開花を待っていた。
 やがて蕾がほころび、花が咲く。満開になって風が吹き、雨が降ると潔くぱーっと散る。その過程をこの目でつぶさに見、翌年には仲間たちにも教えた。

 その桜は、あれから十年がすぎていっそう円熟した見事な花を咲かせている。スタジオからだと近いので、うちのメンバーたちも年に一度は見ているのではないだろうか。ミエちゃんが見繕ってくれたり、時には彼女が作ってくれたりした弁当と酒を持って、みんなで花見をしたこともあった。

 毎年毎年、俺はできる限りこの桜を見ている。仕事で桜の時期に丸々、ここに来られなかった年には寂しかったものだ。今年は来られた。満開に間に合った。

「……こんばんは」

 一輪の桜花に代表して挨拶し、樹の下に立って見上げる。ささやかにライトアップされた夜桜は、夜空の濃紺と花のほのかな薄紅と、あたたかな灯りのいろ。

 頭を空白にして桜を見上げる。ただただ見上げていると、鼻先に煙が漂ってきた。

 誰かいるのか? 煙草っていうと幸生か? それとも、近所の住人でもあらわれたかな? 今日はスタジオに立ち寄る用事もなかったので、うちのメンバーたちは各々自由に帰った。どこかで飲んでいてふとその気になって、誰かがこの桜を見にきたってこともあり得るが。

「……章?」

 別の樹のそばに立って、煙草を吸っているのは章だ。彼は俺には気づいていなくて、ぶつぶつとひとりごとを言っていた。

「煙草なんかやめろって言ってるのに……だけど、俺、なんでその煙草を吸ってるんだろ。煙草の煙がきみの煙草を呼んで……なんて、ないないない。あるわけねえだろ。会いたい……のかなぁ。こんなところに来ないかな。きみは言ってたもんな。今度、ロック友達と桜を見にいくんだ、って言ったら、私、花見って嫌い、ってさ。そうかよそうかよ。好きにしろ」

 はあ、つまり、そういうことね。

 煙草にも火はつきものだからか、こんな歌を思い出す。章がお七? うん、変装してステージでやったら受けるかもしれない。振袖の江戸娘だったら俺がやりたい、と幸生は言うかもしれないが、それには深い意味があるんだよ。章じゃないと無意味なんだ。

「赤い鼻緒がぷつりと切れた すげてくれる手ありゃしない
 置いてけ堀をけとばして 駆け出す指に血がにじむ
 
 さくら さくら いつまで待っても来ぬ人と
 死んだひととは おなじこと さくら さくら はな吹雪

 燃えて燃やした肌より白い花 浴びてわたしは 夜 桜お七
 さくら さくら 弥生の空に さくら さくら はな吹雪」

END






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花物語2017/3「歩く姿はアマリリス」

ショートストーリィ(花物語)

あまりりす
2017花物語

3月「歩く姿はアマリリス」

 立てば芍薬、すわれば牡丹、歩く姿は百合の花。

「美人のことをそういうんだけど、リュートだったらさしずめ、歩く姿はアマリリスかしらね。リュートは和風ではないし、美女っていうんでもないし」

 うっとりと流斗に見とれながら言ったのは、誰だっただろうか。誰でもいい。リュートは来るものを拒む気はないのだから。しかし、人間の感情というものが厄介なのは本能的に知っていた。

「公演に行くの? リュートにも役がついたんだね。あ、役がつくのは当たり前か。ごめんね、失礼なことを言っちゃって。どこに行くの? 北海道? 東北? 中部地方? ちがうか。だったら関西? そうね、関西だね。京都にも行く? 行くんだ。わぁ、いいな。紅葉の京都……私も行きたいな。行きたいけど私は仕事だし、リュートも仕事だもんね。留守番してるわ。がんばってね」

 ひとりで喋ってひとりで納得してくれたので、そういうことにしておいた。

 気が向くと顔を出す業界のパーティで、リュートは何人もの人と出会う。この女、メイクもそうだったはずだ。この顔でこの年齢でメイクって名前? 印象としてはそれだけだったが、この女の名前はメイク、とだけは記憶に残った。どんな字を書くのかは覚えていないが。

「昨夜の女とは寝たのか?」

 他人と他人が寝ようがどうしようが、あんたには関係ないじゃん。なんだってそんなに他人を気にする? リュートとしてはそう思うのだが、いちいち言うのも面倒なので曖昧に微笑む。曖昧な態度を取っていれば、人は自分に都合のいいように解釈してくれるのだった。

「おまえって誰とでも寝るんだろ。俺とも寝る? いいのか? 男も好きか? 実は男のほうが好きだとか? 昨夜のあの、メイクだっけ? 下半身デブのおばさん。あのおばさんと較べたら俺のほうが綺麗だよな。おまえは誰だっていいわけ? ま、いいや。俺もおまえだったらなんだっていい。男でもいいさ」

 はじめてメイクと出会った夜に、リュートのかわりにリュートの紹介をしてくれた男だ。リュートは来るものは拒まないのだから、彼とも寝た。

「噂になってるよ。リュートったらついに男とまで……って。ジョーさんとは寝たの? ん、もう、そうやってミステリアスな笑みなんか浮かべちゃってさ。憎たらしいんだから。リュート、あたしとも寝ようよ」
「あなたがそうしたいんだったらいいよ」
「……小面憎い言い方だな。リュート、あたしが誰だかわかってる?」
「さあ?」
「今度、客演するケーコだよっ」
「そっか」
「お近づきのしるしに寝ようか。それでいいよ」
「それでいいなら」

 ジョーとか言う男がメイクに言った通り、リュートが劇団に所属しているのは事実だ。アルルカンだとか大根だとか言われているが、その顔と姿だけでも値打はあるな、と劇団の首脳陣は言い、置いてくれている。劇団の主催者とも寝たのだったか。主催者って誰だったか。リュートの記憶も曖昧だった。

 世間でも名の通ったスターであるらしい、今回の公演のゲスト、ケーコ。ケーコだって望んでいるのだから、拒まずに寝てあげた。

 この世に好きなものはあまりないが、嫌いなものはリュートにはいくつかある。もめ事なんてものは大嫌いなので、今はあなただけだよ、と誰にでも言っているほうが無難だとはリュートも知っている。メイクには同棲を望まれ、断るのもめんどくさくて承諾したのだから、それ以上の面倒ごとなんぞはごめんだった。

 同棲するということは特別な相手? そうなのか、そんなもんか、とリュートは思う程度だが、同棲相手のメイクも世間も、ふたりは特別な仲だと認識しているらしい。そうなのならばそういうことにしておいたほうが面倒がないので、リュートが仕事で留守にするとメイクが思っているのを否定はしないでおいた。

「リュート、休暇が取れたんだ。京都に行かないか?」
「ジョーさんったら、リュートには同棲してる女がいるんだよ。そんな奴を誘惑すんなよ」
「あれぇ? ケーコ、妬いてる? だったらおまえも連れてってやろうか」
「本気にするよ。していいのね? うん、行く」
「そんなら三人で行こう。リュート、おばさんをうまくごまかしてこいよ」

 うまくごまかすまでもなく、メイクは勝手に納得してくれた。
 京都に行くのだけは本当だ。仕事ではないにせよ、複数で京都に行く。根本的事実だけは押さえているわけだ。

「リュートはどうしてあんなおばさんと同棲してるの?」
「金を出してくれるからだろ」
「そうなんだ? ほんとにそう? やだ、ヒモ」
「ジゴロって言えよ」
「ジョーさん、古い」
「ヒモだともっと古いだろ」

 名も知らぬ……というか、名前になんかリュートはまったく興味も持てない京都の神社を三人で歩きながら、ケーコとジョーがリュートの同棲を話題にして盛り上がっている。メイクが同棲したいと言うから、お金は全部出すと言うから、そうしたいんだったら僕はかまわないよ、とリュートは応じた。

「綺麗な葉っぱ……」
「ああ、綺麗だな」
「リュート、たまにはメイクおばちゃんにサービスしてあげれば? この葉っぱ、プレゼントしてあげたら喜ぶよ」
「京都からのプレゼントだって送ってやったら、おばちゃん、感動するんじゃないか?」
「そうだよ、そうだそうだ。送ってあげな。ね?」

 地面に落ちていた真っ赤な落葉を拾ったケーコが、リュートの鼻先で葉っぱをくるくる回してみせる。リュートが知らん顔をしているうちに、ケーコとジョーが勝手にそうすると決めてしまった。

「リュート、住所教えろ」
「あたしが送っておいてあげるよ。リュートを借りてるお礼だね」
「安いお礼だな」
「なんかメイクさんがかわいそうになってくるんだもん。同じ女としては、こんなことでもしてあげたくなるのよ」
「よく言うぜ」

 やりたいならやれば? とリュートとしてはそうとしか言えない。ケーコは翌日、ホテルの封筒に入れて送っておいたよ、と得意げに報告してくれた。

「封筒に葉っぱだけ入れて、メッセージはなし。そのほうがリュートらしいでしょ」
「メイクさんってセンチって感じだから、それを見たら感動のあまり泣くんじゃないのか?」
「そうかも……うわ、あの顔のおばちゃんの泣き顔、キモ……」
「キモってか、ホラーだね。けど、ケーコもメイクと歳は変わらないだろ?」
「あたしのほうが若いよ」
「ちょっとだけ? そんなに歳は変わらなくても、見た目は大違いだな」
「当たり前のことを言うな」

 そうやっていちゃいちゃして、ケーコとジョーがカップルになりそうにも思えたが、リュートとしてはそれはそれでかまわない。どうせ暇なのだから、京都でも東京でも香港でもパリでも、リュートにはどこだって同じだった。

「リュート、楽しかったわ」
「これ、メイクさんにお土産」
「迷惑そうな顔すんなよ。重いからいや? わがままだねぇ。そしたらこれは? これ、メイクさんにあげなよ」

 ジョーが差し出した京都土産を受け取らなかったら、ケーコが白い花をくれた。これならば重くないので持って帰ってもいい。ふたりと別れてメイクの家に帰り、いささかしおれかけた白い花を髪に飾ってやった。

「私のために摘んできてくれたの? 嬉しい。リュート、疲れた?」
「それほどでもないけど、腹減った」
「そっか。おいしいものを作るね」
「宅配のピザがいいなぁ」
「それもたまにはいいね。電話するわ」

 お喋りなケーコとジョーに囲まれていると、リュートはほとんど口をきかなかった気がする。メイクといるときだけは、ほんのすこしリュートの口数が多くなるのだった。

「リュート、これだよ」

 季節はめぐり、今年ももうじき新年度になるから忙しいとメイクは張り切っている。メイクは楽器会社に勤めるキャリアウーマンだから、年度末は相当に多忙なのだそうだ。かまってあげられなくてごめんね、とメイクは申し訳ながるが、放っておいてくれるのはありがたい。同棲暮らしにはリュートは倦んできていた。

「あなたの歩く姿はアマリリスって言ったでしょ。リュートはアマリリスなんてどんな花なのかも知らないだろうから、買ってきたの。似てるでしょ」
「そうかな」

 百合よりは洋風なのだろうか。白くてすんなりした美しい花は、たしかに僕に似ているとリュートは思う。だけどめんどくさいな。いつだってそばにメイクがいるのは疲れてきた。けれど、こっちから別れを切り出すなんて面倒のきわみだ。メイクのほうから僕を捨ててくれないだろうか。

「……あら、嫌い? もしかしてアマリリスって花粉がきついかな? ごめんね。そこまで考えてなかったよ」
「うん」

 花だったらこうやって簡単に捨てられるのに。人間ってめんどくさい。メイクのプレゼントをゴミ箱に入れて、リュートは白い花を見下ろす。僕のこともこうやって捨ててほしいな。

END







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FSさくら物語「花弁乱舞」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

さくら物語

「花弁乱舞」

 空気を吸い込んで呼吸を止め、止めて止めて止めすぎて気絶しそうになった。なにこれ? なにって、桜だろ? 桜以外のなんなんだよ。千本桜っていうのかな?

 弥生の空は見渡す限り……ってこれだね。学生時代に乾さんに教えてもらった短歌も思い出す。
 「願わくば 花のもとにて春死なん その如月の望月のころ」

 如月に花は咲かないでしょ? と尋ねて、旧暦だから咲くんだよ、と乾さんが教えてくれた。俺もこうありたいな、と呟く乾さんに、死なないで!! とすがったっけ。

 二十歳にもならないガキになんかわからなかったが、三十になった大人の俺にだったらわかる。
 日本人だもんね。春の真っ盛りに桜のもとで死にたい。花は桜木、人は武士。いや、人はミュージシャン、ミュージシャンの三沢幸生だ。

 下界では桜はほぼ散ったが、山の上のほうではまだ十分に見ごろだと聞いた。今日は休みだから、人のいないところで名残の桜を見たい。そのつもりで車を走らせて山に登り、人のいないほう、人のいないほうへと進んできた。

 人がいないにしてもいなさすぎて不気味な感さえあるが、どうしてこんな素晴らしい桜スポットに人がいないのだろう? 知られていないせいか。ネットでも紹介されていないのかもしれない。俺にとっては幸いなので、車を止めて降りてみる。絶景ひとりじめ。

「ほーほけきょって、鶯くんだろ? 話をしようよ。デュエットする? コーラスする? 俺が低音パートを歌うから、鶯くんたちが高音ね。他の鳥も……きみたちはなんて鳥?」

 おまえに似た声の鳥ってけっこういるよな、と本橋さんが言っていた。俺には鳥の声で区別はできないが、なんだっていい。鳥が、ワタシ、ユキチャンッテイウノヨ、なんて答えてくれるはずもないが、ひとりで喋っているよりは楽しい。

「鳥と喋るって、ひとりごとと同じだろ」

 口出ししてくる架空の章は無視して、小鳥さんたちと一緒に歌う。鳥たちの美声と俺の美声が溶け合って、観客も聴衆もいないのがもったいなくてたまらない。猫でもやってこないかと期待したが、ここらへんにはいないのか。野生のヤマネコちゃんとか、いない?

 ヤマネコレディが俺の声を聴きつけてあらわれて、恋に落ちる。そんな妄想をしてみても、それからどうするんだ? と現実に戻るのはやめて、ヤマネコちゃん、出ておいで。

 小鳥とは恋はできそうにないので、この歌で猫を呼ぶ。猫とだったら恋ができるのか? この変態、と罵っているのも章の声だ。

「まったくもう、うるせえんだよ。うるさいのは幸生だって? 俺はうるさくないもんね。ああ、でも、やっぱり人間に聴いてもらいたいな。妙齢の美女があらわれないかな」

 いちばんいいのは妙齢の人間美女。
 二番目は妙齢の非美女。
 三番目は妙齢ではない人間女性。

 そのあとは順不同で、三毛猫、ヤマネコ、その他の猫、ただし、メスに限る。
 やや残念ながら、オス猫でも許す。猫ネコ猫、出てこーい。

 願ってみても出てきてくれそうにない。そしたら酒とうまいものでも出てこないかな。いや、運転しなくちゃいけないから酒はなし、極上の花見弁当がいいな。

 話し相手が小鳥しかいないってのはやはり寂しい。応答がないので会話にも限りがあって飽きてきた。俺は人間と、それがかなわないなら猫とでもいいから会話をしていないとつまらない。仕方がないので花のもとで昼寝をしようか。花のもとで俺が死んだら嘆き悲しむ人が莫大な数になりそうだから、寝るだけね。

 桜の巨木にもたれて目を閉じる。花の妖精に取り囲まれて、ユキちゃんユキちゃん、ユキちゃんっ!! ともてまくっている夢を見た。

「ん? ああ……あ? わぁ……」

 起きているのか寝ているのか、夢の続きか幻か現実か。夢幻と紙一重のような薄桃色に包まれた。

 ふわーっと風が吹いて、ふわーっと花びらが舞う。俺の全身に降り注ぐ無数の花びら。花びらたちの一枚、一枚が、文字なのか、音符なのか。ひとつずつつかまえてまとめて歌に……いや、そんなのどうでもいい。この瞬間に身をまかせよう。そうすれば歌も自然にできていく、きっと、いや、たぶん。

END








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FSさくら物語「花霞」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

さくら物語

「花霞」

 季語ってのは旧暦を基準にしているそうだから、現代の季節にはふさわしくない感じがすることもある。けれども、「桜」は春だ。「花」とは桜をさすのだから、「花」は春。

 通りがかった河原に腰を下ろして、霞のかかったような頭で桜霞について考える。遠くに見える花霞。「霞」もいかにも春だなぁ。頭にも霞がかかってくるから、こうしていると居眠りしそうだ。
 あの花霞は対岸の公園か。あんなに広い公園に広範囲の桜……どこの公園かな。どこだっていいけどさ。

「あの……まさかだよね」
「ん?」

 頭に霞がかかっていたものだから、隣に誰かがすわったとは気づかなかった。まさかって? まさか、きみは俺のことを知ってる?

 声をかけてきたのは若い女の子。ただし、彼女は子どもを抱いている。フォレストシンガーズの木村章と知っていて声をかけた? デビューしてから一年半、シングルCDは出しているものの、テレビにもほとんど出ない、ヒット曲もないのだから、俺たちの知名度ははなはだ低い。

 それでも、知っているひとは知っているのかもしれない。今回だって春のイベントで歌うためにこの土地に来て、リハーサルの合間の休憩時間にひとり、散歩に出てきたのだから、彼女は俺を知っていて?

「ああ、ちがうわ」
「ちがうって?」
「ごめん。中学のときの彼氏かと思ったの」
「なんだ、それ。子連れで新手のナンパかよ」
「ナンパなんかしてないし」

 地方都市は結婚が早いと聞く。彼女は二十四歳の俺と似た年頃に見えるから、都会ではガキみたいなものだが、既婚子持ちのほうが多数派の土地もあるだろう。

「きみの子?」
「んと、ちがうよ。ベビーシッターのバイトしてるの」
「そうか。仕事中にさぼってんのか」
「さぼってるんじゃなくて、息抜きだよ」
「息抜きイコールさぼりだろ」
「ちがうってば」

 小柄でスリムな可愛い子だ。初対面の男にぽんぽんものを言う気の強さも好み。じゃあ、俺のほうからナンパしようかな。

「俺も仕事で来てるんだけど、休憩時間なんだよ。きみの仕事は何時まで?」
「えっとね、えっと……六時」
「俺は一旦仕事場に戻らないといけないんだけど、八時くらいには終わるかな。それから一緒にメシ食わない?」
「私と?」

 きょとんとした丸い目をして、彼女は俺に問い返す。きみが声をかけてきたんだろ。だから誘ってるんじゃないか。

「それは、えと、どういう意味?」
「……はぁ」

 ナンパをした女の子に、どういう意味? と訊かれるのははじめてだ。どういう意味もこういう意味も、イエスかノーかしかないのが当然なのだが。

「きみと食事をして話をして、気が合うようだったらもっと深く知り合いたいってか……」
「深く知り合う?」
「いちいち細かく追及すんなよ」
「あ? 怒った?」
「怒ってないけどさ」

 調子の狂う女だ。ナンパはもうヤメ。こうして河原で遠くにぼんやり霞んだ桜を見ているだけでも、隣に可愛い女の子がいるほうがいい。彼女が抱っこしている赤ん坊はすやすや眠っているから邪魔にはならず、彼女も立ち去ろうとはしない。綺麗だなぁ、と呟いて話題を変えた。

「わたし、佳澄っていうの」
「あれ?」
「へ?」
「あれ、花霞っていうんだそうだよ。俺は章」
「章くん……そうなんだ。花霞……私は中学しか出てないから、そんなむずかしい言葉は知らないな」
「知らなくてもいいけどね」

 登校拒否だったの、なんて、佳澄はさらっと重たいことを口にする。そんなこと、俺に言われたって反応のしようもなくて、ふーん、とうなずくだけにした。

「中学のときに彼氏ができて、彼氏に会いたいだけで学校に行ってたんだけど、彼氏が転校しちゃって行く気もなくなって……それでも中学は卒業させてもらって、高校は諦めて家の手伝いしてたんだ。二十歳になって、父さんの知り合いの男のひとにつきあってほしいって言われて、二十一で結婚して、二十二でこの子を産んで……」
「んん? すると、ベビーシッターのアルバイトじゃなくて?」
「あ、ごめんね。私の息子」
「……あっそ」

 ごめんねと言われてしまっては、迷惑をかけられたわけでもないのに怒れない。しつこくナンパしなくてよかった、と考えておこう。

「昨日から全然寝てくれなくて、旦那も旦那のお母さんもお父さんも怒るの。私も参っちゃって、朝からずっと外を歩いてた。今ごろ寝られたらまた夜、起きるんだけどね」
「苦労してるんだ」
「みんなこんなものじゃないの?」
「いや……」

 すると、佳澄は二十三歳くらいだろう。都会の二十三歳女なんて、苦労はしていない奴が大半だ。俺だって好きなことをして生活していけてるんだから、売れない苦労なんて……とちょっと反省した。

「章さんは独身?」
「うん」
「仕事、さぼったら駄目だよ」
「さぼってるわけじゃないんだけどね……俺、シンガーなんだ」
「歌手?」

 へぇぇっ!! とのけぞるほどに驚いた佳澄に俺は笑ってみせた。

「まるっきり売れてないけど、歌手だよ。フォレストシンガーズの木村章。駅の近くにあるリバーサイドホール、ほら、あれ、知ってる?」

 ここからも見えているホールを指さすと、佳澄はこっくりした。

「中学のときにクラシックコンサートに行ったことあるよ。学校行事で」
「そっか。あそこで今夜、スプリングフェスティバルってのがあるんだ。そこで歌うから、嘘じゃないよ」
「……いいなぁ、行きたいな」
「来てよ。俺の名前を出してくれたから入れるようにしておくから」

 この若さで赤ん坊の夜泣きに悩まされて、姑や舅にまで怒られているってのがかわいそうになって言ってみた。もはやナンパ気分ではなく、お気楽な自分が後ろめたくなってきたのもあった。

「無理だよ。赤ちゃんいるのに」
「……そうだね」
「嘘だなんて言わないから。覚えておくから……フォレストシンガーズの章くん」
「そうだよ。売れてないけどね」
「売れるようにがんばって」
「うん、ありがとう」

 遠く遠くに霞んだ桜の花を見れば、俺は佳澄を思い出すかもしれない。せっかく好みの女の子と知り合ったのに、彼女のほうから声をかけてくれたのに、なんと、彼女は子持ち。苦くて甘い、桜霞の想い出として。

AKIRA/24歳/END








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FS俳句・短歌・超ショートストーリィ2017/3

forestsingers

2017/3 超ショートストーリィ

 また今年も誕生日が来る。
 そりゃあ、生きている限りは誕生日ってのは来るもので。大人になれば誕生日なんてめでたくもないわけで。

 フォレストシンガーズは全員が三月生まれだ。
 だから、三月になると全員がひとつ年を取る。めでたくもないとうそぶいてみたところで、春の息吹を感じる三月になると、過去や未来にも想いを馳せるわけで。

「幾山河 こえさりゆかば さびしさの はてなん国ぞ きょうも旅ゆく」若山牧水

 さびしいってのは、現時点では俺たちはまだ売れてもいないってこと。
 これからだ、これからだと自分にも仲間にも言い聞かせて、今日も旅ゆく。

SHINJIRO/26歳の誕生日近し

ume.jpg







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FS超ショートストーリィ・四季の歌・全員「四季の歯」

番外編

フォレストシンガーズ

四季のうた・超ショートストーリィ

「四季の歯」

1

 煙草を吸う者は歯には細心の注意をするべきだ。めったにテレビに出る機会はないものの、皆無でもないのだから、乾さんの歯、汚いね、幻滅、などとファンの方に言われたくない。歯磨きは当然、自宅でもケアをして、歯科医にも頻繁に通っていた。

「乾さんの歯は丈夫ですよね」
「子どものころの食生活のおかげかもしれませんね」
「どういったものを?」

 年に数回、この歯科医には来ているのだが、患者との世間話は忘れてしまっているのだろう。パソコンに向かっている若い男性医師に、隆也は何度目かの思い出話をした。

「うちは祖母が料理のメニューを決めていましたので、和食ばっかりだったんですよ。小魚や小エビや貝や、青菜の炊き込みごはんやって、意識していたわけでもないのでしょうけど、カルシウム豊富な食事がもっぱらでしたから」
「ほおほお。それはいいな。だから乾さんは虫歯がない、と」
「今回もありませんか」
「ないようです」

 白く美しい歯を維持することもさりながら、虫歯や歯周病にも気をつけなければならない。女性の平均寿命よりは大幅に若い年齢で逝ってしまった祖母は、入れ歯ではなかったはず。こんなところにも祖母のおかげが……隆也は歯医者の椅子で、今日もまた祖母を想った。


2

 芸能人は歯が命、なんて言う。俺たちは芸能人でもないけど、歯は大切だな。昨日の休みはなにしてた? 俺は歯医者に行ってたよ、との隆也の返事を聞いて、俺も行こうと真次郎も思い立った。

「芸能人でなくはないんじゃありません?」
「いや、俺たちは芸能人だなんて、そんなことはこっ恥ずかしくて言えませんよ」
「どうしてですか?」

 自ら歯のケアはしている。現代人ならばたいていはやっているだろう。定期的に歯医者に通っている隆也のような者も多いのだろうが、真次郎はそう頻繁には行っていない。歯医者? 歯が痛くなったら行くもんだろ? との認識があった。

 以前に歯が痛くなって駆け込んだ歯科医で治療してもらい、半年後に葉書を出しますからまた来て下さいね、と言われ、了解はしたものの、忙しさにまぎれて葉書を無視してしまった。なので、そこには行きづらくて別の歯医者にした。真次郎の持っている健康保険証を見れば、彼が歌手だとはわかるのである。

 とはいえ、年配の女性医師はフォレストシンガーズを知らなかったようで、芸能人の定義とはなんですか? などと質問する。これがわずらわしいから医者は嫌いなんだよな、と真次郎はひそかにため息をついた。


3

 この世に嫌いなものは数々あれど、医者は特に嫌いだ。章は子どものころには身体が弱く、しょっちゅう母に医者に連れていかれていた。注射が怖いと泣いたり、入院しなくてはいけないと聞いただけで泣いたり、薬が苦いと泣いたり。

 泣くと医者も看護師もなだめてくれたが、母は嘆き父は怒る。たまに父が付き添っていたりすると、おまえは男のくせにこんなことで泣くな!! と怒鳴って病人を殴ったりする。そばに母がいるとおろおろして、お父さん、やめて、私があやまるから、と泣きそうになる。

 なんか俺の親って、けっこうな問題親だったんだな。
 そんなことまで思い出すので、医者には極力行きたくない。しかし、歯だけはどうしようもない。激痛ではないのだが、しくしく痛む歯。意識しはじめると止まらなくなって、章は夜もやっている歯医者に出向いていった。

 このごろは医者も過当競争だ。特に歯医者は都会にはどこにでもここにでもある。こんな時間に医者が診察しているなんて、章が子どもだった時代の稚内では考えられなかった。救急病院でもあるまいに。

「結婚するのか、おまえが?」
「そうだよん。親父の知り合いの息子とお見合いしたんだ」
「へぇぇ、よくこんなあばずれ、貰い手があったもんだな。どこのどいつ?」
「歯医者だよ」
「……嘘だろ」

 得意満面だった女の顔が浮かぶ。
 章が若いころに歌っていたロックバンドのファンだった女。酔ったはずみに章も寝たことがあるが、あの女は他のミュージシャンとだって気軽に寝ていた。

「結婚したら今まで通りには行かなくなるだろうけど、たまには遊んであげるよ」
「それは、たまには寝たいって意味か?」
「やだ、アキラの馬鹿」

 歯医者の妻ってのは勝ち組なんだろうな。あいつ、幸せになってるかな。だけど、近頃の歯医者の家族は大変かもな。名前も忘れた女、もちろんあれっきり二度と会っていない女の顔が、記憶の中で楽し気に笑っていた。


4

「ママ、どこ行くの?」
「いいところだよ、楽しいところ」
「パパ、ごまかしたら駄目」

 妻の恭子が身をかがめ、長男の広大と視線を同じにして言い聞かせた。

「歯医者さんに行くの」
「おいしゃさん? やだぁ」
「行かなくちゃいけないんだよ。虫歯にはなってないと思うけど、なっちゃってからだと大変だから見てもらうの。痛いことなんかしないから大丈夫」
「ちゅうしゃしない?」
「しないから大丈夫だよ。ね、パパ?」

 甘いものは一切食べさせないというようなきびしい母ではないが、三歳になった息子をこれからは定期的に歯医者に連れていくと恭子は言っていた。

 楽しいところ、だなんてごまかさず、歯医者だとはっきり教えるのは正しいのだろう。
 でもな、いやだよな、広大。パパが替わってやりたいよ、と繁之は思う。だけど、パパも歯医者は嫌いだよ。時々は行かなくちゃいけないんだけど、うちのメンバーたちはちゃんと行ってるみたいだけど、俺はなるべく避けたくて。

 いいや、そんなことを言っていてはいけない。広大だって怖がりながらもママに連れられていった。俺も行くよ、うん、明日な、明日。


5

 リクライニングみたいに椅子を倒して、目を閉じて顔にはタオルが載せられて、耳に流れ込んでくるのは心地よいイージーリスニング。幸生が居眠りしそうになっていると、可愛らしい女性の声が聞こえてきた。

「歯のクリーニングを担当させていただきます、西川です。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。歯科衛生士さんかな?」
「そうです。では、失礼します。お口を……」

 はいはい、と返事をして、幸生は口を大きく開ける。西川さんの顔は見てないけど、可愛い子なんだろうな。若そうで、声が可憐で仕草が優しくていい気持ち。歯医者なんか好きじゃないけど、年に何度かは行け、と乾さんに命令されるのもあって俺も実行している。

 歯のケアは大切だ。真っ白で綺麗な歯は大切だ。けど、楽しみもなくっちゃね。
 口をがばっと開いているとおしゃべりができない。幸生のもっとも大きな楽しみが奪われているのだから、優しくて可愛い女性と接していられるのだけが幸せ。

 西川さんがどんな顔をしているのかは、見ないほうがより以上に幸せなのかもしれない。

END









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FSさくら物語「サクラサク」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

さくら物語

「サクラサク」

 「空き室アリ」

 見学可、とも書いてあったので、お邪魔します、と小声で呟いてアパートの中に入ってみた。今どきのマンションのような堅強なセキュリティなど望むべくもない。俺が住んでいたころは同居者は全員、独身男だと聞いていたから、少々用心がよくなくてもどうってこともなかったのだろう。

 若いとは限らないが、独身で貧しい男たち。そんな奴らのアパートに泥棒に入ったところで、盗むものもない。暇を持て余している奴もいたから、時間を問わず部屋にいて、泥棒は下手をしたらとっつかまってストレス解消だとばかりにぼこぼにされる恐れもある。

 だからさ、鍵もかけなくても大丈夫だよ。
 冗談でもないような顔をして、ご近所さんは言っていた。

 三代続かないと江戸っ子ではないと言われるが、我が家はご先祖さまからずっと江戸、東京だ。父も母も江戸っ子なのだから、俺も江戸っ子。そのわりには貯金はあったのは、末っ子だからこそだったのか。父も母も小遣いにはさほどうるさくなかったし、弟を虐げる罪滅ぼしか、兄貴たちもたびたび小遣いはくれた。

 そのおかげでバイト代は貯金でき、歌手になりたいと告げて家族全員に反対された大学四年の夏に、その貯金を資金にしてアパートを借りた。

 そのアパートだ。

 二十歳になった俺の初の城。大学を卒業してアマチュアシンガーになり、二十四歳でプロになってからも、結婚するまでここに住んでいた。引っ越しが面倒だの、狭いほうが掃除が楽でいいだのと言い訳して、事務所の社長にも言われた。

「本橋、ここはひどすぎるだろ」
「金がないんですよ」
「うー、そうだろうけどな……」

 まだ若いうちは社長も渋々納得していたのだが、俺が三十を過ぎると、思い出したように言っていた。

「まだあそこに住んでるのか? フォレストシンガーズもそこそこは売れてきたんだから、リーダーのお部屋拝見だとかって雑誌のコーナーのインタビュー申し込みが来たらどうする?」
「受けますよ」
「……ひどすぎるだろ。うちの事務所の恥だろ。もしかして誰かと一緒に住んでるとか……まさかなぁ。あの部屋に住める女はいないよな」
「いないでしょうね」

 無意識ではあったが、それもあったのかもしれない。
 本気の恋愛ではなかったと後になれば思うが、当時は本気で好きでつきあった何人かの女たち。真次郎と一緒に住みたいな、だとか、ちゃんと食べてないんでしょ、毎晩、ごはんを作って待っててあげたいよ、と言った女もいた。

 ここまでのボロアパートで同棲はできないから、抑止力にしていたのかもしれない。
 ほんとだぁ、ここは無理、と俺の部屋を見た女はたいてい、肩をすくめた。

 十年以上もひとりで暮らしていたアパート。金はなかったけれど、好き勝手していた。結婚するとどうしたって妻に生活を管理されるようになるのだから、完全な自由が懐かしくもなる。

「あ、ここ、俺の部屋だ」

 毎日毎日ここで寝たのでもないが、長く暮らしていた部屋なのだから、ドアの前に立つと想い出が押し寄せてきた。近所迷惑もかえりみず、仲間たちを連れてきて飲んで歌って雑魚寝して、翌日、隣室の中年男にイヤミを言われたり。

「楽しそうでいいねぇ。俺も仲間に入れてよ」
「この次は参加すればいいよ。呼ぼうか」
「あんたら、仕事はなにをやってんの?」
「プロの歌手。フォレストシンガーズっていうんだ。知らない?」

 嘘つけぇ、と二階の学生に嗤われたり。

「このアパートって女性禁止だっけ?」
「そんなきまりはないと思うけど、ここへ泊めるのか?」
「泊めるってか、同棲したがってる女がいるんだよ」

 一時期、すこしだけ親しくしていたどこかの販売員に相談されたこともあった。

「同棲反対!!」
「やめてくれよな、そんなことされたら俺たちたまんねえよ」
「一人前に同棲するんだったら、もうちょっとましなところへ引っ越せよ」

 住人たちにこぞって猛反対されて、彼は引っ越していった。やっぱりそうだな、ここに女は連れ込めないな、と俺は思っていた。

「結婚しました」

 その彼から一年後、アパートの住人全員あてに葉書が届いた。そこまでしか知らないが、俺と同年配だった彼は幸せな家庭を作っているだろうか。フォレストシンガーズの本橋って、アパートでは隣人だったんだ、と誰かに自慢してくれていたらいいな。
 
 誰、それ? と言われるか、嘘つけ、と嗤われているかもしれないが。

 仕事柄、留守にすることも多く、アパートの住人たちとは表面上のつきあいしかしてこなかったが、ちょっとだけ親しくなったそんな奴もいる。あいつは、あのおっさんはまだいるのだろうか。こんなアパートからは出ていったってほうが、出世したことになるんだろうな。

 鍵はかかっていなかったので、いけないのかもしれないがこっそり中に入り、色の焼けた畳に寝そべって、十年前の気分になってみる。

 こそ泥になった気分もある。
 いいなぁ、ここ、借りようかな。借りてなにをするって? 独身気分に戻るためだ。それだけだ。でも、美江子が誤解して怒るかもな。女を囲うつもり? なんてね。

 ちがうちがう。おまえだってここに来たことあるだろ。女人禁制の掟はないものの、こんな部屋に住むような変人女はこっちからお断り、ってなもんだよ。苦笑いで窓を開けてみた。

「ああ……ピンクが……」

 ここに住んでいたころには見えなかったはずだが、なぜか近くの小学校の校庭が見える。そうか、視界を遮っていたビルが壊されたんだ。校庭の一画がピンクにけぶっているのは桜。花の名前に疎い俺だって、桜くらいはわかる。

「サクラサク……」

 「サクラサク」は高校なり大学なりの受験合格を知らせる電報の決まり文句だ。最近はインターネットで知れるから、地方在住者に電報を送る仕事は消滅したのかもしれないが、俺のときにはあった。俺は東京だから直接見にいったが、高校の同級生が地方大学からのそんな電報を受け取って、ともに喜んだ経験もあった。
 
 俺たちの「サクラサク」はフォレストシンガーズデビューだった。
 うちからデビューしないかね? との電話はここで受けた。あの社長のおっさん声が、天使のように響いた。

 畳に肘をついて顎をのせ、うつぶせのポーズで窓から桜を眺める。
 あのころの想い出にもうちょっと浸っていたくて……俺、疲れてるのかな。精神的に走りっぱなしだもんな。なにをたわけたことを……って、兄貴、怒るなよ。たまには疲れも感じるさ。

 桜が咲いてるってことにも気づいてなかったんだから。

 だから、ここにもうちょっとだけいよう。
 桜が気持ちを癒してくれる。昔の追憶ってやつも慰めてくれる。今の俺の立場ではこんなアパートを借りて隠れ家にするのも現実的ではないけれど、もうちょっとだけだったらこうしていてもいいだろう?

END

sakura.jpg













 

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FS動詞物語「惚れ直す」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

動詞シリーズ

「惚れ直す」


 サプライズがあると聞いていたのはこれだったのか。嬉しいような、恥ずかしいような気分だ。

 もと野球選手の興梠さん、私は知らないタレントのSAKURAさん、彼女は日本人だがSAKURAという芸名らしい。そのふたりが司会担当で、興梠さんは実技もやってみせる。日曜日の朝、アスリートを迎えての番組だ。

 実際には録画なのだが、放映されるのは日曜日午前九時。視聴率はあまり望めないかもしれない。
 ゲストは各種競技のアスリート。興梠さんももとアスリートだから、なにかしらのスポーツで競う。その番組に、なんとっ!!

「あー、パパだ」
「そうだね。パパよ」
「お歌?」
「お歌は歌うのかな。ひとりで歌うってこともなくはないけど……」

 本庄恭子の夫であり、ここにいる広大と壮介の父であり、職業は歌手である本庄繁之は、フォレストシンガーズのベースマンだ。
 フォレストシンガーズデビュー十周年記念として各自のソロコンサートがあり、シゲちゃんは心配しまくっていた。

「俺のソロはキャパ三百人程度の小さいホールでいいと思うんだよ。なのにさ、その十倍くらい入るホールに決まったんだって。乾さんは一万とか言ってたな。章が八千、本橋さんと幸生は五千ってとこだから、それでも俺がいちばん小さいんだけどさ」
「……差別だ」
「差別じゃなくて、現実に即してるんだよ。ああ、だけど、三千人ものお客さまが来てくれるかな」
「来て下さるわよ」

 妻として断言したが、私も不安だった。

「みなさんのソロコンサートのチケット、売れてます?」
「かなり順調にはけてるよ。まだソールドアウトまではいかないけど、乾くんの金沢公演は時間の問題かな。シゲくんももうちょっとね」
「あのね、美江子さん」

 意を決して、私は言ったものだった。

「シゲちゃんのチケットがたくさん余りそうだったら、私が買い取っていいですか」
「恭子さん、それって失礼よ。あなたの夫を信じなさい」

 逆に美江子さんに叱られてしまった私の目論見とは、こうだった。
 もしも本庄繁之ソロコンサートのチケットがだぶついてしまったら、私が買い占めよう。知り合い全部に送りつけて、絶対に来てねと強要しよう。嫌われるかもしれないが、そのうちの半分でも来てくれたら客席が埋まる。

 けれど、そんな心配は無用だった。
 四度のソロコンサートには私もすべて出かけていったが、ソールドアウトとまではいかなくてもそれなりにお客さまが入ってくれていて、シゲさーん、素敵っ!! なんて声も飛んでいた。
 客層は比較的高齢だったが、私が強要したのでもなく、事務所のサクラでもないだろう。自主的に来て下さったみなさまのひとりひとりの手を取ってお礼を言いたかった。

 ソロコンサートをはじめとして、別のシンガーとのデュエットもある。シゲちゃんもフォレストシンガーズのシゲとしてだけの仕事ばかりではない。

「いつかはソロアルバムを出したいんだ。乾さんは出したけど、他のみんなも出したいって野望があるよ。章はロック、本橋さんはクラシックかな。本橋さんのピアノの弾き語りでジャズってのもいいかもね。シゲさんも俺もソロアルバムを出すのは夢だけど、シゲさんとユキのデュエットアルバムなんてどう? 恭子さんは売れると思う?」
「売れなかったら私が買って友達にプレゼントします」

 恭子さんの発想はワンパターンだなぁ、と言われそうなことを口にして、三沢さんに笑われた。
 グループで歌っている歌手には、ソロでやりたいとの夢があるものらしい。シゲちゃんにはその野望は少ないらしく、俺はフォレストシンガーズのシゲでいるのが一番だと言っているが、まったくないわけでもないのかもしれない。

 それでもって、今日はテレビで歌うの、ひとりで?
 日曜日の朝の「興梠オサムのようこそアスリート」を見て、とシゲちゃんが言った。水曜日までシゲちゃんは仕事で帰ってこない。なにがあるの? と尋ねると、サプライズだよ、と言い残して出かけていった。

 プロ野球の大好きなシゲちゃんが応援しているチームのファンになりはしたものの、正直、私は野球にはさほど興味はない。興梠さんの現役時代も知らないので、この番組も見たことはない。テニス選手が出ていたら見たかもしれないが、出るという情報はなかったから。

 三歳の広大と一緒にソファにすわり、ゼロ歳の壮介を抱いてテレビを見つめる。壮介にはまだわからないだろうが、テレビに出ているパパを見せたくて。

「はじめまして。本庄さんは野球がお好きなんですよね」
「はじめまして。はい、そうです」

 視聴者のみなさまへのご挨拶がすむと、興梠さんとシゲちゃんが会話をはじめた。パパパパと言って、広大は食い入るように画面を凝視している。

「俺の現役時代、見てくれてました?」
「見てましたよ。ほら、今日の試合に勝ったらタイガースにマジックが出るってのがあったでしょ」
「ああ、あれね」
「あのとき、九回裏一点差で、あとひとりで勝てそうだってときに、ツーアウト一塁で興梠さんが打席に立ったんです。俺は息を呑んで試合を見ていました。そしたら……」
「俺、なにかしました?」
「逆転サヨナラツーランホームランでしたよね」
「そうでしたか。十年も前のこと、よく覚えてますね」
「忘れられませんよ」

 執念深いなぁ、と興梠さん。恨んでますよ、とシゲちゃん。言い合ってからふたりしてがはがは笑った。マニアックな想い出話のあとで、興梠さんが言った。

「本庄さんは野球、やってたんですよね」
「少年野球ですよ。小学校のときです」
「ヒーローになった想い出は?」
「エラーをやらかして逆ヒーローになった経験だったら、何度かあります」

 またまた、がははは。興梠さんは四十代だろう。引き締まった身体つきの豪快なタイプだ。シゲちゃんは平均的な背丈でがっしりしているほうだが、興梠さんの隣に立っていると華奢にさえ見える。

「パパ」
「そうだね、パパだよね。パパ、トレーニングウェアを着てるから、なにかスポーツをするのよ」
「テニス?」

 じゃないと思うけど……と言いつつ広大とテレビを見続けていると、その話題が出てきた。

「本庄さんの奥さんはテニス選手なんですよね」
「ええ。一応引退して、今は子育てとインストラクターなどやってます」
「うちの奥さんは……っと、それはいいんだった。だったら本庄さんは野球もテニスも得意でしょ」
「いえ、どっちも不得手です」
「なんだったら得意?」

 ママ、と言って広大が私の鼻を押さえたのは、興梠さんとパパの会話の意味を理解しているからだろう。我が息子は頭がいいのだから当然である。なんて、他人がいたら言えないことを呟いてみた。

「駆けっこでしたら……」
「駆けっこって地味だね。ん?」
「はーい、サクラ登場!!」

 そこへ走り込んできたのは、もうひとりの司会者のSAKURAさん。ころっとした小柄な身体をショッキングピンクのトレーニングウェアに包んだ彼女は言った。

「興梠兄さんも本庄シゲさんも、体力は抜群でしょ? トライアスロン勝負にしましょう」
「トライアスロン? 俺、聞いてないよ」
「俺も聞いてませんよ」
「いいからいいから。時間がないんだから早くやりましょう。はーい、さっさとやる!!」

 演出なのかもしれないが、困った顔をしているふたりの男性の背中をSAKURAさんが押して、脱げ脱げ、脱いで脱いで、と言っている。ふたりともに走りながら、トレーニングウェアを脱ぎ捨てた。

 下には水着をつけているから、やはり演出なのだろう。
 トライアスロンとは、水泳、自転車、長距離走の三種を連続して行う競技だ。今日は時間がないから簡易トライアスロンでーす、とSAKURAさんが告げた。

「きゃあ、本庄さん、かっこいい!! 鍛えてますね」
「俺は?」
「興梠兄さんの裸は見飽きたよ。すぐに脱ぎたがるんだもん」
「人を露出趣味みたいに言うな」

 息の合ったやりとりをSAKURAさんとした興梠さんが、プールサイドに立つ。シゲちゃんも立つ。ふたりがプールに飛び込むと、SAKURAさんが実況中継をはじめた。

「本庄さんは駆けっこと水泳が得意だそうですので、トライアスロンにチャレンジしてもらっています。おーっ、本庄選手、早い!! まさにトビウオ!! がんばれ、興梠!! きゃーーっ!! 本庄さん、かっこいい。素敵っ!! 惚れそうっ!!」

 黄色い声でけたたましく騒ぐSAKURAさんを見ていると、ちょっといらっとする。横では広大が、パパどっち? パパがんばれ!! と声援を送っていた。

 僅差で水泳は興梠さんが勝ち、続いて自転車。競輪用のような自転車に、水着のままでふたりがまたがって走り出す。またまたSAKURAさんは三沢さんみたいな声で、きゃあきゃあきゃあ、かっこいいっ!! と騒いでいた。
 
「パパ、かっこいいね」
「うん、かっこいいよね。このひとは広大と壮介のパパだもんね」
「壮介、パパだよ。わかる?」

 お兄ちゃんが弟のちっちゃな手を取って、テレビを指さす。壮介はそうされてきゃきゃっと笑う。シゲちゃんの乗った自転車が疾走して、興梠さんの自転車を追い抜いていく。私の夫の全身の筋肉が躍動して、私は彼に見とれてしまう。

 シゲちゃん、かーっこいいっ!! あなたは私と息子たちのものよっ!!

END








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FS俳句・短歌・超ショートストーリィ2017/2

forestsingers

2017/2月 超ショートストーリィ

 ほんわりと外が明るいのは、雪景色になっているからだ。冬は夜になるのが早いが、幸生たちが仕事をしている間に雪が積もって白夜みたいになっている。寝る気にもなれなくて、幸生は外に出ていった。

「うわー……」

 空を見上げると感嘆の声がほとばしる。
 下は真っ白な雪。雪の中にはユキオがいて、ブルーブラックの空には星がいっぱい。濃紺と銀いろだけで絵が描けそうな気もした。

「よーし、雪だるまを作ろう。雪だるまってユキちゃんの分身なんだよ。雪だるまって英語ではスノウマンだっけ? だるまってのは日本語か。英語の国には達磨さんっていないんだよな。だけど、スノウマンだったら雪男じゃん? スノウユキってのはどう? ユキは幸生のユキ、ユキは日本語でも英語でもユキだもんね、世界共通語として、雪だるまはスノウユキっての、広めようよ。ね、星さんたち?」

 夜空でまたたく無数の星たちが、それ、いいね、賛成、賛成!! と同意してくれていた。

「ねっ、いいでしょう? そしたら、星さんたちってのは地球のどこにでも行けるんでしょ? 行けるってか、行ってるわけじゃなくてそこにいるわけだけど、地球のどこでも見下ろせるんでしょ。アルファベットで、SNOW YUKI こんな星座を形作って地球全土にアピールしてよ。きっと広まるよ、雪だるまはスノウユキ」

 うんうん、そうしよう、と星たちが応じてくれた。

「沖縄の子どもに、雪ってどんなの? って訊かれたことがあってね、ユキは俺だよって言って笑われた。雪を見たことのない地球人ってけっこういるんだろうな。俺の作った雪だるま……じゃなくて、スノウユキ、見せてあげたいな。星さんたち、世界中に発信して。ほらほら、こんなに大きな雪玉!! スノウユキの素!!」

 一生懸命に雪だるまを作っている幸生の耳に、仲間たちの声が届いてきた。

「妙にうるさいと思ったら……」
「うるさくはないんだけど、こう、なんてか、きらきらっとしたお喋りが聞こえてきてましたよね」
「雪は物音を吸い込むと言うけど。幸生と星たちが喋ってるんだもんな。そりゃあ賑やかだよな」
「乾さん、こういうときにぴったりの短歌はありますか?」
「……ん、そうだな」

 うんうん、ほんと、ぴったり、と幸生も納得した。

「雪だるま 星のおしゃべり ぺちゃくちゃと」
 松本たかし


END
 
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FS超ショートストーリィ・四季の歌・章「冬の旅」

番外編

フォレストシンガーズ

超ショートストーリィ・四季のうた

「冬の旅」

 思い浮かべていたイメージとはちがいすぎるけれど、現実とはこんなものなのだろう。
 東京で暮らしていれば、大嫌いな雪景色などはほとんど見なくてすむと安堵していたのに、旅暮らしになってしまったら雪深い地方にも来なくてはならない。がっかりだ。

「章はなんでそんなに雪が嫌いなの?」
「稚内の生まれだからだよ」
「稚内生まれのひとはみんな、雪が嫌いなのか?」
「たいていは嫌いだろ。横須賀生まれの男がたいていは軟派なのと同じくらいにはさ」
「うちの親父、軟派じゃないぜ」
「その分、おまえが二倍軟派だろうが」

 ほどぼとなるなる、と幸生が大笑いした。
 なにを言ってもこたえない奴なのだから、なにを言っても無駄なのは章にだってわかっているのだが、黙々と歩いていると寒いだけだから、幸生と喋っているほうがましなのだ。

 これから列車に乗って、北国へと旅をする。
 たどりついた北国では、歌える仕事をさせてもらえるのだろうか。まーたお笑い芸人みたいな扱いをされて、怒りたいのを我慢するだけになるのかもしれない。

 稚内で生まれて雪に閉じ込められる冬を十八年間送ったから、章は雪が大嫌いだ。東京暮らしが長くなれば、故郷の雪をなつかしく感じるようになるのかもしれないと思っていたが、そうはなりそうにない。フォレストシンガーズの旅ははじまったばかり。今年の冬雪に悩まされそうだ。

 おまけにこの男の名はユキオ、自称ユキ。
 こんな奴とつきあっていくのだから、章の雪嫌いは年々拍車がかかりそうで、溜息しか出ないのであった。

AKIRA/24/END









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FS動詞物語「打つ」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

動詞物語

「打つ」

 あなたにとってのプロ野球とは? と誰かに質問されれば、章だったらこう答えるだろう。

「そうだな……ガキのころにテレビでアニメだとか歌番組だとかを見たくても、親父がジャイアンツの試合を見たがって見せてもらえなかった、って恨みだね。親父がたまに出張で留守にして、今日はあのアニメが見られるって楽しみにしていたのに、出張は中止だ、とか言って帰ってきたときの失望感、半端ないってあのことだよ。俺はプロ野球は嫌いだ。どこのチームのファンでもない。北海道のチームったって、あそこは札幌だろ。俺は稚内だから関係ないし。野球やるのはもっと嫌いだよ」

 隆也はこうだ。

「スポーツってのは戦争の代償行為だと言うんだよな。俺はスポーツ全般に興味ないから、プロ野球だって同じだよ。金沢にはチームはないし、東北も関西も中部も故郷とはほど遠いし、高校野球で地元のチームを応援するってのもなかったし、我が家はテレビをほとんど見なかったし、興味ないってのが正直なところだね。筋トレだのランニングだの、自分で体力づくりをするのは嫌いじゃないから、野球もするほうが楽しいな」

 真次郎は。

「俺の兄貴があまりにもあまりにもの空手バカだから、俺はスポーツが嫌いだったんだ。走るのは好きだったけど、野球には興味ない。親父はジャイアンツファンだったけど、いつも帰りが遅くてテレビなんか見なかったもんな。それがさ、大学に入ったら合唱部のキャプテンが、野球はカープじゃけんのう、って言う人で、洗脳されてしまった。今では俺も先輩と同じだよ。やるのも好きだ。負けると悔しいけど、スポーツって気分爽快になるんだよな」

 そして、幸生。

「負けず嫌いきわめつけのうちのリーダーと較べたら、俺には闘争心って半分もないんじゃないかと思うんだ。負けるが勝ちって言うじゃん? でも、ベイスターズだけは別だよ。カープやタイガースには特に負けたくないっ!! スポーツは好きなほうでもないんだけど、親父の影響なんだろうな。ガキのころからハマスタやベイスターズのキャンプ地なんかにも連れていってもらって、きっと一生ファンだよ。いつかハマスタで始球式やりたいな。うん、やるのもけっこう好きだね」

 最後に繁之。

「プロ野球に興味ゼロというのは、男としては変だという説がありますが……章はたしかに変かな。乾さんはやるのは好きなんだから変じゃありませんよね。俺はもう、ものごころついたときから、筋金入りのタイガースファンですよ。少年野球をやってましたから、するのも大好き。また試合しましょうよ。今度はヒデも引っ張り込みましょう」

 おまけの英彦。

「俺がシゲと友達になったのは、ひいきのプロ野球チームが同じだったからだよ。最近は時々、シゲとふたりで鳴尾浜だの甲子園だのに行ってる。プロ野球選手から彼のテーマ曲を作ってほしいって依頼を受けたこともあるよ。断ったけどね。うん、プロ野球は好きだ。故郷の高知をフランチャイズとするチームができたら……むしろ困るな。タイガースは捨てられないからね」

 マネージャーの美江子。

「私は浮動票が多いっていう、東京のもうひとつのチームのファンですわよ。それほど熱心ではないけど、観戦は嫌いじゃない。父も弟たちもサッカーのほうが好きみたいだけど、私はプロ野球のほうが楽しいな。フォレストシンガーズのみんなが試合をするときには応援に回ります。陽灼けはお肌の大敵。この年になると日盛りの戸外でスポーツすめるのは勘弁してほしいんだもの」

 観るのもするのも大嫌いだ、と言うのは章だけなので、フォレストシンガーズは時折、ファンの集いや遊びで野球の試合をする。今日は野球日和。真次郎を洗脳した大学の先輩、高倉誠のチームとフォレストシンガーズチームが。初夏の晴天のもとに集まっている。

 ファンのみなさまに参加してもらったこともあるのだが、本日は観客席にファンを招待した。美江子はそちらに回って、フォレストシンガーズチームの応援に加わっている。

「きゃーーっ!! 桜田さーんっ!!」
「タダ坊っ!!」

 バッターボックスに立つのは桜田忠弘。こんなにも観客席が満員なのは、高倉チームのゲストとして参加している大スター、桜田忠弘目当ての女性たちが集まってきたからだろう。おかげで観衆の大多数は高倉チームの応援をしているような……?

 ピッチャーは本橋真次郎、キャッチャーが本庄繁之。ファースト、フルーツパフェの栗原桃恵。紅一点のモモちゃんにも歓声が降り注ぐ。セカンド、劇団ぽぼろの戸蔵一世。ショートは俳優の川端としのり。彼らも一応は有名人といっていいのだろうが、知名度では桜田の足元にも及ばないクラスだ。

 サードは作家のみずき霧笛、監督はフォレストシンガーズ所属事務所の社長、山崎敦夫。モモちゃんの相方である栗原準は、美江子の代理としてマネージャーを務めている。控えメンバーにもミュージシャンや役者がいるが、やはりすべてのメンバー中でのトップスターは桜田忠弘だろう。

「ああ、やだやだ、やだなぁ。美江子さん、替わってよ」

 文句たらたらだった章がライト、幸生がレフト、センターは麻田洋介。彼ももとはアイドルなのだが、グループを解散してただいまは役者修行中。世間に忘れられるのは早いようで、あれ、誰? センター? 誰だろ、見たことあるみたいな……との女性の声が美江子の耳に届いていた。

 みずきさんと社長が平均年齢を上げているとはいえ、こっちのほうが若いんだし、勝ってよーっ!! 
 美江子が叫ぶと、周囲を埋めているフォレストシンガーズファンの女性たちが同調して、一緒に騒いでくれた。

END








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花物語2017/2「年に一度のスノードロップ」

ショートストーリィ(花物語)

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花物語2017

「年に一度のスノードロップ」

 もうじきやってくるはじめての結婚記念日。新婚夫婦にとっては最大のイベントなのだから、夫の孝道はサプライズプレゼントなりなんなりを考えてくれているのだろうか。当日まで素知らぬ顔で待つべきか。今日は孝道のほうが先に帰宅していたので、お帰り、と出迎えてくれた夫になにか言おうか、言わないほうがいいか、と恵梨香は迷っていた。

「あのさ」
「……んん?」

 来た? 寝室で普段着に着替えていた恵梨香は、ドア越しに夫の声を聞いていた。

「明日、墓参りに行くんだ」
「墓参り? 誰の?」
「いとこだよ。俺が中学のときに亡くなったんだけど、小さいころには仲が良かったんだ。明日は命日だから、墓参りだけは欠かさず行ってるんだよ」
「そっか」

 だから、恵梨香も一緒に、と夫は言うのだろう。一度も会ったこともない夫の親戚の墓参りに誘われても気が乗らないし、恵梨香の望みとはまるでちがった話だったのでがっかりして、恵梨香はひとりで口を尖らせた。

「何時から行くの?」
「朝早いから、恵梨香は寝ていたらいいよ。休みにまで早起きするのはつらいもんね」
「あ、そうなの」

 一緒に行こうと言われているのではないらしい。だったらいいか、のような、早くから出かけて墓参りって、どこまで行くんだ? と疑惑が生じるような。

 専門学校を卒業して介護職に就いた恵梨香は、四年ほど前までは老婦人が姪とふたりで暮らす大きな屋敷に住み込んで、老婦人の世話をしていた。通いの家政婦さんが別にいて、口うるさいおばさんがわずらわしくはあったものの、家事はしなくていいので楽だともいえた。

 老婦人が亡くなったので恵梨香の仕事がなくなり、住み込み介護士は辞職した。給料がよかった上に住み込みでお金を使うこともなく、貯金は増える一方。

 仕事はちょっと休んで留学しようと決め、恵梨香は一年間、ハワイですごすことにした。ハワイだったら留学じゃなくて遊びでしょ、と言う者もいたが、ハワイへの語学留学はけっこう流行っている。一年間の楽しい暮らしが終わる直前のある夜、仲間たちと海の見えるクラブでお別れパーティを開いた。

 そこで知り合ったのが、留学生仲間が連れてきていた孝道。仕事でハワイに来ていた孝道の住まいは日本で、彼も恵梨香と同じ日の飛行機で帰国するという。フライト時間までが同じだったので、航空会社に交渉して隣同士の席に変更してもらった。空席もあったので交渉は成立したのだった。

「うちは祖父が輸入雑貨の会社をやっていて、ハワイの雑貨も扱いたいってことになったんだ。それで僕が視察に来たんだよ。なかなかいい感じだったから、これからはハワイに来ることも増えるかな」
「私は留学から帰ったら、日本でまた仕事を見つけなくちゃ」
「介護職だったら仕事はいくらでもあるんじゃない?」
「あるとは思うけど、英語もうまくなったんだから、両方活かせる仕事がしたいな」

 飛行機の中ではそんな話をして、成田に到着すると孝道は言った。

「このままさよならって寂しいな。食事しない?」
「機内食でおなかいっぱいだよ」
「そしたら、また会ってもらえないかな」
「そうだね」

 即座に誘いに乗るよりは、時間を置いたほうがよかったのかもしれない。今度の土曜日、との約束の日まで、孝道は思いを募らせていたとあとから恵梨香に打ち明けた。

 結婚を前提で、と正式に告白されてから半年余りで、孝道にプロポーズされた。
 外見は凡庸だが、孝道の前途は有望だ。恵梨香も二十八歳。帰国してから再び介護職についてはいたが、二十代のうちに結婚したいのだから、四つ年上の孝道とだったらまあいいかと、恵梨香はうなずいた。

 結婚式は二月末日。寒い時期ではあるが、春が近いという意味でわくわくする日でもあった。

 肉体的にハードな介護職は結婚退職し、現在の恵梨香は夫の祖父のつてで雑貨店のパート店員として働いている。将来は夫がまかされる店を共同経営するつもりなのだから、修行の意味もあって有意義だ。

 三十歳になったのだから、そろそろ子どもを……と恵梨香は考えているが、夫も熱望しているようにもないし、夫婦ふたり暮らしは快適だから、もうすこし先でもいいかな、気分でもあった。

 とりたてて不満もない日々だから、小さな疑惑を追及したくなったのかもしれない。翌朝、言った通りに早くマンションを出ていった夫を、恵梨香は尾行した。
 徒歩で最寄りの駅まで出、夫は白い花束を買った。そこから電車を乗り継いで郊外へと、特急で二時間弱かかる駅に夫が降り立ち、恵梨香も続いて降りたときには正午近い時刻になっていた。

 駅からも徒歩で、夫は山道を登っていく。交通の便のいい都会に住んでいるのだから、夫は自家用車は実家に預けていてたまにしか乗らない。マンションの駐車場は高い、実家に広いパーキングがあるのだから、無駄な金は使わなくていいだろ、が夫の主義だ。

 自家用車でここまで来られたら尾行できないところだったし、タクシーも使わないほうが恵梨香はやりやすいのだが、疲れてきた。なんだって電車と歩きなの? こんなに遠いのに。

 今日はそれほど寒い日でもないので、歩いていると汗ばんでくる。孝道の歩調に合せるためには、恵梨香は早歩きしなければならないのでよけいだ。でも、夏じゃなくてよかったよね、と恵梨香は自分に言い聞かせていた。

 いい加減歩くのもいやになってきたころ、夫がどこかの寺の山門をくぐっていった。「宝山寺」。ほうざんじだろうか。わりに大きな寺の中に入っていった夫の横に、すっと並んだ女がいた。え? こんなところでデート? どこかで見たことのある顔だ。女が誰なのかを考えて思い当った。ハワイで知り合った留美子ではないか。

 留学生仲間ではなかったのだが、恵梨香から見れば友達の友達というポジションか。それほど親しくはなかったが、たしか、留美子も仕事でハワイに来ていたはず。ハワイの日本人仲間としては互いに顔も名前も知っていて、パーティなどで会って何度かお喋りもした。

 夫と留美子は黙って連れ立って歩いていく。ふたりは同じ、白い花束を抱えている。

 背の高いすらりとした女と、彼女よりもやや背の低いぽっちゃりした夫。ふたりが入っていったお堂には「水子供養」の大きな文字。どういうこと? 恵梨香は首をかしげたが、お堂の中までは入っていけない。留美子ならば留学生時代の友人に訊けば住所かメルアドか電話番号はわかるだろう。恵梨香はその場を離れた。

「あの……」
「はい?」
「失礼ですが……」

 寺からも出ていったところで、恵梨香は見知らぬ男に声をかけられた。

「留美子とはお知り合いですか?」
「あの……えと……」
「僕は留美子の夫で、狭間といいます」
「あ、そうなんですか」

 こんなところではなんですから……と狭間は言い、駅のほうへと歩き出した。幸いにも人通りはなく、駅まではかなり道のりがあるので、狭間のほうの事情は知れた。

「僕は留美子と結婚して三年以上になるんですけど、去年も一昨年も、今日、この日に墓参りに行くって言って出ていったんです。この寒い時期に? 春になってからにしたら? って言ってみても、今日が命日なんだからって。誰の? 中学生のときに亡くなったいとこだと」
「うちの旦那もそう言ってました。留美子さんとうちの旦那は親戚?」
「そうじゃないんですよ」

 僕も行ってもいい? 一年目には狭間はそう言ってみた。駄目、と断られて諦めた。
 二年目には妙な胸騒ぎを覚えたのだが、ついていきたいのを我慢していた。
 そして三年目の今日、辛抱できなくなってついてきた。

「お寺の中で出会った男性が、あなたのご主人の遠田孝道さん」
「そうです。えーっと、で、入っていったのは水子供養のお堂? なんだ、それ? なんのこと?」
「なんとなくはわかるんですけど、僕はやっぱり知りたい。留美子に訊いてみますよ。遠田さんはどうしますか?」
「んんっと……留美子さんの返事を聞いてから考えます。連絡先、交換してもらっていいですか」

 スマホの電話番号だけ交換し、すこし考えたいと言った狭間とは駅で別れた。

 疲れてしまったので恵梨香はおとなしく帰宅した。孝道は遅くなってから帰ってきたが、特にはなにも言わず、表情も平静だ。次の日は日曜日だったので、スーパーマーケットに買い物にいったり、孝道が掃除をしている間に恵梨香が保存食を作ったりして、常の休日となんの変りもない一日だった。

「留美子から聞きましたよ。遠田さんは?」
「私はなにも聞いてません。私にも話してくれられます?」
「わかりました。会いましょうか」

 月曜日になって、狭間から電話があった。

 あの日は多少気が動転していたので、狭間のルックスなどは気にしていなかった。が、電話で約束して待ち合わせた狭間は、長身で顔立ちも整ったいい男だ。年齢は三十前後か。留美子は孝道と同じくらいの年齢だったはずだから、狭間のほうが年下だろう。

「高校生のときなんだそうです。留美子と遠田さんは同級生で、恋人同士だった。親にも内緒でつきあって、留美子が妊娠してしまって……」

 高校生ならばそうするしかなかったのだろう。留美子は中絶した。孝道は金持ちの息子なのだから、豊富にもらっていた小遣いを貯めていた分で費用は全部出した。

「中絶した日が、二十年近く前のあの日だったみたいですよ。留美子は父子家庭育ちで、大人だったとしても結婚はできない格差があるって、孝道さんもそう言ったらしい。だから、別々の相手と結婚した。それでも産んであげられなかった子の命日にだけは、ふたりでお詣りにいこうって決めてるんだそうです」
「狭間さんは知ってたの?」
「知りませんよ。知るわけないでしょ」
「知ってたら留美子さんと結婚しなかった?」
「……どうだろ」

 それで、知ってしまったらどうするの? 尋ねた恵梨香に、狭間は苦悩の表情で答えた。

「過去のことなんだから、言いたくなかったのもわかるから……だけど、それって精神的浮気ですよね。今は孝道さんとはそれ以外のつきあいはないって留美子は言ってました。信じますけど、そのつきあいだけは絶対にやめないって。わかってあげたいけど……」
「そうだよねぇ」
「あの白い花はスノードロップっていって、死を象徴するとも言われています。アダムとイヴの神話には、もうすぐ春が来るんだからって、希望の花っでもあるらしいですね」
「そうなんだ」
「で、遠田さんはどうなんですか?」

 共犯者というのはおかしいが、それに近い立場のふたりだ。恵梨香はしばし考えてから言った。

「だったら、狭間さんも浮気したらいいんだよ。私もするから」
「はぁ?」
「同罪になってしまったら、許せるんじゃない? 私もこうやってまだ若くて綺麗なうちに、浮気を一回くらいしておいてもいいな。だけど、旦那に落ち度もないのに浮気したら、ばれたらこっちが慰謝料払って離婚ってこともあるじゃん? 今回は旦那に文句言わせなくてもよくない?」
「それはつまり……」

 うつむいて、狭間もなにやら考えていた。

「ある意味では遠田さんは誠実な男なのかな。僕の心が狭いのかなって思ってたけど、遠田さんもたいした男じゃないな」
「そぉ?」
「あなたみたいな奥さんがいるのがその証拠ですよ」
「んん?」
「あなたはあなたでご自由になさって下さい。僕は僕で考えます。あなたと僕は無関係だ。当たり前ですよね。電話番号も削除しますから、あなたもそうして下さいね」
「私って狭間さんのタイプじゃないってこと? 失礼な男だな」

 苦笑してため息ひとつついて、狭間は立ち上がった。
 この機に乗じていい男と遊べると思ったのに、あてがはずれてがっかり。こうなったら私は孝道に、とびきりお金のかかる結婚記念日イベントをねだってみようかな。

 過去なんかどうでもいい。その子は存在しないのだからかまわない。私にとっては現在が大切だ。私も本気で妊活しよう。スノードロップなんかじゃなく、実際にその腕に我が子を抱いたら、孝道も過去は忘れるはずだ。恵梨香はもうすっかり、そっちに気分を切り替えていた。

END








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FS動詞物語「酔いしれる」

ショートストーリィ(フォレストシンガーズ)

フォレストシンガーズ

「酔いしれる」

 
 絵馬を買って願い事を書いていると、横から妹が覗き込んでいた。
 恒例の初詣。若いころには大みそかに家を抜け出したり、友達と旅行がてらに遠方へ出かけたり、晴れ着を着て彼氏とふたりきりで、というようなこともあった。

 いつのころからか旅行も億劫になり、友達づきあいも面倒になり、彼氏? 私を何歳だと思ってるのよ、になったのは、妹も同様だったのかもしれない。加寿子と波留子の東姉妹は年子なのだから、四十代後半にもなるとなにもかもが同じようなものだ。

 どっちかが疲れているようなときには、顔が似ているのもあって、疲れているほうが、姉さん? と言われる。波留子が姉かと言われると怒っているが、加寿子としては、どっちでもいいじゃないの、でしかなかった。

「見ないでよ」
「なに書いてるの? 貯金ができますように? カズちゃんには他の願いごとなんてないよね?」
「あんたはなんて書くのよ? 家内安全?」
「カズちゃんとなるだけ喧嘩にならないように、かな」

 先に加寿子が故郷を出てきて、東京で短大に入学した。一年遅れで波留子も東京に来て加寿子と同居になった。最初からそのつもりで、父が広めのマンションを借りてくれていたからだ。
 短大を卒業すると、姉は中堅どころの商事会社に、妹は中堅どころのメーカーにと、職種も似たような一般事務の会社員になった。

 旅行になんか行ってないで、帰省しなさいよ。彼氏はいるのか? そろそろ嫁に行け。加寿子が結婚しないと波留子もしにくいよね。そんな仕事、いつまでもやってても仕方ないんだから故郷に帰ってくれば? 見合いの話だったらあるよ。

 うるさく言ってきていた両親は、波留子が四十歳になった時点で諦めたらしい。故郷の土地と屋敷を売って、わりあい近くにできた老夫婦向け有料マンションに入居し、私たちが死んでもお金が残ったらあげるわよ、と母は言っている。意外にあっさりしたものだった。

 なのだから、加寿子と波留子は東京にマンションを買った。両親も、あんたたちの好きにすればいいと言っていた。
 
 可もなく不可もなく、こんなもんでしょ、の中年姉妹の暮らしが続いていく。今年は両親はマンションの有志で温泉旅行をするのだそうで、帰省する必要もなく、近所の神社へ初詣に来たのだ。加寿子も波留子も相手に見えないように絵馬を書き、相手に見えない場所に吊るした。

 波留子がなにを書いたのかは知らないが、加寿子の願いはかなった。その通知が届いたときは、何年ぶりかと思えるほどの歓喜に包まれた。

「フォレストシンガーズのファンのつどい?」
「そうなのよ。ファンクラブに入ってから十年、毎年毎年応募してたんだけどまるで当たらなかったの。十年前なんてフォレストシンガーズはまるっきり人気なくて、ファンクラブの会員なんか微々たる数だったはずなのに当たらなくて、このごろは人気が出てきてるからますます当たらなくて、諦めかけてたんだけど、今年も抽選に応募してよかった」

「そういえばファンクラブに入ってたよね。部屋で音楽を聴いてるのもフォレストシンガーズだっけ? どうでもいいっちゃどうでもいいけど、ファンのつどいってなにをするの?」
「今年は音楽三昧って書いてあるわ。フォレストシンガーズは歌のグループなんだから、素敵なホールで少人数のファンを集めて、歌をたーっぷり聴かせてくれるのよ」
「ふーん」

 まるっきり興味なさそうに、妹はファンクラブから届いた封筒をひねくっていた。
 わくわくする、心が浮き立つ、そんな気持ちも何年ぶりだろうか。我知らず顔がほころんでしまっている加寿子に、波留子は言った。

「それってそのときに楽しいだけだよね」
「そりゃそうだけど……いいじゃないのよ。ケチつけないで」
「はいはい、よかったね」

 小馬鹿にしているような口調で言って、波留子は封筒をぽいっとテーブルに投げ、自室に入ってしまった。
 人は興味のない事柄にはあんなものだろう。波留子は身体を鍛えるのが趣味で、ジョギングをしたりジムに行ったりしている。そのほうが身体のためになるのだから、歌を聴くのが好きだなんて馬鹿らしいと思うのも無理はないかもしれない。

 姉妹とはいえ性格もちがうのだから、わかってもらえなくてもいい。けれど、誰かに喋りたい。誰に喋ろうか。加寿子の毎日には職場と家とフォレストシンガーズしかない。こんなことだったら友達をキープしておいて、彼女と趣味を共有するんだったか。

 疎遠になってしまった友人にこだわってもしようがないのだから、そっちも諦めた。誰に喋ろうか、言いたい、話したい、自慢したい、口がむずむずしてきて、加寿子はついに職場の後輩に声をかけた。

「白田さん、お昼、食べにいかない?」
「ええ? 東さんがおごってくれるんですか。珍しい」
「……誘ったほうがおごるのは当然よね。行く?」
「はーい、ごちそうさまです」

 十年近く後輩ではあるが、白田だって四十歳近い。あまりに若すぎる女性よりはいいだろうと思ったのだが、普段は同僚と親しくしていない、というのか、敬遠されている気配を感じて近寄っていかないのだから、自分の言いたいことの口火を切るのをためらっていた。

「東さん、気になってたんですか」
「え? なにが?」
「私、モテキが来たみたいで……」
「モテキ? えーっと、聞いたことのある言葉だけど……」
「年を取ったからっていったってそのくらいの流行語は知っておかないと、恥をかきますよ」
「そう? ああ、もてるってこと?」
「そうなんですよ」

 嬉しそうに白田が言うには、髪型と化粧をすこし変えたせいなのか、最近はいやに職場の男性に誘われるようになったのだそうだ。

「東さんくらいの年齢になると、男には見向きもされなくなるんでしょうけど、私はまだ華があるんですよ。四十になるまでには結婚できそう。それが気になってて、東さんも私と話したかったんでしょ?」
「あ、ああ、まあ、ちょっとね」
「なんでも訊いて下さい。年ごろの近い女の子には嫉妬されそうで言いにくいけど、東さんだったらもうそんなもの、超越してますものね」

 この状態ではフォレストシンガーズの話などできそうにない。現実の恋愛にうつつを抜かしている女だと、そんな手の届かない男に興味ないわ、と言いそうだ。もっとも、白田の話にもファンタジーがまぎれ込んでいるようではあったが。

 十年来の夢がかなったと誰かに話すのも諦めて、加寿子はひとり、フォレストシンガーズファンのつどいにやってきた。クラシックの室内楽演奏会に使われることが多いというしゃれたコンサートホールは、ヨーロッパの上流階級が集うサロンのようだった。

 そんなところ、私には無縁だけどね、そんな感じがするじゃない? 素敵。加寿子はひとりで来ているので、胸のうちでひとりごとを呟く。

 こじんまりしたステージを客席が囲んでいる。フォレストシンガーズの五人がステージに登場すると、加寿子の胸がきゅんと締めつけられる。こんなに近くでフォレストシンガーズを見られるなんて……私は特に誰かのファンってわけでもないけど……ううん、ひとりごとだったら正直に言ってもいいじゃない。彼らの歌が好きなだけではなくて、私は木村章がタイプなのよ。大好きなの。

 小さなホールでの小さなコンサートだからか、彼らが選んだ歌はラヴソングが主だった。甘く美しく切ないハーモニー、木村章の高い高い声がとりわけ、加寿子の胸に迫ってくる。何曲ものラヴソングを聴いていると、自分が五十歳に近い独身女だなどとは忘れてしまいそうだ。

「では、次の曲の前に……」
 リーダーの本橋真次郎の合図で、花籠がステージに運ばれてきた。奏でられているイントロは、フォレストシンガーズのプロポーズの歌、「満開の薔薇」だ。その歌に合わせて、真紅の薔薇であふれそうな花籠が運ばれてきたのだった。

「ようこそ、ファンでいて下さるあなたを愛しています、受け取って下さい」
「今夜はいらして下さってありがとうございます」
「俺たちからファンのみなさまへの、愛の贈り物です」
「はいはい、ユキちゃんから愛をこめて。僕らを愛して下さるファンのあなた、大好きですよ」

 他の四人が客席を回って、ファンの女性たちにバラの花を贈っている。わぁ、いいなぁ……他人事だとしか思えなくて、加寿子はぼーっとそちらを眺めていた。

「I love you なんちゃって……」
「え?」
「美しい貴方へ。章から愛をこめて。って、これ、幸生の盗作ですね。受け取って下さい」
「私に?」
「はい。俺たちのファンとしてのあなたを愛しています」
「……アイ、シテル」

 冷静な自分は理解している。誤解するようなファンがいては大変だから「ファンのあなたに」と付け加えているのだ。だけど、だけど、愛してるって、木村章くんが……薔薇の花を私に捧げてくれている。夢を見てるみたい。私、このまま死んでもいいわ。

 ベルベットのような、と形容される真紅の薔薇の花びらの手触り、馥郁たる薔薇の芳香、すこし照れているような木村章の笑顔が視界をいっぱいに占めて、今の私は、モテキなの、と言っていた白田に負けないほどに酔っている、とは思う。だけど、そんなこと、かまっちゃいられないわ、でもあった。


END







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プロフィール

はーい、ユキちゃんでーす。本橋真次郎、乾隆也、本庄繁之、木村章、そして、私、三沢幸生からなる五人のフォレストシンガーズストーリィを、ぜひぜひ読んで下さいませませっ。我々五人と山田美江子、小笠原英彦のメインキャラに加えて、他にもいろんなひとが登場しますが、ストーリィはすべてつながっていますので、どれかから読んでいただいて興味を持ってもらえたら、他のも読んでね。そして、別小説もあります。読んでいただけましたら、コメントなどいただけると最高に嬉しいです。よろしくお願いします。

quian

Author:quian
フォレストシンガーズ
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